特殊任務 4
「…お入りになったらどうですか?」
内から開かれた扉に、一瞬ビクッと身体を震わせながらも。
カカシはゆっくりとイルカの家へと上がり込んだ。
カカシの物だけが失われた…
カカシと出会う前に戻った様な室内に、イルカは静かに立っていた。
「どうぞ。」
勧められるままに居間へと入り、昔の『定位置』へと座り込む。と、
程無くして茶を入れたイルカが台所から戻って来た。
共に言葉も無いままに、茶を啜る音だけが部屋に響く。
「あの…」
沈黙に耐えられなくなったのはカカシの方であった。
「その、イルカ先生…」
「はい。」
素直に返事を返されて。カカシは再び詰まってしまう。
実際、今更イルカに問い質す様な事は然程無いのだ。
カカシは此処を訪れる前に…『女』を強襲していたのだから。
あの話を聞いて。幸い戦いが終盤に向かっていたのを良い事に、
カカシは強攻策で『任務』を終わらせた。
そして真っ直ぐに里へと戻ると、報告もそこそこに『あの女』を探し出した。
逃げも隠れもせず、堂々と里内に『新居』を構えていた…女は。
カカシの訪問を、不思議な程平静に受け入れた。
『そうよ。あの人を利用したわ。』この子の為に
大分大きくなった腹を愛しげに撫でながら、女は悪びれずに言う。
『一番大切な人の子を、家の都合でなんて殺して堪るもんですか。』
だから、あの人と恋仲になったの 下忍時代からの古い付き合いだったし
『子供が居ると知ったら、他人の子だって絶対受け入れてくれると思ったわ。』
それに
『本当の父親が戻った時。イルカなら絶対身を引いてくれるでしょう。』
実際『彼』が帰って来て。私とやり直したい、と。
この子を自分の手で育てたい…と。そう、頼んだ時
『イルカはちゃんと判ってくれたわ。』
きっぱりと 罪の意識も感じさせずに言い切る女に、カカシの気が膨れ上がる。
だが
『私を傷付けるの?貴方にそんな権利があるの?』
怯えるどころか…冷笑すら浮かべて言い放たれて。
カカシは。結局何も出来ずにその家を去るしかなかったのだ…
「イルカ先生。」
「はい。」
静謐な表情は、全てを判っているようにも…また全てを諦めたようにも見える。
女の言葉に反論出来なかったのは、自覚があったから。
イルカなら…例え『捨てて』も、自分を想い続けると信じていた。
その上で。イルカの情の深さを承知で、自分が愉しむ為に利用したのだ。
…あの女と、同じ様に。
話し掛けるべき言葉を見出せず。だからと行ってこの場を離れるのは嫌で。
カカシは、幾度と無く口を開きかけては…言葉を飲む。
「あ…」
そして漸く気付いた。イルカの後ろ、窓辺の良い位置に置かれているのは。
新しい鉢へと植え替えられた、カカシの…
「ああ、そうでした。」
カカシの視線に気付いたのか、イルカが苦笑しながら立ち上がって
鉢を手にする。
「はい。これ、カカシ先生のウッキー君ですよね。」
受付の外に落ちて居るのを見た時はどうしようかと思いました。
言いながらそっと、机の上に置いてくれる。
艶々と元気そうな鉢植えはイルカに大切にされていた事を伝えてくれた。
「植物好きの同僚に手伝って貰って植え替えたら、幸いな事に
ちゃんと根付いたんです。」
カカシ先生に連絡したかったんですが、お宅は判らないし
受付で伝言頼んで置いても、連絡取れないし
「折角だからウチで育てていたんですよ。」
そう言って。イルカは照れた様に笑った。
ああ
久し振りに見た、自分だけに向けられるイルカの笑顔。
それにカカシの身体からすこんと何かが抜けた。
「!カカシ先生?!」
イルカの慌てた声に、カカシはそちらへと顔を向ける。と、
視界が奇妙にぼやけているのが判った。
「あ…」
掌を顔に当て、初めて自分が泣いている事に気付く。
「あ…」
ただ声も無く…涙を流すカカシを、イルカはそっと抱き締めてくれた。
「今晩は、イルカ先生。」
「今晩は。…お帰りなさい、カカシ先生。」
任務を終えて。決まった様にイルカ宅に向かう、カカシ。
だが、共に暮らして居る訳では無かった。
あの日、結局何も出来ずに帰ったカカシが唯一、イルカに言い出せた事。
それがウッキー君の世話だった。
子供達が巣立った今、カカシの任務は長めの物が多くなる。だから
『俺が居ない間だけで良いんです。此れからも…面倒見て、くれませんか?』
おずおずと口にしたカカシの『お願い』を、イルカは笑顔で承諾してれた。
だから、カカシはこの家を訪れる。任務に赴く前に、そして後に。
…鉢植えと言う、今は唯一となってしまった接点に縋る様に。
結局アノ『任務』からずっと…戦場を経て尚、
カカシの綺麗な生活は続いていた。不名誉な噂が里を席捲する程に。
触れたいとも触れられたいとも想う唯一の人がすぐ近くに居る状況で…
例えその人にとって、今の自分は友人以下の存在でしか無いにしても…
他人と接するつもりは起きなかったのだ。
でも、あれだけの仕打ちをして置きながら
今更『気持ち』を伝える事など出来無くて。
だからせめて…言葉を交わす機会だけでも失わない為、に。
…高位ランクの任務しか請け負わぬカカシが、
イルカの居る受付所を訪れる事は殆ど無い、のだから。
「カカシ先生。」
と、玄関先で鉢を受け取って。帰ろうとしたカカシに声が掛かった。
「今日はもう、食事は御済みですか?」
穏やかに訊ねられ
「い、いいえっ!」
声が上擦る。心臓がどくんと跳ね上がった。
「なら、宜しかった一緒に如何ですか?…大した物はありませんけど。」
鼻の傷を掻きながら誘ってくれる、イルカ。
その仕草が照れた時のものだと思い至って…顔が綻ぶのを押さえ切れない。
「良いんですか?!」
「はい。」
間を置かず、頷かれて。
どきどきと激しく鼓動を隠しながらも、
押し殺していた希望が少し頭を擡げるのを感じる。社交辞令で無いのなら。
…本心からカカシと共に『食事をしたい』と思ってくれるのなら…
もしかしたら。
そう、もしかしたら…今は『お邪魔します』としか言えないけれど。
何時の日かまた、『ただいま』と言える日が迎えられるかも知れない、と。
小さな希望を宿しつつ、カカシはゆっくりとサンダルを脱いだ。