「カラス、何故黒い」の項でも少し触れたが、神話や伝説に登場するカラスは、太陽と密接なかかわりを持っていることが多い。その大部分が、カラスを太陽の使いと位置づけるもので、前述のアイヌ民話しかり、ギリシア神話またしかりであるが、他にも、キリスト教圏、北米(ネイティブインディアン)、中国等、世界各地に同様の神話・伝説が残っている。生活文化の異なる地で、これだけカラスのイメージが重なるのは驚くべきことである。
朝、夜明けとともに人里に現れ、夕方日暮れとともに山へと去っていくカラスは、古代の人々の目には太陽の使者に映っていたのかもしれない。
ここでは、カラスと太陽にまつわる世界各地の神話をいくつかご紹介しよう。
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旧約聖書より 箱舟に乗ったカラス
旧約聖書の一節「ノアの箱舟」におけるカラスエピソード。すべての大地が水没し、生物が死滅した中、神の啓示により難を逃れたノアご一行の乗り込む箱舟には、洪水後の新しい世界に放たれるべく、すべての生物のつがいが乗せられていた。当然、その中にはカラスも存在したわけだが…(以下あらすじ)
40日間の大雨、150日間の浸水の末、あまねく地上にはびこった水もようやく減少の兆しをみせ始めた。アララトの山頂に漂着したノア氏は、周囲の様子を計るために箱舟の中よりハトを飛ばした。しかし、まだすべてが水没していて、どこにもとまることができる場所が見つからなかったため、ハトは箱舟へと戻ってきてしまう。
7日後、ノア氏は再びハトを放つと、今度はハトがオリーブの小枝を咥えて戻ってきた。(このときのハトの様子は、ものすごく後の世の東の果ての地にてタバコの箱のデザインに採用されることになる)
更に7日後、もう一度ハトを放ったが、もうハトは戻ってこなかった。
ノア氏は水が引いて生活できる地面が現れたと判断し、箱舟から出て神に感謝の祈りをささげた。
…だけで終わってしまうとカラスのエピソードでもなんでもないが。
実は、ノア氏はハトを放つ前、カラスに同様の任を託し、箱舟より放っていたことが消息筋により明らかになった。しかし、このときカラスは戻ってこなかったため、後のハトの功績により、先発カラスのエピソードは歴史の影へと追いやられてしまったらしい。
ちなみに、カラスが戻ってこなかった理由については、「流木に引っかかった腐肉をあさっていた」という不名誉な見解もあるにはあるが、「己がふるさと太陽に向かって一直線に飛び去ってしまった」という理由が有力視されている。
なお、つがいのうち1羽が飛び去ったにもかかわらず、カラスが新しい世界で滞りなくざくざく繁殖している理由については、数千年後の現在でも謎に包まれたままである。
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中国神話より 太陽の化身、三本足のカラス
三本足のカラスの伝説は日本にもあるが(「カラスとニッポンのヒトビト」にて後述)、これはもともと中国方面にあった伝説が朝鮮半島を経て日本に渡来したものであると考えられている。
このカラスは、中国では「陽鳥」「金鳥」と呼ばれ、「太陽の化身」であり、「黒点より抜け出してきた」とか「現住所・太陽」とか言い伝えられてきた。そのあたりが覗える中国神話をひとつお目にかけよう。
神代の昔、この世には10個の太陽があり、シフト制を用いて、交互に空を巡っては大地を照らしていた(すごい話だ)。
しかし、あるとき10個の太陽は突然気まぐれを起こし、手に手をつないで一時に地上に躍り出た。いつもの10倍の太陽光に、地上は熱せられ、万物は焼け爛れた。
ヒトビトは苦しみ、時の帝は堪りかねて、弓の名人を呼び寄せた。名人は帝の命を受け、10個の太陽のうちの9個までを次々と射落とした。
ヒトビトが太陽の落ちた地点を調べると、そこには射抜かれた三本足のカラスが9羽、横たわっていたという。
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イヌイットやネイティブアメリカンの神話より 創世とカラス
日本では北海道にごく少数が渡来するワタリガラスは、北米や西欧では馴染み深いカラスである。大型であるためか、古来よりヒトビトに畏れ敬われることが多く、その鳴き声が吉凶を知らせる目安となったり、賢者になぞらえられたり(「ワタリガラスの知恵」という言葉がある)している。
特に、イヌイットやネイティブアメリカンの創世神話では、ワタリガラスは重要な役割を担っていることが多い。これらの神話では、カラスは太陽の使いというよりも、むしろ神に近い位置づけとなっている。それも、ヒトビトのために太陽を盗み出したり、生活指導を行ったりと、自然の摂理を乱してでもヒトビトの側に立つ任侠な姿に描かれていることが多い。
これらの創世神話のうち、代表的なものをいくつかご紹介したい。
シベリア チャクチ族の神話より 「ヒトを造ったカラス」
この世にまだ何もなかった昔、何もなかったとはいいながらも一組のワタリガラスの夫婦が存在していた。あるとき、ワタリガラスの妻の腹が大きくなり、そこから人間の男女が生まれた。
ワタリガラスの夫はそれを見て、「誰の子だ」などと妻をなじることもせず、生まれた彼らが暮らしていけるようにと、海の上にフンを放った。夫の放ったフンは海を漂い、陸地となった。
