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雑 記 帖〜2003年11月
昨日は、とても珍しい写真が撮れた。弟に見せたら、
「これは・・なかなか撮れるものではない・・」と言って感心していた。(笑)
これがその写真です

ここは黒四ダムの堰堤で、ダムへ行けば誰でも撮れる景色。では、いったいどこが珍しいのでしょう。それは、人が一人もいないこと。着いたばかりは一組登山姿のグループがいたが、地下ケーブルの駅へ行ってしまった。それからダムは、私の貸切状態になった。観光客で賑わう所なので、こんなことは本当に珍しい。
11月30日で黒四ダムは冬じまいする。その前に一度行っておきたかった。晴れた日に行って、後立山連峰を、いつも見ている反対側から撮りたかったのだが、なかなかチャンスがなくて、気がついたらしまう寸前。30日は仕事が入っている。「今日を逃すと来年までおあずけになっちゃう・・」昨日は、1時で仕事が終わる日だった。 山が見えなくてもいい、霧がまいていてもいい、とにかく行ってみよう・・と、2時のトロリーバスに乗るために、扇沢へ向かった。
トロリーバスの乗客は私一人だった。初冬の雨降りのこんな遅い時間、当然かも・・。ダムに着くと思ったより雨は小降りで、霧もまいていなかった。そして、ちゃんと、立山が見える。「来てよかった・・」と思った。

見えると言ってもこの程度ですが・・。
昔、初めてダムの堰堤に立った時は、とてもつまらなく感じた。もし、ここが、深い渓谷のままだったら、どんな景色が広がっていただろう・・と想像した。黒部湖は平地の湖と変わりなく思えたし、周りの山はひどく低く見えた。

トロリーバスの中の案内を聞きながら、全国でも有数の秘境が、東洋一のアーチ式ダムに変身した様々な苦労を思った。
私はここに来ると、いつも思う。これほどまでにして得た電力って、いったいなんだろう。電気以外の何か、大きなわけがなくては納得いかない。きっとあるに違いない。自然をここまで変化させ、117人の殉職者まで出したのだから・・。

