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今日、ちょっと心に書き留めておきたいこと。。

2013年12月30日 (月)
時の流れ

穏やかな天候が続く横浜の年末。
今年は去年に引き続いて日本で迎えるお正月。今年は東京のマヤのおうちで迎えることになっていて、私が担当するおせちは「数の子」だけ。すべてマヤママにお任せだ。正直のところ大変にありがたい。

だから今朝からちょこっと掃除を済ませて、玄関のドア「しめ飾り」を飾って、私のお正月の準備は一応終了。昔に比べると嘘のようだ。

昨日、私のウチのダイニングテーブルと椅子のセットが新しくなった。
アーリーアメリカン調で、30年余り私の家族と共に歴史をきざんでくれていた今までのテーブルセットはどーんとした貫禄たっぷりの物だったが、一昨日、マヤのおうちにお嫁入りした。憲さんが「いつかこの家具類を娘たちに引き継いでもらえたらうれしいんだけどね」と常々言い続けていたことが、やっと実現した。本当にうれしい。椅子一つにしてもがっちりした木製で、重くて移動させるのが大変だったし今の私の生活にマッチしなくなっていたところだった。

そこへマヤ一家からの申し出でがあった。私は「お嫁入り」を大喜びで賛成した。昨日、私の色々な意味での生活のサイズにピッタリのピカピカのダイニングテーブルと椅子がうちに来たというわけだ。座り心地がよく、瀟洒で軽い、つまりシニアにはピッタリのもの。これで新年を迎えられるのがうれしい。

今、テレビでは市川崑監督による映画「東京オリンピック」が流れている。
半世紀も昔のことだから当然だけれど、あれから世界も日本もそして私の周りもあまりにも変わってしまったことに改めて気がついて、涙がこぼれた。
二つに分かれていた国がひとつになり、いくつかの国もその名前が変わった。

まず、アナウンサーやナレーターの発する日本語が違う。発声もちがう。日本語が美しいし正しい!東京の風景などまるで別の国のようだ。人々の表情や、服装も全く違う。懐かしさを通り越してちょっと怖い気もする。

あの当時は外国がとても遠かった。自分が外国で暮らすなんて夢の夢だったし、願ってもいなかった。それほど何も知らなかった。当時私は16歳、京都でただ、バレエが好きで踊っていただけ、なんとなく将来は東京で暮らしたいという夢はあったものの、将来自分に何が起こるか、、なんて考えてもいなかった。

まして将来私に外国人の娘婿が二人もできるなんて・・・
それにもう一つ、あの東京オリンピックの開会式場の上空に5輪の輪を見事に描いた飛行機のパイロットさんたちに、まだ見ぬ未来の「夫」の会社の同僚として10年後に赴任先のアラスカでお会いすることになるということも・・

7年後の東京オリンピックまで、元気で長生きしてね。。と娘たちに言われるようになった私。

本当だ、頑張らなきゃ!!
来年もいい年でありますように!!
2013年12月17日 (火)
マーゴとヌレエフ

昨日からの続きで、古いビデオテープを発掘していたら、よくぞ録っておいたというものが出てきた。私の字で「ロイヤルバレエ」とだけ書かれたものだ。
今日見直してみたら、あのルドルフ ヌレエフとマーゴ フォンティーン主演の「レ・シルフィード」とマーゴ主演の「オーロラの結婚」だった!

私が10代だったころ、ロイヤルバレエはバレエを志す者にとってはあこがれの的だった。今と違って外国などあまりにも遠かった時代、手の届かない夢のようなバレエ団だった。

どうやらスタジオで撮られたものらしいそのビデオを今見ると、画面の不鮮明さからだけではなく女性も男性も「人間」の体をしているように見える。足も今のダンサーと比べると太いし、体にも丸みがある。今のように細くて、アクロバティックに足が上がって、高く飛び上がり、くるくると回る。。というのではない。けれども品があり、なんとも柔軟で優雅なのだ。
それも含めて懐かしい!私はこういうバレエがやはり好き。。

私が京都でバレエに熱中していたころ、マーゴとヌレエフが京都で公演を行った。終演後、バレエの友達数人で勇気を出して京都会館の楽屋を訪ねた。あのころは楽屋の警備も緩やかだったのか、すぐに入ることができた。

あこがれのマーゴは快く会ってくれた。私はマーゴの大判の写真を持参していたので、それにサインをお願いした。「あなた、バレエをしているの?頑張ってね。この写真、どこで手に入れたの?私この写真、覚えていないわ」と話かけながらサインしてくれたマーゴの顔を今でもはっきり覚えている。
そして私たちはヌレエフを待ったがなかなか現れない。京都会館の楽屋はよく知っていたから、皆で探すことにした。

すると、ドアを開け放した暗い楽屋にたった一人でイスに座っているのが見えた。ついさっきまで舞台で主役を踊っていた人とは思えないほど、孤独のように見えた。とても近寄れるムードではなかった。恐る恐るサインを頼んだら、うっすらと微笑んで優しくサインをしてくれた。そのあとの握手、ヌレエフの手は温かいどころかとても熱かった。

大事にしていたはずの二人のサインは、いつの間にか無くなってしまったけれど、あの時の感激は一生忘れない。
こんなことを思い出しながら、今日も一日が暮れていきそうだ。
2013年12月17日 (火)
記憶・ビデオ・そして思い出

こんなことをし始めたら、きっと一日中かかるだろうと予想した通り、昨日はほぼ一日中溜め込んだビデオテープの整理に掛かりきりになってしまった。
始末しようにもその前に、何が収録されているのかを確かめて見る必要があった。
一応タイトルは付けてあるのだが、その内容がはっきりしない。その時は分かっていたのに。。今では「なんのことだったっけ??」である。

ビデオデッキの前に座り込んで、少しずつ再生を試みる。すぐに「廃棄!」と決心がつくものもあればそうでないものもある。決心がつかないものの方が多いから困る。

その中に、すっかり忘れていて我ながらびっくりした一本があった。ちょうど今から10年前、横浜のあるボーカルスクールの発表演奏会で、ソロで歌う人のためにハーモニーをつけてほしいと頼まれて歌ったことがある。いわゆるポピュラーソングのコーラスガールだ。何度かリハーサルをして歌ったのだろうが、なにをどう歌ったのかすっかり忘れていた。それが今日突然、画面としてあらわれた。

「聞いたことのある曲だけど。。ここはどこ?この人は誰?」と思ったら、マイクの前で歌っていたのは私だった。

私はハーモニーをつけるのであって主役ではないから、舞台のそで近くで歌っているのだが、律儀にもスポットライトを当ててくださっている。なんだか晴がましい舞台だったようだ。これをすっかり忘れていたなんて、、、記憶力が弱いというせいだけでもないようで。。我ながら恐ろしい。

それに約20年前に、これもバレエ団時代の友達に頼まれていくつか賛助出演したバレエの公演のビデオも2本ばかり出てきた。さすがにこれはしっかりと記憶にあった。バレエを辞めてから20年近くたってからの舞台だったから、飛んだり跳ねたりの役ではないけれど、やはり20年前は若かったのだ、なんとか踊っていた。これをバレエを習っているジャッキーやマヤにいつか披露してみよう、びっくりするだろうな。。。

もう一つ、先日からジャッキーママとマヤママと3人で計画していることがある。そろそろジャッキー、マヤ、アキラ、3人の孫たちに、ジイジの在りし日の姿をみて欲しい、写真だけでなく動いてお話もしているジイジをみせてやりたいと思うようになったのだ。

まず、憲さんが一番素敵に映っているビデオを探すのが先決問題!!
なんといっても孫との初対面なのだから。。。
私もやっと憲さんの動く姿、声を聞いても動揺しなくなったからその作業ができるはずだ。来年、チャンスを作ってジイジとの対面を果たさせたい。
それが来年の私たち家族の大切な目標になっている。
2013年12月16日 (月)
室温25℃!

12月も中盤に入り寒さも本格的になってきて、午前11時現在の外気温は11℃らしいけれど、ウチのリビングの室温は25℃!暖房なしで、である。
もちろん太陽が差し込んでくれるおかげなのだけれど・・・
暖房を入れるのは夕方日が陰ってからだ。今日のように晴れている限りこの暖かさを保ってくれる。気密性のある最近のマンションは温かいと聞いていたが、これほどとは思わなかった。入居して約6年、起きてから寝るまで冬に寒い思いをしたことがない。設備として床暖房もあるのだけれど、ほとんど使わない。かといって夏場は暑いのか?というと風を通せば、そんなことはない。今はウチにいる限り、気温だけを言えばハワイにいるのとそう変わらないのだ。本当にありがたい。

外に出ても同じことが言える。ダウンのコートに今流行のムートンの毛皮張りのブーツを履き、手袋をすればほとんど寒さを感じないでいられる。それでもダメならホカロンがある!本当に便利になったものだ。

40年前、憲さんがアラスカに転勤になったとき、まず私たちが準備をしなくてはならなかったのは、毛皮のコートだった。残念ながら高価な毛皮のコートではない。単に暖房用のずっしりと重い防寒用の毛皮だった。あのころ世の中にダウンというものはなかったのかしら?あのころユニクロがあったら、ヒートテックがあったら、どんなに楽だったことか・・氷点下10℃なら「今日は温かいわね。。」という冬を過ごしていたのだから。

ただ、冬のアラスカでもウチの中は天国だった。室温は年間を通じて23℃以上にエアコンでコントロールされていたから、いつもTシャツにジーパンでいられたし、車も暖房付きの車庫に入れてあるから温かいまま外出することができた。
北国の気候とされているドイツでは普通の家庭には冷房装置がない。それなのに近年、夏が暑くて困っているという。ハワイでも同じこと、、普通の家庭ではクーラーが不要とされるくらい年間を通じて過ごしやすかったのに、今年はとても暑く感じた。

昔は地球上の寒いところは寒かったし、過ごしやすいところは年間を通じて快適だったし、暑いところは暑かったのだ。あたりまえの気候が地球上にあったのに、近頃は違ってきた。温暖化と言われながら、最近中東など地球の意外なところに積雪が見られるという。反面、私たちが40年前に身近に見ていたアラスカアンカレッジ近郊の美しい氷河が、温暖化で溶けてしまいあの美しいグレーシャーブルーが影も形も無くなってしまってから久しい。地球は確かにおかしい。

今日は思い立って、古いビデオテープの整理を始めた。個人的はものは別として、テレビから録画した名画や、好きだったプログラムなどは好みも変わっているし、画質ももう見ていられないほどひどいから、思い切って捨てることにした。まあ、かなりな量である。たった6年前、引越しに際して厳選してきたはずのビデオなのに、もう不要になっている。幸い私はまた古いプレイヤーを持っているから再生できるけれど、このプレイヤーが壊れたら、お手上げである。新しく便利で良いものができると古いものは見捨てられていく。そんなものなのだろうか。私たちはそんな新旧交代に追いかけられながら生きているような気がする。

それはそれとして、、このビデオが減るとかなりのスペースができそうだ。これにまたまた、不用品が詰め込まれないように。。反省を込めて整理をしている。
2013年12月11日 (水)
スマホに挑戦!

