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今日、ちょっと心に書き留めておきたいこと。。

2005年12月24日(土)
うどんすきパーティー

クリスマス イブ。
久し振りで本当のホワイトクリスマスを迎えたという、日本の友達からのメールが届く。私はといえば、ぬくぬくと過ごしているのに、まだ風邪がすっきりしない。

この間書いたエアボーンという、サプリメントの関連商品に、のどの痛みに即効的に効くグミがある。口に含んで溶かしているとグミのような感触でやはり果物のような味でおいしい。今の私のような症状にはぴったりで、昨日から愛用中。服用方法は簡単だが、どのくらいの頻度で食べればいいかがわからない・・・英語の説明書はなるべくパスしたいがそうは行かない。

じっくり読んでいて、目を疑った。Ages3−103と書いてある。これは3歳から103歳までお飲みいただけます・・ということだ。つまり、誰にでも安心してご利用いただけます。。ということなのだろうが、なんともいえずアメリカらしい表現でわらってしまった。

夕方からは3人のお友達と我が家で「うどんすきパーティー」。一応クリスマスイブだから、ランチョンマットだけはクリスマス用にして、あとは純日本風。

お客様は、ハワイの不動産関係のお仕事をして大活躍のFご夫妻と、そのお友達のTさんの3人。3人とも実業家でお仕事では厳しいのだろうが、私達夫婦の前では普通のお友達でいてくださる。
生きてきた世界が違うから、笑い転げて話をしている中でも、お互いに刺激を受ける。
へえーーそうなの?って驚くことが沢山。
Tさんはリタイアなさったけれど、ついこの間まで大きな会社を経営なさっていた方。自力で一からたたき上げた方で、年齢的にも大先輩。話も面白くスケールが違う。とにかく普通ではないというか、普通知っているはずのことを知らないで、私たちが知らないことを沢山ご存知だ。

昨日も夜7時ごろ、電話がかかってきた。Tさんからだった。「あのねえ、困ってるんだ!テレビが言うことを聞かんのだ。ボリュームが大きくなったままで、消そうにもチャンネルを変えようにも、なんとも動かん。どうしたらいいだろう?とにかく来てくれないかな!?」電話の後ろでTVが大音響で鳴っている。

Tさんのお宅はうちのコンドの26階にある。エレベーターで繋がったお隣さんだ。それを聞いた夫は即座に買い置きの電池を持って、26階へ上がっていった。ものの数分で戻ってきた夫は「なんのことはないリモコンの電池切れだったよ」・・・私もそれが原因だとすぐわかっていた。

なのに、Tさんはリモコンに電池が使われているなんてまったく知らなかったそうだ。TVがいう事をきかない!と、ただ、おろおろしていたという。電源を引き抜くという考えも浮かばなかったので、仕方なく大音響の中で寝ようと思っていたとのこと。Tさんは、たまたまお一人でここにいらしていて、奥様は日本。奥様がここにいらしたら、こんなことはなかっただろう。

「うそーー。いったい、今までどうやって暮らしてきたの?Tさんは。。」と私はびっくりした。奥様か秘書か、とにかく身の回りのことはすべて人に頼っていらしたのだろう。私にとってはTさんともあろう人がこれくらいのことを知らなかったことが驚きだった。

そして今日になって、またまたびっくり。不動産業で素晴らしく活躍中のF夫人も「えーー?リモコンに電池が入ってるの?そんなこと知らなかった。あらーー。そうなのお?」
私は思わずつぶやいた。「二人ともこんなことも知らないのに、社長さんになれたの?私は知っていたのに、何にもなれなかったよ。。。」 アハハ。。。みんなで大笑いした。

一事が万事で、それぞれに世界の違う人たちがハワイで出会い、お近くで生活を共にし始めると
本当に面白い。私の人生観がいまごろになってガラリと変わったような気もする。
今まで生きてきた世界以外にこんな世界があったのか。。新鮮な驚きの連続だったりする。
びっくりしあって、刺激をし合って、それでいてお互いに利害関係がないので、とても楽しい。今日の「うどんすきクリスマスパーティー」もそんなおしゃべりが続き、楽しかった。

今、夜の10時半。窓を開け放してPCに向かっていると、ワイキキをにぎやかに走るワイキキトロリーの音がかすかに聞こえる。電飾で飾られたトロリーはいつもと違って派手に鐘を鳴らして走る、乗客は「メリークリスマス!メリークリスマス!!」と大声で叫びながら手を振る。道を歩く人たちも、大喜びで「メリークリスマス!」叫んでと手を振り返す。楽しいこの時期だけの光景だ。

クリスマスがすむと今度は「ハッピーニューイヤー!」と叫んで走るトロリーが見られる。

明日は、本当のクリスマス。
夕方から、夫のゴルフ仲間のお宅に伺うことになっている。
また楽しくなりそうだ。
2005年12月23日(金)
帰りたくない病

どうやら風邪も峠を越したようで、心も軽くなってきた。ルゴールが効いたようだ。

夕方明日帰国するCちゃんにお別れをするために、一時間ほどコーヒーショップでおしゃべり。「帰りたくない病」にかかっているCちゃんは、とても辛そうだった。ハワイから帰る日が近づいてくると、だれでも「帰りたくない病」にかかる。その気持ちはとてもよくわかる。私も毎回そうなのだから・・・・。

やがてCちゃんのお友達リサさんが車で迎えに来て、私も紹介してもらった。
やさしいお姉さんと言う感じの人。こんにちは、どうぞよろしく。。と言ったら、
「あなた、いつもフラを踊っていますよね。よく見ますよ・・」と言われてびっくりした。彼女は私がフラのレッスンを受けている場所の近くにあるハワイアングッズのお店の方。私達のレッスン場はガラス張りで、まるで金魚鉢のようなもの。外から丸見えなのだ。

立ち止まってみていく人あり、カメラにおさめていく人あり、手を振っていく人あり・・・そんな環境なので、リサさんも通りすがりによく見てくれていたらしい。
Cちゃんとはここでお別れ。さよならはいつも、どんなときでも辛い。
3ヵ月後にまた日本でね。。。と無理して笑顔でアフイホウ。

その後、だいぶ元気になったせいか、久し振りにお買い物に出かけようと言う気になって、ダイエーに行った。
破綻しかけていた、ここのダイエーも、あの「ドンキホーテ」があとを継ぐ形で営業を続けるということが決まったので、ほっとした。皆、喜んでいる。
ダイエーは、きれいでもないし、それほどびっくりするほどお安くもないのだけれど、なんだか日本人にとっては、ほっとできるスーパーだ。

しかしこの頃は、家の近くのスターマーケットに出かけることも多い。
ここはとてもきれいで、デリも充実していて重宝している。果物の並べ方からして違う。スターのほうは芸術的、とにかく美しい!
ダイエーが東洋風ならスターマーケットは西洋風、、という感じ。
どちらも捨てがたいから、私たちは両方を使い分けて買い物をしている。

それにしてもどこもハワイのスーパーは冷房の効きすぎで寒い!!
風邪をひいていたりしたら絶対に行きたくない。
今日も治りかけの風邪が気になって、覚悟を決めて厚着で出かけた。

ダイエーのなかで出会った銀髪のきれいな白人のおばあちゃんが、とても豪華がブローチをつけていた。きらきらして遠くからも目立った。近づいてみると、左胸につけたそのブローチはなんとCDだった。虹色に光る面に赤とグリーンの造花をつけて、オリジナルのクリスマス用のアクセサリーであった。おそらくご本人のお手製だろうと思う。そんな感じのおばあちゃんだった。
虹色とグリーンと赤のお花がかなり目立って、銀髪とよくあっていた。
CDの大きさだから、見ようによってはちょっと滑稽にも見える。それでもゆったり歩くそのおばあちゃんはいかにも得意げで、微笑ましかった。

明日はクリスマスイブ。
3人お客様がいらして、うどんすきパーティーを我が家で開く。
なんとも日本的なイブになりそう。。。
今夜はちょっと冷える。
2005年12月22日(木)
アベマリア

残念ながらまだ、のどが痛い。熱は37度どまりだが、体全体がすっきりしない。

ルゴールを塗るといっぺんに治りますよ。。と昨日Nさんに言われたことを、今朝思い出した。
「ルゴールなんて懐かしいわね、子供のころ、風邪をひいてお医者さんにいくとよくノドに塗られたもんね。あれ、効くのよね。。。アラモアナショッピングセンターの白木屋で売てるらしいから、買ってこようかな、、」と話したものの、ノドは痛いわ、体はだるいわで、風邪薬を飲んでもう一度ベッドにもぐりこんだ。うつらうつらしているうちに、とうとうお昼になってしまった。

その間に夫はどこかへ出かけたらしい。ゴルフかな?と思っていると、「ただいま。。」と帰ってきて、ルゴールの小瓶を枕元へ持ってきてくれた。わざわざ白木屋までいって買ってきてくれたらしい。ありがとう!!

これですぐ、よくなるかも・・・希望が涌いてくる。
こわごわ、綿棒でのどの奥に塗ってみる。昔そうだったようにノドがひっくり返るようになって、涙が出て来る。懐かしい感覚・・・ルゴールの味もあのときのまま。。。昔は「のどを焼いてもらう」という言い方をしたように思う。よく言ったもので、まさにそんな感じだ。

お蔭ですこしよくなったような気になって、普通に夕方まで過ごす。
今夕は女性のトリオ「ナ・レオ」のクリスマスコンサートに出かける予定だ。

「本当に大丈夫なのか?」と夫が言う。
のどは痛いけど、Cちゃんの分の切符も取れたことだし、私が歌うわけでなし、大丈夫!大丈夫と思うことにした。ゲストでケアリイ・レイシェルが出るんだもの、これを逃すわけにはいかない!もちろん行く!!

Cちゃんと待ち合わせたら、彼女の歩き方がなんか、変!
どうやらCちゃんは足を痛めたらしい。歩き過ぎか、ふとした弾みで捻挫をしたか、はたまたフラの練習過多か?原因は不明だが、とにかくシップだけしてコンサートの会場へ。

ナ・レオは根強い人気を持っているらしく約2000人収容のブレイズデルコンサートホールはほぼ満席に近く、先日のスター・オンパレードのような、ハワイシアターのコンサートよりずっと、観客が多かった。

さすがに構成も演出も照明も洗練されていて、豪華なクリスマスツリーのあるリビングルームのようにしつらえられた舞台に、ケイキ(子供)のフラ、女性のフラが登場し、トークとナ・レオのヒット曲が続き、盛り上がったところで、いよいよ今日のゲスト、ケアリイ・レイシェルの登場。

「私たちのハワイの宝、ケアリイ・・・」と紹介されて颯爽と現れたケアリイ。会場が急に熱気を帯びる。日本人の叫び声もあちこちから聞こえた。
私たちもヒューヒュー!のどが痛かったことなど、忘れていた。

ケアリイは白のパンツにダークグレーのシャツ、黄色の花のレイをつけている。その格好で足元は素足・・・・
彼の曲の中でも長く、しっとりとしたナンバー(曲はよく知っているがタイトルがわからない)が歌われ、ナ・レオのメンバーとしばし舞台の中央のソファーに座って歓談。。
その4人の交わす英語の早いこと!ほとんど意味がわからず、残念!
でも素顔のケアリイの語り口が新鮮で、聞いているだけで楽しかった。

2曲目は「きよしこの夜」をハワイ語で・・・これがまた素晴らしかった。
途中からナ・レオが英語で歌いだし、ハワイ語のそれとが輪唱で混じりあい、ハワイならではの「きよしこの夜」、ああ幸せ!