帰りのトロリーバスも一人きりだった。トンネルの中には破砕帯の表示がある。岩が崩れ、冷たい水が湧き出て、トンネル工事が難航した場所。ここで多くの人が亡くなった。
北アルプスは、糸魚川静岡構造線の近くにある。北アメリカプレートとユーラシアプレートがぶつかり合っているところとも言われている。トンネル工事は地球と真正面から向き合って進められたんだ・・。いつでも、ダムに来ると、不思議な気持ちになる。
黒四ダム、およびアルペンルートについては、こちらをご覧ください
昨年の7月、気さくな3人組の男性と店(私の勤めている土産店)で会った。鹿島槍ヶ岳と爺ヶ岳に登った帰りだそうだ。岡山からみえたと言う。鹿島槍ヶ岳は昔から大好きな山で、高校生の時、2回登ろうとしたが、色々な事情で2回とも登れなかった。今も、山の写真を撮る時、ついつい鹿島槍ヶ岳の方にカメラが向いてしまう。
「鹿島槍は憧れの山です」
「へーっ、地元の人って、案外そうかも知れないですね」
そんな会話を交わしてお客さんたちが帰る時、ふと思いつき、一番最後に店を出ようとした人を呼び止めてたずねた。
「花は咲いていましたか?」
ちょうど、高山植物の花の時期だった。爺ヶ岳も鹿島槍ヶ岳も、田中澄江の「花の百名山」にあげられている。さぞかしきれいだったろうな、と思った。
お客さんは一瞬間を置いて、遠くを見るように目を細めた。
「咲いていましたよ〜。きれいだった・・」
またしばらく間があった。それから、
「黄色い花とか・・花の名前が分からなくてすみません」と言って外に出た。
私は軽く会釈をしながら思った。
「名前は結構です。よ〜く分かりました。本当にきれいだったんですね!」
今でも、その時の事を思い出すと、黄色い花が群れ咲く景色が浮かんでくる。お客さんの表情と声の調子は何よりも雄弁だった。
この秋、大町公園で夕焼けとアルプスを撮っている、東京の写真同好会の人と話した。前日、鬼無里村へ行ったが、とにかく紅葉がきれいで感動だったそうだ。でも、雨降りだったので撮影はしなかったとか。
「写真は撮れなかったけれど、心に焼き付けました」
私より少し年配の、穏やかそうな女性がそう言って微笑んだ。
その言葉は、岡山のお客さんの声と表情の様に、鬼無里村の紅葉の美しさを思い浮かべさせてくれた。
昨年、八方尾根で、歩道からはずれて花を接写している人がいた。私は一言二言、少し厭味っぽく注意した。その人はあまり悪いことをしているような意識はなかったらしく、ちょっと驚いたような顔をして、「すみません」と言った。
北アルプスの山々の中には、登山者の踏みつけによって、高山植物が減少しているところがある。回復のために様々な努力がなされているが、厳しい高山では、なかなか思うようにいかないと聞いている。
高山植物は、貧弱な栄養の土に根をはり、ぎりぎりのところで生きている。低地ではそれほどとも思えないことでも、大きなダメージを受ける。他の山なら許されることも、高山ではとんでもない結果を生むことがある。
花をクローズアップで撮ることは本当に面白いし、はじめると夢中になる。今までカメラを向けたことがない花に出会うと、「絶対にうまく撮るぞ!」と思う。足場の悪い所や周りに草花の茂っているところでも、つい踏み込んでいって撮りたくなる。
遠くからやってきて北アルプスに登る人は、可憐な高山植物に出会うと、千載一遇のチャンス、と思うだろう。もう数歩近づけばいい写真が撮れる、と思うような場合、もし私だったらどうするだろうか。きっと踏み込んでしまうに違いない。写真を撮りはじめて、八方尾根で会った人の気持ちがよく分かった。道から数歩は踏み込むうちに入らないような気がするのだ。少しくらいのことは目をつぶってでも、いい写真を撮りたいと考えてしまう。でも、そうやって、何人もの人が道以外のところを少しずつ踏んでいったら、花は確実に減って行く。
写真だって撮ってはいけない所もある。それを押して撮るのは、心理的には盗掘と変わりがない。自分の庭に収める代わりに、自分のカメラに収めるのだから。
よく、「とっていいのは写真だけ」なんていわれるけれど、写真も度を過ぎると、いいとはいえない。
この春、久しぶりでアケボノスミレに会った。アケボノスミレは主として太平洋側に分布しているスミレで、私のフィールドの東山では稀なものだ。春の日差しの中で朽ち葉を突き破って伸びている姿は、愛らしくて、たくましかった。私は、斜面に膝をつき、できるだけ体を寄せてレンズを花に近づけた。撮り終わって足元を見たら、タチツボスミレをもう少しで踏みつける所だった。その時思った。「これは危ない心理だな・・」