ハワイから帰国してあっという間に約一ヶ月が過ぎた。

帰国直後にはK先生のフラのワークショップ開催。この仕事も事務面では若い人への引き継ぎがほぼ完了していて、私は楽になった。本当にありがたいことだ。私はただのんきに愉しくフラを踊るだけの身分?になり、今回のワークショップでは二日間で5クラス約7時間のレッスンを受けた。さすがに足がガクガクしたけれど、恐れていた筋肉痛もなかった。
仕事の引き継ぎができたおかげで、気が楽になったせいだろうか、再びフラの楽しさが私の中に蘇ってきたような気がする。横で踊っていたメンバーに言われた。「戻ってきたね、京子さん。。よかった!」と。うれしかった。

次回のワークは4月20日に決定。K先生と共に立ち上げてから9年、このワークショップを今もなんとか順調に続けていられることに感謝だ。

ワークショップが無事済んでほーっとため息をつく暇もなく、ジャッキーとジャッキーママがドイツから約2週間の予定で里帰りしてきた。朝から晩まで、「バアバ〜!」と追いかけてくれるジャッキーも6歳になり、少しは大人の会話ができるようになった。

マヤ一家との合流の日々は、まさに我が家は幼稚園状態。その保護者もいるわけで我が家は一気に超満員状態になる。今までは少なくとも年に2度はこういうチャンスがあった。しかし来年ジャッキーもマヤも小学生になるから、そう頻繁には会えなくなるのかもしれない。

11月30日にジャッキー母娘がドイツに戻ると、その翌日には、京都へ友人3人との3泊の旅へ。以前から企画していた今回2度目になる「憲さんのお墓へ参る旅」である。名目は墓参の旅だがもう涙、涙の墓参ではない。憲さんをダシに。。京都を楽しむ旅だね!と笑い合えるようになった。

しかし、もともと6人(夫婦3組)だったこのグループが今は4人になってしまった。憲さんに続いて今年F氏が亡くなって、未亡人二人とひと組の夫婦の旅となってしまった。イタリア、カナダ、ニュージーランド、そして国内旅行と長年共に楽しんできた仲間だ。過ぎた日々を懐かしみながらも、次の旅行はどこへ行こうか?と話が弾んだ。かけがえのない友人たちである。
私が密かに狙っているのは、韓国の済州島。。大好きなアワビと海鮮料理がお目当てだ。来年の旅にどう?って提案してみよう!

この数カ月間のハードワークは、幸い健康だったからこなせたものだった。
ここ数日、やっと普通の生活が戻ったという気がしている。

特に予定の入っていない日々もいいものだ。

2週間前、私は携帯をスマホに変えた。
以前から娘たちには「ママには無理じゃない?苦労するだけよ。。」と言われ続け「今に見ていらっしゃい!!私だって!」と思い続けていたことだった。「ダメだったら携帯に戻ればいいんだし、所詮、電話じゃない。。やってやろうじゃないの!!」と思っていた。大げさなようだけれど私たちの年代では、相当な覚悟がいるものなのだ。ジャッキーママの助けを借りてショップでスマホを選び、マヤママにも各種設定を任せた。それでも使い進むうちに不都合が出て、私自身も数回ショップに足を運んだ。そして今、やっと使いこなせるようになりつつある。実に楽しい。

小さなパソコンを持って歩いているようなものだから、本当に便利。11月末の京都旅行でも乗り物時刻表、レストラン探し。。など、大いに役だってくれた。今、便利に愉しく使っている"Facebook"に出先でも簡単に投稿や写真もUPできる。うれしい!

私の挑戦、色々な人に助けられた上でのことだけれど、今のところ大成功!!
やはり挑戦してよかった!!
2013年10月29日 (火)
ハロウィン

ここハワイでも街はハロウィン一色・・

思い出すのは私が初めてハロウィンを経験した40年前のこと
場所はアラスカのアンカレッジ!(憲さんの転勤で2年間アラスカを満喫した)
日本ではまったくハロウィンが知られていなかった時代だった。
2歳と3歳だった娘たちを連れて寒ーーい中を”Trick or Treat" とご近所を廻った。 ハロウィンの意味さえよくわからなかったから 子供たちには ゆかたを着せて「日本のお祭り」の格好をさせたのだけれど、それが大好評! 
うちでもお菓子を沢山用意して近所の子供たちを待った。座っている暇がな いほど、子供たちが次々に来て・・懐かしくて楽しい思い出である。

今はというと楽しい行事として日本にも定着したハロウィン・・・
今でも私はこの意味がよく分からないでいるのだけれど。

東京在住のマヤ・アキラ一家は、一家でテーマを「ピーターパン」に絞り、
マヤはタイガーリリー、アキラはピーターパン、ママはフック船長、そしてパパは海賊の手下に扮してパーティ出席したらしい。送られてきた写真を見ると。。。

主役のピーターパンはまだオムツをつけていて、可愛らしくもなんとも心もとない風情。てっきり「わたしはティンカーベルになりたい!!」と言い出すと思っていたマヤが選んだのは意外にもタイガーりりー、インディアンの娘スタイルで、これは妙に似合っていた。それより一番ぴったりだったのはパパ・・・・海賊、しかも手下(!)がはまり役だった。

一方、ドイツのジャッキーはどうか、、というと。
ドイツではハロウィンがそれほどポピュラーではなく、幼稚園でもそんな気配はないという。そうか。。お国柄というものもあった。ジャッキーは、もしハロウィンがドイツにあったら、ライオンになりたい。。と言っているという。
いろんな夢があるものだ。

11月になるとアキラは3歳。ジャッキーは6歳になる。ジャッキーに永久歯が生えてきた。お顔も変わるんだろうな。。。楽しみなような淋しいような。。今のうちにあの「童顔」をしっかり目に焼き付けておきたいと思う。
2013年10月27日 (金)
ありがたい助っ人さん

今回、9月中旬にハワイへ来て約一ヶ月間半、そのあいだにうれしくお迎えした日本からの友人は、合計10名。この先も「行きますよ」と連絡をもらっている方が2名。こんなに多いのは、フラ関係の知り合いが多くハワイ大好きな人が周りに多いからなのだが、日本ではお互いに忙しすぎて会えなかったり、遠くに住んでいて会えない人たちがここに集う。ハワイって不思議な力を持っているような気がしてならない。うれしいことだ。

ここ数年気がついていることがある。
ワイキキを歩く観光客のムウムウ姿がぐっと減ったことだ。
ここへ来ると観光客はすぐにムウムウを買い込み髪には花の飾りをつけて歩くというのが定番だった時代があったと思うのだが、国籍を問わずTシャツに短パン姿にとって代わられた気がする。今は日本から来る日本女性はふわりとした夏用のロングワンピース姿が多い。日本の夏にそれを見慣れている私はふと、日本にいるような気になったりする。

今日は朝から馴染みのハンディマンが来てくれた。大工仕事などほとんど何でもこなしてくれるいわゆる「便利屋」さん。私が今日お願いしたのは、カーテンのかけ替え、カーテンを開閉する紐の部分が壊れてしまったのでその修理、バスルームのシーリングライトの付け替え。それに高いところの電球の交換。憲さんがいれば簡単に解決したことが、私一人ではこなせないことが沢山ある。
だから便利屋さんの存在がありがたい。そしてその仕事の仕方が面白い。
まず私が頼みたいことを説明するとサラリと「下見」をしてくれる。
彼は「わかりました!すぐ買って来ます!小一時間待っててください」

取り替えたいと思っている古いライトの形態を見て、これからそれに合う新品を買いに行くというのだ。下見、見積もり、注文、材料仕入れ、そして施工。それをいっぺんにしてしまうのだ。

私に予算を聞くわけでもなく「これがいい」と品定めをしてくれるらしい。彼は自信満々だった。デザインに凝るほどのものではないから彼に任せることにした。

ホノルル市内に「ホームディーポ」という、日本でいうホームセンターがある。大変巨大なお店でそこで材料を買い込めば家が一軒建てられるほどの品揃えがある。うちから車で20分ほど・・彼は「ホームディーポ」めがけて急いで出かけていった。

「いやあ、車が混んでてね!」と一時間半ほどして新品のライトを抱えて帰ってきた。そしてバスルームで手際よく、丸くてかわいいシンプルなライトを取り付けてくれた。カーテンのかけ替え、修理も手際よく終えると
「他に、なにかお手伝いすることありますか?」
とっさに高いところの電球が切れていたのを思いだし、交換をお願いした。
手際のよい仕事ぶりにいつも感心する。その上、とってもリーズナブルな価格であることもうれしい。こういう仕事を器用に丁寧にしてくれるのは彼のようなフィリピン系の人が多いようだ。

ハワイにいても生活をしていると、いろいろな小さなトラブルがある。その一部を助けてもらえる人がいてくれることが、私にはありがたい。
2013年10月7日 (月)
ハワイへ来てから3週間

ハワイへ来てもう3週間。9月のハワイは一年中で一番蒸し暑いと言われるだけあって、日本と変わらないくらいの暑さだった。猛暑からやっと抜け出したように見えた頃、日本から飛んできたハワイが意外に蒸し暑いのでがっかりしたほどだ。しかし10月も半ば近くなってきて、今日あたりは少し秋らしい雲がハワイの空を彩るようになったし、蒸し暑さもなくなってきた。これから年末、年始にかけてハワイは少しずつ雨季へと季節が移っていく。

やっと元気が出てきたのは幼友達のNちゃん夫妻がハワイにやってきた10月20日過ぎくらいから。。。毎日楽しく過ごしているうちに、食も進み活気が蘇ってきた。めいっぱい楽しんでNちゃん夫妻が日本に帰ったあと、ハワイで所属している”Na Leo Lani Chorus"の本番もあったりして、私にしてはめずらしく真剣に暗譜に取り組む日々を過ごしている。日本人には馴染みのないアメリカの歌、早口言葉のような歌詞、英語の羅列、それにここではハワイ語の歌も加わる。もうターイヘンなのだ。日本語の歌なら、繰り返していれば自然に覚えられるし、アレンジもリズムもそう複雑ではないのだけれど、こちらのはそうは行かない。身につけるまでに時間がかかるが、一旦体で覚えたら、楽しくって仕方がない、、という状態になる。バーバーショップスタイルの合唱団ではハーモニーを重んじて編曲された曲を歌う。音楽性というより、むしろ歌っている人と聞いている人がバッチリ決まった「ハモリ」を楽しむようだ。「素敵ね、鳥肌が立ったわ!」などと言い合いながら。
私は音楽性とハーモニー、この二つが両立できないものか、、といつも思っているのだがこれがなかなか難しい

昨日はNa Leo Lani Chorusの本番だった。
ワイキキの素敵なホテル「アウトリガーリーフ」のロビーにあるお店で。。
本番に出る人は数日前に決まる。「次の日曜、出演出来る人は?誰かしら??」というふうに指揮者が質問する。「はーい、私出ます!」と出演可能な人は名乗り出る。仕事や用事などがあって出られない人はそれはそれで許される。今回は私も含め、ほぼ半数のメンバーの出演だった。4パートのバランスが取れていればそれでいい。。という感じ。第一何を歌うのか。。というのも直前にきまる。用意周到な日本では到底考えられないことだ。今回は9曲を歌う予定で、その稽古をしたのは本番の数日前、たった一回だけ通して終わった。そんなふうだから個人で、練習しておかないとどうにもならないのだ。いつでも約20曲程度のレパートリーは、すぐに歌えるようにしておかないと、団員としては役に立たないというわけだ。かなりスリルがあって大変だけれど面白い。

さて、肝心の本番はさすがにみんな集中してかなりいい演奏ができたと思う。
アンコール(ハワイではハナホウ!と言う)も求められたし、曲のリクエストまであった。
こんなリラックスした楽しいパフォーマンスができるのは世界の観光地ホノルルならではだろう。
この演奏を聴きに来てくれた「ようこちゃん」今日もにこにことお母さんのように見守ってくれていた。
ようこちゃんのおうちからワイキキへはバス利用でも10分くらいで到着するのだが、元気印のようこちゃんも、なんといっても84歳、ご自分で時間を割り出してかなり早目におうちを出たらしい。それが、よかった。
この日、ようこちゃんの住むコンドのエレベーターが急に故障で動かなくなった。閉じ込められはしなかったけれど、25階のようこちゃんのお部屋から地上まで階段で降りざるを得なくなって、なんと彼女は40分をかけてゆっくりゆっくり降りてきたという。途中で会う人もなく一人で。。。

気の遠くなるような階段の数だったろうに、、「京子ちゃんのコーラス、どうしても聞かなきゃ。。と思って頑張ったよ!」ようこちゃんはいつものようにニコニコと元気だった。
うれしかった。
足はヘロヘロになってるけど。。と言いながらも元気元気。ジム通いを続けている成果が充分に発揮された。すごい!

