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今日、ちょっと心に書き留めておきたいこと。。

2012年1月8日 (日)
こいつは春から縁起が〜〜

マヤが今夢中になっている、プリキュアなるもの。。。
私にはさっぱりわからない。可愛い女の子、プリキュアになりきってドラマティックに話すマヤの表情がかわいいけれど、バアバはなーんにもわからない。

そのプリキュアのDVDをうちに忘れていったマヤから、今朝電話。
「バアバ、、マヤが忘れたプリキュアのDVD持ってきてくらしゃい!」

で、夕方から出かけてマヤにDVDをお届けに・・・
夕食はマヤ一家行きつけのおいしい焼肉屋さんでごちそうになってきた。

家に戻ると部屋の警報機が鳴った。これはマンションの外からのインターフォンでもあるし、危険も知らせる装置でもあり、荷物が届いていることを知らせる便利なシステムでもある。なにごと?とびっくりして警報機の画面を見ると「荷物が届いています」・・

留守中に宅配便などが届くとロッカーにに入れておいてくれて専用のカードを挿入するとそのロッカーが開錠され荷物を取り出すことができるのだ。早速ロビーに降りてロッカーを開けてみると、某家電販売店からの封書だった。なにかな?

開けてみると「おめでとうございます。貴方は抽選の結果、『東北応援キャンペーン・グルメカタログ50選』プレゼントに当選されました」とある。私はこれに応募した記憶はない。

「これは当店でのお買い上げの際のお客様の自動応募となっております」と書かれている。私が知らないうちに応募していたということらしい。

東北を代表するグルメのアイテム50種からご自由にお選びいただいて、その味をお楽しみください。。というのだった。
これで東北を応援しようというのならうれしいし、期待していなかったことでこんな福が転がり込んできたことが、ありがたい。

こいつは春から縁起がいいわい・・である。
2012年1月7日 (土)
あけましておめれとう〜!

もう新しい年を迎えて一週間。
7草の今日は、合唱団の初練習そして引き続き新年会。
27年ほど一緒に歌っている仲間との時間は気楽で、家族のようでうれしくなる。
合唱団は練習で毎週集まっていても、歌っている時間がほとんどだからおしゃべりをする機会がほとんどない。だから新年会、忘年会、本番のあとの打ち上げなどでは、それぞれ思い切り楽しむ。私はマイブームになっているノンアルコールのビールを飲んで盛り上がった。生まれて初めてビールと一応名のつくものを飲んで、とてもうれしかった。
実は自分でも買って、冷蔵庫に入れてある。この歳になって・・なんだかウキウキする。

日記を書く時間もなく楽しく忙しく過ごしたお正月。
まず、一月二日、マヤ一家がやってきた。
「バアバ、あけましておめれとう!」大晦日の深夜にハワイから帰国したばかりの一家。マヤとアキラは元気いっぱい。両親は多少お疲れ気味だった。

「あけましておめでとうございます。今年もいい年になりますように」
新年二日目にしてやっと5人そろってお雑煮とおせち料理でお祝いをした。
マヤパパにとって日本で迎える4回目(ちょっと自信がなくて本人に確かめたら、実は6回目だそうで・・)のお正月ということになる。

「アノ。。ワタシハ 2006ネンにニホンニキマシタ!ダカラ6カイメのオショウガツデス」そうか。。私の数字音痴をここでも発揮した。なさけない。

マヤ一家は毎年元日には神社に初もうでに行くし、そこでいただく甘酒が大好きだし、おせち料理も喜んで食べてくれるし、私などよりよほど日本の行事を楽しんでいて、初詣で引いたおみくじが「大吉」だったよ!と喜んでいる。

「明日から仕事だから。。」と3日夕方にはマヤパパは東京に戻り、入れ替わるようにドイツのジャッキーママが来た。乗務でドイツからに成田に到着したのだ。ジャッキーとジャッキーパパはドイツでお留守番、まあこれは仕方がない。淋しいけれど我慢、我慢。

マヤの甲高い声が間断なく響き渡り、アキラ言葉にならない声ではしゃぎ、
娘たちは久々の再会でおしゃべりに花を咲かせる。ああ、賑やかなことといったら・・
家族で過ごす時間、こういう普通のことがどれほどありがたいことか、今年は特にそう思う。

10日に、ハワイに発つことになった。
ここ数日寒さが厳しくなってきたので、温かいハワイの空気が恋しくなってきた。2か月ぶりのハワイということになる。

今回はもっと長く日本にいたような気がしていたのだが、合唱団の仲間に聞かれた。
「今度はいつ日本へ来るの?」

いや、私はハワイに「行って」日本に「帰って」くるんだけど・・・
2011年12月31日 (土)
今年最後の・・

いよいよ大晦日。

友達に言わせると「あなたはいつもハワイで年越しなのね」ということなのだが、私にはあまりその意識がなくて、一体いつのお正月をハワイで過ごしたのか、さっぱり記憶がない。

今年のお正月は確かに日本にいた。マヤママが作ったおせち料理でみんなでお祝いし、初詣でに出かけたから、2年連続年越しを日本で・・ということになったが今年は少し変則的なものになる。

今年、私はおせち料理係で、久々に今日は朝からキッチンに立ちっぱなしだった。部屋の中に懐かしいお正月料理の匂いが立ち込め、ほのぼのした気持ちになる。味見を兼ねてあれこれ「つまみ食い」をするから満腹で食事もいらないほどだ。

だけどこれを一緒に味わってお祝いするはずの、マヤ一家は目下、ホノルルから羽田への飛行機の中。約2週間のハワイ滞在を楽しんで帰国する。大晦日の夜に小さい子供を二人連れて帰宅するのだから、とうてい明日の元日に集まることはできそうもない。元日はそれぞれに過ごし、1月2日〜3日にかけて我が家に集合ということになりそうだ。

ちょうどジャッキーママがフライトで3日に成田に到着、うちに戻ってくる予定だからにさらにぎやかになるだろう。来春にはジャッキー一家がフランクフルト近郊に新居に引っ越しが決まっていて、その話を聞くのも楽しみだ。

たった今、私は今年最後の残念な失敗をやらかした。
おいしい生の信州そば、それをゆでてキリッ冷たい「もりそば」を温かい部屋でいただくことを楽しみにしていた。
「ひとり年越しそば」である。
いい具合にゆであがったおそばを「ざる」に取った。
それを冷水で洗う。しゃっきりしたおそばが出来上がった。
「あ?そば湯は?あれ?!」
楽しみにしていたそば湯、ぜーーんぶ流してしまった。
あああ。。残念だ!!
おいしいそばつゆなのに、ホント悔しい。そば湯〜!
仕方がないから、お湯を注いでそばつゆを残らず飲んだ。
今年、やらかしたいくつかの失敗は水に流して・・どころか、大事なそば湯が流れてしまった。

今年の紅白歌合戦はとりわけ心に染み入る。
特に私たちの年代の歌い手たちの歌唱の力強さが際立つ。
年輪ってすばらしい。

本当にいろいろなことがありすぎた2011年。
数時間後に迎える2012年がどうか平安な年でありますように・・
2011年12月27日 (火)
大掃除終了!

今日も美しい冬晴れ。
お昼前には、暖房なしで室温25度。少し動くと暑くなるほどだ。

今がチャンス!と、大きいガラス戸4枚をきれいにする。
ベランダ側からシャワーホースで水をかけ、汚れを洗い流す。車のワイパー状のゴムのヘラでさーっと拭うとピカピカに。。網戸も一緒に水洗い。
すっきりした。

これで年末の大掃除は終わり。。2週間まえに喚起装置のフィルターをきれいにしたし、キッチンの換気扇の掃除も済んでいる。揚げ物は一切しないし、油を使う料理もあまりしないからフィルターの油汚れもすぐに落ちてほっとした。体の中の脂肪、コレステロールがたまり具合も同じなんだろうな・・

ハワイにいるマヤ一家はどうしてるかな?
ジャッキー一家からもここ数日連絡がない。
年末のホリデーシーズン、楽しく遊んでいるのだろう。

日本で見るホノルルの天気予報は、連日「雨」。
ハワイはいま雨季だから仕方がない。

ところが、この天気予報、いつものことながら全くあてにならない。
現に、ウチのあたりでは結構晴れているらしい。
ホノルルといっても範囲が広いし、とりわけワイキキは雨が少ないから
それもうなづける。

雨季には、ダイヤモンドヘッドが緑色に染まる。
その緑の色の深さによって、その年の雨季の雨の量がわかる。

私はあと3週間足らずで、ハワイへ。。。楽しみ、楽しみ!
2011年12月26日 (月)
成功!

WOW!
やっと新しいピンクのPCからホームページがアップロードできた!

深夜までかかってやっと成功。

今日一日これにかかりきりだった。年の瀬だというのに。

まあ、こういう日もあるわ・・・・ということで
おやすみなさい(-_-)zzz
2011年12月25日 (日)
やったね、真央ちゃん

やった!真央ちゃん!!
見事な逆転優勝!

最愛のお母さんは真央ちゃんと一緒にいる・・・リンクに登場した穏やかで優しい彼女の表情をみて思った。

そして勝利のインタビューで「お母さんがここにいるから、優勝の報告をしなくてもいいと思います」と真央ちゃん自身がにこやかにそう言った。よかった。。真央ちゃんがいつもよりさらに輝いて見えた。

最愛の人と別れることになってしまったらそう考えるしかないのだ。これからは、どこにいても一緒だからね。。と。

強くてしなやかな心を持った真央ちゃんと、そこまでに立派に育て上げたお母さんに心からの拍手を送りたい。

新しいPCを、私仕様に仕立てるのに時間がかかっている。
楽しい作業だから苦にはならないが、ただただ、目が疲れる。あ〜〜あ。

こうして新しいPCから日記を更新できるようになったが、HP自体を更新できない状態でクリスマスも過ぎたのに、スノードームの画像を削除できないでいる。困ったなあ。。

寒波に見舞われたクリスマスになったが、我が家は本当に温かくて助かる。
マンションは保温性があるとは知っていたが、ここまでとは思わなかった。
晴れていれば朝9時にはリビングの室温が22〜3度になる。
一日中地面の霜柱が解けなかった今日も、うちの中は23度だった。
もちろん暖房を入れないでの話。

少しひんやりしてきて暖房を入れたのは夕方5時半。
これこそ節電である。本当にありがたい。
2011年12月24日 (土)
ビール初体験!

メリークリスマス!と友達にe-cardを送ったし、うちのドアにリースも飾ってある。でもここまで長く生きてくると、昔のようにクリスマスを迎えドキドキするような感覚は全くない。孫たちへのプレゼントはなにがいいかなあと考えることがもっとも大事なことであったりする。

年末年始を日本で迎えると、もうやめようかな・・と考え始めていた年賀状も書きたくなるし、やはり大掃除も。。と思うから不思議だ。

マヤ一家は目下ハワイで休暇中。温かいクリスマスと年末のハワイを満喫中。ジャッキー一家はドイツで向こうのおじいちゃんとおばあちゃんのお家でにぎやかにクリスマスを過ごしているはず。

そんな娘たちの幸せをありがたく思いながら、私は私でフリータイムを満喫中で幸せな時間を過ごしている。目下、一昨日届いた新しいPCの設定作業に夢中である。この日記も新しいPCから・・

憲さんと一緒に使った旧いPCともお別れで一抹の淋しさもあるのだけれど、使い心地のよい新しいPCが楽しめそうでうきうきする。なんと新しいPCの本体はかわいいピンク。来年の手帳もピンクにした。ピンク大好きなマヤの影響がかなりあるような気がする。

一人で普通に過ごすはずだったクリスマスイブ。
「京子さん、一人でいるなら、家で一緒に過ごそうよ!」
とTさん夫妻にお誘いいただいて、大人3人で「水炊き」でほっかほっかの
温かい時間を過ごすことになった。憲さんの親友だったTさんご一家とは、長年家族のようにお付き合いいただいている。ありがたいことである。

「ちょっと試してごらんなさいよ!」と水炊きと共に、いただいたのはノンアルコールのビール。私はアルコールをまったく受け付けない体質だから、今まで生まれてから一切口にしなかった。あれほど憲さんが愛したビールなのに・・・

今夜、ふとその気になって、いただいてみると。。。ちょっとほろ苦くておいしかった!!この歳になって初めてのビール体験だった。憲さんがいたころ、こんなビールがあったら形だけでものんべえの気持ちになれて一緒に楽しめただろうに・・・なんだか残念!

これからレストランや居酒屋ではこれを注文しよう。いつもいつも「ジンジャーエール」で乾杯!では格好がつかなくてちょっと困っていたのだから・・
2011年12月14日 (水)
長い間ありがとう

私のPCも古くなってきて不都合が多くなってきたと思っていたら、この日記をUPするにもトラブルが続き、ついに新しいパソコンを購入した。まだ手元には届かないけれど、年末年始はゆっくりとこの新しい「おもちゃ」を楽しみたいと思っている。次の日記のUPは、新しいPCからのつもりである。
なんとか順調に行きますように!

約6年間、日本とハワイを一緒に行き来してくれた思い出いっぱいのこのPCに感謝!!長い間、ありがとう。
2011年12月10日 (土)
真央ちゃん。。。

若くしてお母様を亡くしたフィギュアスケートの浅田真央さん。
数年前、ジャッキーママは浅田真央ちゃんと数時間を一緒に過ごしている。
お客様だった真央ちゃんをお世話したキャビンアテンダントとして・・
年齢が規定に達しなくて、オリンピックに出場できなかった、あの頃である。
「「私、オリンピックには出られないんだけどね、これからフィンランド、っていうところへ行くのよ。うん、試合でね。ね、この飛行機どこ行きなの?」「フランクフルトっていうところ。そこから真央ちゃんはもう一つ飛行機を乗り換えてフィンランドへ行くんだと思うわよ」「そうか。。ね、帰りもなおお姉ちゃんと一緒の飛行機に乗れるの?」「うーん、私はこの飛行機で暮らしているわけじゃないのでね、どうかなあ。。会えるといいね!」と答えたというジャッキーママ。

なおちゃんと、まおちゃんは相当気があっていたようだ。当時から、なんとも言えないオーラがあって、暗い機内でも彼女だけ光って見えたという真央ちゃん。お母様のためにもこれからを強く生きていって欲しいと心から思う。
2011年12月7日 (水)
繰り返し

赤ちゃんの粉ミルクからセシウム検出!
TVのニュースに驚きすぐマヤママに電話をした。

「アキラのミルクは明治だっけ?」
「うん、そうだけど。。どうして??え?セシウムが混入?ああ、知らなかった・・今、テレビを見る暇もないから、詳しいこと分かったら知らせてね、お願い!」

TVのニュースも見る暇もなく、育児に追われているママたちなのだ。

幸いアキラのミルクは同じ明治製でも別の種類だったから一安心したものの、信じきって毎日赤ちゃんに飲ませていたものに、微量と説明はされているものの、セシウムが混入していたなんて、しかもこんな時期になって、判明するなんて。。。と世のママは衝撃を受けたに違いない。

昭和に育った私たちよりずっと恵まれているとばかり思っていた孫たちなのに生まれてまもなく、平和であるはずのこの日本で放射能の洗礼をうけるなんて、かわいそうで仕方がない。

「大人たちがいけないのよね。あなたたちには罪はないのに、ごめんね」

いつの時代にも同じ思いがある。
第二次世界大戦の苦労話を聞かされて「軍国主義を許した当時の大人がいけなかったのよ。どうしてそれを止められなかったの?」と幼かった私は母を責めたことがある。「そう思うでしょうね。でも仕方がなかったのよ。そういう時代だったから。。誰もが悲しい思いをしただけなのにね」母はそう言っていた。

同じように私たちも恐ろしい原発を簡単に受け入れていたのではないか、
何も知ろうとはしていなかったではないか・・

いや、例えその恐ろしさを知っていても、国の大きな力を押しとどめることはできなかっただろう。

あの時の母とおなじように「仕方なかったのよ。いつの間にか決まってしまったのよ。『原発はとても安全で効率的だから』ってね」と答えるしかないのだ。

その繰り返しが悲しい。

そんなことを思いながら2年ぶりで美容院に行った。私の担当だった人が昨年退職していた。それを知らなかったほどご無沙汰していた美容院だった。

フラの本番も終わったから少し髪を切りたくなったのだけれど、結局勇気がなくてバッサリとはカットできず、あまり見た目は変わらない。
それでも、ちょっといい気分・・
2011年12月5日 (月)
肩の荷おろして・・フラフラ

ブログ最近更新してないね。。そう言われて確認したらもう一ヶ月半も書いていなかった。ハワイから帰国して、11月は孫の月だった。まずアキラ一歳の誕生日、マヤの七五三、そしてジャッキー4歳の誕生日。。みんなおめでとう!の一ヶ月。あっという間に年末になった。

今年は忙しかった。大震災後、なにかと落ち着かない日々を過ごしたあと、フラの仕事が目白押し。フラに関することだからとても楽しかったけど、だけど、とても疲れた。

まず、10月8日に私たちのフラグループKawaipunaowaimeaのカウアイ島でのフラフェスティバルへの出演。これの準備は昨年から始まり、本格的にはこの春から開始した。

それが終わると11月27日のKawai先生を迎えてのフラワークショップを開催。これに向けて始動したのは7月。本格的な準備は9月からだった。

またそれを終えると、たった一週間後の12月4日今度は横浜でのフラの舞台出演。これが今年の総決算だったのに、私は不覚にも孫からもらった”おなかに来る風邪”でダウン。可愛い孫を恨むわけにもいかず。。お粥と梅干だけの日が3日以上続いた。舞台に向けての最終練習にも出られず、メンバーに迷惑をかけたけれど、本番直前にやっと回復。その舞台も昨夜無事終了した。

舞台から降りてくると、Kawai先生から「アメイジング!すごい!うれしいよ!」とお褒めの言葉が飛んできた。カウアイの時に引き続き、滅多に本気では褒めない先生からこんな言葉が出たのである。みんな輪になって喜び合った。うれしかった。
「いろいろあったけど、ここまてきてよかったね。誇リに思うよ!」
先生の言葉が身にしみた。ホーッとしてもうフラフラ。。まあ大変に幸せなフラフラであった。

Kawaipunaowaimeaは、Kawai先生と先生のフラが大好きな人たちが集まって作っているグループで、主宰は私ということになっているが、実際は参加しているひとりひとりが作りあげているのだと私は思っている。なにかグループで嬉しいことがあると「みんなのおかげですよね。。」とメンバーが言う。それがとてもうれしい。

約7年間、少しずつ積みかさねてきたことが、今年になって小さな実を結び始めたというわけで、本当にうれしい。
立ち上げたときには、憲さんが応援してくれていて一番の理解者だった。
「うん、やってみたら?」と背中を押してくれたのは憲さんだった。

なぜか晩年、憲さんは何度も私に言っていた。
「これからのあなたの人生、きっとフラが充実したものにしてくれると思うよ。頑張るといい・・」と。

今日みたいな日、一緒に誰より喜んでくれるだろう憲さんは居ないのはさびしいけれど、彼の予言通り、今沢山のフラの仲間がいてくれて本当に幸せだ。「ほら、言ったとおりだろ?」と憲さんは喜んでくれているだろう。

今年は年末から年始にかけて日本にいる。その代わりというわけではないけれど、12月後半、大晦日までマヤ一家がハワイへ。お正月はうちでみんなで一緒に祝うことになっている。

そして1月半ばには私がハワイへ。。楽しみだ。
2011年10月25日 (火)
タッチ オブ トーキョー

うちからドーンと窓いっぱいに見えるダイヤモンドヘッド。スポーツ全般が苦手な私なのだけれどなぜかダイヤモンドヘッドに登ることだけは好きだった。数えたわけではないけれど、おそらく6、7回は登っている。そのうちたった一回だけ憲さんと一緒だった。貴重な記念写真が残っている。
彼は登山をするよりはゴルフに行きたかったのだろう。

頂上にたどり着く直前の心臓破りの階段もなつかしい。あの登山道がかなりの時間をかけた工事で改善されたという。ちょっと危なっかしい岩場もあったが、そこも安全に登れるようになったという。頂上の展望台も広くなったらしい。また登ってみたい気もするが、ちょっと自信がない。

6年程前、日本から来た友人と午前中に登ったとき、頂上で貧血を起こしてしばらく動けなくなったことがある。すぐに回復したものの、やはり私は朝に弱いのだということを確認した。一度は経験したい日の出を楽しむダイヤモンドヘッド登山なんて、とてもとても無理。ただ、頂上から見下ろすワイキキビーチ、地球の丸さを感じる水平線をもう一度見てみたい気もする。こちらに住んでいる友人は全く興味を示さない。だれかゆっくりと一緒に登ってくれる人、日本から来ないかな?

