※TVアニメ版『火の鳥』をこれから見るという方、あるいはTVアニメ版『火の鳥』が好きだという方は、このページを読まない方がいいかもしれません。


  日記の方でも少し書きましたが、TVアニメ版『火の鳥』、相変わらず面白くないですね。始めは面白くなくても、見ているうちにハマっていくということも時々ある(『プリキュア』がそうだった)ので、そういうことを期待しつつ、毎週欠かさず見てるものの、一向に面白くなる気配が感じられないどころか、見るのが億劫になってきました。この調子では、最後まで面白くなることはないでしょう。


  では何故面白くないのか、日記に書いたのとは少し違う言い方をすると、「無駄」を省きすぎ。寄り道や脱線のない人生を送ると薄っぺらでつまらない人間が出来上がるのと同じで、「無駄」が少なく、最短距離で淡々とストーリーが展開していくアニメはつまらない。原作は、もっと「どうでもいいようなこと」が沢山描かれていました。そして、その「どうでもいいようなこと」が重要だったと思います。少ない話数で「無駄」を表現するのが難しいんだったら、話数を増やすべきでした。それが無理なら、始めから作らない方が良かった。

  あと、TVアニメ版『火の鳥』からは、「押し付け教育」っぽい雰囲気が感じられました。大人が子供に、命の尊さ等を「教え込もう」としているような・・・・・。てゆーか、太陽編で、マリモが髪を束ね、武器を持って戦ってるのを見た時は、スタッフの、「今の時代に合わせて、強い女性を描いた」という意図が見え透いてて、「そんなにPTAに気に入られたいのかお前ら!」と思いましたね。

  それから、個人的には、『火の鳥』は「子供向け」の作品ではないと思っているんですが、アニメのスタッフは、それを無理矢理「子供向け」に仕立て上げているような気がします。『火の鳥』は、「子供向け」ではなく、大人と子供の間で葛藤する「思春期向け」作品であるべきだと、私は思います。『火の鳥』を見た後は、色々思い悩んじゃったりして、少し後味が悪いぐらいが丁度良い。TVアニメ版の後味は、実にあっさり風味です。

  少し話が脱線するかもしれませんが、アニメのスタッフは、『火の鳥』の解釈を、本居宣長が「もののあはれ論」を唱える前の『源氏物語』の解釈と同じようにしていたのかもしれません。本居宣長が現われる前、『源氏物語』は、「教訓物」として解釈されていて、それに対して宣長が、『源氏物語』は「教訓物」ではなく「もののあはれ(大まかに言えば「感動」のこと)」を伝える物語だと反論しました。『火の鳥』も、決して「教訓物」ではないと思います。アニメのスタッフは、命の尊さを訴えるとか、生命の神秘を表現するとか、そういう壮大で難しいことを考えすぎて、先ず『火の鳥』という作品自体に感動することを忘れてるんじゃないでしょうか。

  前に『ブラックジャック』のOVAを見た時、スタッフの、「『ブラックジャック』が好きだ」という気持ちがひしひしと伝わってきました。TVアニメ版『火の鳥』のスタッフの「『火の鳥』が好きだ」という気持ちは、伝わってこないのです。


2004.6.19記


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