アケボノスミレ(花の写真を撮りはじめて、一月くらいの頃)
私がこんなことを書いているのは、本当に自分が後先見ずに花を撮ってしまいそうだからだ。来年あたりから、やさしいアルプスの山へ登ってみたいと思っている。憧れてばかりいないで鹿島槍ヶ岳にも登りたい。その時、夢中になって、どこまでも花を追いかけないように、ここで偉そうに書いておこうと思った。そうすれば、きっとブレーキをかけることができる。(道を外れて花を追いかけたら、北アルプスでは命が危ないこともあるし・・)
自然保護のために、この危険人物を抑えておかなくてはならない。それに、地元に住んでいるといっても、高山へ登る機会はそんなにあるものではない。できたらそういう時は、ゆったりした気持ちで高山の気とまみえたい。岡山のお客さんのように、花の名前を気にせず、その美しさに酔ってみたい。
(でも、多分、それは無理だろうな・・。花の名前は気になるだろう。撮れる花は端から撮るだろう。せわしくきょろきょろしながら歩くのだろうな・・)
花のクローズアップ写真なんて、とんでもない楽しみを覚えてしまった。パソコンに花の写真が増えていくのはとても楽しいけれど、時には心の中にも保存しなくては。撮れない場所にある花は、よく心に焼き付けておこう。撮れなかった花ほど忘れがたいだろう。
とんでもない楽しみだけれど、無法者にならない範囲で、私はこれからも花のクローズアップ写真を撮り続けたい。もっともっと、上手に撮れるようになりたいと思うし、もっともっと、色々な種類の花を撮りたいとも思う。web上で花の写真を交換し合うことも続けたい。名前もたくさん覚えたい。観察もしたい。低山だったら、花を求めて道のないところも歩くだろう。
ミクロの世界はマクロの世界にも通じるような気がする。神様はなんて細かいところまで、緻密に美しく創造されたことか、と感嘆することもしばしば。
でも、いつでも心の片隅においておこう。撮れなかった花、かなわなかった夢、行けなかった場所、会えなかった人・・そういうものの方が、永遠になるんだ、と・・。
(さあ、これだけ書けば、無法な登山者やカメラマンにならずにすむかな?)
11月17日、親戚のはなおばあちゃんが、野沢菜の漬け込みの下ごしらえをするために、畑に出ていると聞いて行ってみた。おばあちゃんは、来年の3月で90歳になる。仕事を持っているお嫁さんを助けて、今でもバリバリの現役主婦。うどん打ちの名人で、その腕を買われて、ある食事どころの調理長を勤めたこともある。美麻村の農家生まれで、子供時代の体験談など、よく話してもらっている。
これは、おばあちゃんの話を、Yahoo!掲示板に載せたものです。
美麻村の麻 2003/4/3
kusabananokai
親せきに今年89歳になったおばあさんがいます。大町市の隣、美麻村生まれ。
隣の家に行くにも、坂を下りてまた登って・・というような山深い所で育ったそうです。
田んぼも出来ない所とか。
今日は、おばあさん手作りのおいしい料理をいただきながら(フキノトウもあった!)、
昔の話をいろいろ聞くことが出来ました。
その中に、「麻かき」(「おかき」と言うんだとか)の話がありました。
麻は八十八夜の頃種が蒔かれ8月に収穫。麻を抜くことを「麻こぎ」と言い、暑い中の重労働。
根を切り取ってから乾かすのですが、夕立に当たらないように気をつかったそうです。
冬になると、乾かしておいた麻を川につけ、ふやかしておいてから「麻かき」をします。
専用のかわはぎ包丁を使っての、コツのいる難しい作業で、今度は寒さの中の仕事です。
こうして手間ひまかけて出来た麻を売り、お正月(旧暦)の支度をしたそうです。
冬の間の貴重な現金収入でした。
今は麻を栽培すると後ろに手が回るような時代ですが、麻の薬効も注目されてきています。
美しい麻・・美麻村の麻の話を聞きながら、この古代から日本にある植物が、
長い間封ぜられていたんだなぁ・・と思いました。
また、おばあさんは子供の頃、「ウマノブス」という有毒植物の実を食べて、
大変な目にあったそうです。一緒に食べた男の子・・
「良く覚えていないけど、死ななかったと思うよ」だって!
ブドウのような色をした、つる植物の実なのですが、いったい何なのか解りません。
思い当たるものがある方、いらっしゃいませんか?
行ってみると、おばあちゃんはすっかり作業を終えて、一休みしているところだった。HPに載せる写真を撮らせてもらいたい、と話すと、
「一束作ってみるかね・・」と言って、野沢菜を刈るところから実演。もう、70年以上、毎年野沢菜を漬けてきたその手つきは鮮やかだった。おばあちゃんありがとう。
ごめんね、もう終わったところだったのに・・。
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葉先を落とし、根元に十文字の切れ目を入れて、わらで束ねる。
翌日これを洗って、↓に漬け込む。
おばあちゃんの家は市街地にあって、周りを建物で囲まれている。大町は街中でもこんな畑が家の裏手に広がっていたりする。私が子供時代遊んだところも、そんなところだった。懐かしい気持ちになった。
「あの大根は漬物用?」
「煮物用だよ、一本持って行くかい?」


