| 平成14年6月16日 |
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その昔は、商人や職人達が多く住んでいた街でした。主に相良地方の海産物の中継地として栄え、塩問屋があったことで特に塩を専門に扱ったと思われます。その「塩」にちなんで塩町と名付けられたようです。今で言う「塩の道」の中継地の役割を担っていたようです。大祭は海にちなんで昔から長唄の浦島を踊っていました。現在の屋台は昭和27年に建造されたもので、その彫刻は「幕末の左甚五郎」と謳われた諏訪の名工「立川和四郎」の流れを汲む高村他之介(号:権江茂師政)(当時は仁藤町に在住)の手によって彫られました。平成16年4月には40年間絶えていた雌獅子も復活しました。 |