急速に・・・・・・それでいて、だんだんと・・・・・自分が戻ってくる・・・・・・。
そんな感覚だった。遠くに聞こえた物音が明瞭に耳に近づいてくる。声・・・意味が聞き
取れそうなほど近づいてくる。周囲をうかがう感覚が鋭敏に研ぎ澄まされているようだ。
眼は・・・・・瞼は開けられそう・・・・ピントの定まらない白く眩しく消しとんだ風
景が徐々にはっきりと視界に脳裏に映ってきた。どうしたんだろう・・・どうしてたんだ
ろう・・・視覚が聴覚が情報を伝え始めると同時に急速にみずはの思考が働き始めた。
(起きなきゃ・・・すぐ・・・今すぐに!)
差し迫った危機にすばやく対処できうるように・・・そんな気持ちに襲われてみずはは横
たわっていた体を上半身だけ起こした、瞬時に。その瞬間、視覚が周囲を捉える。
「えっ・・・・私の・・・へ・・や・・・・」
見慣れた部屋の風景、カーテンの隙間から差し込むやわらかな朝の陽射し。あたりを見回
した後、自分を見る。パジャマ姿のいつもの自分がクローゼットの扉一面にある姿見に映
っていた。いつもと変わらぬ自分がそこにいた。寮の廊下から朝食へ向かう生徒達の話し
声が漏れてくる。
「おはようございます。みずは先輩」
「おはようございます、みずは様」
「おはよう、みずはさん」
制服に着替えて寮のカフェテリアに下りると同級生、後輩、上級生から口々に挨拶が投げ
かけられる。いちいち答えていられない、いつものように軽い目配せと会釈、あるいは黙
殺するかたちで席につく。室内には清々しいヴィバルディの『春』が流れている。Sクラ
スの生徒はカフェの一番日当りのよい3面ガラス張りのサンルームに指定された席がある。
みずははその中でもお気に入りの、天窓もガラス張りのサンルーム奥の席に腰掛ける。す
でに皆がみずはに遠慮して指定席でもないのにその席はみずはだけの席として認識されて
いた。Sクラスでは座るだけで食事は自然と給仕される。他の生徒達のようにセルフで食
事をとっていくコンコースへならぶ必要はなかった。
「おはようございます。本日は温かいオニオンスープ、スクランブルエッグとベーコン、
季節のサラダとヨーグルトになっております。ドレッシングはフレンチ、パンはクロワッ
サン2つでよろしいですね。」
Sクラス専用のウエイトレスが、みずはの前にグラスに真っ白なミルクを注いでいく。
「悪いけど・・・先にコーヒーをもらえない?」
「はい?・・・コーヒーですね。ただいま・・・」
ウエイトレスは慌ててみずはのもとを離れていった。
(なんだろう・・・この爽快感。気持ちいいくせになぜかどこか居心地が悪いわ)
みずはは両手の人差し指でこめかみを指圧する。なぜか昨日の自分の行動を思い起こした
り、疑問に思って振り返る気は微塵もおこっていなかった。昨日もいつもと変わらぬ同じ
一日の繰り返し・・・意識の中ではそう完結していた。みずはの中では、弘子の事件も別
に気にかけるほどのウエイトをもつものではなかった。
その時カフェテリアに悲鳴が響いた。
「キャーっ!イヤーっ!」
「ウソー!なに、なんなのぉ〜!気持ち悪ぅ〜!」
そんな悲鳴がみずはから少し離れたテーブルであがり、食事をしていた生徒達が逃げるよ
うにバタバタと席を飛びのいて逃げ出していく。付近のテーブルの生徒達は同じように驚
く者や興味深げに覗き込む者もいた。
「なによ・・・騒々しいわね!」
みずはが言っても嬌声にかき消されて誰の耳にも入らなかった。
「イヤな虫〜!うわーイヤ、イヤ、こっちこないで!もぉ」
生徒達の騒ぎの原因はテーブルに出現した1匹のゲジゲジだった。キャンパスは森林を開
発して造られて自然との融合を謳っており、虫など珍しいことではなかったが、いきなり
テーブルに出現した珍客にお嬢さま育ちの生徒達は朝から大それたパニックになってしま
った。わずか数cmの1匹の虫の移動がカフェテリアを騒然とさせ、人だかりを真っ二つ
に割ってゆく。テーブルを降り立った虫はキレイに磨かれた大理石の上を移動していく。
「まったく、たかが虫一匹になに騒いでんのよ!」
多少苛立ちを覚えてみずはが騒ぎの渦中へと席を立った。みずはとしてみればこれ以上落
ち着いた朝食の時間をつまらない騒ぎで邪魔されたくなかったからだった。
一方では虫のために人だかりが割け、もう一方では不機嫌なみずはに道をゆずるべく生徒
達が席を立った。
みずはの視界に床を動き回る気味悪い虫が入ってきた。
(まったく・・・たかがこんな虫のために・・・)
みずはがそう思って忌まわしい虫をどうしようか思案した時、みずはの前に人だかりをか
き分けて出てきた生徒があっという間にゲジゲジを踏み潰した。
事態はあっけなく終息した・・・シーンと静まり返ったカフェテリアにさわやかな交響曲
だけが響く。その生徒は踏み潰してもなおその右足に力を入れて踏みにじった。みずはか
らはその生徒の後姿しかわからなかった。
(誰・・・・?)
「おはようございます・・・みずは『様』、フフフ」
振り返りざまその生徒は満面の笑顔でみずはに挨拶をした。
(・・・・桐生優紀!)
