石見銀山
石見銀山には以前から興味はあったが、遠いので真剣に行こうという気にはなれずそのうち行けるだろうという程度でいたが、湯之奥金山博物館でツアーを企画してくれたので即、応募した。

勿論、3日間休暇をとらなくてはいけないが、幸いなことに今の職場は可能だったので行くことができた。  感謝です

平日の3日間だから参加したくても行けない人もいただろうが、その人達の思いも含めて楽しんできた(現場ではすっかり忘れていたけど)

博物館を6:30出発ということで、遠方からの参加は無理だろうと思っていたが、なんと宮城県から駆けつけた方も。
出発前の博物館
「南三陸ふるさと研究会」のS木氏で、博物館の会員でもあり、こちらの行事にもよく参加している。

その他garimpo氏や、地元の方々。

バスは高速道路を快調に進み、17:00には銀山遺跡のふもと太田市に到着。
道中、豪華お弁当や酒のつまみ、飲み物を手配してくれていたので11時間近くの移動でも何不自由なく過ごすことができた。
この日はシティホテルで全員個室。
全員、シングルルームだったので、気楽に過ごせたんじゃないかな。
このホテルで、九州大学名誉教授の、井澤先生と合流
菱刈鉱山、鉱脈探査で活躍された鉱床学の先生。
バスの後部では、お決まりの宴会
翌朝、いよいよ銀山遺跡に出発だ
にわか知識で、ちょっと紹介してみる。

途中で松江工業高校の久間先生も参加。
石見銀山の狭い坑道をロボットで探査していた方で、湯之奥の中山金山遺跡でもロボットで探査している。

いずれ博物館でも紹介されるでしょう。

今回の見学は、一般的な観光コースではなく、あまり人の訪れない大久保間歩のある本谷地区の坑道見学。
大久保長安の名前から名付けたもので古い坑道。

広いので遺跡全部は、一日では回りきれるものではない
石見銀山の全体模型で説明を受ける
銀山遺跡全体でも、殆ど解明されていないらしく、調査中の場所はあちこちにあった。

この見学会は、地元ガイドの方と井澤先生、久間先生の3名が色々と説明してくれたので内容が濃かった。
さらに、先生方から科学的にも解説された手作りの資料も頂いた。

個人で来ていたら、絶対聞けないだろうと思われるのでありがたい。
博物館ならではの見学会というところです。

正直なところ、石見銀山遺跡をめぐる争いなどの歴史はテレビなどでよく見ていたので知っていたが、実際の坑道や生活については殆ど知らない。
ここで銀山に出入りする人の監視をしていた
大久保間歩は、近くまで車で移動し、そこから上っていく。

近くには民家もあり、世界遺産という雰囲気は感じられないけど、どこもこんな感じだろうね。

詳しいことは、ネットで調べればいくらでも出てくるので書かないが、いたるところに坑道跡がある。

何百年もかけて掘った穴は600箇所以上(だったかな
金生抗
左の写真は大久保間歩入り口

どの入り口にも柵があって入れないが、ここは見学可能。

メジャーなコースは、下が舗装路で楽に入れるが、ここはヘルメットと長靴、ハンドランプを使用する。 勿論貸し出しで、料金に含まれている。

長靴の中敷とヘルメットの下にネットを装着。

ガイドの方によれば、ここは見学者は少ないらしい。
でも、平日なのにそれなりに人はいた。
大久保間歩入り口
garimpo氏とK松さん

ヘルメットが似合ってるぞ

とはいっても、それぞれ別の意味でですが

この場所には常駐の管理人がいて、坑道内に入る時も付いてきていた。
K松さんは被り物が似合う
坑道内下は、泥まみれの水びたし。
普通の靴では入れないことがよくわかりました。

おまけに、枕木が等間隔であるのでよく見ていないと転ぶ。

これも遺産らしいので、できるだけ踏まないようにとのこと。
奥から怪獣の目が見えそうな雰囲気
しかし、人間の欲というのは凄いね。

横穴を掘り、そこから鉱脈に沿って上下左右、そこらじゅうに穴がある。

写真では迫力が伝わりにくいのが残念。

行ったことのある人なら分かるでしょう。
見た目より相当広いです
坑道内をこんな姿で見学している人が・・
K戸さん、目立ってましたよ。
写真の左右の壁面に違いがあるのがわかる。

