2008年8月21日 (木)
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ランチ友達
お昼前にワイキキで待ち合わせて、R子さんとランチ。 ハワイへ来るようになってからお付き合いが始まったお友達だ。R子さんは私と同じように夏と冬をハワイで過ごし、こちらではご主人とほとんど毎日ゴルフを楽しんでいる。たまに二人だけでランチを楽しむ。
憲さんのゴルフ仲間でいてくださった方だ。ご主人は「どこか素敵なところで食べてきたら?」と言ってくださるらしいが、私たちはごく庶民的でフードコートだったり、ホテルのテラスだったりが気楽でいいわ!というタイプ。
今日も、気楽に長ーい時間座り込んでおしゃべりできるところを探した。ロイヤルハワイアンショッピングセンターにフードコートができて、案外静かなのでゆっくりとお話ができる。今日はそこに行くことにした。「あーら、そんなところにフードコートができたの?知らなかったわぁ。。」アラモアナ方面に住んでいるR子さんはワイキキに疎いという。「アラモアナの田舎から来ましたので。。」と笑う。本当に楽しいお友達なのだ。
時には涙ぐみ、笑い転げる。相談もし合うし、ハワイ暮らしの情報交換も。。 この歳になって、こんなに話せる友達ができるなんて。。とまた、二人で喜びあった。日本でもそう遠くないところに住んでいるのに、めったに日本では会わない。会うのはハワイ。。。
そんな仲間がいてくださることが本当にうれしい。
5時間近く一緒に過ごして、私は歩いて帰った。バスに乗ることがほとんどなくなって、車か徒歩。最近8番バス以外に23番とが24番という見慣れない番号のバスがワイキキとアラモアナを結んでいるようだ。便利になった。8番バスがなかなか来なくて困ることが多かったのだけれど、観光客にも喜ばれているにちがいない。
「ね、自転車で、この辺りを走ってみない?」と誘ってくれるお友達もいる。 彼女の自転車を借りて2人でサイクリングをしてみてもいいな、、と思っている。楽しみがまた一つ。。。
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2008年8月20日 (水)
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三つの工事
夕方、本当に久しぶりに、おそらく2年数ヶ月ぶりに、アラワイ運河のほとりを散歩した。3年前のオアフの大雨続きの春、ワイキキ一帯に下水があふれて大変なことになったので、大掛かりな工事がおこなわれていた、太いパイプを運河の底に引いて下水を海に流すための工事で、長い間いつもの遊歩道が封鎖状態だった。この7月こちらに戻ってきたら、工事が終わっていて以前のように人が走ったり歩いたりしている姿が戻ってきていた。プルメリアの並木があったり、ベンチがしつらえてあって、なかなか気持ちのよい遊歩道なのだ。家から運河沿いをマッカリーの橋まで往復すると40分くらい。憲さんともよく歩いた、懐かしい道だ。
夕方私一人で散歩をして戻ってくると、憲さんの料理が終わったばかりで「お!ちょうどいいタイミングで帰ってくるもんだなあ。。」とあきれられたりしていたっけ・・・。
今日は久々の散歩なのでペースを上げずゆっくりと歩いて、距離も半分くらいで戻ってこようと思っていたが、スイスイと歩いてしまい、マッカリーの橋まで行き着いてしまった。ふと見るとマノアのあたりから、美しい虹が立ち上っていた。ここまで歩けたご褒美のように思えた。
そのまま同じ道を戻るのもつまらないので、クヒオ通りに出て、さらにカラカウア通りを歩いて家まで戻ることにした。散歩着姿だったから、華やぐ夕方のワイキキには場違いな格好なんだけど、ハワイではなんでもあり。。気楽なものだ。
いつも通っていたカラカウアのパシフィックビーチホテルのジムも、改装予定とかでずっと閉まっている。私は3年間のメンバーの契約をしているので、そこが閉まっているのは困る。そのうち期限切れにでもなったら、大変。そう思っていたので、散歩の帰りに寄ってみることにした。顔見知りの従業員がいたので「ここを使えない間、この会員権はどうなるの?」と聞いてみた。「はい、すみません。改装工事を始めるところなんです。うまくいけば11月くらいにオープンでしょうか。。貴女のカードを見せて下さい。来年二月にはこちらに戻ってくるんですね。きちんとそれまでフリーズして会員権の確保をしておきますからね。大丈夫ですよ!」と、にっこり。新規の会員も募集しているから、再開は間違いないようだが、11月オープンというのはあやしいものだ。ハワイアーーンタイムだからなあ、、私はそう踏んでいる。少なくとも私がこちらに戻る予定の二月には新装オープンしていてほしいなあ。。と願っている。
この家のキッチンがかなり古くなってきて、ガタがきて、もう我慢ができないというところまで来た。 年に半分しかいないにしても、キッチンは毎日使う大事なところ・・・ 多少の手直しではもう無理。。そう思って、業者をさがして改装の見積もりをお願いした。 人のよさそうなフレッドというおじさんが来てくれて話し合いを持った。なんとか実現できそうだ。。と思い、娘たちとも相談して、思い切って改装することにした。
リビングとの仕切りも一部取り払い、開放的なキッチンにしてもらう。 わが家の料理長の憲さんがいたらどんなに張り切っただろうと思うと、気持ちは複雑でどこかに躊躇する気持ちもあったが、今がその時期だと思い、決心した。
10月私が日本に帰ったあと、工事に入ってもらう。留守中の工事は、確かに不安だがそのフォローを全面的にしてくれる、エージェントがあるので安心だ。普段こちらにいないコンドのオーナーが多い土地柄だから、そんな便利なシステムが完成している。
来年2月、戻ってきたら新しいキッチンだ。 キッチンからもダイヤモンドヘッドが一望できるようになる。とても楽しみだ。
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2008年8月19日 (火)
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ようこちゃん
ハワイには「ようこちゃん」という大事なお友達が居る。 80歳だけれど、とてもそうは見えないおしゃれできれいな、素敵なおばあちゃま。赤い口紅がよく似合う。
私たちは5年ほど前、ホノルルのなんとジムで知り合った。私たちは「メル友」でもある。 もう一度書くけれど、ようこちゃんは80歳。私は61歳。。。お互いまだらボケを嘆きあい、励ましあう仲だ。妙に最初から気が合った。聞けばお互いに京都出身。年代こそ違うけれど、京都のあの空気を吸って育ったということがわかった。それに今は、お互いに1人暮らしだ。
このようこちゃんは、昨年ご近所からの火事の被害にあい、九死に一生を得た経験をなさった。私はそのとき日本にいた。「彼女のコンドで火事があった、、」と知人から知らせがあった直後、私はインターネットのニュースのビデオ画面でようこちゃんが車椅子で半ば意識をなくした状態で救急車に乗せられる姿を発見、ただ呆然として、涙を流しているよりほかにすべがなかった。その時ようこちゃんが着ていたTシャツが真っ赤で、いかにもようこちゃんらしいと思い、余計悲しかった。
その数ヶ月まえに憲さんを亡くし、落ち込んでいた私に、襲い掛かった恐怖と悲しみだった。 この火事による被害者はシニア女性2人。2人とも重体。。そのニュースは伝えていた。 なんとか元気になってほしい、ようこちゃん頑張れ!!祈るしかなかった。一時はハワイの新聞でようこちゃんはかなりの重体らしい。。と伝えられもした。誤報だったが、一時は亡くなったという話もあったという。
そのうち私たちの共通の知り合いから電話が入り、ようこちゃんの意識が戻り、もう大丈夫。。との連絡を受けた。本当にうれしかった。。。
しかしその後、よりよい治療のためにワシントンの息子さんのお家に引越しされ、私にはようこちゃんと会える日すぐに来るとは思えなかった。淋しかった。メールも途絶えたし、時折電話でお話しするだけになった。それでも元気でいてくれることが嬉しかった。
ようこちゃんは約60年前に日本からお嫁に来て、ずっとハワイで過ごした人。元気になったらハワイへ戻り独り暮らしを再開する。。そう、宣言して見事に回復してハワイに戻ってきたことは知っていた。
しかし、風のウワサで、ようこちゃんはワシントンの息子さんのところに行っているから、最近ハワイにはいないらしい。。と聞いていた。今回はようこちゃんには会えないんだ。。とすっかりあきらめて、お電話もしなかった。ところが、この7月、私がハワイに戻ってきてすぐ、夜更けに思いがけないところでその「ようこちゃん」に遭遇、感激の再会を果たした。信じられない展開だった。うれしかった。
「ようこちゃん、ハワイにいたの?!!会いたかったよ〜!!」と彼女をしっかりと抱きしめたら、私よりもずっとずっと健康体でびっくりした。火事の後遺症もすっかり癒えているようだった。
以来、私たちは会えなかった時間を取り戻すように、何度も会い、今まで以上に一緒に過ごす時間を楽しんでいる。二人はほとんど京都弁で、たまーーに英語で、楽しいおしゃべりをする。昨夜も我が家で一緒に食事をして、あれこれおしゃべりしてふと気がついたら、夜中の12時過ぎ。疲れ知らずだ。
老人二人のすることではないよね。。と大笑い。私のお母さんと言ってもいいくらいのお年なのに、なんとしっかりしていることか。。ボケ具合は私のほうが進んでいる。コレには参る。
一緒にお食事をしても、ようこちゃんはいつも完食。とてもついていけないほどの、元気さだ。
お互いに悩み事も語り合う。ようこちゃんからは的確な答えが返ってくる。ありがたい。。 アメリカでのものの考え方、アメリカ人の思考と日本人のそれとの違い。。少しはわかっているつもりだったが、目からウロコのことばかり・・・
この歳になって、こんないいお友達ができるなんてと、お互いに感謝し合っている。 ようこちゃんも私を「きょうこちゃん」と呼ぶ。私たちの今の夢は、二人で京都へ旅行すること。
いつか「ようこ&きょうこ故郷への旅」を是非とも実現したい。
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2008年8月17日 (日)
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同居人?
Mちゃんがフラのレッスンを兼ねたハワイ滞在を終えて今朝、日本に帰っていった。 彼女の滞在中、私のところにはマヤがいて、孫中心の生活をしていたのと、フラの自習を全く怠っていた我が身と心がついていけなくて、本当に珍しく私はレッスンを受けなかったが、Mちゃんはきちんとレッスンを受け、健康色に日焼けしホノルルを満喫していた。
Mちゃんとはお付き合いも長く、マヤママとも同年輩で2人がお友達でもあるので、Mちゃんとマヤ、マヤママと私でお食事もできたし、K先生と一緒にプロジェクトの話し合いもできた。
それにしてもK先生、見るたびに、身体が大きく成長?していて驚く。ハワイアンの血がそうさせるのか。すっかり貫禄がついた。いいのかな???ちょっと心配になった私たちであった。
ある日Mちゃんと二人で新しくできた「セーフウェイ」に出かけた。彼女はハワイに度々来るけれど、ワイキキ以外の地元のスーパーに出かけるチャンスがいままでなかったという。 行って見ると、真新しいセーフウェイがあまりに立派なので彼女はびっくり。品揃えの豊富さと、珍しい商品に時間を忘れて歩き廻った。
「これ、なんですか?どうやって食べるの?これ何に使うのかしら?」 私にわかる限りの説明をして、私も新製品などを改めて見直すことができて楽しかった。
Mちゃんも、セーフウェイのメンバーズカードを手に入れ、お安く購入できるようにした。申し込むには住所・電話番号を書かなくてはならない。Mちゃん、ちょっと戸惑う。。「あの、日本の、、でいいのかな?」。。。
日本人でも観光客でもメンバーになることが可能だとは思うけれど、もし色々言われたら面倒だ。 そこで私のハワイの住所と電話番号を書き入れた。つまりMちゃんと私は同居人になったわけだ。これで今日からMちゃんはここでお安くお買い物ができる。
このメンバーズカード、簡単に手に入り年会費不要だが、これが結構役に立つ。 メンバー以外の人が購入するのと、かなり値段に差がつく。 先日、66ドル60セント相当の買い物をして、レジに並んだとき、提示すべきカードが見当たらなくなった。いくら探してもない。 で、カード無しで払うことになった。66ドル。。7300円と少しの買い物なのでカード無しは痛かった。あきらめ切れない私はレジを出てからもう一度財布を点検。
あった!カードが!!他のカードに貼り付いたかたちで隠れていた。この頃こういう失敗が多い。ああ、シニア。。である。がっかり。。
でもそこでめげてはいない、カスタマーサービスカウンターに直行!「私、今日の買い物の分、一旦払いましたけど、あとでカードが見つかったの。。」そこまで言うと、係のオネエサンは、「OK.レシート見せて。。」 あっけないほど快く計算しなおしてくれて、メンバーズの価格にしてくれた。「はい、お返しするお金です」。。。なんと戻ってきたのが8ドル26セント。すごい!!
もともとお高めの値段がついていて、メンバーになった人の特別価格をさらに表示して購買心をあおるのだろうと考えていたが、ここまで数字が出ると、感激してしまう。カードをあとで提示しても、即、差額を返してくれる懐の大きさもさすが、アメリカ。。。
Mちゃんもそのカードを持って満足そうだった。セーフウェイで私のオススメのアヒポキを買い、お向かいにあるレナーズで有名なマラサダを買い、オープンエアで心地よいコーヒーショップでランチにした。 ポキとマラサダ、それにコーヒー。。なんともおかしな組み合わせだが、食べたかったものが一度に揃ったのだから、ここで新鮮なうちに食べるしかない。。「いいんですよ、だってコレが食べたかったんだから。。」とMちゃんが言うのでホッとした。本当においしかった。
「はーー。ハワイってやっぱり、いいですねえ。。。これからこういう滞在もしてみたいな。。。」Mちゃんがつぶやいた。
キラキラしたワイキキを少しだけ離れて、ローカル色豊かなカパフル通りの空と風の中で久々にMちゃんとゆっくり話せて、私もうれしかった。
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2008年8月16日(土)
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シマクラさん
北京オリンピックも女子マラソンが終わり、日本の選手が活躍できなくて残念無念! 出場したものの途中棄権になった土佐選手の不調の原因が、外反母趾だとのこと。私も外反母趾なので、あの痛み、それをかばうために起こる新たな故障がよくわかる。
その昔、東京の某バレエ団で踊っていた頃、足の親指の付け根を痛がっている団員が多かった。私もその1人。毎日履くトウシューズがその原因だった。つま先で立つために固くなっている部分(皮とニカワで固められている)とサテンでできている布のやわらかい部分との境目がちょうどあの部分にあたるのだ。
多くの人がその痛みに耐えながら踊っていた。バレエ団ではこの症状を『シマクラさん』と呼んでいた。何でもこの症状がとても強い先輩がいらして、その方のお名前が『シマクラ(島倉?)さん』だったことから、この名前がついた。「あーー、今日はシマクラさんが痛むわ。。」「私もこの頃シマクラさんがひどくって」という具合に使っていた。私のバレエ団だけに通用する言葉だった。
とは言うものの、誰もその「シマクラ」さんと言う先輩に会ったこともなくマボロシの先輩だったのだが。。。。
そのころはバレエダンサーの職業病だと思い込んでいた。 ところが、のちに「外反母趾」という病名を知ってから普通の人もそこが痛むことがあるのだということを知った。ハイヒールの履きすぎとか、いろいろ言われるが、わたしの次女などは高校生の頃から立派に外反母趾。ハイヒールとは関係ないのでは?と思っている。
私もいまだにシマクラさんと付き合っているが、ハワイで暮らすことが多くなってからその痛みが激減した。常に素足でストッキングすらはかないから、足を締め付けないからだと思っている。
ハワイにいて、この上もなく気持ちがいい一つの大きな要因は素足でいられることだ。 お陰で私の外反母趾は、今はすっかりなりを潜めている。
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2008年8月15日 (金)
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マヤ帰国、そして。。
今朝、マヤとマヤママがハワイを発って日本に帰った。 ホノルル空港で、マヤママと抱き合って別れた。すぐ会えるのに、お互いにちょっとウルウル・・・ありがとうね、楽しかったわ!!
久しぶりに親子水入らずで過ごせた上に、可愛い孫までいて、本当に満ち足りた日々を過ごした。快適な気候のなかで、マヤは長い時間をオムツだけの姿でコロンコロンと絨毯の上に寝転がっていたし、それがいかにも快適そうで見ていても心地よかった。子供を育てるには最適の気候だ、、と改めて思った。
「ベビーが乗ってます。。」というステッカーを貼った車を私は幸せイッパイで運転したし、マヤママは車窓からの海の色を堪能してくれた。夢のような日々だった。
夜、マヤママから無事帰国しました。。というメールが成田から届き、、マヤはフライト中も一度もぐずることなくスチュワーデスから「Best baby!」とほめてもらってうれしかった、、とのこと。 私もホッとした。
赤ちゃんを連れていると、今までの視点と違うところでものを見るようになり、他人様とのコミュニケーションも自然に増え面白かった。ショッピング大好きなマヤママが自分のことはさておき、マヤのものばかりを選んでいる姿をみて「ああ、この子も母親になったんだなあ」と感慨もあった。
長期に滞在できたのはマヤパパの暖かい理解のお陰だったし、こうしてハワイに住んでいられるのは憲さんパパのお陰だし。。。感謝、感謝の日々だった。
滞在中、私の大事なハワイのお友達たちにもマヤを見てもらえたし、フラのK先生にマヤも抱っこしてもらえたし、マヤも人と顔が合うと微笑み返しができるようになり、いろんな人に可愛がられて幸せだった。彼女の記憶には残らないだろうが、初めての社会への参加でもあったわけだ。
また、なにより憲さんの3回忌を三人で過ごせたのは幸せだった。 今まで意識はしていなかったものの「強くあらねば、、」と張っていた気持ちが少しずつ楽になり、本来の自分に戻れたような気がしたのもうれしかった。
私はフラより孫、、と宣言していたが、そろそろフラへの復帰ができそうだし。。 フラより孫というより、、孫あってのフラ。。ということになりそうだ。 バアバがたのしくフラを踊る姿を孫たちにみてもらう、、そんな目的も勝手に作り上げちゃったし。。
さ、忘れかけた振りを思い出すことから始めよう。。
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2008年8月10日 (日)
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平和な日曜の午後
カパフル通りに、スーパーマーケットの SAFE WAY ができて、とても便利。私の日常の買い物はもっぱらここで、ということになった。今までいろいろなスーパーを利用したが、ここはお買い物だけではなくほかに楽しみがある。
真向かいが「元気寿司」・・・ちょっとお寿司が恋しくなったら手ごろで良い店なのだが、ここは、駐車場が狭く使いにくかった。でもこれからはSAFE WAY に車を止めてくればいい。
その上、マラサダで有名な「レナーズ」が「元気寿司」のすぐお隣、ときている。コレはとても嬉しい。 ここもわざわざ出かけていくには不便なところだったのだが、それが一挙に解決。
今日は、マヤママとマヤと三人で、お買い物を兼ねて「元気寿司」と「レナーズ」のはしごをした。 おなかいっぱいお寿司を食べたあと、マラサダを買い、SAFE WAYのコーヒーショップでほおばった。シナモンシュガーのマラサダが、とても美味しかった。
お腹を満たした後、SAFE WAYでお買い物。ここの「リム」と「ククイナッツ」の入ったアヒポキがおいしい・・・。マヤママのお気に入りだ。今夜の夕食はポキとアツアツのご飯・・!と決定。
今日はSAFE WAY 周辺で満ち足りた時を過ごした。
帰りにサーッと雨がふり、目の前に大きなダブルレインボウが。。。 あーーハワイ!! 平和で幸せな午後だった。 マヤたちの滞在もあと5日になった。あっという間に3週間が過ぎてしまう。 せいぜい残りの日々を楽しんで欲しい。
マヤたちは、帰国しても忙しい。 9月半ばからパパのご両親の待つイスラエルへ旅立つ。 マヤ一家にとっては楽しみな3週間のバケーションを兼ねた里帰りになる。
今からその準備も始めていて、彼女たちも忙しい。生後わずか5ヶ月で、ハワイ〜日本〜ドイツ経由イスラエルへの旅をこなすマヤちゃん。元気で頑張るんだよ!!
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2008年8月10日 (日)
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あの頃の中国
先日の北京オリンピック開会式を見て私がその素晴らしさに驚き、特別に感動を覚えたのには理由がある。私は所属する女声合唱団の公演(友好活動)のために、25年前から、つまりまだ日中両国の国交が回復して間もないころから計8回,中国へ出かけている。あの当時を振り返ると、隔世の感があって面白いというか、余りの変化に唖然としてしまう。
中国側からのインビテーションがないと、入国できない時代だったから渡航手続きも大変だった。 合唱団として、友好活動で行く。。という目的だから、団体のインビテーション扱い。 こちらから提出した団員名簿の順番どおりに入国審査がおこなわれる。 空港で「はい、名簿の順に並んで!!」・・・驚いた。
レストランやホテルで歓迎宴が催される。そこに入場するのも名簿の順、、、まるで小学校の生徒に戻ったような気分だった。
まずは初めに訪れたのは上海だった。空港を一歩でたときから、目に入るすべてのものがモノトーン。いわゆる人民服、人民帽で歩いている人がほとんどで、空も灰色、建物も歴史を感じさせるものばかりで、墨絵のようだった。車より、自転車が多い、、大人の人々の顔に笑顔がない。 子供たちはみんな可愛く、無邪気な笑顔を振りまいてくれるのに・・・なぜだろうと思った。
服装や毛色の違う我々を見るために周りに人々が集まってくる。観光地ではいつの間にか、人民服の集団に取り囲まれていた。有名人を遠巻きに眺める集団。。そんな感じなのだ。もの珍しそうに、無表情に私たちを眺めている。ちょっとこわかった。
しかし、こちらがカメラを向けると嬉しそうに「うちの子を撮って下さい」と笑顔で近づいてくる。カメラに撮られるということが、珍しく嬉しいことだったのだろう。
そんな交流は楽しかったが、なかなかプライベートな自由行動は許されなかった。決められたお店でしか、買い物もできなかった。中国人民が使う人民元と我々外国観光客が使うお金の種類が違っていたからだ。まだまだ、中国はそんな時代だった。
たまに高いビルを建てているが、その足場はなんと竹。「うーーん!中国!」と唸ったものだ。
最初に公演をしたのが1985年春の上海。
当時から、もっともモダンといわれた都市のはずだったが・・・・。 公演のための劇場、、これは一応外見は立派なのだが、建ててから一体何回お掃除をしましたか??と聞きたいほど汚れていて、我々は持参した雑巾で、舞台、楽屋を掃除をしてから使う有様。マスクをしていても、ほこりっぽくて喉をやられる団員も多かった。
もっと驚いたのは、冷房も暖房も入らない、楽屋や舞台のライトがつかない。。。つまり電気がこない、、というのだ。25年前、日本でもまだめずらしかったレーザー光線を使って舞台作りをするという、私たちの夢をかなえるために、沢山のスタッフが日本から同行してくださっていた。レーザー光線を操るのはもちろん電気や大量の水が必要だった。ところが電力不足だというのだ。
「え?なに??電気が使えない???俺達にどうしろって、いうんですか!」 スタッフたちの驚きといったらなかった。
周辺の工場の就業中は、電力がそちらに取られるため、劇場までまわす余裕がない。。。というのだ。劇場側が何とか手に入れてくれた、私たちの舞台に使う演出用のミラーボールが舞台の天井から落下して、危うく団員が怪我をしそうになったことも。。。
とにかく何が起こるか、わからない。「中国はワンダーランドね。。何が起こってもあわてず、柔軟に処理をしていきましょう」我々はそう言ってカルチャーショックを楽しんだ。
現地のスタッフとケンカ腰でやり取りをしながら、また我慢も強いられながら、公演がなんとか成功したときにはみんな涙、涙だった。
知られているように、中国のトイレ事情も大変だった。ドアなんてないし、溝が掘ってあるところでみんなで一斉に用を足す。なんとも大変な経験をしながらの旅だった。あれから25年、中国の変わりように目を見張ってきたが、また驚かされた。「すご過ぎるよ、この中国の変貌ぶり!!」
北京リンピックの中継を娘とと孫と三人で見ながら、久々に懐かしく古きよき中国を思い出している。
水泳の北島選手が、今日世界新を出して堂々の金メダル!! 久しぶりで、誇らしい気持ちで「君が代」を聞いた。
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2008年8月8日(金)
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北京オリンピック開幕!
2008.8.8 中国ではお目出度い数字、8並びの今日、北京ではオリンピックの開会式がおこなわれた。
「予想以上に素晴らしい開会式だったよ!」出張でシンガポールにいる、マヤパパから電話が入った。こちらハワイでは開会式の実況テレビ中継はなく、数時間後にこちらの時間に合わせて録画で放映された。
アメリカでオリンピック開会式テレビ中継をみるわけだから、当然アメリカ選手団を主に紹介する。日本の選手団入場なんて、サーッとスルーされたような感じで味気ないこと。。 あいちゃんが旗手だった。。ということだけは、はっきりわかったけれど。。
世界中の選手団は、すっかりリラックスしていて、以前のような固さがない。。。いいなぁ、、と思う。
素晴らしい演出で魅了されたが、気になったのは選手団入場のときに迎えた白い服の大勢の女の子達。ずっーと笑顔で、ステップを踏んで動きっぱなし。。私の多少の経験から言ってもあの動きを選手入場の間中、ひたすら続けるのはいくら若くてもつらい。それが気になって後半注意してみていると、若い女の子達の足並みが乱れていた。。。。そして良く見ると、腰にぶら下げているのはアクセサリーではなくて飲料水のボトルだった。あれで水分補給しながら、踊り続けることになっていたんだろう。
なんとも過酷なパフォーマンス。本当にご苦労様でした!