3曲目を期待したが、ケアリイはこれでおしまい。。。ゲストと言うのはこういうものなのだろう。
素足だったからフラを踊ってくれるかと期待したのに、それもだめだった。
ハワイ風に言えば正装で登場だったのに、なぜレイシェルは「はだし」だったの?ハワイの正装って「はだし」が正しいのかしら?
そういえば革靴を履いても似合わないかな?

一時間半の舞台は、充実していてあっという間にすぎ、ナ・レオの実力とステージングのスマートさに魅了された。またアンコールがにくい演出だった。

舞台の下手からハープが登場しその音色とともに、ナ・レオの美しいユニゾンで「アベマリア」が始まると、会場が静まり返り、Cちゃんも私もなぜか涙が止まらなくなっていた。

今年亡くなったアメリカの友達を想い、今も闘病中の友を思い、入院中の恩師を思い、さまざまなことを乗り越えてきた今年の自分をも振り返って、このアベマリアが心にしみわたった。

Cちゃんも心が洗われた・・とつぶやいていた。

私にとっての今年最後のコンサートのエンディングが「アベマリア」で飾られたことが、とてもうれしかった。
風邪も追い払って元気になれそうな気がした。
明日は、Cちゃんハワイ最後の日。彼女の足も早く治りますように・・・
2005年12月21日(水)
自主練習

風邪を持ち越してしまった。腫れたのどが痛い。今日は復活のはずだったのに。。でもでも、今日はNさん宅で、フラの自主練習の日。贅沢にもNさんが車で迎えに来てくれるので楽に行き来できる。これくらいなら風邪だって大丈夫!と、元気に出かけていった。

日本から来ているCちゃんも、仲間として誘われていっしょに練習。一昨日習った「メレ カレキマカ」を、レッスンに参加できなかったNさんも一緒に復習。Nさんの覚えの早いこと!

ほかにちょっと難しいカヒコをああでもない、こうでもないと3人で考えながらおさらい。こういうチャンスがあることがとてもうれしいし、一人で練習するよりよほど能率が上がる。

とはいえ、話しながら踊ると腫れたのどがヒリヒリと痛む。ハワイ暮らしの先輩Nさんがいいことを教えてくれた。「エアボーン」というサプリメント。なんでも細菌の感染を防ぐハーブのようなものが、配合された錠剤でそれをコップいっぱいの水に溶かして飲むと、風邪の予防にもなり、今日の私のようになってしまっても治りが早いという。

飲んでみたいといったら、Nさんが飲み方を教えてくれた。水の中でその錠剤はシュワシュワと泡を立てて、レモンライム味のレモン色のソーダ水になった。それをぐっと飲むとなんだか元気になったような気がした。

サーズの流行った頃、アメリカで爆発的に売れたサプリメントだそうだ。「エアボーン」とは飛行機が飛んでいる状態のことをいい、あの密室の飛行機の中のさまざまな細菌からもあなたを守ります。。と言うような意味のネーミングらしい。アメリカの学校の先生が、生徒達から風邪をうつされないように、飲むんだとのこと。

ちょっと具合が悪いとき、風邪かな?と思ったとき、風邪を引きたくないとき、これを飲むといいのだそうだ。これはよさそうだ、私も買ってみよう。

それが効いたのか、私の体も軽くなって練習は順調に進み、お互いに持っているCDのコピーをしたり、その内容を話し合ったり楽しい時間が過ぎていった。Nさんの手早いお料理で、またまたランチが用意され、今日はNさんのご主人もご一緒にいただいた。

お昼前、出先からお帰りになったご主人は「またみなさんでフラの「塾」ですか?頑張ってくださいね」と、とてもやさしくて、Nさんは幸せそう。

今日のランチはそうめんの冷やし中華風。
うえに乗っている具は冷やし中華風。めんはそうめん、うえからかけるスープはオリーブオイルと酢が入った、「めんつゆ」で味は中華風。さっぱりとしていて美味しかった。

年末はそれぞれに忙しいから、年が明けたらまた自主練習をしましょうね、と言うことでNさんにまた送っていただいて家路についた。ホノルルはどこでも比較的近いし、あっという間に行動できてしまうのでありがたい。これが日本だと、ちょっとお友達に会うにも、電車、地下鉄、、と時間がかかる。
そんなところが、この小さい島にある大都会、ホノルルのいいところかもしれない。

Cちゃんはまだフラ歴半年だが、偶然とはいえ、この数日間で本場のフラを見て、音楽を生で聞いて、レッスンを受け、自主練習にまで参加して、目からウロコ状態。。。こういう時期が一番楽しいのかもしれない。

私は私でずっとずっと若い人たちから刺激を受けて、楽しませてもらって本当に幸せだと思う。
みんなで楽しい時間を分け合って持てることがどんなにうれしく幸せなことか・・

今日ものどが痛いことを除いては、とても幸せを感じる一日だった。
明日は風邪が治っていますように。。。
今夜も、早く寝ることにしよう。
2005年12月20日(火)
ニューヨークのストライキ

今日も朝からいいお天気なのに、私の気分がすぐれない・・のどがヒリヒリ・・・とっても痛い。少し熱もある。
うがいしたり、風邪薬を飲んだり、ビタミンたっぷりのジュースを夫が作ってくれたりしたおかげで、どうやら今日一日休むだけであすは復活できそうだ。

一昨日のハワイシアターの冷房がききすぎていて、とても寒かった。体を冷やすのは健康にいいわけがない。私はジャケットを着ていたし、足も冷やさないようにしていたし、かなりの防備をしていたけれど、それでも寒かった。きっとあれがいけなかったのだろう。

冬にハワイへ来る人は要注意!
とても暑い日あり、涼しい日あり、冷房がんがんの建物。。。温度の変化が大きすぎる。それに順応できる体力と、服装が必要である。

最近、家の車の調子も悪く、今朝、夫が修理工場に持って行った。
走行には支障がないが、オートロックの調子が良くない。。
それだけのことだけど、どうもすっきりしないから。

原因追求と、修理とで3日からひよっとすると一週間かかると言われて車を預けて夫が帰ってきた。
しかし、よく考えるとそれだけの期間、手元に車がないことが考えられない。

一旦車を使い始めるとそんなものだ。
ホノルル市内はバスが便利だから、車はなくても生活できる、大丈夫!といっていた4年前がうそのようだ。

ドアロックだけで、走行に困らない故障なのだから今はとにかく早く車を取り戻したくなった。

それに、予想以上に高額な修理代の見積もりも来たので、「それなら修理は不要!鍵はオートでなくてもいい、自分で開ける!」と結論を出して明日の朝、車を取り戻しに行くことにした。
これで車のことは一件落着。年末を車なしで過ごすことはなんとか、免れた。

ニュースによると25年ぶりで、ニューヨークで交通機関のストが行なわれていて、目下、市内が混乱して大変なことになっているとのこと。フラのK先生が明日からバケーションでNYに出かける予定なのに、大丈夫なのかしら・・・心配になってきた。

32年前の冬に私は初めてニューヨークに行った。寒かったけれど、ロックフェラーセンターの名物のクリスマスツリーがきれいだった。その前のアイススケートリンクで沢山のスケーターたちが滑っていた。

それはまだあのテロの標的になったトレードセンターの二つのビルが建つ前だった。大昔の話である。

そのニューヨークで奇跡の再会があった。
当時、友達のYさんが、ニューヨークにバレエ留学をしていた。彼女が日本を去ってから随分年月がたっていたので、いつの間にか我々バレエ仲間と音信不通になっていた。

NY市内のあるお店に入って、ウインドウを覗き込んでいたら、「なにかお見せしましょうか?」と店員さんが日本語で声を掛けて来た。「いえ、見てるだけですから・・」と答えて顔を上げ、店員さんの顔を見て驚いた!なんとYさんだった。その時、私は二歳の長女と夫と一緒だった。

「あれー!アナタ、ここで何してるのー?」お互いにお互いを指差しながら同じことを叫んでいた。彼女はバレエの月謝をねん出するために、ここでパートで働いているのだと言う。
彼女から見れば、いつの間にかバレエをやめ、普通の母親になって子供を連れてそこに立っている私を見たことのほうが不思議だったらしい。

この広い地球でこの大きいアメリカで偶然会うとは・・・そのあと、私たちのホテルに来てもらって、積もる話をしたのは言うまでもない。彼女はその後、アメリカ人のお医者様と知り合い結婚、ニュージャージーあたりで、普通のお母さんになって幸せに暮らしているらしいと風の便りで聞いている。
冬のニューヨークというと、彼女を思い出す。

今、私がハワイにいることを知ったら、彼女は、またまたビックリするだろうな。。。
2005年12月19日(月)
今年最後のフラレッスン

昨日の曇天が持ち直し、青空が広がった。
今日は朝から、フラの仲間Nさんのお宅で自主練習をすることになっている。
午後からは、今年最後のK先生のフラレッスンである。今日もフラ三昧で幸せ!

今日K先生のレッスンを受けるCちゃんも、朝からの自主練習に参加してそれに備えることになった。

アラワイ運河をはさんで、ちょっと山側に行ったところにあるNさんのお宅はコンドの31階。お部屋からの眺望が素晴らしかった。そこでのフラの練習だからなんとも贅沢なこと。。Nさんは急用が出来て今日のレッスンをお休みしなければならないのに、自主練習の場所を提供してくれてありがたかった。

「ロイヤルハワイアンホテル」と「カビカ」を何度もおさらいし、細かいところを整理して予定を終了、「じゃ、今朝はこの辺でお開きね・・」というころにはNさんの手によって、美味しいスパゲティが出来上がっていた。ズッキーニとエビのスパゲティ。とても美味しかった!なんという手際のよさ!!素晴らしい。

美味しいランチをいただいて、2時からのフラレッスンへのエネルギーは充分。

今日のK先生のフラレッスンはSさんとCちゃんと私の3人。
入場の許しを得るSさんと私のオリは、前回より良くそろっていたらしく、今日は2回繰り返しただけでOKが出た。よかった!