みずはは何も言えずにいた。周囲の生徒達は固唾を飲んで二人の会話を見守っている。二
人がどういう人間関係であるのか、2、3年生は十分に知っていた。1年生も噂を耳にし
ている者も多い。
優紀が足をどける。無惨にも踏み潰されて原形をとどめない『物体』が散らばっていた。
「所詮、虫けら・・・力ないものが力あるものに潰されてもどう抵抗することもできない
ものね。可哀相に・・・こんなところに出て来なければ生きていられたものを・・・。み
ずはもそう思うでしょ?」
優紀は足元に眼を移した後、再びみずはに視線を向けた。
「私のシューズ・・汚れちゃった。ねぇ、みずは、舐めてキレイにしてくれる?」
ざわっ・・・と一瞬周囲がどよめいた。優紀の周りにいた生徒達は更に一歩優紀から後ず
さった。たじろいだのは、みずはの方だった。
「な・・・何言ってるの、あなた。私に向かってそんなこと言ってタダで済むと思って?」
今度はみずはの言葉に、みずはの周囲にいた生徒が一歩後ずさる。一触即発・・・そんな
ムードを打ち破ったのは優紀の方だった。
「あはははははは・・・冗談よ冗談。気に障ったんならゴメンなさい・・・」
みずはの肩をポンっと叩くと優紀はみずはの脇を摺り抜けていく。
「待ちなさいよ、冗談で済ませられると思ってんの!」
そう言って去りかけた優紀の左手を掴んだ瞬間、みずはの手に電気が走ったような痺れた
痛みを感じて慌てて腕を放した。
《あなたは逆らったり反抗することはできない》
「あぅ・・・」
引っ込めた手をもう一方の手で庇うみずはには、すでに高慢な態度をとる余裕もなかった。
(なんなの?・・・今の感覚・・・まるで手に電流でも流れたよう・・)
みずはの戸惑う表情を楽しんでいるかのように意味深な笑みを向けた優紀はみずはに近づ
くと周囲には聞こえない小声でみずはに囁いた。
「昨日は楽しかったわ・・・また遊びましょう。みずは『様』」
みずはは表情を失ったまま立ち尽くす。優紀は人だかりをかき分けて自分の席に戻ると途
中だった朝食に平然と再び手をつけ始めた。怒りおさまらぬといった表情でみずはが優紀を立ったまま睨んでいる。全員の視線も優紀に集まった。
「そうそう、水泳部の朝練は中止だってよ。蓮見先生からの伝言!弘子の一件が落ち着く
までね」
優紀はみずはを気にすることもなくトーストを口にしながら言い放つ。周囲の生徒はゆっ
くりと席に戻り始めた。
(昨日?・・・遊んだ?・・・なんなのよ一体・・昨日?きのう・・・・)
混乱する思考を落ち着かせるのに必死になったみずはは、結局それ以上優紀に詰め寄るこ
ともなく席に戻った。みずはにとって『混乱の一日』が幕を開けた。
「竹島弘子の容体は依然危険の域を脱していないそうです。母親をすでに亡くしており、
単身赴任でフランクフルトに行っている父親には昨夜会社を介して帰国依頼の連絡をつ
けました。あと父方の祖父母が今日中には松江から駆けつける予定です。」
「そう・・・・わかったわ。さあ校長、受話器を置きなさい。置いた瞬間あなたは竹島弘子に関することを私に話したことも、私から電話があったことも忘れてしまうのよ」
「はい」
受話器から断続音が流れるのを確認して麗佳もまた受話器を置いた。
「みずは、この代償、高くつくよォ・・・・」
麗佳は机の上に置かれたCDとビデオテープを手に取ると保健室をあとにした。地階の一
番奥にある鋼鉄製の扉の前まで来ると、麗佳はカードリーダーに校長の身分証のサブカー
ドをさした。校長から催眠中に差し出させたものだった。ピッと音が鳴り扉は内側に自然
と動いた。麗佳は廊下の人気を気にしながら中へ素早く入って行った。閉じた扉には『中
央監視室』と書かれていた。
「ヤッホー駒ちゃん元気?よかった、今日が駒ちゃんの勤務日で!手間が省けちゃった」
「なんのコト?麗佳ちゃん。相変わらずイイ女だよなぁ、胸また膨らんだか?」
駒井は麗佳の訪問に顔をほころばせた。学内の空調や照明などの設備を制御する中央監視
室のメーターとモニターがはめ込まれた大きな壁面を前に異常のみをチェックする監視員
の駒井は監視員にしてはまだ若く、ホストを思わせるマスクを持っていた。現に交代勤務
の非番のときには体を休ませもせずに遊びまわっていると吹聴していた。
「セクハラもいいトコよ、それ!まだ夜の歌舞伎町辺りでブイブイ言わせてんの?」
「まあね〜、この前もホストだってウソついて一緒に飲んだママを喰っちゃった」
「このぉ、年増殺し!」
「あははは・・それ逆セクハラだぞ!まあ金ヅルだよ、金ヅル!夜遊びするには軍資金が
必要だろ。そのためにはスポンサーを探さなきゃ。でもね麗佳ちゃん、ママって言ったっ
て結構キレイで若いのもいるんだゼ。金離れもいいからこの間なんか一遍に30万だよ!
「おこづかい」って!」
「すごいやねぇ〜、でもつまみ食いしてヤクザや本職達に殺されないようにね」
「ダイジョブだって。ところで今日はなによ、またオレとしたいってか?」
「ピンポ〜ン、駒ちゃんのデカイのが欲しくなっちゃった」
「いいぜ!いいぜ!麗佳ちゃんってホントにストレートに言うよなぁ。よし今日はココで
やろうぜ!脱げよ!菅井のじいさま風邪ひいて休みだからよ、明日の朝までここはオレ一
人なんだよ!何でもできるぜ。イケ!イケ!Go!Go!だな、こりゃ・・・・・・・・」
「誰も来ない?」
「来ない来ない!こんなとこ明日朝の交代の時間まで誰も来ないって」
硬く膨らませた股間を隠そうともせず椅子から立ちあがると麗佳に歩み寄る。
「そう、誰もこないの、なら好都合だわ。でも駒ちゃん、私・・休憩室の方がいいな」
そういって目の前まで近づいてきた駒井の前で「猫だまし」のようにパンと手を叩いた。
駒井の体が止まった。麗佳は近づいて駒井の耳をつまんで口を寄せる。
「さあ、楽しみましょう〜駒ちゃん『イカセテ』」
キーワードを囁いて、ポンと肩を叩くと駒井は再び動き始めた。
「そうかい、そうかい!今日もまた思いっきり楽しもうぜ!声出したってここじゃ誰にも
聞かれないから、麗佳!気にせず大声であえいでみせろよな。ムードが大事だからな」
いるはずのない虚空に向かって肩を組んで駒井は一人で休憩室に消えていった。
「フフ、駒ちゃんイイ男だから私からちょっとご褒美、ココを借りる賃貸料ってトコかな。布団を私だと思って目一杯出してね、思うどころか駒ちゃんにとってはホンモノの私ね」
駒井の後ろ姿を見送って麗佳は監視室の中央にあるメインチェアに腰を下ろした。手元の
大きななタッチパネルを切り替えると正面の画面には高等部のプールの映像があらゆる角
度から映し出された。
「フフフ、いた、いた。我ながら暗示ってスゴイって思うわ、こういう時って。8時か・・
・時間どおりに舞台に配役が揃ってるものね、さぁショータイムの始まり始まりぃ〜」
みずはは制服姿のまま、プールサイドに立っていた。始業にはまだ30分の余裕があった。
(昨日の昼休み・・・・竹島と衝突した・・・ここで・・それから・・・・)
プールサイドをゆっくりと歩いて昨日の経過をたどっていた。『昨日』・・・・優紀が朝
の食堂で放った言葉がひっかかていた。朝日が屋内プールの水面に反射して天井にキラキ
ラと光のきらめきを作っていた。
「アラ?・・・・智徳院さん、今日の朝練習は中止よ。連絡いかなかった?」
プールの端で日課の水質チェックをしていたさやかがみずはを見つけて声をかける。
「いえ、いいの。連絡は聞いたわ、気に入らない奴からね。それから、蓮見!口の利き方、2人でいるときは違うわよね!」
「あっ・・・失礼しました、みずは様」
(なんだろう・・・私・・・・今朝起きてからなんか変なカンジ。彼女を見たら余計に感
情が昂ぶってる。どうしたんだろう・・・・・それに昨日、私いつのまに寝たんだろう?