中国には合唱団の公演などで8回か9回いや、もっとそれ以上(はっきりした回数がわからないのが自分で怖い)出かけたし、私なりに思い入れがある。そして今回からは、日本はもちろんアメリカも、ドイツも、イスラエルも身近に感じるようになってオリンピックの見方も変わってきた。 不思議な気がする。
北京に一堂に会した各国の人々が、仲良く手を取り合って、同じ時間と空間を共有し、喜びに浸っている姿をみて、なぜ世界が平和にならないのか、いつまでも戦争が続くのか?と悔しい思いがした。
今日、2008.8.8、ホノルルの中華街でも、今日の日のためにお祝いがあったようだ。爆竹がはじけ、獅子舞が舞いにぎやかだったらしい。
中華街だけではなかった。マヤママとマヤと三人でイルカを見に行った、ザ カハラ ホテルリゾートでも大宴会場はきれい着飾った、地元の中国人であふれていた。宴会場では獅子舞が舞い、賑やかに中国の音楽が流れてるようだった。
ふと見ると、隣の宴会場はチマチョゴリで華やか。。。 様々な人たちでハワイは成り立っているのだなあ、といつも思う。 アメリカという国そのものがそうなのだけれど、ハワイはまた一味違っていて興味深い。
そういえば、今日、大統領候補、オバマさんがハワイに帰ってきた!と話題になっていたっけ。 彼が大統領になれば、ハワイの人の間にも世界情勢への感心が高まるかもしれない。いまは、オリンピックですら「そんなの関係ない!」という反応の人が多い。 日本ではリアルタイムに日本人の活躍をテレビが伝えていることだろうが、私はその点相当に遅れている。
さっきも友人から「ヤワラちゃん、残念だったね。。」とメールをもらって谷選手が銅メダルに終わったことを初めて知った。残念だった。。でも、出産後育児をしながらの復帰は、どれほど大変だったことか。。。ヤワラちゃんには、心からご苦労様でしたといいたい。
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2008年8月5日 (火)
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ウィリウィリとハワイアンスピリット
昨年の7月21日。。フラの祭典「プリンスロット フラフェスティバル」の会場で、私は念願の真っ赤で美しい「ウィリウィリ」のレイを手に入れることができた。あまりにも嬉しくて、もったいなくて、日本では身につけるチャンスもないのでハワイのお部屋に大切に飾ってある。
これを見るたびに、チャーリーを思い出さずにはいられない。 ハワイアンクラフトのなかでも最も手の込んだ作業だと思われるウィリウィリの実のレイを作って、「この木なんの木」・・で知られるモアナルアガーデンで売っていたのがチャーリーというおじさん。
うちのコンドの前にあるウィリウィリの木から、真っ赤なハート型の実が落ちる。めずらしがって近所の人たちで拾いあう。競うように。。。私も憲さんと何年もかけて、1500個くらい集めた。これを細工してレイにしてもらう所も見つからないまま、日本に持ち帰り大事に保管してある。
だから、チャーリーの見事なレイをみたとたん「こんなのが欲しかったの!!私、たくさんウィリウィリの実は集めたのよ、でもどうしていいかわからなかったの。。」 思わず叫んでいた。それを見ていたチャーリーは急にこう言い出した。
「このレイ、今日持ってお帰りなさい。。そしていつでもいいから、その「実」を僕のところに持ってきてね。いつでもいいんだよ・・」 私は耳を疑った。
一緒にお店を見ていた観光客らしいおばさんは小声で「このレイ、アナタはいくらで売ってるの?」と彼に聞いた。チャーりーは「150ドル・・」平然と答えた。びっくりした。高いとは知っていたのだが、まさか。。当時のレートでいうと、2万円近かったのだ。
私は集めた「実」を、次にハワイに来たときにチャーリーに届けることを約束し、お家(工房)を教えてもらった。偶然にもいつも車で通る場所だったから、その工房は見当がついている。
ところが、それ以来お孫ちゃんを迎えること、引越しなど、想定外の忙しさになり、しばらくハワイへ来ることができなかった。チャーリーとの約束を果たせないまま、一年が過ぎてしまった。彼を忘れたことはなかったから、ずっとずっと気になっていた。
今日、ついに思い切ってチャーリーに電話をしてみた。電話に出たのは、そのチャーリーだった。
「あの、私のこと覚えてますか?去年のプリンスロットの日、お店出していたでしょ?そのとき、ウィリウィリのレイをもらって、その代わり、実をお返しすることをお約束した者です。キョウコです。。覚えていますか?あれからお返しに伺うチャンスがなくて、ごめんなさい。いつも気になっていました。近いうちに、必ず伺います。実を日本から持ってきましたからね。。頂いたレイは、大切にしています。ありがとうございました」
一気に言うとチャーリーが明るい声で答えてくれた。 「ああ!覚えていますよ。いいんですよ、あのレイを大事にしてくれているなら、とてもうれしいですよ。。「実」はいつか持ってきてくれればいいんです。。来るときは電話を下さい。待っているからね。。わざわざ電話をくれてうれしかったよ。お陰で今日は僕にとって本当にいい日になりました。ありがとう!」
少しだけ胸のつかえがとれた。 暖かいハワイアンスピリットを示してくれた、チャーリーに失礼を重ねていたお詫びがやっと言えた。
真っ赤なウィリウィリのレイは、私の一生の宝物になるだろうし、チャーリーの暖かい心を忘れることはないだろう。 チャーリーに会って『実』をお返しする日が楽しみだ。
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2008年8月1日 (金)
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平和な日々。。
早いもので、もう8月。 今日、マヤが初めて寝返りをした。。。丁度4ヶ月を過ぎたばかりなのに。 ドイツの次女に「ニュース!ニュース!」と、即メールを打つ。 オーストラリアに出張中のマヤパパには、「ローリングしたよ!」と電話を入れる。マヤが寝返った、、そんなことが大ニュース!!我家はなんとものどかな毎日だ。
朝起きたら、赤ん坊の声がする。 窓の外にはダイヤモンドヘッド。空はあくまで青い。やしの木がトレードウインドに揺れている。 今日も、晴天!間違いなし。。なんて平和な光景だろう。
毎日マヤのご機嫌次第でその日の予定が決まる。 私の運転にもなれてくれて、機嫌よくドライブに付き合ってくれるようになったし、お腹がイッパイで満足だと、数時間ベビーカーのなかで声を上げたり、笑ったりつい、ウトウトしたり・・。 その間に、私たち大人は買い物をすませ、お腹を満たしたり、お茶をしたりする。
わずかな時間を有効に使って外出する。。我々大人は満足だし、マヤも社会性が出てきたようだ。外で知らない人にあやされて、微笑み返しもするようになった。
今日はお買い物のあと、マヤが寝てくれたお陰で、念願の中華レストランで夕食ができた。すやすや眠るマヤを見ながら、2人でおいしいお食事ができて感激。
アラモアナショッピングセンターで、ベビーカーで孫を連れて歩いたのも初めてなら、オムツ交換室に入ったのも初めて。。高級デパート「ニーマンマーカス」の授乳室はいい、、と聞いていたが、最新情報では、新しくできたデパート「ノードストロム」の授乳室はもっともっと豪華らしいわよ。。と、こんな会話が私の日常になり、私のハワイも、スッカリ様変わりしたものだ。 最近、日記にいっこうに「フラ」が出てきませんねえ・・と笑われたりしている。
最近、車で行動が普通になり、バスに乗らなくなったが、ザ・バスがハイブリッドカーに変わっていたりするので、一度乗ってみよう!と楽しみにしている。
昨日、私の車で一大事が・・・ お買い物に出かけようと、マヤの調子を見て準備万端整え、車に乗り込んだ。 エンジンをかける、かからない・・もう一度。。。かからない・・・ どうやらバッテリーが上がったらしい。
この車になれていないマヤママが、室内灯をつけたままにしておいたらしい。。。「こんなときは、リンカーン!」私はすぐに彼に電話をして助けを求めた。すぐに自分の車で駆けつけてくれて、事なきを得た。いつもいつも、ありがとう、、リンカーン様。
それに懲りたわけではないが、今日は車を使うことなく、1日うちでゆっくり過ごし夕方からカピオラニ公園へ散歩に出かけた。サンセットがきれいだが、夏なのでワイキキビーチの真正面に太陽が落ちるわけではない。ワイキキからは西の方向の山に沈む夕日を覗き見るような感じになる。
それでも空の色がきれいで、、マヤママは感激の面持ち。。 何の目的もなく、ただ歩いて空を見上げ、空気を胸いっぱい吸い込む、、そんな散歩がとても贅沢に思えた。幸せな時間が過ぎていく・・・。
そんなワイキキにも危機が迫っている、、とTVで学者が話していた。地球の温暖化でこの辺りの海水のレベルが1m上がったら、このワイキキやホノルルのダウンタウンのほとんどの建物が浸水する。。と。そんなことになったら、ハワイはパラダイスどころではなくなる。。。
いつまでもこのすばらしいハワイがこのままでありますように。。 車はなるべく使わないように、、ということね。。
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2008年7月31日 (木)
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3回忌を終えて・・(7月31日記)
7月28日、憲さんの3回忌を迎えた。
マヤママとマヤ、そして私の三人で憲さんのお墓に向かった。 ドイツでも、ジャッキー一家がパパの大好物だったビールでパパに献杯をして、この日を迎えているはずだ。
真っ青な空の下、新しいお花できれいに飾られたパパのお墓に冷たいビールもたっぷり注いであげた。ココヘッドや青い海がはるかに見渡せる、素晴らしい場所だ。傍にはシャワーツリーがあって、美しい花の房を揺らしている。丸く可愛い花びらが緑の芝生に散っていて、それも美しい。
お友達からきれいなランの鉢植えも手向けられていた。。心から感謝。。。
ジャッキーとマヤ、二年前には想像もしなかった新しい命がこの世に生まれでて、すくすくと育っている。明らかに憲さんの血を受け継いだ子供たちがいる、それがどんなに素晴らしく、ありがたいことか。。。
大切な家族を亡くしたあとだけに、その血を受け継ぐことの尊さと不思議を感じている。
娘たちのお婿さんたちの温かい配慮で、私は今まで以上に娘たちと身近に接することができるようになっている。孫という存在が、今の私にとってすべてと言ってもいい。
「意外なことを言うね。。」とよく言われる。 「そうかもね。。」と私も思う。
でも今は、孫たちを思いっきり可愛がってやりたいと思うし、憲さんの分までしっかりと抱きしめてやりたいと思うのだ。ドイツと日本、2つの国籍をもつジャッキー、ドイツとイスラエル、日本の3つの国籍をもつマヤ。。。私たちの孫がどんな風に成長するのか、、本当に楽しみだ。
きっとそれぞれの国民性のいいところを持って生まれているに違いない。。それを誇りに、すくすくと素直に育って欲しいと思う。
憲さんの3回忌を終えてすぐ、友人からメールをもらった。 「あれから2年間、よく一人で頑張ったね。。きっとジャッキーちゃんとマヤちゃんは憲さんからのご褒美ね。。。」
本当にそのとおりかもしれない。 こんなに嬉しいご褒美ってあるかしら・・・・ 憲さん、ありがとうね!
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2008年7月30日 (水)
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フラよりマゴ?
7月23日、長女とマヤがハワイへやってきた! あっという間に一週間が過ぎた。 時差も心配したほどではなく、機内でもおとなしかったというマヤ。ママのおっぱいさえあれば幸せな、生後4ヶ月。ハワイのさらりとした風に吹かれて、裸ん坊でいるのが大好きで、すっかりハワイの子になった。マヤが見上げる窓の外には、青い空にやしの木が揺れ、白い雲がゆったりと流れる風景がある。赤ちゃんも癒されている。。と思う。
この一週間で目覚しい成長を遂げる赤ん坊を見て、私までうれしくなり、元気になった。
マヤママは、ベビーカーに乗せて、毎朝ワイキキビーチへ散歩に出かける。 私も一緒に出かけて、モアナサーフライダーホテルや、シェラトンワイキキで軽く朝食をいただいたりもする。 空は青く、海はそれ以上に青く。。まぶしい光の粉が降り注ぐようだ。そんな風景の中で、娘と孫とともに過ごす時間。。。もったいないほどの幸せだ。
前もって用意したチャイルドシートにマヤを座らせて、バアバの運転で出かけたりもする。窓にはしっかり”BABY ON BOARD” のマークを貼り付けて・・・ まず、憲さんのお墓へ・・。初めてマヤがジイジのお墓に来てくれただけで、なんだか責任を果たしたようでホッとしたが、涙は出なかった。今までの一部始終をパパは見守ってくれていると信じているから。。
当然アラモアナへも出かけた。そこで嬉しい発見! 私たち家族が大好きな「シナボン」が出店していた。やっとだ!!! カハラモールにしか、そのお店がなくていつも残念に思っていた。アラモアナに無いのはヘン!と、半ば怒っていたのだが、マカイマーケットに、ついに出店!!マヤママがそれを見つけたときの二人の喜びようと言ったらなかった。車を降りて、さっと買い物を済ませると「シナボン」へ直行した。アツアツのシナボン。。久しぶりで本当においしかった!!
そしてもう一つ、一階の山側のFood Landが新装オープンしていた。 前回来た時は閉店、工事中で、お店がなくなったかに見えたのでがっかりしていたのだが。。。 よかった!!〜 売り場のレイアウトも前と同じだからお買い物もしやすい。
ロイヤルハワイアンショッピングセンターも完成はしていないが、ほぼその改装工事を終えつつある。 以前の活気が戻ってくるといいけれど。。
朝通りかかるとフラの無料レッスンをしていた。 もちろん、私は迷わず参加!! 幸いマヤはベビーカーでぐっすりだったし、マヤママも楽しそうに見ていてくれた。
実はフラを踊ること自体、本当にしばらくぶり。。 『当分はフラよりマゴ!』を宣言して、周りにご迷惑をかけながら、マゴに没頭している私である。
が、しかしK先生とのプロジェクトで、また忙しくなる時期が来た。。。 がんばろうっと。。。
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2008年7月25日 (金)
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悲しい日々。。
ハワイにきて何日目なんだろう。。今日改めて数えてみたら、もう10日以上経っていた。。。
もう、日にちがわからなくなるほど、悲しいことが起こってしまった。私たちと同じように一年の半分をハワイで過ごすゴルフのお仲間で同じコンドに住んでいるTさんが7月22日、ここハワイで急逝なさったのだ。風邪をひかれたとかで、少しゴルフもお休みなさっているということだった。 お電話で様子を伺ったら「もう大丈夫、、だいぶ良くなった。心配しないでね、、ありがとう、ありがとう!」とお元気な声だったのに。。
憲さんをかわいがってくださった人生の先輩だった。Tさんは一代で巨万の富を築かれた、高名な事業家だ。リタイア後はハワイで過ごされることを選ばれた、本当に気さくな、やさしい普通のおじさんだった。。楽しい人だった。
カラオケが上手で元気いっぱいで。。いつもゴムゾウリに短パン。。。 ご愛用の腕時計もアラモアナで気に入って買ったという、数10ドルのもの。。それを大事に長い間使っていらっしゃる。 偉ぶったり、おごることのない方だった。 思わず「おとーさん!」と呼びたくなるような笑顔のやさしい人だった。
2年前憲さんが亡くなった時、本当に嘆き、その後はずっと私を励まして下さったTさん。同じ7月に、Tさんまでもハワイで天に召されるなんて。。。本当に悲し過ぎる。
急を聞いたご家族が日本から駆けつけていらっしゃるお姿が、2年前の自分達の経験と重なった。少しでもお役に立てば、、と思った。7月24日のハワイでのご葬儀では、思いもよらない悲しみに沈んだゴルフ仲間が集い、2年前の憲さんの時のことが思い出される。あのときと同じ顔ぶれがそこには揃っていた。
考えようによっては、大好きなハワイで、苦しみもなく急に、、というのは、『見事!』というしかない。羨ましいほどだ。
今頃天国でTさんを迎えて、ゴルフ談義に花を咲かせているだろう憲さん。。。どうか、Tさんをよろしくね。。。
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2008年7月17日 (木)
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なにかとタイヘン!
ハワイ4日目。だんだんこちらの生活にも慣れてきた。なにがどこにあるか思い出したし、各電化製品もスムースに操作できるようになり、洗濯を始めた。まもなく洗濯機の後ろからジャーっと、水が床に流れ始めた。すごい勢いだ。あわや水浸しになるところだった。洗濯機のスイッチを切り、念のため水の元栓も止めた。大急ぎで数枚のバスタオルで流れ出た水を拭く。。。あああ、、トラブル!
早速一階のマネージャーオフィスにに飛んでいく。こんなときいつも助けてくれるのは、リンカーンという忘れられない名前の男性。幸いオフィスにはリンカーンがいた。
「あれ、お帰りなさい。久しぶりだね。いつ帰ってきたの?え!水漏れ?あ、すぐ行くから!!」と部屋へきてくれた。
「これはね、よくあるんだけど、配水管に糸くずがたまって固まってるね。普段は水の勢いで流れるんだけど、10ヶ月も居なかったからそれが完全に乾きあがって水のとおりが相当悪くなってるんだね、、専門家でないとちょっとなあ。。僕の手には負えないよ」とリンカーンはすぐに業者の電話番号を教えてくれた。早速電話してみる。明日の午後、きてくれるという。ちょっとホッとした。
リンカーンには来週の月曜日にうちの窓ガラスを拭いてくれるようにお願いした。窓が直接、外に面しているので危なくてとても私一人では無理。憲さんでさえも、苦労して拭いてくれていた窓だ。
ハワイに来たら来たでいろいろな用事が出てくるものだ。一つ一つ、解決していくしかない。
もう一つ、コンドのガレージの扉を開けるリモコンが働くなっていた。フラのK先生が私の留守中、私の車の面倒を見てくださっていたので、先生に渡してあったリモコン。。不自由だろうと、早速持ってきてくださったのだが働かない。。。。どうやら電池切れのようだ。これも解決しなくちゃ!中を開けてみるとなんだか普通と違う電池。まず、それを買いに行かなくちゃ、、と思っていたら、出てきた! 憲さんの字ではっきりと「ガレージ用電池」と書かれた真新しい電池が・・・・。またもや憲さんに救われた。ありがとう、憲さん!でも交換の仕方がわからない。。やはり、誰かに聞いてみよう。
それやこれやで落ち着かない中、私は車を飛ばしてKマート、WAL−MART,シアーズ。。などを駆け回ってあるものを探している。チャイルドシート、赤ちゃんのプレイマット、そしてちょっとしたゆりかごのようなバウンサー。
あと数日で長女とマヤが、こちらに来る。4週間弱と滞在が長いので日本で買い揃えたものを、もうワンセットハワイでも購入というわけだ。バアバもタイヘン!!9月にはジャッキー一家が一ヶ月間、ハワイへ。。ジャッキーのためにも必要不可欠のものなのだ。楽しくも疲れる作業で、今日も一日が過ぎた。
憲さんが逝って丸2年。マゴたちに夢中になっている私を、あのとき想像もできなかった。
今、このハワイで7月を迎えて、つらいということはない。むしろ憲さんをより身近に感じることができる。なぜか日本に居るときよりも・・・。
そしてこの夏を、孫たちとここで過ごせる幸せをありがたく思っている。
こちらについたとたん、日本からわざわざ掛けてくれた電話で旧友が言ってくれた言葉が心にしみた。 「憲さんはね、ちゃーんとみんなが幸せに、賑やかに過ごせるようにしてくれているんだよ。ね、彼のお陰だよ。だれより喜んでいるのは憲さんだよ。よかったね。あなた幸せでさ!」
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2008年7月16日 (水)
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追記: だれか、助けて!
我ながら、お恥ずかしいというお話。
こちらについて、戸惑うことが多い。まず、キッチンで。。。 何がどこに入っているやら、すっかり忘れている。体が覚えていてオタマはここ、お菜ばしはここ、、とさっと手が伸びてスムースに動けるまでに少しの時間がかかるのはいつものことだった。やはり日本の家の配置が身にしみているから。
ところが今回はいまだに迷う。日本の家自体も引越しによってすべて変わってしまって約半年、やっと新しい家に慣れたばかりなのに、またハワイ。。そのせいもあるだろうし、シニアになったせいもあるだろう。とにかく「えーーっと」といつも考えながら家の中をうろついている。
コンドのエレベーター。これも問題。うちのコンドのエレベーター2基がホテル並みに新品のピカピカになっていた。近頃故障ばかりだったので有難いのだが、あまりの変わりように、私は操作にあせり、つい、9階へいってしまう。。
「9階は日本のマンションだってば!!!ハワイは4階、4階!!ほんとにもう。。」一人でつぶやいては、苦笑い。なんとも情けない。
まだある。。。 車に乗ってショッピングに。アラモアナでもスーパーでも、いまのところ問題なくスイスイ出かけている。ところが帰りの駐車場で問題が起きる。「ない。私の車が。。。あれ〜、確かにココにおいたはず」 と、ふと気がつく。。私は無意識に赤い車を探しているのだ。。。「ちょっとまて、赤い車は日本での車、あ、そうだ、ハワイのは黄色だった!!!」 もう、救いようがない。
箪笥に真新しいカットソーのタンクトップが2枚。同じスタイルの色違いが。。。 いつ買ったんだろう?どこで?さっぱり思い出せない。着てみるとサイズもぴったりで、私よりずっと大きい娘たちの忘れ物でもなさそうだ。 これ、私のよね!ね?。。。そう確信して、今それを着ている。
だれか、助けて!!
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2008年7月16日 (水)
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SAFEWAY(セーフウェイ)!!
ハワイ3日目。 昨日からお友達に「こちらへ帰ってきました!」と電話をしたり、訪ねていったり。。 皆さん「待ってたよ、お帰りなさい!」と迎えて下さってうれしい。
久々に会う人は皆、私が長い髪をばっさり切っているのに驚いた。 女性が髪の毛を切るということは、なにかある、、と思われているようで、みんなの反応が楽しかった。「いいことあったの?」「ウン、マゴが生まれた!」「いや、そうじゃなくてさ、それは知ってるけど、ほかに何かあった?」「いや、べつに。。。」
残念でした!!私はただ、昔のようなヘアスタイルにしてみたかっただけ、、そういえばずいぶん長い間、ロングだったもんなあ、、、こちらに来ると、ハワイアンの血を引いた人はほとんど真っ黒な長い髪を風になびかせている。フラも断然、長い髪が似合う。でもしばらくはこのショートカットを楽しんでみようと思う。なんと言ってもケアがラク。天然パーマだから風の強いハワイでも手直しは、手櫛でOK。 「いいじゃない!若返ったよ。。」とみんなが言ってくれて、いい気になっていたら、ショックなことが。。
昨日は、こちらのスーパー「ドンキホーテ」の週に一度のシニア割引の日。レジのお嬢さんが、ごく自然に割引にしてくれた。シニア(60歳以上)であることに疑いもしなかったようだ。なんだ、ぜんぜん若く見えていないんじゃない・・・ちょっとがっかりしながらも、ありがたく割引を受けてきた。
そのドンキホーテ、久々に行ってみたが古くて、品物もよくなくて。。がっかりした。 思い切りお安いのなら話はわかるが、そうでもない。日本の私の新居の周りの店舗がことごとく新しくて、その快適さに慣れてしまったのかもしれないけれど、ちょっとひどい。そこで、思い出した。
家の近くのカパフル通りに、スーパーのセーフウェイができているはずだ。ずっと工事中だったのを思い出した。友達に聞いてみると「とてもいいわよ、素敵よ。貴女のところからは、ドンキホーテより近いでしょ。いいのができてるわよ」という。で、今日早速、行ってみることにした。本当に車ですぐ、だった。
真新しいセーフウェイは、思っていたよりすごかった。広い、綺麗、品揃えが見事!! どこにでもあるシステムだろうが、セーフウェイクラブに入会すると、クラブ員だけの割引が受けられる。 値段表には、普通の値段と、クラブ員のための割引価格が書かれている。ずいぶん違う。
私は迷わずカスタマーサービスカウンターに直行して、サインアップした。憲さんはスーパーが大好きだった。憲さんがいたら、喜んだだろうな。。
チーズやワインの売り場だけでも、品揃えがすごい。私はあまり興味がないけれど、長女や次女の一家が来たら喜ぶに違いない。お花の売り場もその広さに驚いた。今日はここで真紅のアンスリュームを買って、憲さんのお墓に行くことにした。昨日はいつものお花やさんがお休みで、手ぶらで憲さんのお墓へ行ったのだ。「ごめんね。久しぶりなのに手ぶらで、、」と謝りつつ、手を合わせて来たのだった。
これからはさらに便利な生活ができそうで、とても嬉しい。ここはワイキキに長期滞在をする観光客にも便利だと思う。コールドストーンアイスクリームや、有名なコーヒーショップも隣接しているし、まだオープンしていない店舗も沢山あってこれからが楽しみだ。
しばらく居ない間に、ワイキキあたりもずいぶん変わったようだ。 少しずつ、探検してみよう!
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2008年7月15日 (火)
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やっと、ハワイ!