昨夜はNa Leo Laniコーラスの練習。一年に一度行われる「クレイジー カルテット」というお楽しみの一夜だった。
一ヶ月まえから、メンバー同士が誘い合って小さなグループを作り、曲を選んで、場合によっては振付をつけ、練習をし衣装を工夫して披露する。合計9組のカルテットができた。私は訳が分からないまま、二つのグループから誘いを受けて参加。

おたのしみではあるが、一応、コンクール形式である。合計30名くらいの観客も来てくれたし、私たちのコーラスの兄貴分である男声合唱団「サウンド オブ アロハ」から審査員を兼ねたメンバーが駆けつけてくれて、中には司会まで引き受けてくれる人もいた。

さて、私が歌ったグループのひとつは、一応私を中心に日本語で歌う「タッチ オブ トーキョー」と銘打った、ロージー、マリアンと私の3人組。「聖夜」を日本語で歌った。「きーーよしーー、こーーのよるーー」である。日本語指導は私。3人だからカルテットではないんだけど、そんなことはだれも気にしていない。衣装は私が友達から借りてきたハッピと帯。それに扇子。ステージ?に出た3人はゆっくりと頭を下げておじぎ。。これだけで日本!を感じてもらえるだろうという作戦だった。

練習などほどんとしていない。「キョウコはメロディを歌ってね!」と言われそのとおり唱えば、ロージーとマリアンが勝手にハーモニーを付けてくれた。練習しなかった割には歌えた。彼女たちは本番に強い。

もう一つは「ニュー フレンド」と言う8名のグループ。私はベテラン7人に混じって歌わせてもらった。私が「新しい友達」ということで付けられたグループ名。みんな優しいなあ。。

歌った曲は”It's My Song”。 歌い始め、ちよっとピッチがあまかったけど、そこはアカペラの強み?で、みんなで歩み寄って次第にいいハーモニーができた。「タッチ オブ トーキョー」は<審査員賞>を、「ニュー フレンド」は<観客に最も好まれたグループ賞>をいただいた。

商品はチョコレートバー一本だったり、CD(何も録音されていない)一枚だったり。。可愛いものだ。それでも、いい大人が大喜び。抱き合ったり、飛上ったり・・・こういうのっていいなあ、、と思う。そのあとはみんなで持ち寄ったもので、軽くパーティ。本当に簡単でカジュアルである。

先週の練習日に「『タッチ オブ トーキョー』で歌うとき日本らしいものを身に付けたいから、キョウコ、何か持ってきてね」とロージーに言われ、困ってしまった。例えばね、キモノ、ゆかた、オビ、日の丸、日本らしい扇子、うちわ、漢字が書かれたTシャツ。。。そう言われても持っていない。私はなーーんにも持っていない。日本の家にも持っていない。引越しのとき、大処分をしたせいもあるけれど、自分でも驚くほどだ。
これでいいのか、日本人!である。

で、友達からいかにも日本らしい「祭」のハッピを借りた。
おかげでなんとか格好がついた。ああ、よかった・・・
2011年10月23日 (日)
ゆきえさん 安らかに・・

午後、悲しい知らせが入った。
3ヶ月程前から自宅で闘病していたハワイの大切なお友達、ゆきえさんが今日天国へ召された。享年76歳。

明るくて、綺麗でオシャレで、甘えん坊で、神戸育ちの関西弁が可愛い人だった。アメリカ人のトムさんと結婚してアメリカ本土に永く住み、ご主人のリタイア後数年前にハワイに移り住んだ。

そしてすぐにハワイシニアライフ協会のメンバーになって、今日まで4年間、本当にたのしく充実したシニアライフを送ってきたゆきえさん。このシニアライフの仲間と過ごす時間が彼女の最大の楽しみになっていた。

そしてゆきえさんが病気になってからは、このシニアライフの仲間がずっと彼女を支え続けた。ゆきえさんのご人徳なのだろう、彼女の人生の最期を支える友人が沢山いた。特にK子さんは自身のお仕事を持ちながら、本当に献身的なケアを続けてくれた。K子さんには本当に頭の下がる思いである。

シニアライフの仲間は交互に彼女に会いに行った。私は3日前にお見舞いした。皆、淋しがりやの彼女を知っているから、申し合わせた訳ではないのに、見舞い客が途絶えることはなかった。賑やかにお見舞いを受け、最後まで楽しく会話を交わしながら過ごしたゆきえさん。

彼女は自分の病気を知っていて、どういうふうに最期を迎えたいかということも、はっきりと私たちにも表明していた。だから皆どこかに覚悟ができていて、ご家族もドクターも友人たちも彼女の意思に沿った治療や、配慮をし続けたのだと思う。それはすごいチームワークだった。

その希望通り、痛みや苦しみもなく自然に眠るように旅立ったゆきえさん。
本当に見事で美しい人生の終幕でした。

私もゆきえさんのような最期を迎えたい。今、みんながそう思っています。

ゆきえさん、安らかにお眠りください。
2011年10月20日 (土)
ギネス記録に挑戦!

朝7時半から、アラモアナのマジックアイランドでの「気功」エクササイズに参加。ハワイにいるときは必ず参加するようにしているが、朝にめっぽう弱い私にとっては大変な難業苦行である。いつも誰かに6時きっかりに電話で起こしてもらうのが常になっている。情けないけど。。仕方がない。

今日はそのあと、すぐにカピオラニ公園のワイキキシェル(野外音楽堂)に駆けつけた。ウクレレを持って;・・。
”GO FOR DA RECORD”という催し物に参加するためである。ついこの間、スウェーデンで1500人あまりの人が同時にウクレレを演奏したという記録がギネスブックに登録された。

それを受けて、ウクレレの本場ハワイでも、頑張ってその記録を塗り替えようではないか。。ということになり、ジェイク シマブクロさんが中心になって”GO FOR DA RECORD”が開かれることになった。参加費一人10ドル。その収益金は、東北の被災地へ送られることにもなっている。

ジェイクさんが、全員演奏のための曲”1 2 3”を作曲、それをネットで配信。。ウクレレ愛好家は自分で簡単なコードを覚えられるようになっていた。私のウクレレの先生、ジョディもこのイベントに参加しているため我々クプナ アイランダースもしっかりコードを覚えて参加したというわけだ。ギネス記録に挑戦することに賛同した人、ウクレレの教室の生徒たち、大勢の人がひとつの目標に向かって集まった。

今日は真っ青に晴れ上がったハワイ晴。風もあまりなく、まあ大変に暑い一日だった。屋根のないワイキキシェルで、約3時間じりじりと照りつける太陽をイヤというほど浴びながら、それでもギネスの新記録達成のためにみんな頑張った。

ジェイクのパワフルな演奏を楽しんだあと、いよいよ会場に集まった大勢の人たちのウクレレ演奏となる。
ジェイクの丁寧な指導で、まずは楽しく全員で演奏。そのあと、記録達成のための演奏が始まる。もったいなくもジェイク シマブクロさんとの共演だ。小さな子供からシニアまで、心を一つにした演奏になった。

ギネス協会からは、ウクレレの演奏者をカウントし認定するための人が来ていた。そして係の人が正式に集まった人を目視で数えていく。
とにかくざっと1600名位集まれば、ギネス記録達成だったのだが・・・

司会者がおもむろにマイクの前に立ちこう言った"We are short"  
つまり私たちは「足りませんでした」ということ。やはり、記録達成には数百人足りなかったらしい。
舞台上のジェイクたちからは、客席で演奏している人数が記録達成ほどには集まっていないことがわかっていたのだろうなあ・・

「あーー残念!!」
いっぺんに疲れがでて、日焼け止めを塗ったにも関わらず数時間で日焼けしてしまった腕や首がヒリヒリする。

私たちはやはりがっかりした。「もっと、準備期間があるとよかったよね。もっと人を集める宣伝をしなくちゃねえ。。」と私たち日本人は考えた。
まず反省から入る・・そういうところが私たち日本人にはある。

でもジェイクたちは違った。そこはハワイアン。
「残念だあ!!でもここにきてくれたみんなありがとう!!楽しかったね!次こそ、ハワイで絶対記録を破ろう!その時はまた来てくれるね!?」というノリであった。

次って、いつなんだろう?私がハワイにいる間ならいいのになあ・・・
もうすっかりギネス記録に再度挑戦するつもりである。

ギネスってまるで縁遠いものだったけど、こんなに身近なものだったとは知らなかった。
2011年10月19日 (水)
ハワイの合唱団に入団

前回のハワイ滞在中(2011.3月〜6月)、私は大決心をして、ホノルルにある女声コーラス”Na Leo Lani chorus"の入団テストを受けた。
このコーラスは、ひと昔前、アメリカで生れた”バーバーショップスタイル”男声4部合唱の、女声版である。バーバーショップスタイルでは、常にアカペラ(無伴奏)で自分達が作りだすハーモニーだけが頼りである。その代わり、ピタッと音がはまったときの快感はすごいものがある。"Na Leo Lani"とは、ハワイ語で「天国の声」。

友人を通じてこのコーラスの存在を知った私は、すぐにその友人に頼んでそのリハーサルの見学に連れて行ってもらった。見学のつもりが楽譜を渡され、いきなり一緒に歌うことに。。もちろんリハーサルはすべて英語。歌う曲もすべて英語。。。大丈夫かな?と思った。しかし、そんな不安よりなにより、生れて初めて味わう、ボリュームのある生の声のハーモニーの中に身を置く幸せを感じてしまったのだ。ここに入りたい!と思った。この合唱団は女声4部である。テナー、リードテナー、バリトン、ベースと男声合唱団のような構成で歌う。リハーサル時間3時間、息をもつかせないくらい充実していてしかも楽しい。ビジターとして4回リハーサルに出たら、入団のオーディションを受けることが出来るという決まりがあった。私は5回リハーサルに出たところで、オーディションを受けることにした。団員は20名くらい。

課題曲二曲、ベテランの各パートのリーダーと一緒に歌ってディレクター(指揮者)に聞いてもらうのだ。ダークダックスのように4人で歌う。
私は声質から、バリトンパートを歌うように指示されていた。バリトンのパートリーダーが抜けて、私が1人でバリトンを歌う。初めての曲でしかも英語、当然暗譜。しかもバリトンは特に難しいのだ。でもハモったときの気持ちのよさは人一倍感じられるパートでもあり、歌い甲斐はありそうだ。いままでこんなに練習したことはないと思うほど、私はこのオーディションにかけていた。落ちてもともと、こんな経験をできるだけでもいい。。と思っていた。

で、オーディションの日。練習の甲斐あって、本当に気持ちのよいハーモニーに身をゆだねることが出来て、一曲目のテストをパス。
そして、二曲目は団員と一緒に歌うという。ホッとしたのもつかの間、厳しい試練が待っていた。全員で歌うのだが、私だけマイクを持たされそれに向かって歌う。マイクの先にはレコーダー。しっかり私の声だけを拾っている。その後、そのテープだかなんだかををディレクターが聞いて。。。私の合否が決まることになっているらしい。

結果はその日のうちに知らされる。ディレクターと四人のパートリーダーが、満面の笑みでOKサイン。「おめでとう!」とハグをしてくれた。

この合唱団は全世界に支部を持つ”Sweet Adeline”という女声合唱の組織のハワイ支部。
今日、ここで入団を許されたとしても、本部へ知らせて認可されるまで少し時間がかかるため、正式に入団するのは少しあとになるという。

あれから、4ヶ月、私はまたハワイへ戻り、この合唱団に復帰した。そして正式に団員として迎えてもらう書類も届き、IDカードももらった。
私はこの団にとって初の日本人。この団では日本語の通じない日系、アジア系、白人など、人種が入り混じっている。
それだけに声の質がやわらかく、深く、なにより一人ひとりの声にボリュームがある。どんなところで歌ってもとにかく声が響く。それは羨ましいほどだ。
ハワイにいるときはこのNa Leo Lani...そして、日本にいるときは女声合唱団「黎明」で、これからも一生懸命歌っていこうと思う。

「ナカムラさん、あなたはなにが好きですか?」と聞かれたら「ハイ。踊ることと、歌うことです!」ときっぱりと答えられる。
それが恥ずかしいような気もしていたが、この歳になると、今も、それに向かって楽しく挑戦し続けられることが、何よりありがたく
うれしいことなのだと思う。実は、それにもう一つ、好きなことが増えた。それは古典落語を聴くこと、特に古今亭志ん朝さん”噺”は素晴らしい。
2011年10月15日 (土)
ホカロン イン ハワイ

なにやかやと忙しい日々を過ごしていて、なかなか落ち着いた生活ができないでいた。冷蔵庫にはオレンジジュースも、ミルクも卵もなくなってしまい「今日こそは!」と意気込んで、ドンキホーテに出かけた。

日本食品を扱っている地元の「にじや」も「マルカイ」もいい品物をそろえているけれど、やはり私には通い慣れたドンキが好きである。どこかに新しいお店が出来たり、新名所ができるとすぐに駆けつける人も多いのだが、私はほとんど行かない。こういうところはイヤに保守的なのだ。
だから横浜の有名なお店も、ハワイの話題のお店もほとんど知らない。

今日そのドンキに行って驚いた。日本でもハワイでも毎日欠かさず飲んでいるコナコーヒーのすべての種類の袋のデザインが一新していて、全く別物に見える。おまけに定価がぐーーん高くなっていた。値上がりしていたというどころではない。少し前までこのコーヒーがセールで売られていた時の値段のほとんど2倍である。
ドイツのジャッキーママもこの「バニラ・マカデミアナッツ」のフレーバーコーヒーが大好きでいつも大量に買い込んでいるのだが、このお値段では二の足を踏んでしまいそう。

世界的にコーヒーが値上がりするとは、聞いていたがここまでとは。。大きめのマグカップにたっぷり注いで毎朝楽しんでいるのになあ。。朝のコーヒー、これからどうしよう?!私にとっては一大事である。

このごろ朝夕少しだけ涼しくなってきた。それでも最低気温が22度Cはあるのだが、風がひんやり感じることは確かである。こちらのラジオでは「このごろ朝晩ずいぶん冷えますねえ。。みなさんどうぞ風邪を引かないように」などと言っている。どう考えてもちょっと大げさなのだが、こちらの人にとってはかなりの「冷え込み」らしい。

昨日シニアライフクラブのパーティで、アラモアナホテルに出かけた。覚悟はしていたが、その会場の寒いこと。。冷房をイヤというほどきかせている。節電、節電でつらく暑い夏を乗り切った私たち日本人から言わせれば、無駄としかいいようがない。「寒い、さむい・・」といいながら、用意した厚手のジャケットやストールであたたまっている女性が多かった。

寒がりの私は、もちろんニットの厚手のジャケットを羽織った。さらにかねて用意の「ホカロン」を化粧室で背中に貼り付けた。おかげで快適に楽しく数時間を過ごすことができた。

そんなわけで、私はハワイでもいつもホカロンを準備している。
うそのような本当の話である。
2011年10月14日 (金)
うちのコンドが火事騒ぎ!

カウアイ帰りのKawaipunaowaimeaのメンバーが、それぞれに三々五々ホノルル滞在を楽しんで、一昨日最後のグループが帰国の途についた。まずは全員無事に帰国。ほっとした。

休むまもなく、Kawaipunaowaimeaの次のフラのプロジェクトの準備開始。
11月27日の東京でのフラワークショップに向けての仕事である。カウアイのフェスティバルに出場したメンバーは、12月4日に横浜でのイベント出演が決まっている。今年後半はフラで忙しい年になった。もうひとがんばりだ!

昨夜うちのコンドで、騒ぎがあった。
そろそろ寝ようと思っていた深夜0時半頃のこと。窓の外が急に騒がしくなり、イヤに明るい。カーテンを開けてみると赤いライトがくるくる回っている。サイレンこそ鳴らさなかったが、数分の間に巨大な4台の消防車とパトカーが次々とコンドの前に駆けつけてくる。赤いライトと青いライトがくるくる。。消防士がスピーカーで何ごとか連絡を取り合っている大きな声が響く。

これはただ事ではないと思った。ドアを開けて廊下にでようとしたら、キナ臭い匂いが漂っている。

やはり火事!!エレベーターはすでに止まっていた。

階段で階下に降り外に出てみると、消防士以外ほとんど人気はない。野次馬もいなければ、このビルディングの住人でさえ誰も騒いで外へ飛び出してくる人はいなかった。不思議だった。

私の他にたった二人、この騒ぎで飛び出してきた若いカップルの奥さんは日本人だった。それも私と同じ階に引っ越してきたばかりの住人で、思わぬところで初対面のご挨拶。「お隣のお隣に越してきました。よろしく!」
こんなところで、また新しいお友達ができた。

沢山いた消防士の一人に「なにがあったの?」と聞いたら「さあ、とにかく出動!っていうので来たけど、なんだかわからない。。なんでも10階のどこかの家で火がでたらしいけどねえ」ハワイらしいなあ、まったく。。。

こんな様子では、深刻なことにはならないと思ったので私は部屋へ戻って寝ることにした。廊下のキナ臭さももう消えていた。おそらくボヤがあったのだろう。今朝になってもコンドのマネージャーから特に何の連絡も様子に変化もなかったから、一安心。

なにはともあれ、大事に至らなくてよかった。
日本では地震、ハワイではボヤ騒ぎ。
世の中なにが起こるかわからないものだ。
気をつけなくちゃ。。。
2011年10月8日 (土)
カウアイ島で奇跡のように。。

10月6日から4日間、私はカウアイ島・ワイメアにいた。
私のフラのKawai先生を中心にした日本のフラグループ”Kawaipunaowaimea”のカウアイツアー。このツアーの目的は有名なコケエで開かれる恒例の”クイーン・エマラニ フラ フェスティバル”へ出場すること。私たちグループにとっては、4年前に続いて2度目の出場である。
今回はなんと、正式プログラムの最後を飾る?ことになっていて驚いた。
ハワイのことだから、カウアイに行ってみて初めてそれを知らされた。
どうしよう。。「私たち、トリだよ」。。緊張が走る。
Kawaipunaowaimeaは、Kawai先生とシンガーのNickさんが年に2回来日して開くフラのワークショップ集う生徒達が自主的に練習を重ねてきた、とても特殊なグループである。一年に数回しか会えないKawai先生の教えを守りながら先生の振り付けを大切に、先生に指名されたリーダーたちを中心に仲間同士で自主練習をしてきた。つまり私たちには正式な「クム(ハワイ語で先生)」がいない。なんとも可愛そうなグループなのである。