思い出せない・・・・変なことだらけ・・・)
さやかもまた心のうちに疑念が生じていた。
中央監視室−麗佳は持って来たCDを機器に装填した。
「えぇっと、こうして、こうして、こうすれば音はプールだけに流れるのよねっと。さあ、
舞台はそろった。第一幕は『飼犬の反乱』スイッチON!」
芝居がかったようにおどけて麗佳はプレイボタンを押す。
室内のスピーカーからホルストの『惑星』がながれ始めた。始業までの時間、生徒の自主
運営で音楽が流されている。ただし今日の屋内プールはいつもの音楽ではなかった。
「あれっ・・・・・・」
ふっとめまいを感じてさやかは右手で目元を押えた。みずはは音楽などには気にもとめず
考え込んでいた。プールサイドを思索しながら歩くみずはは、さやかの前を通りかかった。
さやかの顔にあやしげな含み笑いが浮かぶ。さりげなく上体を傾けて、さやかは、みずは
の足先に自分の足を伸ばす。さやかの足にひっかかってみずははバランスを崩した。さら
に上体をあてにきたさやかに弾かれるようにみずは水柱をあげてプールに落ちた。
「まぁ、みずは様!どうされたんですか・・・・・フフ」
ガバっと水をかき分けて水面から顔を出したみずはは咳き込んだ。
「ケホケホ・・・・ゲホ・・・蓮見ィッ!あんた、なんのつもり!?」
「えっ、何ですか?」
「何しらばっくれてるの?今私を突き飛ばしたじゃない!」
「私が?みずは様に?・・・・そ、そんな、私がそんなことするはずないじゃないですか」
「あなた以外に誰がプールにいるって言うのよ!」
「みずは様はご自分から足を滑らせてプールに落ちたんですよ」
「ふざけないで!」
プールの縁に手をかけてぴょんと飛び上がるようにしてプールから出ようとする。さやか
はそのみずはの頭に足を乗せて踏みにじるようにゆっくりとプールに押し込んだ。
「せっかく来られたんですから、朝練しましょうか。練習嫌いのみずは様」
「蓮見・・・・あなた、一体・・・・」
「制服が水吸って重いから、ちょうどいい負荷になりますね。私に邪魔されずプールから
出られたら朝練は終りにしてさしあげますよ」
手近にあったビート板を手にしてさやかが言った。
「何言ってんの?誰に向かって言ってるつもり。つきあってらんない!」
プールから出ようとしたみずはを、さやかはビート板で思い切り叩いてプールへと押しや
った。ビート板はその材質から体に叩かれた跡が残らない。
「あんた、本気なの?本気で私に逆らう気?」
「そんな、とんでもない、みずは様。言ったじゃないですか、練習です。みずは様が望ん
でいるように、部No.1になっていただくための個別練習ですよ」
「あなた、正気?」
「えぇ、もちろん。フフ、うれしいわ、みずは様と2人きりで練習できるなんて・・・」
みずははたじろいだ。さやかの態度は決して正気の行動ではなかった。この女は何かおか
しい、でもそれが何故だかはわからない。とにかくプールを出て学棟に行けば自分の自由
になる部員達がいる。ここでは不利だ。みずははそう思ってプールの対岸へと泳ぎ始めた。
さすがに制服を着たままでは動きが思うようにとれなかった。対岸に着いたときには目の
前にさやかの足があった。
「フフフ、ダメダメ。いくらみずは様が泳いだところで表を歩く私にはかないませんよ」
「くっ!」
何度か繰り返しては見たものの結果は同じだった。上がろうとすれば、さやかは容赦なく
ビート板で殴りかかる。みずはには屈辱的なことだった。すでに始業時間に近い。
「ホラホラ、駄目ですよ、私に勝たずしてプールから上がってきちゃ・・・・・」
「だったら・・・・・・・・・!」
そう言ってみずはは、自分を足蹴にしようとしたさやかの右足を両手で掴んだ。
「あんたがプールに入りなさいよ!」
「きゃっ!・・・・・・・・・・」
思いっきりさやかの足をプールから引っ張った。もんどりうって倒れるように後頭部をぶ
つけた後、さやかはプールへ引きづり込まれた。後から羽交い締めにされて水面下へと沈
められる。さながらキャットファイトのように−。みずはの力は思いのほか強く、さやか
はしっかりと嵌まったみずはの腕を振り解けず必死にもがいたが、だんだんと抵抗は弱ま
っていった。
「ふんっ!」
投げ出すようにプールサイドにさやかを引き上げた後、みずははプールから上がった。
「覚えてらっしゃい、蓮見。タダじゃおかないから・・・・・・」
思い切りさやかの脇腹を蹴り上げた。
「うっ!・・・・うぇ・・・・」
さやかはうめき声とともに大量の水を吐き出した。みずはは疲れたずぶ濡れの体を引きづ
る様にプールを後にした。一人取り残されたさやかはプールサイドで弱々しくのた打ち回
っていた。モニターで一部始終を見ていた麗佳はふうぅっとため息をついた。
「ん〜予想外。あのコのあの力、信じられないわ。仮にも相手は体育大出の成人よ。高校
生に、それもあんな華奢なコにそれを凌駕するほどの力があるなんて。それとあの強気な
性格!育ちがいいとああも人間強気になれるのかしら?」
その時始業の予鈴チャイムが鳴った。
「おっと、止めなきゃ」
慌てて麗佳はCDを止める。
室内の音楽が止み、激痛と寒さがさやかの自我を目覚めさせた。
「なんなのよ・・・一体、私今なにしてたのぉ?・・・どうしてこんなになってんの?」
ずぶ濡れのジャージ姿のまま、さやかは脇腹を押えて苦悶の表情を浮べながら、やっと上
半身を起こして激しく咳き込んだ。水質検査をしていた自分がなぜ今こうなっているのか
全くわからない状態だった。
「さて、中盤の準備かな・・・・『飼犬さやか』はイマイチだったわね」
タッチパネルを操作して、みずはの姿を捉えることは容易だった、寮へ向かっている。
「そうよね、着替えもせずにずぶ濡れのまま教室へはいけないもんね」
麗佳は校長の身分証カードを再び取り出してデスクの脇にある差し込み口に入れた。ピッというアラーム音のあとに消灯していたスイッチ類が点灯する。
「フフフ、校長のカードなら、なんでもアリアリってことよね」
みずはの部屋番号をコンソールから入力すると、麗佳の前のモニターは一斉にみずはの個
室の各部屋の室内映像が映し出された。セキュリティー上、最高管理責任者と少数の幹部
職員にしか許されていない行為で、寮生個人の部屋の壁面や壁掛時計の「9」の字の丸の
部分に埋め込まれたカメラが作動して寮生の状態を確認できるようになっていた。無断欠
席や急病などに対応することが表立っての理由だったが麗佳は真意だとは思っていなかっ
た。
「さてみずはの部屋のTVをONにして・・・っと。こんなことまでできちゃうなんてセ
キュリティ以外の使用目的がきっとあるのね。フフ、でもこのビデオ、ショックだろうな。
女王様には堪えられないかもね・・・・・」
「ウォー、レイカァ!麗佳ぁぁぁぁぁ!いいだろ!いいだろ!いいだろぉぉぉお!」
麗佳の背後にある休憩室から駒井の大声が響き渡る。
「だぁぁぁぁぁぁ、うるさーい!もう!あんなヤツにやられてるのかと思うと妄想でも許
せないわ!ったく!駒ちゃんに攻められて、よがる女の気が知れない!」
麗佳は駒井の声を訝りながら、持って来たビデオテープをセットした。
やっとの思いで自室の前まで戻って来たみずはは、濡れた手でカードキー代わりの身分証
をさして解錠するとドアノブに手をかけた。
「誰?誰かいるの!?」
部屋の奥で人の話し声が聞こえた。警戒心と緊張感がみずはの全身を包み込む。周囲の部
屋はすでに始業して誰も残っていない。だが声は確かに聞こえている。入り口のドアを静