昨日、約9ヶ月ぶりにハワイに帰ってきた。ずいぶんご無沙汰したものだ。。前回ハワイから日本へ帰ったのが昨年の10月、その後次女の出産でドイツへ手伝いに、、日本に帰ったかと思ったら私自身の引越し。すぐそのあと長女の出産、そして新居で母子とともに一ヶ月を過ごし、産後の騒ぎがおさまったかと思ったら、今度はその長女の結婚式で、家族全員が日本に勢ぞろい。。。
「おめでた」続きでとても幸せだったけれど、あああ、、、ほんとに忙しかった。 それやこれやが済んだのが10日前・・・
そしてもう、私はハワイにいる。。。。なつかしさと、今回の滞在への楽しみと、そして一人であることの緊張感とともにホノルル空港に着いた。
空が青い、大きい、空気も青い、海も青い。。すべてがマリンブルーに染まっている。 ああ、ハワイ!!である。いま、すべての花が満開で、もっとも美しく、贅沢な季節だ。
特にレインボウシャワーが見事である。数年前、クヒオ通りが美しく生まれ変わったとき、このシャワーツリー沢山植えられた。その若木が花を付け始めたようだ。若いから幹はヒョロっとして貫禄不足だが、見事な花の房をつけている。見たことのないような勢いのある花の房だ。若いってこういうことなんだな、、と思った。私は特にまっ黄色のシャワーツリーの花が好きだ。あまり見かけないが、黄色が燃え立つようで青い空によく映える。
昨日も今日も夕暮れのカラカウア通りを車で走ったが、いつもより暗い。。。そのわけがすぐにわかった。なぜかワイキキ名物のトーチ(たいまつ)が灯っていない。それだけでずいぶん淋しい気がした。どうしたのかしら?世界的な燃料の値上がりが影響? まさか、ね。
サーチャージが上がって、ハワイへの観光客が減ったと聞いているにもかかわらず、私が乗った便はほぼ満員。他の会社の便も空席はないようだった。航空会社も今は臨時便を飛ばすほどの乗客を望めないから、これから夏休みにかけての便はほとんど満席ということになるのだろう。
長い間留守をした分、お家も汚れている。今日は少しずつお掃除開始。 掃除機も、洗濯機も、食洗器も、ディスポーザーもその音の大きいこと。。改めて驚いた。 「うるさーーい」といいたくなる。 日本の家ものはどれも消音、、静かなのだ。日本の技術ってすごいんだな、、とつくづく思う。
今夜は、上弦の月が美しい。あしたも、間違いなくいいお天気だろう。
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2008年7月2日 (水)
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そして誰もいなくなった。。けど。
ウチってこんなに広かったのか。。今朝起きてそう思った。4月以来、長女と生まれたばかりのマヤを連れて里帰りしていたし、入れ変わるように、ドイツからジャッキーと次女夫婦が滞在していた我が家が、急に淋しくなった。今日、ジャッキーたちはドイツへ帰っていった。この約3ヶ月間、赤ちゃんと娘夫婦がいて賑やかな日々だった。赤ん坊の泣き声と、笑い声が絶えない我が家だった。。 そして、誰も居なくなった。。。
楽しい時間だった。 久々の娘たちとの気ままな会話。可愛い孫たちの世話。。。 7、5キロを超えたジャッキーを抱き上げ、寝つかせるまでの「抱っこ」が私にはいい筋トレになった。 腕に筋肉は付いたが、ヒザに来た。。元から弱い左ヒザ。これからマヤも重くなるのだから、覚悟しなくちゃ。。。
「フラで鍛えてるんでしょ?」と娘たちは笑うが、7,5キログラムの付加は大きい。 ああ、もっと若くバアバになるんだったと思うが、こればかりは仕方がない。
私は、ジャッキーを成田空港に見送ったあと、マヤのお家へ。。。今日はもう一人の孫マヤの「お食い初め」のお祝いだった。マヤの身辺も忙しい。マヤ誕生、お宮参り、パパとママの結婚式、そしてお食い初め。
来日中のお婿さんのご両親もめずらしそうに「お食い初め」をカメラに収めている。「なんのための儀式??」長女が英語で説明する。「石を食べる真似をさせるのはなぜ?この大きな魚はなに??」いちいち説明しようとすればするほど、こちらの知識が心もとなくあやしいことがはっきりしてくる。私も正式な儀式を知っているわけではないし、憲さんと私はそういうセレモニーをしてこなかった。
それなのに、ドイツの次女も東京の長女も外国人と結婚をして、あらためて日本人としての自覚が芽生えて来たのだろう、あらゆる情報をインターネットで調べては、自分達なりに娘の無事な成長を祈って日本のしきたりを踏襲している姿がうれしかった。私を頼ってもなんの知識もないことを知っている娘たち。ごめんね、でもネット情報があって、ホントによかった。。。
長女のお婿さんのご両親も一ヶ月の滞在を終えて明後日には帰国の途へ。。。そのお別れの会でもあった。
東京を基点に中仙道、富士山登頂、松島、松本、京都、奈良。。精力的に観光をし、その合間に孫のマヤに会う。「いま、ボートに乗ってるんだ。。」と電話があったから、隅田川あたりで舟遊びかと思ったら「いやいや、松島のボートだよだって。。もうびっくりよ。日帰りでどこへでも行っちゃうんだもの。言葉も通じない田舎でも、二人だけで楽しんできちゃうからすごいよね。。」本当にすごいご夫妻だ。
「日本は素晴らしい、なにより安全で人々が優しい。本当にいい国だね。。」ご両親の言葉が嬉しかったけれど、この頃日本で起きている様々な事件、事故を思うと、なんだか複雑な気持ちになる。
これからしばらくは一人の静かな生活になるはずなのだが、そうは行かない。2週間後には一人でハワイへ発つ。ハワイでの用事もたまっているし、今月末には、長女とマヤがハワイへやってくる。憲さんの3回忌をともに過ごす。
「そんなわけで、、、また身辺が慌しくなります。どうしてこうなんでしょうね。。。私って、ちっともじっとしてないねぇ。。」と親友にメールをしたらすぐに返事が来た。
「元気に動けるうちがハナですから大いに楽しんで!」 ほんと、そうよねえ。。
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2008年6月10日 (火)
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長女の結婚式 with マヤ
梅雨の晴れ間の6月10日、長女の結婚式が明治神宮で執り行われた。
この日のためにイスラエルから新郎のご両親と妹さん2人が来日。そして新婦の妹夫婦がジャッキーを連れてドイツから来日。。。。私にとってはこんなに嬉しいことはなく、このところ、忙しくも心はずむ日々が続いている。やはり家族が増えるのは、うれしいものだ。
もうすっかり大人の二人だし、既に戸籍上正式な夫婦。既にこの3月にベビーマヤも誕生しているので、ごく内輪だけのセレモニーだったが、本格的な神社での挙式はそれは厳かで心打たれるものだった。どうしても明治神宮で挙式したいという二人の夢を自分達でかなえた。
花嫁は黒地に桜の花を散りばめた着物に金色の帯。そして、古式ゆかしい”つのかくし” 花婿は紋付羽織袴姿。身長180センチ以上の彼に「ね、琴欧州みたいで、素敵よ!」とささやいたら大喜びだった。家のお婿さんたちは当然のことながら、琴欧州のファンなのだ。
挙式そのものはとても日本的なのに、新郎をはじめ参列者の三分の一が外国人。国際色が豊か過ぎて、控え室から式場(本殿)へ向かう境内での花嫁行列のときは、一般の観光客からたくさんのカメラを向けられ知らない人から「おめでとう!」と拍手まで頂いてとても晴れがましいものになった。
神殿では誓詞を読み上げるのは、新郎と決まっている。新郎は日本語勉強中だけれど、こんなにも古い日本語を理解するまでには至っていない。まして漢字はまだまだ。。ところが彼は偉かった。一週間でこの誓詞を丸暗記。言葉の意味は長女から説明を受けたという。
「このよき日を選び 明治神宮の大前を拝して 婚礼の儀を行う これよりのち互いに敬愛の心をつくして 一家をととのえ苦楽を共にし 終世変わらず 願わくは 幾久しく 守り導きたまえ ここに つつしみて 誓詞を奉る」
漢字まじりで、しかも筆書きで書かれた誓詞の紙を見ながら、暗記したことをスラスラと読み?あげたのだった。その努力と、「互いに敬愛の心をつくして。。」という言葉の重さに、長女の涙があふれるのを、私も泣きながら見つめていた。新郎のご両親も妹さんたちも「実に素晴らしい式だった」と感激の面持ち。。
ここに憲さんがいたら。。胸が熱くなったが、『梅雨の晴れ間』の太陽と爽やかな風をこの日のためにくれたのは、パパだ、、とみんなが思っていた。前夜までの大雨がウソのように朝から素晴らしい青空が広がったのだから。。。
ジャッキーはドイツのバイエルン地方に生まれた子だけが着ることのできる伝統的な民族衣装に身を包み、ハイジさんのようだったし、マヤは真っ白なセレモニードレスでパパとママの結婚式に華を添えた。可愛かった。
厳かな式のときはベビーシッターさんが控え室で二人の面倒を見てくれていた。彼女はいつもマヤがお世話になっている方で、まるで自分の孫のように親身になって二人を見守ってくれた。マヤのほかに幼い孫が4人いる新郎のママに「彼女をイスラエルに連れて帰りたい。。」と言わせたくらいに、立派なベビーシッターさんなのだ。
いわゆる子連れ結婚式だったから心配をしていたのだが、本当にありがたかった。 式のあとの宴にも、二人の孫と二つのゆりかごとベビーシッターさんが同行、お客様も代わる代わる孫を抱き上げては喜んでもらえたし、新婦の母としてもバアバとしても、本当に嬉しい一日だった。
これから約一ヶ月間、新郎のご両親は恵比寿のウィークリーマンションに滞在、マヤとの時間を充分楽しみつつ、お二人で日本中を旅するそうだ。もともと日本びいきのご一家だから、日本のことは私よりご存知かも。。。富士山への登山も予定されている。梅雨の季節だけれど楽しい滞在になりますように。。
ジャッキー母娘も、7月はじめまで我が家に滞在する予定・・マヤとジャッキーの二人の孫に囲まれる楽しい日々になりそうで、ワクワクしている。
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2008年5月6日 (火)
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マヤちゃんのお宮参り
今日はマヤの「お宮参りの日」。快晴で暑いくらい・・いい一日だった。 午後からマヤのお家に出かけた。数日会わなかっただけなのに、まあ、マヤが大きくなっていることといったら。。。自分の歳を重ねるのがこのペースだとしたら。。そう思うと、怖くなるほどだ。真っ白なお洋服を着せてもらって、マヤだけはすっかりお宮参りの用意が出来上がっていた。
「ちょっとまっててね。お食事してから、出かけるからね・・・」 パパとママと私は出前のお寿司で昼食。お宮参りの前だというのに、大人3人はしっかりとおいしいお寿司を味わってから出発となった。
都内の便利なところに住むマヤパパとママは車を持たない主義なので、タクシーを使うことが多い。今日も目黒の大鳥神社までタクシーで出かけた。パパはバシッとダークスーツで決めていた。ママは育児に追われて準備ができなくて「着ていく洋服がない、、」と嘆いていたが、久々に彼女らしい装いで10ヶ月ぶりだというハイヒールが光っていた。私もごく普通のお出かけ着だが、久々にハイヒールにした。姿勢がよくなったような気がした。
境内に着くと私の親友であるNご夫妻がニコニコと、私たちを待っていてくれた。本当にこのご夫妻とはご縁が深いと思う。マヤママの幼稚園時代からのお付き合いで、もう30年以上になる。マヤママの幼稚園以来の友達、Yちゃんのご両親だ。不思議に私の人生の節目に彼女は傍にいてくれる。私の母が亡くなった時、最初に駆けつけてくれたのも彼女だった。夫が亡くなった時も、心から支えてくれた。今日もまさか、こんな風に会えるとは夢にも思っていなかった。なんとも不思議なのだが、今朝彼女から、突然の電話。「今日、思いがけず時間が空いたの。。貴女今日は何してるの?よかったら、会えないかしら、、と思ってね」 お宮参りだというと「マヤちゃんに会えるのね、主人と行くわ!!神社で待ってるからね、電話してみてよかったあ!!」
マヤパパのご両親は遠い外国だし、私は一人だし。。付き添いが少なくてちょっと淋しかったのに、Nご夫妻のお陰で賑やかなお宮参りになった。神前でお祈りを捧げていただいている間中、マヤは私の腕の中でスヤスヤ眠っていた。お宮参りは、祖母が赤ちゃんを抱っこするというのは知っていたが、今日の私はとても幸せだった。神道のお祈りの方法を知らないマヤパパだったが、ママの簡単な説明で、神主さんの言われとおりのことを見事にこなした。
Nご夫妻も家族のように傍にいてくださって、お宮参りは無事済んだ。
目黒の大鳥神社をマヤのお宮参りに選んだのは、マヤの自宅に近いということと、憲さんと私の大切な思い出の場所だからだ。大昔、デイトの途中、この大鳥神社で「ご縁がありますように」と5円ずつ、お賽銭を投げ、お祈りした。その「5円」のお陰だろう、その直後に目黒通りで私たちは結婚を決めたのだった。お宮参りの話が出たとき、マヤママに初めてその話をしたら、即座に「そこにしよう!」と決めてくれた。今日、憲さんもきっときっと喜んで見守ってくれていたと思う。
帰り道、マヤパパが言い出した。「もう一度、お宮参りができないかな?来月来日する僕の両親にあの神前でのセレモニーを見せたいんだけど。。きっと、感銘を受けるに違いないよ。本当に素晴らしいセレモニーだったね!」 私はびっくりして返答に窮したが「あそこの神社ではもう無理でしょ。別の神社なら頼めるかもだけど。。。ねえ」とマヤママは柔軟なリアクション。 で、一体どうするつもりなんだろう??
いずれにしても、マヤパパが日本の習慣や行事を受け入れて、しかもいたく感銘を受けてくれたということ自体、とてもうれしいことだった。 GWの最後の日は、私にとって最高に幸せなものとなった。
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2008年5月5日 (月)
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亡き母の教え。。。
毎日、東京とドイツから孫便りがメールで、またはスカイプで届く。小さめに生まれたマヤだが、少し見ないうちに「むっちんぷっちん」に太ってきたし、ジャッキーは目下「寝返り」に挑戦している。いながらにして二人の孫に会える。インターネットって素晴らしい!!
今日は子供の日。幸せそうな子供連れがうちの近くのショッピングモールにあふれている。お雛祭りもそうだけれど、昨今はこの習慣が遠い昔のことのようで、子供の日もGWのうちの一日、、くらいに思っていたが、今年は違う。家族に赤ちゃんが二人もいてくれるせいか、私の乳幼児、子供への感じ方さえ変わってきたのを感じる。どこを歩いていても、赤ちゃんが目に飛び込んでくるし、その可愛さに思わずにニコニコしてしまう自分がいる。
自分の立場によって、ものの捕らえ方がこんなにも違うのか、、、と思う。お孫ちゃんたちの出現のお陰で、今までとは違う感性が生まれてきたことがうれしい。その身になってみないとわからないことって、確かにある。こうして遅ればせながら、少しずつ感性の幅が広くなっていくならうれしいことだ。 逆に年を重ねるに従って、どうにも頑固になっていく部分も確かにあり、そのバランスが大事なんだろうなあ、、と思う。
ここしばらくの忙しさから解放され、GWはのんびりと過ごせそうで、昨日は気になっていた網戸の掃除をし、手の届かなかったところの拭き掃除をした。マンションは機密性がよいせいか、外からの土ぼこりはほとんどない上に、狭いからお掃除はすぐ終わってしまう。ありがたい。
本当はのんびりGWを過ごしてはいられない事情がある。私の所属している合唱団が6月5日に予定していた中国公演が中国側の事情で、突然、キャンセルになった。オリンピック前の諸般の事情、警備上の問題などがあるらしい。こちらは一年かけて準備してきたのに、である。
私は今まで8回、合唱団の団員として訪中公演に参加しているが、今回は先日ママになった長女の結婚式のために、中国行きをあきらめていたのだ。ところが急なこのキャンセルで、想定外の事態になった。あくまでも元気でめげない我が合唱団のメンバーは、「中国公演を予定していた6月5日に訪中公演さながらの舞台を、横浜で開催しよう」と言い出し、即、全員一致で決定した。
私と同じように諸事情で訪中をあきらめていた数人のメンバーも日本での公演なら出演可能!!ということになった。あきらめていた舞台に私も立てる。うれしいにはうれしいが、参加できないと思っていたから、その準備ができていない。練習に参加していたのに、その心構えがなかった。暗譜ができていない。。。反省。。。 いや、反省しているヒマがあったら練習して暗譜しなくては!なのだ。おまけにこの合唱団の歌には振り付けがつく。。まだ覚えていない部分があるのよね、、実は。
昔「なにごとも、しなくてはならないことをまず、先に済ませてから。。ね」亡き母がいつもそう教えてくれていた。常に考えて、優先順位をはっきりとさせて行動をしなさいということだ。今の場合、私はGWを楽しむより、数曲の暗譜にこつこつと取り組むしかない。暗譜の苦労といってもウチの合唱団の場合、日本語だけではなく中国語と英語の歌が多いから、皆、大変なのだ。思いがけなく合唱団の舞台に立てるようになったから、GWも、お孫ちゃんも何もかも忘れて暗譜に取り組もう!!
そう思いながらも、PCにむかってこの日記を書いている。母のあの教えはどこへやら。。。ああ〜〜である。
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2008年4月29日 (火)
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マヤも生後一ヶ月に。。。
世の中はゴールデンウィーク。。。私は久しぶりに一人暮らしに戻った。 先週末、マヤママとマヤが出産後の休養を終えて、東京の自宅へ戻っていった。約一ヶ月間、貴重な親娘3世代の生活だった。マヤママは次第にお母さんらしくなり、マヤパパは週末ごとに泊まりに来ていたが、それだけでは物足りなくなって、週の途中にも顔を見せたりしていた。私は新しいファミリーを迎えた三人の姿を見ているのが楽しく、シアワセだった。
マヤパパは、マヤの顔を見るたびに「今日のマヤの目の色は何色かな?」と聞く。日本人ではありえない疑問だが、これはドイツでもむこうの家族の間でおおいに話題になっていた。「ジャッキーの目の色は何色??髪の色は?」と。。。ジャッキーは日本人のジャッキーママより、黒い瞳をしている。それ以後変わる様子はない。黒い瞳、、それだけでむこうでは、大喜びだ。ちなみにジャッキーパパは薄い茶色の目をしていて、本人は「僕の目はオレンジ色」と表現する。
マヤは生まれてきたばかりのときは、濃いグレーだったが、今は周りがちょっとブルーで中が茶色。 ちなみにマヤパパはグリーン系の目の色をしていて、それもムードや着ている服の色によって、色が変わる、、、というのだから不思議。この言い回しは欧米ではよく聞かれることだ。
目の色が変わるの、人間って??私はいまだに信じられないが、これから不思議なことが二人の孫に起こるのかもしれない。
現にジャッキーにはその兆候が。。白人の赤ちゃんは、生まれてきたときに生えている頭髪がすっかり抜け落ちてしまい、そのあとにその子が持って産まれた本当の色の髪が生えてくるというのだ。 「うそでしょ?!」と思っていたら、ジャッキーが今、まさにその抜け毛の真っ最中。。。らしい。 あんなにふさふさの黒髪だったのに、毎日バッサバッサ抜けているという。どんなことになるのやら。。。なんだか生物学的見地から言っても興味深々の私である。
マヤは生まれたときから食欲旺盛。ぐっすり寝てるか、起きたとたんに「おっぱいがほしいよ」と泣き出すパターン。待ったなし!なのだ。ジャッキーママと同じで、こちらも母乳で育てる覚悟でいる。最初はうまく行かなかったが、次第に慣れて来て、小粒だったマヤも日々体重が増えて中粒くらいになってきて、一安心。
なにしろわずか4ヶ月まえに、初孫体験をしている私としては、いろいろ手伝う術(すべ)は心得ていたつもりだったが、ジャッキーは現代式ドイツ流、マヤは現代式日本流。。私の実体験は旧式日本流・・・。なにしろ35年位前の私の出産経験が活かせるはずもなく、それぞれのママのやり方を踏襲していくようにした。ドイツと日本での育児方法、考え方の違いは本当に面白い。小さいときから、お帽子やソックスを身につけ、ちょっと大きくなるとまだ立つこともできない赤ちゃんに外出時には形ばかりの靴を履かせるのが外国流だ。
赤ちゃん用の洋服にも大きな差がある。産着として日本は前開きの襦袢のような下着をきせるのが主流で、どの赤ちゃんも揃って「今、生まれてきました!!」という赤ちゃんスタイルだ。
ところが、ドイツの例でいうと、前開きの洋服はほとんどなく、すべて後ろ開き、又は頭からすっぽりかぶせて着せるスタイル。生まれたばかりの赤ちゃんが着せてもらう、病院のお仕着せの産着からしていきなり、普通のお洋服なのだ。帽子だってかぶっている。だから、ドイツで見た新生児はどの子も個性的で、スタイリッシュだった。
ジャッキーのお下がりや、誕生祝に頂いたお洋服が沢山あって、マヤは幸せだ。時にはドイツ流、時には日本流のお洋服を楽しむことができるのだから。。。
一人暮らしに戻って、淋しいかというとそうでもない。 一人でもいろいろすること、したいことがあって私は幸せだと思う。あしたはマヤの一ヶ月検診。 広尾の病院に付き添って行く。今日で二日会わないから、マヤはきっと大きくなっているに違いない。 明日が楽しみだ。。。
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2008年3月26日 (水)
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マヤちゃん
桜の季節到来。新居の近くの鶴見川の堤防に桜並木がある。家の窓からも春霞のさきにそれが見える。 そんな今日、午前9時30分にセカンドお孫ちゃんが誕生した。帝王切開だった。2788グラム、46センチとちょっと小さめだけれど、元気な女の子。生まれてすぐから。キュキュキュ、、、となにか話している。
わずか4ヶ月まえに、ドイツで最初の孫娘を迎えたばかりだから、なんだかウソのよう。。抱き上げてみるとセカンドお孫ちゃんは、ジャッキーに比べて小さく、軽い。。それでも舌をぺろぺろしたり、早くもおっぱいを探すしぐさをしていて、生まれたばかりとは思えない。帝王切開で生まれた子は突然外界にひっぱり出されるのわけで、調節がうまく行かず、呼吸が早くなることがあるらしい。異常ではないけれど一応観察の必要があるとのことで、ママとは別の部屋に連れて行かれてしまった。
ママになったばかりの長女は、連れて行かれる赤ちゃんを心配そうに見送っているし、そばにいてもちょっと赤ちゃんが静かだと「生きてる?息してる?」と真剣に心配するし、すっかり母性が全開。。。女の人ってすごいなあ。。と改めて思う。
桜の開花と同時に生まれたから「さくら」ちゃんと名づけようか?と両親は少し迷ったようだが、やはり以前から決めていた「マヤ」ちゃんに決定した。マヤはピンク色で、髪は黒、目の色はまだはっきり見えないのだが、黒目がすこし薄めの色のようだ。マヤもハーフだから髪の毛の色、目の色が話題になるのだ。
マヤはずっと逆子でいわゆる「体育座り」のまま、ママのお腹にいたので、足を伸ばすことを知らないらしい。それにこの病院は、布オムツを使うので、小さな身体に広く厚いオムツをあてがわれ、足は曲がったまま。。。ちょっと、窮屈そうだ。
マヤのパパは余った有給休暇を取っているので、3月中は毎日病院に通ってくるんだそうだ。 大きい身体を折るようにして、オムツ換えに挑戦。。すっかりパパらしい顔になっている。
大げさに言えばパパの手のひらに乗ってしまいそうな、ちっちゃいマヤちゃん。。。ようこそ私たちのファミリーへ。。。本当によく来てくれたね。ありがとう。。
スカイプで毎日対面しているドイツのジャッキーは5ヶ月目に入り、すっかり大きくなった。そろそろ離乳食開始。ジャッキーのママもマヤ(姪)の誕生が嬉しくて仕方がないようで、送ってくれたお下がりのお洋服が近く航空便でウチへ届く予定だ。
私はますます忙しくなったが、こんなにうれしいことはない。無条件にうれしい。可愛いさかりの孫たちと一緒に過ごせるのが、一番の楽しみになりそうだ。4月はじめから約一ヶ月間マヤとマヤ・ママとウチで暮らす。楽しみだ。
私自身も引っ越して2ヶ月が過ぎ、崩した体調も元に戻ってきた。一人でいることにも慣れ、今はこの家にいることが大好きで、やっと普段の自分が戻ってきたような気がする。
去年もこの時期日本にいて、桜を見たはずなのに記憶がない。。。見ていたに違いないのに覚えがない。なにか空中に浮いたまま生活をしていたような気がする。 今年は桜が一層美しく見える。うれしいことだ。
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2008年3月17日 (月)
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セカンドお孫ちゃんは・・
体調もようやく元に戻り、栄養のバランスを考え、カロリーを多めに摂るようにつとめた結果、体重もほぼ回復した。
何でも口に入れること。余計なものをあえて食べなさい。お茶を飲むならミルクを。。チョコレートをいろいろなところに置いておいて一個ずつでも口に放りこむこと。世間のダイエットとは正反対だ。でもそのお陰で、多少とも体重が増えてきて、ほっとしている。
それに、めっきり春らしくなった気候も私に元気を与えてくれたような気がする。
今日は失神以来、初めての遠出。いよいよ出産を間近に控えた長女の最後の検診に同伴した。 恵比寿で人気のフカヒレランチをいただいたあと、広尾の日赤病院へ。長女が切迫流産で2度も入院した病院だ。やっとここまで来た・・・感慨深いものがあった。 母子ともに元気なのだが、お腹の赤ちゃんが逆子で、努力はしたのだがどうにも治らなくてとうとう帝王切開ということになった。その説明を聞くことになっていた。長女の旦那さんも外国人なので、私が細かいところを聞いておかないと。。。という理由もあった。しかし、担当の女医さんが英語を話されるので、一安心。三人でしっかりと話を聞いてきた。
来週月曜日に入院、翌々日出産ということになった。そうと決まると、ちょっとほっとした。
もう一つ気になることがあった。今の世の中、産まれてくる子が男か女かとっくにわかっているはずなのに、この子はいつも検診のたびに身体の向きが悪く、そのしるしを見せてくれたことがなかったのだ。多分女の子。。という初期のころに先生の言葉を信じてはいた。お婿さん側のご両親には、もうすでに孫が4人いるのだが、すべて男の子。海の向うのお婿さんの実家では「女の子」を切望していることがわかっていたし、長女も女の子だとなぜか確信していて、ピンク系のお洋服ばかり用意している。またイトコのジャッキーのお下がりも大いに期待できる。。。つまり、こっちの都合で勝手に「女の子」をと望んでいたのだ。名前だってもう決まっている。
ドキドキしながら結果を待った。それを知ってか知らずか、長女を診察した先生ニコニコしながら、 「今日初めてはっきり見せてくれましたよ。女の子ですね!間違いありません!!!」 三人で「やった!!」と顔を見合わせた。早速、携帯からドイツの次女にメール。「女の子だったわ!」すぐに返事が来た。「キャー。。よかったね。お洋服沢山差し上げますよ!」
こちらは「やったー!!たすかるう〜」
ハワイの友人からメールが来た。 7月4日の独立記念日の花火観賞パーティの予告だった。いつものお宅で、いつものように。。。うれしかった。
そうだ、夏にはハワイへ行かなくちゃ。車の車検も切れてるし・・・ やっと元気になって、先のことが考えられるようになった。うれしい。
やはり「人間は元気でないと心も健康でなくなる。少し休みなさい!!」という警鐘だったのだと思うことにした。
憲さんが守ってくれたから、失神してもあの程度で済んだのよ。。と言ってくれる人もいる。
「そうか、そうだよね。。憲さんありがとう、、」と思うが、まだおでこのコブが出っ張っている。あれから、2週間も経つのに。。。
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2008年3月3日(月)
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失神!