Kawaipunaowaimeaを立ち上げて以来7年。先生はハワイ、私たちメンバーは日本。常にそばに先生がいない状態で、私たちは頑張ってきた。
今回このフェスティバルでの出番直前、Kawai先生とNickさんが皆を集めて輪を作った。しっかりと全員が手を繋ぎKawai先生がハワイ語で祈りの言葉を唱えてくれた。みんなに力がみなぎってくるような気がした。いよいよ出番、司会者が私たちのクループ名をつげ、我々についての紹介の言葉が続いた。私はもうそれを聞いただけで胸がいっぱいになってしまった。
日本語に訳すとこういう言葉だった。
「次はKawaipunaowaimea、日本からの出場です。このグループには「クム」がいません。カウアイ出身のKawai先生とNickさんが中心になっているグループですが、メンバー同士の固い友情によって、自主的に練習を重ねてここへ来ました。・・後略」

「このグループにはクムがいません・・・」という意表をつく言葉で、地元の観客のみんなの温かい気持ちと視線が私たちに集まった。それを私たちは肌で感じながら、舞台であるコケエの広い芝生の上に歩み出た。

真っ白な長袖のブラウスに、ワイメアの赤い土を思わせる茶色のスカート。
それに今朝、皆で摘んだプルメリアとブーゲンビリアで作った花の髪飾りだけの、シンプルな衣裳。子供3人を含む12名が、私たちのオリジナル曲をNickさんの歌声に合わせて踊った。大げさなようだがこの瞬間、この12人にフラの神様が降りてきてくれたような気がした。練習で出来なかったこともすべてクリア。。私たちの動きが一つになっているのを感じた。

観客の拍手も、ヒューヒューという口笛も一段と大きく響いた。
「やった!!」 退場すると、Kawai先生のお母さんが「素晴らしかった。ほら見て、鳥肌がたっているわ。。本当によかったわよ。観客がいっせいにみんなの踊りに集中したのを私は見たわ。それはすごいことよ!!」と抱きついてきてくれた。それは私自身も踊っていて感じていたから、Kawaiママの言うことがよくわかった。観客の中の数人が私たちのところへ「よかったよ、素晴らしかった」と声をかけにきてくれた。
そして。。めったに、いや、絶対に褒めてはくれないKawai先生が、このときばかりは違っていた。
「僕はうれしかった!!7年前を思うと見違えるような進歩があり、今日のパフォーマンスは素晴らしかった。みんなが気持ちを一つにして踊っていたから、観客のあなたたちへの集中度がはっきり分かるほどだった。すごい、よくやったね。皆を誇りに思うよ!ほんとうにうれしい。ありがとう!」
全員が泣いていた。みんなで涙でぐちゃぐちゃになりながら抱き合う、その後ろの空に奇跡のように美しい虹がかかかった。私たちの出番の直前にさーっと雨が降ったかと思うと、すぐに青空が広がった。まるで天然のライトのように太陽が踊る私たちを照らし出してくれた。そして踊り終わったときには美しい虹が私たちを祝福してくれた。こんな偶然ってあるかしら。これは私たちの7年間の歩みの象徴のような気がした。Kawaipunaowaimeaの7年間、ときには「にわか雨」も降ったし、「嵐」が吹き荒れたこともあったけれど、みんなでそれを何とか切り抜けて続けてきたのだ。そして太陽が差し、虹までも・・。やっとこれで少しだけKawai先生とNickさんに恩返しができたと思う。私にとってこれほどうれしいことはない。

このツアー中、ずーっと一家総出で私たちの世話をし、支え続けてくださったKawai先生、ニックさんのご家族とその沢山のお友達たちに心から感謝している。ハワイアンの生活に直接接するチャンスがないホノルルでの生活とは180度違ったカウアイでの日々。もうすでに懐かしい。
2011年9月30日 (金)
ハワイの名門プナホウスクールで・・

今日もハワイ晴れの一日。
午後からオバマ大統領や女子ゴルフのミシェル ウイの出身校として知られているハワイの名門プナホウハイスクールにでかけた。シニアライフ協会のボランティアのお仕事である。日本語を選択している生徒達と日本人シニアが日本語で会話するという授業でシニア一人に四人の生徒が一つのグループになって会話を交わすという形で進められていった。授業中は日本語を使ってなるべく英語は使ってはいけないという私にとってはありがたい条件だった。生徒達は宿題として私たちシニアに質問を用意していた。

「ナカムラさんはどこから来ましたか?」「好きな食べ物はなんですか?」
「第二次世界大戦のときはどうしていましたか?」「あなたの先祖はどこから来ましたか?」などなど。。。おおむねすらすらと答えられたけれど、
私は戦後生まれで戦争を語れるだけのものはないし、私の先祖は多分日本からきたんでしょう。。なんて間の抜けた答えしかできなかったけれど、、楽しかった。

印象に残ったのは、自己紹介のときの一人の男の子の発言だった。
「あの。。私は八分の一、ハワイアンの血を持っています。だから有名なカメハメハスクールの試験も受けて合格したんですが、よく考えた末、このプナホウスクールを選びました。私は弁護士になりたいです」胸を張ってこたえてくれた。ここはハイスクールまでしかないから、みんな大学受験を控えている。名実ともに優秀な生徒が集まる学校で授業料も相当なものらしい。毎日親の運転する車で高級住宅地カハラから送迎してもらっているという子もいた。

日本の高校生に比べると、素直で服装もヘアスタイルも年齢相応で好感が持てた。第一みんな素朴てかわいい。日本の高校生はちょっとこわい。。

ハワイの若者とこんな交流ができてうれしい一日であった。
2011年9月27日 (火)
ホノルルの様変わり

昨日(26日)、朝ホノルル空港へ到着。約3ヶ月半振りのハワイである。
日本でホノルルの天気を調べたら、今週は見事に雨マークばかりだったので、少々がっかりしていたのだが着いてみたら、とんでもない!ここ二日間気持ちよく晴れ上がっている。あの天気予報はなんだったのかしら?
いつものことだが、青い空とそよ風が心地よい。

シャワーツリーのシーズンもすっかり終わって、名残りの花がちらほらあるだけ。ダイヤモンドヘッドは茶色でこの夏も雨が少なかったことがわかる。

いつものことだが、3ヶ月以上このウチをあけていると、なにがどこにあったか忘れていることが多い。振り向いたらそこにあるはずのタオルがない、あ、ここはあっちだった。洗剤の買い置きはどこだったっけ?
年々それがひどくなって、一人で笑ってしまう。日本へ帰っても同じことで、我ながら情けない。

11月にAPECが開かれるため、今ホノルルは突貫工事で道路の修理が行われている。ワイキキからアラモアナにかけての
主要な道路もいくつか車線をクローズしているから、昼間でさえ渋滞が起こっている。突貫工事といっても、半年前から同じ仕上がり具合のような気がする。「ね、ちーっとも進んでないでしょ?これで間に合うのかしらね?」
と友達が言う。これもハワイアンたるゆえんか。

円高で日本人観光客の数が増えているという。免税店の売り上げが好調だという。確かに私も成田で換金したときに驚いた。
こういうときはありがたいが、円高は日本の大いなる問題だ。

最近の日本人は団体で歩かないから、目立たない。一方、今、列をなしてぞろぞろと歩いているのは中国からの団体観光客。30年も前の日本人の姿だなあ。。と懐かしく思う。日本人はハワイに来ると、早速ムウムウに着替えたり、アロハを着る人が多いが中国の人たちは母国から出国したときと同じスタイルのまま、と思われるファッションで歩いているような気がする。
どこに行っても中国人であることを誇りにしている人たちらしい。お国柄がこういうところでも表れる。

日本人におなじみのアラモアナショッピングセンターの「白木屋」が様変わりしていた。大々的に変わった。
入り口にはガラス張りのラジオ局のスタジオがお目見えした。日本語放送局、KZOOのもので、いくつかの番組がここから放送されるらしい。
友達にコネのある人がいて、今日私もそのスタジオに入れてもらった。外から見ている分には楽しいが、ガラス張りのスタジオの中に入ってみると
外から注がれる視線が怖い。「だれだれ?誰がいるの?」とのぞかれているようで・・「すみません!有名人じゃあ、ありません。ごめんなさい」と謝りたくなる。2階も「屋台村」というフードコートもできた。ここのおうどんがおいしいらしい。

ようこちゃんが、7月末転倒して左腕を骨折、リハビリ専門の病院に入院してリハビリ中である。今日お友達の車で病院へお見舞いに行った。元気、元気だった。「この入院患者の中で私が一番元気なの!」
といつものようこちゃんの笑顔だった。今月末には退院とのことで、本当に安心した。

ハワイに着いた日からお友達との楽しい再会が続き、ようこちゃんの回復も確認できてうれしいスタートになった。
2011年9月23日 (金)
もうすぐハワイへ!!

6月初めにハワイから帰国して以来、大変忙しい日々が続いた。
いつもよりマヤ一家と一緒に過ごす時間も長かったし、9月初めからはジャッキーとママが里帰りで戻ってきた。ウチにマゴが全員集合すると、まるで保育園。今、バアバとして一番楽しい時期だと思うから、思い切りそれを楽しもうと思っている。至福のときだ。

7月には合唱団の「大震災チャリティーコンサート」があり、練習、本番、事後処理と時間があっという間に過ぎた。

近頃は”至福のとき”や”忙しさ”のあとに”疲れ”が伴うので大変だ。

同時進行で私のフラグループの”カウアイ島ツアー”のための仕事も進めてきた。23名のメンバーと共にハワイへ行き、カウアイ島で10月8日に開かれるイベントに出演することになっている。
その練習もあるし、事務的な仕事がある。

このフラグループは12月4日に、横浜での大切なフライベントの出演も控えている。ハワイから帰っても、その練習が待っている。楽しいことが続く。

一方、この日本にいた3ヶ月半、被災地の復興どころか復旧さえ進まないことに憤りを覚え、日本の政治に絶望した。そのうえ大型台風、ゲリラ豪雨、いまだに続く地震に、えもいわれぬ恐怖を感じたり、精神的には穏やかではなかった。
また、自分のことで精一杯で、なかなか被災地の人たちへ手を差し伸べることが出来ないもどかしさも感じていた。そんな中、マヤママが参加しているToksyという組織を知った。被災者へ”個人間”で支援物資を送ろう!というもので、被災者の個人から申し出られた必要なものを、こちらから個人宛に送るというもの。

私は3人の孫が使用して重宝した「バウンサー」を希望していた人に直接お送りした。あて先は宮城県の南三陸町の仮設住宅だった。

その方から、後日お礼のメールが届いた。気持ちまで通じたようで本当にうれしかった。

Toksyのサイトは次の通り。
http://www.toksy.jp/ 不必要な支援物資がだぶって届き、ありがたいが本当は困っているという話も聞いた。

私はもう使い終わって不要になったものをいくつか持っている。これからもToksyを通じて、被災地に届けられたらと思っている。

私は来週早々、ハワイへ向かう。3ヶ月半振りだ。
暑い夏がようやく過ぎて過ごしやすくなった美しい季節の日本を離れることになるが、それでもハワイのあのカラリとした暑さが懐かしい。

ハワイの大親友、ようこちゃんが8月に転倒して左腕を骨折、いまリハビリ中。幸い順調に回復しているらしいので、また笑顔いっぱいの
ようこちゃんに会えるだろう。「早く戻っておいで!」と待っていてくださるお友達が沢山いて、幸せだ。

もうすぐ行きますよ!待っててね。
2011年9月2日(金)
ママは一人でマカオへ

一昨日から昨日まで、我が家ではマゴの声が響き渡っていた。すっかり日本語が達者になったマヤがソプラノの声でおしゃべりしまくるし、弟のアキラはよろよろとつかまり立ちをしてはひっくり返って、大声で泣く。。
いつものような光景だったけれど、一つだけ違っていたことがある。この二日間ウチへ里帰りをしていたのは、マヤパパと、子供二人。マヤママ不在の変則的な里帰り。。。

マヤママはというと、親友を訪ねて一人旅をしていた。行き先はなんと「マカオ」。家出ではない。

とてもとても優しいマヤパパは、日ごろのママの多忙な日々を慰労するため「ママのマカオへの一人旅」を自ら提案、チケットの手配までしてしてくれた。ママの留守中は仕事を休んで、育児に専念するという。なんとありがたいこと。

そして、オムコさんが子供たちを連れてウチへ泊りがけで来てくれたこともうれしい。

ただ、私にはこのことに不安もあった。3泊4日の旅とはいえ、ママの抱っこと授乳が欠かせない乳飲み子をおいての旅行。
第一、旅行中にママにもしものことがあったらどうするの?旅行にはリスクもあるのよ。。とつい老婆心が出て、めずらしく私は反対した。

「ママが反対するとは思わなかったなあ。。」とマヤママとジャッキーママが話し合ったらしいが、私は真剣に反対した。

だが、しかし。。よく考えたら私にはジャッキーをドイツに置いて仕事で飛行機で飛び回っているジャッキーママという娘もいた・・

世の中は確かに大きく変わってきている、私の考えも柔軟に変えていかねば、、と思った。
なにより大きな理解を示してくれる、二人のオムコさんたちに感謝である。

幸いマヤママはマカオを楽しんで、本日元気に帰国。
彼女が感じたことは「やはり、楽しい旅ではあったけれど、今の私は二人の子供のおかあちゃん。夫と二人の子供と一緒にいてこそ幸せなんだ」ってこと。

よかった よかった。。
2011年8月12日 (金)
ある夏の日の思い出

それにしても暑い。
去年の夏、私はハワイにいてあの猛暑を実体験していないから、余計暑さを感じる。「町を歩いているとね、まるで自分が熱いゼリーの中に入れられて、それをかきわけながら歩いている感じなのよ」とハワイにメールをくれた人がいたけれどまさにその通り。今年はさらに節電という困難さがあって、本当に大変だ。日本はどうなってしまうのだろう、、と本気で思う。

今年生れて初めて「日傘」を買った。寒さにはめっぽう弱いが暑いのは平気だったし、もともと色白ではないから日焼けもそれほど気にしないからだが、しかし今年は違う。日傘がこれほど暑さを緩和してくれるとはこの歳まで知らなかった。また「扇子」を持ち歩くようになったのも初めてのことである。

お盆休みに突入し、帰省の人たちの大移動が始まった。昔は生れた土地や実家のあるところを「いなか」と呼んでいた。
私が育った家庭も、私の家庭も、お盆休みやお正月休みというものに関係ない職業だったのと、帰省する田舎(故郷)がなかったため、私には帰省という経験がない。したがってお盆休みのありがたさにも実感がない。

まだ子供達が幼かったある年、憲さんの休みとお盆が重なってしまった。普通なら喜ぶところだけれど、どこへ行っても人が多く、しかもすべてが高い。どうしたものか?と思案した。こんなときには遠出をする気がしない。。と夫婦の意見が一致した。しかし、子供達は楽しませてやりたい。
家族ともどもラクをして、手軽で楽しい過ごし方はないものか?そこで。。

朝から近くの区民プールへ一家ででかけ涼をとり、ランチをすませてお昼過ぎに帰宅。みんなでセミの声を聞きながらクーラーのきいた涼しい部屋でお昼寝。夕方涼しくなったころに再びみんなで出かけて、いつもより少しだけ贅沢な外食をする。これを数日続けた。ママは楽ちん、子供達は久々にパパと思い切り遊べて幸せる安上がりの一家団欒の日々、といううれしいお盆休みになった。

こうした日々を書いて朝日新聞の「私の夏休み」をテーマにした投稿欄に応募したら、採用された。当時にしては「ちょっとしたいいアイデア」だったのだろう。生れて初めて新聞に自分の文章と名前が載って、私にもいい「夏の思い出」になった。そんなことを思い出しながら、節電の暑い夏を送っている。

今年のお盆は、大震災で亡くなった方々への思いで特別なものになる。広島、長崎への原爆投下の記念日と終戦記念日が重なって、考えさせられることの多いこのごろだ。
2011年7月14日 (木)
ありがとう!ダークダックス

昨夜、久しぶりに頭が痛くなるほど一人で泣いた。
一枚のDVDを見ながら。。タイトルは「ありがとう!ダークダックス」
〜激動の昭和・平成を歩んだ60年〜

丁度これがNHKで放送されたとき、私はハワイにいて見ることが出来なかった。今年1月、メンバーの一人パクさんが亡くなった。かなり前から病気療養で活動を停止しているマンガさんを欠いて、三人で活動していたダークダックスだったけれど、とうとうゲタさんとゾウさんの二人だけになってしまった。この特別番組が事実上のダークダックスの現役としての最後のテレビ出演になるだろうと思っていた。だから見逃したことがなんとも残念だった。

ところが、ありがたいことに高校時代からの旧友が気を利かせてこれを録画してくれていた。「京子ちゃん、きっと見たいだろうと思ってね、撮っておいたよ。送るね」本当にうれしかった。

私は小学校の頃から熱烈なダークのファンで、特にゲタさんが好きだった。
私の母も音楽をしていたから、当時まだめずらしかった男声クアルテットの出現がうれしかったらしく、一緒に追っかけをした。今のように芸能人に厳重な警備もないころだから、そのうちダークの4人から「京子ちゃん」「京子ちゃんのママ」と呼んでもらうようになり、特にゲタさんのご一家と親しくお付き合いをするようになった。私の結婚式にはゲタさんの奥様が来てくださったし、後年母が亡くなった時は「ダークダックス」から立派な花篭をいただいて、周りの人が驚いた。

そんなダークダックスが二人きりになってしまった。分かってはいたが、このDVDでそれを確かめることになり、涙を流しながら、いやおうなしに納得させられることになった。

私はダークのおかげで歌うことが好きになり、30年近く合唱団で歌っているし、ホノルルでも憧れていたコーラスグループのオーディションに挑戦して、入団することが出来たばかりだ。

ありがとうございました。長い間お疲れ様でした。
思いがこみあげて、DVDを見ながら泣いた。
おかげで今朝は目がパンパン。おまけに頭の芯がズーンと痛い。

明日は私の合唱団主催の「東日本大震災復興支援チャリティコンサート」
である。一人では大きなことはできないけれど、仲間たちと好きな歌によってチャリティ活動を出来ることがうれしい。
温かいコンサートになりますように。。。
2011年7月6日 (水)
孫疲れ

6月9日、3ヶ月ぶりにハワイから帰国した。
そしてあっという間に7月。ずっと「日記」の更新が途絶えているけど、どうしたの??いま、どこにいるの?元気??と何人もの方から連絡をもらった。今回ばかりはハワイでの日々を「日記」にあらわすいう気にはなれない3ヶ月だった。 震災によって直接大きな被害を受けたわけではないのに、確実に私自身の気持ちが揺らいでいたのだろう。

マヤママとマヤとアキラがハワイに来て一緒に2ヶ月間を過ごした。幼い2人の孫たちを放射能から遠ざけたい、、という気持ちからだった。
私たちにほとんど知識がないだけに、放射性物質に幼い孫がさらされるという脅威からなんとか、私にできることで
孫達を守ってやりたかった。ハワイでは、出来る限りインターネットで原発の情報をあつめ、子供たちをどう守っていけばいいかをマヤママとともに模索した。結局一人ひとりが自分の家族を守ることしかないという結論に達した。ひいてはそれが、将来の日本を守ることになる。大げさだけれどそう思った。

当時は「健康にはただちに影響はない」とのことだったが、実は地震と津波直後から福島の人々は、いや、遠く離れているはずの東京以西まで放射性物質にさらされていたのだ。
「やはり・・」と思う。なんとも悔しい。

