参加 

igaが適当に書いています。

2005年1月31日 (月) 寒波襲来
 どうやらまた寒波が来るらしい。北海道付近にある低気圧が北にある高気圧に阻まれて東に行けずに居座っているようである。そのために、西にある高気圧との間で気圧差が大きくなり寒気が留まるとのこと。これだけ寒波が続くのはここ何年ぶりだろうか?近頃は温暖化の影響で暖冬が続いている。寒波が来ても雲に覆われていれば放射冷却が起きないからあまり気温は下がらないが、昼間の気温が上がらないからかなり寒く感じるのだろう。それに降雪量もかなり多いらしい。災害が起きないと良いんだけどね。
 そんなわけで、明日から2月。今年もあと11ヶ月に。真冬にふさわしい寒波襲来。本来ならこの寒波が過ぎた後にスキーに行くと雪質が良くて楽しいけど、今年はちあまり行かれないかな。指をくわえながら我慢することにしようっと。
2005年1月30日 (日) 洗車
 今日は天気が良かったので、久々にマーク2の洗車をすることに。千葉に転勤してからというもの、洗車といえばガソリンスタンドの洗車機使用になってしまい、長いこと手で洗っていなかったのである。洗車機の水洗いだと車体の汚れはそこそこ落ちるが、バンパーなどのプラスチック部分に長い間こびりついた水垢などは落ちないのである。ということで、バンパーに水垢のスジがついていて非常に格好悪くなっていた。
 さすがに冬の水道は冷たい。茨城に比べれば外気温は高く、洗車中にボディーについた水が凍ることはないが、それでも肌にしみる冷たさである。始めにカーシャンプーで洗い、その後にバンパーについた水垢を水垢取りで擦る。1時間の格闘の末、ボディーが何とか綺麗になった。
 やはり洗車は手でこまめにやらないといけないなぁ…。今度は(ま)の軽も綺麗にしようっと。
2005年1月29日 (土) 水戸へ
 今日は昨年3月まで住んでいた水戸へ家族で出掛けた。この10ヶ月間の水戸の変化は思ったよりも大きかった。駅南口の再開発の進捗には驚き、元の住居の様子の変化にも驚いた。元の我が家には両隣の家の境に大きな木が1本ずつ生えていたが、2本とも伐採されて景色が大きく変わっていた。また、転入した時に市役所から貰って植樹した梅の木は見ない間に大分成長していた。また、新たに建てられた店、無くなった店なども幾つかあった。
 こうして3年間住んでいた水戸の街を10ヶ月ぶりに家族で訪れ、複数の(ま)の友人宅にも突然お邪魔したりしたが、さすがに日帰りでは行程も限られる。仕事は多忙で、長いようで短かった3年間の水戸での生活…。今となっては過去の出来事であると感じられた。
2005年1月28日 (金) 新幹線の絵本
 本日、(ほ)に新幹線の絵本を買う。昨年開業した九州新幹線は収録されていないが、1999年現在の各車両が載っていて、大人用の解説がなされている。中でも、500系のぞみの所要時間は、現在のように品川、新横浜、新神戸、新山口(小郡)に停まらないので、最速時代の4時間49分と表記されていた。
 (ほ)はこの本を見て(ま)に「これ何?」と聞き、(ま)は答えに困る場合がある。ただ、E1系、E4系のは「マックス」と答え、E3系は「こまち」、400系は「つばさ」と言う具合に通称や列車の愛称名を使うこともある。
 今は各地に新幹線が走っているのでこのような絵本が成立するが、(い)や(ま)が子供のときは新幹線と言えば0系しか走っていなかったから、「特急」を集めた絵本の初めに0系が特別に掲載されている場合が多かったと思う。この本はどれくらい持つかなぁ。せめて半年位は飽きずに見てもらいたいものだ。
2005年1月27日 (木) 常磐線中電
 本日、久々に日暮里から京成に乗って帰宅。日暮里の京成線ホームからは常磐線のホームが隣に見え、アナウンスも良く聞こえてくる。アナウンスでは「まもなく快速いわき行きが参ります」とのこと。ん?快速いわき行き!?昨年10月のダイヤ改正から、中電も取手までは快速と呼称されるようになった。
 1980年代初頭まで常磐線の普通列車は一部がEF80牽引の客車列車が残っていた。その後東北新幹線の大宮暫定開業あたりで客車列車が姿を消し、また、筑波万博が終わって暫くすると401系が姿を消した。それと同じ頃にロングシート車やステンレスカーが登場し、平成になってからは209系の交直流仕様ともいうべく4ドアロングシートのE501系が登場した。すなわち、取手以遠の交直流の中電と、取手までの4ドアロングシートの直流電車による快速とハード的にも差がなくなってきている。 
 また、停車駅も客車列車時代は上野の次は松戸あたりだったが、筑波万博の頃から北千住停車になり、北部では天王台に停車、更には朝夕を除き南千住や新三河島にも停まるようになった。こうして、停車駅というソフト面でも中電は快速に近づいてきた。
