ラバルト神父様エピソード集1(一信徒が作るホームページ カトリック川越教会)

 2001年5月9日午前8時、急性心不全により帰天された故ローラン・ラバルト神父様はカトリック川越教会の主任司祭として35年、その後の東松山教会異動後も隣接の白鳩幼稚園の園長を5年、更に来日まもなくの川越教会助任司祭時代を含めると45年余りの長きに亘って、川越と関わりを持たれました。そして、その間に、巧みな日本語と、お人柄もあって多くの面白いエピソードを残されました。今回、それをここにまとめてみました。尚、内容は過去のものであり、また、人づてに聞いた部分も多く、必ずしも正確とは言えません。もし、訂正が必要であれば著者まで是非お知らせ下さい。


第1話、バスク人は頑固者

 バスク人は頑固な民族だったので、ヨーロッパの民族の中でも、最後までキリスト教徒にならず、多くの人々に迷惑を掛けました。しかも、一旦、キリスト教徒になると、その頑固さ故に更に多くの人々に迷惑を掛けました。

 昔、少数民族のバスク人には山賊と海賊が多く、巡礼者達を散々苦しめたそうです。日本で最初に宣教をしたフランシスコ・ザビエルもバスク人でした。彼は教皇使節としてローマから遠路インドに派遣されますが、更に、はるばると日本まで足を伸ばしたのです。この大変な長旅は彼の頑固なまでの固い宣教への意思を抜きにしては説明が付きません。そして、それは日本のキリスト教徒にとって受難の時代の幕開けでもあったのです。現在でもフランスとスペインの大西洋側の国境沿いには300万人のバスク人が暮らしています。え、ラバルト神父様は頑固だったかって?それは、ここでは言えませんが、ご自身をフランス国籍のバスク人と頑固に主張されていた事だけは確かです。

杖をついて

(東松山教会)


第2話、ちょっと臭い話

 ラバルト神父様が来日して、しばらくの間、東京で日本語を学んでおられた時の話です。「関町の東京カテドラルの前の坂道で自転車をこいでいると、ちょうど良い事に一台の車が通り掛かりました。そこで、これ幸いと、その車の手すりにつかまって坂の上まで上りました。後で知ったのですが、その車はバキュームカー(糞尿汲取車)でした。」

 「その時の日本語教室の同級生にフランシスコ会のゲレオン神父様がいました。彼はドイツ人で司祭になる前にナチスにいた事があり、私は、とても怖かったのです。戦争中、フランスはドイツに占領され、神学校も接収されましたから。でも、彼は上手なフランス語で私に話し掛けてきて、結局、友達になりました。」

バスク地方の教会

(ドニ・バネ・ガラジ)


第3話、フランス語は通じません

 川越市内を車で走っていると、一人の警察官に交通違反で停車させられました。そこで、私は窓を開けてフランス語で話し掛けました。ほとんどの日本人は、その時点で諦める筈なのですが、何故か、困った顔一つしません。不思議に思いながら、更にフランス語で話し続けると、その警察官は笑いながら「園長先生。うちの子供が幼稚園でお世話になっています。」と日本語で答えました。これには参りました。

 結局、違反切符も切られたそうですが、これには後日談があります。違反点数が増え過ぎて、ラバルト神父様は、とうとう免許センターで再教育の講習を受けさせられたそうですが、そこでも、たまたま来ていた外国人と二人で「私は日本語が分かりません。」とやって、警察官を困らせたそうです。

埼玉県警パトカー

(川越市内)


第4話、結婚式泥棒

 ラバルト神父様の説教が長いのは有名な話でしたが、ある結婚式でも、その才能が遺憾なく発揮されて、式の終りが予定より30分も遅れました。その上、季節はずれの雪まで降り出して、お色直しの必要だった新郎新婦は披露宴に遅刻する始末です。ところが、一方でその説教が参列者には意外な程の好評で、披露宴はその話で持ちきり。新郎新婦には神父様についての質問が殺到しました。しかも、主役である筈の自分達への質問は一つもありません。後年、新郎は御本人に向かって「神父様に私達の結婚式を盗られてしまいました。」と懐かしそうに語りました。

 神父様は教会での結婚式を福音宣教の場と心得ておられました。結婚式には、未信者が多く参加し、そこで堂々と説教を出来るからです。「鴨が葱をしょって来るんでしょ。」とは、ご自身の言葉です。ちなみに、本来は新郎新婦の最低でも、どちらかが信者でなければ、教会で結婚式を挙げる事は出来ません。日本の教会で未信者同士の結婚式が許されているのは宣教地ゆえの特例なのです。

雌雄のイチョウ

(川越教会)


第5話、達磨さん

 ある日の事、一人の教会役員が事務室に立ち寄ると棚の上に赤いダルマが置いてありました。ダルマは仏教のものと不思議に思いながら見ていると、不意にラバルト神父様が現れ、それを手に取って、後から来た一人の信者に渡そうとされました。とっさに役員が横から「神父様にソックリですね。」と言うと、神父様は驚いて目を見開かれました。すると、更に良く似たお顔になりました。ほんの少しの間、神父様はダルマとニラメッコされた後、それを信者に手渡しました。

 川越市内のお寺ではダルマ市が開かれますので、多分誰かが御土産代わりにダルマを置いて行ったのでしょう。でも、教会に何時までも置いておく訳にもいかないので、欲しいと言う人に譲られた訳です。それから、神父様が赤い祭服を着て、ヒゲを蓄えられれば「ダルマそっくり。」と思うのは一人だけではない筈です。何処かの地方の御土産に「シスターこけし」と言うのがありましたから、胸に十字架を付けて「ラバルト・ダルマ」なんてどうでしょうか?意外に良く売れるかも知れません。

