若者言葉

いつの世も次々に出現しては、大人たちの顰蹙を買う若者言葉。そのまま定着して正しい日本語に昇格するものもあれば、一時の流行で消え去るものもある。ここ数年で見られるようになった気になる若者言葉を挙げてみる。

普通に

5〜6年前くらいからか、「普通に」という言葉を若者が多用するのを耳にするようになった。「普通に」自体はまさに普通の言葉だが、通常の「普通に」とは用法が異なる。次の三つの意味で用いられているように思う。

1 「平然と」の意味。例えば、みんなで集まって食事をしているときに、A君の欠点が話題になっている。A君自身もその場にいるのだが、自分のことが話されているにもかかわらず、何事もないように食事を続けている。そんなA君に対し、誰かが、「お前なに普通にメシ食ってんだよ!」と言う。この場合の「普通に」は、A君の、何事もなかったように平然とした様子を表わしている。特別にあわてた様子がなく、普通に、ということで、言葉本来の意味からかけ離れてはいないので、それほど違和感はない。
2 「非常に」の意味。「あいつ普通にむかつくよ」などという。これは「非常に」という強意の意味で、言葉本来の意味からはかけ離れている。したがって、かなり違和感がある。
3 それ自体に意味はない接頭語、枕詞として用いられる例。「あーあした普通に期末試験だよ」「普通にだりーよ」などと言う。この用法は翻訳不能である。

しかし実際の用例を見ると、それが1〜3のどれに当てはまるかは非常にビミョーである。最近テレビで見聞した用例では次のようなものがある。
自分がおこりっぽいかどうかが話題になった場面で、20歳前後のバラエティアイドルが「私、タクシーに乗ってて渋滞に巻き込まれたりすると、『何でこんな道選んだんですか!』とかって普通に言いますよ」。この場合の「普通に」は、そのようにおこることが自分にとっては特別なことでなく、非常に日常茶飯なことであることを強調するため使われている。したがって、文章全体にかかっている。
また、一般人の若者数人が旅をする番組で、参加者の女性がギターの弾き語りを披露した際、男が、「普通に超うまいじゃん」と発言。この「普通に」は、ギターがうまいというそぶりを大仰に見せないのに、さりげなくうまい、といった様子を修飾している。

自分がいる

「失恋しても大したことないと思ってたんですよ。でもしばらく時間がたって気がついてみたら、かなり落ち込んでいる自分がいたんです」というように用いる。自分を第三者のように突き放して客観的に見る視点が特徴的である。自分のことを他人事のように語る用法は、若者言葉に共通して見られる特徴である(例;「俺って基本的に映画見ない人だから」)。その根底には自分のことを自分の問題として真正面から捉えることを避ける、ニヒリズム、もっと言えば責任回避の願望が潜在している。

思いっ切り

これも言葉自体は既存のものだが、用法が異なる。「思いっ切り殴る」「思いっ切り引っ張る」などが昔からの用法だ。これが、1 「思いっ切りふられた」「(試験に)思いっ切り落ちた」、さらには2 「あした思いっ切り期末試験だよ」などとなると違和感がある。1はなぜ違和感があるのか理屈は説明できない。国語学者に解明してもらいたい。2は副詞であるはずの言葉が形容詞に転化している。
金原ひとみの『アッシュベイビー』(2004年)に、2の用法、「それ、思いっきり刺された痕じゃん」が見られる(集英社、71頁)。この「思いっきり」は「刺された」ではなく「痕」にかかっている。

引いてる

気持ちが引いてる、ということだが、それよりもっとマイナスのイメージが強いものとして使われるようだ。合コンで酔っ払って女の子にからんだ翌日、友達に「彼女、引いてたよ」と言われた場合、「彼女」はかなり強い嫌悪感を抱いたことになる。

なお、「惹かれる」という言葉は現在ほとんど使われない。不用意に「彼女に強く惹かれた」などと口にした場合、「彼女に強く引かれた」つまり「嫌われた」という意味に解釈されるので注意が必要だ。

引かれる度合いの非常に強い様子を、「ドン引き」という。

違かった

「違う」の過去形。「違って」は「違くて」となる。ところで、「みたいに」が「みたく」になるのは、もはや若者言葉とは言えないのだろうか。

ぶっちゃけ

「打ち明けて言うと」の意味だが、多用されると気持ち悪い。

うちら

「私たち」の意味で、女性が用いる。男性が用いる場合は、「おれら」となる。これも、多用されるとなぜか非常に気持ち悪い。

いっこうえ

「1個上」。歳が1歳上ということ。どこかの本に書いてあったが、イントネーションは「北海道」と同じ。その本は、たんすは一棹、二棹、ウサギは一羽、二羽といった日本古来のものの数え方が失われ、何でも一個、二個となっていくことを嘆いていた。

