ー天国の花ー
「私がもし夢の中で天国へ行き、そして私の魂がそこにあったことを証明するために一輪の花を手渡されたとしたら…。そして朝私が目覚めたとき、その花を手にしていたとしたら…ああ一体どうだろう!」
−コ−ルリッジの詩−

 わたしたちは誰でも、赤ん坊から、幼児期を経て自我に目覚めていきます。そして次第に周囲の社会の影響を受けながら、正しいことも間違いもし、様々な選択を通して自分を形成してゆきます。その過程で人は、人生の素晴らしさ、残酷さ、自然の美しさ、恐ろしさ、人々の愛や罪を見て、程度の差はあっても創造主の存在を心に見出す機会を与えられます。
 特に神を信じるようになる人たちは、どこかに心理学者の言う『至高経験』を持っています。それは尊敬できる人物からか、書物からか、絵画によってか、音楽によってかは違っていても、人を人たらしめる、ある崇高なもの、聖なるものに対する憧憬をそれらの人たちは持っています。
 すなわち天国の花を手渡される機会を、それらの人たちは人生のどこかで与えられているものです。しかし、それは世にあって仕事、享楽、生活の思い煩いなどで徐々に失われます。それでも人々は求めています。確かに自分に手渡されたはずの《失われた天国の花》をです。
 私自身の人生も、この花を求める長く曲がりくねった道でした。

 過去とは思い出を保管してくれる金庫のようなものである。(ヴィクトール・フランクル)

 「夜と霧」の著者ヴィクトール・フランクル博士はこのように語り、過去というものがただ無意味に失われてゆくものではないと言っています。私達は言うまでもなく毎日、今を、また今日を生きていきます。しかし一歳の頃の“今”があり、夢見るティーエイジャーであった“今日”もあったのです。始めから現在の自分であったわけではありません。
 聖霊によって、この世に生を受けた私達は、どのように自分の歩みを受けとめればいいのでしょうか。
 私自身は、四つの時代を人生に与えられました。まず最初は、神様を見出した時代です。「神様を見出した」という時、クリスチャンは例外なく聖書の神様、あるいはイエス・キリストに救われた経験を頭に浮かべるはずです。しかしここで言う「神様を見出す」とは、「自分の中、あるいは心の内奥にある何か」を発見することなのです。いわば人間が自然に見出す心の中での神認識です。人は誰でも、その人生のどこかで、比較的早いうちから自己の生命という神秘をとうして心の内に神の存在を認める機会を得ているはずです。(ローマ1:19〜20)   自我が目覚めた頃の少年のあの純粋さ、誰かに与えられ生かされているという意識、輝かしい恵みの人生、空の青さとみずみずしい樹木の緑との間に垣間見る神の栄光と神聖。溢れる人への愛。被造物への憐れみ。命への感謝。人間の偉大な事業や創作等々。

 それは静かで愛に満ちた生活の中で見出されることもあり、苦痛や不幸によって見出されることもあります。人は誰でも、神を求めないで生きては行けないのです。私の場合は幼い頃の両親との別居・大病による欠乏感などが一生を通じて親探し、自分探し、居場所探しをする基調となったようです。

 1950年、森家長男として北九州市に生まれ、後継ぎのいない母方の祖父母に養子として入籍、原田姓となりました。何度か死の淵をさ迷うことがあったらしいのですが医師はその生命力に驚嘆したという伝説があります。
 祖父母の元に引き取られていた私が、やっと自転車を乗れるようになって、電車で1時間もかかる距離を両親の元までこいでいって周りを驚かせたことがありました。

 筑豊の石炭景気で、祖父母の割烹料理屋も盛況で、三味線太鼓の中でおませな子供に育ちました。大きな“蓄音器”に踏台を使って針を落とす幼児であったとのこと。「紅孔雀」や「笛吹き童子」で育ったので“不思議なこと”を信じる子供になったのかもしれません。
 両親と離された幼児期から小学校低学年の私は、入学の時の写真を見ても暗い消極的な子供であったようです。運動会は憂うつでした。
 ところが、ひ弱な子供のことを心配してか、小学4年生のとき父母と同居するようになり、急に体育会系の乗りに変貌。自分では全く意識していなかったのですが、急に私の生活は活力溢れるものになっていきました。運動会はステージと化し、学級内で鳥を飼ったり、図書を設けたり、駅で募金活動をしたり、思いついたことは何でも実行する子になっていきました。
 生き生きとした喜びと大いなる苦悩、死の恐怖、人々に対する溢れるような愛の心が与えられ、そこに神を見出し、まさに神様と共に生きていたのです。悲しみも喜びも苦悩も何もかも、神様の恵みと共にありました。
 祖父母がいつも眠る前に本を読んでくれたせいで(大きな感謝を抱いている)本の好きだった私に、父がある日「本を買ってやろう」と言いました。読みたい本が山ほどあるにも関わらず、なぜか私は「いらない!」と反発しました。そしてその足で祖母の所へ本を買うお金をむしんに行ったのです。 
 幼い頃両親の愛を受けなかった私は、同居するようになってもどこか普通の親子でないような感覚のまま思春期を過ごしました。

 習い事は日本舞踊。熱しやすく冷めやすい気質で、「この子をぜひ名取りに…」という声を聞くとやめてしまいました。 
 春は踊り、夏は山笠と、お祭り小僧で本領を発揮し始めました。神様の恵みの中で
、生き生きと光り輝いた時期。つまり《天国の花》が手渡された頃だったのです。

 物心つくまで祖父母に育てられた私の週末は、いつでもお寺か神社参りでした。祖父母が木魚を叩き念仏を唱えているところへ、神主がきて榊を振って祈ってゆくという家庭でした。週末ともなれば、今日はお寺、明日は神社と連れていかれ、地蔵を見れば手を合わせ、水商売でしたからお稲荷さんも欠かせません。もちろん「家内安全、商売繁盛」のお札はいつも飾ってありました。信心深い祖父母の元で、そのように育てられましたが、子供心に疑問がありました。どうも大人たちの間では、神様がいるとかいないとか、どこの神様がご利益があるとか論争があるようなのです。少年の幼心には「どれも当てにならない」という思いが宿り、「名も知らぬ神」に自己流の祈りをする子供になっていきました。 「神様なんかいない」ではなく「それらをすべて超えた存在の真の神様」を私の神様にすることにしました。
 「♪小さい頃は神様がいて、不思議に夢を叶えてくれた〜」というユーミンの歌は、まるで私自身の体験を歌ったもののようです。本当に小さな祈りは不思議に聞かれていたのです。

 人が驚嘆すべき宇宙の仕組みや、自然界の精巧な知恵、そして自分の心の内奥に分け入るとき、神を見いだすことは誰にでも少なからず起こることだと思います。
 私はその後の人生に必要なことを、ほとんどこの時代に学びました。愛、憎しみ、正義と不正、友情や薄情さ、罪、豊かさや貧しさ、男らしさや鍛練、繊細さと弱さ等など。   素晴らしい自然と被造物、本と音楽と家族、友人に囲まれ、私には毎日がお祭りのように感じられ、お調子者で自己顕示欲の旺盛な魂は、ますます元気で神様の栄光を表わしていくかに見えました。

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