人間はその陸上で生活し、ワタリガラスの夫婦はそれを見守り続けたが、地上は凍てつき、人間の暮らしは厳しかった。それを不憫に思ったワタリガラスの夫は、舞い上がって天の一角をくちばしで破り、そこから太陽を引きずり出して地上を照らした。そして、太陽の一片を咥え取って、人間に与えたのだった。
このときより、人間は火を使うことができるようになったという。
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北米 ハイダ族の神話より 「ヒトを導いたカラス」
神代の昔、世界を大洪水が襲い、総ては水の下になった。
しかし、総てが水の下になったといいながらも一羽のワタリガラスが生き延び、水のひいてきた世界を退屈しながらうろついていたのだった。
ある日、ワタリガラスは巨大な二枚貝を見つける。その中には、何人かのヒトが怯えながら隠れ住んでいた。暇と孤独をもてあましていたワタリガラスは、この生き物を構ってやることに生きがいを見い出したらしい。彼らに外に出てくるよう促し、家のつくり方や食べ物の入手方法、そのほかあらゆる暮らしのハウツーを伝授したのであった。
かくして、ワタリガラスはヒトビトの暮らしを見守り続け、ヒトビトはワタリガラスを守り神として崇めたという。
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アラスカ トリンギット族の神話より 「光を盗み出したカラス」
神代の昔、世界は暗黒に包まれていた。何でも、光をつかさどる神が自分の娘の器量を白日の下で知るのを畏れて、光を厳重に仕舞いこんでしまっていたらしい。(ひでえ理由)
暗闇の中で細々と暮らすヒトビトの姿を見て憂えたワタリガラスは一計を案じ、一枚の葉に姿を変えて、神の娘が水を汲む際に上手く手桶に紛れ込み、まんまと娘に誤飲されることに成功した。更に娘の胎内でその姿を男の赤子へと転じ、まんまと光をつかさどる神の孫として認知されることに成功してしまったのだった。
こうなればもう初孫にとっての祖父など日向の飴のようなもの。ぐにゃぐにゃに骨抜きにした挙句、光をマトリョーシカ人形のように何重にも閉じ込めてある箱を指し、あれを開けてけろと駄々をこねて見せた。神は可愛い孫のためと次々箱を開けて見せ、ついには光の塊=太陽が顔を出した。
しめたとばかりに元の姿に戻ったワタリガラス。太陽を咥えるなりその場を飛び去り、空高く太陽を投げ上げて世界は光に包まれた。
ちなみに、神が心配していた娘の器量は、光に照らされて極めてべっぴんであることが判明したのだとさ。なんじゃあそりゃあ。
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北米 ピュジェット・サウンド地方の神話より 「愛より使命を優先したカラス」
神代の昔、世界は暗黒に包まれていた。何でも、光をつかさどるハイイロワシがヒト嫌いで、光を全部隠していたらしい。
ところで、ハイイロワシには娘がいて、ワタリガラスと恋仲だった。ある日娘はカラスを自宅に招き、カラスはそこに太陽やら月やら星やら真水やら火やら、下界には存在しないものがたくさん隠しこまれているのを見て驚いた。
暗闇の中で細々と暮らすヒトビトの姿を常々憂えていたワタリガラスは一計を案じ、家人の隙を見てそれらの品々を盗み出し、外へと飛び出した。
天空に太陽を設置し、地上には真水を落として川や湖を造る。夜になれば月と星をばら撒き、くちばしを焦がされながらも最後に火をヒトに与えて、ワタリガラスは使命を全うしたのであった。
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アラスカ クリンギット族の神話より 「外注に出したカラス」
この世にまだ何もなかった昔、何もなかったとはいいながらも一羽のワタリガラスが存在していた。あるとき、ワタリガラスは森を創造し、そこにはヒトをはじめ様々な生き物が住むようになった。
しかし、森は冷たく凍え、生き物は魂を持たなかった。ワタリガラスは一計を案じ、たまたま近くを通りかかったタカの若者に、太陽まで飛んでいって火を持ち帰ってくれるよう頼んだ。危険な行為だが、ヒトビトのために泣いてくれないかと。
タカはこの頼みを引き受け、身を焦がして泣き叫びながらも火を持ち帰り、あらゆるものにその焔を投じた。そのときよりすべてのものには魂が吹き込まれ、生き生きと活動しはじめたのであった。
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創世の時代において、カラス、八面六臂の大活躍である。
面白いことに、これらの創世神話は、北国を中心に分布している。「カラス、何故黒い」の項で紹介したとおり、日本でも北方のアイヌの神話に似たようなエピソードがある。
なぜ北方にこのような神話が多く分布するのかはわからないが、カラスは北国のヒトビトにとっては、単なる「知恵者」だけではなく、人間を庇護し、導く存在と考えられていたようだ。
参考文献:森と氷河と鯨-ワタリガラスの伝説を求めて- 星野道夫,世界文化社,1996
未知へのとびらシリーズ カラスの大研究 都会の悪者か神さまの使いか 国松俊英,PHP研究所,2000 |