バッハの予感とグールドの回想
@(この内容はフィクションです) これから先は、ゴールドベルク変奏曲にまつわるすべてのことをカノンの構成にあわせて、バッハとグールドに語っていただこうと思います。それぞれのお話は史実に基づく幹の部分とそこから自然にのびた枝や葉の部分からなっています。全体としてはフィクションですからそのつもりで楽しく読んでいただきたいと思います。
バッハ グールド
よく来たね !
今は
同度カノン
2度カノン
3度カノン
4度カノン
5度カノン
6度カノン
7度カノン
8度カノン
9度カノン
クオドリベット
アリアダカーポ
同度カノン
J.S.Bachの予感(1742年2月)
「私はかねてから相当の規模の変奏曲集を作曲することを思いたっていた。これまで作曲した多数の曲のなかで、変奏曲を深く追及したものがなかったからだ。しかし、なぜか将来、その変奏曲集がイニシャルGに関わりのある演奏家によって、私の作品の中でも代表的なものとされるような予感がしたこともあり、それならばとGで始まる主題を使うことにした。そして、丁度その目的にかなった主題として、アンナ・マグダレーナの音楽帳にかつて妻が書留めていたサラバンドを見つけ出した。主題のアリアとした、このサラバンドの冒頭の音は、G3及びG5midiである。」
「しばらくして、カイザーリンク伯がライプツィヒの我が家にたち寄られたとき、伯爵から御自身の不眠症を和らげるような曲の依頼があった。伯爵は御子息がライプツィヒ大学の学生であったので、この1、2年はたびたびライプツィヒのまちを訪れていたのだった。不眠症対策という意味では、変奏曲はきっとそれなりの効果を発揮するであろうと考え、作曲途上にあったこの変奏曲集を完成させ、伯爵に贈ることとした。考えてみると、伯爵の屋敷では私の優秀な弟子の一人であったヨハン・ゴットリープ・ゴールドベルクすなわちG.G.が専属の音楽家となっている。ゴールドベルクが演奏することになれば、私の予感は実現することになると思った。」
「後に、ゴールドベルクが伯爵の屋敷で夜の眠りの時以外にも、伯爵の親しい集まりにおいても、この変奏曲集の素晴らしい演奏をしているとの話を聞くようになった。伯爵は、「私の変奏曲」といっていたようだが、すでにこの楽譜が出版されていて、世間ではゴールドベルク変奏曲という名称が広まってきた。私自身もこの曲がGの変奏曲あるいはゴールドベルク変奏曲として後世に伝えられるのであれば、それも良いであろうと考えたのである。」
「また、遠い将来あらたに、GなりG.G.の名前を持つ演奏家が現れ、天地に再び、この変奏曲で安らぎを与えるであろうという気がする。その時にはその演奏家の名前を新たに冠してこの変奏曲が呼ばれるようになれば良い。」「さて、あの同度カノンmidi・mp3(第3変奏)では、ひとつの旋律が1小節を隔てて、重なり合うものだ。曲想は明るく軽やかで、心を穏やかさをもたらすであろう。時を隔てて自らが自らに重なり合うことのある種の重苦しさを癒してしまおうと思ったのである。」@
グレン・グールドの回想 (1982年2月) 「私が、ゴールドベルク変奏曲をデビュー曲にした理由は、まだ誰にも知られていない。私自身もこれまでそれについて語ったことはない。それは、表現してしまえば余りにも単純で、謎とか秘密とか言うのも少し気が引けるからだが、表面上のことはともかく、その意味するところはとても深いのである。フーガの技法の主要な4音がBACH(変ロ、イ、ハ、ロ)となっているように。」
「私は皆に話好きな人間に思われているが、実は肝腎のところは口にださない性格であった。話したことはすべて本当のことだが言わないでいたこともまた多いのである。」
「すでに30年以上前になるが、初めてゴールドベルク変奏曲の楽譜を見たとき、即座に『これは私の変奏曲だ。』と心の中で叫んでしまった。なんと私のイニシャルが曲の一番最初と一番最後に刻み込まれているではないか。最初の重なった二つの音も最後の重なった二つの音も、GとGなのだから。バッハはこの様な曲を私のために用意していてくれたのだ、と思った。それも2百年も前に。ゴールドベルク変奏曲のGとGの始まり方そして終り方には深い意味が秘められているはずだ。」 「ところが、資料を調べてみると、ゴールドベルクというのは人の名前だった。ヨハン・ゴットリープ・ゴールドベルクはバッハの弟子のひとりで、曲名は、その名に因んでつけられたいわゆる通称であることがわかった。」
「私は、歴史上の人物であるゴールドベルクに対して激しい競争心を感じた。と同時に、私とゴールドベルクの間に何か共通するものを見出ださざるを得なかった。ゴールドベルクはポーランドの北部グダニスクの出身のようだ。私もアメリカ大陸の北部カナダのトロントで育った。かれは当時の音楽の中心としドレスデンに移り音楽活動を行った。私もニューヨークでデビューした。ひょっとしたら、顔付きまでも似ているかもしれない。残念なことに彼の肖像画は残されていないのでそのことは確認できない。ただ彼は20歳台で死んでしまっている。彼のイニシャルにはGが二つ含まれている。私のイニシャルにもGが二つ含まれている。そうはいっても彼のJ.G.Gより、私にもミドルネームはあるが、私のG.Gをみればイニシャルの形からして、この曲については私の方がよほど正当な演奏者ではないか。ひょっとしたら彼はJr.G.G.なのかもしれない。ただし、このことは秘密にしておこう。しかしゴールドベルクというのが人の名前でなく文字どおり、ドイツ語で金の(ゴールド)山か鉱山(ベルク)だったのなら、この変奏曲の音楽的豊かさから見て納得できたであろうに。」 「この曲が子守歌として成功したのだったなら、ゴールドベルク名人はこの刺激的で辛口な楽譜を本当に忠実に弾いたかどうか、かなり疑わしい、とさへ、最初の録音の当時、私は考えた。ゴールドベルクへの対抗心はこのように強かったのだ。「この変奏曲」の正当な演奏者となるにはどうしたらよいだろうか。こうした疑問から私の演奏家としての活動が始まったのである。」@
