サバイバーその後 1

「専務、どちらへ行かれるんですか?」

 

事務所を出ようとした所をすかさず見咎められ、サスケはその声の主に背を向けたまま、

聞こえぬように小さく息を吐いた。

相手は部下とはいえ女である。露骨に厭うような真似はできない。

かといって僅かな休憩時間にまで纏わりつかれるのも御免だった。

 

「約束があるんだ。すぐに戻る」

「そうですか。宜しければお車お出ししますが……」

「いや、いい」

 

残念そうに引き下がった女性社員に内心でホッとすると、自動扉の入り口を抜け、

サスケは真っ昼間の日差しの中に足を踏み出した。

 

内波(うちは)サスケ。

 

今年二十六歳になった彼は、その若さにしてウチハプロモーションの専務の地位にある。

その上付属養成所の所長までも任されているという、誰もが望む地位と実力、

そしてそれを得る為の環境にまで恵まれた、文句無しの成功者だ。

ウチハプロモーションというのは、サスケの父が創設した総合芸能プロダクションの事である。

しかしサスケの背後に親の七光りを見る者はあまりいない。

業界でも軽く十本の指に入る大手プロダクションも、かつては所属タレント数人の弱小プロに過ぎなかった。

そしてウチハプロモーションと名を変え、今のように広く世間に名を知られるようになるまでには、

本当に様々な出来事があった。

昭和三姫の一人『綱手姫』や、デュオグループのさきがけとも言われるうたたね姉妹など、

懐かしのアイドルを紹介する番組では今も必ず名前のあがる歌姫達を世に送りだした

このウチハプロモーションだが、綱手姫が独立し、うたたね姉妹が引退してからは

全くめぼしい人材に恵まれず、一時期は倒産の危機に陥った事すらもあった。

それを救ったのが当時まだ大学を卒業したばかりだったサスケである。

学生時代にはモデルとしても活躍していた彼は、

卒業と同時に晴れやかな表舞台を引退し父の会社に就職、

タレントのマネージメントに専念するなり、アイドルを売り出す新しい手法を考え出し、

見事それを成功させた。『アイドルグループプロジェクト』がそれである。

一人のアイドルに力を入れるより、沢山のアイドルを纏めて世に送り出して、

世間の目と声によってアイドルを磨きまた淘汰していく。

この革新的な手法により多くの少女達が、

歌は駄目でもバラエティやダンスなどの分野でそれぞれの特性を開花させ、

大きなヒットを飛ばさぬまでもそれなりに業界に居場所を定めていった。

勿論中には早々に成功を諦め、芸能界を引退していった者達も大勢いたが。

彼女達の成功、ひいてはサスケの成功により、

ウチハプロモーションは渋谷の一等地に九階建てのビルを建て、

更に付属の施設を数多く所有するまでになった。けれどサスケに満足感は無い。

それどころか今のサスケにあるのは、そう……。

 

――敗北感。

 

『二代目』『若社長』などと社員達に持ち上げられているサスケであるが、

実は彼は内波家の次男である。本来後継者と目されていたのは彼の兄――内波イタチ。

そしてその兄の存在こそが、今も唯一最大の壁として、サスケの心を脅かし続けていた。

イタチが内波の家を飛び出したのは、ちょうど十年前。

親の期待を一心に受けていた優秀な兄、彼の突然の失踪は、家族全員に大きな衝撃をもたらした。

当時まだうちは芸能事務所を名乗っていたウチハプロモーションの経営も、

バブル崩壊の影響を受けてまさに斜陽の時代へと突入し、

サスケの父はすっかり荒れて酒に走り、このままでは倒産……という状況にまで落ち込んだ。

今こうして再び勢いを取り戻し、業界大手の名を掲げていられるのも、

その当時から見れば奇跡にも等しい快挙である。

 

「お前がいてくれて良かった」

 

父のその言葉がサスケの誇りだった。自分を省みなかった父に認められた事で、

 始めてサスケは自分達を捨てた兄に対する複雑な感情を、
昇華できたように思ったのだ。

けれど……

 

――日本人初! オーストリア料理マイスター誕生!

 

――世界で活躍する日本人。宮廷料理人『内波イタチ』!

 

失踪した兄の名がつい先日、時代の寵児として華々しくテレビで報道された。

 

その報道を見て父は言ったのだ。

 

「流石は俺の息子だ」――と、心底誇らしげに。

 

サスケはこれまで数多くのアイドルを生み出してきた。

けれど一体その内の何人が、芸能史に名を残す事が出来るのだろうか。

世界規模での活躍を見せる兄に比べて、自分のしてきた事には一体どれ程の意味があるのか……。

 

「今いるアイドルなど、百人揃ったところで結局綱手姫一人にも及ばない……」

 

