蜘蛛のノクターン

第七章の五 「捕食」

作:おくとぱす さん


第七章の五 捕食



                    (十六)



「気がかりがな、ふたつあるんや」
 迫水千尋はそう言った。
 ひとつは、高陵学園生徒会長、有原悠華がどこに消えてしまったのか。
 もうひとつは、オークションでアヤを買った大男は何者なのかということだ。

 それを解明するには、オークションが開かれた土曜日の午前中、別の所を見る必要がある。



                     ※



 有原悠華は夢を見た。
 とびきりの淫夢だった。これまで味わったありとあらゆる快感を全部大鍋にいれて煮こんでとろかし、自分も一緒にぐつぐつ煮られたみたい。溶け崩れて何がなんだかわからなくなり、目を開けてからもしばらくは自分が誰なのか思い出せなかった。
ようやく頭が元に戻ってくる。
「ふ……」
 小さく鼻を鳴らすと、手をパジャマの下、股間へ潜りこませる。
 下着がひどいことになっている。ぬるっとした感覚が、割れ目はもちろんお尻の方にも広がっていた。シーツにまでしみをつくっているかもしれない。
 男子の場合、たまりにたまった精液が夜の間に噴出する、夢精という現象を起こすと聞いたことがある。それもこんな感じだろうか。寝ている男子のアレが大きくなって、びくびく脈うって、その瞬間は寝ながらでも悩ましい顔をするのだろうか、そしてパンツの中に思いきり、あの熱くてどろっとしてにおいのきつい白濁液を放出する……。
 想像しただけで、子宮にぶしゅっと吹きつけられる感触が生々しくよみがえってきて、たまらず腰を揺すった。
 男のものを受け入れるのがあんなに気持ちいいことだなんて、ついこの間まで知らなかった。
 教えてくれたのは迫水千尋。
 二年生。
 変わった子だ。
 下級生だけど自分よりずっと色々なことを知っている。
 一緒にいると、声を聞いていると、すごく落ちつく。
 がちがちに凝り固まっていた自分に自由になることを教えてくれたのは千尋。
 そう、これ…………ここをいじって、気持ちよくなることも。
「………………んっ」
 小さな突起。指先ほどもない、こんなに小さな器官への刺激が、十年かけて培ってきた理性を簡単に打ち砕き、忘我の声をあげさせてしまう。  寝起きの気だるさのなかで、しばらく指先だけを細かく動かす。やがて、ぴんと突き抜けるような波が走り抜けて、体が突っ張る。

 息をつく。頭がすっきりした。起き上がる。
 時計を見ると午前十時。
 丁度いい。
 寝間着のまま一階に下りてゆき、シャワーを浴びる。



 今日の夜、またあの“イベント”がある。
 前の時のことを思い返すだけで体が熱くなる。

 大勢の男の人の前に出ていった。みんながぎらぎらした目で自分を見つめ、値段をつけてゆく。あの時はまだセックスのよさがわかっていなかったから、怖かった。けれども、沢山の人たちにほしがられ、何万円もの値段をつけられていることに興奮したのも確か。
 落札者に抱かれた。自分を一番高く買ってくれた相手。つまり自分を一番きれいだと評価してくれた人だ。感謝の気持ちでいっぱいになって、心から奉仕した。男のあれをしゃぶるなんて初めてだったけれども、相手が喜んでくれたから満足。体を開いて、男のものを受け入れた。初めてだったけど、全然痛くなくて、すぐに信じられないほどに気持ちよくなった。
 あれがセックス。
 あんなにいいなんて。
 乳房に手をやる。あの後、少し大きくなって、形も変わったような気がする。男を知るとホルモン分泌が変化し体つきが変わってくると本で読んだ。本当らしい。
 今夜のイベントでは自分は“売り物”ではない。
 残念だ。
 今なら、前の時より高い値段をつけてもらえる自信がある。
 もっと相手の男の人を喜ばせてやれる自信もある。
 何よりも、ここ――――じんじんしているこの割れ目の間に、固くそそり立ったペニスを受け入れたい。
 シャワーの水流をぶつけると乳首がじんわり勃ってくる。
 指でいじくる。つまみ、はさみ、腹で転がす。
 これはこれで気持ちいい。
 でも足りない。
 男が欲しい。
(あ…………)
 あそこにペニスが入ってきた感覚がよみがえってきた。
 イベントの時じゃない。つい昨日のこと。
(そっか、あれ…………夢じゃ…………なかったんだ)



 昨日、金曜の夜。
 イベントの準備に奔走し、帰りが遅くなった。
 両親は留守。共働きで、たまにこういうこともある。
 食事をし、二階の部屋に戻ってベッドに寝転がった。
 疲れていた。
 けれども充実してもいる。
 今度のイベント準備はほとんど自分の独壇場だった。伊達に生徒会長をしているわけではない。会場のセッティング、大道具小道具の手配、それぞれの係とのミーティング、衣装合わせ、パンフレットの刷り具合の確認、特別招待客の接待準備などなど、数十人におよぶスタッフをまとめあげ、実務のすべてを統括している。“組織”のトップこそ千尋だが、こういうことに関する処理能力では悠華の足元にも及ばない。側近の白河姉妹にいたっては邪魔者でしかない。剣道部顧問教師の藤堂美夏、同じく主将の柏木貴子、優等生小野寺智佳子といった“同志”は有能ではあるが、客観的に見ると、全体を見通した上で組織をまとめあげる能力ではやはり自分が一番優秀だった。
(明日が本番…………頑張らなきゃ)
 それほど中身があるわけでもなかった生徒会の仕事よりも、こちらの方がずっとやりがいがある。自分が役に立てていることがはっきりとわかって、大袈裟ではなく“生きている”という実感が得られる。
 横になっても心臓がどきどきいって眠れない。
 うまくいくだろうか。
 きちんと計画通りに進めば、場は盛り上がり、ものすごいいやらしい光景が繰り広げられることになるだろう。
 それを想像すると体がうずいた。
 目を血走らせた男たちが群がってくる妄想が湧いてきた。
 こんな美人ならいくらでも払う。犯させろ。おっぱいを揉ませてくれ。なんていやらしい胸してやがるんだ。たまらねえ。勃っちまう。頼む、入れさせてくれ。お前、最高だよ。こんなおま○こはじめてだ。すぐに出ちまう。イッちまう。
(…………)
 気がつくと、手持ちの中で一番いやらしい下着に着替えていた。
 貯金をはたいて買った、海外メーカーの紫色のブラとシースルーのビキニショーツ、ストッキングとガーターベルト。
 その上からネグリジェを羽織る。
 ちらりと鏡を見た。異様に据わった目つきをしている。
 部屋を出る。夢を見ているよう。自分の行動が映画みたいに、どこか現実とは違うもののように感じられる。
隣のドアをノックする。
「大輝。ちょっと、いい……?」
 高校一年生の弟は、おとなしい子だったけど、最近体が大きくなって、男くさくなってきた。
 そう――――こんな近くに、男のものがあるじゃない。

 悠華は弟を三回犯した。
 満足して、寝た。



(あんな、泣きそうな声出しちゃって…………可愛かったな)
 体を隅々まできれいにして、アンダーヘアも整えて、さっぱりして上がった。
 シャワーの間に下着の洗濯はすんでいる。精液まみれになっていた大輝のトランクスも。

 リビングに母親がいた。出張から戻ってきたのだ。くつろいでいる。
「おかえりなさい」
「ただいま。あら、今日もお出かけ?」
「うん。ちょっと遅くなるかも」
「また? 最近多いわね」
「そうかな?」
「まあそんなに心配してないけどね。成績落ちない程度なら楽しむのもよろしい。あんたはきちんとけじめをつけられる子だからね」
「へへ、ありがと」
「遅くなるならその前に電話入れること」
「はあい」

 二階に上がると、丁度部屋から出てきた弟と鉢合わせた。
「うわああああ!」
 眠れなかったのか、げっそりしていて、悠華を見るなり悲鳴を上げて逃げ戻っていった。
 おかしくなって、ドアに身をもたせかけてささやいてやる。
「逃げることないじゃない。ね、大輝…………あんたの、よかったわよ。立派に育ってくれて、お姉ちゃん、うれしいな。また今度、いっぱいしてあげるね。……」
 耳を澄ませているとドア越しにすすり泣きが聞こえてきた。
 笑いながら自分の部屋に戻り、着替えた。



                         ※



 昼、出かけた。

 あいにくの空模様。起きた時には晴れていたのだが、西からぐんぐん雲が広がってきて、今では一面真っ黒け。天気予報も午後から雨。
 だけど気分は日本晴れ。
 今日はほとんど仕事がない。イベント当日になって必要とされるようなら、準備段階で不十分なところがあったということ。そんなミスは犯していない。それぞれの係の教育は万全だし、万が一何かあったところで、すぐに処理できる自信もある。余裕たっぷり、のんびり見物するつもり。
 ジーンズにTシャツというそこら辺を散歩するときのような地味な格好だけど、下にはこちらもお気に入りのエッチな下着をつけている。肩に背負ったスポーツバッグの中には着替えやアクセサリーが入れてある。口紅も。千尋が許してくれるなら、着飾り、接待役になって男の人に抱いてもらいたい。
 子供みたいに傘をぶんぶんふりまわしながら歩く。



 突然。



 白い物体が出現した。
 ――――自動車だ。
 恐ろしいほどの速度で角を曲がってあらわれて、悠華の前でぴたりと停止した。音がしないはずがないのに何も聞こえなかった。幻のよう。
 外車……だろうか。右ハンドルみたいだが。悠華は車には詳しくない。シャープなラインのボディを見ても、かなり速そうだとしかわからない。
 その運転席ドアが開いた。

「!」
 傘が手から落ちる。
 目も口も極限まで開ききったまま、硬直する。
 暗黒。
 悠華は闇の中に立っていた。
 今は昼間、ここは住宅街のまっただ中のはず。
 だがそんなことは意識の端にものぼらない。
 目の前に、信じられない“もの”がいる。
 この時間、こんな場所に出現するはずのない相手。
 サングラスをかけた、闇の女王。
“吸血鬼”。



 ――――高陵学園音楽教師、氷上麻鬼



「こんにちは、有原さん」
「………………」
 悠華は唇をかすかに動かす。それが精一杯。入学してから今日まで二年半、毎日のように姿を見ているのに、慣れるということがない。
「偶然ね。どこに行くのかしら?」
「え、あ、い、いえ……」
 偶然どころか、ここにこの相手が現れる理由などまったく思いつかないのだが、追及するどころではなかった。教師相手というだけで、生真面目な生徒会長だった悠華は気が引ける。しかもこの相手は普通の教師とは違う。背が高く、美しい。生半可ではない美しさだ。存在感も圧倒的。すべてにわたって格が違う。絶対にかなわない。…………
 真正面に立たれた時点で悠華はすでに心理的にのまれてしまっていた。
「送ってあげるわ。乗りなさい」
 微笑まれた。
 緊張がゆるみ、心からの安堵をおぼえた。
 あらためて思う――――なんて綺麗なひとだろう。
 吸血鬼。そう呼ばれるのもわかる。人間じゃないみたい。薄いサングラスの下の、切れ長の目。色のわからない瞳は不思議な光をたたえている。吸いこまれそうだ。頭がぼうっとなり、体が熱くなった。官能のうずきにも似ていた。
 いつの間にか麻鬼はすぐ目の前にまで来ていた。
 ひとまわり背の高い相手を見上げるかたちになり、自分でも気づかぬうちにあごが上がっていた。喉をさらして闇の口づけを待ち受けるような姿勢。
「でもその前に、ちょっと――――」
 麻鬼は薄笑いと共に、言った。


「催眠術、かけさせてもらうわよ」


「え」
 はっとした時にはもう、目の前に手がかざされていた。
 反射的に目を閉じる。首の後ろと額を押さえられた。力を加えられ、顔全体がさらに上向く。口がぽかんと開いた。
 催眠術。何でいきなり。面食らう。
 でも同時に、その言葉に妙にひかれもする。催眠術をかけられるととても気持ちがいいのだ。なぜそんなことを知っているのか。経験があるのか。記憶はない。なのに確かに知っている。どうして。
 いや、だけど、それより、この場所、こんな、路上で――――?
 視界を閉ざされ、混乱した思念が渦巻く頭に、

「はい!」
 鋭い声が打ちこまれた。

 同時に頭をくいっと揺らされた。
「もう目は開かないわ。絶対に、開かない」強い声がトーンを一気に落とし、「そのまま、気がすうっと遠くなっていく…………あなたは眠る。眠る………………ほうら、あっという間に、とろ〜んとなって、深く、すごく深く、眠ってしまう………………」
 落ちてゆく。体が別のものになってゆく。
 これは、この感覚は…………。
「はい、もうあなたは催眠状態になった」
 真理を告げる断固たる声音。
 催眠状態。悠華はそれをよく知っていた。
 慣れていた。
 だから、その一言に引っ張られ、瞬時に深いところに入りこんだ。
 表層意識が停止した脳髄に、深く、低く変わった麻鬼の声が、冷水のように流れこんでくる。
「さあ、もっと深く入りましょう。あなたはもう私のもの…………私の言うことはなんでもその通りになる」
 静かだが一切の反抗を許さない、絶対的な力に満ちた声。
 頭をくるんと回された。
「ほら、あなたの体はもう動かない…………あなたは凍るの。固く、固く……もっと固く…………どこもかしこも凍っていくわ……」
 手足が硬直した。腰と背中もがちがちに。額の手から冷気が流れこんでくる。冷たい指。何もかも冷たい。
 悠華は生きた氷柱と化す。
「そう……もっともっと凍る。あなたの心も凍ってしまう。もう何も動かせない…………何も考えられない…………」
 氷柱のイメージが広がる。何もかも凍っている。自分は氷。凍らされた。氷は何も考えることはできない。何も考えない。何もない。なにも…………。
 麗しい手が離れていった。
 まぶたは固く閉じ、首も上向いたまま動かない。唇は半開きのまま。両手の指が自然体で曲がったまま硬直している。
「ゆっくり五つ数えるわ。五つで、あなたは一度元の意識に戻る。はい、ひとつ、ふたつ、みっつ、ほら醒めてきた、醒めてきた、よっつ、次で目覚める、体も動く、あなたは目を覚ます。……いつつ!」
 よみがえった悠華の視界にうつったものは。
 青。
 信じられないほどに深い色合いの、サファイアブルー。
「さあ、私の目を見るのよ」
 麻鬼の目に、サングラスがない。
 青い瞳。
 吸いこまれる。
 底知れぬ海へ、深淵へ。沈む。沈んでゆく。
「そう…………そのまま…………さっきよりもずっと深いところへ…………深い、深あいところへ…………すうっと入っていくわ…………そう……もっと深く、深く…………とってもいい気持ちよ……」
 目を見開いたまま、悠華の心は変質してゆく。体の感覚が消えてゆく。青い光が頭の中に射しこんできて、最も深いところまで到達した。
「指を鳴らすとあなたは完全な催眠状態に入って、何もかも私のいうとおりになる。…………はい!」
 悠華の耳を鋭い指鳴り音が貫いた。
 一度だけまばたきした。
 あらゆる表情が消え、全身が弛緩した。
「車に乗りなさい」
「はい……」
 何のために。どこへ行くのか。そうした疑問は、青い光に埋めつくされた心にはもう浮かぶことがない。
「ごめんね、狭いでしょう」
 麻鬼が言った。悠華に向けた言葉ではない。
「いいえ。……」
 華やいだ声がした。
 後部座席に人がいる。女の子。見たことのある顔。確か、一年生。
 それはわかる。そういう“事実”ははっきりと認識される。けれどもそれに関する判断がなされることはない。たとえそこに血みどろの死体が座っていようとも、今の悠華は一切心を動かすことはない。
 助手席に落ちついた悠華の額に麻鬼の手が触れた。
「三つで眠る。深い眠りに入っていく…………ひとつ、ふたつ、三つ」
 悠華の頭はヘッドレストに埋まった。膝の上に置いた左手がずるりと脇に落ちた。意識は急速に深淵へ沈んでゆく。落ちてゆく。

情報どおりね。間にあってよかったわ」
 麻鬼はひそかにつぶやいた。
 車は静かに動き出す。
 すべてはわずか数分のこと。
 誰も目撃した者はない。
 持ち主の手を離れた赤い傘が路上に転がっていた。



                    ※



 白い車は幅広い道を疾走してゆく。大排気量のエンジンが心地よさげな咆吼を上げる。
 高速道路。
 どんより曇っているが、周囲に高い建物のない空は広く、ビルだらけの街中よりもはるかに開放的だ。

 助手席に身を預ける悠華は、うっすらとまぶたを上げているものの、その瞳はどこにも焦点が合っていない。唇もだらしなく半開きになっていた。
 手も足もすっかり弛緩している。
 目には次々と後方へ飛び去る風景が映っているのだが、彼女自身は色のない世界にいた。
 何も見えない。何も聞こえない。体の感覚もない。ふわふわと浮いているようだ。頭の中は空っぽ。不安も心配事も、わずらわしいことはひとつもない。たまらなくいい気持ち。ずっとこうしていたい。
 手が肩に置かれた。
 感覚が戻ってくる。
 低い声がささやいた
。 「私はあなたの昔からの友だち。何でも話せる大事な親友。私にはどんなことでも平気で話せる。何を話しても大丈夫よ。……」
 その通り。自分に話しかけているこのサングラスの美女、氷上麻鬼先生は心から信頼できる相手。この人に対して隠し事はできない。する必要などない。
「さあ、教えて。今日はどこへ行くつもりだったの?」
「街…………」
 悠華はあっさり口にした。
 本当のことだ。
“イベント”の会場は中心街にある。
「誰かと一緒?」
 そう問われ、関西弁でしゃべる小柄な女の子と、まったく同じ格好をしたショートカットの双子が浮かんだ。
「…………」
 迫水千尋、と言おうとした。
 だが。
 突然、強い危機感が芽生えた。
 駄目だ。
 言ってはいけない。
 千尋に厳しく言い含められている。
 自分たちのやっていること――――女の子に催眠術をかけ、オークションに出し、男に売る――――これは犯罪だ。
 悠華はこのことに初めから関わっていた。そういう記憶が悠華にはある。千尋はまず白河姉妹を仲間にして、次に悠華を加えてくれた。悠華は自分から積極的に、柏木貴子や小野寺智佳子、藤堂先生までも催眠の毒牙にかけ、自分と同じに変身させたのだ。
 これが明るみに出たら悠華の人生は終わる。家庭も、家族も、社会生活も、何もかもが台無しだ。
 それだけじゃない。
 自分がセックスが大好きということもばれてしまう。
 そうなったら、これからもう二度とあの素晴らしい快感は味わえなくなる。どんな好きな男に抱かれても快感を得ることはできなくなる。これも確かなことだ。千尋がそう言ったのだから。
 セックスをしないまま歳を取った女がどう扱われるかはテレビや雑誌でよく見ている。オールドミス。あまり表立っては聞かなくなった言葉だが、それが意味するあざけりの感覚は社会の水面下でひそかに生きている。
 そんな風になりたいのか?
(いや! 絶対いや!)
(そうやろ。せやから、このことは絶対に秘密にしとかなあかんのや。絶対やで。どんだけきっつぅ責められても、何されても、絶対に言うたらあかん。ええな……)
 悠華は千尋に言われた通りにした。
 すなわち――――嘘をつく。
「いえ…………私一人です…………今日は一人でぶらぶらするつもりでした……」
 大好きな氷上先生に本当のことを言えないのはつらい。強い罪悪感をおぼえる。けれども千尋の言いつけを守る方が大事だ。
「あら」
 意外そうな声がした。
「本当に?」
「はい」
 なぜ念押ししてくるのだろう?
 まるで悠華が嘘をついていると確信しているようだ。
「じゃあ…………迫水千尋という子を知っているかしら? 二年生だけど」
「…………」
 どうして向こうから千尋の名前が出るのか。
「知って……ます……」
 これは言ってもかまわない。生徒会長の自分と新聞部の千尋。知り合いでも不思議はないから。ちゃんと答えることができていい気分。
「迫水さんってどういう子?」
「ちっちゃくて……目が大きくて、可愛くて……関西弁でしゃべります……」
「その子があなたの隣にいます。にこにこして話しかけてきています」
 言われた途端、本当に千尋がそこに現れた。今思い描いた通りの、髪を頭の左右でまとめた、小学生と見間違えそうな、ふっくらした頬の、とても可愛い女の子。
 その千尋に訊かれた。
(今日、どこ行くんやったっけ?)
(何するんやったっけ?)
(確認するで。あんたの役割、きちんと説明してみぃや)
 千尋相手なら簡単に答えられる。
「えっと……」
 自分の役割は明確だ。“イベント”会場に行き、準備全般を整えること。この期におよんで確認しようとするなんて千尋もずいぶん心配性だ。可愛いところがある。微笑んで、教えてやろうとした。
(…………あれ?)
 言葉が出ない。
 なぜか先ほどの危機感がよみがえってくる。
 何かが足りない。たとえ千尋本人であっても、会場に行くまではその“何か”を与えられないと言ってはいけないのだ。
 悠華は再び、街を一人でぶらつくつもりだという嘘をついた。
「……なるほど。鍵をかけてあるわけね。なかなかやるじゃない」
 悠華にとっては意味のわからないことを麻鬼は嬉しそうに口にした。
「それじゃあ…………目を閉じて、深呼吸して」
「はい……」
「気を楽にして。すうっと深いところに入っていくわよ……」
 再び、悠華は何もわからなくなった。