ようこちゃん、えらい!!84歳バンザイ\(^^@)/!!
2013年9月23日 (月)
「黎明」演奏会、この日にかけた想い

ここ数カ月この日のために生きてきたといっても過言ではなかった。

9月8日(日)に開催された女声合唱団「黎明」の第9回演奏会。
約30年間私が歌い続けてきた合唱団の特別な演奏会だった。

大切な大切な私たちの指揮者・指導者だった日置宏江先生が今年3月に亡くなってから半年。まるで親鳥を亡くしたひな鳥たちのように私たち団員は淋しく、悲しい日々を送っていた。しかし、私たちはただ悲しんでいただけではなかった。

一年前、まだお元気だった先生が熱い想いで企画をし構想を練り、一曲一曲丁寧に選曲をしてくれていたこの演奏会を、私たちだけで開催し、先生の願いを叶えることで先生への追悼と恩返しをしたい。。と演奏会を予定通り行うことを決めて、半年間頑張ってきた。先生のお嬢さんの指導を得ながら、指揮者のいない合唱団という過酷な状況の下、私たちは必死で頑張ってきた。

もともとこの演奏会は東日本大震災で被災された宮城県東松島市の合唱団「童謡を歌う会」を横浜にお招きして共演しようというのが大きな目的だった。その目的も無事に果たすことができた。横浜の「一ノ蔵男声合唱団」も賛助出演していただいて、とても盛況のうちに演奏会は幕を閉じた。
しかも約1000人収容の会場に満席のお客様。「黎明」を支えてくださった方々の熱い心が満ち満ちていた。先生が熱望していた通りの演奏会になった。

私はこの演奏会の司会もさせていただくことになって責任も重かったが、なんとか無事にその役目を終えることができた。お客様の涙と笑いと歌声が相まって大いに盛り上がった演奏会になった。私はこの日合唱団員として歌い、踊り、衣裳の早替わりもして司会もするという大忙し状態。

司会者としての衣裳は、日置先生が晩年ステージで愛用していたそれは素晴らしいラインストーンの付いた黒のパンツスーツをそっくりそのままお借りした。これは先生のお嬢さんからのありがたいアイデアだったが、試着してみると不思議なことにスーツもズボンも私にピッタリで、しかも先生の黒のエナメルのハイヒールまでピッタリ。私がこれを着て舞台に立ったら、カッコいい日置先生のイメージをぶち壊してしまうと迷ったし、なんだか皆から恨まれそう。。とも思ったけれど、これで先生も一緒の舞台に立てるのだと思い直し、お借りすることにした。

本番の舞台では、文字通り満員のお客様からの温かい眼差しと気持ちを、熱い心で感じながら愛用の衣裳に宿っていた日置先生のパワーをいただいて、無事に司会の役目も果たすことができた。

「お疲れ様、心地よい疲れに浸っていることでしょう」と友人からメールをもらったが、心地よい疲れどころか、どっと疲れが押し寄せてきている今日この頃。

演奏会を終えて10日ばかりで予定どおりにハワイに来た。今日でハワイ6日目。今なお疲れは残っていて昼寝ばかりしている。困ったな〜。
2013年8月19日 (月)
みんな大きくなった!

自分が踊ったわけでもないのに、マヤのバレエの発表会が終わってなんだかどっと疲れが出てきたような気がしていたが、昨日、今日とゆっくり過ごして元気になった。それにしても暑い。

ドイツのジャッキーが幼稚園生活を終えて、今日から小学校の準備クラスのような学校に通い始めた。日本ともアメリカとも教育制度が違うので、私には何度聞いてもよく飲み込めないのだが、とにかくランドセルを背負って、張り切って通学を始めた。毎日ママの車で送迎つきの通学だ。これも日本とは大きく違う。スカイプで真新しいランドセルを背負って見せてくれた。薄紫色を基調としたもので、ティンカーベルの模様だ。材質も皮革ではなく、リュックサックを四角にしたような形で、学校に通うという風情ではない。

ともかくジャッキー自身「幼稚園ではないけど、学校でもないんだけど。。」という所に数カ月通って、来年晴れて入学式となるらしい。あまりピンと来ないが、ジャッキーは小学生になりかけている。明日も学校が楽しみ!だというから、まず快調な滑り出しのようで、ほっとした。乳歯も一本抜けかけていて、大人の歯が顔を出している。

一方、マヤも東京で来春入学式を迎える。こちらは皮革のランドセルを背負っての入学式になるはずだ。そしてアキラも幼稚園に入園。年少さんになる。
みんな大きくなった。

もう一つ嬉しいこと・・
私が主宰しているフラのグループの若手が、都内のあるイベントに出演した。昨年に続いて2回目である。リーダーEちゃんを中心に、この暑い中を練習を重ねてきた。私は忙しくて観客として見に行くこともできなかったが「無事に終わりました〜またこれからもみんなで頑張りますよ!」と知らせが届いてとてもうれしい。手応えのある本番だったようだ。私たちのフラの先生、K先生も
喜んでくれるだろう。K先生と一緒にグループを立ち上げて8年。歩みはゆっくりだけれど、望んでいた通りのグループになってきて、本当にうれしい。

そして私は9月8日の演奏会に向けて、合唱団の練習に忙しい。
明日はゲネプロ。いよいよその日が近づいてきた。

私も頑張らなきゃね!
2013年8月14日 (水)
マヤの初舞台

マヤがバレエを習い始めてからまだ約4ヶ月なのに、昨日は彼女の晴れの初舞台だった。多少早すぎるけれど・・

谷桃子バレエ団研究所の生徒の発表会。場所は五反田ゆうぽうとホール。
座席数1800席の、身に余る大舞台だ。

3歳から大人までの生徒たちの合同作品は「コッペリア」全幕。
マヤは3幕目の「結婚の踊り」に出演。Cクラスの仲間8名とともにポーランドの民族衣装のような可愛い衣裳で登場した。3歳から6歳の最年少のクラス、まだバレエのステップというより、お遊戯に近いのだけれどまたそれがかわいい。マヤは天真爛漫、というより小さいながらも言われたとおりを懸命に・・というタイプだ。律儀なマヤらしい初舞台。うんうん、よくやった。大成功!!横でマヤママが泣いている。きっとパパもグッと来ているはずだ。

それにしても贅沢な初舞台だった。舞台装置、照明、音響、演出はすべてプロ並み。

違ったのは生のオーケストラではなかっただけ。プロの団員の先生たちが賛助出演で盛り立てて下さるし、客席はほぼ満席。

マヤは今日、5歳にしてこの舞台に立ち、あの華やかなライトを全身で浴びて、大きな拍手を浴びた。トウシューズの音も、体に響く音楽も、舞台化粧のドーランの匂いも、彼女なりの五感で感じていたはずだ。それが私にとってはうれしい。

私は今日、古いネックレスをして出かけた。私の母、つまりマヤのひいおばあちゃんが残してくれたものである。ひ孫のバレエを見せてあげたい、、と思ったからだ。出番の少し前、隣の席のマヤパパに「これね、私の母のネックレスなのよ」と話すと彼は黙って手を差し出した。マヤパパのシャツの袖口に光っていたのは、憲さんの形見のカフスボタンだった。「僕もジイジと一緒だよ。みんなここにいるね!」いつも彼はこういう心遣いをしてくれる。なんて優しいお婿さん!!

この猛暑のなか、夏休みに入ってからというもの、ほとんど毎日お稽古場に通った。私もそのうちの数回お稽古場通いに付き添った。もちろんマヤママも、ついでにアキラも頑張った。皆ヘトヘトになったけど、幸せな日々だった。

バレエは確かに綺麗な衣裳を着て華やかだ。けれどその基本は修行。

3歳から6歳までの小さい子供達が、親から離され、長い時間お稽古場や楽屋で仲間たちと過ごす。先生たちへのご挨拶から、着替え、後片付けまで自分でできるように仕込まれる。マヤの場合まだまだ新米で、そんな習慣もまだ身についていないけれど、少しだけ成長したはずだ。

私は踊りの上達そのものより、それが素晴らしいことだと思っている。

そして、今日、マヤから電話があった。
「バアバ、昨日はどうもありがとう。お花もどうもありがとう。バアバ、次の発表会、楽しみにしていてね!絶対見に来てね!!」と。

慣れないバレエの日々に「バレエ、もう、やだ」と言い始めた時もあったけれど、それを乗り越えたマヤにもう一度、拍手!!
2013年8月11日 (日)
暑い、暑い、熱い!

本当に今年の日本の夏の天候は狂っている。毎日が怖い。
どこかでかつて経験したことのないほどの大雨が降ったかと思うと、落雷、日常生活でも連日の猛暑で熱中症に怯える日々。

そのうち日本中のお家の庭の柿の木や梅の木が、マンゴーやパパイヤ、それにバナナの木に取って代わられるのではないかと思うほどだ。熱帯に行ったって、こんなに湿度は高くないかもしれないだろう思うほどの蒸し暑さ。

風があっても熱風で、どんなに薄着をしたって効果は同じ。熱い、暑い。

外に出たくなくても、仕方なく外出することもある。
まるで命がけの修行のようだ。。

私は昔からほとんど汗をかかないのだが、今年は様子が違う。汗まみれになっていることに気がつく。自分でもびっくりするほどだ。

今日、必要に迫られて思い切ってヘアカットに行った。
夕方5時なのに外は異様な暑さだった。空には青空ものぞいていて日差しもあるのに、生ぬるい雨が降っていた。私のさしている傘は晴雨兼用だっだけれど、今日ばかりは同時に両方の役にたっていた。こんな経験は初めてだ。

今日の逃れようのない暑さ。。
あとで調べたら我が家のあたりの最高気温は38度だったそうだ。
道理でね。。。

いくら暑くても夕立がサーっと降ったあとは、涼しい風が心地よかった。
そんな時代が懐かしい。
「打ち水」なんて風流な習慣もあったっけ。。
2013年7月28日 (日)
あれから7年

7月28日、あれから丸7年が経った。。
今日は憲さんの命日
今年はお墓参りもできないので普通に過ごす。

今朝、憲さんの親友Kさんからメールを頂いた。「ご無沙汰しています」というタイトルだった。憲さんの命日に。。とは書かれていなかったけれど、Kさんの思いのこもったメールだった。

今日がその日だとわかっていてくださってのことだとすぐわかった。さりげなくいつも見守ってくださっているKさんには、本当に感謝している。

「今、憲さんがいたら、どんな遊びをしていただろう、とチラッと思ったりします」と書かれていた。私はすぐお返事をした。
「憲さんがいたら、今もゴルフに夢中だったと思いますよ」

7年前の今日、亡くなる12時間前までハワイでのゴルフを楽しんでいたのだから・・天国でだってずっとクラブを握っているに違いない。
真っ黒に日焼けして・・
2013年7月25日 (木)
まるで逆なんだけど・・

マヤのバレエのお稽古の送り迎えをすることになってから、原則として私は毎木曜日は東京へ通うことになっている。バレエのレッスンを参観することができないので、一時間スタジオの周りを一人で時間をつぶすことになる。コーヒーショップで本を読んでいることもあるし、ブティックを覗いて回ることもある。今日は本屋さんで立ち読み・・・。

昔、通いつめたバレエ団の近くだから懐かしい店も、わずかながら残っていて40年の歳月が流れたなんて嘘のような気がする。昔のバレエ仲間たちがふと現れるのではないかと思う街角があったりする。
お稽古を終えたマヤと、昔はなかった小さな公園のシーソーで遊んで過ごすのも楽しみの一つ。

そしてマヤをおうちに送り届け、私はそのまま帰宅することが多い。「夕食、食べていかない?」とマヤママが聞いてくれるが、東横線のラッシュアワーを避けたいのでそそくさと帰ってくる。

すると「お野菜入れておくからね。今日は豚のバラ肉も・・果物はぶどうね」とマヤママが保冷剤をいれて大きな包みを持たせてくれる。
まるで一人暮らしの娘が実家から戻るときの光景だ。

うちの場合、あれこれと食材を持たせてくれるのは娘。それを大事に抱えて帰るのは私。。。

「まるで逆だね」と私。
「いいんじゃない?それで!」とマヤママ。
今日はネギまで持たせてくれた。

どうやらウチは娘たちの方が世話女房タイプのようだ。
2013年7月14日 (日)
寝込みを襲われて

昨日の合唱団の練習が午後1時〜8時に及び、そのあとも衣裳係のミーティングなどがあって帰宅したのが、9時半。この数日の猛暑による疲れもあって、今朝はゆーっくり眠るつもりだった。いや、いつも朝はゆっくりなのだが今朝は特に気が抜けていた。

「バアバ〜!起きてくだしゃーーい。バアバ〜朝ですよ!!バアバ〜!!起きて〜!!」

ドンドンとドアを叩く音と共にはるか彼方からエコーのように孫たちの声が聞こえてきた。もちろん私はまだベッドの中。「ん?」文字通りの寝ぼけまなこで時計をみると8時20分。もう朝らしい。メガネなしでは、時計すらボケて見える。

え??マヤとアキラが来たの?こんなに早く?うそ〜!聞いてないよ〜〜!!

