蜘蛛のノクターン

間奏曲

作:おくとぱす さん

 黒雲に一面覆われた空から、数度の雷鳴を皮切りに、雨が降り始めた。最初の雨滴こそ控えめだったがすぐに激しく地を叩くようになった。家並みはたちまち水煙に縁取られ、斜面の先に広がる海が霞んだ灰色に沈んだ。
 高台にある高陵学園から歩いてほんの十分もかからない、閑静な住宅街。
 海の見えるその一角に、いかにも歴史ある風な煉瓦造りの建物があった。
 雨煙にけぶるその建物の玄関口には、蜂谷医院と看板が出ている。

 一室で、美女と野獣が向かい合っていた。
 照明をつけない暗鬱な室内に時折雷光が差しこむ。
 薄闇の中でもサングラスを外さない、冷たい影のような女は麻鬼。
 男の方は、年齢は三十代半ばぐらいであろうか、がっしりした体格の、白衣がまるで似合わない巨漢だった。眉が太く、見るからに精気に満ちみちている。サングラス越しとはいえ麻鬼の目を真っ向から見て動じる様子もない。男の目にも常人とは異質の炯々とした眼光が宿っている。
 この蜂谷医院の主、蜂谷将行である。
 麻鬼を吸血鬼とするならこちらはさしずめ狼男といったところか。

「……今回はやりすぎたな」
 狼男が言った。外見そのままの野太い声だ。だが粗野な感じはない。
「刑法第181条。強制わいせつ等、致死傷……わいせつ行為および強姦で人を死傷させたものは無期または三年以上の懲役だぞ。わかっているのだろうな」
「そうね。反省してるわ」
「嘘をつけ」
 蜂谷医師はくっくっと地鳴りのように低く笑った。
「悪かったとは少しも思っていないくせに」
「やっぱりわかる?」
 麻鬼もまたうっすらと笑った。
「反省はしてるのは本当よ。もうこんな無茶はしないわ」
「そうあってほしいものだな。体の方はもう問題ない。明日にでも退院できる」
「ありがとう」
「しかし、心の方は……研究材料としては実に面白い症例だが、日常生活に戻して大丈夫なのか」
「この一週間みっちり暗示を埋めこんだわ。心配いらないわよ」

 先日麻鬼によって催眠にかけられ陵辱されつくした須藤真央は、全てが終わったあと起きあがれなかった。
 麻鬼が真央を運びこんだのがこの蜂谷医院であった。
 夜になっていたにも関わらず麻鬼の名を聞いただけで扉を開いた蜂谷医師は、何も言わずに真央を診察し、即座に入院を告げた。
 肉体面だけでいっても、オーガズムの際にあまりにも突っ張りすぎた左の足の腱が断裂し、失禁と多量の発汗と愛液の過剰分泌とで全身の水分を急激に失って脱水症状を起こしていた。ソファをかきむしった手の爪が何枚かはがれ、強くくいしばった歯茎にがたがきてもいる。
 別の損傷もあった。催眠下では精神が肉体に容易に影響を与える。焼けた鉄の棒だと暗示をかけて割り箸を押しあてれば、実際に火傷の痕が肌に現れる。真央の場合、実際は何の肉体的接触もなかったはずの膣内部および陰唇部に擦過炎症、いわゆるこすりすぎによる腫れが見られた。
「妊娠していなければいいがね」
 半分本気で蜂谷医師は言ったものだ。
 精神面ではそれどころではなかった。
 与えられたすさまじい快感が脳神経を灼いてしまったのか、事実上発狂してしまっていたのである。
 目は開いている。しかしどのような外的刺激にも反応しなくなっていた。麻鬼の言うことは聞く。というより麻鬼の声そのものにだけは快感をおぼえるらしく体をくねらせる。だが暗示には反応しない。
 その場で覚醒させるのは無理と判断した麻鬼と蜂谷医師は、真央を薬によって眠りにつかせた。

 娘が階段から落ちたという連絡を受けてかけつけてきた真央の両親は、最初蜂谷医院を見て不安にかられ、大病院への移送を望んだ。しかし学校がすぐ近くで友達の見舞いが受けやすいことを知り、いかにも頼りがいのある看護スタッフを紹介され、大病院の特別室なみに設備の整った病室を見せられ、なんと言っても格段に安い入院費を聞かされたあとでは、ここへの入院を断る理由はもはやなかった。
 蜂谷医師は学閥の関係で大病院には勤めていないものの腕は間違いないと麻鬼が説明すると、両親とも麻鬼の美貌にぽかんとしつつ、それならと納得した。