 そして、今回のダイヤ改正である。中電は南千住と新三河島に終日停車になり、停車駅が快速と同じになり、中電は普通列車から快速と呼称されるようになった。更に今年の夏頃からは415系や403系に代わって、E231系近郊型の交直流仕様ともいえるE531系が登場し、ハード的にも直流電車と変わらなくなる。
 現在、日暮里に停車しているときは415系の正面にある列車種別表示窓には何も表示されていない。おそらく「快速」の表示が無いか、または直流電車やE501系の快速は列車種別無表示に合わせているのかもしれない。これは中央線の快速と同様な表示である。取手以北は「普通」と表示されるのだろう。
 これによって、千代田線との直通運転開始後から30年余りにわたって、「各停」と「快速」さらに、快速より停車駅が少ない「普通」の混在が解消された。こうなると、「中電」という呼称もそのうち消えてしまうのかもしれない。
2005年1月26日 (水) 降雪
 今朝は雪が降った。多少行きが舞った日はあったけど、近くに停めてある車のガラスが白くなるような雪は大晦日以来かもしれない。早朝から昼過ぎまで降っていたが、幸いにして積雪にはならなかった。雪が降るとうんざりするのは大人の証拠だろう。きっと(ほ)は雪が珍しくて喜ぶかもしれないな。
2005年1月25日 (火) 定食屋さん
 今日は(い)は休暇を取り、(ほ)の面倒を見ていた。昼間に家族で近くの定食屋さんに行った。年末に開店した新しい店で、(ま)は先週に近所のママ友と初めて食べに行き、なかなか良かったとのことだった。何だか学食のような雰囲気で手軽に利用でき、料金も比較的安かった。また行ってみることにしようっと。
2005年1月24日 (月) 横浜市の人口
 最近の新聞に横浜市の将来の人口予測が載っていた。現在の人口は356万人弱。面積が約425平方キロだから、人口密度が1平方キロ当たり約8300人である。それが、2020年のピーク時には375万人まで増えると予測されている。横浜市よりも人口が多い都道府県は、東京、大阪、神奈川(当たり前か)、愛知、埼玉、北海道、千葉、福岡、兵庫の9都道府県しかない。残りの4分の3以上の府県は横浜市よりも人口が少ないのである。
 (い)が子供の頃、今から25年前に、横浜から引っ越す直前には280万人位だった。これが四半世紀で75万人増加した。島根県の人口と同じくらい増加したわけであろう。この四半世紀で首都圏、近畿圏の衛星都市の人口増加率は軒並み鈍り、横浜市もご多分に漏れないが、この間に75万人も人口が増えた市町村は無い。
 しかしながら、南部の港南区、磯子区や中部の旭区などはすでに人口の減少が始まっているらしい。大規模開発が行われなかったため、少子高齢化の影響を受けたとか。今後は人口減少に転ずる区が増えるようである。
 最近は「平成の大合併」で新潟県の上越市のように13もの市町村が関わる大合併が見られる。しかし、大阪市と堺市と東大阪市の合併でもない限り、横浜市の人口を追い抜かすことは無い。日本で最も人口が多い市という地位は安泰のようだ。
2005年1月23日 (日) 高崎線特快
 以前、湘南新宿ラインの特快は大宮以北が遅いというネタを書いた。大宮を4分前に先着する普通車を鴻巣まで抜かないのはなぜかということである。北本に停車せずに、桶川で緩急接続させればアーバンと同様に大宮〜熊谷間を28分運転できるということだ。これには185系特急との所要時間の絡みもあるようである。
 E231系のランカーブのダイヤだと、赤羽〜大宮がノンストップで11分である。大宮以北は快速アーバンのダイヤであるが、この列車はE231系の限定運用か211系との混用かどうかは不明だが、大宮〜熊谷間が上尾、桶川、鴻巣停車で28分である。大宮で1分停車しても、赤羽〜熊谷間約51キロは40分で走破できる。仮にこのダイヤが211系との混用だとすると、E231系のランカーブを生かせばもう少し速くなるかもしれない。
 一方、185系の特急草津などは赤羽を出て浦和、大宮、上尾、鴻巣停車の列車で42分掛かる。185系は113系と同じモーターとギア比で、ブレーキが増圧されている。限流値が上げてあるかは不明だが仮に同じだとしよう。運転最高速度は110km/hで、加速性能は重量が重い分113系よりもは劣る。それに加えてドア数が少ないので乗降時間が長い。どうみてもE231系の敵ではない。快速「アーバン」は浦和停車なので、赤羽〜大宮間を15分掛かるが、これも211系のランカーブのダイヤだと思われる。E231系のランカーブだと30秒程度は速くなるだろう。
