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渋谷優司

渋谷優司 (しぶやゆうじ) は、KMA選手審判員執行部長キャッチコピー闘将
オリジナルメンバーの一人。 KMA5人衆の一員で、KMA2トップの一角でもある。

001  渋谷優司
渋谷優司
闘  将
出身地 : 神奈川県川崎市
登録年 : 1997年
初出場 : 第1回名人戦 - 3着
初勝利 : 第3回スプリント(G3)
得意戦法 : 差し


目 次
1 人物
2 来歴
3 「シルバーコレクター」
4 データ
5 エピソード
6 リンク
7 関連項目


 
人物
1978年生まれ。 通称・渋優,優司,シブ。
ニックネームは「ミスターKMA」,「御大」,「オープン大将」など。
「タイトル戦」の構想を立ち上げた 言わば “KMAの創設者” の一人で、現在は執行部長を務め “団体の顔” とも言える人物。
プレーヤーとしては、長らくビッグタイトルに手が届かなかったが、第10回のグランドチャンプを制して、晴れてG1ウィナーの仲間入りを果たした。
2014年、ハロブリ賞4連覇を達成。

 
来歴
デビュー
「タイトル戦」の構想を発表し、三冠戦を創設。トロフィー(現・グランドチャンプ優勝トロフィー)の作成費用捻出メンバー(オリジナルメンバー)の一人。
1997年、渋谷優雀ファイトネームで、第1回名人戦にてデビュー。
以降なかなか勝てず、初勝利まで時間を要した苦労人でもある。
第3回スプリント,第3回雀王位を連勝し、初めて挑んだG1・第3回三冠統一王座決定戦は準優勝と健闘。しかし、ここから遠くて苦しいG1への道が始まった。

台頭
2000年代に入ると、徐々に成績が安定。コンスタントに重賞を制し、当時「2強」を形成していた渋谷健司佐竹敏光に肉薄。やはり当時 売り出し中であった池上稔とともに「新・2強」と称されるまでに台頭した。
一方、運営者としては、2002年にオールスターフラッグを開催(発案は渋谷健司)。大会は成功し、隆盛の一翼を担った。

ノンタイトル時代〜改革元年
2003年以降のノンタイトル時代を経て、改革元年である2005年に「タイトル戦」を 他の「KMA5人衆」とともに再興。
プレーヤーとしては、タイトル復活後 最初のG1となった第2回のオールスターフラッグでも、逆転されての2着と、勝負弱さは相変わらずであった。

苦杯が続く
2005年・2006年と、連続最多勝のタイトルを取るも、そのほとんどが一般戦であり、重賞では本来の力がなかなか発揮されず、いつしか「オープン大将」というありがたくない称号を拝すことになる。
しかし、2006年は、主要タイトルを総ナメにし、MVPに輝いた。
2007年は快進撃を続ける池上稔に、大きく水を開けられ、2008年は出場機会が激減し、わずか4勝にとどまる。さらに2005年より続けていたプラス収支も、最終戦のオーラスで逆転負けを喫し、総得点はマイナスに転落。重賞は、2006年9月にハローブリッジ賞を制してからの3年間で、榎町記念での1勝。G1では信じられない逆転劇に屈するなど、散々な数シーズンが続いた。
一方、自身の提供試合『ゆ〜じフェア』では、佐竹敏光の持つレコードをおよそ2年ぶりに更新した(翌年 横尾誠二が更新)。
2007年夏には佐竹敏光との対談「麻雀を語る!」を行い、同年秋、池上稔,佐竹とともに執行部を立ち上げ。以降、執行部長を務めている。

ようやく咲かせた大輪
転機が訪れたのは2009年。次点からの繰り上がりで出場した第10回のグランドチャンプで、ついに優勝。デビューから12年、挑むこと14度目で、悲願のG1初制覇を飾った。

 
「シルバーコレクター」
とりわけG1に関しては相性の悪く、優勝2回に対し,2着は実に12回という、とてつもない記録を残している。
前節の通り、2009年のGCで初優勝を飾ったが、それまでには「優勝目前」という試合もあった。
2006年の第7回グランドチャンプでは、2位・牧淳一に68ポイント差をつけて最終回を迎えるも、その最終回では、渋谷健司の跳満ツモの親カブリと,自身の先制リーチ後に追っかけオープンを敢行した市川克巳のロン牌を一発で掴む不運で、まさかのトビ。優勝した渋谷健司には、4回戦終了時点(最終回前)に100ポイントの大差をつけていただけに、信じられない逆転劇であった。
翌2007年の第8回グランドチャンプでも、やはり 2位・池上稔に36ポイント差をつけて最終回へ。最終回は高田潮風,池上稔と首位争いをするも、終始 安全圏に位置してオーラスへ。そして優勝を決定付けるべく5巡目リーチ。しかしツモ切りが続き、局は終盤。池上稔が追っかけのオープン。これをなんと一発でツモり、池上が逆転の親跳。待ちは渋谷が5巡目にかけたリーチと全く同じカン八筒であった。渋谷のショックはさすがに大きく、試合後に行われた池上の祝勝会では、引退を示唆した。(しかし、これが後の「執行部発足」の一因になる)
なお、続く2008年の第9回グランドチャンプもまた、ラス半前 先頭から、池上稔の逆転に屈し、GCは3年連続逆転負けとなった。
しかし、翌2009年の第10回グランドチャンプでは、最終回オーラス,乾坤一擲のリーチで、その時点でトータルトップの川合輝明を上回り、G1戴冠を果たした。
ちなみに、2008年のGCからのG1大会では、5連続連対を果たした。

