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今日、ちょっと心に書き留めておきたいこと。。

2006年12月20日 (水)
今ごろ気がつくなんて。。

今日、夫が亡くなったことの事務的な手続きがすべて終わった。
あれから5ヶ月、憲さんが逝ってしまったことの悲しさと、寂しさと、味わったことのない心の痛みと。。それと同時進行で続けなければならなかった、いわゆる「相続」に関する手続きだ。
とても辛い仕事だった。

一つ一つ処理していくたびに、夫・憲介の名前がこの社会から消えて行く。。それが悲しかった。
一つぐらい彼名義のものを永遠に残しておきたいけれど、そうはいかない。複雑な気持ちのまま、追われるように事を進めてきた。しかし、今日その手続きをすべて終えて正直のところ、ほっとした。

「よかったですね。揉め事もなく、迅速によく対処なさいましたね。ご苦労様でした。。。」
税理士さんも、ほっとしたようにそう言ってくれた。

私は「憲さん、ありがとうね。とうとう終わったわ」憲さんの写真の前で最敬礼をした。

私たち夫婦には「隠しごと」がなかったのだと、改めて気づかされた。何でも憲さんは私に知らせてくれていたから、何がどこにあるかわからない・・・という心配はなかった。何につけても、見当がつかない・・ということはなかった。細かく記録してくれていたノートを見れば、ハワイでの車の車検の期日、保険の詳細、税金の払い方にいたるまで一目瞭然だった。こんなに助かったことはない。
憲さんはそういう人だった。

私の友達のほとんどは、憲さんをよく知ってくれている。逆に憲さんの友達は私のことをよく知ってくださっている。長い間に、それぞれの友達をお互いに紹介し合っていたのだと、今になって気が付いた。それがどんなに嬉しいことか、ありがたかったことか。。

あとになって気が付くなんて、私は間抜けだね、憲さん。
人間なんてそんなものかもしれない。満たされているときは気が付かないものなのだ。そんな人生を私にくれた憲さんに、ここで改めて感謝できて、それもうれしい。

ハワイのお友達から「早くいらっしゃい!」というメールが届き始めた。
憲さんのハワイでの納骨式も2月3日に決まった。
日本から駆けつけてくださる方もいて、うれしい。
2007年2月3日は、憲さんの「ハワイ永住記念日」になる。
2006年12月9日 (土)
千の風になって・・・

急に寒くなって、ハワイが恋しい。このごろの私はといえば、もう4ヶ月半も会っていない憲さんに話しかけながら、毎日をあかるく元気に過ごしている。今でも心にかけてくださってお電話を下さる方、お食事に誘い出してくださる方、家へ訪ねて来てくださる方がいらして、私の心は温かい。

この数ヶ月、いろいろ考えているうちに「二人で35年3ヶ月を思う存分生きて、一組の夫婦としての私たちの世界は完結したのだ」と思えるようになった。それは、早すぎる別れだとか、やり残したあっただろうに。。と思わないこともない。でも、私は憲さんとずっとずっと一緒に過ごしていたからわかるのだ。彼はなんでも一生懸命だったから、仕事も、遊びも、ゴルフも、家族サービスも一生懸命したから、夫としても一生懸命私のそばにいてくれたから、世の中に果たすだけのことはして天に召されたのだと思うのだ。夫の見事な最期によって私たち夫婦は完結した。

だから私は夫婦の残された半分としてではなく、憲さんとの生活で私の中に培ってもらったものを、充分に生かしながら、一人で生きていけるはずだ。そう思うと私はとても気持ちが落ち着いた。見守ってくれている憲さんを感じながら、生きていけるのだ。

私の合唱団で、先週から歌い始めた曲がある。「千の風になって」という、この世を去った人から、残された者への、今話題になっているメッセージソングだ。その歌詞は・・・・

 私のお墓の前で 泣かないで下さい
 そこに私はいません 眠ってなんかいません
 千の風に 千の風になって
 あの大きな空を 吹き渡っています

 秋には光になって 畑にふりそそぐ
 冬はダイヤのように きらめく雪になる
 朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
 夜は星になって あなたを見守る

 私のお墓の前で 泣かないで下さい
 そこに私はいません 死んでなんかいません
 千の風に 千の風になって
 あの大きな空を 吹き渡っています
 千の風に 千の風になって
 あの大きな空を 吹き渡っています

 あの大きな空を 吹き渡っています

夫の戒名が大空宗憲居士(だいくうそうけんこじ)であるということを思い、この歌を歌うとき、やはり彼はいまも大空を飛んでいる、吹き渡る風になっている。。と思えるのだ。だから、悲しい涙は出ない。夫がこの歌を通して私に語りかけてくれていると思うからだ。

憲さん、私は新しい年をドイツで迎えることにしました。次女夫婦が是非に、、と呼んでくれました。あなたと8月にいくはずだった、彼ら夫婦の新居に行ってきます。そしてそのあと、すぐにハワイに行きます。
吹き渡る風になって、大空から見ていてくださいね。

そういえば私は昔から大空が大好きですよね。私は世界中の旅先で「空」の写真を沢山撮っていたのを覚えていますか?青い大空が広がっているのを見るだけで「ああ、幸せ!」っていつも言っていたでしょう?そんなご戒名をあなたがいただくなんて、本当にありがたくて。。。そう思うでしょ?憲さん!
2006年11月28日 (火)
常識はずれ。。。

今日は夫の月命日。4ヶ月がたった。
あっという間だったという気もするし、とっても長い日々だったような気もする。
まだまだ、いろいろな手続きが終わっていない。でも、やっと私の頬の筋肉が上に持ち上がり、口角も上がり本来の笑顔が出るようになった。自分で感じるのだから周りの人たちからも「元気になったね、よかった!」とおそらく本心から言ってもらえるようになったと思う。

11月17日、憲さんの納骨を無事終えたときから、不思議に私や娘達の気持ちがすーーっと落ち着いた。本当の意味で、夫や父との別れを受け入れることができたのだと思う。

「大空宗憲居士」(だいくうそうけんこじ)という戒名をいただいて、夫は秋晴れの日に京都の大徳寺に永遠の眠りについた。
ー広い視野と心を持って大空を飛び、その大きな教えを私たちに残してくれた人ーという意味だそうだ。「憲」という字には「教える」という意味があるそうで、「宗」の字は、大本山大徳寺に伝わる由緒ある四文字のうちの一つで、それを頂いた。憲介さんらしいご戒名を頂いたとありがたく思う。

このハワイ日記に夫の戒名を書くことになろうとは、思ってもいなかった。この日記を通じて夫を知ってくださった方も多いので、あえてここにご報告したいと思った。

喪中の家族がするべきではないことが、日本人の常識としてあるとすれば、私たち家族は常識はずれのことばかりをしている。私はこの4ヶ月のあいだに合唱団の舞台で派手に歌い踊ったし、その自習を一人で繰り返したのは憲さんの遺影と遺骨の前でだった。「ちょっと、見ててね!」といいながら・・

フラのプロジェクトも予定通り実行した。そこでは大笑いもし、夢中で数日を過ごした。
ただし、その反動で行事が終わるたびに、急性?燃え尽き症候群になり、一人で大泣きしたこともあったけれど。

納骨式も、心温まる笑顔のある本当に明るいものだった。京都の親戚やお友達は「憲さん!京都へようこそ!!」という気持ちで迎えてくださったし、先にも書いたように憲さんも私たちも心から安心してお別れをすることができた。
これからはいつも一緒、、と改めて確実に感じることができたのだ。不思議だった。

憲さんが亡くなる直前にハワイで「彼」を紹介し、パパをおおいに安心させ喜ばせてくれた長女は「彼」との生活を始めるために、最近自分のマンションからの引越しを始めている。

こんなに悲しくてつらいときだからこそ、自分が悲しみに押しつぶされない何かをしよう。。と思った。
誤解を恐れないで言うならば、こんなときだからこそ、自分が前向きになれる楽しいことを見つけようとした。心は喪中でも、笑顔でいられたら憲さんや周りの人はきっと安心してくれる。

「なんだか、立ち直りが早い。。」「変わり身が早い」と、心ない言葉も聞いたけれど、誰が立ち直らせてくれるのでもない、元気になる努力ができるのは自分自身でしかないのだから。

私はなるべく笑って、楽しく、憲さんがいたときと同じようにこの時期を過ごしたい。こんな時だからこそ、あかるい色の服も着る。

常識はずれなんだろうけど・・・ま、いいわね。憲さん!
2006年11月14日 (火)
テレパシー

先週末から、フラ関係のプロジェクトに没頭していた。
夫が応援してくれていたこの仕事を、なんとしてもやり遂げたいと、夫が急逝して間もない頃から準備に取り掛かってきた。沢山の人たちが、陰になり日向になり支えてくださった。温かいまなざしと差し伸べてもらった手のぬくもりでこのプロジェクトはつつがなく準備され、前回以上の盛り上がりで終了した。

延べ100名近い人たちが、再会を喜び合い、新しい友達を作った。ハワイの空気に触れ、すてきなフラを踊り、素晴らしい歌声に酔いしれた。みんなの顔が輝き、笑顔がはじけていた。

「こんなに幸せでいいのだろうか・・・」私は夢中で踊りながら、自分がこの中の一員であることに感謝した。

「フラをすることで、これからのあなたの人生は充実していくと思うよ。がんばるといい。。。」という夫の言葉が、悲しいけれど現実となり、それが今の私の幸せであるとしたら・・・

やはり夫の言い残してくれた言葉が、ただありがたくて。。。私は笑いながら踊ってはいたが、心の中では熱い涙が流れ、感謝でいっぱいだった。

そして今日、その仲間達から、沢山お礼のメールをいただいた。
お礼のメールを打ちたいのはこちらのほうなのに。。
そのお返事を打っていたら、突然パソコンの電源が入らなくなってしまった。何をしてもだめ。
夫がこの春に買ったばかりの新品なのに。。。困った。。。

夫の写真の前で「どうすればいいの?こんな時。。。ねえ、どうしたらいいんだっけ?」と訴えてみた。そうしたら、突然思い出したのだ。ハワイのうちで一年ほど前、古いノート型PCが同じ状態になったときのことを・・・

「すべての周辺機器をはずして、PCを裏返し、バッテリーパックをいったん取り外し、元に戻す」
夫がつぶやきながら作業を終え、再び電源が入ったときの様子をはっきりと思い出すことが出来た。

「ワッ、すごい!パパ!こんなこと出来るの?ありがと!ああ、よかったあ。。。」と私が大喜びで一人で騒いだことも思い出した。「そうだよ、何でもオレにまかしとけって。。。」と満足そうだった夫の声がよみがえった。実際いつなにが起こっても、なんとかしてくれる人だった。

早速、試してみた。夫がしていたとおりのことを・・・あのときのことを思い出しながら・・・
「やった!!」見事に直った。電源が入った!!

今日、私にその記憶を蘇らせてくれたのは、間違いなく夫だと思う。
テレパシーを送ってくれたのね。プロジェクトの締めの作業をしなくてはならないPCが、今とても必要なのをわかってくれたんだね。

それがとても嬉しくて、そしてこのプロジェクトの成功を憲さんに直に伝えることの出来ない悲しさに、今私は涙でいっぱいでこれを書いている。

でも憲さん、安心して!私はいろいろな人にささえてもらって、本当に幸せだから。。。これでまた一段、元気の階段を上がれたから。

今日はまた憲さんに助けてもらったね。
ありがとう!感謝してます!!
2006年11月4日 (土)
楽しいこと探し!

新車の一ヶ月点検だった。まだほんの少ししか乗っていないが、すすめられるままに出かけていった。セールスマンのK君が待っていてくれて、点検が終わるまでおしゃべりをした。約一時間、コーヒーを飲みながら、きれいなショウルームで。息子のようなK君と、たわいもない話をしていたのだがとっても楽しかった。彼に誰かいいお嫁さん候補は居ないものかしら?と、思ったりして。

「また是非、用事がなくてもお茶を飲みに来て下さいね。おしゃべり楽しかったです。今の中村さんに、ぼくにはこんなことしか出来なくて・・・ごめんなさい」と言われて鼻の奥がツーンとした。みんな本当に温かい。。。

昨日は、たまたま帰国中のハワイでのお友達と横浜でランチをした。楽しくおしゃべりをし、時には涙ぐみ。。。お腹いっぱい中華料理を堪能した。
年末からのハワイ滞在の予定を話し合った。

「京子サン、ゴルフを始めなさい!そうしたらもっとハワイが楽しくなるし、仲間もぐっと増えるわ!」「ウン、まあね・・・」

生来、スポーツが大の苦手で、特に勝負に執念と根性がないから、
ゴルフなんて絶対絶対無理!とずっと思っていた。
でもやってみないとわからないじゃないか!?とも思う。

新しいことを始めるのには、いまがラストチャンスかもしれない。
夫は私用のゴルフクラブを買って用意してくれている。
なのにクラブにはまだ透明のカバーがついたまま。。

そうだ、楽しいことは、わざと探してでもやってみよう。
まだそんな気にならない。。とか、どうも時間が取れなくて。。なんて言っていないで、自分から楽しいことに近づこう。
そう思ったら、楽しくなってきた。

今日はこれから、フリーマーケット出すものを整理してまとめる。
それがすんだら、しばらくお休みしていたフィットネスクラブへの復帰の申し込みに出かける。そこでゴルフの手ほどきをしてもらえるかも知れない。
そう思うと、とたんに元気が出てきた。

この調子!この調子!!
2006年10月29日 (日)
おめでとう!20周年

今日は特別な日だった。
創立20周年を迎えた私の女声合唱団の記念定期演奏会。

夫と送った35年3ヶ月の結婚生活のうちの大半を、私はこの合唱団とともに過ごしたことになる。夫もずっと応援し続けてくれていた。演奏会のときは休暇をとって必ず聞きに来てくれた。

「うん、よかったよ。。」いつも彼の感想はこうだった。
それだけだけれど、とても嬉しい言葉だった。
そんな大事な大事な合唱団の記念すべき演奏会の日。
当然、この日を夫も一緒に祝ってくれるはずだった。

でもこの夏私達夫婦の人生は大きく変わってしまった。
いったん、私はこの演奏会に出ることをあきらめた。
とても無理。。。そう思っていた。

しかし夫が亡くなってまだ3ヶ月というこの日に、私は20年来の仲間と一緒に華やかなライトを浴びて舞台に立った。

すべてがウソのような気がした。

立ち見の方まで出て、文字通り満席のお客様のまえで楽しく歌い、踊り終えることが出来た。

歌った曲の中には夫を思い起こさせる歌詞があり、メロディーがあり、ともすると喉の奥が締め付けられるようになって歌どころではなくなる。泣きじゃくってしまいそうになる。でも、それでは声にならない。。
私は何回かの練習で、感情をコントロールすることを覚えた。

だから、本番中は自分の感情に押し流されるのではなく、解き放された自由な感覚の中で歌うことが出来た。うれしかった。

やったよ、憲さん。
歌えたよ、泣かずに。。。
歌っている間、とってもとっても幸せだった。

一歩、前進できたと思った。
合唱団の仲間の心からのサポートがあって、私はここまでこれた。

幕が下りたとき、差し出してくれた仲間の手を握りながら、初めて泣いた。
言葉だけでなく、涙だけでなく、皆から貰ったその温かい気持ちが本当にありがたかったし、うれしかった。

一歩楽屋を出ると、聞きにきてくれた家族や友達が待っていてくれた。

「よかったよ、幸せそうに笑って歌っていたね。」「少し元気そうになってほっとしたわ」「ぼくの隣で憲さんがいて一緒に聞いていたよ」といってくれる人までいて。。。

みんな、ありがとう!!

こんなに悲しくて淋しい日々のはずなのに、私は、仲間の温かさを感じ、
それに甘え、温めてもらい・・・私はありがたさと幸せに浸っている。
こんなにありがたくて、いいのかな。。。憲さん・・
2006年10月28日 (土)
真っ赤なマニキュア

今、久しぶりに真っ赤なマニキュアを塗り終えた。

明日は私の所属する女声合唱団「黎明」の20周年記念演奏会の日。
夫も聞きにくるはずだった演奏会。いつもいつも、早々に駆けつけて、ニコニコと応援してくれていた演奏会。

「悲しいでしょうけど、演奏会の舞台で一緒に歌おうよ!、貴女の場所はいつも空けてあるからね。きっとその方が憲さんも喜んでくれるわ。早く練習に出ておいで・・・」
20年一緒に歌ってきた仲間達から、温かく励ましを受け、背中を押してもらったお陰で、わずか3ヶ月前に夫を亡くしたばかりなのに私は明日、その舞台に立つ。

心が揺らいでいる最中に、楽しく歌を歌うことは難しいような気がしたが、練習を重ねるうちに感情をコントロールできるようになってきた。

私たちの演奏会は、ちょっと普通じゃない。楽しい舞台、できるだけきれいなステージを見ていただきたい、、という思いが強く、団員の一人ひとりが努力をして美しい姿で舞台に臨む。。

だから今夜、私は洗剤でささくれた指をきれいに整えて、真っ赤なマニキュアを塗った。せめて普通の主婦から、明日だけも舞台人に変身したいからだ。

明日は、大勢のお客様の前で歌い踊る。毎晩一人で練習した成果を発揮しなくちゃ。見ててね。憲さん!! 私頑張ってくるからね。

この舞台を終えたら、私はまた一つ元気の階段を上がれそうな気がする。私を舞台に引っ張ってくれた仲間には、心から感謝している。

私は昔から真っ赤なマニキュアが好きだ。若い頃、母に言われたことがある。「同じ塗るなら、真っ赤なマニキュアがきれいよ。中途半端な色より思い切って真っ赤!がいいわよ!」当時はマニキュアそのものが、普通のお嬢さんは塗らないもの・・と敬遠されていた時代だっのだが、私の母がそういう人だった。

そして結婚してすぐ、私は夫に聞いた「赤いマニキュア塗ってもいい??」「いいよ。似合ってれば、赤だってなんだって、いいんじゃない?」

似合っていたかどうかはわからないが、私は真っ赤なマニキュアがいまだに好きだ。この真っ赤なマニキュアで、明日は華やかに舞台がつとめられますように・・

二人とも、天国から見守っていてね。大きな拍手も頼むわね!
2006年10月26日 (木)
すごい、新庄選手

日本シリーズ。
あまり興味はないのだけれど、新庄選手の最後の花道を見届けたくてテレビをつけた。明るく、はっきりとした個性をあらわにして、日本人としてはめずらしい人だ。完璧な引き際を自分で演出して、主演して・・・すごい!!と思う。

立派に北海道にプロ野球を根付かせ、沸き立たせ、彼自身語っていたとおりの夢を実現させて、、引退。ホントにすごい。

心が沈みがちだった私に、今日の日本ハムファイターズが力を与えてくれたような気がする。笑顔を絶やさず、みんなを楽しませて、自らの花道を日本一という花でかざった新庄選手もえらいが、一丸となって日本一に上り詰めたチームがまた素晴らしかった。

私は新庄選手以外の選手の名前も知らなかったし、ダルビッシュがあのチームにいたことも知らなかった。本当に申し訳ないほど無知なんだけど、新庄選手の夢がみんなの力で叶った瞬間を見て、私は泣けて仕方がなかった。

夢は見るものではなく、かなえるもの。それを目の当たりにして幸せでいっぱいになった。私も笑顔で、上を向いて歩いていこう。本当にそう思った。

新庄選手と会ったことがある。あれはメジャーデビュー直前だった。
ハワイで誰もいない公園で、キャッチボールをしている彼を見つけた。
夫はそのとき「やけにキャッチボールがうまい男がいるなあ」と思い、次女は「あの人の茶髪は普通じゃない、随分お金がかかっている!かっこいい人だな」と思い、私は「ねえねえ、ひょっとして新庄じゃない??あの人・・」と考えていた。

それほど目立たないところに彼はいた。恐る恐る近づいて「あの、、新庄さんですよね?」と言ったら白い歯がこぼれて「ハイッ!」
私が話しかけたのに、隣にいる次女の顔を見て返事をした新庄クン。
私はちょっとがっかりした。

「頑張ってくださいね」と月並みなことしか言えず、向うも月並みに「ハイ頑張ります、、」と返事をしてくれた。懐かしい思い出だ。

今日新庄選手の顔に泣きぼくろを見つけた。
私と同じ場所にある。きっと彼も普段から泣き虫なんだろうな。。。
思いっきり笑って思いっきり泣く。そういう人生っていいと思う。

私も笑って、泣いて、正直に、夢を忘れず生きていきたいと思う。
今日は元気の湧き出た一日だった。
2006年10月11日 (水)
色めがね

ここ数日、澄み切った青空が広がる気持ちの良い日々が続いた。
濃いブルーの空を見上げると、ハワイを思い出す。早く帰りたいな。。。とふと、思う。

今の時期、日本も暑くもなく寒くもなく、、一番幸せを感じる季節だ。紅葉の季節でもある。

夫は紅葉が大好きだった。それが華やかで立派な紅葉の名所のものでなくてもよかった。
そのあたりをドライブしていて、小さなお庭にあるささやかな紅葉も、彼の胸を打つものだった。
むしろ紅葉の名所なんて出かけたことがなかったけれど、いつもこの頃になると、そわそわと落ち着かなるくらい、紅葉を見たがっていた。