急いで玄関のドアを開けると「キャー!!おはよう!!来ちゃった!!バアバ、おっはよう!!」
リュックを背負ったマヤとアキラとそのママが嬉しそうに立っていた。
夏休みに実家に帰省してきた。。という風情である。

「いやあ、今日はね、なぜか子供たちがとんでもなく早起きしちゃってね。お休みだし、何もすることないし、パパも留守だからね。バアバのところで朝のテレビアニメを見ようってことになってさ。。来ちゃったあ。。」

見事に寝込みを襲われたのだ。

「バアバ、眠いでしょ?まだ寝ていていいのよ。ベッドに戻っていいからね」なんて言われてもこんな状況で「二度寝」ができるわけがない。

とりあえず朝のコーヒーをマヤママとすすりながら、孫たちが見入るプリキュアのTV画面を呆然と眺めていた。ややあって、少し正気に戻った私にマヤママがパンを焼いてくれて、私の一日が始まった。それから賑やかな賑やかな3連休の後半を過ごすことになった。

冷蔵庫を探したって子供用のジュースやヨーグルトの用意はなかった。
マヤママが早速食料の買い出しに走ってくれて、大助かり。我が家ではだいたいこういうパターンだ。私にはあまり母親とかバアバとしての素養はないようなのだ。ただただ、楽しく孫たちと遊ぶだけ。。それでも子供相手の慌ただしい日々から少しでもママを解放してやれればと思っている。

狭いリビングで4人で風船バレーボール。マンションの噴水で海水浴気分に浸り、仕上げはお風呂場で魚釣り遊び。テレビは子供向けに独占され・・

ほとんど毎週会っているものの、私のほうが東京に出かけて会うことの方が多い孫たち。たまにはこうしてバアバのオウチへ来るのが大いに楽しいらしい。

「バアバ、また朝早く起こしに来るからね!待っててね!」と一泊帰省を果たして、元気に帰っていった。よかったよかった。。

来年小学生になるマヤのランドセルはパパの方のジイジとバアバがプレゼントしてくれるという。ジャッキーももうすぐドイツで小学生になる。あちらでもランドセルで通学たったかしら?聞いてみなくちゃ!忙しくなってきた!
ついこの間生まれたアキラも来年は年少さんで幼稚園生になる。
あっという間に時が流れていく〜。
2013年7月2日 (火)
いらっしゃいませぇ〜

昨日7月1日は、憲さんの誕生日。76回目である。もうそうなるのね。。と思ったが当然といえば当然。私がこの歳になっているのだから。。

今日は朝から大失敗。毎朝飲んでいる野菜ジュース+オリーブオイルのコップを倒していまい、テーブルから床、白い壁まで汚してしまった。たっぷりの量だったから大変なことに、、赤い点々が白い壁に模様のように散っている。
ペーパータオル、古いタオルを総動員。這いつくばっての拭き掃除。
オリーブオイルが入っているだけに水拭きというわけには行かない。洗剤をスプレーしながらきれいにしたものの、オイル入りだから床はツルツル滑る。艶は出たけれど、これで滑って転んでは一大事。丁寧に丁寧に拭き上げた。

ここで判明したのは、思ったよりも市販の野菜ジュースは濃いということ。野菜が充分に入っているようだ。これからも信頼して飲み続けようと思った。
オリーブオイルを少し入れると美味しくなるし、体にもいい。

お隣のショッピングモールではセールの真っ最中。毎日すごい人出のようだ。私にとってはモールは駅までの通路でもあるので、素通りすることのほうが多いのだが、セール中はいつも以上に売り子さんの甲高い声が響き渡る。

「いらっしゃいませぇ〜!!」「ご覧下さいませぇ〜」

どのお店でも申し合わせたように同じ発声で、同じセリフ。あの鼻にかかった独特の声を心地よく聞く人がいるのだろうかと思う。少なくとも私は逃げ出したくなったりする。日本中同じ傾向なのだろうか?
ブティックに入って商品を見ている最中にもすぐそばで
「ご覧下さいませぇ〜!」とくる。思わず「だから、いま見ていますよぉ!」と言いたくなる。マニュアル通りの応対にがっかりすることが多い。店員さんは一生懸命なのだろうが、もう少し心遣いが欲しいなあ、と思う。
とはいえ、セールは魅力的。今日は素通りではなくて、ウインドウショッピングにでも出かけてみようかな。。
2013年6月27日 (木)
梅雨の晴れ間

梅雨とはいえこのところの雨続きでうんざりしていたが、今日は天気予報に反してカラリと晴れあがった。気持ちがいい。今日の青空の色はハワイのそれに少し近かった。湿度が高いと空の色が薄くなるのだそうで、日本では抜けるような青空はめずらしい。


先週は京都から生まれ落ちて以来の親友Nちゃんが横浜へ。。ウチに2泊して久しぶりにおしゃべり三昧の時間を過ごした。よくもまあこんなに話すことがあると思うくらい。お互いの両親やご近所の人々のことなど、山ほど共通の話題を持っている幼友達というのは格別だ。今更気取ることもないし、あの頃のまま「。。ちゃん」と呼びあえる友人はそう多くない。まして20歳で故郷を離れてしまった私には、大切な大切な友達である。

「別にどこもいかなくていいのよ、観光なんてしなくていいから、二人でゆっくり話したい。。」

お互いにそう思っていたものの、私としてはせめて中華街・元町あたりには連れて行ってあげたい、せっかくここまで来たんだから東京へも。。と思い、雨の中をぶらりぶらりと出かけた。お揃いのTシャツを買ってみたり、評判を聞いていたから憧れていたという「焼きそば」を食べてみたり。。マヤママに案内してもらって3人で六本木〜狸穴界隈にも行った。

六本木では間近に見える東京タワーに大喜び。スカイツリーよりも、なぜか東京タワーに大いに反応する年代だということがわかった。

修学旅行のような騒ぎの3日間だった。「2泊なんて短すぎた、今度はもっと長く滞在することにする!絶対に今年中にもう一度来る!!」と言い残してNちゃんは帰っていった。

それから数日後、長年の友達でありながら、今まで二人だけで会ったことのなかったEさんが急にウチへ遊びに来てくれることになった。「一度ゆっくり話したいね」という話になり、彼女が「それならお宅へ伺おうかな!」と言ってくれたことが私にはとても嬉しくて、すぐにそれが実現した。

この日もランチからおやつの時間、そして予定を延ばして夕食まで。。。女同士の楽しいおしゃべりが続いた。忙しい忙しいと過ごす日々だけれど、たまにこういう日々があると生き返ったような気がする。ちょっと声が枯れてしまったけれど・・・。

一応合唱団の団員なんだから、おしゃべりで声を枯らしてしまっては面目ないが、声を枯らしたまま孫のベビーシッター、またその翌日は合唱団の発声練習で調整し、9月8日の演奏会に向けての準備・・とこんな日々が続く。

早く梅雨が明けて欲しいけれど、あの蒸し暑い夏を思うと、ちょっとなあ。。
2013年6月5日 (水)
嬉しい贈り物

4月にハワイからかえって以来、湿度の低い爽やかな天気が続き、入梅と言われたあともカラリと晴れあがった日々が続く。私としては大歓迎だけれど、心なしか今年の紫陽花は小さくて元気がないような気がする。必要な時に雨が少なかったせいなのだろうか・・。

2ヶ月まえ、大切な大切な指揮者を亡くした私たちの合唱団「黎明」は悲しみ、寂しさを乗り越えて元気に活動を続けている。9月8日に予定している第9回定期演奏会を私たち全員の力を振り絞って催行することになった。30名の団員が指揮者のいない演奏をする。。普通では考えられないかもしれないが、私たちはあえてそれに挑戦する。先生のお嬢さんが、見事に今、先生の魂を引き継いて私たちを引っ張ってくれている。団のピアニストとして、そしてボイストレーナーとして・・・。

団員は総力を挙げてそれに応えるべく頑張っている。昨年来、この演奏会を企画し、病床にあって構想を練っていた先生の熱い想いを実現するために・・。

今、私たち団員の心の中はほとんどこの演奏会のことでいっぱいと言っていいくらいだ。あと3ヶ月、精一杯のことをして本番に臨みたい。それが何よりの日置先生への恩返しだから。


5月、ハワイから来た友人のたっての希望で、一緒に歌舞伎を観に行った。新歌舞伎座の柿落しのチケットを取るのが難しいこともあって、明治座の「花形歌舞伎」へ。中村勘三郎さん亡き後、頑張っている勘九郎さん、七之助さんたちの若手をメインとした舞台だった。若手といっても幼い頃に初舞台を踏んだという人たちばかりだからやはり、伝わってくるものが深く、すごみがある。こうして「芸」が継承されていく尊さを感じ、日本にこんなにも素晴らしい文化があることを誇りに思う。落語にしても歌舞伎にしても、能、狂言など日本人としてもっと大切にしなくては、、と今更ながら思う。一枚ずつ切符を買って見に行くことしか私にはできないけれど、それがサポートすることになるのだと思っている。なにかと忙しい日々だけれど、理想をいえば一ヶ月に一回はいい舞台、いいライブを見に行きたいと思う。東京にはあふれるほどのエンターテインメントがあるのに、見逃していたことがいかに多いことか、と後悔することしきりなのだ。

昨夜、日本中がサッカーのワールドカップ出場をかけたオーストラリアとの試合に熱中していたころ、従兄弟Tちゃんから重たい宅配便が届いた。しかも大きなダンボールで2個。中味は、、なんと私の大好物「チェリーコーク」4ダースに沢山の天狗のビーフジャーキー!などなど。。日本では飲めないと諦めているチェリーコークと、ここ数年ハワイでも手に入らなくて本当に残念に思っていた天狗印のビーフジャーキー!!

