夏が往く。二学期が始まり、武蔵村山の叶小姉妹と評判のFさんの娘たちも
それぞれのクラスに帰っていった。
突然母親が失踪し父子家庭となってからもう3年の歳月が流れ、二人とも中学生
になっている。当時、組合の役員だった私は相談を受けて、市役所や教育委員会
との折衝の場に同席していた。以来、子供達のことを中心にFさんとの交流が続き、
毎年夏休みの終わり近くになると、手付かずの宿題をかかえて子供達が遊びに
やって来る。
ところで、下の子の夏休みの宿題の一つに「職業紹介」という調査票があった。
自分の両親・親族など身近な人の職業の内容(長所・短所・資格・資質など)を調査し、
いろいろ当人に記入してもらうようになっている。知人/タクシー運転手として、「短所」
のところに、「賃金・労働条件が社会的水準よりはるかに劣っている」と太字で記入した。
はたと困ったのは、人生の「座右の銘」を書けという欄である。職業柄、最近とみにお尻
の具合が悪いので「座薬の名」ならすぐに出てくるが、人生の携帯用語など生来考えた
こともない。母と二人、静岡の片田舎から東京に出て数十年、山椒太夫が手になるタク
シー稼業に従事して十年近く、振り返れば山の無い谷底ばかりの人生だった。
しばらくの空白の後、「生きてきたことは誰かに借りをつくってきたこと、生きていくことは
その借りを返していくこと」と記入した。
これは、二十数年前、映画「春男の翔んだ空」(山田典吾監督・現代プロダクション)の
制作にあたり、主演を依頼された永六輔さんが、作品への参加の経緯を綴った後書きの
中に残した言葉だ。演技の素人というとまどいの中で、出演することそれ自体を、社会へ
の自分のできる恩返しと考えたのだろう。
映画は知的障害児教育に情熱を捧げ、海外研修の途上モスクワにて飛行機事故で
客死した教育者、「野杉春男」の生涯を描いて感動的な作品だった。知的障害者たちを
「知恵遅れ」と呼称することがどんなに恥ずべきことかを、この映画は静かにそして深く
教えてくれた。彼らは知識の吸収速度が遅いだけで、人間としての知恵(思いやりとか、
いたわりの気持ち)は、決して常人に劣っていない。
思うに、今日続発する少年犯罪は、むしろ、知恵遅れの大人たちの構成する社会に
育まれた子供達の、社会そのものへの復讐劇ではないだろうか。
日々の生活をていねいに生きながら、Fさんと力を合わせ二人の娘たちをせめてそうした
心無い大人に育てないことが、今の私にできるささやかな、人生の借りを返していくことの
一つなのかもしれない。
映画の一場面、激しく雨の降る日に傘を差しながら、花壇の花に如雨露で水をあげて
いる少女の姿が、今も鮮やかに記憶に残っている。