サスケの呟きは、大げさでもなんでもない今の現実だった。

独立し今も芸能界の第一線で活躍している綱手姫は、かつてアイドルとして一時代を築き、

今もなお女優として他の追随を許さぬ存在だ。

『極悪な女たち』『月に吠えろ』

などの人気シリーズは、彼女という看板無しでは成立しなかったとまで言われている。

とうに五十は超えている筈なのに、スクリーンやテレビ画面で見る彼女の美しさは、

今も全く色褪せる事はなく、それどころか歳をおうごとに色艶をましていくようにすら思われた。

その綱手姫を見い出したという自負のある父にとって、今のサスケなどまだまだひよっこ。

自分の後押しがあってようやく何とかやっていける程度の未熟者に過ぎない。

事務所の経営を立て直したのは間違いなくサスケだったが、

本当の意味ではサスケはまだ父親に認められてはいないのだ。

その思いは闇い感情を伴って、サスケの頭から離れることはない。

この日もまたそんな、楽しくもない物思いに耽りながら、

サスケは一人あてもなく道玄坂を下っていた。

普段サスケ自身が町に出て、直接新人(スカ)発掘(ウト)を行う事など滅多にない。

しかし今のサスケはすっかり道に行き詰まり、希望をもたらす新しい光を求めていた。

そう、必要なのはクリスタル(どこにでもいるアイドル)ではない、どこかにきっと埋もれている筈のダイヤ(たった一人)(の特別)原石(な存在)

歴史に残るような、世界にも通用するような特別な人材を、自分の目で見い出し育てあげる。

それが敵わぬまでは、いつまでも自分は兄を超えられぬのだと、

サスケはそう思い込んでいたのだった。

 

けれど衝動的に街に出たところで、

それこそクリスタルの欠片すらも簡単には見つかるものではない。

顔もセンスも良いサスケに色目を送ってくる女達は多かったが、

サスケが目を留めるほどの少女は一人も存在しなかった。

 

「あ、お兄さんちょっといいかな? 私こういう者だけど……」

「………興味ないので」

 

と、反対に別の芸能プロのスカウトに声を掛けられたり、

中にはホストをやってみないかなどという誘いまで。

 

「こんな所でいくら探したところで時間の無駄か……」

 

そう思い、どこか喫茶店に入って腹ごなしでもしようかと、

目に付いた店に向かって横断歩道を渡り始めた時だった。

その後ろ姿がサスケの目の中に飛び込んできたのは。

 

「――君っ!」

 

咄嗟に声を掛ける事が出来たのは上出来だった。

ただ肝心の少女は声を掛けられたのが自分だと気付かず、

代わりに別の少女が「なんですかぁ」と嬉々として傍に寄ってくる。

 

「いや違う、君達じゃなく、そこの君! 長い髪の!」

 

人をかき分けらしくもなく必死になって、その少女を追いかけるサスケ。

 

「待ってくれっ、君!」

 

必死の叫びにようやく振り向いた少女。

明るい髪と、光の加減で黄金(きん)とも見える茶色の瞳。

陶器のようになめらかなクリーム色の肌に、健康的にすんなりと伸びた形の良い手足。

体からだけでなく、まるで内側からも光を放っているような。

なんてことはないちょっとした仕種までもが、どこか際立って人目を惹く。

 

「何か……?」

 

声もまた印象的だった。高く澄んで空気に溶け、それでいていつまでも耳に残る、

まるで銀製フルートの音を聞いているかのような……。

職業柄、サスケは美人というものには免疫がある。ただ整った顔、美しい容姿というだけならば、

この少女より美しい者も何人も存在した。

しかし人の心に残る何か、存在感(オーラ)と呼べるものを持つ人間は本当に少ない。

少なくとも実際に会ってそんな何かを感じたのは、綱手姫以外ではこの少女が初めてだった。

 

「あ……」

 

咄嗟に言葉が出ず、差し伸べた手を迷わすサスケ。それを少女は首を傾げて見つめてくる。

恐らく二十歳前後。後ろ姿だけ見ると高校生のようにも思えたが、今は平日の昼であるし、

その落ち着いた瞳も成人した女の思慮深さを伺わせた。

その大人びた瞳に見惚れ中々言葉を発しないサスケに焦れたのか、

少女は頭を下げて再び歩き出そうとする。

 

「ま、待ってくれ!」

 

それに追い縋り、サスケはポケットのサイフから慌てて一枚の名詞を取り出すと言った。

 

「俺はこういう者だが――…」

 

この若さの人間なら、その名刺に書かれたウチハプロモーションの名を知らぬという事はないだろう。

だがそれを見た少女は、つまらなそうな顔でこう言った。

 

「なんだ……ナンパだったらちょっと嬉しかったんだけどな。あなた素敵だし。

でも残念、こういうの私ゼンゼン興味ないから」

 

それに今急いでるの――そう言って少女はサラリとその長い髪を揺らすと、

何の未練も残さずにそのまま背を向け歩き出した。

他の少女達なら悲鳴を上げて喜ぶだろう大手プロの誘い(スカウト)

それを一蹴し颯爽と歩き出す、その姿までもがまた、映画の一場面のように美しい。

一瞬呆然と見惚れ固まった後、サスケは慌てて後を追ったが、

定期でそのまま改札を抜けた少女に追い付くことは出来なかった。

 

ようやく見つけたと思ったダイアモンドの原石。

それをあっさりと見失い、サスケは人ごみの中で激しい後悔と共に立ち尽くす。

結局心に焼きついたその背中を、再び同じ場所で見る事は叶わず。

  再会は全く別の場所、それも思わぬ形でのものとなる。



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