2度カノン
J.S.Bachの予感
「私の作品で個人の名前がつけられるのはめったにない。特にあの変奏曲については、出版に際し、「クラヴィーア練習曲集 二つの鍵盤をもつチェンバロのためのアリアと種種の変奏より成る。愛好家の心を慰めるため、ポーランド国王およびザクセン選帝侯の宮廷作曲家、楽長にしてライプツィヒの音楽監督たるヨハン・セバスティアン・バッハにより作曲」と命名したわけだが、曲名としては長すぎるし、とりとめがないというわけか、この頃は皆がゴールドベルク変奏曲と呼ぶようになった。ヨハン・ゴットリープ・ゴールドベルクは確かに高いレベルの演奏を行うが、それを聴くことができるのは、カイザーリンク伯を含む非常に少数の人だけだ。評価が高いといってもそれではものたりない。伯爵個人に献呈したものではないし、とにかくもっと多くの人の目に留まり、耳に入るようにしなければならないと思い、練習曲として出版することにしたのだった。そうしているうちに第二のGあるいはG.G.が現れるであろうから。」「さて、あの2度のカノンmidi・mp3(第6変奏)で、1小節遅れて追ってくる旋律は、もとの旋律より2度高くなっているのだが、その重なりは幾重にもまたいつまでも落ちていく感覚を与えるであろう。しかし、暗い淵に落下していくのではなくて、明るい宇宙へ落ちていく気分を醸し出しているのだ。いわば,音の空間における無重力状態を経験しようというのである。」@
グレン・グールドの回想 「『実のところ、ゴールドベルク変奏曲に限って言えば、ほかの曲ほど聴く気にはなれない。おそらくは、聴きたくてたまらなくて聴くというよりは、義務で聴く、という感じなんだ。』などと表向きには言ってきたが、つまり、この曲は『私の変奏曲』であって、私が聴く曲ではなく、誰かに聴かせる曲なのだし、録音の完成時には自分でもこれは最高だと感じていたのだが、発売後この演奏を耳にするとどうも違和感を感じざるをえなかったのだ。こうしたことは、まだ、誰にも打ち明けたことはない。」
「いま考えると最初のゴールドベルク変奏曲の録音では、『私の変奏曲』という意識が強く出過ぎていて、この曲のもう一つの面である癒しの要素が抜け落ちていることがわかる。当然、かのゴットリープ・ゴールドベルク君をこてんこてんにやっつけてやったには、違いないが、やっつけるほうに夢中になって、本当にこの曲を『私の変奏曲』にするという取組みが欠けていた。レコードセールスの面では申し分なかったけれど、こうした欠点があったため、誰もこの曲の名前を変えて『グレン・グールド変奏曲』にしようとは言わなかった。バッハにしても、『ゴールドベルク変奏曲』という名を自分で付けたわけではないのだから、『グレン・グールド変奏曲』になっても反対する理由はないと思うけれども、これは絶対に自分からは言い出せないことだ。」@
3度カノン
J.S.Bachの予感
「不眠症(INSOMNIA)には私自身はなったことがない。逆に眠らずに作曲や写譜の仕事をしなければならないことが幾度となくあった。そのせいか今ではかなり視力が減退してしまっている。たいていの場合にはアンナ・マグダレーナが手伝ってくれたので、かえっていい思い出になっていることが多い。また、曲想が浮かべば寝る気になれず目がさえて楽譜や時には鍵盤に向かってしまうこともあった。私がクラヴィアを夜更けに弾いているとアンナ・マグダレーナは起きて私の側にきて静かに聴いていようとしてくれるのだが、しばらくすると長椅子で寝入ってしまうのが常であった。それにしても私自身は眠るときには深く熟睡することができたし、ベットにはいってから眠ろうとしても眠れずにいらいらするというようなことはめったになかった。家族のことや仕事の関係で寝付けなかったこともあるにはあるが、それにはそれなりの理由のあることなので、問題が解決すれば再びよく眠れるようなったのである。」
「カイザーリンク伯の不眠症についてはお話しを聴いてかなり深刻な様子であることがわかった。当然、仕事に関しては外交のことであるから具体的なことは伯爵は話されないが、ロシアの外交官となったおさななじみのゲオルク・エルドマンからの手紙をあわせて推察すると、伯爵のお国のロシアではここ数年激動と緊張が続いているし、このザクセンといえどもプロシアとの関係では神経がすり減りそうな状況であるらしい。そうした外交の仕事を大使として日夜責任を負っていれば不眠症という病気になっても不思議ではない。」
「あの変奏曲は当初の構想段階から不眠症対策を意識して作曲を始めたものではない。しかし、伯爵の依頼に対して、丁度あの主題のアリアが適切であったのと、私が意図する変奏曲集という形式が効果があるであろうと考えたので、作曲を続けて完成次第贈呈することにしたのであった。変奏曲集といっても私が構想したのは、主題の旋律を変化させる変奏曲ではなく、基本となる和音の構成を主題として変奏曲全体の基盤とするものであった。旋律を変化させることは既に多くの曲において多様な方法で実現してきているので、そういう形での取組みをする気にはならなかったのである。この共通の基盤の上での多様な変奏は、ある旋律から際限なく変化していく普通の変奏曲集とは異なり、基本的に安定したものであって、どの変奏も回帰していく場所を心得ているのである。あたかも胎児が母の心臓の鼓動を聴きながら自由な夢をみるような、そういった変奏曲集となるであろう。それゆえ不眠症に悩む伯爵をお慰めするには最適なのである。」「さて、あの3度のカノンmidi・mp3(第9変奏)では、2度のカノンとは逆に1小節遅れて追ってくる旋律は、もとの旋律と同じ形だが3度低くなっている。曲想も2度のカノンとは逆であって、暖かく気持ちのよい風に吹かれて浮かび上がってしまいそうな気分を作り出している。このような音程差の小さい順行カノンでは重なり合わせることによって幾重にも無限の方向への動きを現出することができるのだ。2度のカノンでは無重力感、3度のカノンでは浮遊感を作り出した。」@
