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今日、ちょっと心に書き留めておきたいこと。。

2009年2月22日 (日)
マリオネット?!

16日のNちゃん到着から、約一週間。それは楽しい日々が続いた。相手のことを知り尽くしている幼馴染みであり、またそのご主人Aさんもほぼ同時代に同じ小学校区内で育った人。その3人がこのハワイで、昔話に花を咲かせたり、お互いに子育てに追われて疎遠になっていた時期の空白を埋めるようにおしゃべりした。彼女が鮮明に覚えている昔の思い出をすっかり私が失念していたり、その逆もあって大笑いの連続。もちろん彼女たちは観光、ゴルフ、買い物とハワイに来た目的があるのだが、家にいてだたおしゃべりするだけでお互いにうれしかった。

二人がゴルフに出かけている時間は、私は家で洗濯をしたり、掃除をしたり。。
二人は私のハワイでのお友達Kさんご夫妻とともにゴルフをしたり、そのご夫婦のお宅にみんなで招かれて夕食をいただいたり、普通の観光とは違った新しいハワイを満喫したNちゃん夫妻。私も人の輪の広がりが嬉しいタチなので、とても幸せだった。

私はハワイにいるにもかかわらず海にも興味がない。ビーチにいるのは好きだが、水に入ろうとは思わない。プールにも入ったことがない。せいぜいヒザ下くらいまで浸かるだけ。。
だけどNちゃんがハワイに来るときだけ、私は水着を着て一緒に海に入ることになっている。なんとなく童心に帰ってキャーキャー言いながらふざけあえるのだ。しかし、今回はそれをするには寒すぎた。Nちゃんと買い物に行っても目に留まって、つい触れてみたくなるのは暖かそうなお洋服ばかり。ついにダウンコートが欲しい。。とまで言い出す始末。

それほどNちゃんの滞在中、暑いと感じる日はなかった。風が強く、爽やかどころか時には震え上がっていた。おかしなものでハワイは暑いところ、、と思い込んでいるから「こんなはずじゃない!」と天候をうらみたくなる。これでも日本よりはずっと暖かいはずなのに・・。夜は特に寒かった。電気毛布を使っているという人がいるほどだった。日中も空は晴れていて明るいのだが、あのカーッとした太陽がなかった。

ある夜、三人でクヒオ通りを歩いていると、日本人の夫婦に道を聞かれた。「あの、マリオネットホテルはどこでしょう?」「マリオネット?」私の頭の中には糸でつるされた人形が浮かんだ。
ちがうちがうマリオットだ。。と思いついたのはすぐだった。吹きだしそうになるのを押さえて
道をお教えしたけれど、あのご夫婦、無事にホテルに着かれたかどうか。。。

とにかくNちゃん夫妻は、買いたかったものをゲットし、ゴルフも目いっぱい楽しみ、サークルアイランドのドライブで念願のカフクのガーリックシュリンプを堪能し、海がめも見て満足してくれた。
時に、私はハワイの観光局の人間なのか、、と思うほど、ハワイへのお客様がハワイを充分楽しんでくれることが一番嬉しい。

3人とも残念に思ったのは、ワイキキビーチのトーチが消えたままであること。昨年から気になっているが、今年になってもワイキキビーチの夜が暗くなって淋しい。理由があるのだろうが、早く復旧してほしいと心から思う。本物のハワイ観光局の人、なんとか考えて下さい。。

Nちゃん夫妻は明日、帰国する。
次は太陽イッパイの季節にハワイに戻ってきてね。
2009年2月16日 (月)
Nちゃん夫妻到着後。。一騒動が。。

2月16日から7泊の予定で、京都から長ーーい付き合いのNちゃんとそのご主人Aさんがハワイ(我家)に滞在中。いわゆる幼馴染みだ。Nちゃんのご主人も同じ地域で大きくなった仲間。小学校の先輩にあたる。

Nちゃんは生まれたのが私と一週間違いで、実家は目と鼻の先。母乳の出なかった私の母の代わりに、Nちゃんのお母さんのおっぱいをいただいて大きくなった私。まるで、双子の姉妹のように育った。戦後の物の無い時代のこと、粉ミルクなど簡単に手に入らなかった。私は、Nちゃんのお母さんに大いにお世話になったというわけだ。聞けばもう一人、私におっぱいを飲ませてくれた方がいる。私は生まれたときから、誰かにお世話になりっぱなしなんだ、、と思う。

幼稚園、小学校、中学校まで、Nちゃんとは一緒だった。成長するにしたがって、疎遠になった時期もあったけれどお互いに結婚し、子供をもって(二人とも娘二人に恵まれた)少し子育てに余裕が出たあたりから、夫婦同士のお付き合いが再開した。

ゴルフ、ハワイが大好きなNちゃん夫妻とハワイで会うことが多くなった。憲さんとAさんがビール好きと言うこともあって意気投合。本当に気楽でまるで家族のような付き合いが続いている。おまけに二人の孫がともにハーフであることも共通点。こんなことは、めずらしいだろうと思う。孫のエディが、とかジャッキーが、、などと話し合っていると、不思議な気がする。Nちゃんの孫はオーストラリア在住で、孫に会うために、日本と行ったり来たりの生活も共通。。。もちろん大のハワイ好きも共通だ。

今朝、我家に到着した二人が荷解きをして、さ、シャワーでも浴びて一休みしようとしたとき、Aさんが必死で何かを探し出した。「おかしいなあ。。ここへ入れたはずなんやけどなぁ。。あらへんわ」

もうこの頃から私も懐かしい京都弁に。。。
「なに探したはりますの?」「いや、シャワー浴びようと思たんやけどねえ、ないねん。。」「なにが?」
「下着、とパジャマ。。」どうやら、数日かけて丹念にスーツケースに入れるものを準備した結果、最後になって肝心の下着を入れ忘れたらしい。自分のことは自分でする習慣のNちゃん夫妻。下着を忘れても奥さんの責任ではない、という。

「まあまあ、とにかく長旅で疲れただろうから、まずランチでも食べて休んでね」と用意した「冷やしうどん」が好評だった。まさかハワイに着いたとたん、「冷やしうどん」が待っているとは。。と喜んでもらえたようだった。

ランチのあと、憲さんのお墓へ。いつもは京都にあるもう一つのお墓はお参りしてくださるお二人だが、ハワイでは初めて。広く明るい墓地に驚く二人。ハワイでの憲さんとの再会してもらえてうれしかった。私もハワイに来て、一週間過ぎたのに今回初めての墓参であった。もう帰国してしまったフラのMさんからいただいていた、心のこもったレイも今日やっと憲さんに手向けることができた。

夕方になって、カウアカウア通りを散策しながら、3人で男物のパンツとアンダーシャツを売り場を探し回った。さすがにABCにもパンツはない。メイシーズに入ったら、高級ブランドの下着はあったが高い!

Aさんは「こんな高いもん着たことないしなあ。。」という。「背にハラはかえられませんもん、ここで高いのを買いましょうよ。ワイキキでパンツを探すこと自体間違いやわ。。ね、お父さん」と京都弁でやんわりとNちゃんが言う。私は横でただニヤニヤ。。私もワイキキで下着を探したのは初めてだった。
無事下着をゲットして、そのまま夕食ということになり、昨年できた「甚六」という日本食レストランに。。。
お好み焼き、たこ焼きをメインに、ステーキも一品料理もあるというお店だった。とてもおいしくて、お店の人も親切で大満足だった。お店にお相撲さんが一人来ていた。ワイキキで数人お相撲さんを集団を見た、、という人も居て、どうやら部屋の休暇で来ているようだ。私にはその顔を見て、名前を思い出せるお相撲さんは少ない。つまりあまり相撲に詳しくない。「甚六」で見たその人は、最近の大麻事件で有名になった人に似ていた。まさか、あの人がココに居るわけないのだが。。。
どう見てもその人に見えて仕方がなかった。

明日から、ゴルフ、買い物、観光と楽しい日々が続きそうだ。しかしここ数日、風が強く肌寒いハワイ。Nちゃんたちがいる間、好天気が続きますようにと祈る思いだ。
2009年2月15日 (日)
新しいお友達も、また。。。

明日長年の夢がかなって、幼馴染Nちゃん夫妻がやってくる。それに間に合うようにと頑張って掃除を続けた結果、やっとなんとかなりそうだ。今日午前、午後とで最後の仕上げ。今日も憲さんのお墓に行く余裕はなかった。もうここまできたら、Nちゃん夫妻と憲さんのお墓に行くことにしようと思った。

一息ついた夕方、ようこちゃんから電話。
6時ごろ、ようこちゃんのコンドの前で落ち合うことになった。夕食をご一緒することになっている。
今日は新たにお友達を紹介してくださるとのことで、楽しみだった。

ご紹介いただいたのはKさん。ようこちゃんと同じコンドにお住まいで、私と同じように年間の半分をこちらで過ごす方。Kさんも13年ほど前にご主人を亡くされたという。ようこちゃんはそのまた10年前に、そして私は2年半前に・・・3人とも独り暮らしの身だ。共通点は、日本人であること、ハワイに居ること、子供は居るが独立していること、そして一人暮らしであること。

ちかくの「食堂」というレストランで三人で楽しくおしゃべりしながらの食事。時間を忘れそうだった。
Kさんは文章を書くことがお好きで、本まで出しておられる。随筆ご本を一冊いただいたので、今夜から読むつもり。

Kさんが、ハワイに住む決心をしたのは、なんと辛い闘病の末にご主人が亡くなられて直後のことだったという。ご主人を見送って本当にすぐ(数週間後)、彼女は心を癒すために、一人で未知のハワイへ出かけたという。心細い一人旅の途中で、偶然知り合った親切な女性によって、ハワイで長期滞在することを勧められたという。そしてその場でKさんは決心を固め、その女性に勧められたコンドを購入、快適であくまでも明るいこのハワイでの長期滞在を始められたという。

私も行動が早いと言われることがあるが、Kさんはもっともっとすごい。涙まじりの3人の会話だったが、彼女の気持ちがよくわかり、いちいち納得できた。そんなKさんを京子ちゃんに紹介したかったの、、とようこちゃんは言った。きっと分かり合えるだろうと思ってね・・・と。
本当にようこちゃんの気持ちがうれしかった。

夕食後、ようこちゃんと二人でKさんのコンドに立ち寄らせていただいた。ようこちゃんとは同じ階で、お隣さん同様である。そこは家より街中にあるので、都会のコンド、、という感じで夜景がきれいだった。

ここでKさんはご主人を亡くした心を一人で癒してきたのだと思う。悲しみから自分で前進していくしかないのだと自分を奮い立たせながら。。その気持ちが痛いほどわかる。「偉かったね。Kさん。。」「お互い様。。」
夜遅くまでお邪魔して、帰宅。

明朝はNちゃん夫妻到着だ。
やっときれいになった部屋で、もうNちゃんは関西空港を発ったかな、、と思いながらベッドに入った。
2009年2月14日 (土)
涼しすぎるハワイ

世の中はバレンタインデー。こちらでは男女に関係なく、親しい人の間でプレゼントやカードが贈り合われる。スーパーマーケットではHappy Valentine’s dayと書かれた風船が飛ぶように売れていたし、お花を贈る人も多いらしく、お花を抱えた人も多い。日本では女性から男性へ愛の告白をできる唯一の日、その手段はチョコレートといわれていたのが、次第にエスカレートし、義理チョコが氾濫、それにお返しのホワイトデーまで出来た。不思議な現象だと思う。

アラモアナホテルで仕事をしている友人を訪ねた。ハワイに来てから連絡もせず、掃除に明け暮れていたのでそのお詫びも兼ねて。。。行ってみると彼女の元気がない。最近胸に腫瘍が見つかったのだという。手術をするか、他の方法で治療をするか悩んでいるとのこと。話し合っているうちに少し彼女の表情が柔らかくなった。そして彼女は「今日は一緒に夕食、食べよう!!」と言う。心配事を聞いてあげるしか、私にはできないけれどいろいろ話をして、少し彼女の気が晴れたとしたら、うれしい。

明後日、16日からNちゃん夫妻が京都からやってくる。Nちゃんは、生れ落ちて以来の親友である。ご主人ともども、晩年の憲さんのハワイでのゴルフ仲間でもあった。その日までに、このホコリ高き家をきれいにしておきたかった。ようやく今日その大半が片付いた。これでNちゃんを気持ちよく迎えることが出来そうだ。と思っていたら、ようこちゃんから電話。「明日、どこかで夕食を食べない?」と・・・

掃除に明け暮れた日々を、ようこちゃんとの夕食で締めくくれるようで嬉しくなった。なんでも新しい友達を紹介してくださるという。「私にできることは、素晴らしいお友達同士の橋渡しなの。。」といつもようこちゃんは言う。現にようこちゃんを通して、数人のお友達を持つことができた。
今年80歳のようこちゃん。ますます元気で、食欲旺盛で。。素晴らしい。私の人生の目標だ。

この頃、とりわけ風が強く涼しいハワイだ。いつもの冬より涼しい気がする。今日会ったお友達の一人は電気毛布で寝ているという。驚いた。毎日出かけるときは、長袖の薄手のジャケットが欠かせない。早く暑いハワイに戻って欲しい。涼しすぎる。。
2009年2月13日 (金)
ウリウリのデビュー

ハワイ3日目。
朝10時からフラレッスン。今日はMさんと二人。以前に習った曲をおさらいし、昨日新しく振りつけてもらった曲を見てもらう。基本的なことは注意されなくなったが、スムースに音をいっぱいに使って踊ることを要求される。ずっとこれが最大の課題なのだが。。

昨日のレッスン中のこと、K先生にフラダンサー仲間から電話が入った。「今夜、某ホテルのショウで踊るのだけれど、ウリウリの羽の部分が足りなくて困っている、、何とかならないか?」とのことだった。丁度、我家の棚に置かれていた私のウリウリが先生の目に止まり「ああ、、いまね。キョウコのところに居るんだけど、彼女のウリウリ、ここにあるから持っていくよ。赤と黄色だよ。ちょうどよかった!!」どうやら、私の知っている人と話しているようだ。そして、話が勝手にまとまったらしい。私のウリウリは使うチャンスもあまりなく新品同様。プロのダンサーによって、本場ハワイでやっと世に出ることができる私のウリウリ。。おめでとう!デビューだね!

先生は今夜カウアイに帰るとのこと。いつものように慌しく、帰っていかれた。楽しい二日間のレッスンだった。やはり踊ることって楽しい。

午後、Mさんとセーフウェイに買い物に。おなかが空いた私たちはとりあえず、その近くの人気のハンバーガー屋さんに行く。いつも混んでいて気になっていたお店。神戸ビーフバーガーを注文。それに好みのトッピング、ソースなどを選んで作ってもらう。おいしかった。冷房で寒ーーいセーフウェイを駆け抜けるようにして、大急ぎで買い物をした。
今日は本当に風が強い。カポレイというところでは竜巻も発生したとか。。お花を用意したものの、憲さんのお墓にいくのをあきらめたほどの、風だった。もう少し、待っててね。憲さん。

そういえば嬉しいニュースがある。パンケーキで有名な「エッグス’ン シングス」がいよいよワイキキに進出しそうだ。ラーメンの「なかむら」の並びに近く開店する模様。只今工事中。
出来れば、あのお店の営業時間をなんとかしてほしい。なぜか私が元気に起きている時間にはいつも閉まっているのだから・・・

Mさんと別れたあと、私は一つ用事を済ませ、そしてやっとお米を買いにドンキホーテに出かけた。
ハワイについて以来、誰かと一緒に楽しい外食が続いていたし、昼間は買い物をする時間がなかった。今日は今回初めてご飯を炊き、一人で食事をした。新しいキッチンも使いやすくうれしい。

こちらについてすぐに気がつくことがある。やけにコーラがおいしいこと。それに私の髪の毛がクルクルしてくること。もともと天然ウェーブなのだが、ハワイの湿度が丁度いいようで、苦労をしなくてもなんとか格好がつくようになる。こんなことを毎回感じて「私はいま、ハワイに居るんだ、、」と実感する。
家の中はまだ荒れ放題。早くなんとかしたい。。。
明日も1日、掃除に明け暮れかな・・・・
2009年2月12日 (木)
最後の交差点?

この日記を数日遅れで書いている。ハワイの様子を記そうにも、家の掃除に追われて家の窓から見えるものしか見ていないのでどうにもならない。東京の友達から「いつもハワイに着いたら真っ先にハワイ日記が更新されるのに、今回はどうしたの?」とメールをもらった。

到着した翌日、K先生のフラのレッスンの第1日目。
今日も朝から掃除、洗濯の連続。
先生は午後2時には家に来て、4時からのレッスンの前に力仕事を手伝って下さることになっていた。2時近くなり、もうそろそろいらっしゃるかな。。と思っていると先生から電話。

日本語で先生曰く「私は車がありません。いま友達の家にいるの、、でも、車がないのです。迎えに来て下さい。。。あなた、大丈夫ですか?」 「いえ、大丈夫じゃあ、ありません。私は遠いところと、初めてのところへは行けません。ところで先生どこに居るの?」「近いです。ヌアヌにいます、わかりますか?ヌアヌパリの。。。ヌアヌ。フリーウェイH1のパリハイウェイ出口で下りて、右へまっすぐまっすぐ。。。わかりますか?」「ヌアヌにいるの?ヌアヌなんて、ここから遠いじゃない!私はそこまで運転したことがないから、ダメ!行けません!絶対ダメ!!先生、バスに乗ってきてください」「バス?ありません。もし乗ったとしても、2,3回乗り換えです。。多分2時間くらいかかります。車だったらそこから20分くらいだよ」 「。。。。」

もうこうなったら、私が迎えに行くしかない。地図を片手に先生の電話による説明で、やっと先生の居る所がわかりかけてきた。先生の説明はこうだ。「パリハイウェイをまっすぐまっすぐ。。そして最後の交差点を右に曲がる。目印は日本風の建物、多分お寺。。。そこを曲がったら電話して下さい」「先生、最後の交差点って、意味がわかりません。地図にだって「最後の交差点」なんて書いてないしさ。。。」

英語まじりの日本語で説明してくれるから余計わからない。どちらかにして欲しい。困った私は質問の方法を変えてみた。「先生、そのお寺みたいな建物が立っているっていう、私が右に曲がる交差点の通りはなんていうの?パリハイウェイと交差している通りの名前、あるでしょ?それを教えて!」「あ、はいはい、、ヌアヌ通り、ヌアヌ通りです。」 
もう、それを早く言って下さいよ、先生!!

やっと先生の居場所が確定できた。でも私がたどり着けるとは限らない。心配だ。でも仕方がない。私は覚悟を決めてハンドルを握った。先生のややこしい説明と、私のつたない運転だったが、無事に日本のお寺風の建物を発見、右に曲がると先生がにこやかに手を振って立っていた。開口一番「ハハハ!来れたじゃない。やったね!」だって・・・・。ま、私も新しい経験が出来たことだし、運転にも自信がつこうというもの。よかった、よかった、ということにしておこう。早速、運転を先生にバトンタッチ。ホッとした。

4時からのレッスンは京都からのKさん、東京からのMさんと三人で。久しぶりに踊ったフラ。やはり楽しくてニコニコしっぱなしだった。いつの通り厳しいベーシックの練習のあと、一曲振り付けていただいた。

レッスンのあと、お約束だった重い家具の移動を先生にお願いした。まだまだホコリ高きわが家だが、おかげでなんとか格好がついて来た。夜は夜で、先生の出演しているワイキキのショウを三人で見に行き、帰りにワイキキでお食事を楽しんだ。

今日は疲れたけど、盛りだくさんでいい一日だった。明日も我家で午前中にフラレッスンの予定だ。
2009年2月10日 (火)
ハワイへ!だがしかし。。。

2月10日、ハワイに到着。
12月末にドイツから日本に帰って、約一ヶ月半の日本滞在だった。どこが私の本拠地か、自分でもわからなくなるくらいのここ数年だ。私のスーツケースはフル稼働、いつでもスタンバイ状態である。

ハワイまでの飛行時間は、今回とても短くて5時間45分だった。憲さんはホノルルまでの最短飛行時間5時間15分を記録したことがある。追い風のおかげだが、当時会社から記録証明書をいただいて喜んでいたことを思い出した。

ホノルルは曇り空だった。やはり暑い。空気がいつもより湿っぽい。ダイヤモンドヘッドも雨季であるこの時期らしく、深緑色に変身していた。なんとなく霞がかかったようなホノルルの空だ。車で通りかかったワイキキあたりは去年の10月からそれほど変わっていないように見える。不景気の影響も今のところは感じられない。相変わらず、人が多い。

空港から家に着いた早々、トラブル。家の鍵が廻らない。つまりドア開かない。数分試してみたがダメ。このコンドの従業員で私の救世主、リンカーンの携帯に電話をしてみた。「なに?鍵が廻らない?わかった、すぐに行くから!」 リンカーンが持ってきたシリコンのスプレーを鍵穴にかけてくれると、カチャリ!とドアが開いた。ああ、助かった。。。彼はやはり救世主だ。

家に入ってみると、一段と家の中が明るく見えた。改装したキッチンと、バスタブ、洗面台、入れ替えた電化製品が光っていた。「わー、、きれいになった。よかったあ。。」一人で見て廻る。誰かと一緒なら喜びも倍増だろうに。業者からなるべく早く実際に使用して不具合がないかチェックして下さい、といわれている。到着早々、いろいろ触ってみる。家の中の動線もおおいに変わっているので、動きにくい。でも、きれいになって本当にうれしい。憲さん、きっとびっくりしているだろうなあ。。。少し時間をかけて慣れて行こう。

改装のために移動した家具、食器、その他雑多なものが、ダンボールに詰め込まれて一つの部屋に置いてある。それを元の位置に戻すだけで、相当時間がかかりそう。一年前の引越しを思い出す。
フラのK先生が手伝いに来てくださるが、それまでに私が出来ることは、こなしておこうと思う。と思いながらじっくり見て廻ると、大変だ!!あらゆるところに工事中に出た粉塵が。。カバーできるところがすべて布で覆っておいたのだが、あまり効果は無かったようだ。
クローゼットの中の洋服にまで白っぽい粉が積もっていた。見えるところは業者が最後の仕上げとして掃除をしてくれたのだが、見えないところにたっぷりと白いホコリが。。。

で、すべての衣類を点検、ほこりをかぶっているものはことごとく洗濯機に。もう何回洗濯機をまわしたことだろう。洗濯機、乾燥機、食洗機はフル稼働。その間に私は掃除機を振り回し、雑巾がけを・・・。

ああ、、、大変。日本の引越しから一年、またまた私には負担の多すぎる重労働が待っていた。
ハワイだから窓を開け放して、爽やかな風を入れて掃除ができる。それはありがたい。

こんな状態だけど、明日から早速K先生のフラレッスンが始まる。先生は今年から故郷カウアイ島に拠点を移したので、ホノルルまで飛行機でいただくことになる。今回の生徒は京都から一人、そして東京からのMさんの二人、私にとっても久しぶりのレッスン。レッスンは楽しみだが、この引っ越しの前後のような、ホコリ高い部屋でレッスンしていただくことになるので、なんとか明日までにきれいにしておくつもり。。。ああ、、大変!