私はサッカーよりこちらに夢中になった。送ってくれたのは、すっかりご無沙汰している従兄弟Tちゃんだし、なぜ私の好物を知っているのか?が不思議だった。

「アハハ、いまの京子姉さんのことならなんでもわかるよ〜。ブログに書いていたでしょう?二つともこちらで手に入るので送ってあげようと思ってね」
ブログに何気なしに書いていたことを覚えていてくれたなんて・・・。
Tちゃんの言う「こちら」とはなんと岡山市!
はるばる岡山から送られてきた私の大好物が輝いて見える。

「お孫ちゃんの世話やパソコン作業で疲れた時、ほっとこれでくつろいで下さい」とのコメント付きだった。
嬉しい贈り物に感謝!!
2013年4月30日 (火)
近頃うれしかったこと・・

世の中はゴールデンウィーク。
私の今年のGWは「ごく普通」。もともと憲さんの職業柄、GWとか、年末年始のお休みというものには縁がなかったから、うちの家族はその期間のお休みを期待していなかったという長年の習慣もあるし、人混みが苦手なせいもあって、今年に限らず、私はだいたいいつも「ごく普通」のGWを過ごす。

今年はちょっとハードな日々だったのでとにかく休養したかった。疲れているはずなのに妙に元気でだったのだが、さすがに「ちょっと休みたい」。。そんな気になった。いつもより3〜4時間長く眠り、体調がすっきりし始めると今年何回目かの「断捨離」を断行した。一人暮らしなのだからもっとすっきり暮らせるはずなのだ。出てきた出てきた、、沢山の不用品。タオルが好きで何枚も何枚も持っている。新旧取り混ぜてかなり大判のバスタオルが10枚以上ある。
外国で買ってきたもの、憲さんが買ってきたもの、進物でいただいたもの。。
思い切って半分以上処分した。これでも十分すぎるほどの枚数が残った。

ハワイで毎日聞いているハワイアンミュージック専門のFMラジオをPCで流しながら、ハワイに引き続きおおいに働いた。疲れたらほろ苦い日本茶を入れて甘いものをいただいで休憩。
ああ、やはり日本もいいな〜。

最近嬉しいことがあった。5歳になったマヤがバレエを始めるというのだ。
ジャッキーは、もうすでにドイツで一年前から始めていて、近く発表会があるらしく張り切っている。昨日もスカイプでその踊りを見せてくれた。「お花」の役だそうだ。大体最初はそうなのよね〜。

一方、マヤが通うことになるのは「谷桃子バレエ団研究所」
45年前、谷桃子先生と同じ舞台に立つことを夢見て私は京都から単身上京した。そして4年間、団員として舞台に立ち、毎日通いつめたお稽古場である。
当時から比べるとすっかり綺麗になって、設備もいい。私が踊っていた頃はエアコンそのものが一般的ではなかったから、夏はひどい蒸し風呂状態だったし冬はとても寒かった。それでも稽古場にはまだ珍しかったコーラの自販機があって、レッスンのあと、ボトルのコーラがファンタを飲むのが楽しみだった。今のように水分補給が大切という概念がなく、激しい運動の途中で冷たい水分を摂ると心臓によくない、第一、レッスンの途中に何かを飲むなんて無作法。。とされていた時代。したたるような汗をかいていたのに、よく脱水状態にならなかったと思う。

ここにはかつてまだ幼かったマヤママもジャッキーママも数年通ったことがある。つまり親子三代で通うバレエ団ということになる。もっと言えば私が団員として入団するときに、私の母が谷桃子先生にご挨拶に来た場所である。親子4代の思いがこもっているわけだ。

孫にまでバレエを!と望んでいたわけではないし、一度も薦めたことはなかったのに、自然に二人の孫娘がレオタードにバレエシューズ姿をみせてくれることになって、私はうれしい!

音楽と踊りを楽しんでくれて姿勢が良くなれば、もうそれだけでいい。
バアバは楽しませてもらうよ!!と思っていたら、マヤのバレエ団通いに付き添うのは私の役目になるらしい。

毎週木曜日だそうだ。うん、バアバも頑張らなきゃだね・・・
2013年4月23日 (火)
変化の時

4月18日、ハワイから帰国した翌日から、先日亡くなった私の合唱団の指揮者日置先生宅への涙の弔問、その翌日は悲しみを乗り越えて頑張って練習を続けている合唱団の練習に3ヶ月振りに復帰、またその翌日は朝から冷たい雨に震えながら東京でのフラのワークショップに・・・その打ち上げを終えて真夜中に終電で帰宅するはめになり。。と休みなしの怒涛の日々をすごした。時差もなにも感じている暇はなかった。

3週間前に大切な指揮者を亡くした合唱団の仲間たちも健気にみんなで寄り添うようにまとまって練習を開始していた。それぞれが日置先生の「かたみ」を身につけて・・・。

日置先生のお嬢さんの配慮で、愛してやまなかった先生のお洋服類を団員に分けてくださったのだ。毎週毎週会っていた私たちだから、先生のお洋服には見覚えがあるものが多い。それを今、誰かが身につけて練習に臨んでいるのだから、練習会場には先生の面影が満ちている。スカーフだったり、セーターだったり。。それぞれが少なくとも一点ずつ・・・不思議にそれが涙を誘うのでなく私の気持ちを落ち着かせてくれた。

私に似合いそうなものを。。とかなりの数のお洋服を取り置いて下さったので私も早速それを身につけて出席した。サイズがほとんど同じだったからどれもぴったり・・それがとてもうれしかった。こんな経験は初めてだけれど、先生が身近に感じられて、みんなとても幸せそうな顔をしている。

私にとって先生亡きあとの最初の練習。ほかのメンバーは3週間のうちになんとか気持ちを落ち着けているだろうけれど、私は一曲ごとに号泣するに決まっている。。と思っていたが、不思議に涙は出なかった。明るく振舞う仲間たちを見ていて逆にしっかりしなくては。。と思った。
悲しみを乗り越えるってこういうことなのだと思う。

「先生、大丈夫よ、みんなで明るく歌っていけそうよ!安心して見守っていてね!」

一方、フラのワークショップでは・・・
半年に一度ハワイからフラのK先生を招聘しフラのワークショップの開催を始めてからもう8年になる。そろそろこのグループの実務を若い人にシフトしたいと思い始めて一年余り。ここへ来てそれが一気に進みそうでほっとしているところだ。

今回のワークショップでは、私は全く踊らなかった。まるで保護者参観のお母さんのように、楽しそうに踊るメンバーを、またそれを率いていくK先生を7時間に渡ってずっと眺めていた。

自分が踊ることよりそれがとっても楽しく、嬉しかったのだ。みんなが活き活きと踊っているのを見ていることが幸せだった。

「え、京子さん踊らないの?体調が良くないんですか?どうしたの?」みんな不思議がったけど、K先生のフラの良さを日本でも広く知ってほしいという先生と私の夢は、確実に叶ったし、先の見通しも立ったので、私は晴れてハーフリタイアできそうでうれしいのだ。引き継いでくれる若い人たちが目を輝かせているのがうれしい。

そうは言っても私は代表者としてこのグループのお母さんのようなものであることには変わりはない。だけど、実際に活動してくれるのは、若手・・・
つまり私は楽隠居!
こんなに嬉しいことはないではないか!

「やっとここまで来たね、よかったね。夢が叶ったね。本当に嬉しいね。やったね!!」K先生とハイタッチをして喜び合ったのは言うまでもない。

K先生に「ママ・キョウコ」と呼ばれるようになってから久しい。
こんな大きな息子を産んだ覚えはないわよ〜、、と言いながら、思えばずーっと日本のママのような役目をしていた。

カウアイ島のK先生の実家を訪れたとき、K先生の実のお母さんに「ハワイでは私、日本ではキョウコ、つまり私たちはあの息子をシェアして育ててるようなものなの、いつもありがとう」と言われたことがあるくらいで・・・
責任重大だったのだ。

ともかくも親離れ、子離れが無事できますようにと
ちょっとだけハラハラしながら見守ることにしようと思う。
2013年4月17日 (水)
いよいよ明日帰国

2月2日に日本を発ってから約2ヶ月半。予定より長い滞在になった。

今まで私が日本にいるあいだも、ずっとハワイのうちは活用しないまま、つまりずーっと空き家だった。憲さんがいるころからそうだった。ビザの関係で私は最大限年間180日しかハワイに滞在できない。以前は憲さんと期限ぎりぎりまでハワイにいたが。この頃はそう長くハワイにいることがなくなった。

で。私が日本にいるあいだ、このうちを貸し出そうと思い立った。
二つあるベッドルームのうち小さい方に、自分の持ち物を全て入れて、その部屋は締め切り、それ以外の部屋を1ヶ月〜3ヶ月の長期滞在者にお貸しする。
昔からお世話になっているエージェントに相談して、アイデアをもらいながら
今回はその作業に専念した。断捨離をし、荷物を減らし一部屋に運び込む。
もともと夏物しかいらないから、クローゼットのなかにはそんなに洋服が入っていないつもりだった。。が、いざ発掘してみるとマーー大変。こんなにあったかしら?というほどいわゆる古着が出てきた。娘たちの家族が置いていったものもある。おもちゃだってある。それを毎日少しずつ整理をし、やっと格好がついた。

貸し出すベッドルーム、キッチン、リビング、ダイニング、トイレ、洗面所には新しいタオルやリネンを揃えて、ベッドのシーツやスプレッドも新しくした。ちょっとしたことで、我が家は見違えるように素敵になった。
冷蔵庫は空っぽにし、炊飯器、湯沸かしポット、トースター、コーヒーメーカーなどはそのまま置いておく。キャビネットの中には食器、スプーン類、ナイフ、お鍋、フライパンなどもそのまま置いてある。

スーツケースだけで訪れる長期滞在者がすぐに、とりあえずの普通の生活ができるようにしておく。そういうコンドミニアムは沢山あるし利用したこともあるが、貸し出すのは初めて。。ちょっと楽しい。

そういう計画のもとにあった2月からのこのハワイ滞在、本当に忙しかった。やっと今日、すべてのことが終わって、明日、ホノルルを発つ。
次回9月中旬にこのウチに戻ってくるまでに、どこの国の、どんな人、どんな家族がここで過ごすのだろう?と思うとちょっと心配にもなるけれど、そこはプロのエージェントに管理を任せるので私は一切タッチしなくていい。

新しいことに踏み込むのは勇気がいるけれど、ちょっとやってみようかな?と思うのも楽しいことだと思う。

昨日、憲さんのお墓にその報告に行った。憲さんが大事にしていたゴルフ道具も、ゴルフ好きのお友達が貰い受けてくださったことも報告。
ああ、それにしても忙しかった〜。
2013年4月11日 (木)
4月11日♡42回目の・・・

今日はハワイ時間で4月11日
42回目の結婚記念日だ

昭和46年(1971年)4月11日はきれいに晴れあがったイースターサンデーだった

銀座で歩行者天国がはじまり
日本初のマクドナルドが銀座四丁目に初出店した年...良き時代だったなあ〜

憲さんがいたらにっこりして「お互い、よくもったなあ」というに違いない。

外国人だったら「42年か。。それでもまだ足りないくらいだよ、ね〜ハニー」なんて言葉を交わしたりするのだが・・

何はともあれ42年前の今日、私は「なかむらさん」になった。
2013年4月8日 (月)
追悼

3月27日、30年来の私の大切な友人であり、所属する女声合唱団「黎明」の団長兼指揮者である日置宏江さんが亡くなった。

約8ヶ月前、体調を崩して受けた検査で「がん」とわかり急遽入院、しかも余命2、3ヶ月と宣告された。その一週間前まで一緒に練習をしていたのに・・あまりにも突然のことに私たち合唱団員はただ呆然とし、言葉もでなかった。

抗がん剤の副作用に苦しみながらも彼女はそれから8ヶ月間、一生懸命、生きた。このまま元気になってくれる。。そんな気さえしていた。

入退院を繰り返しながら、亡くなる10日前まで合唱団の練習に姿を見せ、大きな声で指導していた。

最期まで 音楽をしていた日置宏江さん。
最期まで 合唱団「黎明」を率いてくれた日置先生。

病院には毎日合唱団の団員の誰かが顔を出し先生を励ました。
私はハワイとの二重生活で、ほかの人の半分もお見舞いできなかったし、最後の練習にも出られなかったし、悲しい連絡を受けてもいろいろな事情で帰国することもできず、最後のお別れにも伺えなかった。
ほんとうにごめんなさい・・

日置先生なら許してくれるだろうし、もう「千の風」になってハワイに飛んできてくれているはずだ。そう思うことにした。

合唱団「黎明」は、日置先生の追悼演奏会を開くことになった。
9月8日(日)場所は私たちのホームグラウンドである神奈川県立音楽堂。
もともと、私たちの定期演奏会のために用意していた会場だ。
そこが追悼演奏会になってしまうなんて誰が考えただろう。

団員全員が一丸となって、先生のために、指揮者のいない舞台を務めることになる。
私も来週には帰国して、その準備に加わる。

先生、見ててね。先生をあっと言わせる舞台にするから。。
涙は今のうちに流しきって、当日は笑顔で舞台に立つ!
先生への感謝を込めて一生懸命歌う!
そんな気持ちで頑張るつもりよ。
見守っていていね。
2013年4月7日 (日)
可愛い「嵐」が通り抜けて・・・停電