 ということで、高崎線の特快は185系に遠慮しながら走らないといけない「特別」な事情を持った「快速」なのかもしれない。
2005年1月22日 (土) マリンライナー
 2003年秋のダイヤ改正からマリンライナーは213系から223系5000番台&5000系にバトンタッチされた。それにより、最高速度が130km/hに上がり、所要時間も短縮された。停車駅が多いので特急よりは所要時間が掛かるが、最高速度は新2000系を除いた特急よりも速い。そして、213系は伯備線など他の線区に転出した。また、四国側にクロを連結した編成はクロを撤去のうえ、中間電動車を先頭車化してMTの2連で走ることになった。
 中国地区には213系以外にも2ドア転換クロス車が多い。115系3000番台や117系、117系中間MM'を115系化した115系3500番台、そしてこの213系である。特別料金を取らずに転換クロスシート車に乗れるのは関東の人間から言わせると羨ましい限りである。関東で特別料金無しの転換クロス車は京急の2100系しかない。2100系は内外装ともに素晴らしい電車であるが、近くを走っていないので、なかなか乗る機会が無い。
 マリンライナーのモデルチェンジのお陰で転換クロス車が増えるのは良いことだが、転用先が無かったクロ213やクロ211が試験車を除く全てが廃車になったのは少々残念である。今回登場した、5000系のダブルデッカーもクロ213や211のように転用先が無いまま廃車になるのだろうか?更新時期がちょっと気になる。
2005年1月21日 (金) 光通信
 プロバイダから光通信に切り替えないかというセールスの電話があった。料金も現行と変わらず、一年間のサービス期間で初期費用も回収出来そうである。導入するか否かはもう少し慎重に検討したいと思う。
2005年1月20日 (木) マスコミのケンカ
 ここ数日、某国営放送と某大手新聞社が報道内容を巡って対立している。本来、この内容について、色々とコメントしたいと思っている。しかしながら、この対立の原因が東京駅から真西に1キロほど進んだ場所に住んでいる人がらみなので、コメントすると自らを危険にさらす恐れがあるのでやめることにする。残念ながら、この国は言論の自由はあまり保障されていないようだ。
2005年1月19日 (水) 蟹田〜木古内間
 普通乗車券のみで乗れる駅間平均速度が高い列車が走る区間(以下「最速区間」)はどこかといえば、これまでは関西や名古屋地区の新快速の運転区間のどちらかだと思っていた。しかし、昨年秋のダイヤ改正で津軽海峡線の快速「海峡」が廃止になってからは蟹田〜木古内間の特急列車しか走らなくなり、自由席が普通乗車券のみで乗れることになった。
 青函トンネルを含むこの駅間を無停車で最高速度140km/hを出す「スーパー白鳥10、21号」は92.2キロを47分で走破する。もっとも、時刻表の場合、両駅の時刻が秒単位を切り捨てた発車時刻を表しており、停車時間や秒単位での発車、到着時刻が判らないが、仮に所要時間が47分ちょうどだとすると平均速度は117km/hとなる。
 在来線最高速度160km/hで走る北越急行の「はくたか」は、直江津〜十日町間50.7キロを28分、平均速度108km/hで走り、これが「最速区間」かと思われる。直江津〜越後湯沢間のノンストップの列車だと上越線区間が遅いので、84.2キロを48分、105km/hに落ちる。その他北陸本線の「サンダーバード7号」は京都〜福井間148.1キロをノンストップで1時間18分、113km/hで走る。また、「スーパー北斗1号」は、東室蘭〜苫小牧58.0キロを30分、116km/hで走る。また、その他の「スーパー北斗」は苫小牧〜登別間40.5キロを21分、115km/hで走る列車が何本かある。これらの列車の厳密な所要時間は判らず、「スーパー北斗」あたりは逆転の可能性もあり得るが、分単位で見る限りでは、「スーパー白鳥」の他に駅間平均速度117km/h以上の列車は無い。
 ということで、蟹田〜木古内間は普通乗車券で乗れる「最速区間」であり、最速を叩き出す列車は「スーパー白鳥10、21号」だと思われる。また、場合によっては全ての在来線の中でも「最速区間」かと思われる。ただし、いずれの「スーパー白鳥」の最速列車に普通乗車券のみで乗るには10号の発駅かつ21号の着駅である木古内での宿泊が伴うかと思われ、考えようによっては却ってコストの高くつく結果になってしまう。…というのは、木古内で10号に乗ろうとしても、同日のそれより先に木古内に到着する普通列車はなく、また、木古内で21号から降りても、同日にそれより後に木古内を発車する普通列車は無いからである。
2005年1月18日 (火) 津波の画像
