くの一さゆりちゃんの催眠療法

第一章

作:NOR さん

プロローグ

 西暦一九八二年の夏、時、まさに、高度成長期。バブルの真っ最中であり、暴走
族、ツッパリ、レディースの花盛りの時であった。
 皇居のある東京都千代田区。その千代田区に面した神我原区の一角にある重要文化
財の一つ、忍びの館。そこは、江戸、明治、大正、昭和と四つの時代をまたに掛け日
本を影から支配してきた忍者一族「蜘蛛一族」の本拠地であった。
 忍びの館に住む、蜘蛛一族の族長「春日部蘭」。お蘭の方と呼ばれている。
 お蘭の方は厳しい口調で詰問した。
「あれの行方はまだ掴めぬのか」
「申し訳ありません」
 配下の下忍は恐縮して答える。
「何を致しておる」
「とはいえ、もう八重殿が抜け忍となって四十年。いまさら、手がかりなど」
 お蘭の方は大きく首を振って叱責した。
「だから、申しておるではないか。灯台下暗し。八重はこの地に舞い戻っておる。探
せぬはずはあるまい」
「いるならば、見つけております」
 下忍はぬけぬけと言う。
「もうよい、下がれ」
「はっ」
 下忍は族長であるお蘭の方の部屋より退出していった。お蘭の方は太平の世とな
り、質の下がる一方の忍者達に失望していた。
「八重・・・。いまいましい奴」
 お蘭の方は苦々しく呟く。若返りの術を用い、十代の若さを持つ、二百二十歳のお
蘭の方。そのお蘭の方の師匠こそが八重であった。お蘭の方は思う、果たして、自分
は八重を越えたのか・・・と。太平洋戦争の折り、族長であるお蘭の方の命令に背
き、終戦への工作を進めた八重に、お蘭の方は恐怖しているのだ。

 しかし、お蘭の方の心配は杞憂であった。その頃、八重は老衰の危機に瀕していた
のだから。何事もはじまりがあれば終わりがある。若返りの術にも限界というものが
あった。若返りの術の維持がとうとう困難になった八重は、一人娘の早坂リコを病床
に招くと、言った。
「そこにある、お茶を飲んでおくれ」
「どうして」
 リコの眼は鋭く八重を観察していた。
「この私の最後の頼みじゃ。私が煎れたお茶、飲んでおくれ」
「い・や・よ」
 リコはきっぱりと言い切った。
「なぜじゃ、なぜ、私の頼みが聞けぬ」
 八重は、リコの眼を見つめ、哀願する。しかし、リコは
「毒入りでしょう」
「うっ」
 八重は絶句した。・・・ちっ、見抜かれておる。さすが、性根が腐っていても我が
娘・・・
「私が、あなたから教わった催眠術で、美男子をガバガバ集めると思っているでしょ
う」
「違うのか」
 八重は問うた。しかし、リコはキッパリと
「大正解」
「くー、このバカ娘が。お前には、今の経済が泡の様なものだとわからんのかっ。そ
の様な事にうつつを抜かしている時ではない。お前にくの一の技を教えたのは、この
日本を影から操る蜘蛛一族の陰謀を阻止する為ぞ」
 リコはバカにしたように言う。
「毒殺しようとしている人が、使命だの阻止だの、バッカみたい」
「では、戦ってくれるのか」
「ピチピチの美男子とね」
 八重は怒鳴った。
「違うっ。蜘蛛一族と戦わんかっ」
「母さん」
 と言ってリコは八重の手を握った。
「立派な葬式出して上げるからね」
「こ、この親不幸者がー」
 八重の魂の叫びも、天には届かない。数日後、約束通りリコは盛大な葬式を出し
た。何と言っても、八重の財産、まあ、八重自身の言葉を借りれば軍資金は八兆円に