達磨さん

(川越・喜多院)


第6話、良い患者

 ラバルト神父様が何度も入院された事のある病院に、同じ宣教会の別の神父様が初めて入院されました。学者風の、とても穏やかで物静かな方で、医師や看護婦の言う事を良く聞かれました。ところが一人の看護婦は、その事に非常に驚いて、「先生。神父様には、こういう方もいるんですね。私は今までラバルト神父様のような方ばかりだと思ってました。」と信者である医師に向かって言いました。

 神父様は大の病院嫌いで、体調を崩しても、なかなか入院されません。ただ、幸いな事に信者の中には医者や看護婦が何人も居ますから、気が付いた信者がその病院に連絡して、即、強制入院なんて事もあったそうです。それでも、神父様は病院の駐車場に、ご自分の自家用車を置いて、用事が出来る度に病院を無断で飛び出されました。信者達は内心とても心配しながら「神父様が、また脱走された。」と冗談半分に言ったものです。でも、それだけ責任感の強い方だった訳です。

入院された病院

(川越市内)


第7話、先に死ねない

 たまたま信者同士で葬式の話になった時、ラバルト神父様と同年代の一人の方が「私は家内から『神父様より先に死なないでね。』と、言われてるんですよ。」と言いました。そこで、皆が、その訳を訊ねると「葬式で私の悪口を聞きたくないそうなんです。あの神父様は平気で故人の悪口を言いますからね。」と答えました。

 神父様は葬儀ミサを司式されると、いつも故人について長くお話をされました。御本人にとっては、それが懐かしい思い出話なのですが、ただ、日本人の我々がそれを故人の悪口と誤解する事もある訳です。多分、日本の葬式では、実際は、どんなに悪人であっても故人をほめたたえるのが常識だからでしょう。ただ、この誤解のお陰で信者の平均寿命が確実に延びていたのかも知れません。

両親の墓の前で

(イバロル村)


第8話、司祭養成の極意

 普通、前途有望な若者は自分の教会の神父様を見ると、「こんな立派な人物に自分はなれない。」と思って、神父になるのを諦めます。ところが、それがラバルト神父様だった場合は、心配になって、自分も神父にならなければいけないと思うのです。

 ラバルト神父様は御自分が主任司祭を務める教会から三人の日本人司祭を育てました。これは、司祭不足の現代にあって稀有な事です。それは神父様の宣教師としての使命感から来たものですが、同時に神父様の個人的魅力に寄るところが大きい様でした。神父様は60歳を過ぎた頃から、たびたび、ご病気で入院されましたが、同時に、そのころから川越教会出身の司祭が次々と巣立って行きました。

山口神父

(2000年叙階)


第9話、ルルドの奇跡

 ラバルト神父様がルルドの巡礼を終えられて、次の目的地に向かうバスに乗り込んだ時の事です。バスが出発しようとするその時に神父様は「私の杖がない。」と大騒ぎを始められました。すると、同行の信者達は「杖を忘れるのは足が治ったからだ。」と言って、大笑いをしました。まさに病人を癒すルルドの奇跡です。ところが神父様は、それでも「杖がない。」と、騒いでおられました。皆は、また大きな声で笑いました。あたりを探した末、やっと杖が見つかると神父様はやっと安心されました。

 晩年の神父様は以前に誤って釘を踏み抜いたのが原因で右足を悪くされ杖をつかれる事が多くなりました。特に最晩年は、杖をついても歩くのがやっとの状態でした。しかし、死ぬまでミサを欠かしませんでした。終生を現役で通された訳です。

ルルドに祈る

(フランス)


第10話、パスポートフリー

 ラバルト神父様がヨーロッパ巡礼に行く為に成田空港に向かわれた時の事。神父様を乗せたバスは途中の交通渋滞に捕まり、やっと空港前の検問に着いた時には30分も遅れていました。既に、乗客達は飛行機に乗り遅れるとイライラの頂点に達しています。やがて、警察官が乗り込んで来て各自のパスポートを調べ始めました。ところが、神父様のパスポートがなかなか見つかりません。そこで、機転を利かせた警察官は後ろに座っていた同行の巡礼団員に「この方は、どなたですか?」と聞きました。そして、彼が「フランス人の神父様です。」と答えますと、その警察官は納得して、そのままバスを降りてしまいました。すぐにバスは何事もなかったかの様に動き出しました。やがて、夢中でパスポートを探していた神父様が「あった。」と叫びました。

 あとで事情に詳しい巡礼団の添乗員に聞くと、パスポートなしで国際空港に入れる事は普通はないそうです。神父様は、人を寄せ付けない程のカリスマ性と同時に、皆を引き付ける人柄の相反する二つのタレントをお持ちでした。そして、それがこうした事をもたらす原因ではないかと思います。

故郷の兄と妹と

(ドニ・バネ・ガラジ)


第11話、庭が砂漠に

 一人の信者が自分の休日に教会の庭の木の手入れをしていると、ラバルト神父様がやって来て、「そんなに枝を切ると、教会が砂漠になります。」と言って、叱りつけました。そこで、その信者は「それでは、また木を植えます。」と答えると、神父様は更に声を荒げて「今度は何の木を植えるのですか。」とおっしゃいました。すると、その信者は「サボテンの木を植えます。」と、澄まして答えました。砂漠にサボテンは良く出来た洒落なのですが、とうとう神父様は怒って何も言わずに、その場を去られました。

 教会の庭の木を切って神父様に叱られた信者は一人や二人ではありません。第2次大戦中、神父様の故郷でも山の木が切られ、戦争が終わる頃には、はげ山ばかりになっていました。そこで、神父様のお兄さんは一つの山を一人で植林して、今では立派な森林に育っているそうです。神父様は木は自然に育つもので、教会の庭も、その森林と同じ様にされたかったのです。

