2007年3月24日
(もう昼間のほうが長い季節)
<経験という浮力>
先日のこと。18歳になった長男と伊豆の先端、石廊崎にツーリングに出かけた。彼は、小学生の頃、私に連れられてシーカヤックに乗ったことがあるものの、本格的なフィールドに出るのは今回が初めて。
天気は上々、波も静か。早春とはいえ南伊豆の海は暖かい。それでも念のため着せたウエットスーツを、彼は「暑い、暑い」と言う。よっぽど海に突き落として、「どうだ! 丁度よくなっただろう」と言ってやろうかと思ったが、あとが面倒なので止めた。
昔、乗ったことがあるとはいえ、沈脱練習をするわけでもレスキュートレーニングをしたわけでもない。冷たい水の中でウエットスーツのありがたみを実感した経験のない彼は、春先の高くなった気温にではなく、着るように指示した父親を非難の対象にしている。・・・それが普通なのだろう。
それなりに年取った自分でも、いざという時を想定できなければ、その瞬間の当たり前に、ありがた味を抱くことなどあるわけがない。ましてや平穏無事に生活してきた彼には、経験が少なすぎるというものだ。
ウエットスーツの暑苦しさはさておき、実を言うと、今回、楽しみにしていたことがある。それは彼が自分自身の体重の変化とカヤックの浮力の関係を、彼自身がどう言うのか?ということである。
今の彼は、体重67Kgでほぼ私と同じくらいだが、以前、乗っていたときはせいぜい30kgにも満たない体重で、今と同じ浮力のシーカヤックに乗っていた。言い換えれば、当時は現在の2倍もある大きな舟に乗っていたようなものなのだ。
そして、当然同じ程度の舟に倍以上にもなった自分が乗るのである。
「わぁ〜! こんなに不安定だったかなぁ?」
と言うに違いない!」と内心期待していた。・・・ところが! 期待に反して、
「こんなカンジかぁ。たいしたことないよ。」
である。・・・それどころか!
私たちベテランのオジン船団を引き離さんとするかのように、どんどん先に行ってしまうではないか! 許しがたき事態である。
先輩の見栄もあり、
「そんなにスピードを上げると、長い時間漕げないぞ!」
と言うしかない。もっとも、それが青年期の彼には当てはまらないことも承知で・・・。
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彼を見ていて改めて感じるのは、人の経験という刷り込みの強さである。小さな時に得た経験は、大脳皮質の記憶からは、ほとんど確実に忘れられているであろうのに、単に「昔、乗ったことがある」というだけの知識が、潜在意識の中から、普通の大人なら何時間もかかって覚えるパドル操作や操船を、一瞬で思い出させてしまうのだ。ほとんど無意識のうちに・・・。
これは、我々大人が都会生活に慣れ、もう何年も自転車に乗ったことが無くても、田舎に帰るとすぅ〜っと何の気構えもなく自転車に乗れるのと同じことかもしれないが。 ・・・そう考えると、大したことでも何でもないのだが、改めてこれを見つめると、日々の仕事や生活の経験も全く同じではないか?と思う。
ここ何年か、日本の経済が不況から脱し「景気拡大が明確になってきた!」と言われているが、その中にも企業毎に明暗がハッキリと分かれているのが今回の景気拡大局面だ。一昔前は、経済成長=どこもみんな成長・・・というイメージだったが、今は、それこそ“選択と集中”。成長している企業とそうでない企業の明暗が明瞭に二極化しているように思うのだ。
そして、成功している企業と、成功し得ない企業の差は、「過去の経験」の有無や、それを咀嚼・昇華させているかどうかの違いにあるような気がしてならない。
多くの企業は、過去の成功体験を持っている。そしてそれはシーカヤックや自転車の記憶のように、頭のどこかにしっかりと刻み込まれているはずである。そして、「成功体験を捨てて・・・」といいつつも、それは意識の世界の話であって、無意識下でも、それを本当に「捨てて」新しいビジネスモデルを再構築しているかどうか・・・が、分かれ目になっているのではないだろうか。
経験が厄介なのは、それの存在が脳の「記憶領域」だけに留まらないことであろう。記憶では明らかに「忘れ去られたこと」であっても、「体は覚えている」のと同じように“無意識に”行動や思考になって現れてしまうことがあるからだ。
ちょうどシーカヤックの浮力と同じように、経験も沢山あれば安心感があるが、ありすぎたりするとコンディションが悪くなったときなどは、手に負えなくなるようなものかもしれない。そんなときは、舟を切り捨てて浮力を減らせればいいが、それは無理と言うもの。これを使いこなすだけのスキルがなければ先へは進まない。
自分も、随分歳を取った訳で、その間の経験が、要らぬ浮力となるのか、それを使いこなすだけの技術を磨くのか? 全く悩ましい限りである。
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さて・・・。
南伊豆の石廊崎は、天気がよければ単なる水遊びで終わりだが、コンディションによっては、風も吹くし波も立つ。
初見参で、「こんなものかぁ」という経験を得たわが息子は、幸せだったのか、不幸なのか? 親としては複雑な気分である。
おわり