|
|
KAWASAKI Mah-jong Association
KAWASAKI Mah-jong Association (かわさき まーじゃん あそしえーしょん) は、神奈川県川崎市川崎区を本拠地とする麻雀団体である。略称はKMA(けーえむえー)。1997年設立。
| KMA EMBLEM |  |
概要
主に、団体主催で行う試合(公式試合)を開催する。
また、上記に付随する組織,規定,編成,管理,審判,記録,表彰,懲罰等を行い、各種行事等を運営,管理する。
しかし 試合のほか、メンバー相互の親睦を図ることも、等しく重要とされている(後述)。
組織
団体の意思決定機関として執行部及び,選手登録を行なった者が所属する選手会が設置されており、公式試合における審判活動等を行う審判員が存在する。
運営
団体は、団体規定,施行規則等に則り、運営される。
現在、1年間(基本的に毎年1月1日〜12月31日)を 1期(シーズン)として扱い、公式試合,各シリーズ,行事等が行われている。
理念
KMAの理念として、以下のことが掲げられている。
KMA理念(2008年制定)
- 麻雀をこよなく愛そう
- 常に向上心を持ち続けよう
- 挨拶はしっかりしよう
- 仲間を敬い、周囲と調和を取ろう
- 思いやりの心を持ち、弱者を助けよう
これは、試合中等は厳しい勝負の中にも和気藹々とした雰囲気を尊ぶという観点から設置され、メンバー相互の親睦を図ることも重要なファクターとされている。
歴史
有史以前
古くから麻雀に親しんでいた藤原弘和は、高校の同級生である池上稔らに麻雀を教え、仲間内での麻雀を楽しんでいた。
込山アキオは、すでに高校内で麻雀をやるほど、ベテランの域に達していた。
一方、アキオと同じ高校の渋谷優司は、やはり同級生であった佐竹敏光らに麻雀を教えていた。
当時 中学生であった渋谷健司は、同級生らと半年間に及ぶ『新人王戦』を開催していた。
すでにこういった4つの流れができていた状況の中、幼少の頃に友人であった池上稔と渋谷優司が、共通の知人を介して再会し、互いに麻雀を嗜むことが分かると、この4つの流れは合流し、しばしば麻雀をするようになった。
この頃から(「タイトル戦」発足を経て)2001年頃までは、差し当たり 榎町を主会場,向町を準会場に充てられ、麻雀マットと麻雀牌(その他 点棒,サイコロなど)を会場に持ち込む、いわゆる手積み麻雀の形式で行われていた。他に、東町や新城などでも行われることもあった。
「タイトル戦」の成り立ち
1997年、渋谷優司が「タイトル戦」を発案。佐竹敏光と相談の基、池上稔,渋谷健司とともに、トロフィー(現在の『グランドチャンプ優勝トロフィー』)を作成し、「三冠戦」や『三冠統一王座決定戦』を実施した。
(詳細は「タイトル戦」の項を参照)
黎明期
「タイトル戦」初期のメンバーは、渋谷優司,佐竹敏光,池上稔,渋谷健司,小松空發,藤原弘和,中根豊,ワタ南風,込山アキオらであった。
当時、これらのメンバーには、別名(ファイトネーム)が付けられ、公式記録には本名ではなく、ファイトネームが記載された。
このファイトネームから派生した形で、さまざまなユニットが組まれた。特に、佐竹・小松・健司による『三元牌トリオ』は、まさに一世を風靡した。
また、現在でも見られる各選手へのキャッチコピーも、この頃から存在した。
「タイトル戦」開始からしばらくの間は、渋谷健司と佐竹敏光の両者が、多くのタイトルで覇を争い、まず頭角を表した。この2人は、長らく「2強(後の『元祖2強』)」と呼ばれていた。
黄金時代
2000年前後は、三冠戦シリーズが幾度か中断されるなど、順調に試合をこなせない時期を迎える。
しかし、その後 藤原弘和の帰郷に加え、牧淳一や,津留慎輔・大川侑也(鶴工軍団)といったメンバーが新加入。中興の時期とも言える2002年前後は、KMA史上 最も隆盛を誇った黄金時代となる。