この調子では憲さんのお墓にもなかなか行けそうにない。まず、この家をクリーンにしてからでないと。。。憲さん、ちょっとまっててね。Mさんが憲さんのお墓に。。ときれいなレイを持ってきてくださったが、今日のところは写真の憲さんを飾ってあげた。

いよいよハワイでの暮らしが始まったが、しばらくはホコリとの戦いになりそうだ。ああ。。。
2009年2月1日 (日)
また一人に・・・

気がついたらもう2月。
1月25日、ジャッキーとママが約一ヶ月の里帰りを終えてドイツに帰国した。思えば昨年の11月に私がドイツのジャッキー一家を訪ねて行って以来、ジャッキー達と約2ヵ月半の間一緒だった。うれしくて、楽しくて、賑やかで、そして忙しい日々だった。

成田空港まで二人を見送って家へ帰ってくると、家の中は静まり返り、空間がやけに広く感じられ、残されたおもちゃが淋しげだった。

この一ヶ月間、久々の里帰りとあってジャッキーママは旧友と会ったり、美容院に出かけたり、ジャッキーとお隣のららぽーとを歩き回ったり、、と楽しく過ごしていた。従姉妹のマヤとも延べ1週間ほど一緒に過ごし、ジャッキーにとっても刺激のある日々だったに違いない。日本で歩き出すかもしれない、、と期待していたが見事に裏切られ、まだまだゆらゆらと二本の足で立つのが精一杯。歯も何故か下2本、上1本しか生えてこない。赤ちゃんの歯が奇数のままで一ヶ月以上も変わらないでいるのもめずらしい、、といわれ、ジャッキーママは苦笑い。ジャッキーは人の気持ちを汲み取るのはとても上手だから、エネルギーがそちらに取られているのだろうと、思うことにした。

一方、マヤの方はといえば、4ヶ月お姉さんのジャッキーのあとを追うように着実に成長している。マヤは大人しくハイハイをしても、何をしていても静か。一人遊びも上手。ジャッキーは「あ、あ、あ、あ、」と掛け声とともにハイハイする。両手を床にたたきつけるように前進するので、バタバタとなんとも賑やか。ジャッキーは人と居るのが好きで、一人だと落ち着かない。常に誰かに注目されていたいらしい。それなのに、内弁慶。だからママは大変だ。赤ちゃんといえども個性がはっきりしている。

今回是非試したかったことがある。二人の孫に初めて納豆を食べさせること。離乳食真っ最中の浸りに、トントン叩いて細かくした納豆をおかゆに混ぜて与えてみた。納豆を見たこともないジャッキーやマヤだったが、日本人のDNAのおかげか、躊躇することなく、二人ともとても美味しそうに平らげた。
「あーーよかった、納豆が食べられる子にしたかったんだ。だって美味しいんだものね、、」と二人のママは大喜び。私の娘たちは納豆が大好き。納豆だけは勘弁!という二人のパパたちは、どんな顔をするだろうか。

昨年の11月からドイツ〜日本と、長期に渡って、ジャッキー母娘と私が一緒に過ごせるようにしてくれたジャッキーパパ。いつもは会えない家族なんだからせいぜい一緒に楽しみなさいと、私、娘たち、孫たちが一緒に居られる時間を沢山作ってくれた、マヤパパ。この二人のお婿さんの思いやりには感謝でいっぱいだ。おかげで二人の孫とゆっくり過ごすことができ、娘たちの母親振りを目の当たりすることができた。

一ヶ月の滞在を終えたジャッキー母娘を成田に見送った日のこと。その日までマヤ母娘もわが家に滞在していたので、家のなかはひっくり返っていた。成田から帰ったらまず、掃除だわ、今日は大変だぞ。。と覚悟していた。ところが家に入ってみてびっくり。隅々までキチンと掃除され、今朝の乱雑さはどこへやら。。。気持ちのよい空間が戻っていた。マヤママがお家に帰る前に、働いてくれたのだ。娘のその心遣いがとても嬉しかった。

また一人に戻った。さあ、明日から日常の用事が待っている。
銀行、郵便局、お便りのお返事、メールの整理、そしてフィットネスクラブにも復帰して身体をほぐさなくちゃ。。

2月にはまた私は一人でハワイへ向かう。今回は改装された我家を見るのが楽しみだ。ハワイ出発前には、合唱団の本番がある。そのために練習もしなくては。。一人で過ごす生活に戻っても、なかなか忙しい。
それがまた、今の私を支えてくれていることに感謝だ。
2009年1月15日 (木)
久々に一人で。。

新年ももう2週間が過ぎた。今年はいいお天気続きで、穏やかないいお正月だった。ジャッキー母娘が日本にいて、賑やかなお正月でもあった。

ジャッキーの風邪もすっかりよくなり、ドイツより都会的で刺激的な生活をママと一緒に楽しみながら、日々成長を続けている。といっても1歳2ヶ月になろうというのに、伝い歩きだけ、歯も下2本、上1本だけで、どうも他の赤ちゃんよりゆっくりのようだ。

しかし人の気持ちを読み取ることと、物まねだけは大得意で、すぐに前にいる人の仕草を即座にコピーする。かなりのエンターテイナーなのだ。大人の話す言葉(日本語)もすっかり理解しているようだし、こんな1歳2ケ月の子は見たことない、、と日本のプロのベビーシッターさんに言われたほどだ。

ジャッキーママとしては、少しでも早く歩いて欲しいし、歯も少なくとも8本ぐらいは生えて欲しい、、と思っているようだ。

「這えば立て、立てば歩けの親心」という言葉が、身にしみる。。という。
こうして少しずつ、本当の母親になっていくんだな、、と思う。

私たちはいつもパパとママに頑張れ、頑張れ!といわれ続けて育ったよね。。と以前は不満顔で話していた二人の娘。今、二人はジャッキーとマヤに何かというと「ほら、頑張れ〜!」と声をかけている。「ね?ごらんなさい。親ってそういうものなのよ!!」と私は思う。

一方、生後10ヶ月になろうとしているマヤは、ジャッキーとは対照的に、静かで穏やかで大人しい気がする。声も高く、可愛い声だ。これはソプラノかな。。と期待?がかかる。ジャッキーは、低い声で、結構迫力のあるアルトだ。

昨日から数日の予定で東京のマヤのお家にジャッキー母娘が滞在中。ベビーが二人でさぞかし賑やかなことだろう。

私は久しぶりの束の間の一人暮らしで、ドイツから帰って以来のたまった用事を済ませるべくバタバタしてるが、たまには一人もいいもんだと、気持ちはゆったり・・。

夕方ジャッキーママから電話。
「どうしてる?淋しくて一人で泣いてるんじゃない?」
「とーんでもない。ゆったり一人の時間を楽しんでるわよ!」強がりでもなんでもない。きっと1人暮らしに慣れてきたのだろう。

今日はパソコンに張り付いて、いろいろ作業をした。メールサーバーを変えようと思っているのでどうしても必要な作業。
そのためには、数年前からのメールに目を通して不要なものを削除しなくてはならない。気が重かった。なぜなら、私に宛てた憲さんからのメール、憲さんが友達に送ったメールに目を通さなくてはならなかった。大切に保管したいメールを選ぶために。。。

涙が出た。胸が痛んだ。快活で、元気でなんのかげりもない憲さんの文章が目に飛び込んでくる。背を丸めながら一生懸命キイボードに向かう憲さんの姿が目に浮かぶ。

でも逆に気持ちがすっきりした。やっとまた関所を通ったような気がした。いまだに彼が映っているビデオは見ることが出来ない。
でも今日、メールは読めた。涙を浮かべてではあるが、笑顔で読むことができた。気になっていたメールの整理ができて、大切な憲さんの思い出のメールを確実に保管することができた。

あれからもう二年半。筆不精だった憲さんも、メールだけはマメに打っていた。コンピューターのおかげでこんなにも貴重な記録を確実に残すことが出来た。便利になったものだ。
2009年1月1日 (木)
新年早々、ジャッキー病院へ

2009年の幕開け。
もうすぐ、あけましておめでとうね!と、ドイツのジャッキーパパとスカイプでカウントダウンをしながら、新年を迎えた。ただし8時間遅れのドイツではまだ、31日で新年はまだ。。。もっともドイツの家庭では新年を迎えるための特別な行事はない。

時差で、3人ともまだ朦朧としているが、31日夜には、ジャッキーママと私は年越しそば(京風にしんそば)を作り、いただいた。紅白歌合戦もたっぷり楽しんだ。

「日本っていいねえ。。なんでも便利ですぐ手に入るしさ。食べものは美味しいし。。」ジャッキーママは感動の面持ちだ。ママは家に隣接したショッピングセンターに毎日一人で出かけ、久々のシングル気分を楽しんでいる。ジャッキーはドイツのお家に比べるとかなり狭いが、それだけ安全な我家の床や畳でゴロゴロしながら、大喜びで遊んでいる。おもちゃはほとんどないのに、なにかしら見つけては夢中で遊ぶ。これでもいいんだな。。と思う。

お昼前、東京のマヤのお家へ。。。
マヤママが初めて頑張って作ったという、おせち料理が待っている。
行くと、マヤパパが「アケマシテ、オメデト〜」と覚えたての日本語で迎えてくれる。マヤはすっかり大きくなって、ハイハイやおすわりが出来るようになり、歯も一本。ジャッキーと久々の再会だ。

大人4人は早速、お雑煮とおせち、日本酒でカンパイ。
マヤママの初めての手作りおせちは、見た目もちょっとしたプロ並だったし、本当に美味しかった。一口食べて私は思わず感涙。「赤ん坊を抱えながら、よく頑張ったね!」

二人の娘たちに、母として家事一般を伝えていく時期は、彼女たちがそれぞれにアメリカ留学していたり、ご他聞に漏れず家にいるより友達と過ごす方がよかったりして、私はなけなしの知恵を彼女たちに伝えることなく過ごしてしまった。後悔もあったが、今はレシピにしても、家事の知恵にしてもなんでもその気になれば情報が溢れている時代。それを駆使してなんとか主婦業、母親業を続けている彼女たちを見て、まあホッとしたりしているわけだ。

マヤとは一ヶ月半ぶりの再会。9ヶ月になってすっかりたくましくなっていた。積極的にハイハイして行って、ジャッキーおねえちゃんにアタック。ジャッキーは泣き出してしまった。内弁慶のジャッキーだから、そのうち慣れるだろうと思っていたが、なんだか元気がない。いつもなら、盛んに芸を見せてくれるのに、笑顔すらない。幸い暖かかったので、近くの神社に初詣。お賽銭箱に投げ入れるコインは5円玉がいい、、と思っているらしく、マヤパパはそれぞれの家族の人数分の5円玉を用意してくれていた。なんと気の利くパパだろう。ジャッキー家3人分、マヤ家3人分、そして私の分は当然1人分。それがやけに淋しかったが仕方がない。1人分で「憲さんが天国で幸せでありますように」と祈ってきた。

初詣から帰り、ジャッキーはお昼寝してしまい、とうとう最後まで元気なジャッキーではなかった。時差のせいだと誰もが思っていた。ところが。。。

夜になって、どうもジャッキーが熱っぽい。夜中には38,5度の発熱。おなかの調子もよくない。
インターネットで近くの救急病院を探す。幸い、近くに休日急患診療所がある。朝を待ってタクシーを飛ばした。新年早々、可愛そうなジャッキー。。

「おなかにくる風邪でしょう。お薬を出しますからね。。」とのこと。長旅の疲れが出たのだろう。しばらくゆっくり過ごせば大丈夫そうだ。

どうぞマヤにうつっていませんように。。と、それが心配。

大変な幕開けになったけれど、ドイツでは赤ちゃんのときに風邪をひくことによって抵抗力ができ、一生風邪に強くいられる。。と考えるのだそうだ。だから、留守宅のジャッキーパパに「ジャッキーが風邪なの!」と連絡しても、彼は大騒ぎはしなかったらしい。お国が違うと考え方がちがって、本当におもしろい。

離乳食の考え方だってずいぶん違う。ドイツではかんきつ類は2〜3歳にならないと与えないらしい。理由ははっきりしない。日本ではもう既にマヤもミカンを食べているというのに。。何が常識でなにが普通の考えなのか?こうなるとわからなくなる。固執しないで自分なりに判断してフレキシブルに生きていくのが一番なんだ、、と思う。


日本晴れの続くお正月。横浜からも真っ白な富士山が大きくくっきり見える。
暖かいお部屋でジャッキーがゆっくり確実に回復しますように。。。
2008年12月29日(月)
親子3代、帰国の途へ。。

29日、予定より早い帰国の日。今回はジャッキー母娘と一緒に帰るので、ベビーバギーや、いわゆるベビー外出用必需品がどっさりある。日本にたどり着くまで荷物を運ぶことと、まだ歩けないジャッキーを伴うことだけで相当な体力が必要だ。しかも家に近いミュンヘン空港から成田への便が年末から極端に減るというか、ほとんど間引き欠航状態なので、私たちはわざわざドイツの新幹線に乗って、フランクフルト空港まで行き、そこから直行便で成田へ。。という経路をたどらざるを得ない。。合計16時間に及ぶ長旅のはじまり。朝早くウルム駅までジャッキーパパの車で送ってもらい、そこからは女三人の旅になる。幸いすべて順調に運び、フランクフルトからのフライトは空席が多かったので、ゆったりと座れて有難かった。

ただし、ジャッキーはちょっとハイなくらいご機嫌で、騒ぎはしないのだが時間になってもなかなか寝てくれず、ママも私も多少疲れ気味。機内には同じような子供連れが沢山いて、海外に住む人の年末年始の里帰り風景が繰り広げられていた。そのお子さんたちのほとんどがハーフちゃん。スイスに住む人、フランスに住む人、ドイツに住む人。。様々だが、日本への里帰りはとても楽しみなようで、ウキウキした空気が流れていた。ジャッキーママの同期生、先輩なども数名お子さん連れで帰国されるようだった。

10時間半のフライト中はただただ、ジャッキーが他のお各様に迷惑をかけないように気を配るのが大変だった。彼女はいささかハイになっていてなかなか寝てくれなかったが、幸い泣き叫ぶことも無く、なんとか無事成田へ到着。今日はこれで済んだけれど、1月末、ジャッキー母娘だけでドイツへ戻る日はちょっと大変なんじゃないかな・・・と不安は残る。

日付は変わって30日朝8時半、晴天で暖かい成田に降り立ち、さあ、家へ。。という前にアクシデント発生。荷物を受け取る段階で、ジャッキーママのスーツケースが出てこない。ターンテーブルはむなしく廻り続け、人々は「じゃ、お先に。。」と去っていく。最後に一つ残ったスーツケースはママのとソックリなシャンパン色の人様のスーツケース。

「きっとソックリな私のを、だれかが間違えて持って行かれたんだと思います!なんとかして!」係の人に異常事態を告げ、残ったソックリさんのスーツケースにつけられた名札を確認すると、なんとママの先輩のものだった。「さっきフライト中にお会いして、ご挨拶したんだけど、あの方だ。。」

係の人が調べてくださるとそのソックリスーツケースにはキチンと名前、住所、電話番号が書かれていた。早速電話して係の人が確かめるとその方はもう既に、お迎えの車の中。もう少しで空港を出るところだった。「いらっしゃいました!間に合いました。いますぐこちらへ引き返すそうです!」

数十分後、やっとママのスーツケースが戻った。スーツケースに連絡先が書かれていたからよかったし、偶然お知り合いの方だったからよかったものの、お互いに連絡がとれなかったら、年末年始のこと、捜索はもっと複雑になり、大変なことになるところだった。不幸中の幸い。。しっかりと持ち主の情報は書いておくものだと、改めて思った。

そんなこんなで、横浜のうちにたどり着いたときは、3人ともぐったり。
ジャッキーは時差で、眠いのやら、眠くないのやらわからない、、といった表情で家中を這い回り、私たちはまず熱いお茶で一休み。「ああ、疲れた!!」
もともと年を越してから帰る予定だったから、お正月の用意はない。もとより一ヶ月半空けた家には、食料もほとんどない。

でもまあ、引っ越して一年足らずの家なので、大掃除も必要なく、まずみんなで一眠り。夕方になってから起き出してとりあえずの食料の買出しに。この家の有難いところは、とにかく冬暖かいことだ。太陽が差し込むリビングでは、朝から23度あり、夜、多少暖房を入れるだけ。日中はむしろ暑くて窓を開け放したくなるほどだ。

考えたら、家族でそろって日本で新年を迎えるのも久しぶりだ。この10年ほどはハワイ、ドイツ、日本とで家族がバラバラで新年を迎えることが多かったからだ。2009年のお正月は東京のマヤのお家でそろってお祝いする。ジャッキーパパだけは、ドイツでひとりぽっち。ごめんね。
2008年、孫と一緒の時間を沢山持てた嬉しい年だった。マヤ一家、ジャッキー一家の心配りだということは、わかっている。本当にありがたいことだと思う。個人的には、合唱団での活動も、フラのプロジェクトも周りの皆さんのおかげで続けることが出来てうれしい。本当にお陰様で。。なのだ。
来年もいい年でありますように。
2008年12月27日 (土)
只今、クリスマス真っ最中!

12月25日、朝から、ジャッキーパパとママが奮闘してガチョウの丸焼きを作った。クリスマス料理だ。内臓を取り出した
ガチョウにりんごを丸ごと2,3個詰めて塩コショウをして、金ぐしでお腹を縫い合わせる。それをオーブンで4時間かけて焼き上げる。ジャッキーママは初めての経験、パパは見よう見まねでやってみようというお互いに初心者だったから、大変だったけれど、予想以上の出来上がりだった。

この日のランチはガチョウの丸焼きと、紫キャベツの煮物、クヌーデルというジャガイモのお団子添え。ともかく立派なドイツ料理が出来上がった。といっても紫キャベツの煮物はジャッキーパパの実家からいただいたもの。伝統的なお料理でとてもおいしい。これを実家では大きいおなべにイッパイ作るのだそうだ。徐々に勉強して、ママもドイツ料理をこなせるようになりますように。。。

ご近所でも親戚が集まってクリスマスを祝っているのだろう、見かけない車が沢山泊まっている。ランチが終わった頃、近くをみんなで散歩する姿が見られる。こうしてみると、ドイツではそう太っている人はいない。背が高くて、サッサ足早に姿勢良く歩く。寒いからゆったりなんか歩いていられないのよ、、とジャッキーママは笑う。そうかもしれないが、姿勢がよくてカッコいい。

26日、まだクリスマス休みでどこへ行っても閉まっているから、みんなで家で過ごす。
今夜は、私からジャッキーのパパとママへのクリスマスプレゼントディナーの日。6時過ぎからおしゃれして二人だけで街へお出かけ。ジャッキーと私は、のんびりお家の暖炉の前で遊ぶつもりだったが、今日に限ってジャッキーは7時半過ぎに眠ってしまった。ホッとしたような淋しいような。。。

一人になった私は、帰国のための準備を始めた。年が明けてから帰国の予定だったが、調べてみると年明けのドイツから日本へのフライトがすべて満席だとわかった。これは大変!と急遽、29日にこちらを発つことになった。里帰りのジャッキーママとジャッキーと私の三人旅だ。

日本で二人の孫にそろって会えるのはめずらしいことなので、私にとってはうれしい。約一ヶ月間、一人で単身赴任先で過ごすことになるパパには気の毒だが・・・。

そして、今日27日。
ミュンヘンに出かけた。車で一時間半。親戚の家族とランチを共にするためだ。その家族の次女ミア(9歳)の後見人がジャッキーパパ。後見人は両親になにかあったとき、その子の面倒を見るということになっている。こちらにはそういう習慣があって、ジャッキーにも後見人がいる。

そんなご縁もあって、時々その家族とは食事をともにするらしい。今日のレストランは、ミュンヘンでも有名なイタリアンレストラン。オペラ座に近いそのお店は人で埋まっていた。私がいただいたのは、帆立貝のリングイネ。さすがに美味しかった。

その家族とはジャッキーパパ、ママの結婚式で私もお会いしている。ドイツの習慣で結婚式に招待された人たちは全員同じホテルに泊まり、2日続きのお祝いをしたので、お互いによーく覚えているのだ。ミアのお姉ちゃん、ステラも「結婚式で会ったよね」と、私のことを覚えていてくれたし、東京にいる孫・マヤのことも知ってくれていた。良く考えたらドイツに来ても親戚がいるわけで、本当にうれしい。

ランチのあと、久しぶりにミュンヘンの街を歩いた。この街を訪れるのは4度目。ビール祭りとして有名なオクトーバーフェストを心から楽しんだ憲さんとの思い出の街だ。

落ち着いていて大都会なのに、けばけばしくなく、しかも華やかでヨーロッパは、ほんとうに美しい、、と思う。またここに戻って来れたことがうれしかった。
2008年12月24日 (水)
クリスマスパーティ

今日はいわゆるクリスマスイブ。しかしドイツではこの日がクリスマスを家族で祝う日。残念ながら、今年は雪のないクリスマス。ホワイトクリスマスを期待していたのに。。
夕方から、私たちもジャッキーパパのご実家のクリスマスパーティにお呼ばれしている。毎年、ジャッキーママが握り寿司と、巻き寿司、それにお刺し身を作って持参することになっている。これは前菜として毎年リクエストされるほど喜ばれている。アボカドの入ったカリフォルニア巻き、太巻きもおいしそうだ。

ジャッキーママは、街の魚屋さんに前もって予約していた魚を今朝取りに行き、昼からお寿司作り。美味しい赤身のマグロとトロサーモンが入荷していた。エビも注文したのだが、なんと小さな芝エビのようなのが6尾だけ。。。これは茹でて巻物にいれるしかなかった。種類は少ないがとても美味しいネタが揃った。

ジャッキーパパの実家には二人の妹と一人の弟がいて、両親と5人で暮らしている。私も加えてもらって今年は合計9名のパーティになった。今年もジャッキー中心の楽しいひとときだった。赤と金をテーマカラーにしたクリスマスツリーが美しく、いつもながらセンスのよいインテリアにため息が出るようなパパの実家。テーブルセッティングなどは、プロ並みだ。お寿司の前菜のあとは、恒例のオイルフォンディュがメインのお料理。

贅沢にカットされたビーフ、ポーク、ターキーのお肉がお皿に盛られていて、それぞれのくしで刺して油で揚げていただく。これはチーズフォンディュと同じ。何もつけないでただ、肉を油で揚げるだけ。揚げただけで美味しいというお肉は、そうそう手に入るものではないらしく、エディットおばあちゃんが早朝にお肉屋さんに出かけて買ってきたものらしい。揚げたお肉につけるソースはおばあちゃんのご自慢レシピで、ゆで卵をベースにしたもの、ホースラディッシュ(西洋わさび)ソース、トマトをベースにしたものが用意されていた。私はホースラディシュが大好きなので、そればかりいただいた。パリッとしたバケットと共にいただくオイルフォンディュはとても美味しかった。

ここではドイツ語、英語、日本語が飛び交うが、ご実家の皆さんは「ありがとう」とか「カンパイ」くらいはわかる。ジャッキーはここでは日本名の「のりこ」と呼ばれることもある。日本と繋がっていることを喜んでくださっているのが伝わってくる。

すっかりジャッキーがこの家の中心になっていてうれしい。ピーターおじいちゃんが、幸せそうにジャッキーを可愛いがる姿をみていると、ここに憲さんがいないことが残念で胸が痛くなる。あと2年長生きしてくれたら、ジャッキーにもマヤにも会えたのに、、。ご実家のリビングルームに飾られた憲さんの写真が、今日もその様子を見下ろしていた。きっと一部始終を見て満足してくれているだろうと、私は信じている。私の娘たちには、会えなかったけれど、あなたたちにはもう一人おじいちゃんがいるのだということを、二人の孫に話し続けて欲しいと思う。

楽しければ楽しいほど、憲さんがここにいないことが残念だったりする。残されたものは年月がたつにつれて淋しさを感じる、、というのは、このことなんだろうか。。

お食事が終わると、クリスマスツリーの下に山と詰まれたプレゼントを一人ひとり手渡していく。映画で見る、あのシーンだ。私たちから実家のみんなへのプレゼントも今日持って行って、クリスマスツリーの下にそっと置いた。

交換されたプレゼントの中味は、劇場の入場券、お洋服、アクセサリー、本、目覚まし時計、レストランの食事券、エステの券、指輪、スカーフ、気に入った写真を入れた写真たて、化粧品、ノートパソコンなど。。

私は実家のご両親から日本語の説明もついたドイツの写真集。ジャッキーパパとママからムーンストーンの指輪とビーズがキラキラ光るブルーのセーターをもらった。クリスマスの夜にこんな素敵なホームパーティの一員として参加していることに、感謝感謝である。
ジャッキーが皆からもらったプレゼントは、自分で運転できるおおきい車、なぜか恐竜のぬいぐるみ、初めてのアクセサリー(ブレスレット)、冬用ジャケット、お洋服、とおもちゃ・・・。

ジャッキーがあんなにも実家で可愛がられ、大事にされていて本当にうれしい。私のジャッキーへの想い、愛情をドイツのファミリーと分かち合えることが、どれだけ有難くうれしいことか。。憲さんがいなくなって悲しいけれど、新たな家族が増えるということはこういうことなんだ、、と思う。
こういう日は少なからず、複雑な気持ちになる。
2008年12月22日 (月)
サプライズ!!

クリスマスが近い。なのに、こちらのクリスマスマーケットは21日で終了。そういう習慣なのだそうだ。街では各家庭用の買い物に忙しそうだ。昔の日本の歳末に似ている。人口密度の関係か、すさまじい雑踏はないが、とにかく人出が多い。クリスマス休暇に入るとお店もクローズしてしまうから数日分の食料を買い込む。

日本は一年中スーパーが開店しているようになったり、コンビニ全盛になってから、歳末の様子が激変した。温暖化で寒くない歳末も多い。昔はお正月の準備をするころは、寒いものと決まっていたのだが。。。

こちらも温暖化の影響なのだろうか、雪ならぬ小雨がふっている。みんなが楽しみにしているホワイトクリスマスが望めるとは思えない。とにかく今日は街中の雪が溶けてしまっている。外気温が6度もあるのだから・・・昨日予定していたパパのスキーもなんと、雨のため中止。

今日はジャッキー母娘と三人でいろいろお買い物に出た。こちらでは水道水が飲めないので、ボトルの水を常に用意する。ヨーロッパ人が好きな炭酸入りの水、そしてミネラルウォーター。
これを買うのが一仕事である。つくづく日本は住みやすく出来ていると思う。水道水がそのまま飲めるなんてホントに素晴らしいことなのだ。

今日はジャッキーがベビーカーの中で哺乳瓶を抱え込んでミルクを飲み、満足してそのままお昼寝してしまったので、買い物がはかどり、ジャッキーママとおいしいランチも、コーヒータイムも楽しめた。ありがとう、ジャッキー!