 最近、スマトラ沖地震の津波の画像をインターネットで見た。報道によれば最大波高でも10m程度ということだったが、その画像では20階建てのビルよりも高い波が押し寄せているのである。暇な人がインチキ画像を作ったものだと思った。どうせなら本当の画像を載せてもらいたかった。やれやれ…。
2005年1月17日 (月) 阪神淡路大震災10周年
 今日は阪神淡路大震災からちょうど10年ということで、各地で慰霊行事が行われた。我が家では最近、地震による被災を想定し、所謂防災グッズを買い集めている。「備えあれば憂いなし」というが、近い将来起こるであろう、東京の直下型地震に備えたいと思う。
2005年1月16日 (日) のんびりな一日
 今日も一日雨。昼間に隣町のショッピングモールへ行き、蛍光灯等の雑貨を買って帰宅。それ以外は昼寝したり、食事を作ったりしてのんびりと過ごす。ただ、この週末に少し食べ過ぎて、体重が増えたので、明日から食事威厳しないと…。それに明日から仕事なので、今日は夜更かしせずに早く寝ようっと。
2005年1月15日 (土) 新型セビル
 最近、外車についての情報収集を怠っていたため、「浦島太郎」状態になってしまった。特にアメ車は欧州車にくらべて新聞の宣伝も少ないので、よく判らないのである。どうやらコルベットはC6が輸入されて、排気量も従来の5.7リッターから6リッターになっていた。
 コルベットのモデルチェンジはある程度予想はついていたものの、セビルについては、もう少し後だろうと思っていた。しかし、昨年秋に登場した2005イヤーモデルからは新型となっており、STSという名称に変わっていた。もっとも、STSは以前からあったセビルのスポーツグレードで、その名称が車名になったのである。
 デザインは弟分のCTSと従来型セビルを足して割った感じである。エンジンは従来からのノーススターの4.6リッターV8とCTSと同様の3.6リッターV6の二本立てとなった。また、駆動方式がFRとなり、FFが売りだったセビルの一大転換となった。更にFRベースの4駆も登場した。これで、ベンツSクラスやBMW7系、レクサスLS430と同じ土俵で勝負することになった。全長はおそらくアメリカ用と輸出用で変えていると思われる。輸出用はバンパーが短く全長5mを切っている。おそらくアメリカ用は本来の長さであろう。
 外国では本当に弱かったキャデラックのイメージを高めたのがこのセビルである。名称は変わったが、今後も引き続きキャデラックのイメージアップの役割を担うのではないかと思われる。
2005年1月14日 (金) ガソリン代値下がり2005
 原油価格高騰の影響でしばらく高値が続いていたガソリン代だが、ここにきて値下がりしてきた。いつも使っているセルフのスタンドでは年末からしばらくの間はレギュラーが税込みで108円だったが、10日には106円にさがり、本日は104円になっていた。また、そこのスタンドはクレジットカードで給油するとリッターあたり3円安くなるので、税込み101円、税抜きだと96円ちょっとである。
 ガソリン代が下がったのはありがたいが、我が家の軽は所謂「チョイ乗り」利用が多く、なおかつ渋滞にはまることが多い。したがって、軽とは思えない燃料消費率が発生する。本日の給油では210kmで27リッターも入ってしまった。リッター7.7キロである。マーク2の渋滞に巻き込まれないときの街乗り燃費と同じくらいである。ガソリンタンクに穴があいているとか、エンジンの調子が悪いのかと疑いたくなるが、長距離を走るとリッター15キロ程度走るので、これは走り方の問題かと思う。もっとも、この軽は3速オートマで直結機構がないため、機構的にも燃費は良くないんだけど。でも、我が家にとって、無くてはならない大事な軽自動車。今年は車検だし、今後も大事に乗り続けたいと思う。
2005年1月13日 (木) またまた小田急
 昨夜の日記を書きながら小田急のHPを見ると特急の新宿〜小田原間の最速列車の所要時間が62分となっていた。お!これは、3100系が昭和38年に登場した時の小田急史上最速と同じではないか!もっとも、厳密に言えば秒数が不明なので、本当に同じかどうかは判らないが…。
 当時、どの程度の本数が最速列車かは判らないが、今は僅かに下りの1本だけである。その他の列車は下りが概ね67〜68分、上りだと72分程度掛かる。過密ダイヤの中で色々工夫しているでしょうが、最速列車の運転本数をもう少し増やしても良いのにと勝手に思ってしまう。新百合ヶ丘あたりまで複々線にして、なおかつ急行等が特急を待避出来る線路を作れば、もしかしたら大半の特急が上下線とも65分以内で新宿〜小田原間を走れるかもしれないな。
2005年1月12日 (水) いつのまに快急が・・・
