「雨」「赤毛」「ホノルル」を収録した短編集。ストーリーのためのストーリーというべきか、あくまでも虚構、物語の面白さの構築を目的とした小説の執筆態度に新鮮さを感じた記憶がある。(1983年3月24日)
人生に対する理知的な観察眼、ウィットが、文体ににじみ出ており、作品としての完成度よりまずそちらに目が向く。知的な傍観者、といった風体での執筆者像(語り手像)が浮かび、多少、鼻につくことがないわけではない。しかしストーリーテラーとしては優れている。(1986年10月15日)
「月と6ペンス」とは異なり、作者、あるいは語り手というものの面影がちらりとも顔をのぞかせない。鉄面皮な小説。ストーリー展開は存分に楽しめるが、話ができすぎていて、サスペンス仕立てのテレビドラマを思わせる。この作家について言われる「通俗性」という言葉が理解できる。「女ごころ」という題は適訳で、男性の作者でありながら女性の心理を見事に描ききっている。(1986年10月21日)
短編小説のお手本ともいうべきよく描かれた作品群である。生に対する卓抜な観察眼、洞察なくしては描けないものだろう。「マッキントッシ」はたいしたことのないモチーフを丁寧に描きこんでいて読ませる。「エドワード・バーナードの転落」はストーリー自体は予測がつくものだが、面白い。「淵」は最も美しく、印象の強い作品で、淡々と描かれてはいるが、引きずりこまれる。語り手の冷静さが心憎い。(1986年11月19日)
T ドストエフスキーの長編のようなどろどろとした深さはなく、平坦で、どちらかといえば長編ドラマや映画に手法が近いように思われる。だが展開は面白くぐいぐいと引きずり込まれる。フィリップが信仰を捨てるに至る場面は感動的だ。ミス・ウィルキンソンに関する逸話も生き生きとしている。語り手がすべてを見通す万能者であって主人公にまつわるあらゆる事件を写し取っていく、という手法は伝統的な小説の手法なのだろうが、現代小説においてはもはや使われることが少ないので、最初は奇異な印象を持つ。(1986年12月20日)
U 長編ドラマを見ているような印象があり、その意味で「通俗的」といわれることはわかるが、申し分なく面白い。展開に山場と平坦なところがあり、作者もツボを心得ていて、退屈させられることがまずない。会話の中などに織り込まれた芸術論、恋愛論も興味深く、感動的である。ミルドレッドとの恋愛が主軸となるが、これほどまでに正面から如実に恋愛を描いた小説は稀であろう。(1987年1月20日)
V 恋愛というもののすさまじさ、泥沼のような苦痛をなめながらも離れられない悲愴さを描破し、共感させられる。恋をこのように描いた作品は他にないだろう。アセルニーに関する逸話は、ドストエフスキー風に「生活」を描いたものであるが、退屈でしかない。しかしみたびミルドレッドが登場することによって、ふたたび面白くなる。(1987年2月8日)
W 青春という幻影が見事に打ち砕かれ、「生活」に直面した状況が描かれる本巻は、漠然と一種のサクセスストーリーを期待していただけに空しい。主人公の到達した人生観には共感しうるものがある。主人公はラストで幸福に至るが、それは求めて得たものではなく、暗く重い背景を背負った受容の境地であるところが意味深い。(1987年3月1日)
日本のかつての私小説作家らを思わせるような、「大家」としての落ち着きが全編に感じられる。ただ私小説のように閉塞的でなく、話の運び方や創り方がのびのびとしており、面白い。劇的ではないがじわじわと心の琴線に触れるような描写や会話には作者の巧みさと余裕を感じる。エピソードの集積から成り立っており、回想が主となっているが、そういった文章にありがちな過度の感傷、いやらしさはない。(1987年4月13日)
(ちくま文庫)「臆病者」が最も印象深い。主人公の心理的な葛藤、あせりがよく出ている。誰にも覚えのありそうな心理状態である。オチは、もっと劇的な何かを期待してしまうせいか拍子抜けするが。それは収録されたどの作品にも言える。起承転結の承、転あたりまで引っ張っておいて、結がないような印象だ。(1997年9月19日)