左は江戸時代、右は明治時代

江戸時代は二度掘りといって、壁面を滑らかできれいにすることで崩落を防いでいたらしい。明治時代はそんなこと考えずダイナマイトでガンガン崩してそのままだという。

江戸時代の人は、いい仕事してたねぇ。
3人の解説者がいたのでどこでも聞けました()
横幅30センチくらいの坑道
よく、こんな穴に入って作業できたもんだ。

当時は「ラトウ」といって、サザエの中に鯨の油、菜種油等を入れて明かりにしていたらしく、坑道内の塵と油の燃えカスで肺がやられて長生きできなかったらしい。

30
歳でお祝いをやるほどだったとか。

賃金もよかったらしいから、なかなか止められなかったんだろうね。
江戸時代あたりの坑道かな
大久保間歩より上にある釜屋間歩

普通の観光客は、あまりここまでこないらしく案内も無い。
今回は特別です。

岩盤に見える穴(たくさんある)は、ここに屋根をつけて浸み出てくる水を一箇所に集め、色々な目的の水として使ったらしい。

よくこんな形になるまでにしたと思うが、ここの岩盤は軟らかめなので掘りやすいとのことでした。

昔は竹林なんてなかっただろうけど、今は竹だらけ。
この階段も竹林で埋まっていたとか。
釜屋間歩
世界遺産になってしまったら、ある程度調査して解明できたらそのままにしておかなければならない。だから竹林で隠れてしまった坑道もそのまま。

銀山遺跡も、殆ど解明されていないらしいのにね。
後世に残すのが世界遺産の目的だから、それでいいらしい。

鉱床学が専門の井澤先生が色々と説明してくれたが、元々の知識が乏しい私には内容についていけないこともしばしば。

夜は同室だったので、また色々と話を聞くことができたのはラッキー。
少しは知識に厚味が出たかな?
左からS木氏、館長、井澤先生、G氏、W
本谷地区見学後は、山の頂上付近の石銀地区

ジャンボタクシーに乗っての移動だが、道が悪いので止まったらアウトだと、タクシーの運転手は言っていた。

実際、悪路ではあったが、4WDなら楽勝だと思う。

タクシーは、ズルズルと滑りながらゆっくりと上るしかなかった。
いつ立ち往生するかハラハラ
石銀集落跡にある一号間歩
この坑道の周りに集落があったらしい。

殆どこの穴だけの為に集落ができ、何世代も掘っていたなんて、いい鉱脈だったんだろう。

今はクマに注意しなければならないが、当時は人口が多かったから賑やかでクマも寄り付けなかっただろう。
投光機で説明してくれる久間先生と、K松さん
この坑道は三角型で一番古い形の掘り方。
崩落を防止する為の掘り方らしい。

それからアーチ型、短形型(長方形型)と時代と共に変化していくが、短形型は何故、わざわざ天井を崩落しやすい平らにしたのかわからないと久間先生がいっていた。

どのくらい掘ったか管理しやすい為かもしれないとのことだったが、いつの時代もお役人の考えることはわからん。
この穴もロボットで探査したらしい
遠くに見えるのが銀山遺跡の玄関口 大森町

江戸の人口が40万人だった頃、ここには20万人住んでいたこともあったというが、相当密集して住んでたんでしょうね。
ごらんの通りの快晴
久間先生と探査ロボット
ハイビジョンカメラ搭載でクリア画像が見れる

頂いた()日本ロボット学会の学会誌にも書かれていたが、探査ロボットというのは条件が厳しくて開発が大変らしい。

まず予算。 お金があれば、かなりいいものができるそうです。

火星探査ロボットなどとは違い、狭い坑道の中の落石を越えて進まなければならず、実験室では完璧でも実際に坑道に入ると思った通りには動いてくれないそうな。
でも、人が入れない場所をロボットで覗くのって、なんか好きなんだよね。
これから本格的に展示されるでしょう
ロボット製作時に、石などを置いてテストしたモデル坑道

ゆくゆくは、このような人工坑道を作り、カメラを通してのロボット操作がいかに難しいかを世界遺産センター内に作り、みんなに体験してもらいたいと言っていた。

実現したら実際、やってみたいと思う。

世界遺産センターを含め、欧米人を見かけることはなかった
まだまだ世界遺産としてはマイナーなんだろうか。

アジア系の方々はいたけどね。
一体十万(大事な部品は外してある)
帰る日の朝

泊まった宍道湖畔を散歩していたら、ブッコミ釣りの年配者の方がいた。

「おはようございます、何を釣っているんですか?

「ごぎぃぃだよ」

?・・・・聞いたことない魚だ

「こひぎぃぃ」

・・・やっと判った。  コイだ
左が泊まったホテル
それから色々と話しかけてくるが、何言ってるか殆ど判らない。

どうにか判ったのは、宍道湖のシジミ採りの船は風物詩だが、今日は休みで出船していないこと。

言語解読に疲れてしまい、早々に退散した。

後日聞いた話だけど、この地方は東北系の喋り方らしい。
松前からの昆布運搬の中継地だったのかな?
釣りエサはトウモロコシ
その後、出雲大社へ寄り、予定通り21:00に博物館へ戻ってきた。
3
日間、好天に恵まれていい旅でした。

博物館スタッフと、バスの運転手さん、お疲れ様でした

ざっと書いたので、まとまりのないレポートだなぁ・・



い〜うみさん、おみやげはこの写真で勘弁してね
わざわざ、送るほどのものじゃないよ