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【老年期 第三部】 |
● 同窓会 ● 初日の出 ● どわすれ ● 金婚旅行 ● 老いの愉しみ ● 大正生れ ● 老いじたく ● 早すぎる遺言 |
| 【 同 窓 会 】 |
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そ の 一 「中 商 一 八 会」 私たちは中京商業 (現・中京大中京) の十八回生だったので、同窓会の名称もそれに因んで中商一八会という。会の名を最初に決めるとき、一八なんてうどん屋の暖簾みたいで、おかしいという者もいたが、馴染んでしまえば何のことはない。 この中商一八会の立ち上がりは昭和四十一年だったから、かれこれ四十年にもなるが、年に一度の会合はいまでも延々と続いている。だが、参加者多数でスタートしたこの会も、遠くに引っ越したり、体調をくずしたり、病気で亡くなる者もいて、歳月を経るごとに参加者の数は減るいっぽうだ。 このあいだ聞いたら、同級生の物故者は九十名を超えたと言っていたから、無事、卒業できた240名のなかで、すでに四割以上の人々が亡くなったことになる。 ひさびさに見知った友人に会って昔話を始めると、忘れていた記憶が次々と蘇ってくる。絶対そんなことはしていないと、断固拒否したくなる自分の行いを、思い出されたりすると恥ずかしかったりもするが、やはり旧友との再会は面白い。 同窓会に出てくるのは何時もおなじ顔ぶれで、卒業以来、一度も会ってない友も何人かいる。剣道部にいたO君は学生時代からの親友だが、戦後、郷里の神戸へ帰ってあちらで暮しているので、滅多に会うことがない。 おかしなもので私が出席したときは先方が現われず、私が休んだときに出てくるようなので、このところ顔を見ていない。しかし、私が休んだときに撮影された写真は、その都度、幹事さんが送ってくれるので、彼の顔は拝見している。 さきの阪神大震災のとき、お見舞いの電話を入れてみたら、さいわい大した被害もなかったようで、元気な声がかえってきて安心した。 久し振りに出席した同窓会のとき、少し遅れて会場にやってきた男がいた。小柄だが鼻筋の通った端正な顔立ちである。誰だったかなぁ……と、思っているうちに 「ああ、そうだ!」 と思い出した。四年生のときおなじクラスにいたH君だった。 「ご無沙汰。むかしとあんまり変わらんなぁ」 と、彼はにこやかに挨拶した。 H君はその後も顔を見せていたが、あるとき、 「いまから自分の半生記を書くつもりだ」 と言い出した。 先ごろ私が出した自分史を読んで触発されたらしい。そして、執筆にとりかかったようだが、暫くして心臓発作で急死した。結局、彼の半生記は未完となってしまった。 なぜ、彼が半生記を書く気になったのか。いまにして思えば、自分の死期が近づいたのを、おぼろに感じとっていたのではないだろうか。 恵那で開催された同窓会のとき、「実はな」 と世話役のTちゃんが私の耳に口をよせて低くささやいた。聞くところによると、今日ここに集まった連中のなかのT君が、医師にガンを宣告されているというのだ。 そういえば野球部にいたT君は、頑丈な体つきをした男で、かつてはクラスで級長をつとめ、文武両道の有名人だった。だが、胃を全部、摘出したとかですっかり痩せ細って、いまは見る影もない。ほかの仲間たちもそれを知っていて、だからどうしても気持ちが滅入ってしまうのだという。 彼は食事のあとで仲間に告げた。 「じつはな、ガンがほかにも転移した」 その途端、一座に冷たい空気が垂れこめて、私は一瞬、口をつぐんだ。 「おそらく来年の同窓会には、このオレの姿は消えているだろうな」 と、冗談とも本気ともつかぬことを言うと、なかには泣き出す者もいた。 解散するとき 「じゃあな……」 と言って、手を振って去っていったが、寂しそうな彼の後ろ姿を見送ったとき、これが最後だなと思った。やはり次の同窓会に彼の姿はなかった。あのとき仲間に別れを告げにきたのだろう。 同じ陸上部にいた I 君の訃報も聞いた。 I 君は長距離ランナーで名岐駅伝で活躍した男である。卒業する前年だったが、この大会で優勝したとき、私は自転車で木曽川橋から岐阜県庁まで、I 君の伴走をしたことがある。 水泳部のO君の訃報も知った。所属する部は違っていたが彼とも親しかった。