も達する。
戦うつもりなど全くないリコには、使い放題の金であった。
 そのお金でリコが二番目にした事は、催眠診療所の設立であった。「心の掃除屋」
という診療所を設立したのである。変わっているのは看板の横の説明であった。
「見事、私を倒せば百万円。私が勝てばあなたの性根入れ替えます」
 診療所というか道場の様だが、まあ、こんな胡散臭い物に関わろうとする健全な市
民はいるまい。善良な市民を騙すよりは余程マシだろう。
 しかし、開設したは、いいけれど、かんこ鳥が鳴くばかりであった。そこで、リコ
は三番目の行動として、催眠術の営業に出かけた。
 彼女が出かけた先、それは、孤児院「光圀寮」であった。
「催眠術ですか」
 スーツでビシッと決めたリコは、必要もないのにメガネを手で上げるポーズをする
と、自信たっぷりに言った。
「そうです。いたいけな少年少女も、知恵がつき、生意気な口を聞くようになって
は、見つかる養子先も見つかりません。将来アルバイトで小遣いを稼ぐか、遊んで親
に小遣いをもらうか、ここが正念場なのですっ」
 誰が聞いても無理のある説得であるが、天上天下唯我独尊のリコの思考パターンは
突き抜けていて、常人には理解不能だ。常識人の寮長は深い溜息を吐く。寮長にして
みれば、厄介な来客である。さっさと帰ってもらいたい。しかし、である。
「お値段はいかほどでしょうか」
「お金など、そんな、私はただ、人助けができれば良いのです」
・・・無料なのか、ならば・・・寮長は意を決して相談した。
「実は当寮には記憶喪失の少女が一人いるのですが」 
「ほう」
 思わぬ展開にリコは興味を示した。
「脳外科を受診しましたところ、外傷や病気ではないという事です。何かのショック
症状だと。それで、催眠療法をと思ったのですが・・・」
「十五万か、六万かかると言われた」
「はい、その通りです」
「しかも、催眠状態に入れなくても料金は払わなければならない」
「はい、そうなると、寄付金などで成り立っている当園としては・・・。せめて、治
るという保証がないと」
 リコは、ほくそえんだ。
「ウフフッ、お任せ下さい。当診療所なら確実に記憶を取り戻してご覧に入れます」
「私も立ち会わせてもらって構いませんね」
 キッパリとした寮長の申し出に、リコは慌てた。
「いえ、その必要はありません」
「一見の人に、大事な寮生の全てを任せるという訳にはいきません。当寮は孤児院で
すので、普通の家庭と違って融通が利かないのです」
「そうですか」
 リコは悩んだ。これでは催眠術を使って悪さをするという当初の計画が果たせない
からだ。しかし、断っても同じ事。ならば、ここは、信頼を得るか。
「分かりました。それではここで催眠療法を行うとしましょう」
「私も立ち会わせてもらえるという事ですね」
 リコは頷く。
「では、早速にでも、お願いできますか」
「その前に、ビデオテープをお渡ししましょう」
「ビデオテープですか」
「そうです。私が催眠術をかけるビデオテープです。予備催眠と呼ばれるものです。
当人が根気よく続けることで浅い催眠状態に入れます。別に難しいことはありませ
ん。静かに見つめて下されれば良いのです」
「事前にビデオテープの内容は確認させていただきますが」
「ええ、もちろん構いませんわ」
 リコは笑顔で応じた。

