2003/08/19

星空のマンハッタン! <NY大停電日記・シリーズ2>
さてさて、既に停電騒ぎもどこ吹く風となりつつあるNYですが、未だにその原因が解明されておらず、このままだと再発の恐れもあるらしく、とても楽しみな日々を過ごしております。

ブルックリン・ブリッジの民族大移動はまさに圧巻。まるで映画を見ているようでもあったけど、車道のクルマの間を縫ってまで人が歩いているのはやはりかなりの異常事態!?とちょっと不安になりつつ、効き過ぎのクーラーのおかげで未だに涼しいカフェテリアで友達と帰宅方法の相談を始めた。友達はクィーンズ在住のため、アッパーウエストのボクよりも家までの距離は長く、橋を渡るだけでも1時間はかかるのではという状態。どこかからバスに乗れるかとも思ったけど、すぐに交通渋滞になり易いマンハッタン、この日ばかりはほとんど通行できないほどの混雑であることの想像は容易につく。外もまだ暑いし、日が暮れて涼しくなるまで待機しようとのことで一致した。

しばらくすると、キャンパスに併設された寮生はカフェテリア、それ以外の学生・職員はマルチ・ルームへ移動するようにとの放送が入り、マルチ・ルームへ移動。そこで無料の電話を発見し、何人かの友人に電話をするが、携帯電波混線やら、家庭用電話機も電気制御が多いため不通となっており、ほとんど連絡がつかない。学校の近所に住む友達のところに泊めてもらおうかとも思ったけどそれもムリ・・・・・。

そのうち日も暮れ始め、そしてお腹も空き始めた。既に7時を過ぎており、部屋を移動してからは外部の詳しい情報もほとんどなかったため、どっかで飯を食ってとにかく帰ろう!と友達と学校を出る決心をした。のも束の間、学校を出てちょっと歩くともう汗だく。久々の真夏日だったので日が傾いてもまだ暑い・・・・・。結局近所のデリで菓子パンなどを購入し、再度涼しい学校へと戻った二人なのでした・・・・・。

菓子パンをほおばりながらまた他愛のない話に花を咲かせて時間をつぶしていると、食糧配給をするとの放送。やったぜ!サンドイッチでも食えるか!?と思いきや、ポテトチップス、シリアルバー、そしてソーダ類という、売店3点セットの配給のみ。なんともアメリカン・・・・・。日本の学校ならおにぎりとか配給されるんだろうなー失望した日本人二人はこれらでどうにか腹を満たした。

そしてまた数時間が過ぎ、日もどっぷりと暮れた頃、多分併設の劇場からであろう巨大照明が一台、これまた工業用の大型扇風機が一台、そして小さなテレビが登場。非常用電源を使って、暗くなった我々の心を和ませてくれた。特に外部情報がほとんどなかったため、テレビには戦後の街頭テレビのように人が群がった。NYのみならず、周辺の米国北東部そしてカナダの一部も停電。復旧には相当の時間が必要など、様々な状況が分かり、これはもう学校に留まるしかないと腹を括った。ニュースキャスターもいい加減なもんで、停電にもかかわらずライトに照らされた自由の女神の映像を見ながら、「うーん、いつも以上にきれいですね」などとコメント・・・・・。日本なら不謹慎と一括されて終わるのだろうが・・・・・。

それからまた少し経った頃、学校の災害担当者らしき人が現れ、学生寮に空き部屋があるので帰れない人に開放してくれることになった。早速申し込みをし、真っ先に部屋をゲット!やったー、これでちゃんと横になって眠れる!と友達と二人で喜び合いながら、始めて学校の寮に足を踏み入れた。なんとも簡素でいかにも学校の寮という造り。8畳ぐらいの広さにベッドも机も戸棚もタンスも全て2つずつ設置されており、デカイ米国人のヤローが二人も入ったら暑苦しいだろうなーという広さだった。

この時点で既に夜中1時を過ぎていたのだが、どうにもスナック菓子では腹が落ち着かないため、部屋も確保したことだしと、食糧を求めて外出を決行した。既に表も涼しくなっていたが、問題は食料品店が開いているか。普段でも夜はすぐに店が閉まってしまうオフィス街のため、どっかないかなーと徘徊していると、ロウソクの火で営業しているデリを発見!ボクはハムチーズサンド、友達はビールを一本購入し、近所にあるピア17へ向かった。ここは観光地として有名で、日本でいうお台場?っぽい場所。いつもなら対岸に見える高級住宅街ブルックリン・ハイツの明かりもなく、ロウアーマンハッタンの明かりも非常灯以外は見えない。これはもしや!?と空を見上げると、普段ならほとんど見えない星たちがマンハッタンの空に瞬いているではないか!しかも無数に!こんなにいっぱいの星はいつもなら絶対に見えないねーと一人心穏やかなボクなのでした。

つづく。