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改革元年

改革元年 (かいかくがんねん) は、KMAにおいて諸改革が起こった2005年を指す。
本項では、改革元年に起こった改革と,翌2006年の記事についても併せて記す。


目 次
1 改革元年を迎えるまでの状況
2 2005年を迎える
3 改革へ動き出す
4 KMA5人衆
5 プログラム改革
6 組織の命名
7 関連項目


 
改革元年を迎えるまでの状況
1997年に設立されたKMAは、紆余曲折こそあったが、2002年初め頃までは概ね順調に「タイトル戦」等 試合が行われていた。
しかし、2002年前半からは、参加者の減少,調整役の多忙などから「タイトル戦」も行われず、試合開催数自体も減少していた。
特に2004年になると、その傾向は顕著なものとなり、数えるほどしか開催されなかった。

 
2005年を迎える
自身も久しく麻雀から離れていた渋谷優司は、たまたま職場の同僚と行った雀荘で、麻雀の楽しさを再認識する。その内の一人が川崎に住んでいたこともあり、彼をかつて「タイトル戦」を闘ったメンバーとの麻雀に誘った。
そして その年の2月、渋谷優司の呼びかけに応じる形で、かつてのメンバーが再度集結。久しぶりに、ゆみでの麻雀が行われた。
やはり皆 一様に、麻雀の楽しさを再認識したメンバーによって、その後もコンスタントに試合が行われることになった。

 
改革へ動き出す
レート
コンスタントに行われた一つの要因に、一時期 高騰していたレートを元に戻したことが挙げられる。それまでは大敗するとダメージが大きく、次に出場するまで時間を要したが、レートを戻したことにより、出場者の確保が容易になった。

記録
以前から佐竹敏光が個人で試合記録をとどめていたことに倣い(公式記録としては『麻雀タイトル戦記録』が存在していたが、この時点で一時行方不明になっていた)、渋谷優司は復活後の試合結果をすべて記録していった。

ルール
創設時から変わっていなかったルールを再度確認(特に変更無く、これまでのルールを踏襲する)。
また、祝儀の面では、藤原弘和の発案により、新たに『ミラクル賞』が制定された。

 
KMA5人衆
これらの諸改革は、当時の主力であり,唯一無二の中心メンバーであった5名が、互いに協力し合って、為し得た かけがえないものとなった。これに尽力した渋谷優司,佐竹敏光,藤原弘和,牧淳一渋谷健司は、結束を深め、当時『KMA5人衆』と呼ばれた。

 
プログラム改革
5月に行われた久々の重賞『榎町記念』を皮切りに、7月にはKMA5人衆が一同に会して『オールスターフラッグ』を開催(2002年2月2日に行われた『第1回オールスターフラッグ』以来のG1開催となった)。
また、秋には実に約4年ぶりとなる「三冠戦」を開催。これに伴って『グランドチャンプ』を頂点とする「GCシリーズ」(計8試合)が初めて行われた。とりわけ、これまで行われていた「三冠戦」は“Road to GC” と改められた。
 
翌2006年に向けて、1年間を1シーズンと数える枠組みを作り、1シーズン全試合のプログラム(番組)が、予めシーズン前に定められた。また、G1出場者選定等に用いる勝点制度を導入し、大会(格)ごとに勝点が設定された。
さらに、シーズン終了時点の各タイトル(現在の『KMA賞』)も作られ、表彰を行った。
 
そんな中、2006年中頃、これまで まちまちであった調整方法(当時は渋谷優司,藤原弘和らが不定期に打診)を、牧淳一の提案により、毎週一斉打診(及び調整)の方法に変更。これによって、さらにコンスタントに試合が行われるようになった。
また この年は、前年好評であった「GCシリーズ」に加え、「オールスターシリーズ」,「サマーシリーズ」など、現在も行われているシリーズが、プログラムに彩りを添えた。
 
これら2005年から2006年にかけての 一連の動きは「プログラム改革」呼ばれ、現行 KMAのシーズン制度の礎となった。

 
組織の命名
2006年は、それまで「タイトル戦」と便宜上呼ばれていた この麻雀同好者の集まり(組織)に『KAWASAKI Mah-jong Association』と名付けられ、2月には公式ホームページ『KMA Official Website』が立ち上げられた。

 
関連項目

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