今日はクリスマスにちなんで、「メレ カリキマカ」を振付けていただいた。
Sさんはハワイアン音楽のCDをなんと700枚も持っているという、本格的コレクター。データベースもあって、この曲が欲しいとなったら、Sさんに聞くのが一番。

K先生もそれを良くご存知で、今日はSさん所蔵のCDを借りてのレッスンとなった。3枚ばかりのCDの中から、ちょうど踊りやすいアレンジの曲を選んで、振り付けが始まった。可愛い曲で振りも覚えやすくて楽しい。

一通り振り付けが終わると、3枚のCDのアレンジの違う「メレ カリキマカ」をかわるがわるかけて踊った。テンポも違うし間奏も感じが違う。それに合わせていろいろに踊れることがとても面白かった。
レッスンのときにこんな遊び?をさせてもらえるのが、うれしい。

今年最後のレッスンはこのほかに、最近習った曲をさらりと流して気持ちよく終了。
今年はK先生のフラレッスン自体がなくなってしまうかという時期もあり、いま、こうして普通にここでレッスンが出来ていることを本当にうれしく思う。
先生の念願のプロジェクトも実現に向かっているし、来年はさらに前進できそうだ。

先生は明後日、バケーションで、NYへと飛び立つことになっている。
NYへは、あてもなくただ、初めてで行ってみたいから行くのだそうで、若いっていいなと思う。
しかし今ニューヨークでは、交通機関がストライキに入っていて大混乱だとニュースで聞いた。
先生、大丈夫かしら?

皆に「ニューヨークはとても寒いですよ、ちゃんと厚手のジャケットは持ってる?」と聞かれていた。
なんだか、先生とNYが結びつかないね、と皆が言う。
確かにいつもTシャツに短パンの先生しか知らないから、厚手のジャケットを着込んで寒そうな先生を想像することが出来ないのだ。約2週間後の、先生のおみやげ話が楽しみだ。

レッスン後先週、皆で見に行った先生のショウの話になった。
タヒチアンダンスの女性の衣裳、ココナツ・ブラについて先生からおもしろいお話を聞いた。
「あれはね、単にココナツの実を半分に割って身につけているのではなくて、タヒチアンダンサーのは特別製で一人一人にきちんと合わせて実を削って作ってあるから、200ドル以上はする、高級な物なんだよ。」・・・おみやげ物屋さんで売っているあのココナツ・ブラとはまったく形も違う物だと言う。
ふーーん。。。知らなかった。今度もう一度よーく見てみよう。
2005年12月18日(日)
ハワイシアター

今日は朝から雲行きが怪しい。
いわゆるコナウインドが吹いている。海から吹いてくる風だ。いつもの心地よい風は貿易風で、トレードウインドと呼ばれる。うちの窓から見えるやしの木々が、左に揺れるとコナウンドが吹いている証拠。
今日は一日中、日差しが出たり出なかったり、肌寒い一日だった。

夕方からダウンタウンとチャイナタウンの中間地点にある、ハワイシアターに出かけた。
今日のコンサートは"A Gift for All of You ”というタイトルで、あの「マカハ サンズ」による初のプロデュースコンサート。

立地条件は良いとはいえないところに、ハワイシアターはある。ワイキキからバスで20分ほどで着く。

外観も殺風景だけれど、中へ入るとちょっとヨーロッパの劇場のように瀟洒で、ステキな劇場だ。どの席からも舞台が良く見える。

電話でチケットを取ることが出来たので、開場の一時間前にチケットオフィスに立ち寄り、私のID(ハワイの運転免許証)を提示するだけで、チケットが簡単に受け取れた。昨日もライアテアのショウで感激していたCちゃんが今日も一緒。

5時から始まったショウには、ナ・カマ、ロビ カハカラウ、エイミー ハナイアリイ、ナ・パラパライ、それにサニーチンと彼のハーラウ という豪華メンバーが勢ぞろい。なんと終わったのが8時半。

たっぷり惜しみなく聞かせ、見せてくれた。
日本によく来るミュージシャン達なのだけれど、やはりハワイ一の伝統あるこの桧舞台での演奏とフラは、それぞれの力を思いっきりぶつけているようで、その迫力が小気味良かった。

ナ・パラパライの絶妙の楽器の操り方と、ビンビン響くハーモニーには、思わず笑ってしまいたくなるような心地よさがあり、Cちゃんも横で「すごい・・」と涙声だった。

その声にあわせて登場するのが、最近のミス・アロハフラの3人、、そして、素晴らしい踊り手たちが、入れ替わり立ち代わり・・アーーもうたまらない。。
目を皿のようにして見続け、ただただ、ため息をつく3時間だった。

私達の席は二階の正面の前の方。
よく舞台が見えてうれしかったがもう一つ良いことがあった。
休憩時間中、私の左側に座っていた東洋系の紳士のところに、見慣れた人が挨拶に来た。ふと見ると、サニーチンさんだった。サニーさんがしばらくその紳士と話し込んで、立ち去った後、紳士に「お知り合いですか?サニーさんと・・」と聞いてみた。

「ええ、私の息子がサニーのハーラウで踊っていましてね、つい最近も日本に公演旅行で行っていたんですよ!今日もここで踊るんです」と誇らしげに話してくれた。息子さんはプロではなく、趣味としてやっているらしいが今回、日本公演に連れて行ってもらえて光栄だった。。という親の気持ちが良くわかった。どこの世界も同じなのだなと思った。

それにしてもあの有名なクムフラ、サニーさんが、いちいち出演者の保護者にまで挨拶に回っていたことにビックリした。こういう心配りが、あの素晴らしいチームワークと突出した人材をを育てるのだろうと思う。

終演後、感激でいっぱいになって劇場を出ようとしたとき、階段の踊り場で偶然またサニーチンさんと会ってしまった。そこにはサニーさんとCちゃんと私しかいない状況だった。

こういう時に黙っていられない性格だから「素晴らしいショウでしたね!実はね、私は、サニーさん主催の今年のハロウィンパーティーに出席していたんですよ。あの日のサニーさんの仮装、すごかったですね、、あのタイの王様の衣裳がとてもお似合いでしたよ。。」と言ったら「ハハハ、タイに行ったときに、あの衣裳を買ってハロウィンパーティで着ようと、ひらめいてね。面白かったでしょ?いや、つい最近もまた、タイへ行ってきたんですよ。帰ってきたばかりです。また日本へも行きますよ!来年もね!!」

もうそろそろ次のメリーモナークの準備で忙しいだろうに、サニーさんはのんびりとした表情で話してくださった。隣でCちゃんも夢見心地でサニーさんを眺めていた。

劇場を一歩でると、治安の良くないところなので、すぐにバス停に直行し、ワイキキ方面行きに乗って早々に退散。ワイキキで遅い夕食を楽しんで、帰宅。

二日連続、感動の日々。
昨日のは無料、今日のは一人37ドル。
お金で換算は出来ないけれど、こんなにお安くていいの?というくらいの素晴らしさ!
本当に本当に幸せな私たちだった。

明日は今年最後のフラレッスン・・またこれも、楽しみだ。
2005年12月17日(土)
ライアテア

やはり期待していたように、昨日再登場してくれたメキシコマシコが仲間を連れて我が家にやってきたらしい。早朝だったので私はまだ眠っていて、夫だけが目撃。いつものようにココナツクッキーをついばんでいったようだ。いったい、彼らはどんなふうに意思を伝え合うのだろうか。。

今日はカハラモールで無料のコンサートがある。このホリデーシーズンの無料コンサートのシリーズの一つらしい。

今日の出演者は?と思ったらなんと、「ライアテア」
前座が「ナ・カマ」というバンド。
日本でも人気の人たちが無料コンサート??。ありえなーーい。
日本からのCちゃんに話したら、モチロン行く行く!!

一時間前に行ってみると、モールの広場に仮設のイスが200ほど並べてあって、もう満席状態。
前座のナ・カマが演奏中だった。本物のサウンド!!ハワイアン!!
ガラス張りの天井から差し込む太陽の自然のライトで、暖かいハワイのクリスマスイベント。

とりあえず後ろのほうに座る場所をやっと見つけ、演奏に聞き入った。

前座が終わる頃、信じられない現象が起こった。客席の最前列に陣取っていた人たちが、さーーっと立ち上がって帰ってしまったのだ。

これから出るメインゲスト「ライアテア」が目の前で演奏の用意をはじめているのに。。。だ。
知らないって恐ろしい。。。Cちゃんの機敏な動きで、無理なく最前列のほぼ中央に席を取ることが出来た。なんという幸運!

若いシンガーのトップを走って活躍中の「ライアテア」は黒のなんでもないタンクトップに黒のパンツ姿。つけていたのは、鮮やかな濃淡のローズ色のレイだけ。レイの魅力というのは素晴らしい。それだけで素晴らしい舞台衣裳になっていた。

小柄な歌姫は素晴らしい高音と感性で歌い、お隣で演奏しているお父さんとの息もぴったり。
見事なハーモニーを聞かせてくれた。
ハワイの人のハーモニー感覚は素晴らしいと思うのだが、
今日もまさにそのお手本のよう。「鳥肌が立った・・・」とCちゃんが言ったけれど、まさに感動的だった。

途中でライアテアが舞台を降りて来て、靴を脱いだと思うと、私たちのすぐ目の前で「ソフィスティケーテッド・フラ」を踊ってくれた。予定になかったらしく、歌詞を確かめつつ、ちょっと遅れ気味に踊っていくのがいかにも自然で、可愛いくて。彼女のフラもやはり本物だった。

Cちゃんも私も、うれしいとすぐに泣く体質で、二人とも半ばグチャグチャ状態であった。約45分間、立て続けに歌ってくれて、あとはCD購入者にサインを。。という時間になった。

私たちも、一枚ずつ買ってサインをもらう列に並んだ。

わざと最後尾に近いところに並ぶ。。その狙いはぴたりと当たり、すこしライアテアと話したり、一緒に写真を撮ったりすることが出来た。

「もうすぐ、日本へ行くの。鎌倉よ。。」という話だった。日本でも大歓迎されるのだろう。
彼女のお父さんにもサインをもらった。
お父さんのファルセットも素晴らしいので「貴方のいい声がお嬢さんに継がれて、いいですね。。」と言ったら「いやあれは天からの授かりものです」と一瞬、お父さんは天を見上げ、とてもうれしそうだった。

今日はまたいいものを聞いて、カハラモールでしか食べられない、大好物のシナボンを食べてとても幸せだった。

夜は遅ればせながら、クリスマスカードを書いた。
アメリカ本土のお友達、ドイツの家族、そして日本の家族に・・・
どうか、今年中についてくれますように。。おくれてごめんなさい。

明日もまた幸いなことに、チケットが手に入ったので、フラのコンサートに行けることになった。
Cちゃんと二人、またグチャグチャになるのかも・・・・

こんなに感動できる日が続くのも、めずらしい。本当に夢のようだ。
ありがとうございます、ハワイの神様!
2005年12月16日(金)
バレンタイン監督!