途中でお店に電話をしてみると、ムーンストーンの指輪がすでに出来上がっているという。
ワクワクしながら早速取りに行った。うれしいことに希望どおりに出来上がっていた。むしろ予想より温かみのある厚みとオレンジっぽい輝きのある石でうれしかった。私の指に合うようにさらにサイズの調整をしてもらってホッとしていたら、なんとジャッキーママがさっと自分のカードを提示して代金の支払いを済ませてしまった。

「あれ?何してるの?」「うん、いいのいいの、これは私たち夫婦からのクリスマスプレゼント!」まあ、なんということでしょう!まったくサプライズのプレゼントだった。うれしかった、本当にありがとうね!!
24日のクリスマスイブに、クリスマスプレゼントとして改めていただくことになった。

ジャッキーの前髪が伸びて、目に入って困っていた。結わえても、ピンで留めてもす自分で取ってしまう。今日は少し時間があったので、急だったけれどママのヘ行きつけのアサロンに飛び込んで、カットをしてもらうことにした。ママのお膝の上で、初めてのヘアカット。フレンチカットというボブスタイル風。見ようによっては日本人形の髪型だ。この髪型になったとたん、ジャッキーママの赤ちゃんのころにソックリに見えた。

あしたは、ジャッキー一家のクリスマスツリーの飾りつけ。そして本格的にクリスマス休暇に入る。24日は、ジャッキーパパの実家へお呼ばれ。25日は家族で過ごす、この日、ママはガチョウの料理に初挑戦する。26日もミュンヘンに出かけるとか、なにかと予定があるらしい。たのしいクリスマスになることだろう。

私のドイツ滞在もあと少しになった。ジャッキーとジャッキーママと共に三人で帰国する。
ジャッキーパパの単身赴任もあと少し、来年の春にはフランクフルトに近いウィズバーデンに一家はお引越しする。2月からはお家を探したり、大仕事が待っている。その前の里帰りだ。久しぶりの日本で過ごすお正月を、ジャッキーママはとても楽しみにしている。
2008年12月19 (金)
アナベル

朝9時、毎週お掃除をお願いしているアナベルがやってきた。彼女はポルトガル人だそうだが、幼稚園に通う娘さんがいる主婦である。毎週二時間、その都度お願いする部分を丁寧にお掃除してくれる。たとえば「今日は窓ガラスを主にお願いね、とか、バスルームとキッチンをお願い、とか今日はタイルの床を水拭きしてください!」という風にである。

アナベルはポルトガル語とドイツ語を話すのだが私とは共通の言葉がない。従ってほとんどジェスチャーで通す。なぜかアナベルが来る日はジャッキーとジャッキーママが子供クラブなどに出かける機会が多く、家の中で彼女と私が二人きりになることが多い。今日も6種混合ワクチンの注射を受けにジャッキー母娘が出かけたのでアナベル相手に少しお話をした。

「娘さんの風邪は治った?これから幼稚園に迎えに行くのね。。気をつけてね」などと英語で言いながら、ジェスチャーで意思を伝える。アナベルもドイツ語で答えてくれる。多分心は通じているはずだ。きちんと2時間掃除をし終わると「じゃ、また来週ね、、チャオ!」と帰って行く。

この家は若い家族の住まいだから、ドイツ人の家としてはそんなに大きい方ではない。しかし私から見ると非常に広い。地下に洗濯室と広い倉庫部屋が二つ、一階に広いリビング、ダイニング、キッチン、トイレ、二階に大きいバスルームと子供部屋、2部屋続きのメインベッドルーム。三階に仕事部屋を兼ねた寝室。。とにかく階段も多く、掃除機を持ち運びするだけでも大変なのだ。ましてジャッキーの世話をしながら、掃除が行き届くようにするのは至難の業。そこで一週間に一度お掃除の人をお願いすることにして、大いに助かっているようだ。

午後からジャッキー母娘と三人で街に出かけた。
ママはクリスマスに焼く「ガチョウ一羽分」を専門店で予約にするのが主目的。私の目的は例のムーンストーンの石を見定めに行くことだった。ガチョウの予約を入れた後、いよいよアクセサリー職人さんのお店へ。マイスターの奥さんが今日は「ハイ、ナカムラ!」と満面の笑みを浮かべて迎えてくれた。「石が幾つか入りましたよ、、」と今日は商談のテーブルではなく、照明に照らされた小さいテーブルに案内された。その上にうやうやしく、9個のムーンストーンが乗せられていた。

直径1センチくらいのまんまるの小さ目のムーンストーンが6個まとめておかれている。それぞれに色も、丸みも、厚みも輝き具合もちがう。その中のひとつを指して「これが貴女の言っていたのに一番近いと思いますよ。どうですか?」と勧めてくれた。確かにきれいだし、スターといわれる鮮明な輝きがその石にはあった。でもどうもその石には心が動かなかった。失くした石にも似ていなかった。ちょっとブルーがかった石が二つ、その傍に置かれていた。その二つには全く目が向かなかった。

たった一個だけ分別して置かれていた大きい石が気になった。私が失くしたムーンストーンよりずっと大きいし、厚みも丸さも違う。「私の失くした石と似てはいないけれど、私はこの輝きが好き。。」というと、マイスターの奥さんは「貴女の目を見ていてすぐ、わかりましたよ。これを見ている貴女は幸せそうだったもの。。。そうね。これがいいわね。では台はどんな風にしましょうか?」
すべて私の願いを聞き入れてくれた。石も大きいのに決めたことだし、お値段が吊り上げられるのではないか??と心配したが、「もちろん、この間お話し合いしたとおりでお作りしますよ」とのこと。

今までの経験では、見積もりと実際の値段が違う(高くなる)ことが多く「あれ?」と思うのに、半分その気になっているから引き返すこともできず、結局高いものを買ってしまう、いや買わされてしまうケースが多い。しかし最近ハワイでの改装に関しても、かなり無理を言ったのにも関わらず、見積もり以上の請求は一切なかった。今日このドイツででも、一旦交渉してまとまった話は一貫して変わらない。。という経験をした。気持ちがいいものだ。

今日はジャッキーパパが日本出張から帰って来る日。日本からのお土産もたのしみ。ジャッキーママはおせんべいや、お漬物を買ってきて欲しいと頼んだという。やはり我々日本人は、ホッとしたときに日本茶を入れて日本のお菓子を食べるのが最高の楽しみなのだ。外国にいると日本人でよかったと思うことが多い。それなのに、すぐ外国へ出かけるのはなぜ??おそらく、そのカルチャーの差のはざまで生きていくのが好きなのだと思う。
本当にびっくりすることばかりで、面白いんだから!
2008年12月16日 (火)
ムーンストーン

だんだん寒さが増してくる。霧が立ち込めてあたりが真っ白になると、木々の枝に氷がつき、いわゆる霧氷ができる。太陽が出るとそれがキラキラ輝く。結晶がはっきり見えるくらいのサラサラのパウダースノーも間近でみると輝いていて美しい。ここの雪では雪合戦ができない。サラサラで雪の玉が作れないからだ。久しぶりで雪を食べてみた。確かに雪の味というのがある。懐かしくて、おいしかった。。。。

ハワイからメールが届き、家の改装がすべて終了したとのこと。何枚もの写真が添付されていて、それを見る限りでは満足のいく仕上がりだった。依頼してある代理人が工事の様子、状況を報告してくれていたから安心してお任せできた。それでもいろいろ気がかりだったが、約2ヶ月かけた改装が無事終了してホッとした。来年2月に生まれ変わった我家を見るのが本当に楽しみだ。

こちらに来ても、ごく普通の生活をしているので、取り立てて何も特別なお買い物はしていない。買うとしても入浴剤とか、ちょっとしゃれたキッチン用品などヨーロッパ風の小物類だけ。お洋服と靴は、ほとんどサイズが合わないから、最初から諦めている。

6年ほど前、ドイツのある町で憲さんに買ってもらったピアスが大変気に入っている。高価なものではなく、丁寧に作られていて付け心地もよい。銀色の金属にハメタイトが埋め込まれていて、地味だけれどさりげなくチカチカと光る。ことあるごとに私はそれをつけている。マイスター(職人)が作ったもののようだ。その思い出があるので、ドイツで職人の手によって作られたアクセサリーが欲しいと思っていた。ここメミンゲンの街にアクセサリーの職人さんの店があると、ジャッキーパパが教えてくれた。是非そこへ行ってみたいと思った。

実は数年前、私は大好きだったムーンストーンの指輪を失くしてしまった。指にしっくり馴染んで、とても気に入っていたのだが、フラのレッスンのときに何を思ったかその指輪をはずし、バッグに入れたつもりだったのだが。。。それきりになってしまった。私はそそっかしい割には物持ちのいいほうで、今まで紛失したものはほとんどない。それなのにヨリによって、とても気に入っていたものを失くしてしまったのだ。その指輪のことを、またまた鮮明に思い出させてくれたのが、先日ジャッキーママに会いに来たお友達カリンだった。ふと見るとカリンの指につややかに光るムーンストーンの指輪が。。それを見たとたん、またまたあの指輪を思い出してしまった。

そこで今日、ジャッキーママにアクセサリーの職人さんのお店へ連れて行って貰った。うっかりすると通り過ぎてしまいそうなくらい普通のお家のようなお店だった。なんとなく近寄りがたい雰囲気だった。その上「御用の方は呼び鈴を押してください」などと書かれている。思い切って呼び鈴を鳴らすと大柄な中年の女性が現われた。「何をお望みですか?」「あの、ムーンストーンありますか?」ショーウインドウもない。丸いテーブルに椅子が4脚ほど置かれていて、そこで商談をするらしい。足を踏み入れた以上、引き下がれない。ちょっと勇気を出して、ジャッキーママとベビーカーのジャッキーと三人で商談?のテーブルについた。なんでも「当たって砕けろ式」の私のこと、とりあえずこちらの希望と予算を伝えてみようと思った。「ムーンストーンの指輪が欲しいのです。昔失くした指輪に似たのが欲しい・・」そういうと話は早かった。

マイスター自ら用意してくれたリングの見本や本物の石を参考に伝えていく。「石はこんな形、そうそう大きさはこれくらい、うーん、石の厚みはこれくらいね、指輪の台は銀製で、こんな感じ。。そうそうとてもシンプルなものでしたね。それに石の色はとても明るいものでした・・」など条件を出した。大柄な中年女性はマイスターの奥様で、幸い英語が通じた。

なんとか私の予算以内で、思い通りのものが出来たら嬉しいんだけど。。と粘った。イタリアとドイツで修行をしたというマイスター夫妻がとても親切でうれしかった。

その結果「貴女のお望みのムーンストーンは今この店にはありません。でも、明後日には仕入れることが出来ます。石が入ったらお電話しますから、サイズも色も貴女の望みどおりかどうか、もう一度見に来て下さい。それで気に入ったら、あなたの予算でお作りしましょう。完成まで2日間ほどかかります」ということだった。今は円高!だという嬉しい条件もあるのでもし、石自体が気に入ったらお願いしようと思っている。貴金属ではないから、お手ごろ・・。

あれ以来、気になっていたムーンストーンの指輪がこんな形で戻ってきたら、これほどうれしいことはない。マイスターの手によって作られる、世界でただ一つの指輪。。。明後日、その石を見に行くのが楽しみだ。
2008年12月14日 (日)
ウルムのクリスマスマーケット

夜、車で40分ほどのウルムという街の、クリスマスマーケットに連れて行ってもらった。ウルムはこの辺りではかなりの大都市で、在住の日本人も多い。ジャッキーママはこの街の日本人会に入っていて、一ヶ月に一度ミーティングがあるのだそうだ。

ウルム市内にはドナウ河が流れている。私は、ドナウと聞いただけで嬉しくなってしまう。もちろん「ドナウ河の漣」を連想するからだ。ウルムの大聖堂の前の広場のクリスマスマーケットは、規模が大きかった。ミルクを流したような霧が大聖堂の塔の半ばまで降りてきていて幻想的だ。外気温は3度、そんなに寒いとは思わない。風がないせいだろう。

もちろん私は厚手のダウンのロングコートにブーツ姿。手袋ももちろん必携。コートの下は家にいるときと同じ服装である。たとえ氷点下になっても、こちらの人たちは元気に外へ出て行く。ジャッキーも完全防寒スタイル。ベビーカーは厚いダウンのベッドのようになっていて、お帽子をかぶり顔だけを出している。ドイツのベビーは皆こんな感じで、外出する。

大きいホットドッグにかじりついている人、ホットワインを飲みながら談笑している人、買い物をしている人。それぞれがとても楽しそうだ。私はやはり焼き栗が好きだ。やけどしそうに熱い皮をむいて、口に放り込む。。ホクホクと甘さが広がる。日記を読んでくれている友人から「ドイツの甘栗おいしそうね。。」とメールが届いたけど、甘栗じゃないのよ、焼き栗なのよ!ドイツ語でマローネ。そう、フランス語でマロン・・・ね。

こちらの人たちは、クリスマスに命を懸けているといっても過言ではない。今年のクリスマスツリーは何色で飾ろうか?キャンドルはどれにしようか。。などということが、おおいなる関心事のようだ。
今年は茶色が流行りだそうで、ジャッキー一家も茶色をベースにデコレーションを考えるらしい。流行って、一体誰が決めるんだろう?

そんなに凝っても、クリスマスツリーを実際にお家に飾るのはクリスマスのすこし前。意外なほど、飾っている期間は短い。去年はたしか21日だった。日本や、アメリカのように早い時期からツリーを飾ることはしないようだ。そしてクリスマスが済んだらすぐに片付けてしまう。

ドイツのローテンブルグに一年中クリスマス用品を売る専門店が昔からある。他の季節にもそんなものを買う人がいるのかしら?と不思議に思っていたが、今になってその存在価値がわかる。彼らは一年中、次のクリスマスのことを考えているのかもしれない。

ドイツでは24、25、26日の3日間がクリスマス。だからそれぞれこの3日間をどう過ごすか。。というのがもっぱらの話題らしい。日本で言えばお正月の三が日というところだろうか。

もう一人の東京の孫、マヤに初めての歯が生えたとメールがあった。
おめでとう!マヤ。赤ちゃんの成長は目覚しい。ジャッキーは、3本目の歯が見えてきた。

私もあと3週間足らずで帰国だ。帰りのフライトはジャッキーとジャッキーママが一緒の予定。二人は横浜で約3週間滞在する予定。今からマヤとジャッキーの再会が楽しみだ。

二人はお互いの存在を意識しあえるようになっているだろうか・・・。
2008年12月11日 (木)
暖炉と焼き芋

12月に入って、この辺りにも雪が積もり始めた。日本で雪。。というと、特に都会ではすぐに交通機関が乱れるし、スリップ事故でけが人は出るし、とかく災難が多い。なるべく雪は降って欲しくない。

けれどこちらでは、みんな雪を待ち焦がれているようだ。確かに白銀の世界は美しい。すべての施設が寒冷地仕様にできているから、雪が積もっても不自由はしないらしい。車もスリップしないし、道路の雪はすぐに除雪車が取り除いてくれる。粗い粒の塩も一緒にまいてくれるから凍結もしない。ただし、その塩が車体に影響しないのか?心配になる。ハワイでは海からの潮風で車の傷みが早いから、頻繁に洗車をしなくてはならないのだが。。そのあたりもドイツ車はしっかりとプロテクションがあるのかもしれない。

このところジャッキーママの風邪が本格的になってしまい、高熱が出始めた。病院で抗生物質を処方されすこし回復してきた。出来るだけママが休めるようにと私も心がけるのだが、ジャッキーがかなりきかん坊になってきていて、まあ大変。病気になっても満足に休めないのが母親。強くなるしかない。

近頃の私の日記の内容が食べ物のことばかりで、ずいぶん変わってきたね。。と言われた。読み返してみたら、本当にそのとおりで、われながら驚いた。

今日聞いた話で、ドイツの主婦が作るクリスマス用のホームメードクッキー(プレツヒェン)について、興味深い話があったので今日もまた、書きとめたい。ドイツのお母さんたちはプレツヒェンと呼ばれるクリスマス用のクッキーを大量に焼いて、お客様に出したり、知り合いに配ったりする。ジャッキーママは今年から、そのプレツヒェン作りに挑戦すると張り切っている。材料も、調理道具もこれからそろえるので大変だ。

お菓子作りは私も一通り経験したが、出来上がったものが美味しかったためしがない。ついに、買った方がきれいで美味しい。。という結論に達した。そんな思い出があるので、今回もジャッキーの面倒を見る役にまわることにした。プレツヒェン初挑戦のママ、頑張れ!!である。

ドイツは何事も伝統を重んじる国で、このプレツヒェンの形一つにも決まりがあるという。たとえば、シナモン味は星型と決まっていて、それには必ず白いアイシングが乗っかることになっているし、月型はバニラアーモンド味で表面に粉砂糖をまぶして月の色を表現する、、など。自分勝手に型を抜いて作るのではないのだそうだ。何種類かを沢山焼いて、クリスマスシーズン中、みんなでたのしく味わうのだそうだ。

今夜、雪明りのご近所を歩いてみた。雪景色がこんなにも幻想的なものなのか、、と思うほど美しかった。きれいな家並みの地味ながらしゃれたクリスマスのイルミネーション、外向きに惜しげもなくカーテンが開かれたリビングルームの美しさは圧巻だ。どうしてこんなにセンスがいいのだろう、、と思う。下手なショウルームなど顔負けだ。まず、照明がすばらしい。私たちも大いに学ばなくちゃ、、と思う。

暖炉に火が入っているのだろう、外を歩くとほのかに煙の香りがする。使う薪(まき)もそれぞれに家庭によってこだわりがあると聞いた。薪が燃えるときパチパチはじける音を好む人、燃えるときの香りにこだわる人。。。ジャッキーのうちも秋のうちに”木こり”さんが運んでくれた、きれいに切りそろえられた大量の薪が倉庫にしまわれている。暖房はセントラルヒーティングと床暖房で家中暖かいから、暖炉に火を入れるのはあくまでも楽しみの一つ。そのうちの主人が暖炉を焚き、その火を守るのだ普通だ。

私たちの横浜の前の家にも暖炉があった。憲さんと私の夢だった暖炉を焚いて冬を過ごした日が懐かしい。憲さんはその素敵な夢の暖炉で、子供たちに焼き芋を焼いてくれた。冬にお呼びしたお客様にも焼き芋をお出しした。意外なデザートで、いつもお客様はびっくりしたっけ・・。そんな思い出が急に湧いてきて、ちょっとジン。。とした。

ドイツの冬、ちょっと寒いけれど本当にロマンティックだ。
2008年12月7日 (日)
冬の香り・焼きりんご

ウソのように口内炎の痛みが消え、快適な日々が戻ってきたと思ったら、今度はジャッキーママが熱を出した。喉が痛い、、という。風邪のようだ。ジャッキーも多少鼻風邪気味だが、こちらは大変元気でいまのところ、心配はない。

パパは友人とスキーに出かけた。このあたりの雪はすっかり溶けてしまっているが、山の方はいいコンディションの雪が積もっているという。パパはスキーの国際インストラクターでもあり、スキーが大好き。冬になるとじっとしていられなくなる。いずれジャッキーにも仕込もうと、その日を楽しみにしている。
スキーの道具をとても大事にしていて、その調整を怠ることはない。昨日も専門店にでかけて道具の調整をしてもらったようだ。

スキーにでかけると言っても、スケールが違う。家から車で2時間も走れば、オーストリーやスイスのスキー場だ。日帰りで世界有数のスキー場に行けるわけで、ウインタースポーツが好きな人には、たまらないだろう。ジャッキーも来年あたり、まずはそり遊びから始めるようだ。

一方、多少の熱があっても、のんびりと休んでいられないのが母親。ジャッキーママは今日は私と一緒に”焼きりんご”を作った。バター、サトウ、蜂蜜、シナモン、それにアーモンドパウダーを加え練ったものを芯を抜いたりんごに詰めてオーブンで焼く。オーブンから流れ出す甘酸っぱい香りがキッチンに満ちて幸せな気分になる。スキーから帰ってきたパパも一緒に、アツアツの焼きりんごにホイップクリームを添えていただいた。アーモンドとシナモンそれにりんごの香りが相まって『外国の冬の香り』がして、ちょっと贅沢なおやつになった。

ジャッキーパパはスキーもするし、ジョギングも、マウンテンバイクでツーリングも楽しむ。スポーツのあとの洗濯が、これまた大変。かさが高いうえに、素材もバラバラだし、様々な色が混じっているから分別が大変だとママはいう。こちらでは色の薄いものを洗う洗剤があり、別に黒いものを洗うための洗剤がある。色別に分けて洗うのはよくあることだが、洗剤まで別だとは。。その洗剤がどこがどう違うのか?私にはわからない。生活の中の小さなこだわりにもその国らしさがあっておもしろい。

アメリカでは洗剤などは、ケミカルなものを使っても、多少強めの薬品を使っても平気と言うところがある。ドイツでは環境と体にやさしいこと、というのがまず第一。なるべく自然に近いものを使って、自然な形で。。ということを大切にする。香りなどもそうだ。アメリカの芳香剤などは、これでもか。。の香り。こちらは、自然の香り。私などは気がつかないうちに、アメリカに近い志向になっていることに、改めて気づかされる。

日本はその点ありがたい。その気になればいつでも、どこの国のものでも、手に入る。好きな生活様式を選ぶことも出来る。これはすごいことだと思う。外国人が日本を好きになる一因がそれだと聞いたことがある。
世界中の料理が食べられるし、食材も、商品も揃っている。良く言えば何でも柔軟に取り入れる日本という国の特徴なのだろうし、個性がなくなる原因にもなる。

そんな日本での生活を楽しんでいるもう一人のお婿さん、東京のマヤパパが最近ランニングに精を出しているという。来年の東京マラソンの出場権が抽選で当たったのだそうだ。なんと競争率7、5倍なのだという。「それはすごい!頑張ってね!」と激励したものの、42、195キロは大変よ。。マヤパパ、大丈夫なのかな?と心配になる。でもまあ、出場権が得られた事自体、ありがたいことでいいチャンスだ。是非、楽しく頑張って欲しい。マヤとマヤママは揃って応援に駆けつけるそうだ。来年3月22日らしい。その日、日本にいれば、もちろん私も旗でも振って彼の応援団の一員になるつもりだ。

私はどちらかというと、彼がホノルルマラソンに参加する日を心待ちにしている。
来年あたりどうかしら?
2008年12月6日(土)
ついに病院へ

今日12月6日は、ドイツでは聖ニクラウスの日。 ドイツでは12月25日ではなく、12月6日にプレゼントを貰う習慣がある。プレゼントを持ってくるのはサンタクロースではなくて「ニクラウス」。街中にあの赤い帽子に白いおひげのサンタさんのディスプレイがあふれているのに、どういうわけか呼び名は「ニクラウス」だ。ジャッキーも今朝、赤い靴下に入ったニクラウスからのクリスマスプレゼントをもらった。もちろん両親からと私から。。ジャッキー一家は12月25日の朝にもプレゼントをもらうのが習わしで、6日は小さなプレゼント、25日が本格的なプレゼントがもらえる日。ここでは、ニクラウスさんもなかなか物入りで大変だ。

昨夜、中国出張から帰ってきたパパは、午後から本物のもみの木のクリスマスツリーを買いに行った。もうすぐお部屋の中に背の高いクリスマスツリーが飾られる。今年の一家のクリスマステーマカラーはゴールドだそうで、金色のガラス玉が沢山用意されるようだ。窓ガラスにシールを貼ったり、部屋のあちこちにキャンドルを飾ったり、家の中の小物もクリスマス又は冬仕様に変わる。たとえばマグカップ、コスター、紙ナプキン、各部屋のデコレーション。。長い冬をお家で楽しもうという気持ちからだろう。大人が心から楽しそうにクリスマスの準備をしていて、見ている私も楽しくなってくる。子供たちはそこから生活習慣を学んでいくのだろう。

私はといえば、先日からの口内炎の痛みがとれず、昨日は話すことすら億劫なほどになっていた。買った薬も効果がなく、ますます炎症が大きくなるような気がする。ジャッキーパパが「それはヘルペスかも知れない。欧米では罹患率が多いから、きっとウイルスをもらったのかも。。。最近、この辺で誰かとキスをしなかった?」などど冗談まじりに脅かすものだから、いよいよ心配になった。そういえば、ジャッキーとはしょっちゅうキスをしている。ジャッキーに移したらそれこそ大変。。。パパがドクターの予約をしてくれて、とうとう病院へ行くことになった。ジャッキーママが付き添ってくれた。

午後4時の予約時間少し前に行くと、まだ入り口が閉まっていた。「4時に戻ります」と張り紙があった。都合のいいことに病院の真ん前が、この街一番のケーキ屋さん。4時まで少し時間があるから、、と二人でお店に飛び込んだ。ここは小さな町のケーキ屋さんとは思えない豪華なお店で、ウエイトレスも美人ぞろい、サービスも満点でいつも賑わっている。いつもはコーヒーだが、今日は気分を変えて、生クリームをたっぷり浮かべたホットチョコレートをオーダーした。診察前の緊張がほぐれたような気がした。

病院のドアは4時きっかりに開けられた。完全予約制なので待たされることもなく診察室へ。ここもドイツらしくクリーンで床はピカピカ、窓ガラスは一点の曇りもなく、気持ちのよい内装。照明も病院とは思えないほど凝っている。日本の病院の待合室でよく見かける、沢山の張り紙などここでは見当たらない。

ジャッキーママの通訳で私の症状を話したあと診察。先生曰く「あ、これはヘルペスではないですね。アフタ口内炎だね。ちょっと痛いですが、我慢してね、ハイ。アーーン」(これくらいのドイツ語は私にもだいたい勘でわかる)。先生は綿棒にたっぷりとヨードチンキのようなものを含ませると、舌の裏にできた口内炎のヒリヒリ患部に塗りこんだ。

もう、痛いなんてものではない、頭がしびれるくらいの痛みだった。治療はこれだけだった。ふと気がつくと、あのしつこかった痛みが消えているではないか。。この荒療治のおかげだ。。ここ数日の辛さがこんなに簡単におさまるとは。。

今夜はジャッキーパパの手料理をご馳走になる日。以前に作ってもらってとても美味しかったナスとトマトのチーズ焼きをリクエストした。手間のかかる料理なのだが、実に丁寧に作ってくれた。荒療治のおかげで痛みのなくなった私は、大喜びで沢山いただいた。前菜にと作ってくれたパルメザンチーズをオーブンで焼いた「チーズせんべい」。。これも美味しかった。

一日を終えて、私はジャッキーママにお礼を言った。
「今日は病院に連れて行ってくれてありがとう。本当に助かったわ」
「いえいえ、どう致しまして・・ママには私もよく(病院に)連れて行ってもらったものね。私、結構弱かったから。。」そんな言葉が返って来るとは思いもしなかった。なんだか胸があつくなった。

考えてみたら、娘に付き添ってもらって病院に行ったのは、私にとって初めての経験だった。ついこの間まで、子供を連れて病院通いをしたものだったのに。。ついに立場が逆転してしまった。これからは娘たちに心配をかけないようにしなくては。。と心から思った瞬間だった。
2008年12月3日 (水)
食欲旺盛。。。ドイツの冬

この頃めずらしく食欲旺盛な私だが、やはり体調が狂ったのか口内炎が出来てしまった。
舌の付け根の裏側で、ここ3日ほど痛い。ビタミンBを飲んでいたが一向によくならない。今日はついに街の「アポテケ」(薬局)で、塗り薬を買った。これで早く痛みが取れて、治るといいんだけど。。。

こちらには、手軽に薬品が手に入るドラッグストアのようなものはなく、薬は「アポテケ」というお店で厳格に売られている。昔、日本でも薬局というのはこういう感じだった。薬剤師さんがお客の相談に乗ってくれて、おもむろに調剤してくれたものだ。ドイツにはそんな懐かしい風景が残っている。

口内炎を患っていても、私の食欲はそのままで、イタイイタイといいながら、今日のランチは、べトナム人の経営する「アジアン ワック」というお店でワンタンスープと焼きソバ、ショプスイをジャッキーママと分けっこしたし、お買い物の帰りに、クリスマスマーケットに寄って、名物の「焼き栗」を買った。香ばしいアツアツの栗の皮を割って丸ごと口に放り込むと、ヨーロッパの冬!という気がする。ウィーンの街角で食べた焼き栗も美味しかった。ただ香ばしく焼いただけの、自然の甘みがなんともいえない。焼き栗屋のおじさんの風貌がまたいい。。昔のおとぎ話の絵本に出てくるような、メガネをかけたおじさんで胸当てのついたエプロン姿。注文すると、アツアツの栗を上皿天秤はかりで分銅を使って量ってくれる。ロマンがあって、ふと絵本の中に紛れ込んだような気がする。

今日でクリスマスマーケットが開かれて3日目。メミンゲンの街もクリスマス一色になリつつある。こちらでは11月の感謝祭の習慣がないから、ハロウィーンが済んだら次はクリスマスを待つだけ。その点アメリカとは違う。

去年は生まれたばかりのジャッキーを連れて、クリスマスマーケットに出かけた。あれから一年たって、ジャッキーもすっかり変わった。喜怒哀楽がはっきりしてきて、怒りもするし、大喜びもするし、時にはこちらのご機嫌をとったりもする。離乳食は洋食より和食系が好きなようで、しらす味のおかゆなどは、お代わりを欲しがるほど。「そりゃ、和食が美味しいよね。私もそう思う。。」とジャッキーママも私も納得。

ジャッキーパパは今、中国・北京に出張中だ。毎日電話があり、彼の様子がわかる。彼は以前に中国でお腹をこわしたことがあり、その原因が「さしみ」であったことがわかっている。私自身も何度も中国へ行っているが、絶対になま物は食べないようにしている。海外へ行く人の間では、そんなことは半ば常識になっていることだから、彼も今回は用心しただろうと思っていた。ところが「なんか、このところお腹が痛い。。」という電話。「パパ、まさか『さしみ』なんか食べたりしてないでしょうね?」とママ。「うん、食べてないよ。。握り寿司を食べただけ・・」「?・・・」もう、何をかいわんやである。やはり、パパも和食が好きなのだ。それはわかるけど・・・

今週の金曜日に中国から帰国するパパが、その日の夕食に。。と電話でリクエストしてきたのは、なんと「お好み焼き」。パパの好物である。かんたんに「お好み焼き」といっても日本で準備するのと違って、こちらでは結構大変。キャベツはとっても固くて、どんなに細かく切って生地に混ぜて焼いても、しっくり来ないし、お肉も日本のように薄切り肉がないから、なんだかモソモソするし、お味の出るイカもエビも冷凍だし。。。それをなんとか日本で食べるような風味に仕上げようというのだから、ちょっと工夫がいるようだ。
海外暮らしもラクではない。。

今日はアジアンフードのお店で、貴重品のように並べられている、もやしとサトイモを買ってきた。明日はこれでまた和風食を楽しめる。なぜか、ここのサトイモはおいしいのだ。一体、このサトイモ、どこから来ているのだろう?