「須藤さん」
 病室に泊まりこんだ母親に、翌朝、これも泊まりこんだ麻鬼は話しかけた。麻鬼が着ているのは白衣。何の変哲もない白衣でも麻鬼が着ると特別あつらえのように見える。まるでこちらの方が病院の主であるかのようなその姿を見ただけで母親は夢見心地になる。
「これは、お嬢さんが持っていたものですが……」
 銀のペンダントが麻鬼の手からぶら下がり、カーテンの閉まった薄暗い室内にきらりと光る。
「あら……こんなもの、あのこ、どこで……」
「よく見てください。見覚えがあるはずです。ほら、じっと見てください。よく見ていただければわかります。きらきらしているところをじっと見ていてください…………」
 ペンダントが右に左に静かに揺れた。
『お母さん……』
「真央、大丈夫? 具合はどう? もう、お母さん心配で心配でたまらなかったんだから。貧血だって聞いたけど、ダイエットしてたなんて、どうしてお母さんに一言相談してくれなかったの。……」
『ごめんなさい……』
「……真央さんは怪我はしていても元気そうですね。何の心配もありません。いつもの真央さんらしく、とてもいい子です……」
「じゃ、お母さん、夕方また来るわね。お父さんも来るから」
『うん……』
「それでは、先生、本当にご面倒をおかけしました。お付き添いいただきまして申しわけありません。これからも娘をよろしくお願いいたしますね」
「はい、こちらこそ」
 麻鬼に丁寧に一礼して母親は引き上げていった。
 母親には見えなかった真央の本当の表情は、いまだ理性のかけらもなく淫欲に燃えていた。まだ秘所に男のものが挿入されうごめき続けているかのように、いつまでも腰を淫靡にくねらせ恍惚となっていた。両腕両脚を拘束されている。そうでなければ服を脱ぎ捨て秘所をいじり回していたことだろう。
 麻鬼が強力に暗示をかけた。真央は今度は暗示に反応し、やがて呼吸が通常に戻った。
 しかし。

「あなたは練習の後、貧血を起こして西階段で転んでしまったのです。いいですね」
「はい……」
「あなたはダイエットのためによくご飯を抜いていました。貧血はそのためです」
「はい……」
「あなたは準備室であったことを全て忘れます」
「はい……」
「私としたことも全部頭の中から消えてなくなります。煙が消えていくように、何もかも頭の中からすうっと消えていきます。目が覚めると昨日のことは全部忘れてしまっています。思い出すことはできません」
「はい……」
「では質問します。あなたは今どこにいますか?」
「……びょういん……」
「どうして病院にいるのですか?」
「……きのう、部活の後、階段で、貧血を起こして転んでしまったからです……」
「どうして貧血を起こしたのですか?」
「ダイエットのためにご飯を抜いていたからです……」
「きのうの練習で何か変わったことはありましたか?」
「…………いいえ……」
「音楽準備室に入りましたか?」
「はい……」
「そこで何かありましたか?」
「…………いいえ……」

 そして覚醒させた。真央は自分の居場所を知り、すり込まれた記憶を確認して自分のドジさ加減に照れ笑いを浮かべた。全身を襲う激しい筋肉痛だけにはどうにも合点がいかないようだったが、それをのぞけばいつも通りの品行方正な少女の顔だった。
「……須藤さん。具合はどう?」
 いかにも今見舞いに来たという風に麻鬼が声をかける。
 すると、何もかも忘れているはずの真央は、頬を真っ赤にしてもじもじし始めたではないか。

