医者井戸を掘る アフガン旱魃との闘い
中村 哲著
(石風社 1800円)

この本は、是非紹介したい。応援せずにはおられない。(以下、本から抜粋)

 とにかく酷暑である。足元の小石は焼けつき、幹線道路から車を降りて僅か5分と歩かぬうちに強烈な日差しでめまいがする。遠くには一木一草も生えぬ茶褐色の山肌が、砂漠に点在する村落を、まるで赤い燠火のように取り囲む。事故現場の井戸は砂漠の中の井戸のようである。近くに日干しレンガの土塀があり、わずかばかりの木陰で数名の長老たちがカーペットを広げて茶を飲んでいた。私たち一行が近づくと、皆立ち上がって挨拶を述べた。そのうちの一人が死亡した作業員の父親で、70歳前後、素朴だが家長らしく威厳があり、温顔の気品ある老人であった。型どおりのお悔やみと祈りを済ますと、開口一番述べた。

「こんなところに自ら入って助けてくれる外国人はいませんでした。息子はあなたたちと共に働き、村を救う仕事で死んだのですから、本望です。全てはアッラーの御心です。」
 その口ぶりや表情から、自分の最愛の息子を失った悲しみを隠そうとする意図を読みとるのは容易であった。しかし、彼にとっては「息子の死の意味」こそ、悲しみを克服するもののように思えた。

 「バラバーグ村には、大昔から井戸がなかったのです。皆汚い川の水を飲み、わずかな小川だけが命綱でした。私も子供の頃の仕事は、ここから二里ほどはなれた泉に飲み水を取りに行くことでした。水袋3本をロバの背に乗せて往復半日かかりました。ところが、そのうちの一袋は自分とロバで飲んでなくなり、一袋は途中で旅人に分けて無くなり、家に持ち帰るのは僅か一袋の水だったのです。」「昨年の夏、その泉が涸れ果て、小川の水も尽きた時、ほとんどの村人は村を捨てることを考えました。バラバーグでは井戸はでないと大昔から皆信じていました。GAA(ドイツ―アフガン救援団)のボーリング井戸が一本ありましたが、五千人を養うことは不可能でした。それさえも涸れたとき、あなたたちが現れたのです。しかも一つ二つではなく・・・・・。人も家畜も助かりました。これは神の奇跡です。」私は胸が熱くなった。

 村の井戸には既に4基の手押しポンプが装着され、水汲み場も作られていた。人々は落ち着きを取り戻していた。残る井戸も時間の問題になっていた。バケツや水壺が所狭しと並べられ、子供たちがはしゃぎ、女たちは楽しそうに井戸端会議に余念がない。

 長老が述べたように、本当に奇跡だったのかもしれない。私たちがこの地に現れたのも、おそらく神の思し召しなのだろう。これは私すべき業績ではないのだ。私たちの役得は、復活した村々の人々と喜びを共にできることである。そして、それは何にも代えがたい尊いものである。差し出された一杯の冷たい水が美味しく、自分もまた、命の力を得たような気がした。この世界の片隅の、見捨てられた村の一角にこそ、神はその気配を現される。欧米諸団体との確執、これ見よがしな国際援助の宣伝と実のなさ、仏跡破壊をめぐる報道、政治的な国際世論、ペシャワールや日本での騒々しい出来事。心ない我執には見えぬ世界があるのだ。全ては遠い光景である。」

ペシャワール会HPへ→ http://www1m.mesh.ne.jp/~peshawar/

BookReviewへ