グレン・グールドの回想 「私自身は不眠症もあったが、それだけでなく過敏症、過剰清潔性向などの影響下にあった。いろいろな薬を常用したり、夏でもコートを着てマフラーをしたり、世間からは変人とみられていたのだ。とはいってもそういったことに一概に悩まされていたというわけではない。私の悩みは別のところにあったのだ。それは「限界」についてのことである。この変奏曲に最初に出会ったとき、すぐに「私の変奏曲」として全体を把握し尽くしてしまったと考えたのだが、その後20才を過ぎた頃には、更に進んでピアノ音楽の全体が見えてしまったと思うようになった。見えてしまうということは、すなわち限界を知ってしまうということにほかならなかった。その限界の恐怖がそれ以降私につきまとうことになったのである。特にどんな曲でも初見で演奏できてしまうことが、かえって恐ろしかった。初見演奏は技術的に高度なことと考えられがちだが、それこそ私自身がピアノ音楽のノウハウを総て導入してある機械的装置となって、楽譜がインプットされれば音楽を出力するだけということにすぎないともいえるのである。作曲という創作活動への道も閉ざされていると感じた。というのは、限界のあるピアノ音楽の世界で、総てのことが見えてしまったのだから、既に私には新たにピアノの曲を追加するすなわち作曲する必然性がなかったのである。それで、しばらくはピアノの演奏に集中してみることにしたのだった。」
「この変奏曲について、うんざりすることの多い各地でのコンサートを続けながら、演奏上で足りないものは何だろうと長い間と考えていた。「癒し(ヒーリング)の要素」だと理解できるようになったのは、演奏のリズムのシステムを認識して使い始めた頃で、最初の録音の後、5年ほどたってからだ。リズムのシステムそのものは、どの曲にも適用できるが、特にゴールドベルク変奏曲では、重要な意味を持つことが予測できた。しかし、その時点ではゴールドベルク変奏曲の録音をやり直すことはできなかった。それはレコード会社やマネジメントのせいではなく、つまり、商業的な意味でやり直せなかったのではなく、私自身まだ機が熟していないと感じられたからである。」@
4度カノン
J.S.Bachの予感
「確かに、不眠症対策のための音楽として、カイザーンク伯に初版の楽譜をお贈りしたが、あの変奏曲には2面性があって、不眠症対策のほかに、一つの調性のなかで、一つの主題を基にどこまで変化を生み出せるかという挑戦の意味もあった。それは、不眠症対策のためのものが、「癒し(ヒーリング)の要素」であるとすれば、いまひとつは、それに相反するかのようだが、「知の挑戦の要素」であると言える。いわば睡眠と覚醒、この二つの要素の融合があの変奏曲の真の意味なのである。どちらにしても音楽によって聴く人に何か安定した基盤を与えることを目指している。その上で、眠りも知の挑戦も自由にできるのだ。ただひたすら拡散していくものでなく、大地に根付く美しい自然のように自由で広々しているとともに安定した安らぎを求める音楽として考えたのだった。」
「こうしたことが理解されるときが、いつの日にか来るであろうか。わが弟子のゴールドベルクは、私が以前に指導しておいたこともあり、この二つの要素をなんとか使い分けて演奏している。だから、伯爵がおやすみの時にも、お客様を招かれた時にも、それぞれ評判になる演奏を行っている。だが、二つの要素の真の関係については理解していない。彼はまだ若い。作曲当時の私の年齢にならぬと理解するのは無理なのかも知れぬ。」「さて、あの4度のカノンmidi・mp3(第12変奏)では、旋律の最初の音が4度の差を持ち、1小節遅れて追っていく旋律はその音を基準に上下が対称になっている。この反行カノンでは音の動きが不安定になる。拡散したかと思えば密に重なり合う。聴き手の心理状態にはこうした不安定さもままあるであろう。しかし、それにしても不安定なまま崩れてしまっては困るので、第3声部にはしっかりとした四分音符を置いてスタートさせた。それでも旋律の発散する不安定さに影響されて、第3声部も動き回らずにはいられない。そうしたこともあって、4度カノンに続く第13変奏は、軽やかに動く上部の旋律で、とにかく不安な気分を取り除こうとしているのだ。」@
グレン・グールドの回想 「父や母が私とゴールドベルク変奏曲との間になにかのつながりを考えていたとは思えない。家系がノールウェイの作曲家グリークにつながるとはいってもグールドという姓は珍しいものではないし、グレンもよくある名前だ。だからG・Gというようなイメージはなかったと思う。ただし、グリークの内向的な性格は受け継いでいるかもしれない。」
「初めてゴールドベルク変奏曲に出会った時のことを話してみよう。それはバッハの平均律の練習が一通り終わってさて次の教材を何にしようかと、当時のピアノの教師だったトロント王立音楽院のアルベルト・ゲレーロが思案していたとき、偶然この変奏曲の楽譜が私の目にとまった。先生これはどんな作品ですか、と私は聴いたのだった。ゲレーロは、バッハには珍しい変奏曲の練習曲だよ、というだけで、それ以上の話はなかった。私自身はじめはこの作品の作曲の経緯にはまったく関心がなかったが、冒頭のG3,G5の鍵を押した瞬間にこの変奏曲のすべてが把握できてしまったように感じたのである。」