「せ……せんせい……来てくれたんですか……」

「会いたかった……」

「どうして女の人みたいな格好してるんですか? 似合ってるけど……」

『男』の麻鬼に与えられた快感が強烈すぎて、真央の精神がその方向で固まってしまったらしい。

「ね…………また……抱いて……」

 再度催眠に入れ暗示をかけ直したが、麻鬼が女であるという暗示には真央は頑強な抵抗を示した。
「しかも完全な色情狂になってしまっているな。どうする?」
 偽の診断書をでっちあげた蜂谷医師は面白そうに訊ねてきた。
「……ここまで受け入れちゃった子は初めてよ。私が男、という認識が完全にできちゃってるから、逆に私が女という暗示は表面的にしか効き目がないわ」
「洗脳されてしまったわけだ。解体するのか?」
「それもいいけど、時間がかかるわ。カルト宗教なんかの信者の解体がどれくらい大変かご存じ? 元に戻しても後遺症が残る可能性だってあるのよ」
「精神病院送りが最も適切だと思うが」
「大事な生徒をそんな風にするわけにはいかないわ」
「先生みたいなことを言うんだな」
「私は教師よ、忘れたの」
「………………」
「……何、その目は」
「いや、別に」
「私はね、相手を壊したいんじゃないの。愛したいのよ」
「愛、ねえ……」
「私はひとを幸せにするために催眠を使っているのよ、いつも」
「幸せか。今の彼女は幸せであるには違いないがな。……しかし、本当に、どうするのかね?」
「まかせておいて。ものを消してしまうのは大変。でも上から物をかぶせて隠すのは簡単よ」

病室は三階にあった。
 部屋のつくりそのものは建物の外見そのままに古びていて、まだ照明のつけられていない室内は雨の外界そのままを切り取ってきたかのように色彩を失い、薄暗い。
 いや、灰色に閉ざされた病室の中に、赤や緑の鮮やかな色のランプが光っている。断続的な電子音が鳴っている。
 室内には造りとまるで似合わない最先端の診療機器が並べられていた。
 のしかかる怪物のような機械類に囲まれたベッドの上で、ネグリジェ姿の少女が荒い息をついていた。
 その胸が大きくはだけられている。豊かな乳房が愛撫を待って震え、すでに乳首が天井に向かって突き出していた。
 真央である。
 左足はギプスに固定されている。左手の指にも包帯が巻かれていた。
 一度はひどく頬がこけた。今は以前の状態に復帰している。しかし、白く浮き上がるようなその肌からは年若い少女の健康的な色合いは失われ、変わってやけにぬめぬめした、どこか病的な印象を与えるつや光りがあらわれていた。
 手が下半身に伸びていた。怪我している左手でネグリジェの裾を大きくめくり、右手がパンティの中に差しこまれている。湿って透ける布地に激しく動く指の形がそのまま浮き出していた。
「ね……して…………あたし、ずっと待ってたんだから……お父さんやお母さんの前でも、お見舞いのみんなの前でも、言われたとおり、ずっと我慢してたよ……だから、ねえ、して…………あ、あ、ねえ……はやく…………入れて…………あなたの、大きいの……あたしのおまXこに入れてえ……」
 みだらきわまりない声で誘う。舌が濡れた唇の上をなめずり、頬は快楽の期待に染まり、うるんだ瞳には理性のかけらも残っておらず、ただひたすら卑猥な行為を望んで全身がうねり悶えていた。
「ああ、いいとも」
 壁に背をもたせかけ腕を組む影が言う。男のように低く凛々しい、しかしまぎれもない女性の声だ。それを発した氷のような美女は言うまでもなく、麻鬼。音もなく近づいてくると、白い手を真央の目の前に差し出した。
 この指をじっと見て、というより早く真央がその手を取り、自分の口元へ持っていく。愛液にてら光る真央の指ともうぬちゃぬちゃ音をたてている真央の舌が麻鬼の指を捕らえ、ねぶる。
「あは……あ……ああ……」
 恍惚と指を舐めしゃぶる真央。しばらく好きなようにさせていた麻鬼は、やがて手を引いた。
「はい、おしまい」
「いや! もっと!」
「駄目よ。これからいいことをするんだから、これはおあずけ。わかるでしょう、この指はこれからあなたの体を触るのよ」
 怪我も気にせずベッドから飛び出してきかねない様子の真央から少し距離を取り、麻鬼は立てた指をゆらゆらと揺らした。
「……この指はこれからあなたをうんと気持ちよくしてあげるの。じっと見て。もっとほしいでしょう。じっと見ていればもっと気持ちよくなれるのよ。ほら、体が重くなってきた。もう何回もこうなったことがあるわね。体がずうんと重くなると、とてもとってもいい気持ち。足が重い。手が重い。ほうら、頭もどんどん重くなってきた。体中がずうんと重くなって、もうどこも動かせない。体中が痺れてきて、とってもいい気持ち。なんだか瞼も重たくなってきた。瞼もだんだん重たくなって、目をあけているのが面倒。ほら目をつぶりたい。目が閉じる。閉じる……」
 真央の目が光を失い、徐々に閉じられていった。

