ドライサー

シスター・キャリー

(上)百年前に発表された小説とのことだが、描かれているストーリーや人物たちの感情は今でも多く転がっていそうなもので古さはない。街の様子や主人公の幼稚さなどにやや違和感がある程度。小説の技法としては、作者が常に中心に居座ってすべてを見通し、――ときおり作者の講釈も入る――、出てくる人物が変わるごとにストーリーを眺める視点も変化する、という伝統的な手法がやや古さを感じさせるが、現代でも採用されている手法である。主人公がシカゴに出てくるに至る経緯がまるで描かれないが、他が能弁であるだけに不自然な気もする。大都会として形成される途上のシカゴの街や、そこに当時生きていた人々の生き様がよく描かれている。ふざけた(?)章のタイトルと、訳文だが人物の台詞の妙な不自然さとが初めはひっかかる。(2001年1月11日)

(下)下巻は舞台がニューヨークに移るが、当時のニューヨークの街のありさま、その活気、そこにうごめく金持ちや貧民の行動・考えが、上巻でのシカゴの描写をも上回って、活き活きと手に取るように描かれている。ストーリーとしては、キャリーの成功物語としてよりも、ハーストウッドの悲惨な没落の物語としての印象の方が濃い。キャリーの成功はいとも簡単に遂げられるが、ハーストウッドの没落に関しては、上巻での優雅な生活とは及びもつかないところまでに至る過程が、克明に描かれ、見る(?)に耐えないくらいである。最後の、キャリーについて語る作者の感傷に満ちた締めくくりの言葉は、あまり意味がわからず、疑問がある。(新潮文庫)(2001年1月20日)



海外文学 作家別インデックスへ