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ロス4日目、私達がロングビーチのアクロバットサーカス「ドラリオン」を (「ドライオン」だと思っていたが、某情報で「ドラリオン」だったということが判明) 見に行ったことはみんなの記憶にもあると思う。 ほとんど登場の機会がなかったが、このチケットを購入するのに奔走してくれた 事務所の非常勤スタッフ、S.Yさんに関する話を少し。 彼女は初日の登場人物紹介でもちょこっと触れているが アメリカ生まれの日系3世(?)らしい。(血は両親共に日本人であるが。) 彼女は9月のテロ以降、Oさんの紹介で事務所のスタッフになったそうだ。 Oさんはロスに住み着いてまだ2年ほどであるから その当時そんなに人脈があったわけではない。 なぜOさんがS.Yさんを知ったかというと、それはS.Yさんのお母さんが関係している。 Oさんは日本で運転免許証を持っていたが、ペーパードライバーだったそうだ。 しかし、御存知の通りロスでは車がなければ生活できない。 いきなり右側通行のロス市内を運転するのが恐怖だったOさんは、 あちらのドライビングスクールに通うことにしたのだ。 その時の教官がS.Yさんのお母さん。(たぶんすでに60歳過ぎ。すごいね。) そのお母さんがとても親切で仲良くなり、Oさんが卒業したあとも 個人的なおつきあいが続いているのだと言う。 そして、その娘さんであるS.Yさんにスタッフになってもらったのだ。 彼女はもともとは英語しか話せなかったそうだが、大人になってから 猛勉強して日本語をマスターしたそうだ。 弱冠訛っているが、かなり正しい日本語を話していた。 (この点ではマイキの方が、あちらの生活が長いせいか怪しい日本語を話すことがある。) それで社会人になってからは先述の通り、 日本企業がロスでコマーシャルロケをやるときのお膳立てをする エージェントになったらしい。 日本からくる撮影スタッフの宿泊の手配はもちろん、現地でのモデルの調達など それに関するありとあらゆる手配をしていたらしい。 だから、(某サイトで話題になった)ロスでは有名な「カリスマ美容室」なども モデルや芸能人を案内するために熟知していたのだった。 残念ながら、私は時間が無く美容室には行けなかったので詳しいことは判らないが もっとも有名なのは日本人のおじさんがチーフの美容院らしい。 でもそこはあんまりお勧めではなく、もうひとつの現地のひとがやっている方が より腕も確かで感じがいいそうだ。まあ、好みもあるそうだけどね。 というわけでS.Yさんはそういう仕事をしていたのだが、日本の不況と9月のNYアタックで 仕事が激減し、それだけでは食べて行けなくなった。 それで、彼女はそれからマッサージの学校に通い マッサージ師の資格も取ったというからえらい。ただ遊んではいないと言う事ですな。 そんな時に丁度、日本語を話せる現地スタッフを捜していたOさんの話しと 条件が一致し、非常勤として採用されることとなったのだ。 <ちょっと脱線話し> こういう人の話しを聞くと、つい思ってしまうのが日本の就労者。 全てとは言わないが、ぼんやり就職(アルバイト)して何も考えず 上からいわれるままに仕事をし、いざその会社が潰れると 失業のショックで右往左往して、夜も眠れなくなり 自分を見失ってしまう人がいるというのはなんか哀しい。 もちろん本人の努力と関係ないところで会社が潰れてしまう事のほうが多いだろうが その場に直面した時、受け身になるか能動的に動くかで その後の人生はいかようにもなると思うのである。 要は「自分の人生は自分で切り開く」ということですな。 まあ、私自信は安穏と暮らしているので偉そうなことを言えた義理ではないが 私が高校の時に、実父が勤めていた会社の倒産という憂き目に会っている。 