「きれいだねえ、、ね、このサングラスをかけるともっと綺麗に見えるよ!みてごらん!」と得意げに言う。紅葉を見るときのサングラスというのが決まっていた。薄茶色のサングラスを透すと確かに、鮮やかに赤と黄色が浮かび上がる。それは見事に・・・

逆に、海を見るときはポラロイドのレンズだと、ブルーのグラデーションがそれは鮮やかに見えることも、夫が発見した。ハワイのあのブルーの海をも、さらに際立たせて美しく見せてくれるのだ。

文字通り色メガネをかけて物を見るわけで「なんだか、それは自然な鑑賞方法ではないと思うけどなあ。。」と反論したこともあったけれど、いつの間にか私も夫と同じように2種類のサングラスを使い分けるようになっていた。これからも私はその習慣を続けることだろう。

何を見ても、何を聞いても懐かしい思い出と結びつく。
でもそれを悲しく、寂しく思い出すのではなく、笑顔で楽しく思い出したい。
それが少しずつ出来るようになってきた。私はちゃんと食べてるし、忙しくしてるし、笑ってるし、時々泣いてるし、、私はとにかく元気に過ごしてるよ。
憲さん!安心していてね。
ところで天国の紅葉って、どんな??
2006年9月28日 (木)
2ヶ月が過ぎて・・・

急に涼しくなった。
季節の変わり目を過ごして、今日はちょうど2ヶ月目の月命日だ。

「もう2ヶ月会っていないな。。」と思うことにしている。今年は残暑があったのか、なかったのか、、それすら覚えていない。毎日毎日ただひたすら生きて来た、、というのが実感で、周りを見渡している余裕などなかった。季節が変わって、ようやく少し心が落ち着きを取り戻しつつある。

この2ヶ月、夫の祭壇のお花を一度も買ったことがない。いつもどなたかからのお花が届き、ありがたいことに今も夫の周りはお花でいっぱいだ。
本当にうれしいわね、憲さん。

あの日々が遠くなるのはとても淋しい。しかし容赦なく時間は過ぎていく。生きていくということはそういうことなのだと思う。週末に長女が泊まりに来る以外は、私一人の生活になり、それにも慣れてきた。ドイツの次女からは頻繁に電話が入るし、長女からも一日に何度か、メールと電話が入る。それだけで元気になれる。うれしいことだ。

明るく胸を張って、凛と生きていければ、、と願うこのごろだ。

11月中旬に、京都のお墓に夫を埋葬することになった。
昨年、夫と二人で大徳寺にある私の実家のお墓にお参りした。そのとき夫も私も自然に「ここがいいね。私たちも。。」と話したのだった。
まさかそれがこんなに早く現実になるなんて夢にも思ってはいなかったのだが。。

「長男と長女同士の結婚が多い昨今、こういうケースは多いんですよ。両家が仲良く同じお墓に入る・・結構なことです。良いことじゃないですか。そうなさって下さい。沢山の方にお参りしていただけるお墓になりますね。それが大事なことなんですよ」。。お寺のご住職は私の質問にやさしく、こう答えてくださった。

跡取り息子ではないから、夫の亡きご両親も許してくださるだろう。夫の兄弟の温かいご了解を得て、私はほっとした。私の母が「あら、憲ちゃん、もう来たの?すこし早いんじゃない?」と、それでも大喜びで夫を迎えてくれるだろう。

大好きだった紅葉の季節に、夫は私の故郷京都で眠りにつく。

また、夫が愛したハワイ永住も決まっている。私たち家族の意向で分骨していただいてあり、ホノルルのダイヤモンドヘッドの麓、ココヘッドや、海の見渡せるダイヤモンドヘッド メモリアルパークでのハワイ永住が決定している。来年一月にホノルルでささやかな埋葬式をする。
きっと夫は喜んでくれるだろう。

最近、心が痛いことがあった。何かの申し込み書類に「家族の人数」の欄があった。いままでなら迷わず4人とか2人とか、そのときに応じて書いていたのだが今回は違った。
「家族 1人」と書くのがとても悲しくなって、ペンが止まってしまった。なぜこんなことを書かなくちゃいけないんだろう?と思った。しばらくは些細なことに傷つくことが多いと、先輩からも聞いていたが、やはりそうだった。

そんなにちょっと悲しい場面だったのに、次の瞬間そんな思いが吹き飛んだ。
次の欄は「既婚・未婚」のどちらかを囲むのだった。私はまじめに迷った。
「ね、いま、私は既婚?未婚?」・・・そばにいた長女に思わず聞いた。
「もう、やだなあ。ママ。。ママは立派に既婚!!でもまあ、独身ではあるわね。。」

大笑いしながら、申込書を書き終えた。「そうか、私は独身か。。」
こんな風に笑ったり、泣いたり、悲しかったり、楽しかったり。。の毎日である。おおいに涙を流し、おおいに笑って、そして、少しずつ元気になっていけそうな気がする。

今日の空は真っ青で、ハワイを思い出した。
2ヶ月前のあの日のハワイも、こんな気持ちのいい日だった。
憲さん、今日はゴルフ日和だね!このごろ、調子はどう??
2006年9月19日 (火)
一人暮らしスタート!

昨日から私は一人で生活を始めた。次女はドイツへ戻り、長女も東京での生活に戻る。。。長女は週末には戻ってくれると言うが、このあたりでそろそろこれからの生活に慣れなければ。。。と思ってのことだ。

「少し気分を変えたほうがいいわよ」と、長女が自由ヶ丘のサロンでヘアカットの予約をしてくれたので、昨日は二人で久々に出かけてきた。ほんの少しだけヘアカットしてもらい軽い気分になった。夫と3人で行ったことのある思い出のお鮨屋さんに寄ったり、ちょっとしたお買い物をして二人で楽しく過ごした。

夕方になり、私たちは自由ヶ丘の駅で左右に別れ、私は横浜へ、長女は学芸大学のマンションへ。。。

こうして、今日から私の一人暮らしが始まった。九州を傷めつけた台風のせいだろうか、日本にしてはめずらしいオレンジと濃いピンクの美しい夕焼けが空いっぱいに広がっていた。帰りの電車の窓からそれを眺め、勇気を貰ったような気がした。最近日本でこんな空の色は見たことがないというほど、雄大で美しかった。

夫が私の背中を押してくれているような気がした。

「今日から一人か。。でも大丈夫。みんながついてる。一人じゃないよ・・・さあ、これからだよ!」

暗くなってから家へ帰るのがつらい・・・ご主人を亡くした先輩がこういっていたのを思い出し、私も外灯をつけてから、外出するようになった。たとえ日が暮れて帰っても、家に灯りがついていてほしいから。。。こんな何気ないことが、心に響くのだ。こんなに繊細だったか。。と思うほど、私の心はいま傷つきやすい。

いろいろな手続きが進みつつあり、忙しい。思いも寄らぬ用事がふってわいてくる。様々なものが夫から私へ名義変更になる。とても悲しい作業だ。それが進めは進むほど夫はもう、この世にいないということを思い知らされる。

でも悲しんでばかりはいられない。一昨日、夫の大きい車とさよならをした。
3週間後、夫の車の代わりに、私のあたらしい車がちょこんとガレージに入るはずだ。すべてが変わっていく。夫のご自慢だった車のハンドルを抱きしめるようにして最後に記念写真を撮った。にっこり笑って。。

こうして一日一日が過ぎてゆき、人生の新しいページが重ねられて行く。
お友達の温かい気持ちに支えられて、先週から合唱団の練習にも復帰した。声も思うように出ないけれど心は確かに晴れてくる。10月29日に合唱団の20周年記念公演が控えている。夫がいたら、何をおいても見にきてくるはずだった舞台だ。

まったくの練習不足で心配なのだが、「一緒に歌おうよ!!舞台に一緒に出ようね!」と、仲間が勧めてくれて、私もその舞台に出ることを決めた。

決めた以上は、今の状況を克服して練習に励むしかない。だから、今私は一生懸命。
いろいろな手続きの合間に、楽譜とにらめっこだ。

夫はいつも、私が舞台に出ることをとても楽しみにしていてくれた。なんだかんだといいながら、いつも応援してくれていた。だから、こんな時だけれど、いやこんな時だからこそ、舞台に挑戦してみようと思う。きっと夫も喜んでくれるだろう。

お彼岸だから、、とお花を届けてくださる方がいて、今日も夫の写真の周りはお花で埋め尽くされている。なんて幸せな憲さん!よかったね。
2006年9月14日 (木)
赤い車

大好きだったワインカラーの私の車「ユーノス500」が、一昨日オーバーヒートを起こし、ついに動かなくなった。夫が亡くなった事で、忙しく役所廻りをしている最中に車が妙に熱くなり、なにかが焦げるにおいがしてエンジンの調子もおかしくなった。同乗してしていた次女が、いつも頼りにしているH君に電話でSOSを発信。H君のアドバイスで、家の近くの日産の工場までたどり着いたが、私の愛車ユーノスは、工場に入ったとたん、まったく動かなくなった。もう修理のしようがないという。

ちょうど買い替えの話が進んでいるときだったので、急遽契約を交わし、新車が来るまでの3週間、代車を出してもらうことにした。迷っている余地はなかった。

こんな大きな決断を自分でしなくてはならないことが心細く、不安だ。
昨日から、私は世帯主になった。こういう文字を見たり、夫の名前があっさりと抹消されていくのを見ていることが悲しい。今になって、新たな悲しさが湧き出てくる。

夫の名前に「故」がつくのがいやだった。亡くなった人と生きている人間を区別するようで、最初に故・・・という文字を見たとき無性に悲しかった。

夫の「偲ぶ会」のことを、HPに載せてくださるというお話があったときその方にお願いした。
「夫の名前に故をつけないで下さい。いつまでも憲さんは憲さんでいさせてやってくださいね」と。。。

私の選んだ新しい車は、今流行のハッチバックの鮮やかな赤のコンパクトカー。
大きい夫の車と、私のユーノスが入っていた車庫に、赤のコンパクトカーが一台入ることになる。

この時期に赤い車?っていう気もしないでもないが、自分が元気になれそうな色を選びたかった。

急に涼しくなって季節が変わるのが感じられる。
一ヶ月半以上、娘達がうちに戻ってくれて様々な面で手伝ってくれ、私を支えてくれていた。父親を亡くした悲しみに耐えながら。。。彼女達だって悲しかったのに。。。

しかしもう、お互いに自分達の生活に戻って慣れるようにしようということになっている。来週からは、初めて私一人の生活になる。

しばらくは週末ごとに長女が家に来てくれるとか、次女も出来るだけ仕事の合間に帰ってくると言ってくれている。とてもうれしい。でも彼女達には「淋しかったらSOSを出すから、ママのことは心配しないで自分の生活を大事にしてほしい」と伝えようと思う。

娘達には力強く支えてくれるパートナー達がいてよかった、と心から思う。

夫との別れの後、娘達が私を支えてくれて、その彼女達を影で支えてくれたお婿さんと彼がいたから、私たち3人はやってこれたと思っている。

憲さんは天国からいつも私たちを見守ってくれているし、沢山のお友達の支えをありがたく痛いほどに感じているし、私はきっと大丈夫だと思う。
おおいに泣いたり笑ったりしながら、元気に生きていけると思う。
合唱団にも先週から復帰できた。仲間の温かさが身にしみた。

赤い車で元気に走り回るから、見ていてね。憲さん!!
2006年9月4日 (月)
新しいページ

九月に入って、秋の気配が感じられるようになった。
今日はめずらしく真っ赤な太陽が西の空に沈むのが家から見えた。
ワイキキのサンセットを見るような気持ちで沈みきるのを見守った。同じ太陽なのに、大きさも色も違っていて面白い。すこし、ハワイが懐かしくなった。

最近日本でこの時期を過ごしたことがなかったので、秋の足音が聞こえる風情を忘れていた。
気持ちの良い季節の始まりだ。

このごろ、周りの皆さんの温かさが身にしみて、本当にありがたいと思いながら生きている。夫がいれば、なんと言うことはなくスムースにことが運んでいたことが、いちいち難しいことになって迫ってくる。

たとえば夫の車の車検が今月末に迫り、私の車の故障が目立って運転にも支障があり、もう限界。。

もともとこの秋に私の車の買い替えを考えていて、夫と選ぶことになっていた。

残された大きい夫の車を操る自信もないので、夫の車を処分して私の車を買い替える必要に迫られている。さて、こんなときいったい、どうすればいいの?とたんに心細くなってくる。

今までいかに彼を頼っていたか・・苦しいほどにわかってくる。
でもこんなとき、助けてくれるH君がいて、私たちは大いに救われている。

H君に助けてもらって、悲しいけれど今月中に夫の車とはお別れして、私の車を買うことになる。私の気持ちとはうらはらに、容赦なく人生の新しいページをめくることを迫られる。

夫との思い出だから。。と、そこに留まってばかりはいられないのだ。

夫と過ごした時間が鮮やかに私の心に刻まれているのだから、新しいページを開くことを恐れないで生きていかねば。。と思う。

夫だったらどう言うだろう?どうするだろう?
と考えながら人生の選択をしていこう。

少しだけ強くなって、昨日から今日にかけて私は涙を流していない。
ちょっとだけ、ほめてくれる?憲さん。
2006年8月31日 (木)
憲さんを偲ぶ会

8月27日(日)午後一時から、横浜のオリエンタルホテル開洋亭で、「憲さんを偲ぶ会」を開きました。ハワイでの葬儀に出ていただけなかった親戚やお友達が、憲さんと会う機会を待ち望んでくださっていました。

そこで、娘たちと3人で会場を決めて、2時間のセレモニーの内容を考え、ホテル側の責任者と2晩にわたって話し合いをし、司会の役を引き受けてくださったHさんをも交えて演出を考えました。

当日は憲さんを思い出して、ビール片手に楽しく歓談していただけたら、憲さんはなにより喜んでくれるだろう。。との思いから、一生懸命用意しました。すべて手作りでした。

出席いただく方へのご案内、ご連絡。。。印刷物の作成・・・
数人の方のスピーチをお願いしたり、私の所属している合唱団による賛美歌をお願いしたり・・

献花の時のバックグラウンドミュージックは、静かなハワイアンを選び、お食事開始になったら少し賑やかめのハワイアンが流れるようにして、、、だんだん「偲ぶ会」が具体的になってくると、そのことで頭がいっぱいで悲しさや淋しさが紛れていました。

これがうまく行ったら、憲さんが戻ってくるような気さえしていて、皆で頑張って準備に取り掛かっていました。

当日は予想を上回る200名近い方々がいらしてくださり、沢山の花かごが寄せられ、思ってもいなかったほど立派な会になりました。皆さんのおかげで素晴らしく、温かい心いっぱいの会になりました。憲さんを通して、そこにいらっしゃる方が一つになっていくのを目の当たりにして、私は幸せでした。

娘たちも、パパと親交を持ってくださった方々の多さに驚き、自分達が知らなかったパパを改めて見ることが出来たようで、彼女たちも嬉しかったに違いありません。
私たちが選んだ、思い出深い「憲さんの写真」の展示コーナーには、列が出来ていて、皆さん楽しんでくださったようでした。

ビールによる献杯で、会場の雰囲気も一層なごみ、スピーチも素晴らしくて・・・

女声合唱団黎明と一緒に、賛美歌「神ともにいまして・・・」を合唱する頃には、泣き笑いしながら皆さんが心を一つにして憲さんを思ってくださっていることが、目に見えたような気がしました。

最後に、長女と次女がパパとの思い出を話しました。
涙あり笑いありの、2時間はあっという間に過ぎ、偲ぶ会は終了しました。
お一人お一人とご挨拶をして、皆さんがお帰りになったあと、これほど沢山の人たちの中に、それぞれの憲さんの思い出があるのだと思うと心が温かくなりました。

私たちにあふれるほどの思い出を作ってくれたパパ。私たち家族はそれを大事にしながら、新たにページを重ねていくことで、パパにいつか胸を張って報告できるような私たちの人生を作っていこうね。。娘達と話しました。

二人の娘は今、心を一つにして私を支えてくれています。
家には、「私の半分はパパ。。」が二人いますから淋しくないはずですもの。
又一歩前進できたような気がしています。憲さん、見ててね!
2006年8月23日 (水)
置手紙

「オハヨー、今日の予定はフラレッスン。帰宅は4時半ごろ。夕方からはフリーで〜す」
「ゴルフから帰ったら、買い物に行こう。今夜はステーキかな?」

私より早く起きる憲さんに「オハヨー、」で始まる置手紙をダイニングテーブルにおいて寝るのが私の日課でした。日本でも、ハワイでも毎日、こんな置手紙を交わして、それぞれの生活を楽しんでいました。

憲さんへのメッセージを書かなくなって、もう一ヶ月近くになります。
彼からのメッセージもテーブルの上にはもうありません。でも今は、手紙を書かなくても私のことはお見通し。憲さんは天国からしっかり見守ってくれているのだと思っています。

今日は玄関の門灯の電球が切れて、付け替えました。ネジが固かったけど何とかできました。こういう風に一人の生活に慣れていくのね・・そう思いながら。

ここ数日、私はメソメソ泣いています。あれからかなりの時間が経っているのに・・・

「涙が出るのはいいことだよ、今までママは不思議なほど泣かなかったものね。泣けなかったんでしょう。気が緩んできたんだと思うから、思いっきり泣けばいいのよ。。」と長女に言われボロボロ泣きました。彼女も一緒に・・
「ママ、、私の半分はパパなんだよ。それを忘れないでね。だから私はパパに教えてもらったことを大事に守っていくからね。ママも今までどおりのママでいればいいのよ。無理に頑張ることはないわ」

大好きだったパパを亡くして悲しいのは娘たちも同じなのに、私は彼女たちによって力強く支えてもらっています。

憲さんは天国で「なんだ、だらしないなあ。。。ママ。いつもの強さはどこへ行った?」と笑っているかもしれません。

私が合唱やフラに熱中していることを、とても喜んで応援してくれていた憲さんの気持ちに報いるためにも、元気で心からの笑顔で歌ったり、フラを踊れる自分に戻れるように、気持ちを持っていこうと思っています。

今日はまた、ドイツから次女が一ヶ月の休暇をもらって帰ってきてくれます。
また少し心が落ち着くような気がします。

それに仕事で来ることができないと、残念がっていた娘婿もドイツからトンボがえりで駆けつけてくれることになり、「憲さんを偲ぶ会」に出席してくれることになりました。ありがたいことです。
憲さんが愛した娘婿のカーステン君も、憲さんが大好きでした・・・
2006年8月9日 (水)
12日に夫とともに帰国します

あの日から、約2週間が経ちました。

憲さんが亡くなったという現実を受け入れられているのか、そうでないのか。。自分でもわからないうちに時が過ぎていきます。

周りの皆さんの温かさに支えられておかげ様で心は少し落ち着いてきましたが、一日中胸の鼓動が体中に響いているような気がします。そこだけがいつもと違っています。

日本から、ドイツから駆けつけてくれた家族がそれぞれにハワイを離れ、長女だけが今もハワイに残ってくれています。本当に助かっています。こちらでの慣れない事務的な処理を本当に良くやってくれました。やっとそれも今日までに一つ一つ解決しました。

8月12日午後成田着の飛行機で夫と共に3人で帰国します。

ここまでなんとかやってこれたのも、周りの友人の皆さん、家族、そしてこの日記を見てくださっている方々からの沢山のお励ましのおかげです。本当にありがとうございました。

これが夫に与えられた「天命」だったとしたら、これほど愛したハワイで、突然天国へ旅立ったことは本当に幸せだったのだと確信しています。

夫は「フラを続けることで、あなたのこれからの人生はもっと充実していくと思うよ。がんばるといい。。」とついこの間も言ってくれていましたし、最近の私のフラの活動をこころから応援してくれていました。

先週の金曜日(夫のお別れ会の翌日)、私はフラのレッスンを再開しました。
きっとそのほうが夫は喜んでくれると思いましたし、このつらい時期を癒してくれるのはフラだとわかっていましたから。

レッスン場では、日本からきているYさんとK先生が温かく迎えてくれました。お二人とも「早くフラを踊れるようになるといいね、、」とそれとなく私に勧めてくださっていました。

私自身は踊ってもまだ足が地につかない感じで、顔もこわばっているのが良くわかりました。

でも、レッスンを続けるうちに少し心が落ち着いてきました。容赦なくK先生の注意が飛び、あえていつもどおりのレッスンをして下さっていることに、ありがたさを感じました。でも後半はYさんとK先生のウクレレと歌にあわせて、私が踊る。。。という時間を作ってくださり、その心遣いが心にしみました。

