第三章の一 説得
「何だろう。なぜ、胸がモヤモヤするんだ」
欄銅柳子は訳の分からないモヤモヤに包まれ不安感に襲われていた。リコに催眠奴
隷にされたからなのだが、忘却暗示を与えられた柳子にはそれが分からないのだ。
柳子は自宅につくと、鍵を回した。
「あれ」
手応えがない。鍵は開いているのだ。つまり、一平が帰っているということか?柳
子は玄関で靴を脱いだ。居間から、テレビの音が聞こえてくる。
「一平、なんでこんな時間に、仕事はどうしたんだ」
柳子が尋ねながら、部屋に入るが、そこに、一平の姿はなかった。そこでは、リコ
がお茶を飲みながら、テレビを見てくつろいでいた。
「あ、あのー、どなたでしょうか」
普通なら怒り出すところだが、柳子の場合は居候である。一平の親戚が来るとき
は、柳子は決まって外へ出る約束になっていた。実際に、親族が来た事はないが、そ
ういう約束はある。それに、この家にしても一平が建てられるはずがない。一平は家
族の話はしなかったし、柳子も聞かないようにしていたが、この家の名義が一平でな
くとも何の不思議もないし、この家の名義人の親族がこの家の鍵を持っていても当然
だろう。むしろ、柳子の方こそ、この家と何の関係もない居候である。柳子が低姿勢
なのは当然だろう。
リコの方の事情は単純だ。昨日、催眠術をかけた際、柳子の事はあらかた聞きだし
ておいた。一平とリコの微妙な関係もバッチリ把握している。勿論、一平が今仕事中
で帰ってくるはずがない事は、計算に入れてある。
つまり、柳子は催眠奴隷なのだから、一平が帰ってくるまでは、この家の主人はリ
コである。
「どう、柳子ちゃん。この家の住み心地は」
「は、ハイ。とても、快適です」
柳子は、そう答えるしかなかった。しかし、心の中では・・・私の事を知っている
!一平と私は結婚なんかしないからね・・・と、冷や汗をかいていた。
「この広さなら、三人になっても充分な広さね」
「さ、三人ですか」
柳子にはリコが何を言っているのかさっぱり分からない。
「中学一年生の女の子なんだけど、柳子ちゃんは、子供は好きかしら」
「私は、好きです、ハイ」
この家を追い出されても当てのない柳子はひたすら低姿勢である。
「と、なると、問題は一平君ね」
「え、あの、どういった事情で」
「光圀寮という孤児院から稲葉さゆりという女の子を引き取りたいのよ。ちょっと訳
ありでね」
そうリコが言うと、柳子は、・・・ははあ、浮気の子の子供を引き取りたいという
訳か・・・と誤解をした。
・・・もしかすると、一平も愛人の子なのかな・・・
と、柳子は邪推する。こちらの方はバッチリ正解だった。
「同棲して五年よね、あなたの目から見てどう。一平君は子供は好きそうかしら」
「ちょっ、ちょっと待って下さい。私と一平はキスだってしたことないんですから、
同棲なんて」
「分かってるわよう。だから、女の子を任せられるかなって事でしょうが。それで、
面倒見もどうなの」
「面倒見はいいです。子供も、特に可哀想な子供には弱いですよね。適役だと思いま
す。はい」
「よし、じゃあ、後はリコちゃんが上手く一平君を説得できるかどうかね」
「私が説得するんですか」
「ええ、そうよ。さゆりちゃんの本当の素性を一平には知られたくないからね」
・・・な、なるほど、きっと、二人とも可哀想な境遇なのだね・・・
柳子はウンウンと頷く。しかし、である。
「でも、私の嘘なんて、一平にすぐバレますよ。とーにかく一平の奴は、癇が鈍いく
せに嘘は見抜くんだから、っのやろー」
と、思い出して拳を握りしめるリコ。
「それは、あなたが、単純だからでしょう」
リコがクスクスと笑う。柳子がムッと唇をとがらす。しかし、このころになると、
柳子の緊張もほぐれてきた。柳子とリコの間がちょっと、いい雰囲気になる。このへ
んは、リコの配慮だった。催眠奴隷がロボットになるのも、かわいくなるのも、こう
いうノーマルな状態での人間関係が大事なのである。
「さあ、それでは妹だと思い込んで貰わないとね」
と、言って振り子を取り出すリコだった。
「あ、あの、それは、もしかして」
ちょっと逃げ腰になる柳子。
「あら、だって、今のままじゃ、すぐ、嘘だとバレちゃうでしょう」
「で、でも、催眠術なんて」
「大丈夫、ただこの振り子を見てくれれば、いいのよ。ほーら」
柳子の目の前で振り子を揺らす、リコ。早すぎず、遅すぎず、振り子は、あっさり
と柳子を無防備にしていく。柳子の瞳はトロンとし、うっとりとした眼差しになって
いる。
「柳子ちゃん、あなたは、私の何」
「催眠ど・れ・い。です」
「はーい、良くできたわ。とってもいい子ね」
柳子に振り子を見せながら、リコは優しく言う。
「光圀寮へ行って、さゆりを引き取りなさい。わかったわね」
柳子はコックリと頷く。
「催眠ショーの女の子よ。念のために写真も持ってきたわ。覚えているわね」
柳子はコックリと頷く。
「一平には妹と言いなさい。分かったわね」
柳子はコックリと頷く。
「光圀寮の寮長には私は男で、子供が産めないから、と言いなさい」
柳子は、コックリと頷く。
「ここに、病名の説明をした紙を置きます。良く読んで勉強しなさい」
柳子は、コックリと頷く。
「今から、三つ数えると、あなたは私に言われた事を全て忘れます。けれど、あなた
は、私の指示通りに行動します」
柳子はコックリと頷く。リコは振り子を揺らすのを止め、柳子の瞳をじっと見つめ
てから
「一、二、三」と数を数えた。
そして、再び振り子を取り出す。振り子を揺らしながら囁くリコ。
「瞼がだんだん重くなってきます。体から力が抜けていきます。とてもいい気持ちで
す。さあ、ぐっすり眠りましょう。何もかも忘れてぐっすりと眠りなさい。催眠の事
は全て忘れてぐっすりと眠りなさい。目覚めた時は心身共に元気いっぱいになってい
ます」
柳子は、やすらかな寝息を立て始めた。リコは布団を引き、柳子を抱えて、横たえ
ると丁寧に掛け布団をかけ、寝顔をまじまじと見た。
・・・取り立てて、美人という訳ではないけれど、不思議。なんて、かわいいのかし
ら。催眠奴隷がこんなにかわいいなんて、知らなかったわ・・・
しかし、それはペットを溺愛するようなものだ。ペットの身になって考えれば、服
やピアスなど、邪魔なだけだ。それと同じ様に人に催眠など不要である。しかし、私
は、良いことをしているとか、催眠にかかって幸せだとか、思えてしまうのが、リコ
の天上天下唯我独尊なところであり、突き抜けた性格だと言うべきだろう。
それは、それとして、催眠にかけられてぐっすりと眠った柳子は、翌朝気持ちよく
目を覚ました。うーん、と伸びをした後、
「さ、光圀寮に行かなくちゃ」
と、大きな声で言った。仕事に行くために髭を剃っていた一平は、それを聞いて怪
訝に思った。
「光圀寮ってなんだ」
「妹がいるの」
「えっ」
ルンルン気分で、着慣れないシックなロングスカートを鏡の前で合わせる柳子を見
て、一平は不安になった。
「面会に行くのか」
「面会だけど、今日からいっしょに住むのよ。ああ、今日の夕食は思いっきり腕を振
るうわ」
サラリと言われて、一平は絶句した。
・・・ここは俺の家だ・・・
そう思う一平だが、ウキウキとしている柳子を見ると、なんだか自分まで幸せな気
分になってしまう一平だった。
・・・ま、いいか。出会った頃の柳子のジャジャ馬ぶりに比べれば、何人、妹がき
たって・・・
と、ここまで思って一平は固まった。
・・・まさか、出会った頃の柳子みたいなガキじゃあるまいな・・・
恐ろしい想像に包まれた一平に、ウキウキした柳子がさゆりの写真を見せた。
「ねー、ねー、この子なの。とってもかわいいでしょう」
おそるおそる写真を見る一平。そして、写真の中の愛らしいさゆりを見ると、ホッ
と胸を撫で下ろした。
・・・良かった。これなら大丈夫だろう・・・
一平は明るくアドバイスした。
「元レディースの総長ってのは黙っとけよ」
「任せて、バッチリ猫かぶりするからね」
そう言って、柳子はVサインを出す。
「お、おう」
一平は頷いたが、どうも調子が狂う。
・・・こんな奴じゃなかったが・・・
それはそうだ、忘却暗示で忘れているとはいえ、催眠術で操られたことによる爪痕
や快感は、柳子のアイデンティティに大きな影響を与えていたのだから。