ハワイにいる間に、マヤはトイレトレーニングがほぼ完了し、アキラにはかわいい歯が2本生えた。その成長振りを目の当たりにできて大変に幸せな日々だったが・・

帰国早々左耳の様子がおかしいことに気がついて、耳鼻科に行くと「左耳の突発性難聴」とのこと。「かなり、聞こえなくなっていますよ、あなた、疲れていませんか?」とお医者さん。「ハイ、孫疲れかも・・」
幸い初期に治療を受け始めたので、処方薬が良く効いてくれて症状は消えた。「ハハ。。多分それですよ。無理をせず、しばらくはゆっくり休養をとるように、、」お医者さまのおっしゃるとおりのんびりしていたら、全快した。強いお薬からも解放された。ほっとしている。

それにしても、暑い日々が続く。熱中症にならないように節電をしつつ過ごしていこう。街が暗いことくらい平気だと思っていたが、会社にお勤めの
人たちには社内の節電によって、仕事にも支障が出るし、思いも寄らぬ不便さや不都合が生じて大変なのだということを聞いた。それぞれの立場によって、節電から生ずる不便や深刻さが違うだろう。日本人は忍耐強さをつくづく誇りに思う。ハワイの日系人も沢山の義援金を日本に送り続けている。

それにひきかえ、日本政府の情けなさはどういうことなのか?
少しでも早く被災地の人たちを救ってあげてほしいのに、また担当大臣が変わった。悲しくなる。
2011年3月30日 (水)
紫のキャンドル

独身時代から憲さんが大切にしてたキャンドルがあった。
濃い紫色の直径10センチ以上はあろうという太くてどっしりしたもので
どうやらドイツ製。周りに彫刻が施してあってとても美しい。インテリアの一部として約40年以上家族で楽しんできた。

一度として点火したことがない。40年以上たってもその美しい紫色があせることはなかったし、まだまだ新品のようだった。引越しのたびに、場所は変わったけれどいつも私たち家族のそばに飾ってあった。

そのキャンドルに40年ぶりに初めて火を灯したのは3月11日、あの地震のあとの停電のときだった。
家にはアロマ用や装飾用など、各種キャンドルがいつも沢山あるから安心していた。

ところが、そういった種類のキャンドルは炎が短く小さい。
それにちらちらと炎が踊り、ライトとしては余り役に立たないことがわかった。いくつ点けてみても、周りが明るくならない。

一人で真っ暗な時間を過ごしているとき、ふと紫のあのキャンドルがあることを思い出した。
少し考えた後、ライターで火をつけてみてびっくりした。

明るい!
周りがパッとオレンジ色になった。
暖房が消えて寒くなりかけていた部屋が暖かくなったような気さえした。
芯が太いせいか、その炎は太くとても長い。

停電と余震におびえていた、あの日の夜の私を慰めてくれたのは、40年ぶりにその役目を果たしてくれた古いキャンドルだった。

「とうとうこれに火をつけてしまったよ。。憲さん」
涙があふれた。

今日になって、我が家付近のあのときの震度が訂正された。
今まで震度「3」とされていたが、実は震度「5弱」だったらしい。
2011年3月26日 (土)
人それぞれ。。

ハワイを何度も訪れている人には想像がつくかもしれない。
カラカウア通り(ワイキキの目抜き通り)のショッピングプラザから免税店にかけてのあたりには、観光客向けの射撃場、焼肉店、観光ツアーなどのチラシを配っている人が多い。

私たちの仲間が許可を得て、日本救済の募金をしているのは丁度そのあたり。

「日本を助けてください」という内容の英語と日本語で書かれたビラを配り、募金をお願いする。私はビラを配りながら、大声を出して道行く人に呼びかけていた。私は内心、心配していた。ここに毎日立って射撃場、焼肉店、化粧品店のビラを配っているプロの人の邪魔にならないか・・と。

効率よくビラ配りができるであろう彼らの仕事の場所に、私たちの仲間が割り込む形だったからだ。

ところが、その人たちは文句一つ言わず、むしろニコニコと場所を譲ってくれて、私たちの募金活動がしやすいようにアドバイスまでしてくれた。

「ほら、アノ人、募金してくれそうだよ」「よかったね。お金がだいぶ集まったねえ」「頑張ってね、JAPAN!」

先日恥ずかしそうな表情で寄付してくれたビルの掃除のおばさん、そして今日のビラ配りを生業としている人たちの温かい言葉。
幼い子供にお金を渡し募金箱へ入れさせて微笑みながらそれを見守る若い両親・・・心温まる情景を目にし、耳にしてうれしかった。

とはいえ、ビラを受け取ってさえくれない人が大多数だ。
「もうすでに、寄付しましたから」と言ってくれるひともいる。
日本から来ている観光客の人たちに無視されることが多いのが意外だった。

かと思えば「ご苦労様です。支援運動、頑張ってください。ありがとう!」と逆に丁寧にお礼を言ってくれる観光客の人もいた。

まさに人それぞれ。。いろいろ考えさせられることの多い日々・・

こうして集められる義援金が早く、公平に被災地のみなさんに行き渡りますように。。と願うばかりだ。
2011年3月25日 (金)
せめて。。。

ホノルル空港へ着いて、ハワイ専用で使っている携帯をONにするとボイスメッセージが2件入っていた。2件ともアトランタに住む親友キャロルからだった。すぐにキャロルに電話を入れた。まずご主人が出た。「キョウコ、元気なの?大丈夫??いまどこ?声が聞けてうれしいよ」そして大声で「オーーイ!キャロル!!キョウコは無事だよ、電話がかかってきたよ〜」 
キャロル一家は私のことのみならず、日本全体の困難な日々を、もう半泣きになりながら心配してくれた。

ハワイでの日本への救済活動はますます盛んになっている。
今日もカラカウア通りで、2時間、募金活動をしてきた。もちろん応じてくれない人も多いけれど、少しでもと募金箱に「志」を入れて下さる人がいて、胸が熱くなる。今日もワイキキトロリーの運転手さんが車道から寄付をしてくれて「チンチーン」とあのベルをならして応援してるよ!という気持ちを伝えてくださった。今日一番うれしかったのは、近くのビルの玄関の掃除をしていたおばさんが、ほうきとちりとりを片手に募金箱に紙幣を何枚か入れてくださったことだ。恥ずかしそうに微笑みながら・・・言葉はなかったけれど、彼女の気持ちがこちらにも伝わって来た。こうして街頭に立ってみると人の気持ちの温かさ、言葉では表現できないなにかを感じる。いままでに味わったことのない、感動であり、感謝の気持ちだった。

”HELP!  JAPAN!  PLEASE!!"

慣れない英語で叫ぶものだから、私は思わず大声で言った。
”HELP  ME!!"
それに一度ならず、二度も・・・はずかしい。

明日も同じように街頭に立つ。
せめて何かに役にたてれば、、、とハワイの皆が願っている。
2011年3月22日 (火)
あの日から11日過ぎて。。

3月日11日の大震災以来、みんな余震の恐怖、生活の不自由さ、原発の不安で過ごしていらっしゃることと思います。

私は、横浜の自宅で地震に合い、壊れた食器で少し手を切ったくらいで、無事だった。一人暮らしの恐怖と不安がつのってきたときに、幸いにも京都の従姉妹から「とにかく、こちらへ移動してくるように」と電話をもらい、生れたばかりの乳児と3歳になる2人の孫を守りたい一心で東京在住のマヤママ一家と5人で京都へ向かった。14日のことだ。新幹線は西へと向かう人たちでいっぱいだった。マヤパパの母国の大使館からの退避勧告がでて、16日に急遽、関空からマヤ一家はマヤパパのヨーロッパの実家へ向かった。私も関空から18日一人でハワイへ戻ってきた。ずっと遠くから心配してくれていたドイツのジャッキー一家も少し安心してくれるだろう。

到着したハワイは相変わらずのように見えたが、コンドのエレベーターには「日本へ祈りを。。」と書かれた紙が張られていたり、ALOHAのOの部分に日の丸の真っ赤な丸をあしらったチャリティTシャツを着た人たちが目に付く。力強い震災への救済活動が始まっていた。

ハワイに着いた翌日、所属しているシニアライフ協会での募金のため、私も十数人のグループでカラカウア通りに立ち、道行く人に募金をお願いした。
歩行者ばかりでなく、通りかかったワイキキトロリーの運転手さんが、車を徐行させながら私たちに募金をしてくださったり、車で通りかかった人が運転席から募金してくださったり・・・涙が出そうになった。ハワイでも日本を救おう!という気持ちがすごい。
被害者救済のためのチャリティのイベントも次々と企画されているようだ。

大震災からまもなく、こうして安全なところに来ることのできた私は、心に深い負い目があって、心が晴れることはない。
「せめても・・」の思いを込めて、募金活動などに努めたいと思っている。

日系の多いハワイ、母国の非常事態にみんなが心を痛めている。
ハワイから母国への強い思いと支援が日本に届き、お役に立てますように、、と皆祈りながら活動をしている。

ハワイ島でもこの大震災による津波で、古くから愛されてきたバンガロータイプのホテルが大きな被害にあい、ホテルの再建をあきらめ、全従業員を解雇せざるを得ない状態になったそうだ。

東北の被災地にいる友達が数人いる。横浜から電話をかけた時点では繋がらなかったが、今日こちらからお電話をしてみなの無事を確認した。大変だったろうに、それぞれの声が明るくてほっとした。

4月に予定されていてフラのK先生の日本でのプロジェクトのうち、東日本での仕事はすべてキャンセルになった。それを伝えてきたK先生の電話の声もいつもとは違って、暗かった。

今日桜が咲き始めたらしい日本に、本当の春が早く来ますように。。
2011年2月24日(木)〜
帰国・そして東京マラソン

電話の不通事件から始まって、日本に戻る間際の水漏れ騒ぎと今回のハワイ滞在はなにかとハプニングの多いものだった。
もちろんそんなことは吹っ飛んでしまうくらい、楽しいことも盛りだくさんだった。いつもより短い滞在だったけれど、ほとんど毎日毎日
カレンダーには予定が書き込まれていて、楽しくも、忙しい日々だった、

ハワイを発って7週間ぶりに成田に着いたのが2月24日の夕方。
成田からウチに戻ると予定通りジャッキー一家が一足先にドイツから到着していた。同じ日の朝、ジャッキー一家3人が来日したのだ。
時差と長時間のフライトに疲れて、3人はベッドで眠っていた。三人が起き出してきたのは、私がウチに到着して2時間後だった。

当然冷蔵庫の中は空っぽ。今夜は揃って外食である。ジャッキーパパが大好きな近くのお寿司屋さんに出かけた。

ジャッキーパパの来日は2月27日の「東京マラソン」に出場するのが目的で、ジャッキー母子はその応援のために来た。マヤパパも同じく「東京マラソン」に3回目の出場をする予定。娘婿が2人ともマラソンを愛する人で、今回は揃って東京マラソンに挑戦する。競争率の高い抽選にあったったのだが、どうやら一般のランナーとは別に外人枠があるらしく、ありがたいことに2人ともがそのチャンスを得た。そこで、私もハワイから帰ってきたというわけだ。

ハワイからの旅疲れも、時差もなかったことにして。。さあ、これからしばらく忙しくなるぞ!!

25日にはジャッキーたちとマヤ一家のお家を訪ねた。昨年11月生れたばかりのアキラくんも仲間入りして合わせて8名の家族が集まった。一人っ子で育ち、もともと係累の少なかった私にとって、周りにこれだけの大家族が居てくれることがなによりうれしい。アキラは、約4ヶ月でどーんと大きく成長していた。おっぱいで満腹になると一人で自分の手を眺め、お口に突っ込んだして機嫌よく遊んでいるし、顔が合うと必ずにっこりと笑ってくれる。健康な証拠だろう。ありがたいことだ。すでに東京マラソンを2度経験しているマヤパパはジャッキーパパになにかと細かいアドバイスをしている。2人の会話は英語である。

さてマラソン当日は、温かく晴れ上がってマラソン日和。ジャッキー3歳2ヶ月、マヤ2才10ヶ月、それに4ヶ月のアキラを引き連れて、まず日比谷でマラソンの応援をした。まずジャッキーパパが日比谷を通過、彼は沿道の家族には目もくれず、颯爽と走っていった。一方マヤパパは私たちの姿を見つけると、駆け寄ってきて全員とハグをして、カメラに収まり、私たち応援団にチョコレートまでくれて悠々とまた駆け出していく。2人の性格がよく表れていておかしい。我ら応援団は、日比谷から有楽町まで歩いて移動、レストランでゆっくりと昼食をとった。その間も2人のお婿さんたちは懸命に走っているのだけれど・・・・応援団は呑気なものだ。
お婿さんたちにはそれぞれの走行のペースがあるので、それから以後はジャッキー母子とマヤ母子は分かれて応援することになる。私はアキラの面倒を見るためにマヤ母子と行動を共にした。次は銀座に出て4丁目あたりで、マヤパパが走ってくるのを待ったが、なかなかやってこない。あれ、、調子悪いのかな?と心配していたが、マヤママの携帯に入ってくる情報によると、なんとマヤパパは私たちの予想より早く銀座を通過したらしいという。ランナーの靴にはGPS装置がつけられていて、各ランナーがどこを走っているかが、携帯電話で知ることができるのだ。便利な世の中だ。
結局、ジャッキーパパが4時間20分くらい、マヤパパが4時間30分くらい。。と見事に完走した。よかったよかった。えらかった、オムコさんたち!

ジャッキーパパは仕事があるので、マラソンの3日後には単身ドイツへ帰国した。ジャッキー母子は、3月9日でウチに滞在することになる。

しばらくはマゴマゴと孫のお相手をしながら過ごすことになりそうだ。
幸せなこと。
2011年2月20日 (日)
ピアノ発表会 イン ハワイ

2月も半ばを過ぎた。あと3日で帰国の日を迎える。今回のハワイ滞在は一ヶ月半と少しだったこともあってあっという間にすぎてしまった。
沢山話題はあるのだが、ブログを更新するいとまがなかった。それほど楽しく忙しく、充実していた。ハワイは私にとってまさに楽園である。

今日は私の親しい友人、J子さんのピアノの生徒さんの発表会だった。昨年からみんなそれぞれの曲に取り組んでいた。
発表会ではピアノ演奏だけではなく「合唱」もすることになり、私は合唱をまとめるお手伝いすることになった。子供達のピアノ伴奏で、お母さんたちが歌う。。とても楽しい練習が続いた。そしていよいよ今日が本番。

5歳のYUMEちゃんを中心に歌う「崖の上のポニョ」、生徒さんのママたちによる2部合唱「この星に生れて」、そして最後はJ子先生と私のディユエットで「故郷」。とてもうまく歌えた!!みんなは本番に強かった・・よかった!!

生徒さんたちの最年少は5歳の女の子、最年長は74歳の紳士。それぞれに思いっきり自分を出し切っていた。11歳の多感な男の子は自分の出番が来ると
緊張のあまり泣き出してしまったけれど、J子先生に励まされて見事に「クシコスポスト」を演奏した。聞いているほうが胸がいっぱいになった。弾き終わると、会場から温かい拍手が起こった。よかったね、K君。

生徒さんたちは全員ハワイ生れで日本人の血を持つ子供達。当然みんな英語と日本語のバイリンガルである。ハワイ育ちだからおおらかでいて、どこか繊細な気持ちを持ち合わせている子供達だ。一緒に練習を重ねるあいだに、私もみんなと仲良しになった。
今回ハワイに来た大きな目的の一つはこの発表会だった。無事に楽しく会が終わってほっとした。J子さん、お疲れ様でした。
今まで25年以上もコーラスをしてきたが、お陰でハワイでこんなすてきな経験ができて、本当にうれしかった。

レイと花束をいただいて、記念写真をとって、打ち上げの小パーティを終えたとき携帯に電話が入っていることに気がついた。
ウチのコンドミニアムのセキュリティからのボイスメッセージが入っていた。「ひょっとしたら、貴女のお部屋に水漏れしているかもしれませんので、
至急連絡を下さい」とのこと。すぐに帰宅するから、と電話を返して急いで車を走らせた。ウチに入ってみるとやはり、玄関からキッチンに通じる部分の絨毯とタイルがぐっしょりとぬれていた。すぐにセキュリティに電話をして来てもらう。階上の給湯用のポンプの故障で、そこからの水漏れと思われる、、という。

今日に限って私は音楽会用に薄紫のムウムウに白いお花の髪飾り、二重の豪華なレイ。。という正装をしていたから、入ってきたセキュリティのビルさんは、びっくり!!「とても気の毒ですけど、これからぬれた部分をぬぐって、絨毯を乾かすしかないですねえ。。」という。

機械の故障では誰を恨むこともできないが、今日だけはこんな思いをしたくなかった。音楽会を無事に終えてほっとしてゆったりと過ごしたかった。
でも仕方がない。一人になるとすぐにレイはもちろん、ムウムウを脱ぎ捨て、髪飾りもとって普段着に着替えると早速作業開始!!

ありったけのタオルを水の染みた部分においてその上を麦踏みのように踏んで歩く。見る見るタオルはぬれてしまう。幸い、もれてきた水は無色でクリーンなものだから、ぬれたタオルをそのまま乾燥機に入れて乾かし、また麦踏みをする。。という作業を続けている。
普段は使わない大型の扇風機を持ち出して、絨毯が少しでも早く乾くようにと風を送っている。

ホノルルはこのところ、コナウインドが吹いて天気が悪い。晴れているように見えるが、ハワイ島からの火山灰が風に乗ってくるので「もや」がかかったような空の色だ。それになんとなく蒸し暑い。私が帰国する日までこういう状態が続くらしい。やはり冬のハワイの気候はすっきりしない。
2011年1月31日 (月)
大当たり!!☆

ハワイらしいすっきり晴れやかな気候が戻ってきた。日中も適当に暑く、いい気持ち。朝夕は少し涼しくて出かけるときは軽いジャケットが欲しい。
以前はハワイのレストランや、お店に入ると「これでもか。。」と言うほど冷房がきいていて震え上がったものだが、最近はそうでもない。省エネなのだろう。いいことだと思う。

昨日はマヤママのバースデーだった。あの子が生れてから40年近く経ったのだと思うと不思議な気がする。今朝そんなことを思い、コーヒーを飲みながら何気なくラジオを聴いていたら 
「それでは当選なさった3名のお名前を発表します。まずお一人目、ナカムラ キョウコさん、ナカムラ キョウコさんです!」と言うアナウンサーの声が耳に飛び込んできた。不意にラジオで自分の名前を連呼されて「ドキッ」としたが、思い当たることがあった。

一週間ほど前、ラジオで聞いた<<フラのショウ「カ フラ イン ハワイ」のチケットを抽選で3名の方にプレゼント!!>>というのにメールで応募していたのだ。

そのショウにはフランク ヒューエット、ウェルドン ケカウオハ、ナターシャ オダ、2008年のミスアロハフラ・クヒラニ サウザード、フラハラウ オ カムエラなどが出演する。会場はロイヤルハワイアンホテル。こんな贅沢なロケーションで、出演者もすごい。日本ではよくこんなショウがあるが、ハワイでこれだけの人がまとまって見られるのは滅多にないチャンスだ。それでラジオの懸賞に応募した。それが運よく大当たり!!!おそらく沢山の応募があったに違いないのに・・・

ラジオで名前を呼ばれただけでなく、お昼前には、ラジオ局のアナウンサー『上原みさ』さんから確認のお電話もいただいた。
「ナカムラ キョウコさんですか?おめでとうございます。フラのショウ、当たりましたよ。ラジオをお聞きでしたか?それはよかった!」と。

こちらのラジオ局の懸賞にあたっても当選者はラジオ局まで、その景品を受け取りに行かなくてはならない。
郵送してくれるなんてことはないらしい。で、午後、局まで取りに行った。ハワイで唯一の日本語のラジオステーションは、モイリイリにある。ビルの2階にある局に、おそるおそる入ってみると、まさにいま『生放送中!』というガラス張りのスタジオやこじんまりしたオフィスがあった。私が入っていっても誰も気にしていない。オフィスには女性が一人、私に背を向けてコンピューターに向かっていた。ハワイらしいのんびりした空気が漂う。

「なにか御用でしょうか?」と聞かれるまでずいぶん時間があって、はからずも生放送中の番組のアナウンサーの様子など、ゆっくり見学ができた。丁度、いつも私が楽しみにして聴いている番組の本番中だったのでうれしかった。やっとコンピューターに向かっていた女性が振り向いてくれて「こんにちは!今日はなにか。。?」と聞いてくれた。
わけを話すと、「ああ、おめでとうございます!よかったですね!」とデスクからチケットを取り出し、私に手渡してくれた。

たしかに、2枚チケットが入っていた。ペアでご招待!!120ドル相当である。
ペアでご招待といわれても、今週末のショウまでにエスコートしてくれそうなお相手を見つけるのはちょっと無理よね・・ということで、日ごろの感謝を込めて「ようこちゃん」を誘うことにした。また一つ、楽しみが増えた。

ハワイでは日本にいるときより、ある意味で忙しい。
ウクレレ、気功、詩吟、コーラスの練習、それにいろいろな会合、講演会など、なにかと出かけることが多い。
その上、新たに太極拳を体験してみようというようこちゃんに誘われて一緒にでかけることになった。
朝早く、ダイヤモンドヘッドとアラモアナビーチを見渡すマジックアイランドでの太極拳。それはすばらしいに違いないけれど、朝弱い私には7時にはウチを出て7時半からのクラスにかけつけるのはつらい。
毎週土曜日には早起きして、気功のクラスに出るのにはすっかり慣れたけれど、それでも毎回、Yさんからモーニングコールをしてもらって、やっと起きているという情けない有様だ。

しかし、私より20歳も年上のようこちゃんから新たなる挑戦・太極拳に誘われては断るわけにはいかない。いつまでも尽きない好奇心を持って努力しようとするようこちゃんは、私たちのお手本である。

夜、久しぶりに日本の親友とスカイプでおしゃべりをした。「貴女、元気なの?ブログも更新してないようだし、メールもこないしさ。ハワイで一人で病気してるんじゃないかと心配してたのよ。。」と言われてしまった。

ご心配をおかけしては申し訳ないから、今日は久しぶりに日記を更新!
私は元気で〜す。
2011年1月17日 (月)
チャレンジ、チャレンジ!!