 どうやら昨年の暮れに小田急が複々線化の完成によりダイヤ改正が行われたようだ。複々線の既開業区間は和泉多摩川〜喜多見で、今回開業区間が喜多見〜世田谷代田である。予定では東北沢まで複々線化するので、世田谷代田〜東北沢間が未完成区間である。どうやらこの区間も昨年暮れに工事着手したようで、早ければ後8年で完成する見込みである。
 さて、ここで、目玉の新種別が誕生した。快急である。快急は昭和40年代初頭にあったようだが、急行の増発や特急への格上げなどで廃止されたらしい。これは主に湘南新宿ラインへの対抗策のようで、1時間に1本走る小田原線筋よりも1時間に2本走る江ノ島線筋の方が運転本数が多い。ちなみに、最速列車は新宿〜小田原間82.5kmを82分、(850円)新宿〜藤沢間55.4kmを53分(570円)で結び、表定速度は両方とも60km/h強である。
 ライバルとされる湘南新宿ラインの特快の最速列車は新宿〜小田原間約87.5km(大崎〜西大井の実際の距離約2.5km)を72分(1450円)で結び、新宿〜藤沢間約54.7km(計算方法は新宿〜小田原間と同様)を48分(950円)で結んでおり、表定速度は小田原までが約73km/h、藤沢までが約68km/hである。
 いずれも、湘南新宿ライン特快の方が、小田急快急よりも所要時間で約1割早く、値段は約5割高い。車両はE231系近郊型と小田急2代目3000系増備車なら、同じ東急車輛製で、ほぼ同じである。
 そんなわけで、新宿〜藤沢、もしくは小田原に限定して乗るなら小田急の快急の方が有利かと思われる。しかし、両端にJRの区間がある場合、つまり、池袋〜茅ヶ崎間の利用のような場合だと、両端でJRの運賃を加算し、乗り換える必要も生ずるので、JRの特快が有利かと思われる。
 湘南新宿ラインと勝負することになった小田急の「新生」快急。今後も永らく活躍し、停車駅増加で速度が遅くならないことを祈りたい。
2005年1月11日 (火) 早寝早起き
 昨夜、夜9時半過ぎに床についたため、朝の目覚めは良く、一日快適に過ごせた。これからも毎晩早く眠るようにしようっと。でも、今日は無理だったな。
2005年1月10日 (月) 成人の日
 いつしか、成人の日はハッピーマンデーの影響で、1月15日ではなくなった。それと同じ頃から、一部の不届き者が会場内外で騒ぎ立てて秩序を乱す行為が報道されるようになった。また、青年の主張やら、それを改称した青春メッセージやらがなくなり、新成人が自分の主張を弁論形式で話す機会も無くなったようである。
 過去の新成人は式典がつまらなくても騒ぎ立てなかったし、警察の面倒をかけるようなことなど無かった。これは今では、目を覆いたくなるような始末である。少なくとも、こういう不名誉なことを報道機関がよってたかって報道すれば、不届き物の思う壺のような気もする。大多数の善なる新成人のイメージを一部の不届き者が壊すのは現に慎まれる行為であり、来年にはこのような報道が聞こえてこないことを祈る。
 社会の規範となるべき地位にあると思われる人間が汚職や不正を繰り返すこの世の中では、新成人にだけ奇麗事を押し付けても戯言のようにしか聞こえないのだろう。全国全ての自治体で平穏な成人式を行うには、全ての会場に相当数の武装した機動隊や自衛隊が厳戒する必要もあるかも。来年も平穏無事で終えるのは無理だろうな。
 かく言う(い)も湾岸戦争勃発の危機が迫る頃に行った成人式では、会場には入らず記念品だけもらい、さっさと会場を後にして翌日の後期試験に向けて勉強したことを覚えている。
2005年1月09日 (日) スキーの計画
 (い)はスキーは好きなのである。人並みにできるというか、遊んでいて他人の足を引っ張らない唯一のスポーツがスキーであると言って良い。ま、概して言うならばあまり運動は得意ではない。
 (ほ)が生まれてから一度も出掛けていなかったので、この冬は久々に行くことにした。ようやくここにきて積雪量が増えてきたので、徐々に滑れるスキー場もそれに合わせて増えてきた。久々に泊りがけでも良いが、さすがに休暇を取ってまでは出来ないから、一泊後更に一日休みがある2月の連休を想定した。しかし、仲間内ではなかなか都合が合わず、その日は無理になった。ま、妻子を家に置いて出かけるので、スキーの後は一日くらい休暇を取って家族サービスでもしようっと。
2005年1月8日 (土) ちんかんちぇん