来年の春、ジャッキー一家が引越しをすることになっているフランクフルトは国際都市だから、日本食に事欠かないだろうし、ジャッキー一家の世界も広がることだろう。日本食も豊富だし、お好み焼きやさんだってある。
ジャッキー一家にとっては楽しみなお引越しになりそうだ。
2008年11月27日 (木)
ムール貝とめざし

今日は外気温がとても低く感じられる。お家にいるとわからないのだが、太陽が出ているのに今日は外が寒い。−2度Cくらいだという。さすがに冷える。これから少しずつ寒くなっていくらしい。私はアラスカで2年間暮らした経験があるので、相当寒くても驚くことはない。氷点下20度の日などざらで、氷点下10度の日は「今日は少し、暖かいわね」とご近所で話し合うような土地柄だったのだから。。
アラスカに比べればドイツの寒さは大したことはない。

その寒さの中、お昼にジャッキーママとジャッキーとでマクドナルドへ。。。ドイツのマックもハワイのマックももそう変わらないのだけれど、コーヒーの味だけは全く違う。断然ドイツのほうが美味しい。ハワイのはいわゆるアメリカンで、ほとんどコーヒー本来の香りとコクが感じられないけれど、ドイツのは適当にほろ苦く、とても美味しい。

ところで日本のマックのコーヒーってどんな味だったっけ??考えてみたら、二人とも日本のマックとは久しくご無沙汰していることが判明。今度帰国したら、是非行ってコーヒーを飲んでみようと思っている。

ジャッキーママのお得意のお料理にムール貝のクリーム煮。。というのがある。この名前は私が勝手につけたものだが、これが本当に美味しい。
以前、ベルギーへ行ったとき、ブリュッセルのレストランでバケツ山盛り一杯のムール貝の名物料理を食べたことがある。憲さんもそれが大好きだった。以来、ムール貝をおなかいっぱい食べてみたいと憧れのように思っていたら、なんとジャッキーママがおいしい料理法を知っていて、作ってくれた。

新鮮できれいなムール貝が手に入ると、深いおなべに一杯のクリーム煮を作ってくれる。ニンニクや玉ねぎ、にんじん、長ネギなど野菜も入るが、なんと言ってもメインはぷっくりしたオレンジ色のムール貝の身。白ワイン、生クリームとマスタードなどで味をつけるらしいのだが、貝からでるお味がなんとも言えず、固いフランスパンにスープをつけて食べるとそれだけで立派なディナーになる。

ジャッキーパパとママは白ワインを楽しみながら、飲めない私は「メゾミクス」というオレンジジュース入りのコーラを飲みながら、ムール貝を堪能する。

フォークもスプーンも、もちろんお箸もいらない。最初に食べたムール貝の貝殻(2枚貝)をはさみのように使って、次に食べる貝の身を引っ張り出す。パンは手でちぎってスープにつけて食べる。とにかく大胆にいただく。
通常、2キロのムール貝を大人三人でペロリと平らげる。一度として余ったことはない。

ジャッキーママが言うには、この料理を写真にとって紹介したくても、全くおいしそうに見えないのであきらめたのだそうだ。たしかに真っ黒の貝が山になっていて、器の底の方に白いクリームスープがかすかに見えるだけだ。見た目はよくないが、これは間違いなくジャッキー一家の自慢料理である。

先日スーパーで見つけて買ってきた、一見「いわしのめざし」風の魚がまたおいしかった。売り場の人もこの魚がなんなのか知らなかった。いわしではないことはたしかだった。燻製なのだが、頭から尻尾まで食べられる。あっさりとした味で、それでいてしっかりと魚の味が出ている。適度に油があって上品なお味だった。「初めて食べた!これはうまい!」とジャッキーパパも大喜び。
こんな発見もうれしいものだ。

お国変わればいろいろな食材があり、料理法があり。。で楽しい。
2008年11月26日 (水)
オマのクッキング

東京にいるもう一人の孫、マヤが今日で生後満8ヶ月になる。朝からスカイプでその姿を見ることが出来た。マヤも大きくなった。ジャッキー誕生から4ヶ月後に生まれたマヤは、当然ながら成長の様子がジャッキーとはまた違う。ジャッキーは活発でエンターテイナーで明るいのだが、かなり内弁慶。マヤは、いま風にいうと癒し系で穏やかに、静かに大きくなっている。外でも家でも彼女はそれほど変わらない。二人がどんな風になっていくのか、とても楽しみだ。

今日はジャッキーパパの実家にお呼ばれして、ランチをご馳走になることになっている。私がドイツに来ると必ずご招待を受けるのだが、こちらのオマ(ドイツ語でおばあちゃん)はお料理が得意で、いつもおいしいお料理を作って下さる。12時半、ジャッキーのお家から車で17分の実家へ。
今日はウイークデーだから、女性ばかりの集まりになる。

今日のメニューはバイエルン地方の郷土料理で”ケーゼ シュペッツレ”というもの。ドイツのパスタとチーズを交互に重ねた上に、たっぷりの溶かしバターでこんがりと時間をかけて揚げて香ばしくした、アツアツの玉ねぎのみじん切りをジュワーッとかけて、熱いうちにさっくりと混ぜていただくという、絶妙のタイミングと技術が必要なお料理だった。

このお料理だけはジャッキーのオマも一人では作れなくて、オマのママ、つまりジャッキーのひいおばあちゃんアンナさんの助けが必要なのだそうだ。今日もアンナさんが助っ人として呼び出されて、二人でお料理をしてくれたらしい。このアンナひいおばあちゃんがとても元気でお若くて、78歳だというのに動作が機敏で、お料理も手早く、ユーモアもあり、車の運転もこなしている。18年前にご主人を亡くされて一人暮らし。目が見えないとか、耳が遠いなんて悩みもないらしい。羨ましいほどだ。

オマとアンナひいおばあちゃんがお料理しているキッチンに、ジャッキーも含めて4世代の女性達があつまり、二人の手際のよいクッキングを見学。オマは天才的ともいえる家事上手。どこも掃除は行き届きピカピカ、料理はプロ級で、ご自身はおしゃれで、とてもやさしくて。。私はいつも感心させられている。ドイツ人がきれい好きというのは有名だが、本物を見た!という気がする。インテリアもお庭も完璧。

ドイツの人は特に住まいに凝る。何年かに一度はリノベーションをして、生活を楽しむという。
オマのお家もまさにその通りで、前回来たときとはまた趣が変わっていた。素晴らしい。

日本式に言えばここの長男に嫁いだのが私の次女。いわば舅、姑、姑の母上、小姑が二人、揃っているこの家庭だが、幸いドイツにはそんな立場の感覚がまったくないので、その点とても気楽である。

今日もジャッキーママは、今日もオマにジャッキーを預けっぱなしで、お料理をご馳走になり、小姑であるソニアとは軽口を叩いて笑っている。ドイツ語が飛び交う中で少なからず違和感があるけれども、そんな中で私もなんとなく気楽でいられる、、そんなご家庭だ。リビングルームのきれいな棚の上には憲さんの写真がある。そのお隣には、オマとオパ(ドイツ語でおじいちゃん)の亡くなったお父様たちの写真が置かれている。家族として大切に思ってくださっているのがありがたくて、いつもながら胸が熱くなる。

こちらでは赤ちゃんのことを「ねずみちゃん」と表現するらしく、ジャッキーは決まって「マウス!」とか「クライネ マウス(小さいねずみちゃん)!」と呼ばれる。家族間では「ジャッキーマウス!」と呼ばれたりする。ジャッキーはこちらでも初孫であり、宝物なのだ。ジャッキーを愛してくださる方が沢山いて、それだけでうれしい。

今日のランチはスープからデザートまで本当においしかったのだが、私にはちょっと油が強すぎた。家へ帰ってから聞いてみたら、ジャッキーママも同じだという。「すごくおいしかったけどね、我々日本人にはちょっとヘビーだったね」

そこで、夕食はあっさりした日本食、できれば油がないもの!と意見が一致して、ジャガイモと玉ねぎとわかめのお味噌汁とご飯、タクアンに紅しょうが、アボカドの刺し身、それにルッコラとミニトマトのサラダ・・・と、なんともいえない組み合わせの夕食と相成った。
おかげでもたれた胃はすっきり回復、ホッとした。

「こんなときはお味噌汁と白いご飯に限るわね。。日本人だもんね」
「ね...」
2008年11月22日 (土)
さすがイタリア!

一夜明けたボルザノは、うっすらと雪景色をしていた。肌を刺すような寒さではない。とは言うものの、ここは冬のヨーロッパ。私はロングの厚手ダウンコートに、帽子、手袋に長めのブーツといういでたちだ。この装いだと寒さは感じない。さらに携帯カイロがあれば、もう充分。

ここボルザノはオーストリアとドイツに近いから、ほとんどの人がイタリア語とドイツ語を話す。生まれながらにして二ヶ国語の中で育って来た人たちなのだろう。羨ましい限りだ。不思議だったのは地続きの国境を越えただけですべてのものが、ドイツの質実剛健さから、柔らかいイタリアンな感じになることだった。人々が小柄になり、顔立ちもドイツ人とは少し違う。女性のファンデーションの色が濃い目の肌色になる。男性もゲルマンとはあきらかに違い、ラテン系の顔つきになる。

ヨーロッパの人たちのおしゃれは見習いたいことがいっぱいだ。ざっと見渡すとほとんどの人のジャケットは黒かこげ茶だ。それに細身のGパンとヒザまでのブーツでかっこいい。太っている人もいない。体格はいいけれど、とにかくキリッとしているのだ。自分というものをきちんと持っていることを服装にも表現しながら歩いているように見える。男性も女性も堂々としている。

ここでも「紫色」が流行のようで、しゃれたお店に素敵なディスプレイが。。。思わず入って手にとって見たくなるものばかり。でも、私が実際に選んだのは、やはり子供服だけだった。ジャッキーとマヤのためにお揃いのものを何点か買った。次にみんなで会うときには、二人の孫にはおそろいの服を着て見せてほしい・・・なんて、バアバの勝手な願いからだ。さすがにファッションの国だけあって、子供服も可愛い。

ジャッキーパパは靴とそれにマッチしたベルトを買ったようだ。「イタリアでは靴を買うときは、それに合うベルトを同時に買うものなんだってさ。。」とパパは言う。「そうなの?そんな決まりがあるのかなあ?ね、店員さんが若くてきれいだったからでしょ?パパ、まんまと乗せられたんじゃないの?」とジャッキーママ。「そうそう、私もそう思う!」と私。

ジャッキーママは結局、特に気に入ったものがなくて自分のためのお買い物はなし。どうしても子供の物に目が行ってしまうようだ。それが母というものなんだろう。

この頃、私はめずらしく食欲旺盛で何を見てもおいしそうに見える。今日のランチはスパゲティにした。トマトソース味でバジルとリコッタチーズ添え。。細いスパゲティが見事なアルデンテに仕上がっていて、トマトの味にコクと甘みがあってすばらしく、リコッタチーズと一緒に食べるともう最高!だった。
相当な量があるように見えたのに、ちょっと足りないと思えたくらい、美味しかった!!さすがイタリア!

もう少しボルザノでゆっくりしていたいところだったが、この日も大雪予報が出たままで、帰り道の道路状況が気になる。道路が閉鎖されたら大変だ。夕方4時には帰途につくことにした。山岳地帯に差し掛かると、経験したことのないような沢山の雪が舞い落ちていて、真っ暗な中を車のヘッドライトだけを頼りに突き進んでいくのはスリル満点だった。ジャッキーパパは、こういう運転はお手の物だから、心配はしていなかった。ハイウエイの料金所には警官がいて、スノータイヤをつけていない車がハイウエイに進入しないように点検していた。一台でもスリップ事故を起こされたら、大変なことになるからだろう。

実際には積雪もそれほどではなく、降雪量も心配したほどではなかったので予定通り4時間で帰り着いた。ホッとした。なによりもこの旅行中、ジャッキーが至極上機嫌で車の中ではよく眠り、いい子にしてくれて有難かった。

今夜の夕食は自宅近くの中華レストランで。「ハッピーガーデン」というそのお店は、ジャッキー一家のお気に入りで、よく通う店だ。私も何度も一緒に出かけたことがある。オーナーの中国人の双子の若奥さんがジャッキーを可愛がってくれて、お守りをしてくれるし、その若奥さん達は日本語が少し話せるのでとても楽しい。周りの人たちのお陰でどこへ行っても楽しいお付き合いが広がって、私は本当に幸せだと思う。

このあたりも本格的な雪のシーズンが到来して、銀世界になった。
こちらの人は皆、願っている。
今年こそ、ホワイトクリスマスになりますように・・と。
去年は残念ながら雪のないクリスマスだったから。。
2008年11月21日 (金)
イタリア(ボルザノ)へ!

今日から一泊でイタリアへ出かける。今夜開かれるある人の誕生パーティに出席するためだ。

ヨーロッパはどこへ行くにも地続きで行き来できて、便利なのは知っていたけれど、ここドイツから車で3〜4時間も走れば、オーストリアを通過してイタリアへ行けるなんて、ちょっと感激。

イタリアのボルザノ市で、ジャッキーパパの幼友達の奥さん(シルケさん)の40歳の誕生パーティが開かれる。ドイツ人は40歳の誕生日を特に盛大に祝うのだそうで、シルケさんのご主人が愛情一杯に考えたのが、サプライズの外国での誕生パーティ。ジャッキーパパはその綿密な計画に一役買っていたので、ジャッキー一家と私までその誕生パーティに参加させてもらうことになったのだ。シルケさんのファミリーは、ジャッキーパパとママの結婚式にも来てくれているので、私も面識があり、先日もランチをご一緒したばかりだ。

朝10時、ジャッキーパパのご自慢の新車で出発。観光地で有名なフュッセンを通過、左手にノイシュバンシュタイン城を見てオーストリア国境へ、昔、冬季オリンピックが開かれたインスブルックの近くを通り、イタリア国境へ。。。途中、山岳地帯では美しく雪が舞っていた。このあたりは世界有数のスキー場だ。

車のナビの画面の縮尺によっては、画面左にパリ、その下にマドリッド、その並びにローマがあって、私たちの車の位置のはるか右上にはプラハ。。と表示されたりする。あああ、、私はいまヨーロッパにいるんだ、、と胸が高鳴る。

ボルザノに着いたのは2時過ぎ。ヨーロッパらしい瀟洒なホテルで一休みしたあと、ウインドウショッピングに。ボルザノはとても素敵な街で、しゃれたお店が並んでいる。とても小さい街なのでシルケさんたちファミリーにばったり会ったりしたらサプライズが水の泡。。と心配していたら、そこはシルケさんのご主人から徹底した指示が出ていて、内緒でこの街に集合した友人たちとシルケさんが遭遇しないよう計らってあった。なんという気の配り方。。さすがドイツ人。

夜7時、約束の時間に内緒の出席者が、パーティ会場であるボルザノ市を見下ろす山の上の古城レストランに集合した。真っ暗な道を通って、やっとたどり着いたのはロマンティックにライトアップされた石造りの本物の古城を利用して作られたレストラン。ピンと張り詰めた冷気の中にたたずむお城はとても荘厳で、おとぎ話の中に迷い込んだようだった。

重い木のドアをあけると、内緒で集まったシルケさんのご実家の方たち、そして友人達が色とりどりの風船と、シャンパングラスを片手にスタンバイしていた。私たちも仲間入りして、いよいよ約束の7時半、レストランの人もサプライズパーティを楽しむかのように、準備を整える中、シルケさん夫婦と子供たち3人(男の子)そして、一家の愛犬アユミ(どういうわけか日本語の名前がつけられている)が、重い木のドアを開けて登場。と、同時にドイツ語で「ハッピーバースデー」の歌を歌いだす友人達。ただただ、びっくりするシルケさん・・・。ややあって、サプライズだと気がついたシルケさん。映画俳優のような美人さんだから、その喜びようがなんとも美しくて。。こちらまでうれしくなってしまった。

その後は、楽しいパーティになった。レストランの中は、暖かく、古城の趣はそのままに照明が凝らされて。。。ロマンティックとしかいいようのない空間だった。お料理はもちろんイタリアン。メインは鹿の肉のステーキ。その前に出たキノコのリゾットも美味しかった。ドイツやスイスから集まった人たちは約25名。皆さんとてもいい人たちで、私もとても居心地がよかった。想像もしていなかったイタリアでのこんな時間をジャッキーやジャッキーママと過ごせるなんて、本当に幸せで夢のようだった。

古典バレエの舞台のような世界がヨーロッパ中にあるけれど、今夜はその世界に文字通り紛れ込んだようだった。小さい頃に憧れた西洋のお姫様はこんなところに住んでいたのだろうと思うし、お隣の国の王子様と結婚するなんて話が本当にあったのだ・・白鳥の湖だって、ジゼルのお墓のある森だってこの辺にありそうだもの、妖精がそのあたりにいてもおかしくない。。。。今日は小さなイタリアの街で、童心にかえったような気がしていた。バレエにひたすら憧れていた若い頃があったから、思い入れが強いのかもしれない。幸せな1日だった。

明日あたりから大雪になりそうで、ドイツへ帰る道が封鎖されるかもしれないとの予報だ。
ここに一泊して、明日はドイツへ戻る予定。大雪になりませんように。。。
2008年11月20日 (木)
裸んぼうクラブ「ペキップ」!

ドイツに来てもう一週間。いまのところ、3日に一度は太陽が輝く青空が広がるし、そう寒くもなく、このあたりの11月の典型的な鉛色の曇り空が続くことがなく快適な日々だ。

お家の中は、床暖房、暖炉、それに各部屋に通っているパイプに熱いお湯がめぐる暖房システムの3本立てで、とても暖かい。

今日はジャッキーの「ぺキップ」の日。朝9時過ぎにママに連れられてジャッキー、お出かけ。
Pekipというのは、簡単に言うとチェコのプラハでできた「裸んぼう赤ちゃんの集い」だ。
1950年代から60年代にかけて活躍したコッホという精神科医によって考案されたらしい。ジャッキーが一週間に一度通っているのは、お家の近くのインストラクターさんのお家。同じ月齢の赤ちゃんをを持つお母さん達が赤ちゃんを連れて集まる。赤ちゃんたちはぺキップの間、一時間半はオムツから解放されて、生まれたままの姿で遊びまわる。お母さん達は周りで見守るだけ。オムツなし状態だから、当然「あら、大変!」ということが起こる。「あ、〇〇ちゃん、やっちゃったよ!」となると〇〇ちゃんのお母さんがタオル片手に駆けつける。という具合らしい。

ぺキップでのジャッキーは、同月齢の子達に比べると消極的で、引っ込み思案に見える。みんなが広場の中央でおもちゃを取り合って堂々と遊んでいるのに、ジャッキーは片隅で一つのおもちゃに集中して、黙々と一人で遊んでいるという。

「家ではあんなに賑やかで、強そうで明るい子なのになあ、外に出ると、からきしダメで、大人しーくなっちゃうんだから。内弁慶なのよねえ。。」とママは嘆く。どうやら、ジャッキーはママに似ているようだ。ジャッキーママだって、当時、幼稚園の先生から「幼稚園を楽しんでるのか、楽しんでいないのか・・わかりませんね。嫌がっていないならいいんですけどね。。」などといわれていたんだから。。

インストラクターが7人の赤ちゃんの様子を見守り、必要ならお母さんにアドヴァイスをしたり、相談に乗ったりしてくれる。こんなジャッキーだが特に問題はないようで、ジャッキーは、もうすぐプログラムを終了する。

今週はお誕生日だったから、ということで紙で出来た金色の王冠をかぶらせてもらって、お祝いのシャボン玉セットをいただいた。でも早速「王冠」は別の子に持っていかれ、シャボン玉の包みも、ほかに子にかじられたという。それでも、ジャッキーはニコニコしているだけ・・・。身内としては「こりゃ、ジャッキーは大物だ!」と思うしかない。

3ヶ月間に渡って一週間に一度行われるこのプログラム。ドイツではトレンドな育児プログラムなのだそうだ。ちなみに、料金は一回分1500円くらいに相当するらしい。
このぺキップの話をすると、必ずと言っていいほど質問されることがある。
「で、お母さん達もやはり。。?」
「いえいえお母さん達は、ちゃんと洋服を着たままなんですよ・・・・フフフ」

明日金曜日から、ジャッキーパパのお友達の誕生日を祝うためにイタリアのボルザノに行くことになっている。一応海外旅行だけれど、車で約3時間のドライブである。北イタリアのドイツ語も話されるところで、とてもきれいな街だという。そこで一泊の予定で既にホテルも予約済み。
とても楽しみなんだけど。。。明日から大雪が降るらしいとの予報が。。。

さあ、どういうことになりますか??
2008年11月14日 (金)
ジャッキー、一歳!!