ひな祭り。。今日はドイツのジャッキーの初節句。。。先日一段飾りのお雛さまを送った。こちらで選んだものが、今はドイツのあのリビングルームに飾られているのかと思うと心がはずむ。今日はお友達親子をお呼びしてひな祭りパーティを開いているらしい。ばあばとしてはアレコレと想像して嬉しい一日になるはずだった。
フラのK先生とNさんが仕事で来日中で、今日も午後から打ち合わせのために東京駅まで出かけることになった。数時間話し合った後、ハワイに帰国する先生達を成田エクスプレスに乗せて「アフイホウ」・・・そこまではよかったのだが、それからが大変だった。
私は慣れないラッシュの電車の中で気分が悪くなり、駅のトイレに駆け込んだり、駅のベンチで休んだり、ゆっくり移動をしながら、最終的にはタクシーでなんとか我が家までたどり着いた。フラフラしながらリビングのソファーに倒れこみ、そのまま寝てしまった。数時間たって目が覚めたが依然として食欲もないし、胃も、腸も、頭もみんな元気がない。大好きなお風呂だけは欠かせなくてお友達にいただいたバラの香りのバスエッセンスを入れて入浴。気分もよくなり、今夜ゆっくり眠れば明日はOK!そう思ってベッドに入った。夜中、やはり気持ちが悪くなってお手洗いにたったまでは記憶にある。。。。
真っ暗な中でふと目が覚めた・・・ベッドがいやに冷たい、固い、なんだか寒い。。。ここは玄関の大理石タイルの上だと気がついた。「いやだ、、何でこんなところで・・・」と思ったのは覚えている。それから、ベッドルームに戻り暖かいベッドで再び眠りについた。。。らしい。。。。
朝目が覚めたとき、少し身体がラクになっているようだった。でも、なんだかおかしい。顔を洗おうと、洗面所の鏡の前に立って驚いた。左のおでこにコブ、すり傷もある、そして左のアゴに明らかな出血と深い切り傷、、左肩には浅い切り傷。。。左ヒザを打った痕跡もある。アゴと肩は私の指輪で切れたものだろう。どうやら私は左半身から石の床に打ちつける格好で倒れたらしい。考えたくないが、おそらく私はお手洗いからベッドに戻るとき、失神したのだろう。記憶がない。
お腹にくる風邪らしい症状があってのことだったので、一日ゆっくり寝ていれば治るだろうと思っていた。おかゆで一日を過ごし、胃腸をいたわっていれば大丈夫。。そう思っていた。しかし打ち身の痛さもあり、熱っぽく身体の水分と栄養が全部無くなってしまったようで、それでなくても足りない体重がさらに減ってしまった。さすがに心細くなり長女に連絡した。
「大変じゃない!今から行くから。。待ってるのよ!!」臨月の大きなお腹を抱えて、長女が来てくれた。「今日は泊まるわね。旦那さんの会社に電話したら、『絶対今日はママと一緒にいるように』って・・」うれしかった。
普段、元気がだけが自慢の私が娘に看病されるのは、今まで皆無だったような気がするのに、ついにこんな日が来てしまった。。と苦笑いをしながら長女を迎えた。
思えばこの一年半あまり、あまりの環境の変化にただただ走り続けてきた疲れが出たのだと思う。 友人の医師に診てもらったら、風邪と疲れ!!との診断が下った。「ただ休んで、リラックスして、沢山食べること!!打ち所が悪かったら、あなた大変だったんだからね!!」という言葉と、風邪薬と安定剤をもらってきた。
まず深呼吸をして、リラックスして、ビーチの波の音と、鳥の声に心を癒して。。とハワイの友達がメールをくれた。癒しのビーチも鳥の声も大空にかかる虹もここにはないけれど、せめて深呼吸をしてストレスを感じない日々を過ごすことにしょう。それにしても打ち身の痛みが引かない。。。
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2008年2月18日 (月)
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快適!マンション生活
新しいマンションに引っ越してもうすぐ一ヶ月になる。あっという間に生活環境が変わった。いやおうなしの人生の変化に戸惑った一年半だったが、やっと、本当にやっと心の安らげる場所ができた・・という気がしている。
若いころに数年マンション暮らしを経験したが、そのときに比べるとマンションというものの観念も変わり、設備も格段によくなっているせいか、本当に快適そのものである。共有部分の空間がとても広いので、自分の部屋は狭くてもなにかゆったりとしていて、心地よい。
それにうれしいことに、密閉度がいいせいか、上下左右の部屋で床暖房を使っているせいか、南向きで開口部が大きく太陽が燦燦とふりそそぐせいか、びっくりするほど暖かいのだ。今年は特に寒い冬なのに、ほとんど暖房を入れなくても室温は21度ある。エアコンは一切使うことなく、床暖房も夜以外ほとんど使っていない。
このマンションは去年できたばかりの巨大ショッピングセンターに隣接しているので、デパ地下もスーパーもブランドの店もレストランも、映画館もクリニックもなんでも揃っていて、ほとんどのことはここで足りる。私には充分すぎるほどで、本当にありがたい。なにしろこのショッピングセンターの駐車スペースに4200台の車を収容できると言うのだから、巨大なのだ。
それになにより嬉しいのは、この新築マンションに住み始めた住人同士が共有のスペースで顔をあわせると必ず「おはようございます」「こんにちは・・」と必ず挨拶を交わすことだ。このマンション群の700世帯がほぼ入居一斉に入居したから、お互いに「仲良くお願いしますね。。。」という気持ちがあふれている。この気持ちがいつまでも続きますように、、と願っている。
ドイツにいる孫のジャッキーとは、毎日スカイプで対面しているし、長女のベビーも春先に誕生予定だし、なにかと忙しく、心楽しく過ごせることに感謝の毎日だ。
感謝と言えば、数週間前、私はフラ仲間のMさんからの電話を受けた。「もしもし。。キョウコさん?私です。Mです。。。今ね、私、ハワイにいるんですよ。それでね、今、ホテルのラナイ(ベランダ)にいるんですけど、、ここからダイヤモンドヘッドが間近に見えるんです。あの麓に憲さんが眠っているんですよね?今から電話をその方向に向けますから、京子さん、今から憲さんに話しかけてください!いいですか?ハイどうぞ!」 私は戸惑いながらも嬉しくなって「憲さん!!私よ、、元気?こちらはみんな元気。。夏になったら会いに行くからね。ちょっと待っててね。こちらも忙しいのよ、、」などと、話しかけた。なんだか不思議な時間だったが、Mさんのやさしい気持ちがとてもとても嬉しくて、胸が詰まった。
すべてのことに感謝しながら生きていけること、それが本当の幸せなのかも知れない。
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2008年1月26日 (土)
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引越し完了!
厳しい冷え込みが続いていた最中に、やっと私の新しいお家への引越しが完了。今日で一週間にたった。引越し当日は曇り空で、とりわけ寒い日だったが、夢中だったせいかそれほど寒さを感じなかった。
こんなに捨てるものがあったとは。。。と自分であきれ果てるほどのものを処分し続けた一年だった。 引越すマンションは面積からいうと、元の家の約3分の1くらい。よほど荷物を減らさないと入るわけがない。どんどん処分せざるを得なかった。4人の家族が24年間暮らした家を一人で片付けたのだから、それは大変だった。もう二度とこんなことはしたくないと、思った。
そこにあったものが無くなると、家の中はガランとして音が響き渡るようになり、なんだか寒さも身にしみるようになる。家の中の音響が素晴らしくよくなり、歌の練習をするとエコーして、さぞかし気持ちがいいだろうと思ったほどだ。歌を歌っている余裕などなかったけれど。。。
いよいよ我が家を出るとき、私は一人で一部屋ごとに「長い間、ありがとうございました」と頭を下げて挨拶をした。見納めだ。ここはすぐに取り壊されて、3軒の家が建つ予定だという。悲しいけれど仕方がない。
すべての物が運び出された家は、一挙に廃墟になった。悲しかった。でも感傷に浸っている時間は無かった。「奥さーん。もう行きますよ。先に行ってマンションの鍵を開けておいてくださーーい」 引越しやさんに呼ばれた。
車でわずか15分ほどの新しい家には、泊り込みで義妹が来てくれた。手際よく荷解きをし、ダンボールをまとめてくれる。おしゃべりをしながら楽しい作業が深夜まで、続いた。「お姉さん、こんなもの要らなくない?もう捨てましょうよ。入らないわよ。。コーヒーショップができるほどカップが多いね。。。これ、だれかに上げましょうよ」
私が未練がましく思い切れないで持ち込んだ不用品を、これも手際よくまとめて袋に詰めてくれる。お陰でスッキリした。引っ越した直後なのに、またしても膨大なゴミが出た。。。ここのマンションにはひろーーいゴミ置き場があって、いつでも自由にゴミ出しができる。その点、本当に便利。
あっちで「ピー。。」こっちで「ピンポン。。」「ン?あれはなんの音?電話?インターフォン?お風呂??」慣れないシステムが導入されているマンションだから、ややこしいったらない。これからしばらくは取扱説明書と首っ引きの毎日になりそうだが、びっくりするほど便利でうれしい。なによりありがたいのは、どの部屋も暖かいこと。
巨大ショッピングエリアに隣接したマンションなので、ほんの数分歩けば、何でも揃っている。買い物、病院、レストラン、映画館・・・今までは居住空間を大切にした家だったので、不便なことが多かった。私が一人暮らしになったとたん、それが耐え難くなった。
憲さんごめんね。でも許してくれるよね。。そう思って決断した引越しだった。 今は本当によかった。。と心から思っている。 思い出が一杯詰まった、憲さんのお気に入りだったアーリーアメリカン調の家具のほとんどを持って来ることができ、うまく収まったのでほっとした。もう30年以上愛用してきた家具が、また新しいお家で活躍してくれる。。とてもうれしい。
少しずつ、私の色を加えていって新しい自分のお城ができるといいな、、と思っている。
あれから一年半。急に一人になって以来、怒涛のような日々だった。 これでやっと落ち着くことができそうだ。 9階の我が家からは、大好きな大空が見渡せる。 それがなによりうれしい。
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2008年1月7日 (月)
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新年早々。。。
新年を長女の家で迎えてから、もう一週間たった。ドイツから帰国したのがクリスマスイブ。がらんとした我が家に落ち着くと、日本の家がとても寒いのに気がついた。この数年、ずっとお正月はハワイだったし、日本の真冬を忘れてかけているのかも知れない。少なくとも憲さんがいたから、家の中ももっと温かかったような気がする。引越しに備えて、家具も少なくなったせいもあって、とにかく寒い。一人なのに、贅沢なほどヒーターを沢山つけて引っ越しの準備をする毎日だ。
スーパーに行って、はじめて今日が七草粥の日だということに気がついた。今は2週間後に控えた引越しのためにだけ生きているようなものなので、全く世の中の流れを忘れている。ちょっと気をつけなくちゃ、、と思っている。その点、反省。。の新年でもあった。
まず、今年の年賀状で大失敗をした。ねずみ年なのに、イノシシのイラストを入れて作成してしまったのだ。。200枚以上。。その間違いに気がついたのは、カウントダウンがすんで、2008年が明けたばかりのときだった。長女夫婦と一緒にいた私はおもむろに、その年賀状を取り出し二人に手渡した。 「あけましておめでとう!!」
長女の顔が変わった。「ママ、これみんなにもう出しちゃったの?。ママね、ことし、ねずみ年だよ。。イノシシのイラストが入ってるけど。。どうしちゃったの?ママ〜」私も目が点になった。おまけに引越し先の新住所も変換ミスで間違いだらけ・・・「もう、どうしましょ!!」 3人の大笑いで年が明けた。
こんなとき校正してくれる憲さんがいないことを、とても悲しく思うが、仕方がない!!やり直そう!と決めた。お詫びして訂正しよう。。。
新春2日から、私は前代未聞の年賀状の訂正文を作成、プリントして、再び投函した。 本当にお恥ずかしい。。。私もとうとうきたか。。それとも天然〇〇・・・か? その両方だと思うが、「ま、ママらしくていいわよ!」という娘達の言葉を信じて、今年も元気に過ごそうと、あらためて思った。あくまでものんきな人間である。
昨年、初孫が生まれ、今年まもなく新居に引っ越す。やっと新居に落ち着いたころセカンドお孫ちゃんが生まれる。。この一年半の私はもうめちゃくちゃに忙しかった。いやいや、まだ忙しい。。 でもあと少し。。あと少しなのだ。。 毎日ダンボールの数が増え、目の前から見慣れた家の中の光景が消えていく。 しかし、ここまでくると、感傷はもうない。もう吹っ切れた。ここのお家での私達家族の生活は完結。
そして新しい人生に踏み出していかなければ。。と思う。少し前まで、私は独りになった。。と思っていた。しかしジャッキーが生まれて、私の家族は今、6人もいるのだということに改めて気がついた。そしてまもなくもう一人増えて7人になる。。なんて嬉しいことだろう。
私はもともと大家族には縁がない。母にも父にも兄弟が少なかったから、おじさん、おばさんが少ない。従ってイトコもとても少ない。おまけに私は一人っ子。姪も甥もいない。今まで特にそれが淋しいと思ったことはないのだが、この年になると家族が増えてきたことが嬉しい。大事にしなくちゃ。。と心から思う。
今年はどんな年になるのかな。。4月には新居に長女とその赤ちゃんがやってくる。それから約一ヶ月間、私はまたまた、どっぷりバアバの生活に。。。楽しみだ。
ハワイからメールが届いた。「あなたの車の車検が切れるから、更新しておこうか?」というものだった。あーーそうだった、そうだった。「はい!どうぞよろしくお願いします」と返事を出したが、むしろ本当はハワイに飛んで行きたいのが本音だった。
なんだかとてもハワイが懐かしい。「ハワイ恋しい病」が発症したようだ。近くハワイに行きます、、というお友達からのメールもちらほら。。羨ましい!!
そんなことを言っていないで、さっさと荷造りをしないと!!と思いつつ、こうしてブログを書いている。 なかなか仕事がはかどらないはずだ。 あと少し、あと少し・・・・頑張ろう!
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2007年12月22日 (土)
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ドイツ最後の一日
明日でドイツとお別れ。ジャッキーともお別れ・・・ ちょっと淋しいけれど、しかたがない。 今日は午後から4人でパパの実家へ。。。ジャッキー初のお宅訪問だ。 車で20分くらいのミンデルハイムという街に実家がある。
心待ちにしてくださっていたドイツジイジ、バアバ、そしてアレックス叔父チャマ、ソニア叔母チャマ、カリナ叔母チャマが玄関で迎えてくださった。実はドイツバアバはパパの実のお母さんではない。ジャッキーの実のドイツバアバは、残念ながら早くに亡くなった。その後、ドイツジイジは再婚なさった。したがってジャッキーの叔父さんも叔母さんたちも若い。 アレックスは23歳、ソニアは16歳、カリナは14歳。。。。
3人とも子供が大好きで、交互にジャッキーを抱っこしたくてしかたがないのに、ジャッキーは熟睡。それぞれ顔をのぞきに行って「生きてる、生きてる。。」と確かめるほど。
お料理の上手なドイツバアバ(私よりずっと若い)は、私のリクエストに応じて、クヌーデルスープとドイツ風ビーフの野菜巻き。。を用意してくださっていた。そしてデザートはもちろん手製のチョコレートムース。ステキな食器に美味いしい料理。それにステキなインテリア。。ドイツバアバのセンスは素晴らしい。ドイツの人はきれい好きだし、お家をとっても大事にする。ここも絵に書いたようなドイツのお家。。。アメリカのようなスケールの大きさはないが合理性があり無駄がない。
ここのご家庭の特徴は、お家の改装に情熱をかけているということ。数年ごとに本格的なリノベーションをする。リビングを変えたり、キッチンを変えてみたり。。。今年はお庭をすっかり変えてしまった。本格的な噴水まであって、ステキ。噴水を見たいと言ったら、今は凍っていてだめなんだ、、とのこと。温かい季節限定らしい。「次は夏にくるといいね。。」とジイジ。
ヨーロッパの人々の色使いというのが、ちょっとわかってきた。お部屋の壁に赤が使われたりしている。ちょっと考えられないが、それがとてもよくマッチする。パパとママのベッドルームの壁の一つの面だけが深紅。。 それ以外の面は明るいアイボリー。深紅の壁によって奥行きがでてすてきだ。ソニアの部屋の部屋にもそれと同じような部分があり、興味深かった。それに合わせるようにベッドカバーもシーツも色がはっきりしていて濃い。その色使いがステキだなと、あらためて思った。
「外面のいいジャッキー」ぶりが今日も発揮され、「ジャッキーはあんなに静かで、いい子なんだから、ママもラクだよね?じゃ、もう一人欲しいねえ」とドイツジイジが冗談を言うほどだ。「男の子が欲しいの?」と聞くとジイジはウインクを一つ。。
本当にジャッキーったら。。ずるいんだから! お客様のとき、外出したとき。。。大変おとなしい。 夜になると、元気になって大泣きする子はだあれ??
きれいに整えられたリビングの棚の上には、きれいなフレームに入った憲さんの写真が置かれていた。 その両脇にはドイツジイジのお母様とドイツバアバのお父様の写真が。。。今は亡きあちらのご先祖様の仲間入りをさせてもらった憲さん。本当にこちらのご家族の温かさがうれしい。 よかったね。憲さん。 ここでも皆のことを、見つめてくれているのだろう。
夕方まで長居をすることになった。ジャッキーもやっと目を覚まし、皆さんに愛想を振りまいて皆さんに代わる代わる抱っこしてもらって、ひとしきり遊んだら、また寝てしまった・・・・。 本当に静かなジャッキーだった。
夜はお家で過ごす。食事を終えたとき、パパとママから私にプレゼントがあった。 二人は突然最敬礼しながら「有難うございました。いろいろお世話になりました!」といいながら包みをくれた。ずっしり重かった。開けて、中を見て思わず歓声をあげてしまった。その次は涙。。。 ステキなフレームに何枚ものジャッキーの写真がちりばめられるように入っていた。一番大きいのは私とジャッキーとのツーショット。いつの間にこんなのを用意したの?何よりのプレゼントよ。。。
「ありがとう!」と顔をあげると、向かいに座っているママも涙を拭いていた。 明日はお別れ、7週間一緒だったからお互いにつらい。その気持ちもあってママと私はしばらく泣いていた。 ジャッキーのオムツを換えるのも、抱っこするのもあと少し。。。 持って帰っちゃおうかな。。。と思うくらい、愛おしい。。 明日はミュンヘンを発って日本へ。。 ママも親として大きくなってきたし、もう大丈夫。 私は安心して飛び立つことができる。
ドイツ日記もこれでひとまずおしまい・・・・ 次はどこからの日記になるのだろう? セカンドお孫ちゃんの記録、、になるのかな・・・
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2007年12月21日 (金)
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オレンジのクリスマスツリー
今日はパパがスキーに出かけた。街では雪はないが山にはあるらしい。パパはスキーの国際インストラクターの資格を持っているほどの腕前で、雪がない時はジョギングを欠かさない人だ。 今日はどこへ?とママに聞いたら、廻りはスキー場だらけでどこへ行ったか、わからない、、という。 30分車で走ればオーストリアのスキー場、もう少し長く走るとスイス。。もっと走るとフランス。。。南へ下るとイタリア。。。という場所だから、羨ましい。。。今日はパパはドイツで滑ってきたらしい。。
夕方帰ってきたパパに「雪は新雪だった?」と聞いたら「あいにく新雪じゃなくて、硬かった」と残念そう。本当に今年は雪が降らない。。と嘆いている。ここも温暖化か・・・
夕方からクリスマスツリーの飾りつけをする。数日前にパパが買ってきたもみの木は、お庭においてあった。その根元を水を張ったバケツにつけておいたら完全にその水は凍ってしまっていた。お湯を用意してその氷を溶かし、やおらお家でもみの木を立てる。ツリー用のスタンドがあって、まっすぐかっこよくツリーが立つように私が支える。ママはジャッキーを抱いてソファーに座って遠くから「ちょっとゆがんでる、真っすぐ立てて。。そうそう」などと指示を出す。パパは床にはいつくばってもみの木をしっかりスタンドに固定する。
今年のこの家のテーマはオレンジ色。キャンドルも、ツリーの飾りのガラスだまもオレンジ系。 そして金色がそれに加わる。とてもしゃれている。そういえばこちらでは色とりどりのカラフルなツリーはないような気がする。色が統一されていてシンプルで豪華。
パパとママはジャッキーが生まれたので、初めて本格的なツリーと作ろう。。と張り切っている。私もそれに加わったが、きれいなガラスだまを割ってしまった。床がタイルなので落としたら必ず割れる。。あーー。やっちゃった。。。
パパがすかさず「大丈夫、必ずいくつか割るもんなんだよ。毎年ね。。」と慰めてくれた。 そして数分後、今度はパパがオレンジ色の大きいガラスだまを見事に割ってしまった。 「ほーーらね」と、半分渋い顔をしながらかけらを拾い集めている・・・付き合いのいい人だ。
シンプルだが、きれいなツリーが出来上がったのは2時間後。ゆっくりと時間をかけて作っただけあってバランスのよい見事なツリーになった。来年はママが「赤をテーマに作りたい!」と宣言。 これから一年かけて、ゆっくり赤のデコレーションを探すのだろう。
ちなみに昨年はツリーは無かったけれど、この家のテーマカラーは紫だった。 一年前の年末からお正月、私はこの家にいた。 憲さんがいなくて淋しいだろうと呼んでくれたのだ。そして今年はジャッキーと賑やかにクリスマス。なんという幸せだろう。
ドイツがこんなに身近になるなんて。。想像もしていなかった。 人生、どうなるかわからないものだと、つくづく思う。
ハワイのフラのK先生と、来年の仕事のことでメールをやり取りしながら、私はここドイツで孫の世話。
長生きはするものだと、、、昔の人のような言葉が浮かんできたりする。 明日はいよいよドイツで過ごす最後の日。 パパの実家へお呼ばれしている。。楽しみだ。
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2007年12月20日 (木)
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霧氷
今朝、起きたら窓の外一面真っ白。雪ではない。霧氷だ。。。外に出てみると霧氷に太陽が当たってキラキラ輝いていた。
樹氷と霧氷、どう違うの? ちょっと調べてみたら、霧が木々や、芝生に凍りついたのものを「霧氷」と言うらしい。さらに分類すると今日のは「粗氷」と呼ばれるものらしい。樹氷はもっと温度の低い地方で、雪と氷が木々に凍りついたもので考えたら、もっと凍りつき具合が堂々としている。
みんな平気で歩いているが、外気温マイナス3度。今日一日霧氷は溶けることはなかった。ママは長い間、フランクフルトに住んでいたので、こういう風景はめずらしいらしく、今朝は庭の「くもの巣」が凍っていたわよ。。と驚いていた。私たちが昔住んでいた、アラスカのアンカレッジは、アラスカ州の中では比較的マイルドな寒さだと言われているが、それでもマイナス20度なんて当たり前で、寒い日ほど、キラキラ輝くダイアモンドダストがきれいだった。それから思えばここの寒さは、大したことはない。
今日もジャッキーをベビービョルンに入れて抱っこしながら、お買い物に出た。ジャッキーのお祝いをいただいた方へのお礼のカードなどを沢山郵送しなくてはならなかったし、クリスマスツリーのデコレーションも選びたかったし、私の新居で使うダウンの掛け布団も欲しかった。こちらのはクオリティが高くて、お安い。今ここで使っているものがとても気に入っていて、いつか私も欲しいと思っていたので、是非に、、とママにリクエストして、お店に連れて行ってもらった。幸い欲しかったサイズのものがあったので、早速購入。それにぴったりのカバーも・・・今までになく、ヨーロッパ調の色柄である。
家具は、今のうちにある思い出深いものを持って行くのだけれど、すべてアーリーアメリカンスタイルの家具。これはちょっと合わないかな??とも思ったが、寝室くらいヨーロッパもどきでもいいか。。と考えなおした。狭いながらも、自分の好みに合ったものを少しずつ揃えていけたら楽しいと思う。
今日もジャッキーはママの胸で静かだった。ジャッキーは今日マクドナルドデビュー。。。ママと私はお腹がすいても新生児を連れてレストランに入る勇気も無く、結局マクドナルド・・・。ここでもジャッキーはスヤスヤ・・・ママとはたわいもない話をして、楽しくランチ。
今日もまた女三人で、たのしくお買い物ができた。この調子で、ママはジャッキーと二人だけでも、外出もできるようになり、だんだん大きくなるジャッキーと楽しく過ごしていけるだろう。
ママにはこちらにも、沢山お友達がいて(日本人、中国人、ドイツ人と多彩である)、電話を掛け合ったり、お友達が訪ねてきたり、賑やかに過ごしている。私も安心して帰国することができる。本当によかった。。。
パパは明日から年休を取っていて、お正月までずっと休暇だ。 早速明日は、スキーに行くと張り切っている。 ここから車で一時間も走れば、素晴らしいスキー場がいくつもあり、ほんの少し足を延ばせば、そこはもうオーストリア。。。もっと足を延ばせば、スイス、、である。もちろん日帰り。。スキーから帰ってくるパパを待って、あしたは、夕方からクリスマスツリーの飾り付けをすることになっていて、今から楽しみだ。
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2007年12月19日 (水)
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メミンゲンでお買い物!
いよいよ帰国の日が近くなってきて、ジャッキー一家との生活ともお別れかと思うと、ちょっと淋しくなってくる。
なかなかお買いものにも行けなかったが、ママの身体が快復し、ジャッキーも元気なので、今日は思い切って、三人でお買い物にでた。外はマイナス3度くらい。。。マキシコージという、チャイルドシートにジャッキーをのせ、車で出発。街の駐車場で車を停めると、ママはベビービョルンでジャッキーを抱っこし、さっそうと?歩く。ママの胸で、ジャッキーはぬくぬくと温かそうで、約2時間半熟睡したままだった。
まず、先夜パパが連れて行ってくれた、クリスマスマーケットへ。。。お昼なので、雰囲気が違うが楽しかった。また焼き栗を買って、ママとあつあつの味を楽しんだ。
次にパパの実家の皆さんへのクリスマスプレゼントを。。と思い、それを探す。ダグラスというお店をひと回り、、、大体候補を決めておいて、次のお店へ。
アポテケと呼ばれる薬局で、ベビーマッサージ用のオイルをセカンドお孫ちゃんのために買う。ママお勧めのオイルは、なんとバニラとマカデミアナッツのアロマオイル。この香りがアメリカっぽくなくて、いかにも自然の香り。。。ハワイの香りで二人のお孫ちゃんはマッサージを受けることになる。。。ついでに私のあたらしいお家のために、自然の蜂蜜とショウガの香りのスプレーも買った。ドイツらしい香りで落ち着く。。
次はベビー用品のお店へ。。 ジャッキーのお下がりが沢山出てきたのに、またセカンドお孫ちゃんのためにいくつか洋服を買う。 ジャッキーをおそろいのもいくつか・・・相当時間が経ったのに、ジャッキーはママの胸でイビキまでかいて寝ている。助かる。。。きっと抱かれ心地がいいのだろう。
本当に今の育児用品は素晴らしい。年子で二人の娘を同時に育てた私の時代には、パンパースすら日本にはなかったし、当時便利とされた「紙おむつ」も悲しいくらい役に立たなかった。 おんぶ紐、コンビラック。。など、これは便利!と思うものも使ってはいたが、今とは大違い。 今のママたちも赤ちゃんも本当に幸せだ。
ドイツのキッチン用品は定評がある。ステキだし、使いやすいし・・・ 次に、行ったのは料理好きだった憲さんも、とても気に入っていたキッチン用品のお店。ここで、キャンドルホルダーを一つ買った。見ているだけで、楽しくなるお店だ。
ジャッキー初のメミンゲンの街でのお買い物・・・無事終了。 思いのほか、簡単だった。ママも大喜び。。。
ただし、コーヒーショップで一休みと言うわけに行かず、ベーカリーでおいしいパンを買って帰ってランチにした。楽しいひとときだった。
深夜、窓の外を見ると霧で真っ白だった。外灯に照らされた木々が銀色に見える。 樹氷のようだった。寒そうだ、、明日の朝の景色が楽しみだ。
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2007年12月18日 (火)
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新橋駅の酔っ払いおじさん!
こちらもさすがに寒くなってきたが、雪が無い。ホワイトクリスマスは望めるのか??
