第6回 俳句スクエア賞選考経過
各選考委員は推薦する候補作を上位から5点、3点、1点として採点し、以下のように集計されました。
|
|
五島高資 |
朝吹英和 |
石母田星人 |
加藤昌一郎 |
服部一彦 |
総得点 |
|
生田亜々子 |
1 |
1 |
1 |
1 |
5 |
8 |
|
加藤直克 |
5 |
3 |
5 |
5 |
3 |
21 |
|
松本龍子 |
3 |
5 |
3 |
3 |
1 |
15 |
以上の結果から、第6回 俳句スクエア賞は、最高得点の加藤直克氏に決定されました。
受賞作
「無題」
加藤 直克
あめつちのこすれを分けて初茜
降りしきるダストや鶴の影ひとつ
罅撫でて亡き父のいる鏡餅
春月をやわらかく煮るうす明かり
男体の桜に染まる鼓動かな
陽炎の手を引いて母遠ざかる
砂川の砂に声あり昭和の日
タンカーを軽々と抜く燕かな
水すこしへこむ重さやみずすまし
短夜のとば口で買う切符かな
夢の色すこし薄めて月見草
でで虫の濡れている間の寂光土
焼岳をせり上がりゆく銀河かな
雨降りて下駄燃え残る原爆忌
炎天下立ちこめるバッソ・コンティヌオ
水芭蕉空底なしに住み処なり
満天に帰る家あり虫時雨
一匹の去りて揺らめく秋の蝶
かなしみののこる隅なき秋の空
一振りの青光りする秋刀魚燃ゆ
無花果や天山の衣脱ぎすてて
石を切る音に色なき風わたる
かまどうまいのちにふれる髯の先
万華鏡まわし紅葉に溺れけり
星よりもとぼしき虫の声ひろう
数珠玉を鳴らして京(けい)に及ばざる
白鳥の沈まぬ空の深さかな
星落ちるあたりりんりん寒椿
寒林を駆け抜けていく日脚かな
被災地に月一つ飼う冬の星
次点
「月の水」
松本 龍子
獅子舞の大きな口へ落ちてゆく
ラグビー部夕焼使い果たしけり
青猫の消えてゆきたる冬の星
星からの光が氷柱磨きけり
白梅の喪服は空の中にある
雪解けの水となりつつ水走る
真つ白な恋とじこめてゐる花粉症
白い月すこし足らぬと猫の恋
吉野山空華のごとく咲きにけり
揚雲雀空となりゆく命かな
夜蝉のさかさまにいて世界地図
棒一本のけぞっている薄暑かな
天空の空を落とせり那智の滝
真空を背中にのせて鮎走る
一滴のさかのぼりゆく蛍かな
火の匂ひ海に流るる走馬燈
大仏の右手に余る蛍かな
不揃いの風にふかれてさくらんぼ
あめんぼう水平線になる途中
ひぐらしを蓄えている砂時計
赤蜻蛉赤の消えゆく羽の音
空箱の中の空箱原爆忌
呟きがどんどん星になる秋気
白桃に流れこみたる月の水
水澄みて沈黙の水満ちてくる
一本の煙と灰の狐花
月光を噴き上げている鞍馬杉
案山子たちみな白面ですれ違う
柩舟色なき風にめぐりあふ
冬紅葉水なき空を染めつくす
「明日など」
生田亜々子
虹出たと電話しようとしてやめる
個であると主張している苺かな
梅雨闇はさびしお化けの子でも来よ
少しずつ高き岩より飛び込めり
サングラス鎧がわりにかけており
夏空の隅に居場所を見つけたり
折返しまだ生きるらし油虫
きりぎりす生きてる限り前向きに
音も無くメールは発てり秋の空
蜩や振り返らずに別れたり
あいさつ通り誰もいなくて夜半の秋
英語にて指示される犬大花野
誉められるゆえのないこと二十日月
骸なく声のみ細る虫の闇
霜月やこんなに太る綿ぼこり
携帯を構えられては冬薔薇
大きなる尿の音よ大旦
知りて後みな美しき冬の景
スタジアムの先に足あり冬の虹
明日など知らん私は冬茜
木琴の硬く響いて冬青空
日脚伸ぶミジンコのごと舞う埃
鞦韆や転ぶことなど恐れては
春来たる人より高く結ぶ髪
たましいは水洗い不可雨水かな
日時計の見やすくなりて二月尽
正直の過ぎて沈丁花の匂う
行く先に陽炎のあり白き空
すれ違う人現身か春の宵
尽きてゆくものもあるらし春の星
選 評
朝吹
英和