こうして古くからの親しい友人の何人かが死んでいく。身近かな仲間たちとそんな別れ方をするのは辛い。同窓会に出席するたびにそれを感じる。 そ の 二 「一 泊 旅 行」 老年になると、同窓会の出席率が急に高くなりはしないだろうか。若い人の同窓会だって、仲のよかった友達に会いたいので、そこそこ人は集まるだろう。だが、老年になると、ただそれだけではない。 同窓会が始まったころは、世に出てまあまあ成功した連中が顔を出して、自分の羽振りの良さを級友と見比べてみたいという生臭さが、絶えずつきまとっているような、鼻持ちならない奴もいた。 しかし、還暦を過ぎたあたりから、それぞれやるだけのことはやってきたんだという気分で、むしろ懐かしさのあまり出席する人が多くなったようだ。 それと 「みんなはどんな歳のとり方をしたのだろう」 という老年ならではの興味が加わり、自分にも青春時代があったのだと、生き証人相手に確かめたくもなる。そこで、かつてならこういう集まりは敬遠していた人までが来ることになる。 平成九年の同窓会は一泊旅行だった。幹事さんからの案内状には 「七十の集い」 というタイトルがつけられていた。
今回は一泊旅行だったので、参加者も少ないのでは……と、心配したが、それでも何とか名古屋近郊に住む者たちばかりが、十九名集まった。会場は師崎の老人福祉会館である。一同、送迎バスに揺られて、金山駅から知多半島の最南端に向かった。 会館の手配やら一行の面倒は、地元のS君とY君が、それぞれ引き受けてくれた。会館の部屋からは三河湾と伊勢湾が一望でき、いかにも老人にふさわしい保養所という趣だ。もちろん、ほかの泊り客も老人ばかりだ。 ざっと見渡すと、やはりそこは時間差に直撃された不思議な世界である。老年になってから知り合った人が、老年であっても何の驚きもないが、あの青春群像が老人になっているのを見ると、言いようもなく不思議になる。 よく見ると、宴会場でもやはりもとの仲良しグループに分かれていて、中学時代に親しかった者同志が自然と寄り集まっている。何となく五十年まえの思春期の構図を見る思いだ。ただ、大きく違うのは、みんなの顔つきが柔らかくなっていることだ。 皮膚がたるんだとか、太ったとかの物理的変化のせいではない。柔らかくなっているのは、五十年経ち、成績で争う必要もなく、もうライバルでなくなったせいだろう。みんなの顔つきから思春期特有の自意識が消えたのだ。 歳月とは大したもの。酸いも甘いも噛み分けた、なかなかいい笑顔があちこちにある。それとも別のところでは、それぞれ老年なりの閉された偏屈で、頑なな顔をしているのだろうか。 宴会の席にビールや酒が運ばれてきても、手を出さない者がいる。なかには水を注文して、ゴソゴソとポケットに手を突っ込み、紙袋から薬を取り出すやつもいる。結局、飲んで酔っ払って、勝手なことを喋りまくるのは、いつも私たちグル−プの七、八人だけになってしまう。 飲めない連中は、むしろそれを悦んで、 「さ、飲めよ、もっと飲めよ」 と、左右からしきりにビールや酒を押しつけてくる。 何となくお前たちだけで飲んで、勝手に喋りまくれという感じで、どうもいま一つ調子が出ない。酒も飲まずなんだか意気消沈している仲間を鼓舞すべく、私はひとりで手を叩いて、うろ覚えの校歌を大きな声で歌った。 むかしの中学の仲間たちとは、こうして年に一度ぐらいは寄り集まって、わいわいと旧交を暖めたいと思うのだが、齢を重ねると同級会に出席する喜びが萎えてくる。老醜を晒す惨めさが耐えられなくなるのも一因である。 年ごとにだんだん爺むさくなっていく仲間たちを見るのは、どうも気分が暗くなる。誰もが同じように老いを重ねるのだが、どうしても醜さに対するこだわりが抜けないからである。 同級生たちはみな一様に穏やかで、満足感にあふれていた。同じ教室で学んだ懐かしさはオレ、オマエの人間関係のまま続いていく。いまでも平気で 「おい、お前」 呼ばわりする同級生というのは、いつまでたっても気楽で気の許せる仲である。 宴も終わりに近づいたころ、 「生きていることをたしかめる意味においても、この一八会はぜひ続けよう。来年もこのような催しをしたいと思いますが、いかがでしょうか!」 と、世話役のTちゃんの声が飛んだ。 沸き起る拍手のなかから、 「意義なし!」 と、向こうで懐かしい声が応えて解散した。 ページTOPへ |