 麻鬼は真央の服を脱がせた。
「……さあ、これからあなたの全身を愛撫してあげます。私の指があなたの体中を触る。するとものすごく感じるのよ」
 麻鬼はしっとりとした声で催淫暗示をかけた。今の真央は別にそう誘導せずともセックスのことしか頭になくなってしまっている。オーバーすぎるほどに反応した。
 すぐに激しいよがり声を上げはじめた真央に背を向け、麻鬼はベッド脇に置いてあった松葉杖を持ち上げる。流しへ持ってゆき、消毒液を使って全体を徹底的に洗い清めた。
「……もうすっかり準備はできましたね。ではこれからあなたとセックスをします。あなたを抱いて、愛してあげます」
「あああ! はやく! はやく、入れて!」
「慌てては駄目よ。私の姿があなたの目の前に浮かんできます。はい、見えてきましたね。私はこれから一枚一枚服を脱いでいきます。私が全部服を脱いでしまうまで、あなたはじっと待っていなければいけません。私がだんだん裸になっていくのを見ていると、あなたの体は火がついたように熱く熱く、たまらない感じになってきます」
 動きを止めた真央は、乾ききった犬のように舌を突き出してはあはあ言った。腰が押さえきれない興奮に突き動かされてもう右に左にくねっている。
「はい、私の体があなたをまたぎました。あなたの準備はもうできていますが、私はまだそうなっていません。あなたは私を気持ちよくしなければなりません」
 麻鬼は松葉杖を、脚の方を上にして真央の体に乗せた。
「この長く、太い私のものを、あなたのお胸とお口とで元気にしてください」
 ……真央は松葉杖の脚を豊かな乳房ではさんでこすり上げ、ゴムのついた先端をこの世の何よりも愛おしげにくわえ、舐めしゃぶった。
「ああ、とっても上手ね。私もいい気持ちよ。もっともっと気持ちよくしてちょうだい。……ほら、だんだん口の中のものが大きくなってきたでしょう。おっぱいにはさんでいるものが、だんだん熱くなってきた。熱くなって、どくどく脈打ってきた。もうすぐイクわ。あなたが上手だから、私はもうイッちゃいそうなの」
「……あは、いいよ、出して、いっぱい、あたしに、出して、かけてえ!」
「あと五つで出してしまうわ。私のものが、大きくなって、熱くなって、どくどくって、五つ数えたところであなたに向かって射精するの。そうすると、あなたもとっても気持ちよくなって、あそこがきゅんと締めつけるみたいになって、最高の気分になれるのよ。はい、ひとつ……」
「ん、んん、おん、あん」
 真央は顔を前後に激しく揺らした。頬をすぼめて口腔内の粘膜すべてで「麻鬼のもの」を包みこむ。
「あ、ああ、ああ、出る、出る、出る…………五つ! はい、出た、イッた、ものすごく脈打って、びくびくっとして、あなたの口の中に、あなたの顔に、体中に、熱い精液が、噴き出して、ほら、いっぱい、いっぱい、かかる!」
「あああああ!」
 真央の全身が跳ねた。
 麻鬼も息をつき、松葉杖をどけてから額の汗をぬぐった。
「あなたは幸せ。とっても幸せ。顔にかかった精液を全部手で拭きとって、舐めましょう。変な味がするわ。だけどこれを舐めるととっても幸せな気持ちになる。……そう、手でぬぐうのよ。手にどろりとまとわりついている。べたべたする。とても濃いにおいがするわね。このにおいをかいでいると頭の中がぼうっとして、何も考えられなくなってくる。飲みこんだものが体の中に入っていって、全身にしみわたる。あなたの体中が私の愛の証で満たされる。溶けていくみたいな感じ。すごくいい気持ち。あなたは幸せ。幸せ。とても幸せ」
 真央は放心状態になり、しばらく身動きひとつしなかった。
「…………さあ、いい、私の声が聞こえるわね。今あなたはとってもいい気持ちになったでしょう。この快感は何度でも、何度でも味わいたい。もう一生忘れられないくらいにすごかった。ちょっとでも思い出すだけであそこがじんじんしてくる」
 真央は熱い息をもらして腰をうごめかせた。
「でも、これは特別なときにしか味わえないの。だって、私のことは誰にも秘密なんだから、他の誰にも見つからないときにしか、あなたをこんな風に気持ちよくしてあげられないの。
わかるでしょう。私とあなたと、他に誰もいない、絶対に誰も来ない、完全に二人っきりのときにしかこんなことはできないの。私の秘密がばれたら、もう二度とあなたを愛してあげることはできないの。そんなの嫌でしょう? 
だから、あなたは他の人の前では絶対に私の秘密をばらしてはいけない。私に秘密があるような素振りもしてはいけない。私はこれまであなたが知っていたとおりの氷上先生で、何があっても私の秘密は絶対に口にしてはいけない。
 さあ、約束して。誰に聞かれても、誰の前でも、あなたは私の秘密をしゃべらない。どんな仲のいい友達でも、お父さんお母さんにだって、絶対に言ってはいけない。もしちょっとでももらしたら、私はこの街にいられなくなって、二度とあなたと会えなくなる……二度とあなたを愛してあげられなくなってしまうの。ね、だから、約束して。絶対に私の秘密は明かさないって。言って。口に出して、約束して」
「…………言いません。氷上先生が男の人だなんて、絶対に誰にもいいません!」
「もし言ったらどうなるの?」
 すると真央の顔が赤ん坊のようにしわくちゃになり、大声で泣き始めた。
「いや、いや! いや! 先生がいなくなっちゃう! いや!」
「そうよ、私のことは言ってはいけないの。言うのはもちろん、言おうかなと考えるのも駄目。誰かに教えてしまいたいと考えただけで、私は本当にいなくなってしまうのよ。私の秘密は考えても駄目。わかったわね、考えてもいけない。今から数を三つ数えると、今の約束はふかあくあなたの心に入りこんで、絶対に破れなくなるのよ。三つであなたは絶対に約束を破れなくなる。もし破ったらあなたは二度と気持ちよくなることができない。三つよ。はい、一、二、三」
 麻鬼は真央の頭を両手ではさみ、頭の中に暗示の言葉を詰めこむようにぶるるっと細かく振動させた。
「はい、あなたは約束しました。もうこの約束は破れません。約束を守っていると、いつもとっても安らいだいい気持ちでいることができます。そして、約束を守るいい子には、二人っきりになったとき、本当にすごいセックスをしてあげましょう。これまでのどんなセックスよりも気持ちのいいセックスです。約束を守っていれば、二人っきりになったときに、最高のセックスをしてあげます……」