 最近、(ほ)は「電車でGO!山陽新幹線編」がお気に入りである。(い)がパソコンでHPを作成しているときに部屋に来ると、机をいじりたがって作業がはかどらないので困っていた。そこで、黙って座らせるために「電車でGO!山陽新幹線編」の「スライドショー」というコーナーで、新幹線の写真を見せておいたのが始まりであった。それ以来、いたく気に入ったようで、休日に(い)がいるのがわかると「ちんかんちぇん」と言って、スライドを見せろとせがむのである。最近は飽きてくると困るので、駅弁のスライドや観光写真のスライドも見せている。駅弁が出てくると「おべんとう」と言って喜ぶ。なんて娘だ…。
2005年1月7日 (金) 寒い一日
 寒に入り、日中でも10度を越えない日が増えてきている。やはり冬だから仕方ないことで、なおかつ、寒くなってくれないと困るものである。地球温暖化で暖冬傾向が続くと言われているが、スキーをやるのが好きな(い)にとっては冬に雪が降ってもらわないと困るのである。そんなわけで、少々寒いが、寒気が来て日本海側の山岳地帯に積雪をもたらしてくれるのは歓迎している。
 ただ、もう少しスキーに行く予算と暇があると嬉しい。
2005年1月6日 (木) 3S-GEエンジン
 我が家の近くにトヨタネッツ店が出来つつある。販売車リストにはまだアルテッツァが載っていた。確か今年の夏頃にレクサスIS250や300となる筈だが、それまでは継続販売するのだろう。とすると、吸排気DUALVVTi搭載の3S-GEエンジン最終形もまだ健在である。
 3S-GEエンジンは1984年頃、初代FFカムリ(セリカの名前が取れたカムリ)と兄弟車ビスタのマイナーチェンジの頃に日本のFF初の1気筒当たり4バルブのツインカムエンジンとして登場したと思う。それまで、カムリ・ビスタは1980年に1.8リッターでキャブレターの1S-LUエンジン(グロス100PS)から始まり、後に2リッターでEFIの2S-ELU(グロス120PS)が追加されたと思う。(い)は大人し目の室内が広いファミリーカーだと思っていたが、マイナーチェンジでいきなり160PSのこのエンジンが登場したから驚きであった。
 1984年当時でグロスの160PS以上を出していたエンジンと言えば、同じトヨタの2リッターならGX81系マーク2系以上の各車に積まれていた6気筒の1G-GEU(160PS)と、GZ10系ソアラ後期形インタークーラーターボM-TEU(160PS)、また、日本初のツインカムターボだった1.8リッターの3T-GTEU(160PS)、それにクラウン、ソアラ、セリカXXに搭載の3リッターの6M-GEU(170PS)とセンチュリー用の唯一のV8(195PS)位しかない。日産ではスカイラインやシルビア・ガゼール…こんな車あったなぁ…のRSに搭載のFJ20ET(190PS)や日本初の本格的乗用車用V6のVG30E(180PS)同ET(230PS)、同20ET(170PS)、三菱の「シリウスダッシュ」と呼ばれたSOHC3バルブターボの4G63(200PS)あたりしか無いと思う。
 とにかく、2リッターでノンターボで160PSを出すのはトヨタの4バルブツインカム2機種しか無かった時代である。それが純然たるファミリーカーのカムリ・ビスタに積まれたのだから驚かないわけが無い。(い)にとってはそれだけ衝撃的なことであった。
 翌1985年にはST160系「流面系」セリカに積まれ、表示方式変更でネット140PSとなった。当時、ネットはグロスよりも15%程度数値が低いと言われていたが、100PS以上の場合は各社とも5の倍数で馬力を表示していたので、厳密な数値は判らない。また、同時に登場した、カリーナEDにも搭載された。また、セリカにはターボ付きの3S-GTE(この頃から横置きエンジンに付けられていたLの文字やおそらくユニットの略のUの文字が取れた:185PS)も登場し、パワー競争が加熱してきた。
 更に、1989年には工作精度の向上とハイオク対応によりST180系の3S-GEは165PSとなった。ハイオク用エンジンにレギュラーガソリンを入れるとどれだけ馬力が落ちるかは定かではないが、ターボ無しで25PSも上げたと思ったものである。もっとも、発生回転数は140PS仕様よりも当然高いことは言うまでも無い。その頃がバブルの絶頂期で、車の内装にかなり金が掛かっていたと思われる。
 バブルがはじけた1993年に、ST200系が登場し、3S-GEは180PSとなった。このときからAT仕様がMT仕様よりも回転数が下がった関係で馬力が10PS差がつき、4WDは駆動抵抗の関係で更に5PS差がついた。
 1997年にはST200系のセリカ系はモデルチェンジを行わなかったが、ST200系の所謂「3形」として登場し、3S-GEは連続可変バルブタイミング機構「VVTi」の搭載でとうとう200PSの大台に達した。1993年仕様と同様にAT車と4WD車には馬力差があった。もっとも、2リッターで200PSは1994年頃にギャランの可変バルブリフト機構「MIVEC」付きV6エンジンが達成していたので、あまり驚くことも無かったが、140PS時代を知っている(い)にとっては「ついにここまで」という感が拭えなかった。