今日はジャッキーの一歳のお誕生日だ。去年の今日は雪が積もっていて寒かったのに、今年はとても暖かく感じられる。朝起きると、ジャッキーママが前夜に用意したらしく「Happy Birthday」のデコレーションと沢山の風船が食卓の周りに飾られていた。

今日は午後3時からティーパーティーをすることになっていて、パパの実家からエディットおばあちゃん、ピーターおじいちゃん、そしてソニアおばちゃん(といっても18歳)がお祝いに来てくださることになっている。そして単身赴任中のパパも夕方にはフランクフルトから帰宅する。ジャッキーが誕生した午後4時13分には全員集合するようになっていた。

お昼過ぎにジャッキーママが注文しておいたバースデーケーキを受け取りに出かけた。ドイツのママの90%以上は子供のバースデーケーキを焼くのだそうだが、ジャッキーママの場合は、とても時間がないのと見た目も美しく、食べて美味しいのが一番だから。。という理由で、街で一番だというベーカリーに注文した。ここはパパとママのウェディングケーキを作ってもらったところでもあり、ジャッキー一家にとっては思い入れのあるベーカリーである。

午後3時ちょっと前、エディットおばあちゃんとソニアおばちゃんが「ジャッキー!お誕生日おめでとう!」と満面の笑みを浮かべて来訪。エディットおばあちゃんは手作りのケーキとプレゼントを持参。ピーターおじいちゃんも仕事先から合流、ジャッキーパパも間に合って、7人の家族がそろってパーティ開始。

大人たちはシャンパンで乾杯。ケーキに立てた一本のキャンドルをジャッキーの代わりにママが吹き消し「ハッピーバースデーの歌」を全員で英語で歌うと、ジャッキーが「キャハッ!」と大いに照れてセレモニーが終了。沢山の方からいただいたプレゼントを開けて、ジャッキー最高に幸せな時間が過ぎていった。

ジャッキーの名前を入れたケーキはピンクのハート型でバラの花がデザインされていて、とてもきれいなものだった。チョコレート味のスポンジケーキの外側のピンクのデコレーションの部分は「マジパン」で出来ている。日本のケーキのようにクリームではない。「マジパン」は色や形を造形するには最適らしくそれはそれはきれいなデコレーションケーキが出来上がっていた。

その「マジパン」なるものに私は思い出があった。憲さんとスペイン旅行をしたとき、添乗員が「スペインの有名なお菓子「マジパン」を知っていますか?「マジパン」、ご存じない?あらそれは残念!是非食べてみて下さいな。オススメです、絶対です!!」というのでいやおうなしに覚えた名前だ。
期待に胸をふくらませ、「マジパン」が一番美味しいというお店に入り試食してみてびっくり。。一見普通のケーキなのだが、口の中でパサつくかと思ったらモチャモチャ感が残り、とてもおいしいとは言えるものではなかった。それでも「これ美味しいでしょ。もう最高ですよね!」と言い張る添乗員さんの表情とともに忘れ得ない味になっている。

さて、ここドイツではどんな評価なのか。。と思ったら、やはり「「マジパン」で出来ている表面は食べたくないわ」という人と、「マジパン」が好き!という人と半々に好みが分かれた。私はやはり前者であった。

時計の針が4時13分をさしたとき、ママがジャッキーをギューっと抱きしめた。みんなが一年前のあの時を思い出した瞬間だった。このときのジャッキーママの顔がとても嬉しそうで、私もこの瞬間をともに出来たことが嬉しかった。来てよかった・・・・

パパの実家にとってもジャッキーは初孫で、こちらでも宝物のように可愛がってもらっている。ジャッキーはドイツ語の飛び交う中で、ニコニコして座っている。この子はこのドイツでドイツ人の中で育って生きていくんだな。。と思うと、不思議な気がする。今のところ、ママが話しかける日本語を理解すること、覚えることからジャッキーの言語が形成される。ジャッキーのような場合、まず母親の国の言語、そして同時にパパが話すドイツ語を覚えていくことになるのが普通なのだそうだ。

いまのところジャッキーが確実に覚えた言葉が一つだけある。日本語だ。
何か失敗をしたり、持っていたものをとり落としたりしたときに思わず出る言葉・・・
「あーーあ」である。
一歳で覚えた最初の日本語が「あーーあ」だなんて・・・

教えたのはこの私である。。。ごめんね。ジャッキー
2008年11月13日 (木)
まさにグローバル!「M」さんの生活

昨日、ミュンヘン空港に到着後、成田からのフライトでお世話になったジャッキーママの同期生「M」さんと少しお話をする時間があった。

「M」さんはキャビンアテンダントとしてドイツと日本間のフライトに乗務しているが、実は彼女の住まいはなんと、香港だという。「今日もこれから別の便に乗り継いで香港へ帰るんですよ」という。「え?じゃ、これから又、もと来た道の80%くらいの道のりをまた飛行機で逆戻りするってわけ??」びっくりする私に、彼女はにっこりして答えた。「はい、香港へ戻る飛行機ではゆーっくり寝ていけますから。。大丈夫なんです!!」香港で待つご主人との間に7歳になる男の子がいるが、彼女の乗務のときはご主人の協力があり、ベビーシッターさんも面倒をみるという。

話をまとめると、日本人である「M」さんが香港の人と結婚して香港に住み、ドイツの航空会社のキャビンアテンダントとして勤務、月に数回こういうパターンのお仕事をしている。しかもちゃんと子育てもしながら。。。妻として母として家庭だけに身を置くのではなく、社会に出ておおいに働きたい、という今の女性達の考え方を私は素晴らしいと思う。今は、育児休暇中だが、2年後には職場復帰を予定しているジャッキーママには大いに目標にしたい「M」さんだろう。

人間は望めばどんなことでも可能にできるのだと思った。ジャッキーママの同期生にはドイツ以外に住居を持って、飛行機をフルに活用してキャビンアテンダントの仕事を続けている人が多いと聞く。彼女たちの世界では、外国だとか、異国だとかいう感覚はないようだ。いいなあ、と思う。

型にはまった生き方ではなく、自分と家族の努力によって独自の生活パターンを作り上げることができる人は幸せだと思う。もちろん、その影には大変な努力があることは想像に難くない。

日本人だからといって日本に住まなくちゃいけない訳ではない。。世界中のどこにでも住める好奇心一杯の人生を生きたいと、私も漠然と願って生きてきたけれど「M」さんの生き方には、感心してしまった。「国際的な人」という言葉はまさに彼女のためにあるようだ。

今頃「M」さんは香港で、次の仕事までの時間をご主人と坊やと楽しく過ごしていることだろう。そして乗務の予定の一日前にドイツに来て、翌日の便で日本へ向けてフライトする。。日本で二泊した後、再びドイツへ。。その足で香港便に乗り換えて帰宅する。彼女のパスポートは余白がないくらいにスタンプが押されているのだろう。

「M」さんご一家がバケーションを取るとしたら、世界のどこに旅をするのだろう?ちょっと聞いてみたい気がする。

案外「もちろん、日本へ・・」とおっしゃるかもしれないけれど。。。
2008年11月12日 (水)
すっかり冬のミュンヘンへ・・

13時15分、ルフトハンザ715便で、ドイツ・ミュンヘンに向け成田空港を飛び立った。今回は初孫ジャッキーの一歳の誕生日を祝うための旅。
スーツケースは、ジャッキーママから頼まれた日本食材でイッパイだ。

飛行時間は12時間と少し・・・ほんとに長い。なんとそのうちの7時間はシベリア上空の飛行である。真っ白な雪に覆われたツンドラ・凍土の世界が果てしなく続く。そのころ飛行機の窓が閉じられ、機内が暗くなる。ランチを終えた乗客はそれぞれにビデオや音楽を楽しみながら、しばしまどろむ時間になる。この時間にうまく眠りにつけるかどうかで、旅の疲れ具合ガ違ってくる。

幸い今回はビジネスクラスでゆったりと過ごすことができたのと、隣の席のドイツの青年が感じの良い人で、実にタイミングよく話しかけてくれたり、或いは程よく黙っていてくれる人でありがたかった。

そうかと思うと「あの、Nさんのお母さまですよね?お孫さんに会いに行かれるんでしょう?」とキャビンアテンダントさんから話しかけられ驚いた。ジャッキーママの同期の人だった。どうやらジャッキーママがメールで「ミュンヘン便に母が乗るからよろしくね」などと事前に連絡をしておいてくれたものらしい。
そんなこんなで、長く退屈なフライトのはずが心楽しいものになり、うれしかった。

気温摂氏6度、小雨模様の空港にはジャッキーママとジャッキーが迎えに来てくれていた。ハワイ以来、約2ヶ月ぶりの再会だった。ジャッキーはほんの少しだけ戸惑ったあと「あ、バアバだ」とわかってくれたのか、いつもどおりの笑顔で「キャハッ!」と声を上げて歓迎してくれた。もうそれだけでドイツに来た甲斐があるというものだ。

ジャッキーママがアウトバーンを平均時速130キロで飛ばしてくれて、ブックスハイムのお家に着いた。いつも第三京浜あたりをヨタヨタと走っている私には怖いくらいのスピードだ。しかし、助手席に座っている限りは気楽で気持ちが良いものだ。ドイツの車はそれくらいのスピードを出しているほうが似合うし、安定感が増すから不思議だ。

一年ぶりに訪ねるジャッキーのお家は、新生児を迎えようとしていた昨年とは様子がすっかり変わっていた。ゆりかご系のベッドは既に姿を消していて、ハイハイが自由に出来るようにタイル張りの床にはふかふかのラグが敷いてあり、その上にはおもちゃが・・。サークルも用意されていてその中でジャッキーが一人遊びできるようになっている。ここはリビングルームとダイニングルームの床がタイル張りなので転んだらかなり痛そうだし、ハイハイをしたらヒザがすりむけそう。。。

ハワイの家の毛足の長い絨毯を、ジャッキーママが「羨ましい、、」と言ったのもうなずける。
しかし、ドイツの環境には順応しなくてはならないジャッキーは、健気にタイルの床の上でもしっかりとハイハイをし、サークルの柵につかまってよろよろしながらも立つ練習をしている。離乳食だってもうもりもり食べている。
逞しく育っていてうれしいことだ。

今、ジャッキーパパは、単身赴任で週末だけお家に戻ってくる。来年の春にはフランクフルトの郊外のウィズバーデンに一家が引っ越すことになっている。そこはとても素敵な街だそうで、今から一家は楽しみにしている。

引越しに備え、ジャッキーママも何かと忙しくなる。目下、母子家庭のような環境にいるジャッキーの世話をすることで、少しでもジャッキーママの手助けになれば、、という事で、私はここにしばらく滞在する。クリスマスと新年をドイツで迎え、新年早々帰国する予定だ。

あさってはジャッキーの一歳の誕生日。
週末だから、もちろんパパも帰ってくるし、パパ側のおじいちゃん、おばあちゃんと一緒にお祝いすることになっている。可愛いバースデーケーキもすでに注文したという。

大変な難産でジャッキーを出産したママは、とりわけこの日を楽しみにしているようだ。母親になって一年。まさに「母としての一歳の誕生日」でもある。誕生日は生まれた人をお祝いするだけの日ではなく、生んでくれた人への感謝の日でもあるはず。暖かい心の通い合うお誕生日になりそうだ。
2008年10月6日 (月)
緒形拳さん

いよいよ明日、帰国だ。その前に洗車に行き、クリーニング店からベッドカバーを取ってくること、コンドの管理会社に出かけて支払いを済ませ、忘れていた買い物をし、冷蔵庫内の整理、キッチンとバスルームの掃除。。。それに帰国のための荷造りも待っている。

「どうせ工事が入るのだから掃除をしなくてもいいじゃない。。」なんていってくれる人もいるが、他人が部屋に入るからこそきちんとしておきたいと思う・・・と言っても時間がない。だから、結局さーーっと掃除機をかけておしまい。

ハワイも日が短くなってきて、なんとなく慌しい。
夕方、プロテアの花束を持って憲さんのお墓へ。。ミキさんも一緒に来てくださった。2月には、また来るからね。。しばしのお別れだ。

今日、悲しいニュースを聞いた。俳優の緒形拳さんが亡くなった。。と。
71歳だというから、憲さんと同い年。

私は昔から緒形さんのファンだ。といっても全部の作品を追いかけて見たわけでも、舞台を見たわけでもない。ただ、大昔、緒形さんとはちょっとしたご縁があった。

もう40年も前、私がまだバレエ団にいたころ、TVドラマなどのエキストラのアルバイトをしていた。ちょうど緒形さんは人気が出てきたばかりの若手俳優だった。どういうわけか私は緒形拳さんとご一緒のことがとても多かった。
そのうち「あ、また会ったね」といわれるようになり、顔を合わせると話しかけて下さるようになった。持ち前のあの風貌で私服のよれよれのトレンチコートが似合っていた。いま思えば、あのころ彼は若干30歳そこそこだったのに、とても大人に見えたし、すでに名優の風格があった。

私は、ドラマの中に登場するほんの通行人だったり、喫茶店のお客だったり、時代劇の江戸っ子の娘その1、、というのだったりした。そのころは家庭にビデオレコーダーなんてないから、果たして自分が映っていたのかどうか、確かめたこともないが、美容院で「あなたテレビに出てませんでした?」といわれびっくりしたことがある。結構楽しいバイトだった。

そんなある日、私は本職のバレエでTV収録のためにNHKにいた。当時は劇場での本番収録や、スタジオでの録画もよくあった。今より、クラシックバレエそのものがテレビに登場する機会が多かった。NHKの広い101スタジオの床は、コンクリートに泥絵の具を塗っただけのもので、踊る側にとっては悲しい状況だった。バレエを踊るには固すぎた。ジャンプして降りたらヒザにガツンとくる。踏み切ることも充分できないし、その上よくすべった。NHKでさえ、バレエ用の床を用意してくれてはいなかった。そんな時代だった。

その日は「白鳥の湖」の2幕を撮るところだったのでバレエのメークに、あの白いコスチュームを着て準備をしていたら、隣のスタジオでドラマを撮っていた緒形さんとばったりお会いした。

私の姿を見て「あれぇ?あなたの本職はこっちなの?。。ああ、そうか、そうか!!」と大きく笑った緒形さんのお顔が、今日は思い出されてならなかった。あれから40年、歳を重ねられ立派な役者人生を全うされたのだが、とても悲しいニュースだった。

明日は朝8時にタクシーが迎えに来る。Iさんと帰国便がほぼ、同じ時刻なので、二人で空港までご一緒することにした。つまり相乗りタクシー。この際、節約、節約。。。

いよいよハワイとお別れ。来年2月まで。。アフイホウ!
2008年10月4日 (土)
がっかり。。。。

一日中、うちの中をうろうろして、帰国の準備をしていた。次に来るまで4ヶ月あるから、各排水口のドレインが乾きあがって詰まらないように、薬品を入れてきれいに洗浄しておくのもいつもの仕事。長い間家をあけるということは、かなりのリスクがある。これは日本の家も同じだから、いろいろ気を使う。

それ以外に今回はキッチンとバスルームのものを移動しておく必要があり、ちょっと大変。今日は黙々と良く働いた。疲れた・・・

そうだ、車も洗車に行かなくては。。。土の汚れより塩害が心配なのだ。
車も家の窓ガラスの外側の汚れも、塩が大半なのだ。それだけ空気に塩分が含まれていて、体にはいいのだが・・・・。

今日もちょうどいいタイミングでミキさんから、おいしい長十郎梨と水出しコーヒーの差し入れがあった。その梨もすぐに食べられるようにきれいにむいてあり、心がこもっている。本当にありがたい。

ドイツにいる次世代家族達とスカイプをしようとしたが、どうもうまく繋がらない。仕方なく電話で話した。皆元気で食事中だった。一人ひとりと話して、皆元気そうで、楽しそうで私もうれしかった。

ジャッキーとマヤはまだそこまで成長していないのか、お互いにそれほど関心を寄せるでもなく、かといってけんかをするでもなく、二人で穏やかに過ごしているようだが、わずかにジャッキーが「ワタシはおねえさん、このこはちいさいあかちゃんね」と思っている節があって、微笑ましいという。見てみたいなあ。。

キッチンは空っぽでも夕食は食べなくてはならない。またミキさんが付き合ってくれて、地元の人に人気の中華料理のお店に連れて行ってもらった。ここは安くて美味しいのよ、休みの日なんか、地元のチャイニーズが開店前に並んで待っているくらい。。と聞いていた。

ミキさんがいつも注文するおいしい料理を幾皿かとった。ここは一皿が小さいから沢山の種類が食べられるからいいのよ。。と聞いていた。ミキさんの行きつけの店はみんなおいしい。ウエイトレスもミキさんを見つけて「あーーら、久しぶり!」なんて嬉しそうにしているし、ここならきっときっと美味しいだろう、、と思った。

ところが運ばれてきたお皿はみな大きく、とてもおいしそうには見えない盛り付け方だ。一口ずつお箸を付けてみたが、おいしくない。はっきり言ってまずい。グルメではない私でさえ、そう思った。

ミキさんは首をかしげ、ウエイトレスを呼んで「なんか変わった?このお店・・」と聞いた。店の名前も様子もウエイトレスもみな同じだが、オーナーが変わってコックだけが入れ替わったという。「それだ!」

しかもお値段がずっと上がっているという。私たちはがっかりして、でもまずおなかを満たさないと。。とおしゃべりしながら少しずつ食べて満腹にはなった。「あ、おいしい!」という瞬間がないままの食事だった。こういうのもめずらしい。当然沢山の量が、残った。当然のように「お持ち帰りになりますか?」とウエイターが聞いてきた。私たち二人はとっさに「NO,持って帰りません!」と言ってしまった。持って帰っても、温めなおして食べるとは思えなかった。ウエイターは少し驚いたようだった。

ふと見るとお隣の席のご夫婦らしいお客さんも、大いに食べ残していた。本当に少ししか食べていなかった。

お勘定を済ませて店を出て歩き始めると、ウエイトレスが追っかけてきた。ミキさんが席に忘れたカーディガンを届けてくれたのだが、ミキさんは親しいそのウエイトレスに、ついに文句をいい始めた。「ね、前の味が10点としたら、今日のは2点だったわ。一体どうしたの?コックが変わっても、店がどうなっても、30年続いたここの味、誇りはどこへ行ったの?お値段は上がるし、、悲しいわ」

そのウエイトレスは「そうなの、たくさんのお客さんからそういわれるの。わかるわ、、でも私には何も出来ないし。悲しいのよ。。。」それにしても、ちょっとひどかった。二人ともおなかをすかせて行ったのになあ。

まあ、こういう日もあるわ。。。
2008年10月3日 (金)
次世代家族ドイツで集合!

午前中、今回の改装工事にあたって、私のいない間のすべての管理、監督をしてくれるエージェントに挨拶に行った。こちらには普段、ハワイにいないコンドオーナーたちのために色々なことを代行してくれる管理会社がある。もう長いお付き合いで、改装のこともそこに相談した。

私の係の人が、改装工事の進捗状況を見ながら、これでOK、となると工事人フレッドに、代金を少しずつ支払っていく、というシステムだ。フレッドは工事の様子を写真にとって私に逐次メールで送ってくることになっているし、フェアで安心できるシステムだ。「へえ、そうなのか、、、」といろいろ勉強になる。

午後から3回目のIさんとのフラレッスン。今回最後のレッスンだ。
また新しい曲に入る。心配だったが、私の筋肉はまだ元気で、ありがたい。
音をいっぱいに使うこと、流れるように踊ること。。難しいが楽しいレッスンが続いた。

帰国するにあたり、先日買ったばかりのお米が沢山残っていたり、スパゲティが新しいまま残っていたりするので、失礼とは思ったが、K先生に「使ってくれます?」と言ってみたら、二つ返事で「うん、もらうよ!」 先生はお米の袋と、スパゲティの箱とを下げて元気にお帰りに。。。

次に会うのは日本。
「じゃまたね、日本で!!」
ハワイでK先生と別れるとき、こういう挨拶が普通になった。不思議な気がする。

夕食に何を食べようかな?と思い、今日は簡単にテイクアウトのものでも、、、とエレベーターに乗ってロビーに出かけたら、携帯にミキさんから電話。

「キョウコさん、今日食べるものあるの?ん?ない?・・じゃ、どこかへ行こう!」

さすがにフラレッスンを3日続けて疲れた。今日は車も運転したくなかったので、パシフィックビーチホテルの日本食「将軍」に行こうということになった。歩いて4分だ。行ってみたら、なんとお店がつぶれていた。。ショックだった。憲さんもお気に入りで、ずいぶん良く通ったものなのに。ハワイも様変わりが激しい。本当に大丈夫かな。。ハワイ・・・・

そこで、ミキさんのアイデアでカイマナホテルに行く。レストラン「都」だ。ここは高級のようでいて、リーズナブル、お味は本格的、ここも家から歩いて15分ほど。地元の日本人が多く、とても美味しいし、、ワイキキの喧騒から離れているから、気持ちがいい。このホテルはジャッキーパパとママの結婚式のあとのレセプションをしたところでもあり、とても懐かしかった。
いいところを教えてもらった。日本食はここだな!と思った。

今朝、ジャッキーママから「ジャッキーが吐いて、熱が38度くらいあるの。。」と連絡があった。
アクティブなジャッキーもぐったりして寝てしまったという。とりあえず、水分補給して、様子を見るわ。とのことだったので気になっていた。そういうことはよくあることなので大丈夫だとは思ったが、離れているだけに心配で仕方がなかった。深夜になって連絡があり熱も下がってすっかり元気になった。。とのことで、一安心した。

今日はジャッキーのうちに、イスラエルで休暇を過ごしていたマヤ一家が訪ねて行くことになっていた。
だから、ジャッキーの体調不良をみんなが心配していた。マヤ一家にとっては、ジャッキーのお家を訪ねる絶好のチャンスだったし、離れて暮らす我々家族にとっては、めったにないチャンスだから、みんなとても楽しみにしていた。
ジャッキーが元気になったお陰で、予定通りマヤ一家がフランクフルトから超特急電車で彼らを訪ねることが出来ることになりそうで、よかった。もしウイルス性のものだったら、マヤに感染するのが怖かったが、ますは一安心。よかったよかった。。明日あたり、全員そろったところで電話があるだろう。楽しみだ。。彼らはジャッキー宅に2泊する予定。。

私がそこにいないのは残念だが、仕方がない。文字通り次世代の家族が仲良く集まっている。。そのことが私には、なによりうれしくて、ありがたくて。。。
2008年10月2日 (木)
心づくしのパパイヤ

朝目覚めたとき、筋肉痛がないのが不思議だった。昨日のフラレッスンの後遺症が出ていなかった。いや、歳をとるとずっとあとになって痛みが来る。。ということだから、まだ今日は無事なのかも知れない。きっとそうだ。

今回のハワイでは、通っているジムが改装中で、一度も使えなかったということもあって、8キロを越すジャッキーともう少し軽めのマヤを抱っこするだけがトレーニングのようなものだった。赤ちゃんを抱っこするのはダンベルより大変で、腕の筋肉は少し丈夫になったが、足の方はさっぱり。。
日本に帰ったら、家の目と鼻の先にフィットネスクラブがオープンしているはずなので、まずそこに通うことを楽しみにしている。

午後はIさんと、我家でのフラレッスン第2日目。
さすがに筋肉がギシギシしていたが、気持ちの良い汗を流した。昨日の曲の復習と、以前から習っているカヒコやアウアナをさらりとおさらい。間違えては、先生にギロリとにらまれ、苦笑の連続だったが楽しかった。

レッスンのあと、先生にお願いして、キッチンの重い食器類をダンボールに詰め、別の部屋への移動を手伝ってもらった。とても私一人ではできないことが沢山あって、先生に助けを求めた。先生はなんなくヒョイヒョイと簡単に運んでくれて、あっという間に作業終了。だんだんキッチンが空っぽになっていく。
ということは、料理も出来ないということ。帰国までは、なんとか外食やテイクアウトのもので済ませようと思っている。今夜もIさんと一緒にお食事を、、ということになった。

私のブログを読んでいてくださっているIさんが、先日書いた「チャック セラー」に是非行ってみたい。。とおっしゃる。私もちょうどそんな気持ちだったので、二人で出かけた。その前にクヒオビーチのトーチライティングフラショウへ。久しぶりのフラ見物。今日はカムエラの人と思われるきれいな男女二人の踊り手の出演だった。やはりすばらしい。。曲目はすべていつもと同じだったが・・・・

このごろ、ワイキキのトーチが夕方になっても灯らない、、ということが気になっていたが、やはりこのショウのネーミングにもなっているトーチに点火して廻る男性たちのセレモニーはなかった。ただ、一人の男性がほら貝を吹いて、ショウの始まりを告げるだけ。。淋しい。やはり不景気のせいかな??

「チャック セラー」には7時半すぎ到着。ステーキと、スチームド クラムと、マッシュルームのガーリック炒めを注文。昔から変わらないメニューでうれしい。ライブの音楽もアメリカ風でハワイ風ではない。アメリカ本土に良くあるようなちよっと大人向きのレストランだ。「なんだかなつかしい雰囲気で、これもいいわねえ」・・・・
Iさんはチチ、わたしはジンジャエールでカンパイ!!
お料理は予想通りおいしくてIさんも満足そうだった。

明日は最後のフラレッスンがある。Iさんは、ハワイ滞在中に出来るだけ多くのレッスンを、というご希望だった。それが実現してよかった・・・。

帰宅したら同じコンドのミキさんから電話。
「いま貴女の部屋のドアの取っ手に明日の朝食用のパパイヤを下げておいたからね。すぐ冷蔵庫にいれてね。明日の朝、食べてね。おいしいわよ」

キッチン用品がすべて別室に移り、料理などすることがママならなくなったことを知った、ミキさんのさりげない心づくしだ。開けてみると、すぐ食べられるようになっていて、おまけにパパイヤの種をとったくぼみに分厚いレモンの一切れが可愛く添えてある。うれしかった。

ミキさんは決して、贅沢というのではないが「グルメ」で、私とは正反対に食べることが大好きな人。スリムでそうは見えないが、とてもうれしそうに良く食べる人。パパイヤなどもカフクの農園の人から届けてもらうらしい。彼女からかぼちゃ?かと思うほど大きいパパイヤをいただいたこともある。それがまた、おいしいのだ。

彼女からは美味しいものをいろいろいただく。「食べなきゃダメよ。キョウコさん、やせこけてんだから」とハッパを掛けられつつ。。。
私はありがたくご好意に甘えている。
2008年10月1日 (水)
高ーーい!