 
データ
年度別成績(2005年〜)
年度出場
試合
成 績
(1,2,3,4着以下)
総得点
20054415,12,13,4+1768
20064614,14,9,9+ 676
2007379,15,6,7+ 666
2008204,6,5,5−  21
2009299,8,8,4+ 657
2010155,2,4,4−  70
2011287,9,6,6+ 269
2012114,2,3,2+ 336
2013135,5,3,0+ 498
2014 93,1,2,3−  53
2015102,2,5,1−   5


特別戦勝利(1997年〜)
  • G1
    第10回グランドチャンプ
    グランプリ・第3回KMA大賞典
    グランプリ・第6回KMA大賞典

  • G2
    ファーストドリーム賞・第3回雀王位
    第5回名人戦
    第4回雀王位
    第6回雀王位
    オールスターTR・第7回榎町記念
    “Road to GC” 第14回名人戦
    “Road to GC” 第12回雀王位
    “Road to GC” 第14回雀王位
    第12回榎町記念
    “Road to GC” 第15回雀王位
    “Road to GC” 第17回雀王位

  • G3
    第3回スプリント
    第4回スプリント
    第2回榎町記念
    “Road to GC” 第5回三冠トライアル
    「GC-CountDown5」第2回ハローブリッジ賞
    第1回スプリング争覇
    第11回アゼリアスプリント
    オールカマー 第7回ハローブリッジ賞
    “Road to GC” 第11回三冠セレクション
    オールカマー 第8回ハローブリッジ賞
    第13回アゼリアスプリント
    “Road to GC” 第12回三冠セレクション
    オールカマー 第9回ハローブリッジ賞
    オールカマー 第10回ハローブリッジ賞
    “Road to GC” 第14回三冠セレクション

  • SP
    '06ASプログレス(指定)
    '06ウィンタースプリント
    '07ウィンタースプリント
    '07プライム特別
    第1回牧淳一メモリアルゲーム
    榎町記念TR・第5回グローリープライズ
    GC-CountDown 第5回オータムチャレンジ

獲得タイトル(2005年〜)
  • 最優秀選手賞(2006・2013)
  • 獲得勝点第1位(2006・2012・2013)
  • 最多勝利(2005・2006・2009・2010・2011・2012・2013・2014)
  • 最多総得点(2005・2006・2009・2012・2013)
  • 最高勝率(2005・2006・2013・2014)
  • 最優秀連対率(2006)
  • シリーズ・チャンピオン(2009GCシリーズ)

記録(2005年〜)
  • シーズン最高得点記録 +1768(2005)
  • シーズン最多出場記録 46(2006)
  • 連続出場記録 36(2005)
  • 連続非最下位試合記録 27(2005〜2006)
 
エピソード
  • 打ち筋は、攻撃・守備の両面において、流れを重視する。
  • 攻守のバランスやメリハリに優れ、総じて失点が少ないなど、いわゆる「穴の少ない」プレーヤーの一人である。
  • 反面、精神的にモロい部分があり、強靭な精神力を身につけることがテーマとなっている。
  • 先頭に立つと勝負弱さを露呈するが、逆境に強く、大差がついても諦めない姿勢は、他の選手にとって脅威となっている。
    特に、南2局1300点持ちから藤原弘和を捲った大逆転劇は、今でも語り草となっている。
  • 基本的に「配牌が悪い」(本人・談)傾向にあり、後ろで見ていた池上稔が その悪さに驚いたことがある。
  • 以前は、持ち前の逆境での強さを体現した後半勝負型であった。
    しかし、2年連続最多勝獲得が始まる2005年以降は、当時KMAが掲げていた「熱く ,激しく,…」を体現するべく団体の顔として、また G1が勝てないプレッシャー など、様々なことが起因し、全試合,あるいは全半荘,ともすれば全局において 、気迫を前面に押し出した「全力投球」の姿勢で臨んでおり、「初回からエンジ ン全開」を標榜していたため、先手を取ってからの逃げ切り勝ちを得意戦法とし ていたが、再三 述べた通り、G1大会などの大舞台では、最終盤で逆転を喰らうこ とが多かった。
    その後 執行部立ち上げによって自身の負担が軽減し たこと、また「苦境そのものを楽しもう」という発想の転換などから、“いい意 味で” 試合に対する余分な力が抜け、長期欠場を経た2008年シーズン後半からは 、試合の前半は その日の自身の状態や,場の流れの状況等を把握することに費や すなど、初心に還って試合後半にピークを迎えるよう戦法の転換をした。
    その集大成が、第10回グランドチャンプでの優勝を決める 最終回オーラスの和了 りという形として結実した。
  • 役満は、2000年に藤原弘和から国士無双、2006年に四暗刻、2007年に池上稔から国士無双,大三元ツモ、など。
  • 試合中は専ら場を和ませる言動に腐心するも、不調時のボヤキが多く(佐竹敏光いわく「不規則発言」)、以前は激高することが多かった。
  • G1大会では「正装」と称して、毎回 背広姿で臨む。 横尾誠二の「スーツだから負けるんだ」と言う発言を受け、逆に「それなら『勝つまでは絶対にスーツで行く』と心に誓った」と言う。
  • 特技はモノマネ,大喰い,独特なタッチのイラスト。若い頃に川崎競輪場で行われた市民まつりでの素人競輪大会で優勝したが、10年後に出場した際には4着に敗れた(このときには池上稔も観戦し、自身のブログに模様を掲載した)。
  • 好物はシーチキン。以前は はごろものシーチキンLを好んでいたが、最近は「いなばでもいい」とのこと。
 
リンク
 
関連項目

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