「……だから、もう大丈夫。二人っきりという暗示を与えないかぎり、あの子は何も思い出さないわ」
「ご苦労だったな」
「さすがに疲れたわ」
「しかしこれからはどうするんだ? 彼女はこの先君以外の『男』には目もくれないぞ」
「責任は取るわよ」
「彼女が卒業したら式でもあげるか。なにしろ彼女にとっては愛しい『彼氏』だ」
「ふふ」
 麻鬼は薄く笑った。サングラスの向いた窓の外は灰色の雨雲が広がるばかり。
「これ、返すわ。忘れていたの」
 麻鬼は無修正のポルノ冊子を医師に差し出した。
「また借りに来るかもしれないけど」
「話は聞いたが、よくそんな使い方を思いつくな」
「その辺の高校生程度のものしか知らないんじゃ、あまり感じさせられないと思ったのよ」
「バイブとかディルドーとか、入り用ならいくらでもあるぞ。彼女を満足させてやるためには必要だろう。松葉杖では衛生面の上でも問題だ」
 麻鬼はまた笑う。
「そんな無粋なものは使わないわ」
「無粋かね」
 麻鬼は指を一本立てた。
「この指だけで十分」
「……君の趣味はわからん。ただのレズビアンだというのならいっそ簡単なのだがね」
「わからないかしら。この指一本で相手が言うなりになって、指一本でのたうち回って泣き叫ぶのよ。女の子の方が快感の奥が深いから、その点で好みなの。私の前で欲望をさらけだした同じ子が、また指一本で全てを忘れる。私の前で何もかも忘れていつも通りにしている、その顔を見るとすごくぞくぞくしちゃうんだけど」
「うーむ……」
「あなたの趣味の方こそ理解できないわ。あなたみたいな『男』のかたまりが、女なら絶対抵抗できないにおいをぷんぷんさせている人が、どうして処女にしか興味がないのかしら」
「だれかのものになってる女なんか面白くないのさ」
「私でも駄目?」
 麻鬼はほれぼれするような脚を見せつけつつ組み変えた。薄闇に閉ざされつつある室内で、その肌の色はなおも妖艶な淡い純白にほの光り、男の愛撫を待ち受けているかに思われた。
 蜂谷医師は巨体を揺すって笑い声をあげた。
「冗談じゃない。生命力を吸い取られるのはごめんだ」
「あら、人を吸血鬼みたいに。大事な協力者にはそんなことしないわ。それに、もしかしたら私、処女かもしれなくてよ、狼男さん」
「君がか。最高の冗談だ」
「試してみる気はない?」
「どうせ途中で子供を五人くらい産んだ太ったおばさんを抱いていることに気づくのさ」
「大丈夫、その時はあなたは相手が世界一の美人の、正真正銘の処女と信じているから」
「そうはいかなかったな、前のときには」
「そうね」
 珍しくも麻鬼の声が敗北感に沈んだ。
「虫じゃあるまいし、頭じゃなくて針の方で処女かどうかを見抜くなんてね」
 蜂谷医師はまたくっくっと地鳴りのように笑った。
「虫か。それはいい。蜂谷だから、女王……じゃないな、殺人蜂、キラー・ビー蜂谷というところか。安手のホラー映画のタイトルみたいで間抜けだ」
「私の“吸血鬼”よりはいいんじゃないの」
「俺が蜂なら君は蜘蛛さ」
「蜘蛛?」
「学校に巣を張る蜘蛛だよ。自分からは動かないあたりがそっくりだ。その代わり、巣に引っかかってきた獲物は絶対に逃がさない。捕らえ、縛り、吸いつくして放り出す……」
「私は放り出したりしないわよ」
 そう言いつつも麻鬼は腕を組んだ。それからしばらく押し黙り、己の心の内をじっと見つめているかに見えた。