懸案の車のリモートキイの修理が出来るはずで、朝早く起きてカイムキにあるTOYOTAへ出かけた。道がわかりにくく、ちょっとぐるぐる廻ったけれどやっとたどり着き、手続き終了。修理完了までに2,3時間かかるという。「このままお待ちになりますか?それとも家の車でお送りしましょうか?無料です。修理が済んだらお電話してお迎えに上がります。無料です。。」

それならここでじっと待つより、家に帰ったほうがいい。すぐにその無料の車両に乗り込んだ。既に同じような状況のお客さんが二人乗っていた。愛想のいい送り迎え専用の運転手があっという間に家に送り届けてくれた。後は修理が出来たという電話を待つだけ。。。

一時間半ほどして電話が鳴った。ハワイなまりの強い英語で、TOYOTAの人が言うには「貴女の車は古くて(6年しか経ってないのに)、合うリモートがありません。で、あなたの車に合うものをつけるとしたら、400ドル以上かかることがわかりました。どうしましょう?」どうしましょう?って。。。見積もりは一体なんだったの?もっと安かったからオーダーしたのに。

何でも、リモコンはキイだけではなく車本体にインストールされたコンピューターで動くので、そのコンピューターを新しいものに変えなくてはならないから高くなる、という。わかったような、わからないような話だが、そんなに高いのは困る。高ーーい!高すぎる。ジャッキーパパだって目を回すに決まってる。とりあえず、私はオーダーをキャンセルすることにした。それでも無料のお迎えが来て、私はまたTOYOTAへ。。。キャンセルの手続きをして、こんどは私の車で帰宅。

実はリモートキイは、車を買ったときに2つ車に着いて来ていたから、スペアを使えばいい、

そんな時間を過ごしたあと、日本から来ているIさんが是非にとおっしゃってくださったので、憲さんのお墓へ。お花とビールまで持ってきてくださった。Iさんは憲さんの最後の誕生日をハワイで一緒に賑やかに祝っていただいた経緯がある。それからわずか4週間後、憲さんは突然、天に召されたのだ。その頃の私を良くご存知だから、Iさんは私が元気そうになったと涙ぐんで喜んでくださった。

沢山の方々が、憲さんのお墓に来てくださって本当にうれしい。憲さんって、幸せな人だなあ。。と思う。

夕方4時からIさんとフラレッスン。本当に久しぶり。。。こんなブランクは初めてのことで、ドキドキしていたがK先生にもそれが通じたのか、今日はいつになくベーシックステップの時間が短く、ホッ。

新しい曲を一曲、その振り付けもなんとかすんで、ホッ。。
踊ること自体が好きだから、やはり幸せな気分になった。肝心の筋肉も悲鳴をあげるかと思ったが、大丈夫だった。

でもわかっている、先生の目には私の筋肉の衰えが分かっているはず。。。
ハイ、ごめんなさい。これからまた精進いたします・・・。

アーー明日の朝の筋肉痛がこわい・・
2008年9月30日 (火)
懺悔(ザンゲ)

今日も朝から、帰国前にしておくことがあった。カイムキにあるTOYOTAへ電話をした。

先日ジャッキーパパの運転で一家でラニカイビーチへ行ったとき、ジャッキーと砂浜であそんでいたら、ジャッキーパパとママが神妙な顔をして、海から上がってきた。

「キョウコさん、実は懺悔をすることがあります、、」と言う。そしてパパがスイミングパンツのポケットから何かをおもむろに取り出した。私の車のリモートの鍵ではないか!すっかり塩漬けになった黒いリモートキイだった。それでも「きっと大丈夫よ、また使えるわよ。。」と楽天的に考えていたら、それから数日してキイが働かなくなった。電池を入れ替えたがそれでもダメ・・「おそらく塩が徐々に中にしみこんで壊れてしまったんだよ。。ホント、ごめんなさい、僕が買ってお返ししますから。」とドイツへ発つ前に、ジャッキーパパは新しいキイを電話でオーダーしてくれたのだった。むこうから電話があり次第、私はそれを受け取りに行けばいいようになっていた。

しかし、、もう10日以上たつのに連絡がない。こんなときは「また、ハワイ時間か。。」とため息が出る。ハワイはいいなあ。。のんびりしていて。。と思ってはいても、こういうときは「あーーあーー」なのだ。

で、今朝、催促の電話を入れてみると、案の定、オーダーが通っていなかった。やはり「あーーあーー」である。あらためて注文をしたら、なんと「明日出来ます!!こちらへ車とともにお越しください」という。明日、また私は見知らぬ場所へ車を走らせることになる。

今日、日本からフラの友達が到着。日本ではなかなか会えないのだが、ハワイでゆっくり話し合えたりするから不思議だ。到着早々電話をもらったので、早速今夜お食事を一緒にしながらおしゃべりしましょう!ということになった。

彼女もK先生の生徒さんだし、日本でのK先生のプロジェクトを支えてくれている人なので、仕事の話が中心だが、ゆっくりと楽しい時間が持てた。アラモアナに日本料理のお店「六角」が新しく出来た。そこへ行ってみようということになったのだが、ちょっとおしゃれなお店で、とてもおいしかった。ランチだともっと気楽に入れそうだ。今度ランチタイムに挑戦してみようかな。。

明日、Iさんと一緒に久しぶりにフラのレッスンを受ける。それも、久しぶりに我家で。。。
自慢じゃないけれど、言いたくないけど、約5ヶ月ぶりだ。体力、筋肉がもつかどうか・・とフラ以前のことが心配だが仕方がない。サボっていたのは自分だから・・・自業自得だ。

明日が楽しみなような、不安なような。。。
2008年9月29日 (月)
約束の日

午後からワイマナロへ出かけた。一人でドライブするには勇気の要る距離である。

去年7月、プリンスロットフラフェスティバルが開かれていた、モアナルアガーデンのクラフトショップで惜しげもなく、私に高価なウィリウィリのレイをくれた、あのチャーリーというおじさんのお家を訪ねるためだった。8月5日の日記に書いたように、私にはチャーリーに約束したことがあった。

今はハワイでも貴重になったウィリウィリの真っ赤な実を、私は憲さんと二人で数年にわたって少しずつ拾い集めたものを、1500粒ほどを持っている。いただいた完成品の代わりに、私はこの実をチャーリーさんに全部さし上げる。。と約束をしていたのだ。それから一年も経ってしまって、彼のご好意を裏切ることになってはいないか・・と気になりつつ、時が過ぎていた。

今朝電話をしてみたら「来てくれるの?、じゃ、今日待っているからね。。」ということになり、彼の工房兼お宅へ伺うことにした。教えてもらった目印の星条旗と、ハワイ州の旗が並んで立っているお家はすぐにわかった。フロントヤードに車をつけると、私はドキドキしながら、お庭の中へ・・・・やしの木とハイビスカスがきれいな、典型的なハワイアンの質素なお家で、玄関脇のテラスの椅子に「待っていたよ」といわんばかりの、笑顔いっぱいのチャーリーと奥様がいた。

「やっと来れました。やっと会えましたね!」チャーリーとハグをして、私は去年いただいたウィリウィリレイを見せながら、「本当にありがとう。遅くなってごめんなさい。ほら、実を持ってきましたよ。。」やっと私は約束を果たすことができた。

チャーリーは思っていたよりずっと年輩に見えた。むこうもそう思ったかもしれないけど・・・彼はきちんとアロハを着て、奥様もきれいな銀髪に真っ赤なムウムウ姿。おそらく未知?の遠来の客を迎えるに当たって、身支度をしてくださっていたのだろうと想像できた。お庭には遊具がしつらえてあり、お孫さんがいるんだな、、と思った。いや、ひ孫さんのための物かもしれない。

私は2年前夫を亡くし、悲しい思いだった去年、このレイをいただいてどんなに心が温かくなり幸せに浸れたかということを、初めてお話した。チャーリーの目にうっすらと涙がにじみ「それは大変だったね。ハワイで貴女を癒され、娘さんや孫たちの存在が支えている。。。いまの貴女が幸せでなによりだ!」と話してくださった。こちらに長期で滞在すること、フラをやっていること。。いろいろお話をした。

チャーリーは私の想像どおり、各クラフトフェアや、フラのイベントに出店しているのだという。メリーモナークにも毎年出店するのだそうだ。「あれはビッグビジネスなんでね。。」と誇らし気だった。「いつでもいらっしゃい、待ってるからね。きっとだよ」と言ってくださり、帰りにはなんとまた、白い実のレイと、ベルベットのような手触りと光沢のある濃いグレーの実のレイをプレゼントしてくださった。

白い実の名前はJob’s tears ベルベットの実はアフリカ原産の実でMgambo というものだ。植物の本まで持ち出して、説明して下さった。今日、私はまたハワイの人の飾らない温かさと大きさを感じ、幸せで一杯になった。また、必ずチャーリーを訪ねて行こうと思う。

ワイマナロへドライブすると、右手に素晴らしい海の景色が楽しめる。今日はまた特に青空が広がり、ブルーのグラデーションが美しかった。また、ワイマナロの海は薄いグリーンで、それはそれは素晴らしい。いただいたばかりのレイをかけて、窓を開けて車を走らせていると、この上もなく幸せな気持ちになった。

帰り道、ハワイカイのショッピングセンターに立ち寄った。どの店も広々としていて、きれいだ。人も少ない。たまには足を伸ばしてこちらに来てみるのもいいな。。と思った。

夜は同じコンドのミキさんの誕生祝で、二人で焼肉屋さんへ。
ここもちょっとワイキキからは離れているところだが、とてもおいしい。しかし、量が多いので食べきれずにお持ち帰り。。残ってしまった焼く前の生のお肉も持ち帰り可能で、我々は大喜び。お肉の包みを下げて家路についた。

いい1日だった。。。
2008年9月27日 (土)
親友キャロル

昨日と打って変わって青空が広がり、気持ちのいいトレードウインドが吹いている。家の窓を全部開け放すと、どの部屋にも風が吹き渡る。今日は私も元気で家の中を動き回っている。改装に伴い、キッチンのものをすべて別の部屋へ移さなくてはならない。重いものや、高いところにあるものはジャッキーパパに手伝ってもらって段ボール箱にいれ、別の部屋に運んだが、まだまだ残りの仕事がある。帰国の準備もあるので、並行して動いている。けっこう忙しい。

20年来、仲良くしている、アメリカ・アトランタに住む親友キャロルに、久しぶりに電話をした。彼女はプラチナブロンドの長い髪をいつもきれいに整えていて、おしゃれさん。その上大変な美人である。私より少しお姉さんで、背は私よりはるかに高く、体格もいい。頼りになるはずなのだが、二人ともどこか抜けていて、いつも二人でいると「OOPS!!」の連続だ。日本語で言えばさしずめ「あらま!大変どうしましょ?」、、の連続なのだ。

二人でアメリカ南部のスモーキーマウンテンのリゾートに車で小旅行したときも、小さな失敗の連続。二人でおなかがよじれるほど笑った挙句、キャロルが言った。「もしね、私が自伝を書くとしたら、もうそのタイトルは決まってるの。"OOPS!!"ってね。。もちろんその中にはキョウコも登場するのよ」。。面白い人である。

そんな二人なので、初対面から妙に気が合って、1989年ごろから私は一人でアトランタの彼女の家を訪ねて毎年一週間ほど一緒に過ごすのが習慣になっていた。それがなんと10年近く続いた。憲さんはもちろん、家族ぐるみの付き合いだ。憲さんはいつも協力的に私を一人旅に出してくれし、まだ子供だった娘たちも快く私を旅立たせてくれたものだった。これは何より有難い体験になった。

一人旅・・それが私をかなり強くしてくれたし、外国でなにがあってもオタオタしない度胸だけ
は身についた。キャロルは日本語を話さないので、英語は必須だったが、彼女とは波長が合うせいか、つたない私の英語で充分心が通じる。キャロルのせいではないが、そういうこともあっていまだにつたないまま。。である。それどころか、日々、後退してきていて困っている。

キャロルと来年ハワイで会おう、ということになった。話はすぐにまとまった。多分3月にはキャロルがやってくる。ハワイでの再会は2度目である。私はもうアトランタまで一人で出かける気力もないし、キャロルも日本に来るのは難しい。で、ハワイで会うのがお互いに好都合なのだ。

二人でいると笑いが耐えない。来年の再会が、本当に楽しみになってきた。もう何年も会っていないから、お互いに天然ボケ+アルファでかなりひどくなっているはずだから、どんなことになるやら。。である。

夜、「もしもし、ホノルルの警察ですが。。」と英語で電話があった。声を聞けはすぐわかる。いたずら好きのジャッキーママだ。私も負けてはいない。。。「ホノルルのポリスですか?ドイツからおかけですよね?」と応酬し、二人で大笑い。無事にジャッキー一家、ドイツのお家へ到着!の知らせだった。あちらではもう晩秋で、家についてすぐ、家中の暖房を入れ、暖炉まで焚いたそうだ。ジャッキーも一気にタイツに厚手の服にお着替え。すでにハワイが恋しいという。

ヨーロッパの人が太陽を求めて長期のバカンスに出るのがよくわかる。
またいつでもハワイに戻っていらっしゃい、ジャッキー一家!
2008年9月26日 (金)
ロコのテレビ局

めずらしく朝から曇りがち。昼過ぎには雨雲も広がり、空気が湿っぽい。こんな日私は頭と身体がどんよりしてくる。午後キッチンの改装に伴う用事があってコンドの管理会社を訪ねた。歩いていける距離なのだが、車で行くことにした。雨が降りそうだったし、身体も重かった。こういう天気はどうも苦手だ。

大統領選も追い込みに入ってきて、今日はTVでマケインとオバマのディベートが中継されていた。
この経済危機をどう乗り切るか?外交は?などということを話しているらしい。アメリカ国民がこれを見れば、彼らが何を考え、何をしようとしているか?二人の具体的な政策の差が誰にでもわかるのだろう。アメリカの政治がうまく行っているとはいえないが、少なくともいまの日本の首相交代よりわかりやすく、フェアな大統領選びが羨ましい。

こちらでは、日本の首相が変わったことなど、誰も知らないんじゃないだろうか。TVニュースに出ても来ないし。。

テレビといえば、ハワイにはローカルのTV局がいくつかあって、私はよくそれを楽しんでいる。思いもかけず地元のフラの発表会のビデオが流れたり、ローカルならではの番組がある。
ハワイ語も聞けるし、なにより、そののんきな番組作りが楽しい。

カメラがグラグラ揺れて、画面が乱れてもお構いなし。見ているほうは目が廻るくらいなのに。。マイクがハウリングを起こしていても、気にしない。定点で設置しているカメラの前を人が悠々と通り過ぎるし、カメラマンや音声さん、照明さんなんているのかしら?

スタジオでの制作番組はなく、どこかの町内会のミーティングや、イベントなどの録画が主である。コニシキのレギュラー番組もあるようだ。

フラの発表会もほとんどが屋外でおこなわれているようだ。テント張りだったりする。たとえ学校の講堂や劇場だったとしても、舞台装置などは、簡単そのもの。出てくる人たちはみなロコだから、服装も大変にラフだ。ミュージシャンもTシャツと短パンにゴムゾウリ。出ているほうも、緊張しているのかいないのか。でも、これはこちらでの精一杯、一生懸命。ベストをつくしてのことなんだと思う。

うーーん、いいなあ。。と思う。

技術が低いとか、頑張りが足りないとか、そういう問題ではない。
「生き方」なんだと、思う。
これがハワイの人の言うハワイアンスタイルなんだ。。。
今、私はこのローカル局の番組観賞に凝っている。

「早くしなさい、きちんとしなさい、時間は守りなさい、しっかりね、頑張るのよ!!」と言われて育った日本人にとって、ハワイ人の文化、生き方をとても羨ましく思う。

これだけ多くの人が日本から来てハワイを心から楽しむのは、そんな気持ちがあるからだろう。私もその一人だが、ハワイの文化をこちらに引き寄せるのではなく、ありのままを受け入れ、感じたい。。そう思うようになった。

この大きな文化の違いは簡単には乗り越えられないし、また、乗り越える必要もないのだから・・・。
2008年9月25日 (木)
スマイル〜!

今朝、デリンハム通りの運転免許試験場に出かけ、2002年に取得したハワイの運転免許証の更新をした。来年2月まで有効なのだが、早めに更新することにした。

更新の申込書に必要事項を書きいれ(英語)、視力の検査を受け、写真を撮ってもらい、サインをして、右親指の指紋を取っただけ。。。申込書に身長、体重、目の色、髪の色まで書き入れなくてはならなくて戸惑ったけれど、落ち着いてよくよく見たら、今使っている免許証にしっかりとすべて書き込まれていた。身長、体重とも7年前とさほど変わっていないと思うので、そのままの数字を書き入れた。私の目の色はブラウン、髪の色もブラウンらしい。次の更新には髪の色がグレイと書き込むことになるかもしれないけれど。。。

写真を撮るときに「スマイル〜!」と言われたので、思わず、ニコッ!。
ちょっと笑いすぎだったか。。。なんだかとても元気な写真入りのライセンスが出来上がった。日本での証明写真は、歯を見せない程度の微笑みが良いとされているようだが、私はこれがどうも苦手である。

デザインはお馴染みの虹がモチーフだが、前のより色が濃く、全体的にかなり派手である。上の部分に濃いピンクの線が入っていて、ハワイ州の旗も描かれている。私の顔写真が大小2つ載っていて、大きい方の写真のしたには、先ほど書いたサインが刷り込まれている。ずいぶん凝った証明書だ。新しい免許証そのものは、ものの2分で出来上がった。

手続きに要した時間は待ち時間を入れて、30分。今後6年間有効で、支払ったのは18ドル。
外に出て、免許証を太陽に当てたらCDのように七色に輝いた。本当に派手である。

免許を取ったものの、憲さんがいたころはめったに運転しなかったのだが、必要に迫られて運転を始めて二年余り。やっとホノルル周辺なら、ドキドキしないで運転できるようになった。7年前、苦労して取得しておいてよかった。。本当に助かっている。

最近、ディッシュウオッシャーの調子がおかしい。洗面所の水道の栓も調子が悪い。シャワーの温度調整も余りうまく行かない。改装しようとか、新しいものに買い換えようか。。。と思ったとたん、古い物のご機嫌が悪くなることがよくある。今、まさにそういう状態だ。

「今まで頑張ってきましたけれど、もうこの辺で私の役目を終わります。ハイ。。」といわんばかりのタイミングで・・・・。

「長い間ご苦労さま、頼むからあと2週間、私がこちらにいる間だけでいいから、機嫌よくしていてね。。」と祈るような気持ちで、大切に使っている。
2008年9月24日 (水)
ジャッキー帰国の途へ。。

今朝、ジャッキーたちが元気にハワイを発った。
最後までニコニコしていたジャッキー。
「ちょっとだけ、お別れね。またすぐ会おうね!」

11月14日のジャッキーの一歳の誕生日にあわせて、私はドイツに出かけることになっている。10月から単身赴任で、ジャッキーパパが不在になるのて、育児の手伝いも兼ねていくことにした。出産の手伝いに行ってから、ちょうど一年だ。

去年は、諸事情でドイツのステキなクリスマスを迎えることなく、日本に帰った。「今年こそ、クリスマスをドイツで迎えてね!」とジャッキーパパも勧めてくれた。で、お言葉に甘えて一ヶ月半くらいの滞在予定になりそうだ。私もドイツの彼らのお家に冬物を置いてきているので、持っていくものはごくわずか。。ジャッキーママのリクエストで、日本食材を買っていくくらいなので、気持ちはラク。フライト時間が12時間と長いけれど、それくらいは我慢我慢。

みんなが居なくなって、急にがらんとした家には、洗濯物がイッパイ。シーツ、ピローケース、タオル。などなど、、。淋しくなるどころか、朝から洗濯機を何度回したことか。。これは私があと2週間で日本に戻るための準備でもある。一応、すべてをきれいにしておかないと、戻ってきたときに悲惨だから。。
洗濯は大好きなので、苦にならない。一気に洗い上げて、今、最後の洗濯物が乾燥機の中で廻っている。ま、これは淋しさを紛らわせるための作業なのかもしれない。

一通りの掃除を終え、ぼーっとして午後が過ぎた。

夕方から、憲さんの後輩の方たちとまたお会いすることになった。
ハワイに長期で住みたいと願っているUさんは、セーフウェイの会員カードを是非作りたいということだったので、ご一緒した。簡単に手に入るカードだが、なんだかハワイの住人になったような気がしてうれしい、、と喜んでくださった。その気持ちが、とてもよくわかる。。

そのあと、憲さんのお墓へ。もう日ぐれも近かったので、さすがに墓地自体が閉まっていた。仕方なく外から、憲さんにご挨拶。。セーフウェイより、こちらに早くくればよかった。。と悔やんだが仕方がない。先輩に会うのはまた来年。。。Uさんは来春もハワイにいらっしゃるというので、次回はお墓優先で行きましょうね。。とお約束をした。

そのあと、みんなでお食事。日本料理を堪能して、大笑いをして楽しい時間を過ごした。同年輩の方とのおしゃべりは、格別に楽しいものだ。あっという間に時間が過ぎた。私が注文したのは、さんま定食・・・とっても美味しかった。

家に帰ると、ジャッキーママからメールが入っていた。成田に無事に着いたという知らせだった。成田に二泊してドイツに帰るという。

三人とも、無事でよかったよかった。
2008年9月23日 (火)
元気寿司とマラサダ

いよいよ、明日朝ジャッキーたちがここを発つ。
彼らがしておきたいこと、私が彼らにしておいて欲しいことが幾つかあって、今日はそれの総決算日。

もちろん彼らはビーチに行きたい。元気寿司で、お昼も食べたい。マラサダもレナーズのを食べたい。
夕食は家でポキディナーにしたい。そしてもちろん、憲さんのお墓にもさよならの挨拶を。。。
さらに、買い物で膨れ上がった荷物をなんとかスーツケースに収めるのも大変な作業になるはず。

私は私で、10月から始まるキッチン、お風呂場のリノベーションのために食器や荷物の移動を彼らに頼みたい。有料TV番組でほとんど見ないものがあるので、それを解約して毎月の受信料を下げたい、ついてはジャッキーママにその交渉を頼みたい。。。などなど、、盛り沢山だった
ちょっと今日は早起きして、一つ一つこなしていった。

ジャッキーが這い回る中を、三人の大人が右往左往して、なんとか昼までに家の中での作業は終了。まず、元気寿司、マラサダで昼食、デザートのコース?を楽しんだあと、夕食用にアヒポキ(ククイナッツ入り)、スパイシーポキ、サーモンポキ、それにウォータークレスとお豆腐のサラダを買った。そして、オレンジ色と黄色の百合の花を持って憲さんのお墓へ。。。

ジャッキーがおじいちゃんの眠るお墓の傍の芝生にちょこんと座り、散ったシャワーツリーの花びらで遊んでいる。その姿をみて、胸が痛くなった。でもほんのちょっとだけだった。『見てるよね。憲さん、ここにジャッキーとみんながいるよ。。。』皆、そう思っているようで、4人とも笑顔だった。ジャッキーも芝生の感触に戸惑いながら、めずらしそうに辺りを眺めていた。

憲さんのお陰で今の私たちの幸せがある、と家族みんなが思っている。。。それを感じることができてうれしかった。

家に帰ると、ジャッキーたちは水着に着替え、ビーチへ飛び出して行った。
今日は最後の日だから、のんびりお昼寝なんかしていられないのだ。。
赤ちゃん用の浮き輪を買ってもらったジャッキーは、プカプカとそれで海に浮かぶのが大好きだ。
今日も夕方までビーチにいて、元気に帰ってきた。ワイキキの砂と一緒に。。

荷物の整理が終わりかけたとき、ジャッキーパパが「次に来るときのために、アロハシャツとか水着とか、置いておくけど、いいですか?」という。もちろん!いつでも帰っていらっしゃい!!である。
若い家族のためのものが、この家に沢山そろった。憲さんのクローゼットに彼らの衣類が並ぶ。もちろん、マヤママが置いて行ったものもある。

リビングにはおもちゃが広がっているし、テーブルにはハイチェアーが。。。
横浜のうちも同じこと、ハワイのこの家も様変わりした。

人生ってこういうものなんだな。。
2008年9月22日 (月)
ジェームズ ボンド

今夜は、パパとママは今夜2度目のデート。私はベビーシッター。

今夜二人は「チャックス セラー」というレストランに出かけた。ここは、憲さんが現役時代から通っていたところで、ステーキ、プライムリブなどがおいしい。スチームドクラムも美味しくて、我々家族にとって思い出多い大事なところ。いつの間にかジャッキー一家や、マヤ一家もここが気に入ってしまった。

憲さんが亡くなって、悲しかったあの時も、親戚一同でここに来た・・・。思い出の場所である。ジャッキーパパは、ここを予約するとき「ボンド」という名前を使う。ジェームス ボンドに憧れてのことか??
だからここに彼と来るときは気をつけなくてはならない。「ボンドさまこちらへ。。」といわれて、知らん顔をしてるわけにはいかない。誰かが聞き耳をたてて「ボンド」を聞き取らないと・・。

ジャッキーママが小学生のころに、初めてここへ連れてきた。当時からJALの乗員たちが好んで来る場所でもある。そのときも数人のスチュワーデスたちが、楽しそうにかつ華やかに食事をしていた。それを見たジャッキーママは「私もスチュワーデスになって、世界中のこんなレストランでお食事がしたい!」と思ったのだそうだ。今回初めてそれを聞いた。『そうだったのか、あのときがきっかけか・・』
幼い夢とはいえ、私は改めて小さい頃の印象がいかに強く、その後に影響するものであるかを思った。

ジャッキーママは大学卒業後夢を実現し、世界中を飛んで、今は出産休暇中。産休が3年間という恵まれた会社にいるので、今なジャッキーとの時間を満喫しているが、いずれはまた空を飛びたいと思っているらしい。かえるの子はカエル・・というところか・・

今夜その思い出のレストランで、ジャッキーパパと二人ゆっくりお食事が出来て嬉しかったと、ママはうれしそうだった。

今、イスラエルに滞在中のマヤ一家からスカイプが入った。
元気そうで安心したが、あちらのおばあちゃんが、すべて家事をしてくれるので暇で仕方がない。と贅沢なことを言っている。ハワイほど自由に動けないから、時間をもてあますのだろうが、これから最低20年間は子供を守るために、間断なく忙しい日々が続くのだから、今の暇な時間をたっぷり味わいなさいよ。。と思う。

彼らはあと10日ほど滞在した後、ドイツ経由で日本に戻る。その乗り継ぎのドイツ(フランクフルト)で、幸い2日間ある。そこで、ジャッキー一家のお家に泊まりに行くことにしたらしい。また、マヤとジャッキーのご対面である。6月の日本に引き続いて、今回はドイツで。。なにかと慌しい家族だが、きっと楽しいドイツでの一夜になることだろう。
2008年9月21日 (日)
愛されてるのねぇ。。