毎日ママのお友達から、クリスマスと出産祝いを兼ねた小包が届く。郵便配達のおじさんも、いつも応対にでる私のことを覚えてくれたようで、「あら、またあなたですか」という親しげな顔をする。
今日も小包を届けてくれて「あ、そうそう、この間、となりに荷物を預けておいたけど。。二つね。あれ、受け取りましたか?」と言うようなことをドイツ語で言う。私はまったくわからないけど、ママがご近所へ預かりものを取りに行っていたから、きっとそのことだと思い「イヤー、イヤー。。。ダンケシエーン」と愛想よく答えておいたけど、間違っていたら困ったな・・・・
今日はジャッキーを洗面台でなく、本当のベビーバスにいれる初めての日。 まずオイルを塗って、ジャッキーの全身マッサージ。 ベビーバスは大きいので、初めてのママにはちょっと難しそう。。。こちらでは石鹸を使わないので、マッサージで全身についているオイルをお湯で洗い流すだけだが、お風呂のいれ方までは、母親学級で習っていないようだったので、私の時代の方法を伝授した。
まず赤ちゃんの肩から下をすっぽり包めるサイズのタオルでジャッキーをくるみお湯につける。 そうすると冷えないし、体が安定しているのであばれる事もない。巻いたタオルで、マッサージのオイルを流すように洗えば、それで終わり。
今の赤ちゃんの沐浴方法は知らないが、ジャッキーの場合、これでとてもうまく行った。 「ウーーン、アン・・」と終始ご機嫌だった。この方法なら、私が帰ったあとも、パパと二人で上手に沐浴させられるだろう。
ジャッキーはとにかくよくおっぱいを飲む。 いつも飲みすぎて、真っ赤な顔になって、グデ〜っとなって、飲みすぎた酔っ払いのようになる。
ママは「やだー、、ジャッキーったら、新橋駅の深夜のおじさんみたい。。」という。「どういう意味?」と聞くと「あのね、深夜にさ、駅員さんに起こされて『おじさん、こんなとこで寝ちゃダメだよ。風邪引くよ。おじさん、うちどこ?え?三鷹?こんな所で寝てたら、終電に間に合わなくなっちゃうよ!おじさん!起きなさいって!!』って言われている新橋駅の酔っ払いのおじさんみたいだ、、というのだ。またそのママの声色に実感がこもっていて本当におかしい。。
本当にいい得て妙で、おっぱいを飲んだあとのジャッキーは幸せそうな顔をして、真っ赤になってグデングデンになっている。そのまま寝ればいいのに、そのあと、騒ぎ出すのも酔っ払いに似ている。
飲みすぎジャッキーは、新生児用の服はほとんど着られなくなってしまい、ママは嬉しいやら、残念やら。。複雑そうだ。セカンドお孫ちゃんが、お下がりを待っているから大丈夫よ、ママ。。。
今日はパパが会社から帰宅してからお留守番をしてくれて、ママと私は二人で、また束の間のショッピングに出かけた。夕食も外で、、ということになった。パパのこころ遣いがうれしい。
ウチでは「ママとバアバ」だけど、二人になると娘と母。とても楽しい時間だ。スーパーに行って、欲しいもの必要なものを買い、セカンドお孫ちゃんのために衣類を選ぶ。。明日の食料も忘れずに。。。
夕食は気分転換に気楽におしゃべりもしたいし。。ということで、またバーガーキングに寄って、気楽に昔のようにベチャクチャ、モグモグ・・・久しぶりにお腹を抱えて笑って、大いに気分転換ができた。 パパには大好物のシナモン入りのチョコレートを買って、お土産にした。
約2時間後、帰ってみるとパパはジャッキーを抱いてウロウロ。。きっと泣かれてしまったのだろう。それでも、パパもジャッキーと二人だけで過ごせた時間が嬉しかったようだ。
お互いにいい時間を過ごせてよかった、よかった。。。
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2007年12月17日 (月)
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やられた!!
朝9時から、ジャッキー一ヶ月検診の日。パパが半日会社を休み、ママと三人で初めて小児科へ。この小児科がこれからジャッキーのホームドクターになるらしい。
一時間半ほどで三人は帰ってきた。 「どうだった?検診は..」とママに聞いた。するとママが真剣な顔つきで、パパに英語で「貴方からバアバに説明してあげてくれる?」と言っている。何か問題でもあったのか?と私は身構えた。
私「一体、どうしたの?」 パパ「あの・・・ジャッキーは、ちょっと深刻な問題を抱えているそうです。ちょっと心配な病気で。。 彼女には特別なお薬が必要なんだそうです。その病気に一番よく効くのが、一ヶ月に一回、日本のバアバから送ってもらうプレゼントなんだそうですよ!!」
やられた!!またしても・・。 この夫婦には時々こうしてびっくりさせられる。今年のエイプリルフールには「検診でわかったの!!お腹の赤ちゃんは、双子ですってよ。。」とわざわざ日本まで電話をかけてきたし、それまでにもいろいろ。。まじめな顔をして、こんないたずらを考えるのは、パパに違いない・・当のジャッキーはチャイルドシートのなかで、すやすやと眠っていた。。。。
本当のところ、ジャッキーは一ヶ月で一キログラム増え、身長も3センチ伸びとても大きくなっていて、健康そのもの、、という診断だったという。あああ、よかった。。
ママも難産を後遺症を乗り切ってよくここまで回復してくれたと思う。なにより健康な赤ちゃんを授かって、こんなに幸せなことはない。もう身体も大丈夫!ママとして自信を持って生活していって欲しい。私も帰国の日が近づいて、なんとなく淋しいような、役目を終えてほっとするような。。複雑な気持ちだ。なによりあのおっぱいの匂いのする、ピンク色でやわらかいジャッキーを抱っこできなくなると思うと淋しい。
ジャッキーが生後7ヶ月になるころ日本に連れてくる予定で、今からそれが楽しみだ。そのころにはセカンドお孫ちゃんもいるはずで、きっと賑やかなことだろう。
こんな幸せをいただけたのも、憲さんのお陰。。「ありがとう」、、とあらためて思う。
この頃、東京にいる長女がジャッキーのことを「ジャコちゃん」と呼ぶようになった。 「やだ、、、ジャコなんて。。」と思ったら、理屈が通っていた。「だって、ジャクリーヌ ノリコでしょ? 縮めて ジャコちゃん。。。」
それもそうだけど、そういう縮め方ってどうなの?? やっぱりジャコっていうと「ちりめんじゃこ」を思い出すからやめてほしいと、内心思っていたのだが、案外呼びやすくていいような気もしてきている。。。
夕方、行方不明になっていたパパのスーツケースが自宅に届けられて、ホッと一安心。 やっと荷解きをして、また洗濯物がどっさり出てくるのだろう。 ふと、憲さんが仕事から帰ってきたときのことを思い出す。
35年まえ、憲さんの赴任先のアラスカで、私の母がウチの娘達のオムツを換えてくれて、今の私のように赤ちゃんを寝かしつけてくれた。おなじような歌を歌って。。。 あのときの母の気持ちが手に取るようにわかる。いま、やっとわかる。。
今日ママが言った。 「私もあと2、30年たったら、ジャッキーの子供を抱いてあやしているのよね。世界のどこでだろう?本当に人生ってどうなるかわからないものね。親子3代、外国で孫をあやす運命なのかもね」
考えてみれば、人の営みって繰り返しでしかないんだなあ、、つくづく思う。 また、その繰り返しがとても尊いし、大切なのだと。。。
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2007年12月16日 (日)
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揚げ物
今日は寒い一日だったようだ。外に一歩も出ていないからまったくわからないが、今夜はマイナス12度になるらしいとのこと。雪はない。。。
パパが昨日アメリカ出張から帰る予定だったのに、アメリカを襲った寒波で、飛行機が延着したり、欠航したりして、ついに帰って来れなかった。結局、フロリダ〜デトロイト〜アムステルダム〜ミュンヘンとずいぶん大変な思いをして今朝、10時半ごろ帰宅した。しかもほとんど手ぶらで・・・。預けた荷物がその寒波の影響のドサクサでどこか別の空港へ送られてしまったらしい。アメリカではよくあることで、私も3回経験がある。宿泊先、あるいは自宅へ届けてくれるからいいようなものの、化粧品、歯ブラシ、下着がしばらく届かず、困ったことがある。それ以来最低限必要なものは、機内持ち込みにしているがニューヨークのテロ以来、持ち込めないものも多くて不自由だ。
今夜はパパの実家のジイジ、バアバ、それに叔母チャマ二人をお呼びして、夕食会。。。ママと私は昨日から少しずつ用意をして、今日は朝から交代でキッチンに立った。ジャッキーの面倒を見ながら・・・。 献立は、日本風鶏から上げ、天ぷら(サツマイモ、白マッシュルーム、ズッキーニ、なす、たまねぎとニンジンとインゲンのかき揚げ)、冷凍の春巻、ちらし寿司、イタリー風サラダ(リボンの形のパスタとルッコラ、ドライトマトをオリーブオイルドレッシングで)、牛肉と青梗菜のオイスターソース炒め。。。中華、和風、イタリアンの妙な顔合わせ。。
私はまる二時間、揚げ物に時間を費やした。 もう一生、これだけの揚げ物はしないでしょうね。。とつぶやきながら。。。 約束の6時に皆さん到着。 4人とも家に入るなり「うーーんいい匂い。おいしそう!!」とニコニコ顔。
ジイジは着くなり「私の孫娘はどこどこ?」。。。どちらにとっても初孫なので、大変だ。ジャッキーはちょっと笑顔が出るようになって、皆を喜ばせている。それにジャッキーはお客様だと、とても静かで落ち着いている。 ジャッキーを代わる代わる抱っこして、可愛くて仕方がないという表情。こんなに喜んでくださる方たちがいて、本当にジャッキーは幸せだ。ドイツでこの家族の一員としてジャッキーは大きくなっていくのだと思うと心強いし、気持ちが温かくなる。
皆さん「静かでいい子ね。。」といって下さるが、、、どうしてどうして、夜になると元気?になって、一人でパーティが始まる。「ジャッキーったら、外面がいいんだから。。」と、ママと私は思っている。時々夜の8時ごろから目が輝きだして、泣き出し、叫びだし、笑い出し・・どうも、夜に強い私たちの血を引いたようだ。。。。
お料理は皆さんに好評で、ほっとした。慣れないお箸に、全員が挑戦。ナイフもフォークも用意してあるのに・・。今はお箸を使えるの人が、インターナショナルな証拠。。と言えるのかもしれない。 お菜箸がない時は、こうして上下をさかさにしてお箸を使うんでしょ?とジイジが実践してみせる。でもうまく行かない。。ジイジは余計頑張って箸を使おうとする。。。「箸を使って食べると、食事に時間がかかる。これがまたいいところだねえ。。」などと言っているらしい。面白いジイジだ。
クリスマスイブに、パパのご実家でクリスマスパーティを。。と言われていたのだが、フライトの都合で、23日に私は帰国ということになりそうだ。とてもとても残念がって下さったが、仕方がない。一足早いクリスマスギフト。。ということで、今日ドイツバアバから私にプレゼントがあった。 開けてみると、真っ白なバスタオル。広げてみるとなんと金色の花文字でKyokoと刺繍がしてある。周りにほどこされた金色の刺繍と調和していてとても豪華!!本当に心がこもっていてうれしかった。
夕食会は3時間でお開き。そのあと、ジャッキーの夜のパーティが始まった。 今夜はパパもママも私も疲れたので、ジャッキーに付き合ってはいられない。無理やりベッドに連れて行ったら、程なく静かになった。ジャッキーのパジャマは、不思議な格好をしている。着ぐるみのようなパジャマ。その上に寝袋を重ねてきている。だから夜は掛け布団はいらない。
それはなんとも可愛い寝袋で、私もこんなのが欲しい。と思うほど、温かくて寝心地がよさそうだ。母親学級で推奨されたという、今の季節にはぴったりの新生児用のパジャマだ。ちょっと見ると、韓国のチマチョゴリのようにも見える。これはいいアイデアだと思う。 パンパースも新生児用から一つ大きめのを使うようになり、新生児らしくなくなってきた、ジャッキーは毎日大きくなって、確実に毎日重くなっている。すごい生命力だ。毎朝、私は彼女に会うたびに驚いている。
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2007年12月14日 (金)
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生後一ヶ月!
今日でジャッキー誕生から丁度一ヶ月がたった。 ずいぶんずっしりと重くなったし、母乳だけでこんなに育つのか。。と母乳が出なくてすぐにミルクに頼ってしまった私としては、我が娘の「母乳力」に驚くばかりだ。今日は2度目のオステオパシー治療にジャッキーを連れて行った。気のせいか、前回の治療以来、ジャッキーの落ち着き方が違ってきている。泣くのもほどほどだし、おっぱいを飲んで一騒ぎしたらコトンと寝るようになり、ソックリ返って泣くことがなくなった。長時間眠ることが多くなり、ご機嫌の良いときは一人で、何かいいながら盛んに手足を動かしている。
単なる成長過程かもしれないが、あのオステオパシーの先生の言う「気」の流れの悪いところを見つけて、指先で治してゆくという方法がジャッキーのバーストラウマを快癒させるのであれば、これにこしたことはない。ドイツではこういう治療も保険がきくというし、私もできるものなら受けてみたい気もする。相当気が滞っているような気がするから・・・。
今日は外気温マイナス2度。さすがに寒かったが、駐車場から徒歩3分くらいのドクターの所へママがジャッキーを抱っこして連れて行った。寒い国では、こうして少しずつ慣らしていくらしい。帰りにカールシュタットという、デパートに寄った。日本へのお土産と、二人目のお孫ちゃんのためにお洋服とぬいぐるみを買った。クマのぬいぐるみはジャキーとおそろいだ。ジャッキーはずっと眠っていたが、デパートデビューだ、とママは喜んでいた。
ジャッキーが標準より長身(54センチ)で生まれたので、もう既に着られなくなった服がある。本当に信じられないほど早く大きくなる。それらは、日本で4月に生まれるお孫ちゃんに持って帰ることになりそうだ・・・。お下がりがほぼ、新しいままでもらえて、よかったね、セカンドお孫ちゃん!
セカンドお孫ちゃんのママになる長女から、小包が送られてきた。中には自分で作ったという可愛いウサギのぬいぐるみが入っていた。それにCDが二枚。。。日本の童謡ベスト60曲が入ったものだった。 私に似て、手先が不器用な娘なのに、姪のために一念発起して一生懸命作ったらしい。とても手の込んだもので、きれいに可愛く出来上がっていた。名前は「いちごみるくちゃん」。。白とベビーピンクのウサギちゃんだ。童謡CDはジャッキーと、ママのためだ。先日の私の日記を見て哀れに思ったのだろう。「ちょっはジャッキーにいいものを聞かせなさい。」と言うことだろう。ありがとう、長女。そういえば、昨日送っていただいたクラシックのCDも、あの日記を読まれてのことかもしれない。ありがとうございました。
今日は久しぶりに寒い!!と感じる天気だった。しかし車の中もすぐに温かくなり、快適に走ることができる。寒冷地仕様の車だから、車のヒーター以外に、シート自体が温かくなるからだ。ポカポカして気持ちがよい。
35年前アラスカ・アンカレッジに住んでいたころは、シートが温かくなる車ではなかった。けれどもあの時も寒い思いをしないで車を走らせることができていた。暖房つきのガレージに車を入れておくから室温のまま、乗降できて便利だった。
あの当時はどんなに寒いときでも、毛皮のコート(おしゃれ用ではなく、防寒用)を着ていれば外も平気で歩けた。あのころダウンコートというものがなかったような気がする。毛皮か、綿入れのようなキルティングのコートだった。ダウンのように軽くて温かいものはなかった。
それが今は、このドイツでもほとんどの人がダウンコート。それも寒冷地用にしっかりと身を包むようになっている。日本で売っているものとはデザインが違っていて、寒さ対策が徹底している。私のダウンコートは白のロングで、日本で買ったものだがやはり中のダウンの量が違う。日本では充分でもここではちょっと薄ら寒いような気がする。
街を歩いている人のほとんどが、男女を問わず黒かこげ茶のコートを着ている。地味だ。でもどこかに華やかさがある。ちょっとのぞかせたマフラーや、靴や、帽子などでアクセントがついている。人々のメガネがおしゃれだし、小物に凝っているのがよくわかる。
明日はパパがアメリカから帰ってくる。明後日、日曜日はパパの実家の全員5名をお呼びして、ここで夕食会。あしたから、でも育児で忙しいから、お料理の一部を行きつけの中華レストランからテイクアウトして来ようと思っている。合計8人分のディナー。。ジャッキー入れて9名。さあどういうことになりますか・・・。明日からママと下ごしらえをして、がんばろう!!
母親となって一ヶ月、ママもすっかりジャッキーの世話が板についてきたし、母体もやっと回復した。私の役目も終わりに近づいたようだ。
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2007年12月13日 (木)
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お姑さんと小姑さん?
このところ,日本から届けていただいた「ロイヤル・ベビークラシック」というCDをBGMとしてかけている。聞きなれたやさしいクラシックや子守唄が入っていて、大人でさえ心癒される選曲で私も気に入ってしまった。
朝、電話が入って、夕方からドイツバアバと二人の若い叔母チャマたちがジャッキーに会いに来るという。叔母チャマたちは学生なので、学校が終わってから一緒にくるとのこと。
こちらではお姑さんとか、小姑とか、、という感覚があるのかないのか??私にはわからないが、少なくともこの一家の中では、とても気楽にお付き合いしているようだ。ママもパパの実家の人たちの前で特に緊張していないし、ドイツバアバも年上のお友達と言う感じだ。私とドイツバアバは、言葉が通じないので、その代わりに何かというと、いつも手をつないでいる。おかしいのだけど自然にそうなる。
温かい人たちで、本当にありがたいと思う。叔母チャマのひとりソニアは、まだ17歳だが、赤ちゃんが大好きで近所の子供の面倒も見ているから慣れた手つきで、ジャッキーを抱いたまま離さない。 そしてソニアがオムツ交換をしてみたいと言い出した。2階の子供部のおむつ交換台で換える。 「じゃ、みんなで。。」ということになって、ママ、ドイツバアバ、ソニア、カリナ、そして私と総勢5人で2階に上がり、ソニアのジャッキーのオムツ交換に立ち会うことに・・・。「こうしてああして。。」とママから教えてもらいながら、無事オムツを換えたソニアはとてもうれしそうだった。
まあ、なんとも晴れがましいジャッキーさん・・・彼女はこのオムツ交換台が大好きで、いつも大喜びなのだが5人の目にさらされながらも、今日も至極ご機嫌だった。15歳の叔母チャマ、カリナもジャッキーをそーっと抱き上げてうれしそうだった。ちなみにこの叔母チャマたち、私より、ママよりはるかに背が高く、体格も良い。。。
「ここがカリナに似てる、、」「このあたりはパパ。。」などと話していると、ドイツバアバの携帯にドイツジイジから電話が入った。今日はお仕事でフランスのストラスブールへ行っていて、そこからだった。 「どうだい、ジャッキーは?僕に似てるから、可愛いに違いない、、だろ?」という電話だったらしい。どこの家族もおなじような会話をするものなんだなあと、思う。きっと憲さんがいても、おなじ事を言ったと思う。
一方、アメリカにいるパパからも電話が入り、これから極寒のミネアポリスを発って、フロリダのフォートローダデールへ飛ぶと言う。フォートローダデールはかつて留学生だった頃のママが半年間過ごした街だ。
丁度そのとき、この街に猛烈なハリケーン「アンドリュー」が襲来して、多大な被害が出た。あのころはインターネットも無かったし、ハリケーンのあと、電話が不通になったので、しばらくママと連絡が取れず、とても心配した・・・。そんなこともあったね。ママ。。。あのころを思い出すと、今こうして、その子(ママ)とドイツで赤ちゃんの世話をしているなんて、なんとも不思議で仕方がない。想像もしていなかったことばかりが起こる。
私がドイツ人の家族の中に入って、自分の孫にドイツ語で話しかける人たちを目の当たりにしている・・・この人たちもジャッキーと血を分けた家族・・・そういう温かい親しみが、お互いに心の底から湧いてくる。
人生ってどう転がるかわからない・・・ つくづくそう思う。
考えすぎても、心配ばかりしていても無駄。 だからくよくよせずに、ポジティブに生きていくこと・・・ やはりそれが一番だな、、と思う。
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2007年12月12日 (水)
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くず湯
今日でジャッキー誕生から4週間たった。ママが母親学級で知り合ったという、生後2ヶ月の男の子ヘンドリックのママ、カトリンと、そこで先生をしていた助産婦であるサビネがウチへ来て、ミーティングをしましょう。。ということになっていた。
ヘンドリックやジャッキーの健康に問題があれば別だが、いまのところ、とても元気なので今日のミーティングは、楽しいお茶の会になった。
ドイツの人は健康志向が高いので、コーヒーよりハーブティとか、なんとか注文が多い。 今日の二人に「何を飲みますか??」と聞いたら、二人の答えはそろって「グリーンティ!」
そこで、抹茶入り玄米茶を出したら 「とってもマイルドでおいしい。。この中に入っているモノは、なーーに?え?お米??お米がお茶に入ってるの??」と目を丸くしている。 何杯もお代わりして、とても喜んでくださった。ママが皆さんにと用意していたケーキは、一切れが信じられないほど大きかった。私は当然切り分けて出すものだと思っていたら、ママは「これくらいペロリと平らげるのが、こちらの人よ。。切ってだしたら、逆にびっくりされるわよ、、、」という。
ほんとかな・・と見ていたら、本当だった。あらすごい、大きいケーキ!!なんていわないで、ペロッとすぐに召し上がった。私たちが体力の差を感じるのは当たり前だと思う。 こちらのママたちが軽々と持ち歩いている赤ちゃんを運ぶゆりかご兼チャイルドシートは、ウチのママには重すぎて、大きすぎてとても持ち歩けないと、既に苦労している。まだジャッキーは軽いというのに。。。パパは、これは日本の女性には無理だろうと、ママに同情していた。
ジャッキーは、生まれてから800グラムほど増えて、4キロはあるだろうと、今日サビネが話してくれた。「この二重あごがその証拠よ!」と。。。ジャッキーは小さい顔なのに、思いっきりお肉がついていて、プクプクだ。ほっぺには日本人の赤ちゃんの特徴が出ている。ジャッキーは、時には日本人に見えたり、外人に見えたりハーフだったり、、おもしろい。私の親友のお孫さんも白人とのハーフ。彼女の感想も全く同じで、日によって、角度によって、いろいろに見えるらしい。
ひょんなことから、ママが「昔、冬の夜にあったかーーい、『くず湯』を作って飲ませてもらったことを思い出すわ。。。」という。そうか、そんな事もあったわね。片栗粉とお砂糖で作れるよ、作ってみようか!