朝ウクレレのレッスンに出かけた。
毎週、私は同じコンドに住んでいるウクレレ仲間Sさんの車で一緒に行く。

「ウチの電話が不調でね。このごろ通じないの。で、先週はちょっとたいへんだったわ」とSさんに言うと「あら、ウチもよ。。先日の大雨でこのコンド全体の電話のラインがやられてダウンしているんだって。。特にハワイアン・テレコムと契約しているお家は全滅らしいわよ」とのこと。。なーーんだ。。ウチの電話器の故障じゃなかったのか・・・回復するまでに数日から最長で2週間かかるという。いかにもハワイらしいのんびりした話だ。

まず、こういうときにはコンドのマネージャーに故障を報告して自分のところだけのトラブルなのかどうかを、確かめてみることが大事なんだと勉強になった。
ウチの電話機が壊れていないとしたら、昨日買った新しい電話機は無駄になる。ここでもう一つ、アメリカで暮らすための勉強ができそうだ。
新しい電話機が無駄になってしまったことを買った店(シアーズ)で説明すれば、返品可能になるのかどうかということだ。
ダメでもともとだから交渉してみようと思っている。

ウクレレレッスンはいつものように楽しかった。今練習している曲はとても難しい。あのジェイク シマブクロさんが作ったクレイジー”G"というもので、難しいが、ワクワクするほど楽しい曲。「チャレンジ、チャレンジ!」と先生に励まされて、皆真剣に取り組んでいる。ジョディ先生のすばらしいところはこういうところで、シニアばかりの我々生徒に対しても、真剣に私たちが確実に上達する方向へ導いてくださる。ありがたいと思う。

ジョディ先生に「週末はどうだった?」と聞かれた。
アメリカではよくこの質問をされる。「良い週末を過ごしてね!」という挨拶も頻繁に使われる。
ウィークエンドはアメリカの人にとっては特別のものなのだろう。
しかし、この挨拶はリタイア後の人には当てはまらない。毎日が日曜日なのだもの。だから、いつも返事に困ってしまうのだ。
「え?週末ねえ、なにしてたっけなあ。。うーーん、特になにもなかったけどね」とにっこり笑って返事するしかない。

ウクレレレッスンの帰りに銀行に寄って、郵便局にも寄って。。と今日はいろいろ個人的な用事があった。今日こそはたまった用事を済ませるぞ!と意気揚々と銀行へ! 
あれ??銀行のドアが開かない。。。お昼休みかな?・・・イやそんなはずはない。で、そこで気が付いた。今日は祝日だった。と言うことは郵便局も閉まってる。。ってことね?そんなわけで私は何一つ用を済ませることができずに、うちに戻った。残念!!

夕方マヤママとスカイプで話した。アキラの姿を2週間ぶりで見た。びっくりするほど大きくなり「アッ クーン バブバブー」とベビートークを始めていて、ニコニコ笑っている。「よっ!大将!」と呼びかけたくなるようなアキラの男の子らしい成長振りがうれしかった。2月に再会するのが楽しみだ。

今夜のホノルルは寒くなる!とラジオやテレビで騒いでいる。
「今夜はあたたかい毛布をご用意くださいね。風邪も流行っていますから・・」と。

今夜は15℃にまで下がるらしい。日本の寒さに比べれば申し訳ないほどなのだけれど、こちらでは真剣な話。私も今夜は窓を閉め切って寝ることにしよう。確かに風邪も流行っているようだ。

ハワイにも寒波到来!というところだ。
2011年1月16日 (日)
電話が故障・・

今日16日は地球の丁度裏側にいる、ジャッキーママの誕生日。いわゆるアラフォーといわれえる歳になった。
子育て、お仕事と大変だけど、またこの一年元気で地球を飛びまわれますように・・・

この日記を書いているPCの画面の片隅で、日本のTV番組が映っている。テレビ朝日のニュースだ。
日本には寒波が押し寄せていることを告げる天気予報、車の事故、芸能ニュース、コマーシャルに至るまでオンタイムでそのまま見ることができる。しか無料。ドイツのジャッキーママも、これをドイツで楽しんでいる。どこまでも進化して、なにもかも便利になってすごい。

京都の友達からは、今日の京都御所は雪で墨絵のように美しいと、メールが届いた。
京都の底冷えは苦手だったけれど、ちょっと懐かしい。ハワイにいて、「京の底冷え」が懐かしいなどと言っていたら、叱られそうだけれど。。

ハワイの天候も安定しない。一日のうち一回は雨模様になる。今日もバケツをひっくり返したような大雨が通り抜けた。
アラモアナで大雨にあい、車で10分のワイキキに戻ってくると道路もぬれていない。こちらの雨は気まぐれだ。
このところ、身体にまとわりつくような湿気がある。風が吹かない。。つまりハワイらしくない天候が続いている。

一昨日から、ウチの自宅電話が通じなくなった。携帯があるので、何とか用は足りるが、やはり自宅電話が機能しないと不便だ。どうやら充電機能がだめになったらしい。修理不可能。

電話が通じないことを心配してくれていたようこちゃんと一緒に、今日、午後から新しい電話を買いにいくことになった。
ようこちゃんとは、会わない日でも一日一度は電話をしあうので、この際、一番不便を感じているのはようこちゃんである。
アラモアナ周辺のお店で何軒か探してみた。いくつもの機種が売られているが、子機が6つも付いているのがごくふつうに売られていて、まずびっくり。アメリカの広い家だと、確かにこのくらいは必要だろう。

私は親機に子機が一つあれば充分なので、それを選んだが、日本よりずーっとお安いのでまたびっくり・・・・
一つ問題が解決してほっとした。

明日はウクレレのレッスン、だんだん難しくなってくるが楽しい。一人でウチで練習すると肩が凝って困る。
きっと基本ができていないのだろうな・・と思う。

継続は力なり。。頑張ろう。
2011年1月13日 (木)
天候不順

ハワイに来てから、晴天が続いていたがいつもの気持ちのよい風が吹かず、
やはり雨季だな。。と思っていた。湿度も高い。 

いつも日中はまずまずのお天気だが、夜に雨が降ることが多い。特に一昨日の夜中はすごかった。雨の音で目が覚めた。風も強くてガラス窓にたたきつける雨は滝のよう、まるで嵐。朝になっても雨は止まず、お昼ちかくまで続いた。

滝のような雨は汚れていた窓ガラスをきれいに洗い流してくれて、私には幸いだったけれど、どこかに被害はあったはず。ところどころ道路には大きな水溜りができ、アラワイ運河も堤ギリギリにまで水位が上がっている。それくらいの雨だった。

昨夜も、雷鳴がとどろき、いつ停電になるか。。とハラハラした。
ハワイというところは大体、雨が降らないことを前提にすべてのものが設置されているようで、簡単に浸水するし、停電にもなる。
雨に流されると、それでなくても弱いふつうの道路はぼこぼこ穴だらけになる。運転するときには注意が必要。

日中はどういうわけか、天候が回復するのでありがたい。
昨日は、刻々変化する天候を気にしながら、映画を観にいった。

鶴瓶さん主演の「ディア ドクター」。

日本とは逆で、英語の字幕スーパーつきだ。鶴瓶さんは休暇をハワイで過ごすことが多くて、このお正月もこちらで過ごされたらしく「ディア ドクター」のオープニングの日は舞台挨拶もあったらしい。

いかにも日本らしく言葉には表さず、心と心の「葛藤」や「絆」があり、言わなくてもわかる目と目で見交わす会話ありでとてもよい映画だったけれど、この映画が外国人に理解されるかなあ。。と思った。

ハワイでもこれを見た日系の人たちの間で「なんだかあいまいでわからなかった。。」という声が多かったようだ。もともと日本人であっても、外国生まれとか長い間外国生活をしている人には、わからない部分があるのだろう。

将来、ウチの孫達はどうなるんだろうなあ。。

今日、木曜日は「詩吟」のお稽古の日。
「歌う」のではなく、「吟ずる」のだそうで私には大変難しいのだが、先生(師匠というのかな)以下、仲間達が大変にほめ上手で「いいねえ、見込みあり。。うん、すごい!」などと言ってくれるので、ついついその気にさせてもらえる。

普段、お腹のそこから精一杯声を出すということがないから、吟ずることは気持ちがいい。なんていっても「ソロ」だし。。思い切って声を出すことは心身ともにリフレッシュ!少し楽しめるようになってきたところだ。
2011年1月9日 (日)
中目黒で事件

インターネットで、今日、東京の中目黒駅近くの住宅街に住む老夫婦が、宅配配達人を装った犯人に襲われて、自宅玄関でいきなり刺されるという事件があったことを知った。4,5時間前にその事件は起こったらしい。

ドキッとした。どうやらマヤ一家のお家に近そうだ。ネット上のTVニュースの画面でははっきり見えないが、なんとなく見たことのある場所のような気がする。

すぐにマヤママの携帯にメールを打った。「事件は近くなんじゃない?大丈夫??犯人が逃走しているらしいから、くれぐれも気をつけて!」と。

それだけでは心配で、マヤママに電話を入れた。私の想像通り、マヤ宅から歩いて1分の私にも見覚えのあるお宅だったという。事件のすぐあと、外出先から帰って来たマヤママは、パトカーや救急車が駆けつけるのを見たらしい。暗くなってからは、ヘリコプターからのサーチライトにその周辺が照らし出され、報道陣も集まり、ますます物々しいことになっているという。

幸い被害者のご夫婦の意識があるというので少しほっとしたが、犯人は逃走しているのだから、怖い。

マヤマヤ曰く「こんなに近くで事件があるなんてね。私たちも気をつけるわね。びっくりしたのは、この事件についての”お見舞いメール”の一番乗りがハワイにいるママからだったことよ。インターネットってすごいわね〜」
電話の向こうから、マヤの声、マヤパパの声が聞こえてきた。
こんな平和な家庭のすぐそばで、凶悪な事件が起こったことが怖い。

もっと優しい世の中になりますように、、と思う。

追記:今、被害者のご主人が亡くなったことを知った。悲しい。
2011年1月8日 (土)
パクさん・・・

ダークダックスのパクさんが、亡くなった。
とても淋しい。

まだ小学生だったころから、私はダークの大ファンだった。
あのハーモニーに酔って以来、私も大人になっても合唱を楽しむ人間になった。

当時同じ年頃の友達の中には、ダークのファンなんていなかった。
私は少しませていたのかもしれない。

ダークのピーク時には、追っかけもいたし、舞台に向かって「キャー!」と叫ぶ若い女の子がいた。
とにかくすごい人気者だった。
そんな中で私と母は静かに?一生懸命ダークを応援していた。

そんなある日、ある人の紹介で、直接ダークの皆さんにお会いできるチャンスを作っていただいた。それ以来「京子ちゃん、京子ちゃんのママ」と呼んでもらって4人にはとても可愛がっていただいた。ダークにとっては、当時小学生のファンはめずらしかったのだろう。

ダークのファンにはそれぞれごひいきの一人がいる。
「私はマンガさんが好き!」「私はゾウさん。。」と言う風に。
当時、パクさんが一番の人気者だったように思う。

私は「ゲタさん」のファンだった。ゲタさんのご一家と家族ぐるみでのお付き合いになり、私の結婚式にはゲタさんの奥様がいらしてくださったし、お家に招いていただいて一緒に食事をしたり、時には母娘でお宅に泊めていただいたり、ファンの一人としては、まったく夢のような時間を過ごさせていただいた。お仕事先のテレビ局や、レコーディングにゲタさん自身の運転で連れて行っていただいたりもした。

丁度、パクさんが亡くなった日、ここハワイのラジオでダークダックスの「みかんの花咲く丘」が流れた。
ああ、なつかしい・・と思っていたその日、パクさんの訃報を知った。

ダークの4人は、品があり、とても素敵だった。
「ビロードの声」と言われたすばらしいハーモニーは私たちの年代の音楽ファンにとって宝物だ。

パクさん、どうか安らかに。。
すばらしいテナー、忘れません。
長い間ありがとうございました。
2011年1月5日 (水)
緑色のダイヤモンドヘッド

午前8時すぎ、ハワイに到着。
機内から見る日の出がいつもよりクリアでなかったので、お天気を心配したが、着いてみるとホノルルは晴れ!やはり暑くて気持ちがいい。着てきたダウンのコートをバッグに押し込んで軽装になって空港を出る。

タクシーでウチに向かう。今日のタクシーは一時、一世を風靡した、白くて長ーいいリムジン。かつてハワイで挙式する人や、豪華に観光をする人たちが利用した。バブルがはじけたあと、利用者が激減、ほとんどのリムジンが「用なし」になりタクシーになった。その名残がいまもあって、時々、それに当たることがある。座るのは一番後ろの席。新郎新婦が乗り込んだであろうシートである。運転手さんはずっと前で運転している。行き先を告げるにも、「どこからいらしたんですか?」という運転手さんからの質問に答えるにも大声を出さないと届かない。10数人は乗れるであろうリムジンに一人で乗っていても落ち着かないだけだ。

ウチのコンドの車寄せには長いリムジンは入りにくいので、道路で降ろされることになりかえって不便だったりするが、こちらの運転手さんは親切で、玄関までスーツケースを運んでくれる。ちなみにリムジンでも料金はタクシーと同じである。それに15%のチップをプラスする。ああ、またチップの世界に戻ってきた。いちいち計算がややこしい。

機内でよく眠れなかったので、ウチについて荷解きをしてをそれぞれの場所に収めると、どっと疲れが出てきた。
昼過ぎから、とりあえずお昼寝。うっかり寝すぎてしまったが、夕方には気分はすっきり。いつものことながら、ハワイでの生活の必需品、車をまず動かしてみる。いつも留守中に車の様子をみてくれている、Kちゃんのお陰で車は無事。早速、洗車にでかける。

洗車の出来上がりを待つ間に、ようこちゃんに電話で連絡すると「すぐにでも会えるよ〜!」とのこと。
冷蔵庫の中は空っぽで食料の買出しもあるので、ようこちゃんと「ドンキホーテ」で落ち合うことにする。久しぶりの再会がスーパーマーケット「ドンキホーテ」の店内でなんて、いかにも私たちらしい。
「わーー、お帰り!」「ただいま!」と派手にハグでご挨拶したあと、一緒に買い物をして、お食事に・・・
積もる話に花が咲いた。

ハワイに来るとそれはそれで、すぐにふつうの生活になってしまい、特に日本からはるばる来た。。という気がしない。

今の季節、街に咲いている花が少ないのが少し残念。年末まで雨が多かったというホノルル。そのせいでウチから見えるダイヤモンドヘッドが美しい緑色の山になっている。雨が少ないワイキキだから、一年のうちほとんどの期間、ダイヤモンドヘッドは茶色い岩山のような色をしているのだけれど、今は美しい緑色のダイヤモンドヘッドに変身している。
これも雨季である冬のハワイの象徴だ。

真夏のハワイよりは少しだけ涼しいがそれでも、日中は暑い。
Tシャツに短パンあるいは薄手のパンツスタイルで過ごす。
日本は寒波が来ているらしいのに、ありがたいことだと思う。

マヤママからメールが届いた。
マヤが新しい言葉を覚えたという。
「とびこ」である。寿司だねかと思ったらそうではない。

「とびこさん、あの。とびこさん。。白雪姫の・・」マヤの懸命の説明でやっとわかった。「小人」を「とびこ」と覚えたらしい。

マヤが話す言葉は、ほぼ正しいし、よく意味がわかるのだけれど「ちょっと、ちがうんだけどなあ。。」ということも多い。前にも書いたが、

「コンピューター」を 「ポンキューター」
「食べる」を 「ぱえる」
「あんたがたどこさ・・」を 「あんたなんかきのさ・・」
「コップ」を 「ポック」
「小人」を 「とびこ」
「ブルーベリー」 を「ブルーベイビー」

といろいろある。それでも通じるからすごい。
私たちもあえて、訂正しないでいる。
こんな言葉を使ってくれる時期なんてほんの少しなのだから。。。
口の中でぶつぶついいながら、一人で一生懸命言葉を覚えようとしているマヤの姿がかわいい。

こんな風に素直な気持ちで、習得していたら私の英語も上達しただろうに。。。
2011年1月3日 (月)
やっぱりね!

