Repo:コタツの中から海が見える<シーカヤックMBA学>

2007年2月18日(旧正月)

1.起の章

第一回東京マラソンが行われた。コタツに入りながらテレビ中継を見ていると、石原都知事が画面に映っていた。世界各国の大都市の名を冠した有名なマラソン大会に張り合って東京の名前を売り込もうということだろうか? マラソンは市民にも出来る手軽なスポーツだ。いいアイデアかもしれない。この大それた企みは、都知事が代わっても継続し、いつしか世界中の市民がこの大会を目指す日が来たら、創始者の石原氏の小説は完稿したことになるだろう。

このテレビ中継は、普段マラソンのなど見ない自分も少しばかり楽しむことが出来た。と、言うもの解説や構成の中に、選手各者の想いや歴史・過去の勝負にまつわる因縁などが紹介されており、単なる競い走るというスポーツ中継だけではなかったような気がしたからである。

世の中「最近、景気が回復してきた」なんて言うが、そんなのは海外投資家の日本株買いに支えられた株式の世界、輸出中心の企業経営の世界だけのこと。円安が象徴しているように、日本そのものの人の力、活力はまだまだ低迷し続けているような気がする。

年寄りが増え、若者は仕事に価値を見出さず、消費するだけで生み出すことを怠っているだけの層が急速に増殖しているのではないだろうか? とりもなおさず、我が家も例外ではないが・・・。

そんな中、マラソン中継の解説者の一人が、「この大会を支えている何万人もの人があってランナーは走ることが出来る。決して一人だけのスポーツではない・・・。」と話していたことが印象的だった。優勝したケニア人の選手は日本でどれだけ優秀な成績を収めても自国のオリンピック代表にはなれないほど、選手層が厚いと言う。日本のスポーツは、お家芸といわれる柔道ですら、どんどん海外選手に追い上げられている。

いったい、これからの日本はどうなるのであろうか?マラソンを見ながらも考えずにはいられない。スポーツで言えば、個人の身体能力で勝てないとなれば、バスケットボールのように選手同士が交差するわけじゃなく、しかもチームワークという相乗効果を発揮できるバレーボールのようなスタイルのものしか生き残れないと思うのは自分だけではないはずだ。

そしてこの可能性は経済や企業間競争も同じではないだろうか?

2.承の章

話は変わる。

私の愛艇はショアライン。全長475cm、幅55cm。イギリス製のシーカヤックだ。今なら店先で聞けば、体重70kgの私には小さすぎると言われるサイズ。

しかし実際は違うのだ。荒れたコンディションほど、このサイズの船のパフォーマンスが発揮される。

これは、ちょっと分かりにくいかもしれないが、砂利混じりの、凸凹道をタイヤ径の大きな自転車と小径のタイヤの自転車のどちらが走りやすいかという例に似ている。速さや乗り手の力量にも拠るが、平坦な舗装路を走る時には、誰もがタイヤ径の大きな自転車のほうが走りやすいと知っていても、路面コンディションがラフになると、必ずしもそうではないことは想像できるであろう。ましてや海は、凸凹がグニャグニャで風もあるのだ。

シーカヤックと言う小舟は、その名のとおり海で使うカヤックだ。細長い舟形をした円柱構造で、真ん中に人間の腰ほどの穴が開いている。そこに下半身を入れて、ゴム製のスプレースカートというものでパッキンのように隙間を埋めて、内部を気密構造にする。推進力は一本のパドル。左右両方にスプーンのような板がありこれを交互に漕いで進むのだ。川でも同様なカヤックを使うスポーツがあるが同じようなもの。ただしこれを海で使うのでいろいろと特徴があるのだ。勿論、起源はイヌイットでもお馴染みなように川のカヤックよりも、海のもののほうが遥かに古いことは言うまでもない。

この舟の船体工学的な話になると本が書けるほど複雑で奥が深いので、ここではどうでもいいが自分の仕事柄か、どうしてもこの小舟と今の日本のあり様や、今の多くの企業の経営が重なって見えて仕方ない。