お手植えの桃の木

(川越教会)


第12話、目の黒いうちは

 ラバルト神父様は何かあるごとに周囲の人に向かって「私の目の黒い内はそんな事はさせません。」とおしゃいました。また、説教の時などに「一言、言わせて下さい。」と言って、話を続けられました。

 日本語の巧みなラバルト神父様は日本語の常套句を多彩に使い分けておられました。ただ、この事の最大の難点は大体の日本人は目が黒いのですが、神父様の目は元々青く澄んでいる事と、その一言が延々と続く事でした。

晩年

(東松山市内)


第13話、白髪は誰のせい

 ラバルト神父様は青年会には人気があり、また、青年達は週末になると良く教会に集まりました。ある時、それが行き過ぎて夜の10時になっても騒いでいたところ、さすがの神父様もお怒りになって青年達を教会の建物から追い出してしまいました。そんな時、神父様は御自分のすっかり白くなった頭の毛を指差して、「この頭は誰のせい。」と、おっしゃったものです。

 青年達に人気があったのは、神父様の人柄と共に、青年達の面倒を良く見られたせいでした。そんな神父様を青年達は親愛の念を込めてラバちゃんと呼んでいました。そう呼ばれる事を最初は嫌っていた神父様も後になると、ご自分でも気に入って自らそうおしゃっていました。

降誕前夜祭

(東松山教会聖堂)


第14話、忘れました

 ある時、ラバルト神父様の所属する宣教会の上役に当たる日本管区長が教会を訪ねてきました。ミサが終ると、一人の信者が神父様の雑用が終わるまでの間、そのお相手をしていました。しばらくして仕事の終わった神父様が現れ、「この人は、とんでもない信者です。」と言ってその信者を紹介しました。そこで、信者が「私はラバルト神父様に洗礼を受けたのですよ。ではどうして、授けたのですか。」と言うと、神父様は「忘れました。」と一言だけ答えられました。

 神父様は都合の悪い事は、すぐに、お忘れになりました。忘却は偉大なものです。

ルルドの司祭館で

(フランス)


第15話、地の塩

 洗礼式の中では聖書に従って受洗者に塩をなめさせるところがあります。ある時、ラバルト神父様は「塩は大切なもので、この世に欠かす事は出来ません。皆さんもそうなりなさい。」とお話しになりました。ここまでは良かったのですが、更に付け加えて「私も医者から言われて塩を控える様にしています。そうすると痩せると言うのです。ところが、いくらやっても、ちっとも痩せません。」とおっしゃいました。それで、その場にいた信者達は大爆笑しました。しかし、神父様お一人は「何で笑う。」と言って反対に怒ってしまわれました。

 晩年、神父様は医者から肥満を指摘されてダイエットに励まれていた様です。しかし、奥さんのいない一人身では、なかなか自己管理が出来ずに成果は上がりませんでした。しかし、後に、腸のご病気で病院に入院されて点滴だけの生活に入られると、医者がカロリー制限をした為に20キロ余りもお痩せになりました。それなのに、神父様は「医者のせいで痩せてしまった。」と言って、またまた、ご立腹でした。

ルルド多国籍ミサ

(フランス)


第16話、十字架の道行

 ラバルト神父様は十字架の道行の信心業に熱心な方でした。ある四旬節の金曜の晩、一人の信者が用事があって教会に電話を掛けると、神父様がお出になって、苦しそうなお声で、「いま、十字架の道行が終わったところです。具合が悪くて途中で倒れそうになりました。」とおっしゃいました。そこで、その信者が「それは残念でした。もう少しで本当の十字架の道行になるところでしたね。」と、とっさに答えますと、神父様は、それまでの苦しそうな声がうその様に大きな声でお笑いになりました。さらに、信者が「先日の水曜日に私はペトロ神父様の十字架の道行に参加しましたが、フランシスコ会ですから本物ですよ。」とお話すると、神父様は更に大きな声でお笑いになりました。

 十字架の道行は有名な信心行で、伝統的には四旬節の金曜日に行います。その中で辱めを受けて十字架を担ったイエスは三度倒れます。ですから、倒れそうなだけでは十字架の道行にはなりません。また、アッシジの聖フランシスコが始めたものですから、ペトロ神父様の所属する正確にはカプチン・フランシスコ会は創立者フランシスコの流れをくんでおり、十字架の道行も直伝になる訳です。ところで、神父様は晩年お体を悪くされ、また、教会建設や幼稚園の閉鎖などのご苦労も多く、何度もお倒れになりました。ですから、神父様の人生そのものが十字架の道行でもありました。

十字架の道行

(川越教会聖堂内)


第17話、三本のロウソク

 ある公教要理(洗礼の為の勉強)の時間にラバルト神父様はこのような話をされました。「私が三位一体の意味を質問すると、神学校の先生をしていた神父は三本のロウソクを持って来て、それを束ねて火を点けました。すると、一つの大きな炎が上がりました。それから、それらのロウソクを三本に離すと三つの炎になりました。さて、その炎は一つでしょうか?三つでしょうか?」

 三位一体という言葉は日本語になっていて良く使われる様ですが、キリスト教での本来の意味は父と子と聖霊の三つが一つであると言う事です。しかし、理解するのは誠に難しいものです。そのせいか、以前、神父様は祭壇の上にも三本のロウソクを灯されていました。

祭壇のロウソク

(川越教会聖堂内)


第18話、ホームレス

 ラバルト神父様は宣教会に入られると、パリのホームレスについてのユニークな論文をお書きになりました。普通そうした人達は自分達の事を秘密にしたがり、多くを語りたがらないものですが、神父様は話を上手く聞き出されました。その秘訣は御自身によると、お酒を持って行き、彼らに飲ませる事でした。そうすると、喜んで色々と話をしてくれたのだそうです。