お別れ会のとき、K先生は号泣して憲さんにお別れをしてくださいました。
夫もK先生が大好きでしたし、先生もそうだったのでしょう。

人が亡くなることの考えかたについて、今日K先生から今話を聞きました。
「ハワイアンは人が亡くなるとその人のために泣いて悲しんでお葬式をする。でもそのあとは、その人の送った一生を祝福して大パーティーをする。歌も歌うし、フラも踊るんだよ。決して暗いものではない。その人の人生を賛美して皆で祝うんだよ」

私もハワイアンのお通夜に行って、ニコニコしてフラを踊った経験があります。今まで立派に生きてきたことを祝い、すごいね、いい人生でよかったね。。と送ってあげたい。。私もそう思います。

今、この苦しいときをハワイで過ごさせてもらったおかげで、私たちの家族の心も癒されましたし、なにより明るく夫を送ることが出来てよかったと思っています。

私は一人になってもいつものように、ハワイに戻って来るつもりです。
ハワイでのお友達が待っていてくださいますし、なにより夫がそれを喜んでくれると思います。

「私のハワイ日記」はひとまずお休みですが、今後は普通の日記として続けて行きたいと思います。天国の夫への近況報告のようなかたちで書ければいいな。。と思っています。今後ともよろしくお願いします。

今日、報告することが一つ。
ハワイでは憲さんにお任せしっぱなしだった車の運転を始めました。
憲さんの好きだった黄色の車に乗ってとりあえずお買い物にいけるようにならなくては。。と緊張して走り出したら案外スイスイと運転が出来ました。
「調子に乗らないように!」と長女に戒められるほど、快調に飛ばしました。
2006年8月2日 (水)
ご報告 ホノルルから

突然「夫・憲さん」が、天国に召されました。
「大好きなハワイで、ゴルフを楽しみ、この空気の中でいられることが、本当に幸せだねえ。。」と亡くなる数時間前まで話していました。ごく普通にゴルフチャンネルを見ながら、テレビの前で・・・

7月20日に発病して入院、3日後に元気に退院。
そしてそれから28日未明に亡くなるまでの最後の一週間は、私たちにとって神様から頂いた至福のときだったような気がします。本当に充実した日々でした。

本日(ハワイ時間の8月1日)、最後のお別れをして荼毘にふし、彼は天国へ行きました。
ほんとうに元気な姿のままの憲さんでした。

明後日、こちらでお世話になったかたがたや、ゴルフのお仲間とのお別れの会を開きます。
こちらでも沢山のお友達に支えられて、私たち家族は本当に救われました。

日記を読んでくださっている皆様も、ご心配くださってありがたく思っています。

「私のハワイ日記」をいち早くチェックして、必ず誤字など間違いを指摘してくれた憲さんはもういませんが、これからも出来るだけ機会を見つけて、私の日記を書きたいと思います。

暖かい皆様のお励ましを頂いて、私たちもようやく落ち着いてきました。
パパの思い出を、娘たちと泣き笑いしながら話し合えるようになりましたし、ハワイの青空と風が私たちを癒してくれています。

皆様にはご心配をおかけいたしましたが、私は大丈夫です。
憲さんのあの笑顔を思い出しながら、元気に生きていくつもりです。
ハワイにも来ますし、今までと同じように暮らせたらと願っています。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

日本に戻りますのは10日ごろだ思います。
日本でもお別れの会を。。と思っております。

いろいろなお心遣いありがとうございました。
心から感謝しています。

京子
2006年7月24日 (月)
心がアンバランス。。。

朝、退院のご挨拶をしたくて、Fさんのオフィスに伺った。
いつも元気なFさんが「良かったですね、元気になって。ぜんぜん変わらない。。でも少しスマートになったね!」と大声で迎えてくださってうれしかった。

お忙しい社長さんなのに、彼のオフィスで楽しいおしゃべりの時間が過ぎていった。
今夜、夫の退院祝いの食事をしましょう!と言ってくださって、親しいお仲間が集まってくださることになった。こちらがお礼に伺ったのに、逆に「快気祝い」をしてくださることになって、恐縮。

今日は京都から帰ってきてはじめてのフラのレッスン。久々のレッスンと言う気がする。

京都から帰ったあくる日、夫に思いもかけないショッキングなことが起きたので、フラのことが頭からすっかり消えていたし、踊る気も起こらなかった。こんなことは初めてだった。

でも今日からはYさんというフラ仲間も一緒にレッスンだし、もう気持ちを入れ替えなければ、、と思い楽しみに出かけた。夫も元気になったのだし、晴れ晴れと。。。

でもK先生の顔を見たとたんに、張り詰めていた自分の気持ちが一度に緩んでしまった。

「先生、夫が大変だったの。。そう、先生と夫がホノルル空港で会った、あくる日にね。ゴルフ場で気分が悪くなって、、入院・・」そこまで言うと涙が出て、とまらなくなった。

やはりいままで、一人で気持ちの上で頑張ってしまっていたのだろうと思う。
先生は私の息子みたいな歳なのに、一生懸命励ましてくれた。
「大丈夫だよ、彼は強い体をしているもの。大丈夫だよ。だってもう元気なんだから、、」

夫の体の順調な回復と、私の精神的な立ち直りとにズレがあって、私はいまだに心配のかたまり。。

これではいけないと思うのだが、いつもは夫にも強いなあ、、といわれる自分が今回だけはだめだ。

私を不安に陥れる一つの原因は、日本の保険会社から、度々私にかかる電話にある。
この疾病治療に当たっての保険料をある程度算出するためなのだろうか・・・とにかくよくかかってくる。急病人を出して、心穏やかでない家族にはとても冷ややかに思える言葉使いで。。応対する私のほうがだんだん落ち込んでいくのだ。

そんな私を尻目に、夫は今日も元気にドライビングレンジに出かけていた。
それはとてもうれしいことだ。

夕方Fさんたちゴルフのお仲間による、夫の「快気祝い」をしていただいた。
おいしい日本食で「カンパイ!」
退院後初めて夫はビールを口にした。きっと、おいしかっただろう。

でもでも、徐々に、少しずつ飲んでね。

お医者様がおっしゃった生活面の注意より、私は多分厳しいことを言っている。
もうすっかり元気なのはわかるけれど、私はまだしばらく心を鬼にして「心配のかたまり」であり続けて行かなければと思っている。

とはいえ、あまり私が不安がって心配するものだから、今日は夫が逆に「心配するなって、大丈夫だよ!」と私を励ましてくれた。

今日はフラもあり、快気祝いのディナーもあり、Yさんとも会えたのに少し私がナーバスになっていた。

心のバランスをとらなければ。。。。
2006年7月23日 (日)
ダイヤモンドヘッドの頂上から。。

こちらに滞在中のフラの仲間Yさんが、今朝ダイヤモンドヘッド登山に挑戦するという。今、彼女はお嬢さんと一緒にいらしている彼女のご両親をつれて、毎日案内をしながらハワイを楽しんでいる。

昨日、そのYさんから電話があった。
「明日の朝、ダイヤモンドヘッドに登るんです。京子さんのコンドを見下ろせて、ダイヤモンドヘッドの展望台からお家の窓が見えるって言ってましたよね。そして京子さんちには、望遠鏡があってこちらを見ることが出来るんですよね?頂上からお電話しますから、こちらに向かって手を振ってください。そして望遠鏡でこちらを見てね!」

朝から楽しみに電話を待った。予想より遅く10時半ごろ電話があった。
「今頂上です。見てください。手を振ってるの見えますか?」

望遠鏡をのぞくと、Yさんとご一家らしい人が手を振っている。夫が望遠鏡をのぞきながら、電話で「Yさんの隣の人が、貴女のお父さん??」などと話している。私は窓から懸命に白いタオルを振った。

でも相当に遠いからYさんからは、タオルが見えないようだった。とっさに夫が、「ちょっと待って!」と部屋に立てかけてあった長方形の鏡を窓の外に差し出して、輝いていた太陽の光をダイヤモンドヘッドに反射させた。

電話は私が引き受けていた。
鏡をゆらゆらさせると光が頂上まで届いたようだ。
「あ、光が見えます。キラキラしてます。わかるわかる。。。すごーーい。ワ〜〜!」Yさんが叫んでいる。

望遠鏡のなかでYさん一家がこちらを見て手を振るのがはっきりわかった。こんな交信をしたのは初めてだった。

夫のアイデアに感心した。すごいじゃない、パパ!!

「鏡はね、飛行機のエマージェンシーのとき、たとえばどこかに不時着したとき、下から救援機に自分の居場所を知らせる一つの方法として使われるんだよ。旅客機の緊急事態のときに使う道具の中に鏡が入っているんだよ」・・・・

そうか、知らなかった。今日はたのしくいいお勉強をした。
Yさんご一家も楽しんで下さったようでうれしかった。

先日の夫の入院の日、病院まで送り届けてくださった方々、お見舞いにきてくださった方々にお礼をしたくて午後から夫と買い物に出た。
夫は本当に元気そのもの。
「大丈夫なの??」と思うが、「大丈夫!!」だそうだ。

おまけに夕方には、近くのドライビングレンジで練習してくると出かけて、元気に帰ってきた。
心配だからと、途中で必ず電話を入れるように頼み込んで、夫からは頻繁に電話がかかるようになった。
「もしもし、元気で玉を打ってるよ!」
「もうすぐ帰る。。元気だよ」

もう誰にもとめられない。。。
2006年7月22日 (土)
元気にドライブ!

夫は至極元気。
「今日はドライブに行こうか?」と言う。
ちょっとびっくりするほどの元気さだ。

ドクターは退院後はなにをしてもいいと言っていたし、車の運転も疲れるかもしれないが、「今日はゴルフに行く!!」といわれるよりはいいし、ゆっくりならストレスの解消にもなる、、と思って行くことにした。
いつものサークルアイランド。

今日は特に日差しが強く、きれいな海の色が広がって、最高のドライブ日和。
マカプウ岬にさしかかると、工事中だった展望台が出来上がっていた。車を止めて、行って見るとそこから見下ろすマカプウビーチやラビットアイランド、シーライフパークがきれいだった。
この展望台が出来るのを私は待ちかねていたのだ。期待通りでよかった。

展望台の近くから、スカイダイビングの人たちがまさにマカプウビーチに向かって飛び出そうとしているところだった。夫は大喜びで見物。

ダイバーの奥さんらしい人がそこにいて、ご主人やその友達が飛び立つのを見守っている。夫はその人と盛んに話していた。私は写真をとったり、海を眺めたりしながら、二人に近づいていった。

「こんにちは、、」アメリカ人とはいつどんなときでも旧知の友のように話し合える。
「信じられないでしょうけど、彼は昨日退院したばかりなのよ。。今日はいい気持ちでドライブしているの」「それはいいわね。。。でもお大事にね!」

空にいることには慣れている夫でも、スカイダイビングなどこわくてとても出来ないと思うけれど、まさにその離陸?を、初めて間近に見て、本当にうれしそうだった。やはり空が好きなんだな。。

カネオヘで、またバーガーランチをしてクアロア ビーチパークへ。。。

チャイナマンズ ハット島が間近に見えるビーチに折りたたみの椅子を二つ並べて出して、ゆっくりと海を眺めた。コーラを飲みながら・・・こんな時間を持ったのは初めてだ。

ここは、ドライブの途中の通過地点、あるいはお弁当を食べるパークでしかなかったが、こうして青い海を眺めてじっとしているのもいいものだ。病気をして、ちょっと一休みという時期にこんな贅沢な場所にいられて、幸せだと思った。

いつものコースでハレイワタウンを通り、パイナップル畑をまっすぐに突っ切りホノルルへ戻ってきた。
「さすがに疲れたんじゃない?」と運転中の夫の横顔を見たら、「僕は大丈夫、貴女は疲れていたらしくて、ずいぶんよく寝てたよ」だって・・・。

そんなことをしておいて、こういうのもなんだが、あんまり急がないで夫にはゆっくり養生をして欲しい。

でも今日のドライブは気分転換、リフレッシュ・・・とても楽しかった。
2006年7月21日 (金)
夫、退院!おめでとう!

今日は退院の日。あっけないくらいに3日が過ぎ、晴れて退院。
アメリカの病院の動きの迅速なこと・・・これはすごかった。日本でなら少なくとも一週間は入院と言うところだろう。アメリカは入院費が異常に高い。だからのんびりと入っていられないし、置いてもおけないという事情もある。。これから先は自分で養生をしなさいよ・・と言うことだろうと思う。

一通りの本日の検査が終わると、退院。海外医療保険で、すべてカバーされるのでキャッシュレス。一切現金を払わないで退院だ。処方箋をもらってこれから飲むことになるお薬を買いに行くのも患者の仕事。「はい、お帰りにでもロングスドラッグスでこの薬を買ってくださいね。。」と看護士さんが、にっこり。医薬分業になったとはいえ、日本では病院と薬局が近かったりして便利だが、ここは違う。習慣の違いとはいえ、驚くことばかりだ。

とはいえ、30年前、子供を二人連れてアラスカに住んだことのある私たちは、病院に何度も通った経験もあり、そのときからアメリカの医学界のものの考え方が気に入っていたので、合理的で、患者の人権を重視した判断や指示に心地よさを感じた。カテーテルを入れた傷口がふさがったら、必要なら自分で消毒をするだけで大丈夫。。カバーしていたガーゼを取るのは、患者だ。

ドクターの見解では、心臓がすこし弱っているので、薬を飲みながら、定期的に検査をして行くこと。日常生活は走ることは自重して、お酒もぐっと減らして、塩分を控えめに・・その上で、ゴルフ、旅行、なんでもしていいですよ。。とのことだった。

気は若くても高齢ではあるので、心臓も疲れているはずだ。
いたわりながら、使っていかなければ。。ということだ。

タクシーで帰宅。ほっとした・・・・

しばらく休んで、アラモアナのロングスドラッグスにお薬を買いに行く。
30分ほど時間がかかるというので、次に行ったところは「シアーズ」。
今まで「必要ない・・」といっていた夫だが、こんなことがあったことだし、やはりハワイでも携帯電話を持ってもらうことにした。シンギュラー社の私と同じ携帯を買った。キャンペーン中だったのでホルダーと、ハンドフリーで話せる装置がついていてとくをした感じ。私のにはついていないのに・・・・
ロングスに戻ってお薬をもらった。

家には何も無いので食料を買い込んで、帰宅。
塩分とアルコール、ぐっと控えめな生活の始まりだ。

夜、私は今ハワイに来ているフラの仲間MさんとYさんに会いに出かけた。Mさんのお友達Cさんも一緒に滞在中のコンドの一室で楽しくおしゃべり。ふと夫のことが気になったが、私も京都から帰って以来、心が落ち着くことがなかったので、楽しく、ありがたい時間をすごさせてもらった。

急な夫の入院で、ハワイで会いましょう!という約束が果たせなくなるところだったが、時間が取れてよかった。Mさんは夫に。。とお土産ませ持ってきてくださったのに、今回は会えなくて申し訳ないことをした。
せめても・・と夫と電話で話をしてもらった。

少し疲れた心臓をいたわって、夫には元気になってもらわなくては・・
夫は私と違って、我慢強く、頑張ってしまうタチ。。

今日退院した人とは思えないくらい、元気なのはうれしい。
でもでも、自分をいたわることもしてほしいと、心から思う。
でも、退院おめでとう!
娘たちもほっとしたようだ。
2006年7月20日 (木)
夫入院2日目

夫入院2日目。
朝、Fさんの車でクアキニ病院へ送っていただく。
昨日より元気そうな夫がいた。
酸素マスクが邪魔だというほどになり、お腹もすいてきてきたらしい。でもすぐには食べさせてもらえない。午前10時過ぎから心臓のカテーテルの検査が始まった。手術室の前で、約45分待ったところで、担当の心臓の専門のドクターフクヤマが、出ていらして結果の報告があった。

心臓が少し弱っているための肺水腫だったが、水がうまい具合に良く抜けたので明日にでも退院ですよ。。とのことだった。心臓の血管はきれいで心配した梗塞や壊死はなかった・・・とのこと。

激しい運動以外はゴルフ、旅行、なんでもしていいですよ。。。と言う言葉にホット胸をなでおろした。

これからは年相応に、無理をしないで体をいたわりなさいよという、神様からの注意信号だとおもうことにしよう。カテーテルの検査のあと、やっとオレンジジュースと、アップルジュースを飲ませてもらって夫は幸せそうだった。午後からこれも一日半ぶりの食事。

気が付いたら私もお腹がすいていたので、病院の近くのリリハベーカリーに行ってパンケーキを食べた。久しぶりにアメリカらしい味を楽しんだ。あまりに大きいパンケーキだったので、食べきれるかしら?と心配になっていたら、隣に座っていた可愛い3才くらいの女の子が、「あのパンケーキが欲しい。。」と私のお皿を指差している。

「いいわよ、これあげるね、食べていいわよ。。。私には大きすぎるからね」切りわけてあったパンケーキにシロップをたっぷりかけて、あげた。その子もママもうれしそうに、食べてくれた。

病室に戻って、夫に付き添った。まだ管につながれているので、自由に動けないが元気になってきたのが良くわかってうれしかった。すぐにでもゴルフに行きたいという。そんな無茶な!!

夕方遅くなってから、タクシーで帰宅した。
帰ってからは日本との連絡、医療保険会社からの電話など、、結構忙しかった。夕食が9時になってしまった。

明日は退院だ。
なんと言うめまぐるしい日々だったことか・・・
2006年7月19日 (水)
夫の緊急入院

時差もあり、疲れもあり、朝早く夫がゴルフに出かけたのにも気がつかないほど、熟睡していた。ようやく目覚めた頃、電話が鳴った。夫のゴルフ仲間Fさんからだった。
「京子さん、いま連絡が入りました。ご主人がゴルフ場で倒れました。今、クアキニ病院に入りました。京子さん、どれくらいで出られますか?保険証と、パスポートとだけをもってすぐに下に下りてください。いま迎えに行きます!!」  一瞬信じられなくて、ボーーっとした頭に浮かんだ言葉は「なんで?何で、私のいないところで勝手に倒れたりしたの?」という訳のわからない言葉だった。

保険証とパスポート、それにそこにあったありったけの現金をつかんで、取る物もとりあえず下に下りて、Fさんを待った。夫の容態もわからないまま、頭の中は空転していた。Fさんのベンツが滑り込んできて、ワタシは飛び乗った。Fさんは平静を装っているように見えた。
病院まで約20分。今思うと、何も考えていなかったような気がする。

クアキニ病院は設備の整ったきれいな病院だった。緊急処置室と書かれたところへ案内されたが、夫に会いに行く前に私は足止めされてしまった。「まず医療保険証を提示してください」という。支払い能力の無い人はここで選別されてしまうのかもしれない。アメリカの医療費はびっくりするほど高い。海外旅行医療保険に入っておいて良かった。。とつくづく思った。そんなことより、まず夫に会いたかった。「彼は大丈夫よ、そこの部屋にいるわ。だからまずこの書類の提出を。。。パスポートは?クレジットカードは??」。。。いらいらした。ようやく手続きが終わるとやっと私を中に入れてくれた。
その直前に夫の声が聞こえたような気がした。「生きてる!」と思った。

部屋を恐る恐るのぞいてみると、ベッドに上半身を起こした姿勢で寝ている夫がいた。
すっかり入院服になっていて、姿は病人。。だった。酸素吸入をしている。息が苦しそうだった。
「どうしたの?息が苦しかったの?まだ苦しい?」
「うん、ずいぶん楽になった、どうなるかと思ったけど。。」と夫。
「よかった、思ったより元気そうじゃないですか。。」とFさん。
夫の生きている姿を見てやっと私の頭の中に血が戻ってきたような気がした。涙は出なかった。

今朝、何事もなく家を出た夫と3人のゴルフ仲間が、車でヒッカム空軍基地の中のゴルフ場へついたとたん、夫の異常な息づかいに皆が気が付いてくださり、これはいかん!とばかり、そのまま車を飛ばして、日系のお医者様が多い、クアキニ病院に運び込んでくださったのだそうだ。
今日のゴルフのメンバーの中に日系のアメリカ人Yさんがいらしたこと、ハワイに長く住んでいらっしゃるOさんがいらしたことが、なにより幸いだった。良い病院へ救急車より早く、的確に収容してくださったことが、とてもありがたかった。それに「もう彼は死ぬ!京子さんを早く呼ばなくては。死に目に会えんぞ!」と心配して下さって私に急を知らせることに専念してくださったTさん・・・

こちらの医療チームの検査など処置はとても迅速で、的確だ。エコー、レントゲン、血液検査、心電図、血圧。。あっという間に検査をしつつ、すぐに治療が始まったという。夫の心臓が少し弱っていたため、体に水分がたまり、ついには肺水腫になってしまったための呼吸困難。その水分をお薬でドンドン排出させるのが主な治療だった。どこに入っていたのかと思うくらい、大量の水分が体から出て夫は楽になってきたというわけだ。気が付かないうちに大変なことが体の中で起こっていたのだと思うと、恐ろしい。明日は心臓のカテーテル検査、、と言うことになった。
夫自身はもうほとんど普通に戻っていて、早速お見舞いにきてくださった方と談笑。今からでもゴルフが出来る、、と言うくらい元気になっていた。入院から数時間後のことなのに。。
ただし、酸素は鼻から入れてもらっているし、管につながれた立派な病人姿ではあった。お見舞いの立派な花かごが届き、それと一緒にポーズをとって笑顔でカメラに収まったりする余裕も出てきた。不謹慎かもしれないが、これを東京と、ドイツの娘達にメールで送って安心させてやりたかった。「パパ倒れる!」の第一報だけでは、きっと心配しているに違いないから。