雨季なのに、雨が降らない日が続いている。
それどころかとってもいいお天気だ。
お花が少ない季節だが、それでもハワイの空気には、お花の香りが感じられて気持ちがいい。年末年始もこのまま、いいお天気だといいけど・・・

今日、日本からCちゃんがやってきた。もともとCちゃんと私はK先生のフラ教室で知り合ったので、K先生をまじえてハワイで会えたら久々の同窓会のようなもの。なんとか二人を会わせてあげたいと思って、アイデアが浮かんだ。運良く、K先生が出演なさるショウが今夜のはずだったので、Cちゃんと一緒に行くことにした。

私からの電話でCちゃんが来ていることを知った先生は、ステージの始まる前に劇場のロビーまで私たちに会いに出てきてくださって、そこから同窓会は始まった。さらにもう一人生徒さんがご夫婦でいらしていて、応援団?4人で先生の舞台を堪能することが出来た。

案内された席は、どういうわけか舞台のかぶりつき。どうしても踊っている先生と目が合う。つい、私たちが先生に合図を送るものだから、先生のほうもリアクション。本当にご迷惑だったかも。。

でも、いつだったかショウのいいところで、思わず「センセ〜イ!」と大声で掛け声をかけた、ツワモノの生徒もいるらしいから、私たちの今日の応援は大人しいものだったにちがいない。

帰り道、お決まりのホテル・モアナサーフライダーのビーチバーで、「チチ」を楽しんだ。と、そこへ見たことのある小柄な外人さんが通りかかり、なんとなく顔が合って「ハーイ!」と挨拶を交わした。。

と同時に、「あれ?バレンタイン監督??だよね?ね?」Cちゃんがまず気がつき、彼女だけ握手をしてもらった。わたしは出遅れてタイミングをはずし、ちょっとだけ残念だった。

でもまあ、いいわ。。バレンタインさんがどこのチームの監督なのかさえ私は知らないんだから・・・長島さんだったら狂喜乱舞して握手を求めていたかもしれないけど・・・

今日、メキシコマシコ君が、今回はじめて顔を見せてくれた。一ヵ月半のブランクなんてなかったように、普通に飛んできて、クッキーを食べて、普通にくつろいでいる。懐かしい再会だった。
日本からこちらに来て六日目。
やっとうちの窓が開いたことに気がついてくれたのだろう。
明日からはまた仲間を誘ってきてくれるかも・・・
彼らが飛来してくれないと、私たちのここでの生活も軌道に乗った気がしない。

このごろ郵便やさんが運んでいる小荷物がとても多い。クリスマスギフトが行き交っているのだ。うちのコンドにも色とりどりのギフトボックスが沢山運び込まれる。私には縁がないけど・・・・
そういえば、私は今年もまた、クリスマスカードを出しそびれた。
今からでは、とうていクリスマスまでには着かないだろう。

年賀状は日本を出る前に、パソコンで200枚を完成させて、例年通りお友達に投函をお願いしてきた。その用意はいつも早いのだが、外国の友達に送るクリスマスカードはたいてい出遅れる。
また今年も反省だ。

でもまあ、「メリークリスマス&ハッピーニューイヤー」と書いて出せば大丈夫だろうと思い直し、明日から書くことにしよう。

せっかくハワイ語でメリークリスマス 「メレ カリキマカ」 と書かれた真っ赤な可愛いカードを用意したのだから。
2005年12月15日(木)
クリスマスツリー

今日もいい天気・・風もなく穏やかな一日。
ホノルルを走り回るワイキキトロリーも、クリスマスカラーの電飾に飾られて、とてもおしゃれになっている。

もっとも夜にならなければ、その美しさはわからない。
お昼はただのトロリーの顔だ。サンフランシスコのケーブルカーを思い出ださせる鐘を鳴らして、トロリーはいつ見ても元気にホノルルの街を走り回っている。

半年前くらいからか、ハレクラニホテル周辺のホテル群の改修工事が大々的に行なわれているために、現在ホノルルのホテルの収容人数が大幅に減っている。何でも3000室ものホテルの客室が工事中で使えないのだそうだ。

最近こちらへ来る友達が、ことごとくホテル探しにてこずっている。いまはどんな条件でも、どうぞ泊めてください!という状態らしい。これからクリスマス、お正月にかけてホテルはますます満杯になることだろう。

今日は外で夕食。
今日の夕焼けは見事かな?と思ったが、今日のように雲ひとつない晴れ上がった空の日は、案外夕焼けになる前にあっさりと日没、、となる。今日もそんな感じの日の入りだった。

食事の帰りにロイヤルハワイアンホテルに立ち寄って、そこから散歩がてら各ホテルのクリスマスツリーを見て歩いた。私たちのツリーめぐりは毎年恒例のことなので、どこのツリーが何色でどんな特徴があるか・・・覚えてしまった。でもまたそれを確かめるように、ホテルをまわるのが年末の楽しみなのだ。

ロイヤルハワイアンホテルのツリーはやはり、ピンクパレスの名にふさわしく淡いピンク色の飾りが可愛らしく夢のように美しいツリー、モアナサーフライダーは白い貴婦人のような建物にふさわしく、白とシルバーで飾られたシックなツリー。またマリオットホテルは赤いルビーのような印象のツリーだ。

いつも写真に撮ってはみるものの、実物の美しさには到底かなわない。
今年もきっといい写真は撮れていないだろうな。。。

そういえば昨日、フラレッスンの後、打ち合わせがあってK先生とコーヒーショップにいたら、ハワイにおけるポリネシアンダンスの振り付け師のトップ、トウヌリ・トルウリさんが小さな子供を二人連れて横を通りかかられた。

K先生の仕事上のボスでもあるので、K先生は「よく僕たちのショウを見に来てくれるkyokoさんです。もう何度も見てくれてるよね」と紹介して下さった。彼の作品を幾つか見ているので、とてもうれしかった。振り付けに日本の舞踏を取り入れたり、とても魅力的な舞台を作る人なのだ。

私は写真でしかお顔を見たことがなかったが、気さくでごく普通の子供連れの若いおじさんだった。あんなに素晴らしい振り付けをする人が、このあたりに普通にいて、短パンにビーチサンダルでペタペタ歩いているのが、なんだかうれしくて「いつも踊り拝見してます!とても素晴らしいです!また日本へも来てくださいね!!」と私はすっかりミーハーになっていた。

ハワイのミュージシャンでかなり有名な人でも、本業は庭師だったり、普段は普通のおじさんだったりおばさんだったりするらしい。
気取ってる人なんていない。

だからこそ、土のにおいのするハワイアンの文化が今も受け継がれるのだろう。私は皆が自然体でいられるハワイが大好きだ。
2005年12月14日(水)
サングラス

今は雨季のはずなのに、ここ3日ほど、抜けるように青い空と日差しの毎日だ。聞けば先週までは嵐のような日があったり、一日中シトシトと雨模様という日もあったという。

一雨ごとに冬の気配、、、と言うところだろうか?
日中は真夏並みにの暑さだが、夜になるとちょっと冷えてくる。
家の中でも短パンでは寒い。この季節は日中と夜では服装も変わる。
昨夜はシーツと肌がけ布団だけでは薄寒く、フリースの軽い毛布をかけて眠った。とはいうものの、これがハワイの冬の寝具のすべてだ。
日本で言えばやはり夏用寝具。

今回初めてカラカウア通りを歩いた。期待していたのに、ワイキキビーチの海の色がいつもより冴えない。空は晴れて太陽が出ているのにだ。
なぜだろう?と思って、かけていたサングラスをはずしてみると、見事なブルーのグラデーションの海が広がっていた。

サングラスの色が濃すぎてものが綺麗に見えないのだ。このサングラスは私にしてはめずらしくブランド品、それなのに、この色の悪さはどういうこと?

私がとても気に入っていて、いつも使っているのは紫外線をさえぎりながらも海や山の色がとても綺麗に見えるサングラスである。肉眼で見るより色の見え具合がはるかに鮮やかなのだ。ハワイではこれに限る、と使い倒している。フレームの色ははげて、レンズも傷ついているが、軽くて手放せない。
どんなにガタが来ていようと、私はこれが好き。

ポラロイド加工が施してあるもので、この加工が色を美しく見せるらしい。素材はプラスチック。落としても踏みつけても、今のところ壊れていないし、第一安い。スーパーで14ドルくらいの品物だ。
どうも私にはブランド品よりこちらが似つかわしいようだ。

午後から今回はじめてのフラレッスン。ホノルル在住のフラ仲間のNさん、Sさんと一緒だった。
レッスン場に入る許可をもらうオリを、Sさんと二人で唱えることになった。いわば合唱。このオリを先生が認めてくれなければ、生徒がレッスン場に入ることは出来ない。Sさんと私はいままでオリを一緒に練習したこともなかったので、予想通り、悲惨な結果になってしまった。

ぶっつけで唱えてみたが、二人の呼吸はバラバラ。
タイミングは合わず、音程も合わず・・・
とうとう先生からの入場の許可をもらうまで、6回も繰り返し唱えることになってしまった。

「二人とも、出来ていないわけじゃないんだよ、間違ってもいない、でも繰り返し練習することで気があってくるでしょ。とにかく繰り返し、練習!練習!」と先生に励まされてやっと入場が許され、レッスン開始。
ベーシックの練習の最初から、K先生らしい声が飛び、
「ああ、また、ハワイに帰ってきた!」と思う。

一時間半で、新しい曲2曲を振付けてもらい、古い2曲の思い出しをして、合計4曲を踊り続けた。じっとりと汗がにじむ。

今日の新しい曲は「ロイヤルハワイアンホテル」と「カビカ」という古典。
初心者向けだという2曲は簡単ではあったが、覚えるのが大変。
しかし、心地よい緊張の中で過ごすこの時間は、普段の生活にはないもので私には貴重なものだ。
鏡に映るSさん、Nさんもニコニコして踊っていたし、先生も久し振りにそろった顔ぶれを見て、楽しそうだった。

今年もあとわずか。。
K先生は来週から年明けまで、バケーションでニューヨーク、ボストンにお出かけ。この年末はフラレッスンもお休みになる。

残された私たち生徒は復習、復習・・・・
2005年12月13日 (火)
古いクリスマスカード

昨日、空港からタクシーでコンドに到着したとたんにコンドのマネージャーのグローバー氏とばったり会った。普通ならここで彼に会っても驚くことはない。彼はこの玄関のオフィスで仕事をこなしている姿が普通なのだから・・・
でも今回は事情が違った。
「あら!グローバー、まだいたの?会えてとてもうれしいけど、何でここにいるの?どうしたの?」私はわざわざ彼を呼んで尋ねた。

数週間まえ、日本の自宅にコンドの管理会社から「グローバー氏がこのたび職を離れることになり、代わりに、現在メンテナンスを担当しているリンカーン氏が昇格します」と伝えて来たのだ。リンカーンはとてもいい人だし、働き者で名前も大変に立派なのだが、いきなりマネージャーにはちょっとなあ??という感じだったのだ。グローバーはハンサムでカッコよく、何を頼んでもどーんと引き受けてくれそうで、我がコンドの「顔」のような人だったから私たちはとても残念に思っていた。

もうすでにグローバーはここを去り、代わりにリンカーンがオフィスに座っているはずだったのに、そのグローバーが「ようこそ、お帰りなさい!」とにこやかに迎えてくれたのである。聞けば、コンド住人の自治会からも、「グローバー、辞めないで!!」コールが起こったらしく、彼も納得して引き続き残る事になったらしい。

よかったよかった・・なのだが、リンカーンはどうしているのかしら?今度は彼のことが気になってきた。常に5〜6人の従業員が働いていて建物全体の点検や、掃除などをしてくれている。夜間を守るガードの人も含めるともっといるかもしれない。その人たちのリーダー的存在のリンカーン、今回の昇格はダメだったけど、これからもがんばって欲しい。