 教会にはミサ用のワインがたくさんありますから、お酒には事欠かなかった様です。そして、その論文はユニークさから、今でも宣教会では有名な話となっているそうです。

送別演奏会にて

(川越市民会館)


第19話、あなたはナニ人

 ヨーロッパ巡礼の折、ラバルト神父様はスペインのバルセロナに近い有名なモンセラートの修道院でのミサで日本語の福音書を朗読された事がありました。ミサが済むと、数人の修道士が近寄って来て、今のは何語かと上手なフランス語で聞いてきました。神父様が「日本語です。ただ、私はバスク人でフランス人ではありません。」と答えますと、その修道士達は笑いながら「自分達もカタルニア人で、スペイン人ではありません。」と答えたので、すっかり息投合されたそうです。

 自分達を単一民族と考える日本人には理解しずらい事ですが、ヨーロッパでは国家は人工的なものであり、民族と国籍は関係はありますが、それぞれ別のもので、それらを理解するには、過去の歴史を勉強する必要があります。

バルセロナにて

(スペイン)


第20話、手前味噌

 ラバルト神父様の親友の一人にフランス人のイエズス会の神父がいましたが、神父様は、何故か、この修道会がお好きではありませんでした。ちなみに創立者のイグナチオ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルは神父様と同じバスク人なのです。その事をお話ししても、神父様は自信を持って「彼は間違って、入会したのだ。彼は本当は私の宣教会に入るべきだった。」と答えました。

 神父様の宣教会はパリー外国宣教会(パリミッション)といって、17世紀半ばに設立された最も古い宣教会です。これまでに160人以上の殉教者を出し、入会する事は死にに行くようなものだといわれた時期もありました。そして、神父様は自分の宣教会に自信と誇りを強く持たれていました。

宣教会本部にて

(パリ)


第21話、神学生時代

 ラバルト神父様は巡礼でご自分が神学生時代を過した町に入られました。すると、それまで体調が余り良くなかった神父様ですが途端に御元気になられ、町のあちこちをお歩きになりました。ところが、どうしたことか、それまで毎日捧げていたミサを一向にされません。巡礼団のメンバーがその事を話し合っていると、その内の一人が「神父様は神学生に戻られたのさ。神学生にはミサはあげられないからね。」と言いましたので、皆はすぐに納得しました。

 神父様は病院に入院した時以外は参加者の有無に関わらず、毎日ミサを捧げられました。しかも、普段は朝に行うミサも木曜日には最後の晩餐に倣って夕方から行われました。敬虔な方であった事の他、子供の頃には自宅の裏手の教会で毎日侍者をされていた事、その時の神父に憧れていた事などが関係していると思います。ただ、残念な事に、平日には信者の参加は極少なく、その事にはご不満をお持ちの様でした。

ヒヤシンス

(東松山教会)


第22話、フランスの法律

 ラバルト神父様がパリの不思議のメダイ教会にお入りになった時の事です。祈りの後、ベンチに越し掛けていた神父様が建物の外へお出になると、そこには神父様の黒い札入れが残されていました。それに気付いた同行の巡礼団員が、それをベンチから持って行こうとしたところ、周りのフランス人から泥棒と間違われてしまいました。言葉も分らず、身振り手振りの末、やっとの思いでその場を切り抜けて、外にいる神父様にそれをお渡ししながら「日本では、落し物のお礼は一割ですが、フランスでは何割ですか。」と聞きました。すると、神父様は礼も言わずに「フランスには、そんな法律はありません。」とおっしゃったので、周りの巡礼団員は大爆笑しました。ちなみに、そこは神父様の宣教会のすぐ隣にあります。

 中には日本のお札が入っていましたので、その巡礼団員は、そのお札と自分の顔を交互に指差して見せたそうです。神父様は巡礼地に着くたびに、そこで沢山の献金をされましたので、札入れの中身も多かった様です。恥ずかしかったのか、拾い主には礼を述べなかった神父様ですが、周りの人には後から、あの時は助かったとおっしゃいました。

不思議のメダイ

教会にて(パリ)


第23話、あなたの大統領は

 アメリカの攻撃機が敵対する北アフリカのリビアに爆弾を落とした頃の話です。ある修道会の神父がラバルト神父様を訪ねて来ました。神父様が「あなたは何人ですか。」と聞くので、その神父は「アメリカ人です。」と答えました。すると、神父様は「あなたの大統領は、とんでもない事をしましたね。」と、大きな声で、おっしゃったので、その神父は驚いて、その場から逃げ出したくなったそうです。

 もちろん、これは神父様お得意のユーモアで、その後、その神父は大歓迎を受けたそうです。

水仙

(東松山教会)


第24話、可愛がって

 一人の女性信者が自分の結婚の事でラバルト神父様に初めて電話をしました。彼女が自分が新郎より年上である事、両方の家族が反対している事を告げると、神父様は結婚式を引き受けた上で「せいぜい年下の彼を可愛がって下さい。」とおっしゃいました。

 神父様はミサ中も個人的にも、冗談がお好きでしたが、それは相手の心の緊張を解いた上でなければ、真の人間としての触れ合いが出来ない事をご存知だからでした。その上で、必要があれば相手に対して厳しい事もおっしゃいました。

鐘楼

(川越教会)


第25話、野蛮なフランス人

 ある時、ラバルト神父様は同じ宣教会の古くからの付き合いのある神父と信者達の前で声を張り上げての大喧嘩をされました。信者達は神父二人の有様を見て大変に驚きました。その事を後で、やはり同じ宣教会の別の神父に話したところ、うなずきながら「野蛮なフランス人と思ったでしょうね。」と言いました。