ドイツの夜更け、ジャッキーが寝静まったあと、二人で「くず湯」を作った。 久しぶりだったけれど、とろりと、甘く透き通ったくず湯ができた。スプーンでひとすくい口に入れたママが「あーー。この味!この味。。」とつぶやいた。なんだかとてもあったかくて、ほっとしたひとときになった。
そのちょっと前、アメリカのミネアポリスにいるパパから電話があった。外気温はマイナス25度だという。 こちらでアメリカに寒波が襲来、、というニュースを見たばかりだった。パパが今日、そこの日本食レストランでトロを食べたらしい。たこの刺し身もおいしかったそうだ。いいなあ。。。 私たちは、せめてもと、くず湯で日本の味を懐かしんだと言うのに。。。
ママは日本食を食べるだけのためにも、来年初夏に里帰りをもくろんでいる。 大歓迎だ。 ジャッキーに日本食の離乳食を食べさせてあげる、、とバアバも今から張り切っている。
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2007年12月11日 (火)
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さといも
昨日、ジャッキーのオステオパシー治療の帰り、アジアンショップへよって、さといもと、もやし、沢庵、サツマイモ、冷凍エビなどを買ってきた。
昨日の夕食はさといもと大根とインゲンを煮たのと、干ししいたけを甘辛く煮たもの。それに昨日の残りの照り焼きハンバーグ。純日本風お惣菜で、キッチンからお家の中にその匂いが広がり、ママが「ああーーー、日本のウチの匂い。、。。」と深呼吸。たしかにこういう匂いがして、夕食の時間を迎えたっけ。。。私まで懐かしい思いに浸ってしまった。そのさといも、どこでとれたのか知らないが、本当においしかった。
で、今日はその煮物の残りと、シャケの照り焼きの予定で、また純日本風。。。パパの出張中だからこういうことになる。パパは日本料理は好きなのだが、肝心の「ごはん」の美味しさがわからないので、ご飯に合うおかずを作ってもそれ以外に、濃い目の味付けのご飯なり、パスタなりが要るのだ。 だからいきおいパパのいないときに、炊きたてのご飯で日本食!!ということになる。
今日は特に予定の無い日なので、お昼、ジャッキーをお風呂に入れて、私達も交代でゆったりバスタブつかろう。。ということになっていたが、ジャッキーのお風呂が済んだところで、郵便が届き、なにか税金のことで大急ぎでママは郵便局へ飛んでいった。。。私達のお風呂の楽しみが飛んでしまった・・・・主婦はいつも忙しい。
ママが目に見えて元気になってきたので、うれしい。 まだ痛みや体の辛さはあるのかもしれないが、ジャッキーの可愛さがそれを補ってくれているのだろう。それが母親というものだ。そんな喜びをいただけて、本当によかったね、、、ママ。
外は雪だ。すこしだけ積もっている。湿り気の多い雪で根雪にはなりそうにない。 東京の今の一日の最低気温がこちらの最高気温。。。あまり寒さを感じない。
年末にかけてはきっともっと寒くなるだろう。
クリスマスイブには、ママがお寿司を作ってパパの実家へ持っていくことになっている。実家からのリクエスト。実家では、イブのメニューは毎年オイルフォンディユと決まっているのだそうだ。そこへママのお寿司が加わるらしい。そして今年はジャッキーもデビュー。楽しみだ。
実家にいるジャッキーのパパの弟妹達は、まだ若くジャッキーの叔父さん、叔母さんと呼ぶには気の毒なほど。。その叔母さんたちが、またとても美人でジャッキーもあやかりたいところだ。 若いのに子供が大好きで、特に赤ちゃんの扱いなど慣れたもの。入院中にお見舞いに来てくれたときも三人で交互に抱いてジャッキーを離さなかったほど・・きっとジャッキーはパパの実家でも、可愛がられることだろう。
ジャッキーを中心にした次女一家の生活が円滑にまわり始めたら、一応、私の役目は終わる。 クリスマスが済んだら、私はまた日本で引っ越しの準備。そしてお正月・・ 2年ぶりの年賀状は遅れに遅れるが、帰国したら準備したいと思っている。
日本でのプロジェクトを終えてハワイに帰ったばかりのフラのK先生から、早速今日、来年のプロジェクトについてメールが届いた。それを元に、これからいろいろ考える段階に入る。楽しみだ。
ジャッキー一家、一件落着で、私にとって次へ前進の時期がまた近づいている。
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2007年12月10日 (月)
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オステオパシー
今日は耳慣れない、オステオパシーという治療法のお医者様へジャッキーを連れて行った。初めての車での外出。チャイルドシートのジャッキーを乗せて、ママと私は緊張しながら家を出た。
ジャッキーは至極健康に育っているのだが、生まれてすぐからあることに気が付いていた。普通の赤ちゃんより、よほど背筋が強いのか。。と思うほど、後ろへソックリ返る姿勢をとることが多いのだ。
おっぱいを飲んだあと、ゲップを出させるのに立て抱きにしても首が座っていないのに、ママの肩に顔をもたせ掛けるより後にのけぞるような格好になるのだ。それ自体は苦痛ではないようなのだが、泣き出すとやはりのけぞるようになり、落ち着くまで時間がかかる。
それを助産婦さんのサビネに相談したところ、このオステオパシーを紹介されたのだ。なぜこういうことが起きるのか。。。サビネの話では、「バーストラウマ」(誕生時のトラウマ)がジャッキーの身体に残っているから、、言うことだった。難産で長時間苦しんだのは、ママだけでなくジャッキーもそうだったのだ。
産道を通ってくるときに、時間がかかってしまい、胎児が何度もそっくり返る姿勢を長時間とらざるを得なかったために、そのトラウマが今もジャッキーに残っているのだそうだ。ママの産後の回復が遅れているように、ジャッキーにもダメージがあったということらしい。
私がジャッキーを抱いていて、いつも思い出すのが長女のことだった。彼女も私にもたれかかるように抱っこされることがきらいで、いつもそっくり返る子だったのだ。私が長女を産んだとき、分娩所要時間が36時間30分、ママほどではないにしても、相当に苦しく長いお産だった。いわば難産だった。
そうだったのか・・・長女もおなじ症候群だったのだ。 30年以上前の話で、そんな知識もなかったが、きっとあれは、これだ・・・・ 今のうちに治療しないと、のちのち首や腰に故障がきますよ。。と、オステオパシーの先生は言ったという。ゴメンネ、長女!!それを知るのがおそかった。。。難産のしわ寄せが、これからあなたにくるかもしれないなんて・・・。
ジャッキーは次の金曜にまた先生のところに行って、また治療をしてもらうらしい。 私は治療を見ていないが、ママによるとマッサージというより、カイロプラクティックのような体の微調整を試みているようだった。。という。ジャッキーは、治療のあと機嫌もよく、すやすやとよく眠っている。 ホメオパシーとかオステオパシーとか・・・奥が深そうだ。
今朝長女からメールが入っていた。 定期健診の結果、どうやら長女の赤ちゃんも女の子らしいという。 大喜びしているようだった。あと4ヶ月で、我がファミリーはまた新しい命を迎えることになる。 ジャッキーは5ヶ月違いのお姉さん。。仲の良い「いとこ同志」になりますように・・・・
夕方、私はアメリカのワシントン郊外にいる、ようこちゃんに電話をした。 ようこちゃんは、今年の春、ハワイの自宅コンドミニアムで就寝中、火事に見舞われて入院、その後ワシントンの息子さんのお家に身を寄せている。彼女が火事で焼け出され怪我をしたようだと、知人からの電話で知らされたとき、私は日本にいて、本当に本当に心配した。78歳だが、とてもお元気で可愛くてきれいな方で、いつも私を娘のように、妹のように可愛がってくださる方だ。その後、病院で元気になられてワシントンの息子さんのお宅へ引き取られた、、と聞いていた。
そのようこちゃんが、12月中にハワイへ戻るという話を聞いた。おなじコンドへ戻ってまた独り暮らしをするという。すごいなあと思った。ほかの部屋からの出火とはいえ、火事でとてもこわい思いをしただろうようこちゃんが、また同じところで独り暮らしをする・・・その気持ちを誇りに思う。
私も独りになってみて、この身をどこへ置くか?ということを常に考えるようになった。なんでもないことのようだが独りでいるということは、必ず自分自身の意思を問われるということなのだ。「主人に聞いてみてから。。」「さあ、夫はどういうかしら??」という、いわば逃げ道がない。 常に、あなたはどうするの?と自問自答しなくてはならない。 きっとようこちゃんもそうだったに違いない。そして住み慣れたハワイを自分の居場所と決めたのだろう。すごい・・・
ようこちゃんはこの12日にハワイへ帰る予定だったのに、3日前に風邪を引いてフライトをキャンセルしてしまったのと、とても残念そうだった。私がメールで送ったジャッキーの写真をプリントアウトして、壁に貼って眺めてくれているという。78歳でPCをも使いこなすようこちゃんなのだ。
風邪さえ治ればもうすぐ、ハワイへ戻られるはずだ。 必ず、来年ハワイで会おうね。。と約束した。早く元気になったようこちゃんに会いたい・・・・。
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2007年12月9日 (日)
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グリーンクリスマス
パパが早朝、アメリカへ出かけた。アムステルダム経由でミネアポリスへ。。。 また私たち三人で留守を守る。
今日は久しぶりにゆっくりバスタブにお湯を張って、温泉気分を味わいたいとママが言い、私も大賛成で、昨日買ってきたクナイプの「メリッサ」をいれて、ゆっくりお風呂を楽しむことにした。 もちろんジャッキーがいるから、一人ずつ交代で入る。バスルームはメリッサの香りでいっぱいで気持ちが良かった。こういう時間が一番贅沢だ。特に、ずっと忙しい日々を過ごしてきた私たちには何よりの癒しになった。
パパがいないと、ランチに帰ってくる人がいないから、どうしてもいい加減な食生活になる。でも正直言って楽である。今日も「お腹すいたね、なんかたべようか。。あ、昨日の中華の残り。。とごはん!」とランチを食べ始めたのが午後2時過ぎ。。。早くもいい加減。。。
午後から、次女夫婦の結婚式のとき立会人になってくれたママの親友、ティナがジャッキーに会うために訪ねて来ることになっていた。ティナは英語が堪能で、ハリウッド女優のジュリアロバーツに似た美人である。
私たちが残り物のお昼ご飯を食べ終わったとき、ティナがあらわれた。 私はママの結婚式で彼女に会って以来、約3年ぶりの再会だった。彼女はドイツ人だが、英語を話すと言うこともあってか表情から話し方まで、アメリカ人っぽい。話し方や口元がジュリアロバーツに似ていて楽しい。ママと気が合うのもわかる。
地球の温暖化で、12月なのに、このあたりに雪がないなんて信じられないとティナは嘆いていた。「雪ってステキじゃない。。葉っぱが落ちて淋しくなった木や、茶色くなった芝生を冬の間ずっと、きれいな白で隠してくれて。。。ホワイトクリスマスじゃないと、つまらない。いまのままだとグリーンクリスマスだわ。。早く雪が降らないかしらねえ、、、」と言う。
私は今年は比較的温かいヨーロッパの冬で、助かった、、と内心思っているのだが・・・
彼女はいま大学院生。1月からハイデルベルグで3ヶ月間会社の研修生(インターン)になって、マーケティングの勉強をするのだという。私たちが観光で行く、あのハイデルベルグだ。。2時間ほどおしゃべりをして、ティナは帰っていった。
今日はジャッキーはとても静かによく眠っている。それはとても助かるのだが、日中にこうだと、夜は一人で騒ぎ出す。
ママは大変だが、こればかりは助けてあげられないので、私は夜10時ごろからは自分の部屋に入って過ごすことにしている。ママの体の回復が感じられるようになってきたので、ちょっと一安心だ。
パパ来週帰ってくるまでに、一段と元気になっていますように。。。。
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2007年12月8日 (土)
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束の間のお出かけ
今日は土曜日。 クリスマスショッピングで賑わう街に、約2時間、ママと出かけた。ドンドン大きくなるジャッキーの服と、ママの普段着と、私のセーターなどを買うのが目的だった。
今回のドイツ行きはお手伝いのため。。と私は妙に割り切っていたので、持ってきた服といえばGパン2本、黒のパンツ2本、それに地味なタートルネックのセーターやカーディガンだけ。。なんとも色気のない洋服ばかりだった。こちらに来て一ヶ月。さすがに地味さに飽きてきた。それでなんとかカラフルなセーターを手に入れたいと思っていた。
とはいえ、お店に行ってもサイズXSを見つけるのが困難で、好みなど贅沢なことを言ってはいられない。とにかく小さいのを、、探す。これはハワイでもおなじこと。今日は幸い、好みの色でお手ごろで、、というXSがあったのでとにかく2着、買った。いくつになっても、新しいお洋服、、というのはうれしいものだ。早速それを着て、これを書いている。
まだ生後4週間足らずだというのに、ドンドン大きくなっていて新生児用の服がことごとく窮屈になってきたジャッキーのために、ママはもうひとサイズ大き目のお洋服を探す。
さらに、来年4月に出産予定の姉のために、ママは母親としての先輩として「これは便利!」と思われるものをプレセントとして買った。私がママに代わって渡すことになっている。私の2番目のお孫ちゃんのために・・・
パパは私達の外出の間、ジャッキーとお留守番。 毎週末パパが、2階のバスルームのお掃除を担当している。だから掃除をしながら待ってるよ。。ということだった。ドイツ人特有の几帳面さと、「あれ?」っと思うようなのんきさを持ち合わせ、ラフなところのある楽しいパパは、ゆっくり時間をかけてお掃除をする。
羨ましいほどの広さのバスルームには本格的なジャグジーとシャワー室と、洗面台が二人分、そしてトイレがある。もちろんそれぞれがきれいに使おうとしているから、そんなには汚れてはいないのだが、広いから掃除は大変だろう。幸い、私達が留守をしていた間中、ジャッキーは声も上げず静かに寝ていたというから、パパの掃除もはかどったことだろう。
ドイツの家にはキッチン以外に換気装置がない。寒い冬であろうと数分窓を開けて換気する。もっとも暖房が行き届いているから多少窓を開けたほうが、気持ちがいいくらいだ。日本や、アメリカだったらサッシを使うところだろうが、ドイツは大きいガラスをはめ込んだ木枠の窓や、扉を使っている。これが本当に優れもので、ハンドルの位置を変えることによって、観音開きの扉のようにもなるし、窓ガラス全体が室内に倒れこむように斜めに開いて換気だけできるようにもなる。気密性もしっかりしていて、外の音も入ってこない。これが日本にもハワイにも取り入れられたらなあ。。といつも思うのだが、いまのところ見たことがない。
このところ温かい日が続いている。ジャッキーは夕方初めて乳母車で、お家の周りを散歩した。せっかくなのに、彼女はずっと眠っていてやはり喜んだのは、パパとママだけだったらしい。夕食は御馴染みのチャイニーズレストランから、テイクアウトして久々に本格的中華料理をいただいた。クリスマスが近いので鴨を使ったお料理にした。。ということで、とてもおいしかった。やはりアジアンテイストだと、ほっとする。わたしは日本人だと、つくづく思う。
パパはあすから、アメリカへ一週間の出張。ダラスとミネアポリスへ飛ぶという。ミネアポリスは今、温度がマイナス25度Cだとのこと。。。気候の変化だけでも、大変だ。明日の朝6時には、家を出ると言う。子供が生まれて大張り切りのパパ。。彼らを見ていると、私達夫婦の若いころを思い出す。孫を抱いて心から嬉しそうだった母。。。「子供たちのために、苦しい仕事も頑張れる。。」とよく憲さんは話していた。ついこの間のことのように思うのに、あれから30年の月日が流れ、今は母も、憲さんもいない。時の流れを、ひしひしと感じる今日この頃だ。。
今日はちょっとだけ涙が出た。たくさんジャッキーの写真を撮っていて「憲さんに送らなきゃ、、」と現実的ではないことが、ふと脳裏をかすめたのだ。本当にこの喜びを分かち合いたい人がいない。。我に返ってそれに気がついた時、ちょっとおセンチになったバアバだった。
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2007年12月7日 (金)
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なぜ泣くの??
ママはドイツにすむようになってから、かれこれ8年になる。日本との行き来の多い仕事だったから、日本事情には詳しいはずだが、ずっと日本にいる人のようなわけにはいかない。それでちょっと困ったことになっている。
昔、盛んに歌っていた童謡など、すっかりママは忘れてしまっている。だからジャッキーに歌って聞かせる日本の子供の歌のレパートリーが少ない。私にしてもそうだ、、昔の童謡ならともかく、いまの子供の歌などわからない。
ジャッキーに歌って聞かせる童謡や子守唄がまともに出てこなくて、親子で苦労している。 私は苦肉の策で「ジャッキーはね、ジャクリーヌっていうんだ、ほんとはね。だけどちっちゃいから自分のことジャッキーって呼ぶんだよ、かわいいねジャッキー!」と「さっちゃん」の替え歌を作ってみたり。。。
ママにいたっては、泣き声を上げるジャッキーを見て「なーぜ泣くの?まつげがぬれてる。。。」と歌い始めた。よく考えたら♪東京ナイトクラブ♪である。ねえ、なにかもっと高尚なのはないの??笑いころげるしかない。
ゲップを出させるために、立て抱きにして歩くときママが歌うのは「ゲ、ゲ、ゲップのゲ〜・・・」とゲゲゲの鬼太郎の歌。。。なんとかならないのかしら?このママ。。。
私の娘達のための子守唄は中国地方の子守唄だった。これは私の母からの影響だ。 「ねんねこしゃっしゃりまーせ 寝た子の可愛さ、起きてなく子のねんころろ 面憎さ ねんころろ ねんころろ。。」
ママもこれをうっすらと覚えていて、ジャッキーに歌っているが歌詞が心もとない。。しかも、これもなんとなく歌詞が暗くてジャッキーには合いそうもない。じゃ、シューベルトの子守唄??ブラームス??一体、ドイツ人の子守唄ってどんなのだろう?? きっと、ドイツのバアバが歌ってくれるだろうから、それはお任せすることにして、日本人としてはもう少しまともな歌を、、とこれから研究することにした。
子守唄一つとってもそうだから、日本人として知っていて欲しい童話、ドイツ人として知っているべきお話。。。沢山あるはずだ。ジャッキーもこれから大変だ。
実は、すでにジャッキーは大変なのだ。 パパからは英語と、ドイツ語で、ママからは主に日本語で、私からももちろん日本語で話しかけられている。パパとママは英語とドイツ語で話し合っているから、ジャッキーとしては小さいときから3ヶ国語に対応しなくてはならないわけだ。大丈夫なのかしら?心配になってくる。
先日出産のお祝いに来てくださった女性は、やはりドイツ人との間に三人の男の子がいて、その末っ子(13歳)を連れていらしたのだが、彼はきれいな日本語で普通に話ができる。ミュンヘンの日本語の補習校にも通っていて、漢字も書けるのだそうだ。もちろん地元の学校ではドイツ語だけ、お家に帰るとお母さんとは日本語、、ということらしい。
ジャッキーもこういう風になるんだ、、と納得した。
ジャッキーのために、いやママのために日本から童謡のCDを送ってやろうと思う。 絵本も沢山送ってやろう。。。こちらには同じ時期にママになった日本人のお友達が何人かいるので、ママもその方達と協力し合ってあれこれ工夫をしながら、やっていくつもりらしい。 みなさん、大変だけど、頑張って欲しい。
日本とドイツ両方のいいところを持って生まれたジャッキーだから、おおいにそれを活かして生きていって欲しいと思う。ダブルで人生を楽しめるはずなのだから。。。
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2007年12月6日 (木)
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アドベントカレンダー
アドベントカレンダーというのがある。どこが発祥か知らないが、パパが11月末に、ママと私のために大きな薄っぺらい箱を抱えて帰ってきた。その箱の表には、クリスマスの街の風景画がきれいに描かれていて、その絵の中には1から24までの数字が隠れている。その数字のところを指で押してみると、小窓が開いて可愛いかたちをしたチョコレートが一個ずつ入っている。
12月1日には1を2日には2の小窓を開けて中のチョコレートを食べる。 1日1個。。。それを24日続けるとクリスマスと言うわけだ。ママと私は、一つずつ小窓を開けてチョコレートをたのしんでいる。二人の小窓から出てくるチョコレートの形は違っていて、毎日が楽しみだ。たとえば雪だるまだったり、ブーツだったり、ベルだったり。。。
今日6日だけは、“サンタクロースの日”だそうで、ママにも私にもサンタクロースの形をしたチョコが入っていた。どうやら特別の日らしく、パパは昼休みに帰ってくると、ジャッキーに「ほら、サンタさんからだよ、、、」とプレゼントを上げていた。可愛いピンクと白のお洋服だった。
パパが小さいころ、1日1個が待ちきれなくてそっと次の日の分も食べてしまい、なぜかお母さんにばれちゃっておこられた。。。という話を聞かせてくれた。
こちらでは「サンタクロース」を「ニコラス」と呼ぶ。サンタのおじいさんではなく、ニコラスおじいさんなのだ。セント・ニコラスが、サンタクロースになったのだから、当たり前と言えば当たり前。。。
そしてパパは意外なことを話してくれた。ドイツでは12月24日にプレセントを運んでくるのは、背中に羽の生えた天使なんだそうだ。サンタクロースの出番は6日で終わる。。という。
ドイツのクリスマスと、アメリカのクリスマス、また言うまでもなく日本のクリスマスとはまったく別物のようである。 ママと私が「24日にはね、、クリスマスケーキを食べてね。。。パーティーをして」と話し出すと、目を丸くしてクリスマスケーキ??そんなもんドイツにはない、、という。
それぞれの国のクリスマスがあって面白い。 パパにハワイのクリスマスを見せてあげたい。。。
パパが昨日、ホンモノのクリスマスツリーを買ってきた。 「ジャッキーが生まれたから、今年からホンモノのツリーを飾る!」と張り切っている。 「まだ娘は小さいからそんなに大きくないのを買ってきた」というから、せいぜい私の背くらいのを想像していたら、なんと高さ2メートルの木だった。びっくりしていたら「普通はもっと高いのを使うんですよ。天井に届くくらいのね。。」と言う。この天井が恐ろしく高いから、どんなクリスマスツリーになるのだろう。。。
よく映画で見るように大の大人が脚立に乗って飾りつけをする、、あんな感じなのかな? どんな初・クリスマスツリーになるのか・・楽しみだ。
今年のこの家のクリスマスのテーマカラーは、オレンジ。 だからきっとオレンジ色のガラスだまを沢山つけたものになるのだろう。 キャンドルもオレンジ色。。。なんだか、ステキだ。
今日で、私がこちらに来て丁度一ヶ月。ジャッキーが生まれて3週間経った。 ジャッキーの足も手もムチムチしてきて、赤ちゃんらしくなってきた。日々の成長がこんなにも著しいとは・・・
自分が子育てしていたときは、ただ夢中で覚えていないことが多い。いまほど、情報も開発された商品もなかったから、ただ必死だったのだろう。 今は、育児に関する便利なものが沢山あって至れり尽くせり。。。 ああ、あのころこれがあれば、年子を育てた私も楽だったろうに。。と思うものが沢山ある。
今のお母さん達は、とても幸せだと思う。 豊富な情報源があり、すぐれたグッズがある。これを上手に使いこなして、楽しい育児をして欲しい。
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2007年12月4日 (火)
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おしゃぶり
ウィークデーが始まると、ジャッキーのパパはきっかり朝8時半に家を出て、会社に向かう。車で約10分のところに彼の会社がある。お昼12時15分になると、きちんと帰ってきて、家でランチを食べる。約1時間家にいて、仕上げにエスプレッソを飲んで会社へ戻る。会社が近いからそれができるのだが、これはドイツの習慣でもあって、子供達も学校から必ず家に帰ってランチを食べるらしい。
パパが次に帰ってくるのは6時過ぎ。。。それからジムに行ったり、ジョギングをしたり、、、夕食は大体8時前からだ。
こういうパターンが決まっていて、会社帰りにちょっと一杯。。。なんてことはほとんどない。本当にまじめだ。家へ帰っても、夕食後にコンピューターに向かって仕事、、ということも多い。海外出張も多い。また近々香港へ一泊で仕事だと言うし、その一週間後には、アメリカへの出張も。
働き者で知られる日本人も、けっこう息抜きをする場所があって、ちょっとそのあたりでお茶したり、一杯居酒屋で。。と楽しい時間を過ごすものだが、こちらの夫たちはそういうチャンスもなく、とても勤勉に見える。一旦朝出たら、夜遅くまで帰ってこない夫を待って暮らすのも大変だが、この勤勉な生活パターンを守っている妻の方も大変だ。ママはそれが当たり前と思っているし、それを特別大変だとも思っていないようだ。文化や習慣の違いは、興味深い。
ママは産休が明けたら(約2年半後)、また仕事に復帰するつもりで、パパもそれに賛成だというから、家事も育児も分担していくのだろう。新しい夫婦のありかたを楽しみに見守りたい気がする。
ジャッキーがよく泣くようになって、パパもママもちょっとナーバスになっている。母乳が足りすぎて、せっかく飲んだおっぱいを吐いてしまうこともあり、気持ちがわるいのか大声で泣く。よくもまあこんなに小さい体からこんなに大きな声が出るものだと驚く。真っ赤になて泣く姿は痛々しいが、ジャッキーも生後3週間たって、成長に伴う体の変化についていけなくて、何故か気持ちが不安定になることもあるだろう。体重さえ増えていれば健康なんだから、大丈夫。ジャッキーの顔がまん丸くなってきたのが、その証拠・・・。
今日はまた、ママの助産婦さんのサビネさんが、家に来てくれて一気にママの不安を解消してくれた。泣き止まなかったら、ゴムでできたおしゃぶりをくわえさせてもいいのよ。。哺乳瓶で少し赤ちゃん用のお茶を上げてもいいのよ。。と説明を聞いたらしい。早速、ママはジャッキーを私に託すと、スーパーにおしゃぶりと、赤ちゃん用のお茶なるものを買いに行った。ぐずるジャッキーにおしゃぶりを与えたら、急に大人しくなった。ママは大喜び。。 私もホーッ!
不安がっているより、一歩前に進んでいろいろ試してみるのがいいのだろうが、なかなかその勇気がでない。私も経験者とはいえ、古い私の考えが今に通用する自信もないから積極的には意見を言わない。でも育児の基本的なことは同じだから、その基本を覚えて行くことが大切だと思う。
育児を楽しみなさい。。と心から思う。こんなに頼りなくて、可愛い時期なんてすぐに過ぎてしまうのだから。。もう新生児というより乳児に近くなってきたジャッキー。身長が56センチを超え、体重もぐんと重くなった。お祝いにいただいた、新生児用のお洋服が既に小さくなってきた。早速足りなくなった分を買いに走る、、ということになりそうだ。
こちらの赤ちゃん用の下着も服も大人と同じように頭からかぶるデザインか、後ろ開きのものが圧倒的に多い。アメリカのもそうだ。
逆に日本で買うと新生児用の服はほとんどが前開きで、着脱は日本式の方が圧倒的に楽だ。特に首のすわっていない新生児に頭からかぶせるのは、とても難しい。第一仰向けにしか寝られない赤ちゃんの背中部分に、スナップがあったり、ファスナーがついているのは、いただけない。。と思っていた。だから私は日本でジャッキーのために前開きの下着や洋服を買ってきた。
だけど、今実際に比べて見ると、デザインとしてはこちらのものの方がよく見える。ただし、着脱が難しい。だからママは下着は日本式。そして上に着る洋服はドイツ式にしている。これも文化の違い、考えの違いなのだろう。本当におもしろい。
ジャッキーも日本とドイツの間で、いろいろな経験をするのだろうな・・
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2007年12月2日 (日)
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ぶたどし生まれ
今日は日曜日。パパが朝から家にいて、ジャッキーを外に連れ出したそう。。。日本の冬に生まれた子は、少なくとも3週間は家の中にいて外気浴から始めて、風がなく暖かい日を見計らってようやく外に連れ出す。それなのに、今日は曇り空で風が強い。だが気温は摂氏5度はあるから、ここにしては温かい日らしいのだ。ママと私は、日本の感覚で「それはジャッキーには早すぎる、今日は風も強いし。。」と反対したが、パパはこれくらいどうってことはない。。と言い張る。
ドイツ人がドイツでそういうんだから、、間違いないか??とママと私も納得して実行することにした。
パパとママが選びに選んで買った乳母車(と呼ぶにふさわしく堂々としたもの)に、それ専用のダウンのふかふかのクマの模様のおくるみをいれ、寒気などまったく寄せ付けない装備をした中へほかほか温かいジャッキーを入れた。これは温かそうだ。さすが寒い冬を過ごす民族のすることだ、と思う。
その乳母車は温暖な気候の日本では考えられないほど、子供の成長と、暑さと寒さに適合できるように、とてもよくできている。その代わりお値段はびっくりするほど高い。聞いて驚いた。
乳母車をバアバからお祝いにあげようか??などど言わないでよかった。。と胸をなでおろしたほどだ。
ドイツらしく一つ一つ注文を受けてから作るので、余計高くなるのだろうが、これを次の子、または親戚の子。。と使い回していくのだから合理的といえば合理的。いいものをきれいに丁寧に使っていく、、、素晴らしいことだと思うが、大変ではある。
たとえば、ハワイだったらこんなにお金をかけないでも子供は育つだろう。楽だろうなあ、、と思う。 日本での育児もそれなりの苦労はあるが、ドイツはかなり大変だ。
その上、こちらの水は硬水なので、飲み水も、植木にやる水も、アイロンがけに使う水さえも、ボトルで買ってこなくてはならない。お料理に使うのも、ブリタで充分ろ過した水を使う。なんだかんだいっても、水道水をそのまま料理にも、飲み水にも使える日本は本当に幸せだと思う。
結局、ジャッキーの初外出は、その乳母車でお庭に出てぐるぐる廻るだけで、ほんの数分で終わった。本人は寝ていてまったく気付かぬまま。。。大人だけが初外出を喜び合った。
夕食の用意を済ませて、7時すぎ、今日は私がクリスマスマーケットに連れて行ってもらった。ママはジャッキーとお留守番。市庁舎前の広場には沢山お店が並び、昼間のように明るい。大きなもみの木には赤い大きなオーナメントが輝き、その下には、羊が1匹と子羊が2匹いた。小さなメリーゴーラウンドもあった。メミンゲンは小さな町だが、沢山の人で賑わい、人々は心から楽しそうに、ホットワインや温かい飲み物を手に、談笑している。パパは私に焼き栗を買ってくれた。早速二人で歩きながら食べた。おいしい、、ほのかな甘さで、香りがよく自然の味がする。甘栗に慣れている私には新鮮だった。パパも温かいラムのカクテルを楽しんていた。飲酒運転なんて、罰則はないのかしら??