夫の枕元には専用の電話があり、自由にかけられる。テレビもあるし完全看護。アメリカの病室は明るい。看護士さんたちも飛び切り明るい。先生方もはっきり物を言ってくださるので、わかりやすい。ちなみに主治医のお医者様は日本語、看護士さんたちは英語。言葉が通じやすくてありがたかった。おそらく明後日には退院でしょう、といわれ、その速さにはびっくりし、またとてもうれしかった。
2006年7月18日 (火)
ホノルルへ!ところが・・(京都編)

京都最後の日。今日も雨。
さすがに張りつめていた気が一気に緩んで、Iさんも私も朝からぼーーっとしていた。けれど昨日の余韻がどこかにあり、話が途切れない。おしゃべりしながらも、私はハワイへ戻る準備をしていた。
スーツケース大小2個をIさんの車に積んで、10時にK先生をホテルにお迎えに行く。先生もチェックアウトだ。

3人で近くの「サティ」というスーパーマーケットへ寄った。
日本のものが大好きな先生なので、目が輝く。でもここが我々日本人と違うところで、よほど気に入らないかぎり、買うということはない。先生に限らず、私の知る限りの外国人の友人たちは、みんなそうだ。吟味した上で、後でセールになるまで待つとか、じっくり見て、やはりやめておくとか・・・・

外国に来ているのだから、欲しいものもあるだろうと思うのだが・・・
気前のいいのは、日本人だといつも思う。

K先生がどうしても日本で欲しいと思っていたのは、ビオレの洗顔フォーム。これは5個くらいまとめ買いだった。これは前の来日でも同じものを選んでいたのでよほどのお気に入りらしい。
それに目薬。。。「日本の目薬はいいんだよね、、」と。

これは私も良くわかる。アメリカの目薬はさしても目がスッキリしない。
かえってカユクなったりする。その点日本のは、ヒンヤリ、シュワっとしみたりして、なんとなく気持ちがいい。スカッとした刺激があるのだ。私もハワイに来るときは2個ぐらい買ってくる。やはり思いは同じなんだなあ。。とおかしくなった。

そんな可愛い?お買い物がすんで、京都の古い民家をそのままレストランにした「へき亭」というところでお昼ごはん。Iさんの生徒さんたち数人が集まってくださっていた。しっとりと雨にぬれたお庭を見ながらゆっくり日本食を堪能した。

昨日のホイケを見ていたある生徒さんのお孫さん(一歳半)が、K先生の踊りを気に入ったらしく、お家に帰ってから盛んに足を踏み鳴らして、「あーあー」とカヒコのマネをしていたというお話が出て、K先生もうれしそうだった。

今回のホイケの舞台でハワイの伝統が少しでも京都の人に伝わったら、K先生が京都まで来た甲斐があるし、Iさんが目指された目的が充分に達せられたことになる。一夜明けて、生徒さんたちの満足そうなお顔を見ていて今回のホイケが大成功したのだな。。と実感した。

夜7時の関空発のユナイテッド航空に乗ることになっていたので、名残を惜しみながらみんなとお別れした。雨の京都ともお別れ。。。

関空からホノルルまで、またほとんど夢の中。よく眠れるなあと思うほど、よく眠った。K先生もそうだったようだ。ホノルル空港に着き、K先生はアメリカ人用の税関を通り、私は外国人用の税関を通って出口で待ち合わせ、荷物を取って先生の車で家まで送ってもらうことになっていた。

そこで事件発生。
私が「不法入国扱い」で別室送りになってしまったのだ。私はここで、もう一度夫と成田へ帰るために用意してある日本への航空券を提示しないかぎり、ハワイ(アメリカ)には入れてくれないというのだ。私はそんなことをしらないから、成田に帰る航空券は大事に家のコンドにおいて来た。今回の京都行きの往復チケットだけを持ってきていた。

「ウチのコンドに帰ればありますが、どうすればいいんですか?夫に電話してもいいですか?持ってきてもらえばいいですか?」と聞いてみても、もう半分犯罪者扱いだから、外部に電話はしてはいけないという。

取調室で待つこと一時間、どんどん時間は過ぎていく。何も知らないK先生は外で待っているはずだ。先生にも連絡のしようがない・・・・・あせった。でも待つしかなくて、ようやく係官と面接して(すべて英語だった・・)なぜハワイに来ているか。なぜいったん大阪にいったのか?質問攻め。パスポートをなめるように点検した係官が、「はいわかりました。かえってよろしい」といったのはそれから20分後だった。

K先生待ちくたびれてるだろうな。。。と大急ぎで外に出ると、待っていたのは夫だった。
「あれ?先生は?  あれ?パパ、今日ゴルフの予定じゃなかったの??」
「先生には、先に帰ってもらったよ。京子が出てこない。。と心配していたけど」・・・

夫はゴルフの予定を変えて、迎えに来てくれたらしい。ありがたいかった。
おかげでK先生をあまり待たせないですんだ。夫と車でワイキキに向かいながら、K先生に電話をした。「ワタシ空港で捕まってました。取調べうけてたの。。」「ええ!なんでまた??荷物が出てこないのかと思ってたのに。。。」先生もびっくり・・・

かくして行きといい、帰りといい大騒ぎの京都行きだった。
「K先生の寝坊と、京子の不法入国騒ぎ。。おあいこだね、、」夫が言った。一生忘れることの出来ない京都行きだった。
2006年7月16日 (日)
ホイケ当日・その2(京都編)

本番ではたのしいいタヒチアンが流れ、客席の人たちの手拍子も引き出しながら先生はお得意のダンスを披露。喝采を浴びた。
そのあと私達のカヒコ。先生はタヒチアンの格好のまま、イプヘケの前に座りチャンター変身。まだ息が切れているだろう、と心配したが見事に唱えてくださった。踊り手の掛け声(カヘア)とあいまって、曲が盛り上がっていく。とても気持ちよく踊ることができた。難しかった「タコ」がテーマのカヒコが無事終わった。ちょっとほっとした。

次は私のソロ「コケエ」。数分の間に広がったままのカヒコヘアから、アップに結いなおさねばならない。私はヘアの扱いが下手。まして急ぐと大変なことになるので、前もってYさんにお願いしておき早変わりを手伝っていただいた。おかげで無事間に合って、気をもまずに用意をすることができた。いよいよ私の番。薄紫のトレスにIさんが選んでくださった紫のクロシェットレイ。頭は紫色の花で飾られたハク。。。ホントのフラダンサーになった気分で出番を待つ。

K先生に言われたとおり、舞台いっぱい使って動く!と言うことができるかどうかが問題だったが、それはとても難しく、ある意味でとっさに振り付けを変えることでもあり、即興ではまだ私には無理だった。

笑顔を忘れずに、、というもう一つの教えを守ろうとしたら、ライトで乾いていた前歯に上唇が張り付いてしまって、下りなくなってしまった。客席から見たら白い歯がこぼれて、笑顔に見えただろうが・・

またまた早変わりで、ハナレイムーンの準備。サテンの愛子さん作のドレス登場だ。。頭には白いゆりの花をモチーフにしたお花をつけて、白い花のレイ・・・やさしいハナレイムーンの曲にぴったりの衣裳。
ゆったりとしたやさしいこの曲もなんとか無事クリア。やった!!

プログラムの後半で、Iさんのお弟子さん達の中で永い間レッスンに励まれている方への表彰があり、Iさんのご配慮で、私にまでK先生の生徒としてご褒美を頂くことになっていた。

1人1人、K先生からマイレレイをかけていただき、ハグ。。
フラの生徒として、とてもうれしい瞬間だった。

舞台の最後を飾るのは、K先生のカヒコ2曲。本格的な衣裳で、かっこよかった。床をドンドン踏みしめる振りが多く迫力満点。京都でこれだけのカヒコが見られるのは稀だろうと思った。お客様たちも興奮気味に見ていらしたし、フラダンスというものへの認識が変わったことだろう。

お帰りになるお客様に、声をかけられた。「もう、すっかり興奮しました。フラってすごいんですね。。。感動しました」
これこそIさんの「夢」がかなった瞬間だったと思う。

ここのホイケはこれでは終わらない。終演後45分の休憩のあと、生徒さんたち25名が残って、K先生によるワークショップだ。疲れきったはずの生徒さんたちはK先生の厳しい基本レッスンに耐えて、さらに「ロイヤルハワイアンホテル」を振付けてもらった。私も加えていただいたが、頭は既に飽和状態。でも、とても楽しく最後まで盛り上がったホイケになった。

初めてのフラのステージ。。私にとってとても幸せなチャンスを与えてくださったIさんと、いつも、あきらめずに教えてくださっているK先生に感謝感謝。

フラの初舞台が私の故郷・京都であったこともうれしかった。
また東京からEさん、滋賀県から高校時代からの友人Mさんが駆けつけて舞台を見守ってくださったことも心強かった。

明日はもうハワイに帰る。。夢のような旅が終わってしまう。。
2006年7月16日 (日)
ホイケ当日・その1(京都編)

ホイケ当日。《日本時間7月17日(月・祭日》
朝から雨。京都に来てから太陽を見ていない。早朝から舞台化粧をして、ホイケ会場へ。本番独特の緊張感があたりに流れている。私はこの空気が大好きだ。

私の楽屋は広いのに、K先生とIさんと、それに私の3人のためのようで申し訳ないみたいだった。私は楽屋に入ると、まず化粧前の鏡の前に自分の出番の順番にアクセサリー・小物・化粧品を並べた。バレエ団時代の習慣だ。ふとみるとK先生も申し合わせたように同じ事をしてる。仕事として舞台を勤める者には欠かせない裏わざかもしれない。何があってもそこへ行けば、自分のものがある。。と言う風にセットしておくのだ。

あまりに広い部屋を占領しているようで申し訳なく思っていたら、可愛いケイキ(子供)たちが、入ってきて楽屋がにぎやかに楽しくなった。K先生はすぐに子供達に囲まれて人気者。先生は子供が大好きなのでとってもうれしそうだった。

それを見ながら私は昨夜Iさんに編んでもらった、三つ編みを丁寧にほどいていった。私の長い髪はチリチリの細かいソバージュ風になっていた。K先生はそれをさばくようにしながら、ヘアブラシを使って荒っぽく逆毛を立てていく。見る見るうちにフワーっとしたあのカヒコスタイルの、ヘアが出来上がった。「一度これしてみたかったの!先生ありがとう!!」感激だった。

ハワイアンはカーリーな髪の人が多いので、これをする必要は無いらしい。髪がまっすぐな人は、三つ編み〜逆毛立てのこの方法でヘアメイクするのだそうだ。髪の毛だけはハワイアン風になった。まずオリコモの衣裳をつける。黒のトップに黄色のパウ。たっぷりギャザーがとってあるのでカヒコらしいスタイルになる。両足手首にはこげ茶色のククイナッツ。首飾りも同色のククイナッツ。髪につけるのはラウアエの葉を模したハク。なんだかとってもハワイアーーンな自分になっていく。

本番がこの「オリコモ」で始まった。まずまず声も張り上げることができて、K先生の返答のオリにうまくつなげることができてうれしかった。それがK先生のチャントによる生徒さんたちのカヒコに続いていく。。いい演出だった。

次の私の出番は2部の「Ka He’e Nui O Wanini」というカヒコ。髪を下ろしたまま、まだハワイアーンな気持ちのまま、紫のスカートと白のトップに着替えて出番を待つ。髪飾りと手首足首の飾りはシェルレイで各自作ったもの。左手首と右足首だけにシェルレイを細工して巻きつける。髪もシェルで作ったハク。。素敵だった。これもK先生のアイデア。

舞台では次々と曲が流れ、ホイケが続く。K先生も特別ゲストとして2部に踊るタヒチアンの用意に余念が無い。さすがにプロ。1人で黙々とややこしそうな衣裳を身につけていく。「手伝いましょうか?」と言うのも気が引けるほど迫力があった。〜続く〜
2006年7月15日 (土)
ホイケ前日も飴とムチ・・(京都編)

京都二日目。時差で、さすがのK先生も朝早く目が覚めたようだ。
外はしとしとと雨模様。Iさんも早く起きてくださって朝食の用意をしてくださっていた。
京野菜のサラダ、スクランブルエッグ、トースト。。おいしかった。
「日本のパンはおいしいんだよねえ。トマトもきゅうりも最高!またこの和風ドレッシングがいいなあ」
K先生と私は大感激。K先生はハワイでも日本系のべーカリーでしかパンを買わないという。本当に日本のパンはおいしい。でも、ドイツのパンはもっとおいしい!というのが私の意見。。

朝食が終わると、Iさんと私のソロの曲を、K先生に見ていただくことになった。
Iさんのリビングは広く、大きな鏡もあってレッスンができる。とてもうらやましいお宅だ。
本番の前の日だし、二人が一曲ずつ踊っておしまい。。くらいに考えていたら、大間違いだった。
Iさんには少しダメだしがあって、Iさんは合格。さすが! それなのに私にはたっぷりのダメだしがあり、床にテープを貼ってそれを意識して動き、移動の位置を確かめるように!という念の入れようだった。特にターニングカホロと カラカウアなど、体重移動の著しい動きについてだ。
明日の本番を前にして、すっかり自信がなくなってしまいそうだったが、そこは良いように解釈するのが私の得意技。。
まだ間に合うから注意をしてくださったんだ。。きっとまだ多少の希望があるに違いない。。そう思うしかない、そう思うと練習が続けられる。

午後からは数名の生徒さんがいらして、私もご一緒する「ハナレイムーン」の合わせと練習ということになっていた。皆さんがいらしたのはちょうどランチタイム。生徒さんたちはお手料理を持ち寄ってくださった。K先生も大喜びで、心のこもったランチをいただいた。エネルギーを入れたところで練習開始。
「ハナレイムーン」は途中まで3人で踊って、繰り返し部分からほかの5人が合流するという演出。ラストはきっちりとポーズを決めてもらって、シンメトリーの形で終わるというK先生による振り付けが加わった。私はこの曲をK先生のもとでハワイで練習をしていたが、ここで皆さんと合わせるのは今日が初めて。やはり少しだけ振りが違うところがあって、それは私のほうが合わせた。

こんなに沢山で踊るなんて滅多にないことなので、うれしかった。
何回か踊って練習はおしまい。踊っていると時間が早く過ぎ、もう3時過ぎ。

K先生は今夜から2泊、近くの温泉のついたホテルに泊まられることになっているので、荷物をまとめてチェックイン。ホテルへお送りしてその足でまたIさんのお家に取って返し、二人で振りの復習。
休む暇などない・・こんなフラ三昧な日々があるなんて・・・幸せ!!
18時からは、明日のホイケの会場で実際に衣裳を着けて練習するドレスリハーサルだ。K先生をホテルでピックアップして会場へ。踊りやすそうな、広い舞台の素敵な劇場だった。
客席数は少ないがアットホームな発表会(ホイケ)になりそうだ。

K先生は、舞台の袖から私のリハーサルを見て「まだまだ、そこ、ちがうよ!」とゲキを飛ばしている。
何を言っているかはわからないが、きっと私のステップが基本を守っていないというのだろう。。

どこまでも厳しい先生だが、面と向かうと "Good job!(よくやったね)" と笑顔で言われる。
やはり飴とムチ・・・かくして、リハーサルは無事終了。少し遅い夕食をとったあと、先生をホテルへ送り、Iさんと二人でお家へ帰る。今夜から2晩は、女性同士気楽な時間が過ごせそう・・・・

と言ってもIさんは明日のホイケの主催者、フラの先生だから用事はいくらでもある。
お手伝いできることは何でもしますよ。。といいながら、私も自分の用意をする・・・
二人でバタバタしていると次第に用意が整い、お茶を飲みながらおしゃべりする余裕が出てきた。
ほっとする時間だ。深夜、Iさんが私の長い髪を、細い三つ編みに編んでくださった。
明日私が演じる「オリ コモ」のカヒコの衣裳に合わせるためのヘアメイクだ。私は三つ編みを何本もぶら下げたまま、明日まで過ごす。どんなことになるか、楽しみだ。「オリ コモ」のための衣裳も、K先生が縫って用意してきてくださった。「オリコモでは、この黄色のスカートをはきます。。」とお見せしておいたのだが、そのトップに先生が選んだ色は「黒」。
重厚な感じの衣裳になりそうだ。

フラの先生は男性でも衣裳まで縫えるのが普通。今回のホイケでもIさんのお手製、またはデザインの衣裳がほとんどだし、K先生作のスカートもたくさん登場する。さあ、いよいよ明日だ。
明日は、お家で舞台化粧をしてから、楽屋入り。11時からの開演に備える。早く起きなくては。。。
K先生は大好きだという温泉に入ったかな。。。
2006年7月14日 (金)
京都へ!ところが・・・(京都編)

私にしては大変な早起き。5時半におきて6時にK先生の携帯に「モーニングコール」を入れると留守電になっていた。6時半にも電話を入れた。またしても留守電。本当に起きているのだろうか。お迎えに行く約束の7時、先生のコンドの前に行ってみたが、人影は無かった。朝早いので通勤の人がまばらに行き来するだけ。再び電話を入れたがやはり、留守電。こうなったら仕方がない。。先生のコンドの中に入ってドアをノックをしてみるか・・・だがセキュリティが固く鍵がないと容易に入れない。人が出てくるのを見計らって頼んで中に入れてもらい、エレベーターに飛び乗ったが、ここは住人専用の鍵を持っていないとエレベーターも動かない。。。来合わせた人にお願いしてその方の鍵で4階まで連れて行ってもらい、先生の部屋番号を探して、ノックの嵐!・・チャイムを激しく鳴らす。。。先生は出てこない。。。

必死でノックしているので、人が出てきてくれる。「どうしたの?」「私、これからここに住んでいる人と日本へ行かなきゃならないんです。でも起きてこないの、、どうしよう、、飛行場へ行くことになってるのに」「そりゃ、大変ね。その人って男?女?」「男です!!」と言ってから気がついた。
『二人で日本へ旅行しよう・・と約束した男性のほうが急に心変わりして部屋から出てこない。捨てられてカワイそうな女性がここでドアをノックし続ける。。。』外国映画でよくある物悲しい光景である。「ちょっとまずいなア」と思ったが、恥も外聞も無かった。結局、先生はいないようだった。

夫の車に戻り「どうしよう。。先生が行けなかったらお話にならないよ。。。私はどうすればいいんだろ。。。」半泣きだった。「とりあえず、先生は明日日本に向けて発てばホイケ本番には間に合うだろ?今日は最悪あなたが1人で行くつもりで。。。後は何とかするから、とにかく、空港へ向かおう!!」夫が促してくれた。こんな時は悪いことばかりを考えるものだ。事故?病気?心臓マヒ?まだ若いのに・・と、不安でいっぱいになりながら、車がホノルル空港に差し掛かったとき、にぎりしめていた私の携帯が鳴った。「K先生」からだった!!「あーー先生!!生きてましたか!え?お家で寝てたの?ホントに?」どうやら本当らしかった。「今からすぐ行く!ところでどの航空会社だっけ?とにかく待ってて!!」

こうして約40分後にK先生、ニコニコと身軽な格好で国際空港に到着。夫も私も気が抜けて笑うしかない。「おはよう!ヘヘヘぐっすり寝てた。。。ふと目が覚めたら8時前。昨日、今回の衣裳の用意で遅くなって、寝たのが4時。6時に起きるつもりが、、ハハハごめん!でもパッキングだけは済ませてたから助かった。。そうでなければ危なかったね〜」
波乱?の京都行きがこうしてスタートした。まだ時間があるからと私はコーヒー、先生はラーメンを食べて搭乗に備えた。飛行機に乗る前にラーメン。。これがK先生のいつものパターンらしいことがわかった。なぜだろう?
早朝に起きたのと、異常に緊張して先生の心配をしたのとで飛行機に乗ったとたんに疲れがどっと出て、関西空港までの7時間、食事以外は映画も見ず、二人ともほとんどぐっすり夢の中だった。

今日は、関西空港から「はるか」で京都駅までお連れするのが私の役目の一つはずだったのに、なぜかK先生のほうが妙に関空に詳しい。先生がショウの仕事で来日するときは、成田について、関空から帰国のパターンが多いのだそうだ。なーーんだ、そうだったのか。。しかしJRで京都に行く方法は知らない。。。と言うので、私は張り切ってご案内をした。

京都駅に着くと、今回のホイケの主催者Iさんが、お迎えにきてくださっていた。Iさんのお宅に向かう。今日は京都の三大祭の一つ祇園祭の宵々山の日。京都駅は観光客でごった返していた。残念ながら、お天気は曇天〜雨。ムーッと京都独特の暑さがあって、懐かしかった。
今日はIさんのお手料理で、夕食をいただいた。アットホームなおもてなしで、K先生はすっかりくつろいで、日本式のお風呂に入り、自分でお布団まで敷いて日本の生活を味わっているようだった。

明日は明後日のホイケに備えて、レッスンが予定されている。私も本格的に皆さんと合わせる練習だ。楽しみ!今夜は長旅の疲れを癒すゆったりとした時間をすごすことができた。Iさんの京都弁も、私には心地よく、すっかり京都弁に戻っておしゃべりをした。K先生ご自身からも日本語が出る回数が多くなって、楽しそう。

さて明日はどんな日になるのかな?
2006年7月13日 (木)
いよいよ明日出発。

いよいよ明日京都に発つ。
スーツケースの中味はそろったが、フラが心配。

今日のレッスンでは、別の曲でしぼられていたので、本番用の曲はほとんどできなかった。

このごろ、基本基本。。。に戻っているのでレッスンが厳しい。
ありがたいことだと思っているけれども、きつい。
足の裏の使い方、かかとの使い方。先生の言葉を借りると「京子はバレエの足を持っているから、ね、、、」だそうだ。フラの足を持つようになりたい。

ほとんどの場合、私の足は外側に向いてステップを踏むのだ。まっすぐあるいは、うちわに出すことができない。
そうすると重心の移動の仕方がフラではなくなる。理屈はわかる。だけど動き出すとわからなくなる。。

上半身の動きはさほど注意されないのだが、この「バレエの足」が問題だ。

レッスンを終え、簡単に打ち合わせをしてK先生と別れた。
先生の京都への持ち物は、衣裳、CD,イプヘケ。。パスポート。
すべて欠かせないものばかり。。
先生が忘れ物をされたら大変なのだ。

明朝はちょっと早い。念のため、6時にK先生にモーニングコールを入れる。そして、夫の車で7時に先生をピックアップして、空港に向かう。
ユナイテッド航空で、ホノルル〜関空なんて初めてのルート。

「飛行機の席は先生と離れて座りたいんですけど。。。」と今日、K先生に言った。なぜなら、8時間以上も英語で話すなんて、私はとても耐えられないから・・。先生は笑って「あ、そうか・・じゃ、いいよ」

今夜は早めに休んで、明日からの強行軍に備えよう。
「梅雨が明けたらしく猛烈に暑くなったよ。。」と日本からメールが相次いだ。
覚悟して行かなきゃ!

