【中年期 第四部】 ● 西国巡礼の旅
● 青岸渡寺
● 施福寺
● 壷坂寺
● 岡 寺
● 長谷寺
● 法起院
● 南円堂


【 西 国 巡 礼 の 旅 】

そ の 一 「第 一 歩」

 こんなタイトルで書くと私が信仰心の篤い、まじめな仏教信徒かと思われそうだが、じつはまったく違う。札所巡りなんて思いもしなかった。

 信仰のためでもなければ、仏教の世界に入りたいという思いがあって巡礼に出たわけでもない。ましてや、仏に帰依して仏法を修業しようと願ったからでもなかった。

 もともと私は仏教については無知のうえ、信心とはまるで無縁で、信仰については何の希望も寄せていなかった。

 だから世間の人々は信仰心がさほどあるとは思えない私が、何で巡礼なんかにと疑念のまなざしを向ける人もいた。

 まったくそのとおりで、聞かれても返答に困る観光目的のエセ信者だった。定年退職後の気ままな自由を満喫し、好きな仏像を見物かたがた寺巡りをしようと思い立ったに過ぎない。

 それと母が亡くなり、人ごととしか思っていなかった死が現実の問題となって、少しばかり仏教に関心を寄せたのかも知れない。

 亡くなったばかりのころ、悲しくてしかたがなく仏壇に向かって正信偈ばかり誦していた。わが家の宗派は真宗で、お経は子供のとき母から直々に手ほどきを受けていたので、教本を見ながらだけれども、その独特の韻律でお経を読むことはできる。

 仏壇のまえで直伝のお経を唱えることが出来るということは故人の供養になるのかなと思いつつ、手を合わせていたのだった。

 母はよく夢に出てきた。これまでに三度ほど見た。はじめて夢に出てきた母を覚えている。真っ暗な晩で、近所にあった風呂屋の横手から可愛らしい女の子の手を曳き、番傘をさして出てきた。

 雨がいっぱい降っていた。
「お母ちゃ〜ん」
 と呼びかけると、こちらを見て微笑みを見せ、何にも言わず暗がりの中へ歩み去った。

 女の子は小さいとき亡くなった姉に違いない。そんなことがあって母の三回忌をすませたころ、私は故人の菩提を弔うため巡礼に旅立った。母の導きか、それともみ仏のお慈悲か、ご縁があって西国の札所を巡拝する機会に恵まれたのである。

 西国巡礼を思い立ったのは、母の三年の法要を営んだときで、母が生前、口癖のように 「巡礼に一度は行ってみたい」 と、話していたことをふと思い出したからである。

 巡礼に出るまえに、札所巡りを三回もしたという熱心な信者に、
「巡礼をするには必要な条件が四ついる。暇、健康、お金。それとあとひとつは、観音さまのお招きだ」
 という話を聞いた。

 仕事を辞めたことで暇はある。体もまあまあ丈夫なほうだ。お金はなんとかなる。話にあった三つが揃っている。いまが絶好のチャンスだ。よし、やってみようと思った。

 さきの信者が言ったあと一つ 「観音さまのお招きだ……」 の言外には、巡礼は観音さまのパワーに助けられて歩くんだという意味が込められていた。だが、足に自信があった私は 「観音さまのお力は借りない。自分の足で歩く」 と、内心、一線を引いて第一歩を踏み出したのである。

 ところがいざ歩き始めと、たちまち足の裏は大小のマメ畑と化した。歩くと決心したのだから途中で止めるわけにはいかない。寺に到着して合掌するとき、ヨレヨレの体や足の痛さを改めて思い知らされ、何でこんなことを始めたんだろうと後悔した。