さて今日は、寝すぎるくらい寝てしまった。時差のせいもあるし、適当に暖かくて心地よかったせいもある。おかげですっかり時差もとれすっきりした。

昨日からずっと素足だ。これから3ヶ月は素足ですごす。こちらに着いて一旦ストッキングを脱いだら、もう二度とはくことはない。こちらでもオフィスで働く人や冷房のがんがんきいた建物で働く人以外はほとんどが素足。おかげでここ数年、外反母趾の痛みがすっかりなくなってしまったし健康にもいいようだ。

ハワイに着くと必ずすることの一つが、ネットでホノルルでのコンサートおよびフラの公演のチェック。
見たいものがいくつもあったので早速、電話とネットでチケットを手配。考えられない豪華メンバーの公演がお手軽価格で。。しかもシニア料金があって、3ドルも安くなる。歳をとっていてよかった!と思うのはこういうときだけ。こういうシステムがあるのは本当にうれしいことだ。この年末は劇場通いで忙しくなりそう。ああ、幸せ・・・

夕方、夫とクリスマスの飾り付けをした。昨年は急に思い立って一人で飾りつけたので、本当に大変だったが二人だと一時間もかからずに終了。室内、窓辺と一度に飾り付けを済ませた。今年はドイツの次女夫婦がクリスマスマーケットで選んだといって先日贈ってくれた、ドイツ風の木製の飾りも加わってにぎやかになった。夜になって電飾がチカチカと美しく輝きだし、さらに華やかになった。

それにもう一つ、一枚の古いクリスマスカードも我が家の毎年のクリスマスに登場する。それは34年前に、新婚だった私たちに今は亡き私の母が送ってくれた、一枚のクリスマスカード。カードには「メリークリスマス 幸せはドアから そして お二人の心に」と母の字で書かれている。母が亡くなって28年。以来、毎年母からのこのカードをクリスマスの飾り付けのどこかにしのばせていた。

娘達も大きくなり、ツリーを飾らなくなってから久しいが、今はハワイで母のカードが再登場している。今も、今年頂いたばかりのクリスマスカードとともに部屋を飾ってくれている。

夫にはゴルフのお誘いの電話やメールが次々と届き、あすからいよいよ行動開始らしい。
私も明日からフラレッスンが始まる。一ヵ月半ぶりのレッスン、今夜はフラの復習をしなくちゃ!
2005年12月12日 (月)
忙しかったフライト

午前8時30分、晴天のホノルル空港に到着。一ヶ月振りのハワイだ。成田発が30分くらい遅れたにもかかわらず冬のジェット気流にあと押しされて、到着予定時刻よりも早く着陸。フライト時間、なんと5時間45分。

おかげですこし眠るつもりだったのに、お飲み物〜機内食〜免税品販売〜入国カードの記入と追われているうちに、その暇がなくなってしまった。すこしうとうとしただけで、もう朝食の時間。機内の明かりがついて「おはようございます」といやおうなしに起こされてしまった。フライト時間が長いのもいやだけれど、短いのも忙しすぎる。

じっと座っている乗客でさえ忙しいのだから、キャビンアテンダントたちはもっと忙しいに違いない。キャビンアテンダントより、スチュワーデスの方が彼女達にぴったりで、呼びやすいと思うのだけど。かつて人気のあった「スチュワーデス物語」も今だったら「フライトアテンダント物語」・・なんだか堅苦しい。

「タクシー代が上がっていた!」と夫が言う。確かにいつも空港から我が家まで、チップ込みで35ドルくらいだったのに、今日は42ドルだった。ガソリンが大幅に上がったせいだろう。しかし、それでも納得のいく値段だと夫は言う。なぜかといえば、大荷物の旅行者に対して日本のタクシードライバーはまことに不親切だという。そういえば、どう見てもドライバーより年長の夫が抱えるスーツケースを支えるわけでもなく、ただ立って見ている人が圧倒的に多い。「こんなことで腰をやられてはたまらない。。」っていう風に。その点、こちらのドライバーは、夫よりはるかに小柄な人でも、軽々と数十キロの荷物を運んでくれる。しかも思いっきりのスマイルとジョークとともに。

家に着くといつもの通り大型のスーツケースから持ってきたものを取り出し、定位置に収めていく。
こちらでも買える物ばかりなのだが、ちょっとしたこだわりがあったり、安く手に入るモノを、なにもハワイで高く買わなくてもという、鰹節とか、おつまみ類とか、玄米茶だとかいってみればどうでもいい物が多いのだが、これらの収納と、ざっと掃除をしてとにかく住めるようにするまで約2時間かかる。
家がそんなに広いわけもなく、時差と睡眠不足で動作がのろいせいである。

片づけを済ませ、ほっとして窓の外を見ると、目の前のダイヤモンドヘッドが、美しい緑色に彩られているのに気がついた。冬は比較的雨が多い。その恵みで植物が元気に芽を吹いて山全体が緑に染まる。四季がないと思いがちだが、ハワイにだってちゃんと季節がある。それを感じながら生活すると、より楽しいものだ。

しばらくお昼寝をして、元気を取り戻したところで当面必要な食料を買出しに。
オレンジ色のTシャツを着た人が目立つ。胸にFinisher と書かれている。昨日行なわれた「ホノルル マラソン」の完走者の証しだ。何時間かかっても完走者はえらい!誇らしげなオレンジ色のTシャツが目にしみた。これだけ来ているのに、一度もホノルルマラソンの日にここにいた試しがない。
もったいない話だ。来年はそのつもりで予定を立てることにしよう。

ダイエーの売り場にはクリスマス食品と並んでお正月用品が並び始めていた。
ホノルルのダイエーがつぶれる、、と聞いて久しいが、まだ元気に営業していて安心した。

あたりが暗くなって初めて気がついたが、周りのコンドの窓のクリスマスのイルミネーションが美しい。
そうだ、私も明日飾り付けをしなくちゃ・・かなり遅れてるもの。

そうそう。。初めてここの窓にクリスマスの飾り付けをした去年の今頃、急に思いたって「ハワイの日記」を書き始めたのだった。たしか、最初のトピックはクリスマスの飾りつけだった。
あの日から一年、本当にいろいろなことがあった。とびきりうれしい思い出も辛い思い出も・・・

ハワイ日記の一周年だ。最初の頃は数行の日記だったのに、日に日に長いものになってしまった。
また今日から再開、2年目に突入だ。楽しみ楽しみ。
2005年10月25日(火)
待っててね!

夫の同窓会ご一行が、今朝帰国の途に。。。
私たちも明日帰国だが、何の用意もしていない。慣れているとはいえ、朝からなんとなく忙しくすごした。夫のアロハシャツ、ゴルフズボン。。この際まとめて念入りに洗濯。漂白するものもまとめて洗う。
冷蔵庫の整理、などなど。

そこへE子さんから電話が・・・「今、こっちに着いたの。明日帰るって?お忙しいでしょうけどどこかで会いましょうよ!」ご夫婦で年に2度ほど長期滞在しているフラのお友達だ。残念ながら今回は完全にすれ違いで一緒にフラのレッスンを受けることが出来ない。でも家事の合間にバスに乗って彼女に会いに出かけた。

いつもE子さんと待ち合わせるスターバックスで、彼女はニコニコして待っていてくれた。
半年振りの再会だ。前回ここで落ち合ったときは、E子さんがスーパーの袋にいろいろな食料品をつめて持ってきてくれていた。今回とは逆に、彼女の帰国に際して冷蔵庫の整理をして、余った物を私においていってくれたのだ。

今日は、私がもって行った袋には、りんご、じゃがいも一個、たまねぎ一個、ねぎ一わ、ザーサイの袋入り、モンキーバナナが5本ほどが入っていた。前回E子さんがくれた袋の中身のほうが、高級だったけど。。失礼は承知で使えるものは使っていただこうという助け合いだ。

一時間半ほどおしゃべりをして帰宅すると、夫がコンドの洗車場で車を洗うという。
これもこちらを離れるときのルーティーンワーク。私は布で車をふきあげるところだけ、お手伝いしてそのまま最後の買い物に。。。

最後の夕食はこのごろお気に入りの、ロールキャベツ。出来合いのお惣菜だ。こちらでは「スタッフド キャベッジ」という。これがおいしいのだ。こんな日は外食または出来合いの夕食になる。今回は外食が続いたので、家で食べることにした。

ハワイも秋の気配で少し涼しい。特に夜は部屋に風が通り抜けると、短パンではいられないくらいになった。少し荒れ気味だった天候も、昨日あたりから落ち着いてきた。

スーツケースにほとんどものもが詰め込まれたし、あとは軽く掃除機をかけて、家具にシーツをかけて、電気を消して、空港に向かうだけ。

鍵一つで長期に留守が出来るのは本当にありがたい。マンションの利点だ。
E子さんご夫妻も、日本での住まいを見直して、駅に近いマンションに引っ越して身軽になるのだという。本当にそういう発想も必要だと思う。

固定観念にしばられない。。そういう人が増えていて、大いに刺激を受けている。

さあ、帰国したら一ヵ月半きっとあっという間に過ぎるだろう。

今度こちらに来るときは、ホノルル中、クリスマス一色の町並みになっている時期だ。
しばらくホノルルとお別れ。
メキシコマシコ君たちともお別れ。。。
毎朝の挨拶に来てくれても、クッキーもないし、窓も開いていないけど・・ごめんね。

少しの間、待っててね!!
みんな、アフイホウ!(又会いましょう)
2005年10月24日(月)
悲しい!日記が消えた。。

朝から久々に青空が広がり、ハワイらしい天候になった。夫の同窓生ご一行の今日は二人が夫とゴルフ、あとの4名は自由行動。午前中、私は帰国の用意を少し。午後から一行の紅一点、H子さんを案内してアラモアナショッピングセンターへ。初めてワイキキトロリーのピンクラインというのに乗った。ワイキキとアラモアナを結んでいる。このごろ頻繁にワイキキトロリーの色や、コースが変わっているような気がする。

お買い物をしてふと気がつくともう夕方。約束の夕食の時間が迫っていて、あわててワイキキへ戻った。ご一行の滞在日数は3泊5日。本当に短いし、お疲れだろうと思うのに、皆さん本当にお元気でびっくりする。ゴルフの後、夫以外の二人はワイキキビーチに出て泳いだとのこと。すばらしい行動力だ。

夕食は中華料理。今日が最後の晩餐である。にぎやかにお話しながらのお食事は楽しくておいしかった。昨日の話の続きで、ハワイアンミュージックにスチールギターが使われなくなったことを残念がったM氏が、どうしてもスタンダードのハワイアンミュージックが聞きたいと言い出して、ハレクラニホテルに向かった。結局、そのショウはすでに終わっている時間で残念だった。又明日お越しください・・といわれたが、旅行者はそうはいかない。。。M氏には気の毒なことになった。

ハレクラニホテルに向かう道沿いの幾つかのホテルは今大改装中で、営業を停止していてまるでゴーストタウンのよう。。。ホテルに人気(ひとけ)のないのはとても怖いものだと思った。特に夜は不気味だ。

この辺りのホテルが営業停止のため、ホノルルのホテルの部屋数が減っていて、ホテル不足だと聞いた。クリスマスから年末年始に、きっと影響がでるに違いない。でも数ヵ月後、すばらしいホテルが改装して生まれ変わり見違えるような町並みが出現するだろう。

ロイヤルハワイアンショッピングセンターの大改修も確実に進んでいる。一昨日まで営業していたレストランが今日は改装工事のためクローズになっていた。戸惑うことも多いが、ここがどんな風に変わるのだろうか?楽しみである。

一昨日いらしたばかりのご一行は、もう明日帰国。あっという間だった。
それぞれに楽しまれたようで、よかった。。。

私たちも、明後日帰国だ。
今回はいったん帰国。。という感じで、12月半ばにはハワイに戻る。
あわただしい日本での日々になる予感がする。もう年賀状の時期だし。。。

寒くなってきたという日本で風邪をひかないようにしなくちゃ・・・

明日は最後のジムに行ってトレーニングをしてこよう。

と、ここまで書いて日記を公開する作業中、何を間違ったか9月はじめから昨日まで、約2ヶ月分の日記が削除されてしまったことに気がついた。どうしたことだろう?