今日から、またジャッキー一家は我家へ戻ってきた。予定通り、10泊したコンドミニアムでの生活を終え、これからまたここに3泊して24日に帰国する。といっても、ドイツへ一気に戻るのは大人でさえかなりこたえる長旅になるのでジャッキーの体のことも考え、また、日本食の買出しの目的もあって、成田で一泊か二泊して、ミュンヘンに戻ることになっている。

ジャッキーは、この10日で著しく変化した。ハイハイが力強く速くなった。まるで爬虫類のような動きで一見不器用なのだが動きが素早い。もう少しも目が離せない。ママもパパも大変だ。ハワイに来て、初めておすわりし、ハイハイをはじめ、つかまり立ちだけれど2本の足でしっかりと立ち上がり、2本の歯が生えた・・・成長ぶりがすごい。たった3週間でこの変化だ。アトピーもすっかり消え、白い肌が若干小麦色になり、海に入るのが大好きなハワイっ子になった。

ジャッキーママにとっては、ここは実家のようなものだ。すっかりリラックスして「ああーハワイはいいわぁ。。」などと言っている。たまにはパパにジャッキーを預けて、私と二人でショッピングなど、気ままに過ごしたい時間もあったらしいのだが、ジャッキーパパはいつもみんなで一緒にいたいらしく「僕も行く・・」と言い出す。よくあるパターン。

「私って、愛されてるのねえ。。」とママは笑い、結局4人一緒に動くことになる。もちろん、ジャッキー一家のプライバシーは守ってあげたいと思うから、私が身を引く?こともある。「三人でいってらしゃい!!」といっても、ジャッキーのお守り役が必要なことも多く、私の出番も多かった。そんなこんなが嬉しいバアバなのである。

今夜私は憲さんの高校の後輩である、Uさんにお会いするために出かけた。ゴルフとハワイが大好きで、よくこちらにいらっしゃるという。将来ハワイで過ごしたいという夢をお持ちだ。

もし憲さんがいたら、その夢の実現に、いろいろアドヴァイスやお手伝いができただろうと思うので、私も出来るだけUさんがハワイを想うお気持ちを大事にしてさし上げたいと思っている。

Uさんと同行の方3名と楽しく夕食をいただいた。そのうちのお一人のお嬢さんの名がコナちゃん、息子さんの名がヒロ君というのだそうだ。どれだけ皆さんハワイがお好きか、想像がつく。「コナ、ヒロの二人の子供をビッグアイランドへ連れてくるのが夢です。。」という若いお父さんの夢が早く実現しますように。。。
2008年9月20日 (土)
コモド ドラゴン

ジャッキーの滞在もあと数日となった。ドイツを離れて一ヶ月、こんなにも長いバケーションを取れたのは、実は、ジャッキーパパが10月から新しい会社に転職するから。。ということもある。大まかに言うと、ミュンヘン郊外の会社からフランクフルトの彼にとっては新しい会社に変わる。職種は同じで、いわゆるヘッドハンティングを受けての転職だ。退職する会社の有給休暇の消化もあって、ロングバケーションが可能になった。

一昨日、パパが顔を紅潮させながら感慨深く話してくれた。「こんなに長い間、朝から晩までジャッキーと暮らせるなんて、勤めを持っているものにとってはまったく夢のような日々だった。今までの職場は海外出張が多く、まともにジャッキーと過ごす時間がなかったので、今度は、出張のない安定した生活のできる職場を選んだ。けれど僕がジャッキーとこれほど密着して暮らせる時間があるわけではない。ハワイにきて本当にいい時間を過ごせていることが、とてもうれしい」 それほど貴重な一ヶ月のロングバケーションをハワで過ごしてくれたこと、私も一緒に楽しめたこと、感謝したいのはこちらのほうだ。

10月の転職と同時に、パパはとりあえず単身赴任でフランクフルトに移り、新しい家を探す。お家探しが落ち着いたら、来年の春あたり、ジャッキーとママもフランクフルトにお引越しということになる。一家にはそんな大きな仕事が待ち構えている。ハワイでの日々は、束の間のくつろぎの時間なのだ。ジャッキーママは独身時代、数年フランクフルトに住んでいた。私と憲さんも何度も訪ねた懐かしい街である。またそこへ彼らを訪ねていけることが、うれしい。

先日、ジャッキー一家がホノルル動物園に遊びに行った。
ドイツや、日本の動物園から比べれば規模が小さいので「どうかな?」と思っていたら、ジャッキーパパがことのほか感激して帰ってきた。「すごい、ホノルル動物園はどこのよりすごい。。よかったよ!すごいもの、見ちゃった!!」

一体、何がよかったのか?と思ったら、長年見たいと思っていた「コモド ドラゴン」という貴重な爬虫類がいた。。という。「なにそれ?」・・私は何度も聞いた。出張先で探してみても絶対見られなかったもので、見てみたい!!とずーーっと思い続けていたのだそうだ。ジャッキーママも「なんか気持ち悪い、爬虫類よ」というだけなのだが、彼にしてみれば憧れのスターに会ったような気持ちだったらしい。それを聞いて、私も嬉しかった。ジャッキーはほとんどベビーカーの中で熟睡したまま動物園をまわり、パパとママだけが喜んでいたらしい。せめて記念に、、とママに無理やり起こされてキリンと一緒に撮ったジャッキーの写真の顔は、今まで見たことがないくらい、不機嫌そのものだった。かわいそうにね。。

今日、ワシントンにいるようこちゃんにお電話をした。
ようこちゃんは過日受けた健康診断の結果、病気かもしれない・・・ということで、ワシントンに住む息子さんのお家を基点に、数々の検査を受けるために、ハワイを離れ、今ワシントンにいる。

そろそろ検査結果がわかったかな?と思ってお電話をしてみた。ご本人が出て「はいはい、私。。元気よ!きょうこちゃんは?」といつものとおりの声。ホッとして聞いてみると「検査の結果ね、心配ないって。もうハワイへ帰ってもいいんだけど・・いや、どちらかというとすぐにでも帰りたいんだけど、こちらの家族がもう少しいなさい、、というんでね。10月16日にハワイへ帰ることになったの」

あーーー。ホッとした。ようこちゃんは、私の予想通り元気だった。「病気じゃないことを証明するために行くんだからね。ワシントンから早く帰ってきてね」と、ようこちゃんにいい続けた願いが、神様に通じたような気がする。とてもうれしいことだった。

2月にハワイで再会したら、楽しいときを過ごすことができる。楽しみだ。

ふと気になって、私のハワイの運転免許証を見てみたら、来年の2月で期限が切れることがわかった。ああ、気がついてよかった。。帰国するまでに更新に行ってこなくちゃ・・・ハワイの車のナンバープレートと同じように、虹の模様のついた運転面免許証はこちらでの大切な身分証明書でもある。大事にしなくては。。。
2008年9月17日 (水)
ハワイアンナイト

いつも使っているハワイの銀行のキャッシュカード。これがATMで使用不能になった。「このカードではお金が下ろせません」という文字が表示されて、むなしくカードだけが機械から出てくる。お金は出てこない。何度試みてもだめ。。。私はこのカードを頼りにハワイで生活しているのに・・不安でいっぱいになり、じっくりと考えてみた。口座に残高はまだあるはず、カードの磁気がおかしくなったのか?それとも。。。?心配しながらも、忙しくて数日たった。そしてやっと思い当たった。

なんとそのカードの有効期限が切れていたのだった。どうやら、時期から考えると新しいカードは日本の家に送られているらしい。早速銀行にでかけた。やはり新しいカードは日本に送られたあとだった。新たに作ってもらうカードが出来るまで一週間かかるという。そして待ちに待ったカードがやっと今日、出来たので取りに出かけた。あーー、やっとこれでお金が下ろせる。ほーーっとした。楽しいハワイ生活だけれど、いろいろなことが降りかかって来るものだ。

今日は久しぶりにフラのK先生と会うことになっていた。
ジャッキーパパとママも、ハワイで結婚式を挙げて以来K先生とは親しい間柄。「今夜は一緒に飲もう」ということになった。二人の希望で、K先生が本格的ハワイアン料理を、お店からテイクアウトしてきてくださることになった。本来なら有名なオノレストラン出かけたいところだが、赤ちゃん連れではとても無理。ありがたいことに、先生は一抱えの料理を運んで来てくださった。

ポイ、ラウラウ、アヒとリムのポキ、生のカニのポキ、ロミサーモンなどなど、、キッチンで先生が実演して仕上げてくれたポイは新鮮でまた適度に発酵していて、とてもおいしかった。ジャッキーパパは、ポイだけはどうも苦手だ、、と宣言した。さすが外人、気を使って我慢して食べることはしない。
こういうのも、気楽でいい。

母方のおじいさんがドイツ人、父方のおばあさんが日本人だというK先生だから、なんとなくお互いに不思議な親しみを感じるらしい。同じドイツ人の血が流れているジャッキーも、すぐにK先生に笑顔をふりまいた。そうだ、日本人の血も流れているから、気が合うはずだ。。そういう話で盛り上がった。

パパが苦手のポイは栄養的に素晴らしいので、離乳食に最適だというので、早速ジャッキーに食べさせてみることにした。ママが一すくいずつスプーンで食べさせると、それはおいしいそうな顔をして、うれしそうに平らげた。それからが大変だった。ポイパワーとでも言うのだろうか、ジャッキーが急に元気になって、キャッキャッと騒ぎ出した。「先生、ポイに何か混ぜなかった?」と聞いたほどだった。

無類の子供好きのK先生のことがわかるのか、ジャッキーは先生の膝のうえで、とても楽しそうに長い時間を過ごしている。「めずらしいね。こんなに長い間あきないで抱かれているなんて、、」と思ったら、プロのダンサーだけあってK先生の足が絶え間なくリズムを刻み、それも時々テンポが変わるのでジャッキーは飽きるどころかそのリズムに身体をゆすられながらニコニコ・・・。俗に「貧乏ゆすり」ともいうが、テンポが変わるのがさすが。。

ふと見ると、先生の両手の指が青い。染料で染まっている。先生は、10月半ば過ぎから始まる日本でのライブショウの準備に忙しい日々を過ごしている。衣裳まで自分で作っているという。布を染め、それをデザインし、縫製に至るまで自分の手で、、と頑張っているらしい。今回はフルコスチュームでのショウ。ダンサーもハワイから来日するし、本格的ないいショウになりそうだ。先生の夢の一つ、プロデューサーとしての仕事のはじまりでもある。応援したいと思う。

夜もふけてお開きとなったとき、ジャッキーママが恐る恐る「K先生、一曲踊ってくれませんか?」と切り出した。先生は最初渋っていたけれど、いつものとおりすぐ気分が乗ってきて「じゃ、京子と一緒なら!」ということでニコニコと腰を上げてくれた。私もテレながら、先生と二人で孫の前で初めてフラを踊った。なんだか感慨無量だった。曲はパパリナラヒラヒ。。。特に理由はない。自信を持って覚えているのはこの曲だけだから・・・ホント、すみません!K先生。

この秋の日本での先生のプロジェクトの打ち合わせもしっかりしながら、楽しいハワイアンナイトだった。
2008年9月16日 (火)
酸素が足りない!

今日は久しぶりに空気もクリアで、ハワイらしい青空が広がったが、ここ2、3日、なんとなくモヤがかかったようなお天気だった。コナウインドが吹いて、生暖かく、ハワイの爽やかさが感じられなかった。
晴れているにもかかわらず、なんとなくスッキリしなかった。その原因がハワイ島からの、火山灰だということを、初めて知った。

ジャッキーパパが参加したマウンテンバイクのツーリングのガイドさんが「これはハワイ島の噴火による灰」だと説明したのだそうだ。偶然、その夜、私は同じコンドにすむミキさんから、もっと詳しい話を聞いた。噴火の影響は火山灰だけではなく、酸素そのものも薄くなってくるのだそうで、TVの天気予報で酸素の濃度まで毎日レポートされているのだという。

そういえば、思い当たる節がある。昨日はなんとなくモヤモヤした気分で、家に来ていたジャッキーの両親も、ジャッキーも、私も真昼間から、倒れこむように寝てしまった。「なんだかわけもなく、疲れたね。。。」 そういう気分だった。

「それは酸素が薄かったせいよ、私も頭が痛くて。。家の犬もぐったりしていていたもの、、」とミキさんが理由を説明してくれた。

今年は特に噴火が多いらしく、ホノルルの視界が悪くなるほどの火山灰が流れてきたこともあったらしい。ハワイ島の農家や、お花を栽培しているところは壊滅的な打撃を受けているというニュースも流れている。喘息などの呼吸器系の病気を持った人が、ハワイ島から非難している、、という話も聞いた。

かといって、桜島の火山灰のように、車にザラザラしたものが降り積もるわけでもない。粒子の細かい灰が風に乗って流れてくる、という表現が当たっているとおもう。サンフランシスコのミルクを流したような霧に似ている。

ともかく、今日からはクリアな空気と風が戻るだろうとの天気予報で、ホッとした。オアフはこの程度で済むけれど、ビッグアイランドの人は大変な思いをしているのだろうと思うと、心が痛む。
どうか、少し鎮まって下さい、、と、火山の女神「ペレ」にお願いしたい。

今日、ジャッキーパパとママはタンタラスの丘まで登り、そこから自転車で下りて来る、、というアクティビティに参加した。パパにとっては、頼りないくらいのコースだっただろうが、ママは5年ぶりで乗る自転車に緊張気味だったという。久しぶりで澄み切ったホノルルの景色を、タンタラスの丘から見ることが出来て感激して帰ってきた。その間約4時間半、私はジャッキーと二人で、散歩に出たり、家で遊んだり。。。楽しかった。

お昼になっても、ジャッキーから目が離せないので食事を作ることが出来ない。そこで、ワイキキのバーガーキングへ。幸い、そとのテーブルが空いていたので、ジャッキーと二人向かい合って私はバーガー、ジャッキーは赤ちゃん用のおせんべいでランチをした。やさしそうなお店の人がジャッキーの相手をしてくれて「この子はジャパニーとハオレのミックスか?」と話しかけてきた。ジャパニーズというのが本当だろうが、ハワイの英語ではジャパニー、、としか聞こえない。またハオレはハワイ語で白人のことを言う。いかにもハワイの人らしい質問の仕方で、おかしかった。ジャッキーは傍に寄ってくる白い鳩が気になって「アタ!アタ!」と話しかけていた。このごろジャッキーは顔が合えば「アタ、アタ」という。
「アタアタベイビー」とあだ名がついた。

このコンドにも、同じような赤ちゃんがいて、その子も「アタアタ・・・」と言っているし、スーパーですれ違うよそのあかちゃんも「アタアタ・・・」。ここまでは万国共通語なんだな。。と楽しくなる。

今、イスラエルを訪れている、マヤママとスカイプをした。
地球の反対側なのに、鮮明にマヤの顔が画面に。。。全く遠くに離れているような気がしない。インターネット、スカイプのお陰で、私もハワイに安心して滞在することができる。

インターネットはもちろん、携帯電話もなかった時代だったら、私はこんな風な生活を出来なかったと思う。娘が住むところが地球のどこであれ「まあ、いいんじゃないの。。」などと笑ってはいられなかっただろう。11年前に始めたパソコンとのお付き合い、これからも少しずつ勉強して、パソコンで色々挑戦してみたいと思う。目の疲れがかなり、気になるけれど。。。
2008年9月14日 (日)
立った、立った!!

今日はめずらしく海からの風が吹いていて、天候がよくない。いわゆるコナウインド。
今日は家の窓から、ホノルル空港へ着陸する飛行機が見える。この方向に飛行機が見える時は、天候が悪い。向かい風を受けて着陸する飛行機は、風向きによって、空港へのアプローチの方向が変わるのだ。いつもは離陸してアメリカ本土方面に戻っていく飛行機が見えるのだが。。今日は逆。

今日はジャッキーパパがマウンテンバイクで、コオラウ山脈のカアアワ渓谷あたりをツーリングするというツアーに参加している。ちょっとワイキキのお天気がよくないので心配だ。でもハワイは一山越えると全く天候が違うので、カアアワ辺りが晴れているかも知れない。どうかそうでありますように・・・。
ヨーロッパの人は自然の中のスポーツが大好き。アルプスでスキーなんて簡単にできるし、マウンテンバイクで山を走るのも大好きなパパだから、ハワイのツーリングをおおいに楽しむに違いない。

パパはトレッキングにも興味があるが、一人ではつまらない、一家で行きたいから。。と言う。ジャッキーが大きくなるまでお預けだ。「まず、ジャッキーが立って歩けるようになることが先決だね。まだ大地を踏みしめたことのない可愛い足の裏で、「たっち」する日はいつだろう??」と話していたら・・・
今日、ジャッキーが立った!!生まれて初めて、両足を踏みしめて「たっち」した。

もちろんつかまり立ち。家のソファーにつかまったかと思うと、フラフラっと立ち上がったのだ。パパがツーリングのツアーに出ている間に、ジャッキーとママがランチを食べに家に来ていたときだった。

なんとなく気配を感じていたので、私はそっと、ビデオカメラを回していた。と、本当にジャッキーが立ったのだ。感激で思わず涙が出た。ハワイでお座りが完全にできるようになり、歯が生え、つかまり立ちまで出来るようになった。たった、2週間の間に、これだけの発達がある。すごいな、人間って。。。

今、マヤ一家は、マヤパパの故郷イスラエルにいる。フランクフルトまで12時間、さらにテルアビブまで数時間。長旅を三人で乗り切っての里帰り。家の孫たちは忙しい。さっきマヤママからメールが入った。「こちらに着いたらすぐ、マヤはゴロゴロと床を転がって移動できるようになりました」と・・・

まあ、それぞれに成長が著しく、バアバはそのたびに嬉し涙を流す。
みんな大げさだというけれど、だって嬉しいんだもの。。

今日はまた、夕方からベビーシッター。パパとママはテニスを楽しむ。
私は、ジャッキーを再び立ち上がらせて、感激を新たにしてみようかしら。。。すっかりジャッキーは私のおもちゃである。
2008年9月13日 (土)
歯が生えた!!

一昨日からジャッキー一家は予定通り、家から徒歩2分の別のコンドミニアムに移った。3週間と少しの滞在のうち半分を我家で、半分を別のコンドで過ごすことになっていた。ジャッキーママにとっては、前半が里帰り、後半は家族だけで水入らずのリゾート気分を満喫できるというわけだ。彼ら夫婦はいつもそういうパターンでハワイを訪れる。憲さんがいたときもそうだった。

とはいっても、毎日うちに何度となく出入りするし、行動はほとんど私も一緒。水入らずのはずがなかなかそうはいかない。彼らにしてみたら、ジャッキーを私に預けて、二人だけで海に飛び込みたいし、
二人だけで買い物もしたい・・・。私は私で、普段会うことが出来ないジャッキーを独り占めして、過ごす時間があるのはとてもうれしい。そんなこんなで、今日もジャッキーは、バアバと過ごす時間が多かった。

ここの潮風がいいのだろう、ジャッキーの軽いアトピーがすっかり良くなった。こちらに来てから、ドイツで処方してもらったお薬も全く不要になっている。私自身も感じることだが、ハワイにいると、肌の具合がいい。きっとこの塩分を含んだ空気のせいだろうと思う。カラリとしているようで、適度に湿り気があって髪の調子もいい。

先日、ジャッキーの初めての歯が顔を出した。待望の歯だ。ジャッキーママも私も感激して大喜びだった。しかしドイツ人のパパは「歯が生えるときはその痛みで、赤ちゃんが大泣きをするのに、なぜジャッキーは泣かないんだろう??」と不思議がっている。「日本で私はそんなことを聞いたことがないわよ」と反論すると、歯が生えるときの痛み専用の赤ちゃん用の鎮痛薬がドイツにはあるのだ、、と言い張る。アメリカ人の友達からも同じ話を聞いているよ。。とパパは言う。ジャッキーの歯が、痛みもなく生えたということは、日本人のDNAのお陰なのか。。とみんなで納得した。

ハーフの子は、生まれてしばらくすると、目の色が変わるとか、髪の毛の色が変わるとか、日本人には考えられないことを聞いていたが、ジャッキーの目の色は黒いまま。。。髪の毛は確かに黒から、薄茶になってきた。ハワイの太陽にさらされたせいかもしれないけれど、この変化にはびっくりだ。

ワイキキの様子がすっかり変わってしまいそうなくらい、各ホテルのリノベーションがおこなわれている。
今はワイキキシェラトンも、ロイヤルハワイアンホテルも工事中で殺風景だ。ホテルのグレードを保つために競うように工事が続く。

それなのにサーチャージが高くて、日本からの観光客が減っているという。たしかに、以前の賑わいはない。ヘタをすると航空券よりサーシャージの方が高い。。というのだから驚く。大丈夫なのかな?ハワイの観光業界や、経済は。。と私まで心配になってくる。物価は上がるし、ガソリンはもちろん高い。今、先進国で、生活用品の物価が一番安いのは日本ではないかと思う。

ハワイはパラダイスだけれど、物価がねえ。。。とみんなが言う。小さな島だから、自給できるものが少ない。ほとんどのものがアメリカ本土から運ばれてくる。ハワイはそういう運命にあるから仕方がないのだが。。。
2008年9月5日 (金)
外国人のお婿さん。。

午後から、ワイケレのアウトレットに、再度買い物に行くというジャッキー一家。今日は私も行ってみることにした。ドイツにはアウトレットというものや、バーゲンでも、こんなに安くなることがめったにないので、ジャッキーパパとママはハワイに来るたびにいろいろお買い物をする。今までは自分中心だったママの買い物が、ジャッキー中心になった。親になるということは、こういうことなんだな、、とあらためて思う。

私はハワイにいると、いくらあっても足りない薄手のTシャツの補充。それに11月に行くことになっているドイツ用にセーターとカーディガンを。。。常夏のハワイでも厚手のセーターやカーディガンを売っている。いつも不思議な気がしていたが、今日、私はとてもお買い得な冬物をここハワイで手に入れてうれしかった。

ジャッキーは長いお買い物の間、バギーに乗ってきょろきょろと私たちを下から見上げては、ご機嫌。
訳のわからないことをいいながら、付き合ってくれた。いい子にしていてくれても、まだアイスクリームも食べられないし、ジュースも飲めない。お家から持ってきたドイツ産の赤ちゃん用お茶を飲ませてあげるだけ。。ごめんね。ジャッキー。このお茶、試しに飲んでみたら、とてもまずい。ウイキョウというのだったか、独特の薬草のにおいがする。欧米の子供たちはこれが好きらしく、お菓子にもこの匂いのするものがある。
ジャッキーママも私も声を揃えて「これ、まずーーい」

でもジャッキーは平気でゴクゴク。。。ちょっとびっくりする。「ドイツで生きていくんだからね。これを飲まなくちゃ、、」とジャッキーママは目を細めている。一方では離乳食のおかゆや、豆腐系が大好きで、日本風の味も大好き。これで、日本人としても生きていけそう・・・と私はホッとする。

家族4人の洗濯を一手に引き受けている。と言っても洗うのは洗濯機だし、干すのは乾燥機だから、放り込むだけなのだが、ベビーと毎日ビーチに行ったり、ジョギングを欠かさないパパとママのものがあるから量も多いし、結構時間もかかる。

その上、またか?と思うくらいよくシミをつけて帰ってくるパパとジャッキーのものは「染み抜き」をする。
私は「染み抜き」だけは上手だと自負しているのだが、あらゆることをしても、なかなか落ちないものがある。

そこでジャッキーママから聞いたドイツ式染み抜き法を、半信半疑で試してみた。なんと、シミのある部分を直射日光に当てておくだけで、どうしても取れなかった緑黄色野菜のシミが、跡形もなく消えた。。。。眼を疑った。
ケミカルなものを極力避ける、ドイツ人の知恵なんだそうだ。

水道の周りにつく、石灰の白い汚れはレモンの切り口で軽くこすりレモン汁をかけて、しばらくあとででふきあげると、本当にきれいになる。それもジャッキーママから聞いた。ジャッキーのドイツのお家のあたりは、ミネラルは豊富だが、石灰分の多い水なので、水まわりには石灰がつきやすく掃除が大変なのだが、これはポッカレモンでも代用できるとのこと、勉強になった。

ジャッキー一家は毎日、家を出たり入ったり。。。本当にハワイを楽しんでいる。若い人たちが来ているときだけ、家の玄関やバスタブにビーチの砂が落ちている。ワイキキの砂だ。家が活気づいたようで、うれしい。

男手がなくて、普段出来なかったいろいろなことを、ジャッキーパパに頼んでいる。車の点検から、高いところのものを取ってもらったり、ちょっと家具の移動を頼んだり。。

思うに、外国人のお婿さんたちって、気を使わなくて済むので気がラクだ。その点、私の性に合っていてありがたい。第一、ケンカをしようにも、私の英語じゃ太刀打ちできない。してほしいこと、して欲しくないことをはっきり言い合う。なんというか、娘を挟んだ仲間のような存在なのだ。

今は孫がいて、余計に楽しい関係になっている。うれしいことだとつくづく思う。
2008年9月4日 (木)
ベビーシッター

今日9月4日は、ジャッキーの両親の4回目の結婚記念日。
正確にいうと南ドイツで入籍式をおこなった日。そのすぐあと、10月に二人はハワイに飛び、日本からの友人に来ていただいて教会での挙式をしたのだった。

ドイツでの入籍式の様子は、HPの世界旅日記「ドイツ式結婚とは・・」に記録してあるが、今もその思い出は鮮明に私の脳裏に焼きついている。あのときは、憲さんが本当に幸せそうで、緊張するどころかすっかり寛いで、ワインを飲みすぎて危うくダウンしそうになった。さすがの憲さんもドイツ人のお酒の強さには舌を巻いていたっけ。

