◆ アメリカ旅行記・パート2 ◆

2005年3月26日〜4月2日、ロスアンジェルス滞在記

プロローグ


この春休み、3年ぶりにアメリカ、ロサンゼルス旅行が実現となった。
思えば長かった道のり。

ロス旅行に関しては、2年前の春にも話しが出たが
3年前にお世話になった(当時失職していた)ガイド兼運転手のMさんが
再就職したため、私達のお守をする人間がいなくなっており、
忙しい旦那さんではとても家族の面倒までは見る余裕がないということで流れた。

そして去年の春、長女の受験が一段落した春休みにもまた浮上したが
丁度ロスの会社が過渡期にあり、言い出しっぺだった旦那さんに
「悪いけど今はまだ無理。5月の連休か夏休みにしてくれ。」と言われた。

5月は続けて休みが取れない子供がいるので「夏休みで本決まり」と
準備を進めていたが、旦那さんが次女の※学校スケジュールを勘違いして
予定を立てたために、真際になってまた流れた。

 ※次女は夏休み前半は2週間の修学旅行で留守になり、そのあと
  お盆の混雑を避けて、夏休み後半でロス旅行を計画したのだが
  なんと、去年から夏休みが短縮され1週間早く新学期が始まってしまったのだ。

そして、去年の暮れもまた計画し、みんなのスケジュールを無理やり調整しながら
なんとか飛行機チケット確保までこぎつけたのだが、もともと気の進まなかった義母の
「年末年始の忙しい時に旅行なんて行ってる場合じゃない!」の一言で
まさかの中止。泣く泣くチケットをキャンセルしたのだ。
(年末の残りわずかのチケットをゲットするのに大変な苦労をしたのにだ)

その時に私は堅く心に誓ったのだ。
「この次、春休みは何が何でも絶対に行ってやるーーーー!
 例え義母を置いてでもっ!」と。

そして正月開け、決意も新たに「ロス行敢行大作戦」がスタート。
最初(から最後まで)の難関はなんと言っても義母の攻略である。
暮れのドタキャンから、義母が行かないと言う可能性が高い。
そこでまず参加の有無を確認したところやはり「行かない」とのこと。

過去の経験からくどいくらい繰り返し義母の不参加を確認し(あくまでもお誘いという形で)
義母の不参加が動かぬのものと確信した後、今度は旅行日程を義母にまた何度も伝える。
台所のカレンダーにも大きく書き込む。
真際になって「聞いてない。はっきりと知らなかった。」と言われないためである。
それと平行して、義母ぬきでもロス旅行を決行する意思表示をし続けた。
これらの根回しに2ヶ月の時間を費やし、突発的な事故が起こらない限り
ドタキャンの可能性がないと判断した時点でついに飛行機のチケットを確保。
メンバーは私と長女、次女の3人である。(息子達は早くから不参加表明)

今回の旅行は単なる観光旅行ではない。
去年の秋から旦那さんがロスにアパートを借りて、月の3/4はそこに住んでいる。
つまり、日本には月に1週間しかいないのだ。
それで、旦那さんがどんな所に住んでいるのか、またどんな暮らしをしているのか
現状視察するのが大きな目的なのだ。
それと私の仕事関係のマーケットリサーチ。(旦那さんと店を見て歩く)
(年頃の娘達も遊園地&観光地巡りよりも店を見て歩くほうに興味を示した。)

そうして着々と準備を進め、次女の学校の春休みになるのを待って
(実際は春休み中の春期講座があったが、最後の1日は休ませた)
ついに出発の日を迎えたのだ。

なんと、実家への帰省以外で義母が同伴しない旅行は21年ぶり。
つまり、結婚して新婚旅行以来初の義母抜き旅行なのである。


★3月26日(土)成田出発


松戸の自宅を愛車で午前11時50分に出発。
飛行機の出発は16時15分であるが、今回はネットで格安航空券を予約したので
13時45分までに指定された空港カウンターにチケットを受け取りに行かねばならず
また、空港そばの民間駐車場に車を預けて行くので、さらにプラス30分の余裕と
渋滞の余裕を見て、早めに出たのだった。(自宅から空港までは順調に行けば1時間15分)

幸いに渋滞には合わず、予定どおりに民間駐車場に着き、手続きを済ませ車を預けたあと
駐車場のワゴン車で空港第1ターミナル(ユナイテッド航空)まで送ってもらう。
娘2人と共に荷物をカートに乗せて空港ビルの中へ入る。

チケット引換証にあったカウンターはすぐに見つかり、預ける荷物の検査の後
そのカウンターの前にできていた行列の後ろに並ぶ。
時刻は13時半。このぶんならチェックインしたあと搭乗時刻まで
1時間半くらいはありそうなので、まだ食べていない昼食をゆっくり取ろうと思っていた。
が、私達の3人前の人になにかトラブルがあったらしく待てど暮らせど順番が回ってこない。
結局私達がチェックを済ませたときには2時を大きく回っていた。