その最盛期に行われたのが、8人参加トーナメントによる、第1回の『オールスターフラッグ』であった。
このオールスターは、現在の主会場であり 当時は稀に行っていた雀荘『麻雀クラブゆみ』と,中根邸に分かれて行われた。選手が途中に会場の移動を挿むなど、一種 スペクタクル的要素を含んだ、まさに “一大イベント” と呼ぶに相応しい大会であった。
暗黒時代
オールスターで、大きな盛り上がりを見せた「タイトル戦」であったが、その後、再度 三冠戦シリーズが途中中止される。
当時「タイトル戦」のプログラムを一元管理していた渋谷優司の多忙に加え,池上稔の北海道移住,牧淳一の福山移住,大川侑也らの引退、また この時期に改められたレート(高騰)に起因する大敗者の長期欠場など、次々と負の要素が重なり、2003年以降「タイトル戦」は自然に行われなくなっていった。
とは言え、池上稔の移住前には その知人らを交えたり、池上移住後も残った既存メンバーなどによる麻雀自体(非「タイトル戦」)は、しばしば行われており、2003年には、役満とリンシャンカイホーに祝儀を加えるなど、新たな試みを模索していた時期でもあった。
また、このノンタイトル時代より、それまで大会ごとに個別に定められていた持ち点・順位点(ウマ)を、すべての試合で25000点持ち・30000点返し,順位点=1位+20・2位+10・3位△10・4位△20に統一され、現在に至っている。
再興、そして改革
2005年、転機が訪れた。2月、渋谷優司は、かつて「タイトル戦」を闘ったメンバーを麻雀に誘うと、その呼びかけに応じ、メンバーが再度集結。その後もコンスタントに試合を行われることになった。
ついに 5月には、久々のタイトル『榎町記念』が行われ、7月には、当時の中心メンバー5名(『KMA5人衆』)による『オールスターフラッグ』を開催。そして、三冠戦シリーズも行われ、ここに完全復活を遂げた。
この2005年は、ルールの協議,全試合記録化,レートの見直しなど、現在のKMAの礎を築く「改革元年」となった。
また、市川克巳,高田潮風などの新加入も、この改革元年に彩りを添えた。
組織化へ
2006年、前年の改革を受けて、ここにひとまず『KAWASAKI Mah-jong Association』という名称を掲げ、組織化へ向けて動き出す。その一環として、番組整備,試合調整、そして2月には、公式HP『KMA Official Website』の開設などが行われる。
2007年秋には、執行部を立ち上げ、2008年春には、選手会の設置,団体規定の策定等、本格的に “団体” としての組織化が図られた。
2008年には、横尾誠二,古川英明らが新加入し、再び隆盛の兆しを見せた。
新たな試み
2008年、KMA基金が設置される。
また この年、初の合宿試合,KMA総会等も開催された。
その他
- 団体の名称は、あくまで『KAWASAKI Mah-jong Association』であり、「川崎麻雀協会」のように和訳はされない。[1] 略称は『KMA』[2]であるが、専らこちらが多く使われている。
- 団体が初めて正式に規定されたのは2008年であるが、「タイトル戦」を開始した1997年を団体の創設時期とされている。
- 2005年以降の公式試合は、全試合を公式記録としているが、2005年より前の試合は、一部試合(G1大会など)を除き、重賞大会の優勝者のみを公式記録として扱われる(『麻雀タイトル戦記録』の項参照)。
脚注
- マスクド大三元によると、前身は『川崎工業娯楽倶楽部』とのこと。
- NHK(エネェチケー)のように、しばしばKMA(ケーメー)と発音される。
リンク
関連項目
|
|