「あなたは、優秀な女スパイよ」
 妙な暗示を与えられた。
 いきなりの“設定”である。だがきわめて深い催眠状態にある悠華は無批判にそれを受け入れ、その通りのものに“変身”する。
 これまでの人生で接した、スパイに関するあらゆる知識が浮かんでくる。映画。わずかなりとも雑誌や新聞、テレビなどで見聞きしたもの。1941年のゾルゲ事件は世界史の授業で習った。諜報員。産業スパイ。目標の内部に忍びこみ、情報を探り出す者。そういう材料を元に、スパイとしての自分を形作る。
「あなたはとても優秀なスパイなの。世界中を飛び回って、美貌と優れた頭脳を武器に、どんな情報でも探り出すエージェント。普通の人にはとてもできない、格好いい仕事をしているのよ」
“美貌”、“優れた知識”、“人にはできない”、“格好いい”…………どれもこれも心地よい言葉だ。悠華が自分についてひそかに思っていることばかり。そう、自分は優秀美人。誰よりも有能
 悠華は設定を完璧に受け入れた。

「………………」
 麻鬼が後部座席の少女に何か言った。
 後ろから手が伸びてきた。悠華の腕をつかみ、座席の背後に引っ張る。左右両方。後ろ手に縛られたような形になった。
「だけど……あなたは捕まってしまった。運が悪くて敵の手に落ちてしまった。あなたは縛られている。あなたの腕も、脚も、完全に固定されて、もう絶対に動かせない。――――」
 悠華は殺風景な部屋にいた。
 中央に置かれた椅子に座らされている。背もたれの後ろで両腕は縛られ、床についた足は太い枷をはめられている。首にも金属の枷がかしゃんと音をたててはまった。冷たい。まるで映画のよう。悠華はとらわれのヒロインだ。恐怖は感じているが、取り乱しはしない。そんなのは二流のすること。自分は一流なのだ。今は無理だが必ず脱出してみせる。落ちついてチャンスを待とう。
「さあ、答えてもらおうか」
 低い声がかけられた。悠華は悪役の姿を目の前に見た。声どおり、危険な雰囲気をたたえた美形男性。これからこの男に尋問されるのだ。ひどいことをされるかも。そう思うとぞくぞくした。胸が高鳴る。怖いのだが、期待するような部分が心にある。そう、こういう余裕を持っていられるのも一流ならでは。女子高生なら泣きわめいているところ。
「今日、お前はどこへ行って、何をするつもりだった?」
「……街へ行って、ショッピングよ」
「違うだろう。お前には秘密の任務があるはずだ。言え」
「知らないわよ、そんなの」
 ふてぶてしく悠華は言い、大仰に肩をすくめてみせた。
「ならば――――体に訊くしかないな」
「拷問? やめてよ、知らないものは知らないんだから」
「安心しろ、美しい女性を痛めつけるのは俺の趣味ではない」
 麻鬼はこの歯が浮くような台詞を言ってから吹き出したのだが、悠華にはわからない。
「……何する気?」
 おののく悠華に、女性らしい声に戻した麻鬼は言った。
「……目の前の男の人は、注射器を取り出しました」
 それからまた低い声にして、
「正直になる薬だ」
「自白剤……?」
「その通り。よく知っているな。これは体内に入ると、脳にドーパミンやエンドルフィン、セロトニン…………いわゆる脳内麻薬を異常分泌させる」
 もちろん暗示だ。麻鬼は悠華がきちんと納得できるように、少し間を置く。
「一般に出回ることは決してない強力なものだが、お前のような強い意志を持った相手には必要だ。これを射たれるとお前はものすごい快感にとらわれる。セックスでイク時の何十倍もの快感だ。お前は快楽の虜となり、一切の抵抗意志は破壊される。お前は私のものになる。私のことを愛するようになる。私のことしか考えられなくなり、私のために生きる下僕と化す。当然、私に訊かれたことには何でも答えるようになる。答えることでたまらない幸福感が得られるようになる。
 安心しろ、苦痛はない。何一つない。苦しいことは絶対に起こらない。ただ気持ちよくなるだけだ。これまでお前が感じたことがないくらい、ものすごい快感を味わうことができる。最高の絶頂、終わりなき恍惚感の果てに、お前は私の下僕に生まれ変わるのだ」
「や……やめて…………!」
「無駄だ。お前はもう逃れることはできない」
 麻鬼の左手が悠華の首筋を優しく撫でた。
 震える肌をまさぐり、繊麗な人差し指をついと伸ばし。

「ぷしゅっ」
 そんな声と共に、頸動脈のあたりに爪を立てた。

「あ…………」
「薬液が、あなたの体の中に注入されていくわ…………じわっと熱くて、気持ちいい…………」
 麻鬼は手をハンドルに戻した。悠然と運転を楽しむ表情。
 何か言いたげに開いた悠華の唇がしきりにわななく。
「あなたの全身の血管を薬が流れていく…………もうどうすることもできない。体が痺れてくる。嫌な感じは全然しない。気持ちいい。
 あなたの脳に薬液が侵入する。あなたの脳は薬に浸されるわ。ほうら、あなたの脳は脳内麻薬をどばどば放出しはじめた。快楽を司る物質よ。すごく気持ちよくなってくる。あなたの頭の中はいやらしい気持ちでいっぱいになる。この薬は媚薬でもあるのよ。だから、ほら、セックスがしたくなってくる。性欲中枢が猛烈に刺激されて、セックス以外のことは考えられなくなってくる。うずいてくるわ。すごく切ない気持ち。体をいじってもらいたい。セックスしたい。したい。したい…………あなたの脳はその思いだけに占められる……」

「ひ…………く……あっ…………」
 悠華はしゃっくりのような呼気を洩らす。表情が戦慄に歪む。
 だがすぐに、きつく閉じられていたまぶたがゆるみ、安らかな目つきに変わっていった。どこか痴呆めいた薄笑い。快楽にとろけた顔。
「さあ、あなたの神経組織はすっかり変質して、全身が性感帯になったわ。どこもかしこも敏感よ。試してみましょう。…………なでてあげて。ゆっくりね」
“拘束椅子”の後ろから手が出てきた。
 言われた通り、悠華の首筋を静かに上下になでさする。
「んはぁ………………」
 恍惚とした吐息がこぼれた。
「気持ちいい。すごく感じちゃう。そうよ…………もっと、もっと感じるようになっていくわ」
 触れられている首筋から熱い波が広がってゆく。熱気を吹きこまれたように両の乳房が膨満し、ブラジャーがくいこんできた。乳首が硬くしこり、下腹部――クリトリスも充血して、共鳴する音叉のように、そこからも快感が生まれてくる。  たまらない。たて続けに甘い声がこぼれる。膣がひくっ、ひくっと収縮しはじめた。首筋をひとなでされるたびに、あそこにたくましいものを埋めこまれ、抜き差しされているような感覚が来る。鎖骨に触れられるとクリトリスにじんと来る。体全
体が女性器とつながっている。あらゆる肌が性感のスイッチと変わった。これが薬の効き目。悠華は恐怖する。しかしそれ以上に襲い来る快楽は強烈だ。ひとたまりもなく溺れる。飲みこまれてゆく。
「どうだ」
 と、麻鬼は男の声で言った。
「私が欲しいだろう。私に愛されたいだろう?」
「ん…………あぁぁ……うふぁっ…………はあっ、んぅぁ…………」
 悠華は唯一自由になる肩を激しく揺り動かした。胸が揺れる。それだけでも身震いしそうな快感だ。だが所詮は微妙な刺激にすぎない。異常昂進した性欲を満たすにはとても足りない。話にならない。
「私のものが欲しくないか? 抱かれたくないか? 私のペニスを、お前の大事なところに…………そう………………お前の……おま○こ……」
 低くささやかれた卑語は、悠華の言語中枢に楔(くさび)となって打ちこまれた。言われた途端に膣がひときわ激しくひくついた。恥ずかしい蜜があふれ、下着に染みこんでゆく。
「ひあああっ!」
「……おま○こに、ち○ぽを、ずぶっと、入れてほしいだろう?」
「う…………あ…………ひぃ……くぅ…………」
 狂おしいほどの飢餓感が噴き上げた。隆々と勃起した男根。亀頭が肉襞をかきわけ、襞という襞をこすりあげながら蜜壺に入りこんでくる。固く引き締まった男に抱きしめられる。肌と肌が触れ合う。たくましい胸板で潰れる乳房。伝わってくる熱い体温。生々しいセックスのイメージが怒濤となって悠華を襲う。

 本当にそうされたなら悠華はおかしくなってしまうだろう。
 きっと最初の一突きでいく。今の自分の体は薬で変になっているから、絶頂感は止まることがない。すぐに次のオーガズムが来る。オーガズムにつぐオーガズム。どこまでイキ続けるのか想像もできない。自分が自分でなくなる。普通に犯されているなら抑えることもできる。でも今は薬を使われている。自分は自分でなくなってしまう。おかしくなってしまう。

 でも…………ああ、でも!

「……ち、ちょうだい!」
 悠華は哀願した。
「入れてぇ! 早く、あ、あなたの、アレ、ちょうだい! して! してよお! は、あ、早くぅ! 何とかしてぇ!」
 駄目だ。薬の効き目には勝てない。男のことが愛おしい。欲しい。男を抱きしめ、受け入れたい。
「では……教えてくれるな? お前のことを、すべて」
「言う、言うからぁ、早く、してぇぇぇっ!」
「今日、これから、何をする?」
「…………」

 またあの危機感が湧いた。
 千尋の声が聞こえる。
(一人になりたいんか? あんた、もうなんも楽しいことのない生活したいんか? みんなに笑われて、後ろ指さされて生きたいんか、え!?)
(いやあああああ!)
 悠華は己を取り戻した。
 そうだ、これは拷問なのだ。快楽をつかった甘美な拷問。
 屈するわけにはいかない。自分は優秀。強靱な意志力を備えている。たとえどれほど飢えようとも、一流の誇りにかけて、秘密は守り続けてみせる。

「言うと楽になる。我慢するのはつらいだろう? 何も我慢することなんてないんだ。さあ…………言うんだ。たった一言でいいんだよ。簡単だろう。それだけで最高の気分になれるんだ……」
 声は優しいものに変わる。心にするっと入りこんでくる。言うとおりにして、身をまかせ、気持ちよくしてもらいたくなる。これも薬の効き目。
「教えてくれないのか? 君の恋人のこの私に? 悲しいな。君がそんなに冷たい人だなんて思わなかった」
「あ…………」
 涙が出てくる。つらい。自分が最低最悪の人間になったような気がする。これまで愛されていたのに、かたくなに口をつぐんでいるから彼に嫌われてしまいそうだ。このままだと別れなければならない。言いたい。言って、これまで通り彼に愛してもらいたい。

(あかん! あかんで! 言うたらおしまいや! 何もかも終わりなんやで!)
 愛らしい姿を思いだし、必死に抵抗する。
(ま……負けない……!)
 すると声はまた硬質のものに変わり、
「……仕方ないな。では、もう一本射つことにしよう」
 拒絶の声も出ないうちに、首にちくっと感覚が来た。
 薬液が注入されてくる。激しく流れる血流に乗り、あっという間に全身に広がってゆく。

「ほうら、もっといい気持ちになってくる。あなたの心は全部開かれる。あなたの心を閉ざしている壁は全部とろとろに溶けて、なくなっていく。感じるのはただ快感だけ。あなたは快感だけになる。こんなに強力な薬を射たれたのだから、もうどうすることもできない。あなたの理性は消えていく。気持ちいい、気持ちいい、それしかない。とっても幸せよ。幸せ。気持ちいい……」

「お…………おおお…………おぉぉぉぉぁぁぁぁ…………!」
 悠華の喉からそれまでとはまったく異なるうなり声がこぼれだした。

「――――耳、お願い」
 後ろから耳たぶをつままれた。
 強烈な快感が来た。
 指にはさまれ、こりこりといじられた。
 クリトリスをそうされているのと同じような、いやそれよりももっと強い、体の芯にずんと響く感覚が来た。

「いやあああっ、ああぁぁっ、ひぃいいいいっ!」
 悲鳴が噴き出した。押さえようとしても押さえられない。いや、もう自分が悲鳴をあげているという意識さえもない。
「くぅあっ……………………ひィっ…………………………ああぁぁっ、あはァァァァァァァァッ!!」
 イッた。
 なのに――――終わらない。
 大きな波に押し上げられた後は落ちるものなのに、落ちない。すぐに次の波が来て、さらわれ、一気に持ちあげられる。
 腰に電流が流れている。体中の筋肉が制御不能の痙攣を起こす。そこらじゅうをのたうち回ってよがりたい。しかし椅子に固く拘束されている。泣き叫ぶしかない。動いて放出できない快感は体の中で荒れ狂う。

「ほうら、またイッちゃうわ…………三つ数えると、またイク。三つで簡単にイッちゃう。最高の気分よ………………ひと〜つ……」
「ひ、ああ……くああっ、ひぃ…………」
「ふたあつ…………」
「……や、やめ…………うあっ、ああっ、く、ふあ、ひィ…………」
「みっつ! はい!」
「……ぅぅ………………ぁぁ…………か……はぐあああああっ!」
 また大波。まぶたの裏に閃光が明滅する。

「あなたは何度でもイクことができるのよ。止まらない。三つでまたイクわ」
「ぃ……ぃやぁ…………っ……ぁあああ………………いッ………………イク………………っ!」
「そうよ。とっても気持ちいいの。こんなに気持ちいいのは初めてよ。もっともっとイけるわ。私が指を鳴らすと、ぐんと強い快感が来る。それだけであなたはイッてしまう。ほうら……」
 耳元で鋭い音がパチッと鳴る。
 たちまち狂おしいほどの快楽が噴き上げてきて、新たな絶頂に達した。  またパチッ。
「ィくゥぅぅうううっ!」
「ほら、またイクわよ……」パチッ。
「うあああああああっ!」
「気持ちいいでしょう?」パチッ。
「あはあぁぁっ、いいっ、いい、いい、いいいいひぎぃぃぃっ!」
「失神しちゃいそう。でも、できない。あなたは薬の影響で、絶対に失神することはできない。心の壁が全部なくなって、どんなことでも話せるようになるまで、あなたはいつまでもイキ続けるの。何回でも、いつまでも、この音を聞くたびに」
 パチッ、パチッ、パチッ、パチッ、パチッ…………。
「か………………は……………………」
 もはや何度目のオーガズムか数えることもできない。
 絶頂感の合間には別の絶頂感が来た。数十秒に一回のペースで達し続け、さらに間隔は短くなっていった。上りつめ、頭の中に充満した快感が炸裂し、真っ白になって、ふっと落ちてゆきそうになるところで、つながれた命綱に引き上げられるみたいに意識が戻る。また次の快感がなだれこんできて、炸裂、落下、さらに復帰。終わりがない。息が苦しい。悲鳴の合間にぜえぜえ喉が鳴る。

「……ぃやぁ…………」
 もはや涙もよだれも垂れ流しの悠華が、ふとそれまでとは微妙に異なる泣き声を上げた。
「やめて…………………………たす…………けて…………せんせい………………!」
 あまりによすぎて、このままだと気が狂ってしまう。
 堕ちる恐怖が悠華の心を元に戻した。
「…………いやあ…………せんせい………………だめ、わたし、これいじょう、も、もう………………!」
「三本目」
 どこか楽しそうな声と共に、指が首筋に来た。

「お前がこんなに強い意志の持ち主とは思わなかった。さすがだ。素晴らしい。三本目を必要とした人間などこれまではいなかった。お前が最初で最後だ。お前相手だからここまでするんだ。さあ、じっくり快感を味わってくれ…………これを感じられるのはお前だけなんだよ……」
 悠華は絡めとられた。

 そう、自分は優秀なのだ。
 優秀だから、ここまで強力な薬物を使われてしまった。優秀でなければよかったのに、飛び抜けて美しく意志が強いから、こんな目にあわされてしまった。

 薬が体に広がってゆく。
 体が燃え上がった。耐えがたい熱が悠華を焼きつくした。
「ひっ………………………………く………………ぅっ………………あっ…………き、ひ…………………………」
 悠華の顔は泣き笑いの形に歪んだ。
 もうダメだ。
 壊れる。
(気持ちいい、気持ちいいのぉぉぉ…………!)
 肉体を感じることができなくなった。今や悠華はひとつの巨大な女性器と化していた。突き出ている部分はクリトリスで、なめらかな部分は陰唇、穴という穴はすべて膣。身体の中は子宮のみ。突かれ、悶え、淫らな汁を垂れ流すだけの快楽器官。
 身じろぎするだけでイッた。服が肌にこすれるだけでイッた。呼吸も深韻とした快感を全身に響かせた。心臓の鼓動ひとつごとに体が愉悦に震えた。

 遠いところから声がした。
 質問をされた。答えた。心の裡を吐露することも快感だ。
 問われるままに、昨夜弟とセックスしたことを告白した。罪の意識などかけらもなかった。秘密をさらけ出すことは気持ちいい。たまらない開放感。自分は自由だ。なんでもできる。なにをしても気持ちいい。

 遠い声はさらに訊く。
「さあ、言うんだ。今日、どこで、何をする?」
(あかん!)
 千尋の制止が聞こえる。
 だが小さい。あまりにも小さい。この快感に比べれば、この後の人生なんてもうどうでもいい。

「ィい…………あはぁぁ………………いひぃ………………いいのぉ…………」
「気持ちいいだろう。それは私がお前を愛しているからだ。お前も私を愛してくれるだろう?」
「……あい……うぅぅ…………わっ、わた…………わたひぃ……………………すきぃぃ………………すっ、すぅぅぅぅ…………」
「そうだね。私も、大好きだよ。お前のことが好きだ。さあ、私にお前の全てを見せてくれ」
「あぁぁぁぁ………………みてぇぇ………………あそこぉぉぉ…………、ぜんぶ、みてぇぇ……みぃ……み、う、ひぃぃっ、あがぁぁっ……!」
 悠華は歓喜に満たされた。私にはこの人がいる。愛されている。この人は何を言っても、どんなことをしても受け入れてくれる。この人がいれば私は一人になんてならない。愛してる。
「好きだよ、悠華…………」
「……あ………………………………」

 悠華は間断なくイキ続ける状態に達した。

 光を見た。
 とめどなく目から液体が流れ出た。熱く、どろっとしていた。愛液に違いなかった。鼻からも、口からも流れ出ていた。肌から噴き出す汗も全て愛液だった。限界を超えたエクスタシーの世界に悠華は入りこんでゆく。
 脳髄の中身がすべて流れ出してゆく。解放。もう何もない。自分を自分たらしめているものはない。“自分”を構成していた全てが消え失せて、快楽の海に溶けてゆく。


 おしえて。
 はい
 きょう、なにをするの?
 にかいめの“いべんと”です
 どんなことをするの?
 さいみんじゅつをかけたおんなのこをおとこにうります
 だれといっしょ?
 ちひろ しらかわさんたち とうどうせんせい たかこ
 ほんじょうまりえというこをしってる?
 はい
 きのうからゆくえふめいなの。どうしてか、しってる?
 はい つかまえてちひろが“あじと”につれていきました
 それはどこ?
 おしえてもらってません わたしは“いべんと”たんとうです
 …………?
 ……………………


 問うているのは自分。答えているのも自分。問いは答えであり、答えは問いだ。区別なんてない。
 よだれを垂れ流しつつ言葉をつむぐ、その下半身から異臭が漂ってきた。失禁したのだった。ジーンズの股間、尻から太腿にかけて染みがじわじわと広がっていった。
 座席の後ろに“拘束”されていた手が外された。しかしだらんとぶら下がるだけだった。
 そこにいるのはもはや有原悠華ではない。
 少女のかたちをした、魂をなくした“もの”だ。



 フロントガラスに雨滴が落ちてくる。
 白い車は速度を落とし、やがてサービスエリアに入った。

 美麗な手が携帯電話を取り出す。
「あ、もしもし。蜂谷さん? 私よ。突然だけど、すぐ使えるお金、いくらくらいあるかしら? そ、現金よ。月曜日に返すから、ありったけ用意しといて。……後で説明するわ。駄目?
 いやね、今夜、ちょっとしたオークションがあるの。そう、前に話したことある、例の子たちが主催してる、あれ。それに参加して様子を見てきてほしいのよ。私は顔知られてるから駄目なの。
 今からそっちに戻るから、詳しいことはそれからね。
 あ、それと、車、ちょっと汚れちゃった。ごめんなさいね。…………真央じゃないわ。別な子。思ってたよりプロテクトが固かったから、ちょっと強めにやっちゃった。ふふ。お部屋ひとつ貸してもらうわね。……ん、OK。じゃ、よろしく」
 麻鬼は後部座席を振り向いた。
「真央、そういうわけでデートはおしまい。ごめんなさいね。
 ……………………あら」
 高陵学園一年二組、須藤真央。
 麻鬼のことを男性と信じこみ、己の信じるもの以外の“事実”を認めることができなくなっているショートカットの美少女は、座席に斜めにもたれかかり、高校一年生にしては豊かに発達した胸のふくらみを官能的に揺さぶりながら、スカートの下に手をもぐりこませ、びくん、びくんと腰を引きつらせていた。脱ぎ下ろした下着が丸まって左の足首に引っかかっている。
 悠華の痴態を見ているうちに我慢できなくなってしまったらしい。

 同時に、泣いていた。
「せんせい…………いや………………私、何でもしますから………………私のここ、どんなにしてもいいですから………………お願い………………捨てないで………………」
 よがりながら大粒の涙をこぼす。

「…………もしかして、この人に“好き”って言ったことを気にしてるの?」
 麻鬼は腕を伸ばして頬に触れた。指で涙をぬぐい、自分の口へ持ってゆく。一舐めしてからサングラスを外す。他のものが何も見えなくなっている真央の目をサファイアブルーの瞳が射抜く。
「真央――――“私はあなたが好き”よ」
 後催眠のキーワードを言われた真央はすぐに表情をなくして目を閉じた。脱力した腕がスカートからすべり出てくる。指先は愛液にふやけていた。 「よく聞きなさい。私の言うことは全部本当のことよ。……私は絶対にあなたを見捨てない。あなたは邪推しただけ。その不安は根拠のないものな
の。わかった?」
「はい…………」
 再び涙。今度はうれし涙だ。
 麻鬼の唇に妖しい微笑が浮かんだ。
 いま口にしたことは、はたして真実なのだろうか。
 その内面をうかがい知ることは誰にもできない。