第一章 過去から来た少女

「あっ、ハイ。私の方はいつでもいいですが」
 リコが光圀園の寮長から、催眠ビデオの効果は充分にあらわれたと電話をもらった
のは三日後だった。普通は数週間かかる。これは、かなり催眠感度がいい。つまり、
暗示にかかりやすいという事だ。
「では、早速今から伺います。はい、私の方は大丈夫です」
 リコは電話を切ると、ウキウキとした足取りで玄関へ向かった。

 リコは光圀寮に着くと講堂に通された。そこには大型テレビとビデオデッキがあっ
た。
リコは寮長に挨拶すると問題の記憶喪失の少女、稲葉さゆりをはじめて紹介された。
・・・まあ、美少女じゃないの。美少女っ。これは、美少年を釣り上げる最高の餌に
なりそうだわ・・・さゆりは内心でほくそ笑んだ。寮長はリコに言った。
「では、ビデオテープを再生しましょう」
 それをリコはやんわりと手で制した。
「いえ、それには及びませんわ」
「はっ?どういう事でしょう」
 リコはそれには答えず、さゆりの顔を覗き込んだ。
「さゆりちゃん、ビデオテープには慣れた」
 さゆりは大きな黒目をいっぱいに見開いて、黙って頷いた。
「いい、今からさゆりちゃんの記憶を呼び戻すわ。さゆりちゃんは記憶を取り戻した
いんでしょう」
「はい」
 小さな小声でさゆりは答えた。リコは満足そうに頷く。
「さゆりちゃん。私が手を三つ叩くと、さゆりちゃんは、体の力がスーッと抜けてい
くわよ」
「えっ?」
 さゆりはとまどいの声を発した。しかし、リコはわざと無視して、話をすすめる。
「さあ、いくわよ」
「あっ、あのっ」
 パンッ、パンッ、パンッ
 リコは三回手を叩いた。
「ぁ、ぃゃ」
 さゆりの顔に恐怖が走る。ビデオテープの時とは違い、自分の意志と無関係に襲っ
てくる脱力感に恐怖を抱いたのである。リコは必死に催眠から覚めようとするさゆり
の耳に唇を寄せた。
「記憶が欲しくないの?」
「あ」
それは、催眠に掛かれという婉曲な脅しであった。さゆりは納得した訳ではなかっ
たがあたかも自分が我が儘かのような錯覚を起こしていた。
 抵抗が弱まるやいなや、さゆりは急速に催眠の世界へ堕ちていく。リコはさゆりと
信頼関係を築くという過程を省いたので、さゆりが催眠に対して持ったイメージは、
恐ろしいというものだった。
「いや、やめて、やめて」
 今にも奈落の底が開きそうで、さゆりの声は、哀願になっていた。そのさゆりを観
察しリコは豊富な経験から、もはや説得も演出も必要なしと判断した。
「さあ、力が抜けていくわ。どんどん抜けていく。ほーら抜けていく」
「いやああああああああああ」
 追いつめられたさゆりは悲鳴をあげて威嚇した。
 しかし、八重から厳しい訓練を受けているリコはそんな事では動じない。むしろ、
大声は大きな隙を生む。どんな生物でもそうだが、息を吸い込む時こそ、つまり、脳
に酸素が足りなくなった時にこそ、肉体も精神も隙ができる。リコは舌なめずりをし
て、さゆりの息が切れるのを待った。
「あああああぁぁぁぁぁぁ・・・・・」
 さゆりの息が限界に達した。素早くリコは忍者ならではの動きで、音もなくさゆり
の背後に回るとさゆりのおでこと後頭部に手を当てた。
・・・いつの間に後ろに?、私、もう、時間の感覚がおかしくなっているのかしら・
・・さゆりは自分自身に戸惑う。リコは数秒経ってから、さゆりの頭を大きく大きく
ゆっくりとゆっくりと回した。
・・・あ、でも、気持ちいい・・・
 催眠とは同じ暗示でも掛けられる人のイメージによって百通り、千通りの反応があ
る。この誘導方法はさゆりにあっていたようだった。先程の真下に空いた黒い穴に落
ちそうなイメージが消え、柔らかな日差しが頬にあたっているようだった。
 が、いかにリコとはいえ、心が読める訳ではない。次にリコが行った暗示は良くも
悪くもないものだった。
「私がハイと言うと頭が後ろへ倒れますよ。私がハイと言うと頭が後ろへ倒れます
よ。」
 リコは回転を止め、普通の状態へ戻した後、一回、ガクンとさゆりの頭を後ろへ倒
した後、普通に戻し、手も離した。さゆりは瞼がパッチリしているし、先程の穴が空
いた感覚も、柔らかな日差しも消えていたので、催眠術が失敗したと思った。
「あの、私、覚めちゃったみたいですが」
 さゆりは振り向いて問う。リコはニッコリ笑って、
「大丈夫ですから、前を向いて下さい。それからリラックスして深呼吸をしましょ
う」
 リコの笑顔はまるで手品師の様だった。自信に満ちあふれた態度は、リコを半信半
疑にさせた。とりあえず、深呼吸をする。
「では、いきます。ハイッ」
 筋肉の硬直を感じた。次に先程の手の感触が蘇った。さゆりは大きな力によって首
をガクンと後ろに倒された。
「ズルイ、手で倒すなんて」
 さゆりは頬をふくらませて抗議した。リコは外人が相手をバカにする時によくやる
両手を広げるポーズを取った。つまり、手はここにある、あなたの、それは幻覚よ、
という意味なのだが、既に深い催眠状態にあるさゆりには、思考能力が低下してい
て、分からなかった。
「はやく、手をどかして、苦しいじゃない」
 普通、催眠術にかかると、操られてしまった、という気持ちになり、そのイメージ
を利用して催眠術師は相手を自在に操る。
 ところが、今のさゆりの様に完全に深い催眠状態にありながらも、それを認めたく
ないプライドの高い人は、勝手に幻覚を作り出して、催眠に掛かっている事に気がつ
かないのだ。こういう場合は、筋肉支配や幻覚は見せられても、記憶や人格は支配で
きないのが普通である。
 解決方法はさゆりと催眠術者が信頼関係を築く事だ。
