別れの時空選択
妨害された幼馴染みとの再会
1966年4月私は福岡市から転出して、佐賀県武雄市の武雄中学に入学した。
3月の福岡市立東光小学校卒業直後に不要な一万円の出費があったことは時空干渉が始まる迄で述べた。このおかげ、食事の栄養が悪くなり、母も私も頭の働きが悪くなってしまった。この影響が武雄中学入学後に出てきたのである。
小学一年生の時の同級生であった市丸藤正君が武雄中学に入学していた。市丸藤正君が福岡市立東光小学校に入学して数ヶ月後に故郷の武雄市に戻ったことは、時空干渉が始まる迄で述べた。
武雄中学の入学式の日、武雄中学で、市丸藤正君のお母さんが私の母を見つけて話しかけてこられた。この時、母は市丸藤正君のクラスと住所を聞くのを忘れていた。その後、市丸藤正君のお母さんは、父が勤めていた昭和バスの武雄営業所内の社宅を訪ねて来られた。その時私は学校にいた。この時も母は、市丸藤正君がどのクラスにいるか尋ねるのを忘れた。
市丸藤正君は、私とは別の校舎にいた。市丸藤正君は橘小学校の出身。私が親しくなった同級生達は、武雄小学校の出身者ばかりで市丸藤正君を知らなかった。
私は、担任の大宅綾子先生に市丸藤正君がどのクラスにいるかを尋ねるという知恵が浮かばなかった。
市丸藤正君の家を捜すのは夏休みにすることにした。不要な一万円の出費で食事の栄養が落ちて、市丸藤正君の家を捜す気力が無くなっていたのである。
イオナミンとの出会いを導くはずだった人
武雄中学には、おなかにダムを作る錠剤イオナミンとの出会いを導くはずだった人がいたのである。
武雄中学の入学式の日、担任の大宅綾子先生が学級委員に指名した女子生徒の美しさには驚いた、背も大宅綾子先生より10cm以上高かった。スタイルは浜美枝に似ていて顔は水野久美に似ていたといえば、当たらずとも遠からずである。井手洋子さんという。武雄中学では学級委員を総務と呼んでいた。
しばらくすると、井手洋子さんが二人いると思った。しかし双子ではない。井手洋子さんと同じ背の高さの絶世の美女がもう一人いたのである。中川京子さんという。浅野ゆう子に似たスタイルで松原智恵子に似た顔といえば、当たらずとも遠からずである。但し、当時は浅野ゆう子は、まだ子供で芸能人にはなっていない。井手洋子さんと中川京子さんは、その美しさゆえに将来はボンドガールと同級生たちから評された。井手洋子さんは浜美枝二世と言えた。この時、もし小川宏ショーが取材に来れば井手洋子さんと中川京子さんにのみインタービューするだろうと思った。
井手洋子さんを初めて見たとき、彼女に匹敵する美人には一生会えないと思った。そのため、中川京子さんを見ても、井手洋子さんだと思っていたのである。二人一緒にいるのを見て、別人だと気づいた。二人とも武雄小学校出身である。六年生になるときに武雄小学校に転入していた方がよかったと思った。私が六年生になる時に父が福岡市から武雄市に転勤になったことは時空干渉が始まる迄を参照。
私が井手洋子さんに話しかけると、彼女は「わたしデザイナーになると決めているの。」と言った。更に「東京の高校に行くかもしれない。」と言った。彼女は小学五年生の時に、武雄市に来たという。
彼女は、私を十一年早くイオナミンとの出会いを導いた可能性がある人なのである。私が十一年早くイオナミンと出会えた可能性があることについてはおつぼ山神籠石と時空干渉者を参照。
男子の同級生では、杉邑雅久君と青木勝樹君と仲よくなった。杉邑雅久君は、昭和バスの武雄営業所の隣の青果市場の息子だった。青木勝樹君は、来々軒というラーメン店の息子だった。
別れの時空選択
青木勝樹君には多くの友達がいて、時々その中の一人ずつを紹介してくれた。彼が紹介してくれたのは、男子生徒ばかりであった。
六月末のある日、隣のクラスの廊下で、青木勝樹君は一人の女子生徒に話しかけた。その後に私の所に来て、「江口摩利子さんと言うんだ。」と言った。この時、彼は私を江口摩利子さんに紹介することができなかった。江口摩利子さんの回りに多くの女子生徒がいたからである。この時に、青木勝樹君が私を江口摩利子さんに紹介することができておれば、私と井手洋子さんとの別れの時空選択は起きなかった。
一学期の期末試験が終わって数日後に、青木勝樹君が、「江口摩利子さん、転校することになったんだ。」と私に言った。その時、私は惜しいなと思った。江口摩利子さんは成績優秀で学園生活が順調なのに、転校でそれが潰されないか心配した。その心配が私にも迫りつつあることを、私は気づいていなかった。