 だが、ひたすら歩けば身も心も軽くなる。まだ見ぬ景色、古い寺や美しい仏像、溢れる自然界の恵み……。それらが体の疲れや、足の痛さを忘れさせてくれた。

そ の 二 「納 経 帳」

 巡礼というものはただひたすら歩きまわり、納経帳にご朱印を押してもらえばよいと思っていたが、そんな生易しいものではない。札所の一つは町中にあっていつでも訪ねられるが、つぎの一つは険しい山の上にあり、坂にあえぎ長い石段の辛さを嘆く。

 そこへ到達するためには、いささかの苦労をしなければならない。しかし、それを乗り越えると、その先には山の彼方に夕映えの空があって、西方浄土を垣間見る思いがする。めざす寺へ到達するまでの辛い道のりも忘れてしまうのである。

 小雨に煙る神秘的な那智の滝に感動した一番札所の青岸渡寺。
 眼下に和歌の浦が拡がる紀三井寺。
 槙尾山の名で親しまれる施福寺。
 眼病平癒の信仰で有名な壷坂寺。

 毒竜を封じたという池がある岡寺。
 牡丹の花が美しい長谷寺と番外の法起院。
 小学生のとき修学旅行で来た思い出の奈良・興福寺。


 いつ来ても賑やかな京都・清水寺。
 清水寺のあとには、六波羅蜜寺の美しい彫刻の群が
 典雅な響きを伝えてくれた。
 滝と紅葉で有名な箕面の勝尾寺。

 中山寺の親しさと一乗寺の格調の高さ。
 日本三景の一つ、天の橋立を見下ろす相成寺。
 琵琶湖・竹生島に浮かぶ宝巌寺……。


 そして巡礼の旅は、さまざまな願いや思いを携えてやってくる参拝客とともに、丹後より近江、美濃へとつづく。

 物質文明時代といわれる今日、千年以上のむかしから、心のよりどころとしてあがめられた古刹、名刹に接し、心洗われる旅だった。

 私が巡った寺々の一番から三十三番までの札所を順に思い起してみても、巡礼をしなければ気づかずに済んでしまったであろう、いろんなことに出会った。それらすべてが、観音菩薩を象徴するものだったのかも知れない。

 本堂で礼拝を済ますとつぎに納経所へ行く。そこでは巡拝した札所のしるしとして、持参した納経帳や観音像の掛け軸に、見事な達筆で山号寺名を書いてご朱印を押してくれる。

 むかしは自ら精進潔斎して浄写した 「観音経」 とか 「心経」 を各霊場に奉納し、その受領証としてお手判を受けたのが本来の姿らしい。ところがいまでは写経を納める人は殆どない。

 どの札所でも見られる風景だが、いくばくかの納経料を支払ってご朱印を押してもらうのである。閑静な寺では呼び鈴を押すと住職もしくは奥さんとか娘さんが出てきてご朱印を押してくれる。

 巡礼姿というのは、雨露や日光を凌ぐための天蓋として菅笠をかぶり、手には金剛杖を持ち笈摺を着るのが本来の姿である。
 むかしは旅行用の更衣や、手まわりの用具を入れる笈というものを背負ったので、着物が摺り切れないよう着物の上に笈摺を着た。

 それがいつの間にか、笈を背負わない現代のような笈摺姿になった。いまでは、そういう姿も廃れてしまったのではないかと思っていた。

 だが、私が巡った寺々では、いとも朗らかに、チリン、チリンと鈴の音に合わせてご詠歌を謡う笈摺姿を、考えていたより遥かに多く見た。

 同行二人というのは、巡礼たちが天蓋の菅笠や白い笈摺の背に書く文字である。観音を信じていれば、いつも観音さまと同行二人で道連れがあるから寂しくない。また、どんな険しい山道でも辛くないという意味だ。

そ の 三 「結 願」

 巡礼はもともと観音信仰にもとづく日本独特の文化だが、いままでどれだけの人々が、巡礼に出たことだろうか。その動機は千差万別だと思うが、巡礼に出るときはそれぞれの人が、それぞれのドラマを背負って旅に出たはずである。