かに閉め、奥へ進んでリビングへのドアノブに手をかけると勢いよく開けた。
「誰なの?私の部屋で何してんのよ!・・・・・・・・・・・・・・?」
みずはの声に答える相手はいない。人の声はリビングに置かれたTVから流れていた。
(そんな・・・私、今朝TVなんてつけてない・・・・・)
ゆっくり、ゆっくりリビングに足を踏み入れる。
「こ、この声・・・・・そんな・・・・・・・」
TVに近づいたみずはは、画面に映った自分を見て言葉を失った。画面に自分一人が全裸
で犬座りして映っていた。みずはの覚えのあるどこかのスタジオのような背景だった。
TVの中のみずはは、本当に犬であるかのような仕草をしていた。首輪をつけて鎖は画面のさらに外にまで延びていて、そこに繋がれているようだった。
『ホラ、プッシー!餌が欲しければおねだりしなさい!』
画面には映っていない誰かが画面のみずはを『プッシー』と呼んで話し掛けると、まるで
人間であることを忘れてしまったかのように犬になりきったみずはは上体を起こして前足
である手をバタバタさせて声の主にねだっている。
『ワン、ワンワン、ワォーン、ワォーン、ハッハッァハッ』
『はい、お手!』
『ワン!』
『はい、ちんちん』
『ハッハッァハッ』
『はい!よくできましたぁ!ご褒美よ』
床に投げ捨てられたクッキーをみずはは手も使わずに喜んで口にしている。
『プッシー、嬉しい?嬉しかったら尻尾を振らなきゃね』
『ワン!』
みずはは嬉しそうに、無い尻尾を振っているかのように尻を振った。
『プッシー!私のシューズ・・汚れちゃった。ねぇ、舐めてキレイにしてくれる?」
画面の宙に右足が現れた。みずははその上げられた右足の靴底を思いっきり舌を伸ばして
嬉嬉として舐め始めた。聞き覚えのあるセリフだった。
「桐生優紀・・・・・・アイツだ。アイツが仕組んだんだ」
怒りが全身を突き抜ける。みずはは部屋の片隅に置かれたテニスラケットを持ち出すと両
手で持って思い切り振り上げた。その時、またあの電気に感電したように体が痺れてラケ
ットを落した。、画面が変わった。ブラジャーにパンティーの下着姿で踊り狂う自分が映
っている。
中央監視室−
「フフフ、まだまだぁ。ちゃんと見なさい、壊すのはそれからよ。あなたは女優、シナリ
オどおりに進めてもらわなきゃ・・・・・・」
麗佳はモニター越しにみずはに話し掛けた。
「なんなのよ!なんでこんな映像が映ってるの?どうして私が知らないのよ!」
『みずは!さあ、さっき言ったようにね!』
映像の中、画面の外からの声に、画面のみずははカメラを意識して「は〜い」と微笑んだ。
『みずは見てる?私、みずはよ。あっ、わかってるか・・・・この姿見れば自分だって。
今とってもいい気持ち。そんなに怒らないで!これが本当の私よ、ほ〜ら、自分を曝け出
していらないモンはポイって脱いじゃう。ほらぁ!見て見てみずは!いい胸でショ、自慢
のCカップだよね!でも右だけちょっと大きいんだよね!まいっちゃうね〜!見て見て、
ほらぁっ!ぱくっと開くとピンク色ぉ!エヘヘ、まだキレイでしょ。まだ誰にも入れさせ
てないから。普段、自分のなんかよく見ないモンね!だからよく見てよ。知ってるよ、み
ずはの初めてのヒトにしたいのはね〜科学助手の直樹先・・・・・・・・・・・』
我慢できずに再びラケットを握った。今度は痺れはこなかった。
「黙りなさいよ!この!この!この!」
自分が自分を裏切っている。自分しか知らない事を恥ずかしがることもなく馬鹿みたいに
踊りながら、ペラペラとばらしている。屈辱・羞恥・憎悪・憤怒あらゆるものが心の中に
渦巻いていた。ラケットが壊れてしまうのを気にも止めず狂ったようにTVを破壊した。
濡れた髪が顔にまとわりつくのを気にも留めずに憎悪だけでTVをぐちゃぐちゃにしてし
まった。ラケットが破壊の道具として使い物にならないほど壊れきった時、ただの棒と化
したラケットを捨てて肩で息をした。
「許さない!」
みずはは唇を噛んだ。
教室の窓際の一番後・・・そこが自分でもお気に入りの優紀の席だった。
(どうしたんだろう私。あのとき何であんなコト言ったんだろう。しかも、あのみずはに
・・・『弘子の仇』と殴ってやってもよかったのに・・・・そんな気が起こらなくて)
窓の外から空にぽっかり浮かぶ雲を見ている。その時教室のドアが勢いよく開いた。
「授業中ですよ、勝手に入ってこられては困ります。それになんですか、その格好?」
教師の制止をよそに優紀の前に迫って来たのは髪が濡れてセットもままならないまま肩で
息をしている水泳部のジャージ姿のみずはだった。外を見ていた優紀が顔を上げて言った。
「なんか用?」
そう優紀が言った刹那、みずは思い切り優紀を殴りつけた。さしもの優紀も椅子を倒して
床に倒れ込んだ。
《あなたは逆らったり反抗することはできない》
「・・・痛い・・・・いたい・・・いたぁい」
教室内は騒然とした。痛がったのは優紀ではなくてみずはだった。体を屈め頭を抱えて苦
しがっていた。しかも苦悶の表情のまま、それに堪えながら優紀の椅子を手に取り、置き
あがろうとした優紀を更に椅子で殴りつけた。
「やめなさい・・・智徳院さん!やめてぇ!」
女性教師の金切り声が飛ぶ。誰もみずはを恐れて制止できない。狂ったように優紀を打ち
のめした後、みずはは周囲に目を移す。みずはに見据えられ、周囲にできた人だかりは中
心にいるみずはを避けるように更に大きく広がった。その輪を断ち切るようにみずはは教
室を出て行った。
「ウソ!・・・・あのコ、私の暗示に逆らいきった・・・何てこと・・・。いけない!保
健室に戻らなきゃ。あん、もう予想外、あのコ何者?かかりが浅かったかなぁ・・・」
モニターを見ながら中央監視室で麗佳は愕然とした。慌ててビデオテープを掴むと休憩室
で疲れ果てている駒井を起こす。室内には、あの臭気が充満していた。
「駒ちゃん、聞いて『麗佳のお願い』よ。今から私の言う通りに機械を操作してね」
駒井は全裸のまま虚ろな目で素直にうなづいた。麗佳は駒井に指示を出す。
『西ノ宮先生、西ノ宮先生。今すぐ保健室にお戻り下さい』
校内放送が中央監視室にも入る。あの女性教師の声だ、優紀が保健室に運ばれたのだろう。
「わかってるわよ!うるさいわね!もぅ、こっちもそれどころじゃないわよ!」
スピーカーにあたりちらすと麗佳は再びコントロールパネルに歩み寄って、モニターをあ
らゆる地点に切り替えてみずはを探し出す。正面玄関にむかう長い廊下を小走りに急ぐみ
ずはを見つける。
「なによ・・校外へ出る気なの?家に帰る気?許さないわよ、勝手なことは・・」
みずはの歩く廊下だけに放送が入るようにスイッチを切りかえると麗佳はマイクを寄せた。
「2−Sの智徳院さん、2−Sの智徳院さん。音楽室第2スタジオまで来なさい」
画面に映るみずはは何事かと辺りを見回していたが、決心したように音楽室へと廊下を後戻りした。麗佳はそれを確認すると、服を着て麗佳の脇に立った駒井に話しかける。
「駒ちゃん、このコの行く先を確認しなさい。ここから操作して音楽室の第2スタジオを
解錠し、彼女が入ったらドアを施錠、監禁するのよ。できる?」
「・・・・火災時の緊急排煙モードに切り替えれば」
「なら、そうしなさい。もし彼女が途中で引き返すようなことがあったら、ここから第2
スタジオに誘導するのよ。軟禁したら指示したとおりにしなさい。わかった?」
「ハイ・・・」
それだけ言うと麗佳は保健室に慌てて戻っていった。