光圀寮での柳子の受けは上々だった。寮長は柳子のセリフを真に受けて、涙を零し
た。
「そうですか、遺伝子チェックで男性だと・・・。それは、つらかったでしょう」
「ええ、子供を産んで母親になるのが夢でしたから、それで、どうしても女の子を引
き取って育てたいんです」
「分かりました。それでは、さゆり君を呼びましょう」
ところが、さゆりは寮長の言葉を聞いて、顔色を変えた。
「どうして、どうして、そんな事を言うの」
「ど、どうしたんだ。さゆり君」
「だって、だって・・・」
・・・私の家はここだって言ったじゃない。言ってくれたじゃない・・・
さゆりは悔しさのあまり、言葉にならなかった。
「バカーッ」
さゆりは外へ飛び出して行った。
・・・どうも、様子が変だな。出会った頃は大人びた子だったのに・・・
そう、さゆりはリコに催眠をかけられる度に幼児化が進んでいたのだった。
陽もとっぷりとくれた。さゆりは、当てもなくウロウロとしていた。何となく公園
でベンチに座り、ぼんやりと鳩を見ていた。
「寮長先生のバカ」
さゆりは呟く。ポロポロと涙が溢れてくる。
・・・くの一として戦っていた頃は涙なんか流さなかったのに・・・
さゆりは、ハーッと溜息をついた。
「どうして、こうなっちゃったのかなぁ、あたし。こんなんじゃ、寮長先生にもいら
ないって思われるよねー」
・・・なんか、最近、頭にモヤがかかるんだよなぁ。なんか、自分が自分でないって
いうか。我慢ができなくなってるってゆうか。すーぐ、感情のままに、行動しちゃ
うっていうか。昔は、鉄の様に感情なんか表情に出さなかったのに・・・。今の私は
砂糖菓子みたいにヘニャヘニャだよ。あー、私がこんな事で悩むなんてっっっ・・・
さゆりは深く落ち込んだ。穴があったら入りたい気分だ。
「どうしたの」
真後ろから、声をかけられた。
・・・ゲッ・・・
さゆりは、人の気配に気づかなかった自分の愚かさに、さらに、落ち込んでいた。
実際はリコはくの一であり、気配を消して故意に近づいたのだからやむを得ないとこ
ろだ。といっても、既にリコの催眠奴隷になっているさゆりは、戦闘技術などはその
ままでも、忍耐力とか、警戒心とか、洞察力とか、気合いとか、粘り強さとか、そう
いった面では、もうボロボロである。くの一としては錆びついていた。
「ねぇ、どうしたの、鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔して」
さゆりは、上目遣いにリコを見ると、静かに笑みを浮かべた。
「ねぇ、だんまりなの」
重ねて問うリコに対して、さゆりは冷気を含むかのような声で言った。
「消えな」
「へぇ。けっこうくの一っぽいわよ。今のは」
さゆりの顔がサッと変わる。
「なぜ、私がくの一だと」
言ってしまってさゆりは口を押さえた。
「あらあら、やっぱりもうダメねぇ、くの一なら、こんな時平気で惚けるわ」
ニコやかに言うリコに向かって、さゆりは冷たい視線を向けた。
「あなた、何者」
「催眠術師よ」
「催眠術師?」
「あなたも、私の催眠術で忘我の時を味わってみない?」
・・・何を言い出すのかしら、この女・・・
「間に合ってます」
さゆりの左手がヒョイッと上がった。それを見て、リコはさゆりの隣に座る。
「さゆりちゃん、かわいがって上げるわ」
「私は催眠術なんて大嫌いです」
さゆりの左手がまた上がる。
「あなたは、催眠術にかかりやすいタイプよね」
さゆりの脳裏にかつて、マー坊に犬だという催眠術をかけられた屈辱的な思い出が
蘇った。けれど、そんなことが分かるはずがないと思い、さゆりは大嘘をつく。
「違います」
さゆりの左手が大きく上がる。
「私は何でも分かるのよ。私の瞳に隠せるものはないわ」
「はいはい、私は行きます。ご勝手に」
さゆりは立ち上がった。しかし、リコは平気で着いてくる。
「ちょっと」
「だって迷える子羊を放っておけないわ」
さゆりは、リコの膝を足で狙った。顔を狙う平手打ちよりも見えにくく、また、重
心のかかっている方の膝を狙えば、足をあげることもできないので効果的なのだ。し
かし、さゆりは既にリコの催眠奴隷であった。さゆりはリコの膝を蹴ろうとした瞬
間、体が拒否しさゆりは大きく転倒した。
バタンッ
「あ、あれ、あれれ」
さゆりはキョトンとした。あらかじめリコを傷つけてはならない、という催眠暗示
をかけられているからだが、忘却暗示が働いているのでさゆりには分からなかった。
「私は精霊に守られているの。あなたが蹴ろうとしたから、精霊が怒ったのよ」
リコは嘘八百を並べ立てた。
「そ、そんな嘘」
「あなたには、感じられるはず、わたくしのオーラが」
「オーラ」
既に催眠奴隷になっているさゆりは、リコに対して、畏怖心を抱いた。この人は私
など遙かに越えた存在なんだ。そんなことをさゆりは思った。
「あなたを養子にほしいという話があったようね」
ズバリと言い当てられてさゆりはギョッとした。
「ど、どうして、それを」
当たり前だ。何もかもリコの筋書きなのだから
「私には星の動きで人の運命が分かるの」
「すごい」
さゆりは感嘆の言葉を吐いた。嘘八百なのだが、さゆりの深層心理にはリコの催眠
奴隷という刷り込みが深くべっとりと染みついている。そのことが、リコの嘘発百を
信じさせる下地になっていた。
「お行きなさい」
「えっ」
さゆりはびっくりした。
「養子に行きなさい。それが、あなたの運命よ」
「嫌です。私の家は光圀寮です」
リコはさゆりの両肩に手を置き、さゆりの耳に唇を寄せた。
「あなたは、私の言う通りにしていればいいの」
リコはあまーく、艶やかに囁く。その囁きは、深層心理に刷り込まれた催眠奴隷と
いうキーワードを刺激する。
さゆりは、コックリと頷いていた。
しかし、深層心理には刷り込まれたものばかりではない。さゆりの元々の性格。
ファーザーコンプレックスの部分が、頷いたさゆりに対して猛烈に抗議する。ファザ
コンのさゆりの寮長に対する淡い恋心は、たちまち、騒ぎ出した。
「やっぱり、イヤです」
「さゆりちゃんは、素直じゃないのね」
「私は素直です。本当に、心から光圀寮にいたいんです」
リコはさゆりの両肩に手を置いたまま、また、さゆりの耳元へ唇を寄せた。そし
て、囁く。
「私の言う通りにすればいいのよ」
「私は、自分の事は自分で決めます」
リコはまた、囁いた。
「私の言う通りにすればいいのよ」
「もう、やめて下さい」
「囁いてほしいくせに」
それは、催眠奴隷にされたさゆりの本音だった。さゆりは、そう、思っていた。そ
う、思っていたことに気がついてしまった。
「どうして、知ってるんですか」
さゆりは不思議そうにリコの顔を見る。リコはここぞとばかりに微笑を浮かべ、
「言ったでしょう。私は星の動きで人の運命が分かるの」
と優しく言った。
「私の言う通りになりたいでしょう」
・・・どうしたのかしら、私、胸がドキドキしてる・・・
「私の催眠術をかけられたいのよね」
さゆりの頬がボッと紅く染まった。
「私、変態じゃないもん」
さゆりは拗ねた子供のような口調で言った。そして、リコは母親の様な仕草で、さ
ゆりを抱きしめると、耳元で囁いた。
「勿論よ。さゆりちゃんは変態じゃないわ」
「嘘、私、変態だよ」
「どうして」
「だって、マー坊に催眠をかけられて一ヶ月も犬のままだったんだもん」
「それがどうしたの」
「解催眠暗示を受け入れなかったのは、操られるのが好きな受け身な性格だからって
・・・里の人が言うんだもの」
リコはさゆりの口元に唇を寄せ、また囁いた。
「ふふっ、みんなそうなのよ、さゆりちゃん」
「嘘」
「催眠術はとても気持ちいいから誰でも催眠奴隷になりたいのよ」
「誰でもなんて、嘘だ」
「精霊に守られ、星の動きで運命を知る者は十年に一度現れるわ」
「お姉さんの事」
リコは頷いた。
「私の力が感じられる人々は、導いてもらおうとやってくるわ。けれど、普通の催眠
術師にとっては、そんなことはない」
ここで、リコはさゆりの耳元から唇を離し、さゆりの瞳をまっすぐに見つめた。
「さゆりちゃん、催眠奴隷にしてくれるなら、どんな催眠術師でも構わないのかし
ら」
「違うよ、さゆりはあなたの、リコ様ただ一人の催眠奴隷です」
さゆりは、きっぱりと、大きな声で言い切った。