 以前、ラバルト神父様は「日本人は喧嘩をすると、駄目になる。フランス人は喧嘩をすると、友達になる。」とお話しになりました。本来、自分と他人はどんなに似ていても違うところがあるものですから、何かについて真剣に話し合えば喧嘩になってしまいう事もあります。でも、そうならないように曖昧に付き合うのが日本人で、喧嘩をしてでも自分と相手の考えの違いをはっきりさせ、その上でお互いに認め合うのがフランス人といったところでしょううか。

ノートルダム

(パリ)


第26話、本当のバスク人

 神父様と同じ宣教会のシェガレ神父とバスク人についてお話をした時の話です。神父は「ラバルト神父様はバスク地方に生まれ、バスクの文化と習慣を身に着けていますが、苗字はバスク語ではありません。一方、私は北フランスの生まれですが、苗字はバスク語です。バスクには、バスク語の名前を名乗るものこそがバスク人だとの考えがあります。」と話したので、神父様にその事を確かめたところ、「シェガレは元々エシェガレイというバスク語です。」とだけ、お答えになりました。

 フランスではナポレオンの時代に名前をフランス風にする事が強制されました。多分、ラバルト神父様の先祖もその頃に苗字を変えさせられたのでしょう。ラバルト家は苗字をフランス化された土着のバスク人の子孫、シェガレ家は苗字は変わらなかったがフランスに帰化したバスク人の子孫だと言えます。

出身教会にて

(イバロル村)


第27話、減らず口

 ラバルト神父様の超舌な事は有名でしたが、ある時、一人の信者が神父様を言い負かしてしまいました。すると、神父様は非常に立腹されて「この、減らず口。」とおっしゃいました。ところが、その信者は話の上手い神父様にそう言われた事を却ってとても光栄に思いました。

 こんな事もありました。市内のキリスト教会合同の会議で神父様が「次回の講演者は、あの神父にしよう。あいつは口が上手いから。」とおっしゃいましたので、同行の信者が「でも、神父様には負けます。」と言ったところ、プロテスタントの牧師さん達は同感だったのか、その場で大爆笑しました。そして、神父様の超舌には、どこか愛すべきところがありました。

納骨堂の祭壇

(川越教会墓地)


第28話、教会墓地

 ラバルト神父様は長い間、自分の仲間や友人、知人が多く眠る川越教会墓地の責任者を務められ、ご自分も何時か、そこに入ると公言されていました。また、ある時、神父様は「墓地に居るのは、はかけがえのない人達ばかりだ。」とおっしゃいました。

 後のは神父様の言葉と言うよりもフランスの諺だそうです。そして、神父様御自身も、その一人に加えられた訳です。それから、宣教師がその土地の土になるのはとても栄誉な事なのです。

司祭の墓

(川越教会墓地)


第29話、フランスパン

 ラバルト神父様の好物と言えば、ワインにチーズ、そして、忘れてはならないのがフランスパンでした。ある時、一人のパン屋の信者に向かって「あなたはフランスからパンを盗んだ。」と言われました。その信者は神父様に時々、パンを差し上げていたので、とても驚きました。

 しばしば、お使いになった「盗んだ。」とか「騙した。」とは、相手を褒める神父様独特の言い回しでした。ちなみに、パンを盗んだとは「おまえがフランスの技術で造ったパンはそれ程に良い出来だ。」と云う意味です。また、自分の教会から一人の信者が修道会の神父として巣立った時には、その修道会の責任者に向かって「神父を一人この修道会に盗られました。」と嬉しそうにおっしゃいました。

パピルス

(東松山教会)


第30話、サクランボ

 幼稚園の庭にサクランボの実がたわわに実った時の話です。一人の信者が幼稚園の先生に向かって「早く採らないと、小鳥に食べられてしまいますよ。」と言いました。すると、横でそれを聞いていたラバルト神父様は、その先生に「小鳥に食べられてもいいですよ。」と優しく話されました。

 幼稚園にはサクランボの他、季節ごとにブドウやイチジク等が実りました。園児達はそれらを摘み取って楽しそうに食べました。そして、神父様は大人達よりも、そうした子供達がはるかにお好きでした。また、小鳥や動物もお好きで、以前、幼稚園で飼っていたウサギ達には自ら餌を与えられ、信者の自宅を訪問した時などカゴの中の小鳥に楽しそうに話し掛けられました。

サクランボ

(川越白鳩幼稚園)


第31話、二つの福音書

 降誕前夜祭のミサの事です。ラバルト神父様は途中で具合を悪くされ、福音書の朗読の頃には意識も朦朧とされていました。皆が心配する中、ルカ福音書のイエスの誕生の箇所が読まれましたが、途中少し間が空いてからの朗読は何とマタイ福音書のイエスの誕生の箇所に代わってしまいました。しかも、朗読の後には洗礼式も予定されており、これで洗礼は無理かと思われたその時、たまたま会衆席に居たある修道会の助祭が祭壇に上がり、奇跡的にも洗礼式を行う事が出来ました。

 福音書は四つありますが、ミサの際には何れか一つだけが読まれる事になっています。ですから、信者にとっては二つの福音書が一つのミサで読まれる事は最初で多分、最後の事でした。また、助祭とは普通は司祭(神父)になる前の段階でミサを司式する事は出来ませんが、洗礼を授ける事は出来ます。(ただ、司祭になる事を前提としない助祭もいます。)神父様はその助祭の助けによって、何とかミサを終えられた後、そのまま病院に入院されてしまいました。例年、教会の大きな行事の頃は、とても忙しく体調を崩される事の多かった神父様ですが、この時は神の働きによって無事に務めを果たされた訳です。