例えば「舟は大きなほうが安定性も高く、小さすぎると、小回りは利きますが荷物も積めないので・・・」というお店の店員や解説本。会社は大きなほうが安泰で、小さければ生き残れないという経営の常識とどこか似ている。

大きな舟を買ったはいいが、そのサイズを取り回すだけのテクニックがない初心者と、大きな組織や制度に縛られて身動きが取れない会社と・・・。

これも似ている。おまけに自分には扱いきれないと分かっていながら、一度、乗り込んだらどうしようもないというところまで似ている。

一般には海は一見穏やかで広いものの代表だ。少し前、流行った経営戦略の用語のブルーオーシャンの代表のようなものだ。そこでは大きな舟がよい。安定していれば転覆しないし荷物も沢山積めるから気持ちは安心だ。全長が長くて浮力が大きいと、喫水が浅くなることで速度もアップするかもしれない。

しかし実際の海はダークブルーだ。風も波もやってくる。サンデーパドラーなら天気を見ながら出艇すればよいが、仮に会社経営のように年間365日、そこに出艇して漕ぎ切らないといけないとなると、台風の日もあれば北風の日もある。風もないのに遠くの低気圧からのウネリで翻弄される日もあろう。さらには、進路には潮流あり暗礁あり、狭い航路に群がる大型船との衝突の危険性など・・・。特に大きな船からは、カヤックなどレーダーに映らない浮遊物は衝突の対象ともならないのだから気が気ではない。

そればかりではない。今日は楽勝だ!と思って出発したのに、急な天候変化だってあるのだ。

もう、かなり前の話になるが、駿河湾の真ん中で突然強風に襲われたことがある。同行は初心者。自分一人なら何とかなる程度だったが、我々2艇にとってはかなり危険な状況に陥ったことがある。もしあの時、大きな舟をチョイスしていたら・・・と、思うと今も恐ろしい。

夏のある日、海の真ん中で雷雲に追いつかれそうになったこともある。進退窮まったようなもの。パドルは導電性のカーボンだ。周囲数kmで、もっとも高い物体が自分自身。逃げも隠れも出来ない。・・・神にも祈る気持ちとはこのことだ。

後になれば笑い話で「そんな日に出かけなければいい」と言われるが、そのとおりだ。でも経営は違う。たとえ台風のようなコンディションでも、その中に漕ぎ出し、漕ぎきらなければならないのだ。

海の上から街を見ていると・・・、海の上のすべてのことが、仕事と遊びいの境界を持たなくなってくる。と、言うよりも海の上の時間のすべてが経営の異次元トレーニングのようなものに思えてくるのである。

3.転の章

夏になると、少ないながらも体験学習のお手伝いをする。初心者にシーカヤックに乗ってもらったり、ステップアップを目指したりする人を相手にしたインストラクターだ。

初めて会う人の要望を聞き、その日の天候を見て、簡単な説明と体験に入るのだが・・・。

そもそも、そういった企画に自ら来る人は自然相手のアクティビティにある程度の覚悟のようなものを持っている。例えば“濡れる”覚悟などもその一つかもしれない。・・・しかし、転覆したり帰れなくなったり、それ以上のことは覚悟の外にあるはずだ。これはそのようなことが起きるかどうかではなく、あくまで気持ちの世界の話であり、個々に本人が設定する「限界」の領域のことであるが・・・。

多くの方は、インストラクターを信頼してどこへでも言われるままに、付いて来る。「あの岬に向かってまっすぐに進みましょう」と言えばそちらに向かって進むし、「あの砂浜で休みましょうか」と言えばニコニコする。多くの普通のサラリーマンタイプだ。

中には、夫婦で来られた旦那さんが一生懸命に奥様に教えていることもある。「ちょっと違うけどなぁ」と思いつつ、「よくご存知ですね」なんて言いながら、少し風が吹いたりすると、コロンっとひっくり返ってしまって奥様に「あんたはいつも口ばっかり!」と一喝。なんとなくこんな光景は、先生や公務員の方に多いような気がする。