ゆっくりお店をみてまわって、木彫りのものを売っているおじさんから、豚の木彫りの小さいのと大きいのを買った。とても素朴な形でかわいい。小さいのはジャッキー(いのしし年生まれ)、大きい方は私(ずいぶん前のいのしし年生まれ)のシンボルとして、買ってきた。聞くところによると、二人ともいい年まわりの生まれなのだそうだ。よかったね、ジャッキー!幸せになれるって!! 外国では、いのししも豚とみなされる。私とジャッキーは豚年なのだ。
パパはワインもビールも好きだが、エスプレッソコーヒーが大好きで、一日何杯も飲む。専用のコーヒーメーカーを持っていて、台所の隅でいつもコーヒーがいれられるようになっている。大のハワイ好きでもあるパパは、ホノルルのほとんどのコーヒーショップでエスプレッソを試したが、ワイキキのパシフィックビーチホテルのコーヒーショップのが絶品だといつも言う。毎日、ここへ寄ってエスプレッソをたのしんでからビーチに出る。。というのが日課なのだそうだ。
早くジャッキーが大きくなって、ハワイへ来れるようになるといいなあ、、と思う。ただ、ドイツとハワイは地球の反対側なので、フライト時間が長すぎるし、乗継ぎがある。。。どこかで一泊するなどよほど工夫をしないと大変なことになる。
手始めに来年の初夏には、日本へ初めてジャッキーを連れてくることになっている。 それも今から楽しみだ。。
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2007年12月1日 (土)
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鱒(ます)
今日から12月。もう師走だ。 こちらドイツでは、クリスマスマーケットが始まる。マルクト広場には、きれいなお店が立ち並び、特に夜はきれいで賑わうらしい。パパはやはりドイツ人だから、今日からクリスマスの準備を始めるのだ。。とやけに張り切っている。今年からホンモノのもみの木を買ってきてツリーを立てる、、というし、玄関のリースも 、テーブルの置物も、リビングの飾りつけもクリスマス一色に変えたいらしい。ママは子育てに忙しくそれどころではないから、パパ一人で地下の倉庫からあれこれ出してきては、あちこちに並べている。
今日は土曜で、パパが休みなので誰かがジャッキーとお留守番をして、それぞれが外出のチャンスを作ろうということになった。まず、パパがお留守番をしてくれて、ママと私と二人がスーパーマーケットへお買い物に。ママが運転して、出産以来初めての本格的お出かけ。
社会復帰?第一日目だ・・・。 長く歩くと、まだ体調によくないので、せいぜい一時間半がリミット。それにジャッキーが待っているからそうのんびりはしていられない。
今夜はパパが夕食を作ってくれるというので、彼から頼まれた食材も含めて、沢山買い物をしたあとは、気分転換にとバーガーキングでランチ。ママにとっては久々のハンバーガー。「ああ、おいしい!」と感激し、楽しい時間を過ごした。
そして、帰りも道「あーー。早くジャッキーに会いたい!!」とつぶやいた次女。彼女も日々、お母さんらしくなってくる。ジャッキーの成長だけでなく、ママとして成長してくれるのが頼もしい。
帰ってみると、パパがジャッキーを抱っこしてうろうろ。。「どうしてた?ジャッキー。。。」「ママたちが出て行って、15分で起きちゃって、泣き出して。。ずっとこうして待ってたんだよ。。」「あーーら。気の毒にねえ。これでママの大変さがわかったでしょ?・・・」「。。。。」
なんとなくパパの抱っこの仕方もまだぎこちなく、二人で一時間半のお留守番は大変だっただろう。でもパパはうれしそうだった。
夕方5時過ぎから、今度は私とジャッキーがお留守番でママとパパがクリスマスマーケットに出かけた。このときは約二時間大人しく寝ていてくれたので、私もジャッキーのゆりかごの横の椅子でうたた寝。。。孫と一緒にお昼寝なんて、ちょっと夢だったからうれしかった。
7時ごろ帰宅した二人は久しぶりのデートで楽しそうだった。私は明日パパが連れて行ってくれることになっている。写真とかニュースでしか見たことがないのだが、ホットワインとかホットなんとかというアルコールがおいしいんだそうだ。寒いヨーロッパの冬には、うってつけの飲み物なのだろう。私は飲めないから、ホットチョコレートでも、、と言われたが、それより楽しみにしているのは焼き栗だ。街角で熱い焼き栗を頬張って、ヨーロッパの街を歩いてみたいという夢が実現するかも。。
夕食は、パパが本と首っ引きで作ってくれた、鱒のムニエルとパスタ。そしてパルメザンチーズで作った、おせんべいのようなアペタイザー。とっても美味しくて、かなり大き目の鱒を一人一匹ずつぺろりと平らげた。
料理中のパパを見ながら、ママと二人で思わず口ずさんだのが、シューベルトの「鱒」・・・ しかし、ドイツ人のパパからはなんの反応もなく、どうやらこの曲を知らないらしい。音楽は、苦手で、、といつも彼は言うのだが。。彼だけがそうなのか、ドイツでは全般的にそういうものなのか???一度、誰かに聞いてみたい。。。
ジャッキーには教えようね。ママ。。
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2007年11月28日 (水)
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ちょっとホッコリ・・・
今日、ジャッキーのお祝いに来てくださったのは、カリンさんというドイツ人のフライトアテンダント(パーサー)だ。ママの同僚で親友だ。偶然にも、二人は元は日本の同じ航空会社に務めていた(当時はスチュワーデスと呼ばれていた)が、その後ドイツの航空会社にとらばーゆしたのだ。同じ運命をたどっているが、二人は日本時代にはお互いに面識はなかったというから不思議なご縁だ。
今日は私も会話に入れた。英語が通じるとほっとする。とても落ち着いたドイツ女性だが、話が面白く楽しかった。
通常、次女は月に2〜3回日本へフライトするので、そのたびに日本食材など大量に買い込む。だからドイツの彼女の家の冷蔵庫には、味噌、冷凍の納豆など、日本食のストックがいつも豊富にあった。ところが妊娠して休職してからは、そのルートがなくなってしまった。
そこで、今はカリンに大変お世話になっている。カリンが仕事で成田へ飛んでくることがわかると、私は日本食をスーツケースいっぱいにつめて、カリンの宿泊するホテルへ宅配便で送る。すると、それをそのままカリンはドイツへ持って帰ってくれる。そして次女は日本食にありつける、、と言うわけだ。
これから2年半の育児休暇に入る次女のためにこれからもカリンが力になってくれるという。またママのために、食材を運んでくれることだろう。本当にありがたい。
今日はめずらしく朝から夕方まで、ずっと青空が広がっていた。外気温は2,5度くらい。湿気と風がないので、それほど寒いとは感じない。
夕方、ママはついに社会復帰?を果たした。まだ体が本調子ではないのだが、近くのスーパーへ一人で車で出かけ簡単な買い物を済ませてきた。やっとそんな気持ちになれたのだろう。難産だったから、ママの回復がかなり遅れているが、今日、一歩前進できたような気がして私もうれしかった。
ジャッキーは日に日に大きくなる。今日、生後2週間目。へその緒が取れた。 本当に可愛い。ずっしりと重くなってきて、健康そうなのがなにより。。。
明日は、ドイツバアバがまた、ジャッキーに会いに来てくれるとの電話があった。 先客万来。。ありがたく、うれしいことだ。
嬉しいことがもう一つ。 長女が元気になって自宅に戻って以来、ほとんど毎日スカイプや電話で話をしている。長女も元気になって、お腹の赤ちゃんも順調に育っていて、何よりだ。ただ大事をとって、安静を余儀なくされているので、ホームヘルパーさんをお願いして、家事、食事などお世話をしていただいているという。
私が年末に帰国すれば手伝ってやれるが、今は我慢してもらうしかない・・ごめんね。長女。でも、退院できてよかったね。がんばれ!!
もう一つ、ほっとしたことが・・・ フラのK先生が、日本での2週間にわたるプロジェクトを終えて無事、ハワイに帰国。今頃は故郷で疲れを癒しているころだ。なにより嬉しかったのは、私のフラの仲間が力を合わせて、この一大プロジェクトを支え、見事にとり仕切ってくれたことだ。これは本当にうれしいことだった。
日本のスタッフから、インターネットで毎日連絡をもらい、進捗状況を確認しながら事が運んでいった。若いスタッフの忠実な行動力と、情熱と、柔軟さに感動している。
いろいろなことが、一段落して、私はちょっとホッコリしている。
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2007年11月27日 (火)
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子供部屋・・・
今日も出産祝いのお客さまがきてくださった。
ここメミンゲンで中華料理店を開いている中国人の若夫婦だ。「ハッピーガーデン」というそのお店は、もともと独身時代からのパパの行きつけで、ママとデートをした所でもあり、二人の結婚式で日本から訪れた私達一家もそこで食事をした思い出のおいしいレストランである。今もかなり頻繁に出かけている。
そこの若いオーナーは、一卵性の双子同士のカップルで、同じ顔をした男女二組が働いている。その奥さん姉妹は、日本に留学の経験があり、少し日本語ができるから、私とも仲良しになった。 私は中国と交流をしている合唱団に長年所属していて、ほんのすこーーしだけ、中国語を知っている。それを駆使して話すと、彼女たちはとても喜んでくれる。
そんな彼らのうちの一組の夫婦が家へ来てくれたのだ。ジャッキーに可愛いお洋服のプレゼントをもって。。。ここでは、どんな人がお祝いに来てもほんの15分で帰ってしまう。長居をしない。そしてこちらはお茶も出さない。そのかわり、お客様にお家の中は自由にみてもらう。。
出産祝いに来て「子供部屋見せてね。。」というのは当たり前らしい。前にも書いたように、赤ちゃんが生まれたら子供部屋がきちんと用意されるのが普通だから、それを見るのも礼儀なのかも。。
部屋にはオムツ交換台というのが備え付けられている。オムツを交換するときだけ使うしっかりした家具だ。台の上は可愛い模様の防水のベッドになっていて、台の下は引き出しや、棚になっている。ここにオムツや、ガーゼ、消毒用パッドなどおむつ交換に必要なものをすべて収納できる。
ここではリビングのソファーや、床の上に布団を敷いてオムツ交換をしたりしない。必ず子供部屋へ連れて行ってする。だから親も大変だ。いちいち赤ちゃんを抱いて階段を上がったり下りたり。。。私も最初は戸惑ったが、今は慣れた。そのほうがけじめはつく。だが「日本の実家へ帰ってきたら、こうは行かないわよ。畳の上の座布団でオムツ換えたりするからね〜」と申し渡してある。
毎晩、夕食のときに私とママは乾杯をする。「今日のジャッキーにカンパイ!」と。 私は飲めないから、ソフトドリンク。ママも今はアルコールは飲めない。それで二人で楽しんでいるのは「メッゾミックス」というコカコーラから出ている飲み物。これはコカコーラとオレンジジュースがミックスされた味で昨年、ドイツで初めて飲んで以来ファンになった。私はハワイではチェリーコークばかり飲んでいるのだが、ここではこの「メッゾミックス」がお気に入り。ボトルには「コーラがオレンジにキスをした」と書かれている。実においしいのだ。普通のレギュラーコークより私はフレーバーつきが好き。。日本に入ってこないかな。。と期待しているのだが。。
コーヒーもバニラ&マカデミアナッツのフレーバーコーヒーが大好き。限定品として売られていた、ブラウニー味のハワイアンコーヒーもおいしかったなあ。
夕方ジャッキーの様子を見に来てくれた助産婦さんは、出生時より300グラム体重が増えたジャッキーの健康に太鼓判を押してくれたようだ。まだ少しママの回復を待たなければならないが。。。
ジャッキーは日に日に顔も変わり、出す声も変わり、表情が豊かになってきている。モロッコに出張中のパパから、毎日電話が入り様子を聞いてくる。パパのいない間にも確実にジャッキーは大きくなっている。
明日で生後2週間だ。
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2007年11月25日 (日)
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オムツ
今日からパパはお仕事でモロッコはマラケシュへ。マドリッド経由だそうで、合計6〜7時間かかるようだ。朝、まだ暗いうちに一人でコーヒーをいれ簡単な食事をして出かけていったようだ。自立した?夫である。
ミュンヘン空港まで車で行って、空港に5日間車を置いておくのだが、こちらではこんな場合、レンタカーを利用する。仕事上の旅で自分の車を長期間空港に置いておくリスクは負いたくない、というのがその理由だそうだが、会社がレンタカー代を持ってくれるのだという。いろいろな考え方があるものだ。
今日は大雪が降るらしい。。と言い置いてパパは出て行ったが、まったくその気配はない。逆にあたりの雪はすっかり溶けてしまった。TVでは今日、東京は18度まで上がると言っている。ハワイでは今も、常夏の青空の下、ビーチは賑わっているだろうし・・・・。地球の天候って本当におもしろい。 私の髪は長くて、天然カールがひどい。。この髪が今この冬のドイツではストンと気持ちいいほどストレート。髪がより長く見える。これがハワイだとついたとたんに、クルクルになる。シャンプーのあと、ドライヤーをかけないで乾かしたときなど、特にひどい。。ハワイも日本の空気に比べればかなりドライなのだが、海が近いせいか、常に適度な湿り気があるようだ。昔は湿度を計るのに毛髪を使っていたらしいが、私の髪は特に高性能なのではないかしら?
女3人だけの生活が、しばらく続く。ジャッキーは相変わらず機嫌よく過ごしている。2時間後との授乳とおむつ交換。。それが楽しい繰り返しになっている。ママの回復には安静が一番だというので、私はおむつ交換を引き受けている。今の紙おむつの性能のよさと言ったら。。。びっくりする。これは楽だ。私が娘達を産んだころは、まだ布のオムツだった。年子を育てた私のオムツの洗濯量と言ったらすごかった。乾燥機などなかったし、部屋中がオムツ乾燥場になっていたこともあったっけ。たまに紙おむつを使っても、その性能の悪さに、結局、布に戻ったりしていたなあ。
比べても仕方がないが、いろいろ育児の方法が変わっていて驚く。国が違うせいもあるから、ほとんどアレ??と言うことが多い。バアバの先輩である友人達から「子育てのことで余計な口出しをしないこと。。聞かれたら答えるだけにしておいた方が無難よ。。。」とアドバイスを受けてこちらに来た。 本当にそのとおり、、若いパパとママに任せておいたほうが無難。「ちょっと違うんだけど、、」と思っても言わない。こちらのエディットおばあちゃまもそうだ。黙ってみている方がいいのよ、、という主義。 もちろん新しい考え方で合理的なこともある。
オムツを換えるとき、ぬるま湯で湿したガーゼでお尻を拭いてあげる。その湿り気をヘアドライアーで乾かすのだ。適当な距離からブワーンと温かい風を送ってやる。当のジャッキーは気持ちよさそうに顔を紅潮させながら、伸びをしている。しっかり乾燥させたら、むれることもかぶれることもないはずだ。 理にかなっている。
日本ではドライヤーは使わないほうがよい、、と言われているとか。 次女がこちらで、長女が東京でそれぞれ育児の本を読んで勉強中だが、明らかに二つの国で奨励していることが違ったりする。おもしろい。
助産婦さんが一日おきにジャッキーとママの様子を見に来てくれる。彼女からベビーマッサージも教えてもらった。いまの赤ちゃんは幸せだ。パパはベビースイミングにジャッキーを連れて行き、一緒にプールで過ごすのが楽しみらしい。今の赤ちゃんは、おちおち寝ていられないくらい忙しくもあるのだ。
今日東京の長女が、2週間ぶりに退院した。幸い、お腹の赤ちゃんの成長には影響はなく、これから出産までの4ヶ月を、できるだけ静かに暮らし、そのときに備えることを決心した。週に2回のホームヘルパーさんをお願いして、家事をしてもらったりと、対策を夫婦で練ったようだ。 インターネットのスカイプで三人でおしゃべり。テレビカメラでジャッキーの顔を初めて長女夫妻に見せた。長女はすっかり姪を見つめるおばちゃんの顔で、相好をくずしている。こんな風にお互いに対面できるなんて、本当に世の中は変わった!
いつまでも自分なりの思考で生きていたら損をする。。と思う。変わりゆく世の中で迷いながらも、様々なものを自分の中に取り入れながら、生きていけたら、、と思う。
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2007年11月24日 (土)
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はじめてのおつかい
私は昨日決心したとおり、朝から一人でこのあたりを探検することにした。 朝、ママに書いてもらった地図をたよりに、徒歩10分もかからないところにあるベーカリーへおいしいパンを買いに出かけた。ダウンのロングコートにドイツ用に用意したブーツ(雪でも滑りにくい)、手袋に毛糸の帽子。。。完全武装で出かけたが、何故か今日に限って暖かかった。雪が少し残った町並みがきれいだ。地図のとおりに行くのだが、どうもちがう。ママの手書きで「空き地」とかかれている所に来たが、これが空き地なのか庭なのか、わからない。教会の学校、、と書かれているが学校って言っても、日本のそれとはまったく違うから、学校にも見えるし単なる大きい家なのかもしれない。どうにも、わからない。「赤十字」があるって?そんなものないし・・・。あてずっぽうに歩いていったら、あった!ベーカリー!!嬉しくなってクロワッサンやチョコをはさんだパンやケーキを買った。店員さんは若い子で英語がわかった。ほっとした。 ママの地図によるとそのあたりにドラッグストアがあると書いてある。その方向に歩いてみるが、なにもない・・逆の方向にそれらしい場所がある。「んー、もう。逆じゃない!」と思いつつ、歩いてみるとあった「ドラッグストア」!!マツキヨみたいなのがあった。嬉しくなって中に入って、洗顔フォームを買おうとした。例によって表記はドイツ語ばかり。。まるでわからない。情けないことに勘も働かない。店員さんに英語で話しかけてみたが、まったくだめ。ドイツ語で返事が勢いよく返ってくる。しょうがないから、ジェスチャーで顔を洗ってみせる。「フェイス、ウォッシュ、メイクアップ、ウォーター。。」無駄だとわかっていても、英語しか出てこない。しかも文法もめちゃくちゃ。。「あーー。わかったわ、これよ、これ!」と示してくれたのを「あ、これね。うんうん、、」と買ってきた。
「はじめてのおつかい」。。。がやっと済んで、たのしくお家へ帰ろうと歩いていたら、横で人の気配。後ろから自転車で走ってきたおばさんが、自転車から降りると私に話しかけてきた。どうやら「道がわからないんでしょ?どこに行きたいの?ちょっとあなた、大丈夫??」と聞いているらしい。「私はOK..OKよ」とにっこり笑って英語で答えると、「そう、よかった、、、」と向うはドイツ語で答えてにっこり。こんな出会いが本当にうれしい。旅先で味わう醍醐味だ。ママが書いた地図はあてにならなかった。。なんとか私はもと来た道をたどりながら、家へ帰ってきた。丁度一時間が経過していた。携帯を持たされていて、一時間たったら心配だから電話掛けるからね。。といわれていた。ひどくお年寄りになったような気がするから、電話が鳴るまでに家へ帰ろうと思っていた。間に合った!
「貴女の地図、違ってない?なんかヘンだったわよ。。」「あのねえ、私はママと違って地図を描くのも、地図を読むのも得意なのよ。。一体どこへ行ってきたの?」「ベーカリーに行っておいしいパン買ってきたわよ。ほら、、」「あ、これ別のベーカリー・・・私のお勧めのところと違うわよ。しかし、よく行けたわね。どうして別のベーカリーへたどり着けたの?地図見ながら行ったら、ここへ行ったって?そんなはずないんだけどなあ」。。。
要は家を出てから、わずか数十歩のところで、私はすでに道を間違えていたのだと言うことが判明。最初から違う道を歩いていたのだった。それなのに、パンも買って、洗顔料まで買って、よくもまあ帰ってきたものだ。そう思ったらどっと疲れが出そうだった。 午前中にパパの友人夫妻と生後2ヶ月の赤ちゃんが、ジャッキーに会いに来て下さった。午後からはジャッキーにとって生まれて初めてのお風呂を使わせに助産婦さんがやってきて、ママは勉強。私はその様子を30分にわたってビデオに収めた。何をしても泣かない子で、ジャッキーは初めてのお風呂も充分に楽しんだようだ。そのあと、パパの方のエディットおばあちゃまが、レモンケーキを焼いて持ってきてくださったので、しばらくお話。。 夕方からはパパと私は、食料の買出しに。明後日からパパがモロッコに出張なので、留守中の食料を買い込んでおく必要があった。ママは産後の回復が遅れていて、まだまだ少しの外出も不可能なのだ。早くもクリスマス用に室内のデコレーションも買ってきた。街ではドイツ名物のクリスマスマーケットの用意も進んでいるらしい。楽しみだ。
今日ははじめてのおつかいと来客で私がとても疲れていることがわかったのだろう。パパとママの計らいで、イタリアンレストランからピサとニョッキ、ラザニア、ペンネの3種類のパスタをテイクアウトして、夕食にした。おいしかった。二人のさりげない心遣いがうれしかった。
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2007年11月22日(木)
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モロッコ!
ドイツに来て、2週間以上たった。こちらに来て丁度一週間で次女が出産のため入院。そして長時間陣痛と戦ったのち出産してから、また一週間が過ぎた。もちろんママは大変だったが、パパも、私も何故か体重が減った。毎日ちゃんと食べているつもりなのだが、精神的に余裕がなく、食べても身についていないのか。。。何しろ慌しくしていたから仕方がない。これからは、ママを元の体重に近づけることと、ジャッキーとパパ、そして私の体重を増すことに専念しなくては。。。
昨日は、生後一週間だったので、リビングルームでファミリー写真を撮った。 とてもいい写真ができたが、パパ曰く「これって、まるでアメリカ人のファミリーのしそうなことだね。。」 ドイツではこんなことはしないのかもしれない。でもいい記念になってママも大満足。
ジャッキーは目を開けていることが多くなり、じっと見つめられると、こちらが照れてしまうほど澄んだ瞳だ。これこそ、けがれを知らない瞳なのだなあ。。と感動する。
パパが今週末から出張だという。行き先は?というと、なんとモロッコ・・・お国が違えば、出張先も思わぬ場所だったりでびっくりする。出張の行き先が「モロッコのマラケシュ」だもの。。
5日ほど留守にするのがパパはとても残念そうだ。いつもジャッキーを見ていたいのだろう。
今日、ブルーノというフランクフルトに住む人から出産祝いが届いた。新生児の記録を残すための、可愛い本だった。嬉しいことに私にまで、手紙が添えてあった。「ようこそ、ドイツへ。。楽しいときを過ごしてください。また会いたいですね」と。。
ブルーノは、6年前、憲さんと次女と私の三人でドイツから北イタリアへの6日間のバス旅行したときに一緒になった人で、本当に心の優しいおじさん。ご夫妻で参加されていたのだが、そのツアーで仲良しになり、いまだにお付き合いが続いている。もう一人、そのツアーに参加していたファンターナというフランクフルト在住のアフガニスタン女性とも親しくなった。いまでは、ブルーノ夫妻とファンターナは次女のかけがえのない友人になっている。国籍は違っても、言葉が少々通じなくても、仲良しになれるものなのだ。ファンターナなどは、次女の結婚式にも来てくれたし、家へ泊まりに来るほどだ。
ブルーノに電話をしてみた。片言の英語で「キヨコ、元気ですか?いつかメールをありがとう。いつまでドイツにいますか?ハワイへはいつ行きますか?」久しぶりの声だった。うれしかった。
こちらへ来てから大げさに言えば、ほとんど外を歩いていない。車でスーパーに行くか、病院へ行くか、レストランへ行ったくらい。。手伝いにきたのだから、、と最初から割り切っているので家にこもりっきりで家事をしていること自体、苦にならない。気分転換にその辺を歩いていらっしゃいと言われるが、外に出る気にならない。寒いから。。ということもあるが、まったく知らないところを歩くのはさすがに私も気が進まない。本当に整然とした住宅街で散歩するにはうってつけなのだが、アメリカの気楽さはないので、ちょっと気後れする。
日本やハワイにいるときの私を行動を知っているパパやママが「身体がどうかなっちゃうんじゃない?ここじゃ、フラも踊れないし、、」と心配してくれる。面白いもので、窓から雪景色を見ながらフラを踊る気には到底なれない。。。ちゃんと音源は持ってきてはいるのだが。。。
心配を掛けないように少し散歩でもしようかな。。近くにおいしいベーカリーもあるというし、明日あたり一人で外に出てみようかしら。。。
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2007年11月20日 (火)
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気がかり。。。
退院してきたジャッキーは、おっぱいが欲しくて一泣きするが、空腹が満たされると満足そうにすやすや眠っている。健康なのだろう。とても扱いやすい子だ。少なくとも、いまのところは。。。。
ジャクリーヌという名前はなんとなく、気高い感じがするが、ジャッキーという愛称は親しみやすく呼びやすい。次女が入院中、お隣のベッドにいた新生児は元気な男の子だった。その名前は「マキシミリアン」。確か、こういう名前の皇帝がいたような・・・ヨーロッパ人の命名はオーソドックスだ。
ママはまだ体調がよくないので、掃除、洗濯、アイロンかけ、食事の用意と、今までサボりにサボっていた主婦業をすることに。。。昔とった何とかで、家事が楽しくもあるが、ちょっと大変。言葉がまったくわからないから、器具、機械の操作すら容易ではない。ディッシュ ウオッシャーも私が使って動かなくなってしまったし、湯沸しポットも動かなくなった。高価なディッシュ ウオッシャーは自然に直って、動き出したのでほっとしたが、熱ーーいお茶がいつも欲しい人間だから湯沸しポットは私にとって必需品。これは完全に壊れた。普通に使っていたのだけどなあ。。パパが新しくカッコいいのを買ってあげるというので、ほっとした。私もあと2ヶ月足らずで新しいマンションに引越しだ。そこも新しい物ばかりだから、使いこなすまでに時間がかかりそうだ。マニュアルを読む能力も完全に退化しているので、大変だろうなあと思う。
今朝、日本の長女に電話をした。出産後初めての電話だ。実は長女も妊娠中だが、ジャッキーが生まれる前から、少し体調が悪く入院中なのだ。幸いお腹の赤ちゃんは元気なので、母体の健康回復に専念しているところ。こんなときに、私が傍にいてやれず本当にかわいそうなのだが、こちらでもバアバが必要とされているので仕方がない。しかも長女の夫が長期出張中とあって、叔母や、友人のサポートのお陰で過ごしているらしい。幸い順調に回復しつつあって、ほっとしたところだ。
出産の先輩である次女と、後輩になった長女の電話での会話。「出産ってね、苦しかったけど、本当に今まで感じたことのない喜びだよ。なんかね、ジャッキーに最初におっぱいをあげたときね、ザワザワって幸せのホルモンが体中にみちてきたっていうか、なんともいえない幸せ感だったよ。これはね、味わってみないとわからない、、」長女が電話の向うで熱心に聞き入っているのがわかる。よかったね、二人とも。。もう一人のお孫ちゃんも、無事に生まれてきてね。待ってるよ。。
それにもう一つ、気がかりがある。 今、私のフラのK先生が日本に滞在中で、数々のプロジェクトをこなしているところだ。それの準備に半年以上の時間をかけてきたのだが、次女出産という予期せぬ慶事で、その結果を見ないままドイツにくることになった。フラ仲間のスタッフにすべての仕事を任せてきた。期待通り、彼女達の働きは素晴らしく、K先生は順調に予定をこなしている。毎日、スタッフからドイツに寄せられる報告、日報。。ドイツにいながらにして日本の様子が手に取るようにわかり、ありがたい。
できたら身体が3つ欲しい!!今、そんな気持ちだ。
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2007年11月19日 (月)
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いよいよ、退院の日
順調におっぱいも飲めるようになり、ドクターから合格をもらって、今朝ジャッキーとママが無事に退院。パパは病院へ迎えに行ったものの、大喜びしすぎて、なぜか病院前の路上に駐車してしまい、チケットを切られたり、新品のチャイルドシートを持っていったのはいいけど、まだラベルがついたままで、その使い方も、わからず。。という有様だったらしい。新米パパと言っても、相当人生経験豊かな年なんだけどなあ・・・なんとも、ほほえましい。
ずっと前から用意されていた居間の真っ白いゆりかごに、ピンク色のほやほやのジャッキーが寝かされて、一人家族が増えたことを実感した。
ママは久しぶりの家に、ほっとしたようだった。ジャッキーに授乳する姿もちょっと板についてきた。ドイツでは、生まれたての子にも一部屋が与えられ、そこにオムツを取り替える台まで、準備される。ジャッキーと居間にいても、ママはジャッキーを抱いて2階の子供部屋へ。。そこでおもむろにおむつ交換。いちいち面倒だと思うが、それがドイツ式。外気温マイナス4度くらいだけど、暖房で家中が温かいからそれができるのだ。
我が家で初めてのおむつ交換をし、子供部屋で授乳をしているときジャッキーの顔をなでながらママがつぶやいた。「ね、パパもこの子を見ててくれてるかな・・・」と。思わず涙がこぼれた。憲さんがここにいて、両手を腰に置く独特のポーズで、ジャッキーをやさしく見下ろしている図が浮かんできてたまらなくなった。
これからここでジャッキーはすくすくと育つだろう。ドイツの子として。。。 スキーのインストラクターでもあるパパの手ほどきで、きっとスキーが上手になるだろう。日本語をドイツ語を話して、両方の国を楽しめる子になって欲しい。
ママにとっても、ジャッキーが日本語で互いに話せる友達のようになってくれたら、どんなに嬉しいだろう。ママのいい友達になってあげてね。ジャッキー。
今日、またジャッキーは両目をはっきりと開けた。目を開ける練習をしているようで、時々白目をむいたり、焦点が合わないからとてもおかしい表情になる。口元が緩んで、まるで笑っているように見える瞬間がある。本当にかわいい。
いまのところ、黒いつぶらなひとみだ。これがまたいつか色が変わる。。というのだから、信じられないのだが。。本当に不思議だ。
今日退院前の検診で、ジャッキーにもちょっとだけ蒙古斑があることが判明。ドクターは「ヨーロッパでもトルコ、ハンガリーまで、アジアの血が入っている国の子供にはこれがあるが、心配ないよ、大きくなったら消えるから。。」と教えてくださったとか。。ママは「はい、ワタシ、よく知ってます」と言いたかったらしいが、素直に「はい、そうですか」とお返事をしておいたという。傍にいた看護婦さんがめずらしそうに、「私、学校で習いました!!蒙古斑。。。はあ、、それがこれなのね。。」と喜んでいたとか。。。
ジャッキーはこのメミンゲンクリニックでは、黒髪ふさふさの赤ちゃんとして有名になっているらしいが、今度は蒙古斑で、有名になるかもしれない。それにしても血というのは不思議なものだ。
2時間おきの授乳、オムツ交換忙しいけれど、ママとパパは嬉しそうだ。
歓迎の音楽だといって、なんとフランクシナトラのCDを静かなBGMにしてジャッキーと過ごした。「ニューヨーク ニューヨーク」の曲にのせて、パパの腕に抱かれてジャッキーがダンス。「僕の娘との初ダンス!」とパパはご機嫌だった。それにしても、初CDがフランクシナトラとは・・・
ただ、難産だったせいで、ママの身体の回復が少し遅れそう。見た目は元気そうなのだが、赤ちゃんの世話以外には、静かに横になっているほうがいいと、夕方自宅訪問してくれた保健婦さんに言われたらしい。しばらく安静にしていることになった。ママは、当分、最低限の範囲で動くことになりそうだ。ジャッキーは、ママがかたときも離れないで傍にいてくれるから、うれしいかもしれないね。
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2007年11月17日 (土)
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動揺。。
朝と、夕方の2回、病院に行く毎日で結構忙しい。
病院通いと、そのほかに車のメンテナンス、ジャッキーのための買い物。 今日は病院へ行く前に、ヘアブラシ、そして湯たんぽ代わりのチェリーストーンのピローを買った。病院で有名になってしまったほど、ふさふさの黒髪が自慢?のジャッキー。早くもヘアブラシが必要なのだ。この黒髪は、早晩抜け替わって色が変わってしまうというのだが。。私自身もこんなに髪の毛ふさふさの赤ちゃんは見たことがない。一体、誰に似たんだろ?