「そういえば、アルベルト・ゲレーロはこの変奏曲をしばしばコンサートなどで演奏していたらしい。だが、私自身はこの変奏曲の彼の演奏はコンサートでもレッスンでも聴いたことがなかった。ゴールドベルク変奏曲は既に私の変奏曲になってしまっているのに、レッスンを始めてみるとゲレーロは「ああでもない」「こうでもない」と的はずれな指示を押し付けようとするものだから、私にはもうゲレーロの相手はできなくなった。」
「18才のときには、この変奏曲をデビューレコードの録音の水準まで完全に演奏することが出来ていて、ゲレーロの指導は必要がなくなったし、かえって妨げになっていたのである。そして19才になってからはゲレーロの指導は受けずに他の曲もすべて自分ひとりで演奏を組み立てるようになっていった。」@
5度カノン
J.S.Bachの予感
「秋のある日、ザクセン選帝侯国の首都であるドレスデンを訪ねた。ドレスデンについた次の日、あの変奏曲の初版楽譜をたづさえてカイザーリンク伯爵のお屋敷に向かった。エルベ川にかかるアウグスト橋を渡って、ブロックハウスの角を左に曲がると官邸の事務所がありその何軒か先が伯爵の屋敷であった。ヨハン・ゴットリープ・ゴールドベルクにはひと月ほど前、なにかの用にかこつけてライプチッヒにこさせ、前もってあの変奏曲のレッスンをしておいた。私自身が伯爵のために演奏してさし上げてしまうと、ゴールドベルクの演奏との差を後々まで気になさると危惧して、演奏を差し控えることにしていたのだった。伯爵は楽譜を見ればすぐに聴いてみたいと言うであろうし、ゴールドベルクに演奏を命じると思う。ゴールドベルクは初見で弾く能力はある。しかし、大恩ある伯爵に、献呈とまではできぬが初版楽譜をもって贈呈することとしたのだから、ゴールドベルクにも目的を認識した演奏ができるようにしておかねばならないと思っていた。伯爵はゴールドベルクの演奏でことのほか喜んでくださった。」
「オルゴールのようなものは別として、音楽は教会へ行くか、ツィンマーマンのコーヒー店でのコンサートへ行くか、どこかのサロンで聴くか、自分で演奏する以外に、普通は楽しみようがない。また、自分で演奏する以外の場合には、曲目を自由に選ぶことは難しい。その点、カイザーリンク伯爵は特別な恵まれた環境にある。自分が求める音楽、すなわちあの変奏曲を好きな時間に何度でも聴くことができるからだ。これは音楽にとって新しい楽しみ方だ。」
「将来、多くの人にとってこのようなことが可能になれば素晴らしい。将来のG.G.が実現してくれるかもしれないという予感もある。また、楽譜から直接に音楽を感じるということも夢でなくなるかもしれない。これまでも演奏のレベルの制約で曲の内容が制限されたり、演奏のおかげで新曲が台無しになったりした苦い経験がたくさんある。熱心な演奏家によって演奏の技術は今でも次第に向上しているが、神学校のろくでもない学生たちのような連中を相手にするのはもう懲り懲りだ。」「さて、あの5度のカノンmidi・mp3(第15変奏)はこれまでのカノンとは異なりト短調である。また、4度のカノンに続いて反行としている。さらに、私にしてみれば珍しいことだがアンダンテという指定をしている。これはあの変奏曲の前半の最後の重要な位置を占めることも含めて特別なカノンとなるであろう。
やはり1小節おいて追ってくる旋律は先行する旋律より5度高く始まり最初の音を基準に上下が対称となっている。4度のカノンとは異なり不安定さを楽しんでしまう余裕はなく,冒頭の2小節で最大限2オクターブ離れた旋律の2つの声部は反行形式のカノンという制約を乗り越えて何とか重なり合い絡み合おうとする。しかし前半の16小節ではどうしても下降に対して上昇といった運動が卓越してしまった。後半の16小節では反行カノンという形式上の構成を乗り越えて深さと高さの融合に向かい、癒しと夢の共存する時間を作り出したのだ。
ここまで来て、もし伯爵がお休みになれないとしたら、本当に気の毒なことである。続く第16番変奏では、ぱっと気晴らしをせねばならない。」@
グレン・グールドの回想 「私は1955年から61年までの6年間に、この変奏曲を30回以上、モスクワやレニングラード、ベルリン、ザルツブルクを含め世界各地のコンサートで演奏した。大変な回数のように思えるが、聴衆の数を1回平均2千人とすれば、6万人ということになる。レコードの場合には、百万枚のセールスがあれば、少なくとも百万人の人が一回以上、聴いたことになる。コンサートで百万人の聴衆に聴いてもらうとすれば、この変奏曲を年間5回で1回2千人のペースでは百年かかってしまう。そういう意味ではコンサートは徒労に過ぎない。それにこの変奏曲に関していえば、聴衆はコンサートという一番眠りたくない時に、眠りに誘われるかもしれない、そのような力のある曲を聴くことになるのだから矛盾がある。もっとも、当初は私の演奏で眠りたくなる人はいないはずだと思っていたが。このように考えてくるとコンサートが辛くなり、ステージから退くことになったのである。そうしたら、コンサートからのドロップアウトの理由をいろいろ詮索する人がたくさんでてきた。確かにコンサートで旅を続けることは身体的、精神的に辛いし、「コンサートは死んだ」というようなメッセージを滲み出したこともあるが、本当はコンサートを続けるにつれてこの変奏曲の演奏が変化し、ついには聴衆の中に眠りに落ちる人が見られるようになったことが大きく影響しているのだ。眠った人がでるようになったのはステージで演奏していても分かるのである。しかし、その理由は、私の演奏が緊張感を欠いたり、弛んだりしたからではなく、より良い、演奏になったことにあるという、背反する事態だったのだ。」