自分としては、若いOLさんなどがいいのだが、この田舎ではそんな幸運は今までに数えるくらいしかない。しかもそのほとんどは彼氏と一緒とか、女友達同士で海上井戸端サミットだ。日常とは違う空間が脳を刺激して話を誘うのだろう。

毎年夏前に東京から来られる仲良しコンビさんは、その都度違った景色や感覚を楽しんでいる様子だったが、この前は台風の余波とカミナリと突然のスコールの中で、何をお土産にしたのであろうか・・・。まあ、一日が終わった時のホッとした顔からは、一種の満足感を感じてこちらもホッとしたのだが。

いずれにしても、いろいろなお客さんを見て思うのは、人は何か「変化」があると「反応する」ということ。水が綺麗なところに出れば声が出るし、風が強まれば笑顔が消える。波が高くなると「大丈夫でしょうか」と言う人もいれば、「この感覚、気持ちいいですね」と言う人もいたりするが、人は変化に反応するように出来ているのだ。

そして、「覚悟」とか「限界」というものは、変化を前にしてはじめて必要な心の準備となりうるものだと思う。小さな例だが、「濡れる」という覚悟も、日常の生活の中に居てはなかなか出来ないが、海に出るためにはこれなしには出られない覚悟だ。実際見ていると、この小さな当たり前すぎるほどの常識も、多くの人には「覚悟」と呼べるものなのだ。

天候の変化なども、本当の不意打ちになってしまうと結構ヤバイので、そうなる前に、やんわりと覚悟のレベルを引き上げておいてもらう。あらかじめ海に浮かぶ前に、それとなくインプットするような昔話を聞かせたり、前方遠くの水面を指差して「あっちのほうは風で波が立ってますねぇ」なんて言ったりして、あらかじめ自分自身の限界に対する認識を高めておいてもらう。一種の覚悟である。

言い換えれば、特別にスキルアップを目的にしていない方々を対象にした場合の私のインストラクションは、「予想される“変化”に対して心の準備をしておいてもらうことで、その変化に対するホンの小さな“自分の変化”を楽しんでもらう」ことを目指しているのかもしれない。

お客さんと海に出て一番困るのが、みんなバラバラな方向に向かって漕いでいってしまうこと。

海は陸上ほど声も届かない。風や波の音のような妨害要因もあるが、声が拡散したり下が柔らかい水であって反射しないことも関係あるようだが、一定の範囲を超えてバラバラになると、声も届かないし転覆などのアクシデントにも直ぐに対応できなくなるので非常に困る。「戻って来て」と言って戻れればいいのだが相手は初心者である。自由に舟を操れないからバラバラになりやすい。

いくら仲がよい友達同士でも、運動神経まで一緒ではないのだ。4〜5人のグループで少し風が吹くと、こちらは牧童犬のように彼らの全員に気を配りながら、一人ひとりに声を掛ける。

インストラクターは、進む方向を示し、一人ひとりに合わせて漕ぎ方をアドバイスし、全体を群れの如く進める牧童犬とそっくり。その上、「これは結構ヤバイ」と思っても、笑いながら「ここは風のとおり道。新宿のビル風のようなものですよ。」「今日のみんな上手だから安心ですよ。ホント。」「あの岬を回れば風影に入りますからねー。」なんて言ったりして・・・。

そんな時、ふと会社にいる自分の姿が頭に浮かぶことがある。

「部下や後輩は、進む方向をキチンと理解しているのだろうか?」

「最終到着地は知っていても、途中のランドマークはしっかりと設定しているのだろうか」

「私は、彼らが向かい風に苦しんでいる時に、“あと少しだから・・・”と励ましているだろうか?」

「私は、自分の不安を笑顔で隠しきれているだろうか?」などなど。

そして、

「本当の自分はどちらなんだろうか?」と。

シーカヤックは、一部の例外はあるものの構造的に一人一艇が基本だ。いくら解説本を読んでも、説明して分かったつもりになっても最後は一人ひとりの船長さん次第なのだ。しかも乗り手が、何もしなくても流れや風でどんどん動いていってしまう乗り物だ。操船スキルをデモンストレーションしている間もどんどん位置が変化していく。その上、私の気持ちがいくらやりたくても、海の上ではゴルフやテニスのインストラクターのように手取り足取り・・・という方法は全く使えない。一人ひとりと、会話しながら、いろいろ試して、彼ら自身が方法を見つけ出す言葉のアドバイスしかできない。これも最近ビジネスで流行りのコーチングに似ている気がする。

