太宰治

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人間失格

初読の際のインパクトは忘れられない。「純文学 私のベスト30」参照。(1980年12月9日)(1982年5月7日)

斜陽

「人間失格」のような読者を引きずりこむ力はない。整然と整えられた「小説」である。(1981年3月8日)

ひょっとしたら「人間失格」よりも太宰の本質を表している作品ではなかろうか。自らの信ずる「真実」のためにすべてを破壊して生きる人間、そうした走り続けるメロスだけが、人の心を打つことができる。そうした真実の生を軽蔑しさげすむ「帆を休ませた傍観者」。この小説は何の苦悩もなくのうのうと生き、そのくせ真実を求めて苦しむ者をばかにする傍観者たちへの抗議でもある。(1983年12月15日)

かず子の上原への恋は、実は本物ではない。それは没落して生の望みを失いつつあるかず子の、レーゾンデートルを求めての最後の自己欺瞞である。ところで、上原や直治は、「帆を休ませた傍観者」を非難し得る「真実を求めて苦しむ人間」に属しているのかどうか。前回読んだときはそう言い切ったが、今回は疑問になってきた。(1984年6月20日)

二十世紀旗手

全体に支離滅裂に見える文章。「HUMAN LOST」の文体に感銘。(1981年9月27日)

どの作品もどこまでが事実でどこからが虚構かがわからない。それが太宰のうまさなのかも知れない。太宰が他に類例を見ない異色な作家であることの認識を新たにする。(1983年6月2日)

新ハムレット

「待つ」が良い。(1982年10月22日)

特に「女の決闘」に太宰の芸術家としての自負とプライドを感じる。(1983年6月29日)

晩年

「二十世紀旗手」などと比べて落ち着いている印象が強い。特に「思い出」のような静かな内省的な作品を太宰が書くことは意外。「雀こ」、「陰火」、「猿面冠者」等は、作者自身の激烈な生を暗示させる「人間失格」のような作品に比べて、むしろその文学的才能を強く感じさせる作品である。(1983年6月19日)

走れメロス

「駆込み訴え」と「走れメロス」はうまいと思った。ところどころに顔をのぞかせる私小説的な部分に太宰文学の本質を見る思い。「東京八景」、「帰去来」、「故郷」では太宰自身のやるせない生の痛み、悲痛な苦悩が現れていて、「人間失格」以来の感銘を受ける。(1983年6月24日)

きりぎりす

著者の負っている罪意識がどの作品にも色濃く投影されているが、初期の作品と比べると絶望や生のやるせなさといった激しい感情は影を潜め、どれも落ち着いた小説となっている。「日の出前」は私小説でない短編小説としては手本になるべきものと思う。どの作品も良い。(1983年7月5日)

ストーリー性の面からは「日の出前」や「佐渡」などが良いし、また「風の便り」には現代小説に見られぬ衝撃力がある。文章も良い。自分の醜い部分をことごとく暴きたてようという悲愴さがある。(1984年6月1日)

新樹の言葉

解説に述べられているように、これらの作品は確かに文学的見地からいえば破綻している。しかし「駆込み訴え」等の秀作よりもこれらの作品の方がより親しみが持てる。作者の正直な感情が作品の随所に反映されている。「春の盗賊」で太宰の小説の大まかなからくりを見た思いがする。(1983年7月16日)

お伽草紙

わずかな材料をもとにここまで物語をふくらませる空想力は見事である。同時期の私小説風の作品に比べてのびのびとしており、暗さを感じさせない。「お伽草子」は、芥川龍之介の前期・中期の芸術性と同一のものを感じさせる。(1983年8月7日)

津軽

前半で旧友との交歓の楽しさと生家の重苦しさとの対比が鮮明である。旅先の風景描写はエキゾチックともいえる雰囲気が出ており、旅愁を催させる(特に竜飛岬や三廊)。たけとの再会に至るシーンは圧巻である。(1983年10月17日)

パンドラの匣

「正義と微笑」、「パンドラの匣」ともに太宰の作品とは思えないほど明るくのびのびとしていて面白い。太宰のほかの作品に必ず現れる強烈な自意識が見られないため、存分にストーリーを楽しめる。「人間失格」等の作品とは別の意味で傑作である。特に「パンドラの匣」は書簡体小説にありがちな退屈さを微塵も感じさせないし、登場人物も生き生きしていて申し分ない。(1983年10月24日)

惜別

「惜別」は書き出しこそやや堅苦しいが、ひとたび内容が作者のホームグラウンドに触れるや、たちまち太宰のアドリブプレイが遺憾なく発揮され読者を引きずりこむ。解説では、その饒舌さのゆえに作中人物が消えてしまうとあったが、そんなことはどうでもいい。「右大臣実朝」は比較的固さを感じたが、ここで作者が描きたかった実朝とはどんな人間かを考えるうち、ふとムイシュキン公爵の名前が頭に浮かんだ。(1983年11月1日)

グッド・バイ

「薄明」や「たずねびと」など短編が志賀直哉や井伏鱒二のそれのようにあたりさわりのない(激しい感情や強烈なテーマのない)ものに近付いているように思われる。また、「メリイクリスマス」以下の作品は以前に比べて雰囲気がごく軽くなっている。(1983年11月9日)

ヴィヨンの妻

戦後期になると「母」のようなさらりとした短編が増えたように思われる。「おさん」は良い。(1983年12月3日)

津軽通信

解説者は、「短編集」は太宰の短編小説の天才であることを示すと言うが、それは褒めすぎと言わねばならない。太宰の才能を物語るのはこの集の中ではやはり「津軽通信」の中の「雀」であり、次いで同じく「津軽通信」の「嘘」や「未帰還の友へ」であろう。「不審庵」のような軽いユーモア小説は、面白いには面白いが、何か物足りない。太宰の戦争中以降はこのような作品が多くなっているのが気になる。(1983年12月14日)

もの思う葦

「如是我聞」は痛烈で良いが、それ以外は面白くない。太宰は、自ら認めているようにその本分は小説であり、ストーリー性のないものは駄目である。(1984年2月23日)

ろまん燈篭

ユーモアのセンスを感じさせるところがいくつかあるが、それほど面白い作品はない。(1984年3月8日)



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