みずはが第2スタジオに足を踏み入れた瞬間、重い防音扉のロック音が鳴った。ノブに手
をかけたが予想したとおり扉は開かなかった。周囲を見渡す。間違いなくあのビデオの舞
台となった場所と第2スタジオは同じだった。
「フン、こうなったら私を陥れたヤツが誰なのか見極めてやるわ!」
スタジオの真ん中ににポツンと置かれた椅子にみずはは腰掛けた。その時ぽぅっと周囲が
薄暗くなった。瞬時に緊張が走ったみずはは椅子から立ちあがろうと肘掛けに手をかけた。
「えっ・・・・・・・・・」
みずはの腰や背中はまるで縛られたように椅子から全く離れない。
「ど、どうして・・・・縛られてもいないのに・・・・・」
みずははうろたえた。
スタジオのガラス越し、調整室に置かれた大画面TVに灯が入りノイズ画面が現れた。室
内スピーカーからザーっと音が流れる。見えない鎖に拘束されたみずはは、そのTVを凝
視した。映像がはっきりと画面に映し出される。そこには同じ椅子に座って両手足と首を
をハンカチで縛られて必死にもがいて抵抗するみずはの姿があった。だが、その記憶はみ
ずは自身の中からすっかり欠落しているものだ。
「一体、いつこんな・・・・・大体、なんで私が覚えてないの?」
画面の中のみずはが自分を睨んだような錯覚を受けた。映像のみずはが叫ぶ。
『くっ、解いて!ほどきなさいよ!あんたたち私にこんな事してあとでどうなるかわかっ
てるの?美月さん・・・美月!早くこれをほどいてっ!』
画面にはみずはしか映っていない。だが、記憶に無い自分はその場に東郷美月が居合わせ
ていたことを物語っている。しかし、その美月からの受け答えはなかった。みずはは食い
入るように画面を見つめる。少なくとも、さっき自分の部屋で見せつけられた自分の痴態
映像に比べれば、いまこの画面の中にいる自分はもっとも自分らしい自分だった。
『ちょ・・・ちょっと・・・・何するつもり?やめて!やめなさい!来ないで!!』
椅子に座って縛りつけられているみずはにジャージ姿の人物が近づく、ただ座っているみ
ずはを撮るその映像では立ってみずはに近づくそのジャージ姿の人物の首から上が映って
いない。ただ、ジャージは今みずはの着ている水泳部のジャージだった。その人物は動け
ないみずはの背後に回り、もっていたバンダナでみずはの目を塞いだ。
『やめなさいっ、やめてよ!蓮見!アンタまでどうしたっていうの?あなたは私を守るの
が仕事のはずよ!それがなによ、なに考えてんのよっ!』
目隠しをされたみずはが次に口にしたのは蓮見さやかの名前だった。蓮見の今朝の奇行を
ある意味みずはは納得した。そしてこの顔の見えないジャージ姿は蓮見さやかのものだと
理解した。恐らく・・・・・考えたくはないがこの画面を外れたどこかに桐生優紀もいる
に違いない、みずははそう思った。しばらくして近づく靴音が響く。上履きではない、ヒ
ールのような音。
『フフ、気分はどう?みずはさん、智徳院みずはさん』と女の声。優紀の声ではなかった。
『誰?誰なの?』と、画面の中のみずは。画面には相変わらずみずはしか映っていない。
『目隠しされて周りがわからなくなるととても不安でしょう』
『ちょっと!いいから名乗りなさいよ!あんた誰なの?私をどうするつもり?』
『安心して、あなたがそこに座っている限り、私はあなたの体に直接触るつもりはないわ』
『私はあなたに聞いてるのよ。私が智徳院みずはと知っててこんな事しているワケ?』
『そうよぉ〜、あなただからこそ、こんな行動に出・た・わ・け!』
『待って、その声聞き覚えがあるわ!』
『あらそう!うれしいわ、私の話に集中してくれて。この先、やりやすくなって助かるも
の。近頃は人の話を聞かない馬鹿も多くてサ・・・・・』
「誰なのよ、わかんない!」映像を見るみずはは悔しがった。でも画面の中の自分は聞き
覚えがあると言っている。みずはは必死に思い出そうと画面を凝視する。
『何もかもが自分の思い通りになると思ったら大間違い。それをこれからたっぷりあなた
に教えてあげるわ。その高慢なあなたの態度をあらためさせてあげる』
『ふざけるのもいい加減にして。私は私の思うとおりにする!私にはそれを許される力が
あるし、誰にも私の邪魔はさせない!』
『そのあなたが今、椅子に縛られて自由を奪われて、この後どうやって思うとおりに動く
つもり?フフフ、聞かせて』
『くっ!ただじゃおかないから!』
『さやかもそう言ってたわ』
『蓮見に何を言ったの?蓮見が私を裏切るなんて』
『気づいたんじゃない?わがままなガキのおもりなんてやってらないってこと。ねえ、さ
やか、どうなの?』
『はい、そのとおりです』さやかの声が聞こえた。
『蓮見!あんた、自分で何を言ってるかわかってるの?』
『はい、はい。お嬢さま、怒らない、怒らない。さやかは私のペットになったのよ。かわ
いいペットに。そして、あなたはそのかわいいペットの1人を苛めた』
『なんのこと?』
『かわいそうに、あのコ校舎から身を投げたのよ。あなたのせいじゃなくて?』
『・・・・・竹島弘子?』
『あなたにもあのコと同じ痛みを味わってもらうわ、今度このスタジオに来た時にね。今
日はそのための「仕込み」ってトコ』
みずははドキっとした。今度とは『今』ではないのか、不安にかられて周囲を見渡す。ス
タジオ内にも、ガラスの向こうの調整室にも人影は見当たらない。やはりここからすぐに
でも脱出しなければならない、その思いが強くなり体を動かすが背中から足にかけて体は
椅子に貼りついたまま全く動かなかった。
『なにふざけたコト言ってるの?飛び降りたのは勝手でしょ!勝手に私の所為と決めつけ
ないでよ。いい迷惑だわ!』
『あなたの思い込みなんて関係ないの!すべては今の事態を招いた結果がすべてよ。悔や
むなら今まで自分が好き勝手し放題に他人を傷つけてきたことを悔やむのね』
『悔やむつもりもないし、誰だかわかりもしないあなたに説教される覚えもない。まして
やこの私があなたの言うとおりにあんな女と同じ痛みを負うために言うとおりにするつ
もりはサラサラないわ』
『イヤなヤツ!でもね、みずは、そんな事言って、結局あなたその椅子にへばりついて身
動き一つ取れないんじゃないの?』
『勝手にあなた達が縛りつけたんでしょう?へばりつくも何もないわ!』
『ちがう、ちがう!みずは、私はあなたに言ってるのよ』
『えっ?』
『あなたよ、あなた。このビデオの映像を見ている未来のみずはさん!』
みずはは驚いた。画面から流れる女の声は、明らかに今の自分に話しかけている。そして
確かに今、みずはは椅子にへばりつくように座ったまま見えない鎖にでも縛りつけられた
ように拘束され身動き一つとれずにいた。みずはは声の主の作意に恐怖を感じた。みずは
をここまで呼び寄せてこの部屋に閉じ込め、椅子に押さえつけているのは全て計算づくの
行為なのだ。
『誰に言ってんのよ・・・・・』
『フフ、この映像を見る未来のあなたによ。これから変わっていくあなたの様を、未来の
あなたに見てもらうの、ゆっくりとね』
『私に何するつもり?私の身になにかあれば、あなたタダでは済まないわ』
『強がらない、強がらない。言ったでショ、あなたがその椅子に座っている限り、私はあ
なたの体に触れて害を及ぼすことはしない、約束するわ、安心して』
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
みずはは画面には映っていない相手を睨みつけるような表情だった。目隠し越しにも自分
がかなり苛立っているのを今のみずはは見て取った。