しばらく日記はお休み。私のハワイ日記「京都編」が書けるといいなあ、、、と思いつつ・・・
2006年7月12日 (水)
飴とムチ

朝から夫はゴルフ、私は3日連続のフラレッスンの中日。Hさんと二人。昨日Hさんにとっては初めてだったカヒコ、そして今まで習った曲のおさらい。。それに加えてHさんが以前習って、どうしてももう一度教えて欲しいとリクエストしたのが「ワイキキ・フラ」 普通先生はご自分の出身地、カウアイの曲を選ばれることが多い。K先生に習う数少ないオアフの曲だ。

私もこの曲はずっと前に習っているので、なんとか思い出せた。以前のときと違っているのは、歌詞の意味と動きとのつながりが、はっきりしたこと。あたりまえのことなのだが、ハワイ語がまったくわからなかったときよりは多少わかるようになった今、振りの覚え方も変わった。それをあらためて感じた。

一通りのレッスンが終わって、私はまた京都の本番用の曲を見ていただいた。先生にしてはめずらしく
"Very nice!"とほめて下さったあと、細かい注意が。。。飴とムチだな。。。

「本番用で使うといいね、、」といわれたククイのクペエを探しにカラカウアのおみやげ物屋さんに寄った。そこの女性の店員さんが私を見るなり「いつもフラ踊ってるよね、よく見るのよ、あなたのこと。。。私はあの前を通って通勤しているからね。今日も踊ってたわね、見てたわよ!」

私達のレッスン場は本当に金魚鉢のようで、ウインドウのなかで踊っているようなもの。。。
こちらは夢中だから気が付かないが、そとからはすべて見えるらしい。
レッスンが始まると、決まって見に来る近くのお店の店員さんがいる。今日も二人連れで見に来ていた。照れくさいけれど、仕方がない。

いいこともある。貴女はいつもフラで頑張ってるから、、と近くのコーヒーショップでは、私はK先生並にディスカウントしてもらっている。マハロ!!である。

夕方、出来上がった衣裳を取りにいった。愛子さんはニコニコと待っていてくれて、早速試着。
ちょうどよかった。ラインがきれいに出てフラがきれいに見える衣裳だ。私がきちんと踊れば。。。の話だが。家に帰って早速踊ってみた。うん、踊りやすい。長さもちょうどいい。よかった・・・やはりレースを加えてよかった。これでうまく踊れたら最高なんだけど。。。

衣裳は一段落。
別に一つ問題が。。。K先生がゲストとして踊られる2曲がまだ確定していないことが今日になって判明。昨日メールで京都に音源を送ってほーっとしたばかりなのに・・・

「あらあ、昨日もう京都に送りましたよ、、、」「そうなんだよね、、でも曲を変えることにした。。」
結局今日もあれこれ考えて、結論が出ていない。考えたら、先生はプロだもの。。。なんでもすぐ踊れるのだと気が付いて、心配するのをやめた。

スーツケースを広げて、旅立ちの用意。
衣裳のかさが高く、大きいスーツケースを使うことになった。
明後日の朝はもう飛行機の中。

そろそろ荷造りにかかり始めた。どんなことになるのか、楽しみだ。
2006年7月11日 (火)
愛子さんに感謝!

メキシコマシコのヒナ達が、親と離れて単独で家の窓辺に飛来するようになった。でもやはりどこか可愛いところが残っていて、すぐに子供達だとわかる。手すりで足を滑らせたりして、危なっかしいところもかわいい。

うっかり、窓を開け放したまま外出すると留守を見計らって、メキシコマシコ君たちは家の中を自由に飛び回っているらしい。帰宅するとじゅうたんの上にお土産を落っことしているからすぐわかる。

私の使っているじゅうたんクリーナーはとてもとても優秀で、どんな汚れもきれいにしてくれるので、お土産の後始末は簡単だ。「入ってくるのはいいけどね、まだ新しくて白いじゅうたんなんだから、頼むから汚さないでね!!と文句を言いながら、私は掃除をしている。

午後から久しぶりに(といっても6日ぶり)にK先生のフラレッスン。
カウアイ島のケカハと言うところでの、妹さんの高校卒業パーティーはなんと、なんと500名以上の人が集まって盛大に開かれたのだそうだ。先生が率いるダンサー達もホノルルから駆けつけて、K先生が企画したショウを披露して大盛り上がりだったらしい。先生も神経をすり減らして来たらしく、お疲れ気味。飲みすぎもある。。と苦笑いの先生。

ハワイアンのイベントは家族ぐるみ、友達ぐるみ。。そして時には誰かわからない人も混じって大きい規模で行われる。そんな大家族を持つ先生がうらやましい気がする。

Hさんと私の二人のレッスンは、Hさんは腰が痛い、私も左ひざをかばいたい。。。とお願いして始まった。にもかかわらず、結構ハードなベーシックのレッスンだった。不思議なことに少し無理をしたほうが体はこなれてきて、楽になるのだ。昨日の一昨日のジムでも経験したけれど、すこしずつ背伸びをして生きていかないと、いい状態は保てないのだと実感する。

おかげでHさんも、私もとてもレッスンを楽しむことが出来た。
4月に振付けてもらった曲を2人でおさらいしていただく。細かいステップが違っていたり、思い込みがあったりして私も目からうろこ・・・完璧には踊れないものだとつくづく思う。

一つ一つクリアになっていくとうれしい。私の京都のための曲もおさらいしていただく。

今回は踊りだけでなく、私の唱える「オリ コモ」(生徒がフラの先生に入場を請うオリ)で京都の会がオープンすることになっている。それに答えてK先生が「入場してよし!」のオリを返してくださる。

そこで初めて生徒さんたちが舞台に登場、、と言う設定だ。
ホイケのオープニングが私のオリなのだ。責任重大。
その練習もした。今日は一回で先生のOKが出た。よかった!

3曲を見ていただく。踊りやすいように、また舞台で見栄えがするように先生が手直ししてくださる。普通のレッスンとは違う先生の視点で注意が飛ぶので楽しい。レッスンはあす、あさってと2回、最後の追い込みだ。。

最終的には自分で家で踊りこんでいくしかない。。
もう少しだ、頑張ろう。膝も大丈夫みたいだし。。。

Hさんとレッスンの後、おしゃべり。
Hさんにとっては今日が初めてだった「カヒコ」の復習もした。
例によって、ホテルマリオットのオープンエアのロビーで。見渡しても誰もいないから、踊ってみたりしながら。。。

Hさんは「愛子さん」のお店に出かけて「京子さんから聞いてきました。。」と、ドレスを注文してきたとの事。行動が早くて脱帽!

ところが、今お仕事が立て込んでいて、Hさんの滞在中に仮縫いはするが仕上げはクリスマスまで待ってくれるように・・といわれたという。びっくりした。

何も言わず、私の無理な超特急の注文に応じてくださった愛子さんに、感謝、感謝だ。

その上、私のドレスは明日、予定より一日早く仕上がることになった。
愛子さん、ありがとう!!

これでそのドレスを着て、一日だけ練習することが出来る。うれしい・・・・明日のドレスとの対面が楽しみだ。

夕方、K先生から預かったCDの中から必要な2曲を選んで京都のI先生にメールで送った。K先生が京都で踊る曲の音源だ。今まで曲が決まらず待っていた。メールで音源が送れるようになったから間に合ったものの・・・ぎりぎりセーフである。ほーーっとした。
2006年7月10日 (月)
無い物ねだり

日本からいらしているHさんは、本来なら今日、K先生のフラレッスンを受けられるはずだった。しかし先生がカウアイ島にお出かけでお留守なので、レッスンがない。そこで、私はまたコミュニティセンターのN先生のレッスンにお連れすることにした。

50人くらいの人が大きい講堂で踊るので、誰が誰やら、まったくわからない。お友達になるというよりみんなで踊って「はい、さようなら・・」と言う感じで、気楽でいい。約一時間半、たのしく過ぎた。Hさんも、楽しかったわ!と喜んでくれて私もうれしかった。

50人の生徒達の中に日本人の有名なフラの先生もいらした。「なんて素敵な踊りをする人なんだろう」と思ってみていたら、やはり実力のある先生だった。ハワイ滞在中に少しでもレッスンをしよう、、という気迫とオーラがあって、すごいなあ・・と思った。

誰でもせっかくハワイに来ているのだから、フラを踊れる時間が少しでも欲しいのだろう。

K先生は今日、カウアイから帰っていらっしゃるので、明日から連続3日間、Hさんのためにレッスンをしてもらうことになっている。

その3日間が過ぎると、先生と私は京都へ発つ。
アーーもうすぐだ。本番近し。。。

この3回のレッスンで私の踊りの仕上げもしなくてはならない。
教わることはいっぱいあるのに、時間が無い。ちょっとあせり気味。。。
落ち着かなきゃ!!

午後からお友達のT子さんのオフィスを訪ねておしゃべりをしてきた。久しぶりだった。
T子さんは立派な不動産会社の副社長であり、ハーバードの学生でもあり、ママであり、妻であり。。本も出していて、本当に素晴らしい女性だ。

ロマンティストで、勉強大好きで、しかも可愛くて。。
肩書きや、キャリアを見ると、とても私などそばに寄れないのだけれど、いつも変わらず楽しくおしゃべりできるお友達でいてくれる。

彼女はもうすぐボストンに発って、ハーバードの卒業式を迎える。
ほぼ同じ日、私は京都に発ってフラを踊る。。。

そんなちぐはぐな二人が、お互いの生活をうらやましがる会話は、録音しておきたいほどおかしい。無い物ねだり。。。そのものだ。

T子さんのこれからの仕事ぶりが楽しみだし、着実に前に進む彼女を応援しつつ、自分の励みにしたいと思う。次に会うのは12月ね。。約束をして別れてきた。

ハワイに彼女がいると思うと、心強いし、なんだかうれしい。
2006年7月9日 (日)
第5回フラ・ホオラウナ・アロハ2006

日曜日。朝からワールドカップの決勝戦だ。イタリアとフランス、、、最後にPK戦でイタリアの勝利。
フランスのジダンがイタリアの選手に頭突きをした場面が印象的だった。ジダン自身の華やかなフィナーレになるはずの試合だったのに。。選手間で何かがあったらしいといわれているが、すがすがしいはずのスポーツの場で、残念なことだと思う。

日曜は夫にとってゴルフの試合をTV観戦する日だ。
今日もサッカーとゴルフと、、チャンネルを切り替えつつ観戦していた。

私は午後からロイヤルハワイアンホテルの中庭で開かれる、第5回フラ・ホオラウナ・アロハ2006というコンペティションを見に行った。日本からフラのグループが出場していて、それを見に来る仲間や、フラファンがツアーを組んでハワイに来る。JALが主催しているらしい。

この日はそのツアーの参加者と、ハワイ州のID(運転免許)を持っている、カマアイナだけが入場できるというので、それほど観客はは多くない。私はIDを持っているので無料で入ることが出来る。観光できている人は入場することが出来ず気の毒な気がする。

美しく手入れされた芝生の上に座ってゆっくりと見ることが出来た。

ゲスト以外は日本各地からの出場者ばかりで、ソロ部門もあり、ワヒネ部門、クプナ部門に分かれていた。みんなよく頑張っているなあ。。という印象だった。ミュージシャン達も一流で、それだけでも見に来る価値がある。

ただ、観客のタイミングをはずした拍手には参った。応援するチームが出てくると拍手や口笛が飛ぶのだが、審査員にも印象を悪くするのではないかと思うほどの、個人的応援や、拍手、踊っている人に向かって手を振る、、など、、ちょっと考えられない団体の観客がいて驚いた。応援団なのだろうが、逆効果ではないかと思った。

でも爽やかな木陰でのフラはとても楽しかったし、勉強になった。
順位はまったく興味が無くて、最後の踊りがすむとさっさと帰ってきた。

帰りにジムに寄って、体をほぐしたかったからでもある。
ちょっと左ひざに違和感があったのだが、ジムに行って動かしたら、それが消えた。適当に使っていたほうが、体はなめらかに動くようだ。

今日も健康的に一日が過ぎた。
2006年7月8日 (土)
ワールドカップ3位決定戦!

今日はドイツでワールドカップの3位決定戦が行われる日。実況中継を見た。
朝から夫はTVの前にスタンバイ。試合もたのしみなのだが、この試合をドイツの次女夫婦が観戦に行っているので、なんとなくそれも気になっていた。やっと切符を手に入れた試合が、3位決定戦だったとは言え、地元ドイツが出ることになって、二人はおおいに喜んでいるだろう。

二日まえ、これからドイツチームのユニフォームを買い込んで、それを着て応援に出かける、、というメールが入っていた。きっと二人とも大興奮でこの会場にいるのだろうと、TVに写る大群集を目で追った。見えるわけもないのに・・・

「ここで日の丸を振ったら、目立ってTVに写るかもしれないのにね。。」と夫が言う。思わず吹き出した。

幸いドイツが勝って、かろうじて3位に入った。
きっと大喜びしていることだろう。怖い顔のカーンさんも活躍して、よかったよかった。。。

昨日アラモアナでばったり会った、Hさんとランチをご一緒することになっていた。そのまえに、一緒にフラを踊りましょう。。ということになって、彼女の宿泊しているコンドのお部屋で、お互いに前に習ったものの、すでに忘れかけている曲を2曲、おさらいした。

フラの仲間は、集まるといつでもどこでも一緒に踊りたがる、という習性がある。だいたい例外なく、そうである。つくづくみんな本当に踊ることが好きなのだなあと思う。

私は合唱団に長く所属しているが、歌を歌う仲間なのに、どこかで会ってもすぐに一緒に歌いましょう!!というふうにはならない。なぜなのかは、わからない。

「ちょっとハモってみない?」・・・昔、高校時代に音楽の好きな仲間が、教室の隅に集まってはハーモニーを楽しんだものだった。なぜか私の合唱団ではそういう気風がない。

それになれていたから、フラの世界を知ってから驚いた。
どんなにえらい先生の前でも、堂々と自分を表現して踊る。みんな大喜びで、踊りあう。
恥ずかしいなんて思わない。。最初はびっくりしたが、いいことだと思う。

Hさんと約一時間フラをしたあと、ランチに出た。モアナサーフライダーのビーチバーで、波の音を聞きながら軽くサンドイッチを。。のつもりが、いつものことながらすごいボリュームで、半分っこしたにもかかわらす、ドカンとヘビーなランチになった。おいしかった。

Hさんとこうしてゆっくりおしゃべりするのは初めてだった。生きてきた年代も似ているので、お話が弾んだ。

来週からK先生のレッスンをご一緒する予定だが、K先生がカウアイ島から帰っていらっしゃるまで、Hさんと二人でフラのレッスンをすることになる。それもまた楽しい。

明日はワールドカップの最終日。イタリアとフランスの決勝戦だ。
楽しみ!
2006年7月7日 (金)
サテンにレースを。。

今日はいつものドライブ〜買い物の日。
今日は日差しが強くて、海の色が素晴らしくきれいだった。
ブルーのグラデーション、緑のグラデーション。いつものことだけれど、ため息がでる。「アーーきれい!、すごい!」もっと他に表現方法はないものかと思うが。。。いつもこれ・・・

いつもの通りカネオヘでお買い物。夫のゴルフ用のシャツは、連日炎天下で焼かれるのと、洗濯回数が多いせいで、すぐに色あせたり、くたびれた感じになってくる。ちょっと買い足していかないと。。という時期だったので、2枚買ってきた。このごろはなるべく派手な色のほうがいい。。と思うので、オレンジ色、黄色を選んだ。

私も似合わない色だと自分でと決めつけているピンクのスニーカーなどを買ってみた。「ハワイ限定で、はけよ!」と夫が笑って言うが、気分が変わってよいものだと思った。まあ、日本では勇気を振り絞って履くような色だ。しかし、ハワイだとなんでもあり、、平気で履けそうだ。なにより外反母趾にやさしそうで、ありがたい。
お買い物が済んだらお腹がすいた。
あいも変わらずここではバーガーのランチ。よく飽きないものだと思うが、飽きないのだから仕方がない。今日もおいしく元気にパクついた。
一応のルーティーンが終わるとホノルルへ戻る。

途中、アラモアナホテルの一階のお店「パラダイスジェリー」のオーナーのバーバラさんから電話が入った。フラの髪飾り用の造花が出来上ったから、取りに来てください!というものだった。先週、京都のフラのI先生が注文していかれたものを、私が受け取って京都へ持っていくことになっている。

アラモアナに向かい、夫は床屋さんへ、私はバーバラさんのお店に行った。
彼女は、韓国籍でとてもやさしく仕事熱心で、温かい人。色が白くムウムウがよく似合う。I先生の注文した、大きいゆりと白を基調にした見事なお花の髪飾りが、8個出来ていた。これを大事に京都まで運ばなきゃ・・
そのうちの一つは私がつけさせてもらえるはず。。うれしい。
K先生はやはり、舞台では生のお花がいいんだけど・・とこだわったけれど、日本ではちょっと高価すぎて無理。。
だからバーバラさん手作りの、心のこもったお花を髪に飾って踊る。。。
彼女のお花に込めた温かい心も表わせるように踊りたいと思う。

夕方にもう一つの約束があった。「愛子さん」のお店で大急ぎで作ってもらっている衣裳の仮縫いだ。夫には先に家に帰ってもらうことにして、約束の時間に愛子さんのお店に行ってみると仮縫いの用意が出来ていた。
「普通のフレアスカートに工夫をして、体がふっくらと見えるようにしようと思ったけれど、もっといいアイデアが浮かんだので、マーメイドスタイルにするけど、いい??」ということだった。

もちろん私には異論はない。まったくこういうことがわからない人間だから・・・・お任せするしかない。
仮縫いで体に当ててみると、たしかにきれいなラインが出る。うれしくなった。「それに加えて袖の部分と、マーメイドのスカート部分だけに同色のレースを乗せると良くなるんだけどなあ。。。」と愛子さんがいう。

私は衣裳ばかりに凝っても、いい踊りが出来なきゃ意味が無い。。と思って、レースはあきらめることにした。予算がオーバーしても困るし。。

14日に京都に発つのに13日ぎりぎりに出来上がることになった。
仮縫いを追え、お店を出た。お店の前のバス停で、ワイキキ方面行きのバスを待った。夕方のラッシュのせいか、バスがなかなか来ない・・・

バスを待っている間に私の気持ちが急に揺らぎだした。
「あの衣裳にレースをつけたら、やはりきれいだろうなあ。。もうこれから、幾度も作ることもないかもしれないから、やっぱりちょっと張り込んで、レースをつけてもらおうかな。。。頼むなら今しかない!!」