帰りの車の助手席
2003/11/21
豪雪の年の3月、我家に1匹の子猫が居ついた。気の強い三毛猫だった。その子がその年の7月に子供を生んで以来、我家にはいつでも複数の猫がいた。多い時は11匹もいた。昨日、我家の猫は、また1匹だけになった。19年ぶりだ。
ミーは、穏やかできれいな猫だった。頭と尻尾とお尻のところに、少しだけ黒と茶の毛があって、後は真っ白。胃腸が丈夫でよく食べた。数年前に歯が全部抜けてしまったが、その後の方が元気だった。
「きれいだね〜」と言われるのが大好きで、そのたびに返事をした。膝に乗るのが上手だった。力を抜いてふわりと乗るので、少しも違和感がない。食事のとき、パソコンに向かっているとき、いつでもミーが膝にいた。
月曜日の夕方体調を崩し、あっという間だった。11月14日午前9時20分、息を引き取った。17歳と8ヶ月だった。 今日、市内のお寺さんにお願いして、荼毘に付してもらった。
この約2日間、私は本当にだらしないくらいに泣いた。この子の存在が、こんなに大きかったなんて、死なれてみるまで気がつかなかった。
ところが、私たち夫婦は、しみじみと悲しんでいられなくなった。1匹残ったオンが、私たちより気落ちしているのだ。籠から出てこない。食事もとらない。甘えん坊で愛想のいい猫なのに、じっと黙っている。呼びかけて抱き上げると、今度は、私たちにぴたりと張り付いて離れようとしない。今はとにかく、オンを元気付けなくては・・。
無理もないと思う。オンは生まれて16年と4ヶ月の間、1匹だけになったことがなかった。この1年ちょっとは、ミーと2匹だけだったけれど、ミーはやさしい猫だった。2匹はよく、くっついて寝ていた。
ミーが息を引き取った午後、雲が晴れ、雪化粧の北アルプスがあらわれた。白い毛並みがきれいだったミーを、送ってくれるような気がした。今日は、白いタオルにミーを包み、白いスプレーバラを添えた。
方丈様が、小さな骨壷と一緒に白木の位牌を手渡してくれた。そこには、
「○○家有縁愛猫ミィー号」と書かれていた。

ミー 長い間 ありがとう

昨日は窯出しだった。入り口をふさいでいたレンガを取り除き、おそるおそる中を覗き込む。陶芸をやっていて、最高にドキドキする一瞬。正面の花器に、いい色が出ているのが見える。「わー」と歓声が上がった。
作品を取り出し、順番に外に敷いたシートの上に並べた。「これはきれい!」「これはすごい!」と一つ一つにまた声が上がる。どうやら、窯焚きは成功した様子。本当に良かった。 一通り並べ終わって、それぞれの作品を鑑賞した。この時が一番楽しい。
それでも、「焼きすぎて、テカリが出たね〜」と会長から渋めのコメントがあった。次回の反省事項・・と思ったが、いろいろな事情で、この会はこれが最後になる。でも、「また焼きたいね」と言う声もちらほら・・。
窯焚きは不思議なものだ。大変で、「もう嫌だ」と思っても、窯から作品を取り出すときには、次を考えている。

2003/11/09
パソコンがおかしくなった。新しいものを買わなくてはいけないかもしれない。とりあえず、あまり使っていない職場のものを借りてきた。私のパソコンに入っていないソフトが入っている。いろいろ面白がって開けていたら、「麻雀ゲーム」があった。
麻雀は学生時代に一通り覚えて、面子が足りない時、男子学生に誘われて雀荘へ行ったりしていた。でも、夢中になるほどでもなく、一生懸命研究するわけでもなく、いつの間にか忘れていた。
4年前、「安曇野備前の会」がまだ陶芸教室だったころ、窯焚きの時に、久しぶりでジャン卓を囲んだ。今ははじめから薪に火をつけて窯を暖めるけれど、そのころは最初の2日間くらいはガスを使っていた。ガスが消えないか見張っているだけで、24時間詰めなくてはならない。初めての窯焚きで、備前から来てもらっていた若い陶芸家の先生が付きっ切りだった。先生は麻雀が好きだった。そして先生には、夜中に起きていてもらわなくてはならなかった。
11月の中ごろ、時々雪がちらつく山の中、シートに囲まれた風が吹き込む工房で、私たちは麻雀をした。寒さと眠気と戦いながら・・。焚火の煙と砂埃に包まれながら・・。これが接待麻雀(?)というものかと思った。
それ以来の麻雀。コンピューターの中の架空の人物と打ってみた。機械は人間より意地悪ではないから、ハネ満なんか上がらせてくれる。あっという間に何時間かが過ぎた。そんな夜が2夜続いた。 うう・・ホームページの更新をする貴重な時間を麻雀ゲームに使ってしまった・・。

そんなわけで、雑記帖の更新も、散策の更新も遅れました。(__)
散策もしたし、写真も撮ってあります。(↑このように)
更新したいもの、追加したいアイテム、たまっています。
たまり過ぎてどこから手をつけていいかわかりません。(涙)
今日明日と、がんばります!
2003/11/05
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