3月21日から4月5日まで、マヤとアキラとそのママがハワイで休暇を楽しんだ。彼らにとっては休暇だけれど、私にとっては私なりにこれ以上はないというほどのフル回転の日々。疲れたけれど楽しく贅沢な時間だった。

さすがにママは若い。朝から子供たちとビーチ、ランチをどこかで食べて午後からは私も含めてショッピング。夕方はウチの目の前にある小学校の校庭の遊具で日が沈むまで思い切り遊ぶ。子供が喜びそうなものが全て近くにあるのがありがたい。ホノルル動物園も徒歩圏内だしホノルル水族館も近い。

天気がいいと朝からドライブ。太陽の光の角度、水深、珊瑚礁などの関係で
ビーチごとに見事に変わる海の色を楽しむ。私は今回の滞在で4回オーシャンビューを楽しむドライブをしたことになるが、まったく飽きることはない。
最近東京にもできて大変人気があるというパンケーキ屋さんもそう遠くないところにある。20分待ちだったが、さすがに美味しかった。

オアフ島という小さな島の小さなホノルル市の狭いワイキキエリアに殆どの店や見るものが揃っているのだから、うちからすぐ。。それがうれしい。

賑やかな2週間を過ごして、3人は昨日帰国した。マヤママも心から満足したわ、ああ、帰りたくないなあ、、と言いつつハワイを離れた。

私は今、生涯で2度目の「断捨離」を行っている最中だ。
ハワイに住み始めて15年以上になるから、このウチにもモノが溢れ出し始めた。孫のためのハイチェアー、車用のチャイルドシートを二人分。3人の孫用のおもちゃ・・。マヤママにも協力してもらって、さっさと捨てるものを選び
毎日ドカンドカンと捨てた。かなーり身軽になった。気持ちがいい。
今夜、ウチのコンドで停電があった。一時間半ほど。
私は車で外出中で帰りを急いでいる時だった。お隣の部屋のKさんから「京子さん大丈夫ですか?今どこ?ウチのコンドなぜか真っ暗!!停電ですよ〜」と電話が入った。恐る恐る帰ってみるとやはりウチのコンドだけが真っ暗。非常灯だけがついている。ガードマンが電動のシャッターを手動で開けてくれて
ようやく車を車庫に入れることができ、無事に帰宅できた。しばらく懐中電灯とロウソクだけで、様子をみていたがほどなく電気復旧。ほっとした。
2年前の震災後の停電の時を思い出した。孫たちが帰国したあとのアクシデントで「ああ、よかった」と思った。

そして2年前のもう一つの「ああ、よかった」を思い出した。
あの3月11日の大震災の直前にドイツからジャッキーとママが横浜へ里帰りしていた。そして二人は充分楽しんで3月9日にドイツへ帰った。
その直後の大地震。
揺れながら「ああ、二人が帰ったあとでよかった!」そう思ったことを。
2013年3月20日 (水)
ちびっこギャングがやってくる!

明日朝、東京からマヤとアキラがママに連れられてハワイへやってくる。
今月26日に5歳になるマヤと2歳半のアキラ。

このちびっこギャングたち二人を一人で連れてくるママの勇気に拍手!
どうか一晩のフライトの間、二人が静かにネンネしてくれますように、、と私は祈っている。

さあ、あすからは広い方のベッドルームを3人に明け渡し、私は久々に狭いベッドルームへと移動。どこで寝ていても「おっはよう!バアバ〜朝ですよお」と早くから起こしに来られることはわかっている。

あすからは寝坊はできないなあ。。食料も子供用を用意して冷蔵庫のなかみも一新、子供用のディズニーの食器も久々に活躍しそう。

こちらではイースターの時期で、子供向けの催しが沢山あるはずだし、マヤ自身のお誕生日も控えている。楽しくなりそうだ。

明日はワイキキから出るシャトルバスを利用して空港にお迎えに行く。
自分の車で行けばいいものを、私はどういうわけか空港までのルートが好きではなくて、運転してみようという気にならない、なぜか気が進まないのだ。理由はわからない。

空港までのアクセスはいろいろある。市バスで行くと約250円で行けるがあちこち寄っていくので、時間がかかりすぎる。さりとてタクシーではチップをいれて約4000円かかるからそれももったいない。

そこで時間がかからなくて安く楽に行けるシャトルバスを利用する。
自宅近くのホテルから出るからこんなにありがたいことはない。今日、予約を入れてきた。約40分の乗車で約1200円。バスに座って行けてちょっと観光気分も味わえるハワイのドライブ。。人に運転してもらうのは気分がいい・・・

さて、明日からどんな日々が待っているのかな。。。
2013年3月19日 (火)
ひつまぶし?

日本の寒さとは比べようがないのだけれど、この冬のハワイの寒さは格別のようだ。40年もハワイに住んでいる人が「こんなの初めて・・」というのだから間違いない。確かに夜は窓を締切らないと、足が冷えるし、フリースの薄いブランケットを2枚も重ねて眠るのは初めてのような気がする。

今回の滞在で半そでの服で出かけたことがない。かなり厚手のジャケットも必携。靴もサンダルではなく普通のつま先までカバーされた靴を履いている。たしかにこんなことはかつてなかった。

近頃、地球がおかしくなってる。。と簡単に言いたくはないが、そんな気もする。

今日はウクレレレッスンの日。
私たちの先生はまだ30代前半のJody Kamisatoさん。プレイヤーとして、ハワイはもちろん、日本を含む世界中で活躍している。

親友・ジェイク シマブクロさんをこよなく尊敬するJody.
世界を飛び回って忙しいジェイクさんは、腰を落ち着けてウクレレ教室を開く時間がない。だから彼の希望に沿うべくJodyは子供たちにウクレレを教え始めた。そのJody率いる教室の生徒さんたちの素晴らしいことといったら!!

比べようもないけれど、シニアグループの私たちにも変わらぬ情熱で教えてくれるJodyは私たちの宝だ。私たちはJodyの生徒であることを誇りに思っている。だからみんな、熱心で一生懸命だ。

そのJody,食べることが大好きなハワイの一人の若者でもある。
いつも話題はまず食べ物から。。。という人。本当に爽やかな青年だ。

今日「涙そうそう」の練習の時のこと、この曲はハワイでも有名なケアリイ レイシェルがハワイ語でカバーして大ヒットをした。その曲をJodyが選んで教材として持ってきてくれたのだ。私たちにはもちろんお馴染みの曲。
歌いながらウクレレを演奏する。

日本語が苦手な先生が困った顔をした。

2番の歌詞の中にある「一番星に祈る」という言葉、、この意味がわからない。先生には正しい発音もわからない。

「い ち ば ん ぼし??ひ つ ま ぶ しのこと?」
先生の耳には「一番星」が「ひつまぶし」に聞こえるらしい。「Jody,ひつまぶしじゃないのよ、一番星。夕方一番初めに輝き始める星のことよ・・」誰から英語で説明する。

「あ、そうか、なんでも日本の食べ物に発音が似ているような気がしてね。ついそう思っちゃった。ひつまぶし、ナゴヤの。。。うんウナギ。。大好きだよ〜でも、そうじゃあないんだね。いちばんぼし か。。だけど似てるよね、発音が・・そう思わない?」とあくまで先生は言い張る。

そういえば私が英語を覚えるときだって無理やり日本語に似た発音を見つけてそれに結びつけて覚えたりする。みんなおんなじなんだな。。とうれしくなった。

私の親しいお友達のなかの二人がなんとぎっくり腰になって静養中。
だから今日、彼女たちと予定していたチャイナタウンでのランチは中止になった。
早く良くなってね!!!
2013年3月15日 (金)
渋谷が変わる日

今日のランチは豪華だった。
ホノルルで39年にわたって日本食レストランをなさっているHさんご夫妻のお店にお招きを受けた。画家でもあるH夫人が最近、ある絵画展で特選を獲得されたお祝いに、ごく親しい人として私も呼んでいただいた。

レストランのオーナーHさんのお料理はまさにお味と心が旧き良き時代の日本そのままで味わうたびに温かい気持ちになる。数年前ここで「あべかわもち」を頂いた時、思わず涙がこぼれた。母が作ってくれた味が急に蘇ったからだった。

今日はH夫人の親友である「ようこちゃん」のおかげで私もお相伴させていただいたのだが、同じくH夫人のお友達、ハワイの日本語ラジオ局KZOOのベテランアナウンサーMさんや、私も親しくしているご夫妻もご一緒で楽しい会話が続いた。日本からハワイに来て、40年以上という方たちばかりで、それぞれが長いお付き合いなのだ。私はようこちゃんのおかげでこういう方々を通して私たち日本人が知り得ないハワイを感じることができる。

間違っていなければ、今日東京では渋谷が大きく変わる一日になるはずだ。
長女の住んでいる代官山も駅舎が、一夜にして一新されるという。
何度聞いてもわからないのだが、地上を走っていた東横線が地下に潜って渋谷まで。。になってとにかく便利になるらしい。

若い頃、自由が丘や都立大学と東横線沿線にご縁があったから、渋谷の駅がなくなってしまうのが本当に淋しい。思い出がたくさん詰まっている。若い頃だもの・・いろいろあったのよ、私にだって・・である。

来週その代官山から、長女が孫二人を連れてハワイへやってくる。
まや5歳、あきら2歳・・春休みを利用して約2週間の滞在予定である。
楽しくも忙しく賑やかな2週間になるだろう。。
バアバとしては体力をつけておかねば!
2013年3月13日 (水)
日記

この日記を書き始めたのは2004年の年末だったから、もう8年以上書き続けていることになる。当時はまだブログなどという言葉も知られていなかったように思う。この日記を書くにあたっては憲さんの協力があった。毎回日記をUPするとすぐにチェックをして、誤字、脱字を指摘してくれた。

最初は自分のためにハワイでの生活を書き残すつもりの日記だったが、日本にいるハワイ好きのお友達やフラ仲間が読んでくれるようになり、そのうち旧友、めったに会えない遠くのお友達が「私が元気に生きていることを確認するため」として私のHPを頻繁にを訪ねてくれるようになった。そのおかげで私のいろいろなエピソードを共有してくれている友人があちこちにいて、不思議な気がする。

今までにこのHPを訪れてくれた人数が今現在で、延べ6万人以上になっている。どこかからの検索で私のHPがヒットして、全く存じ上げない方々が読んでくださっているのかも知れない。

憲さんは、私よりずっと長いあいだ一日も欠かさず日記をつけていた人だった。感情は入れず、事実だけを記す。。というやり方だった。今日、憲さんが旅立ってから初めて私は彼の日記を開いた。それは10年間使える分厚い日記で、2003年に購入したもの。本来なら今年2013年の年末でいっぱいになるはずだった10年日記。開けてみたら3年半分だけ、懐かしい字で埋まっていた。

信じられないことだが亡くなるわずか6時間前の字もそこに残っていた。最後に一緒に食べた夕食の献立、デザートがなんだったかまでが記されていた。特に字の乱れもない。

「こんなに元気だったのに、なぜ?」とその急逝を嘆くよりこんなに明るく元気なままで天国に行けてよかったね。。と、最近、本心からそう思えるようになった。

それは一ヶ月まえ、友人が話してくれたこんな話がきっかけだった。
「京子さんは大切な人がみんな早く逝ってしまって悲しい、、と言うけれどね。天国ってきっと私たちが思っているより、もっともっと素晴らしくいいところなのよ。だからこの世で人のために働き、いい生き方をしてきた人が、神様に選ばれて、招待されるのよ。だから、天国に行けてよかったねって、そんな風に思いましょうよ」
ありがたい言葉だった。

今日はまた一歩前進できたような気がする。
2013年3月9日 (土)
あれから2年

朝から風が強い。
その風も「コナウインド」で、今日は天気が悪そうな予感。
いつもハワイを心地よくしてくれているトレードウインドが向きを逆に変えて吹いてくると、天気が悪くな前兆。おまけにハワイ島の方から吹いてくるから、火山灰が混じった風でなんとなく空気が埃っぽい。
喉もイガイガする。頭が痛くなる人もいる。
日本では中国からの黄砂で大変だが、こちらでも同じような悩みがある。