 そうでないと、さゆりは、リコの言うことに反発するので、記憶を取り戻す様なデ
リケートな催眠誘導は不可能である。
・・悪化させることは簡単なんだけど・・・
 と、リコが考えたその時だ。
「もう、催眠術にかかっているのですか?」
 横から一部始終を見ていた寮長が口を挟んだ。すっかり寮長の事を忘れていたリコ
は、ニンマリする。
「どうも意固地になってしまったようです。寮長先生。催眠術にかかるのは恥ずかし
い事ではないと話して下さいませんか」
「ええ、分かりました」
 寮長はさゆりの近寄り、耳元に口を近づけた。
「さゆりちゃん、どうかな、今の気分は」
 優しく語りかける寮長の声は、さゆりにとってまさに救い主そのものである。
「助けてっ、寮長先生。お願い、この手をどけるように言って、苦しいよ、苦しい、
助けて助けて」
 悲痛な声を上げ、懸命に懇願するさゆり。寮長はビックリした。
「はやく、はやく、催眠術を解いてあげて下さい」
 慌てる寮長、しかし、さゆりは落ち着いて
「何もない事を告げて下さい。そうすれば、大丈夫です」
「そ、そうなんですか。さゆりちゃん、しっかりするんだ、何もない、さゆりちゃん
を抑えつけるものは何もない」
「えっ?」 
 さゆりはスッと起きあがった。鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をしている。
「あたし、今・・・」
「ビックリしたかい。催眠術にかけられていたんだよ」
 優しい寮長の言葉、それゆえに衝撃的だ。
「う、嘘だわ。今、あの人があたしを力ずくで押さえつけたから・・・」
「あら、私は指一本触れていないわよ」
 リコは笑顔で言う、もっとも、それはさゆりの立場からすれば嫌味なものだが。
「寮長先生っ、何とか言って下さい」
 寮長は困った様に言う。
「さゆりちゃん、催眠術にかかることは何も恥ずかしい事ではないよ」
「そ、そんな、はず、ない」
「誰でも催眠術にはかかる。まして、リコ君は腕の良い催眠術師だからね。それに、
さゆりちゃんの記憶を取り戻すためには必要な事なんだ」
「で、でも・・・」
「分かるね」
「はい」
 さゆりは小声で渋々承知した。ところが、
「じゃあ、さゆりちゃん行くわよ」
 リコが笑顔でそう言うと、さゆりは再びヘソを曲げた。
 さゆりには、ニコニコしたリコの笑顔が無性にムカツク。
・・・やっぱり、催眠術にかけられちゃうのは屈辱だ・・・
 さゆりはぷぅと頬を膨らませた。
「さあ、三つ数えると、さっきと同じように頭がガクンと後ろに倒れます」
 さゆりはグッと首に力を入れた。そして、リコは早口で一、二、三と数えたので、
さゆりが何も感じる前に三まで数え終わってしまった。
・・・よし、かからなかった・・・
 と、さゆりが思った時、首にピクピクと筋肉の動きを感じた。すかさず、リコが本
当の暗示をかける。
「はい、ワン、ツー、さあ、次で後ろへ倒れますよ」
 首のピクピクがいっそう大きくなってくる。
・・・ヤバ・・・
 さゆりはグッと息を止め首へグーッと力を込めた。ところが、さゆりは、なかな
か、スリーを言わない。十秒が経過し、二十秒が経過した。さゆりは勝利を確信し
た。そこで、
「よし、勝ったー」
 さゆりが大きな声で宣言する。そして、大きく息を吸い込んだ。
 動物はその構造上息を吸い込むときには力が抜ける。そのタイミングをリコは待っ
ていたのだ。
「スリー」
・・・あ、あーっ・・・
 一度動き始めた首の筋肉はさゆりの指示を全く受け付けず、スムーズに後ろへ、
カックン。そして、そのまま、ピクリとも動かない。
「ど、どうしてなのっ」 
「催眠術よ」
「で、でも、意識はあるのに」
「催眠術は意識はなくならないのよ。リラックスした状態が眠っているように見える
けどそれは錯覚なの」
「こんな、姿勢は苦しいわ」
「じゃあ、元に戻る」
「そんなんで、戻る訳」
「いいから、動いて。動けるから」
 さゆりは動くわけないと思ったが、首はスムーズに動いた。
「?????」
 合図らしい合図はなかった、さゆりは、どんどん深みにはまっていく事に、血の気
が引く思いだった。
 さゆりは、ぼーぜんとし、瞳の焦点が合わなかった。その顔の前をリコはさっさと
手を振る。さゆりはバカにされた事にムッとした。
「もう、やめた。私、帰る」
 さゆりは椅子から立ち上がると駆け出そうとした。それを寮長が止める。
「待ちなさい。さゆり君」
「あたし、もうイヤ。こんな人に」
 リコはニコニコと頷いた。・・・うん、うん、催眠術にすぐかかっちゃうと思いこ
んでねー。そうすれば、後はゆっくりムフフッ・・・。リコはにこにこ顔で言う。
「なら、後は寮長先生が催眠術をかけてはいかがですか」
「えっ、いや、私には催眠術など」
「大丈夫ですわ。さゆりちゃんはとっても催眠術にかかりやすい様ですから、これな
ら素人の寮長先生でも、充分に」
 その言葉を聞いて、さゆりの頬に青筋が浮かんだ。
「帰れー」
 さゆりは上履きを脱ぐとリコに向かって投げつけた。
 それは可愛らしいおてんばぶりだ。
 しかし、しかし、である。
 その速度は通常のそれではなかった、まるで、訓練を受けた忍者の様な・・・。リ
コとて、八重のもとで厳しいくの一としての訓練を受けている。反射的に上履きを避
けようとした。しかし、手元でグンと伸び、かわす事ができなかった。
 ガツンッ
 リコの顔に上履きが直撃する。
「うふふっ、やりぃ」
「さゆり君」
 寮長の叱責がとんだ。
・・・覚えてなさい・・・
 さゆりはリコをにらみつけた。しかし、今は得策ではない。次の機会を待つのだ。
リコは寮長に任せ、今日のところはひとまず退散することにした。