そしてつい最近、実兄も同じ憂き目を見る事になってしまった。 どちらも大手企業で、就職したときは「これで将来安心」という会社だった。 人生、なにが起こるかわからないものである。 うちの父の場合もそうだったが、なにか取り柄があると生き延びられるのである。 彼は技術屋だったので、会社に居る時からなにかといろんな資格をとっていた。 仕事が要求したということもあるが、彼も積極的にトライしていた。 それが倒産後の彼の生活で戦力になったのだ。 もちろん収入はそれまでの半分にも満たなかったが、取りあえず食べて行く事はできた。 兄も技術屋ではないが、たぶんなんとかこの先やっていけると思う。 それなりにいつもいろんな勉強をしていたから。父というお手本もあるしね。(笑) 父の会社が倒産した頃、私は進路で悩んでいたが、(高2) 父が「自分が最後まで頑張れると思う道を行け」と言ってくれた。 それで、結果的には私立のそれも将来お金にならない美大進学を認めてくれた。 当時、親戚一族には「こんな時期に娘を私立のそれも美大にやるなんて頭がおかしい。」 と両親は言われていたらしいが、そんなことはおくびにも出さず、 「お金が続く限り援助はしてやる。しかし、絶対という約束はできない。 もしダメになったら自分でなんとかしろ。死ぬ気になればなんとかなる。」と言い放ったのだ。 幸いにも奨学金を受け、死ぬ気にもならずに、(バイト漬け赤貧ではあったが)無事大学も卒業できた。 その後、社会人になったり結婚したり、お金以外にもいろんな苦労がある事を知ったが とどのつまりはやっぱり「自分の人生は自分で切り開く」の一言ですな。 他人も会社もあてにはならないということ。 まあ他人のせいにしても物事は進まないからねえ。 だから、S.Yさんの話しを聞いた時も、とても共感できた。 そしてそういう人間を懐広く受け入れるアメリカの気質が好きだと思った。 もちろん、日本でもたくさんのチャンスはあるだろうが それ以上にいろんなしがらみがまだある。(肩書きに弱いとか、出る杭は打たれるとかね) その点、アメリカ(都会部)はクールでドライだと感じる。そこが好き。 ただ、、難点を言えば、、食べ物大盛りと、、、あまりに大雑把な感覚。(笑) 人間はシンプルでいいけど、ちょっとナイーブな面も欲しくなる。 うちの旦那さんに言わせると、 旦那「多民族国家だから、お互いが違っていて当たり前。 その分YES-NOははっきりしていて自分の主張は通す。もちろん女性も。 だから女性も強いんだ。はっきりしてるぜ。」 ヒデ「だから日本人女性がモテるわけ?はっきりしないから。」 旦那「そうとも言えるな。」 ヒデ「へえ、じゃ、私でも?」 旦那「、、、そうだな。たとえヒデでもモテるかもな。あっちはもっとすごいから。」 ヒデ「んじゃあ、あっちにもナイーブなひともいるでしょ?そういう人はどうするの?」 旦那「いるさ。もちろん繊細な人間も。いっぱい。そういうやつは独身でいるか 繊細同士でホモ(レズ)になるんだ。」 ヒデ「へえ、、、、なるほど。」 旦那「なんにしてもオマエのキャラはあちらに向いてるよ」 (暗に大雑把と言っているように聞こえるんですが、、、。) 旦那さんの見解もかなり大雑把だとは思うが、なんとなく納得。 学生時代に一年がかりでお金を溜めてアメリカ旅行した時は 友達と一緒ということもあったし、ほとんどがいわゆる観光旅行で終わった。 それでも充分カルチャ−ショックを感じたのだが その時はただただアメリカのスケールの大きさに圧倒されたのだ。 でも、今回は自分が歳を重ねてから行ったせいか、また見る角度が違ったような気がする。 たかが一週間で何がわかる?と疑問に思う人も多いだろうが 確かに前回とは違う感じを抱いて帰ってきた。 少なくとも若い時に刷り込まれた「アメリカコンプレックス」だけは無かった。 アメリカが近く感じられる様になった。それだけでも収穫である。 |