そう思い始めたら、いても立ってもいられなくなり、私はとうとう愛子さんのお店に戻ってしまった。

「愛子さ〜ん。やはりレースがあきらめられない。。」そういうと「それで戻って来たの? ね!!そのほうがいいわよ。じゃレースを選ぼう!」愛子さんはドレスのハギレをつかむと、すぐにお隣の生地やさんに同行してくれた。

サテンを引き立たせるレース地がすぐに見つかった。
「これ!」と思ったら、愛子さんも「それ!」と言う。すぐに決まった。
私は生地を買うと、愛子さんに渡し、素敵なドレスを作ってね。。とお願いして、バスに乗って帰ってきた。ここまで考えた衣裳、どんな風になるかとても楽しみだ。

今日、日本からフラ仲間のHさんがホノルルにやってくる。。また一緒に踊れるのが楽しみだと思っていたら、夕方アラモアナでばったり遭遇。「あらあ、ここで会うなんて!今夜お電話しようと思っていたのよ」とHさん。
予定外の感激の再会となった。
2006年7月6日 (木)
笹の葉さーらさら・・

今日もフリー。夫はゴルフに出かけた。
私は基本的に外に出るより、家にいるほうが好きだ。CDを聞いたり、DVDを見たり、フラを踊ってみたり、ついでに掃除をしてみたり、PCの前で楽しんだり。。。今日はほぼ一日家の中にいた。

家のコンドの廊下の壁紙の張替えが行われている。そんなことを忘れていて、ある日エレベーターを降りたら、いつもの壁がはがされて無残な姿になっているので驚いた。まだ充分きれいなのになあ。。と思う。でもこれくらいの頻度でリフォームしないと、きれいさやコンドの価値が保てないのだろう。
メンテナンスの人が常に働いているから、いつも清潔で心地よい環境が保たれていてありがたい。

こちらはのんびりしているから、工事自体はきっと時間がかかることだろう。
どんな風になるか、楽しみだ。

各戸の玄関ドアの取替えもあるらしく、今後1年半ほど、月々の管理費が少し上がるという。
修理費にあてるのだ。月割りだからそう負担も無く、ありがたいシステムだ。ここの住人の理事会で決められたことなのでみんな納得しているらしい。

夫が帰ってきて、今夜はゴルフのお友達に誘われて夕食を食べに行く、、という。
私も一緒にということだったので、出かけた。
日本食レストランで、男性4人とわたし1人。。。70代、60代、50代とちょうど10歳ずつ年が違う人たちだった。みんな元気で、とてもその年には見えない。

ハワイに住むと、みんな元気になるらしい。
お店には、七夕飾りがあった。色とりどりの短冊に願い事を書いて、お客さんが笹に結んでいく。とてもいいアイデアだ。
何年ぶりだろう、「笹の葉さーらさら。。」の歌を思い出した。

そういえば、日本は今日が七夕だ。。。おいしいお料理をいただいて、みんな満足顔になった頃、私達にも短冊とペンが配られ、願い事を書くことになった。
私は「フラが上手になりますように」と書いた。夫は「ゴルフが上達しますように。。。」二人のはごく平凡な願い事だ。

ふと見ると、私の前のAさんの短冊にはこう書かれていた
「誰でもいいです、幸せにしてください」・・なに?それ・・・思わす笑ってしまった。しかも署名入り。
Aさんは誰から見ても幸せそうな人。
知る人ぞ知る、実は彼は日本では著名人なのだ。
私は思わず言った。「この短冊もらっちゃおうかな!ファンに高く売れるかも。この願いごとがあまりにもリアルで。。」 
 
5枚の短冊を、笹の葉にくくりつけて帰ってきた。
さて願い事がかないますかどうか・・・・

今日のニュースで気になることが。。。
王監督が病気休養だとか。。。私達の年代は、巨人、大鵬、卵焼きの時代。ONがヒーローだった。記事の文面からは、そう簡単ではない病状のように読み取れる。心配だ。

なんとか元気になって欲しい。王さんはオフにはハワイによくいらしている。今日夕食をご一緒したFさんも王さんをよく知っている人なので、とても心配そうだった。

長島さんといい、王さんといい・・まだお若いのだから、ぜひお元気になって欲しい。
2006年7月5日 (水)
ノエラニ ちゃん

今日は水曜日でフラレッスンの日だが、今週末、K先生が末の妹さんの高校卒業パーティーのためにカウアイ島に帰られるので、その準備でお休みだった。

妹さんの名前はノエラニ。通称「ノエ」ちゃん。日本語で言えば「霧」ちゃんだ。その名付け親はK先生。とっても可愛がっている12歳違いの妹さん。

ノエちゃんがめでたくこの6月に高校を卒業、ご一家で盛大にパーティーを開かれる。ハワイアンの大家族だから想像はつくが、間違いなく200名以上の人が集まるはずだ。お父さんの手による、豚を丸ごとバナナの葉にくるんで焼くという伝統的なスペシャルメニューも用意されるとか。お料理上手なK先生のお父さんがおおいに腕を振るわれて、盛大なルアウが催される。

K先生という人はとても家族思いで、いつも感心するのだが、このパーティーにホノルルからご自分のダンサー仲間を6人ほどを招待する。カウアイへの飛行機代と滞在費は先生持ち。その代わり、プロの踊りを妹さんのためにプレゼントしてもらう。ルアウはいやがうえにも盛り上がるはずだ。
今回は女性2人、男性4人のダンサー達がノエちゃんのパーティーのためにカウアイに飛び、踊る。先生もノエちゃんのために踊る。。。

数年前、弟さんの高校卒業のときも同じようにパーティーが開かれたという。そのときは、ホノルルから女性4人男性2人のダンサーが招かれたらしい。弟のためには女性を多くし、妹のためには男性を多く。。というふうに考えたという。粋な計らいだ。。

お兄ちゃんとしては、故郷に錦を飾ると共に家族への大きなプレゼントをすることになる。
今日はその用意で、忙しい先生だ。衣裳から照明から音声まできっと1人で采配を振るうのだろうから、大変なはずだ。先生のことだから、ぎりぎりまで用意していることだろう。

ノエちゃんのパーティーが盛大に行われますように・・・

そんなこんなで、フラのレッスンは今週はお休み。
フラがお休みだと、午後からの時間が長い。
今日はゆっくり時間をかけてアラモアナを歩こうと思って出かけた。独立記念日のセールがまだ行われているはずだ。1人だから気ままにぶらぶら。。
セールでいろいろお安いようで見てみたが、もともと欲しい物がないのだから、意味がない。それで生活用品の小物ばかりを買ってきた。なにもアラモアナまで行かなくても、手に入るものばかり。。。

でもこの無駄な時間がうれしいのだ。喉が渇いて、コーラを飲んでも家で飲むのとは気分がちがう。アラモアナの売り場ごとに違う匂いもうれしい。

「ああハワイ!!」。。ここでも感じる。
今日のアラモアナはゆったりできて楽しかった。

帰りのバスを待ったが、これがなかなか来ない。
本当にこのごろホノルルのバス事情はよくない。とくに8番の観光客が最も利用する路線が手薄だ。旅行者は時間が大事なのに。。。何とかならないものかしら?といつも思っている。
2006年7月4日 (火)
独立記念日

今日はアメリカにとって大事な独立記念日。
ハワイでは本土ほど、大々的ではないように思えるが、一応「おめでとう!!」と言い合う日だ。
でもやはり私達外国人にはピンと来ない。
今日もスーパーのレジのお姉さんに"Happy 4th of July!!!"と声をかけられたが、急に返す言葉が出なかった。

彼女に「今日は花火見に行くの?」とだけ聞いたら「もちろん!アラモアナへね・・」とにっこり答えた。
みんなこれを楽しみにしているのだ。カネオヘでも、パールシティでも、花火があるがアラモアナのが一番大掛かりで豪華。

昨日からアラモアナあたりは今日の花火見物の場所をとろうとキャンプしたり、パーキングの場所を確保するのに、みんな必死だったらしい。私達は去年は日本にいて花火を逃したが、だいたい毎年見ているので今年は特に出かけて行って見る予定はなかった。

ワイキキの家のあたりも駐車場所を求めて、昼ごろから車がうろうろしていた。もう日本並みの混雑である。

ワイキキからも、アラモアナの花火が見える。
それを目当ての車だろう。

夫は普通に朝からゴルフ。私は今日はのんびり家にいた。
あまりTVを見ない私はワールドカップのドイツ対イタリア戦のライブも見逃していた。

結果的にドイツがイタリアに負けたと知って、我が家はちょっとショックだった。やはり、ドイツびいきになってしまっている自分達に気がついた。
せめて3位になってほしい。
ドイツにいる次女夫婦が、3位決定戦を観戦に行くことになっているらしい。
複雑な気持ちなんだろうな。。と思う。

夕方あたりから、爆竹の音がし始めて夜の花火大会の前哨戦という感じが高まってくる。
しかし私達はごく普通に、スーパーに出かけ夕食を求めてきた。

ごく普通に食事をしているうちに8時半になった。
例の花火が始まる時間である。
家のあたりは静まり返っていて、爆竹の音が遠くに響くだけ。
私はやはり落ち着かなくなって、1人で家のコンドの屋上に上がることにした。36階の屋上からは、きれいに花火が見える。

8時半前に行ってみると、誰もいない・・・風の強い薄暗い屋上に私1人だった。数年前はずいぶん人が来ていたのに。。。今年はどうしたんだろう??

ちょっと怖かったけれど、花火がすぐに始まり見事なホノルルの夜景と花火をまるごと独占しているようで、気分がよかった。

ちょっと遠いのと、お腹に響く「どーんパチパチ」という音がかすかにしか聞こえないのが残念だが、とても見事な花火が堪能できた。花火が始まって10分ほどたったころ、一団の家族が上がってきた。「ハーイ、一人で見てたんですか?そこ、よく見えますか?」私が立っていた階段の踊り場に皆が上がってきた。周りに人が来て、やっと花火見物の気分になった。

「わーすごい、あら、きれい!!」向こうは英語だったが、私も気持ちは同じ。

こんなに皆が楽しみにしている花火だが、実は約20分ほどで終わってしまう。日本の花火大会とはケタ違いに、お粗末ではある。でもそれを皆で大喜びしてみる。。

数年前、私はジョージア州の海岸で友達のキャロル一家と独立記念日を迎えた。そのあたりはリゾートで、観光客があつまり盛大に花火大会があった。
私も星条旗の描かれたTシャツをキャロルからプレゼントされ、それを着て、まるでアメリカ人のように独立記念日を祝った。

そこの花火も、鳴り物入りで前評判がすごかった。その割りに、あっという間に終わってしまってびっくりした覚えがある。しかしアメリカ本土の独立記念日は、ハワイのそれよりもっともっと盛り上がる。

ハワイでは、ハワイ人自身の国を復興したいくらいだから、アメリカの独立記念日自体の影が薄いというふうに思える。ハワイの持つ独特の事情がそこに見えるような気がする。
2006年7月3日 (月)
衣裳が間に合わない!

朝9時から、コミュニティセンターのフラレッスンへ。N先生の公開レッスンで誰でも参加できる。3週間前に誘われて行って以来、3回受講して「パパリナラヒラヒ」という曲の振り付けが今日終了した。ここへ来るのもひとまず、これが最後。

午後からはK先生のフラレッスン。今日は私1人だったので、京都で踊る曲のレッスンということにしていただいた。
先生は朝から、パートタイムでホテルでの業務があったらしく、めずらしく黒の長ズボンに黒の革靴スタイル。その格好のままでイプヘケを持ってレッスン開始。教えてくださるときも、革靴を履いたままだったので、カツカツ音がして、まるでタップダンスの教室のよう。。。

今日は基本レッスンもほとんど割愛して、実際に衣裳を着て踊ってみることになった。

「コケエ」という曲の衣裳は、カウアイカラーの薄紫。これは踊りにもマッチしていたらしく「うん、いいね。これで行こう!」と衣裳は褒められたものの「キョウコは痩せているからよほど体を動かさないと、衣裳を着ると、フラらしく見えないよ。グレイスフルに、しかも体重移動をしっかり!!腰を落として腰を動かすこと」としっかりご注意を受けた。

確かにフラは貫禄のある身体のほうが映える。私のような細身は絶対に損だ。本気で太りたい。。

もう一曲の「ハナレイムーン」の衣裳は身体にぴったりしすぎてフラらしくない。。。と先生からダメが出た。私はどうしても舞台衣裳というと、あのぴったりしたバレエの衣裳のイメージがあって、洋服の中で身体が自由に動き回る衣裳なんて、想像できないのだ。だからこの衣裳も、わざわざお店に頼んで私の身体に合わせて小さく直してもらったのだ。お直しなんかしなきゃよかった。。。

今まで一度もフラの舞台に立ったことがなく、何も知らない自分がまた怖くなった。K先生は衣裳のことにも詳しいので、こうなったらすべて先生のご意見にゆだねることにした。

「そうだなあ。。ハナレイムーンはサテン生地を使うときれいなんだよ。。シンプルなデザインで普通のドレス風の。。。そういうの、作ってみたら?」「作ってみたら?なんて、そんな!!K先生ったら、それならもっと早く言ってくださいよ、、もう間に合いませんよ。あと10日しかないんですよ。いまさら縫ってくれる人なんていないでしょう?!」と英語で言い返す心の余裕もないくらい、あわてた。

レッスンの後、すぐにムウムウ屋さんに行ってみたが、私のサイズ自体が数少なく、ましてサテンのドレスなんてない。どうしよう!!

ふと思い立って、近くのフラの衣裳の仕立て屋さんに行ってみた。すると、、いつもかかっている見覚えの看板がない。でも思い切って階段を上がってお店に行ってみた。

「愛子」さんのお店のはずなのに、お店はガランとして抜け殻のよう。「あのお。愛子さんはいらっしゃいますか?」 「はい、私が愛子。。」 愛子さんは、その奥の部屋にいて、お仕事をしていらした。「もう私も80歳、そろそろ引退、、と思って、いままでの店は縫い子さんに譲ったのよ。ホントによく来てくれましたね。。」と愛子さんは優しかった。私は彼女のお名前だけを知っていて今日が初対面だった。日本のフラ界では有名な人のようなのだ。

緊張して、事情を話すと「そんなに急いでるの?ちょっと厳しいわね。でも、シンプルなデザインならなんとか、間に合わせましょう。その代わり、私のお店が無くなったんじゃなくて、奥の部屋で「愛子」サンはまだ仕事をしていることを、日本で宣伝してね、それを約束してくれたら、特にお安く、早く、してあげるわ。あなたの細い身体でもフラらしく見えるように作ってあげる」と言ってくださった。お隣の生地やさんに、同行してもらって二人で生地を選び、4日後には仮縫い、ということになった。
あーーよかった。なんとか、間に合った。。。

聞いてみるとお値段もお手ごろ。K先生のアドバイスのおかげで、素敵なドレスが出来そうでうれしい。大人っぽい濃いブルーのサテンのドレスだ。ヒップのところで微妙に絞ってあるデザインなので、腰の揺れがゆったりと見えるのだそうで、これで身体の揺れが見えなかったら、、私が悪いのだそうだ。
頑張らなきゃ、衣裳負けしそう。。なんだかとてもうれしくなってきた。

しかし冷静になって、思い出すと今日のレッスンでも、かなりのダメだしが出た。あーー、まだウエヘがだめだって・・・。

衣裳のことで浮かれている場合ではない。。
K先生はカウアイ島へ帰省のため、来週の水曜までレッスンがない。
もう自分でしっかり自習しかない。。。
2006年7月2日 (日)
のんびりの一日

もう7月に突入して、一年の半分が過ぎてしまった。この年齢になると、それでなくとも時間のたつのが速いのに、一年を4分割して生きているので、余計に時の流れを速く感じる。でも楽しい。。。。

今日、京都からのお二人が帰国されて私の周りは少し淋しくなった。
でもハワイは独立記念日の連休で賑わっている。世の中はこんな風に個人の感情や状況とは関係なく動いている。一昨日までここにいた人から「日本に帰って、もう普通の生活です、、」とメールが来る。なんだか不思議な気がする。
ご一緒に撮った写真がメールで送られてくる。とてもうれしい。

便利な世の中だ。そういえば、こちらに来る友達が、私の近況をよく知っていて、一瞬なぜ??と思うことがある。私が買ったもの、食べたもの、見たもの、聞いたもの、みんな知られている。この日記のおかげなのだ。複数のお友達がこちらで会うことがあっても、共通の話題として私の日記の内容が出てきたりすると、とてもうれしい。

これもインターネットのおかげ。。。使いようによっては怖いけれど、私にはとてもありがたい存在だ。

早朝から夫はゴルフ。
誕生日祝いに、と注文していたゴルフのクラブが(一応私からのプレゼント。。但し、支払いは夫)届いたので、楽しみに出かけていった。

私は一日中フリー。たまっていたメールのお返事を書いたりして、ゆっくりした時間が流れた。

しばらくPCの前にいたので、お友達とチャットのようにメールのやり取り。。この夏、念願の一ヶ月間のハワイ滞在を計画している人とだ。きっと楽しみでワクワクしていることだろう。同時に不安もいっぱいで・・・その気持ちはよくわかる。きっと、楽しい滞在になることだろう。一緒にフラのレッスンを受けるのが楽しみである。

そんな午後、私は洗濯機を回しながらフラの練習。
それに、メキシコマシコとの交流。。。
まあ、とてものんきな一日だった。

夕方近くになって夫が帰ってきた。
ゴルフクラブは新しくなったが、シューズの底が今日壊れたという。
困ったものだ・・・・

夫と相談して夕食はテイクアウトのお寿司にした。
カパフル通りの元気寿司。おいしかった・・・
来週からはまた何かと忙しくなりそうだ。

7月もあっという間に過ぎてしまいそうな予感がする。
2006年7月1日 (土)
イリカイホテルで。。

独立記念日の連休に入ったらしいハワイは、観光客が多いように思う。特にアメリカ人。
7月4日の花火の日は、アラモアナ周辺は大変な賑わいになる。この花火はマジックアイランドから打ち上げられるので、ワイキキからは見えない。毎年、お友達のコンドのラナイから見事な花火を見せていただくのだが今年はそのお友達の日本からハワイへの移動が遅いらしく、その機会がないかもしれない。。残念。。。

今朝、Mさんから電話「今空港なの、、帰りたくないけど、帰ります。じゃ、またね・・・」
きっと胸がきゅんとしているに違いない。。私のように、よく行き来をしていても、ハワイを離れるときは胸がちょっと痛くなる。「又帰ってくるからね。。。」とつぶやいて飛行機に乗る。きっと皆そうなんだと思う。

仙台から来てレッスンをご一緒したHさんとMさんがホノルル空港で偶然会ったのだそうだ。
フラを通じて沢山の友達が出来て、みんな豊かな気持ちでハワイを後にする。。。
すばらしいことだと思う。

夕方、昨日約束したIさんとUさんと、イリカイホテルで待ち合わせて、K先生のショウを見に行った。
プールサイドのくつろいだ雰囲気のショウ。ピンクの夕焼けが美しかった。
私達も飲みものを片手にデッキチェアに腰かけながら、ゆったりとしたときをすごした。

踊られたのはお馴染みのフラの曲ばかり、6曲ほど。先生は衣裳を3着も変えて登場。
若い女性と二人で楽しいショウだった。

ショウの途中で、どーんと大きい典型的なハワイ人のおばさんが紹介されて、バンドの前で「ワイカロア」という曲を踊った。それがまた素晴らしかった。プロなのか、そうでないのかわからないが、格好は決してダンサーとかフラの先生、、という感じではなく、グレーのパレオを腰に巻きつけて、上は暗い色のポロシャツのようなものを着てゴムゾウリをはいている普通のおばさん。。。

それなのに、彼女が一旦踊りだすと、その動きのスムースなこと、優雅なこと・・・
決して美人でもないし、お化粧もしていないし、髪の毛だってバサバサ。。。
でもでも、とっても優雅なのだ。にこやかで、気品があって。
ひょっとすると実力のあるクムフラかもしれない。あれは一体誰だったのだろう??