私のミスなのだが、本当に悔しいし、悲しい。
もう2度と書けないし、記憶も戻ってこない。
ノートの日記帳なら、確実に残るのに。。。

悲しいけど、仕方がない。

あと残り一日のハワイの日記を書いて、しばらくまたお休みだ。
12月半ばから、ハワイ日記を再開したい。
それまでは、今日の一枚を更新していきたいと思っている。
2005年9月1日 (木)
ゴルフ〜ダイエー〜マジック オブ ポリネシア

長女から「無事退院して、自宅に戻りました〜」と元気そうな声で電話が入った。入院時と同じように義妹が退院にも付き添ってくれて、本当に助かった。
今週中は自宅で休養をして、来週から出勤予定だという。病上がりなのだから、気をつけて頑張って欲しい。でも心から、ほっとした。

今日は、幼友達Nちゃん夫妻とうちの夫とともにゴルフ場へ。といっても私はゴルフをしないのでカートに乗って一緒に廻るだけ。応援役、といえば聞こえが良いが楽しく騒いでいるだけ・・・でもそこはゴルフ場のことだからマナーも必要で、おとなしく笑い転げ、静かにヤジっていた。今日はウチの夫の調子がよくなかった。京子ちゃんが一緒で緊張気味なんじゃない?とか、腱鞘炎の再発かも?とか京子のカートの運転が下手でそっちに気を取られて集中できない・・とかいろいろな説が出てきた。ならば、と後半のカート運転を夫に代わってもらったが、彼のスコアはさほど変らなかった。
「ほらごらんなさい、私の責任ではありませんよぉ(^^)vの巻」。。だった。

帰り道、Nちゃんの希望でダイエーに寄った。その広さと商品の豊富さに彼らはまず驚き、あれこれとみて廻っていた。ハワイ限定の大きな箱のポッキー、おいしそうなドーナッツなどを選び、夕食用にと好きなお弁当を選んでいた。

彼らはゴルフが大好きで、ハワイにはここ10年来毎年ハワイに来て正味7日間、ゆったりとゴルフ三昧の日々を送っている。
買い物もかっこいいレストランでの食事も必要ない、むしろ興味がない。
この空気のなかでゴルフが出来ればそれが最高!だという。

一年に一度のハワイが楽しみで仕事しているの。。というNちゃんたちの旅の考え方は素敵だ。一つ、少しだけこだわるのがホテル。豪華でなくてもいいけれど満足できるホテルを選ぶ。その素敵な海を見下ろすラナイで、二人でビールを飲みながら、夕食にダイエーのお弁当を食べる。。。これがまたいいのよ!という。自分の旅のスタイルを持っているNちゃんたち、いいな、と思う。

夜は、またまた私のフラの先生が出演している、マジックショウにNちゃん夫妻と出かけた。こんなショウは初めてだったという夫妻は本当に楽しんでくれてうれしかった。席が中央に近かったので舞台全体が見渡せて、とてもよかった。私は誰かがこちらに来るたびに、そのショウを見て欲しくて、望まれればお連れするので今年に入ってからでも、おそらくもう4、5回は見ている。
だから一回一回微妙な違いがあるがわかる。

今日のショウは、前座のシンガーからすべての条件がとてもよかったのだろう、いつもより会場の熱気がムンムンして、幕開き前から盛り上がっていた。
私も時々舞台に立つのでわかるのだが、ライブというのはお客様の反応によって公演自体が良くも悪くもなる。舞台上でなにかトラブルがあってもお客様に助けられてすごく良い結果がでることもある。またその逆でいいパフォーマンスができたと思っても、お客様の反応がいまいちだとその舞台は不完全燃焼になる。今日のショウは両者がよい状態だったのだと思う。
気持ちのよい感動があとに残った。

慣例どおり、ショウのあとはモアナサーフライダーのビーチ沿いのバーで「チチ」を楽しんだ。Nちゃん夫妻もこの日記を読んでくれているらしく、「私、チチっていうの、飲んでみたい。日記に書いてあったでしょ、好きな人が多かったね、あれを頼むわ」・・・
誰が読んで下っているのか、知る由もないのだが時々、思いもかけない話題を日記から持ち出されて、びっくりするやら、うれしいやら、はずかしいやらということが多くなっている。

今日もゴルフ場で偶然お会いした友人のことを、Nちゃんが言い当てた。
「あの人ひよっとして、日記に書いてあったR子さんってひと?」
「そうそうわかる?」
「うんなんかそんな気がしたわ。お料理が上手そうな感じだもの」・・・
なんだかうれしくなってしまった。

そういえば今日、NちゃんがダイエーのATMの前を通った時、ニコッとしてウチの夫に言った。

「ATMといえば、この間は大変だったようですね。お金、戻ってきてよかったけど・・気をつけてくださいよ!」・・・
夫のATM事件も有名になった。
2005年8月31日(水)
退院決定!

長女からうれしいメール。「明日退院します!」と。
五分粥になって点滴を取ってから、とても早い展開でびっくり。来週からはもう出勤するとのこと。何といっても病後なのだから、今週中はゆっくりと養生をして欲しいと思う。

メールの最後に「何はともあれ、パパもママも元気で長生きしてね」だって・・「元気で長生き!!」本当にそうありたいものだ。

今日はフラのレッスンの日、生徒は私一人で贅沢レッスン。
最近の曲をもう一度ブラッシュアップ。私の最大の欠点である音のとり方を、また注意された。「オン タイムで動いちゃダメ。ゆっくりゆったり時間ととって・・」先生と一緒に踊るとそのタイミングがわかる。確かに先生は私のテンポと違う。一見、ずれているようにも思えるのだが、それがなんともいえずニュアンスのある踊りなのだ。

「日本人は1.2.3.4.って振りを覚えて、そのままのカウントのままで踊るでしょ?それは違うんだよ」とおっしゃる。私もバレエから抜け出られない一つの理由はそこにあると思っている。今日のように先生が一緒に踊ってくださるとわかるのだけれど。。

「それにステップをもっとコントロールしてごらん、大きく動きすぎているよ。コントロールできたら、もっと腰のゆれがゆったり大きくなる。やってみて!」

この二つのことができたら、どんなにいいだろう。。。先生はその二つを先ず習得すること、と課題を下さった。家で相当練習しないと、とてもとても先生のレッスンにはついていけない。

一時間ほどみっちり踊ったあと、先生は「さ、踊りは今日はこれで充分でしょう。あとは歌を歌います」と言い出した。

「は?歌を?歌うのですか?」
先生はもうウクレレを片手に、どっかりと座って準備OK。私は先生の前にちょこんと座って「何を歌うんですかア?」

最近習っている「コケエ」を歌いだして先生がおっしゃった。「はい、これにコーラスをつけて。。上をとってもいいし、下をとってもいいから、ハーモニーをつけて下さいね」「はい、私はアルトなので、下をつけますね。やってみますからお願いします」すっかりハワイアンソング教室だ。

ミュージシャンがセッションするように、何度もいろいろ試行錯誤を繰り返し、とても楽しかった。私は合唱が大好きだから思いがけず先生と歌うことができて楽しかった。

別の曲を先生が歌いだし、「これで踊ってみて。テンポはこれくらい?」とか言いながら、先生は今日はすっかりシンガーになりきっている。

ウクレレのコードと歌詞にくぎづけだったと思った先生の目は、ちゃんと私の足を見ていたようで「そこ、違った!そこはカオ2回だよ!だから次のステップにつなげなかったでしょ?」なんていわれてびっくり。

今日の歌とフラのレッスンは、思いがけなくてとても楽しかった。「またコーラスを歌いましょう」とリクエストしてみようかな?

夜は日本食レストランに親しくしている8人が集まって夕食をいただいた。
そろそろ長期滞在を終えて日本に帰られるご家族を中心に、こちらに在住の方々と、いつものように楽しい一時だった。食事もおいしかった。

ルイジアナのニューオーリンズを襲ったハリケーンのことも話題になった。
T子さんのお友達が、ニューオーリンズのすぐ近くの海辺に住んでいらっしゃるのだそうだ。「おそらくその人の家は全滅だと思う、ご本人はどこかに非難したと思いたいけれど」・・・とT子さんは心配そう。

私にとっては、遠いところの出来事だと思っていたが、身近なところにも被害者はいらした。どうかご無事でありますように。。。
2005年8月31日(日)
アメリカ人観光客

蒸し暑い一日。雲が空全体を覆う時もあった。
幼な友達、Nちゃん夫妻がホノルル入り。やはり予想通り、私たちは会ったとたんから京都弁になり、なんでもないことが楽しくて笑いころげた。私よりたった8日だけ先に生まれたNちゃんは、一人っ子の私にはかけがえのない存在だ。彼女夫妻もハワイのベテランで、けさ空港に降り立った時から、いつにない蒸し暑さを感じたという。今日はあのさわやかな風がなかった・・と。やはりコナウインドのせいだ。

ハワイの空港に降り立った時、太陽の輝く青い空、あのなんとも言えない匂いと、さわやかな風に迎えられると「ああ、ハワイへ来た!」とワクワクする。みんな、あの気持ちが懐かしくて、恋しくてハワイに来るのだと思う。それにしてもハワイへ来る日本人リピーターの多いこと・・・・ハワイのことを熟知していて驚くばかり。わたしなど、ここにいても何も知らなくて面目ないほどだ。

日本人観光客が多いのはもちろんだが、一番多いのはやはりアメリカ人。最近本土からの人たちが特に増えているという。あのテロ以来、アメリカ人にとって危険な匂いのするヨーロッパ、中東、アジアの一部を避けて、国内旅行を選んでいるからだ。

アメリカ本土は意外に、冬が長く寒い地域が多い。東部に住む人は、フロリダへ太陽を求めてに出かけ、西部の人はハワイに・・というのが、通説だったようだが飛行機が便利になって今はニューヨークやワシントンなどから、大勢ハワイに詰めかける。東部のほうからだと、乗り換えも含めて10時間以上かかる。日本〜ハワイ間のほうがよほど近いのだ。