 次の日、寮長は早速さゆりに対して催眠療法を行った。
 寮長室で寮長はさゆりと二人きりになる。部屋のライトを消し、メトロノームの音
だけをさゆりに聞かせる。リコが寮長にアドバイスした方法だった。催眠法にはいろ
いろあるが、このやり方だと部屋が真っ暗なので寮長の表情がさゆりからは見えな
い。寮長は言った。
「さゆり君。このメトロノームの音を聞いていると、だんだんと体から力が抜けてい
きます。ゆったりと、そのまま椅子にもたれかかりなさい」
 寮長は、運動会などのスピーチの口調そのままの語り口で言う。これもリコのアド
バイスだった。通常は抑揚のない一本調子で話すのが、催眠術師の語り口なのだが、
不慣れなそれで馬脚をあらわすよりも、手慣れたスピーチの方が効果的だ。
 そして、そのまま、寮長は何もせず静かに待った。部屋が真っ暗なので寮長からも
さゆりが今どんな状態なのかは見えない。これも、リコのアドバイスである。どう
せ、患者に応じた対応などできないのだから、いっその事なにもしない方がいい。何
もせず、ただひたすら待つというのも立派な催眠誘導法なのだから。ただ、真っ暗闇
の中、息をひそめてじっと待つのはいろいろとつらいものだが、そこはそれ、寮長も
かわいい寮生の為と必死に耐えた。
・・・そろそろいいだろうか・・・
 寮長は手にしていた懐中電灯を点けると、部屋の電気スイッチの所まで行き、部屋
の電気を点けた。
 さゆりはぐったりと眠っているような格好で椅子の背もたれに体を預けていた。寮
長はリコから教えられた三つの質問をしてみた。
「さゆり君、私の声が聞こえますか」
「はい」
「さゆり君の歳を聞いてもいいですか」
「はい」
「さゆり君は幾つですか」
「分かりません」
「はい、とても結構です。それでは引き続きこのメトロノームの音を聞いて下さい」
 さゆりはコックリと頷いた。
 寮長は今の返事からさゆりが深い催眠状態にある事を確認した。こちらの指示に従
順だし、返事は単純。間抜けなことを言っていても恥ずかしいという感じはない。
 寮長は自信がついた。
「さゆり君。お父さん、お父さん、お父さんと三回唱えて下さい。すると、さゆりく
んはお父さんの顔を思い出します」
「・・・・・・」
「さあ、どうぞ」
「お父さん、お父さん、お父さん」
「どうです。お父さんの顔が見えてきたでしょう」
 さゆりの瞼に、袈裟懸けに斬られた父上が、必死に時を越える呪文を唱える姿が浮
かんだ。
「なにが、見えます。話して下さい」
「父上は、私を未来へ逃がそうと、必死に呪文を唱えています」
「はっ?」
 さゆりの閉じられた瞼から大粒の涙がポロポロと零れる。ただの嘘にしては、この
表情はなんだ???
「あ、あー。うーむ」
 あまりの事に何を言ったらいいのか分からなくなった寮長。
 さゆりは瞳を開いた。きれいな瞳。大人びた・・・。寮長は少女らしくない、敗北
の初陣という死線を越えてきたさゆりに、魅入られた。
「君は」
「寮長先生、ありがとうございます。しかし、私の事は忘れていただかなくてはなり
ません。申し訳ありませんが催眠術をかけさせていただきます」
「いや、ちょっと待ちたまえ、さゆり君」
「ごめん」
 さゆりは懐に手を伸ばし、煙玉を取り出そうとしたが、そんなものは、現代の洋服
を着ている今、あるはずがない。
「・・・・・・・。私が着ていた服はどこでしょう」
「うっ・・・」
 寮長は言葉につまった。ここには、寮長の誤解がある。時間移動は物はできない。
つまり、洋服という物は時間移動ができないのだ。ここへやってきた時、さゆりは生
まれたままの姿であり、気を失っていたさゆりは病院へ送られ、警察、光圀寮とき
た。つまり、さゆりは別にその、そう、綺麗な体なのだが、事情を知らない警察や寮
長は、さゆりが美少女ということもあって、てっきりXXXだと思ってしまった訳
だ。
 それで、寮長は何とか誤魔化さなければと思った。
「ああ、うん、それがね」
「はい」
「実は」
「実は、なんですか」
「さゆり君、まあ、いいじゃないか」
「何がいいんですか。答えて下さい」
「今日の催眠療法はここまでにしよう」
 さゆりはしばし考えた。
「はい。寮長先生には恩があるだけです。私が何かを要求するのは間違っていまし
た。さようなら」
「待ちたまえ」
 さゆりは怪訝そうに振り返った。
「君の家はここなんだよ」
 さゆりは、ハッとした。動きが止まる。
「ありがとうございます」
 さゆりの瞳には涙が光の粒の様に光っていた。それから
「ではっ」
 さゆりは寮長室の二階の窓から身を躍らせた。
「おいっ、さゆり君っ」
 さゆりは猫の様に身を翻し、優雅に着地する。そして、笑みを返すと、塀から屋根
へ、屋根から屋根へと身を躍らせた。
「だから、危ないというのにー」
 月明かりの下、寮長の悲痛な声が響いた。