ホノルル空港にランディング(着陸)する全ての飛行機が、ダイヤモンドヘッド側から侵入する日は、コナウインドが吹いているとき。「こういう日はウチの窓から飛行機がよく見えるだろう?空港へのアプローチの方向は風の向きによって変わるんだよ」憲さんに教えてもらったことの一つだ。

憲さんといえば、今日までホノルルに滞在していたフラの仲間K子さんが憲さんの墓参をしてくれた。お墓の前で、二人でウルウル。
「ずっとお話に聞いていた憲さんにやっと会えました」と。。
憲さんと会うチャンスのなかった彼女なのに、ほんとうにありがたいこと。

今日は早朝の「気功エクササイズ」に出て、そのあと仲間と朝食を兼ねたおしゃべり。そこに日本からきた高齢者のための業界紙の記者も同席していた。偶然隣の席に座ったものだから、私もいつの間にか取材を受けていた形になった。ハワイでのシニアライフについて。。が話題だった。
日本にいると、そんなことはめったにないのに、ハワイではこういう場面に出くわすことが多い。

午後からは合唱団のパート練習。自主的に集まって、誰が主導ということなくお互いに注意し合って練習が進んでいく。年齢とか、この団での経験年数とか全くそんなことは関係なく、みんなが堂々と自然に自分を主張しているのがいい。お互いに気配り、気遣いをしながらも、妙な遠慮はしない。そういうところが好きだ。

今日は東京都心で、黄砂ではない大地のホコリが、強風に舞って視界が悪くなるほどの状態になったとか。。こちらでも今日、ワイキキビーチでは泡立つような波が押し寄せていて、いつになく荒れ模様だった。
いやだな、こんな日に。。と思った。

明日は大震災からまる2年。こちらでは日付は違うけれど各場所で、地震発生と同じ時刻に黙祷が捧げられる。あれからまだ2年、もう2年。。。
2013年3月1日 (金)
アメリカ国歌を歌う

3月1日(金)、ハワイ大学とカリフォルニア州立大学の男子バレーボールの試合のオープニングセレミニーで、ハワイの女声合唱団”Na Leo Lani Chorus”の団員として「アメリカ国歌」と「ハワイ州歌」を歌った。私にとっては初めての経験、、私の夢だったことがまた一つ叶ってうれしい。

本番中はテレビカメラとマイクが目の前にあって、360度の客席、バレーのコートに立って歌う。舞台も客席も前も後ろもない。普通のコンサートとはまったく違う。

集合時間は試合開始(つまり私たちの本番)の45分まえ。簡単に発声をし2曲を通しで歌い、この日のための立ち位置を決め、はい本番。今日の出演者は15名。立ち位置は各パートバラバラにされ指揮者の指定するところに立つ。「今日の本番の立ち位置はこうです」・・毎回変わるらしい。

同じパートの人の声は聞こえないから、誰も頼れない。けれどほかのパートの声を聞きながらハーモニーを作っていくという醍醐味がある。これは最高に楽しい。

スポーツファンの熱気がムンムンの中、無伴奏(アカペラ)の私たちの歌が始まると息を潜めたように静まり返り、私たちの歌声だけが場内に響く。大きなテレビ画面が私たちを映し出していたようだ。
そして歌い終わるドーっという拍手。

アメリカ国歌を大切にしているこの国の人たちの熱い拍手で、感動的ですらあった。今までに味わったことのない空間、空気。。本当に幸せだった。

今月は同じような本番があと2回予定されていてワクワクしている。
ハワイ大学のチアガールやブラスバンドのスマートな応援と各企業からの提供されたエンターテインメントなどがあり、すべてプロの試合並み。

歌い終わると、無料の観戦チケットを頂いたので生まれて初めて本物のバレーボールの試合を間近に見た。ハワイ大学を応援する人がほとんどで、カリフォルニア大学が気の毒だったけれどアウエイというものはこういうものなのだと実感。

頻繁ににボールがスタンドに飛び込んできたりする。まともに頭上に落ちてきそうな気がする。事実、直撃を受けている人がいる。
臨場感なんていうものじゃない。
とにかく大変エキサイティングな一夜だった。
2013年2月27日 (水)
やった!ついにデビュー!!

ホノルルの女声合唱団"Na Leo Lani Chorus"に入ってから、練習には欠かさず出ているものの私のハワイ滞在中に公の場所で歌うチャンスがなかった。

この合唱団では公の場所でパフォーマンスできるのは、歌う曲を完全にマスターしている人だけ・・・一曲一曲、セクションリーダーに自分の歌を聞いてもらいパスをしなくては団員として表舞台には立てない。

とても厳しいようだが、考えてみればひとりひとり団員としての責任を果たすということにおいては当然のことだ。でも、、ここのセクションリーダーは温かく見守ってくれるから努力次第で合格点をくれる。

私は今までに5曲合格しているが、ここの団員として必ず歌えなくてはならない「アメリカ国歌」のテストはまだ受けていない。3月1日に迫ったハワイ大学とカリフォルニア州立大学の大学とのバレーボールの試合のオープニングで歌うことになっているから、今日のリハーサルの時にテストしてもらって合格しなくては間に合わない。

なにがなんでも、今回はアメリカ国歌でデビュー?したかった。ハワイにいる時間が少ないのだから、私にはまたとないチャンスなのだ。

そして”Oh, say can you see...!"で始まるアメリカ国歌のバリトンパートのテストを受けてめでたく”OK”をもらった。よくオリンピックで星条旗とともに流れるあの曲である。今回はこの曲と、ハワイの州歌”ハワイポノイ”の2曲を歌う。

「3月1日、夕方6時15分、ハワイ大学に集合。今回のユニフォームは合唱団のお揃いのアロハ、インナーは黒のキャミソール、黒のパンツ、黒の靴、黒のストッキング、お揃いのお花のイヤリングで歌います」と言われ、
なんだかウキウキしてきた。やった!ついにデビューだ!!

日本ではもう25年も合唱団で歌っているがまるで「趣」の違うこの空間で、ハワイの仲間を歌えることがとてもうれしい。

こんな経験が出来るなんて、夢のようだ。
憲さんがいたら大喜びで聴きに来てくれるだろうに・・
2013年2月26日 (火)
ハワイというところは・・

このところ強い風が吹き、時々雨が舞い降りる。。。そんな天気が続いているホノルル。雨が降るのではなくて舞い降りると表現したいほどの降り方で、そのおかげでよく虹が出る。ホノルルは「虹の街」である。

そして私はとても忙しい日々を送っている。日本にいるときより忙しい。
なぜかというと・・ハワイで習っているウクレレ、そしてハワイの合唱団、とてもとても楽しいのだけれど、半分日本に戻っている私は人様より甚だしく遅れをとる。日本にいるときにきちんと自習すればいいものを、日本に帰ればそれなりの用事があって、ついハワイのことにまで手が回らなくなる。自分がいけないんだけれど、つい。。サボる。で、それを埋め合わせるにはかなりの復習が必要、というわけで、今私は大変に多忙な日々を送っている。

ウクレレでは8曲を、3月2日にホノルルフェスティバルでグループ演奏することになっているから、今日も先輩に特訓をしてもらった。左手の指先が痛い。。「大丈夫、なんとか笑顔で乗り切ればいいんだよ!」とJody先生にも言われた。こういうところがハワイのいいところで嬉しくなる。

もう一つ、合唱団でも特訓の日々なのだ。4月にほとんどのメンバーがコンペティションに出るためアメリカ本土に行く。私は参加しないのだが、みんなの特訓の中に入れてもらって必死で歌っている。コンペでの課題曲2曲。もちろん英語、今までに経験したことのないハーモニ−とリズム、、私にとってはチャレンジであり大いなる楽しみでもある。

およそ2年前、私はこの合唱団の入団テストを受けて入団した。初めての日本人団員だった。その後、ハワイ在住の日本人が二人入団してなにかと心強くなった。古いメンバーの中には外見が日本人かな?と思う人もいるし、苗字が日本名だったりするけれど、ほとんど日本が通じない。それでも「おばあちゃんが、食べてたから納豆が食べられるよ。。」と自慢する人、エッグライス(たまごかけご飯)が好きなの。。という人たちがいてうれしくなる。

アメリカでは生卵を食べたら危ないという昔からの定説があって、私もこちらでは生卵を使ってのすき焼きや「たまごかけご飯」を諦めているのだが、
彼女たちによると「アメリカ本土から来ている卵とローカルの卵とは違うのよ。スーパーでもハワイの地元の卵は少し高いけどそれを買えば、安全で大丈夫よ。生卵、私たち日系はみんな食べてるもん!とにかくローカルの新鮮なのを買うのよ!!絶対大丈夫だから!」

あーーら、そうだったの?知らなかった。これはみんなに知らせなきゃ・・
生卵を食べるのを我慢している日本人は沢山いるんだもの。

彼女たちのおばあちゃんの時代には移民としてまだまだ大変な暮らしをしていたらしい。「おばあちゃんちには電気もなかったわね・・お風呂も手づくりのようなもので、マキを燃やしてお湯をわかすのよ。シャワーなんてなかった・・」思い出話をするその人は、私より若いのだ。「そのおばちゃんがね、カタクリコでクズユを作ってくれたの。あれ、おいしかったなあ。。キョウコ作り方教えてくれる?」なんだか涙が出そうになる。

そんな話をしているとハワイに移民してきた日系人の過酷だったであろう生活が、ついこの間まで続いていたのだということに気がつく。

のんきにハワイ生活を楽しませてもらっている今の私・・
こんなことでいいのかな。。と思う瞬間だ。

ハワイというところはよく考えてみると、とても複雑なところなのだ。
ここにいればいるほど、それを感じて胸が痛くなることがある。
2013年2月18日 (月)
ハワイで迎えた誕生日

2月17日誕生日を迎えた。
ハワイで迎える何回目のバースデーになるのだろうか。。
日付変更線のおかげで、日本のお友達とハワイでのお友達から二日間にわたっておめでとう!のメッセージをいただく。嬉しさも二倍だ。

私は大人数で集まるよりせいぜい4人くらいでおしゃべりするのが好きなのでバースデーのお食事を、、という回数も増える。今週から来週にかけて、何度も祝っていただくことになりうれしい。

私が元気にこうして一つ歳を重ねたこともうれしいしありがたいことだが
同じように同時代を生きてきて、共に歳を重ねて行く家族や友達の健康や、幸せを願う想いが強くなってきている。

「お元気で、いつまでも活き活きと。。。」というような言葉を沢山いただくようになって、本当にそうだなあ。。と思う。

ともあれ、今年の誕生日は元気元気で、日焼けを気にしながら(いままではあまり気にしなかったので、いまさら。。という気もするのだが)温かいハワイで過ごしている今の自分を感謝している。
こんな66回目の誕生日である。
2013年2月14日 (木)
バレンタインデーだけど。。

今日はハワイ時間でバレンタインデー。
日本は一日早く進むから昨日だったはず。。私の年代の者にとって、バレンタインデーは馴染みがうすい。日本では勝手に女性から男性へ告白できる日とされ、そんなに大切な日なのに、今では義理チョコが飛び交い、おまけにそのお返しのホワイトデーがあったりして・・なんだかすっかり商業ベースに乗せられているな。。と私などは冷静に見ている。

欧米では「愛の日」で愛する人に何かを贈る日。ハワイではお花売り場が賑やかになり、各種プレゼントが盛んに売れたようだ。でも、やはり私には関係なかった。。(^O^)

ハワイに着いて約2週間。その前まで雨や風で天気が悪かったというのに、幸いいいお天気が続いているが、外出するときは薄い上着が必要なほど涼しい。いま、夜の9時半で室内の温度は24度,エアコンなし。窓は締め切っている。半ぞでのTシャツにジーパンで素足。とても快適な状態である。

昨日、日本から来ていた3組の友達たちが全員日本へ帰った。2週間ほどコンドミニアムに滞在していた人が「日本から持ってきたんだけど食べ切れなかった。よかったらもらってくれる?」とたくさん食料品を置いていってくれた。無洗米、お醤油、みそ、とろろ昆布、塩昆布、のり、きざみ沢庵、そして梅干。ほとんど新品のまま。。しばらくは私の食生活が潤う。頂いたものすべてが日本食の基本だもの、ありがたくいただきます!

