エンドレス・ドライブ

 「お金があれば幸せになれる可能性は高い」
  たぶん、ほとんどの人はそう思っているだろう。
  ご多分に漏れず、おれもそう思っていた。

  あの蠱惑的な夏を体験するまでは・・・

        プロローグ

  夏。
  愛知県の夏は5月ぐらいから始まっている。
  伊勢湾より流れ込む気流の関係で湿度がやたら高く
  単に「暑い」のではなく、間違いなく「蒸し暑い」
  他の地域の夏を体験すれば、恐らく愛知県民のほとんどは驚くことであろう。「日陰に入ると涼しいぞ!」
  そして今は7月。
  もはやサウナとしか思えんような猛暑の中
  おれは教室で机に突っ伏して溶けていた。びろ〜ん。
  先生も既に怒る気力など持ち合わせて居ないぐらいの蒸し暑さであるのだ。なんでこんな時期まで学校は営業をして居るのか。殺す気か。というか、せめてエアコンぐらい買え。ブツブツと呪詛の声を上げ続けるおれの声は、恐らく誰の耳にも届かず、よしんば届いたとしても鬱陶しさが増すだけで、誰も反応などしなかっただろう。

  無為に時が過ぎてゆく。
  聞こえるのは蝉の音だけだ。
  蝉の音?本当に蝉の音なのか?耳鳴りではないのか?
  吹き出る汗をタオルで拭い、おれは教室を眺める。
  黒板には大きく「自習」と書いてある。いつの間にか先生は脱走したようだ。今頃はエアコンの効いた職員室で麦茶でも飲んでいることだろう。教室内でまともに活動している奴などほとんど居らず、ほぼ全面に渡って累々と生気の抜けた生徒の群れが見られるだけだ。もちろん、おれもその中の一人に過ぎないことは間違いない。目の前に座っている女子生徒の背中が、汗で透けている。ブラはピンクだなぁ・・・とは思うが、もはやそれに関して現役高校生男児が当然抱くべきリビドーは、かけらも沸いてこない。

  実に鬱陶しい文章だと、自分でも自覚するが、まさしくその鬱陶しさをおれは今体感している。一言で言えば「あぢい」

  と、そこまでおれが考えていたとき、奴が現われた。
 「生徒諸君!元気かねー?」
  ドアを景気よく開け、この状況が全く感じられていないかのように快活な声をあげ、さわやかな笑顔を撒き散らし、似合わねーグラサンとダサいアロハ、白いスラックスにサンダル履きという、今時こっぱずかしくてとても出来んような最悪な格好の男がそこに立っていたのだが、幸か不幸か、それを視認したのはおれ一人だったようだ。
 「よぉっ!信輝。行くぞ!」
  おれかよ。
 「章宏・・・授業中だぞ。非常識だろう。ってか、『行くぞ』ってどこへ?」
 「授業中?授業・・・してるか?」

  ・・・・してない。

 「では良いではないか。こんな時期に何やっても無駄だ。さ、出かけるぞ」

  は?

  おれは訳も分からぬまま、章宏・・・葦山章宏に拉致同然に連れ去られた。

  これが、旅の始まりだった


  
    「旅は道連れ世は情け」
     昔の奴が何を考えてこんなことを言ったのかは分かりはしないが
     世の中そんなに甘くないのではないのかとおれは思う。

          1章

  章宏に引きずられるように、おれは正門まで引っ張り出され
  正門脇の「駐車禁止」の標識の前にわざわざ駐車された車のところまでたどり着いた。
  アリタリアカラーのマーキングが施された扁平な車
  当時ですら異様な風貌が話題になったという
  確か世界中でも500台と世に出なかったはずの伝説のラリーカー
  ランチア・ストラトスがそこにあった。

  初心者マークをくっつけて。

 「乗れよ」


  これにか?
  よりにもよって「直進安定性を犠牲にしてまでもコーナリング性能を求めた」とか言われ、後方視認性なんか犬に食わせたとしか思えない程度であるとされ、更にはエンジンはフェラーリであるというモンスターマシンであることに加え、運転免許を取得してまだ1年経って居ないような奴が運転するモノの横に乗れと?
 「そうだよ」
 「イヤだ、おれはまだ死にたくない!」
 「うるせぇ、こんな車に乗れる機会なんて滅多にないんだ、ありがたく乗りやがれ」
 「いやまあ確かに、ラリーファンなら誰もが知っているこの名車に乗れるのなら、金を出してでも乗りたい奴はいるだろう。もちろんおれだってそうだ。だが、だがな。それを運転するのがお前だという事実が気に入らない。せめてもうちょっとマシなシチュエーションは考え付かんかったのか?」
 「ダメだ。これは二人しか乗れないからな。」

  ・・・ああ、なるほど。




  は?

