コラム

logo
HOME LINKS BBS WORKS PROFILE OTHERS
前へ
次へ
コラム一覧へ
旧HP日記帳
copy

骨髄移植について

                        2005.9.20.

 私は専門学校時代、医療系の学校だったせいもあり、骨髄バンクにドナー登録しました。

 そのころの私は、求められればいつでも提供する意思はありましたし、人間として、医療人として、提供するのは義務だという思いもありました。

 私の中学時代の部活動の仲間にも、白血病で亡くなった方がいたこともあり、わたしにとってそれは、他人事ではありませんでした。

 骨髄バンクによる提供は、まったく提供する人のことを知らされないまま、同じ人間としての「命を救いたい」という善意のもと、無報酬で行われます。

 登録したころの私は、そのことに何の疑問も持ちませんでしたし、むしろ犯罪の要因を取り除くいい手段だと思っていました。

 しかし、就職し、結婚し、子供が生まれて、今になって骨髄提供をしてくださいと言う通知が来ました。

 一歳を過ぎたばかりの子供を抱え、娘にとっては母親が一番必要な時期だという事情、それを理由にした主人の反対、仕事を長期間休むことによる経済的負担、私がいない間の育児の担い手のいないことなど、今となるといろいろな現実がのしかかります。

 私自身の気持ちとしても、「命」というものの重みと、現実をはかりにかけて、答えが出ず、悩む日々が続きました。

 職業柄、ドナーを見つけることがどれだけ難しいかもしっていますし、骨髄提供のドナー側の失敗率はそんなに高くないこと、その後どのような経過をたどるのか、ドナーが見つからなければ患者はどうなるのか・・・などなど、いろいろ考えました。

 医療者として、人間として、良心がうずきます。

 しかし、バンクでは提供している間のベビーシッターの派遣や、母子同室の配慮等はできないとのお話でしたし、娘にさびしい思いをさせ、一時的に満足な生活を送れなくさせることや、万が一にも命を落としたり、障害を残すことがあれば、この子はどうなるのだろう、といった不安が拭い去れず、結局、今回の提供は見送ることに決めました。

 命とはかりにかけて、どちらが重いのか・・・そういう問題ではなく、私の手を必要とする人とのつながりがどれだけ深いか・・・それがこの決定の理由です。

 誰に提供するのか、もし知っていれば、私には拒否できなかったでしょうし、いかなる手段を用いても、提供しようという意思を固めたと思います。

 でも、誰かわからない、これから見もしない誰か、と、娘とを比べると、どうしても娘が勝ちます。

 また、提供の際は母子同室にして、生活に不都合がないように援助してくれるとか、休業補償があるとかそういった配慮があれば、反対もされず、提供に踏み切れたかもしれません。

 どんなに言い訳をしても、私が一人の命の助かる可能性を消したことは事実です。その罪の意識が消えることもなく、またわたしがそんな利己的な人間だと気づかされて、自己嫌悪が拭い去れません。

 人間は身近な人から大事にしていく生き物だと思います。

 それはいい面もありますが、遠くで起こっている悲劇に対して、鈍感にさせるものだというのも事実です。

 すべての人間の命をみんな同等に感じるなら、きっと戦争は起こらないでしょう・・・

 話が肥大しすぎましたが、利己的であることというのは、私ごとき人間の逃れられない性なのかもしれないな、と思います。

 私が提供できなかった患者さん、ほんとにごめんなさい。

 謝っても私の気休めでしかないことはわかっていますが、心から謝罪します。

 罪深い私に許しを・・

 人はこういうときに、神を欲するのかもしれませんね・・・私は無神論者ですが。

 私は、今回のことで、骨髄バンクの制度的な充実・・ドナー側への配慮を充実させることが必要であると思いました。善意だけでは、助かる患者さんは一向に増えないのだと思います。

 そして、ドナー候補者に無用の苦悩を与えることも減るでしょう。

 はっきりいって、私は今回何度も「登録するんじゃなかった」と思いました。

 賢明な方は、こういうことも見越して、ドナー登録をしないのでしょう。

 患者さんを救うためにも、制度面の改革をお願いしたいと思うしだいです。