「それじゃ、勝手なことを考えたおしおきよ。
 あなたは目を覚ますと、ものすごくいやらしい気分になる。私に抱かれたくて、激しいセックスがしたくてたまらなくなる。
 だけど、あなたはお人形。あなたの体は動かない。あなたは体を動かせない。声も出ない。あなたはいやらしいお人形なの。セックスのことだけ考えながら、身動きできずに、ずっとそこに座っているのよ。
 三つ数える。三つであなたは言われた通りのお人形になる」

 雨がしとつく。
 再び重厚なエンジン音が響いた。

 おとなしく座りながら内面を淫欲にただれさせてゆく性感人形と、魂を悦楽天に遊ばせる廃人を乗せた純白の車体は、静かに降りそそぐ雨幕の彼方へ、幻影のように走り去っていった。



                    (十七)



 雨は夜になっても降り続いていた。



 どれほど華やかなステージも、裏方のはたらきなくしては成立しない。

 つぶれた小劇場を使って開催されている美少女オークション。これももちろん例外ではない。

 半円形の客席に、マスクをかぶりマントを羽織った怪しげな格好の男たちがずらりと並ぶ。粘っこい視線がステージに立つ“売り物”に集中する。
「「では、商品番号二番!」」
 まばゆいスポットライトを浴びながら、司会の双子が声をそろえて高らかに言った。
 それを受けて、舞台袖で進行役の少女が合図を出した。
「はい、二番、出番よ!」
 高陵学園女子高等部、生徒会役員の一人である。有原悠華の下でこのオークションの開催準備に奔走していた。本番における自分の役割を完璧に理解しており、悠華がいなくても今のところまったくそつがない。

 呼ばれたセーラー服姿の少女は、ひどくおびえて動かない。
「い…………いや………………」
「ダメだよ。ほら、足が動く、動く…………足が勝手に動いてステージへ出て行くよ…………」
 ささやかれ肩を叩かれると、少女はよろよろと歩き出した。
「え……そ、そんな…………いやあ! 助けてぇ!」
 自覚していないがすでに彼女は深い催眠状態に入れられており、周囲の人間の指示する通りに動いてしまうように条件付けされてしまっているのだった。
 ステージで彼女はあらためて催眠状態に入れられた。ちょっとした誘導だけですぐに目を閉じぐったりする。これも予備催眠でそのように条件付けされているからなのだが、客にはまったくわからない。少女の頭から恐怖はあっという間に消し去られ、にこにこしながら自分の肌をさらして見せる。

 その間に“三番”の少女の準備がなされる。深緑のブレザー姿。楽屋から案内係に手を引かれてやってきた。うつろな目をぼんやり見開き、言われる通りに動くだけのロボットのよう。こちらもやはり深い催眠状態に置かれている。進行役の合図で意識がはっきりするまで、ここがどこで自分が誰でこれからステージで何をされるのか、一切理解することはできない。

“四番”の準備も進んでいる。こちらは粗暴な雰囲気の男女カップル。どちらも拘束具でがんじがらめにされている。耳栓を入れ目隠しをし、口には球轡(ボールギャグ)をかませてある。担架に乗せられて運びこまれてきた。モノ扱いである。しきりに身をよじりうなり声をあげ、激しい怒りを示していた。…………その感情がすでに深くかけられている催眠術で呼び起こされたものだとは、彼らは最後まで気がつくことはないだろう。

 この二人を舞台へ引きずってゆく役目の大柄な男に“衣装係”の女の子が群がって最終チェック。たくましい裸の体に斜め十文字にかけてある鎖の位置を直し、顔に施してあるおどろおどろしいメイクをわずかに修正。



 …………高陵学園剣道部主将、柏木貴子はそういう裏方の動きから距離を置き、隅の暗がりに身をひそめるようにして立っていた。
 飾り気のない長袖シャツにジーンズ姿。黒い木刀を杖にしている。

 小さく息をついた。最も警戒されていた“四番”も心配いらないようだ。
“出演者”たちが予期せぬ反応を示し騒ぎはじめたときに、すみやかに鎮圧するのが貴子の役目である。
 舞台ではオークションが盛り上がっている。男たちが発散する熱気が舞台裏のここまでどろどろと流れこんでくるようだ。

 喚声が群がり起こった。“二番”の競りがはじまったのだ。彼女とセックスすることを望む男たちがしきりにベルをカンカンと鳴らす。双子が巧みな口上で値を吊り上げてゆく。  十万を超えた。
 貴子の位置からは舞台を直接見ることはできないし、壁にあるモニターも小さくて何が映っているのかよくわからないが、音だけでも盛り上がりようは十分察せられる。
「………………」
 貴子はひそかに舌打ちした。手指で神経質に木刀の柄をとんとん叩く。

 楽屋口から新たに二人、入ってきた。
 まっすぐ貴子の所に来る。
 姉のように慕っている、剣道部顧問の藤堂美夏。
 自分と同じく二年生の小野寺智佳子。
 どちらも千尋の元に集った“同志”だ。貴子が最も信頼し、心を許している仲間たち。特に藤堂美夏とは、教師と生徒という間柄を越えた、姉と妹、あるいはそれ以上の深いつながりを築いている。
 だが――――
 この時、貴子の表情は少しもゆるまなかった。それどころか、わずかに眉間に皺が寄った。まぎれもない、嫌悪感の表現だった。

「駄目」
 と、それには少しも気づいた風なく美夏が言った。ノースリーブシャツにジャケットを羽織り、ズボンをはいている。動きやすさ重視の姿。腰に警棒をぶらさげている。彼女も貴子と同じ、この場における“用心棒”である。
「有原さん、出ないわ。おかしいわね。連絡もなしに遅刻する子じゃないのに……」

「私の方も全然。家は出たらしいんだけど…………どうしたのかしら」
 智佳子が首をかしげた。
「知っていそうな人にメールしたんだけど、まだ返事来てないし…………私もうすぐ“出番”だから……」
 彼女も今日の“売り物”だ。商品番号五番。すでに“舞台衣装”である高陵学園の制服を着ている。特別な暗示を用いて“変身”させるまでもなく、自然にしているだけで匂いたつような気品を漂わせている、正真正銘のお嬢様だ。もっとも普段に比べると落ちつきがない。“出番”が来るのが待ち遠しくてたまらないようだ。
 貴子の目尻はますますきつくつり上がった。

「じゃあ今度は私がかけてみます。ここ頼みます」
 携帯だけ受け取り、一度も智佳子と目を合わさぬまま美夏と交代して廊下に出る。
 自分の携帯を取り出し、有原悠華の番号にかけた。
 留守電サービスにつながる。
 かけ直す。また留守電。
 どうしたというのか。家を出たなら、ここに来る以外にないのに。
 天井のスピーカーからかすかに舞台の物音が聞こえている。“三番”が催眠誘導され、あられもない姿をさらしはじめたようだ。
 木刀を持った右拳が震えた。
「…………っ!」
 大声をあげてわめきたい。必死に抑えてかすかなうなりにとどめる。
 体内を凶悪な感情が駆けめぐっていた。
 うらやましい。
 あのステージに立ちたい。
 男たちの視線を浴びたい。みんなが自分を見て、目を血走らせ鼻の下を伸ばし、アレを大きくする。みんなが自分を欲しがる。熱狂的に手を振り声をはり上げて、お前が欲しいと言ってくれる。

 前回のオークションでは貴子は最後に“出品”された。真打ちというやつだ。客の男たちは貴子を高く買ってくれた。同年代の女の子が体を売る時の相場は大体わかっている。つけてもらった値段はそれよりはるかに高かった。
 あれほど満足したことはなかった。剣道の試合で勝利したときよりも気持ちよかった。賞賛の度合いを、拍手とか応援の声とかのあやふやなものではなく、金額というかたちではっきりと知ることができたから。
 それに続いて、群がってきた男たちからこれまで味わったことがない快感をもらった。貫かれ、舐められ、いじられ、射精され。何度も何度も絶頂に押し上げられ、頭の中が真っ白になった。乱れたくない、自分を保っていたいという必死の思いは押し寄せる快感の前に粉々にされ、見栄も外聞もどこかへ吹っ飛び、きもちいい、きもちいいと叫びながら子供みたいに泣きじゃくった。
 それ以来、貴子の内面には常にどろどろしたものが渦巻いている。
 あんなにいいものがこの世にあるなんて。
 もう知らなかった頃には戻れない。
 オナニーの回数が増えた。千尋に教えられるまで自分の体に触ったことさえなかったのが、毎晩のように敏感な肉豆をいじるようになった。しなければ眠れなかった。
 セックスもしたかった。自分の体を男に見せつけ、興奮させ、組み敷かれたかった。貴子は荒事を専門にする千尋の“下僕”たちと一緒に行動することが多い。みなたくましい男ばかりだ。見ているうちにとろんとなってしまうことも少なくない。
 しかしみな千尋の許可なくセックスしてはならないことになっていた。千尋のボディガードである貴子は特に念入りに禁止されている。
 それで、こっそりと怪しい器具を手に入れて、家で秘裂に押しこんだ。それでも物足りなくなると、オークションで同じ体験をした有原悠華とひそかに体を重ね合った。向こうも目覚めており、望むものをよくわかってくれていた。それでなんとか体のたかぶりを抑えることはできた。
 けれどもやはり本物の男が欲しかった。自分には魅力があるのだと確認させてくれる、男の絶頂――――射精。熱い粘液を肌に、子宮に浴びせられた瞬間、肉体的な刺激を超えた深い充足感をおぼえた。あれこそ最も望むもの。器具や同性相手では心までは満たせない。
 再度オークションが開催されると知り、どれほど胸ときめかせたことか。今の自分は前よりも綺麗になっている。体つきも色っぽくなった。これは自覚がある。今度はいくらで買ってもらえるだろう。絶対前より高いはず。“出品”されれば、自分を一番高く評価してくれた相手に抱かれることになる。想像するだけで濡れてしまい、学校の休み時間にトイレで下着を替えたこともあった。

 だが今回、貴子も悠華も“商品”にはしてもらえなかった。
 千尋に懇願しても駄目。悠華と二人、失意の顔を見合わせたものだ。
 ――――悠華はそれでもまだましだった。
 オークションの運営実務をまかされたから。
 普段とは違う、膨大な量の仕事が悠華の手に委ねられた。悠華はそれに没頭することで欲求不満をまぎらわすことができている。楽しそうでさえある。

 貴子はそうはいかなかった。貴子の役目は“用心棒”。重要ではあるが、目新しいことはなにもない。竹刀を振るのは貴子にとってもはや呼吸も同然。退屈こそしないが、刺激もない。
 結果、貴子は“同志”の中でもとりわけ強く面白くない思いをかかえこむことになった。

 小野寺智佳子と目を合わせなかったのはそのためだ。
 出番を待っていた女の子も智佳子も、これから貴子と同じものを知ることになる。男たちに賞賛され、求められ、犯されて、あの昂揚感をたっぷりと味わう。…………悶々としている自分の前で。
 貴子がねたましさに気も狂いそうになっていることは誰も知らない。貴子の姉のような藤堂美夏でさえ。
 美夏は教師なので、千尋は別な扱いをしている。この先彼女が“売り物”にされることは決してない。だから彼女には貴子の飢餓感は絶対にわからない。
 わかってくれるのは悠華だけ。

 思いつく限りの所に電話したが、悠華の消息はつかめなかった。
「………………」
 携帯の電源を切り、唇を引き結んだ。
 どうして悠華は来ないのか。
 悠華にいてほしかった。悠華がいればまだ慰め合うことができた。
 体の中に黒い渦が巻いている。漆黒の炎の渦。熱く激しい、しかしどこにも出口がなく、貴子の中を焼くばかり。
 トイレの洗面台で顔を洗った。冷水が少しだけ気を鎮めてくれた。



 出たところで、人に出くわした。

「きゃっ!」
「うわっ! ……なんだ、センパイか」

 貴子と同じくらいに背の高い女の子。
 高陵学園の制服。一年生だ。長い髪、やや姿勢の悪い立ち姿。  肌は雪白、明るい色合いの夏服をまとっているのに、満身を影に包まれているような印象がある。

 アヤ――――水南倉綾乃。

 お嬢様学校には不似合いな不良少女。
 剣道部主将として、どこかでぶつかるかもしれないとひそかに警戒していた相手。
 武道場で一緒になったことはあったが、二人きりになり、面と向きあうのはこれが初めてだ。

 あらためて見ると――――美人だ。
 同性の眼で見ても認めざるを得ない。端正な顔かたち、際だって優れたスタイル。軽くルージュを引いている。全体的にきつめ、彫刻のように鋭い印象の顔かたちのなかで、その唇だけがやけにやわらかい、生々しいものに感じられ、一瞬胸がどきりとする。
 千尋が夢中になるのもわからないでもない。

 ……そう、今、千尋が最も入れ込んでいるのがこの水南倉綾乃だ。
“同志”にするためにありとあらゆる手を尽くし、引きずりこんだ。

 今日のオークション、最後に登場するのが彼女である。
 いわば――――貴子のものだった主将の座を奪われたのだ。

 アヤは高く売れるだろう。
 前の時は自分に最高額がついた。しかしこいつは、これだけの逸材なら、男たちは自分よりずっと高い値段をつけるに違いない。

 受け入れがたい考え。しかしすでに貴子はアヤの美しさを認めてしまっていた。自分に嘘をつくことはできない。

 屈辱が脳髄を灼く。
 これまで得てきた何もかもを奪われる。男の視線も、賞賛の声も、浴びせられる精液も、この一年生に。

「すんません」
 アヤは小さく頭を下げた。
 その言い方、仕草に貴子は勝者の余裕を感じた。いたわりの言葉の裏でこいつはほくそ笑んでいるに違いないと思った。
 黒い炎。殺意。噴き上がる。
 木刀を握る手に力が入る。

 すると。

「――――ふうん」
 アヤの声が変わった。
 完璧な外見の唯一の欠点、猫背気味だった背筋がぴんと伸びた。眠そうだった目も、獣じみた、ぞっとするような色を宿したものとなった。
 噂に聞いていた、戦闘モード。…………

 アヤの腕が伸びてきた。はねのけるどころか、避けることさえできない。心臓が爆発する。
 肩に手を置かれ、微笑まれた。はっとした次の瞬間にはもう、黒い姿は木刀の間合いのわずか先に逃れている。汗が噴き出す。
「“いんたあはい”ってのはすげえんだな。ちょっとびびっちまった。でもさ、今日は大事な日だし、ケンカはやめて、仲良くやろうぜ、な? ぶつかったことは謝るからさ」
 手をひらひら振ってアヤは背を向ける。
 あまりにも無防備なので、かえって何もできなかった。

 いや、まだ…………距離が開けば有利なのは得物を持つ自分の方……。

「…………あ、そうそう、センパイ」
 アヤが振り返った。貴子の足はびくりと止まった。踏み出す寸前だった。
「“あいつ”なんだけど……さっき、見てるうちに何かすんげえムカついて、蹴り入れちまった。千尋に怒られちまう。すまねえけど、面倒みてやってもらえねえかなあ。オレ、ダメなんで」
 完璧なタイミングだった。“主”である千尋の名前を出された途端、貴子の心は致命的なぶつかりあいを回避する方向に流されてしまった。
 こうなってしまうともう憎悪をかきたてることは不可能だ。

「……わかったわ」
 機械じみた声音で貴子は答えた。

 敗北感が全身にまとわりつく。
 最後まで持ち上がることのなかった木刀の切っ先が激しく震えた。

 自分は今どんな表情をしているのだろうとかすかに考えた。



                     ※



 三つある楽屋のうち一番狭い、右側の部屋。

「きゅ〜ん…………きゅん…………」
 鼻にかかった、奇妙な泣き声がしていた。

 貴子は灯りをつけた。
 広さは十畳ほど。壁の二面に鏡が張られていて、椅子数脚と長いテーブル、洗面台、ロッカー。ステージの様子を映しだせるモニターがあるが、電源は入っていない。

 床に、女の子が転がっていた。
 半裸だ。身につけているのはブラジャーと黒いスパッツ、白い靴下だけ。制服が床に散らかっている。
 身を丸め、腹を押さえながら泣いていた。
 ポニーテールの髪が床を掃くように揺れ動く。

 …………知っている顔。
 高陵学園一年二組、本城万里江。
 昨日、自分が竹刀で叩きのめした相手だ。

 気絶から覚めたところで、千尋が魔法をかけた。
 千尋は魔法使いなのだ。千尋が魔法をかけると相手は何でも言うことをきくお人形になる。
 万里江も人形になった。
 そのまま昨夜は“アジト”に監禁し、今朝この会場に連れてきた。アジトに置いておくと見張りに人数を割かなければならないからだ。
 今もまだ万里江は魔法にかかっていて、自分たち“同志”の言うことを何でもその通りに受け入れるようになっている。ここはお風呂だと言えば服を脱ぐ。眠れと言えばすぐに倒れて眠ってしまう。そして誰かが一緒でないかぎり、この部屋から出ることはできない。
 千尋は彼女の“世話”を悠華にまかせるつもりだったようだ。その悠華がいないので、半ば放っておかれている。それでアヤが好き放題したのだろう。
「大丈夫?」
 声をかけると、万里江は涙に潤んだ目を貴子に向けて、
「きゅん」
 とまた妙な声をひとつあげ、のろのろと身を起こした。
 四つんばい。かすかにうなりながら、貴子を睨んで後ずさる。
 その仕草はまるきり犬のそれだ。恐らくアヤが彼女に“お前は犬だ”と言ったのだろう。万里江はその通りのものに“変身”し、今もこうして立ち上がることを忘れてしまっている。
 木刀を手放し、しゃがみこんで手招きした。
「私は何もしないわ。大丈夫だから…………さ、おいで」
「………………」
 つり上がっていた万里江の眉が垂れ下がった。くんくん言いながら近づいてくる。

 貴子は万里江のことは前から知っていた。放課後のグラウンドでよく見かけたからだ。
 ランニングする者はたいてい所属する部ごとにかたまっているのに、いつも一人で駆けている一年生。走ること、体を動かすことが好きで好きでたまらないと言わんばかりの明るい表情、ポニーテールを大きくなびかせた、見ている方が気持ちよくなる走りっぷり。
 吹奏楽部所属と聞いたときは意外だった。機敏で、精神力もありそうに見え、剣道部に欲しいと思ったこともある。
 好感を持っていた相手が今こうして犬になっている姿には何とも言えない居心地悪さをおぼえた。
 しかし、素のままでいられるよりはよほどましだった。今“先輩、どうしたんですか?”なんて訊かれたら、何をしてしまうかわからない。

 万里江はさしのべた手の指先に鼻を近づけてにおいをかぎ、それからぺろりと舐めた。安心したらしく、笑顔で手の平に頬をすりつけてきた。スパッツに包まれたお尻を揺らす。きっと尻尾を振っているつもりなのだろう。
 それからごろりと仰向けになった。両手は肩、両脚も折り曲げて、お腹を見せる犬のあの姿勢。なでてなでてと視線で訴えてくる。
 思っていたよりずっとスタイルがいい。全身引き締まっていて、それでいて筋肉が盛り上がっているわけでもなく、胸は形良くふくらんで、ウェストは細く、足のラインも適度にまろやかだ。
 脇腹に靴跡が刻まれている。
 アヤに蹴られた痕だ。全力ではなかっただろうが、かなりひどい痣(あざ)になっていた。手を触れると万里江は顔をしかめて一声ないた。おびえた目を向けてくる。
 可哀想と思った。
 自分が打ちのめした相手ではあるが、苦しんでいるのを放っておくことはできない。あれだってあまり楽しいことではなかった。

「大丈夫。すぐに痛くなくしてあげるから。――――」
 こういうときの言葉は決まっている。
 アザに手を当て、“なでなで”しながら、
「いたいのいたいの、飛んでけーっ。……」
 繰り返すうちに、自然と微笑が浮かんでくる。
 された記憶はないのに、どうしてこの言葉は懐かしい想いを呼び起こすのだろう。多分、これも魔法の言葉。

 万里江にも魔法は効いた。すぐに安らいだ顔つきに変わり、口元がほころんで、どこもかしこもだらしなく緩んだ。

「…………」
 全てを貴子に委ねきっているその姿を見ていると、自然と肩の力が抜けていった。これほどに強張っていたのかと驚くほどだった。

 途方もなく長いため息がこぼれ出る。

 いつしか床に座りこんでいた。万里江が頭を膝に乗せてきた。撫でてやる。万里江は喉をごろごろ鳴らした。猫の仕草だ。混同している。おかしくなって、また笑う。

 雨音が聞こえてきた。窓を見る。雨が降っていることは知っていたが、音には今日初めて気がついた。それほどに余裕をなくしていたのだ。
 わっと、騒音がした。“三番”の競りがはじまったようだ。
 次は“四番”。続いて智佳子。そして目玉商品、アヤ。
 どす黒いものが湧き起こってきて、唇を引き結んだ。

 と。
「くぅん」
 万里江が鼻にかかった甘え声をあげ、貴子の手を舐めた。

「…………もしかして、慰めてくれてるの?」
「きゅん」
 上目づかいでうなずき、ちろっと舌をひらめかせてまた一舐め。
「……ありがと」
 万里江は嬉しそうにお尻を振った。

 その頭をなでながら、貴子は窓の外の闇に目をむけ、しばらく雨の音だけに耳をすませていた。

 かなり激しくなってきたようだ。



                    ※



 狂乱のオークションが終わり――――

 貴子はどことも知れぬ場所にいる。



 千尋がいる。“下僕”の男が数人、人体を含めた色々なものを運びこんでいる。他の仲間たちの姿はない。

 ここは“アジト”。
 それ以外のことを貴子は知らない。

 オークション終了後、精臭漂うステージをみなで片づけている最中に、貴子のところに千尋がやってきた。
「お疲れさん。ちょいとその椅子に座ってや」
 それから言うとおりにした貴子の額に手をあて、リ……ィン……と例の鈴を鳴らした。
 途端に体が溶けてゆくような心地になり、すっと深いところに落ちこんで、何もわからなくなった。
 そして気がついたらここに移動していたのだ。
 よくあることなので貴子は少しも動じない。千尋の魔法はすごいのだ。