 かつて嫁姑が同居することが多かった時代には、その辛さを逃れるために逃避の巡礼に出たともいう。信心を口実にした息抜きの旅には、はなはだ具合がよかったに違いない。一方、残る側にとっても心の休まることだったろう。旅立った人は旅立った人で、ひそかに孤独を楽しむ旅だったのかも知れない。

 高槻の総持寺で白装束に身をつつんでただ一人、遍歴している若い女性に出会った。目にいっぱい涙を浮かべ、本堂に額づいている姿を見たとき、若い身空で何だろう。恋人でも死んだのだろうか……と、不思議な思いにかられた。

 一人旅の娘巡礼が悲しみの果てに、ご詠歌を謡いながら巡り歩いている。もちろん物見遊山に近い巡礼もいるが、それこそ観音さまの 「み手」 にすがらなけねば、崩れ折れてしまいそうな悲劇を背負った若い人もいるのだ。

 那智山にはじまって美濃の谷汲山まで、その道を行くことは今日でも容易でない。私は休日の早朝、新幹線や急行電車に飛び乗り、日帰りと泊りを合わせ延十八日を要した。巡礼とはそもそも歩くものだと思っていたので、乗り物はいっさい公共の電車・バスのみとし、足に頼ってひたすら歩きつづけた。

 だがあるとき、参詣を済ませ山道を下ってくると雨がポツリ、ポツリときた。急ぎ足の私の後ろから車がスーッと寄ってきて、
「お乗り下さいな」
 と、参詣がえりの中年夫婦に声を掛けられて、車で麓まで送ってもらったことがある。巡礼中、車に乗ったのはこのときだけだった。

 初夏のころ、最終の寺である美濃の谷汲寺にたどり着き、十一面観音が安置されている本堂のまえに額づき、結願の報告を終えた。その時である。胸がぐっとこみ上げてきて急に涙があふれてきた。

 止めようがない。また止めようともしなかった。すべてが空となり、体のなかを風が吹き抜けた。いつしか涙が頬を伝っていく。空っぽだった。しかし、それはぎっしりとした空。つまり生きていまここに立つことへの感謝とでも言おうか……。

 ただただ嬉しかった。無信心だったはずの私だが、その喜びと幸福感はいままで経験したことのない種類のものだった。そして、ここまで私を導いて下さった観音さまにたいする感謝の気持ちでいっぱいになった。

 見たり感じたりした思いがけないもの……。それは巡礼をしなければ、おそらく気づかずに済んでしまったであろういろんなことを体験することができた。ひょっとするとそれが観音さまのご利益だったのかも知れない。

 本堂入口の西側の柱に青銅の “精進落しの鯉” が打ち付けてあり、長年に亘って数え切れない程の巡礼者の手に触れられてきた鯉は、艶々と光り輝いている。巡礼者たちはこれを撫で、満願の喜びを胸一杯に俗界に還っていく。

 巡礼の旅を終えた私も、この “精進落しの鯉” を撫でて寺をあとにした。表参道につづく門前町の土産物屋に挟まれた路地を覗くと、川魚を焼く店が立ち並んでいる。人々はそこで本当の精進落しをしたのだろう。

 人は辛い思いをした体験や感動を覚えたことは決して忘れない。それどころか、それを契機に人生観が一変することさえある。人間の旅の果てなど分からないが、一生が旅だとすれば巡礼は私たちの喜びや悲しみが凝縮された人生の旅の姿かも知れない。

 夢は持つべきものだとしみじみ思った。仏教の知識はなかったが、慣れない札所巡りを志した私は、もろもろの仏縁と出会い、念願であった西国巡礼の旅が叶えられたのである。いま思い出しても苦楽の連続だった。

 巡礼には、現代人が避けて通りたいと思っている痛みと疲労の裏に大いなる愉しみが隠されていた。この秘密を身体で知って、私は巡礼にハマってしまったのである。

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