「イソップ物語」とは、古代ギリシアの頃にイソップという奴隷が作ったとされる寓話集である。数多くの動物が比喩的に登場し、物語で語られる彼らの賢さや愚かさは我々に何らかの教訓を与えてくれる。
 さて、このイソップ物語の中にも、カラスはちょこちょこ顔を出している。

 イソップの世界では、キツネはずるく、アリは勤勉、犬は少々おめでたい…と、生き物がその生態やヒトからの見られ方により、様々な性格を与えられている。
 語り部イソップ、ひいては古代ギリシアのヒトビトは、カラスの資質をどのように捉えていたのだろうか。イソップ物語に登場するカラスの姿から考えてみたい。


資質その1 ないものねだり
ワタリガラスは、その鳴き声が吉凶を知らせるといわれ、ヒトビトの注目を集めていた。それを羨んだコガラスが、自らも注目の的になろうと、ワタリガラスをまねて大声で啼いた。ヒトビト「カラスの鳴き声がしたぞ!スワ、吉か凶か」「…いや、ありゃワタリガラスでも何でもない。無視無視」

ハクチョウの姿に憧れ、自らの羽を白くしようとせっせと洗い続ける。わき目も振らず洗い続け、食べる暇も寝る暇も惜しんで洗い続け、挙句に餓死する。(何だそれは)

ワシが子羊をさらうのを見て感銘を受け、自らも続かんと羊をつかんで舞い上がろうとしたが持ち上がらず(当たり前だ)。逆に足が羊の毛に絡まってもがいているところを羊飼いに発見され、御用となる。

ヒトに餌を恵んでもらえるハトを羨み、一計を案じて自らの身を白く塗り、ハトの群れにまぎれる。しばらくは餌にありつけたが、不用意に鳴き声を洩らしたためカラスとばれ、群れを追われる。やむなくカラスの群れに帰るも、最早仲間は白塗りのカラスを群れに受け入れようとはしなかった。



資質その2 虚栄心が強い
鳥の王を決めるための鳥類ミスコンに、他の鳥たちの美しい羽を集めて着飾り、出場。審査員の注目を集めるも、飾った羽の持ち主たちが激怒してカラスに襲いかかり、自分の羽を取り戻す。カラスは一転哀れな姿に。

肉の塊を手に入れ、樹上でいざ賞味せんとしたところへ、下を通りかかったキツネに声をかけられる。おだてあげられ、「さぞ声も素晴らしいのでしょうね」と言われて調子に乗り、美声を聴かせようと羽を広げてひと啼き。くちばしに咥えた肉は落下し、キツネの口へ。キツネ、「成る程素晴らしい声をお持ちだ。でもおつむがちょっと足りないようですな」ととどめの一言。


 「黒い醜い姿で、そのことに劣等感を感じており、そのため虚栄心が強い。人まねばかりして小狡いが、所詮は浅知恵なので掘った穴に自ら落ちる結果となることが多い。」…イソップが考えるカラスの資質とはこんなところだろうか。寓話という性質上やむをえない部分もあるが、それにしても大した言われようである。
 古代ギリシアのヒトビトの目には、カラスの黒い姿はあまり好ましくないものとして映っていたようで、特に自分の姿を変えたがる話が多い。ヒトにとって、「全身真っ黒」というのはかくも不幸かつ不吉に見えるのであろうか。
 ともあれ、気を取り直して他の資質も探ってみよう。


資質その3 調子者
カラスが罠にかかり、アポロン神に祈り助けを求めた。祈りかなってカラスは罠から脱出するが、「助かったら供物を捧げる」という約束はほったらかしにしてしまう。その後、カラスは再び罠にかかり、慌てて別の神に祈るが、「お前は我々のブラックリストに登録済みじゃ。ばーかばーか」と見向きもされず。


資質その4 空腹のあまりトリ頭と化す
空腹で目がくらみ、季節はずれのイチジクの木に舞い降りる。まだ何ヶ月もかかるであろう結実を延々待ち続けていたところ、通りがかったキツネに「愚かな希望は実を結ばないっていうよねー」と一刀両断にされる。

空腹で目がくらみ、毒蛇を捕らえんと舞い降りる。案の定したたかに噛み付かれ、今わの際に曰く、「幸運を掴んだと思ったら、それが不運だったとは…」。


 …なんとなく、全体通して「意地汚い」でまとめてしまえそうなカラスの資質である。
 「ずるがしこい」という点では、イソップ物語中ではキツネと双璧であるが、キツネはその資質でそれなりにいい思いをしている、いわば悪党を極めたキャラクターであるのに対し、カラスの場合は前述のとおり、中途半端な悪知恵による浅はかさから、行いの報いが自らの身に降りかかるという情けない役割を割り振られている。ここが哺乳類と鳥類の違いであろうか。