 つくりから見て恐らくマンションの一フロア。防音がしっかりしており、少々叫んだぐらいでは声が洩れることはなさそうだ。
 窓には厚手のカーテン。外を見ればどのあたりか大体わかるのだろうが、できない。そのカーテンは決して触れられないもの。壁と同じ。壁をめくることなんてできるわけがない。大体、ここがどこかなんて知る必要のないことだ。
 三LDK。どの部屋にもほとんどものがなく、がらんとしている。監禁した人間に逃げられないよう、武器になりそうなものを取り除いてある。着替えや食事その他必要なものはその時々に応じて持ちこむ。玄関脇にはスポーツバッグがいくつも転がっていた。


 万里江をリビングの奥、ベッドしかない洋間に連れこんだ。
 人間には戻っているものの、まだ魔法のとりこにされたまま。
 千尋に言われ、万里江はうつろな目のまま、着ていた服を全部脱ぎ捨てた。うらやましくなるようなきれいな形の乳房。乳首は少し上向きだ。アンダーヘアがしっかり手入れされている。見せる相手がいるらしい。
 スタイルがいいだけに、脇腹の痣が余計に痛々しかった。

 ベッドに腰かけた万里江に、千尋は太い鎖を取り出してみせた。
「さあ、これはあんたへのプレゼントや。これをつけるのがとってもうれしい。うれしい。こんなきれいなものつけられて、うれしゅうてたまらへん。……」
 全裸の万里江は笑顔で拘束具を受け取った。自分の手で、両脚を肩幅ほどの長さの鎖でつなぐ。それから手錠をはめてもらうために両手を伸ばした。輪っかが手首にくいこむと嬉しそうに目を輝かせた。
「さ、目ぇ閉じぃ。
 ええか、あんたはこの貴子はんの妹や。貴子はんはとってもやさしい“おねえちゃん”や。貴子はんの言うことは何でもきかなあかん。おねえちゃんは時々厳しいこと言うかもしれへんけど、それは全部、あんたのためを思ってのことなんや。だから、おねえちゃんを信じて、言うことをきくんやで。あんたはとってもええ子やから、言うとおりにできる。おねえちゃんの言うことは素直に聞ける。ええな。……」
 千尋は鈴を鳴らし、手の平を万里江の目の前に、上から下へすっと振り下ろした。
「さ、眠りぃ。ほら、頭ん中が真っ白になって、眠る、眠る、眠る………………何も聞こえず、何も考えず、ふか〜ぁく眠る…………」
 万里江のまぶたが落ち、裸の体が後ろに傾いた。ベッドのスプリングがきしんだ。乳房が揺れる。手錠のはまった腕は腹の上。ちょうど秘所を隠すようなかたち。
 もう寝息をたてている。

「よし」
 千尋は額の汗をぬぐった。らしくない。妙に緊張しているようだった。
「“発動”せえへんか心配しとったけど、何とかなりそうやな」
「発動って……何のこと?」
「こいつ、人間ちゃうんやで。吸血鬼のしもべや。頭ん中に色んな爆弾しかけられとる。下手に触れたらドカン!や。……」
 吸血鬼。思いつくのは一人しかいない。音楽の先生、氷上麻鬼。
 氷上先生には絶対に気を許すな、二人きりになるなと“同志”たちは厳しく警告されている。どうしてなのかはわからないが、千尋の言うことだからその通りにしてきた。これもその一端のようだ。

 万里江の服を手に持ってリビングに戻り、裁ちバサミで全部ずたずたに切り裂いた。これで万が一魔法が解けても逃げにくくなる。

 ハサミを使っていると、ソファに身を投げ出した千尋が言ってきた。
「あいつの“解剖”は明日やる。結局悠華は来んかったし、あのでかぶつには逃げられるし…………やばい気配はしとるんやけど、さすがにこれ以上は無理や。疲れたわ。すまんけど、もうちょいお願いな。頼れんのはあんただけや。打ち上げにも出られへんし、今日は裏方ばっかやし、ほんっと〜〜にすまんと思っとる。この通りや。後で必ず埋め合わせするさかい、今晩だけ、なんとか頑張ってくれへんか」
「ええ…………まあ、仕方ないわよね…………」
「仕方ない、やないで。ほれ、ここに座って、目ぇつぶりぃ」
 リ……ィン……。
「あんたは責任感があって、強くて、完璧に自分の役割を果たすことができる。うちはあんたを誰よりも信じとる。せやからあんたは必ずうちの信頼に応えることができる。ええな」
 その通りだ。私にしかこの役目はできない。必ず果たしてみせる。
 目を開けた貴子はすっかりやる気になっていた。
「ないとは思うけど、万が一火事とかそーゆうこと起きたら困るんで、これ、預けとくで。判断はあんたにまかせる。信じとるからな」
 万里江の拘束具を外す鍵を渡される。信頼の証。強くうなずいてジーンズのポケットにしまった。



「それから…………あいつや」
 千尋は目で奥を示した。
 万里江のいる部屋の隣室。

「んふ………………んっ、ん…………」
 快楽に悶える少女の声。
 くぐもっている。口に何かをくわえ、その上で甘い悲鳴を上げている。

「す、すげぇ…………」
「やべえ、出ちまう……!」
「おい、次、俺の……頼む」
 数人の男がその周囲でうごめいている気配。
 汗と愛液の入り混じった淫靡な臭気がドア越しにしみ出してくる。

 万里江と同じくここに連れこまれてきた――――アヤ。

 オークションでアヤは、処女を奪われたばかりでなく、大勢に徹底的に犯された。しかも催眠暗示によってまったく嫌悪感を感じることはなかった。結果、初体験にしては強烈すぎる快感の嵐にさらされ…………心のたがが外れてしまった。
 シャワーを浴びさせてもまったく正気に戻らない。とろんとした目でしきりに腰を揺すり身をくねらせ、服を着せてもすぐにめくりあげて指を乳房やクリトリスに忍ばせて、男と見れば熱い吐息をついてしなだれかかる。
 千尋の暗示さえも受け付けないありさまで、やむなくここへ連れてきて“下僕”たちに相手させている。

「アヤやないで。男どもの方や。アヤにならなにさせてもかまわんけど、六人やから、さすがにあぶれる奴が出るかもしれん。そうなっても、万里江には手ぇ出させたらあかんで。嫌な目にあわせたら“発動”するかもしれんからな。気持ちええままにしとくんや。“妹”を守るのもあんたの役目。頼むで」
「はい」

 万里江。
 優しい“犬”、可愛い“妹”。
 守る。……必ず。



 それから少しして千尋は去った。

 残された貴子は、アヤと男たちのあげる声を延々と聞かされる羽目になった。いかにしっかりしたつくりであっても、完璧に部屋の音を遮断してはくれない。他に物音がしないので、かすかに洩れてくるだけでも相当大きく感じられる。しかも貴子の耳は鋭敏だった。

「あっ、だ、だめ…………」
 切羽詰まった男の声に、
「ああっ、待てよ、そんなとこで出すなぁ!」
 悲しそうにアヤが応じる。
「でも…………あっ……」
「あああ………………もったいねえ…………」
 ちゅばっ、じゅるっと、粘液を激しくすする音がする。
「まだ………………できるよな? ここ、こうすればいいのか? こうだよな…………あ、固くなってきた………………すごい……」
 甘ったるく媚びた声。
 まさかあの不良がこんな風になってしまうなんて。
 だが当然だとも思う。
 アヤが今どんな心境でいるのか、経験のある貴子には手に取るようにわかる。頭の中にあるのはもっとセックスしたいという思いだけ。射精が待ち遠しい。思い切り熱いものを出して欲しい。口に、膣内なかに。手や胸に出されると悲しくなる。膣に何も入っていないと体が空っぽになってしまったよう。入れてもらうためなら何でもする。肉襞をひらいておねだりし、どんな恥ずかしい言葉でも口にする。
 貴子は常に強く己を律し、誘惑を排して剣道一筋に生きてきた。その自分でさえそこまで堕ちた。まして自堕落な不良少女などひとたまりもないだろう。

 アヤの声が激しくなった。
「ん、ああっ! いい、そこ、それ、ああっ、そう、それ、もっと、もっとぉぉぉ!」
 男の荒い息づかいも聞こえてくる。獣のようだ。ベッドが激しく揺れている。参加できない男たちがそれを囲んでいる。血走った目の見つめる中で、アヤは貫かれ、よがり、悶え…………。
「いいっ、あんっ、これ、いい、いいっ! もっと、ああっ、もっとぉ!」
「どこがいいんだ? 言ってみろよ」
「お、おま○こ! おま○こいい! オレのおま○こ、お、お、おぉぉぉぉ………………!」
 卑語を口にして興奮したか、アヤの声が一気に高くなっていって、ぱたりと途絶えた。
「イッちまったぜ……」
「あの水南倉がなあ」
「やべえよ、おれ、辛抱できねえ」
「お…………大丈夫か?」
「………………」
 貴子の聴覚をもってしてもかすかにしか聞こえないつぶやき。
「だめ………………出しちゃ、だめ…………なかに………………オレの、なかに…………出して…………もっと………………」
「はは………………すげえ…………」
「ああ、そうしてやるよ」
「そら、しゃぶりな」
「じゃあ俺、こっちを…………」
 ぐちゅ、ぐちゅ。貴子にははっきり聞こえる。聞こえてくる。すでに先端からたっぷり透明な滴をしたたらせている男根を、とろんとなった目で見つめ、唇の間に飲みこんで、たっぷり唾液をまぶして舐めしゃぶる音。新たな男根を受け入れた秘所から、挿入のたびに精液と愛液の入り混じったものが粘着音をたててあふれてくる音。
 再び、肉と肉のぶつかりあう響き、くぐもったよがり声、前にもまして濃厚な性臭が貴子を包みこんだ。

 貴子の脳裡はアヤと男たちのセックスの光景に埋めつくされる。
 聞いているうちに危険な熱が熾火のようにじわじわと全身を焼いてゆく。飢餓感がこみあげる。
 ほしい。自分も同じようにしてほしい。

 だが――――これはアヤの声だ。
“あの”アヤの。
 憎たらしい下級生の行為で興奮してしまうなんて、自分が許せない。

 許せないのに、体はますます熱くなり、切ない気分は強まるばかり。
 竹刀を握る手の甲に筋が浮いた。関節が鳴った。体中が強張っている。

 空いている手が胸に近づいていった。呼吸は危険なほどに速い。さわりたい。スカートだったらすぐに手をさしこんでいただろう。ジーンズだからそうはできない。ならせめて乳首でも。
 駄目だ。歯をくいしばってとどめる。自分はこの場の責任者。何があっても冷静でなければならない。
 わかっている。この手、この指…………ブラジャーの下で熱く息づき、刺激を待ちかまえている乳房にこれが少しでも触れたら――――スイッチが入ってしまう。火がついてしまう。こらえられない。自分の理性は溶け崩れ、この場でジーンズを脱ぎ捨てて自慰にふけってしまう。
 だから、耐える。
 千尋が自分を信じてくれている。裏切ることはできない。
 それに――――ここで快楽に負けたら、アヤに負けたことになる。
 いやだ
 それはいやだ。アヤに負けるのだけは、絶対にいや。

 ……卑猥な言葉を言わせるのが好きな男がいるらしい。アヤが爆発的に叫びはじめた。
「ああっ、入ってる、オレのおま○こ、あっ、おっ、おま○こに、ち○ぽ、入って、あぁっ、ぐちゅぐちゅ、いってるぅぅっ!
 ……ああっ、いい、あっ、おま○こ、いい、オレの、濡れてる、ぐちょぐちょに濡れてる、いやらしいの、ま○こ汁、だらだら出してるっ!」
 男が耳元でささやいているのだろう、わずかな沈黙があって、さらに声は高く激しくなる。
「そ、そう、ああっ、おま○こ、ひくひくして、ち○ぽ、いっ、あっ、ああっ、く、くわえてる、ひくひく、ひ、ひくひくうっ!
 くぅっ、うっ、すごい、ああっ、これ、いい、こすれ、あっ、こすれてっ、おっ、奥まで、ああっ、奥まで、おく、あっ、奥、おま○こ、いい、きもちいい、いい、ぁあっ、いい、いひいぃぃぃっ!」

 声が耳に突き刺さってくる。ひとつひとつのよがり声が、貴子の脳髄をかき回し、欲望の中枢を刺激して、必死に張り巡らせている防壁を容赦なく叩き壊してゆく。

 アヤが感極まって泣きだした。
「きもちいい………………いいよ………………いい………………あ…………」
 しゃくりあげている。あの整った顔立ちは涙と色々な液体でぐしゃぐしゃになって、見られたものではなくなっているだろう。
 声はとぎれとぎれ。だがそれは落ちついてきたからではない。イク、イッちゃうとわめくのは、そういう言葉を口にすることで自分や相手を興奮させるためであって、つまりはまだ余裕があるということ。本当に気持ちよくなったら言葉なんて吹っ飛ぶ。せいぜいが獣みたいなわめき声。何もわからなくなる。自分も相手もなくなって、快感だけになる。
 アヤはそこまで達した。
 かつて貴子が体験した境地。
 その時の記憶が生々しくよみがえってくる。
 貴子の足が震えた。歯ががちがち鳴った。目が焦点を失い、虚空を泳いだ。
 左手が胸に近づいてゆく。右手も。激しくわななき、竹刀が滑り落ちる。
 その音で貴子は我にかえった。
 心臓が猛烈に脈を打っている。呼吸が苦しい。

「………………」
 立ち上がった。
 万里江の部屋へ。

 豆電球だけの薄暗い部屋。
 ベッドの上に、両脚をきちんとそろえ、手錠のかかった手を伸ばして万里江が横たわっている。

 安らかに眠るその傍らに立った。
 周囲で起きていることに何も気づかない無防備な裸体。乳房がゆるやかに上下している。

(……私が堕落したら、この子はあいつらに好き放題されてしまうんだ…………)
 守らなければ。
 決意を新たにし、燃えさかる情欲を押さえこむ。
 脇腹の痣が見れば見るほど痛々しかった。

「いたいのいたいの、とんでけ……」
 手をあて、つぶやいた。

「………………?」
 万里江が動いた。
 ちゃらっと鎖の硬い音。
 まぶたがうっすら持ち上がった。
 痛い所に触れられて、目を覚ましてしまったようだ。

「あれ……ここ…………あたし……?」
「……大丈夫?」
「…………柏木先輩…………だよね」

 身内相手にしか見せないだろう、寝起きの間抜けな顔だ。千尋の魔法が効いていて、貴子のことを“姉”と感じているから、何の警戒心もはたらかないようだ。

「あたし…………あれ?」
 万里江は自分の体を見た。
「あれ、ハダカ…………なんで?」
 手足の鎖を示し、
「これ…………なに?」
「……あなたに必要なものよ」
「ふうん」
 万里江は腕を広げようとして手錠を鳴らし、寝転がったまま足を持ちあげてそちらもがしゃがしゃやった。それで納得したらしく、動きをやめた。
「ここ、どこ?」
「あなたのお家よ」
「…………だっけか」
「そうよ」
「そっか」
 少し強めに言うと万里江は納得した。自分が全裸であることも同じように受け入れた。

 一方で、またアヤが甘やかな悲鳴をあげはじめていた。激しくはないが、より相手に媚びて、べたべたとまとわりついているようだ。
 じっくり聞くまでもなく、すぐにセックスしているとわかる。

「やだ…………なにしてんのさ、隣…………!」
「あんまり気にしないで」
「でも……えっちだよ。こんなの聞かされてたら、ヘンな気分になっちゃうよ…………やだあ……」
 万里江は恥ずかしげに身をよじった。

 と、突然。

「え…………!?」

 万里江がバネ仕掛けの人形みたいに飛び起きた。

 壁越しに隣室の情景が見えているとでもいうように、食い入るように目をこらす。

 声が聞こえる。
『ん………………ふぅん、はぁ………………ダメだぞ、まだ、出しちゃ…………このち○ぽ、オレのもんだ、オレの中で出すまで、一滴も洩らすんじゃねえぞ………………全部、オレが飲む……飲んでやる…………ほら、入れろ…………』
「この声……………………え…………??」
 薄暗い中でも万里江の血の気が引いてゆくのがわかった。すべらかな肌は蝋細工のように青白く変わった。

アヤ!?」

 ものすごい勢いでベッドから飛び出した。足の鎖がびんと張る。頭から転んだ。鼻血。かまわず這いずって壁にゆく。爪を立てる。起き上がる。
 両手で壁を叩き、猛然と叫んだ。
「アヤ! アヤだろ、そこにいるの! あんた、なにしてんだよ! なんでそんなとこで、そんなことしてるんだ! あたしだ、万里江! アヤ! 聞こえるだろ、アヤ! 水南倉綾乃!

 ようやく貴子は反応できた。
「や………………やめなさい!」
 万里江は聞きもしない。

「どうした! 友だちの声がわからないってんじゃないだろ! 聞いてんだろ、アヤ! 万里江だよ! あんたに何があって、どうしちまったのか知らないけどな、何があってもあたしはあんたの友だちだよ! おぼえとけ! あたしはあきらめが悪いんだ! わかったか! 聞こえてんなら返事しろ! アヤ!」

(友だち…………)
 貴子は刃物で刺されたようなショックをおぼえた。
 万里江は身をひるがえした。ドアに向かう。
 立ちふさがる貴子に怒鳴る。
「どいて!」
「ダメよ!」
「どけ!」
「私の言うことがきけないの?」
「知るか! どけったらどけ! この鎖、邪魔だ! 外せ!」
 火の出るような目つきで詰め寄ってくる。

 耳の奥に雨の音が聞こえてきた。
 手を舐めて慰めてくれた万里江。
 あの時の安らぎが、男たちから守ってやろうという決意が、一人っ子の貴子が妹とはこういうものかと思った暖かい気持ちが、ことごとく崩れてゆく。

 万里江は“あいつ”の友人。
“姉”の自分よりもあいつの方を大事に思っている。
 千尋の魔法を打ち破るほどに。


(こいつもか)
 貴子の目がすっと細まった。


「どけ!」
 とうとう万里江はつかみかかってきた。

 貴子にはその動きがスローモーションのように見えた。隙だらけ。剣道部員だったら素振り千回からやり直しだ。歯をむき出して笑う。
 左手で突き飛ばす。鍛えている上に体の有効な動かし方を知っている貴子は、並の男子以上の力を出せる。足を鎖で封じられて踏ん張りのきかない万里江は簡単に押し戻された。転ばなかったのは大したもの。でも、それだけ。
 間合いが空いた。右手だけで竹刀を振るう。万里江のこめかみを叩いた。それほど強くないが、加撃される恐怖に万里江の体は硬直した。本能的に頭を守ろうと両手を上げる。腹ががら空き。
 竹刀を両手で握り、思いきりみぞおちに突きこんだ。
 万里江は二つに折れ、床の上でのたうち回った。顔色がみるみる紫色に変わってゆく。息ができなくなったようだ。
 蹴飛ばし、転がす。
 ぜひっ、ぜひっと異音を吐き、なんとか呼吸だけは取り戻した。
 その手をつかみ、引きずり上げて、ベッドに放り出す。スプリングがきしむ。
「ぐ…………う…………」
 シーツに顔を埋めて苦悶する万里江に、
「余計な真似はするな。今度騒いだらこんなもんじゃすまさない」
 自分のものとも思えないほどに冷酷な声を投げつけた。腕の一本でもへし折っておこうか。そんなことさえ考えた。

 部屋を出る。リビング側から鍵をかけられるようになっている。音高くかけて、ソファーに身を沈めた。

 竹刀を目の前に立てた。震えている。もっと殴りたかった。あの白い素肌にもっとみみず腫れを刻んでやりたかった。これまで感じたことがないほどに強い暴力衝動。

「あーーーっ!!」
 一度だけ、叫んだ。
 それで何とかガスを抜く。
 深呼吸。落ちつこう。万里江に余計な危害を加えてはならない。あれで十分だ。これでもう万里江は大声をあげる気にはならないだろう。



 気がつくと、しんとなっていた。

 アヤの部屋。
 物音が途絶えている。

 …………ドアが開いた。
 色がついて見えるほどの淫臭。
 その中から、白い影が姿を見せた。
 素晴らしい曲線美を描く肢体、長い髪。
 ――――アヤ。

 もちろん全裸。切れ長の目は泥酔したように垂れ下がっており、口元はだらしなく半開き。
 見事に盛り上がる乳房、信じられないほどに細いウェスト、充実の腰回り、長い脚。そのいたる所に異臭を放つ白濁液がこびりついている。隠そうともしない秘所からは大量の白い粘滴が、太腿はおろか膝のあたりまで流れ落ちていた。
「………………」
 呆然となる貴子と目を合わせ、しまりなく笑う。
「へへ…………腰、抜けちまった…………。
 シャワー借りるぜ………………」
 壁にすがり、かくかくする足を引きずりながら浴室へ消えてゆく。

「待てよ、コラァ!」
 全裸の男が二人、部屋から出てきた。その股間には男根が隆々と逆立っている。凶悪な表情、足音も荒く浴室へ。顔を見合わせ、押し入る。
 わずかな打撃音。重いものがぶつかる音。男が転がり出てきた。もう一人。積み重なって動かなくなる。
「レディの入浴中だ、遠慮しろよ」
 白い足だけがひらひらとのぞいた。蹴り飛ばしたようだ。
 シャワーの水音がしはじめた。