『でも、あなたのココロをいじくらせてもらうわね』
『えっ?』
『みずは、五感って知ってる?視覚・聴覚・味覚・触覚・嗅覚、Sクラスのあなたならこ
のくらいは常識ね?この五感、一つでも遮断されると残りの感覚はそれを補うために鋭敏
になってくるものよ』
『何言ってるの?』
『あなたは今視覚を奪われている。すでに今までの私との会話であなたは私の言葉を集中
して聞くことを自分でも気づかないうちに自然と受け入れている。聴覚をもって視覚を補
おうとしているの。フフフ、みずは、疲れたでしょう。体が鉛のように重いわよね。ずぅ
っと緊張していたから気持ちも疲れ果ててるわ。とても眠くなって来たでしょう・・・・・
大丈夫、あなたはその椅子に座っている限り安全よ、なにも怖がることはない、体の力が
抜けてゆく・・・・・・リラックスできる、なんの不安もない。ゆっくりと意識が遠のい
ていくわ。あなたの感覚は私の言うとおりになってきてるでしょう?』
『そ、そんな・・・なぜ・・・・・どう・・して・・・・からだ・・が・・私の・・・・』
明らかに画面のみずはの表情が変わってきている。目隠しをされた目はわからないが、下
がり始めた眉や半開きになりかけた口、気だるげに揺れ始めた頭が変化を物語っている。
『さあ、ゆっくりと深呼吸して。そう、もう一回、息を吐くたびにあなたの体から力が抜
け落ちて体がその柔らかな椅子の背もたれに埋もれていく。リラックスすればするほど、
あなたは気持ちがほぐれ、とてもいい気持ちになれる。誰にも邪魔されない、あなただけ
の時間をあなたは満喫している。とても幸せな気分ョ。私の言うことをあなたは素直に受
け入れられる。頭の中に快く響いて聞こえる私の言葉、みずは、みずは、さあ何の不安も
悩みもない、体から解き放たれたあなたの魂だけが宙を漂っている。・・・・・・さやか、目隠しを取って、手足の枷もね、もう必要ないわ』
蓮見さやかが画面に現れて、目隠しも手足を拘束したハンカチもほどいた。腰をかがめて
作業をするジャージ姿は無表情な蓮見さやかだった。みずはは絶句した。画面の中の自分
は明らかに声の主の言葉を聞きいれ、まるで子どものような寝顔を曝け出していた。この
声の主が催眠術かそれに類する技術を使っていることは明白だった。それを信じる信じな
いは、みずは本人の意思に委ねられていたが、もう疑う余地はなかった。自分は間違いな
く声の主に操られていた。そして今の自分も支配され続けている、そう思えば椅子から離
れないのも合点がいった。しかも画面の中の自分は、あろうことか、無防備にも貶められ
ている。
『みずは、ゆっくりと目を開けて、とても爽やかで言い気分ョ、立ちなさい』
『はい・・・・』
「やめなさい!立ってはダメ!」
自分のの声が画面のみずはに届くわけもないのに、みずはは大声で制止した。
『みずは、あなたはアイドル、思い出して、あなたはアイドル、そして女優「みずは」』
『わたしは・・・・アイドル・・・・わたしは・・・女優』
『そう、これから撮影が始まるわ。有名な大物カメラマンが服を脱ぐように言っている』
『・・・・・・・・・・・・・・・』
『ためらう必要はないわ、あなたは女優。さすがみずはは大物と思われるように大胆に行
動しなきゃ。あなたは人に見下されるのがイヤ。さあ、思い切りよく脱ぐのよ。あなたは
人に見下されるのが嫌い、女優らしい女優に徹して素人のように羞恥なんか表にださない』
『私は人に見下されるのが嫌い・・・・・・・』
『さあ、撮影よ!みずは、洋服を脱ぎなさい』
『はい』
みずははもう何の躊躇もなくシャツのボタンを外して、勢いよくシャツを脱ぎ捨てた。ブ
ラジャーからこぼれるほどの白い胸が顕わになったが、みずはは動揺なくスカートにも手
をかけた。なんの疑問もなく声の主の命じるままに裸になり動き出した。みずはの行為は、
さっき部屋で見た犬の仕草とストリッパーのように踊り狂う場面へと続いていた。『あな
たはアイドルにして大女優、どんな役でもこなしえる』あの場面はこの暗示に支配された
みずはの演技だったのだ。
「もうやめて!」
みずはが叫んだ。その時、映像が途中で途切れ、背後にあるドアのロック音が鳴り、扉が
開くと、あのヒールの音が近づいて来た。それが誰だか振り向いて確認することは、身動
きのとれないみずはにはできなかった。
「おまたせ、でも遅れた分だけ今までの自分に起こったことを認識する十分な時間が取れ
たんじゃなくって?智徳院・・・みずはさん」
背後からポンと肩を叩かれてみずははビクッと体を震わせた。声の主はゆっくりとみずは
の脇を摺り抜けてみずはの正面へ進み出た。真っ先に目に入ったのは白衣だった。みずは
の視界に声の主の後ろ姿の全景が飛び込んで来たかと思うと、声の主はさっそうと振り向
いてみずはと対峙した。
「あなたは・・・・・・!」
「あら?ビデオの声だけじゃ気づかなかったの。まあ残念だわ、てっきりわかってると思
って出て来たのに・・・・・・」麗佳は微笑んだ。
「どうして・・・・・」
「どうして?だったら私が聞きたいわ!どうして弘子や美月を追いつめたの?あなたが答
える答と私のあなたへの答えは恐らく一緒よ、『気に入らなかった』んでしょう?前のあ
なたはそう言ってたわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ふぅ〜ん、答えないの、図星?」
「私をかえして!」
「いいわよ。帰りたければ、すぐにでも帰してあげるわ」
「違うわ!私を元に戻して!」
「イヤよ!」
麗佳はまるで駄々をこねる子どものように含み笑いをしながら言い放つ。
「あなたも人のココロの痛みを味わったでしょう?自分のワガママを出す前に少しでも人
を思いやる気持ちをもったらどう?弘子に対して償いをしてみなさい。この世に自分の思
い通りにならないことがあるということも思い知るのよ。ほら、もう椅子から体が離れて
立ち上がることができる。扉は開いてるわ、どこへと行けばいい、お嬢さま。ケンカは終
りよ、あとはあなたの好きにしなさい。望むべくは今までの行動を省みて改めること」
恐るおそる立ち上がったみずはは、自分の体が自由になったことを自覚した。ただまだ操
られているかもしれないという不安は拭えなかった。
「私には智徳院家のありとあらゆるものを利用できる力が与えられている。たとえ今はあ
なたの思い通りに動かされたとしても、医療スタッフの精鋭をすぐに集めてこの精神的な
呪縛から脱出するわ。そうなったら、あなたを叩きのめしてあげる。私に与えた侮辱の数
々倍にして返してあげる。そんなビデオの映像に脅されて屈服するつもりはないわ。私を
自由にしてこの部屋から出したことを死ぬほど後悔させてあげる。どう?謝る?」
「いいえ、みずは、よく考えて、謝るのはあなたの方じゃない」
「よく言えるわね、余裕?それとも開き直り?」
「どちらでも・・・・・。いきなさい、もうあなたは自由よ」
「フン!」
麗佳を脅したつもりが、全然動揺を示さないのでみずはの方が苛立ちを顕わにした。壊れ
るほどの音をたて、扉を閉めて出て行った。一限目の終了を告げるチャイムが鳴る。みずはは平然と廊下を歩き出した。
「結局読みどおりの展開になっちゃった。さぁ〜てと、最後の舞台の幕開けよ。幕を下ろ
すのはみずは、あなた自身。あなたが自分でやるのよ・・・・・力ないものが力あるもの
に潰されてもどう抵抗することもできないものね。可哀相に・・・わたしのペットに関わ