「聴衆にしても、良い演奏だったからこそ眠くなったということなので、演奏に対して文句をいわなかったのだろう。だからといって、聴衆に対して居眠りをするなとか、もっと眠れともいえないではないか。例えば、コンサートホールの座席を外して、ベットをいれれば良いのだが、そうはいかない。ゴールドベルクがかって住んでいたドレスデンではこの変奏曲を演奏する機会はなかったし、たとえそうした企画が出たとしても、断っていたであろう。それでもベルリンではこの変奏曲のコンサートをしてしまった。あとで知ったのだがカイザーリンク伯爵はベルリンにもいたことがあり、必然的にゴールドベルクはベルリンでこの変奏曲の演奏を何度も続けていたはづだった。200年以上を隔てて、彼の地でゴールドベルクは伯爵一人のために眠りに導く演奏をし、私は2000人以上の聴衆を眠らせないように頑張っていたというわけだ。こうしてこの変奏曲のコンサートは成立しなくなってしまった。その後3年程で、すべてのコンサートをやめることにしたのだった。」
「この5度のカノンには、バッハの最高の瞬間がこめられている。本当にひどく心を動かさせる音楽なのだ。聴く人はこの曲が敬謙な感情に満ちた大変な名曲であることはわかっても、5度の反行カノンとして厳格なルールに従って作曲されていることを意識しないであろう。5度の反行カノンといういわば人為的に設定されたルールがバッハの手によってとはいえ、これほどの曲を生み出したことに驚きを覚えずにはいられない。」@
6度カノン
J.S.Bachの予感
「あの変奏曲を練習曲集として出版することにしたのは、こうした曲は公開の場で演奏されることは今のところ考えられないので、とにかく多くの人によって演奏されない限り曲として聴くことができる人が少なくなってしまうという恐れからだ。そして、一般の愛好家にとっては演奏の技術さえしっかりとあれば、余分な感情移入をせずに、的確な演奏が可能になるような曲だからだ。しかし、あの変奏曲の真の意味である睡眠と覚醒の二つの要素の融合を演奏で実現するには、天才演奏家の存在が必要となるであろう。しかし、そうした天才演奏家が出てきても誰に聴かせることができるのだろうか。誰が聴くことができるのだろうか。」「さて、6度のカノンmidi・mp3(第18変奏)は5度のカノンとは異なり、ト長調で順行に戻っている。追いかける旋律は6度上を半小節をおいてついてくる。高音部でついてくる旋律は先行する旋律のこだまのように響く。ここには複雑なことはなにもない。6度上のカノンの安定性を発揮した落ち着いた曲になったのである。」@
グレン・グールドの回想 「オーディオ技術は随分進歩した。この変奏曲も、今回はデジタル・ステレオ録音で、CDになった。最初の録音がアナログ・モノラルでドルビーシステムもなかった時代ののLPだったことを考えると、この25年間の変化は素晴らしいものだ。これからも、どこまで技術革新が進むのか想像もできない。ただし、今の時点で私に必要なものは一応そろっていると思ったのである。1955年の最初の録音でも幸いなことに、テイクを幾度もとって完全な録音にする装置はあった。クラシック音楽の録音では、当時これは画期的なものであった。今回の録音ではデジタル技術が十分に活用できたので満足している。つまり、ピアノ演奏をして、そして録音をしてそしてLPなりCDで出すという意味では、ここで完成を見たということである。これからも技術的改良が進んでも、この観点からみれば、基本的内容は変わらないと思う。技術的展開があるとすれば、まったく別の方向へのものになると思う。」 「例えば、2声、3声、4声といった、ポリフォニーの曲で、各声部毎に別々のチャンネルに録音し、4チャンネルのステレオで部屋の4角にスピーカを置いて聴くというようなことが面白そうだ。これはピアノ演奏としてはまったく非現実的なものになるが、逆に聴き手が問題の中心になる。」@
7度カノン
J.S.Bachの予感
「実際の演奏は当然必要だが、演奏を伴わない場合でもなお、存在しうる音楽のありかたを考えてみるつもりだ。私は数多くの場所・機会に演奏をしてきているが、演奏し一度音となった音楽は後に残らない。その場にいた人以外の人は決して聴くことはできないのだ。弟子の何人かが演奏を行うとしてもその数は限られている上に、昨今の私の音楽は古いものと見なされつつある。ヨハン・アードルフ・シャイベ氏には私の音楽を「自然に逆らった骨折り損」というようにきめつけられたのだった。私の音楽は古いとか新しいとかの流行に関わるものではなく、本質的なものだと自負しているが、聴き手はそのように真剣には考えていない。下手に高尚な名称をつけた曲集を世に出すと、かえって流行後れだなどと言われかねないので、あえて練習曲集ということにしてあるものも多い。このほうが結果的にどのような形であれ演奏されて音や音楽になる可能性が大きくなることが期待できると考えたのだ。あの変奏曲にしても「クラヴィア練習曲集第4部」として世に出すことにしたのだった。また、今後はたとえば、楽譜上の操作、鏡像や反行といったことを手初めに試みてみたい。手始めにあの変奏曲のアリアの最初の8つの低音に基づくカノンに取り組んでいるのだ。」「さて、7度のカノンmidi・mp3(第21変奏)はト短調となった。あの変奏曲における短調のカノンは5度のカノンとこの7度のカノンの2曲のみである。ただし、7度のカノンは順行であり追ってくる旋律は先行する旋律の7度上を行く。7度のカノンは前半、後半ともに8小節しかない。追う旋律は半小節の差でついていく。6度のカノンの明るいこだまではなく、暗く沈んだこだまとなった。」@
グレン・グールドの回想 「クラシック音楽の鍵盤楽器での演奏、特に独奏は、いずれはコンピュータによる演奏に取って変わられてしまう気がする。バッハやモーツアルトは作曲するためにピアノ使ったのであり、既に作曲されて楽譜になったものを再生することにだけ意義を見出だしていたのではない。今後も、独奏というものが意味を持つとすれば、そこには作曲という創作行為あるいはインプロブィゼーションがなくてはならない。極端な言い方をすれば、バッハやモーツアルトは彼等自身がインプロブァイズしたものを楽譜に書き写したものに他ならない。」