「私が迷える人々を救うために、働いてくれるわね」
さゆりは、大きく頷いた。
「はい、この命にかえても。さゆりの身も心も、リコ様に捧げます」
リコは優しく微笑みながら
「さゆりちゃんは、私の催眠奴隷よ」
「はいっ」
さゆりは、元気はつらつに返事をした。
「うん、いい、お返事よ」
リコに誉められ、さゆりは嬉しくて頭を掻いた。
「それじゃあ、さゆりちゃん。欄銅柳子さんの所へ養子に行きなさい」
「はいっ」
冗談だろうか。さゆりは、ピッと敬礼した。その仕草が可愛らしくて、リコはクス
クスと笑った。すると、さゆりはモジモジとした。
「?」
「あのー、早速催眠体験を」
リコは優しく微笑んだが、やんわりと断った。
「今日はもう遅いからダメ。早く、光圀寮へ帰りなさい」
「えーっ、」
さゆりがイヤイヤをする。
リコはさゆりの髪を撫でながら耳元へ唇を寄せた。そうして、囁く。
「今度、ゆっくりと、たっぷり催眠にかけてあげる」
「本当」
「本当よ。だから、今日はお帰りなさい」
「うん、分かった」
さゆりは頷いた。
何度も振り返りながら去るさゆりに向かってリコその度に手を振って上げるのだっ
た。
第三章の2 催眠ショーまでの準備
さゆりは中学一年生。最近になって、港区立第二中学校に転入したばかりのかわい
い女の子である。孤児であったが、元レディースの総長欄銅柳子の養女となり、草壁
一平宅へ居候している。
転入して、早速友達ができた。ノッコこと野口香。ミコこと、三条由美子である。
三人とも一年一組でクラスメートであった。
ある日、さゆりは二人に相談を持ちかけた。さゆりから、その事を聞いた時、二人
は吹き出して笑った。
「ぷっ、くくく。へー、まあ、言われてみればそうよね」
「牛乳をたくさん飲めば、大きくなるって言うよ」
二人に笑われて、さゆりは口を尖らせた。
「もういい。なによ、そんなに腹を抱えて笑うことないでしょ」
ノッコが言う。
「まあまあ、そのうち大きくなるわよ。成長期なんだから」
ミコも相槌を打つ。
「そうそう、ノーブラは楽でいいじゃない。肩も凝らないし」
「ミコも小ぶりでしょうが、そんなんで肩こりになる訳ないでしょう」
グサッ、さゆりの言葉はミコのハートを傷つけた。
ビッターン
「いったー」
ミコの平手打ちがさゆりの頬を捉える。
「フンッ」
ミコは長い髪を掻き上げ、スタスタと立ち去っていく。
「バカねー。ミコは結構怒りっぽいのよ。我が儘いっぱいに育てられているから」
「そ、そうだったんだ」
「けっこう、お嬢様なんだよね。本当は中学受験をしたんだけど、でも、私立校に全
部落ちて、とうとうこの公立中学へ」
「ふーん、そう」
「ふーん、そうじゃくて、落としたカバン拾いなさいよ。あたしが拾ってあげるのを
黙って見てないで。いったい、誰のカバン」
「はーい、私」
「全く」
平手打ちを食らってビックリしたさゆりが落としたカバンと、歩道に散らばった教
材をノッコは集めてあげる。ノッコは結構、自己犠牲の精神の強い女の子だった。我
が儘なミコとつき合っていけるのもそういう我慢強い性格ゆえだった。ただ、小柄で
背が小さく、度の超強いメガネをかけている事、勉強ができない事、スポーツが下手
なことなどが仇になって、友達は少なかった。
「あれ、なに、この本」
その本は教科書ではなかった。
「あっ、それが今日の相談の本質なんだけどさ」
ノッコはタイトルを読む。
「催眠術の全てって、これが何の関係があるのよ」
「だからぁ、催眠術で胸を大きく」
「ならん、ならん」
「なるっ」
さゆりは断言した。
「だって、催眠術って云うのは、考える力のないものにはかからないんだよ」
「あたし、考える力あるもん」
「さゆりちゃん、違うでしょ。腕が動かないと思いこめば、腕は動かなくなるわ。で
もね空を飛べると信じても人間が空を飛べる?」
「飛べる訳ないじゃない」
「同じ理屈。胸が大きくなるなんて、そんな事はないわ」
さゆりはノッコから本をひったくり、素早くお目当てのページを開く。
「ここ、ここよ」
「えー、なになに、ボディー彫刻」
さゆりはウンウンと頷く。平たく云えば人橋などの事で、要するに、絵のモデルな
んかを長時間催眠で同じポーズを取らせることだ。それの応用編で、筋肉を催眠で動
かし、胸を大きくするという事が確かに載っている。
「つまり、補整下着を催眠でやる訳ね」
「それだけじゃないわ、イメージトレーニングの効果もあるのよ」
「なるほど、結構科学的なんだ」
「うん、歳を取ると垂れてくるのは筋肉が衰えてくるからなんだって、つまり、筋肉
を操ることができれば・・・」
ノッコとて女の子である。美しくなりたいという気持ちは持っている。
・・・本当だったら、ラッキーよね。実験体はさゆりだし、さゆりが上手くいけば、
私もすればいいし・・・
ノッコの中で打算が働く。
「うん、いいよ、じゃあ家へおいで。私、鍵っ子だから」
「やったー」
さゆりとノッコは期待に胸を膨らませながらアパートへ向かった。
「嘘、こんなに、簡単にかかるものなの」
ノッコはビックリした。本の通りにやっただけなのにさゆりはあっさり催眠に入っ
た。
本には、催眠術とは掛けるものではなく、術者は被術者の精神集中を助けるだけとあ
る。
結果は、被術者が催眠を信じるか否かと、被術者の集中力、そして、二人の間の信頼
関係であり、なにも特別な事はいらない、とある。
「なるほど、つまり、他者催眠も、本質的には自己催眠な訳だ・・・」
ノッコは自分に催眠術の才能があると思うようなポジティブなタイプではない。
ノッコは、自惚れるのではなく、逆に、短時間で催眠に入ったさゆりを尊敬した。
・・・よし、それなら、なおさら、下手は打てないわ・・・
ノッコは気合いを入れた。勝って兜の緒を締めるタイプなのである。
「さゆりちゃん。あなたの体も心も全て私が支配したわ。あなたは私の操る人形。あ
なたは私の催眠奴隷、もうどんなことでも私の言うが儘です。さゆりちゃん。あなた
の体も心も全て私が支配したわ。あなたは私の操る人形。あなたは私の催眠奴隷、も
うどんなことでも私の言うが儘です。さゆりちゃん。あなたの体も心も全て私が支配
したわ。あなたは私の操る人形。あなたは私の催眠奴隷、もうどんなことでも私の言
うが儘ですさゆりちゃん。あなたの体も心も全て私が支配したわ。あなたは私の操る
人形。あなたは私の催眠奴隷、もうどんなことでも私の言うが儘です」
こんな道徳に反した催眠誘導は当然行うべきではない。しかし、この本の著者はリ
コその人なのだった・・・
ところで、さゆりは、素直にもノッコの言葉通りにコックリ、コックリと頷いてい
た。
「さあ、さゆりちゃん。オッパイを見せて下さい」
「はい」
さゆりは小声でお返事をすると、制服の上半身を脱いだ。そして、ブラジャーを外
す。
・・・あ、あれ、さゆりちゃん、ブラジャーしてる。さっきは小さくてブラジャーが
着けられないって言ったのに・・・
さゆりはブラジャーも外した。
・・・確かに大人と比べれば小さいけど、私達中一だからこんなものよね・・・
ノッコの脳裏をいろいろな疑問が掠めたが、催眠で胸が大きくなるかどうかの瀬戸
際なので、ノッコはそのまま催眠を続けた。
「私が手をたたくと、オッパイがグンと張ります。いいですね、手を叩くとオッパイ
が張りますよ」
パンッ
さゆりはグッとエビ反りの姿勢になる。しかしこの時点ではまだ大きさは変わらな
い。
ここで、ノッコはあらかじめ用意された嘘のセリフを吐く。
「すごーい、さゆりちゃん。オッパイが大きくなったわよ。ほらほら、どんどんおっ
きくなる」
そう言った時だ。その催眠暗示に反応してさゆりの胸がぐーんと大きくなった。
・・・うっわー、すっごーい・・・
さゆりの胸はグングン大きくなり、Cカップ程度まで大きくなって止まった。最
早、普通の大人の平均と言ってもいいだろう。
・・・私も、絶対催眠にかかろう・・・
ノッコは固く心に誓った。
次の日、さゆりとノッコの胸がいきなり大きくなった事で、教室内は若干の波紋を
呼んだ。
「やっぱり、パットじゃない。上げ底よ、上げ底」
それが、一時的には噂を収拾させた。ところが、体育の時間にさゆりと、ノッコは
着替える時、わざわざ、ブラジャーを外して見せた。パットでないことを知って、あ
