【少年期 第一部】 ● 喧嘩ゴマ
● ガキ大将
● 級長選挙
● 煎り玉子
● 弁 当
● 草相撲
● 見世物小屋
● きょうだい


【 喧 嘩 ゴ マ 】

 私たちが小さいころのことを言ったら、年寄りが下らないむかし話をすように聞こえるだろうが、まあ聞いて頂きたい。いまになって思い出だすと、子どものころの遊びはもちろんのこと、住んでいた家や風景、生活の用具や習慣など、自分を取り巻いていた何もかもが懐かしい。

 現在の子供がどんな遊びをしているのか私はよく知らないが、日本の経済的な豊かさは子どもたちに、つぎつぎと新しい道具を与えているようだ。

 タコ揚げ、コマ回しといった日本の伝統的な遊びは、いまやプラモデルやテレビゲームにその座を譲った感がある。それらは子どもたちを魅了してしまう、優れた遊び道具であるが、私がまだ小学校に通っていたころは、テレビゲームなんて想像もできない時代だった。

 むかしの遊びもいろいろあって、いま思い出しても実にいろいろな遊びがあった。思いついただけでも メンコ、ビー玉、ゴム管、釘さし、竹馬、タコ揚げ、コマ、ケン玉 e t c ……。

 ほとんど戸外での遊びばかりで、技を必要とするものがたくさんあったので、みんな一生懸命、練習したものだ。こんなにもたくさんの面白い遊びが時間の流れとともに消えてしまったが、何かの拍子にひょいと再会すると、懐かしさで胸が締めつけられる。

 むかしは日ごろから勉強しなかった。たまにする子もいたが塾に通う子供などめったに存在せず、大部分は学校から帰ると家にかばんを放り出し、暗くなるまで外で遊び呆けていた。

 ましてやお正月ともなれば天下晴れて、タコやコマに打ち興じたものだ。むかしはタコ揚げ、コマ回しは新年の風物詩だったが、いまの現代っ子たちは、タコ揚げやコマ回しに興ずることも少なくなったようだ。

 正月が近づくと、鉄の輪のはまった、いわゆる喧嘩ゴマをぶっつけあって遊んだものだ。回っている相手のコマめがけて叩きつけ、はじき飛ばすあれだ。ガチン! という音と同時にパッと火花が散った。

 自分のコマが回っていれば勝ち。双方、回っていたら、紐ではたいて勢いをつけ、さらに近寄せて挑ませる。一触で、火花とともに弾き出されて負けてしまうこともあるが、逆に勝った時の快感は何とも言えない。

 ぶつけ方も二通りある。一つは横からもっていってバ〜ンとやる。だから紐が短い。もう一つは上の方からぶっつけるので、紐が長い。普通は上からぶっつけたが、仲間で強いのがいて、子守りをしながら、赤ん坊をおぶったまま横から当てた。

 これは、相手に命中しない限り、自分のコマが遠くに飛んでいってしまう危険性がある。力いっぱいだから、ときには大怪我をする子もいた。いずれにせよ相手のコマをぶっ飛ばし、自分のコマがカッカッと回っていれば大得意だった。

 いいコマの 「タガ」 はハガネできていた。安物のコマの 「タガ」 は鋳物製ですぐ割れてしまう。だから、とても太刀打ちできない。ビーンと回っているやつに触れた途端、はじき飛ばされてしまう。コマがカチン、カチンとぶつかるたびに、綺麗な火花がパッ、パッと散った。

 ハガネの 「タガ」 が嵌まったコマは羨望の的だった。喧嘩ゴマもそうだが、私は図体もでかく喧嘩も強かった。コマも喧嘩も群を抜いていて、近所では評判のワルガキだった。

 いまではクラスで成績が一番いいのはA君、二番はB君というふうに、勉強のよくできる子のことをそう呼んでいると思うが、むかしは勉強ばかりでなく、いっぽうでは喧嘩の強い者順に一番、二番と呼んでいた。

 クラス一番で喧嘩ゴマと異名をとった私は、決して弱いものいじめはしなかったし、理由のない争いもしなかった。だが、いざ喧嘩というときは、いつも正々堂々と闘い、真正面から敵をねじ伏せた。

 弟がいじめられ泣いて帰ってくると、敵討ちにスッ飛んで行き、相手に向かって、
「さあ、こい!」
 と、身構える。見せ場だが、ときには相手が年上だったりして返り討ちにあい、ねじ伏せられて殴りつづけられる。だが、私は泣かなかった。

 何をされても人前で泣いたり、弱音を吐いたりするのだけはいやだった。強がりで素直でないとも言えるが、私は泣かない子供だった。さんざん痛めつけられて、弟の手を引いて帰ってきたこともある。

 そうそう、むかしの喧嘩は素手でやった。暗黙のうちにルールがあって、掴みあい、殴り合っても決して獲物は持たなかった。そして、やり方は遊びの学習のなかで学び、誰でも知っていた。グウの音も出なくなるほど徹底的に相手を打ちのめさない。

 手加減という落しどころを知っていて、一歩手前のところで止めた。そのおかげで大怪我はなかった。殴ったり殴り返されたり、取っ組み合いをしているうちに、先に鼻血を出して泣き出したほうが負けである。

 だが、双方ともそれなりに手傷を負う。そこではじめて自分の痛みから相手の痛みも知ることができた。だから私たちは、喧嘩をしながら相手の痛みを思いやって、友達をつくるゆとりを持っていたのである。

 子どもは遊びの中で他人との関係や社会の仕組みを覚え、喧嘩の中で心身の痛みや暴力に限度のあることを知っていく。コマのことだが、ただ回すだけでなく、いろいろと高等技術があった。たとえば綱渡りだ。

 コマがヒモを離れる瞬間、ぐいっと手元に引き寄せ手のひらに乗せる。そして、ヒモをピンと張りコマを横向きにして、その上を渡らせる。また、難しいのは肩掛けという技で、これは最初からコマの振り出し方が違う。ヒモを巻いたコマを真下に投げ下ろす。

 コマが地面につく寸前に勢いよく真上に引き上げると、コマは頭上に跳ね上がり、ヒモは弧を描いて右肩にかかる。そこでコマが横向きのまま落ちてきたところを、素早く受け止めるのがコツだった。

 当時はガキ大将になる条件の一つに、コマが上手だということがあった。綱渡りや肩掛けはもちろん、敵をはじき飛ばす喧嘩ゴマは絶対条件だった。私のコマは手のひらから手のひらへと自由自在に躍動し、ヒモを離れて頭上高く跳ね上がり、相手のコマをはじき飛ばした。

 仲間うちでは 「ケンちゃんはコマのよしあしの見分け方がうまい」 という話がいつのまにか広まっていた。だから仲間が新品を手に入れるときは、かならず私のところにコマの鑑定を頼んできた。

 私は玩具屋で 「タガ」 のバランスや心棒の通し具合など、時間をかけて丹念に調べ上げ、たくさんのコマの中から選んだ最後の一つが、音もなく回る姿を悦に入って眺めていたものだ。目を細めて満足そうに、まるで自分の分身を見守るかのように……。

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