それでも、ハワイは全米の人の憧れの旅行先らしい。「お金がたまった、これをどう使おう?」と若い夫婦が考えた末「そうだ!ハワイ行こう!!」と叫んではしゃいで抱き合うTVコマーシャルがある。老後住みたいところとしても、人気があるようだ。

日本人がハワイで日本人観光客によく会うのは、みんな同じようなコースを廻り、買い物に走るからだろう。考えてみたら不思議ではないか、ワイキキトロリーの乗客は、ほとんど日本人。

よく見ているとアメリカ人の行動パターンと日本人のそれとは全く違う。

ひがな一日ビーチに寝転がって、太陽を浴びる外国人の数は本当に多い。多分滞在日数が多いからだろうが、とにかくゆったりとすごしている。そして夜ホテルのバーなどでも落ち着いて静かな大人の時間を楽しんでいるのは外国人が圧倒的。人生の楽しみ方を知っているなあ。。という気がする。

と言ってはみても、どこへ行っても私も日本人。せっかく来たんだもの、これも食べて、あれも見て、買ってと、血まなこで駆け足。。。になりがちだ。じっとしていられなくて、どこかへ出かけていないと落ち着かない習性が、ちょっと悲しい。

ニューオーリンズ周辺を襲った、ハリケーン「カトリーナ」は相当被害が大きく、毎日ニュースはそればかり流れている。海抜ゼロメートル以下の地域だったからひとたまりもなかったのだろう。

高速道路に列をなして安全な場所へ避難する車の列を見て、なぜなのだろう?と思う。いつもこういううパターンだ。

そういえば10年以上前、フロリダに留学していた次女が「ハリケーン『アンドリュー』の直撃を受けそうだから、これからシェルターに避難するわ、ああ・・空が真っ暗になってきた。。だめだ、これが最後の電話になるかもしれない」と縁起でもない電話をかけてきたことを思い出した。そのときはメールもない時代だったから、本当に心配した。
アメリカは天災も規模が大きい。それだけにTVもさかんに避難を呼びかけていたし、住民はよく心得ていて、避難大移動が行われるのだろう。

ハリケーンは毎年あのあたりを襲うが、ハワイにはハリケーンはほとんどこないし火山地帯なのに、地震もまずない。その点は本当にありがたい。

今日メキシコマシコが初めて私の手からもクッキーを食べてくれた。
こんなに短期間に慣れてくれるなんて・・・うれしかった。

それにもう一つ、うれしいこと。
私の携帯にも電話がかかるようになった。
あの「ピエロ」のメロディがけっこう、活躍している。
2005年8月29日(月)
幼な友達

朝からなんとなく蒸し暑い。窓の外のやしの木のゆれ方がいつもと違って逆だ。こちらではトレードウインドが吹くのが普通で、カラリ&さらりとした気候になるのだが、今日はめずらしくコナウインドが吹いている。それが蒸し暑さの原因だ。それに雲も多く、場所によってはシャワーもあったようだ。こちらに来てはじめての曇り空を見た。

娘の回復も順調らしく、友人のお見舞いが相次いでいて、幸せそうだ。こんな時に人様のありがたみが身にしみてわかるのだろう。皆さんへの感謝の気持ちがメールから伝わってきた。

飛んでくるメキシコマシコの数が4羽に増えた。この頃は夫のほうが、鳥たちと仲がいい。今日は初めて、そのうちの一羽が夫の手からえさを食べた。頭にオレンジの飾りがあってとても勇気のある子が、しばらく夫の手を眺めては考えて、用心深く、しかも大胆に、夫の手から直接クッキーを食べたのだ。初めてのことで、夫はとてもとてもうれしそうだった。

フラレッスンの日。生徒は二人。
今日は初めてプイリ(二本一組で使う竹製のささらのような楽器)を使ったアウアナを教えていただいた。私は初めての経験で、興味深々。初めての割には軽快でアップテンポなので大慌てだった。
当たり前だが、見ているほど簡単ではなく、思ってもみないところを自分で叩いたりして「痛いっ!」ということがしばしば。。それでもにっこり笑って先生の動きについていく、我ながらけなげなこと・・・。

少し続けるうちになんとなく分ってきて、楽しくなった。シャンシャンというプイリの音が私たち生徒と先生のとはどこか違う。いや、全く違う。
先生は私たちと一緒に踊っていると、リズムが崩れてくるらしい。私たちは必死でくっついていくのだが、くっつく分だけ、遅れるのだろう。先生は遂に、「ちょっと二人は叩かずに踊ってくれる?」と言いだした。そうだろうなあ、、、とおかしかった。

それにもう一つ原因がわかった。私たちはむやみに大きな音を出しすぎていた。その分モーションが遅れるんだ・・・なんでも最初のころは、過ぎたるは及ばざるが如し。。になりがちだ。ほどほどがわからない。少しセーブした踊りに変えたら、OKになった。

何につけても過ぎたるは及ばざるが如し・・・気をつけなければならないことだと思った。

四苦八苦して、やっと振りが身についたころは、レッスンの時間が2時間を越えていた。本当に先生、ホントにお疲れ様でした。さあ、これを家に帰って一人で再現できるかが問題。頑張らなきゃ!!

明日から、生まれ落ちて以来の親友、Nちゃんご夫妻が京都からホノルルにやってくる。これほど長いお付き合いはないだろうという間柄だ。幼な友達以上だろうと思う。

わたしの母は母乳が充分でなかったのでNちゃんのお母さんのおっぱいで私は育ったのだそうで、そのせいか、どことなく共通点があって、二人会って話すと、楽しくて終始笑い転げているほど・・・。Nちゃんご夫婦はゴルフが上手。ウチの夫とも旧知の仲。私はまた日に焼けながら、ゴルフ場をついて廻ることになりそう。また漫才のようなNちゃんとの会話を楽しめそうだ。

これから約一週間、夫の友人も含めハワイに来られる方が多く、忙しくも楽しい日々になりそうだ。

そのあと、夫婦で6日間のカウアイ島行きもあるし、楽しみだ。
2005年8月28日(日)
「ピエロ」

長女は順調に回復。私の心もふっと軽くなった。
発病以来、娘を支えてくださっているお医者様や上司の方やお友達に感謝の気持ちでいっぱいだ。

今日は午後からYMCAにトレーニングに出かけた。この春あたりからホノルルの市バスの本数が少なく、バス待ちの時間が読めなくて、使いにくくなっていた。偶然かもしれないが今回、とてもスムースにバスが使えるようになっていて助かっている。

YMCAに行くのに片道2ドル。トランスファーチケットをもらい2時間以内に使えば、帰りのバスはタダになる。けっこう得した気分で、トランスファーチケットは人気だ。

トレーニング室に入ろうとしたら、ここで顔なじみのスーザンとばったり会った。スーザンといっても、見た目は全く日本人。でも全く日本語は話せない。日本人にしか見えない人が、アリスだったり、ジェーンだったり、ジムだったりアレンだったりするからハワイはホントにおもしろい。

「あら!元気?どうしてた?いつ帰ってきたの?もうおばあちゃんになった?ずっと会えないから、どうしたのかと思ってたのよ。いつまでいるの??」
矢つぎばやに質問攻め。こっちはそんなに舌も頭も廻らないから、「会いたかったわ。元気そうね!」だけ・・・
お互いに手を広げて駆け寄ってハグしたのを除けば、日本のおばさん同士が道端で出くわして、はしゃいでいる図である。約一年ぶりの再会だった。

スーザンは去年の秋、私の次女がハワイで結婚したのをちゃんと覚えていて、「もうおばあちゃんになった?」と聞いてくれたのだ。すごい記憶力。私など、人のことはおろか、自分の事さえそれほどはっきりは覚えていないのに。。。

「わたしね、6月にオキナワと九州に旅行したの。まあ、蒸し暑いっていったらなかったわ。汗が乾かないのよ!でも楽しかった、馬の肉を初めて食べてね。本当においしかったけど、できることなら馬の肉とは言ってほしくなかったわ。。もう、本当に日本は食べ物が最高ね、やはり日本はいいわあ」

こちらの日系の人たちは、大半はハワイ生まハワイ育ち、日本人ではあるが、日本語もわからない人が多い。でも故郷・日本への望郷の念はとても強い。日本人向けのTVでは英語で日本へのツアーの宣伝をよくしているし、比較的安く、至れり尽くせりの日本旅行が楽しめるようだ。私たち日本人が考えつかないような、コースが設定されていたりする。安上がりで、彼らがイメージする故郷・日本を満喫できるコースなのだろう。

スーザンのおしゃべりはとまらない。
「わたしが今出ている、エアロビのクラス、いいわよお、、日本人が教えてくれるの。月、水、金の朝8時から!いらっしゃいよ。仲間も待ってるわよ!」と熱心に誘ってくれた。以前一緒のクラスでトレーニングした仲間がそこに来ているというので、心が動いたが、夜型の私には、朝の8時からエアロビをするなんて想像しただけで動悸がする。血の巡りが悪くて倒れるのがオチだ。「8時か。。。やはりどう考えても私にはその時間は無理だと思う。」とお断りして、今度ゆっくりおしゃべりしましょうね、と約束して別れた。

2日前に携帯電話を持ったのだが、今のところ一向に電話がかかってこない。どこからかかかってこないかなあ・・と待っているのに、固定の電話ばかりが鳴る。それもそうだ、私の番号を知っている人はハワイではほんの少し。
まだ知らせていない人もある。

英語の取り扱い説明書を四苦八苦して読んで、サウンドもいいのを選んで設定した。とてもいいのがたくさん入っていた。
その中の「ピエロ」と題した曲を電話のベルに設定した。本当に可愛い曲。音もいい。しばらくはこの電話機が、私のおもちゃになりそうだ。

さっき、やっと一件、電話が掛かってきた。
やはり「ピエロ」は当たり!だった。ホントにいい音で、うれしかった。
2005年8月27日(土)
素晴らしい追悼式

朝、長女に電話。点滴のボトルを引っ張りつつ、廊下にでて電話に答えられるようになって、声にも力が出てきたのでホッ。まだお水も飲めないのでご飯が食べたいと、そればかり言っている。同室の方々とも仲良くなったようだ。でも娘よりずっと重い病気なのだそうだ。それでも皆で明るく過ごせているようで一安心。週末でお友達も沢山お見舞いに来て下さったようだ。

私がめずらしく暗い文章を日記に書いたり、メールの文ににじませたりしたので、皆さんにすっかりご心配をおかけしてしまった。娘に面識のない友人までが「私で出来る事があれば遠慮なく何でも言って下さいね。東京でもどこでも行きますから」とメールを下さったり「何でも言ってきてね。遠慮しないで!」と沢山の励ましをいただいた。本当にうれしかった。
私の日記とともに一喜一憂している。。という人もいて、有り難さが身にしみた。

23日になくなったイベットの追悼式がミズーリ州のブランソンで今日、行われた。ご主人がカントリーシンガーで、ご自身のショウを持っているので、その劇場(1000人収容)で執り行われた。
その追悼式の案内はいただいたが、とても行けないので、イベットに紹介されて知り合った、スーザンにメールを送り追悼式の様子を聞きたい。。と頼んでおいた。

追悼式が終わって間もなく、まず、ご主人のジムからメールが入った。
「Kyoko、お花をありがとう。イベットは本当に本当に貴女を愛していました。」短いメールだったけれど、心がこもっていてジムらしくてうれしかった。

そして今度は、すぐにスーザンからメール。
「追悼会に行ってきました。沢山のひとが集まりました。生前のイベットの希望で、黒い服以外の、明るいカラフルな服装で来てね!というのが、彼女の追悼式の決まりだったの。皆、約束を守って明るい色の服で集まったのよ。それと絶対泣かないで。。というイベットの希望もあったんだけど、その約束はもちろん、全員守れませんでした。みんなずっと泣いていました。
ジムをはじめミュージシャンが舞台でイベットの好きだった曲を演奏し、イベットの描いた絵が、ステージに飾られていました。両脇のビデオスクリーンには美しいイベットの笑顔が映し出され、皆彼女の思い出話を語り合い。。。本当に、すばらしい追悼式でした。
この一部始終はビデオに収録されていますから、いつかKyokoも見ることになるわ。イベットは素晴らしい人だった。。淋しくなるわね。また連絡してね。私にも会いに来てね!!」

追悼式はジムの演出に違いない。私はお二人を誇りに思う。
イベット!よかったね、ジムと一緒で、素晴らしい人生だったね!!