 別の男がおずおずとリビングに出てきた。トランクスをはいている。
「あねさん…………」
 貴子は“下僕”たちにはそう呼ばれている。
「どういうこと…………?」
 頭のどこかが麻痺し、感情がはたらかないまま貴子は訊ねた。
 万里江の“呼びかけ”に気がつくと、アヤがぴたりと動きを止めたのだそうだ。
『…………今、何時だ?』
 時刻を聞くと、それまで上になっていた男を押しのけ、ふらふらと部屋から出て行ったとのこと。
「……なんだよ……」
「どうしろってんだ、これ……」
「おさまんねえぜ」
 残された男たちのうち、延々と射精をこらえていた二人が憤然とアヤを追いかけた……ということらしい。

 倒れたままの二人をリビングに連れ戻し、ソファーに寝かせる。
 トランクス姿の残りの男たちもぞろぞろ出てきた。
 リビングに獣臭が満ちる。今の今まで欲望全開で女体に群がっていたのだから当然だ。

「ふざけやがって……」
 蹴倒された男が呻いた。
「やるだけやったらポイかよ……」
「クソ女……」
 他の男も同調した。
 危険な気配がみなぎってくる。

 貴子は壁を背にする位置に下がった。この男たちは貴子のことを“上司”と思っているはずだが、これではどうなるかわからない。

 浴室の水音が止まった。
 アヤが出てきた。軽く体を流しただけのようだ。
「ふう、さっぱりした」
「………………」
 悠然とリビングに戻ってきたアヤに、男たちは殺気まじりの視線を向けた。

 が、どの目もすぐに桃色の紗幕をかぶせられたようになった。

 アヤはバスタオル一枚きり。それも体に巻いているわけではなく、手に持ち、濡れた髪を拭くのに使っており、湯気を上げる珠肌のほとんどを堂々さらしていた。
 見事に盛り上がる乳房の頂点にはまだ興奮さめやらぬ風に色づいた乳首が少し上向きに突き出し、非の打ち所のないラインを描く長い脚の付け根には濡れた陰毛が張りついて細長い逆三角形を形づくっている。
 その肌。
 女性の貴子ですら目を奪われた。いいセックスをすると女性の肌つやが変わるというのは聞いたことがあるが――――それにしても何という艶やかさだろう。指で触れればずぶずぶとめりこんでしまいそうな柔らかさと、ぷるんとはじき返す弾力性とを合わせ持った極上の雪膚せっぷ。それが湯を浴びてたっぷりと血の気をのぼせ、たまらない官能の芳香を立ちのぼらせている。
 さらに――――心身ともに満足して、子供のように屈託ない微笑みを浮かべているその美貌。
 アヤが美人であることはよくわかっていたにしても、猫背にし、いつも目に危険な光を宿して荒れ狂う不良少女の姿しか知らなかったであろう男たちは、年頃の少女にふさわしいあでやかな、完全に心を許した相手にしか見せない親しげな表情を向けられ、残らず魂を抜かれたような顔になった。先ほど蹴り飛ばされた男ですらぽかんと口を開けた。

 場の変化にはまったく気づいた様子もなく、アヤは肩をすくめて言う。
「すまねえな。ちょいと用事を思いだしちまった。どうしても行かなきゃならねえ所があってな。あんたらはもうすませたんだろ?」

「…………な…………なんのこと?」
 貴子はようやく声をしぼりだした。
 またしても見とれてしまった。
 悔しい。顔を血まみれになるまでかきむしりたい。
 せめてもの意地で、動揺をおもてに出すまいとした。

「ありゃ? してねえのか?」
「何を」
「プレゼントだよ」
「誰に」
「千尋だよ、決まってるだろ」
「千尋…………?」
「今日、あいつの誕生日だぜ。知らなかったのか?」
「え」
「ありゃ。はあ、友だち甲斐のないこって」
 アヤは外国人のように手の平を広げて呆れてみせた。

 貴子の全身が灼熱した。
 つい最近“仲間”になったばかりのやつに、なんでこんなことを言われなければならない…………?

 これまた貴子の内面になどまったく気がついた様子もなく、アヤは髪を拭いていたバスタオルをばっと広げて背中にかけ、元の部屋に入っていった。

 服を身につけて出てくる。黒いカットソーのシャツに膝下でカットしたジーンズ。髪がぼさぼさなのがかえって野性的な印象を強めている。
「さてと………………出かける……っつっても、ここどこか、オレ知らないんだよな。誰か、送ってくれ」
 勝手に男の一人の肩を叩き、
「よし、あんただ。頼むわ」
 それからにっこり笑ってみなを見回した。
「あんたらの、よかったぜ。あんがとな」
 上機嫌な視線は貴子にも向いた。
「センパイもこいつらにしてもらうといいよ。最高だぜ」
「な………………」
「んじゃ、みんな、また今度、時間のある時にたっぷり“して”くれよな」
 言うだけ言い放つと、アヤはあっという間に玄関から出て行ってしまった。黒い疾風のようで、誰もとどめることができなかった。



「………………………………」
 残された面々は間抜けな顔を見合わせた。
「おいおい……」
 誰かが声を上げたが、最初の激しい怒りはすでになかった。
「なんか…………白けちまった」
「水南倉ってああいう顔もするんだなあ」
「俺、シャワー」
「あ、次、俺な」

 すっかり毒気を抜かれた男たちの会話をよそに、貴子はひとり激烈な怒りに震えていた。
 オークションで売られ、快楽のるつぼに落としこまれた時、なすすべなく溺れた。剣道に打ちこんで心身を厳しく錬磨し、強靱な意志力をはぐくんできたはずのこの自分が。
 なのにアヤは同じところから、万里江の声というきっかけがあったとはいえ、あっさり抜け出してみせた。
 あってはならないことだった。
 それが目の前で起きた。
 ここまで徹底的に虚仮こけにされたことはない。
 貴子が得ていた男たちの賞賛を、イベントの主役の座を奪い取り。
 欲望を死にものぐるいにこらえている間、好き放題にペニスを、精液をむさぼり。
 それをしれっとして自慢し、あまつさえ貴子に、余り物でもくれてやるみたいに、して「もらえ」と…………。
 しかも、いつの間にやら千尋の誕生日を知っていて、知らない自分を非難するようなことまで言った。

 殺す。

 あいつはこの世にいてはならない。あいつがいるかぎり自分はみじめな姿をさらし続けなければならない。

 潰す。

 あいつのすべてを踏みにじり、絶望させ、存在を抹殺してやる。
 あいつに関係するあらゆるものを叩き壊してやる。

(………………)
 貴子はドアを見た。
 その向こうには、手足を鎖で封じられ、全裸で横たわっている少女がいる。
 アヤの友人。
 アヤのために、半狂乱になって貴子につかみかかってきた――――“姉”の自分の親切を、優しさを、ためらうことなく振り捨ててかえりみることのなかった…………万里江。
 アヤの同類。同じ穴のむじな。
 この場で壊せる唯一のもの。

 けれども、千尋の言いつけに逆らうわけにはいかない。貴子は万里江を守らなければならないのだ。

(いや……)
 違う。
 貴子の中に奇怪な論理が組み上がった。

 大丈夫。千尋に逆らうことにはならない。
 千尋が“イベント”で経験させてくれた通り、大勢の男に犯されるのはとても気持ちいいことなのだ。
 だから、万里江をこの連中に襲わせるのは、貴子が制止すべき“危害”ではない。気持ちよくなれるのだから、むしろ積極的に認めるべき。
 それに、アヤが、万里江の友人のアヤが言ったではないか。この男たちとのセックスは最高だと。それを知れば万里江だって文句は言わないはずだ。
 完璧。すべての点で問題なし。

「…………もう終わりにしちゃうの?」
 貴子はリビングの中央に進み出た。
 男たちの視線が自分に集まる。心地良い。
 先ほどアヤに蹴倒された二人を見下ろす。
 どちらも全裸。髪は金髪、いかにも短期で粗暴そうな面構えだが、服を着ていないというのは人間を萎縮させるもので、貴子の視線に困惑したように大柄な体を縮めた。
「ねえ……それ、我慢しちゃっていいの?」
 竹刀で股間を指す。
「あねさん……?」
「あんな中途半端にされて…………可哀想ね。本当は、思いっきり出したいんじゃないの? 女の子の顔に、口に、おっぱいに…………おま○こに」
 男は貴子の凝視に魅惑され、飲みこまれて、喉を鳴らした。
 隠している股間に竹刀を突っこむ。貴子にとって竹刀は手の延長のようなもの。半立ちのモノに触れ、微妙なタッチでなでてやる。
「ち、ちょっと、あねさん……」
「ふふ……」
 貴子はかがみこみ、相手の耳元に口を近づけた。
「したいんでしょ……? だって、ほら、もうこんなに……」
 ささやく。自分でも驚くくらいにいやらしい声が出る。手を首筋に這わせてやる。相手はぶるっと震えた。
 場がたちまち淫らな気配に満ちた。
 相手の目が貴子の体を這い回る。唇に、耳に、首筋に。胸に、脚に、腰に――――あそこに。貴子とセックスすることを想像して興奮している。貴子もぞくぞくした。
「あねさん…………俺…………俺も……」
 アヤに蹴倒されたもうひとりが哀れっぽい声を出した。股間はもう隆々となっている。
 他の男たちも、じわじわと貴子を囲む位置に移動してきた。

「慌てないで」
 貴子は竹刀を持ちあげ、万里江の部屋のドアを示した。

「あっちよ」

「え…………だけど…………」
 男たちがためらうので、ドアを開けてやる。
 両手両脚を鎖に封じられた、裸の少女が男たちの目にさらされた。
 薄暗い中に、丁度真白いお尻をこちらに向けていた。
 肢体の美しさではアヤに劣るかもしれない。しかし拘束され、一切の自由を失っているその姿は、見た目とは別な次元で男の獣欲をかきたてる。
 誰かが喉を鳴らした。
「あの子、思いきり犯してあげて。腰が抜けて正気もなくなっちゃうくらいに、前も後ろも、徹底的にね」
 これは万里江への親切心だ。サービスだ。好意に基づくものなのだ。
 だから自然と笑顔が浮かぶ。いいことをしてやるのだから心が弾む。
 男たちは顔を見合わせ、うなずくと、部屋に入っていった。

 一人、残る。
 熱っぽい目で、ブリーフの前をふくらませ、貴子の前にひざまずいた。
「あねさん…………俺……俺――――あねさんが…………あねさんに、その…………前から、俺、あねさんのこと………………」
「あら」
 熱い視線に気づいていないわけではなかった。確か、自分と同い年だったはずだ。少し頭が軽いところはあるが、明るい性分で、結構気に入っていた。
 別の時にこう言ってくれていれば、悪いようにはしなかっただろう。
 でも今は……ダメ。
 アヤにあんなことを言われた後では、たとえほんのわずかでも男に心を動かすわけにはいかない。そんな真似をしたら、今度こそ腹をかっさばくしかなくなってしまう。
 相手のあごに手をやった。少しヒゲが伸びている。指先で感触を楽しむ。相手のおののきが伝わってくる。どきどきしている。私と同じ。こうしてみると男も結構可愛いものだ。
「ありがとう。うれしいわ。だけどね…………今あなたがするべきことは、そのたくましいち○ぽを、あの子のま○こに思いっきり突っこんであげることなのよ。わかるわね?」
 男の眼をのぞきこんだ。
 瞳孔が収縮する。おびえたのだ。化け物を見るみたいな目。どうしてだろう、怖い顔なんてしていないのに。もしどうしてもって飛びついてきたらこの目玉をえぐり睾丸を握りつぶしてやろうくらいのことは考えていたけれど。そんな程度で怖がられても困る。自分がアヤにされたことに比べれば可愛いものではないか。
「あの子なら、いくらやってもいいのよ。できるわよね?」
「え…………」
「するのよ。いいわね?」
 可能な限り優しく微笑んでやった。男は何かに取り憑かれたような顔になって部屋に飛びこんでいった。

 これでいい。
 自分は任務を完璧に果たしている。
 自分は優しい先輩。可愛い後輩にひどいことなんてしない。
 常に人には慈愛をもって接している。


(あなたはわかってくれるわよね、本城さん?)


 万里江の絶叫を貴子はうっとりとして聞いた。



                  (十八)



 あたしは夢を見ている。とても悪い夢を。
 さっきまではそう思っていた。
 けれども、これは。
 この痛みは、夢なんかじゃない。
 夢より現実の方がよっぽど悲惨で、たちが悪い。
 竹刀で突かれた腹を押さえ、こみあげる吐き気と間歇的な横隔膜の痙攣に苦しみながら、その時まで本城万里江はそんなことを考えていた。



                     ※



 アヤの後を追い、武道場に連れこまれ、貴子、藤堂美夏らに打ちのめされて気絶した後、万里江はどことも知れぬ、ベッドしかないがらんとした暗い部屋で目を覚ました。
 別人のようになったアヤ、万里江を蹴り、殴り、そして武道場では私刑にあっている万里江に一瞥もくれることのなかったアヤ。
 嫌な記憶が渦を巻き、見知らぬ場所にいることもあって、混乱し、頭をかかえて悲鳴をあげた。
 そこへ。
「落ちつきぃや」
 甲高い声がかけられた。
 ベッド脇に人影がある。
 小学生のよう。髪を頭の両脇でくくって垂らしている。
 目の大きい、愛くるしい顔立ちの少女。
 知っている顔。これでも上級生だ。
 迫水千尋。
 アヤの――――“友だち”。
 どうしてここに。ここはどこか。アヤは。
 しかしそうした問いよりも先に、
「ほれ、よく聞くんや」
 リ……ィン……と鈴が鳴った。心地よい音色だったが、びくっとなった。
 額に手をあてられる。やわらかく、温かい。
「?」
「次に鳴ると体の力が抜ける。力が抜ける抜ける抜ける抜ける、すうっと全部抜けていくぅ…………ハイ!」
 リ……ィン……。
(あ……れ…………だるい…………)
 体が万里江の意志とは関係なくみるみる重くなってゆく。全身の張りが失われ、手足が痺れたように動かない。
 千尋は両手で万里江の頭を押さえ小さく揺さぶりながら、ものすごい早口を投げかけてきた。 「あんたの頭んなかはぐるぐる回ってる、回ってる、回ってる、回る回る回る回るぐぅるぐる回っても
うわけわからん、ぐるぐるぐるぐる、めちゃくちゃに回転して回転して、何もかもごっちゃになって、ごちゃごちゃして、何もまとまらんでわけわからんで、ほらぐるぐる、ぐるぐる回ってどうにかなってまいそうなんが…………」
 万里江が本当にわけがわからなくなってきたところで、いきなり間をおいて、
「止まる!」
 強く言った。  また早口で、
「止まる、止まる、止まる、止まる止まるハイ止まる、ぴたーっと止まって…………」
 猛烈に突き進むかというところで突然間延びした調子に変える。
「ぼーっとなって…………はい頭はもう止まったぁ…………眠ぅくなるぅ…………お疲れさま…………もう大丈夫…………もう何も考えなくていい…………楽にして…………」
 甲高かった声が低くなってゆき、ぞくぞくするような響きを帯びる。
 万里江はすっかり引きこまれ、手を離されても目を開かず、それどころか体が重くて上体を起こしているのが億劫でたまらなくなっていた。
「はいスーッと後ろに倒れる…………」
 額を押される。体が傾く。わずかな恐慌。体が固くなる。
 そこへ、
「すごい怖い目にあったね…………怖かったね……」
 そう言われた。
 途端に、武道場でのことが鮮明によみがえってきた。
 ぶたれたこと、囲まれたことも怖かった。でも何よりも――――わけがわからない行動をとっているアヤ、本気で竹刀を振るった藤堂先生…………自分を取り巻くものが不気味な影に侵食され、変質してゆくようなのが、怖くて怖くてたまらなかった。
「でも、もう大丈夫。あたしの声を聞いていると何にも怖いことはなくなってくる。穏やかな気持ちになって、楽になる…………楽になる…………」
 心の中で、何かが警報を鳴らした。
 怖いことだらけだったけど――――一番怖かったのは、アヤでも藤堂先生でもなく、この千尋と初めて向き合った時の…………あの瞬間に千尋から感じたものではなかったか?
 だが、直感が心身に影響を与えるより早く、耳元で鈴が鳴った。
 千尋の低い声、軽やかな鈴の音。心地よく耳に響くそれらが緊張をほぐしてゆく。万里江の恐怖を薄め、追い払う。
 この感じはよく知っている。とてもよく知っている。万里江の脳裡をサファイアブルーの光が埋めた。
「あなたはもうすっかりリラックスできた。だから、次に鈴が鳴ると、すうっと後ろに倒れて、すごくいい気持ちになる。楽しいことばかりになるよ…………」
 リ……ィン……。
 腰が溶けるような感じがした。体中の関節から力が抜ける。上体を支えられなくなり、首も重たくなって、肩が落ち、ひどい猫背のだらしない姿勢から、後ろに倒れ、手も足もばらばらに投げ出してぐったりとした。
「眠い…………とっても眠いよ……もうどうしようもなく眠たいね………………じゃあ寝ちゃおう。眠る、眠る、深く、ぐっすり眠る………………次に鈴が鳴ったらあなたは気持ちよ〜く眠ってしまう…………」
 千尋の声は遠くから聞こえてくるようだ。ふわりと全身を包みこむ。万里江の頭は千尋の声だけになる。
 リ……ィン……。



 そこから先は、ぼんやりとしか記憶がない。
 朝を迎えたことはおぼえている。知らない場所だったが、自分がそこにいることに何の疑問も抱かなかった。
 それから――――
 雨音。
 暗い楽屋にいる。頭には靄がかかったまま。自分の名前がわからない。何も思い出せない。いつからこうしていたかもわからない。
 ひとり、雨音だけを聞いている。
 いや、誰かいる。
 その相手に言われて、万里江は自分が犬であることを“思いだした”。
 犬が服を着ているのはおかしい。椅子に座っているのもおかしい。すぐに服を脱ぎ、正しい姿勢に戻った。
 声の主を見上げる。
 背の高い、髪の長い女の子。脚がとても長く、綺麗だ。
 喜びがこみあげてくる。涙が出そう。誰なのかわからないのに、この相手といることが嬉しくてたまらない。ちぎれんばかりに“尻尾”を振る。
 でも、警戒心もある。うかつに近づいてはいけない気がする。
『…………ほら、来い来い、来い』
 手を出された。優しい声だった。見上げる。澄んだ瞳が自分を見つめている。この目を見たかったのだとその時悟った。熱い想いが胸いっぱいに満ちた。
『よしよし』
 頭をなでられた。髪を指がくしけずる。細く長い指だ。あの指。相手の名前は出てこないけれども、その手、その指はこれ以上ないくらいはっきりと思い描ける。
 ポニーテールをつかまれ、引っ張られた。それも嬉しい。
 もう我慢できない。ごろんと転がり、腹を見せた。それ以外にこの喜びを表現する方法がなかった。
 相手はお腹をなでてくれた。
 気持ちいい。たまらなく気持ちいい。幸せだ。
『…………不思議だな』
 相手はつぶやいた。
 なんだろう、期待する気持ちがある。ある言葉を待ち望んでいる。懐かしいとか、思い出すとか、すまないとか、そういう意味の…………自分とこの相手を元通りつないでくれる一言。
 しかし。
『どうしてお前なんかと仲良くしてたんだろうな、オレ……』
 愕然と顔をあげた。
 相手は豹変していた。氷のような目をしていた。
(アヤ!)
 それまで靄の向こうにあった名前が、鋭利な槍の穂先のように飛び出してきた。
 叫んだ。
 けれども、口をついて出たのは、
「ワン!」
 ――――犬の吠え声でしかなかった。
 それでも必死に叫び続けた。身を起こし、相手の足に飛びついた。
(アヤ! アヤ! あたしだよ!)
 自分の名前はやっぱりわからない。だが構わない。ありったけの思いをこめてすがりつく。体が自然に動く。立ち上がり、抱きつく。
(お願い、元のアヤに戻ってよ! 仲良くしてよ!)
『うるせえ』
 衝撃がきた。
 膝が脇腹にめりこんでいた。
 くずおれるより速く、一歩引いた相手の蹴りが同じところに来た。
 肋骨がみしりといった。
 気がつくと床に倒れていた。
 相手の姿はない。
 脇腹がひどく痛む。
 しかしそれより心が痛い。苦しい。
「きゅん…………」
 かけられた暗示からは脱することはできず、いやむしろ心痛のあまりに“犬”のままでいて思考を停止する方を選択し、万里江は身を丸めて小さく鳴いた。



 そして――――この部屋へ。
 隣の部屋でセックスしている。
 壁越しに声が聞こえる。女の子が、信じられないくらいにエッチなこと、ヘンタイじみたことを半ば放心して口走っている。

(え…………)

 万里江は氷像と化した。
 周囲の一切が吹っ飛び、聴覚だけが残った。
 その声。
 その響き。
 聞き間違えるはずがない。

アヤ!?」

 叫んだ瞬間、頭にかかっていた靄が全部吹き飛んだ。
 ここは家ではない。
 そこにいるのは姉ではない。
 柏木貴子。うちの学校の剣道部主将。
 自分を叩きのめした相手。
 さっきまで、隣に迫水千尋がいた。
 自分は催眠術をかけられていた。変なものにされて、こんなところに閉じこめられていた。服も脱がされ、鎖をつけられ。
 ――――しかし、そんなことはどうでもよかった。
 頭を埋める思いはひとつだけ。
 どうして。
 なんで、ここに。
 なんで、男と。
 なんで、そんなに……そんな風に、悶えて!
 男嫌いだったはずなのに。
 そういう話さえもしようとしなかったのに。
 それが、それが…………!
 ベッドから飛び出し、壁に全身を叩きつけた。
「アヤ! アヤだろ、そこにいるの!」
 死にものぐるいで名を呼んだ。噴き出す思いを投げつけた。
 壁越しでは埒があかない。隣の部屋へ踏みこもうとして、貴子に止められた。押しのけようとしたら容赦なく打ちすえられた。
 さしもの万里江ももう一度くらう気にはなれなかった。ベッドで丸くなってうめく。そんな自分が情けなくなり、しかしやはり恐怖に身はすくんで声も出せず、泣くしかなかった。
 これは夢だと思いたかった。痛みを感じる夢だってある。アヤがおかしくなったところから今まで、すべてが夢だったらいい。そのはずだ。そうでなければならない。こんな悪夢、いやだ。早く醒めたい。醒めればなにひとつ変わっていない、アヤと自分が仲良しの、平和な日常があるはずだ。
 けれども、こんなに痛く苦しいのは、やっぱり夢なんかじゃない。