  何でおれ?


  頭にクエスチョンマークを大量に発生させたまま
  おれは混乱状態であることを良い事に
  バケットシートに座らされ、4点シートベルトをきっちりはめられてしまった。
 「っしゃぁ!では、一足早いが楽しい楽しい夏休みに突入だ!」
  章宏は元気よくそう宣言すると、イグニッションをオンにした。
  野太いエギゾーストが響き渡る。
  すげぇ・・・本物だよ。視認性めっちゃ悪いよ・・・後ろなんかまったく見えねぇ。
  おれが冷静さを取り戻す前に、章宏はクラッチを静かに繋いだ。
  のろのろ・・・というよりはだらだらと、車は進み始めた。
  これは実はものすごい高等技術なのではないかと思うのだが
  章宏の奴は、こんな車で実に模範的な安全運転を始めた。


  章宏の運転は非の打ち所が無かった。
  恐らく世界中でも類を見ないマニアックな設計の車で
  かつコンペティション専用に造られたような割り切ったモノであるのも関わらず、変に暴れるでもなく妙な爆音を立てるでもなく、ごく自然に走らせている。
  もう、かれこれ30年以上(1973年発売)は経っているが、全然古さを感じない。そういえばレプリカ出てたっけ・・・
 「これ、レプリカ?」
  章宏は前を向いたまま答える。
 「レプリカも考えたけど、やっぱ本物が欲しくってさ・・・世界で400台ぐらいしか残ってないけど、色々と手を廻したら手に入ったの」

  手を廻せば手に入るものなのか。

 「まさか、こんな綺麗なまんまじゃなかったよね?」
 「初めはガッタガタのボロボロだったけど、かなりの部分を最新のパーツに入れ替えてあるよ。サスなんか良い具合になったと思う。実はエンジンもフェラーリに頼み込んで換装してるし、かなりゼータクな車になってると思う」
  ええぇとぉ・・・君、初心者ですよね?
 「練習はプロドライバーに徹底的に仕込んで貰ったし、まず間違いは無いはず。気になることがあったら遠慮なく言ってくれ」

  その金はどこから出た。(幾らかかってるのかより気になる)

 「ま、気にするな。おいおい話す。」
  章宏は笑いながら山道を巧みに走る。

  車の感想?
  とりあえず、路面を拾って滅茶苦茶ゆれる。
  サスペンションがやわらかく設定してあるのか、ゴツゴツした感じは無いけれど、路面のうねりに対する反応がかなり強烈に感じる。
  ナビ・シートは運転席より少し低くなってるので、近くはほとんど見えない。窓はほとんど開かない。後ろはなんかブラインド降ろしたみたいになってるし、ほとんど見えない。車の評論家なんかなら、間違いなく「ダメダメな車」と評価するだろう。国産なら。
  音も意外に静か。内装も計器類丸出しって感じではないし、なんか妙な高級感が出ている・・・これ素ですか?まさかね・・・
  素人だけど、たぶんこの車はストラトスであるけれど、ストラトスではない。
  ものすごく手を加えた感じがあって、外装から内装まで、薄汚れた感じは全く無い。
  これは言いたくないんだけど、アリタリア・マーキングと初心者マークが異常にマッチしてて怖いぐらいだ。

 「なぁ、章宏」
 「ん?」
 「なんで、この車選んだの?しかも、かなり手を加えて・・・」
 「あはは。夢・・・かな。おれが生まれる遥か昔・・・下手すりゃダブルスコアぐらいなんだけど、そんな古い車とは思えない新鮮さがこの車にはあるんだよね。子供のころからこの車だけは別格で大好きだったんだよ」
 「普通じゃ買えないだろコレ。章宏んちって、そんなに金持ちだっけ?」
 「普通じゃ買えないよ。ちょっと普通じゃない事があって、ね」
  まあ、それはおいおい聞かせて貰えるんだろう。
 「で、どこ向かってんの」

  ・・・・

  ・・・・・・・・

  おい?

  とりあえず走らせとっただけかい。

 「さて、どちらへ参りましょうね?」
  章宏は悪びれもせずに笑った。
  どうぞご随意に。わたしゃどこでもお供いたしますよ。
  なんとなく、この1つ違いの従兄弟の無茶なノリに合わせてみるのも悪くないと思い始めていた。


           つづく