ここ数日、テレビの前に座っていることが多い。
そこで「あれ〜?」と思い、
そして今日「やっぱりね!」と確信したことがある。

最近、盛んに流れている滝川クリステルさんの”パナソニック”3Dビデオカメラのコマーシャルの背景に写っているのは、ハワイのウチのコンドミニアムだ。

カピオラニ公園で撮影されたらしいそのコマーシャルの背景にはっきりと映っている。

ハワイの風が懐かしい。
ハワイがますます楽しみになってきた。
2011年1月1日 (土)
みんなで初詣

謹賀新年!
2011年の幕が開いた。
去年はハワイで新年を迎えたから、2年ぶりの日本でのお正月だ。
朝、車でマヤ&アキラのお家に向かう。

今年はマヤパパのご両親も一緒に新年を祝えて、うれしい年明けだ。
お昼前、7人揃って近くの神社に初詣。甘酒をいただいてすっかりお正月気分。すっきり晴れあがった空が清々しかった。

お家に戻って日本酒で乾杯をして、お雑煮、おせち料理をいただく。

マヤママは忙しいのにおせち料理作りに奮闘したらしい。
私は「たたきごぼう」「紅白なます」と「数の子」の調理を担当した。

めずらしいお正月料理。あちらのおじいちゃんとおばあちゃんは「これはなに?誰が作ったの?うん、おいしい!」と喜んでくださった。概して外国の人は「数の子」に弱い。このお2人もそうだった。あの歯ざわりが苦手なのかな。。おいしいのに・・・

「今までは、紅白歌合戦が楽しみでね。ワクワクして見ていたけれど、今年はなんだかちょっと違ったのよね」とマヤママが言う。
「今年はなぜか、紅白のあとの『ゆく年くる年』とか、『除夜の鐘』にちょっとグッときたりしてね。京都の知恩院、雪が降ってたでしょ?素敵だったよね。。」と。

マヤママもアラフォーといわれる年齢、私と同じ感覚に近づいて来たのかと思うとおかしくなった。「ね?そう思うよね。うん、貴女もそういうことがわかる年になったのね。。よしよし。。」となぜか私はうれしかった。

マヤはすっかり大きくなり、今年4月から幼稚園生。アキラも生後2ヶ月、順調に丸々と成長している。ドイツのジャッキーもますます元気で「でんぐり返し」が上手。スカイプでそれを見せてくれる。日本にいながらにして、
ドイツのマゴの「でんぐり返し」をリアルタイムで見られるなんて、ありがたい世の中だ。

1月5日、私はハワイへ発つ。
今年はホノルルの天候が悪く、初日の出は見られなかった・・と友達からメールが来た。どうも年末からハワイの天候が不順らしい。カウアイ島はいやと言うほど雨が続いたそうだ。

週間天気予報によると私がハワイに着いたあとも、しばらく天候はすっきりしないらしい。この時期、ハワイは雨季だから仕方がない。

何はともあれ、スーツケースをあけて、荷物の詰め込み作業開始だ!

今年も皆が健康でよい年でありますように・・・
2010年12月31日 (金)
マゴマゴマゴの一年

いよいよ大晦日になった。
今年の我が家のハイライトは、なんといっても3人目の孫・アキラが生れたこと。しかも初の男の子で家族みんなで大喜び。今年もなにかと忙しかった。それを無事に過ごせて幸せな年末である。

去年はハワイで新年を迎えた。今年は日本で、マヤ&アキラのお家で迎える。マヤ&アキラのイスラエルからおじいちゃんおばあちゃんも孫に会うために来日中で、さらに賑やかなお正月になる。考えてみると今年もマゴマゴマゴで終始したような気がする。

一人暮らしになってからはそれほど年末という実感がない。
3年前に始まったマンション暮らしでは、年末年始のごみの収集の制約もないし、家自体がまだ新しいからとりたてて大掃除する必要もない。9階の南向きの我が家はとても暖かくて、部屋から出るたびに”ブルッ”と震えるような真冬の寒さを家の中で味わうこともない。暖房も最低限で大丈夫。寒さに弱い私にはこれほどありがたいことはない。昔の大晦日は寒かった。。

時々私はふとしたことで興味を持ち、しかもそれにかなり凝ってしまうクセがある。古くは相撲の栃錦、プロ野球は9連覇のころのジャイアンツ、デビュー直後のダークダックスに夢中になり、30歳でエルヴィスプレスリーが亡くなった日に彼の大ファンになり、それがもとで、カントリーミュージックに狂い、アメリカが大好きになった。そして今はアメリカ本土というより、ハワイ&フラにハマっている・・というように。楽しみが年々重なってうれしい。

今年凝り始めたのはなんと「落語」。しかもいまどきの落語ではなく、古今亭志ん生さん、その息子の志ん朝さんなどの歯切れがよくて、乱暴なようでどこか品のある見事な「江戸弁」に魅せられている。それが活字になっていてもおかしい。だから今年は落語に関する本もずいぶん読んだ。

その楽しさを知ったきっかけはハワイである。ハワイでは、アラモアナにある”ブックオフ”で、たまたま見つけたのが、現代落語界の一人者、柳家小三治さんの「ま・く・ら」という本だった。これがとても面白く「落語」に興味をもちはじめることになった。とはいっても、寄席にでかけるわけでもなく、もっぱらCDや、You Tubeで楽しんでいるというまったくの初心者である。

もう50年以上も前、一度だけ上野の「鈴本」という寄席に母に連れられて行ったことがある。子供の私にはその趣や面白さがわかったかどうかは、記憶にないが、母が耳元で「このおじいさんはすごい人なのよ、こういう名人は、めったに見られないから、よーく見ておくのよ」とささやいたことだけは覚えている。そのときに舞台に座っていたのは、頭がピカピカ光った小柄な優しそうなおじいさんだった・・ということだけは鮮明に覚えている。多分あれは昭和の大名人・古今亭志ん生さんだったにちがいない。

母はピアノの教師をしていたが、クラシックだけに限らずいろんな芸能を好んだ。小さい私に「ホンモノは東京にある」と言い、毎年京都から私を東京に連れてきてくれて「ホンモノ」を見せてくれた。当時は東京に足を運ばない限り、味わえないものが沢山あった。当時の蔵前国技館の相撲、後楽園で巨人戦、浅草のSKD、日劇のレビュー、新派の水谷八重子(先代)の舞台などなど。。。母自身の好みでもあったのだろうが、まだ幼い私にいろいろな経験をさせてくれた母のことを懐かしく思い出した。その場所でしか感じられない、空気というのがあるというのも教えてもらったような気がする。
今になって、フラッシュバック。不思議なものである。

今年、11月大切な大切な親友が8年間の闘病の末、天国へ召された。
彼女とはたった一度だけ、ハワイへ旅行した。10数年前のこと。まだまだお互いに家庭のことが気にかかる時期だったが、思い切って2人で出かけたハワイ。楽しかった。2011年が明けたらすぐ、私は3ヶ月ぶりにハワイに発つ。ホノルルで楽しく彼女と過ごした思い出の場所で、彼女を偲びたいと思っている。

明日はもう2011年。いい年になりますように・・・
2010年12月12日 (日)
バアバ任務終了!

彰良誕生前から続いていた一ヶ月余りの私の東京でのバアバ生活が一応終わった。
彰良は丸々と赤ちゃんらしくなり、マヤも「赤ちゃん返り」が「いた」について、一変したマヤ一家の生活もまあまあ落ち着いてきた。何よりママの体調も回復して、通常の生活に戻れそうだ。私の役目も一段落。
なんとか無事に任務終了!12月6日に自宅に戻った。今後はパートタイム?でヘルプに出かけることになる。

笑い声があり、アキラの泣き声があり、時にマヤの泣き声が響きわたり、なだめたりすかしたりしながら歯磨きをさせ、2人分のオムツの交換に追われる。洗濯は毎日山のよう。子供達が寝付いてくれると大人たちは束の間ほっとする。

もうすっかり忘れかけていた幼い子供達との生活を思い出す毎日だった。

何度も言うが、現代の生活がラクになったことを改めてありがたく思った。
食材はインターネットで頼んでおけば配達される、冷凍庫をフルに活用して日常の買い物がとてもラク。デリバリーシステムも発達していて、なんでも出前で取る事ができる。粉ミルクもさーっとお湯に溶けて、昔のよう「だま」が哺乳瓶ビンの底に残ることはない。掃除もサッサ、、とホコリをとるものがあり、掃除機を振り回して騒音で赤ちゃんを起こしてしまう心配もない。

赤ちゃんを抱き上げれば授乳用の枕があり楽な姿勢で授乳できる。本当にすごい。ベビーカーも抱っこ紐も、赤ちゃんにもお母さんにも快適に使えるように工夫されている。

人間ってどこまで便利なものを作り出すのか?まったく驚異だ。これが40年前に発明されていれば、私たち世代もラクに子育てができただろうに。。。ちょっと悔しい。

私が子育てをしていた当時やっと日本でもパンパースが発売されたが品質はそれほどよくはなかった。それでも布よりはずっとありがたくて、他のものを節約してもまだまだ高価だったパンパースを使用していた。今の紙おむつはもう完璧である。

久しぶりに自宅に戻ってみると、まあなんと静かなこと。

留守中にたまっていた雑用も山のようだが、ゆっくりと落ち着いて少しずつ片付けていこうと思っていたらたまっていたのは雑用だけでなく、疲れだったらしく、今度は私が病院へ行く羽目に。。昨日は一日中だるくて、眠くて困ったが、投薬されたお薬でなんとか治ったようだ。

ああ、よかった。
2010年11月27日 (土)
人の世の繰り返し・・

生後3週間で体重が4キロになり、順調に大きくなっているアキラ。。
私もそろそろ、産後のお手伝いが終了かな?と思っていたら昨夜、思いもかけないことが起こった。
「なんだか、私ヘン・・寒いし、腰が痛いし熱が出そうな気がする。。とにかく寒い」とマヤ&アキラママが言い出した。
普通ではなさそうなので、急遽タクシーを呼んで、ママ一人でかかりつけの病院の夜間緊急診察に向かった。
マヤ&アキラパパと私は、マヤとアキラの面倒を見るために自宅待機。

深夜、ママはお薬を処方してもらって帰ってきた。病名は「腎盂腎炎」。
お薬を飲んで休もうとしていたら、一時間後にすごい震えがきた、寒い寒いという。
その急変にお薬の副作用かと思ったほど、その症状は重かった。

で、私が代わりに病院に電話をした。女医さんが落ち着いて答えてくれた。「この症状はこの病気の特徴的なことで、薬の副作用ではありません。悪寒がしてがたがた振るえて、、しばらくすると熱が出始めます。。すると今度は熱くなるから、熱を下げるために冷やしてあげてください。この症状を繰り返して、だんだん治っていきますから心配は要りませんよ」

そういわれて、ちょっと安心したが、最初は「救急車か?」と思ったほどだった。心を落ち着けて、処方されたお薬を飲み続けるしかない。抗生物質での治療なので、母乳での授乳はストップせざるを得ない。

突然のことでみんなびっくりしたが、もっともかわいそうなのは、しばらくの間、ママからのおっぱいをもらえないアキラである。
ママは搾乳をして、病気が治ったら母乳がちゃんと出るように体調を整えておかなければならない。
私は翌日、急いで搾乳器を買いに走り、粉ミルクの準備をした。
ごく最近、二人の孫の誕生の世話で経験したことが少しは役に立ちそうだ。幸い、アキラは粉ミルクを哺乳瓶から抵抗なく飲むことができるので、そこは安心だ。

この夜以来、アキラと同室で寝るのは私の役目になった。
ママには夜、なるべく身体を休めて欲しいし、夜中の粉ミルクの調乳と授乳なら私もできる。
アキラとこんなに一緒にいられるのも、いまのうちだから。。と、私はこの「乳母」の生活を結構楽しんでいる。

これからこの家族は、2人の子供を抱えて、沢山楽しいこともつらいことも経験するのだろうな。。と思う。それが「子供を持つ」ということだし、その苦労が楽しくもあるわけで。。その楽しさを私も味わえてほんとうに幸せだと思う。

そして今、思い出すのは、私の母のことである。35年以上前、同じように幼い子供を2人抱えた私を支えてくれた母。
母の場合は、憲さんの赴任先、アラスカのアンカレッジに2年間ずっと私達と同居して、家事、育児を手伝ってくれた。
見知らぬ土地で、言葉も通じないところで、いくら娘の私と一緒だったとはいえ、いろいろと大変だっただろうと、今になって思う。

アンカレッジでのその2年間は生涯で一番楽しい思い出だった、と言ってくれていた母。いま、私は、改めて母のありがたさに感謝している。

そして思う。人の世は「繰り返し」なんだということ。
それを「繰り返せる」こと、それが一番幸せなことなんだと。
今、私は忙しい時間の中で、ふとそれを感じ温かい気持ちになる。
2010年11月24日 (水)
マヤのこだわり

またまたあっという間に、3週間が経った。
つまりAKIRAは、生後3週間の赤ちゃんに成長した。おっぱいを沢山飲んで、よく眠って本当にラクな子である。AKIRAは「彰良」という立派な漢字をつけてもらった。

二番目の子は強いというが、彰良も回りでどんな音がしていようが、どんな衝撃があろうが、お構いなし。気持ちよさそうにスースーと寝んねしている。泣くのはお腹が空いたときだけ。おかげでママは3度の食事をゆっくりと楽しめているし、睡眠時間も充分取れていて、体調も順調に回復しているのでそれはありがたいのだが、2才7ヶ月でお姉ちゃんになったマヤに多少の精神的な変化があり、普段穏やかで辛抱強い子だけに、マヤ&アキラの両親も私も、いまはマヤのケアに心を配っている。

マヤは「アキラ!アキラ!」と赤ちゃんを可愛がるのだが、自分がママに抱きしめて欲しいときに、すでにそこに「アキラ」がいると、目に涙をいっぱいにためて泣くのを我慢する。
今まで一人占めできていたママが、急に赤ちゃんを連れてきて、いつものママのおひざが占領されてしまうのだから無理もない。

以前から「赤ちゃんが生れるのよ」と言い聞かせていたけれど、2才7ヶ月のマヤに理解は無理。試練のときだね、マヤ・・頑張ろうね!

マヤは週に4回保育園に通い、音楽教室に週に一回通っている。
お出かけは大好きで、保育園も、音楽教室も喜んで通っている。

マヤは、お出かけするとき以外、お家ではどういうわけかパジャマで過ごす。おしゃれっ気がないのか、、と思うと、決してそうではない。

マヤなりに、ファッションには大変なこだわりを持っている。
NHKの幼児番組に出ている「ことちゃん」にあこがれていて、「ことちゃん」ファッションに近いものしか、着ない。色は真っ赤で、フリフリスカートで、赤い長靴。それ以外、なにを用意しても着ない。
一番のお気に入りの長袖Tシャツとフリフリスカートがそれぞれ一着ずつしかないから、洗濯をしている暇がない。毎晩洗濯して、乾燥機で無理やり乾かしているから、なんだかヨレヨレになっているのだけれど、朝それを着て、意気揚々と保育園に出かける。「ことちゃんみたいねえ。。」と言いながら。ただし本人は「こと」ちゃんと言ってるつもりだが、どう聞いても「とこ」ちゃん。

まやの言葉は、それらしく聞こえるけど、まだ正しくはない。
たとえば
「コンピューター」を 「ポンキューター」
「食べる」を 「ぱえる」
「あんたがたどこさ・・」を 「あんたなんかきのさ・・」
「コップ」を 「ポック」

マヤ独特の可愛い言葉使いも、いつまで聞けるのだろう。そう思うと、その一つ一つがいとおしい。

「こと」ちゃんファッションに加えて、最近はイチゴ模様のレインコートと同じ模様の雨傘がいたくお気に入りで、晴れていようがなんであろうが、イチゴのレインコートをきて、イチゴの傘をさしてお出かけする。一緒に連れて歩く私のほうが恥ずかしいのだが、そこは可愛い孫のこと、グッと我慢して連れて歩いている。タイミングよく?雨でも降ってこようものなら「レインコートがぬれちゃうよ。。あーーあ、カサがぬれちゃった。。」と嘆き悲しむマヤ。本当に困ってしまう。

マヤママは、ママなりの夢があって、もっとママの好みに合ったシックなものを着せたいと心から願っているのだけれど、マヤは全く受け付けない。ママが張り切って去年から用意していた茶色の素敵なコートなど、見向きもしてもらえていない。

その点ジャッキーはママの選んだ服を着てくれるのでラクだが、それでも毎朝なにを着て幼稚園に行くかで一悶着あるらしい。

まあ、小さいときから女の子は大変だ。
2010年11月10日 (水)
”AKIRA” 誕生!

日記の更新が滞っている。
記すべきことはいっぱいあったのに、時間がなかった。
楽しくも忙しすぎた10月があっという間に過ぎた。しつこい風邪と長い間付き合いながら、10月19日からジャッキーママとジャッキーの里帰りを迎え入れ、三人で楽しく、にぎやかに過ごしてきた。ジャッキーの日本語の習得と、七五三のお祝いをすることが今回の里帰りの目的だ。

ジャッキーは横浜の神社で七五三の参拝をし、初めてお着物で記念写真。ジャッキーはかなりな『ガンコちゃん』なのだが、さすがにお着物を着たときは殊勝にカメラに収まった。ほんのりさしてもらったピンクの口紅がとてもうれしかったらしい。

ジャッキー母子が日本で楽しく過ごしている間に、マヤママが予定日より10日早く破水し、出産のため入院。
それからは、マヤパパをはじめ、皆、家族は落ち着かない時間を過ごし、携帯電話を握り締め、横浜と東京の病院、マヤの家を行ったり来たり。。。私はマヤの面倒を見るため、11月1日から東京のマヤのお家に泊り込み。

マヤママの陣痛はなかなか進まず約3日間を分娩室で過ごした末、11月3日に元気な男の子が誕生した。マヤパパ待望の男の子は、3464グラム、50センチでとても元気!「AKIRA」(漢字は熟考中)と名づけられた。

ただ、生れた直後にAKIRAに「一過性過呼吸」があり、一日半だけ酸素補給のため保育器に入れられることになった。ママ以外の私達家族は、彼とはガラス越しでの対面をした。AKIRAは、保育器仲間の中では一番大きくて、保育器がとても窮屈そう。まるで「園長先生」のようだった。

AKIRAが10日早く生まれてくれたお陰で、ドイツの家族も一緒に初対面できた。なんともラッキーなこと!私達家族にとって、この上ない喜びの日々になった。11月7日無事退院。AKIRAはなんだか、ずいぶん態度が堂々としていて、ママがつけたあだ名が「大将」。よく眠りよくおっぱいを飲む我が家の「大将」、今のところ醤油顔で、鼻が高い。

ジャッキーは11月14日に3歳になる。一方マヤは今、2歳8ヶ月。
2人は日本語でなにやら、会話を交わすようになりやっと自然なかたちで一緒に遊べるようになった。ジャッキーはボール遊びや荒っぽい動きが大好きで男の子っぽいし、マヤは女の子らしい女の子。それでも2人だけで楽しい時間を過ごせるようになった。まもなくここへAKIRAが加わって、ますますにぎやかになることだろう。

ジャッキーはすでにドイツ語と日本語を使い分け、マヤは今は主に日本語。
とりあえず、孫同士が日本語で話してくれていて、私はほっとする。

この忙しさの最中、フラのK先生の日本でのプロジェクトが予定通り始まった。今回、娘の出産と重なって私は思うことの半分くらいしか動くことができず、スタッフや周りの人の温かい協力のお陰でことが進んで行った。
本当にありがたいことだと思う。

ジャッキー母子は昨日、ドイツへ帰った。
次はいつ会えるのかな?またいつでも帰っておいでね!