 さて、さゆりは、まずは、あの催眠術師に仕返しをしなければ・・・と考えてい
た。しかし、そのためには様々な薬草や道具や仕掛けがいる。まず、それを集めなけ
れば、という訳で、さゆりは山へ向かった。
 一方、リコの方もまた、薬草を集める為に山へ出かけていた。
 こうして、二人は偶然にも同じ山へ向かい、偶然にも鉢合わせしたのである。

 最初に相手の姿を見つけたのは、リコだった。
 リコは山の中を野ウサギのように疾駆するさゆりの姿に目を奪われた。
「あの子、やはり、ただものではない。少なくとも、特殊な訓練を受けているはず」
 リコは冷ややかな視線でさゆりを隅々まで観察する。
 すると、鋭敏な皮膚感覚を持つさゆりもまた、リコの視線を感じた。
 さゆりは、ゆっくりと振り向く。その視線の先には、冷ややかな視線で観察するリ
コの姿があった。
 二人はしばらく無言で見つめあった。
 リコは催眠暗示をかける為の演出のため。
 さゆりは、武器を持っていなかったので、手裏剣代わりの手頃な石を物色するため
であった。
 先ず、さゆりが動いた。サッとしゃがむと素早く石を拾い投げる。草をかき分け巧
みにジグザグに走りながら、スッと屈み、石を拾っては投げる。
「石か。他愛のない。皮膚を裂く技ではダメよ。骨を断つ技でなくてはね」
 リコの口元に笑みが浮かぶ。そして、懐から拳銃を取り出した。キザなセリフの割
にはくの一の風上にもおけない奴である。
 優雅に石をかわすリコ。さゆりは投石を直撃させようと、距離を詰める。人間の動
きと投石。速度に勝るのが後者であるならば、距離を詰めれば当たるのが道理。
 月の光を受けて、さゆりの黒髪が艶やかに輝く。
 さゆりが投石する。身をかわせる距離ではない。けれど、その時、月明かりの下で
ありながら、リコは投石を正確に狙撃した。
 ズギューン
 銃声が石を砕く。
 さゆりは驚愕した。
「種子島か!?」
 さゆりは驚いて叫んだ。種子島とは鉄砲が伝わった島の名である。それゆえ、鉄砲
の事を昔は種子島と呼んでいたのである。
・・・しかし、種子島なら、一度放てば先から銃へ弾込めしなければならないはず・
・・
 さゆりはそう考え、再び石を放つ。が、その投石をまたも銃弾が砕いた。
「ばかな」
 さゆりの顔に焦りが浮かぶ。そこへ、リコからの催眠暗示が飛ぶ。
「あなたは、私には勝てない」
「何を、バカな」
「フフッ。ならば、どうするの」
 リコはことさらに余裕を見せつける。
「食らえ」
 さゆりは投石する。身一つで空間を渡ったさゆりにとって、石が最大の武器であ
る。しかし、それは再び銃弾で砕かれた。
 リコは再び催眠暗示をかける。
「ほーら、あなたは私には勝てない」
「くっ」
 一度催眠術で操られてしまうと、どうしても苦手意識が芽生えるものだ。リコの声
はその苦手意識を増大させる。
「おぼえてなさい」
 さゆりは捨てセリフを残すと夜の闇の中へ消えた。
 一方、リコも先回りをするために走るのだった。
「どうせ、行き先は光圀寮でしょう」
 リコは最後の仕上げのために、走りに走った。

光圀寮
溜息をつきながら、さゆりは光圀寮の門をくぐった。
「さゆり君」
 息せき切って寮長が出迎えてくれた。さゆりの顔がちょっと緩む。
「あっ、あの、ただいま」
「良かった。心配したよ。早く中へ」
「う、うん」
 さゆりは、はにかんだ笑みを浮かべた。
「温かいカフェオレを煎れよう。皆には内緒だよ」
「えへへ」
 さゆりは寮長の厚意に甘えることにした。

 寮長室でさゆりは温かいホットカフェオレを飲んだ。
「ふふっ、おいしいです」
「そうか、良かった」
 と、寮長の顔から笑みが消え、目を伏せた。
「あの、寮長先生。どうかしたんですか」
「どうも、分からなくてね。私が催眠療法を施したばかりに・・・」
「あ、いや、それは。だから・・・」
 さゆりは戸惑った。
「過去からきたと」
 さゆりは真剣な眼差しで頷く。
「それが、真実ならば構わない。しかし、私の与えた幻覚なのかもしれない」
 さゆりは、どういえば分かってもえるのかと考えた。しかし、名案は見つからな
い。
「もう一度、催眠術をかけさせてもらえないだろうか」
「それは、イヤです」
 さゆりは間髪いれずに答えた。
「なぜかね」
「私の記憶を消すつもりでしょう。その方が私の幸せだと言うのでしょう」
「その通りだが・・・。嫌なのかね」
 さゆりはコックリと頷く。
「なぜ?」
「なにが幸福なのかは私が決めます。それは、少なくともあなたではありません」
「そうか・・・・・・・・・。ならば、記憶は消さない。いじらない事も約束しよ
う」
「それなら何の為に?」
「真実を確認したい」
「私は嘘をついたりしません」
「しかし、妄想に取り憑かれているかもしれない」
「妄想なんて」
「常識で考えればそうなんだよ」
 さゆりは頭を振った。
「嫌なんだけどなー。催眠にかかるのは」
 寮長は真摯な瞳でさゆりを見つめている。
「ほんとに、ちょっとだけですよ」
 さゆりは渋々納得した。が、しかし・・・である。この寮長は忍法変装の術を使っ
たリコであった。本当の寮長は、リコに当て身を食らわされ気を失い、物置に押し込
まれていた。
・・・フッフッフッ。おばかさん・・・
 リコは蜘蛛の巣にからめ取られた少女を目の前にして、舌なめずりをした。