たりは、ざわめいた。
「もしかして、整形手術。いやねえ」
「違うわよ。豊胸手術っていうのよ」
そんな声がしたので、さゆりは怒って言った。
「違うわ。今日の放課後、杉風の温水プールへいらっしゃい。証拠を見せてあげるか
ら」
「別に、水着はいらないわよ。水着になるのは私とさゆりだけだから」
と、ノッコは明るく言った。
そんな時、話に割って入ったのは、以外にもガリ勉の杉山菜々美であった。
「水着を持っていけば、胸が大きくなるのかしら」
「まあ、そうだけど、あれ、菜々美、興味あるの」
菜々美は、メガネをずり上げながら平然と
「あくまでも、知的好奇心としてね。分からない謎を解明したいと思うのは、人の自
然な欲求なのよ」
「なら貸してあげるわ」
ノッコはカバーをかけたリコが著者の例の本を、菜々美に貸して上げた。
「これは、マジメな本なのかしら」
「嫌ならいいわよ。大切な本なんだから」
菜々美は頷く。
「ありがとう、ノッコさん。じっくり読ませていただきますから」
「よしよし」
ノッコは意味不明な頷きをする。この時、なにが「よしよし」なのかは当のノッコ
も忘れてしまっていた。
杉風の温水プールには、結局、文化系の部活と帰宅部の女子、合わせて六名だけ
が、やってきた。男子はお断りだったし、体育会系は先輩達が厳しく、球拾いの一年
生が部活を休むためには塾とか医者とか、それなりの理由が必要だからである。くど
いが、この物語は八十年代のお話である。
さて、女子更衣室ではさゆりとノッコの二人が水着に着替え終わったところだっ
た。そこへ、リコは春物のタイトスカートに身を包み、颯爽と現れた。リコは予定通
りだが、演技で、少し驚いた表情で言った。
「あら、どうして、八人もいるのかしら」
ノッコが言う。
「お姉さま。それはですね。私達、ちょっと疑われているんです。豊胸手術を受けた
んじゃないかって」
さゆりが後を続ける。
「それでですね。お姉さま。この子達の前で実演してもらいたいんです」
「あー、なるほど、そういう事ね。いいわ、じゃ、早速、始めましょうか。でも、
じゃあみんな、ちょうどここは、角だから、みんなで人垣をつくってくれる。周りの
人に見えないように」
六人は何が起こるのか分からず、顔を見合わせた。さゆりは言う。
「ほら、さっさと人垣をつくって、こんなに大勢じゃ、トイレに入りきれないでしょ
う」
そのさゆりの声で六人はビックリした。
「トイレ、つまり、公衆便所」
「そう言えば、お姉さま」
「風と樹ならぬ、太陽と椰子の木の歌」
「すすんでるのね」
「赤ちゃんができないから、いいんじゃない」
「あかちゃんてどうやって生まれるの?」
六人は口々に言った。
リコは、焦った。
「あなたたち、何、考えてるの。これよ、これ」
さゆりは、糸に吊された五円玉を見せた。
六人の声がハモる。
「催眠術?!」
三人は頷き、今、実演して見せるから早く、と、せかした。六人は人垣をつくる。
そして・・・。
リコはさゆりとノッコの目の前で五円玉を揺らさずに、垂らす。そして、言った。
「この五円玉が揺れ出すと、二人とも瞳が、この五円玉を追ってしまいます。瞳が五
円玉を見つめてしまいます。瞳が五円玉を追ってしまいます」
そう、前置きしてから、手も指も動かさず、指先の末端筋肉だけで五円玉に振動を
与えていく。固有振動数。ぞくに言う共鳴である。力と抵抗がイコールであり、どん
どん大きくなっていく減少である。全くムダのない力の増幅。究極の機能美は、人間
の瞳に神秘的に映る。五円玉の揺れる幅は毎回同じ比率で増幅していく。やがて、腕
を全く動かさないのに、大きく大きく揺れだした。その五円玉の動きに瞳を吸い寄せ
られたのは、さゆりとノッコの二人ではなく、見ていた六人の方だった。
中でも、中一だから無理もないが、あかちゃんてどうやってできるの、ときいた
ミィコは、首も一緒に、五円玉と同じように揺れてしまい、それに気がついて、止め
ようと思ったが、どうにもならなかった。
五円玉は最大限に大きくなると、今度は逆に揺れ幅を小さくしていき静止する。す
るとまた、さっきと同じように揺れが大きくなっていく。
リコは忘れた頃に
「瞳が五円玉を追ってしまいます。瞳が五円玉を見つめてしまいます」
と、繰り返した。その間隔は徐々に徐々に伸びていく。
ミィコを除く五人は、だんだんと飽きてきた。・・・いつまで続ける気、かれこれ
五分は経っているわ・・・という訳だ。リコは聞いた。
「そこの子は催眠にかかったわね。名前を教えてちょうだい」
佐知子が言う。
「さゆりとノッコですけど」
リコは言った。
「あなたの隣よ」
「えっ」
佐知子は驚いて隣りを見た。なるほど、ミィコが虚ろな眼差しで五円玉が揺れるた
びに頭が揺れていた。佐知子はミィコの目の前で、腕をサッサと上下に振って見た。
びっくりしたミィコがキョトンとした表情になる。
「あ、あれ、アレ。私・・・」
「覚めちゃったね。ま、別にいいけれど」
リコはさゆりに向けて言った。
「さゆりちゃん、瞼がおもーくなっていきます」
六人の瞳がさゆりに集中する。既にトローンとなっていたさゆりの瞳が、瞬きの数
が増え始め、閉じる。すぐに開けるが、また、閉じる。閉じるたびに目が開く回数は
少なくなり、目が小さくしか開かなくなっていく。そして、ついには瞼がピクピクす
るだけで、開かなくなってしまった。
「ノッコちゃん、瞼がおもーくなっていきます」
ノッコは三回瞬きをすると、大きく、ゆっくりと二回瞬きをした時、瞼はそのまま
閉じられ、体中の力がスーッと抜け、首もガクンとたれた。
「さゆりちゃん、さゆりちゃんはもう無力です。さゆりちゃんは、私の言う通りにな
ります。さあ、目を開けて」
さゆりの瞼は開いたが、とろーんとしていた。
「さゆりちゃん。おっぱいを見せて下さい」
「ハイ」
さゆりはスルリと水着のブラを外す。リコは指先を右の胸に当てた。
「さゆりちゃんのここが、ぷしゅーとしぼみます。ほーらしぼんできた。ぷしゅー。
しぼんでくるぷしゅー」
さゆりの右の胸の膨らみがみるみるうちに小さくなっていく。
六人の瞳が点になる。
次に、リコはさゆりの左の胸に指先を当てた。
「さゆりちゃんのここが、パンパンに膨らんでいきます。パンパンに膨らんでいきま
す。パンパンに膨らんでいきます」
さゆりの左の膨らみがみるみるうちに大きくなっていく。
「あ、あの、ちょっと、大丈夫」
佐知子はうろたえた。さゆりの右胸はどんどん小さくなり、そして、左胸はどんど
ん大きくなる。左右の大きさが全然違う。しかし、リコは平然と、
「分かった?催眠術の力。じゃあ、右の胸も大きくするね」
リコは右の胸へ指先をあてる。
「はい、とまります。はい、とまります。さあ、今度はパンパンに膨らみます。パン
パンに膨らみます」
さゆりの右胸がみるみる膨らみ始める。左の胸の膨らむのはやがて、限界に達し、
右胸がそれに追いついていく。やがて、二つの胸はひとしい大きさになって止まっ
た。
「と、まあ、こんな感じだけど」
リコが言う。佐知子が聞く。
「それで、水着は何の意味が」
リコは優しく言う。
「時間が経っても、そのままにする為と、もっともっと大きくする為よ」
「あの、堅さは」
「柔らかいに決まってるでしょ。大きくなった分だけ柔らかいの。確認してみなさい
よ。それから、歳とっても垂れる事ないから」
「ど、どうして」
「脂肪と筋肉は別でしょうが。歳を取ると、バストラインが下がってくるの知ってる
でしょう。筋肉を鍛えればバストラインを維持できるわ」
「だ、誰でも、できるんですか」
「まあ、本人にかかる気があればね。一日目で催眠状態に入れる人と、一ヶ月かかる
人といるけど、それは、まあ、集中力と、催眠術師を尊敬できるかどうかよね」
佐知子は言った。
「尊敬します。先生、私にもお願いします」
リコは困った演技をする。
「そりゃあ、構わないけど。でもね、催眠術にかけられてるうちに、根性がなくなっ
て、子供っぽい性格になっちゃうという副作用もあるわよ。それでもいい」
「つまり、天然のぶりっ子ですね、もう、ぜーんぜんオーケーです」
まわりの五人も頷いていた。一ヶ月前までは小学生だったのだ。バス料金も子供料
金だった。大人になりたいというのは、アイドル歌手の様になりたいという意味で、