私はしばらく、マヤ一家の手伝いで東京で過ごすことになる。
マヤを保育園に送り届け、家事をこなす。マヤの音楽教室通いに付き合う日もある。私もマヤと一緒に歌ったり、リトミックをしたり、、楽しい。
孫と一緒に踊れる、歌える。。これは最高の喜びだ。

そのほか私の主な役目はマヤ一家の食事に関すること。買い物にでかけ、献立を考える。その昔、主婦&母をしていたころを思い出す。

そのころから考えると、世の中は飛躍的に便利になった。
冷凍食品の充実しているし、家にいながらにして、ネットで買い物もできる。スーパーだって頼めば買ったものを配達してくれる。紙おむつは格段に品質向上した。洗濯と乾燥は自動的に済ませられる。調味料だって、びっくりするほど使いやすくなっている。

ああ。。なんと楽なことか。。。40年前と、生活のありようがずいぶん違うことに改めて気がつく。

第一、夫(父親)の観念が全く違う。
羨ましいほど、協力的で一緒に生活を支えあっている。

いきなりお姉ちゃんになったマヤ。その様子にちょっとした戸惑いが感じられる。普段辛抱強くて、大人しく、穏やかなタイプの子なので、私達はマヤには細心の愛を持って接していかなくては。。と思う。

マヤも来年からは幼稚園生。AKIRAのお姉ちゃんとして、ますます優しく成長してくれることだろう。頑張ろうね、マヤ!
2010年10月18日 (月)
マヤの運動会

ハワイから帰って以来、風邪が抜けきらず調子の出ない日々だったが、ついに元気を取り戻した。先週末、楽しみにしていた旧友との約束も無念のキャンセル。ずっとウチにこもって大人しくしていた。

東京のマヤも私と同じ期間、体調を崩していた。マヤも風邪が抜けきれない状態で先週半ばには、40度近い熱を出した。
臨月に突入したマヤママだけでは、その世話が大変なので、私も何度か東京へ・・・

フラのK先生の日本でのプロジェクトの仕事も大詰めになってきた。
またしばらくの間、フラのことに集中だ。

そして今日は、マヤにとって生れてはじめての「運動会」だった。マヤ若干2歳8ヶ月。「運動会」といっても、彼女自体まっすぐに走れるかどうかもあやしいという発達段階で、オムツも取れていないのだけれど、今日は「かけっこ」「たま入れ」「ダンス」など、いくつかの種目に出る予定のマヤ。風邪で昨日まで保育園をお休みしていて、運動会直前の練習に参加できていないから、マヤは運動会に乗り気ではなかった。でもさすがに会場の公園につくと、うれしそう。お友達とおそろいの黄色い帽子をかぶって、張り切って開会式へ。

もちろん、まだ小さすぎてナニがなんだかわかっていないから、いつもパパかママか私が付き添う。

今日はマヤが「出よう!」と思った種目にだけ出場した。「マヤちゃんあれ、出る?」「ん、、イラナイ・・・」ということで、「たま入れ」はパス。ダンスも気持ちだけ参加。

「かけっこ」は、バアバの手を握りしめて、もう一つの手にラムネのビンをしっかり抱えて、ニコニコしながらゆーっくり歩いてゴールイン。他の子はとっくにゴールに入っているのに、マヤと私は堂々とコースを歩き切った。
気を利かせた先生たちが、一等のゴールのテープをマヤのために再び張りなおしてくれて、「マヤちゃーーん、がんばれ、がんばれ!もう少し!」と声援を送って下さった。そこを目がけて悠々と歩いて「かけっこ」の大トリを勤めた。パパは、「お父さんリレー」と、「シッポとりゲーム」に参加して大健闘。

午後からは自由に家族でお弁当タイム。等々力渓谷に近い静かな公園で、秋の日差しを浴びながら、ママが作ったおいしいお弁当をみんなでいただいて、なんとものどかな一日だった。

「幸せだ」と心から思う。あと数週間で、マヤはおねえちゃんになる。マヤママにとってはたいへんな日々が始まる。私も元気で手助けをしてやれることが、何よりうれしい。

あさって、ドイツからジャッキーとジャッキーママが里帰りしてくる。約3週間。またにぎやかな我が家になる。ジャッキーはもうすぐ3歳。今回日本にいる間に、七五三をお祝いする予定だ。ジャッキーにお着物を着せたら、どんなことになるのか。。楽しみだ。

今はただ、孫達のバアバであることを喜んで楽しんで、過ごしたいと思う。今は、そういう「時」なのだと思うから。
2010年10月2日 (土)
ああ、日本!

帰国の便が決まってから、あたふたと準備をし9月28日ホノルルを発って日本に戻ってきた。「あたふた」と帰国したのは、このごろハワイと日本間のフライトの予約が難しくなってきているからだ。
私の場合も帰国便が私の希望と言うより、航空会社の空席具合で決まるためである。「この日、この便に乗れます!」「ハイ、じゃ、それに乗ります!」と言う具合。

航空会社の不況で、以前より小さい型の飛行機を使うため、絶対座席数が少ない。臨時便もほとんど飛ばさない。だからいつも満席に近い。一見、どの便も満席ばかりのハワイ便、日本の景気が回復したのか?と喜びたくなるが、実はそうではないのだ。

2ヶ月ぶりの日本。成田着の時点で気温23度。まあハワイとは大差なかった。この夏の日本の猛暑を思うと、涼しくなってから帰って来て、なんだか申し訳ない気がする。

今回のハワイは、本当に楽しいことばかりで毎日忙しく、充実していた。老後の生活をハワイで送るならこういう風に過ごしたい。。と漠然と思っていた、そんな理想的な日々だった。

まず、健康だったし、さらにジムで充分身体も使ってきた。
体重も確実に増えた。

なのに、成田空港に着くころから鼻がムズムズしはじめ、ウチに帰るとくしゃみの連続。やはり気温の差と、空気の違いでアレルギーのような症状になった。鼻炎用のカプセルを一回飲んだらすっかりおさまったものの、風邪の前兆かも。ハワイでは健康を誇っていたのになあ。。と残念。

日本到着の翌日、マヤが発熱しているというので、東京のマヤのお家へ。
思いのほかマヤは元気で、ニコニコと迎えてくれた。

丁度イスラエルからマヤパパのご両親が日本へいらしていて、約一ヶ月間滞在中。久しぶりでお会いすることができた。本当に元気なお2人で、今回は陸路で北海道旅行をし、東京に戻ったと思ったら、翌日は京都へ日帰りの旅。。。特にお父様がお元気で感心する。憲さんと私も旅が好きだったけれど、このご夫妻はもっともっともっとアクティブ。日本のことなど、私より詳しい。ご夫妻はマヤ一家の近くのウィークリーマンションで長期滞在している。毎日、天候に合わせて気ままに動き回るのよ。。と楽しそうだ。

マヤの成長を共に喜び、お腹のベイビーの誕生を待つ祖父と祖母、、、、ここに憲さんがいないのが悔しい。

日本に戻ると、現実的なことが待ち構えている。
「車の保険の更新時期です」「
「あ、それから車の点検はどうなさいますか?」
「床暖房の点検、〇〇日に伺います」
「火災報知機、スプリンクラーの点検、〇〇日で。。。」
毎日なにかがある。

そして友達との電話でのおしゃべり。。。

ああ、日本!である。
2010年9月19日 (日)
ハワイ州知事選挙

昨日ハワイ州知事の選出のための予備選挙が行われた。今までホノルル市長でお馴染みだったムフィ ハネマンさんが、任期途中で任を退き、知事選に立候補していた。彼のライバルはニール アバクロンビーという人だったが、昨日の予備選挙で大きく差をつけて勝ったのはアバクロンビーさんのほうだった。

ここの市民でもないから、私にはあまり関係ないことかもしれないけれど、これからのハワイがどうなるのか?気になるところだ。
昨夜はテレビの開票速報で夜遅くまで続いていた。

数週間前は、アバクロンビーさんの後援者の集会がテレビ中継もされていた。そこにはあのケアリイ・レイシェルが駆けつけてきてミニコンサートをしたり、カントリー音楽の大御所ウィリー・ネルソン、ハワイアンで歌唱力抜群の歌い手ウィリー・Kが共演したりと、見ごたえのあるエンターテインメントが繰り広げられていた。明るくて楽しくわかりやすい、日本の政治もこうでなくては。。と思う。

ところで、私はハワイ語で「美しい水」通りと「天国の花」通りが交わるところに住んでいる。つまり「ワイナニ」通りと「プアラニ」通りが交わるところである。ハワイならではのなんとも夢のような美しいネーミングだ。

ハワイに長い間住んでいても、フラやハワイアン音楽に興味がなければハワイ語を覚えることもないし、またその必要もない。
私は幸い「フラ」でハワイ語に近づくことができた。会話はできないけれど、フラに出てくる単語なら少しはわかる。
だから、地名に残されているハワイ語を解明して、一人で楽しんだりしている。フラのおかげでハワイにいることの楽しさも倍増して、うれしい。

今朝、またまた突然、一昨日とは別のフラの仲間Mちゃんから電話。
「突然ですが、ハワイに来ました〜あ」
では、夕食をご一緒に、、、ということになって、ワイキキで会う。
2人で見た今日の夕日は、とても見事。
その前には大きくてきれいな虹がかかって、ホノルルの空は今日も美しかった。
2010年9月16日 (木)
ありがたくて・・・

にぎやかで楽しい4人組みのハワイ滞在も今朝まで・・・
楽しい思い出を沢山つくって帰国された。

入れ替わりのように、これもまた古いフラの仲間Mさん夫妻が一家がハワイ入り。
「京子さーーん、Mでーーす!」

昨夜、留守電に残されていた突然のメッセージに驚いた。

早速連絡を取ってみると。。。
数日前にホノルルに着き、もうすでに憲さんのお墓にお参りしてくださったとのこと。Mさん一家はハワイに来るたびに憲さんの墓参をして下さる。たとえ、私がハワイに居ないときでも・・・

その気持ちがうれしくて胸が熱くなる。

彼らはまだ若いカップルで、生前の憲さんと楽しくお酒を酌み交わした仲。親子ほども年が違う憲さんを今なお、とても大切に思ってくださっている。「今回は憲さんの好きだったお酒、ジンをお供えしてきましたよ。憲さんにジントニックを作ってもらって一緒に飲んだものね!ジンは思い出のお酒だから、、」

今日のランチをご一緒することになり、うちの近くのイタリアンレストランで、楽しくおしゃべりしながら午後のひと時を過ごした。

このご夫婦には、もうすぐ4歳になるお嬢さんがいる。生れて以来、毎年ハワイに連れてきてもらっているというmちゃん、幸せね。ジャッキーやマヤより一年ほどお姉さん。さすがに、とてもしっかりしていてかわいい。

Mさんご夫婦のお宅では、憲さんと一緒に撮ったハワイでの思い出の写真を今も飾ってくださっているという。
本当にありがたくて・・ありがとうね、Mさん!
2010年9月14日 (火)
お友達「4人組」

ただ今、日本から「4人組」のお友達がホノルル滞在中。
一日おきくらいに彼女たちと会って、数時間行動を共にしている。
ハワイが大好きな4人組だから、毎日積極的に動いていて、まあ元気なこと。大いにハワイを楽しんでいて、よかったよかった・・・
ますますハワイを好きになって帰ってもらえたらうれしい。

今日は久しぶりに休養の一日のはずだったが、急にようこちゃんとランチに出かけることになり、アラモアナへ。
レストランでウクレレのジョディ先生にバッタリ会った。別れ際にジョディ先生「じゃ、またね!よい週末を過ごしてね!」と言ったけれど、今日はまだ火曜日、週末にはほど遠い。英語の挨拶ってよくわからない。

夕方からはのんびり残りの野菜でお漬物を作ったり、洗濯をしたりで時間が過ぎた。

明日は「4人組」とビーチツアーに出かける。サングラスとサンスクリーン必携のビーチツアー。明日もにぎやかな一日になることだろう。

私もあと2週間と少しで帰国予定。3人目のお孫ちゃんを迎えるに当たって、バアバとして体力も調整しておかなくてはと、週に4回ジムに通い、
気功をし、ズンバで身体を動かしていた。意識してきちんと食事をとって、日中、時間があると窓を開け放してそよ風の中でお昼寝。

それを続けていたら、なんとGパンの腰周りが窮屈になり、とうとう入らなくなった。こんなこと、本当に何十年ぶりだろう・・ひょっとしたら太ったのか〜??

前代未聞のことなので、自分でもびっくり。確かに体重計でも証明されていて、
あら?やっぱり私、太った??

そんなこんなで、今夏のハワイ滞在は健康を取り戻す日々になった。
日本に帰ったら、またジャッキー母娘がドイツから日本にやってくるし、もうすぐお姉ちゃんになるマヤの面倒をみることになる。きっと体力勝負の秋になるにちがいない。この調子で元気が続きますように。
2010年9月8日 (水)
It's a small world

世界は狭い!そう感じることが多いけれど、今日ばかりは本当に驚いた。

夕方、私はスーパーマーケットの「ドンキホーテ」のレジの列にいた。
後ろから高らかにドイツ語が聞こえてきた。若いカップルの会話だった。私はほんの少ししかドイツ語がわからないけれど、何度も長期でドイツに滞在しているので懐かしくなり、つい「ドイツからいらしたんですか?」と英語で聞いてみた。

彼らは流暢な英語で「ハイ、ドイツから来ました」とニッコリ。
「私の娘がドイツに住んでいるのよ」
「ドイツのどこに?」
「ウィスバーデンですけど。。。」
「あ、私たちもそこのすぐそばに住んでるんですよ!」

とここまでは、よくあるお話。

さらに彼らは話し始めた。
「ひょっとして、貴女のお嬢さん、「K子」という名前ではありませんか?」

そこまで具体的に聞かれると、気になってきた。ひょっとしてその「Kこさん」と、うちのジャッキーママが知り合いかも。。

そこで念のためそのK子さんの苗字までうかがって、記憶した。
夜中ジャッキーママとスカイプが繋がったので、早速聞いてみると。。。

「ね、K子・Sさんって、知ってる?」
「うん!その人なら、ママも知ってるわよ。この間、ママが来たとき一緒にブランチした、あのK子さんよ。彼女がどうしたの??」

地球の裏側のハワイで、お互いの知り合いが一致するなんて。。
しかも見知らぬ人同士の、つかの間の会話の中で・・・・

地球は狭い。

ここ数日で、アメリカミズーリ州に住む、旧友から突然スカイプが入ったり、カンボジアでボランティア活動している友人からのスカイプを受けたり。普段は離れていても、いつまでも繋がっている人とのありがたい「絆」を感じる日々だった。

世界は一つ!人生は楽しい!!
2010年9月1日 (水)
ファーマーズマーケットで活アワビ!

9月1日、水曜日。今日は待ちに待ったファーマーズマーケットの日。
ホノルルではKCCの毎土曜日早朝ファーマーズマーケットが有名で、もはや観光地になっているが、
朝弱い私はよほどの覚悟がないと、そこには行けない。朝早すぎる。。。

で、見つけた!!夕方から始まるマーケット!!その内容は、KCCのとほぼ同じ。
キングストリートとワードアベニューの角で、毎水曜日の夕方4時から開かれている。余り知られていないせいか、
混んでいないのでお買い物もしやすい。ただし、今のところ出店数が少ないようだ。

私の唯一のお目当ては「活きアワビ」である。
ハワイ島での養殖が盛んになってから、ハワイで新鮮なアワビが手に入るようになった。それを目の前で焼いてくれる。
もちろん活きたアワビを買うこともできる。アワビ大好きな私は、もちろん熱々の焼きアワビをその場でいただいて、
少し大きめのアワビを一袋分買ってきた。それがたったの10ドル。本当に幸せ!!今日はアワビ三昧だ。

明日、日本からのお友達、Iさんがホノルルに到着予定。また一緒にウロウロとハワイを楽しむことになるだろう。
2010年8月30日 (月)
お鍋パーティー

もはやハワイでの私のお母さんのような存在になった、ようこちゃんの
今日はお誕生日。ようこちゃんは、めでたく元気に今日で81歳!

彼女は顔が広く、誰にでも愛される人柄だから、20代から90代まで、沢山のお友達がいる。

今夜、そのうち一番若いお友達で、ようこちゃんの孫娘のような、KちゃんとそのルームメイトEちゃん、そしてようこちゃんの息子のようなMさん、それにワタシという、3世代に渡る友人たちがウチに集まって、お鍋パーティーをした。あえて、ようこちゃんには「お誕生日を祝う会」だということを知らせないでおいた。

「お鍋パーティ?いいわねえ。。私、いい電気鍋を持っているからソレを持っていくね。お鍋をするにはもってこいの深さだから!」とようこちゃんは意気込んでいるし、KちゃんとEちゃんは食材をすべてそろえてきてくれるという。「ハイ、おいしいポン酢に至るまで、ぜーんぶ持って行きますから、京子さんはなにも心配しないでね。。」とのことだった。

私はご飯を炊いて、お漬物を2種類作って、すくい豆腐を用意して彼女たちの到着を待った。ようこちゃんはKちゃんとEちゃんと共に、やってきた。食材はスーパーの袋にいっぱい詰まっている。
ようこちゃんに内緒でKちゃんとEちゃんが準備してくれた、バースデーケーキは、こっそり冷蔵庫へ。。。

さて、あとは素早く食材を切って、お鍋パーティの準備完了。。のはずだったのだが、気がつくと肝心のお鍋が見当たらない。ようこちゃんが持ってきているはず・・

「ようこちゃん、お鍋は??」「あーー忘れた、お鍋・・・」「えーーーっ?」やむなく、ウチにあった電気鍋で間に合わせることにして、一件落着。

グツグツといい音がしてお鍋からおいしそうな湯気も立ち上ってきた。Mさんも到着して、乾杯の準備。

薬味の大根おろしもネギも整い、さていよいよポン酢の出番。
「あ、ポン酢、ワタシ、忘れたかも・・たしかに冷蔵庫から出したんだけどなあ。。ないですねえ。。どうしよ〜!」とEちゃん。
今日のお鍋にはポン酢が欠かせないのに、どうしてくれるのよ、Eちゃん!!まだ若いのに、忘れるとは何ごと??
お鍋をするのに、鍋はない、ポン酢はない、で、これじゃせっかくのパーティーが始まらない。

やむなく、ウチの冷蔵庫にあった残り少ないポン酢に、酢、だし、しょうゆを加えて増量し、なんとか即席ポン酢を作った。「窮すれば通ず」とはこのこと。思いのほか、おいしいポン酢ができてほっとした。かくして、やっと宴の開始。

まずは「ハッピーバースデー」の歌。ようこちゃんは、ただびっくりして目を潤ませて喜んでくれた。大勢でいただくお鍋はとてもとてもおいしかった。

真夏のハワイで「お鍋」・・いかにも暑そうで、ちょっと不思議かもしれない。でもハワイの夏だからできること、ともいえる。
ちなみに我が家にエアコンはない。各部屋の窓を開けておけば涼しい風が部屋中に吹き渡るような構造になっている。今日も、ふつふつと煮えるお鍋を5人で囲みながら、誰一人汗をかいている人はいなかった。
窓から入る風が心地よく快適なのだ。

お鍋が一段落したところで、突然、部屋のライトが消えて、一本のキャンドルに火を灯した可愛いケーキがようこちゃんの前に。
KちゃんとEちゃんによるすばらしい演出。 
「あらあ。。。こんな事までしてもらって。。」とようこちゃんはまた、涙・・・。私たちの心まで温かくなって、本当にいいお鍋パーティーになった。ようこちゃん!ますます元気で輝いていてね!