ミサ典礼書

(川越教会聖堂)


第32話、鼻が高いのは

 ラバルト神父様は最晩年、長年務められた刑務所の教誨師の仕事が評価されて、勲五等瑞宝章という勲章を日本国政府より授与されました。日本人が勲章を貰うのも稀な事ですから外国人としては極めて栄誉な事です。皆はとても喜びました。そして、「神父様は勲章をお取りになって、益々鼻が高くなった。」という嬉しい笑い話が巷には流布されました。

 神父様は西洋人ですから元々鼻が高いのですが、以前はお太りになっていたので余り目立ちませんでした。ところが、この頃には、かなりお痩せになった為に頬の肉も落ちて鼻が高くなった様に見えた訳です。でも、御自身は「勲章をもらっても何も変わりません。」とおっしゃって、それまで通りの質素な生活をお続けになりました。

友人の息子と

(フランス・ルルド)


第33話、女性好き

 ラバルト神父様のお話によると、フランスの教会では神父志願者に女性が好きかどうかを質問して、もしも「嫌い。」と答えたら、取り敢えず志願を諦めて社会に進む様に勧めるそうです。神父になった場合、信者の半分は女性ですから女性を嫌いでは仕事にならないからです。

 神父様は弱い者、貧しい者、そして女性には、とても優しい方で、そうした人の心を捉える事も巧みでした。日本の教会の場合、信者の七割近くが女性であり、また、教会内部での働きも多くを女性に頼っていますから、女性の心をつかむ事は教会の重要な仕事でもありました。そして、その結果、多くの女性信者が神父様の味方となりました。

ご婦人と

(川越白鳩幼稚園)


第34話、フランス製

 一人の信者がラバルト神父様を自動車にお乗せして国道を走っていると、たまたま、フランス製自動車の販売店の前を通りました。ショーウインドウには沢山のピカピカのフランス車が並んでいます。そこで、信者は「神父様、今度お買いになる車はフランス製はどうですか。中身も車もフランス製という事になりますよ。」と言いました。しかし、神父様は「高いでしょう。」とおっしゃった後、それらを一瞥されただけで、意外な程、興味なさそうにして、おいででした。

 神父様は殆どの物で国産品(ここではもちろん日本製)を愛用しておいででした。理由は値段が安く、修理がしやすく、長持ちだからの様です。そう云う意味で神父様は現実主義者であり、また合理主義者であったと言えます。

日本製の愛車

(川越白鳩幼稚園)


第35話、坊主丸儲け

 洗礼式の後、一人の洗礼を受けたばかりの信者がお礼の包みをラバルト神父様にお渡ししようとしたところ、神父様は「いりません。」とおっしゃって、なかなかそれをお受け取りになりません。その信者が、「それでも。」と無理にお渡しすると、神父様はお礼を言われた後、短く刈った頭を手で擦りながら「坊主丸儲けです。」とおっしゃって、渋々とそれを受け取られました。

 神父の事をカトリックの僧侶という言い方もありますから、あながち間違いとも言えません。また、神父様はお寺の住職や神社の神主さんとも交際がありましたから、そうした方達から、この言い方を習われたのかも知れません。そして、神父様は相手に依ってはミサ等のお礼を受け取られない事が良くありました。ご自分が神父になったのは金儲けの為ではない事を心得ておられた訳です。

司祭館執務室で

(東松山教会)


第36話、昏睡状態の秘密

 ラバルト神父様が病院に入院されていた時の話です。大切な用事があるとの事で一人の信者が神父様を自分の自家用車にお乗せして、園長をされていた幼稚園までお連れしました。神父様はその信者に入口で五分だけ待つように告げて園長室にお入りになりました。そして信者は約束通りお戻りになった神父様をお連れして病院まで帰りました。ところが、病院に着くや否や、神父様は昏睡状態になってしまわれました。もう病院は大騒ぎです。ところが、一人の看護婦がふと神父様の口元に顔を近付けると「先生、ワインの匂いがします。」とそばに居た医者に言いました。

 川越教会から東松山教会に異動された後、神父様は川越教会に隣接した幼稚園の園長室に週に数回泊まられ、部屋にはワインをいつも置いておかれました。多分、神父様は用事のついでに、ついつい、それに手を伸ばされたのでしょう。ただ、しばらく病院で禁酒を続けられた上に何も食べていらっしゃらなかった為、急に酔いが回って病院に着くなり寝込まれてしまった訳です。また、別の時には、神父様は点滴にワインを入れる様に何度もおっしゃって看護婦を困らせたそうです。フランスでは昼食の時にワインを飲むのは普通の事で神父様もその習慣を根強くお持ちでした。そんな神父様を信者達は「ワインを燃料に動いている。」と称していました。

園児達と

(川越白鳩幼稚園)


第37話、裏切り者

 教会に一人のフランス人神父が訪ねて来てラバルト神父様と共にミサを捧げました。ミサが終わると神父様はその神父を紹介しながら「この人はフランス人ですが、日本に帰化しました。ミッテラン(当時のフランス大統領)を裏切ったんです。」とおっしゃいました。とたんに聖堂は笑いの渦に包まれました。

 神父様は日本で五十年近くを過ごされ、神父仲間には日本に帰化した人も多い様でした。しかし、神父様は日本での宣教にフランス国籍でも何の不自由も感じないとおっしゃり、あえて日本に帰化するお考えはありませんでした。それと、神父様の様な宣教師には派遣先が途中で変わる人もいますから、その事とも関係しているのかも知れません。

ミサワイン

(白ワイン)


第38話、ローマンカラー

 ラバルト神父様は信者からお坊さんの葬儀にも行くのかと聞かれた時に次の様にお答えになりました。「もちろん、行きますよ。そうした時には、わざわざローマンカラー(神父等が着る詰襟の服)を着て、丁寧に頭を下げて来ます。」