おばさんになりたいという意味ではない。根性・・・まあ、大切だろうが、胸の膨ら
みと天秤にかければ明らかだ。
「じゃあ、ノッコちゃんに掛けてからね」
リコはニッコリと笑った。
そして、翌日、ミィコは胸が大きくなって、登校した。さゆりとノッコに続いて胸
が大きくなったミィコ。しかも、ミィコは胸が大きくなった理由を聞きに言った次の
日だ。つまり、さゆりとノッコと同じ方法だろうという噂になった。
噂が噂を呼んだ。さらに、十日後、佐知子の胸が大きくなった。十二日後には椿の
胸が大きくなり、十八日後には桜の胸が大きくなり、二十日後には知香の胸が大きく
なり、二十二日後にはかなえの胸が大きくなった。
八人の胸の話は、女子と男子の間で共に話題の中心になった。特に体育の授業では
毎回の様にメジャーで大きさを測り、じわじわ大きくなっていることが確認された。
つまり、豊胸手術ではないのだ。
さらに、八人は六月に行われた全国統一学力試験で、八人全員が上位千人の中へ名
を載せた。日本全部の中学校での千人である。このまま行けば東大、早稲田は当たり
前の世界である。
八人は何かやっている。その秘密を調べようと多くの者が温水プールへ通ったが、
リコは水泳からバレーボールへと切り替えていたので、全てムダ足に終わった。
分かった事は、八人がバレーボールの練習を熱心に行っているという事だった。バ
レーボールと勉強とどう関係があるのか、全く分からなかった。
つまり、くの一であるさゆりが、試験問題を盗み、コピーし、また、戻した・・・
というだけなのだが、まあ、分かるはずがあるまい。
とにかく、四月の間はリコの所へ、毎日催眠をかかりにやってきた八人。やがて、
すっかり催眠奴隷になると、リコは催眠術師の役をさゆりに任せた。さゆりは毎日、
催眠をかけ、バレーボールの練習をさせた。催眠術によって、八人はバレーボールバ
カになり、しごき練習も催眠術でスムーズに八人はついてきた。
八人はみるみるうちに腕を上げた。リコはその練習風景のビデオテープを持って、
バレーボールの実業団チームからチームへと東奔西走した。
実業団チームの一軍と高校との合同練習。実業団チームの二軍と中学校の合同練
習。それは、女子バレーボールの選手生命が短い事を考えても、珍しくはない。女子
バレーボール選手は高卒から直接実業団へ入り、多くは大学へは行かない。野球の様
に大卒からプロというのは、選手生命の短さを考えると、そんなにのんびりとはして
いられないのだ。
八人はカツミグループのバレーボールチームと合同練習を行える事になった。そし
て、さゆりは、学校のバレーボールチームではないので、大会に出られず、試合経験
もなかったが、カツミグループの推薦でオリンピックの強化選手に選ばれた。
オリンピック強化選手とは、次のオリンピックだけではなく、子供の才能を伸ばす
という意味でも選ばれるものであり、中一であるさゆりの場合は、その後者の典型的
な例であった。さゆりの実力は中学生離れしており、というか、くの一で、しかもス
ゴ腕だったのだから当然なのだが・・・、満場一致での強化選手入りだった。
そして、いざ強化合宿が始まってみると、さゆりの実力は、オリンピックの選考選
手と比べても、優れていることが判明したのである。さゆりはオリンピック選手の出
場メンバー、それも、エースとして考えられた。
しかし、バレーボールはコンビネーションである。従って、練習で優れたエースア
タッカーだからと言って、試合に勝てるとは限らない。さゆりの場合は、まさにその
典型だった。セッターとのコンビネーションに切れ味がない。打つコースを相手の誘
いにのってしまい、わざと作ってある隙に打ち込んでしまう。敵のフェイントにたや
すく引っかかる。自分のフェイントを読まれる。結局経験不足という烙印を押されオ
リンピックは逃した。
その敗北は、リアリティや説得力を考慮したリコの計算だった。バレーボールなら
さゆりは勝てないだろうと予想して、さゆりにバレーボールをやらせたのである。
そして、リコの目算通り、天才少女としてのさゆりのテレビ取材が起きた。そし
て、さらにそれは、二時間のスペシャル番組となったのである。
そのスペシャル番組はノンフィクション番組として放送された。
学校のバレーボール部の、一年生は球拾いという制度に失望し、自分達でバレー
ボールチームを作り、連日の猛練習。そして、天才少女として、強化合宿に参加し、
誰よりも速く重いスパイクを打ち、以外にもオリンピック出場の可能性が生まれる。
しかし、試合で実力を封じ込まれ敗れ去り、涙するシーン。しかし、その才能は疑う
べくもない。頑張れさゆりという内容である。
ちなみに、何度か触れたが、さゆりは美少女である事も書き添えておく。
敗れ去ったシーンが好評で、再放送もされた。そして、再放送では口コミで、一回
目の放送を上回る視聴率であった。
すぐに、さゆりは時の人として取材を受けた。それは、学校の部活に反抗し、自分
たちでバレーボールチームを作った八人にも及んだ。そして、監督兼コーチとしてリ
コの名前も上がった。
さゆり以外の七人の実力も一年生にも関わらず、中学生としては一流に属すことも
分かった。すると、今度はその練習方法に話題がいく。やがて、リコが催眠術師で、
イメージトレーニングに力を入れていることが明らかになった。
こうして、リコは催眠術師として名前を売った。お客もたくさん来るようになっ
た。そして、テレビ出演が決まった。そう、ショー催眠としてのテレビ中継である。
それは公開放送型の生放送であったが、何と言っても売りはバレーボールの天才選手
兼美少女のさゆりであった。テレビ局は何度も何度もコマーシャルを流した。
それは、以下の様な内容である。
レポーターが、八人の練習場所に現れ、さゆりに質問するのである。
「今度、先生の催眠ショーに参加するそうですね」
さゆりは照れながら、
「えー、聞いてるんですかー」
と、恥ずかしがる。
「嫌なんですけどー、チームの皆が出るっていうし。それに、私達が出ないと、じゃ
あ、ひどい催眠をかけるのかって言う事になって、来る人がいなくなっちゃうでしょ
う」
「催眠にはかかりそうですか」
「あっ、それは、いつもイメージトレーニングでかけてもらってるから」
「つまり、とってもかかりやすいと」
ここで、女性レポーターがさゆりを指でつつく。さゆりは笑いながら軽く逃げなが
ら答える。
「かけられても、意識はあるんですよ、催眠術っていうのは。だから、そんな変な行
動はしません。べーだ」
と言って舌を出す。
すると、ここで、テレビ場面が変わり
「と、さゆりちゃんは言ってるんですけど、どうでしょうねぇ」
と、司会者が引退した大物スポーツ選手に聞く。すると、
「あのですね、スポーツ選手というのは、監督にものすごくしごかれるんですよね」
「はいはい」
「それは勿論みんな練習の虫なんですが、特訓は本当にきついんです。ていうか、自
分の現在の限界を破壊する訳ですから」
「ええ、ええ」
「そういう風に一回りも二回りも成長していくと、ですね、監督との間に絶対の信頼
関係が生まれるんですよ」
「分かります」
「でね、特訓ていうのは、終わった後、その意味を教えてもらえるんですよ。やって
る最中は教えてくれないんです」
「はー、そうなんですか」
「だからね、鶏を追いかけたり、壁のペンキ塗りをしたり」
「それは、特訓じゃないでしょう」
「だからね、文句言うんですよ。特訓してくれって」
「ええ」
「そうするとね、黙って俺に従うと言っただろうがってこうなんですよ」
「それは、必要な事なんですか」
「練習では、必要ないんですが、試合で、強敵で、もう、負けるって思ったとき、監
督が勝てるって言うと、本当に勝てる気がします。それが、監督と選手の絶対の信頼
関係なんですけどね」
「なるほどなるほど」
「ですからね、壁のペンキ塗り、それが練習だ。はいっていう人間関係なんですよ。
まして、催眠状態でしょう。まず、間違いなく、まーリコさんの思うがままに、操ら
れちゃうでしょうね」
ここで、司会者のアップになり
「実は、全国からこんなに、さゆりちゃんにこんな催眠をかけて欲しいという手紙が
着てるんですねぇ」