 そして、1998年秋、ようやく冒頭のアルテッツァが登場し、最終形のデュアルVVTi仕様、MT:210PS、AT:200PSが登場したのである。
 現在、セリカは1.8リッターの2ZZ-GE、1ZZ-FEに置き換わっている。かつてセリカの兄弟だったカリーナEDやコロナエクシヴ、カレンは無く、MR2もMRSになってセリカと同じエンジンを積んでいる。最初にこのエンジンが搭載されたカムリ・ビスタも1994年に登場したモデルから搭載されなくなり、ビスタはアベンシスとなった。ST170・190系で一時的に積まれたコロナも今はプレミオとなっている。ST190系から搭載が始まったカルディナはターボつきの3S-GE(260PS)はあるものの、ノンターボは直噴の1AZ-FEのみが2リッターである。すなわち、アルテッツァが唯一の3S-GE搭載車であり、モデルチェンジは目前である。20年以上も改良の上製造が続けられ、もはや風前の灯になってしまった「名機」3S-GEが無くなってしまい、かつ、これといった後継エンジンが無いのは寂しい限りである。
2005年1月5日 (水) 全長
 ここ二日間(い)を悩ましていた胃の痛みがようやく収まり、何とか復活。今日は(ほ)を病院に連れて行ったので、途中で京成線の踏切を渡る。さすがに上り線の高架化は踏切時間の短縮に貢献したようで、付近の道路の踏切待ちと思しき渋滞が緩和されている。通過したのはおろしたての3013Fであった。
 ところで、京成線の車両の全長はスカイライナーの先頭車などごく一部を除き18mきっかり。これは地下鉄浅草線相互乗り入れ用の共通規格であり、都営はもちろん京急や北総等他車もこの規格に準拠している。関東の大手私鉄の場合、都営浅草線絡みの京急、京成を除く全社(東急、東武、西武、小田急、京王、相鉄、東京地下鉄)が特急用や日比谷線以前の地下鉄乗入れ車両を除き車体長19.5m、全長20mを標準寸法としている。これは国鉄・JRの近郊型・通勤型電車と同寸法である。全長とは連結器から連結器までの長さのことであり、車体長は車体の端から端までの長さで、連結器の長さにもよるが全長よりも約50〜75cm短い。
 関東の20m車は先頭車等のごく一部を除き20mちょうどだが、この長さはJRや地下鉄と地下鉄乗入用車両を除けば関東の一部の大手私鉄しか採用していないことがわかる。関西の20m車は近鉄と南海に存在する。車体長は20mだが、全長はそれよりも約75cm長い。また、それ以外では20m車自体が存在しない。それ以外の私鉄車両の長さと言えば全長18.7〜19mの車である。ここでは強引に「19m車」と呼称するが、この19m車の中でも18.7mの車両は車体長が18mちょうどではなく、18.1〜18.2mなのである。19m車は名鉄、阪急、京阪、阪神、山陽、西鉄等で見られる。それではなぜ西日本には20m車ではなく19m車が増えたのだろうか。
 (い)が思うに、これは戦後の私鉄割当用国電のモハ63形と地下鉄乗入れの影響があると思われる。関東でモハ63形を導入しているか、地下鉄に乗入れている会社で、現在も20m車が無い大手私鉄は無い。関東以外では名鉄や山陽にモハ63形が導入されたが、あまり長続きせず、譲渡や短期間の使用後の車体更新などにより消えている。西日本で唯一モハ63形の影響を受けたのは南海で、その後の全鋼製車1521系、カルダン車6000・7000系は全長20.7m片開き4ドア車である。また、地下鉄乗入れでは名鉄が100系など、ごく僅かだが20m車を導入している。関西では各私鉄が中心部にターミナルを持ち、地下鉄乗入れを積極的に行わなかったこともあり、地下鉄乗入れによる20m車が発生していない。しかも、大阪市営地下鉄では30系以降18m車を標準にしているので20m車が無い。更に同地下鉄はサードレール方式が標準で、当初から他車との相互乗入れには消極的であり、俗に「モンロー主義」と呼ばれていた。現在も堺筋線と阪急京都線、千里線が乗り入れしているだけに過ぎない。
 そうすると、車体大型化を進めた結果、なぜ19m車に行き着いたかである。関東でも東急は初の20m車である8000系は地下鉄乗入れに結びついていない。かつて三田線に乗入れる話もあり、三田線の6000形が20mだったが、8000系は車体寸法は同じであっても乗入れ対応車ではない。ただ、亜種の8500系は当初から地下鉄半蔵門線乗入れ用として製造されている。また、他線区による20m車の威力を見せ付けられていたことは事実であろう。
