お祈り(続き) (一信徒が作るホームページ カトリック川越教会)
「十字架の道行」
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| 解説: | 「十字架の道行」はイエスの受難を黙想する有名な信心業で、中世にアッシジの聖フランシスコによって始められました。他の信心業と同様に季節を問いませんが、伝統的にはイエスが受難にあった聖金曜日や四旬節の金曜日に行われます。テキストは日本語だけでもカトリック中央協議会や幾つかの修道会のものなど複数あり、内容にもかなりの異同があります。だだ、基本的にイエスの受難を14の場面(最後に復活を加えて15とすることもあります)で構成している事は変わりません。通常、聖堂や教会の敷地内に各場面を描いた絵画や彫刻を置き、その前を順番に巡りながら黙想する方法がとられます。それぞれの場面は「留」と云い、その中には聖書によらない箇所がありますが、信心の為に古くから行われてきました。 |
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| 方法: | 左下の緑色の矢印をクリックしながら次の留に進んでください。初めの祈りの後に第1留から第14留まで順次各留が並んでいます。各留では、最初に主キリストへの祈りの後、画面中央の絵と文章を見ながら黙想し、最後に聖母マリアへの祈りで結びます。最初と最後の祈りは画面の各留の上下にあります。尚、最後に復活を付け加えてありますので、そこで喜びと栄光のうちに黙想を終わります。 |
| 注: | 尚、ここではテキストによって異同も多く、また内容も長大になる為、各留の順番に従って、その要点のみを掲載しました。また、聖書の部分は本文と文体を合わせる必要上、試みの訳を用いました。皆様のご意見ご感想をお待ちしております。 |
| 初めの祈り |
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| 主キリスト、あなたは人々に神の国の福音を告げ、私達の罪をあがない人類に救いをもたらすため、その限りない愛をもって十字架の道を歩まれました。いま私達も、あなたの栄えある死と復活の栄光に共にあずかるため、その苦難と復活の神秘を黙想します。 |
| 全能永遠の父なる神よ。どうか私達を導き、あなたの子イエス・キリストに従う者とさせてください。
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| 第1留 イエス、死刑の宣告を受ける |
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| 最後の晩餐の後、弟子たちとゲッセマネの園で祈っていたイエスはユダの裏切りによって捕えられ、ユダヤ人の大祭司カイアファの館での不当な裁判の後、ローマ総督ピラトの元へ送られて死刑の宣告を受けます。人々はイエスに赤いマントに茨の冠、手に葦の棒を持った皇帝の姿をさせ、激しい暴行を加えます。 |
| 人々は「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」と叫んだ。 (ヨハネ福音書第19章15節) |
| 第2留 イエス、十字架を担わされる |
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| ユダヤ人達に引き渡されたイエスは自分を磔にする十字架を背負わされて、処刑場である、されこうべの地、ゴルゴタの丘への坂道を重い足を引きづりながら、一歩一歩上って行きます。人々は、みじめなイエスの姿を見て大声でののしります。 |
| 「わたしに従おうと思う者は、自分を捨て、日々自分の十字架を背負って従いなさい。」 |
| (ルカ福音書第9章23節) |
| 第3留 イエス、はじめて倒れる |
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| 昨夜からのむごい仕打ちと断食の為、イエスには重い十字架に耐えながら坂道を上る力はもう残されていません。イエスは初めて倒れます。 |
| 私は身を屈め、深くうなだれて、一日中嘆きつつ歩きます。腰は熱にうずき、体には痛まぬところがありません。私はもう立てないほど打ち砕かれ、心は震えて、うめき声をあげるだけです。 (詩篇第38章7〜9節) |
| 第4留 イエス、御母マリアに出会う |
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| 十字架を背負ったイエスは、天使ガブリエルからお告げを受け、聖霊によって身ごもり、ベツレヘムの貧しい馬小屋で自分を産み、エジプトに逃れた後ガリラヤのナザレで大工ヨセフの子として育ててくれた御母マリアと悲しみのうちに出会います。 |
| 彼女は泣きながら夜をすごし、涙は頬を伝わります。彼女を愛した人のうちに彼女を愛する者はいません。友は皆、彼女を裏切り、その敵となりました。 (哀歌第1章2節) |
| 第5留 イエス、キレネのシモンの助けを受ける |
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| 人々はイエスを引いて行く途中、シモンというキレネ人に無理やり十字架を運ばせます。疲れ果てたイエスと共にあざけりの的となったシモンは、やがて教会の一員となります。 |
| 「疲れた者、重荷を負う者は皆、私のもとに来なさい。休ませてあげよう。私は柔和で謙遜だから。私の軛(くびき)を負い私に習いなさい。そうすれば、心は安らかになる。私の軛は負いやすく、私の荷は軽い。」 (マタイ福音書第11章28〜30節) |
| 第6留 イエス、ベロニカから布を受け取る |
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| 人々のあざけりと嘲笑の渦の中で、イエスを気の毒に思ったベロニカは血と汗を流し苦痛に歪んだイエスの顔にやさしく布を差し出します。イエスはそれを受け取ると顔を拭き、再び、それをベロニカに返します。 |