 そこへ――――男たちが入ってきた。

 悪夢より現実の方がよっぽどたちが悪いのだと、万里江は今一度心から理解した。



「なんだよ…………お前ら、なんだよ!」
 精一杯の虚勢を張った。
 しかし、全裸の上に手足を鎖につながれている今の姿では、必死の威嚇はかえって男の欲望をあおる効果しかなかった。
「本当に…………いいのかなあ?」
「いいだろ、あねさんがいいって言ったんだ」
「だよな」
「俺、結構こいつも好み」
「ポニーテールってのもそそるよな」
 手が伸びてきた。
「やめろーっ! やっ、こら、やめろ! ぶっ殺すぞ!」
 手錠のはまった腕を振り、鎖につながれた足をばたつかせる。どちらも悲しいほどに空しかった。すぐに押さえられ、腕は頭の上に、足は持ちあげられ、体重をかけられて――――おむつを替えられる赤ん坊のような姿勢にされた。男五人が相手ではどうしようもない。
 大事なところが丸見えだ。
「へへへ…………」
「きれいなもんだぜ、おい」
 指が来る。触れられる。総身に鳥肌が立つ。
 必死に抵抗した。猛獣みたいな声を出して暴れた。けれどもやはり男の力にはかなわない。鎖がなくても結果は同じだっただろう。

 恐ろしくて、悔しくて、気持ち悪くて、泣いた。
 肌に手が這い回る。胸を揉まれる。べたべたした唇が首筋に。強く吸われる。キスマークがついただろう。ざらつく顔が太腿にこすりつけられる。体中が汚される。望まない相手に無理矢理さわられるというのがどれほどおぞましいことなのか、男には決してわかるまい。
「じゃ、いちばん、いっくぜえ!」
 男が腰を近づけてきた。もがく。やはり動けない。五人、十本の手に押さえられて何ができようか。
 おぞましい指が肉襞に。
 開かれる。
「いやあああああ! やめてえ! やめて! やだあ!」
「へへ、すぐによくなるって…………う、きつい……くそっ、濡れてねえ…………」
「濡れさせようか?」
「そうだな、もうちょっと」
 乳首を舐められた。脇腹にも舌が来た。太い指が膣にねじこまれ、気遣いのかけらもない愛撫がクリトリスを襲った。
 どれもこれも、痛いか、気色悪いかでしかなかった。
「濡れねえな」
「濡らせよ、こら」
 膣の中で、指が折り曲げられた。激しくひっかかれる。
「やあっ………………痛い、いやあっ、や、やめてぇぇっ………………!!」
「お…………濡れてきたぜ」
 指の動きがスムーズになり、痛みが減った。異物に傷つけられないように、膣が防衛反応で腺液を分泌したのだ。
 それも悲しかった。いっそ膣壁が破れて血を出してくれた方がよかった。自分の体が情けない。これでは男に来てほしいと言ったようなものだ。

 来る…………。

「ぐ、あ、あ、ああ、あ…………」
 太くごつごつしたものが体に入りこんでくる。
「おら、よっ……………………そら、先っぽ、入ったぜ……」
 嫌悪感のあまりに吐きそうになった。
 ず、ずっと、こすれる音が、聞こえるはずのない音が耳に響く。醜悪なものはますます体の奥深くに埋めこまれてゆく。もう意地もプライドもあったものではない。泣き叫んで許しを請う。男たちはせせら笑うばかり。
「おら、わかるだろ…………お前のおま○こ、俺のを全部飲みこんだぜ………………へへへ…………すげえ、締めつけてる……実は感じてるんじゃねえのか?」
 動きだした。こすられるごとに、股間に杭を打ちこまれ、内臓を押し潰されるような衝撃をおぼえた。そのひとつひとつが万里江の心を砕き、大切なものを粉々にしていった。
「舐めろよ」
 口に別の男のペニスが突きつけられた。もう抵抗する気力もない。歯を割って入ってきたものを無感動にくわえた。
 股間のモノがふくらんできた。この感触は知っている。同じことでも恋人相手だと待ち遠しくてたまらないのに、これほどに違うものなのか。
“これ”はもう少しで万里江の膣に精液をぶちまける。数え切れないほどの白いおたまじゃくしが自分の体の中をはいずり回ることになる。
 これほどにおぞましいことがこの世にあるのか。

 ――――いやだ。

 いやだ。
 いやだ。
 いやだ。
 いやだ。
 いや…………。

「う、お、出すぜ……………………」

(いやあああああああああああああああああああああああ!!)

 熱いほとばしりを感じた瞬間――――



 万里江は青い光に包まれていた。


 限りなく澄んで深い、サファイアブルーの光だった。
 自分の体が自分のものではなくなった。何をされているかはわかる。けれどもそれは“自分”にではなく、本城万里江の形をしたマネキン人形に加えられている刺激としか感じない。万里江は傷つくことはない。
 思いだした。これは氷上先生が教えてくれた“護身術”だ。
 耐えられないくらいに嫌なことが起きるとこの“殻”に隠れることができる。この青い光をまとっていれば苦痛を感じないですむ。何があっても心乱れることなく、嫌な状況から逃れるためのあらゆる手段を肉体に取らせることができる。
 はたから見れば、完全に脱力し、放心してしまったようにしか見えない。
 その内部で、それまでの万里江とはまったく別な“もの”が猛烈に活動をはじめた。



                     ※



 万里江が――――堕ちた。
 あれほどに抵抗していたのが突然、
「ん……ふ…………あんっ…………あはぁっ…………」
 なまめかしい声を上げはじめた。
 はたから見ても驚くような変化だった。恐怖と嫌悪に縮こまっていたのが、タマゴが割れて中身がとろりと流れ出てきたように、ひどくなまめかしく、いやらしく裸体をくねらせるようになった。
「はは、こいつ、飛んじまったぜ」
 そういうことなのだろう。絶望し、心が砕けたに違いない。
「うわ、すげえ、締めつけてる、う、わ、わ…………っ!」
 二人目が射精する。口の中でも別なペニスが弾けた。飲めと言われると万里江は少しだけいやそうな顔をして喉を鳴らした。男にとってはたまらない表情。別のペニスが口に。万里江は舌を使いだした。最初おずおずと、だんだんと積極的に。
 万里江の体は横向きになる。突き出されたかたちの尻を次の男がかかえる。万里江は挿入されるとフェラチオを止めて声を上げた。
「……あぁっ…………ぃやっ………………あっ…………あっ……はんっ…………おにいちゃん、そこ、だめ、やああっ!」
(おにいちゃん?)
 貴子はわずかに引っかかった。
 セックスしている時に、相手をそんな風に呼ぶものだろうか。
 少なくとも貴子の経験ではそんなことはない。想像しても、そうは呼ばない。
 万里江には兄がいて、実はその兄と結ばれたいと…………いや、いくらなんでも安直にすぎる。
 錯乱し、幼児化したのかもしれない。それならわからないでもない。

 …………貴子は、万里江が恋人のことを“おにいちゃん”と呼んでいることは知らない。まして、この局面で万里江がそれを口にするというのがどれほど異常なことなのかも。
 一連の流れのはてに、千尋が最も恐れていた“発動”が起きているなどとは貴子は気づくよしもない。
 男たちもそれは同じ。万里江が尋常ではないよがり方を見せはじめたことに目を輝かすばかりで、いぶかしむ者など一人もいなかった。

「いいんだろ? ほら、言えよ。気持ちいいんだろ?」
「ん………………や…………やだっ………………」
「ここ、こんなにぐちょぐちょだぜ。聞こえるだろ、ほらよ…………」
「やっ…………やめて………………いやあ………………」
「どうだ? いいだろ?」
「いっ………………」
「聞こえないぞ」
「いい………………あんっ……いい、いいっ! 気持ちいいっ! いい、これ、気持ちいいっ!」
「ははっ、そうだ、いいだろ! どこがいいか言ってみろよ!」
「………………」
 男が腰の動きを激しくする。万里江は眉間に皺を寄せ、こみあげるものを懸命にこらえている。しかしすぐに我慢できなくなったように、猛然と声を上げた。
「おま○こ! おま○こよお! あたしのおま○こ、いいの、すごくいい! おま○こ、いい、すごい、太くて、固くて、あたしのなか、ごりごりこすってる、こすってるの、あう、すごい、すごいっ!」
 挿入している男はもちろん、周囲に群がる男もにやりとし、ペニスをさらに大きくした。
 万里江はそれからさらに激しくよがった。堰を切ったように卑猥な言葉をばらまき、ペニスを音をたててしゃぶり、腰を振りたくり、より強い刺激を、濃厚な愛撫をこいねがった。
 万里江の目が焦点を失った。叫ぶ口から泡を吹く。精液もこぼれる。白いよだれだ。
 ひときわ高い声を上げた。太腿や腹の筋肉がひくつく。オーガズム。足の指が開ききって震えた。それから一気に力が抜けて、だらんとなった。男はまだ満足できていない。さらに腰を使う。他の男も万里江の体をいじくる。万里江は少し休ませてと懇願するが、相手にされず、与えられる刺激にすぐにのたうちはじめ、たかぶり、すぐに次の頂点に達した。
「あ、あ、あ…………っ…………!」
 ぐったりとなった柔媚な体から男が離れる。肩で息をして、ごろんと床に転がった。硬度を失った男根はぬらぬらするものに覆われている。生々しい精臭を貴子はかいだ。いやらしい臭い。頭がくらくらする。
 うつ伏せになり、尻を高く掲げさせられた万里江にさらに別な男が挑みかかった。息も絶え絶えの万里江はシーツを鷲掴みにして断末魔の絶叫をあげた。
「あああっ、やめてぇぇっ! もう、もうだめ、おにいちゃん、あたし、だめ、こんなの、こんな、あああっ、これ以上されたら、あたし…………あたし、あ、ああ………………くふぅぅっ、ひいいいぃぃ!」
 万里江はあごをのけぞらせた。ポニーテールが背中を叩いた。がくりと首を折る。数回突かれるうちに首はまた持ち上がり、落ちる。左右に振られる。シーツに顔を埋めてうなり声をあげる。噛みついているようだ。
 ぐちょ、ぐちょとものすごい音がする。
「きもちいい、あああっ、いいっ、いいっ、きもちいい! あたし、おかしくなっちゃう…………おかしく、おお、お、おおぉぉ……」

 そうだ、おかしくなってしまえ。貴子はひっそりと笑った。
 ようやくすっきりする。
 これでいい。
 万里江も男に犯され、快感に溺れた。当然のことだ。万里江も自分と同じなのだ。
 高笑いしたいくらいにいい気分。万里江は喜んでくれている。あんなに悶え、よがって、幸せそうにペニスをくわえこんでいる。もっと悦ぶといい。もっともっと、狂ってしまうくらいに感じるといい。もう二度と戻ってこられないところまで飛んでいくのはとても幸せなこと。
 これで、次に万里江と会う時にアヤが見るのは、完全に壊れ、痴呆状態になって男をくわえこむ友人の姿だ。
 体が熱い。ひどく熱い。今日は暑い日だ。雨のせいで、蒸す。だからこんなに汗をかく。
「………………」
 気がつくとトイレに入っていた。
 もちろん尿意をおぼえたからだ。他に理由なんてない。あるわけがない。
 ズボンを下ろす。
 まるでおもらしでもしたみたいだった。ぐしょぐしょ。ショーツと膣の間に粘液の糸が伸びた。
 喉を鳴らした。
 ここなら誰にも見られない…………今なら誰にも気づかれない…………。
 酔っぱらったような顔つきになっている。
 目を潤ませ、左手を胸に持っていく。
「あ……………………は…………」
 数回揉んだだけでもう我慢できなくなった。シャツをめくり、じかに触った。指が乳首に触れると電流がはしり、小さくイッてしまった。
 足を開き、右手を割れ目にやった。今ので新しい蜜がとろりとあふれていた。
 大陰唇もクリトリスも充血してぷっくりふくらんでおり、お風呂で洗う時に見るのと全然違ったかたちになっている。別の生き物のよう。こんなになったところは初めて見た。ひどくエッチだ。男を、刺激を待ち望んでだらだらよだれを垂らしている。何ていやらしいんだろう。
 触れるとすぐに体に火がついた。
 中指で陰唇をなぞる。ぞくぞくとする。これだけでもう恍惚となる。たまらない。
「く…………っ!」
 声だけは何とかこらえた。一度叫んでしまったらとめどがなくなるのはわかっている。聞かれないとも限らない。
 けれども声を我慢しているとかえって快感は強くなった。
 シャツを裏返しにし、くわえた。
 左手で襞を開く。右手の中指で蜜をかき出す。指を忍びこませる。熱い襞がひくひくとしめつけてくる。自分の体ではないみたい。異様な興奮が貴子をとらえた。指を出し入れする。少しだけ曲げて、入り口の筋張ったあたりをこするのがいい。最近発見したやり方だ。
「ん……ふ…………ん…………ん、んっ!」
 すぐに背筋を熱いものがかけのぼっていった。
 がくりと首が後ろに折れた。ひどく荒い鼻息。その音にも興奮が高まる。
 膝をさらに開いた。便座に座るというより、またがるような格好。尻肉が左右に引っ張られ、秘所は全部さらけ出される。
 もぐりこんだ右手がさらに動いた。中指を膣内で動かしながら、親指をクリトリスへ。前より激しい快感。腰が浮き上がる。
 もうひとついじるところがある。人差し指で探った。膣とクリトリスの間。お尻の穴と同じくらいに恥ずかしいところ。汚い場所。これまで触れたことなどない。こんなのいけないと思いながらつつく。ぬるぬるする指先をねじこませる。これはヘンタイのすること。恥ずかしい。でも、そう思えば思うほど興奮してくる。ちょろっと、洩れる。強烈な禁忌感。慌ててこらえる。心臓が爆発しそうだ。膣が熱い蜜を吐いた。クリトリスがびりびりする。もう一回。
「――――――――!!」
 最大の波が来た。腰から脳天まで快感が貫いた。信じられないほどに強烈な絶頂。全身が制御を失って痙攣した。震えが指にも伝わった。人差し指がぐりぐりとその場所を刺激した。
 今度は止められなかった。
 熱い奔流が噴き出す。手を濡らし、じょぼじょぼと音をたててつたい落ちてゆく。
「は………………あ………………」
 貴子は恍惚と震えた。失神してしまいそうだった。自分がどこにいて何をしているのかわからなくなる。朦朧となりつつ、排泄の感覚を深く味わう。
 私はヘンタイだ。オナニーでおしっこを洩らし、それを手にかけている。汚い。恥ずかしい。こんなことをしたなんて知られたら死ぬしかない。そう自覚すればするほど恍惚感は深まってゆく。
 膀胱が空になった時には貴子の全身から力が失われていた。くわえていたシャツが口からこぼれおち、よだれが後を追った。便座の中の手もだらんとなって、青い洗浄水と自分が洩らしたものが混じったぬるい緑色の水たまりにしばらくのあいだ指をひたしていた。
 やがて放心状態から回復すると、ひどい自己嫌悪に陥った。
 トイレットペーパーひと巻きを丸ごと使って手と秘所を徹底的にぬぐう。
 腰が抜けていた。壁にすがってようやく立つ。水を流し、持ち込んでいた竹刀を杖にしてトイレを出る。
 電気は切ったが換気扇はそのまま。理性が戻ってきた今となっては、一刻も早く恥ずかしいにおいを外に吸い出してほしいと祈るばかりだ。
 洗面所であらためて手を洗った。持ち込んだスポーツバッグから石鹸と替えの下着を持ってくる。濡れたショーツはタオルに厳重にぐるぐる巻きにしてバッグの奥に押しこんだ。

 陵辱はまだ続いていた。
 万里江はほとんど白目をむいて、自分が何をしているのかもわからなくなった様子でペニスを頬張っている。太い剛直が尻肉の間に出入りしている。
 それを見た途端、うずいた。
 あんなに激しくイッたというのに、体は満足するどころか、今度は男根をよこせとさらに強欲に貴子を突き上げてきた。
 もう一回、したい……。
 けれども、男たちの幾人かが限界を迎え、万里江から離れて見物に回っている。ここでトイレに逆戻りしたら間違いなく気づかれる。
 竹刀を固く握りしめて耐える。
 貴子は食い入るように万里江と男の合体箇所を見つめ続けた。目が血走り呼吸もひどく荒くなっていることに、最後まで自分では気づかなかった。



 夜も更け、陵辱はようやくおしまいとなった。
 アヤ相手に奮闘し、それから今また万里江にとことんまでしぼり取られた男たちは、打ち止めになった順に部屋から疲労困憊の態でよろめき出てきて、眠りこんでしまった。シャワーを使いに行こうとして、腰を下ろしたところで動かなくなった男もいた。
 先ほど貴子に告白してくれた男が、ベッド脇に崩折れ、ごろんと転がっていびきをかきはじめた。股間のモノは可哀想なくらいにしなびはてている。それを見た貴子は、自分でうながしたことなのに、本来自分のものであったはずの精液が万里江に横取りされたように感じた。男二人にはさまれた格好でこれも眠りに落ちたらしい万里江の秘裂からは、たっぷり注ぎこまれた白濁液が時折音をたててこぼれ出している。満腹してこぼしたげっぷのようだった。
 悶々としたまま電気を消し、闇の中、玄関先に座りこみ、竹刀をかかえて目を閉じる。

 眠ろうとしたが、眠れない。
 シャワーでも浴びようか。
 そう思ったところで、暗がりの向こうから、ちゃりっとかすかな音がした。
 万里江だ。
 貴子は音をたてずに立ち上がった。
 鎖の音がゆっくり近づいてくる。手探りで歩いているようだ。
 廊下、すぐそこに来た。
「――――どうしたの?」
 いきなり呼びかけたのだが、あまり驚いた素振りは感じられなかった。逃げようとしたのではないらしい。
「…………トイレ」
 幼児のような、舌っ足らずな声が返ってきた。
「それならここよ」
 電気をつけてやる。
 アヤ同様、ひどい姿だった。
 顔といいポニーテールのほどけた髪といい、いたる所が精液まみれ。股からは愛液まじりで粘性の高い白いしずくが流れ出し、太腿はおろか膝下、ふくらはぎまで達していた。
 口はだらしなく半開き。一切の尊厳を失った、意志の感じられない呆けた表情をしている。
 警戒のためにトイレのドアを開けたままにしておいても気にした様子もなく、ぼんやりしたまま用を足した。
 アヤのことがあったので身構えて観察していたのだが、どうやら壊れたのは間違いなさそうだ。
 現金なもので、そうなると憐憫の情が湧いてきた。
「シャワー浴びなさい」
「?」
 首をかしげる万里江を浴室へ押しこんだ。
「ほら、きれいにするの」
 お湯を出し、シャワーヘッドを手に握らせてやる。
 それでも万里江はぼんやりしている。胸に湯を浴びて心地よさそうに微笑みはするものの、それきり動こうとしない。
「…………仕方ないわね」
 貴子は“先輩”の顔を取り戻した。一度リビング方面をうかがい、男が全員ぐっすり眠りこんでいるのをあらためて確認してから、服を脱ぐ。
「洗ってあげる。ほら、座りなさい」
 万里江を椅子にかけさせ、髪からはじめて、順々に体にこびりついた精液をぬぐってやった。
 もちろん用心はしている。万里江が襲いかかってきたとしても、素手で制圧できる自信はある。
 背中を流した。腕を。万里江はされるがままになっている。お人形みたい。アヤとは違う。微笑んだ。

「ん…………」
 腕を上げさせ、脇腹をぬぐってやると、万里江はくすぐったそうに身をよじった。
「こら、動かないの」
「あ…………んふ…………」
 感じている声だ。
 まだ心が戻ってきていない。
(乳首…………勃ってる…………)
 悪戯心を起こし、ちょっとつまんでやった。
 万里江は跳ねた。
 それから突然、
「!」
 両腕を股間にあてて身を引きつらせた。
「な…………あ…………ああ…………ひっ!」
「どうしたの?」
「や……やっ…………あっ…………は、入ってる……! あたしの中に、アレ、あ…………ち…………ち○ぽ、入ってるぅ!」
「…………」
「ヘンなのぉ…………ち○ぽ、ないのに、入ってるの、入って、ずぼずぼ、あたしのおま○こ、あんっ、ずぼずぼ、こすってるの…………止まらないの、止まらない…………助けて……!」
 そう、自分の時とまったく同じだ。いつまでも股間にモノが抜き差しされている感覚が消えない。そこからこみあげてくる快感に翻弄されて、いつまでたっても正気に戻れない。
「大丈夫よ、大丈夫。変なことでも、怖いことでもないわ。そうなるのが当たり前なの。気持ちいいんでしょう? だったら、その感じを、ずっと味わっていればいいのよ。ずっと…………ね」
 貴子は妖しく微笑んだ。
 これでいい。万里江はずっと快楽の虜であればいい。
 アヤみたいに、抜け出そうとするなら……
 背後から万里江の乳房に手をやった。
 今度は両方ともいじった。
 万里江は感電したみたいに激しく震え、声を上げて、イッたのか、ぐったりと貴子に身をもたせかけてきた。
 貴子にレズの趣味はない。悠華と体を合わせたことはあるが、あれはうずく体を静めようとしただけで、女の子相手に欲情したわけではない。オナニーの延長だ。
 けれども、こうやって万里江を自分の指で操ることは、性欲とは別な、危険な興奮を引き起こした。やみつきになりそうだ。