豊かな詩性と格調の高さにおいて秀でている「月の水」を第一位に推薦したい。対象との交感の中から湧出する詩情の豊かさ、奥行きの広い時空を現出せしめる喚起力の強さが印象的であり、季語に内在するエネルギーを十全に放射した作品に惹かれる。
揚雲雀空となりゆく命かな
天空の空を落とせり那智の滝
白桃に流れこみたる月の水
季語や言葉に秘められた象徴性を発条として展開される世界の深さにも魅了される。空箱に表象される不在感、水に潜む本質的な恐怖感。
空箱の中の空箱原爆忌
水澄みて沈黙の水満ちてくる
加藤氏の写実から幻想世界への見事な転位、生田氏の日常生活を詠った抒情の発露にも感銘句が多く見られた。
石母田星人
三位の「明日など」は、柔軟でみずみずしい発想が将来の可能性を予感させる作品群だが、表現にまだ粗さが見える。それでも「個であると主張している苺かな」「正直の過ぎて沈丁花の匂う」などのしなやかな対象把握には脱帽。二位「月の水」は、対象のつかみ方に独自性がある。繊細で的確な表現と巧みなレトリックで詩性が構築されていて好感。特に「一滴のさかのぼりゆく蛍かな」「ひぐらしを蓄えている砂時計」などの奔放な詩の世界には引き付けられる。その半面、「ラグビー部夕焼使い果たしけり」「星からの光が氷柱磨きけり」など既視感のある句も見えて残念。一位に押したのは「無題」。みな臨場感があり九割は共感できた。残り一割は「数珠玉を鳴らして京に及ばざる」の伝達性に欠ける句。これとて作者の発想の飛躍に裏打ちされているのだろう。読み手の力量に問題があるのかも知れない。自在な発想の中に沈潜した孤独な視線が生きている。
加藤昌一郎
加藤氏の「無題」、松本氏の「月の水」両編は甲乙つけがたく再考を重ねました。「無題」の「罅撫でて亡き父のいる鏡餅」「陽炎の手を引いて母遠ざかる」「被災地に月一つ飼う冬の星」の肺腑に届く詩情。「月の水」の「真空を背中にのせて鮎走る」「火の匂い海に流るる走馬燈」「赤蜻蛉赤の消えゆく羽の音」の視線の斬新さには驚かされました。共に丈高い句姿は見事で全く択ぶのに困りましたが、同位と言うのも如何かと思い、強いて「無題」の方が景の大きさにやや勝るかという印象で順位を決めました。
生田さんの「明日など」は「虹出たと電話しようとしてやめる」「少しずつ高き岩より跳び込めり」「尽きてゆくものもあるらし春の星」など、作者の広い未来を暗示するような優れた句だと思いました。
服部
一彦
俳句は選ばれた題材が何であれ、それ通して自然や社会、人間の真実を再実現するものであろう。俳句はこれまでそのために最小詩型の枠内で比喩、アレゴリー、象徴等々あらゆる表現技法を開発・駆使してきた。しかしその帰趨を見ると私を含め作者と読者との間の共感-心の震えを一体化することは益々難しくなってはいないだろうか。
とりわけ比喩などには単なる言い換えにすぎない例が多い。タマネギを剥いていった後に残るものはただ索漠たる殺風景というのでは困る。繰り返すがこれは私の句にもいえることである。
以上の感想を踏まえて選させて頂いた限り、未成熟な点は残しながらも「明日など」(生田唖々子氏)を一位に、以下「無題」(加藤直克氏)、「月の水」(松本龍子氏)としてみた次第。
五島
高資
加藤氏、〈短夜のとば口で買う切符かな〉〈石を切る音に色なき風わたる〉〈春月をやわらかく煮るうす明かり〉〈万華鏡まわし紅葉に溺れけり〉など、体感的共有感覚に裏打ちされる確かな詩的昇華が感じられた。
松本氏、〈獅子舞の大きな口へ落ちてゆく〉〈ラグビー部夕焼使い果たしけり〉〈夜蝉のさかさまにいて世界地図〉〈一本の煙と灰の狐花〉など、独特の感性によって希有なる詩境が開示されており今後の展開が大いに期待される。
生田氏、〈音も無くメールは発てり秋の空〉〈明日など知らん私は冬茜〉〈正直の過ぎて沈丁花の匂う〉など、等身大の句柄にして思い邪無しの詩性に惹かれるものがある。