今日ニュースで、渋谷公会堂が閉館されるということを知った。
かなり古い建物だから仕方がないが、私にとっては思い出の詰まった劇場だから少しさびしい。四十年も前、何度もここの舞台に立った。そしてバレエ団を退団を決め、最後に踊ったのもここだった。
「白鳥の湖」全幕・・最終の4幕目の幕が降りたとき、涙でしばらく立ち上がることができなかった。
「え〜?結婚するの?この裏切りもの〜!」と言った仲間の声が今も思い出される。ずいぶん昔の話だが、私にとっては大切な思い出の劇場だ。

こちらに戻ってハワイで所属している合唱団の練習にもカムバック。待ってたわよ〜と迎えてもらってカンゲキ。この合唱団では一曲一曲自分で暗譜して歌えるようになると、自分の声をテープにとってリーダーに聞いてもらい、パスすると本番で歌える資格ができる。そういう結構シビアな合唱団で、ただなんとなく歌っていれば覚えるわ。。というのではない。
だから各自、自分で練習することが必須。私はいつも練習不足で大変なのだけれど、一昨日やっと懸案の一曲をパスしてホッとしたところである。
ハワイで好きなことに挑戦できることがうれしい。
2013年2月4日 (月)
ハワイ3日目 時差が取れず。。

2月2日にハワイに到着。
寒い日が続いた日本だったけれど、出発のこの日は春を思わせる暖かさ。軽装で出発できて助かった。いつものように空港で軽く食事をしてから搭乗。今回は「にしんそば」。だいたいハワイへ来るときは夜9時発の便だから、機内食は軽い夜食のつもりでいただくようにすると体調がいい。

偶然機内で近くの席だった人が、どう見てもフラダンサー、つい話しかけてみた。彼女もハワイに行き慣れているようで、フラ歴20年というベテラン。物静かだけれどフラとハワイについて熱く語る人だった。
いずれまたお会いできるといいですね、、とメールアドレスを交換した。
新しいご縁ができるということはうれしいことだ。

ハワイは常夏の島だけど、やはり今は冬。なんとなく涼しい。今年の雨季は雨が多かったらしく、ダイヤモンドヘッドが美しく緑色に染まっている。雨が少ない夏には木々が枯れてもとの岩山の色になる。

今回はなぜだか時差が取れない。
到着早々、車に異常をみつけ「これは大変!」とドキリとし、だましだまし運転をしながら、アラモアナの修理センターに持って行ったりしたせいか、昼間は元気なのだが、夜の睡眠時間が短くて異常に早起きになってしまっている。まあ、こういうのもたまにはこれもいいわ。。と思いながら、まだ暗いうちから起きだして、熱いほうじお茶を飲んだりしている。

まだハワイ3日目なのに、すでに日本から観光で来ている友人が「ふた組」いて3晩連続の外食。あと3日もするともうひと組増える。類は友を呼ぶのだろうか、私の周りには「ハワイ大好き!」な人が本当に多い。それに加え、久々に会うのを楽しみにしてくれているハワイ在住のお友達も沢山いてくれて、日本にいるより数倍忙しい。本当にうれしくありがたいこと。。

毎回ハワイ到着直後、必ず行う事務的な用事が今回はまだできていない。なぜならこちらに着いたのが週末だったから。車の保険関係、銀行関係、各種支払いの確認などなど。。。今日から少しずつこなしていくつもりだ。

日本からは歌舞伎の花形役者だった市川團十郎さんが亡くなったというニュース。勘三郎さんに続いてまた一人・・本当に残念だ。
2013年1月27日 (日)
ららぽーと横浜!

年明けから、ウチのお隣の「ららぽーと横浜」で全店リニューアルのための大セールが行われている。すごい人出で大変だ。あと数日で閉店、撤退する店がいくつもある。営業を存続する店舗も場所を移動したりして、ららぽ横浜は春には新しく生まれかわるようだ。

セールも終盤に入って70%OFFなんていう商品もあるから、私もつい足を運ぶことになる。そしていろいろな光景を目にした。撤退するお店の店員さんと別れを惜しむ常連のお客さんがいる。お互いに手を握り合い涙ぐみ「お元気で。。今までありがとうございました」「あなたも元気でね」と挨拶を交わしている。

私は特にお馴染みの店があったわけではないのだけれどここ数日、何人かの店員さんについ話しかけてしまった。「いよいよこのお店もおしまいなのね。残念ね。今までお疲れ様でした。新しい職場でまた頑張ってくださいね」
「そんな優しい言葉をかけてもらって本当にうれしいです。本当はとても淋しいんです。ここが好きだったのに。。でもまた新しいお店が入って楽しくなると思いますから「ららぽーと」をよろしくお願いします。いままでありがとうございました」と目を赤くする店員さんたち。
セールの商品がどんどん売れて空っぽになっていくお店。
このあとに出店を予定している沢山の企業があるのだ。水面下でいろいろなことが動いているに違いない。

世の中ってこんなものだな。。とちょっと複雑な気持ちの今日この頃だ。

とはいうものの・・やはり私はこの春、一新して生まれ変わる「ららぽーと横浜」をおおいに楽しみにしている。
2013年1月24日 (木)
2013・大変な幕開け

もう24日、あっという間に一月が過ぎていく。
賑やかで、忙しくて、うれしくて。。そして疲れた!

冬休みで里帰りしていたジャッキーとジャッキーママが見事にインフルエンザにやられた。。毎年受けている予防接種のおかげか私だけが元気で二人の看病を。。同時進行で東京のマヤのおうちでもアキラがインフルエンザに、マヤママも咳が出て辛い体調だったにもかかわらず、アキラの看病を・・まあ、大変な幕開けになった2013年。やっとみんな元気になってホッとしているところだ。

『健康がなにより!』とみんなが思った年明けだった。

そんな中”忙中閑有り”とばかり、私はシネマ歌舞伎と大竹しのぶ主演の「エディット・ピアフ」を観に出かけた。旧友が「一枚切符があるんだけど、、見に行かない?エディット・ピアフだけど」と誘ってくれた。チケットが取りにくいことを知っていたし、事実もう一月中はチケット完売と言われていたので諦めていたときだっただけに本当に嬉しいお誘いだった。

シネマ歌舞伎は、昨年末に亡くなった中村勘三郎さんの追悼で特別に上映された映画で「連獅子」と人情噺「らくだ」の二本立てだった。歌舞伎に詳しい友達と一緒に楽しんだ。勘三郎さんの素晴らしさ、楽しさ、真摯さ、天性の才能に加えて磨き上げられた演技がすばらしく、本当に惜しい人を亡くしてしまったことがいかにも悔しくて、涙があふれた。

大竹しのぶさんのピアフももすごかった。天才って磨けば磨くほど光るのだなあ。。本当に素晴らしい。それを楽しめる私たちは幸せだとつくづく思う。今まで見逃してきた名だたる人の演技や舞台がたくさんあったのだということを悔しく思う。

だから、これからは沢山の「いいもの」を見つけておおいに楽しみたいと思っている。

2月初め、ハワイへ向かう。約7ヶ月ぶりである。ハワイへ行ったら車のバッテリーも上がっているだろうし、いろいろ事務的な用事も山積しているから
当面は忙しくなるだろうが、ハワイでのゆったりした日々が楽しみだ。
第一こう寒いとハワイの暖かさが恋しい。日本からの友人も沢山ハワイへ来る予定だし。。さ、そろそろ本格的に準備を始めなきゃ!
2012年12月31日 (月)
お煮しめ

今年も今日を残すだけ。
大晦日の今日は昨日の大雨がうそのように穏やかな天気になった。

私の小さい頃の日本では年末になるととにかく大忙しだった。
大掃除では多くの家で畳をあげて、棒でパンパンと一年分のほこりをたたき出していたし、障子を外して水洗いをして新しい障子紙を貼った。

ほとんどのお店やデパートがお正月は営業をしていなかったから、大晦日までに食材や、暖房用の炭や石油などを買い込んでおく必要があった。
追われるように動き回っていたものだ。

今は多くのスーパー、コンビニ、デパート、ショッピングモールがお正月気分のお客を当て込んで営業をしている。なんと便利になったことか・・・

そんなことを思いながら、今朝、数の子とお煮しめを作っていた。
今年はマヤのおうちで新年を迎えるためこれを持って行く。
長年の友達が、毎年きんとん、黒豆、おもち、伊達巻、なますなどを作ってくださっていて、今朝もわざわざウチまで届けてくださった。
本当に助かっている、ありがたい。こんなにうれしいことはない。
すべてをバッグに詰め込んで、これからマヤのおウチに行く。
賑やかな楽しい年越しになるだろう。
来年もいい年になりますように。。
2012年12月18日 (火)
2012年という年

2012年も残すところあと10日余り、いつもなら、そろそろハワイへ向かうところだが、この年末は日本で過ごすことになる。
私が30年間歌い続けてきた女声合唱団「黎明」の団長であり、指揮者であるH先生が病を得て、目下闘病中である。30人の団員はここ数カ月、先生の不在の練習を続けてきた。一時は親鳥を見失った迷子の雛鳥のように心細い状態になった私たち団員も、いつものように楽しい練習を続けることができているのは、長年「黎明」のピアニストとして活躍してくれているH先生のお嬢さんKさんのおかげである。先生の不在を受けて指導者として団を立派に支えてくれている。そういう状態で、みんなが頑張っている今、私もみんなと一緒に居たいと思うようになって、ハワイへの出発が延びているということも正直な気持ちである。

先日H先生が入院中の病院のロビーでミニコンサートが開かれた。そこへ私たち「黎明」が出演した。沢山の入院中の患者さんたちはもちろんのこと、看護士さんたち、そして院長先生、副院長先生まで超満員の観客の前で、H先生も20分間にわたって、5曲の指揮をし喝采を浴びた。H先生は「私はこの黎明合唱団の団長であり、指揮者ですが、実は今この病院の入院患者でもあります。私の病名は「がん」です」と自ら司会をしながら・・・
舞台にいる私たち団員は、久しぶりで指揮をしてくれる先生の姿に感動し、食い入るように聞いてくれているお客様に感激しながら、こみ上げそうになる涙を我慢しながら歌い終えた。H先生が水を得た魚のように活き活きと音楽をしている姿は素晴らしかった。
今後の治療が順調に進んで、一日も早い全快を祈るばかりだし、今日の先生を見てその嬉しい日も近いと確信した。うれしい日になった。

最近、思うところあって「車」を手放した。5年前に駅近に引越したし、買い物にもごく便利なところなので、ほとんど乗っていないままだった。「どう考えてももったいないわよ」そう助言してくれるお友達の言葉をありがたく受け止めて、実行に移した。車にも詳しい方にお願いしたところ、ありがたいことに順調にことが運び、思い立ってから数週間で私の赤い車と「さよなら」することになった。孫が次々と誕生してその度にこの車は活躍してくれた。だけど、もう必要がないのだ。チャイルドシートが二つ、残った。思ったより感傷的にもならず車のない生活もいいものだと思っている。

日本でしか味わえない、寄席や落語の楽しさやその深さも知った。友人と足繁く東京の下町に通いその情緒を楽しんだ。おかげで電車を乗り継いで、行ったことのない街まで出かけることが楽しみになった。活躍中の噺家の人たちともお知り合いになった。全く知らなかった世界を楽しませてもらって、最近はさながら小さな冒険の連続のような日々である。

ことのついでに、画面が小さくて物足りなさを感じていたテレビを大きいものに買い替え、ブルーレイプレーヤーもセットで揃えた。大きくなったテレビでまず見たのは「中村勘三郎さん追悼番組」の数々だった。大好きな役者さんだった。ずっとずっと泣きながら見た。

人生ってずっと同じように続いていくことはない・・わかっているはずなのに今年はそれを痛いほど感じた。
色々な意味で2012年は、忘れることのできない年になることだろう。