「ビートルズが好きというわけではないが例として話そう。彼らの初期の作品は、彼等自身ステージで何度も演奏したが、しかし彼等の名曲の一つである A day in the lifeは、録音されレコードになった時以外、彼等自身によって演奏されることはなかった。それではクラシック音楽のようにこの曲でもオリジナルに忠実な演奏を他の人がすることに意味があるだろうか。ウエスモンゴメリーのようにアレンジすればまた、別の曲としての意味がありうるが、オリジナルがあるものについてはオリジナル自身のほかなにもいらない。」
「この変奏曲についてみれば、1981年に「グレン・グールド変奏曲」になっていて、もうそれ以上私にはすることがない。逆にいえば1955年の録音は、いわばグレン・グールドがゴールドベルク変奏曲をたまたま演奏した記録にすぎないのだ。たまたま録音するというか演奏すること自体は近い将来、音楽が好きな人であればだれでもコンピュータを使うなりしてできるようになってしまうであろう。」@
8度カノン
J.S.バッハの予感
「あの変奏曲に関わりがあるので、妻、アンナ・マグダレーナのことも話さねばならない。アンナ・マグダレーナは、もともと音楽の素養があり結婚前は美しい声の歌手であったし、結婚してからはたまには歌手として歌うこともあったが、普段は家事の合間を見てクラヴィアを練習したり、私にとっても子供達にとっても素晴らしい妻として、母として我が家をきりもりしてくれている。家事以外にも我が家の庭にいつも花をたやさない心があった。特に黄色いなでしこが好きだった。主題のアリアは、1725年にそんなアンナ・マグダレーナにプレゼントしたうす緑の表紙の音楽帳に、いつだったか私が作った曲の草稿をアンナが書き留めていたト長調のサラバンドが基になっている。アンナが気に入ったせいもあって、あの変奏曲の主題とするまでに、私自身も幾度か手をいれていたので、楽譜としてはかなり見にくくなってしまっていた。私がアンナに、カイザーリンク伯にお贈りする変奏曲集の主題としてこのサラバンドを使っていること、また将来出版するつもりであることを話したところ、アンナは、それでは綺麗しにておかなくてはと、かなり修正の重なったページを破りとって、新たに空いていたページに浄書してくれたのである。」
「そういえば、カイザーリンク伯は、ライプツィヒの我が家を幾度も訪ねて下さったが、ある時、伯爵から、奥さんも何かクラヴィアを弾いていただけないでしょうか、と言われて、妻、アンナ・マグダレーナは、とても恥ずかしがりながらも、かねてから伯爵が私に対して暖かい支援をして下さっていることも十分知っていて、また、伯爵自身が大変立派な方であるとも思っていたので、それでは一曲だけと言いながら、例の音楽帳を出してきて、その中で一番彼女が気にいっている、気持ちの優しい曲を選んで演奏したことがあった。思い出してみればそれがこのサラバンドだった。」「さて、8度のカノンmidi・mp3(第24変奏)は8分の9拍子であること、2小節おいて、8度下で順行で追ってくること、そして途中で追ってくる旋律が8度上に入れ替わることが特徴である。8度の差は1オクターブであり、また2小節離れていることもあって、構成上難しいことは何もない。ただ、不安な心の苛立ちを写す長いトリルが後半の冒頭に現れる。8度のカノンの明るいようで、実は不安に苛立つ雰囲気は、次の第25変奏で十分に癒されるであろう。」@
グレン・グールドの回想 「この変奏曲のテーマであるアリアのサラバンドは気品に満ちたグランドバスの上に作られていて、常にしっかりとした和声的構成を持っている。このアリア単独でも名曲として位置付けられよう。また、変奏曲全体も名曲中の名曲であることは間違いないが、なかには、例えば第14変奏はその場しのぎの作り方でできた曲といっても良いし、第25変奏は突然にもメランコリーと主観的表現に満たされたアダージョでまるでショパンのノクターンのようにロマンチックな、というのは時代が前後しているが、雰囲気を持っている。この第25変奏を旧録音ではショパン弾きのような演奏をしてしまった。つまり、きざっぽいほどわずかにダイナミクスを減少させたり、テンポを動かしたりしていた。新録音では、かなり不気味で情感が貧弱だと思われるかもしれないが、苦しみつつ耐えようという尊厳を持たせたつもりだ。それに、第30変奏は、最後の変奏としては何かがさつな趣きがある。この第30変奏は、クオドリペトという通俗的な様式によっており、多少場違いな雰囲気を持っている。それでも全体を通してみれば、第30変奏といえども素晴らしく、変奏曲として必然的な構成としかいいようがない。」
「この変奏曲は、絶対主義国家やバロック庭園のように徹底して組織化されており、対位法的技巧と謎に満ちている。対位法やカノン、フーガのはらむ可能性について熟考するとき、中世的な錬金術と近代的な研究活動の境界線上に立っているように思えてくる。」 @
9度カノン
J.S.バッハの予感
「昨年(1741年)は息子のカール・フィリップ・エマヌエルがポツダムの宮中における宮廷チェンバロ奏者に就任しためでたい年であったが、同時によくコンサートを催した当地ライプツィッヒのコーヒー店主のツインマーマンが亡くなった寂しい年でもあった。さて、妻アンナ・マグダレーナとはよくともに旅をしたのだが、カール・フィリップ・エマヌエルに会いにベルリンへいく途中、ライプツィッヒに残してきたアンナ・マグダレーナが病気になったとの知らせがあり、ベルリンへの旅を中止して急遽ライプツィッヒに取って返したことがあった。我が家へ帰ってみると妻はもうすっかり元気になっていて、こちらが拍子抜けしてしまうほどであった。先妻の息子のところへ私ひとりで会いにいくことに、何かこだわりがあるのかもしれないと考えたものである。」「さて、9度のカノンmidi・mp3(第27変奏)は2声部のみで作っている。すなわち、低音のバス声部を伴わせていない。そのため、とてもさっぱりした曲になった。前半は追う旋律が順行で1小節おいて9度上で始まる。後半は追う旋律は9度下で始まる。確かに形式的には厳格なカノンではあるが、順行でもあり旋律が重なり合う部分が少ない。実を言うとカノンとしては9度にもなると、2度や3度のカノンで作ったような時間的空間的感覚が出てきにくいのだ。あの変奏曲では3曲目ごとにカノンを配置してきたが、眠りの観点からは9度のカノンで止めて置くことにした。あの変奏曲を材料にしたカノンは別の機会に取り組むことにしよう。」@