 しかしながら、西日本の私鉄各社は20m車には行き着かず19m車に行き着いた。名鉄、山陽はモハ63形を導入したが当時の各社の車両限界を考えると大きすぎた。山陽には架線柱を削って試運転をした話もある。その他、近鉄や南海を除く各社は戦後もまだ小型車や中型車が残っており、戦災復旧には17mの運輸省規格型車両を導入した。その後の通勤客増加でも京阪5000系などごく一部例外を除き3ドア車が主流となり、ドア数が4つ以上の車の採用には消極的であった。20mで3ドアだと乗降時間があまり短縮できない。20mで3ドアの通勤車と言えば西武101系等が有名だが、ラッシュ時の乗降時間が長いため、最近は4ドアの9000系に更新改造されている。また、戦後の17m車にあわせたインフラを持った各社にとって20m車の導入は大幅な曲線改良の必要も生じた。そこで、何とか現存のインフラで走行可能で、3ドアでもラッシュ時に何とか使える19m車に達したのではないかと思う。
 もっとも、ここ10年で西鉄は19m4ドア車を導入したが、それ以外ではまだ19m3ドア車が西日本の大手私鉄の標準である。列車の全長も簡単に決められる物ではない。各社の経緯や伝統を読み取ることが出来る要素の一つであると(い)は思う。
2005年1月4日 (火) 続・腹を壊す
 昨夜の腹痛は今日になっても直らなかった。熱もまだ収まらない。職場のスタッフに風邪をうつすことだけは何とか避けたいので、結局仕事始めから休暇となってしまった。一日中気分が悪く、果物などしか食べなかったが、夜に胃薬を飲んだら少しマシになった。熱も昼前には収まり、風邪ではなく腹痛が原因の発熱だと思った。明日は仕事に出られるかな?
2005年1月3日 (月) 腹を壊す
 本日、1日に一度諦めた初詣のやり直しに行く。さすがに3日ともなれば参拝客がかなり減ってくる。参拝までの待ち時間も1日は1時間以上掛かりそうだったが、今回は数分待つだけで良かった。
 我が家の今年の正月は「寝正月」だったので、三が日の終わりくらい何か外食でもしようということで、近くの回転寿司屋さんに行った。(い)はここ半年間の減量が功を奏したのか、食事量も以前に比べるとかなり減ってきた。以前なら10皿以上は平気で食べていたが、この頃は7〜8皿で腹いっぱいになる。今日も8皿で止めて帰宅した。
 帰宅後、何だかかなり胃がもたれる。むかむかして吐き気がする。結局4回吐いてしまった。すしの食べすぎが腹痛の原因かどうかは判らないが、胃の中が空っぽになるくらい吐いたような気がする。自分では普段から胃が強いと認識しているので、いざ胃の具合が悪くなると性質が悪い。更に発熱もして、軽い脱水症状も併発してしまった。明日は仕事始め。出勤できるかな?
2005年1月2日 (日) 渋滞
 本日、(ま)の友達家族が来るので、道路の渋滞状況をインターネットで調べてみた。正月の初詣や行楽の車が多いのか、かなり渋滞しているようである。
 正月は、普段車を運転しない人や、帰省等で不慣れな場所を通る人がいるので、平日に比べると車の流れも違うのだろう。業務用の大型車が減る反面、小型車の量は明らかに増えるだろう。不慣れなドライバーが多いと事故も増える可能性もある。結局(ま)の友達家族も途中で何度も事故渋滞に出くわしたようだ。
 せっかくの正月の行楽、帰省で事故を起こすのはとても後味が悪い。今年は特に外出の予定もない我が家であるが、車の運転は十分気をつけたいものである。
2005年1月1日 (土) 新年
 今日から2005年がスタートした。
 今年は皆が幸せを感じられる年になってもらいたいと思う。我が家でも今年の幸せを祈願しに近くの神社に出掛けたが、参拝客の多さに断念し、改めて3日迄に出掛けることとした。京成電車は行きが3200形、帰りは3500形の更新車であった。
 最近では元旦でも店が開いているので、あまり正月らしさを感じられなくなった。しかしながら、正月から仕事をしたいのかな?公共交通機関や郵便局などが仕事をしているのはわかるが、商店などは正月から営業しなくてもあまり問題ないと思うが…。それとも、正月から店を開けて儲けようと思っているのだろうか?確かに正月はあまりやることがなくて暇だから、ショッピングの需要があると思うが、従業員は本当に正月から仕事をしたいのだろうか?顧客サービス重視も良いが、もう少し従業員のことを考えても良いのではと思う。休みたいと思っていても雇用状況が不安定な人はそんなこと口に出せないだろうし…。もう少し働く人というか従業員の権利…というといかにも政治臭くなるのであまり書きたくないが…が見直されても良いかな。従業員あっての会社なんだからね。
 そんなわけで、今年も一年平穏無事かつ幸せに生活できますように。

2004年12月 2005年2月