| 手が清く、心の清い人、むなしいことにひかれず、偽りの誓いをしない人。その人は主の祝福を受け、救いの神からの恵みを受ける。 (詩篇第24篇4・5節) |
| 第7留 イエス、再び倒れる |
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| 人々は残酷にも、あえぎながら坂道を上るイエスを激しくののしり、むちを振り下ろします。その暴力と十字架の重みに耐えかねて、イエスは再び倒れます。 |
| 私はあなたの為に侮辱に耐え、顔は屈辱に覆われています。私は兄弟たちには他人となり、母の子らには見知らぬ者となりました。それはあなたの神殿への情熱が私を食いつくし、あなたをののしる者の冒とくが私に降りかかっているからです。 (詩篇第69篇8〜10節) |
| 第8留 イエス、エルサレムの婦人らを慰める |
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| 十字架を背負いながら歩むイエスには、大勢の民衆やイエスのことを嘆き悲しむ婦人たちの群れがつき従っています。イエスは婦人たちに向かい、自分の苦しみも忘れて、やさしく慰めの言葉をかけます。 |
| 「エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くことはありません。それよりも、自分と自分の子供たちの為に泣きなさい。」 (ルカ福音書第23章28節) |
| 第9留 イエス、みたび倒れる |
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| つらく厳しい道行のはて、ゴルゴタの丘は目前です。すっかり力尽きたイエスは、みたび倒れます。だが、もう一度起き上がり、最後まで十字架を背負って歩み続けます。 |
| イエスは「誘惑に駆られないよう目を覚まして祈りなさい。心は燃えても肉体は弱いものだ。」とペテロに言い、再び行って「父よ、私が飲まない限りこの杯が過ぎ去らないのなら、あなたのみ心が行われますように。」と祈った。 (マタイ福音書第26章41・42節) |
| 第10留 イエス、衣をはがされる |
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| 瀕死のイエスは、とうとう自らの処刑場であるゴルゴタの丘に着きます。すると、兵士たちは乱暴にイエスの服をはがし、上着を四つにして分け、下着は一枚なので、くじ引きにしましす。こうして、聖書の言葉は実現します。 |
| 骨が数えられるようになった私の身体を彼らはさらしものにしてながめ、私の着物を分け合い、私の服のことでくじを引いた。 (詩篇第22篇19節) |
| 第11留 イエス、十字架に釘付けにされる |
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| 人々はイエスの両手両足を十字架に釘付けにします。それから、一人の罪人を右の、もう一人を左の十字架に付けます。罪人の一人はイエスをののしりますが、もう一人は、それをたしなめます。すると、イエスは十字架の上から、その罪人の罪を赦します。 |
| そのとき、イエスは「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と言われた。 (ルカ福音書第23章34節) |
| 第12留 イエス、十字架に死す |
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| イエスは御母マリアには最愛の弟子ヨハネを息子とするように、ヨハネにはマリアを母とするように言い残し、その上で全てが成し遂げられた事を知ると、「成し遂げられた」と言って、十字架の上で息を引き取ります。 |
| 昼過ぎから全地は暗くなり、3時頃になった。イエスは大声で「私の神、私の神、どうして私を見捨てられたのか。」と叫ばれた。 (マルコ第15章33・34節) |
| 第13留 イエス、十字架から降ろされる |
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| ユダヤ人たちは翌日の安息日になる前に遺体を十字架から降ろす為、ももの骨を折って死を早める様、ピラトに願い出ます。しかし、イエスのところに来ると既に死んでいたので、骨は折られません。兵士の一人が槍でイエスのわき腹を突き刺すと、血と水が流れ出ます。 |
| ひそかに弟子になっていたアリマタヤのヨセフがイエスの遺体を取り降ろしたいと願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。(ヨハネ福音書第19章38節) |
| 第14留 イエス、墓に葬られる |
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| アリマタヤのヨハネは後から来たニコデモと共にイエスの遺体を受け取り、香料を添えて亜麻布で包み、まだ誰も葬られた事のない新しい墓に納め、入口に大きな石を転がします。イエスに従った婦人達は、その有様を見届けた後、安息日の掟に従って休みます。 |
| 「人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活しなければならない。」 (ルカ福音書第24章7節) |
| イエス、復活する |
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| 週の初めの日の朝早く、婦人たちが遺体を葬った墓に着くと、中は空です。イエスは死に打ち勝って復活したのです。復活したイエスは婦人や弟子たちの前に現れた後、天に昇ります。こうして、十字架は全人類を死から生へと救うイエス・キリストの象徴となります。 |
| 私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、だれ一人、父のもとに行くことは出来ない。 (ヨハネ福音書第14章6節) |