一学期の終業式の日、終業式が終わると図書室に行き、その後に教室に戻った。教室の後ろの出入り口から廊下に出ると、江口摩利子さんと井手洋子さんが話に夢中になっていた。
私は、廊下には誰もいないと思っていたので、廊下に二人がいるのに驚いた。三月の余計な出費で食事の栄養の質が落ちて脳の働きが悪くなっていた私は、どのようにして二人が廊下にいるのか、この時には理解できなかった。
私が後ろの出入り口から教室に入った時に、同時に井手洋子さんが前の出入り口から廊下に出ていたのである。それと同時に江口摩利子さんも隣の教室から廊下に出ていたのである。
二人が出くわした経緯を理解できなかった私は、ただ二人を見ていた。顔が見えていたのは江口摩利子さんであった。私秀島哲雄から見て井手洋子さんは後ろ向きであった。井手洋子さんは、顔が水野久美に似て美しいだけでなく、後ろ姿も浜美枝に似ていて美しい。私は井手洋子さんの後ろ姿に見とれてしまった。
「ペンローズの量子脳理論」(徳間書店)の中の論文で、ロジャー・ペンローズとスチュアート・ハメロフは、意識はオーケストラ化された時空選択として発生すると主張している。時空選択とは未来選択と同じ意味である。時空選択をするのは脳である。
この時、井手洋子さんと同じ学校に私が残るという時空と、私が転出するという時空が重ね合わさっていたのである。後者が選ばれそうになっていたのである。江口摩利子さんとの別れを惜しんでいる井手洋子さんに見とれている間に、私の脳には井手洋子さんとの別れが刻み込まれてしまったのである。
夏休みに入ると、すぐに父が佐賀市の昭和バスの営業所に転勤することになってしまった。翌翌年の三月には福岡の営業所に転勤になった。三年後に高校に入学すると、江口摩利子さんも同じ高校に入学していた。運命がすり替えられてしまったのである。井手洋子さんと同じ高校に行く時空(未来)が、江口摩利子さんと同じ高校に行く時空(未来)にすり替えられたのである。
話に夢中になっている江口摩利子さんと井手洋子さんの間に入って、どのようにして二人が出くわしたのかを尋ねていれば、井手洋子さんとの分かれの時空選択は発生しなかった。
江口摩利子さんと同じ高校に入学したならば、彼女に話しかけて、井手洋子さんに会いに行くことができたはずだと考える読者がいると思う。それができなくなるような凄まじい嫌がらせが、私が高校に入学する前に私に起こったのである。それについては教育破壊工場の悪魔達で述べる。
私が高校に在学中にも、私が気づかない手段により、私が井手洋子さんに会えないようにする妨害が行われていた。それについては、池永投手の追放は時空干渉で述べる。
井手洋子さんとの別れにより、おなかにダムを作る錠剤イオナミンを開発した岡部薫博士との出会いが遅れた。
事件の謎の解明はおつぼ山神籠石と時空干渉者で述べている。
以下の写真は2010年6月16日に撮りました。武雄中学の校区内にある九州王朝の史跡の一つです。おつぼ山神籠石といいます。
写真1はおつぼ山。
写真2の石の列が、おつぼ山神籠石。
記念碑のそばに書いてある説明を添付します。句読点がない文です。
神籠石は古墳時代後期に築成されたと推定されている朝鮮式山城に類する古代史上重要な遺跡である
おつぼ山神籠石には杵島山の派生して半独立ノ丘を呈している標高六二米のおつぼ山に築成されていて昭和三十七年五月に発見された全国八番目の神籠石である
この神籠石の列石の延長は約一八七0米でその中約七六0米は破壊欠失している門址二ヶ所水門址二ヶ所土壘一ヶ所が現存しており列石線の前面には三米の間隔で柱孔が並び木柵が設けられていたことを物語っている
水門は谷の上方へ向かってアーチ形に構築されており奥行九米の間には無数の栗石が投入され中央には石囲いの暗渠が通じていて放水装置であることを知ることができる土壘は峰と峰との鞍部を連結するため九米幅に二列に石を並べ盛土をしたものであり門址は開口三米でそれぞれ四個と六個の柱孔がある
写真3の赤い線が神籠石の列
写真4の記念碑は第一水門の所にあります
写真5は記念碑の日付
日出島哲雄著
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