「あ………………くぅ………………」
 万里江はあえぎながらなおも腰を動かし続けた。表情はすっかりとろけ、乳首は硬くしこり立って、本当にペニスをくわえこんでいるようだ。
「んっ……んっ、んっ、ん…………」
 陶酔の様を見、揺れる体を支えているうちに、貴子もだんだんとおかしな気分になってきた。
 なまじ経験があるものだから、万里江の感じていることが生々しく実感されてくる。
 まして、貴子は飢えている。散々濃厚なセックスを見せつけられ、男根への激しい渇望が心の裡で燃えさかっている。
 腕の中には人肌があった。知らず、抱く腕に力をこめていた。貴子の胸は小振りだ。胸筋が発達しているので胸囲こそそれなりだがブラのカップでいえば少々物足りない。そのなだらかな双丘の頂きに突き出ている乳首を、万里江の背中にこすりつけた。
「あっ、はっ、はっ、あっ、あっ…………」
「ん…………」
 穏やかによがる万里江とリズムを合わせ、微妙に身をくねらせる。これはあまりよくないことだとわかってはいるが、じわじわと広がってくる快感をとどめることができない。あとちょっとだけ、あとちょっと、あとちょっと…………その繰り返しのうちに、貴子の脳髄は戻れない一線を踏み越える寸前までたかぶっていった。
(ああ、気持ちいい…………)

「…………センパイ……」
 いきなり、万里江が言った。
「ちん○ん…………ほしいでしょ……?」
「え…………?」

 半ば焦点を失っていた貴子の目を、振り向いた万里江の目がとらえた。
 甘くとろけていたはずが、まったく別人のような深い色をたたえていた。
 貴子は脳髄を射抜かれたような感覚をおぼえた。
 人の眼ではない…………一瞬、そんな風にすら感じた。

「センパイはち○ぽがほしい。とってもほしい。答えて。そうだね?」

 低い、重い声で問われた。
 その問いは異様な力をもって貴子をとらえた。
 我にかえるより先に、口が勝手に動いた。万里江の言葉が貴子の脳髄に入りこんできて、無理矢理答えを引きずり出していったかのようだった。

「ほ…………ほしいわ…………」

 つぶやいた途端に、公認された欲望が一気に心にあふれた。
 下腹が激しくうずきだす。

 胸が高鳴った。万里江が、キスか、愛撫か、とにかく自分に何かしてくると察した。レズ行為への嫌悪感よりも、期待が先に立つ。刺激をくれて、気持ちよくしてくれるなら同性相手でもかまわない。男とのセックスは千尋に禁じられている。でも女の子相手なら――――自分から手を出す気にはなれないけれど、相手から来てくれるなら…………これほどに火の点いた体はすぐに燃え上がり、拒むことはできないだろう…………。

 だが、万里江は想像とまったく違うことを言いだした。
「じゃあ、あげる。あたしの中に入ってるこのち○ぽ、センパイに入れてあげる」
「え」
「センパイ、そこに座ってください」
 浴槽の縁を示された。
 突拍子もない万里江の言葉に混乱し、貴子はつい言われたとおりに腰を下ろしてしまった。

 万里江はシャワーを止めて立ち上がり、手錠のはまった両手を股間にあてた。
「ん…………ん…………」
 腰を引き、そこに埋まっていたものを引き出すような動きをする。

「本城さん…………なにを…………?」
「ふふ…………魔法を見せてあげます……」
「魔法……ですって?」
「はい」
 万里江は濡れた髪を顔に張りつかせたまま笑う。

 股間の手を顔の前に持ってきた。
 左手で右拳を覆うかたち。
「あたしの中にあったおちん○ん、今、あたしの手に乗り移ってます」
「………………」
「よく見ていてください。あたしの指が、これからおちん○んに変わります」

 何を馬鹿なことを、と一蹴するにはあまりにも万里江の表情は真に迫っていた。貴子は息をのんだ。自覚はしていないが、今もっとも欲しいものである男根を示唆されて、期待する心の動きも大きかった。
 手錠のはまった万里江の手。右手の指をまとめ、左手で握っている。貴子は上目づかいで見つめる。
「さあ、見てください………………あたしの指、どろっと溶けて、くっついて、別のかたちに変わっていきます…………太くて、たくましくて、反り返った、すごいアレに…………」
 すごいアレ。
 これまでした中で一番興奮したフェラチオ、その時に目の前に来て、うっとりとくわえたペニスの記憶がよみがえってきた。
 貴子の唇にわずかに隙間が空いた。
「ほら……変わってきた…………見えますか…………もうすぐ、大きくなって、顔を出します…………よく見ていてください…………」
 万里江の手が動く。指を握り、“にぎにぎ”する。なんだかひどくいやらしい。ペニスを包みこむ膣の動きみたい。ひくひく痙攣して、入りこんできたち○ぽをより奥へ導こうとする、あの動き。
 もしかすると本当に指がペニスに変わるかもしれない。白い手の平の陰から、赤黒く張りつめ、エラの張ったすごいモノが出てくるかも。
 貴子は目をこらした。見たかった。ち○ぽだ。ち○ぽ。アソコがうずく。他のものなんていらない。ち○ぽ。欲しい。貴子は目だけになる。万里江の手、“それ”が出てくるであろう所をひたすらに見つめる。目の奥が痛くなるくらいに見入る。
「いいですか…………ほうら、もう少しで出てきます…………体の力が抜けます…………」
 さらっと言われた。肩が落ち、唇がゆるむ。貴子は気にもとめない。万里江の手以外のことは意識にのぼらない。
「ほら、出てきた…………出てきた」
 ちらっと赤いものがのぞいた。指の先端。しかし亀頭のようにも見えた。本当に指がペニスに? まさか! もっとよく見なければ…………!
「わかりますね。はい、目を閉じましょう。閉じてもずっと見えています。はっきりと見えます。はっきり見えます。聞こえるのは私の声だけです。あなたはもっと、もっと集中して、あっという間にすごく深いところに入っていきます」
 貴子の目は閉じられた。深いところに。万里江の言葉のまま、坂道を転がり落ちるように、心が深淵に落ちこんでゆく。それでも万里江の手は見えている。赤黒いものが手の平からのぞく。他のものはもう何もない。それしか見えない。
 あれ、と一瞬だけ思った。
 魔法だ。これは、千尋の魔法と同じ。
 どうして万里江が。
 疑問はしかし、目の前にあらわれた“もの”の魅力の前に霧消する。
 ペニスだ。
 万里江の手指が、本当に、ペニスになっている。怒張しきった、血管の浮いた肉の棒。女の蜜壺を貫き、よがらせるためだけに存在するもの。
 目の前に来る。貴子はたかぶりにとらわれる。ひな鳥みたいに口を開ける。唇に触れた。もう我慢できない。むしゃぶりついた。口の中いっぱいに熱い肉が。たちまち唾液があふれてくる。アソコと同じだ。濡れる。濡れて、あふれてゆく。舌を激しく動かす。くちゅ、くちゅ、ぐちゅ、ぬちゅ。いやらしい音が耳に響く。痺れる。頭が痺れて、何もわからなくなってくる。…………



「ふ、ん、んふ、む…………」
 喉でしきりにうめきながら貴子は口を動かしている。目は閉じたまま、開いた唇の間で舌がみだらにくねっている。両手が持ち上がり、顔の前にある何かを支え、揉みほぐすような動きをする。
 しかしそこには何もない。貴子がしゃぶっているのは、貴子にしか見えない幻のペニスだ。

 万里江は、普段の快活な彼女を知る者が見れば慄然となるであろう、妖しい微笑をたたえていた。
「そう、そうだよ…………気持ちいい…………上手だね…………ぼくのち○ぽ、もっと舐めて…………もっとよくして…………」
 男のように言う。
 貴子はさらにとろけた顔で、よだれをこぼしながら舌と手を使う。
「気持ちいい…………すごく感じる。感じちゃう。さあ、もう十分よくなった…………フェラチオはもういいよ…………これ以上されると出ちゃうから…………それを今度は下に、おま○こに入れてあげる…………」
「あ…………ああ…………」
 促されるままに、貴子は洗い場に横たわり、曲げた膝を手で押さえ、秘所を丸出しにする。すっきりしたボディラインに似合わぬ色濃いヘアーの間に、充血した襞が熱く息づいている。
「すごい、もうこんなに…………濡れてるよ…………ふふ」
「やっ、はやく、あっ、は、はやくぅぅっ!」
「ああ、すぐに…………」
 そこで万里江は悲しげな声を出した。
「駄目だ…………ぼくの手も、脚も、鎖でつながれていて、自由に動かせない…………これじゃあセンパイを抱いてあげられない。外したいよ…………どうしたら外せるのか、君は知っているね。もし教えてくれたら、君を最高の気分にしてあげられるのに…………これじゃ駄目だよ。残念だ…………」
「あ…………」
 目を閉じたままの貴子の眉間に皺が寄った。激しい葛藤にかられている様子。
 万里江はかがみこみ、濁った蜜をしきりに吐き出している貴子の秘所に手をやった。指先で陰毛をなでてやる。
「く…………あぁんっ!」
「簡単なこと…………なんでもないことだよ。ちょっと教えてくれるだけでいいんだ。そうしたら、思う存分犯してあげる…………この濡れ濡れのおま○こに、ち○ぽを、ずぶうぅぅぅっ……って突き刺して、かき回してあげるのに…………そうら、そうしてほしくてたまらなくなってくる。もう我慢できないよ。我慢できない……」
 貴子の顔がくしゃくしゃに歪んだ。言うとおりにして犯してもらいたい欲望と、万里江を解放するわけにはいかないという義務感が激突している。
 欲望が圧倒的に優勢だ。しかし義務感は柏木貴子という人間の根幹を成す重要なもの。こちらも引こうとしない。押し寄せる怒濤の前に立ちふさがり、粉々になるまで耐え抜こうとする。
 いや…………。
 貴子の心は逃げ道を見つけた。
(緊急事態…………)
 これはまさにそうだ。万里江を解放してもいい唯一の状況。
 どのような緊急事態なのかは考えもしない。義務感はすべてそこに殺到し、脱出していった。貴子の心は欲望が占領する。
「わ、私の…………ズボンの…………ポケット…………! 鍵、そこに…………はやく……!」
 万里江は素早く身をひるがえした。
 脱ぎ捨てられた貴子のジーンズ。尻ポケットから鍵を見つける。足の鎖を外し、浴室にとってかえして貴子の手に鍵を握らせた。
「外して。早く…………君を抱きたい…………早く犯してあげたいから…………」
 貴子は目を開けた。もはやそこに正気の光はない。震える指で鍵をつまみ、さしだされた手錠にさしこんだ。
 万里江は自由になった手首をなでた。
「ありがとう…………じゃあ目を閉じて…………」
 額をなでられると貴子はすぐに従った。息が荒い。腕を伸ばして万里江を抱きこもうとしてくる。
 万里江は逆らわず、貴子の上に覆いかぶさった。
「約束だね、思いっきりしてあげる…………でも、その前に、ひとつ素敵なことをしてあげる」
 貴子にキスをし、貴子が応ずるより先に離した。
「君の声を吸い取った…………これでもうセンパイは声を出せない。こうした方が気持ちよくなれるんだ……だから、どんなに気持ちよくなっても、声を出すことはできない。ほら…………」
 乳房をいじる。
 貴子は激しくのたうち、悲鳴をほとばしらせる形に口を開いたが、暗示の通り、声はまったくこぼれることがなかった。
「そう、それでいいんだよ。すごく感じるだろう。声を出さない方が感じる。
 それじゃ、いくよ…………」
 万里江は貴子の股間に腰を重ねた。 「ほうら、入っていくよ………………センパイのあそこ、もうこんなに濡れてる……熱いね…………熱い。ぐしょ濡れの、熱いおま○こに、ち○ぽが、ほら入ってく、ずぶ、ずぶ、入りこんでく…………」
「――――っ!!」
 貴子はあごをのけぞらせ、耳まで真っ赤にして悶えた。
「動くよ…………動いて、こするよ…………センパイのいやらしいおま○こ、めちゃくちゃにしちゃうよ…………」
 万里江が腰を動かすと、貴子はそれに合わせて体を波打たせた。万里江の股間に生えたペニスで犯されているように感じられていた。それがおかしいなどと考える理性はとっくに蒸発しきっている。これが欲しかったのだ。こんな風に貫かれたかった。待ち望んでいた通りの快感。たちまち絶頂へかけのぼってゆき、万里江を抱きしめ、腰もからめて、制御できない痙攣が全身を揺さぶるのにまかせた。
 捕らわれている万里江は、しごく冷静な表情のまま。少しのたかぶりも見せずに貴子の反応を観察している。
 骨が砕けそうな抱擁をじっと耐え、貴子が弛緩しはじめるのを見て取ると、すかさず暗示をささやいた。
「落ちていくよ…………落ちていく。どんどん、どんどん深いところへ落ちていく。頭の中、どろどろ、どろどろにとけて、何もかも流れ出して、真っ白、真っ白、もう何も考えられない………………。

 さあ、もうセンパイはあたしのものになった。センパイはあたしのことが大好き。あたしには何でも話せる。あたしの質問にはどんなことでも答えられる。答える時だけ声が出る。わかったら、はいと言って」
「……は……い……」
 うつろな顔で貴子は答える。
「じゃあ、質問。ここはどこ?」
「…………知らない…………」
「ありゃ。じゃあ……アヤ、水南倉綾乃。アヤがどうしてここにいたのか、エッチしてたのはなんでか、教えて」
「ちひろ…………千尋の魔法…………」
「魔法?」
「魔法…………人を自由に操ることができる…………なんでもできる…………あたしもかけられてる…………とても気持ちいいの…………」
「あいつか……そういうことか」
 万里江は険しくつぶやいた。
「…………じゃあ、アヤが今どこにいるのか……じゃない、どこへ行ったのか、わかる?」
「……きっと…………千尋の所……」
「どこ?」
 オークションの打ち上げパーティをしているクラブの場所を貴子は告げた。
「オッケー。じゃ、最後。あたしの服、どこ?」
「ない……全部、切った……。逃げられないように……」
「…………わかったよ。ありがと。じゃ、またしてあげる…………ほら、起きて、そこにつかまって…………」
 万里江は貴子を四つんばいにさせた。
 尻の割れ目に手を這わせ、催淫暗示を与える。
 すぐに貴子は悶えはじめ、腰をしきりにくねらせだした。
「また声が出なくなる。いいね。さ、入れてあげる…………たっぷり感じて、思う存分イッちゃって…………ほら、いくよ、ずん、ずん、入れて、抜いて、入れて、抜いて、こするよ、思いきりセンパイの中でこすれるよ……………………ずっとこのまま感じ続けることができる。ずっと、ずうっと感じ続けて、何回もイッて…………そう、五回、五回イッたところで、失神しちゃう。五回目にイク時に、センパイは失神しちゃう。失神しちゃったら、センパイはあたしのことを忘れてしまう。センパイはここで男の人たちとずっとエッチしてたの。エッチなパーティしてた。ここにあたしはいなかった。いいね。あたしのことを忘れる。忘れる。
 さあ、感じて…………」
「……………………!」
 たちまち頭をがくがく揺らし、強烈な快感に狂いはじめた貴子を尻目に、万里江は浴室を出て曇りガラスのドアを閉じた。
「…………しょうがないな」
 顔をしかめながら貴子のショーツに足を通した。ブラをつける。サイズが合わないが仕方がない。シャツとジーンズを身につけた。ジーンズの裾を折って長さを合わせる。
 素早く玄関へ。貴子の靴を履き、鍵を外し、外へ出た。



 重いドアを閉じると、開放感のあまりにめまいがした。
 外だ。
 自由だ。
 自分の体を抱く。
 風が強い。嵐だ。雨がざあざあ降っている。
 やっぱりここはマンションだ。郊外の高層マンションだろう。11階。エレベーターで下へ。

 起こったことはおぼえているが…………どれもこれも、本当に自分がしたことなのか、自信がない。
 青い光。
 男たちに襲われて、あれに包まれ――――
 今から思うと信じられないくらい冷静になって、考えた。この人数相手に抵抗はするだけ無駄。早く終わらせた方がいい。
 一般的に言って、よがり悶える女の姿は、無抵抗無反応よりもずっと男を興奮させる。ならばよがってみせて、早く射精させて、さっさと陵辱を終わらせた方が得策。
 ただ、よがるにしてもこんなクソ野郎ども相手になんて真っ平だった。無理矢理犯せば女が言うことをきくようになるなんて思うなよ、くそバカども。誰がお前らなんかで感じるもんか。
 そう思った途端、相手の姿が恋人の“おにいちゃん”に変わった。
“おにいちゃん”なら感じることができる。五人いるから快感も五倍。万里江は存分に愉しんだ。
 ――――その途中で、気づいた。
 柏木貴子。
 リビングから部屋の様子をうかがっている。
 飢えた眼をしていた。間違いなく、欲情していた。
 ここまでの経緯、男に手を出されていないあたりから判断して、彼女がこの場の責任者とみていいだろう。
 逃げ出すには彼女をどうにかしないとならない。
 あの飢えは利用できる。
 青い光の中で、万里江は作戦をたてた。
 まずは男たちを、知るかぎりのテクニックを使って徹底的に絞り上げ、空っぽにした。貴子を相手にさせないためだ。
 それから、呆けたふりをして貴子を油断させ――――一緒にお風呂に入ってくれたのはラッキーだった――――催眠術をかけた。
 やり方は自然と頭に浮かんできた。一定のリズムを保った刺激。リラックス。相手を一点に集中させ、暗示を受け入れやすいようにする。
 男根のイメージが効くだろうとは思っていたが、まさかあんなにはまるなんて思ってもみなかった。
 催眠術でなくても貴子を落とすことはできただろう。キスには自信がある。相手が男でも女でもメロメロにしてしまえる。
 でも、よがらせて、泣き叫ばせてしまって、他の男が目を覚ましてしまったら台無しだ。行為の間じゅうキスで口をふさぎ続けるわけにもいかない。
 その点、催眠術なら声を出させなくするのは簡単だ。
 拘束を外させ、情報を引き出すのも催眠術の方が好都合。催眠術でなかったら、鍵を探している間に貴子が我にかえってしまったかもしれなかった。そうなると万里江では太刀打ちできない。叩きのめされ、今度はもっときつく拘束されるのがオチだ。
(先生、ありがと!)
 氷上先生に心から感謝する。彼氏と楽しむのに使えるだろうということで、部活の仲間を練習台に、催眠術のかけ方を教わった。まったくの他人相手にかけたのはこれが初めてだったが、大成功。

 ロビーに出る。
 そういえば――――今はいつだろう。捕まってから何日たったのか。訊くのを忘れていた。
 家族も、先生も、“おにいちゃん”も、心配しているはずだ。
(連絡…………)
 万里江は頭をかかえた。服と一緒に、貴子の携帯と財布をいただいてくればよかった。傘だって持ってこなかった。冷静だったはずなのにこのざまだ。自分はよほどうかつな人間らしい。
 でも戻るわけにもいかない。それで捕まったら馬鹿すぎる。救いようがない。
(仕方ない………………行くか!)
 雨の中に走り出た。
 幸い、中心街まではそれほど遠くない。濡れたところで他人の服だ。
 向かうは、家ではなく、貴子から聞き出した店だった。
 アヤが気にかかる。
 家族に無事を知らせるよりも、氷上先生に連絡するよりも、そちらの方が優先した。
 アヤは千尋の催眠術に操られているのがはっきりした。
 それでこれまでのことの説明がつく。
 助けなければ。一刻も早く。
 思い立つとすぐに動かなければ気が済まないのが万里江だ。
 全身を風雨に濡らしながら、万里江は街灯連なる歩道をひたすらに突っ走っていった。



                  (十九)



 それからほどなく。
 万里江が走り出ていったマンションの駐車場に、一台のランドクルーザーが滑りこんできた。
 助手席から背の高い女性が姿を見せる。深夜だというのにサングラスをかけている。凄艶と言うより他にない超絶の美貌。
 運転席から出てきたのはそれよりさらに長身、狼男を思わせる風貌の巨漢だった。
 二人は無言でエレベーターに乗った。
 11階で、ルームプレートを目でたどりながら、とあるドアの前に立つ。
 巨漢がかがみこんだ。数本の針金と金属片をドアの鍵穴にさしこむ。慣れた手つきだ。

 ……数分経過。
「ちょっと、まだなの?」
「おかしいな…………感触が…………」
「もしかして」
 冷や汗をかく巨漢の頭越しに、サングラスの女性はドアノブに手をかけた。
「…………開いてたのね」
「鍵ぐらいかけておけ、餓鬼ども」
 舌打ちすると巨漢はするっと中へ入りこんだ。女性も続く。どちらもまるで物音をたてない。
 浴室から灯りが漏れている。壁を叩くような、引っ掻いているような物音がする。
 女性は巨漢に奥へ行くよう指で合図すると、浴室ドアを開けた。
「………………」
 全裸の柏木貴子が、浴槽の縁に片足を引っかけ、大股を開いてのたうっていた。
 凛々しさのかけらもない、涙とよだれまみれの顔の中、口がしきりに開閉して、さも快感のあまりに絶叫しているように動いてはいるのだが、そこからこぼれるのは今にも絶息してしまいそうなきれぎれの吐息ばかりだ。
「く………………はぁっ………………!」
 背中を弓なりに反らせ尻を浮かせ、後頭部と足だけで体を支えて猛烈に震える。それからどさっと床に落ち、手足を投げ出し、白目をむいて痙攣した。下半身から少し黄ばんだ液体が音をたてて噴き出し、湯気があがった。
 貴子以外は知らぬことだが、それがまさに五回目のオーガズムだった。