一杯一杯

「限界」、「余裕がない」という意味。仕事を山ほど抱えているときに先輩に新しい仕事を頼まれた。「すいません、僕もう一杯一杯ですよ」と言う。一回目の「一杯」と二回目の「一杯」はイントネーションが異なる。

天然

「天然ボケ」の略だ。生まれつきぼけていることをさす。この場合のボケは、痴呆、という意味とはやや異なり、普通の人より会話のテンポが遅い、反応が遅い、ぼーっとしている、いつもうわの空、といった状態をさす。

てゆっか

「と言うか」が、「って言うか」、「てゆっか」と変化したもので、本来、物事を他の形で言い換える、相手の言葉を前提にそれをやんわりと否定し、より適切な表現を呈示する場合に用いる言葉であるが、現在ではもはや何の意味もない、ただの合いの手、枕詞(まくらことば)として使われる。相手の言葉を前提としておらず、いきなり「てゆっか寒くない?」「てゆっか眠いよ」「てゆっか腹減った」「てゆっか明日テストじゃん」のように使われる。

このような、ほとんどそれ自体に意味のない「枕詞(まくらことば)」は、実は若者だけでなく、無意識のうちに大人も用いている。「えー」とか「まあ、」とか「まーそのー」といった簡単なものから、人によって口癖的に使われる例えば「そういうわけで」、「要するに」、「それはあれですか」など、それ自体意味のない言葉を、我々は会話の冒頭に無意識に用いることが多い。

なぜ、人は会話の冒頭にこれら意味のない言葉を冠するのだろうか。考察するに、これには二つの機能がある。

第1の機能は発声練習の機能である。人間は、突然言葉を発した場合、うまく発声できるかどうかわからない。マイクを通じて話すとき、人は必ず「あー」とか「あ、あ、」、「本日は晴天なり」などと試みに発声し、マイクがうまく入るかどうかをチェックする。それと同様、日常的な会話においても、自分の声がうまく出るかどうかを確認するために、まず何かしらの無意味な言葉を発し、失敗を防ごうとするのである。

第2の機能は、これから自分が話すということを相手に知らしめる機能である。人間の耳は、聞く準備ができていないと人の発する音声を意味として聞き取ることができない。聞くということについて準備ができていない人に突然話しかけると、必ず「は?」と聞き返される。そこで、そのような手間を省くため、「これから自分は話しますよ、どうぞ聞いてください」とアピールするために、まずは意味のない言葉を発して聞き手の注意を促すのである。

自己新

「自己新記録」の略である。略語は若者言葉の基本だ。名詞では、ほかに「就活」など、動詞では、「しくった」、形容詞では、「きもい」など。

おなちゅう

「同じ中学校」の略。用例;「私、山田君とおなちゅーなんだ」

マッパ

「真っ裸」の略。

スキッパ

「すきっ腹」の略。

イタイ

「痛々しい」の略。

無理

「佐藤さんって、どう?」「ごめん、無理」。あるいは、「私あの人フツーに無理なんだけど」などというように用いる。大嫌い、苦手、あまり接近したくない、という意味。語源は、「理解することが無理」、「友達として接することは無理」ということだろう。

基本的に

「俺、基本的にスポーツきらいだから」、「わたし基本的にテレビ見ないから」など、主に自分の属性を語るときに付加されることが多い「基本的に」。なぜ「基本的に」なのだろうか。この言葉があるとないとでは、文章の意味は変化するのだろうか。よくわからない。

自分の中では

「自分の中ではレッチリは一番偉大なロックバンドだから」などという。「自分的には(おれ的には、わたし的には)」も似た表現だ。背景には、他人から否定的な意見を言われることをあらかじめ封じておこうという心理がある。他人がどうあれ、自分はこうなのだ、というわけだ。もっともそれは、「誰がどう言おうとそうなんだ、反論は一切認めない」という自信に満ち溢れた表現というよりは、むしろ他人に自分の意見を否定されることへの恐怖心に立脚している。若者特有の小心さや羞恥心の現れといえる。

(2005/3-)



★管理人のブログ「気になるニホン語」でも若者言葉を比較的よく取り上げている。併せてご参照いただきたい。



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