「ちょっと、ちょっと、これは、さゆりちゃんの催眠ショーなんですか。集団催眠の
中の一人がさゆりちゃんなだけでしょう」
「まあまあまあ、それで、リコ先生にお願いしてですね。なんと、オーケーをもらい
ました」
「ちょっと、ちょっと、それひどいじゃないですか」
「ご期待下さーい」
という内容のコマーシャル。何と一分三十秒の長さ。コレをテレビ局の強みで、何
度も何度も何度も何度も何度も放送し、視聴者の期待はいやが上にも高まるのだっ
た。
そのコマーシャルを熱心に見ていたのは、ガリ勉の杉山菜々美であった。
「こ、この催眠ショーは」
自然と手に汗が握られる。菜々美の周りには、ノッコに返した後、自分で買いなお
した例の本の他。様々な催眠術関係の本が溢れていた。全国統一学力試験でさゆり達
が高得点を取ってから、その秘密は催眠術にあるのだろうと考え、懸命に自己催眠を
学ぼうとしていたが、なかなか効果があがらなかったのだ。
それならばどこかの催眠療法士のところに行けばいいじゃないかと思われるかもし
れない。しかし、だ。菜々美の様に試験でトップを取ることに生き甲斐を感じている
ような自己顕示欲が強いタイプは、催眠術師に自分の名前を言ったりするのはひどく
抵抗があるのだ。例えば、本の著者であるリコに向かって「いい成績を取りたい」も
しくは「百万円がほしい」と言うのは、どちらもストレートでできなかった。なら
ば、催眠術ショーに出るのはどうなのか。
・・・無理だわ。出る口実がないわ・・・
菜々美は途方に暮れた。
一方、三条由美子もまた、そのコマーシャルを見ていた。由美子ことミコの周りに
は、ペンライトや振り子やメトロノームなどが置かれていた。ノッコやさゆりに早く
追いつきたいと思いながらも、自己催眠では全く効果が上がらなかった。ミコはいつ
でも一番になりたいタイプだ。仲間に入れて下さいなどとは絶対に言えない。
ならば催眠ショーはどうなのか。それについては心当たりがあった。そう、すぐ挑
発に乗るあいつだ。
翌日、由美子は菜々美へ絡んだ。
「菜々美、あんたも催眠ショーにでたらー、成績が上がるようになるかもよ」
「由美子さん。私は充分に成績がいいわ」
「でも、さゆりバレーの連中にはかなわないじゃない」
菜々美はすまして言った。
「次は勝つわ」
由美子は昨日考えた通り、一字一句も違わない菜々美の反応を見て、なんて単純な
んだろうとおかしく思った。
「そんな事言っちゃって、本当は催眠術にかけられちゃうのが怖いんじゃないの」
菜々美は由美子がうまい具合に絡んできてくれたのが、ありがたかった。と言う
か、ここまできてくれたなら、せいぜい利用させてもらうだけだ。
「貴女が、出るなら出て上げるわ。もっとも、由美子さんが怖くなければだけど」
そう言って菜々美は慇懃に微笑む。すると、由美子は菜々美の予想通りに
「あたしに催眠術なんてかかるわけないじゃん」
と答えた。菜々美は由美子の単純さがおかしくてならなかった。
「じゃあ、出るの」
「出るわ。ま、でも、菜々美は怖いなら無理をしなくていいわよ」
「あたしは、怖くなんてないわ。いいわ、でてあげる」
二人の少女は同じ事を思っていた。
「おばかさん。私は適当な深さの催眠に入れたら、あとは抵抗しちゃうけれど、あん
たみたいに単純な子は、最後まで掛かっちゃうじゃない」
そこへノッコが割って入った。
「ねえねえ、二人とも催眠ショーに出るの」
ミコが答える。
「まあね、それに私の様な美人はテレビに出るべきでしょう」
「さゆりさんは美少女だけど、由美子さんは平均的でしょう」
由美子は菜々美を睨みつけた。
「絶対スカートはダメよ。ズボンやスラックスかジーンズをはくのよ」
ノッコの忠告が意味するところが分かって、二人は顔を見合わせた。
「ちょっと、あんたたちの監督ってそういう事するわけ」
由美子が言うとノッコは、
「いや、ジーンズをはいていない人は、予備催眠の反応が良くても客席へ戻すって
言ってた」
「あら、結構良心的なのね」
菜々美の言葉に、ノッコは顔の前で「全然違う違う」と手を振った。
「あの人イタズラ好きだから。あたしなんて、当日は大人用紙パンツはいてくもん
ね」
ノッコはそう言った。
「ろくでもない事考えてんだ」
ノッコはさらに、そう言いウンウンと頷く。
「いくらなんでも、それはダサイよ」
由美子ことミコはそう言う。ノッコはチッチッチッと指を振り
「すっごく怖い目にあうと、漏れちゃうのよ。もしもそうなったら、お嫁にいけなく
なるわ」
二人「・・・・・・・・・・。本当なの」
ノッコは二人に言った。
「怖いなら、やめれば」
ミコは言った。
「菜々美さん、やめたら」
菜々美は言った。
「あたしは大丈夫。由美子さんやめたら」
「あたしだって大丈夫よ」
二人はお互いに意地を張った。しかし、二人とも一番になりたいタイプである。さ
ゆりバレーチームに加わりたいというのが本音だったし、プライドゆえに、入りたい
とは言えない二人。
逆を言えば、催眠の力を最も信じている二人なのである。ノッコの話を聞いて、し
り込みする二人だった。
しかし、二人とも、最後にはこう思った。
・・・ううん、私は大丈夫よ・・・
なにが大丈夫なのかさっぱり分からないが、そう思えてしまう二人は案外いいコン
ビなのかもしれない。そもそも大丈夫だと思っているならスカートをはけばいいと思
うのだが当日、二人はスラックスの下に大人用紙パンツをはく、完全武装ぶりであっ
た。
第三章の三 催眠ショー
リコの催眠ショー。それは、コンサート会場などを使う大がかりなものではなく、
公開スタジオの生中継で行われた。ステージにあがったのも十人の女性と十人の男性
の計二十名。つまり、女性の十人はさゆりバレーの八人と由美子、菜々美で全てであ
る。
公開ステージの神様、年一度の素人参加型の仮装大会の司会者でもある有名コメ
ディアンが、メリハリのあるトークで参加者を紹介した。
「つまり、女性陣は全員お友達なわけですね」
ここで、客席がどっとわいた。
「バレーボールチームの八人の皆さんはいつもイメージトレーニングで催眠に掛かっ
ている訳ですが、由美子さんと菜々美ちゃんは、試したことがありますか」
マイクを向けられた菜々美は「ありません」と嘘をつく。続いてマイクを向けられ
た由美子は、思いっきり猫をかぶり、ブリブリのブリッ子ポーズで
「私の事はミコって呼んで」
そう言われて女性全員がコケた。テレビに映っているからと言って、いくらなんで
もと思ったのである。ところが、頭の回転の速い菜々美は
「もう、催眠にかけられてたの」
と、もっともらしい嘘を言った。それを聞いて、女性陣がいっせいに納得する。ミ
コは慌てた。
「ちょっ、ちょっと菜々美」
「だって、ミィコちゃん手を挙げて」
「はーい」
と、とろいミィコが手を挙げる。菜々美の意図に気がついて女性陣はいっせいに吹
き出す。それに、なにもしらない司会者が、それをネタに盛り上げる。観客はわい
た。
「あのね。あたしは、ミィコじゃなくてミコ」
ところが、司会者は
「ウンウン分かった。ミコちゃんね」
と言ってからプッと吹き出して見せる。それを見てまた客席がドッと沸く。由美子
は頬を膨らませた。
やがて、リコがステージに登場する。
リコはさゆりから順に全員に振り子を持たせ、目の前に掲げるように言う。
「では、皆さん、ジーッとその振り子を見つめているとユラユラと揺れてきます。ユ
ラユラと揺れていきます」
全員の振り子が揺れ始める。
「さあ、今度は縦に揺れます。縦に揺れます」
この振り子運動は、ごくごく浅い催眠状態でも起こるもので、本人がやろうと思え
ば、九十パーセントの人が催眠術師などいなくても行える。振り子は、回ったり、横
に揺れたり、いろいろに動く。
が、男性陣と、由美子、菜々美を除く女性陣は、明らかに瞳の力が違った。振り子
を見つめている内に、女性陣の瞳は虚ろでトローンとしてくる。いまにも催眠にかか
りそうな瞳だった。
ちなみに、テレビカメラはひたすらさゆりだけをアップにしていた。さゆりの虚ろ
な眼差しは、視聴率をうなぎ登りにした。
リコは言う。
「さあ、それではさゆりちゃん。舞台の前にでてきて下さい」
「はい」
さゆりは虚ろな眼差しで頷く。
「はい、スーッと体が後ろへ倒れますよぉー」
さゆりの体はスーッと後ろへ倒れていく。そのまま床へ寝かせると