 それから。

 暗闇の中、蝋燭は揺らめいて静かに燃えていた。さゆりは揺らめく蝋燭の炎を静か
に見つめていた。寮長、もとい、寮長に変装したリコは、一刻も早くこの変装を取
り、本当の顔をさゆりに見せたかった。さゆりはどんな顔をするのか、それを思うと
笑いを堪えるのが大変だった。
「さあ、さゆり君。この炎をよーくご覧。君の瞳には揺らめいている映る。ほーら揺
らめいて見える」
 さゆりは眉間に皺を寄せた。
「蝋燭は揺らめいているけど、それは風のせいだわ」
「君の瞳には揺らめいて見えるんだね」
「・・・。ええ」
「催眠術による幻覚だよ」
「でも、暗示の前から揺らめいて見えていたわ」
 寮長はマジシャンのような微笑みを浮かべた。
「では、指をならすよ。一、二、三」
 パチン
 寮長は指をならした。
「あ、あれ、揺らめきが止まったわ」
「止まったんじゃない。最初から揺らめいてはいないんだよ」
 さゆりは口をとがらせた。
「私、そんなに簡単に催眠術にかからないわ。だいたい蝋燭の炎を催眠誘導に使うな
ら、数を数えるとか、お寺の鐘の音を使うとか。とにかく、やり方が粗雑だわ。そん
なんじゃ誰も催眠になんか入らないわ」
「では、なぜ、ゆらめきがとまったのかね」
「風が止まったのよ。なんの不思議もないわ」
 寮長は、また、手品師のような微笑みを浮かべた。その微笑みは、さゆりを負けそ
うな気分にさせる。まるで、自分がこれから、手玉に取られそうだ。
・・・やっぱり催眠術は嫌だな・・・と、さゆりは思った。
「では、お寺の鐘を使おう」
 さゆりは首を傾げた。
「寺の鐘って、どうやって」
「さゆり君、君の耳にお寺の鐘の音が聞こえてくるよ」
「あ、あれ、あれれ」
「どうしたのかね、なにか不思議かね」
「うんと、不思議だわ。だって、お寺の鐘なんて、だって、おかしいわよ、絶対。だ
いたい、どうしてお坊さんが私のために寺の鐘を突くわけ。そもそも、お寺の人に何
も知らせてないじゃない」
 寮長は優しく言った。
「だからね。催眠術による幻聴なんだよ」
 寮長は三度手品師の様な微笑みを浮かべた。からかわれているようで、ますます、
さゆりは不機嫌になった。
「わたし、寮長先生、嫌いになった」
「うーん。どうしてかな」
「そうやって、とぼける」
 さゆりは頬を膨らませた。
「悪かった。それじゃあ、さゆり君、物置へ行ってくれるかな」
「物置?」
「行けば、分かる。さあ」
 さゆりには何の事か分からない。物置には本物の寮長が気を失っているのだが、勿
論、さゆりはそんなことは知らない。
「まあ、構わないけどさ」
 さゆりは椅子から立つと、物置へ歩いた、そして、物置に着き、物置の扉を開け
た。当然、そこには、気を失った本物の寮長先生が倒れている。
「寮長先生、どうして」
 ビックリしたさゆりの背後から、リコの声が響いた。
「それが、本物の寮長先生よ」
 リコの声を聞き、さゆりは振り向いた。そこには、寮長先生がいた。寮長先生はリ
コの声でしゃべった。
「私、さゆりちゃんが気に入ったの。だから、さゆりちゃんには私の可愛い催眠奴隷
になって貰うことにしたわ」
 おじさんの体からソプラノの声。そして、リコは変装のマスクをゆっくりとちぎ
る。ちぎるたびに徐々にリコの素顔があらわになる。そして、リコは背広の上着も脱
いだ。その下はベルトではなくサスペンダーで止められており、赤いネクタイと色も
合わせてある。リコの素顔と相まって、ちょっとしたグラビアの表紙が飾れそうだっ
た。
「あ、これ、いや。私」
 さゆりは全身からいやーな冷たい汗が噴き出た。混乱もした。怖くもあった。けれ
ど、リコの趣味としては、そういう催眠誘導は趣味ではない。リコとしては、抵抗す
る獲物を自分の声でとろけさせ、骨抜きにし、甘い催眠の世界で幸福感に満たしてや
る事こそ、趣味であった。だから、リコはさゆりを怒らせようと、催眠奴隷という言
葉を繰り返し使うのだった。
「さゆりちゃんはどんな催眠奴隷がお好みかしら。メイド姿の催眠奴隷がお好みかし
ら。それとも、ロングドレスを纏った催眠奴隷。そうそう、首輪をつけた催眠奴隷も
捨てがたいわね」
「やめて」
 さゆりは懐から石を投げつけた。が、石こそ投げられたものの、訓練によって鍛え
上げたはずの、いつもの冴えた切れ味は全くなかった。すでに、気持ちでリコに負け
ているさゆりの石如きが、リコを捉えられるはずはない。石は外れ、壁に当たった。
「さあ、さゆりちゃん、私の催眠奴隷になってね」
 リコはニッコリと笑った。
「私は、催眠奴隷になんかならない」
「ところが、なっちゃうんだなあ、ウフフッ」
 さゆりは大きな声を張り上げた。
「ならない」
 そして、駆け出そうとする。ところが、足がもつれて転倒してしまった。
・・・落ち着くのよ、私・・・
 さゆりは、自分自身に語りかけ、父の教えを思い出すのだった。
 死を恐れれば、恐怖に駆られる。恐怖は緊張を増大させ、緊張は筋肉を固くし、転
倒したり、的を外したりする。死を恐れるな、死と向き合え、そこにこそ、道が開け
る。
・・・そうだわ、催眠も同じ、恐れてはダメだわ。立ち向かわなくては・・・
 さゆりはそう決心する。そんなさゆりへ、リコは言った。
「ほーら、体は正直よ。催眠奴隷になりたがってる」
 さゆりは立ち上がると無言でリコの瞳をまっすぐに見据えた。しかし、リコは余裕
綽々で、こう言った。
「ほーら瞼が重くなーる。瞼がおもーくなーる」