グレン・グールドの回想 「今年50歳になるのだから、かねてから考えもし言ってもきたように、ピアノ演奏はもうやめることにした。年齢でくらべてみると、バッハとは違ってこの年になっても父や母は生きている。いや私よりずっと健康なくらいだ。2年前に遺書を書いた。慈善団体に全財産を寄贈するといった内容だ。本当は80歳ぐらいまではピアノ以外のことをして暮らすつもりだったから、遺書など今はいらないと思っていた。しかし、どうもこの変奏曲の2回目を録音してから様子が変わってきた。身体から力が失われていく感じだ。何かこの変奏曲に殉教を求められていたのではなかろうか。若かった頃、なにも考えずにこの変奏曲をコンサートで弾き続けたり、まして調子に乗って録音のし直しなどしていたら、あのゴールドベルクと同じように30歳になる前に死んでしまっていたかもしれない。」
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クオドリベット
J.S.バッハの予感
「偶然の一致だが、カイザーリンク伯の依頼があったとき、すでにあの変奏曲を例のサラバンドをテーマに作曲を続けていたことから、伯爵がアンナ・マグダレーナの演奏であのサラバンドを気にいってくれたのは、好都合だった。伯爵の依頼の趣旨は不眠症対策であったので、あの変奏曲の後半の作曲においてそのことも配慮していこうと考えたのである。ひとつには、夜ふけに演奏がなされることを考えて、月の満ち引きの約30日になぞらえて変奏の数を30とすることにしてみた。それからある程度演奏が進んで時間が経過したら、深く静かに、かつ穏やかに沈み込んでいく変奏も必要であった。そのことを第25変奏で実現したのである。したがってこの第25変奏は感傷的に演奏されるべきものではなく、淡々と沈み込んでいくことこそが重要なのである。それでも眠りの精が訪れてこなければ、それ以上無理にあがいても仕方がない。そこで、少し賑やかな、気分の負担にならない変奏をいくつか続け、最後に例のクオドリペトで気晴らしをしていただく。こんな構成になったのである。」
「第30変奏をクオドリペト(Quodlibet)、すなわち混成曲、アンナ・マグダレーナにいわせれば<ごちゃまぜの曲>にしたのには訳がある。ドレスデン駐在のロシア大使であるカイザーリンク伯には、かねてから私の音楽を評価してくださっていて、6年前の1736年になるが、私がザクセン選帝候宮廷作曲家に任命されるようになる際、大変ご尽力をいただいた。実際、宮廷作曲家拝命の知らせは伯爵を通してもたらされた程だったのである。その年、私は宮廷作曲家任命を機会にザクセン選帝候国の首都ドレスデンに赴き、12月1日にはジルバーマンが聖母教会のためにつくった新しいオルガンでザクセン選帝候宮廷作曲家拝命の記念の趣旨で心を込めて演奏を行ったのであった。その演奏をカイザーリンク伯も聴いておられて、とても感動されたとの伝言を寄せられたこともあり、伯爵のお屋敷を訪ねて、お礼を申し上げたところ、伯爵は親しく私を迎えてくださり、大好きな音楽についてばかりでなく、いろいろなお話をしてくださったので、私には旧知の友人のようになってしまったのである。それ以来、伯爵はライプツィヒに来られる際には我が家にも立ち寄られるようになった。特にこの数年はご子息がライプツィヒ大学に学んでいることもあり、幾度も立ち寄られる機会があった。そうした中のある日、伯爵が我が家においでになったとき、ちょうどバッハ家の家族音楽会を催していたのだった。その時の家族演奏会では、伯爵がおみえになると最初は遠慮がちに続けられたが、親戚や弟子や友人も集まっているので、しまいにはいつも通りの賑やかさになり、真面目な音楽だけでなく、まちなかで流行の歌なども歌ったのである。伯爵にしてみれば、珍しい経験となったようだが、幾つもの歌のなかで「一人の乙女midi;ほんとうに久し振りだ。さあ、もっと近くへ、もっと近くへ、もっと近くへ」と「にんじんだいこかぶらmidi;ナッパとかぶに追い出された。おかみさんがちょっぴり肉を食べさせりゃもっと長続きしたのに。」の時に特に楽しそうにしておられたのが私の記憶に残ったのである。その日にはこの2曲を使ったクオドリペトはだれもしなかったが、他のいろいろなクオドリペトは賑やかに繰り広げられたのであった。伯爵は後に、まちではクオドリペトのような愉快な音楽がいろいろあるのだな、と私に話されたことがあった。そこで、先の2曲をクオドリペトの様式で変奏にしてみようと思い付いたのであった。」「さて、あのクオドリベトのところをなぜ10度のカノンにしなかったのであろうか。順番でいけば第30変奏だからちょうど10度のカノンにあたるはずなのだ。しかし、9度のカノンのところで言ったように、あの変奏曲全体の眠りへの取組みからして10度のカノンはもう適当ではないという感じが強かったのである。10度のカノンは例えば3度のカノン(第9変奏)の旋律声部をどちらか1オクターブ上げるか下げるmidiかすればできる。しかし、声部が離れていて絡み合うこともない。そこには音の空間における無重力状態というようなのもは現れてこない。