なお、一番素直で、上達が早いのは小学生くらいの子供さん。例外も無いではないが、彼らにあって大人にないものは、新しい環境を受け入れるために必要な心の隙間のような気がする。

4.結の章

話を戻そう。

私は、「荒れた海では、大きなシーカヤックは操船できない。故に1艇しか選べないとしたら、荒れた海でも乗れる舟に乗るべきだ」と考えている。これは言わば哲学のようなものかもしれない。

「荒れた日には出かけない」という人には全く理解できないものだろうし、「天候の急変だなんて言っていたら楽しくない」という人にも同じだろう。

シーカヤックの場合、ある程度の長さは前に進むために必要だが、長さと幅から来る浮力が大きすぎると波に揺られたり、風にあおられたりする面積が増える分、操作が難しくなるのだ。台風通過後の波高5〜6m以上の強風波浪警報の中で海に出られるのは自分の体重と力量と舟の大きさがマッチしているからに他ならない。

そう考えると、果たして今の日本の経営は、上手く企業規模と実力をマッチさせた状態になっているのだろうか? 市場規模やマーケットばかりを気にして自分のシェアを舟の大きさの大小、適正規模と勘違いしてはいないか。

同じ発想でいけば、どんなに大きな舟をつくっても海に浮かべるには大きすぎることはない筈なのだが・・・。

日本は巨艦主義で戦争に負けたと言われている。海に浮かぶ小国と言われ続けた日本人が、大きな船を欲するのはDNAに刻み込まれた記憶かもしれないが、世はまさに、風波が乱れ大きな流れさえも見えない時代。そんなダークブルーの海に、ブルーオーシャンでこそ乗り心地の良さそうな舟を浮かべようとする経営者が如何に多いことか。

シーカヤックで言う浮力という適正規模は、乗り手の体重と力量と波や風の状態で決まるものだ。目的地への距離と必要な速度は、舟の長さや船底計上などの構造的機能のほうが重要だ。決して、シェアのような量と量の関係ではないのに・・・。

また、中堅どころの企業はこの巨艦主義を望む傾向が強いのかもしれない。弱小企業は、大きな舟を持つ力が無いから漕ぎ方という技術で対応するしかなく、大手企業は、まさに波を掻き分ける巨艦かもしれないが、もっとも苦しい中堅企業は過去に成長した時代があって中規模にまで成長したものの、現在のコンディションに適応しきれずに中堅止まりなのである。

私の感覚では、荒れた海では、舟の小ささは漕ぎ手の能力でカバー出来るが、大きな舟の大きな浮力は漕ぎ手の限界よりも遥かに低いレベルでその限界に達する。もし巨艦主義を捨て切れない中堅企業の経営者が、この事実を認めないとしたら、それは過去に進んできた海があまりに平穏だっただけなのかもしれない。それゆえに最近、波が高くなり向かい風が強くなって、それに翻弄されているにも関らず、浮力を減らすどころか増やすことで安全安心が手に入るとしか、考えられないのではないか。もしくは、今浮かんでいるダークブルーの海を漕ぎ進むために小舟に乗り換える覚悟が出来ていないのか。

もし、そんな経営者がいたら先ずは、騙されたと思って私と、シーカヤックに乗っては如何であろうか? そして気づく筈だ。今乗っている会社という舟が、あなたとあなたのスタッフには大きすぎる浮力を持っていることに。

そして環境に合わせた浮力にするにはどうすればいいかを考えたとき、方法でも手段でもなく、先ず先に必要なことを用意するために海に出るべきだ。自らが変化を受け入れなければ、行動に必要な覚悟は決して生まれないのだから、その練習を兼ねて・・・・。

あなたの舟がドロ舟と呼ばれる前に。

おわり。

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