「フラは衣裳じゃないのよね。。。。要は踊りなのよね。。。」思わずつぶやいてしまった。
つい、形から入ってしまう私達。今日はK先生のショウもさることながら、思いがけなくこの人のフラを見せてもらえたことがうれしかった。

一時間のショウが終わると、先生が車でIさんのホテルや家まで送ろうか?と言って下さったので、
「申し訳ないけどタワーレコードまでつれて行ってください。。」とお願いして送っていただいた。
私も一枚CDが欲しかったし、Iさんたちも探しているCDがあったので帰国間際に手にすることが出来て、うれしそうだった。

明日はIさんとUさんも帰国。急に静かになってしまう・・・
でもお二人とは2週間後には京都で再会だ。

私はそれまでに、3曲のフラを練習し、合唱団の歌を練習し・・・・ああ、大変。。。
ついこの間まで、ボケ防止になにかに挑戦したいと思っていたが、最近はこれ以上のボケの進行を防ぐために、、ということになってしまいそうだ。

危ないあぶない・・・
2006年6月30日 (金)
Happy Birthday to 夫

今日は沢山の仲間と受ける最後のフラレッスン。京都からのIさん、Uさん、東京からのMさん、仙台からのHさんと、もう1人埼玉から初めていらしたというKさんが加わって、合計6人で熱気のあるレッスンになった。
ここのレッスン場は狭いので、6人でぎりぎりというところ。これになれている私は、とても広くて鏡があって床がピカピカ。。。という素晴らしい環境でレッスンをすると逆に妙に落ち着かない。しかし、そんな環境で毎回のレッスンできたらどんなにいいだろう。。といつも夢見ている。

また厳しい基本レッスンから始まり、噛み砕いて説明をしてもらって、皆から質問も出てとてもいいレッスンになった。スクワット風の動きが入ったり、このごろ先生のレッスンは気が抜けない。
慣れないみんなは、目を丸くしながらも楽しそう。久々に会えた人たちとのレッスンで私も本当にたのしかった。
ウオーミングアップのカヒコと、アウアナを一曲仕上げた。
カヒコでフォーメイションを変えたり・・・やはり人数が多いほうがいいなあ。。。と実感。
K先生の振り付けは音の一つ一つに動きがついているという感じなので、最初はとても難しく感じるのだが、踊り込むととても楽しい。。。と、皆が口をそろえて言う。
今日も最初は「??」という顔つきだった人も、最後には、ああーー楽しかった!!埼玉のKさんももうすっかりお仲間になった。

京都のIさんの主宰なさっているハーラウでは、この春、日本でK先生のワークショップを受け、それがきっかけでK先生がハワイのフラの先生として正式に迎えられることになった。
そんなことから7月17日に京都で開かれるホイケ(発表会)に、K先生が特別ゲストとして出演されることになり、光栄なことに私までおまけで、K先生の生徒として呼んでいただくことになり、ホントに思いもかけず京都で私まで踊らせていただけることになった。Iさんと私は約3年前に知り合い、以来京都やハワイでお会いしている。私もIさんとお話しするときは、いつも京都弁。和むこと和むこと。

夫に話すと「まあ、一生懸命やって来いよ」と言ってくれた。感謝感謝である。K先生との出演交渉、打ち合わせなどなど、お二人のメッセンジャー役として、私が今ハワイにいるからこそお役に立てることもあるので、お言葉に甘えてご一緒させていただくことにした。

光栄の至りなのだが、3曲も踊らせていただく事になり此処へ来て急に心配になってきた。「どないしょう、、えらいこっちゃ!」である。
ホイケに関して一部解決していないこともあり、振り付けの修正もあり・・で、夕方から我が家で打ち合わせをすることになり、東京から来ているMさんと私もこの秋に予定しているK先生のプロジェクトに関しても話し合うことになった。

実は今日は日本時間でいうと夫の6?回目のバースデー。
今夜、うちに集合することになったこの4人の計らいで夫のためにサプライズのバースデーパーティーを兼ねることになった。何も知らない今夜のシェフ兼ホストである夫が「はーーい、今日はようこそいらっしゃいました」と乾杯のグラスを上げかけたとき、一斉に「♪HAPPY Birthday to you♪」と皆が歌い出し、女性の皆さんからのレイがIさんの手によって夫の首にかけられ、K先生からのバースデーケーキが披露された。
思いがけないサプライズに、夫は本当に大喜びだった。私もとてもうれしかった。盛り上げてくださった皆さんに感謝の気持ちでいっぱいで、思わず涙がこぼれそうになった。Mさんも、Iさんも、Uさんもウルウル。。。
うれしい時間だった。

結構、煮詰めなければならない話もあったのに、そんな展開で始まった今夜の打ち合わせディナーは、最初から酒盛りになって、1人だけアルコールの入っていない私は、どうなることかと思っていた。でもさすがに皆さんはプロだった。ある程度お腹が満腹になると、ほろよいの気分のよいところでK先生による振り付けの修正が始まり、ホイケの衣裳の問題部分の解決もたいへんスムースに、かつ真剣に行われ、すべて終了。
もともとK先生にIさんをご紹介したのは私なので、お仕事が順調に進むのを見てうれしかった。Mさんとも秋のプロジェクトについて、来年の計画について話が進み、一安心。
一通りのお仕事?が終わると、またテーブルにつく人あり、フラを踊る人ありで盛り上がり、時間があっという間に過ぎてしまい、なんと11時を過ぎていた。

明日はイリカイホテルで、K先生がショウに出演なさるというのでIさんとUさんと3人で見に行くことになった。明日日本へ帰るMさんは、涙を飲むことになってしまった。
でも朗報もあった!2週間ほど前に、これが見納めだと思って見たあのK先生のショウ。先生のカムバックが決まった。もちろん、よい条件での復帰だとのことで、万々歳!!よかったよかった。
2006年6月29日 (木)
特別レッスン

今朝はめずらしく曇り空。午後には青空が広がり、ハワイらしくなった。
午後2時から、Iさんと私の二人でフラレッスン。Iさんはフラの先生で7月にホイケ(発表会)を開くことになっていて、そのための特別レッスンである。
ご自分の踊る曲もさることながら、K先生のアドバイスを聞きながら、生徒さんに教えている曲をきちんと反復。先生としての研究日でもあった。

私も緊張しながら、レッスンをご一緒させていただいた。今日はやはりK先生も厳しくいつもよりかなり厳格にレッスンを進められて、私は特によく注意された。問題のウエヘは、注意されなくなった。ひょっとして、ちょっとだけよくなったのかも。。それとも見放されたかな?

次から次へと、問題が出てくる。たとえば足の裏の使い方。
「キョウコはくねくねと使いすぎだよ。そういう踊り方もあるけれど、それは基本が出来てからでいいからね。足の裏は、かかとまできちんとフラットに床につけること。いまはそれを身につけることが大事だよ」「ハイ!わかりました!!」・・・こんな調子。

今日はたっぷり2時間のレッスンだった。
足が疲れたが、例によって心地よい疲労感。

このごろはほとんどの旅行者が携帯を借りてくるので、とても便利だ。どこにいようが捕まえられる。で、レッスンの後、昨日のチャイズへ行ったメンバーの4人がコーヒーショップで集合。

リクエストにお答えして、ジュエリーショップへ。私も行ったことのあるお店にお連れすると、みんなの目が輝きだした。念願のものを手に入れて、嬉しそうな人が二人。私とIさんはそんな二人をみて幸せだった。

帰りにクヒオビーチのフラショウに立ち寄る。
ここでも楽しいフラが見られて、大満足の4人。特に今回が初めてのハワイというUさんは、もうすっかりハワイの虜になってしまったようだ。

明日はまた通常のフラレッスン。
5人でまた楽しく踊れそうでうれしい。
2006年6月28日(水)
チャイズ!

午後からフラレッスン。今日はMさん、京都からIさん、Uさんの二人、仙台からHさんとご一緒で5人だった。
K先生のレッスンを楽しみにしている人たちだから、始めから熱気がみなぎっていた。レッスン場に入場する許可をもらうOli Komoのチャントから始まった。いつも通り、かなりきつい基本レッスンを一通り終えると、ポリネシアの音楽っぽい音が流れ、モダンダンスの基礎のような訓練が始まる。この練習が始まったとき私もかなり驚いた。今日は初めての人ばかりだったから「一体何が始まるの??」・・と一瞬不安な空気が流れた。先生がお手本を示すと、それについていけばいいのだが、なかなか格好が取れない。皆、四苦八苦しながら、でも楽しそうだった。
さて本格的にフラレッスン、、というときに、先生の携帯電話が鳴った。
「ハーイ、皆ここにいるよ。今レッスンが始まったばかり。みんなに挨拶する??」と先生が誰かと話している。電話の相手は、先生の従兄弟で今歌手として活躍中のニック カステーロさんからだった。
今日の生徒達は、皆ニックと会ったことがあり、よく知っているので大喜びで受話器に向かって声をかけた。「ハーイ。ニック!!元気??また会いましょうね!!日本でね!!」受話器の向こうでニックが何か言っている。「皆にハーイって。。宜しくねって、、」と先生が通訳。ニックはカウアイから電話をかけてきたのだ。こんなうれしいハプニングがあり、レッスンが中断されたが、私達はニコニコであった。

カヒコを一曲とアウアナの途中までを振付けてもらい、今日はレッスン終了。同じメンバーがあさってまたレッスンを受けることになっている。5人も日本からの生徒が集まって、今日の先生はとてもうれしそうだった。この春、日本でのプロジェクトが始まってから、先生は日本の生徒との交流が多くなっていている。今日のレッスンも充実していて、皆感激だった。
レッスンの後、Mさんと京都のお二人とコーヒーをご一緒した。私以外のこの3人は今日が初対面だったが、フラを通じて、またK先生の生徒としてつながっている気持ちがあるから、すぐに打ち解けられた。

話し出してから30分もたたないうちに今夜の4人の予定が決まった。
もともとMさんと私は「チャイズ」というハワイアンのライブを聞かせるレストランに行くことになっていた。今日の出演者はAmy Hanaiali'i Gilliom。その話を聞いた京都のIさんとUさんは「私達も行く!!」
私はすぐに「チャイズ」に電話を入れ予約の人数を4人に増やした。

ワイキキからタクシーでアロハタワーのチャイズに向かうことにした。なんとそのタクシーがとても豪華なリムジンだった。「このタクシー、普通の料金ですよね??特別料金じゃありませんよね?」確かめた上で、4人で大喜びで豪華な車に乗り込んだ。「こーーんなタクシー初めて!!わーうれしい!!いいね、いいね!」
リムジンの実際の乗り心地は、あまりよくない。前を向いて座れるのは後部座席の二人だけで、他の人は横向きか後ろ向きにしか座るところがない。でもそんなことより「まるでお嫁さんみたい!」にリムジンに乗り込めたことを大喜びする私達だった。

チャイズに着いて、お料理を注文、パシフィックリムというのだろうかめずらしいメニューばかりで迷ってしまったが、4種類頼んだメニューはどれもおいしかった。みんなで分け合えるから、4人で来てよかったと思った。中でもモイというお魚の料理はとてもおいしかった。大きなお魚が姿のまま出てくるのだが、4人でぺろりと平らげてしまった。

お料理がお腹に半分くらい収まった頃、Amyが登場。ギターとベースのミュージシャンを従えて、つやのあるボリュームいっぱいの声で歌い始めると、お隣に座っていたMさんが、ウルウルし始め、私も「ああ。幸せ!」と思い、IさんもUさんも感激に浸っている。こんなに人を幸せに出来るAmyはすごいと思った。
脂の乗り切った。。という言葉がぴったりの彼女は日本にツアーで来ることも多く、日本でのエピソードを交えながらのトークも楽しかった。2ヶ月前に赤ちゃんを産んでいて、すこし太り気味だったが声はいつもの通り、いや、それ以上に素晴らしかった。Amyのご主人が赤ちゃんを抱いて会場に来ていて、ご主人と少しお話したし、Amyとは休憩中になんとトイレで会ってしまった。「素晴らしいわ、いつもCDを楽しんでいますよ」というと、Amyは「ありがとう!よくきてくれましたね」とハグをしてくれた。まさかトイレでハグをし合うとは思わなかった。一緒に写真を撮ってもらったり、私達4人は感激しどおしだった。
夢のような時間はあっという間だったが1時間15分、たっぷり聞かせてくれた後、20分の休憩でその後もまたショウが続いた。最高の夜だった。
2006年6月27日 (火)
ピカケの髪飾り

今日と明日にかけて、日本から数人の知人・友人がハワイにやってくる。
まず、名古屋から夫のゴルフ仲間が、次いで東京から私のフラ仲間Mさんが到着。仙台からもひとりいらしているはず。明日は京都からも何人か。。。

「ハワイの風が気持ちよいのはいつのもことだが、思ったよりも寒いね」と、今日ついた人は同じような感想を言う。日陰に入り、風がほんの少し強いと寒いと感じるのだろう。ハワイに来たらなにが何でも「暑い!」のだという思い込みがあるが、実はそんなに「暑〜い日」というのは、一年を通してもめったにない。空気が乾燥していて、海洋性の気候だから風さえ吹けば心地よいのだ。

Mさんとお昼ごろに待ち合わせ。
とりあえず、ホテルのチェックインタイムまで、我が家で過ごした。
フラのDVDを見たり、踊ったり・・・相変わらず私達は踊っていればご機嫌だ。

この空気がいいのよね、、と深呼吸をしながらコーヒーを飲みおしゃべりをした。どんなに頑張っても午後2時を過ぎる頃から、ハワイに到着した日特有の疲れが出てくるはずなので、Mさんはホテルに向かい、少し休憩をとることにした。

今夜のお目当ては、夕方6時間半からのトーチライティング&フラショウ。私は最近、誰かと一緒の時以外は、なかなか一人では出かけていかないので今日を楽しみにしていた。ホテルで一時間ほどお昼寝をして元気を取り戻したというMさんと二人で出かけた。

今日の出演者は私達の好きなカムエラというフラの教室の人たちだった。
お手本のような素晴らしい踊り手が3人(男性2人、女性1人)登場して、フラを勉強している者にとっては宝物のようなナンバーを一時間半にわたって見せてくれた。「ついてたね、すごいね、ここでこの人達を見られるなんて、最高ね!」 私達は感激しつつ、大喜びで我を忘れて陶酔していた。

その本番中、素敵なカップルとその息子らしき子供が、プロのカメラマンを従えてダンサー達の間に割って入るように登場し、さかんにカメラにポーズをとっている。その時間の長いこと。。。

「あの、、、ちょっと邪魔なんですけれど。。」といいたいところだった。何かのメディアの撮影らしかった。司会者も「今日は撮影が入りますが、ご了承ください。。」などと説明をしていた。さすがに美男美女のモデルさんと男の子はルックスはとてもとても素敵だったが、フラのまねをしても全くサマにならないのが、おかしかった。ハワイの観光の宣伝写真を撮っているのかもしれない。おもしろい光景が続いたが、それでもフラダンサーたちは、顔色一つ変えず、最後まで見事に踊り終えた。

そういえば、私がフラレッスンを受けている場所にもよくカメラマンたちが来る。先生にインタビューし、写真を撮っていく。それのいくつかが、かなりメジャーなパンフレットや雑誌、インターネットのサイトに出たりしている。ハワイはいつでもこんなふうである。

Mさんは到着早々、いいフラが見られた!と大感激。
フラを続ければ続けるほど、難しさや、迷いが出てくるけれど、こうしていいものを見せてもらうたびに、気持ちが一歩前に進めるような気がする。それだけでもうれしかった。

今日と明日は、Mさんと夕食をご一緒することにしている。
「さて、どこに行こう??」
考えた末、ワイキキシェラトンのビーチ沿いのレストランへ。ここでもフラのショウがあり、楽しめた。
しかし、先ほどのトーチショウに比べれば。。。ちょっとがっかりだった。
お料理はすべてのメニューを半分っこにしていただいた。
特に、プライムリブがおいしかった。ホースラディッシュとグレービーもとてもいいお味。それでもすべて平らげる。。ところまでは行かなかった。なんというボリューム!!

お腹がいっぱいになったあとは「ああ、いい気持ち、ここはハワイなんだね。。」二人でまた感激しながら散歩。

ロイヤルハワイアンホテルの庭で、ホンモノのピカケの花を拾って彼女は髪に挿す。いい香りがただよい、私達は夢見心地。。
ピンクパレスの庭で、星空を見上げながら、ピカケを髪にかざす・・・
ウクレレの音色と、やしの木のそよぐ音と、ビーチ沿いの賑わいと、かずかな波の音・・・

「ああ、本当にここにはこんな場面があるんだね。。。なんだか幸せ。。」二人はほとんど泣きそうなくらい感動していた。

ゆっくりいろいろな話をして、わかれたのが11時過ぎ。
彼女のホテルは家に近いので好都合だ。しばらくは夜遊び?が続きそう。

夫のほうもゴルフ常連の仲間が到着で、ますます忙しくなりそうだ。
明日は、久しぶりに大人数のフラレッスンになりそうで、楽しみだ。
2006年6月26日 (月)
辛ーーーーい!!

今日も早起きして、コミュニティセンターのフラレッスンに出かけた。先週より生徒の人数が多いようだった。ほとんどが日本から観光で来ている人。かなりの経験者も居るようだった。

先週初めてお会いしたのに「おー。また来てくれたんだね。ありがとう。ようこそ、ようこそ」とN先生が声をかけてくださってうれしかった。一時間半、基本レッスンとパパリナラヒラヒの3番までの振り付け。。私は今日4番までの全曲の振り付けが仕上がるのだと思っていたのだが・・・終わらなかった。また来週も行くことになってしまいそう。

先週一緒にレッスンを受けた人が「最後まで振り付けを覚えておいてね!」と言い残して日本に帰ったので、私は覚えて帰る責任?がある。というわけで、楽しみがまた増えた。

今日は先生のウクレレの弦が途中で切れてしまい、そのあとはすべてアカペラで「パパリナラヒラヒ♪〜〜」 

「ああ、大変だ!ねえ、みんなも一緒に歌ってよ!」と先生にいわれて私もちょっと声を張り上げて歌った。本気で歌いながら踊るの楽しいものだった。

朝からフラを踊ると気持ちがいい。昔、バレエを踊っていた頃、バレエ団員のレッスンはやはり毎朝9時からだった。バレエはフラよりもっと体力を使うから、真冬でも汗だくでお稽古場をあとにする。その心地よさを思い出した。足の裏がジンジンするくらい足を酷使したあと、疲れているはずなのに、なんともいえない充足感があって・・・。

太るからと止められていたケーキをレッスンの帰りに仲間と食べるのが、密かな幸せだった・・そんなことを思い出しながら家に帰ってきた。

夕食はチャイナタウンで。。ということになって、夫と二人で出かけた。
以前からおいしいと聞いていたし、今までにも2度ほど行ったことのあるお店。ローカルの人しか来ない店だが、こぎれいで落ち着く店構えだ。

注文した品が来て、エビのガーリック炒めを一口食べたら「辛〜〜い!!」
私はピリ辛が苦手なのだが、ある程度の辛さもおいしさのうちだから、我慢もする。。でも、でもこれはピリ辛すぎ!!しばらく私の舌は、やけどをした後のようになり、味も何も感じなくなってしまった。
氷を口に入れてみたり、ウーロン茶を飲んでみたりしたが、だめ。。
辛いものが好きな夫も「これは・・ちょっとなあ。。。企業努力が足りんなあ!」と、さすがに憤慨。

でも文句を言っても始まらないので、私はウーロン茶でエビを洗って食べることにした。まるでエビのしゃぶしゃぶ。これならまあ、いける。。。他のお料理も、まあおいしく食べられたような気がしたが、実を言うとずっと舌がやけど状態で味がよくわからず、期待はずれだった。「リベンジだ!どこか別のおいしいところを開拓しよう!」と夫と約束した。「リベンジ」はちょっとばかり大げさだけれど、そんな気持ちだった。

帰りにそのお店でもらった、ミントのキャンディーがやけにおいしかった。

ビールを飲んだ夫に代わって、車を運転して帰宅。
私は方向音痴で、助手席に乗っていても道を覚えようとしないのか、その能力がないのか、
おそらく両方だろうが、いまだに夫のナビゲーターに頼らないとハワイは走れない。
いや、ハワイだけではない・・・日本でも知っているところしか、走らない、走れない・・・情けない。

「まあ、今日はうまく走れたから、今度はオアフ島一周のとき運転させるからね」と夫が言った。「そうね、サークルアイランドなら、一本道だから迷わなくてすむもんね・・大丈夫かも。。」と安易に答えてしまったが、そう簡単でもないような気がしてきた・・・
でも一度、ぜひ、挑戦してみようと思う。

明日はMさんがハワイに来る。
おしゃべりもできるし、一緒にフラレッスンを受けられる。
楽しみだ。
2006年6月25日 (日)
歌の練習+フラ

今日はどういうわけか、3時間ほど眠っただけで朝まだ暗いうちに目が覚めてしまった。それから、一向に眠くならずずっと起きていた。シャワーに入り、朝シャンをして・・逆に気分がとてもよかった。夫は今日は早朝からゴルフ。元気に出かけていった。

私は洗濯と、掃除と。。。ごく普通の時間を過ごす。

メキシコマシコ君の相手をして、平和な一日の始まり。巣立ったひな鳥が親と一緒に仲良くやってくるが、日に日に大きくなり、親と見分けがつかない姿になってきた。でもしぐさが初々しくて、子供だとすぐわかる。甘えん坊もいるし、独立心旺盛なのもいる。

