なぜ、オツルミズ沢へ 

オツルミズ沢の取材を受け、原稿を送って頂いた時の手紙を元に、このページを作成しました。

 「オツルミズ沢事故」の遭難レポートを送って頂きありがとうございまいした。
遭難レポートを読み、岩本さんの奥さんを遭難現場へ連れて行ったり、山形の実家へも墓参りに行き、岩本さんへの気持の整理も出来ました。
私自身の中にも、もう新潟山岳会に対してのわだかまりも消えました。
今まで自分自身の中で整理が出来ずに悶々としていた気持も、遭難レポートの中で的確に指摘され、それによって自分も一歩離れて冷静に考え直すことが出来ました。
また遭難レポートを読み、反省すべき点もいろいろ気付き、稜友会の活動に生かさなければと思いました。

 

 遭難レポートを最初に読んだ時には背筋がぞくぞくしました。
特に8ページからの「欠落」を読み体がガクガク震えるほどの寒気(興奮)を感じました。
ここまでの原稿は、私自身の頭の中にも有った事で、遭難レポートをを読み、それを整理し再確認しただけの事でした。
 
  しかし「欠落」を読み、自分自身の大きな責任を思いました。
私も新潟山岳会役員当時「組織論」に血眼になっていました。
「組織論」に使命感や正義感を燃やしていたと言っても過言では有りませんでした。
今でもそれは間違いではなったと思います。
しかしそれは『山岳会にとってより大切な、より根本的な「登山論」を忘れずに』と言う但し書きが付くことを忘れてしまいました。
 遭難レポートを読み、その事に気付き、大きな責任を感じました。
何かの原稿だったか手紙かに「山岳会の伝統は会の先端で活動している人達よって作られるとしたなら、新潟山岳会の伝統は、森田さん達が始め、阿部さん達が発展させ、私達へと受け継がれ…」と書いた覚えがあります。
しかし、その伝統を若い人達に伝える義務を忘れ、怠った責任です。
 
 5ページからの「山岳会の実力とは…」はもう一度原点に帰り、自分の足元を見つめ直す警鐘となりました。
果たして自分にどれほど「確固たる登攀論」が有るかは疑問ですし、世間に通用するかどうかは別にしても、新潟山岳会では精鋭だったと思います。
そんな私でも、山の困難度と己の実力をどの程度把握できるかも疑問ですが、山に対する恐怖心だけは忘れません。
恐いと思う気持が危険を察知し、判断する基準です。
 沢を始めたばかりの頃、友達と二人で沢へ行き、ゴルジュの中のズタズタの雪渓で引返したことがあります。
「恐いから逃げ帰るだけで、勇気有る撤退など関係ないネ」と逃げ足の速さを笑い合いました。 
山スキーへ行き、雪崩が恐く進むのを躊躇していたら、トラさんに「安全と思える確実な判断材料がなければ行くな」と言われました。
やはり恐いと思うからこそ立ち止まり、そこで考えて、判断が出来るのだと思います。
今までも何度も途中で引返していますが、その度に何が不足しているか(技術、装備、メンバー等)を把握さえしていれば、次回にはそれを補ってチャレンジすれば良い事です。
 
 私は単独で登っていた時期が長く、単独で沢に入っている時などは恐怖心でピリピリしていました。
パーティを組み登る安心感は絶大です。
しかしその安心感の中にも常に恐怖心は持ち続けています。
たとえどんなベテランがリーダーでも、頭の中では自分自身の判断は常にしています。
ですから自分で納得の行かない判断は説明を求めたり変更を話し合ったりします。
「自分で考え判断する」それしか一人一人の危機管理能力を高める方法は無いと思います。
パーティを組む安心感は、若手の人達には連れて行って貰うだけの山行で終わるかも知れません。
登り方やザイルワークの指示や助言だけではなく、各自が「自分で考え判断する」習慣を付けさせる事がいかに大切な事かを「遭難レポート」を読み実感しました。
今までも「この滝はどこを登る?」とか、吹雪の中で「いまここに居て、ルートはこう行く」と地図で説明したりしてきましたが、今まで以上にその時その場の判断基準を説明しみんなの判断を求めて行かなければと思いました。(最終判断は自分がしても)
 
 11月9〜10日(平成8年)に都岳連から講師を迎えて救助訓練を行ないました。
救助技術は救助の為だけの特別な技術として年一度の救助訓練だけでは身につきません。
17日に湯ノ平へ行き、露天風呂を独占して雪見ビールを楽しんできました。
途中の沢に架かる橋は外されていて、ザイルを張って渡りました。
ザイルをピーンと張るには、ザイル斜張りの固定アンカーの方法を使えるが、ザイルの位置が高くて手が届かないので今回は緩く張る。(ピーンと張り滑車に長いシュリンゲを付けても良いのだが)
滑車のザイルはそのままに、引きザイルは回収して行きました。
帰りに引きザイルを取付ける為に滑車ザイルを渡らなければなりませんが、渡るためには強く張らなければならず、そうすると高すぎて登山道に下りられない。
ザイル斜張りの人間アンカーでザイルの張り具合の調整ができ(渡ったら緩める)滑車を使った引き上げ方法で(滑車の代わりにカラビナ)でザイルを強く張れる。
 こんなふうに神聖な救助技術を遊びに使っています。
 「遭難レポート」を読まなければ、救助訓練も訓練のためだけで、身に付けるための努力はしなかったと思います。
当然訓練に出ている時は身に付ける気で居るのですが…
しかし技術は繰返し実践しなければ身に付くものではありません。
ですからこうして遊びながらも、この場合にはあの技術が使えるとか、こうしたらどうかとワイワイ言いながら実践してきました。
確かにこんなふうにザイルを張るよりも、みんなで沢に懸垂で下り、登り返したほうが速いのですが、やはり自分自身の意識が変わって来たのだと思います。

 

 中村政道さんが「沢登りは岩以上に自分で判断する要素が多い」と言っていました。
滝を登るのも右からは簡単でも左からは難しく面白そうとか、小さな滝でも直登は絶対無理と思っても、じっと見ていると登れるかも知れない…  落ちても水の中…
やはり落ちたが何となく行けそうな気がする…  何度か落ちても登れた時は感動 !!
確かに大きな難しい沢を完登した時の感激、満足感には比較できないまでも、わずか2〜3mの小さな滝を登れただけでも感激物です。
緊張感の中にもこんな遊心を持てる所が沢の面白さだと思います。

 

“岩本さんの死”でいろんな多くの事を考えさせられました。
そしてまた書ききれない程の多くの事を学びました。
丸山さんとの出会いもそうです。取材を受け、「遭難レポート」を読み、自分の山に対する考えをもう一度じっくりと問い直す事ができました。
そしてまた稜友会の活動にも生かして行かなければならない事も多く学びました。
「遭難レポート」を送っていただきありがとうございました。
ここで学んだ事をこれからの登山活動に生かして行きたいと思います。
 
平成8年11月29日  

      

 ヒロタンの山行記録 

 

古いフロッピーを引っ張り出したついでに、ワーモトさん追悼集(幻)の原稿も載せます。
少し長い活字だけのページですが、覗いて見て下さい。
ワーモトさんと新潟山岳会・雑缶