「重くなんかないわ」
 声とは裏腹に、さゆりの瞳から力が抜けていた。
「重くなってきましたね」
「重くなんかないって言ってるでしょう」
 さゆりは嘘をついた。
 リコはさゆりを見据えたまま、優しく言う。
「重くなってきましたね」
「重くなんかない」
 さゆりは、重くて重くて仕方がなかったが、また、嘘をついた。
「重くなってきましたね」
「重くなんかない」
 さゆりの瞳はもうほとんど閉じかけていた。さゆりにもそれは分かっていたが、も
う、嘘を突き通すしかなかった。
「重くなってきましたね」
 さゆりは無意識の内にコックリと頷いてから、
「重くなんかない」
 と、嘘をついた。さゆりの意思とは裏腹に、さゆりは催眠術にドンドン引き込まれ
ていたのだ。
「重くなってきましたね」
 さゆりはコックリと頷いた。そして、口をモゴモゴと動かした。多分、重くなんて
ないと言ったつもりなのだろう。しかし、聞き取れないほどの小声だった。
「さゆりちゃんは私の催眠奴隷になりました。これからはいつでもどこでも嘘をつく
と左手を上げます。では、練習してみましょう」
 ここで、リコは少し間を取った。そして、
「さゆりちゃんは、リコの催眠奴隷になりました。そうですね」
 さゆりの左手が大きくあがった。そして、口ではモゴモゴと何か言っている。おそ
らくそんなことない、と言ったつもりなのだろう。さゆりが美少女なのでとても可愛
らしく、リコは自然にニッコリした。
「さゆりちゃん。さゆりちゃんがリコの催眠奴隷になったことは秘密です。今から、
記憶をふかーく封印します。今から、さゆりちゃんの催眠奴隷になった記憶を封印し
ます。けれど、さゆりちゃんは催眠奴隷のままです。いつでも、どこでも、リコの命
令通りに動くことが出来ます。だから、安心して忘れましょう。それでは記憶を封印
します。偉大なる神よ。さゆりの記憶を封印したまえ。そして、いつでもさゆりに指
示を与えたまえ。偉大なる神よ。さゆりの記憶を封印したまえ、そして、いつでもさ
ゆりに指示を与えたまえ。はい、全て終了です。さゆりちゃんは何もかも忘れていま
すが、神様が指示してくれるので大丈夫です。それでは、さゆりちゃんに元気良く、
気分も爽快になってもらいます。私が三つ数を数えると、さゆりちゃんは元気はつら
つで気分爽快になっています。一、二、三はい。さあ、目を開けて」
 さゆりはほとんど閉じていた瞼をパッチリと開いた。クリクリした黒い瞳でリコを
不思議そうに見ている。
「どうですか、気分は」
 リコは明るく言った。
「気分はいいけど」
「けど」
「私、催眠術にかかってないわよね」
「バッチリかかってたわよ」
「嘘よ」
 さゆりはムキになって言った。
「私は、催眠術になんてかかってないわ」
 さゆりの左手が大きく上がった。リコは意地悪く聞いた。
「ねえ、どうして左手を上げたの」
「そんなこと、関係ないでしょう」
「でも、派手なリアクションよね」
 リコはなおも意地悪く聞く。
「亡くなった父の導きよ」
 さゆりは、胸を張って答えた。さゆりにとってどうやら父親は神にも等しい存在
だったのだろう。リコは納得した。
「そんな事より、催眠術は失敗したのよね、そうだって言って」
「大成功」
 そう言って、リコはVサインを出した。
「嘘よ、私、里では催眠術にかかった事なんてなかったんだから」
 バッと勢い良くさゆりの左手が上がった。
「うん?」
 リコはその問いに興味を覚えた。
「ねえ、さゆりちゃんってもしかして、おバカさんなの?」
「し、失礼な事を言わないで」
 さゆりは明らかに動揺していた。
「メチャメチャ催眠にかかっちゃうタイプだったんだ」
「そんなことある訳ないでしょう」
 左手が大きく上がった。
・・・ぷっ、結構お茶目さんだったんだ・・・
「私は催眠術の達人で、父様以外は里じゅう催眠にかけたんだから」
 左手が下がった。
「つまり、さんざん催眠術にかけられて悔しかったので一生懸命催眠術を勉強したん
だ」
「そんなことあるわけないでしょう」
 さゆりの左手が再び大きく上がる。美少女なだけにその仕草が滑稽で、また、愛ら
しかった。
「さゆりちゃんは、どんな人にどんな催眠術をかけたの」
「一番ひどいイタズラは四歳のマー坊ね。マー坊に犬用の皿に自分でご飯をよそわせ
てから、犬だという暗示をかけて、それを食べさせたの」
 左手が上がった。
「それぐらいは普通じゃないの」
「続きがあるのよ」
「と、言うと」
「つまり、マー坊に絶対に解けないって催眠暗示をかけたわけ。そうしたら、それが
強力に効いちゃって、その後、いろんな人が催眠術を解こうと解催眠暗示をかけたん
だけど、結局解けなくって、父様が帰ってくるまでの三ヶ月間ずーっと犬でいたの」
 ここでも左手が上がった。
「で、かけたのはマー坊で、かけられたのがさゆりちゃんなのね」
「違います」
 左手が下がった。
「なるほど、これは、ぜひ、さゆりちゃんに催眠ショーに出てもらわないとね」
「催眠ショー、なんですか、それ」
「さゆりちゃん美少女だから、かける役とかけられる役を両方やれば、絶対に受ける
わ」
「私、出ませんよ、催眠ショーなんて」
 左手が大きく上がる。
・・・よしよし、なんて、可愛い催眠奴隷なのかしら・・・
 リコはとても上機嫌だった。


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