そこで,第30変奏は、カノンやなにかのごちゃまぜ、すなわちクオドリベトになったのである。それでも最初の4小節midiはカノンの形態をとっている。ただし、冒頭は8度だが、続く部分は5度のカノンという変則としたのだった。
そういうわけで第30変奏は率直に言ってカノンではないが、ごちゃまぜの意味するとおりいろいろな仕掛けがなされている。特ににんじんだいこかぶらの旋律midiは第30変奏16小節の中で8回使っている。元の旋律、5度上、同度、9度上、2度上、2度下、3度上、4度下である。その旋律が出てこない小節は16小節中3小節のみだ。
最後の部分、すなはち前半の第7、8小節と後半の第7、8小節には転回可能対位法を埋めこんでいる。全体は4声だがそのうち最高音部と下から2番目の声部がそっくり入れ代わるmidiのである。@」
グレン・グールドの回想 「「癒し(ヒーリング)」のことを考えてみるとあの第30変奏は大きな効果を持っている。クオドリペトというような通俗的な曲の組み立てを超えて、また、アリア・ダ・カーポが次に聴えてくることを予感させながら、第30変奏は演奏している人、そしてきっと聴いている人にとっても、閉ざされていた心が、その幾重にも重ねられた殻を一枚一枚開いていくように解放されていくことが感じられるのである。」
「このことは私自身にとっても大きな癒しとなった。これまでの50年近く、私はピアノから離れずにきた。確かに、ピアノを弾くこと、そして弾けることは大きな喜びであった。また、そこに限界もあった。それは、バッハがもし現代に生きていたら、バッハは作曲し、その卓越した演奏技術によって、自分の好きな楽器、ピアノでもチェンバロでも好きな楽器を駆使して、自ら演奏しそれをCDにするであろう。その時に私の存在の意味はあるのだろうか。グレン・グールドの演奏の意味は。という問いかけであった。これはずっと私にのしかかっていた重しのようなものであった。この第30変奏を弾いていると不思議にその圧迫感から解き放たれた感覚になったのである。」
「現実にはバッハは歴史上の存在であり、残っているのは楽譜だけだ。そこで私はバッハ作曲、グレン・グールド演奏という唯一無二のオリジナルを作ろうとしたのだった。それが唯一の存在の意義になる、そう思えたのだった。そうした意識が演奏中の無意識のハミングというか唸り声になってしまうのかも知れなかった。これこそグールドのオリジナルには違いないからだ。その観点からしても、コンサートを数重ねてオリジナリティを拡散させてはいけないこともわかってきて、1964年以来コンサートから離れている。気を付けないと、ピアニストは演奏をする装置、鍵をプログラムにしたがって叩く機械になってしまう。他の楽器、例えばバイオリン、フルート、楽器ではないが歌やコーラス、などであれば、作曲家と演奏家の分離が有り得てもっと気が楽であろうと思う。」
「音楽芸術としての作品は、楽譜と演奏が一体となったものをもって、一つの作品としてとらえられるようになってほしいし、そうなるべきだ。その意味では、もともとこの変奏曲は形としては理想的になっていた。すなわち、「バッハ作曲ゴールドベルク演奏の変奏曲」で「ゴールドベルク変奏曲」というわけだ。現代で考えれば当然「バッハ作曲グレン・グールド演奏の変奏曲」で「グレン・グールド変奏曲」と皆が考えてくれるようになってほしい。ゴールドベルクに語呂をあわせれば、「GouldBlend(グールド・ブレンド)」変奏曲とか「GouldBrag(グールドブラック)」変奏曲すなわちグールド自慢の変奏曲というのはいかがであろう。」@
アリア・ダ・カーポ
J.S.バッハの予感
「ヨハン・ゴットリープ・ゴールドベルクは優秀な演奏家だから、その名があの変奏曲に通称として付けられることになっても、私は構わないと思うが、それにしても、言葉そのものの意味からすると「ゴールドベルク」とは、金鉱山といったところで、そうすると曲名も「金山変奏曲」というわけで、いかにもはではでしい。実際伯爵からは、あの変奏曲を贈った報酬として金貨を山のようにいただいたのだから私達家族にとっては金の山「ゴールドベルク」という名はぴったりなのかもしれない。また、あの変奏曲のうちのカノンは更に発展していく可能性をひめており、音楽における錬金術の素ともいえる。その点から言っても金の山「ゴールドベルク」の名はあたっているのだろう。さりとて金のイメージがぴったりなわけではない。こうした名称の影響を受けて後世の人々が金色のイメージの音楽を期待してしまうのではないかという不安がある。カイザーリンク伯に不眠症対策として贈ったからといって、むやみに静かに弾いてほしいというわけではないが、出版した楽譜の表題には「愛好家の心を慰めるため」と記したとおり、穏やかでしかもどこか陽気な感じの演奏が最も相応しいと考えている。他の名称として例えばカイザーリンク伯の名をいただいて、カイザーリンク変奏曲としたら、カイザーは皇帝につながるから「皇帝関連変奏曲」というような仰々しいものとなって、伯爵には申し訳ないが、とても相応しいとは思えない。 本来、何とか変奏曲のような通称は必要ないと思ってはいるが、あえて付けるとすれば、「金と同じ価値」という意味のドイツ語で、「GleitchenGold」というのはどうだろうか。とにかく将来はイニシャルG・Gの後世の演奏家の名前を付ければ良い。」@
さて、ふたりのお話しはここまでです。 バッハが予感して、グールドが希望したかもしれないことですから、皆で「あの変奏曲」「この変奏曲」を「グレングールド変奏曲」とあらためて名付けようではありませんか。
| ゴルドベルク変奏曲へ進みます。 |
| MIDIデータでゴールドベルク変奏曲全曲を聴きます。 |
| 楽曲についての理解を深めます。 |
| 歴史について調べましょう。 |
| 誰がゴルドベルク変奏曲を演奏してきたでしょう。 |