アメリカ本土で行われている野球のリトルリーグの世界大会で、決勝戦を戦うことになったのは、結局ハワイと日本のチームにだった。

日系のハワイの人たちは、本気でどちらを応援すればいいのか??と迷った一日だった。結果は、日本チームが勝って見事優勝、世界一。ハワイのワイピオチームは惜しくも2位。両軍ともよく頑張った!!
日本の高校野球とまでは行かないけれど、ハワイのチームが強いこともあって、毎年なにかと話題になるリトルリーグ世界大会である。
2010年8月28日(土)
ハワイのリトルリーグ

今朝は早く起きて、アラモアナパークで気功のレッスン。本当に気持ちがいい。週に一度、気功をすることで体調がいい。
このごろ、気功のあと皆でいただく朝食は「中華風おかゆ」と決めている。
海鮮おかゆで、プリプリのエビが沢山入っていておいしい。
量が多いので、いつもだれかと半分っこしている。

今、アメリカ本土で、野球のリトルリーグの世界大会が行われている。
ハワイの「ワイピオチーム」が強いようで、昨日もジョージア相手に大勝したらしい。ハワイのラジオではその話で盛り上がっている。ハワイのチームはとても強い。今日の試合に勝って、アメリカで一番になった。

アジアから日本チームも出場しているから、もしも日本も勝ち進んで世界一を決める決勝を戦うようになったら、一体どちらを応援したらいいのか?などと、いまからやきもきしている人が多い。

日系のお年寄りたちに共通の言葉かある。例えばこのリトルリーグについて話すとき、「今、ハワイのチームが、ジョージアチームと遊んでいます」という。この「遊んでいる」は英語でいうと”PLAY”、”PLAY”は日本語で「競技をする」。つまり、日本語と英語の意味を混同して使っているわけだ。

もう一つ、私が気がついたのは「薬を取る」という表現。英語では薬を飲むことをあらわす動詞はTake,を使う。Drink とは言わない。
Take は日本語では「取る」、つまりこれも混同して使われている。
これらは、英語のほうが得意な日系の人たちの共通した言葉だ。

こちらの日系の人たちは、本当に心から日本を愛している。日本にいる日本人より、よほど愛している。だから日本の今の政治、経済の状態を本気で心配している。

カーター元大統領が北朝鮮に赴いて、捕らわれていたアメリカ人を連れ戻した。アメリカ人はアメリカ政府に守られているのだな、、と思う。
単純だけれど、そう思う。

日本はどうだろう?拉致された人たちが長年消息不明のまま。。果たして日本政府は真剣に動いているのだろうか?
拉致被害者のご家族が必死になって運動していても、なんら進展がない。胸が痛む。

いろいろ難しいからくりや、事情もあるのかもしれないが、日本の政治には失望することばかりだ。
2010年8月25日 (水)
ロイヤルハワイアンホテルで・・

朝からジムで、インストラクターについて筋力トレーニング。今日からは腹筋のプログラムも入ってきてかなりきつい。

私が通うのはワイキキビーチに面したジムなので、真っ青な空とビーチを目の前にしてトレーニングをすることになる。ワイキキのど真ん中!こんな贅沢なジムはないだろうと思う。飛び込んでくるビーチの光景を見ながら汗をかく。。本当に良い気分。約45分のトレーニングを終えると、爽やかな風に吹かれながらカラカウア通りを歩いて帰宅。
これも気持ちがいい。

夜はようこちゃんのお友達お2人と一緒に4人でお食事に出かけた。日本生れの日本人だけれど、アメリカ生活が長い方たちなのでお話がとても面白い。その経験談が半端じゃない。広くて、深い。日本にいることが当たり前と思って過ごしてきた私とは全く違う感覚と人生感を持っているような気がする。「もっと、もっと!」とお話を聞きたくなる。

今日お会いした方々は、私以外は3人とも今はもうアメリカ人になっているのだが、こういう場合やはり日本食レストランに行くことになる。どこに暮らしていても、やはり日本人なのだなあ、、と思う。

そこで、私は孫達に思いをはせる。私の孫達は世界のどこで、どんなアイデンティティを持って生きるようになるのだろうと・・・

お食事のあとロイヤルハワイアンホテルの「マイタイ バー」へ・・・
久しぶりに行ったらホテル全体がとても素敵に改装されていて驚いた。さすがに格調のあるホテルで、なんだかほっとさせてくれる。ハワイアンバンドが演奏をしていて、一人のフラダンサーが踊っていた。満月に照らされたワイキキビーチが美しい。
ああ、ハワイ!である。

いい気分になっていたら、ご一緒していたNさんが、なにやらフラダンサーに耳打ちして、いつの間にかそういう成り行きになり・・。私はバンドの前でフラを一人で踊ることになってしまった。「パパリナ ラヒラヒ」を生バンドで、しかもこんな場所で・・

思いがけないことだったけれど、なんとか踊れてうれしかったし、本当に気持ちよかった!

フラのK先生にご報告しておかなくちゃ。
2010年8月24日 (火)
輝く木星

数日前、急に日本のお友達からハワイへくると連絡があった。長年合唱団で一緒に歌っている仲間の一人、Iさんである。
彼女とハワイで会うのは2回目。普段日本では一週間に一度は顔を合わす間柄だけれど、ハワイで会うのもなんだかとても新鮮でいいものだ。

今日朝10時にホテルまで車でお迎えにいって、そのまま海沿いをドライブに。ワイマナロビーチで一休みして気持ちのよい時間を過ごす。美しいビーチには私たちを含めて5人くらいしか人がいない。まるでプライベートビーチのよう。ワイキキもいいけれど、私はお友達をローカルの人しかいないビーチに連れて行きたくなる。Iさんもすばらしい海の色を堪能してくれてよかった。

彼女もフラをしているので「ハワイ」の感じ方が違う。山にかかる霧を見ても、海の波を見ても、フラのハンドモーションを連想したりして話が弾む。ホノルルに戻ってハワイアンの布地を見に行ったり、フラ関連のお店に行ったり。。。時間はあっという間にすぎた。アラモアナのノードストロムにある、素敵なカフェでひとしきりおしゃべり。ここは最近気に入っているカフェで、ここのクレームブリュレがおいしい。

夜は、Mさんご夫妻と会うことになっていた。
Mさんご夫妻と私たち夫婦は、以前からお知り合いだったのだが、偶然ようこちゃんとMさんご夫妻も親しいお友達であることが判明。

「ハワイって狭いね!すごいご縁だね!」ということで、今日ようやく念願かなって、4人が初めて揃ってお会いすることになったのだ。憲さんがここにいないことが淋しかったけれど、きっと憲さんも喜んでくれているに違いない。ハレコアホテルのレストランで、4人で楽しくお食事。
懐かしい話題が沢山で、うれしかった。

私のハワイでの長期滞在も13年になる。
ありがたいご縁で沢山のお知り合いがいてくださって本当にうれしいこと。

帰りに4人で見上げた空に満月が輝いていた。
そして今ハワイの夜空に一段と大きく輝いて見えるのは「木星」である。
ハワイの澄み切った夜空はすばらしい。

今日もいい一日だった。
2010年8月20日 (金)
忙しくて、楽しくて

ホノルルは観光客で賑わいを見せている。確かに数年前より人出が多い。
ラジオでもハワイを訪れる観光客が増加してきたと報じている。ハワイにとってはいいことだしがらんとしたリゾートなんて、楽しくない。活気を取り戻したワイキキは熱気にあふれている。

もうずいぶん日記が更新されていないけど、元気なの??と親友からメールが来た。そういえばそうだった。下書きのままの日記を6日以降、UPするのを忘れていた、、、で、今日まとめて少し更新。

このところとても忙しく、楽しい時間があっと言う間に過ぎる。
ようこちゃんのお陰でお友達の輪が広がったうえ、ハワイで参加しているアクティビティの種類が増えたので毎日、なにかしらあって刺激のある日々を過ごしている。

まず、最近始めたのは「ズンバ」というエクササイズ。これが週に2回。同じジムで個人的にインストラクターついて行う筋力トレーニングがあって、これも週に2回。それに発声レッスン&詩吟クラス。以前から続けているのは気功、とウクレレ・・・。

まあ、考えただけで目が廻りそうだし、欲張りすぎて「あぶはち取らず」になりかねないけれど、今はすべてを楽しもうと思っている。

ハワイでは、気軽に新しいことに挑戦できる環境があるからありがたい。
元気に動けるうちが「ハナ」だと思うから、つい欲張ってしまう。

ハワイにいると体がラクに動く。なぜだろう?!
気候のせいだと誰もが言う。
暑くても、多少排気ガスの公害があっても、このトレードウインドがすべて吹き飛ばしてしてくれる。夜になると適当に雨が降り、地上の汚れをきれいにしてくれる。自然のありがたさを身を持って感じる。
一年中、クリーンで気持ちがよい。

昨日の夕方に見たダイヤモンドヘッドにかかる大きい虹が美しかった。

9月の中秋の名月には、どこかのビーチから満月を楽しもうという話が持ち上がっている。お弁当を持ってお月見!
楽しみだ。
2010年8月13日 (金)
マウナロア

夕方用事を済ませて、ウチへ帰ろうとカラカウア通りを歩いていたら「キョウコさーーん」と誰かが呼んでいる。

Sさんだった。ウクレレ教室でご一緒なのだが、Sさんはハワイアンミュージックが大好きで、ハワイに長期滞在している間は、ほぼ毎日生演奏を聞いているという。

今も、そのライブに駆けつけるところだという。
「ちょっと遅れちゃってね、急がなきゃ!!4時から演奏開始なの。ね、キョウコさん、一緒に行かない?すぐそこのホテルで”マウナロア”が演奏するのよ!」と急ぎ足のまま私を誘ってくれた。私も”マウナロア”の曲やサウンドが好きだし、こんなチャンスを逃すことはない、、とそのまま、彼女についていく事にした。

行った先はビーチに面した”Duke's”。
Sさんは、いつ誰がライブをしているか、ということをしっかり把握していているという。ちなみに今日は、日本でも有名な”マウナロア”が2時間ぶっ通しで演奏をしてくれた。私たちはたった3ドルのお代わり自由のアイスティーだけを注文して、その演奏をかぶりつきで聞ける。

ただし、野外なので、夕方の日差しがジリジリと暑い。でもここはハワイ! ハワイのあの心地よい風が吹きぬけて不快な暑さを感じることはない。本当に気持ちがいい。ワイキキの海をバックに彼らが演奏し、その先には夕日に焼けるダイヤモンドヘッドが望める。こんな絶好の場所でホンモノのハワイアンを堪能できで、本当に幸せ。

彼らは男性3人のグループだが、彼らのハモニーが本当にすばらしい。あんなふうに歌えたら楽しいだろうなあ。。

Sさんのお陰で、思いがけない時間を過ごせて幸せ!!これからも、Sさんに教えてもらって大いにライブを楽しもうと思う。
2010年8月10日 (火)
セミ

日本ではこれからお盆、帰省ラッシュが始まったようだ。セミの声が元気なころだ。子供の頃、ツクツクボウシが鳴き始めると「ああ、夏休みもそろそろおしまいだ」と思ったものだ。
ハワイにはセミがいないから、あの声が懐かしい。

セミの世界分布ってどうなっているんだろう。
アメリカ本土で夏を過ごしたときも、セミはいなかったような気がするのだが・・・フラのK先生も、日本で初めてみたセミの姿に驚き、その羽音をきいておびえていたっけ。たしかにあまり可愛くない姿ではあるけれど、私たち日本人にとってはセミは夏の象徴である。

ウチにいて聞こえるハワイの音は、主にやしの木が揺れる音、鳥の鳴き声、時折飛ぶヘリコプターの音。ワイキキビーチに近い割には静かで木が多いので風の音を楽しめる。たまに、階下のプールから楽しそうな声が響いてくる。静かな夜にはホノルル動物園から動物の寝言?が聞こえることもある。

ここに飛んでくる鳥の種類がずいぶん変わった様な気がする。
以前は「メキシコマシコ」という可愛い鳥が窓辺にきてくれたものだが、なぜか見かけなくなった。

そのかわり郊外でしか見かけたことがなかった「白鷺(しらさぎ)」をウチのすぐそばで多く見かけるようになった。
このごろ主に車で出かけるので、道端で鳥たちに遭遇するチャンスが減っているせいもあるだろうが、最近、窓辺に飛んでくる小さな鳥たちが少なくなったことは確かなような気がする。
2010年8月6日 (金)
キム テイラーさん

今夜は、中華街でシニアライフ協会主催の「ファーストフライデー イン チャイナタウン」の日。総勢15名、6時からおいしい飲茶のお店で夕食を楽しみ、それからメインイベントのダウンタウンに集中している画廊見学に繰り出した。

ここで画廊を経営しているMさんの案内で見てまわる。マヤママがいたら喜ぶだろうと思った。
今はマヤのためにアンパンマンの絵などを描いてやっているが、マヤママはサンフランシスコの美術大学を出ている。今度ハワイへ来たら、ここを案内しようと思う。かつてホノルルのダウンタウン及びチャイナタウンは犯罪が多く、とても危険なところとされていたし、実際そうだった。でもMさんたちの尽力で、ここをニューヨークのソーホーのように変身した。この夜も画廊、バー、飲食店などは、地元の健全な若者で賑わっていた。ハワイにしてはめずらしい光景である。

そこで私はMさんにある人に紹介していただいた。フラのファンならだれでも知っている世界的に有名なフラの写真家、キム・テイラー氏だ。「京子ちゃん(私はここではこう呼ばれている)、彼があのキム・テイラーさんだよ!」とMさんが紹介してれた。セピア色のフラカヒコの写真、躍動感があって私は大好き。私は大喜びで、一緒に写真を撮ってもらった。Mさんとテイラーさんは旧知の仲。ダウンタウンにテイラーさんのギャラリーがあったのだが、つい最近、残念ながらクローズされたとのこと。ホノルルのイリカイホテル内に新しいギャラリーが開かれるかもしれないとのことでそれも楽しみだ。

10月には、羽田が国際線化されるということで本当にうれしい。近い将来、確実にハワイとドイツへの往復がとてもラクになる。ちょっと信じられないほどの変化である。旅客だけでなく、航空会社勤務の人たちの生活の変化も大きいだろう。

かつて成田空港が国際線の中心になったころ、憲さんの通勤の利便性を考えて成田方面への引越しを真剣に考えた。
いろいろ考えた挙句、結局私たちは千葉ではなく横浜に家を建てた。憲さんはもちろん、かつて日本の航空会社勤務だったジャッキーママは遠い成田へ時間をかけて通勤していたものだが、あれから約四半世紀で、また羽田が国際線化。今は旅客の一人として、私は素直にうれしい。

ハワイへの観光客もまた増えるかもしれない。
こちらでは、ホノルル空港へ到着した日本と韓国からの旅客数が、毎日ラジオや新聞で発表される。ここ数年、世界的不景気がわざわいして、通常約3500人/一日と減っていたが、一昨日など約5300人と大幅に増えている。このごろ確かにワイキキの人出がすごい。。夜遅くまで沢山人が歩いている。

観光を主な産業としているハワイにとっては、とてもうれしいことで、私までうれしくなっている。シーンとしたワイキキなんて考えられない。でも、私はそれを目撃している。あのニューヨークでの9月11日のテロ直後は、信じられないほど静かなワイキキだった。ビーチには数えるほどしか人がいなくて、土産物店は開店休業状態。ホテルも空室ばかり。。。本当に淋しかった。

それ以来、景気の後退が続きハワイの勢いがなくなっていた。でも今年はちょっと様子が違うようだ。もっとも日本人観光客が増えているのは、最近の円高が後押ししているようだし、それはアメリカにとってうれしいことではないわけで・・・ちょっと複雑ではある。
2010年8月5日 (木)
男の子!

今日は2回目の「ズンバ」の日。インストラクターもその内容も少しだけ違っていて、今日のほうがハードだったけれど、本当に楽しくて、あっという間に一時間が過ぎた。今日は「ハナ」さんという日系の可愛いおばあちゃまもご一緒だった。

なんと85歳らしい。「ハナ」さんは小柄でニコニコしていて、あんな可愛いおばあちゃんになりたいなあ。。と思うような方。激しいズンバもすっかり身についていて、すごい。ハワイってどうしてこんなにお年寄りがお元気なのか?本当に不思議だ。年齢なんて関係なく何でも楽しもうという精神がいい。ようこちゃんも、相変わらず元気に踊っていて頼もしい。私なんて、こちらでは「ひよっこ」。

ここにはお年寄りが楽しめる環境が揃っているような気がする。私の経験では、日本のフィットネスクラブのスタジオで行うプログラムは、一旦レッスンが始まると入場、退場ができないようになっている。こちらでは、すべて自由。休みたければ、途中退場もOKだし、ちょっと遅れて入ってきてもそれもOK。だから、気軽にトライしてみるということが可能だ。それにメンバーシップの料金もとてもお安い。これは本当にありがたい。

もともと私は汗をかかないタチだけれど、さすがに今日は少し汗ばんで気持ちがよかった。ジムの外に出ると、ハワイの太陽が輝き、爽やかな風が吹きわたっていて  「ああ、ハワイ!」

今日は忙しい日だった。ズンバのあと、ようこちゃんとオーガニックのランチをいただき、その足でコーラスの練習に。。ここでは、ようこちゃんは参観者。そこで一時間半ほど歌ったあと、中華街でお友達と待ち合わせて夕食を・・

またそのあとは、ようこちゃんも参加して、発声教室〜詩吟教室と立て続けに参加。詩吟は、私がいままで歌ってきた発声法とは対極にあるもので、とても難しい。でもお腹から声を出すと言う点は共通だ。詩吟自体は私には難解で、全くわからないけれど、自分を開放して、今までと違った体験ができるということが面白い。今日は一日中、歌ったり、踊ったり、私の好きなことばかりで幸せだった。身体を動かすことってすばらしい。
疲れなど感じないから不思議だ。

夜、ウチへ帰ると、ビッグニュースが飛び込んできた。
マヤママからメールが入り、11月に生まれる3人目の孫は「男の子」と判明したとのこと。女の子だとばかり思っていたので、本当にびっくりした。ウチの家系は最近女の子ばかりだったので、みんな大喜び。憲さんも大喜びだろう。

男児用の洋服を買わなくちゃ!!
恐竜や怪獣の話もわかるバアバにならなくちゃ。。 
マヤのお下がりは役に立たないから、さあ大変!
楽しみが増えてうれしい。
2010年8月4日 (水)
第3の人生

肩こりが治った。昨日の「ズンバ」は効いたようだ。幸い筋肉痛もないし身体が軽い。週に2回のクラスをしばらく続けてみようと思う。

今日は、憲さんのハワイでのゴルフ仲間だったOさんとYさんのお2人とご一緒にランチをいただいた。11時半にレストラン「サントリー」の前で待ち合わせ。お2人ともご高齢だけれど、とても若くていつお会いしても少しもお変わりがない。
これもハワイの魔法なのだろうか。ハワイというところは、元気に歳を重ねることができるところだと思う。すばらしい気候のせいか、このゆったりとした土地柄のせいか。。。

Oさんは長かったハワイでの生活に区切りをつけて、近く日本へ帰られることになった。これからは『第3の人生』だとおっしゃる。日本でもおおいに活躍なさり、楽しい人生を過ごされること間違いなしだ。Oさんのように、ご自分の生き方を積極的に選択できるというということはとてもすばらしいことだと思う。それも健康であればこそ、私も見習いたいと思う。

フラのK先生の11月の日本でのプロジェクトの仕事が始まった。
少しずつ、確実に仕事が進んでいる。この11月は私にとって超・多忙な月になりそうだ。

ドイツのジャッキーが、いつの間にか「お母さん」という日本語を覚えたらしい。先日スーパーでママを見失ったジャッキー、よほどあわてたのか「ママ! マミー!おかあさーん!なおちゃーん!」と4種類の呼び方でママを呼んだという。「お母さん」と言う日本語は、いまのところジャッキーママは教えていないというのに。。。

どうやら日本の子供用のDVDで覚えたらしい。ちなみに「なおちゃん」というのはジャッキーママの名前。ジャッキーパパがいつもママのことを「なおちゃん」と呼ぶのを真似したのだろう。

それにしてもドイツ語のお母さん「ムッター」が出てこなかったのはなぜ??