「さゆりちゃん、体がどんどん固くなります。固くなります。さあ、鉄の様に固くな
りました。もうカチンカチンです」
それからリコは司会者に手伝って貰い、さゆりを二つの椅子の間に乗せた。俗に言
う人橋である。
「それでは、ミコちゃん前にどうぞ」
「えっ、私ですか」
由美子は戸惑うが、リコは頷く。由美子は疑問に思いながら前へ出た。
「それでは由美子ちゃん、さゆりちゃんの上へ立って下さい」
「は、そ、それじゃ、さゆりちゃんが」
「大丈夫大丈夫。さ、立って」
おそるおそる由美子はさゆりの上へ、二本足で直立する。さゆりは二本足で立つ由
美子を無表情で支えた。
「す、すごい」
由美子は驚いた。
「拍手をお願いします」
リコの声に応えていっせいに拍手が巻き起こった。続いて、リコは、
「それでは、次にさゆりちゃんに犬になってもらいましょう」
と、前置きしてから、
「菜々美ちゃん、あのペット皿に、ポテトチップをよそってくれるかしら」
「私ですか」
リコはニッコリと頷き
「そうよ、是非お願い」
「まあ、いいですけど」
菜々美は犬用のペット皿へポテトチップをよそう。
「それでは、ミコちゃんおりて下さい」
ミコはさゆりの上から下りた。そして、リコはさゆりの耳元へ唇を寄せると、
「私はマー坊です。さゆりちゃんは今から犬になってしまいます。さゆりちゃんは犬
になるのがとっても、お上手なのよね、子供に犬にされちゃう位得意よね」
男性陣十人は、いずれもさゆりの熱狂的なファンであった。だもんで、その衝撃的
な事実を聞いて色めき立った。
「な、なに、本当なのか、それは」
男性陣がざわめく。リコはさゆりの唇へマイクを寄せ、
「さゆりちゃーん、お返事してくださーい。犬になるのは好きですかー」
「ハイッ。とっても気持ちいいでーす」
さゆりは応えた。
「おおおっ」
男性陣がざわめく。この瞬間視聴率は六十パーセントを越えた。
「さゆりちゃんの催眠を今から解きます。さゆりちゃんは催眠にかかっている間の記
憶が全て覚えています。では、三つ数えると催眠から覚めます。はい、一、二、三」
リコはさゆりの体の下へ両手をくぐらせると、二つの椅子の間から腰から落っこち
るさゆりをしっかりと支えた。
「うっ、いったー」
さゆりは、腰を押さえてうずくまった。無理もない、直立する人間を支えたのだか
ら。
しかし、リコは平然と
「はい、これはなんでしょう」
と言って、隠し持っていた首輪を見せた。それを見てさゆりは恐怖で顔が引きつっ
た。
「キャー」
大声で悲鳴を上げ、さゆりは客席へ逃れた。
「さゆりちゃん、さゆりちゃんはオデコにキスをしてくれた人が大好きになります
よー」
リコがとんでもない暗示をかける。しかし、以外にもさゆりにキスをしようとする
人はいなかった。さすがにテレビ中継が効いているのだろう。しかし、こんな場合に
備えて、あらかじめ段取りは決めてあった。アシスタントディレクターが合図を送
る。あまり、名の知られていない女の子の子役達が、我先にさゆりに襲いかかる。
「さゆりちゃん、力がスーッと抜けていきます」
さゆりはクラクラして、その場へひたりこんだ。そして、一番足の速かった少女が
さゆりのオデコにキスをする。
「さあ、さゆりちゃんは元気になりました。目の前の子が大好きです」
少女が歯を見せてニコッと笑った。さゆりも歯を見せてニコッと笑う。
「いっしょに遊ぼうか」
さゆりは優しく言った。すると、少女は台本通り、
「お医者さんごっこー」
と、大声で言った。男性陣がおおーっとどよめく。
「うん、いいわよ」
さゆりは無邪気に言う。そして、ステージへ白いカーテンの衝立が四枚用意され、
少女とさゆりを包んだ。少女に白衣と聴診器が渡される。
「うーん、顔が紅いデスねー。それでは胸をみましょう。はいっ、オッパイを見せて
下さい」
「はーい」
さゆりは大きな声でお返事する。ゴルフのインパクトの瞬間に使われる集音マイク
が、服を脱ぐ音を逐一拡大する。
「おおーっ」
男性陣のどよめき、シルエットしか見えないのだが見えなくてもエロチックであっ
た。
「うーん、とっても発育がいいですねー。エッチな事してますかー」
少女は意味も分からず暗記しているセリフを言う。
家庭のお茶の間ではテレビを見ている青少年がお茶を吹き出したり、紅茶を吹き出
したりしていた。
「いいえ、してませーん」
「それにしては胸が大きいですねー」
「はい、自分でもんで大きくしてまーす」
「じゃあ、さゆりお姉ちゃんの綺麗なオッパイをみんなに見てもらいましょう」
「はーい」
さゆりは両手をあげて万歳する。
「えいっ」
少女は衝立を蹴り倒した。
「おおーっ」
男性人の瞳が釘つけになる。その時、照明は不意に消された。まっくら闇。さゆり
の胸のふくらみを見たのは少女だけであった。
と、続いてアシスタントディレクターが近距離用のストロボをバシャバシャとたい
た。勿論、こんな展開になるとは誰も予想していなかったので、お客でカメラを用意
してきた人はいなかった。また、アシスタントディレクターがたいているストロボは
近距離用のものなので、ステージまで光は届かない。
それでも、今、観客達は美少女さゆりのトップレス写真を撮っている、と、誰もが
錯覚した。純情な男の子は鼻血を出してしまったりもした。
翌日、望遠カメラと長距離用ストロボが飛ぶように売れたことを付け加えておく。
日本中の男を踊らせて、リコは改心の笑みを浮かべた。
「さあ、さゆりちゃん。この毛皮をつけましょうね」
さゆりの胸へ、手早くトラ皮を巻くリコ。ここで、照明がパッと点いた。
「はい、さゆりちゃん。催眠からカウント三つで覚めますよ。ワン、ツー、スリー」
パチッとさゆりの瞳に力がみなぎる。そして、
ゴンッ
少女の頭へさゆりは拳骨を落とした。
「うわーん、お姉ちゃんがぶったー」
少女は泣きながら観客席へ逃げていった。
「あらあら可哀想に」
わざとらしく言うリコ。さゆりはリコに噛みつく。
「あんたにだけは言われたくないわー」
「あら、そーう、せっかくさゆりちゃんの為に美味しいオヤツを用意したのに」
そう言ってリコはペット用皿のポテトチップを両手でふらふらさせた。
「・・・・・・・・・・」
絶句するさゆり。そして、さゆりは一目散に観客席へ走り出した。リコは体育教師
がよく使う笛を思いっきり吹いた。
ピーッ
という笛の音がする。すると、さゆりの両足は地面へピタリとくっつき、しかし、
慣性もあって、体は前方へ流れていき、さゆりはビターンと転んだ。
「いっつー」
起きあがった。さゆりの顔面からは鼻血がドクドクと流れ出していた。
「はーい、もう催眠のお時間は終わりです。治療しますから、ステージヘどうぞ」
さゆりはグスグスと泣きながら、ステージへ昇って来た。
「ひどいよー、監督ー」
さゆりは乙女チックな甘ったれた声で言った。あくまでもリコはニコやかに、
「はーい、さゆりちゃんは犬ですよー。ワン」
と、さゆりの瞳を覗き込みながら言った。すると、さゆりはあっさりと催眠術にか
かってしまう。
「ワ、ワン」
「さあ、さゆりちゃん、素敵な首輪をつけましょう」
「ワンッ」
元気の良いお返事だった。ところが、ここで、アクシデントが起きた。熱狂的なさ
ゆりのファンであった、ステージにいた男性の一人が、とうとう怒って、さゆりを虐
めるリコに自分が座っていた椅子を思いっきり投げつけたのだ。
スチャラカくの一で、訓練も怠ける、ダレまくっているリコは、予期しないこの攻
撃に対して、何の反応もしなかった。
ゴンッ
後頭部へ炸裂した。椅子が、だ。
「ん、が・・・」
意味不明の呻きを残し、リコは昏倒した。脳挫傷だった。救急車がやってきて、リ
コは運ばれていった。リコは奇跡的に完全回復し、医学界を驚嘆させ、貴重な症例に
なったが回復までは三ヶ月を要した。
そして、スタジオでは、さゆりが犬になったままであった。司会者はパニックを起
こした。
「ど、どうすれば」
司会者はうろたえた。その時、お蘭の方はスックと立ち上がった。そして、堂々と
ステージへ上がる。
「あ、あの」
うろたえる司会者を無視し、さゆりに近づくと、お蘭の方はそれから、さゆりに一
本指を突きつけた。
「カーツ」
と、一声。さゆりは瞳をパチクリさせた。
「あ、あれ、私」