 とはいえ、対哺乳類ではいいところなしのカラスも、同じトリ頭同士の中にあっては、そこそこの賢者ぶりを示すようである。300を超えるイソップ物語の中には、「カラスがものの道理を説く」エピソードも、いくつかみつけることができた。

資質その5 シニカルな賢者
ツバメと、どちらの羽が優れているかで口論となる。果てしない言い争いにピリオドを打ったのは、カラスのこんな一言。「君の翼は春の装いには他にないくらい素晴らしいかもしれない。だけどわたしの翼は、冬の寒さから身を守るのには最高なんだ」

籠の中で飼われているハトが、自分が子沢山であることを外にとまっていたカラスに自慢した。カラス曰く、「場違いな自慢はやめたがいい。そんな檻の中じゃあ、家族が増えるだけ不幸ってもんだ」

羊の背に乗ったカラス。羊は嫌々カラスを背に乗せて歩き回っていたが、たまりかねてカラスに言った。「おのれ、この身が犬であったならただでは済まさぬものを」…カラス答えて曰く、「犬じゃないから乗ってるんじゃないか。誰に媚を売って誰をこけにすればいいかをきちんとわきまえているからこそ、わたしは今日まで生き延びてきたのだよ」


 嫌なやつであることには変わりはないが、そのヒトを食ったような物言いが、現代のヒトビトが持つカラスのイメージに重なるところがあるようにも感じられる。

 そして、単なるイメージの増幅にとどまらず、当時のヒトビトがカラスの行動を綿密に観察し、そこから連想したと推測されるエピソードもまた、イソップ物語の中には存在するのである。

資質その6 古代ギリシアにおけるカラスの学習行動?
ワシが蝸牛を捕らえたが、蝸牛が殻の奥深くに隠れてしまったため食べあぐねていた。そこへ通りかかったカラスが、「半分くれたら食べ方教えるよ」と申し出た。ワシが承知すると、「高く舞い上がって、岩に向かってその蝸牛を落としてご覧。蝸牛は自らの重さでつぶれるから」…ワシは言われたとおりにして、容易く蝸牛の殻を割ることができた。そして、約束どおりカラスに蝸牛を分け与えたのだった。

喉の渇きに襲われたカラス。水瓶の底に僅かな水が溜まっているのをみつけたが、くちばしがどうしても水面まで届かない。考えた挙句、水瓶に石を拾って入れ、拾って入れることを繰り返した。石が入ることで水面は徐々に上昇し、ついにはカラスのくちばしが届くところまできた。カラスはこうして水を得ることができたのだった。



 前のエピソードは、カラスの投下行動(「クルミを割るカラス」工事中参照)に基づく物語である。この行動は、日常的にカラスを目にする環境であれば、比較的容易に観察できるものなので、古代ギリシアのヒトビトも実際に見て知っていたのではないかと推測される。そして、それを鳥の王者たるワシに教授する、というのが面白い(実は、ワシやタカといった大型猛禽も、このような投下行動をとることがあるらしいのだが)。

 話は変わるが、イソップ物語は長い歴史の中で様々な人の手によって編集されており、いくつもの版が存在している。今回、このコンテンツを作成するにあたっては、タウンゼント版を参考にしたのだが、実はタウンゼント版にはこの話は存在しないのだ(類似した話はあるが、かなり違った内容)。他の版でも、蝸牛が亀や貝だったり、カラスが獲物を横取りしたりと、この話をベースに様々なバリエーションのエピソードが存在している。今回のバージョンは、16世紀の宣教師の日本語学習用テキスト「エソポのハブラス」から引用した。
 
 後のエピソードについても、カラスだったらばそれくらいの知恵はあるかもしれない、と感じるのは買いかぶりすぎであろうか。
 ちなみに、イソップ物語中には同様のエピソードでハトが主役のものもあるが、そちらではハト壁に描いた水の絵に激突している。寓話というものはむごいほどに現実的である。だから面白いのだが…


 さて、ここまで紹介してきた「イソップが考えるカラスの資質」。我々の知るカラスの資質とどれくらい重なるであろうか。もちろん、当時の古代ギリシアにいたカラスと今日本で我々が目にしているカラスとでは、その種類も住む環境も違っているだろうし、それは観察者たる我々ヒトの方も同様である。
 しかし、数千年前のヒトビトと今の我々のカラスの捉え方にどこか通じるものがあるのも否定できない。そう考えると、古代ギリシアのヒトビトや当時のカラスたちに、何となく親近感がわいてはこないだろうか。


 最後に、今回このコンテンツを作成するにあたっては、イソップ物語の総合サイト「イソップの世界」を参考にさせていただいた。快くデータベースを参考にすることをお許しくださった上に、カラスの投下行動にまつわるエピソードを教えてくださった「イソップの世界」の管理人様に、心より感謝したい。