エルフの村の隅には二軒の家が並んで建っていた。その内の一つは、夜にも関わらず今は明かりが灯っていない。
もう一つの家では、ちょうどそこの住人二人が夕食を食べ終えたところだった。
銀髪の青年――アイルザッハは、今夜は自分で夕食を作ったので今のところ無事であったが、
「アッちゃーん、デザートのプリンが冷えてるよっ!食べてーっ」
一度台所に引っ込んだ金髪の少女――リディが明るい声で、ごつごつの地面に緑の苔を敷き、ドライフラワーに成り損なった花達が
慎ましく彩りを添えているように見える、ある意味芸術作品と言えなくもない巨大プリンを運んでくると、この世の
終わりのような暗い表情になった。しかしリディはそのことに気付いていない。
どっかとお皿がテーブルにおかれ、アイルザッハが覚悟を決めたとき、風を入れるために開けられていた窓から、一羽の鳥が舞い込んできた。
その鳥は、熱帯の森にいるような綺麗な飾り羽根を持っていて、見る角度によって体の色が様々に変わる。そして、空いていたリディの
椅子の背もたれに停まり、嘴を開けて、
「ぐぎゃー」
姿からは想像もつかない声で鳴いた。
二人はそれを見て、
「あーっ!」
「あ゛…っ」
全く正反対の声を上げる。
「あー、あー、あー、マイクテストマイクテスト。もしもーし、聞こえる?」
口をあけたままの鳥から、今度は女性の声が響いてきた。
「うん!聞こえるよ!ラシャちゃんっ!」
「その声はリディちゃん!?久しぶりねっ、元気?」
声の主の名はラシャナで、彼女はしばらく旅に出ていた二人の隣の家の住人で、鳥は彼女の呼び出した精霊だ。
「うんっ、元気だよ!ラシャちゃんは?」
「私も元気よっ」
「わあ、よかったぁ!でもラシャちゃん、突然どうしたの?」
「あぁ、私ね、これから帰るから」
ラシャナの声が言い終わると同時に、森の方からざわざわと音が聞こえだす。リディが外に飛び出すと、巨大な犬に見える精霊が
猛進してきて、村の周りを囲っている柵の一部を破壊し、リディの家の隣で急ブレーキをかけて止まった。
その背中からひらりとラシャナが飛び降り、
「ご苦労様ね」
そう声をかけると、牽引していた荷車を残して犬はすっと消えていく。
「ラシャちゃんっ!」
ラシャナにリディが飛び付き彼女の蒼の長い髪が揺れた。
「きゃー、リディちゃんっ!」
持っていた鞄を下ろし、ラシャナもリディと同じテンションで抱き付き返す。
「もーリディちゃんてば、しばらく見ないうちに美人になっちゃって!」
「えーっ、そうかなぁっ?」
頭を滅茶苦茶に撫で回されながら、リディが照れて言い、ひとしきり二人できゃーきゃー騒いだ後で、
「あ、そうだわ。早いうちに荷物を整頓しなくちゃ」
ラシャナが呟くとリディもそうだねといって離れた。
家の戸を開け、
「取り敢えず三十人くらいでいいわね。おいで、ブラウニーちゃん」
精霊を詠唱なしで喚び出した。精霊達はすぐさま作業に取り掛かり、荷車の上の物を下ろし始める。
「ねっ、リディちゃん、アイルちゃんは?」
「うん、いるよ!でも鳥さんが来たら何処かに行っちゃったの」
「…そう。ちょっと見せたいものがあるから、リディちゃん捜してきてくれないかしら?」
「うん、いいよっ」
「リディちゃんは相変わらずいい子ね。嬉しいわ。ありがとっ」
ラシャナは再びリディを抱きしめた。
村も森も、私が出て行った日から時が止まっているように、何一つ変わっていなかった。何か違うところといえば、そう、以前にはいた
人が今はいないという事だけ。私はそんな、周りの世界から取り残されている感じが嫌で、ここから飛び出した事を思い出していた。
リディちゃんに連れられて、渋々歩いてくるアイルちゃんを見て、その銀髪が目に入って、じわりと目尻が熱くなった。
多分、息子も今頃このくらいになっているだろう。きっと、アイルちゃんに負けないくらい恰好よくなっているわ。
あの人に似ていたもの。絶対そう。元気にしているかしら、私はあの人の家の人に好かれていなかったから、あの子も辛い思いを
しているかも知れない。ごめんね、でもあの人を恨まないで。恨むなら私を恨んで。
二人を家の一室に招いて、ラシャナが口笛を吹くと、それを合図に数人のブラウニーが水色のリボンのかけられた大きな箱を運んできた。
「二人にお土産よ、開けてみてっ」
満面の笑みでラシャナがそう促す。