搭乗時刻までもう1時間ちょっとしかない。仕方がないのでお昼はマックで済ませる事に。
その直前に旦那さんから私の携帯にメールが入り
「飛行機は予定どおりに出発ですか?セブンスターを免税店で1カートン買ってきて。」
とのことだったので、娘達がマックを食べている間に返信。(私は携帯メールが苦手)
「飛行機は予定通りに出発。セブンスター了解。」

その時携帯が鳴り、見てみると旦那さんから。
私のメール打ちがのろまだったので、直接電話してきたようだ。
「飛行機は予定通りに出発?空港に迎えに行くからね。いよいよだね。気をつけておいで。」
「はい、定刻どおりです。メールで送ったようにUA890便でそっちの8時45分到着予定です。
 着いて通関を済ませたら(レンタル)USA携帯で連絡しますね。」(緊張してるので敬語)
「うん、わかった。待ってるよ。」
前回は運良く全行程に同行してくれる運転手(M)さんがいたので、
そのMさんが会社にいる旦那さんと携帯で連絡を取り合って行動していたのだが
今回はMさんがいないので、万が一の事を考えてUSA携帯をレンタルしたのだ。
それと、今回は3年前果たせなかった脱力サイトのチェリルとの対面も計画していたので
彼女との通信手段としてもUSA携帯が必要だったのだ。

搭乗時刻が近付いたので搭乗口に向かうが、搭乗ゲート(金属探知機)より向こうに
馴染みのない私達は、ユナイテッドの乗り口がどこにあるのか知らなかった。
取りあえず、番号の案内に従って進んだのだが、行けども行けども着かない。
途中の免税店で頼まれたタバコを買い、いくつもの動く歩道を歩き、延々進むが
見えないので不安になり時計を見ると出発時刻の25分前になっている。

以前旦那さんが
「ユナイテッドは搭乗時刻(出発15分前)に遅れたお客を容赦なく置いて出発するから
 早めに搭乗したほうがいいよ。全日空はギリギリまで待ってくれるけど。」
と言っていたので、増々不安になり早足が小走りに。

やっと指定の番号が見えてきた。着いたのは出発15分前。うひゃーギリギリだ。
でも、搭乗が始まっていたのはファースト,ビジネスクラスだけ。
安心するとともに汗がどっと吹き出して来た。最後のほうは全力疾走に近かったもんなあ。

機内に入ると私達の座席は翼のすぐ後ろの窓側からの3席。
窓側に長女、まん中に次女、通路側に私の順番で座った。
早々とシートベルトを締め離陸をひたすら待つ私。
「今、急に地震とか事故で飛べなくなったりしませんように。早く飛び立ってくれ〜〜。」
ともかく飛び立つまではドタキャンの不安が頭から離れないのだ。

飛行機はしばらく滑走路の上で待機していたが、やっと離陸体制に。
16時30分、機体が地面を離れたとわかったとたん(心の中で)小躍りし、
「やったーーー!ついに本当にロスに行けるーーっ!」と安堵したのだった。

あいにくの曇り空だったので、窓の外は雲ばかりであまり楽しめない。
が、そんな事はロスに行けるうれしさで帳消し。
これから9時間余りのフライトで、ついに念願のロスの地を踏むのだ。

ユナイテッド航空なので全部英語かと思いきや、成田=ロス線だからだろう
日系客室乗務員もおり、要所要所のアナウンスは英語と日本語でなされた。
機内食もチキンビビンバ飯で、想像していたほどマズくなかった。
以前乗ったANAの機体よりは年季が入ってちょっと暗い感じだったが
なんせ格安エコノミーだから、ゼイタクは言えない。

現地到着は朝の8時45分だが、日本時間では夜中の1時45分。
あちらでの行動がきつくなるので、飛行機の中では寝て行こうと決めた。
映画はジェニファー=ロペスとリチャード=ギアの「シャル・ウイ・ダンス」
だったが、私はすでに見ていたのでパスした。子供達はすでに爆睡。
(私は興奮していたのでうつらうつらしか眠れなかった。)

不味い朝食が終わったあと、いよいよロス上空へ差し掛かって来た。
長女に文句を言われながらも思わず窓のほうへ身を乗り出す。天気はいい。
ちらっとだが空港そばの旦那さんの会社が入っているビルも見えた。
飛行機のタイヤが滑走路に接地した感触が伝わり、ついに到着。

♪は〜〜るばる〜きたぜ〜ロサンゼルス〜〜〜〜♪、、感涙である。


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