ジャッキーは今日あたりから生理的黄疸が出ていて、顔の色が黄色っぽい。それに生理的体重減少も起きているので、ママは心配でしかたがないらしい。これは普通の現象だから。。と説明していたのだが、実は、自然の成り行き以外に、思いのほかジャッキーがママからのおっぱいを飲めていなかったことがわかり、一旦搾乳してから、ジャッキーに与えるという方法がとられることになった。 そのこと自体も、よくあることでおっぱいの沢山出るお母さんでも、赤ちゃんが上手に飲むことができなくて、一時期、直接授乳できない人もいる。理由がわかれば心配もないし、幸い病院でその面倒を見てくれるのだから。。大丈夫。そうわかっても、今までそれに気がつかなかったことを悔やんでいるようだった。
マニュアルどおりに行かないと不安になるのはわかるが、今日のママはとても動揺していた。赤ちゃんは水分をいっぱい身体に蓄えて生まれてきているし、それが出てしまったら、当然体重は減る。それと同じ時期に黄疸も出る。赤ちゃんも身体の変化と成長に自分自身で対応しようとしているんだから。。と思うけれど、新米ママには相当な心配ごとだったらしい。
これからはジャッキーもおっぱいを飲むことが上手になり、ドンドン大きくなることだろう。
今、マタニティ時期、また出産を経験する人のため雑誌が出ている。ママもその雑誌を楽しんで読んだようだ。私もその雑誌を見てみたが、可愛い赤ちゃんと美人のママのツーショット。私が感激したこと、困ったこと、私はこんなとき、これを使ってみました、、というような、マタニティ時期を共有しているお友達同士のクラブのような内容が多い。核家族になって、経験者から話を聞く機会も、気持ちも薄れてきているから、若い人たちがマタニティブルーになるのも無理はない。
心配だったらインターネットで、どんなことも調べられるし知ることができる。しかし、何を知るか、何を得ようとするか、、は自分でよく考えないと浅薄な情報だけであたかも物を知ったような気になり逆に不安が増長する。。それはこわいことだ。
こんなに情報が氾濫しているからこそ、自分の見解を持つことが大事なのだろう。私のころは、数回の母親学級に出ただけで、さほど夫の手も借りられず、本能的に母親がなすべきことを身体で覚えていったような気がする。次女もこれからジャッキーを通して強く、そして逞しいママになって欲しい。
今日はジャッキーが初めてピンクのお帽子をかぶって寝ていた。 こちらでは生まれたときから、キャップをかぶせている人が多い。お人形みたいで可愛い。。。
このまま行けば明後日には、退院のようだ。明日は私は家にいてジャッキーを迎える準備をしよう。。とても楽しみだ!
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2007年11月16日 (金)
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ドイツのおじいちゃん
今日はちょっとママがお疲れなので、私の面会は夕方だけにした。ママからの電話で、ジャッキーが朝から一生懸命両目を開けようとしている、、というので、楽しみにして出かけた。最初は自分の目さえ上手に開けられないのだということを知った。娘達を産んだときのことを、ある部分すっかり忘れているのだ。かと思うと、ふと赤ちゃんを抱き上げる腕が、あのときの感覚を覚えていたりする。おもしろいものだと思う。
昨日までいたお部屋の隣に、ママとジャッキーが引っ越していて今日からはまた別の方達との3人部屋。ドイツ女性は逞しく、しかも何度目かの出産の人ばかりで、新米のママとパパはうちだけ。
夕方行ってみると、本当に目を開けようと頑張ってるジャッキーがいた。 最初、オリエンタルアイズだと思っていたが、開けた目をみたら、やはりパパに似ているようだった。 今日はパパのパパが面会にいらした。彼にとっても初孫。。日ごろドイツ人男性の気骨のあるところを見せている人だが、今日はメロメロ。。。ジャッキーは今夜、初めておじいちゃんに抱かれた。二人の姿をカメラに収めながら、ちょっと気持ちがゆれ動いた。ジャッキー、日本のおじいちゃんのことは、大きくなったらゆっくり話してあげるからね。。。
今日の外気温は、マイナス3度。雪景色だ。 確かに外は寒いが、車に乗っても北国仕様だから、シート自体がすぐに温かくなるから寒さをそれほど感じない。逆に車の中と、家の中が快適に暖かいから、ここはもう冬模様なんだということをうっかり忘れそうになる。
今日は金曜日。夜8時ごろから、パパの友達が二人うちに来て、ワイン片手に歓談したあと、メミンゲンの街に繰り出して行った。男同士の赤ちゃん誕生祝いなのだそうだ。最初からそのバーで、待ち合わせればいいものを、一応自宅に呼んで簡単なおつまみと、ワインを楽しんでから一緒に出て行くのだ。勝手がわからないから「何を出せばいいの?なんにもないかも。。」などと心配したが、そのへんにある日本からのおつまみセットや、おせんべいが受けて、おいしいおいしいと平らげられてしまった。私ももう既に知っている人たちなので、ドイツなまりの英語と日本語英語でなんとか話が通じる。
ジャッキーの誕生を心から喜んでくれている人たち、、その方達を見ているだけでも、本当にうれしい。
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2007年11月15日 (木)
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賑やかなお見舞い。。
今日はジャッキーが生まれて二日目。 外は雪が舞ってすっかり冬景色。バレエ「くるみ割り人形」の舞台を彷彿とさせる家並みの雪景色はロマンティックだ。
今日は2度、ジャッキーに会いに行った。午前中の訪問では、パパ(お婿さん)がなにやらママにプレセントを用意していた。私も産後にあげようと準備していたものを持参した。プレゼントの中味は、パパからは指輪、私からはネックレスだった。
病院に行く前にパパはお花屋さんで真紅のバラの花束を買った。 いいなあ、私はこんなことしてもらわなかったわよね、、、憲さん。 まあ、35年も前の日本じゃ、仕方がなかったかも。。
病室に入るとママ(次女)もだいぶ元気そうになってはいたが、長い時間陣痛を戦ってきた疲れは当分残りそうだ。昨夜はジャッキーと別室にしてもらい、休養を取るようにしたらしい。今日もジャッキーは元気そのもので、シャンプーしてもらった自慢の?黒髪のツヤが増していた。お顔の赤みが増して、かわいい。時々自分の声にびっくりしながら泣き声をあげる。しゃっくりも、くしゃみも、セキも一人前。でもまだまだなれていないから、自分でびっくりしている。まだ目が全開できないらしく、時々目をあけようとして頑張っているのもかわいい。
長居はできないので、プレセントを渡し、ジャッキーと「じゃまたね」と別れて帰宅。
パパは帰宅してからも、忙しい。 今日中に、ジャッキーの宗教を決めて。どこかに提出しないと将来の彼女のドイツ人としての処遇が変わってくるのだという。たとえば、将来の学校、幼稚園、すべてに影響するのだという。生後二日なのに、既にそんなことを考えなくてはならないのだ。ジャッキーも大変だ。
パパもママも今は無宗教だが、パパのほうはドイツ人だから、それなりのバックグラウンドは持っている。ジャッキーの意思を聞くわけにも行かないから、パパとママで相談して、とにかくプロテスタントで。。。ということで登録したようだ。
それでなくとも、国際結婚は手続きがダブルになるので、たいへんだ。私はママの戸籍謄本(次女はあくまで日本国籍)を取り寄せて、こちらに持ってきた。ジャッキーは日本でもジャクリーヌ 徳子 シムカートとして、戸籍を得る。成人したら、どちらかの国籍を選ぶのだが、なんとか両方の国籍を持てるようになると嬉しいのだが。。。日本政府はまだそれを認めていない。今、署名運動をしているところだ。
夕方から、また病院へ。 パパの実家からジャッキーのドイツのバアバ、叔父さん(23歳)、叔母さん二人(16歳。と14歳)の4人がジャッキーに会いにきてくれた。ドイツのバアバは無類の子供好き。その影響か、まだ若いパパの弟妹たちも子供が大好き。
相好を崩してジャッキーを抱き上げる。話しかけられるのはもちろんドイツ語。。 ああ、こうしてジャッキーはドイツ語をマスタ−しドイツ人として育つんだな。。。とちょっと複雑な気持ちだった。反面、こんなに温かい家族がいてくれてママもジャッキーもどれだけ幸せなことか・・
日本のバアバとしては、そんな思いでみんなを眺め、写真を撮り、よろこびを分かち合った。 とくに、憲さんがいないことをとても残念がっているドイツバアバとは、涙ぐみながら「よかったね。しあわせね、ジャッキーは素晴らしい子よ。。」抱き合った。
全員がジャッキーを抱いてあやして写真におさめ、とても嬉しそうだった。 とても仲の良い、家族でいつも会うとほっとする。次女のうちから、車で20分くらいのところに実家があるので、何かの時には、ベビーシッターをお願いすることになっている。ママの仕事復帰も踏まえて両方でそれを考えているようだ。ママには3年間の充分な育児休暇があり、仕事復帰が保証されている。ありがたいことだ。
帰りが遅くなったので、パパと二人、ピザをテイクアウトして夕食にした。 また今夜もパパは、幸せのワインを味わい、うれしそうだった。 今夜もいろんな話ができてよかった。 彼がどれだけ憲さんのことを、慕っていたか、、よくわかった。
彼の手には、婚約のときに憲さんから譲られたローレックスの時計が光っている。 この時計をして、彼は出産に立ち会った。 憲さんへの想いがこもっていて、私はうれしかった。 あえて、お互いに、そんなことは口にしていないのだが・・・
明日はドイツジイジが面会にくるという。 どんな対面になるのかしら・・
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2007年11月14日 (水)
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ジャクリーヌ 登場!!
やっと、電話のベルが鳴った・・・「僕です。。京子さん、たった今おばあちゃんになりましたよ」・・・お婿さんからだった。やっと生まれた!
「とても可愛い女の子です。母子ともに元気でなにも問題ありません」
11月14日午後4時13分誕生。体重3190グラム、身長54センチだという。 名前は生まれる前から決まっていた。 ジャクリーヌ 徳子(ノリコ)シムカート 愛称はジャッキー。お腹にいるときから身内ではこう呼んでいた。 もしなにかで間違って、予想に反して男の子だったりしたら、大変なところだった。
待ちに待った電話のあと、早速お婿さんが私を迎えに来てくれた。彼は感動的なお産に立会い、へその緒をこの手でいま切ってきたのだと、両手を見せてくれた。「ワイフはよく頑張りました。僕は誇りに思います」お婿さんは本当にうれしそう。私は次女に食べさせるおにぎりを持っていそいそと出かけた。
駆けつけると、分娩室から個室に戻った次女と赤ちゃんがいた。
長い苦痛を乗り越え、大役を終えてほっとした次女の笑顔が目に飛び込んできて、私にはまず、それがうれしかった。
「よかったね。よく頑張ったね、えらかった。。」 「大変なことなんだね、お母さんになることって。やっとわかったよ」
その横で、ピンク色をした可愛い赤ちゃんが盛んにおっぱいを捜して口を動かし、手を振っていた。これが私のお孫ちゃん?
わずか一時間前まで、胎内にいたとは思えないくらいの人間らしさで、びっくりした。くしゃみも、あくびも一人前だ。
こんなに元気いっぱいなのになぜか、産ぶ声を上げなかった彼女が、生後一時間半で初めて声を上げて泣いた。まだ、ママのおっぱいが出ないのでなんだかとても悲しそうな声だった。
もうママのベッドで添い寝をしてもらっているのが不思議だった。日本でも今はそうなのかしら? 赤ちゃんは生まれてから片時もママから離されることはなく、身体を拭いてもらっただけで、まだ産湯も使っていないのだという。本当に生まれたての赤ちゃんだった。
髪の毛は真っ黒でふさふさ、目の色もどうやら黒い。こちらでは黒髪、ダークアイズが好まれるから良かったね。。と思ったらそうは行かないらしい。
お婿さんに言わせると「アジア系とのハーフは髪の毛も、目の色も発育段階でドンドン変わる」のだそうだ。生まれたあと、髪の毛が一旦全部生え替わって、別の色の髪が出てくるという。以前アメリカ人の友達からもそんな話を聞いたことがあり、家のお孫ちゃんもどういうことになるのやら。。である。 楽しみといえば楽しみだ。
初めてジャッキーを抱っこしたとき、私の母を思い出した。あのとき母は着物姿だった。生まれたばかりの私の長女を抱いて、嬉しそうな母の写真が思い出された。あのときの母の気持ちを今、私が味わい、私の気持ちを今次女が味わっている。これが世を継いで行くと言うことなのだと思った。 亡くなったパパの血をジャッキーに繋いでくれた次女、私の血も未来に繋いでくれたお婿さん。本当にありがとう。なにか不思議なものを感じ、胸がいっぱいになった。
また明日、、と病院を出たのが午後7時前。
お婿さんと帰宅して、二人で食事。彼はうれしそうに、久々のビールを飲み干した。さすがに彼も今日の感激が覚めやらず、めずらしく饒舌になっていた。やっとお産の苦しみから解放されたのは次女だけではなかった。私達もほっとしたのだ。
「彼女がこの苦しさを克服したのが、僕には嬉しかった。こんなつらい思いをしたのはおそらく彼女にとって、生涯で初めてだったでしょう。赤ちゃんを産んだあとの彼女は誇りに満ちて、強い母で、ひとまわり人間として大きくなった妻だった。それを誇りに思うし、とてもうれしかった」彼の目には涙が光っていた。
明日もジャッキーに会うのが楽しみだ。早く退院してこないかな。。。
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2007年11月14日(水)
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早くいらっしゃい! お孫ちゃん!!
昨夜から雪が降っている。 まだ銀世界と言うわけではないが、ふと外を見ると、時折雪が舞い降りている。
娘が産みの苦しみをしている今、私は家にいて「産まれました!」の電話を待っている。 頑張れ!もう少しだよ。。。そう思いながら、産後に食べたいと言っていたシャケとちりめん山椒入りの「おにぎり」を作って待っている。なかなか、電話が来ない。落ち着かない。ずいぶんと長くかかっている。私のときもそうだった。家の次女は華奢でもないし、日本人としては大きい方なのだが、こちらの人に比べたら体力がなさそうに見えるから、余計心配になってくる。
気を紛らわすために、TVをつける。日本語放送を入れているので、いつでも日本語のプログラムが見られる。今は九州場所の相撲が流れている。客席がガラガラで、カワイそうなほど。お婿さんは当然、琴欧州のファンで、仕事で日本へ来たときに両国国技館まで見に行くほどだから、今相撲は人気が無くなっているという話をしたら、「僕が行ったときは、ホールが満員だったのに」とびっくり。その人気の無いわけを話すと、またびっくり・・・。
ドイツで相撲の話。世界は狭い。ここの家のお客さま用のトイレはなんとハワイのテイストに満ちている。まず出窓にはフラガールの人形、電池仕掛けで「パーリーシェール・・」と踊りだすもの。壁には「HULA」と大きく書かれたステキな絵。ハンドソープラックにはグリーンのレイが掛けられ、やしの実を半分に割った中に入っているローソクからはハワイの香りがする。どこからいつ買って帰ったのか?と思うようなハワイグッズがいっぱい。フフフ、ここにもハワイがあるじゃない・・と嬉しくなる。
さっき郵便配達の人が来た。なにか小包を届けに。「。。。のお宅ですね。Cさんはご主人ですか?小包です、あ、ここにサインを。。ハイ、ありがとう。そうそう、ポストにも手紙を入れておきましたからね」と言ったのだと思う。もちろん、すべてドイツ語だ。私が発したのは「ダンケシェーン」を2回だけ・・・でもお留守番ができてちょっといい気持ち。
こんなことを書いて気をそらしているのだが、まだ電話が来ない。。 早くいらっしゃい。皆、待ってるのよ!!お孫ちゃん!!!
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2007年11月13日 (火)
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頑張れ!次女!!
11月12日の夕方から次女に前駆陣痛が来た。夕食の用意も私と手分けをしてできるくらいだった。いよいよだ、、とは思ったが、自分の経験からもまだまだ。。という気がしていた。10分間隔で、軽い痛み。。明日まで様子を見てみようということになった。いつもより遅く夜中一時過ぎに私もベッドに入った。と、5時半にふと目が覚めて部屋のドアを開けてみると、真っ暗なはずの階段、階下が明るい。その割には人の気配がない。「ついに、病院へ駆け込んだのかな。。。」と思った。それにしてもかなり静かに出て行ったのか、私がのんきに眠りこけていたのか、、まったく気がつかなかった。書置きもない。。これはもうすぐ生まれそうだったのかも。。。とドキドキしながら、彼らからの電話を待った。7時半過ぎ、お婿さんから電話。「夜中に病院にきたけれど、まだまだ生まれそうにない。彼女は痛がっているけど、まだのようです。面会時間は3時から6時なのでそれまでに、僕が迎えに行きますからね。。来る用意をしておいてくださいね」ということだった。
掃除をしたり、洗濯をしたり、気を紛らわせているうちに彼が帰ってきた。「まだまだのようなので、彼女に必要なものを取りに来ました。ついでに一時間だけ寝ていきます」。。。
約2時間後、彼とともに私も病院へ。小さな町なのに、とてもきれいで設備の整った病院だ。 こぎれいなトイレシャワー付きの3人部屋で、早産で出産した人、今日無事出産した人と、次女の3人が入っていた。今日出産した人の隣には、もう元気そうな赤ちゃんが来た。可愛い・・・
ここには仕切りのカーテンがないので、プライバシーはまったくない。これは、かなりつらい。陣痛室という考えもないらしく、ここで耐えるだけ耐えてやっと分娩室へ、というのがこちらのしくみらしい。痛みをこらえる次女を励ましながら、こんな部屋でこれからを過ごすのはかわいそうだな。。と思っていた。
自分で希望して、赤ちゃんの心音や、子宮の収縮状況をみてもらうことができる。階下の診察室までゆるゆると歩いて行く。一度目に行ったときは、まだまだという診断。部屋に戻りまた2時間ほど押し寄せる痛みと格闘したのちもう一度、診察室へ・・このときはさすがに車椅子が用意された。
診断の結果はまだまだ。。「リラックスするために温かいお風呂に入りましょう。今用意しますからね。。」助産士さんがやさしく言ってくれて、付き添いの私達もそのお風呂の部屋に入れてもらった。 まあなんと、すばらしい。真っ白で大きなジャグジーが部屋の真ん中にドンとしつらえてあって、天井にはプラネタリュームのようなライトが光る。音楽もお好みでおかけ下さい。。とCDセットがおかれている。ミネラルウォーターや、タオルもきれいな色のがいくつも用意され、入浴用の香りのエッセンスも好みで入れてもらえる。
ずっとつらい思いをしてきた次女は、やっと安らぎのときを与えられて、「ああ、いい気持ち。これで、これからも頑張れる気がしてきた。。」とほっとした様子。カーテンで仕切られたところに待機するお婿さんも、私もつかの間の休息時間。ついうとうとしてしまう。
産む本人も大変なら、まわりの人間も結構疲れる。まして、初めての次女やお婿さんはきっと戸惑いの中で、期待より、今は不安でいっぱいのはずだ。小一時間、そこにいて私達3人はおおいにリラックスできた。このジャグジーのバスタブは、お風呂でのお産用でもあるらしい。
そして次に診察をしてもらったときは、次女のマタニティヨーガの先生であり、助産士さんでもある女性が当直で来てくれて、次女はすっかり気持ちが楽になったようだった。やっと次女から笑い声が漏れた。そして幸い分娩室に近い個室に入れてもらえることになった。私の勘では、まだまだ出産には時間がかかると思っていたが、個室で痛みと戦えるのならいい、、とほっとした。
夜の10時過ぎ、お婿さんと私は帰宅。また彼は2時間の仮眠を取って夜中に病院へ戻っていった。私もさすがに疲れた!!リビングのソファで、24時間の日本語テレビを見ながら、寝入ってしまった。気がついたら明け方の5時半。寝ぼけながら「ここはドイツ、次女は出産中・・・」と頭の中で整理をしていた。
こちらに来て丁度一週間だ。いまのところ、まだ電話はない。まだ次女は格闘中らしい。 頑張れ!次女!!
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2007年11月12日 (月)
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ナポリタン!!
次女に出産の気配がまだなくて、手持ち無沙汰なような、落ち着かないような日々が続いている。この家の主婦が、すっかり大きくなったお腹で動きがとれない分、私が家事を手伝うことになる。 こちらに来てからしたことといえば、掃除、洗濯、料理、アイロンがけ。。。そして買い物。
考えたらもうずいぶん長い間、本気でアイロンがけをしたり、誰かのために料理を作ることがなかった。つまり主婦業を放棄したかたちで、動き回ってきた。ヨーロッパ仕込みの次女の家事のやり方は、手抜きの私のそれとは違っていて、とても丁寧だったりしてびっくりする。我が家でしつけられなかった分、外に出てから学んだのだろう。否応なしにお姑さんから仕込まれる、、というパターンはこちらにはないようだが、必要なことは教えてもらっているようだ。
先週の金曜日、こちらのご両親をお招きして夕食会を開いた。メニューはというと、前菜がお寿司とお刺し身。ポークのしょうが焼きと千切りのキャベツのサラダ。そしてメインはお好み焼き!。かなりヘビーだし、ユニークな取り合わせだ。
なんとも面白いコースだが、こちらの人には受けるという。お寿司は握り、巻物と器用に次女が作っていく。お寿司のネタはトロサーモンと生マグロ、アボガドに、きゅうりだ。新鮮な刺し身は魚屋さんに前もって予約をしておかなければならない。今日のネタは最高においしそうだった。
ポークのしょうが焼き用のショウガが、私が今まで使った中で一番みずみずしく香りもよく最高のものだった。ドイツのショウガ、なかなかなものだった。そのお陰もあって私の作ったしょうが焼きは好評でほっとした。
かなりの量のお寿司と刺し身だったのに、前菜としてさらり、と平らげてくれたご両親。お好み焼きも本当においしい!!と完食。「おいしいね、このソース!これは日本のパンケーキかい?」とお父さん。デサートは次女が作ったブラウニー。これもとても好評だった。
私はこの日、ドイツのエビは腹黒い、、と言うことを知った。エビは普通、背ワタをとって料理をするがなんとドイツのエビにはお腹にまで「黒いワタ」が入っているのだ。それを取るのは背ワタより難しい。ところ変われば、、、で面白いことがいっぱい。
スーパーには「KAKI」と書かれてそれは美味しい柿が売られている。どこの産なのかはわからなかったが、その横に売っていた小粒のみかんはどうみても、有田か、紀州みかんだった。「これ日本産?」「あ、それね、スペイン産!」とこともなげに次女が言う。スペインのみかんか。。。食べてみたい!と思った。
別の日、ランチにスパゲティをつくることになった。私が得意なのは、子供が小さいころにウインナソーセージを沢山入れて作ったナポリタン。今日はベーコンでナポリタン。私の隠し味は最後に入れる少量の醤油。かくして出来上がったナポリタンを一口食べた次女「あーー。なつかしい。この味だ。。」お婿さんも「うーん、オイシイ。。」と日本語で。。
このお婿さん、勤める会社が、家から車で10分もかからないところなので、毎日ランチを食べに帰ってくる。小一時間を家で過ごしてまた会社へ。。。
まだまだ新婚の二人には楽しくていいのだろうが、これは大変だろうなあ、、と思う。それをなんなくこなしている次女もすごい。聞けば会社には二つも立派な社員食堂があるのだという。 それでも、家で一緒にランチ。新婚っていいな。。
このナポリタンを食べながらの若い二人の会話。「ね、私達の小さいときはね、日本ではスパゲティと言ったら、ナポリタンとミートソースしかなかったのよ。レストランでもそうだった。私達が大きくなって、ボンゴレ、カルボナーラ。。。なんてしゃれたのが食べられるようになったの、、ね。ママ?」そういえばそうだ。食べ終わったらお皿の底にオレンジ色の油が残る、ナポリタン、ミートソースしかなかった時代もあったなあ。。「はーー、そうなんだ。。。」と、お婿さんは不思議そう。
ここはドイツと言っても南ドイツなのでイタリアに近い。売っているパスタの種類の多いこと。料理好きの人にはたまらないだろうな、、と思う。
これからの長い滞在期間、いろいろなものを食べてみよう。ちょっとそんな気になった。まだここへ来て一週間なのに、一キロ体重が増えた。。うれしい!?!
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