「わぁ、アッちゃん開けて開けてっ!」
リディにも促され、ラシャナの笑顔に嫌な予感がしながらも、アイルザッハは恐る恐るリボンを解き、蓋を開け、中を覗き込む。
と、二つの瞳と目が合った。左右で色が違い、くりくりとした大きな目の持ち主は、まだ幼い、紫の髪をした女の子だった。
目が合ってから数秒後、突然その子が、
「ぱぱーっ!」
と言ってアイルザッハに飛びついてきた。アイルザッハは硬直する。
「………………ラシャナさん、この子は?」
「私の二番目の子のネシェルでーす。可愛いでしょ?」
「わあ、じゃあシェルちゃんだね!」
硬直しているアイルザッハを気にした様子もなくリディが言うと、首に腕を回してしがみついたはいいが、アイルザッハが抱えて
くれなかったため宙ぶらりでじたじたしていたネシェルは腕に限界がきたらしく、アイルザッハの首から下りると、
「おねーちゃんっ!」
即座にリディに飛び付いた。
「きゃー、私はリディだよ!はじめまして!」
「はじめてーっ」
リディとネシェルは猫のようにじゃれ始める。
「何故…リディは『おねーちゃん』なのに…」
「銀髪の男の人を見たらお父さんだと思えって言ってあったから」
「…一体どんな教育をしたんですか。それにハーフエルフの子を連れて帰ってくるなんて、何をしに――」
「女に過去を訊くなんて野暮よ。というわけで、この子の事、お願いね」
「!?」
「私の教育に問題があるの分かったでしょ?だから面倒見てあげてね?大丈夫、物覚えは凄くいい子よ」
アイルザッハはその言葉の理解に苦しみ、
「えーっ、アッちゃんいいなー」
リディはネシェルを抱き上げて羨ましそうに言う。
「じゃあ、リディちゃんもアイルちゃんのお手伝いしてくれる?」
「うんいいよ!アッちゃん、頑張ろうねっ」
「ねしぇるもがんばるー」
こうしてアイルザッハの平穏な日々は完全に幕を閉じた。
家が片付いてから、目立たないように隠れて長老のところへ行った。長老は私が帰ってきた事と、ハーフエルフの娘を連れていた事と、
どちらにもとても驚いて、けれど、エルフの掟を守るべき存在でありながら昔から人のいい長老は、皆には黙っておくから家からあまり
出さないようにしなさいと言ってくれた。リディちゃんとなんだかんだ言いながらアイルちゃんも娘の世話を良くしてくれて、刻は穏やかに
流れ、以前のように憑かれたみたいに何かに夢中になる事はなくて。唯一あるとしたら、笛と、あと家に置いてあった弓に興味を示した娘に、
それを教えることくらい。私は誰かに、今まで走り過ぎたから少しゆっくり休みなさい、と言われているように思えた。けれどそれでも、
あの人や息子の影は時折私の前に現れて。
膝の上で眠ってしまった娘を動かすことを諦めて、そのまま本を読んでいたアイルちゃんに、髪を梳かせてと頼んだら、娘を抱えたまま
脱兎の如く逃げ出されてしまった。娘がいれば逃げられないと思ったのに、残念。やっぱり息子も嫌がっていたのかもとも思ったけれど、
それでも私はきっと、捕まえて梳いていたと思う。やっぱりごめん。
ここにいると時間の感覚が酷く狂って、帰ってきてからどれくらいになるのか分からなくなった頃、恐れていた事が起こった。
リディが長老の家に遊びに行って、帰りが遅くなると言うので、ラシャナに夕食に招待されて、アイルザッハは神妙な面持ちでいた。
リディの料理とは反対に、彼女の料理には全く味がなく、そしてその量が半端でないので、アイルザッハにとって頭痛の種である事は等しく
同じだった。笑顔で迎え入れられて席につくと、ネシェルがその隣の椅子に必死でよじ登り、アイルザッハを真似てちょこんと座る。
大して意味のない世間話を二言三言交わした後、アイルザッハは覚悟を決めて、目の前に出された山盛りの料理に手をつけた。
「どう?今日のはちゃんと味が付いているでしょう?なんたって、味付けはリディちゃんがやってくれたんだもの」
「…………………」
「…アイルちゃん!?ねえ、ちょっとしっかりしてっ!」
アイルザッハの意識は遠のいていった。
それからどれくらい経った頃か、夜風が頬を撫でるのを感じて、アイルザッハは目を覚ました。起き上がって横を見ると、心配して
傍にいたらしいリディが、その膝の上でネシェルが眠っていた。その奥に、窓際に立っているラシャナの姿が映る。
向こうもこちらに気付いて、