 神父様は長く刑務所の教誨師のお仕事をされていましたから、プロテスタント教会の牧師さんのみならず寺院の僧侶や神社の神主など多くの宗教家とお付き合いがありました。意外に思われるかも知れませんが、そうした方達は互いの宗教を尊重し、仲も良く、教誨師の仕事の時などで一台の車に神父と牧師と僧侶と神主が分乗するといった事もあるそうです。それから、神父様はよそ行きの時でも普通の背広に棒タイかネクタイという出で立ちが殆どでしたから、信者の中でも神父様のローマンカラー姿を見た人は少なかった様です。

ローマンカラー姿

(葬儀の御絵より)


第39話、マリア教

 「東京都内を遊覧バスに乗って観光した時の事です。東京の関口にあるカテドラル(司教座聖堂)の前に来ると、ガイドが聖堂を指差しながら『マリア教の大本山です。』と言いました。私は驚いて、後で誰からその様に聞いたのかを確かめました。」

 教会に奉られ崇拝されるのは三位一体の神のみで、マリアは神によって造られた者に過ぎません。しかし、同時にマリアはイエスの母として多くの人の手本となりましたので、最も偉大な聖人とされ、ラバルト神父様も深く崇敬の念をお持ちでした。しかし、同時に神父様は聖母マリアが神と混同される事をとても警戒されていました。ある時には「それはマリア崇拝だ。」と信者に注意を促され、また、ある時には教会の庭に立てられたマリア像の祝福をマリアの祭日まで、しばらく待たせられました。

マリア像

(川越教会)


第40話、懺悔(ざんげ)

 ある時、ミサの説教の中でラバルト神父様は「この間、一人の婦人が訪ねて来て一万円を借りて行きました。もう、お金は戻って来ないと思っていましたが、昨日になって、その婦人は一万円を私に返しに来ました。」と申し訳なさそうにお話しになりました。

 古代の教会ではミサの中で自分の罪を告白する懺悔が行われていましたが、弊害が多く、中世には神父と信者の一対一の懺悔が行われる様になり、今に至っています。つまり、神父様は人を疑った自分を会衆の前で古代の方法によって素直に懺悔された訳です。ちなみに、神父様は困った人には度々お金をお貸しになり、また、厳しい取立てをする訳にも行きませんから焦げ付く事も多かった様です。ケチで頑固と言われる事が多かった神父様ですが、それらの事を良く知る人達の中には、その様に考える人はいません。

婦人達と

(川越教会)


第41話、お兄さん

 ある平日、一人の信者が教会にラバルト神父様を訪ね、話をし、用事を済ませて帰りました。ところが実は神父様は外出中で、対応に出たのは、たまたま故郷から日本に来て教会に泊まっていた神父様の一番上のお兄さんでした。お兄さんは当然の事ながら日本語が出来ません。ただ、信者の言葉に訳も分らずに、うなずいていただけだったのです。

 神父様には三人の兄と一人の妹がいましたが、晩年には存命なのは一番上の兄と妹の二人になっていました。このお兄さんは第二次世界大戦に従軍してドイツ軍の捕虜になり、戦後、故郷に戻ってからも結婚せずに、八十過ぎの今日も一人暮しを続けられているそうです。

故郷の兄と

(ドニ・バネ・ガラジ)


第42話、頭の黒いネズミ

 ラバルト神父様がある洒落た喫茶店でコーヒーとケーキを注文され、カウンターに腰掛けて店の若い女性従業員達と楽しそうに話をされました。その中で神父様は御自分の事を「頭の黒いネズミ。」とおっしゃいましたが、従業員には意味が通じず説明に苦労されました。ちなみに神父様はチーズが大の好きなネズミ年生まれ、その日のケーキもチーズケーキでした。

 川越教会時代の神父様は商業団地の食品問屋で購入された丸い座布団程もあるヨーロッパ製のナチュラル・チーズをいつもナイフで切ってお召し上がりになっていました。そして、司祭館二階の御自分の冷蔵庫だけでは足りずに、教会一階の台所の信者用冷蔵庫までをそれで占領されました。ある時、信者が教会の行事に使う飲物を冷やす為に一時そのチーズを別の場所に移動させたところ、神父様はそれをまるで命の次に大切な物の様に慌ててお探しになりました。

セーヌ川の上で

(パリ)


第43話、復讐?

 ラバルト神父様のお兄さんの一人は若くして交通事故で亡くなりましたが、どうした事か、本人の過失を理由に生命保険が支払われませんでした。一年余りが過ぎて、日本から帰国された神父様はスータン(司祭等が着る普段着)姿で地元の保険会社に行ましたが、らちがあきません。とうとう、パリの本社まで乗り込みましたが、事故から一年以上経過している事を理由に断られてしまいました。そこで、地元に戻られた神父様はそうした保険会社の態度の一部始終を友人知人に話されました。その話はたちまち地元の人々に広がって、多くの人が、その保険会社との契約を止めてしまいました。

 この話をされた後、神父様は「これは復讐ですか?」と、おっしゃいました。神父様は曲がったところがお嫌いな性格でした。

フランスバスク地図

(旅行ガイドより)


第44話、悪い所

 一人の信者がラバルト神父様の親友で同い年の神父を訪ねたところ、神父様のご様子を聞かれたので、「足と口がお悪い様です。」と答えました。すると、その神父は笑いながら「身体の大切な所が二箇所も悪いとは大変な事だ。」と言いました。後で神父様にそのお話をすると、肯きながら「足も悪いが、口はもっと悪い。」と訂正されました。

