【老年期 第二部】 ● 網膜剥離
● 高血圧症
● 理学療法室
● 立ちくらみ
● 白内障
● 逆 縁
● 腰の手術
● 術後の養生


【 網 膜 剥 離 】

 交差点で横断歩道を渡ろうとして、私は愕然とした。いま、向かいの信号機が赤か青なのか、定かに見えない。横断歩道の右側に車が止まっているから、青だろう。

 でも、もし渡りはじめて信号が変わり、車が動き出したらどうしよう。私は人がくるのを待った。車が発進して、また次の車が止まった。私の後ろにきた人が急ぎ足で渡り、私もその人を追うようにして渡った。

 二、三日まえから物が歪んで見えていたのだが、その日の朝は、新聞の上半分が覆いかぶさるように暗くてよく見えない。驚いて国立病院の眼科へ駆けつけた。その日は週の始めだったので、ひどく混雑していて昼近くまで待たされた。

 いらいらしながら待合室で待っていると、年配の看護婦さんがびっくりするような大きな声で、私の名前を呼んだ。 「目は悪いけど、耳はまだ聞こえるよ」 と、皮肉ってやりたいような大声だった。

 診察してくれたのは若い女医さんだった。瞳孔を目薬で開いておいて、上下、左右から眼底を覗いていたが、すぐに左目網膜剥離だと診断した。

「見えなくなるのでしょうか?」
 私の不安をよそに女医先生は、
「症状が悪化していますから、手術が必要です。即、入院して下さい」
 と、事務的に答えるだけで、治るとも何とも言わない。

 私はますます不安になった。入梅に入ってすぐの平成元年六月十三日に入院して、翌日、手術を受けることになった。手術中は麻酔が効いているので、意識はおぼろである。

 話し声が耳元で聞こえていたが、いつしか眠ってしまったらしい。
「ハイ、終りましたよ」
 という声でようやく眼が覚めた。
 ストレッチャーの傍らに、心配そうな女房の顔が片方の眼で見える。手術は約一時間を要したらしい。

 入院中は右眼が健在なので、食事や用便など自分のことはできた。空いた時間は布団をかぶってベットに横になっていた。何も考えず頭の中を空白にしたかった。だが、失明したときのことをあれこれ思うとなかなか眠れない。

 手術を受けてから五日目に眼帯を外した。不安と期待でそっと外界を見る。上部に暗い部分がややあるが、明るい範囲のほうが広い。窓外の公園の緑が眩しく映ったとき、私は失明を免れたと思った。

 そんなころ誰に聞いたのか、先輩のAさんが病室を訪れてくれた。四方山話の後、帰り際にAさんは、
「気をつけろよ。それではお大事に」
 と言って、さりげなく紙袋を渡してくれた。

 見舞いの品に混じって色紙が二枚入っていた。一枚は 「今日無事」 と筆太に達筆で書かれていた。一日一日を大切にして、一期一会を肝に銘ずる。そんな心を表していると思った。そして、もう一枚には達磨さんの絵が描いてあった。

 達磨さんの太い眉毛と、ぎょろ目の髭面はユーモラスだ。 「人生は七転八起」 という暗黙のエールが胸にしみた。退院して一か月もすると視野も広がり、眼のまえが少しずつ明るくなってきた。道も直線に見えるようになり、信号の色も判別できるようになった。

 雑然とした日常の中で、感謝して暮していたある年の暮、喪中の通知でAさんの逝去を知った。Aさんはさきごろ病気で亡くなったらしい。さっそく私は奥さんへお悔状を出した。まもなく 「夫はお国替えをいたしました」 と、返書が届いた。

 さりげなく記された文には、夫を失った切ない胸の内を語らず、遺品を整理していると書き添えてあった。私は 「そうだ」 と、Aさんの見舞いの色紙を思い出した。そして、しばらく戸棚に入れたままになっていた色紙を取り出して、玄関先に飾った。

「いつもこの達磨さんが飾ってありますなぁ」
 と、訪問客がニコッと笑う。
 年を経て、色が褪せかけてきた達磨さんのぎょろ眼が、下駄箱の上で私を睨んでいる。この達磨さんの色紙を見るたび、Aさんのことが思い出される。

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