らなければ何事もなくお高くとまったお嬢さまでいられたものを・・・・・」
麗佳は部屋の電気を消して保健室へと戻っていった。
休み時間、次の授業のために移動する者、廊下でおしゃべりに沸くグループ、思い思いに
過ごす生徒達の間を掻き分けるようにみずはは校長室に向かって歩いていた。校長に詰め
寄り麗佳の行状を訴え、智徳院グループのみずは付きの秘書グループにも連絡をとるつも
りだった。麗佳をこのまま放置する気などサラサラなかった。
「智徳院さん、なぜさっきはあのようなことを・・・」
通りすがりに会ったのは、さっき優紀のクラスにいた教師の富塚だった。
「あんたに話さなきゃいけない?それ、私を責めてるの?」
「い、いえ・・・・・そんな・・・・・私」
「問いただす覚悟がないんだったら、いちいち声なんてかけてこないで。ムシの居所が悪
いんだからこれ以上何か言えば、あんた明日から学校来れなくなるよ」
「す、すいません。し、失言です。でもさっきから智徳院さんのその格好が気になって・・
・・・せめてそれだけでもお話しておこうかと・・・」
「格好?何言ってんの?コレは部のジャージよ。制服が濡れてしまったから」
「いえ、そうではなくてそのペンダント・・・」
「ペンダント?」
富塚が指差すみずはの胸を自分で顔を落して見ると、いつのまにか見慣れないピンポン玉
大の悪趣味な銀の髑髏のペンダントが首から下がっていた。
「何なのよ、これ!」
「いえ・・・ですから、さっきからそれが私も気になって・・・・」
「さっきから?」
「ええ、教室に来られたときにはすでに・・・・」
(ウソ、全然気づかなかった。そんな事ってある?こんなオカルトじみた趣味の悪いペン
ダント・・・・全くいいさらし者だわ、これもみんなあの西ノ宮の奴だ)
みずはは憎しみと怒りに任せてそのペンダントを引き千切った。
その時−。
《みずは、全てを解き放つの!あなたは選ばれた人間よ。こんなちっぽけな世界にいる必
要はないわ。屋上のデッキの手すりの向こうにプールが見える。あなたはそこからプール
に向かって飛び込むの。そう、そのプールでは高校生の水泳ナンバー1を決める決勝が行
なわれる。あなたは学院の代表よ。これに勝てばあなたは名実ともにこの学院のトップで
いられるわ。さあ、いきなさい。時間がないわ。飛び込むのよ全力で》
「行かなきゃ・・・・・・・・・」
みずはの表情が急に変わった。手から髑髏のペンダントがすり抜けて落ちる。
「智徳院さん、ペンダント!ペンダントいいんですか?」
「行かなきゃ・・・・・私はもっと高いところにいる人間なんだから・・・・・」
富塚の声に耳も貸さずみずははまるで誰かに引っ張られるような足取りで廊下を去ってい
った。
「おはようございます、みずは先輩」
「こんにちは、みずは様」
廊下ですれ違う生徒達の声にも無反応だったが、生徒達にはそれもいつものみずはの態度
に思えた。
「行かなきゃ・・・・・私のいくべき場所に・・・・・」
いや、呆けたような表情がむしろ微笑んで答えているように見えたかもしれない。みずは
はゆっくりと廊下を階段に向かって歩いていた、ただまっすぐに。みずはが通ると誰もが
行く手をあけて会釈をする。そんな中、ポンとみずはは廊下が交差するところで人にあた
った。保健室に向かって歩いていた麗佳だった。
「あら、ごめんなさい、大丈夫?」
麗佳はみずはの胸にペンダントがないのを見て微笑んだ。
「行かなきゃ・・・・・私・・・・・行かなきゃ・・・」
みずはは無表情のまま脇にそれてそのまま歩き出した。そのみずはの背中を麗佳が見送る。
「フフフ、さようなら。サヨナラ、みずは」
麗佳はみずはの背中を見送って小声で囁くと気に留めることもなく保健室へと戻った。
2時限目の開始を知らせるチャイムが鳴り響く。麗佳は保健室に戻るとパソコンにさっき
治療した優紀のデータを打ち込み始めた。優紀の傷は大した事はなく授業へ復帰していた。
窓を開けていると小春日和のさわやかな風が保健室に吹き込んでくる。今日もまたあたた
かくなるのだろう。空高くひばりの声が聞こえている。小さく聞こえるのは校庭で行われ
ている体育の授業のバレーボールの声援か・・・・・・・いや、そうではない、もっと逼
迫した声が乱れ飛んでいる。麗佳は椅子に腰掛けたまま大きく伸びをして欠伸を一つつく。
「そろそろ・・・・かなぁ〜」
頬杖を突いて窓辺の景色に目をやると、目を閉じて静かに時が過ぎるのを待った。みずはへの暗示が思い起こされる。どう結果がでても、もうみずははみずはではなくなる。
《みずは、とびこんだ瞬間、あなたは消える。あなたの人格は消えてしまう・・・》
ほどなく電話が鳴った。
「ハイ、保健室です」
「先生、すいません。今すぐ来て下さい」
「えっ?どこへです・・」
「薔薇園・・・・・校庭側の薔薇園へ・・・・智徳院みずはが屋上から飛び降りたんです」
「救急車、呼んだんですか?先生、落ち着いて」
「あぁ、そ、そうですね、おい!そっちの電話で救急車!救急車!・・・西ノ宮先生、と、とにかく応急処置・・・・応急処置を・・・・」
「はい、すぐ行きます」
麗佳は受話器を置いた。慌てもせずに悠然と部屋を出て行った。
「制止も聞かずに・・・・・生徒が見つけて私も大声で・・・・・マットも用意させてた
んですがそんな間もなく、すぐに・・・・・・・・」
電話の主は校庭で授業をしていた体育教師だった。麗佳は渋い表情でさやかの容体をうか
がう。体中に薔薇の棘で引っかいた後があり顔は細かい傷でいっぱいだった。ただ、耳か
らの流血が認められた。
「助かりますか?助かりますよね・・・・・落ちた先がこの薔薇園だったんですよ。あの
2階の温室の屋根で一度バウンドして、薔薇の植え込みに落ちたんです」
目撃者となった体育教師が麗佳に説明した。
(弘子の時より軽いかも・・・・・・)麗佳は唇を噛んだ。
「あとは、救急隊の到着を待ちましょう」
麗佳は言葉少なに言った。
(仮に助かったとしても、飛び降りた瞬間にみずはの人格を消してしまってるからアシが
つくことはないと思うけど・・・・・・)
間もなく来た救急車が手際よくみずはの搬送の準備をする。付き添いには体育教師がつい
た。麗佳や生徒達がそれを見送る。救急車にまさに運び込まれようとしたとき、みずはの
意識が戻り、弱々しく麗佳に傷だらけの手を差し伸べる。たじろぎながらも周囲の目を気にして麗佳は心中いやいやながら手を握った。
「大丈夫よ、大丈夫」
周囲からみれば優しい保健の先生を装った。
「・・・・り・・と・・れ・かせ・・・い・・・」
「えっ・・・・・・・?」
生徒達の騒ぎ声にかき消されて弱々しいみずはの声が聞き取れない。麗佳は耳をみすはの口に近づけた。
「・・・あり・・が・・・と・・・・麗佳・・・・・せん・・・・せ・・・・」
麗佳の顔が驚きの表情に変わる。
「・・・・めん・・・・な・・・・・さぃ・・・ご・・・・・め・・・な・・・・さぃ」
「はい、下がって下さい」
救急隊員が麗佳を遠ざける。救急車はけたたましいサイレンとともに学院を出て行った。
さやかと竹島弘子が一命を取りとめた一報はその日の夜、はからずも2人が収容された同
じ病院からもたらされた。しかし、さやかは容体が安定するとすぐに智徳院グループの都
内の病院へと移された。イジメを苦に水泳部員自殺、負い込んだ少女も後追いなどと嗅ぎ
つけたマスコミ関係者は学院や智徳院グループなどの圧力からあっけなく退散し、事件と
しては握り潰されて一切報道されることはなかった。
2日後、麗佳はひとり保健室にいた。弘子に、ましてやみずはにも面会は許されていなか