 フランスでは会話が文化であるとされ、その中でも神父様は特にユーモアのセンスに富んだ方でした。でも、日本人の中にはユーモアを不真面目と受け取る人もいて、神父様は誤解される事もありました。そして、そんな御自分を「口が悪い。」と表現されたのです。

居酒屋で

(バルセロナ)


第45話、偏り

 ラバルト神父様は毎週、求道者達に洗礼の準備の為の勉強を教えておられましたが、別の神父が何かの用事で教会に来た時には、その神父に代わりに勉強を教える様に言い残して、さっさと外出されました。この理由とは「一人の神父に勉強を習っただけでは信仰に偏りが出るから。」というものでした。

 神父様は、ゆったりとした生活をされている様に見えましたが、実は教会の主任司祭の他に幼稚園の園長や刑務所の教誨師、大学のフランス語講師等の仕事を兼任され、とても忙しい方でしたので、こうした勉強も予定通りに始まる事は稀でした。ですから、求道者が複数の神父から勉強を習うのも大切ではありますが、実際は、普段やり残した仕事をお済ましになる為に「これ幸い。」と教会を後にされたのだと思います。

セントアンドリュース

の港で(フランス)


第46話、ずうずうしい奴

 ラバルト神父様と同じ宣教会の一人の神父は一人の信者に「日本に来た時は自動車が無くて困っている私に二年間も只で車を一台貸して下さり、しかも諸経費も全て払ってくれました。」と言い、神父様に、とても感謝をしていました。そこで、その信者が、その事を神父様にお話ししたところ「あいつは、ずうずうしい奴だ。」と一言おしゃったきりでした。

 もちろん、これは神父様独特のジョークです。神父様は困っている人を見ると仲間でも、そうでなくても良く面倒を見られ、また、それらを御自分から口外される事はありませんでした。その為、神父様を恩人と考える人が沢山居ます。

フランス地図

(旅行ガイドより)


第47話、好敵手

 以前、ラバルト神父様には強力なライバルがいました。同じ宣教会に所属し、隣の教会に赴任したベルギー人の神父で、神父様と同じ様に付属幼稚園の園長をしていました。しかも、フランスのマルセイユの港から日本の横浜までの宣教の為の長い船旅を共にした同志でもありました。二人は良く喧嘩をしましたが、和解の為に年に二度、その教会を訪れた神父様は手料理で大いに、もてなされたそうです。

 ベルギーはフランスの北に位置し、その神父も北方にありがちな厳格な気質でした。一方、神父様の出身地バスク地方はフランスの南部に位置し、南方にありがちな、のんびりとした気質でしたので、二人の考え方や感じ方にも大いに差があったそうです。しかし、その神父は残念にも若くして癌で亡くなり、神父様が管理されていた川越教会墓地に葬られました。そして、神父様は何時までもそのライバルの死を悼んでおいででした。

旧友と(パリ、

サクレクール)


第48話、やぶ医者

 足のお悪かったラバルト神父様は時々教会で主治医の一人から治療を受けられました。そして、神父様はその医者を愛情と皮肉を込めて「やぶ医者。」と呼んでおられました。昔、御自分が神父になる様に勧めたのを断って家業の医者を継いだ事をまだ憶えておいでだったのです。

 神父様の所属されたパリー外国宣教会は幕末の日本に最初に来たカトリック団体で、日本の八割の教会はこの宣教会によって創立されたと言われています。そして、この宣教会の目的は宣教地に教会を建設し、現地人の信者を育成し、後継者を育てたら、速やかにその地を去るというものでした。神父様もその目的に沿って神父の育成の為に働かれたのです。

故郷のワイン

(ドニ・バネ・ガラジ)


第49話、就職指導

 一人の青年がある企業の就職試験を受けに行く事になりました。すると、ラバルト神父様はその青年に「面接の時に今何をやっているかと聞かれたら、青年労働者連盟では不味いから、カトリック教会と言いなさい。」とアドバイスされました。当日、青年が言われたままを答えると、面接者は「ラバルト先生はお元気ですか。」と聞き返しました。そして、青年は無事に就職を果たしました。

 以前、川越教会ではカトリック青年労働者連盟という一種の労働運動組織の活動が盛んで、神父様も中心となって働かれていました。その活動自体はカトリック者の立場から青年労働者の生活の向上を図るという極めて健全なものでしたが、当時過激だった日本の労働運動と誤解される恐れがありました。それに、神父様は幼稚園の園長などもされていた為、川越の名物男と言われる程顔が広く、他にも就職で世話になった人が何人もいたそうです。

スペイン巡礼路

(旅行ガイドより)


第50話、時間とは

 ラバルト神父様と時間の取り決めをして、時間通りその場所に行ったが、なかなか神父様は現れなかった。これは信者の誰もが大なり小なり経験した事です。しばしば、神父様は時間に正確ではありませんでした。ある時など、ご都合でミサの開始時間を10分以上も遅らせてしまわれた程です。

 日本人の私達には決まって何処か時間に、あくせくした所があります。それを見て、神父様は「時間に使われては、いけません。時間は使うものです。」とおっしゃいました。これは時間に追いまくられる我々日本人への教訓でした。そして御自分は時間を支配しているお積りだったのです。

グエル公園にて

(バルセロナ)


さようなら白鳩幼稚園 神父送別演奏会 神父様エピソード集1.  2.  3. 神父様の通夜、葬儀、納骨式 神父様の追悼ミサ

 

目 次 1.所在地と地図 2.集会時間 3.主な行事 4.キリスト教とは 5.お祈り
6.最近の話題 7.共助組合支部 8.写真集 9.お薦めHP 10.グレゴリオ聖歌 特 集
クイズ A.意見交換の広場 B.キリスト教の本 C.川越散策 *編集後記 メールとML