 リビングでは、巨漢が寝転がる男たちを片端から持参のロープで縛り上げていた。みな寝ぼけまなこで、自分が何をされているのかよくわかっていない。転がされているのに目をさまさない者もいる。
「どうだ」
「この子だけ」
 バスタオルを巻いた貴子をかかえて女性が出てくる。
「こっちにはいないぞ」
「おかしいわね」
「訊いてみるか」
 巨漢は効率よく尋問を行った。ふてくされた顔をしていた最初の少年は、肩の関節をはずされ、またはめられるのを二回やられて素直になった。

「みんなで本城さんを犯したわけね。…………確か、今日は安全日だったと思うけど…………可哀想に。
 それで、本城さんはどこに?」
「知らねえ…………そこで寝てたんだ、本当だよ! 嘘じゃねえ!」
「この様子だと、知っているのはその子だな」
「みたいね。…………柏木さん。起きて。柏木さん」
 頬を軽く叩かれて、貴子はうつろな目を開けた。
「あはぁ…………」
 まったく締まりのない笑みを浮かべる。
 それが瞬時に蒼白になった。
「ひっ…………氷上先生…………!!」
 逃げようとする貴子に、女性――――氷上麻鬼は馬乗りになった。
 サングラス越しに、凄まじい眼光が貴子を射抜く。
「手短に訊くけど、本城さんはどこ?」
「しっ…………知りません!」
「知らないわけないでしょう。じゃああなたはどうしてここにいるの? 落ちてたこの手錠はなに?」
 貴子の顔が崩れた。自分の評判も経歴も、ここまで培ってきたものが全部台無しになると知った、絶望の表情だった。
 涙目になり、しゃくりあげる。
「み、みんなで…………エッチ…………してました…………」
「へえ」
 麻鬼は男性陣を見やる。
「だそうだけど。そこの君、あなたの言ってたことと違うわね。どっちかが嘘ついてるってことになるけど…………とりあえず、あと二カ所ほど関節外してみましょうか」
「ちっ、違う、あねさん、違うだろ! 俺たち、あねさんにゃなんもしてねえ! 本当だ!」
 貴子はぼろぼろ泣くばかり。パニックに襲われ、普段の気丈さが吹っ飛んでしまっている。
「私…………退学ですか…………?」
 麻鬼の眉がわずかに角度を変えた。不甲斐ない、とでも言うような剣呑な表情。
「……埒があかないわね。やっぱり、心に訊くしかないみたい」
 麻鬼はサングラスを外した。
 場が蒼く凍りついた。



「…………参ったわね…………」
 情報を引き出すと、麻鬼は目を覆って天井を仰いだ。
「この場所つきとめるのにあんなに苦労したのに…………自力で脱出しちゃってるなんて」
「優秀な生徒を持って幸せだな」
「まったくよ。“殻”に閉じこもってるかと思ったのに…………あの子のことだから何かやるとは思ってたけど、まさかここまでするなんて予想外よ。まったくもう」
「どうする?」
「探すわよ、もちろん」
 サングラスをかけ直して麻鬼は言った。

 その傍らで、全裸の悠華がとろんとした顔で身をゆらめかせている。目は開いているが、彼女の心は空を飛んでいた。ふわり、ふわり、風に乗って漂う、彼女は雲だ。
「この子は連れて帰って“修理”するとして…………」
「壊すなよ」
「当たり前よ。うちの生徒よ、そんなわけないじゃない」
 しかしそう言う麻鬼はどこか浮き浮きして見える。
「蜘蛛につける薬はないな」
 蜂谷医師はあきらめたようにうそぶいた。

「……で、こいつらは」
 男性五人。拘束は解かれているが、みな深い催眠状態に導かれ、首を折り脱力している。

「下っ端だけど、許すわけにはいかないわね」
 例のものを、と麻鬼はうながした。蜂谷医師はポケットから色々な小物を取り出しテーブルに置く。ドライバー、金槌、栓抜き、ナイフ、灰皿。どこにでもあるような安い品物ばかり。
「指紋はつけてないでしょうね」
「当たり前だ」
「じゃ、やるわ」
 麻鬼は五人の男に暗示を与えた。
「目を開けて、踊っている人をよく見て」
 十の瞳が貴子の裸身を見つめる。
「きれいでしょう。とってもきれい。彼女はあなたの恋人。あなたのことが大好きで、あなたも彼女のことが大好き。いっつも最高のエッチをしてる。彼女のためなら何でもできる。……はい、目を閉じて、彼女のことをずっと考えていて」
 男たちは幸せそうな顔になった。
 その間にシャツを着せた貴子を連れ、蜂谷医師が出て行く。
「でも…………」
 麻鬼は切迫した口調に切り替えた。
「大変、彼女が、たちの悪い連中にさらわれちゃった! あなたは彼女を助けに相手のたまり場に乗りこんだわ。そしたら、ああ可哀想に、彼女はもうひどく犯されて、めっちゃめちゃ。こんなのってない。ひどい、ひどすぎる…………許せない。
 相手は沢山いるけれど、男として、ここは絶対に引けないわ。あなたは怒りの塊よ。何も怖くない、何も痛くない。自分以外の相手をKOするまで、あなたは止まることがない。
 さあ、私が手を叩いたら、あなたは怒りをぶつけることができる!恋人をめちゃくちゃにされた怒りを、その罪を相手に償わせてやるの!」
 言いながら麻鬼は玄関へ下がり、
「はい!」
 手を叩くなり身をひるがえして外へ逃れた。
 残された男たちはテーブルの上の凶器を振り回し、壮絶な乱闘を繰り広げた。



 激しい雨の中を疾走したランドクルーザーは、夜の街に飛びこんだ。
 貴子から聞き出したクラブの前に直づけし、最初からサングラスを外した麻鬼が駆けこんでゆく。
 …………店内は、つい先ほどまで大勢の人間がよからぬことを繰り広げていたらしい気配が濃厚に充満していたが、肝心の人間の姿はどこにも見当たらなかった。
 後始末をしている店員を捕まえ、瞬間的に深い催眠状態へ叩きこんで、訊いた。 「三十分ほど前…………女の子が駆けこんできて…………それでみんな大騒ぎになって…………解散ってことに…………」
「その子、どこへ行ったか、わからない?」
「さあ…………そこまでは…………」
「……わかったわ。じゃあ、はい、深あい所へ入っていく…………私がドアを閉めたら、あなたは私と会ったことを忘れて、これまでしていたことを続けるの。いいわね」
 車に戻った麻鬼は大きなため息をついた。
「ちょっと遅かったわ。参ったわね…………手がかりが途絶えちゃった」
「君の、例の“情報源”は使えないのか?」
「もちろん、これから連絡取ってみるけど、多分今頃はめちゃめちゃになってるでしょうから、難しいわね…………折角ここまで追いかけてきたのに、一からやり直しか…………気が滅入るわ。
 本城さんも、無茶してなきゃいいけど…………。
 出して」



                       ※



 親切なタクシー運転手さんだった。
 雨の中を走る万里江を見て、お金はいいから乗るように言ってくれたのだ。
 しかも、目当てのクラブを探す手伝いまでしてくれた。
 お礼に、降り際にキスしてあげた。してくれたことを思えばこのくらい当たり前だ。幸せそうな顔を見て、万里江もいい気分になった。
 頭を切り換え、覚悟を決めてクラブへ乗りこむ。

 なるたけ静かにドアを開けると――――
「………………………………」
 中では悪魔召還儀式サバトも同然の乱痴気騒ぎが繰り広げられていた。

 激しく明滅するライトの下、二十人を越す人数が激しく声を上げて絡みあっている。男もなく女もなく、一対一とも限らず、目の届く限りあらゆる場所で狂態を演じていた。みな裸ではあるが、全裸の者は少なく、下着や破れた上着など何かしら身につけているだけに、卑猥な雰囲気はより強い。
 むせかえるような臭い。精液、愛液の臭いばかりではなく、ワインやらシャンペンやらの甘ったるいお酒の匂いや、さらに甘い、どうしてこんなところでしてくるのかわからないけれどもバニラエッセンスや果物の…………ケーキみたいな匂いもあり、片やあまり認めたくないものではあるが、人間の大小の――排泄物のにおいも間違いなく漂っていた。
 誰も万里江に注意を向けない。それどころか、“仲間”と勘違いしているらしく、足をつかみ、しなだれかかってきて交歓に引きずりこもうとしてくる。

(やばいよ、ここ、やばい……)
 万里江は大急ぎで目当ての相手を捜した。
 アヤ。千尋。
 どちらもいない。
 誰か、まともに話ができそうなのはいないだろうか。
 よく見てみると、あちらこちらに知った顔がいた。学校で見たことがある、上級生たち。男に抱かれ、あるいは男を犯し、ワインの瓶を膣にねじこみ、どこか頭のネジが飛んでしまったようなめちゃめちゃな顔でよがり悶えている。
 体育教師、藤堂美夏。
 ――――最初、藤堂先生と気がつかなかった。
 上着の前をはだけ、下半身は丸裸、四つんばい、男の上になって、その後ろに別な男が腰を動かしていて、どうやら前と後ろを同時に責められているらしく、完全に忘我の表情、二目と見られぬ顔をして激しく声をあげていた。
 駄目だ。
 あの双子がいた。
 こちらも駄目そう。
 片方はソファーにいる。全裸、全身白い泥でも塗りつけたみたいになっていて、肌のいたる所に歯形がこびりついている。両手両脚を大きく広げ、すっかり正体をなくしている。広げられた股間に女の子が二人むしゃぶりついて、漏れ出てくるものを音をたててすすっていた。
 もう片方が、床の上にうつ伏せに大の字になっている。眠っているようだ。こちらも白泥まみれ、歯形だらけ。股間、お尻の穴から兎のフンみたいな黄色く丸っこいかたまりがこぼれ出てきて、思わず目をそむけた。
 それでも、この相手しか一人でいる人間がいない。
「ちょっと! ねえ、ちょっと! 起きて!」
 揺さぶると、糸みたいに細く目が開いた。
「アヤは? アヤ、知らない? ここに来たはずだけど、知ってるでしょ?」
「アヤ………………」
 相手はぼんやりつぶやいた。
「じゃあ、迫水…………千尋って人は?」
「ちーちゃん…………?」
 むにゃむにゃと口の中でつぶやき、それから。
「!」
 万里江が仰天するような勢いで飛び起きた。

「な…………これ、どういうこと…………!」
 お尻を押さえ、拳を握ってわなわな震える。
 万里江に目もくれず、片割れに飛びついて容赦なく頬に平手打ちをくらわした。
「起きろ! 葉月、起きろ! 色ボケしてる場合じゃない! こら、お前ら、どけ、邪魔だ! ほら、葉月、目ぇさませ!」
「あれ…………?」
 こちらも目に光が戻ってきて、きょとんとした。
 周囲を見回し、状況が理解されてくると、みるみる怒りの形相に変わる。
 双子同士、顔を見合わせ、計ったように同じタイミングで、
「「ふざけやがって!」」
 と、怒鳴った。
「どうすんだよ、これ…………!」
「後始末、あたしにしろってかよ!」
「やってられるか!」
「でも…………元に戻さないと」
「わかってるよ!」
「「それにしても、千尋の野郎!」」
 二人は自分の服を大急ぎで着こみ、二手に別れて皆に声をかけはじめた。
 すぐに、われにかえった女の子たちの悲鳴が上がり、服をあるいは裸身を隠せる場所を探して駆けずり回る姿が渦巻きはじめた。
 まさかこうなるとは思わなかった。万里江は慌てて双子の片方に追いすがった。
 テーブルに山盛りの札束をバッグにつめこんでいる。その山にも仰天したが、今はそれどころじゃない。
「ちょっと……アヤは! アヤ、ここに来たはずよ。どこに行ったか、知らない?」
「アヤ? …………ああ、あいつか。来たよ」
「どこ?」
「千尋の所」
「それ、どこ?」
 相手は万里江を探るように見たが、すぐににやりとした。
「今頃二人で仲良くやってるよ。二人だけでね。行ってみる?」
 あっさり住所を教えてくれた。
「ありがと!」
 万里江はすぐに踵を返した。

「…………よかったのかな、教えちゃって」
 双子のもう片方が傍らに来る。
「どうしてあの子がここに来たんだろ? “アジト”にいたんじゃないの?」
「知らないよ」
「貴子が逃がしちゃったのかな? でも、それならここに来るわけないよね。どうしたんだろ。電話してみる?」
「やめとこ。もうどうでもいいよ、あいつらなんか」
「そうだね。どうでもいいね」
「さっさとずらかろ。痛テテテ…………ちきしょう、お尻、なんてことしやがる…………」
「こっちも、耳、まだ変……」
「ひとが折角誕生日祝いしてやったってのに……」
「「おぼえてやがれ、千尋ぉぉ!」」
 双子の声はまたそろった。



                     ※



 紙幣を一枚かすめてきたので、今度はちゃんとタクシーを拾えた。
 お金がある。氷上先生に電話することが頭をかすめた。しかし公衆電話が見つからなかった。アヤがすぐそこにいるというのに、雨の中苦労してボックスを探す気にはなれなかった。
 目的の部屋を見つけた。
 しかし表札がない。郵便箱を見ても名前は書いていない。耳を当てて中の様子をうかがい、一度外に出て窓を確かめてとかなり怪しい行動を取った挙げ句、意を決してインターホンのボタンを押した。もちろん反応はない。三回連続で鳴らす。
 間を置いてまた鳴らす。

 本当にここにアヤが……あの千尋と一緒にいたら、どうすればいいのか。
 ……今度は引かない。逃げない。アヤを操っているのは千尋。なら、アヤを千尋から引き離す。どんなに殴られてもかまうもんか。引き離して、殴りつけてでも、アヤを正気に戻してやる。

 気合いを入れて、もう一度鳴らした。
 人の動く気配がした。
 ドアが開く。光がこぼれてくる。
 ドアチェーンの上に目がのぞいた。
 どんなに暗くても見間違いようがない。アヤだ。
「ア…………」
 言葉が出ない。身がすくむ。覚悟しているとはいえ、あの“別人”のアヤに向き合うには勇気がいる。
「…………お前か。なんだ」
「アヤ………………あたし…………話が…………」
 アヤの顔が引っこんだ。奥に向かって何か言う。甲高い声が答える。千尋。背筋が冷たくなる。いや、負けるわけにはいかない。
 少しして、ドアチェーンが外れた。
「…………入れよ」
 アヤはタンクトップとショーツだけの姿だった。やっぱり綺麗。
 聞きたいこと、言いたいことがありすぎて言葉が出ない。

「上がりぃ」
 奥に千尋が座っていた。
 こちらも下着姿。正座している。  その周囲は。

「なによ…………この部屋………………」
 まともな家具はなく、学校の教科書とペットボトルと学校の教科書が散乱している。角のところに姿見があるが、なぜか逆向きに、鏡面が壁を向くように置かれていた。
 白い、いやかつては白かったであろう壁は、一面、クレヨンで書き殴ったとおぼしき奇怪な図柄で埋めつくされている。
 その直中に正座し、真っ向から見つめてくる千尋は、なまじ顔のつくりがこの上なく愛らしいだけに、総毛立つような不気味さがある。
「何しにきたんや」
「ア…………アヤを、元通りにしな!」
「いきなり何の話や」
「うるさい! わかってるんだ、あんたがアヤをおかしくしたってこと! あたしにも催眠術かけて、おかしなところに閉じこめて、エッチなことさせて…………!」
「へえ、そうなんか」
 あしらうような口調。そのくせ表情はまったく動かない。赤ん坊みたいに大きな目が半分ほどしか開いていない。小学生みたいな、ほとんど胸のふくらみのない真っ白な体もぴくりともしない。
 まるで――――千尋の方が催眠術をかけられているようだ。
 その腕が動いた。
 いきなり水平に伸ばされる。
 指が鳴る。
 万里江は目を奪われ、いけないと深呼吸した。催眠術をかけられないように気をつけなければ。
「なに言うかと思うたら…………子供みたいなことを。うちがアヤに何しとるって?」
「アヤがおかしくなったの、あんたの仕業だろ! アヤに催眠術かけて、変なこと沢山させて!」
「へえ、そうなんか。アヤ、あんた、催眠術でおかしくなっとるんか?」
 万里江の後ろで、おかしな声が上がった。
「あや、わかんない」
 愕然と振り返ると――――アヤが、まったく締まりをなくした顔できょとんとしていた。小首をかしげる。幼女の仕草だった。
 千尋が指を鳴らし、“子供みたい”と言った瞬間にアヤは四歳の子供になってしまったのだった。
「アヤ!」
「ほれ、そのおねえちゃんが遊んでくれるで。あの新しい遊び、教えた通りにやってみぃ」
「うん」
 アヤが抱きついてきた。
「ち、ちょっと! アヤ! やめて! 目を覚まして!」
「だ〜め」
 ものすごい力だった。貴子どころではない。
 押し倒され、何かしらエッチな目にあわされるのを覚悟したのだが…………。
 いきなり、くるりと反転させられた。
 アヤが背中から抱きつくかたち。
(え)
 目の前に、千尋がいた。
 立ち上がっている。
 あの目が、大きく見開かれて、真っ向から万里江を見つめていた。
 闇の色の瞳。吸いこまれそう。万里江は直感する。これはやはり、普通の人間ではない。
(来るか!)
 催眠術。昨日はかけられてしまったが、今度はそうはいかない。何としても抵抗してやる。
(負けるもんか!)
 にらみ返す。
 その瞬間、視界が歪んだ。
 手足の感覚がなくなり、頭がぼうっとなる。
(あ、あれ…………?)
 何をされたのかわからず動転する万里江の目の前に、千尋の手が突き出された。
 拳を握っていたのが、勢いよく手の平を開く。ばっと、激しい音が聞こえた錯覚がした。
 反射的に目を閉じてしまう。
 額を軽く叩かれる。

「はい、もうその目は開かない!」

 言葉が“入ってきた”。
 まぶたが強く痙攣した。

(や、やばい!)
 冷や汗が噴き出す。

「体がぴぃんと固くなる! ほら、腕が!」

 千尋の手が両腕をなでおろした。腕が固まった。駄目だ、動かさないと。焦り狂う。しかし、動かない。どうやれば動くのか。動かし方がわからなくなってしまった。どうしよう。まずい。まずいまずいまずい、まずすぎる!

「そら、腰が! 足が!」
 千尋はやつぎばやに体のあちこちにタッチしてきた。そこがたちまち硬直してゆく。万里江はパニックに陥る。
「動かそうとすればするほど動かなくなるよ。ほら、どんどん、どんどん固く、固く、もっともっと固く、がちがちに…………あなたはかちんこちんのお人形になってしまう」
 万里江は痙攣する。あごを上げた姿勢。手の指先がびくついている。けれども意味のある動きはまったくできない。体を動かさなければという思いばかりが渦巻いて、どこをどう動かせばいいのかまったくわからない。

 千尋の声がゆったりしたものに変わった。
「次にあたしがはいって言うと、体の力が全部抜けて、楽になるよ…………楽になる。はい! ……ほうら、すうっと、力が抜ける、抜ける、抜ける、抜ける、体がすうっと楽になる…………」
 全身の関節という関節が外れてしまったみたいになった。万里江は倒れるまいとしたが、もうバランスの取り方さえわからなくなっていた。
 崩折れるところを後ろから支えられた。
 ほっとしたところへ、さらに暗示を流しこまれた。
 万里江はなすすべもなく落ちていった。
「……完璧や。これならあいつにも使えるで」
 千尋の声は聞こえていたが、もう意味を理解することができなかった。



 ……やがて。
「きゃはは、きゃは、くすぐったいよ、あはは、はは!」
“あや”の笑い声が響いた。
 しゃがみこんだアヤの足を、全裸、四つんばいになった万里江が一心不乱に舐めていた。万里江は猫にされていた。アヤの足はとっても甘くておいしい。幸せそうに喉をならしながら舌を動かした。
「どうや、アヤ、おもろいやろ?」
「うん、おもしろい!」
「そうやろ、催眠術ってな、めっちゃおもろいんやで。さあ、眠るんや。すう〜っと深いところに入っていく…………」
 千尋はアヤの額に手を当てた。アヤは目を閉じ、お尻をついて脱力する。
「あんたは、今の楽しい気分をずっとおぼえていられる。催眠術をかけるのは楽しい。人をこっちの思いどおりに操ってやるのがとっても楽しい。人を操るのは最高。催眠術をかけるのが大好きになる。あんたは催眠術が大好き」
 続いて千尋は万里江も眠らせた。
 横たわるアヤを見下ろし、つぶやく。

「アヤ………………これから、あんたを、あたしと同じにしてあげるからね…………」

 その顔に一切の表情はない。

「どんなやつでも思い通りにできる力を、あんたにあげる。
 …………あんたはあたしと同じになるんだ…………」

 淡々と、告げる。

「…………あたしと同じ、化け物に…………」

 千尋の口の両端がつり上がった。
 笑み。
 ただし、口だけの。
 笑わねばならない場所だから笑いのかたちを作っている。そんな顔。

 壁を振り向いた。
 赤いクレヨンで塗りつぶされた、髪の長い笑顔がそこにある。
 アヤを見る。髪の長い、安らかな寝顔。
 口はなおも笑みに固まったまま、千尋の大きな目につやが生まれ、きらきらと、星のような光を宿した。――――涙だ。
 右手で顔を覆った。
 隠した目から、透明な筋がひとつ、ふたつ、こぼれた。

「これでええんや………………これで………………」
 膝をつき、うなだれた。
 どれほど耳を澄ましても聞き取れないほどの、かすかな声がこぼれる。

「………………でも………………いつまで続けりゃええんや…………おっちゃん、教えてや………………教えて………………」

 風雨は弱まりはじめていた。
 空がわずかに明るい。間もなく夜が明ける。
 日曜日。安息の日の始まりだ。



 この日、氷上麻鬼は動かせるかぎりの人数を動員して万里江を捜させたが、万里江はもちろん、千尋も、アヤも、どこに消えてしまったのか、痕跡ひとつ見つけることはできなかった。



 月曜日。
 決戦の週が始まる。


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