そんなこんなが思い出される今夜、幸せなジャッキーパパとママは二人だけのディナーに出かけた。
今年の記念日はジャッキーがいて、また格別の想いがあるだろう。でも今日は特別。
ジャッキーはバアバとお留守番とあいなった。ベビーシッターとしては、張り切らざるを得ない。

普段から機嫌のいい子だが、パパとママが急にいなくなると泣くんじゃないか・・・でも、思いっきりジャッキーと遊ぶ時間が持てる!と不安と期待でイッパイだったのだが。。

両親が出掛けてすぐ、離乳食を大喜びで食べたあと「ドイツ産の赤ちゃん用お茶」なるものを飲んで
満腹になったジャッキーはちょっと眠そうで、眼の焦点が合わなくなってきて、笑顔も消えた。このままではぐずり出すに違いない。。急いでべビーバギーに乗せて、ご近所をひと回りすることにした。

ホノルルの夕暮れ時は風がヒンヤリと気持ちがいい。

「風」が大好きなジャッキーは頬を風がなでると必ずうれしそうに笑う。
今日もバギーの中で、ニコニコしていたが、次第にウトウト、スースー。。作戦が的中した。ベビーシッターを始めてたった一時間で、お役ゴメン。あっけない結末。

なんだか拍子抜けして、つまらないようなホッとしたような。。。

夜9時過ぎ、両親はあこがれだった「ロイズ」でのディナーのあと、ビーチ沿いのバーでの素敵な時間を過ごしてご機嫌で帰ってきた。いい記念日になってよかった。

ジャッキーパパの背中は、まだ真っ赤で痛々しい。真っ赤というか濃いピンク。
しばらくは海には行けそうもない。

一方、ジャッキーも色白なのだが、日に焼けると赤くなるより先にこんがり色になるタイプの肌だということが判明。

「私に似たわね。。」
ジャッキーママが複雑な面持ちでつぶやいた。確かにこの5日間でジャッキーの足は太陽に当たってうっすらだが、こんがり色になっている。健康的でこれもいい。あと3週間ですっかりハワイっ子らしくなるかもしれない。
2008年9月3日 (水)
砂まみれのジャッキー

ジャッキー一家、ハワイ5日目。
ビーチ、買い物、散歩、ジョギングと彼らは思い切りハワイを楽しんでいる。

昨日はみんなでラニカイビーチに出かけた。いつ行っても文字通り天国のように美しい海だ。抜けるような青空と、白い雲、ブルーのグラデーションが鮮やかな海と、白い砂浜。。。ジャッキーはパンパーズだけの裸ん坊で、顔まで砂まみれになって遊んだ。もちろん初めての体験だから、最初は目を白黒させていたが、次第になれてきて大胆になってくる。

ジャッキーパパとママは久しぶりの海に大はしゃぎで、ボールを投げあったり、若い恋人同士のようだった。私は大きなパラソルの下で、ジャッキーとのんびり。。幸せな時間だった。ジャッキーのパパとママは婚約時代もハワイで過ごしたことがあるし、結婚式もハワイだった。ドイツからは遠い所だけれど、二人にとって第2の故郷のようなものだ。

マヤも来年はラニカイビーチで遊ぶことだろう。できれば二家族が一緒だともっと楽しいだろうなあ。。。

ジャッキーパパは、私たち日本人とはメラニン色素の量が違うせいか?日焼けに弱い。ジャッキーのUVケアに気をとられたのか、彼自身の背中は無防備だったのか見事に日焼けをして真っ赤になってしまった。夜になって「背中が熱くて痛い」とか「悪寒がする」「食欲がない」などと騒いでいたが、しっかり、ウナギ丼と熱いうどんを食べて「おやすみなさい、じゃまたね」と日本語で言って、早めに就寝。ジャッキーパパはいつもちょっと大げさでおもしろい。

今朝起きたら、ケロリと治ったようだ。ああよかった。。
でも数日たったら「皮がむけてきた!」とまた、騒ぐんだろうな。

今日は、ドイツ組み3人は、ワイケレへショッピング。私はショッピングはあまり好きではないのでパス。一体何を買ってくることやら。。きっとジャッキーのものが一番多いんだろうな。

オリンピックが終わって、こちらのテレビは大統領選挙のニュースばかりだ。「アメリカを変える!アメリカを変えよう!」とみんなが叫んでいる。
一方、「日本の首相がまた辞任したんだって??」とジャッキーパパもあきれている。「本当にもう恥ずかしい。何とかして下さいよ、、」と言いたくなる。

気象にしても、経済的にも世界的になにかが、おかしい。。とみんなが思っているのに、なかなか是正できない。誰でもいいから、この地球を住みやすくして下さい。私たちを正しい方向へ導いて下さい、できる限りの協力はしますから。。といいたくなる。とはいうものの、アメリカにいると紙製品は使い放題、プラスティックはあふれ、すべてのスケールやボリュームが大きいから無駄なことをしていることにもマヒしてくるのが怖い。昔は「なんと、豊かな国だこと!」と感心してみていたアメリカの生活だったけれど、今はそういう時代ではない。アメリカは今、変わらないと、、と私でさえ思う。

巨大なハリケーン「グスタフ」がアメリカ南部をまた襲った。いつも巨大ハリケーンに襲われるあの一帯は、災害の保険料も高くなり、土地の値段が下がり、再建に膨大なお金がかかり、物価も上がる。いずれ人の住める場所ではなくなるだろうという。地球温暖化のせいだと誰もがわかっているのに。。悲しい話だ。
2008年9月1日 (月)
ジャッキー一家ハワイへ!

8月29日、ジャッキー一家が長いフライト(合計22時間)の末、元気にハワイへ到着。
ドイツとハワイでは時差が12時間。つまり昼夜逆転しているから、3人とも元気のように見えるが相当疲れているはず。。乗り継ぎの成田で、一泊して少し休養をとってきたとはいうものの、成田山新勝寺へお参りし、日本食を楽しみ、お買い物もしてきたというから、相当タフだ。

朝9時前に、タクシーで我が家に到着。憲さんの納骨式以来、一年半ぶり。しかも今度はジャッキーを連れてのハワイ入り。本当にうれしい。久々のハワイの風と家からの景色に「うーーんこれこれ!!」とジャッキーパパもママもホッとしたようだった。

早いもので今日で3日目。

ついこの間までここにいたマヤはまだ寝返りがやっとで床に転がって満足そうにしていたがジャッキーは、もうそうはいかない。9ヶ月半になるからゴロゴロが激しいし、ハワイに着いたとたん、ハイハイ(片ひじでズリズリ)から自力でお座りできるようにもなった。マヤの使っていたおもちゃや、バウンサーをいまはジャッキーが使っている。目下、ジャッキーは離乳食の真っ最中。彼女用に食卓用にハイチェアも用意した。アメリカは手ごろな価格で手に入るものが多いから、バアバとしては助かる。来年以降はマヤもこれを使えるだろう。孫が同じ時期に生まれるのも、経済的でいいものだ、、と思う。

ジャッキーは時差を知ってか知らずか、相変わらず愛嬌たっぷりで、一人でお話している。「アタタ。。。ナンナンナンナン。。。」もう9ヶ月を過ぎたのに、ジャッキーにはまだ歯がない。髪の毛は生まれた当初より、明るい色になってきていて、今はライトアッシュブラウンという感じ。目の色は周りの誰よりも黒い。皮膚が弱く、軽いアトピーだといわれてきたが、ハワイにきて潮風と時々入る海水がいいのか、スッカリきれいになってきた。不思議だ。ここの潮風がいいのかもしれない。

私の子育て中には見たことも無かった子育てグッズが沢山ある。その一つが水遊び用のオムツ。もちろん頻繁に中身?を確かめて取り替えるのがマナーだが、確かに便利だ。ジャッキーは濃いピンク色のそのオムツと、同じ色の可愛いビキニでビーチデビューした。日焼けがコワイので、早速ビラボンで買ってもらったベビーサーファー用のシャツを、その上に着てUV対策だ。色々な商品があるもので、見るとつい買ってやりたくなるのが親心だ。タイヘンだ。。

今から35年まえ、同じように、私は憲さんと私の母とともに長女と次女を連れてハワイにいた。
ワイキキで同じようにゴザを敷いて、座っている、、そんな一世代前の、私たち家族のカラー写真が手元にある。母も憲さんももういないけど、私たちが今もハワイで元気に過ごしているのを、きっとよろこんいてくれるに違いない。ありがたいことだ。

当時、ワイキキには数えるほどしか大きなホテルはなく、そのとき泊まったのがまだ新しかったパシフィックビーチホテル。そのずーーっとあと、私はそのホテルでK先生に出会い、今、フラが人生の一部にもなっている。そんなことを思ってみんなで一緒にワイキキビーチにいるとなんともいえない気持ちになる。

時差で、何時に就寝しても夜明け前にドイツ組みが起きてしまう。私はそれには付き合えないので、早朝は別行動。ドイツ組みは未明のワイキキビーチをお散歩。彼らのお気に入りのパシフィックビーチホテルのコーヒーショップ(ここはムードはイマイチなのだが、ヨーロピアンのパパがこだわるエスプレッソが最高!なんだそうだ)でコーヒーを楽しみ帰宅するのが、私が起きるころだ。。「バアバも早く起きて、一度早朝散歩に行こうよ!」と言われても、朝に弱い私にはとても無理な話。でも一度くらいトライしてみようかな。。。

空と海がきれいで、夜明けのワイキキはとても美しいと言って帰って来るが、ジャッキーパパは「ホームレスが増えて、ワイキキが汚くなった。。」と言う。たしかに、カピオラニパークに住むホームレスが増えた。アラモアナビーチパークにいた人たちが、市から追い出されて、なんとカピオラニパークに引っ越してきたのだ。「これでは何にもならないのですよ、ホノルル市長さん!何とかして下さい!!」という運動が起こっているようだ。たしかにパラダイスにホームレスは困る。観光局もいろいろ思案しているようだが「人権」を振りかざされると動きが鈍くなるらしい。人権重視にもほどほど、というものがあるだろう。市が用意している彼らのためのシェルターにも入りたがらないというのだから、困ったものだ。彼らには「自由」が一番らしいのだ。

明日はラニカイビーチへ行く。。ドライブをジャッキーパパに任せられるのがうれしい。
2008年8月26日 (火)
ハワイでだからこそ?

お客用のベッドルームの窓の調子が悪い。ここ数日風が強いので、きちんと完全に閉まらない窓から隙間風がヒューヒューと入ってくる。ハワイだからいいけれど、アラスカだったら凍えてしまう。。それくらいの勢いで風が入ってくるようになった。

ほこりも入ってくるだろうし、困っていた。この秋にキッチンを改装してもらうフレッドに点検を依頼した。
早速来てくれて、あれこれやっているうちに、あっけなく直った。ねじ回しも、なにも要らなかった「バン!!」とフレッドが力まかせに窓枠を叩いたら、直った。「もう大丈夫!!」フレッドはにっこり笑ってお礼も受け取らないで帰って行った。こういう人がいてくれると、助かる。日本語でなら、さしずめ「さすが!!お見事!!」と言ってあげたいところだが、コチラではそうは行かない。「Great!!Thanks!!」と叫んで手を叩いてこちらの気持ちを伝えた。さあ、これでジャッキー親子が来てこの部屋で寝ても大丈夫、ホッとした。

フレッドが来たついでに、コンドのマネージャーを彼を紹介して、10月からの工事の日程と工程を説明、マネージャーにも了解してもらった。これで本当にキッチンの改装ができそうだ。日本のマンションでも同じだろうが、「ハウスルール」というのがあって、主だった室内の改装などはマネージメント会社の許可を得なければならないのだ。

午後はキッチンの棚の中を点検、不要なものを捨てることにした。工事中、食器などを他の部屋に移さなくてはならない。この際大整理だ。考えたら、私はこの一年、こんなことばかりをしている。

棚の中からいろいろ出てくる。料理用のグッズにも憲さん自身による独特の書き込みがある。忘れかけていたことまで、鮮やかに蘇ってくる。

「憲さんって、なんか、忘れさせない人だね。そういう人だったね。。。」と友人が言ったことがある。
今日もそんな憲さんを感じて、涙が出た。久しぶりだな、こんな涙・・・。
憲さんの思い出がいっぱい詰まったキッチンを改装してしまうことへの、後ろめたさがどこかにあって、「ごめんね、でも仕方がないのよ、、」と思いながらの作業だからだろう。

運動不足のような気がしたので、夕方からまたアラワイ運河沿いを散歩。風が本当に心地よい。少し曇りがちだったので、日差しを気にせず、快適に歩けた。いつものとおりマッカレーの橋まで歩いてしまった。気がついたらそこまで歩いているという感じで全く辛くない。帰りはクヒオ通りを歩いた。散歩のときはポケットに家の鍵と小銭だけを入れて家を出る。いつもは10ドル札をもっていくのだが、今日は5ドル札だった。クヒオを歩いていると、ハンバーガーが食べたくなった。私の場合食べたくなったときが勝負、時期を逸すると食欲が消え失せる。なるべく食べるようにしないとバーバラさんにも申し訳ない。

で、バーガーキングに飛び込んで、お店の人に聞いた。「私、今5ドルしか持ってないの。5ドルで買えるハンバーガー、ありますか?」「ジュニア サイズのならポテトとドリンクつきで買えますよ。4ドル28セントですから」・・・ああよかった。こんなことハワイでだからできるんだと思ったが、ハワイでもしない人もいるだろうな。。。

とにかくアツアツのバーガーを大事に持ち帰り、美味しくいただいた。
これからはせめて10ドル札をポケットにしのばせよう。。と決心した。
2008年8月25日 (月)
芸人がやってくる

午後、美容院に行ってきた。
椅子が二つだけの、こじんまりしたお店。カットしてくれたMさんは、10年前に日本からハワイにきたというやさしそうな女性だった。

初めてだったのでちょっと緊張していたけれど、いろいろお話していくうちに、なんと、間接的に私のことをご存知の方だった。ハワイの日本人社会は狭い。Mさんの馴染みのお客さんの中に憲さんのゴルフ仲間の奥様が何人かいらして、2年前の憲さんの急逝がそこで話されていたというのだ。「直感でひよっとして、その方の奥様かと思いましたが、やはり。。たしか、航空会社にお勤めでいらしたんですよね?大変でしたね。。でもお元気そうでよかった。。」
Mさんは鏡の中で微笑んでくれた。これからもMさんにカットをお願いすることにしようと思った。

帰りにバーバラさんのところに寄った。
「京子さん、待ってたのよ。ヘアカットどうだった??。うんうんなかなかいいじゃない。。さ、こちらに入って!今ちょうど用意していたところなの。。」

お店の奥はなんとバーバラさんの休憩所兼キッチンになっていた。そこには丸ごとのローストチキンが。。あまくて美味しいプチトマトと、日本からのお土産にもらったというお漬物もあった。
「京子さん、一人だと食べないでしょ?一緒にここでこれを食べるの!さ、食べて!」

やせ細った可愛そうな?私をなんとか太らせようと一生懸命なバーバラさんの気持ちが本当にうれしかった。

二人でおしゃべりしながら、かぶりついたチキンはとても美味しかったので、めずらしくぺろりと平らげた。「もうおなかいっぱい!!」と言ったら、それじゃ、栄養が足りないでしょ!!と、さらにそのあと、オートミールまで作ってくれた。香ばしいゴマを沢山ふりかけたオートミール、思いがけない取りあわせだったが、いいお味だった。温かい気持ちがダイレクトに伝わってくる。うれしかった。
ごちそうさま、バーバラさん!

もうすぐドイツを発って、成田に一泊したのち、はるばるハワイへやってくるジャッキー。いよいよあと数日で再会できる。ジャッキーママによると、最近ジャッキーは、おかしなことを始めたらしい。
もともと彼女には人の気をそらさない特技?があるのだが、次なるワザを習得したらしい。

まず”ウソくしゃみ”
「クチュン!!」とくしゃみの真似をしては、1人で「キャッキャ]と笑うんだとか。。
周りの人が反応すると、それはうれしそうにまた、高らかに笑うんだそうだ。

次なる芸は”うそ窒息”
離乳食を口いっぱいに溜めて、「ウッウッ!!」と息を止めて真っ赤な顔になる、苦しそうだ!喉を詰まらせたか!!と両親はあわてる。実はそれもジェスチャーで、そのあと本人はゴクンをおいしそうに飲み込んでは、ニッコリ。。。それが何度も繰り返されるというのだから、おかしな子だ。

どうも両親のあわてぶりをみて楽しんでいるフシがあるんだそうだ。
まだ生後9ヶ月半なのに、この先どうなるのか。将来は吉本行きか。。。?

あと数日でこの「芸人」がハワイにやってくる。
ただし、この芸人、大変な内弁慶だから、私の前でそれを披露してくれるかどうかはわからない。
6月に日本で会った時は、バアバ大好きでいてくれたからきっと大丈夫だと期待している。
2008年8月24日 (日)
可愛そうに。。。?!

気のせいか、今年のハワイは暑い。
容赦なく太陽が照りつける。地球温暖化がハワイまで押し寄せているのか?

ようこちゃんが、明日、ワシントンの息子さんのお宅に向かわれる。健康診断を兼ねてだ。ハワイに帰ってくるのは、2、3ヶ月後だという。次に会えるのは、私がハワイに来る予定の来年2月。

これからしばらく淋しくなるけれど、仕方がない。。今日ようこちゃんのお宅の近くまで行って「行ってらっしゃい!」とご挨拶をしてきた。「きょうこちゃん、お暑い中をわざわざ来てくれてありがとう。。元気で行ってくるね」・・・ようこちゃんとは何度も抱き合って、別れてきた。

ハワイで「お暑い中を、、どうも、どうも。。」などと挨拶をしあったことがないのに、ようこちゃんも今年は特に暑いような気がする、、という。 つい「お暑い中を。。」という言葉が出てしまったと。。

ようこちゃんはアメリカ本土に行くことを「アメリカに行く」と表現する。
「ハワイもアメリカでしょうに、、」と笑うと「いや、ハワイとアメリカとは違う。。。」とおっしゃる。なんとなく、わかるような気がする。。。

そこからアラモアナホテルでお店を経営しているバーバラさんのところに寄った。彼女は韓国系のアメリカ人だが、英語、日本語、ドイツ語、そしてもちろん韓国語も操る。勉強家で、今、独学でパソコンでのホームページ作りに取り組んでいる。いつも何かに取り組んで学んでいる。えらいなあ、と思う。

彼女のお店は普通のホテルのおみやげ物屋さんではなく、フラの舞台でつかうお花や、レイや、髪飾りなどを彼女のデザインで作り、販売している。

日本のフラを愛する人たちの中には、バーバーラさん作のお花やレイで舞台に立つ人も多いと思う。私はお友達のご紹介で、彼女とお友達になり、その人柄に惹かれて、ふらりと立ち寄っておしゃべりをするようになった。

私のことを「痩せすぎよ。。」と心配してくれて、「あなた、痩せちゃってホントにかわいそうに、、」と嘆いてくれる。「いや、私はもともとこうなんだけどね。。最近、特に痩せたわけじゃなくてさ。。」と一生懸命釈明するのだが、いつも「京子さんはかわいそう。。」となんとか物を食べさせようとしてくれる。

先日はあんこ入りの和菓子をご馳走になった。私の顔を見ると「もっと、食べなさい!」を繰り返すバーバラさんのためにも、私は沢山食べて太らねば!なのだが・・・。

明日は、ハワイで初めて髪を切りに美容院にいく。アラモアナホテルの中のお店。日本人の経営で、バーバラさんの紹介である。今まで長い髪だったので、美容院に行く必要がなかったが、ショートにしてからはそうはいかない。ハワイでの初体験・・いうことになる。

髪の質が日本人と外国人(特に白人)とは全く違うので、アメリカ人の美容師さんだと、日本人の固い髪が扱いにくいらしい。日本人の髪は固いのだそうだ。だから、私も日本人の美容師さんにお願いすることにした。
さて、どんなヘアスタイルになるのかな。。楽しみだ。
2008年8月22日 (金)
パパが行方不明。。

先日、起きてすぐマヤママのブログを開いて見て驚いた。題が「パパが行方不明に。。」とある。その抜粋を書いてみると。。

〜抜粋〜
ハワイ滞在中、あいにく長期の海外出張で一緒に来れなかったパパ・・・・
でも、彼のことをいつでも思い出せるように、マヤにパパ代わりのクマのぬいぐるみをハワイ到着後すぐに、買ってあげました。ハワイにいる間、いつもこのピンクの人形を”パパ”と呼んで大事にしていました。なのに、帰国早々 事件はおきたのです。

昨日のお散歩から帰ったら
パパがいない!!!

どこを探してもパパは行方不明。
これまであんなにタイセツに、無くさないようにしてきたのにィ〜〜〜!!!
ショックが大きくて、夫にも相談できず・・・そして今日昼間、炎天下の中を諦めきれないワタシは 昨日通った道をマヤちゃんと一緒に逆戻りして歩いてみた。

すると、なんと、住宅街のとあるお宅の塀のあたりに、パパにそっくりな色合いの物体が、ビニール袋に入って置いてある!近づいてみると・・・
パパだー!!!!!
これはまさに感動の再会

そのお宅の呼び鈴を押して、出てきたおじさまに感謝の気持ちを心からお伝えしてきました。

どうやら、通りがかりで見つけた人が道脇によけて置いてくれたらしい。
それを、そのお宅の方が雨になっても大丈夫なようにと気を使ってビニールに入れておいてくれたそうな。

ほんと、感動、ありがとう。。。。〜抜粋終〜

そのぬいぐるみをどれだけ大事にしていたかを、知っている私はマヤママの気持ちがよくわかり、またご親切な方々のお気持ちがうれしくて、涙が出るほどだった。マヤに日本人のこのすばらしい精神を語り継いで欲しいと、心から思う。貴女もその血を引いているのよ。誇りに思ってね。。と。

先日、マヤママがここにいる間に、二人で憲さんの衣料品の整理をした。日本とハワイと二重生活だったから、両方にパパのものがある。ハワイでの装いは、全くシンプルかつカジュアルで、ポロシャツ、ゴルフウェア、TシャツにGパン、コットンパンツ。。それにアロハシャツ。。シンプルなのだが、それでも、知らないうちクローゼットがイッパイになっていた。マヤママと相談して思い出多い数枚を残して手放すことにした。パパの命を継ぐかのように生まれてきた二人の孫のためのスペースも必要になってきたから。。

Kマートのお向かいにアメリカの救世軍の「スリフティマート」という中古品ばかりを売るお店がある。以前一度入ってみただけで、馴染みはないのだが行ってみることにした。お店は質素だが沢山の人たちが来ていて、品物を吟味して買っていく。すべて中古品。そこへ憲さんの衣料品を寄付することに決めた。誰かの役に立てば、憲さんも喜んでくれるだろう。お店に行くと「これを、寄付してくださるのですか?ありがとう」と喜んで引き取ってもらえた。少なからず心が揺れるが、こうして少しずつ、前に進んでいくしかない。

来週、ドイツからジャッキー一家がやってくる。12日間をここで一緒に過ごし、さらに後半の11日間は家から徒歩1〜2分の至近距離のコンドに滞在する。これは彼らのいつもの滞在方法で前半は里帰り、後半はバケーション、、ということだ。

マヤよりはお姉さんだから、床の上を動き回るだろうジャッキーを想定して、危険なものがないように、コンセントには蓋をして。。などと準備している。ジャッキーはハワイにいる間に10ヶ月になる。最近やっと、お座りができるようになったが、歯はまだ。。お座りも他の赤ちゃんよりおそかったらしい。その代わり、人様に対する愛嬌だけは天下一品。そちらにエネルギーが消耗されて、歯が出てこないのかも。。とジャッキーママは笑う。

ハワイにいる間に念願の歯が生えてくるといいな。。。
2008年8月21日 (木)
ランチ友達

お昼前にワイキキで待ち合わせて、R子さんとランチ。
ハワイへ来るようになってからお付き合いが始まったお友達だ。R子さんは私と同じように夏と冬をハワイで過ごし、こちらではご主人とほとんど毎日ゴルフを楽しんでいる。たまに二人だけでランチを楽しむ。

憲さんのゴルフ仲間でいてくださった方だ。ご主人は「どこか素敵なところで食べてきたら?」と言ってくださるらしいが、私たちはごく庶民的でフードコートだったり、ホテルのテラスだったりが気楽でいいわ!というタイプ。

今日も、気楽に長ーい時間座り込んでおしゃべりできるところを探した。ロイヤルハワイアンショッピングセンターにフードコートができて、案外静かなのでゆっくりとお話ができる。今日はそこに行くことにした。「あーら、そんなところにフードコートができたの?知らなかったわぁ。。」アラモアナ方面に住んでいるR子さんはワイキキに疎いという。「アラモアナの田舎から来ましたので。。」と笑う。本当に楽しいお友達なのだ。

時には涙ぐみ、笑い転げる。相談もし合うし、ハワイ暮らしの情報交換も。。
この歳になって、こんなに話せる友達ができるなんて。。とまた、二人で喜びあった。日本でもそう遠くないところに住んでいるのに、めったに日本では会わない。会うのはハワイ。。。

そんな仲間がいてくださることが本当にうれしい。

5時間近く一緒に過ごして、私は歩いて帰った。バスに乗ることがほとんどなくなって、車か徒歩。最近8番バス以外に23番とが24番という見慣れない番号のバスがワイキキとアラモアナを結んでいるようだ。便利になった。8番バスがなかなか来なくて困ることが多かったのだけれど、観光客にも喜ばれているにちがいない。

「ね、自転車で、この辺りを走ってみない?」と誘ってくれるお友達もいる。
彼女の自転車を借りて2人でサイクリングをしてみてもいいな、、と思っている。楽しみがまた一つ。。。