「それにしても、君も大変だっただろうが、こちらも今回は色々と大変だったぞ。特に君がいない間の見舞客を誤魔化すために使った薬。あれでまたあちらに借りを作ってしまった」
「感謝してるわ」
「いっそのこと訴えるべきところへ訴えて君を刑務所送りにした方が楽かもしれないと思ったくらいだ」
「あら」
「まあ、どうせ君のことだから、刑務所に入れられたら今度はそこで新しい巣を張るだけのことだろうが」
「………………」
「で、今回の治療費についてだが」
「大丈夫よ、脅さなくても借りは返すわ」
 麻鬼がしおらしく言うと蜂谷医師はにんまりと、
「では今度の日曜日にでも、三人ほど頼めるかな」
「……最初からそのつもりだったのでしょう」
「あんなビデオが出回ったものだから、お偉いさんたちが興味津々でね。こういう所でポイントを稼いでおかなくてはな。零細の病院長としてはつらいところだ」
「どういう子がお望み?」
「処女ばかりだ。男を知らない若い肉体に色々させて楽しみたいらしい」
「いつものように、シチュエーションの希望をきちんと確認しておいて。そうすればどんな要求にも応えてみせるから」
「相変わらずすごい自信だな」
「あなたも一緒になって楽しむつもり?」
「とんでもない。商品には手をつけないよ」

「………………今、何て?」
 麻鬼は蜂谷医師を見つめた。
 その場の気温が突如数度下がったように思われた。
 轟音と共に稲光が差しこみ、麻鬼のサングラスの表面で氷結してきらめいた。
「もう一回、言ってみて」
 それまでとはまるで違う微笑みを浮かべ、サングラスに手をかける。
「あ…………す、すまない……」
 麻鬼から黒々とした風が吹きつけてきた。蜂谷医師の巨体に満ちていた余裕が吹き飛ばされ、消え失せた。
 自分の体の半分もない麻鬼相手に青ざめ、たじろぎ、慌てて目をそらす。
「君の大切な生徒だったな…………」
 笑おうとして蜂谷医師は失敗した。
 麻鬼の目が雷光と共に凄惨な光に輝いた。

「おかあさん、おかあさん……」
 蜂谷医師は巨体をテーブルの下にもぐりこませ、指をしゃぶりながら雷の音におびえて泣いていた。
「…………蜘蛛、か…………」
 麻鬼は窓の外を見やり、次の稲妻のきらめきを静かに待った。
 嵐は当分去る気配を見せない。


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