ちょっと、気分を変えたくて夕方、アラワイ運河沿いを一人で散歩。
気持ちよかったが久し振りなので、ピッチが遅くいつもより時間がかかった。その上、かわいいカルガモの親子に出会ってしまったので、しばらくは動けなかったのだ。アラワイ運河には魚は沢山いるし、河岸には鳥がいるが、ここで水鳥を見るのは初めてだった。母親と8羽のヒナが仲良く泳いでいて、ジョギングや散歩の人たちが皆微笑みながら足を止めていく。8羽のヒナの羽は一羽ずつデザインが違い、顔も微妙にちがう。
いたずらっ子もいれば、親のあと必死でついていくのもいる。これで性格も全く違うのだろうと思うとおかしくなった。

散歩から帰ると、たったいま、日本の友人から私に電話があったばかりだ、と夫が言う。用件は「ちょっと声を聞きたかったので・・それだけです」ということだったらしい。私はピンと来た。私の日記はこのごろ、落ち込みがちなことばかりが話題になり、勘のいい彼女は「京子がいま、とても落ち込んでる!」と心配して電話をくれたに違いない・・と。あとで電話で話したらやはりそうだった。
少し話をしただけで、私も元気が出てきた。

本当にみんなありがとう!
娘にも皆さんのご厚意を伝えるメールを打った。
2005年8月26日(金)
K先生

ちょっと落ち着かない日々が続いたが、今日はどんな日になるのだろう。。

長女は「切実にご飯が食べたい!」と病院からメールを寄こした。今は虫垂炎の炎症を抑える療法で、点滴だけの生活らしい。お腹がすいたというのだから、元気になったんだろうと安心。ほどよく冷房が効いて消灯から朝までぐっすりと眠ったとかで、きっと回復も早いのだろう。ゆっくり休養してほしい。
手術はしたくないと、娘は考えているしその必要もないとすれば、このまま様子を見ようということで、私はまだハワイにいる。

8月末から9月にかけて、沢山の友人たちが日本からこちらに来ることになっていて、いつになく予定が詰まっている。一年近く前から予定を立てていらっしゃる方ばかりで、こちらでのお約束がある。それなのに、日本に帰ってしまったらその方たちに申し訳ない・・・という気持ちもあったので、娘の状況が良くなって、そういう意味でも正直のところほっとしている。今日もフラの友人がレッスンを受けるために到着する日だった。私は昨日、「娘の急病で日本に帰ることになって、私はハワイに居ないかもしれない。だからフラレッスンはご一緒できない、約束破って、ごめん」と日本を出るまぎわの彼女に手短かにTELを入れ、彼女も私がハワイにいないことを覚悟の上で到着。しかし、一縷の望みをかけたのか、到着後すぐに家に電話があった。
「あ、居た、居た?京子さん居るの?ああよかった!!娘さん,大丈夫なのね!」
本当にこちらで会えてよかった。何ヶ月も前からの約束だったし、私たちにとって今回はかけがえのないレッスンになるはずだからだ。

実は私の人生を根底から変えてくれた「フラ」を教えてくださっている、K先生が近く職場をやめられることになり、その職場のお仕事の一環として教えてくださっていたフラ教室もなくなってしまう。おおやけになっているお教室ではないので、[知る人ぞ知る・・]という感じのお教室だった。
それでもご縁があって一旦先生に教わると、その真摯な教え方と踊りの素晴らしさに魅せられて、先生を慕って日本からフラを習いに来る人が、あとを絶たない。一年に何度も先生のレッスンを受けるためだけにハワイに来る生徒もいるほどになっている。

私はK先生に基本のステップの一歩から教えてもらい、最初のころはほとんど個人レッスンだったので、今から思えば贅沢すぎる環境にいた。やっとここへ来てフラというものがわかりかけ、先生のおっしゃることの意味が、やっと少し体現できるようになってきたところなのだ。ここで、先生が居なくなるのは本当に本当に本当に困る。もちろん、ほかの生徒さんたちの思いも同じ。

その皆の気持ちを先生に伝えて、どういう形でもいいから、これからも私たちのためにレッスンを続けて欲しいことをお願いするのが、目下、私の役目になっている。

先生は「心配しないで。この職場を離れても、僕は必ず教え続けるから・・」と不安がる私にずーっと言い続けてくださっているのだが、やはり心配。
いったいどこで、いつ教えてくださるの?そう聞くと、「公園ででも、ビーチでも。ほら、小学校の校庭でも・・それに、もちろんどこかの家でも、どこでもできるんだから。。。」とおっしゃる。しかしそれを聞いても、私にはピンと来なかった。

でも事実、こちらの相当有名なフラ教室(ハラウ)でも、専用のレッスン室を持っているところなんて無いに等しい。レッスンは通常、学校の体育館だったり、校庭だったり、建物の一部を借りていたり、カピオラニ公園でだったり。。。そうか、エアコンが効いていて、足が汚れず、鏡があって、音響設備もあり。。という教室はフラにはふさわしくない・・・(今は先生のお仕事の関係で立派なビルの一室が教室になっているが)

フラを始めて2年半、この辺で原点を見直すいいチャンスになるのかもしれない。そうだ、そう考えることにしよう。公園の木陰で受けるK先生のレッスン!うん、それもいいね、うれしいじゃない。。

今日のフラレッスンは生徒が5人。「コケエ」という曲を練習。楽しかった。
ここで、一体あと何回レッスンができるんだろう。。という気持ちもよぎるが一旦レッスンが始まると、何もかも忘れて夢中になれた。
「じゃ、また来週ね」といつものように先生と別れてきたが、今までは当たり前のこの言葉が、いつまで使えるのか?またちょっと胸が詰まった。
いけない、いけない・・・

このところ、悲しいことや、びっくりすること、グッと心に重く感じることが続いただけに、私自身、K先生の動向もネガティブに考える傾向にあったようだ。

先生の「ダイジョブ、ダイジョブ!」という明るい声と言葉を信じて、これからも先生にくっついていこう、と改めて心に決めた。
お願いしますね!K先生!
2005年8月25日(木)
緊急事態発生!

朝起きたらまぶたがポンポンに腫れていた。昨夜、イベットのことで涙を流しすぎたせいだろう。

新しい日が来て、やっと少し気持ちが落ち着きかけたとき、東京の長女からメールが入った。題名は「緊急事態!」ドキッとした。

深夜に激しい腹痛に襲われ自分で救急車を呼んでそのまま入院した、というのだ。病名は急性虫垂炎。

「救急病棟の個室にいるから、いまなら電話をかけてくれても大丈夫、電話下さい!」とのメールだった。早速長女の携帯に電話をするのだが、国際電話のかけ方が今日に限って思い出せない・・かけなおしを何度か。。やっと娘と繋がった。「もしもし。。あ、ママ?・・うんまあ、大丈夫だけど。。お腹以外はネ。。」
と全く元気がない。もっとも救急車で運ばれた直後だから無理もない。急性虫垂炎と言う病名に少しほっとしていたが、娘の声を聞けばいろいろ聞きたいことがある。しかし娘に元気がないのと、電話の声が途切れ途切れになって、ラチがあかない。とりあえず電話を切った。すぐに横浜の義妹に電話をした、幸い彼女は家にいて「これから病院へ行ってくるわ。様子見てきます。あとで詳しく連絡するね!」と言ってくれた。

義妹から報告がくるのを待っている間、私はネットで急性虫垂炎について調べた。発症してから48時間以内くらいに、炎症がひどくなることもあり危険をともなう。。というところが気になった。

今日のホノルル発成田行きは全部飛び立ったあと。友達のアドバイスもあって、私は明日の便で東京に戻る事を決心した。

ネットで見た「48時間以内の病状の急変」が気になって仕方がない。

早速、旅立つ用意を始めた。泊まるところは病院からすぐの長女のマンション。何でも揃っているから、着の身着のままでもOK。日本円と、カードとパスポート、エアチケットをハンドバッグにいれ、取り敢えず必要なものは、ホントに小さなキャリーバッグにすべておさまった。手荷物で行けそうだ。

今日は夫婦でお友達と中華を食べに行く予定だったが、義妹からの連絡待ちも
あり、食欲もなかったので私は失礼した。夫が焼きそばとちょっとしたものをテイクアウトして来てくれて、夕食を済ませたが、私の心はもう東京だった。

夜遅く、義妹からTEL。「Yちゃんは思ったより元気ですよ。点滴だけで、しばらく様子を見ましょうって。虫垂炎も初期の初期で、手術もないし。その病院、ホテルみたいにすごーーくきれいでびっくりしたわあ。一週間くらい入院ですって。大丈夫みたいよ・・安心していいわよ。お姉さん!」

ほーーっとした。また私は娘にメールをした。「大丈夫そうって、おばさんから電話があったわ、安心した。ママ、行こうか?それとも?どっちがいいの?」・・・いろいろやり取りをして、結局2〜3日様子を見て私が帰国するかどうかを決めることにした。48時間以内の急変もないようだし。。
というわけで、すべて旅立ちの準備を整えて、私はまだハワイにいる。

昨日、今日と胸騒ぎと、涙と・・・いつもはのんきな私の生活がそれこそ急変した。人生、なにがあるかわからない。。。改めてそう思った。

そして、やはりこちらでも携帯電話を持つことに決めた。
我が家のように家族が大げさに言えば地球上に散らばって生活をしていては、いろいろな覚悟が必要だ。
インターネットによって地球は小さくなったと思ってはいたけれど・・・
いざとなると、東京は遠かった。

今回の我が家の緊急事態!は大したことにならずにすんで一安心。
このまま娘が順調に回復しますように・・・

思えば昨日、今日と心の余裕がなくて、CDも聞いていなければ、フラのことも考えられなかったし、テレビすら上の空でナニを見ていたのやら、記憶がない。

やはり人は幸せで、心が平安でなければ、なにかを心から楽しむことはできないんだな、、と思った。