った。校長を使っても容体は安定しているとの報告しか返ってはこなかった。
「なんなの?このすっきりとしない気持ちは!あ〜ん、もう!苛つくなあっ」
麗佳の脳裏に残って離れないのは、あのみずはの最後の言葉だった。騒然として聞き取れ
ない中で麗佳に聞こえて来たのは紛れもなくみずはからの「感謝」と「謝罪」だった。
(聞き違い?・・・・・いいえ、そんなことない。はっきり聞いたモン。たしかにみずは
はそう言った。でもなぜ?私の暗示が効いていればあのコは自分がどうしてそうなったの
か記憶すら定まっていなかったはずなのに、自分が誰なのかさえ認識できていないはずな
のに・・・・)
[ありがとう・・・・・・麗佳先生、ごめんなさい]
(たしかに、みずはは、そう言った・・・・・でもなぜ、なにがありがとう?なにがごめ
んなさい?わからない・・・・わからない・・・・・・)
椅子に座って腕を組み目を閉じて夢想する。弘子の事件以来、メデューサからの連絡もぱ
ったりと途絶えていた。学校は平穏を取り戻し何事もなかったようだった。
「失礼します」
背後からの声に麗佳は振り向いた。麗佳のペットとして調教中の2年生、樋川ゆかりがそ
こに立っていた。
「は〜い、どうしたの?」
「廊下で転んでヒザ擦りむいちゃいました・・・えへ」
「まあまあ、こっちへ来て。おかけなさい」
(気晴らしに・・・・このコで遊んじゃおうかなぁ、気分転換、気分転換)
麗佳の含み笑いの意味も知らず、ゆかりは椅子に腰掛けた。ふと気がつくとイヤホンを両
耳に入れていた。
「なんなの?こんな時でも音楽?注意散漫だったから転んだんでしょう!」
「えへへ」
ゆかりは笑った。消毒薬を浸した脱脂綿でゆかりの膝を拭う。麗佳も対面の椅子に腰掛け
て前かがみになった。
「先生、先生にもらって欲しいものがあるんです」
「あら、なぁにぃ?」
「これです!」
治療のために顔を上げずに返事だけした麗佳の左頬に思い切りゆかりの拳が食い込んだ。
麗佳は椅子もろとも保健室の床に倒れ込んだ。
「あっ・・う・・」
上半身をおこす。白衣に鮮血がしたたり落ちる。鼻血が流れて止まらなかった。
「先生、大丈夫です?」
「・・・・・・・・・」
ゆかりはすぐさま麗佳の腹を蹴り上げると咳き込む麗佳の髪を掴み上げて顔を上げさせた。
「まったく・・・・困ったもんだよね。ボクに何の恨みがあるって言うのさ」
ゆかりは言った。
「何を言ってるの?」
「まあ、おなじ学校にまさか2人も『使い士』がいるとは思わないからサ。おもちゃには
プロテクトも懸けてなかったし・・・・言ってくれれば住み分けだってできたろうに、先
生勝手に突っ走ってボクのおもちゃを取り上げたばかりか、壊しちゃうんだモン!ボクだ
って怒るときはおこるんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「みずははボクがつくった。学院一キレイで、学院一かわいくて、闘争心丸出しで、学院
一お高くとまったお嬢さま、誰からも嫌われるけど誰も刃向かえない、ワガママなコ。し
かもケンカしたって負けないように腕っ節まで強くなるように刷り込んだのに、そんだけ
じっくり時間をかけて作ったおもちゃを、先生はあっという間に消しちゃうんだモン。も
との品のいい、優等生でやさしいただのお嬢さまに逆戻りじゃんか!まいったなぁ、もう」
「ゆかり・・・あなた、まさか・・・あなたが」
「またぁ、気づいてよ、もっと早く。疲れるなぁ、いちいち説明する必要があるの?」
「あなた、誰?」
「そうそう、そうこなっくっちゃ!ボク?ボクは樋川ゆかり、麗佳先生のペットだよ」
「違うわ!ゆかりを操っているあなたよ」
「まず最初に言っておくよ。あなたはボクのおもちゃを壊した。だからその仕返しをさせ
てもらった。樋川ゆかりにかけていたあなたの暗示は全て解いた。今、ゆかりはボクのお
もちゃ、スゴイでしょ、ゆかりを介すればこうやってアルテミスとお話だってできちゃう」
「あなた・・・一体・・・」
「その2、あなたはやり過ぎた。騒ぎを大きくし過ぎたし、勝手な行動が目に余る。この
ままだと恐らく組織はあなたを切り離しにかかる。ボクはすぐにでもそうしろって言った
のに、メデューサはボクの言うことなんて聞きやしない。でもやるときにはボクがやるよ、
麗佳先生。なんたって智徳院みずはは使える人形としてはもっとも付加価値の高い道具として評価されてたようだから、壊した分おつりもでかいってコト・・・・・」
「あなたは誰なの?」
「ボク?ボクは『SNOW』、さあもう少しお仕置きを続けよう」
ゆかりがそう口にした後、いきなり麗佳に飛び掛かって来た。
「ちょっと、そう何度も・・・何度も・・・・ってたまるもんですか!」
ゆかりの両手を押さえつけてもみ合ううちにゆかりの耳からイヤホンが外れた。ゆかりの行動が鈍くなりやがて止まった。
「アレ?麗佳先生・・・・・・私、何してるの?・・・・どうして保健室にいるの?先生!
どうしたんですか!怪我してるじゃないですか!」
ゆかりは一瞬にしてもとのゆかりに戻って取り乱したようにあたふたと周囲を見渡すとさ
っき脱脂綿を見つけて麗佳の顔を拭った。ベストのポケットからぷらぷらとイヤホンが垂
れている。
「ちょっと、それ見せて」
「えっ・・・・・アレ?なんだろう、これ」
ゆかりが自分の手で引っ張り出すとイヤホンのもとについていたのは、ウォークマンでは
なくゆかりの携帯電話だった。
「あっ、私の携帯・・・・・・なんでこんなのついてんの?」
「樋川さん、ちょっといい?着信履歴みせてくれる?」
「えっ・・・はい」
「くっ!非通知・・・・・・」
予想はしていた。麗佳に今までにない重い不安感が全身を襲う。おそらく『SNOW』は
最近ゆかりと接触し、ゆかりは『SNOW』のいうおもちゃにされたに違いない。おもち
ゃにされたゆかりは携帯電話を通じて、後催眠暗示により意のままに動くようになってい
たのだろう。電話で催眠状態におとされたゆかりは、『SNOW』からの電話を接続した
まま、イヤホンで指示されるとおりに動き、『SNOW』は携帯電話のマイクから麗佳の
声を聞き、ゆかりは『SNOW』の代弁者として携帯のイヤホンから聞こえる『SNOW』
の言葉をそのまま麗佳に返していた。麗佳はそう推察した。
「樋川さん、今までなにしてたの?」
「えっ・・・・授業受けてて・・・・・先生に隠れて携帯いじってたら・・・・・・・・・
・・・・・・そうしたら、ここにいて・・・」
ゆかりは不安げな表情で目が潤んでいる。
「いいわ、忘れなさい。何もなかったのよ。はい、携帯もって、さ、授業に戻りなさい」
「・・・・・・はい」
「ゆかり、紅く咲く白い薔薇」
「えっ、何ですか?」
「ん?ん〜ん、何でもない。さ、帰った、帰った」
ゆかりは部屋を出て行った。麗佳はすぐさまメデューサとの交信用の携帯を取り出すと急
いでコールをする。感情のない機械的な声が耳元に流れる。携帯はすでに登録を抹消され
ていた。麗佳は倒れるように椅子に腰掛けて呆然と宙を見つめた。たしかにゆかりへの暗
示は消されているようだった。
「ウソ、なにそれ・・・・・」
授業終了のチャイムが鳴り響いた。『ボクはSNOW』、麗佳の中でその言葉が何度もこ
だまする。みずはの『ありがとう』と『ごめんなさい』の意味を麗佳は理解した。麗佳が
抹殺したのは本物のみずはの人格の上に上書きされた『SNOW』の作り上げた人格だっ
たのだ。
To be continued.