状況がつかめないさゆりを無視して、お蘭の方は客席へ向かい深々と礼をすると、
舞台袖から外へ出た。
「あー、これは、どうしたらいいのかなっ」
立ち直った司会者が独特のイントネーションでウケを取ったが、問題の解決にはな
らない。ところが、さゆりは
「私、監督を呼んできます」
と、言った。
「あ、今、救急車でね。だから」
説明する司会者にさゆりは、
「大丈夫。監督は特別です」
そう言い切って舞台袖へ消えた。そして、さゆりは素早く変装の術でリコに化け
る。
「お待たせしました」
リコに化けたさゆりはニコやかに登場した。
「あ、あらー、もう、大丈夫なんですか」
「舞台には命かけてますから」
「はあ、それで、さゆり君は」
「さゆりですって、逃げたんですか」
「いえ、あなたを呼びに」
「逃げたんですね」
「うーん。なるほど、逃げたのかな」
「なぜ、逃がしたの」
「と、言われても」
「バカー」
リコに化けたさゆりのキックが司会者の顎先に命中。
「はば、へらけ」
と、言い残し、気絶する司会者。
「それでは、皆さん、気を取り直していきましょう」
さゆりは元気良く言った。
それから、さゆりは被験者全員へ目を瞑らせ、メトロノームの音を聞かせた。メト
ロノームの音を聞かせながら、
「大きく息を吸ってー、しずかーに吐く。大きく息を吸ってー静かーに吐く・・・・
・」「右手が重くなる。重くなる重くなる。右手が重くなる重くなる・・・・・」
「左手が重くなる。重くなる重くなる。左手が重くなる重くなる・・・・・」
「右足が重くなる。重くなる重くなる。右足が重くなる重くなる・・・・・」
「左足が重くなる。重くなる重くなる。左足が重くなる重くなる・・・・・」
「右手が温かい。温かい温かい。右手が温かい。温かい温かい・・・・・」
「左手が温かい。温かい温かい。左手が温かい。温かい温かい・・・・・」
「右足が温かい。温かい温かい。右足が温かい。温かい温かい・・・・・」
「左足が温かい。温かい温かい。左足が温かい。温かい温かい・・・・・」
と、極めて基本的な、言うなれば催眠初心者が最初に習う、極めて初歩的なバー
ジョンの催眠誘導を行った。
それでも、バレー部の七人は当然の如く深い催眠に入った。そして、菜々美と由美
子にとってはさんざん練習して失敗した誘導法だった。けれど、さゆりの技術は確か
である。失敗続きと言っても、その練習はムダではなかった。さゆりが二人の肩の力
を抜いてやりリラックスしたまま、やさしーく語りかけると、二人はスーッと催眠の
世界へ誘われていった。
・・・いつもと、違う・・・
二人がそう感じた事は催眠誘導の効果を十倍にも引き上げた。二人は、じっくりと
さゆりの声に身を任せ、催眠の世界へ落ちていった。ゆっくりとしたさゆりの口調
は、ゆっくりと二人をふかーい催眠に掛けていった。
三十分が経過した。
「さあ、皆さん、左手がスーッと上へ上がっていきます」
女性陣全員の左腕がスーッと上がっていった。これは、観念運動の中では最もきき
にくいのだが、女性陣全員の左腕は見事に上がっていった。
さゆりは頷くと、
「さあ、三つ数えると左腕が石のように固くなります。一、二、三」
女性陣全員の表情が痛みをこらえるそれに変わる。左腕に痺れが走っているのだ。
「うっうっ、うー」
かかりやすい、ミィコが呻きを漏らした。
「ミィコちゃん、ミィコちゃんの左腕はすーっと元に戻るよ。ほーら、元通り」
ミィコの左手はスーッと下がりミィコはホッと胸をなでおろした。
「それでは、皆さん。私が手を叩くと体中の力が抜けます。そして、自分の名前を忘
れます。さあ、それでは、手を叩きます。左腕は勿論、全身の力が抜けて、椅子の背
もたれにおもいっきり体を預けてしまいなさい」
パンッ
さゆりは手を叩いた。女性陣はグッタリとなり、椅子の背もたれへダラーンと体を
預けた。
「三つ数えると、体に力が沸いてきます。しかし、皆さんは犬になってしまっていま
す」
そう繰り返し唱えながら、さゆりは人数分のペット皿にポテトチップをよそった。
全てよそり終えると
「一、二、三」
と、唱えた。バレー部の七人は一も二もなく犬になりきっていた。しかし、由美子
と菜々美は犬の様な気もしていたが、忘却暗示がかけられていないので、さゆりに言
われたからだ、と、気がついていた。しかし、潜在意識は犬だ、犬だと騒ぎ、理性を
保つのが大変だった。理性などかなぐり捨てたい。そうすれば、きっと、楽になれ
る。二人は、そう思っていた。
「さあ、美味しいごはんですよ」
バレー部七人の首が、一斉にペット皿を向く。
「まだ、食べてはいけません。おあずけです。おあずけ、食べてはいけませんよ」
七人は呻いた。
「グルルル。グルル。グル」
「キャン、キャン、キャン」
「クーンクーン」
「ワンワンワン」
「ウー、ウー」
「わんわんわんわんわん」
「ばうっばうっばうっ」
さゆりは腕を振って言った。
「はい、よし」
七人は一斉に食べ始めた。ない尻尾を振っているつもりで、懸命に喜ぶ。
由美子はゴクリと生唾を飲み込んだ。みんながあまりにも美味しそうに食べるから
だ。
「あー、もう、いいや」
由美子は人間の言葉をしゃべった。そして、四つん這いになって、ポテトチップを
食べ始めた。
「うめぇ、これは、うめぇぜ」
自然と尻尾を振ってしまう由美子だった。それ以前に、口調がお嬢様のものではな
く、野生児の口調にかわっていた。
「ミコちゃん。気分はどうですかぁ」
「さいこー」
「ワンワンというと、もっとサイコーですよ」
「ワンワン」
思考力がかなり麻痺していた由美子は、つられてワンワンというと、それっきり人
の言葉を喋らなくなった。催眠術が解かれるまで、由美子は口を開けばワンワンだっ
た。
ただ、一人、菜々美だけは生唾を飲み込み耐えていた。
深夜、家族が寝静まってから、菜々美はペット皿がないので西洋皿にポテトチップ
をよそり、四つん這いになって食べた。
「美味しい」
菜々美はそう言った。しかし、一皿食べても満たされなかった。とうとう一袋食べ
ても満たされなかった。
そして、その姿を天井裏からさゆりが観察していた。さゆりは、菜々美の母親の声
を真似て言った。
「ドッグフードが食べたいのよ」
「ママ」
菜々美はギョッとした。しかし、母親の姿は寝室であり、ぐっすりと眠っていた。
「私の心の声かしら」
菜々美はそんな風に振る舞った。
次の日
菜々美はドッグフードとペット皿を買い、四つん這いになって食べた。おいしかっ
た。そして、尻尾も振ってみた。そして、小声で
「ワンワンワン」
と言ってみた。しかし、満たされなかった。
それを天井裏で観察していたさゆりは、再び菜々美の母親の声を真似て
「大きな声よ」
と、言った。
「ダメ、パパとママが起きる」
「グッスリ寝ているわ」
「大丈夫かしら」
「考えてはダメ。欲望を解放するの」
「でも」
「勇気を出して」
「でも、そのまま、犬になっちゃったら」
「大丈夫よ」
「本当」
「大丈夫よ」
「うん」
菜々美は大きく息を吸い込んで
「ワンワンワン」
と、言った。心がスーッと真っ白になった。最高に気持ちが良かった。そして、
菜々美はそのまま犬になった。
天井からスーッと八ミリビデオを持ったさゆりが下りてきた。
「はい、おすわり」
菜々美はお座りした。
「三回回ってワンと言って」
三回菜々美は回ると
「ワン」
と言った。
それをさゆりはビデオでじっくりと撮影する。
「菜々美ちゃんはもう催眠術に抵抗できないわ。すぐに催眠術にかかってしまうかわ
いい子よ。それから、目覚めたときは操られていた記憶はなくなっているの。分かっ
た。すぐに催眠術にかかる様になった菜々美ちゃん。目覚めた時は、操られていた記
憶はすっかりなくなっているわ。それから命令があるまで、いつもの菜々美ちゃんで
いなさい。命令が下れば、すぐに操られる、それがこれからの菜々美ちゃんよ」
菜々美はコックリと頷いた。
「菜々美ちゃんは催眠奴隷、菜々美ちゃんは催眠奴隷よ。わかった」
菜々美はコックリと頷く。
「さあグッスリと眠りなさい。ほーら瞼がおもーく、まあ、スッカリ閉じちゃったわ
ね、とてもいい催眠奴隷よ。おやすみなさい」
さゆりは少し待って充分に深い睡眠に達してから菜々美をベッドへあげて、そーっ
と布団をかけてあげた。