「ごめんなさい、起こしちゃったわね」
と振り向く。
その時、袖で素早く目元を拭ったのを、アイルザッハは見逃さなかった。
「…何か、あったんですか?」
彼の問いに少し黙り込んでから、
「…ええ。精霊達が教えてくれたわ。あの人が、ネシェルの父親が逝ってしまったって」
自嘲するような顔で溜め息を吐いた。
「アイルちゃん、二人の事をお願いしていいかしら。ちょっと、森へ行ってきたいの」
アイルザッハはそれに頷く。
「ありがと。すぐ戻るから」
そう言って、彼女は部屋から出ていった。その姿を見てアイルザッハは呟く。
「…あの人は、どうしてドアから出ていかないんだ…?」
冷たい夜風が、窓のカーテンを揺らしていた。
「病は気から」。人間はうまい事を言ったものだと思う。多分、最初はただの風邪だったのだろう。あの日は流石に夜風に
あたりすぎたから。けれど、それから私の体調は一向に良くならなかった。毎晩熱に魘されて、時折呼吸もできなくなった。
でも、これはきっと、あの人と、息子が受けた苦しみ。そして娘がこれから受ける苦しみ。全部私が引き受けるから、どうか
前に進む事を止めないで。
私が病の床についてから、娘が笑わなくなってしまって、それがとても悲しかった。だから私は、あの人にもらったペンダントを外して
娘にかけてあげた。それが私の大切なものである事を知っていた娘はきょとんとして私を見る。
「そのペンダントは、あなたが一人じゃないって『しるし』よ。だから…」
だから、笑って。
私の心を知ってか知らずか、
「うん、ありがとう」
そう言って娘は微笑んだ。
もう遅いからと言うと、娘は素直におやすみなさいと言って、部屋を出ていって。
私はもう十分だった。最後にあの子が笑ってくれたから。私が世界で一番可愛いと思う笑顔で。
その晩、ラシア=ナ・バーディングは、闇の精霊に手を引かれ、良人に会いに逝った。
『…それで、結局旦那さんには会えたわけ?』
森の奥で声が聞こえる。けれどそれは、心の中にだけ響いてくる声で。
『ええ、ほんの少しの間だったけど』
『ほんの少し?』
『そう。あの人は生まれ変わったから』
『だから一緒に、のこのこ木になんか転生したの?』
『ええそうよ。あの人と、息子と娘と。三人のいる世界が私の故郷、私の居るべき場所だから』
『会いに来てくれるとは限らないのに』
『いいのよ、それでもね』
『そういうものかなぁ』
『そういうものなのよ。それで、その後あの子はどうなったの?元気にしてる?』
『まあまあかな。あの二人のお陰で感情は取り戻したし、今の生活でも幸せだと思い始めたみたいだし』
『そう…。あの子の事、お願いね』
『分かってるって。…まあ、条件にもよるけど』
『…条件って?』
『うーん、一日六食昼寝付きくらいかな』
『ふふっ、あの子はきっと私より甘いから大丈夫よ。』
『だといいけど。………会いに、来てくれるといいね』
『え?』
『さっきの話』
『…ええ、そうね。エルフの森に来たがるくらい興味本位に生きていてくれればいいけど、…一つ、お願いしていい?』
『もう娘の事お願いされたから二つ目だよ』
『いいじゃない、細かい事言わないで』
『はいはい分かった。で、何するの?』
木の枝に座っていた白い生物がぽたっと下へ落ち、尖った石を掴むと、座っていた木の幹を人の目線くらいの高さまで登って、
器用に文字を彫り始めた。
『ねえ、これって痛いんじゃないの?』
『ううん。別に平気よ』
『あ、間違ってエルフ語で彫っちゃった』
『え〜っ、ちょっと待ちなさいよっ。彫り直すの?痛いのにっ』
『やっぱり痛いんじゃないか』
『気合いの問題よ気合いの!』
『全く、相変わらず天の邪鬼なんだから。大丈夫。ちゃんと共通語で彫ってるよ』
『あなただって可愛気に振舞っているくせに相当性悪じゃない』
『お褒めにあずかって光栄。はい、できた』
エルフの森の北の森。そこに生えている一本の木には、共通語でこう彫り込まれている。
『私は故郷にいます。もし私に会いに来る気になったら、北の森から来て。私はここで待っているから』
久々に短編を書きました。
ボク母です。変な人です。変すぎて何思って書いたのかよく覚えてません。
題に矛盾があるのは敢えてですが。因みにこれを読んでから「友に〜」を読み返すとボク母とお供の策士っぷりが炸裂して見えます。
<戻る 小説一覧に戻る>