メキシコマシコだけでなく、このごろひとまわり大きい鳥が、えさをねらって来るようになり要注意だ。
鳥の世界も生存競争が大変なようだ。

今日も横浜の合唱団の10月公演のための一人練習にとりかかった。
MDで音を流しながら、一緒に歌ってみる。
完全暗譜で歌う曲は中国語、日本語、そして英語の曲の合計21〜22曲。
おまけに振り付けまで入る。日本に半分しかいない私は、練習に出られないからとても大変なことだし、そんな団員を抱える団も、もっと大変だ。だからしっかり自習をしなくてはならないのだが・・・

一人で合唱の練習をするのは、ちょっと大変だ。おまけに私はアルトなので、気持ちよくメロディーを歌うことはめったになく、ハーモニーを作る役目だから、一人で歌っていてもあまり楽しくない。みんなで声を合わせるから合唱なのであって、一人ではどうも意気が上がらない。

でもそんなことは言っていられないから、一人で練習、練習。
ダイヤモンドヘッドを眺めながら、中国の雲南省の歌を中国語で歌うなんていうのは、なんともいえない気分ではある。

歌に疲れると、こんどはCDをかけてフラの練習。
7月に一人で踊らせていただく「コケエ」が心配で、ついそればかり踊ってしまう。

傍から見ると、なんとものんきなおばさんだが、本人にとっては大変な修行?である。
せっかく朝シャンしたのに、汗だくになってしまった。

睡眠不足だったので、大事をとって今日はジムへ行くのをやめ、散歩もやめた。
案の定、夕方、睡魔が襲ってきて少しお昼寝。
体内時差が出来てしまって、今夜は眠れるかな。。。ちょっと心配。

今日は正真正銘、一歩も外に出ないで一日をすごした。
部屋を出てゴミを捨てるために、廊下をほんの数十歩、歩いただけだった。
あーー本日、運動不足。

でも明日は朝からコミュニティーセンターでのフラレッスンに出る予定。
今週で一曲振り付けが終わるので、それをぜひ習っておきたいからだ。

明後日からは、日本から数人フラのお友達が来て、また楽しくなりそう。

同時に、そろそろK先生の今秋の日本でのフラのプロジェクトの準備に取り掛かることになっている。
前回の仕事がつい先ごろ終わったばかりなのに、もう次の準備だ。

また皆で頑張って、いいものが作り上げていけますように・・・
2006年6月24日 (土)
ハワイを守ろう!キャンペーン

今日は「キングカメハメハ フラ コンペティション」の二日目。
見に行こうかどうか、迷っていたのだけれどせっかくハワイにいるのだから・・・と思い切って一人で出かけてみた。3年前にも見に行ったことがあるが、そのときは私自身がフラを始めて半年もたたないときで、何もわからなかった。

「フーーン、カヒコってこういうものなのか、、」くらいな知識しかなかったし、まるでフラに対する意識も希薄だったから、そのときの会場の雰囲気が独特で良い印象がなかったように思う。
派手な衣裳に身を包んだ日本のおば様たちの勢いに押され気味だった。もちろん私もおばさんなんだけど、何か違う空気を感じたのだ。

しかし、3年まえよりは、その人たちのフラへの情熱も気持ちもわかるようになったし、「ここまで来るのは大変だったでしょうね!!よかったね」と拍手を送りたい気持ちも湧いてきた。

日本のハラウの人たち、特に若い人が頑張っているのは頼もしかった。

しかし、ハワイのハラウの人たちが登場すると、たとえそろっていなくても、衣裳が地味でもやはりホンモノ・・・いわゆる、地に足のついた踊りだ。民族の違い・・これは仕方のないことで、我々はできるだけそれを感じ取り、敬意を持って勉強して、体で表現出来るように。。という努力しかないのだろう。
それがまた楽しみな挑戦でもあるのだが・・

そんなことを考えながら、最後の演技まで見終わると会場を出た。
順位の発表や表彰式は関心がない。印象に残った演技が、私にとっての第一位だと思うから。そんな思いの人も沢山いたようで、早々に会場を後にする人も多かった。

歩いてアラモアナショッピングセンターまで行き、お買い物をしてバスで帰宅。何かのついでにアラモアナへ行くと、ついお金の無駄使いをしてしまう・・・今日は口紅一本。
でも色がとても気に入ったから、無駄使いではないと、思うことにする。

このごろテレビではよく、ハワイを守ろうというキャンペーンのCMが流れる。
今日見たのは「あなたのお庭に植物を植えるなら、ハワイ固有の植物を植えましょう」というものだった。めずらしいからといって、外来種を沢山植えすぎると、それが繁殖してハワイの古来からの植物が絶えてしまいます。私たちのハワイを守るために、ハワイ固有の植物を植えましょう。。というものだ。

ハワイを守る、、この気持ちを私たちも持たなければ、大好きなハワイはどんどん変わって行ってしまう。ハワイを愛し、世界中から沢山の人がここへやってくるが、本当に「ハワイ」を敬意をもって愛しているだろうか?ハワイは私たちをこれほどまでに、癒し楽しませてくれるのだから、私たちもハワイをけがすようなことはしたくない。

私の若い友達がこういったことがある。
「私は大好きなこのハワイで、悪いことだけはしたくないって思うの。いつも温かく、気持ちよく私を迎えてくれてありがとう、、って思うと、そんなハワイで、ほんの些細なことでも後ろめたいことは出来ないんですよね」と・・。その人の言う意味がとてもよくわかる。もちろん日本に帰ったら悪いことが平気でできる。。という意味ではない。

こんなに狭くなった地球である。
「旅の恥はかき捨て」などという感覚の時代はもう終わった・・と思いたい。
旅という非現実の世界で、ゆっくりと体を休め、良い出会いや経験をする。そしてそれがまた新しく生きる道につながる。。そんな旅をしたいものだ。

思えば、私たち夫婦はハワイに来るようになってから、旅、、というものをしていない。
ハワイに来るのが「旅」とは思えなくなっているから・・。
この8月、ドイツの娘を訪ねてミュンヘン周辺に行くことになっている。
なんだか久しぶりの「旅」のような気がする。
2006年6月23日 (金)
ウエヘ記念日?

朝11時にAさんと待ち合わせをしていた。
共通のお友達を通じて紹介されたフラ仲間だ。
初めて会うので「目印はですね。私は大きなレスポのバッグを肩からかけてます」「私はね、髪が長くて後ろで束ねてます。私も大きなバッグを持ってます。すぐわかりますよね。きっと。。」と昨日お電話で確認済み。

だいたいフラをする人は、大きなバッグを持っている。かさばるスカート、振り付けを書き留めるノートやバインダー、フラに使う道具などを持ち歩くからだ。一目見ると見当がつく、あ、フラの人だ。。と。
ホテルのロビーで待ち合わせたAさんも私も、いっぺんにお互いを確認できた。ランチをご一緒すると、もうすっかり旧知の友人のようになった。楽しかった。

そして1時からフラレッスン。K先生のレッスンは、いつものようにハードだった。Aさんはちょっとびっくりしながらも、「これは面白い!」という表情だった。Aさんは経験豊かな方なので、レッスンを楽しんでいるのが私にもよくわかった。

私が今悩んでいるフラステップの「ウエヘ」。家で、ああでもない、こうでもないと、試行錯誤して練習していたので余計に基本が崩れていたらどうしようかと心配だった。

基本レッスンのとき、「ハイ、じゃ、『ウエヘ』をやってみて!」
先生が私の気持ちを見透かしたように、にっこり笑って指示を出した。
取りあえず、練習してきたようにやってみた。 
「。。。。」先生は無言。

ウエヘだけを繰り返して、いい加減、足が疲れてきたとき
「前回のレッスンの後、ずっと自分で練習してた?」と先生。
「ハイ!してました!」
ウエヘを続けながら答える私。

「うん、そうだろうと思ったよ。だいぶ、よくなってる」
うれしかった。。
今日はこれだけで、レッスンを終わってもいいと思うくらいうれしかった。
めったに褒めない先生だから、ちょっとした「ウエヘ記念日」だ。

私の体や筋肉はすぐ忘れてしまうから、また繰り返し練習しなくちゃ。。
今日は「コケエ」の振りの細かいところを整理して、肉付けをして、、というレッスンだった。忘れないうちにまた練習だ。

明日から先生はカウアイに緊急のお里帰り。
で、来週は水曜日からレッスン開始。

水曜日には日本から数人の仲間がレッスンに集合する。今から楽しみだ。
これから私も忙しくなりそうだ。
2006年6月22日 (木)
ニッポン、残念!!

朝9時から、TVでワールドカップ日本対ブラジル戦の実況。夫は釘付けだったが、私はあんまり興味がないので「今、どんな感じ?」とか「もう点数入った?」とかのんきなことばかり言っていたが、今、日本では明け方の4時過ぎだと思い当たり、あの人もこの人も日本で同じ画面を見ているのだと思うと、うれしくなった。こちらの実況は英語だから、いま一つ迫力に欠けるが、楽しめた。

「強豪相手に一点でも入れたのだから、偉かったじゃない、日本も!えらいえらい・・・」と私は満足しているが、どうもそんなものではないらしい。
夫は「まだまだ実力が世界に追いついていない!」と悔しそうだった。

試合途中に同じ人から2度電話が入った。
「今、どうなってる?点数入った??」しばらくすると「試合の結果はどうだった?」・・・
私たち夫婦のお友達で、目下お仕事中の、会社の社長さんからだった。

仕事中だけどサッカーが気になる。。で、我が家に電話していらしたらしい。
果たしてそれでお仕事になったのかなあ・・

アメリカの一般の人はそれほど興味を持っていないワールドカップだが、ハワイで「ニッポン!!」と心から応援していた人が沢山いたにちがいない。

午後から、お友達のKさんと会うことになっていた。
お渡ししたいものがあったので、この日に。。とお約束していた。
待ち合わせ場所はモアナサーフライダーホテルのホノルル コーヒー カンパニー。

運よく窓辺に席が取れると、カラカウア通りを見下ろし町行く人を眺められる。。。でもその特等席は、たった二席しかないので、座れる確率は少ない。しかし、今日は運よく特等席に座ることが出来、心地よい風を感じながらおしゃべりを楽しんだ。素敵なお店で、私は大好きだ。

Kさんはそのあとお仕事があるので、3時にお別れ。
私はその足で、ジムに向かった。ゆっくりと時間をかけて、一通りのコースを終えて帰宅したら、5時だった。運動をした後の体中の筋肉が、熱くなっているのがわかる。疲れるどころか、元気になった気がするのだ。この心地よさを味わうとジム通いが楽しくなる。やっとこのペースを取りもどしたようだ。

夕方、夫とお寿司を買いに出た。どこかに食事に出ようと思っていたのだが、気が変わったのだ。
カパフル通りの「元気寿司」へ・・なかなか人気のあるお店である。今日も好きなネタをリクエストして買ってきた。アヒポケ(ポキ)の軍艦巻きが最高!!

こうしてテイクアウトしたものを、帰ってゆっくりいただくことが多くなった。
外食よりこちらのほうが、気楽でいい。

ハワイの旅になれた人が、レストランの食事を避けて、日本食のお弁当やプレートランチを買ってホテルの部屋でゆっくり食べる。。。という気持ちがよくわかる。しかも日本人の口にあったものが簡単に手に入るのだから、ありがたい。

明日は、ハワイに今朝着いたばかりのAさんとフラレッスンをご一緒する予定。
Aさんと私は初対面だが、共通のフラの友人のおかげで、ご縁が出来た。
フラは世界を広げてくれて、楽しくしてくれて、本当にありがたい。
Aさんとの対面が楽しみだ。
2006年6月21日 (水)
ようこちゃんと「食堂」

今日は久しぶりでようこちゃんにお会いする日。以前通っていたYMCAのジムで知り合い、同じ京都出身だということだけではなく、なぜか気があって、親しくさせていただいている、ようこちゃん。

こちらでは英語の名前「ジーン」さんで通っているらしいが、私はようこちゃん!と呼んでいる。ようこちゃんは私を「きょうこちゃん!」と呼ぶ。なんともいえない京都風な呼び方の「きょうこちゃん」で、私は呼ばれるたびにうれしくなる。私よりかなり年上なのだが、本当に可愛くてきれいで、楽しい方だ。

ランチをご一緒に、、ということで、アラモアナ近くの「食堂」という日本食レストランで待ち合わせた。ようこちゃんは会うたびに、必ずレイか、シェルレイを用意してくださって、ハグをしてからそれを首にかけてくださる。ハワイの生活が身についた素敵な方だ。今日もレストランの前で、ハグをして、黄色のきれいなシェルレイをかけて下さった。

「食堂」は私は初めてだったが、店内が広く明るく感じのよいお店だった。メニューもちょっと洒落た居酒屋風。リーズナブルなお値段で、おいしかった。ビビンバ、じゃこ大根サラダ、そして出来立て豆腐。二人でわけても、充分の量で満足。

おしゃべりは尽きず、3時間くらいがあっという間に過ぎた。ようこちゃんのおしゃべりも楽しいが、聞き上手なのだ。とにかく人の心を温かくしてくれる人。見習いたいと思う。

そのあと、ようこちゃんはパソコン教室に行くという。なんという若さ!

実はそのPC教室の経営者のSさんが、偶然私の知り合いだったということもあり、「きょうこちゃんもこれから私とお教室に一緒に行って、Sさんと会えばいいじゃない!?」と誘われた。

私もすぐにその気になって、Sさんにお会いするべく、ようこちゃんについていった。
PC教室では年配の方が、数人いらして熱心にPCに向かっている姿が印象的だった。

Sさんはつい数日前、アメリカの市民権を取ったばかりで、そのいきさつをいろいろ話してくださったり、話題の豊富なことといったら。。。ようこちゃんがPCに向かっている間、Sさんと私のおしゃべりに花が咲き、ここでもあっという間に時間がたった。

4時過ぎ、お二人と別れてアラモアナショッピングセンターに立ち寄って家路についた。

ようこちゃんはお一人暮らしだが、京都にもお家があり、アメリカ本土に息子さんがいらっしゃるので、時々ハワイを長い期間離れることがある。通常6月はハワイにいないことが多いのだが、今年は異例。

そして気がついたという、実は6月がハワイのもっともよい季節だということに・・・・
もう何十年もこちらで生活しているのに、いまごろ気がついたの、遅いよねと、ようこちゃんは笑っていた。私も5月から6月にかけてこちらにいることはなかった。今年は異例のスケジュールでこちらにいる。そして私も確かにそう思う。

この季節、ハワイはとてもきれいで、お天気も安定し、暑すぎず、お花が咲き乱れ、果物もおいしい。。。。来年からこの時期を逃す手はないな・・・と思ったりしている。

今日も夏らしい太陽が輝き、風が爽やかに吹き気持ちのよい一日だった。
このところ貿易風が少し強いようだ。
2006年6月20日 (火)
ワイマナロの町

今日は夫も私もフリー。買い物ついでにドライブしようか?ということになった。
車には、常にアイスボックスがつんである。凍らせたアイスノンを入れてドライブ中に必要な飲みものを入れておくのだが、今日のように買い物ついでにドライブ、、というときは、たとえ途中でなま物を買っても半日は新鮮に保てるように保冷箱として使うことになる。

今日は買い物が先で、ドライブが後になりそうだったので、多めにアイスノンを入れて出発した。
まず行ったところは、このごろマイブームの「カスコ」 まず、たっぷりチーズの乗ったピザを食べることが第一目的。この間食べたホットドッグがおいしかったので、ピザと一つずつ買って二人で半分っこすることにした。

予想通り、このピザが本当においしかった。コンボを頼んだのだが、生のマッシュルームの香りが生きていて、チーズがたっぷりで具もいっぱい。ピザの生地は軽くクリスピーで、アメリカのピザとは思えないおいしさ・・・・本日のランチはまたまた、大満足の巻だった。

カスコで少しだけお買い物をし、アイスボックスにお肉とお豆腐を収めると、今度はドライブ。
パリハイウエイにのり、久しぶりでヌアヌパリのアウトルックに行った。眼下に広がる景色はカラフルで美しかった。今日は真夏を思わせるお天気で、カラリと暑く、海も空もすっかり夏色だった。

今日は、いつもとは違う道を通ってみようということになり、ワイマナロの山沿いの町に入り込んでみた。このあたりは「ナーサリー」が多い。植物の種苗や苗木を栽培しているところだ。

広い土地に実験的に植物を栽培していたりするから、当然そのあたりお花や、木々はめずらしいものが多い。思わず車を止めてカメラを向けてみたり、道端にワタの木を見つけてふわふわの木綿を手に取ってみたり。。。とても楽しかった。

野生?の鶏が歩いていて、どこかカウアイ島で見た風景に似ていた。
感心するのは、どんなに辺ぴなところに入っていっても、道路がきちんと整備されていることだ。車社会からだろうが、気持ちがいい。

プルメリアにはいろいろなカラーがあるのは知っているが、今日は実にさまざまな色のを見た。
ホノルルで見かけるのは、真っ白か、薄い黄色、そして薄いピンクのものが多い。
しかし住宅街のお庭で育っているプルメリアは、どういうわけか色が濃い。
真黄色、ローズ色、ボタン色、真紅のものまである。それらの色が適当にミックスされた花もあるし、一本の木から違う色の花が咲いているのもあったりするから、うれしくなってしまう。

私はお家の中にいつも生花を欠かさない。。という風流なタイプの人間ではないが、自然に咲いている花にはとても魅力を感じる。だから、今日のドライブはとても楽しかった。
帰りにもう一軒、ダイエーに寄ってお買い物。タレントのリカコさんとお子さんが買い物中だった。
彼女とはよく遭遇するから、相当ハワイがお好きらしい。

家に帰ってから夫は散歩に、私はジムに出かけた。ハワイにいるとなぜか元気なのだ。

深夜になってフラのK先生から緊急メールが入った。キャンセルの予定だった今週の金曜日のフラレッスンが出来ることになったから、他の人に連絡をたのむ。。と。
ああ、よかった。でも、大変! また連絡のしなおしだ。 ハワイにいても何かと めまぐるしい・・・

あすは久しぶりに、ようこちゃんと再会の予定。
最近出来た「食堂」というレストランでお昼をご一緒することになっている。
楽しみ!!
2006年6月19日 (月)
コナクラブのポキ

ただいまハワイ新婚旅行中のSちゃんとの約束で、今日は朝から近くののコミュニティセンターでのフラレッスンに出かけた。先週からお約束していた鎌倉のフラのY先生とも、ここでお会いすることになっていた。
会場に行くと、まずSちゃんと8ヶ月ぶりの再会。相変わらず楚々としてきれいなお嬢さん、結婚して姓が変わって、まるで俳優さんのような麗しい名前になっていた。

Y先生とも予定通りお会いすることが出来てよかった。
私にとっては、ここのフラレッスンは初めての経験だ。
広い講堂のようなところに40名近い人が集まっていたように思う。

定評のあるレッスンで、オープンに自由に受けさせてもらえるのがありがたい。日本からのフラの生徒さんたちも沢山きているようだった。

うろうろしているうちに、私はなぜか前から2列目に立ってしまい、しかも先生の真正面。ちょっと緊張。とても明るくて、おおらかな先生でほっとした。

ベーシックから始まって、休憩を2回入れてちょうど一時間半。今日は「パパリナラヒラヒ」の2番までを振付け。パパリナ。。。といえばあまりにも有名なナンバーで、いろいろな振りがあるが、今日のもK先生の振り付けと微妙なニュアンスの違いがあって面白かった。

K先生以外のフラレッスンを受けるのもそうあることではないので、よい経験だった。朝から楽しく踊って、いい汗を流して。。爽やかだった。
「ああ!ハワイ!!」である。

家へ帰るとK先生からメールが入っていた。緊急連絡!だった。
急にカウアイ島へ帰ることになって、今週のフラレッスンの予定が大幅にかわるので、その調整をしてほしい。。ということだった。

来週から日本からの生徒さんが沢山いらっしゃる。そして7月に入ると、日本でのお仕事もあり、先生は目が回るほど忙しくなるのだ。
だからそれまでに、急に入ったカウアイでの用事を済ませておきたいということらしい。

その用事とは??先生の後日談が楽しみだ。

めまぐるしく変わる先生のスケジュールに着いて行くのも大変だが、そこはフレキシブルに、柔軟に対処・・幸いレッスンの調整は何とかなりそうなので一安心。

私はこの機会にせいぜい目下の課題「ウエヘ」の自習をしておこう・・・


「今日のは特別新鮮そうだったから。。」と夫がゴルフの帰りにコナクラブのポキを買ってきてくれた。
ゴルフ場の近くのフィッシュマーケットには、新鮮な魚介類が沢山そろっている。そこのお店の太刀魚をからりと揚げたものも私たちの好物だ。今夜の夕食はそこで買って来たシ−フードで決まり!

コナクラブはハワイ特産の、甘くておいしいことで有名なカニで「新鮮な生のコナクラブをポキにしたものが特においしいんだよ!カウアイにきたら沢山食べられるよ」と、K先生からも聞いていた。
密かに「いつかきっと食べてみたい。。」と思っていたのだが、やっと今日、実現したのだ。

透き通った身がプリプリしていて、軽く塩味の付いたコナクラブは本当においしかった。甘さがあって、伊勢えびのお刺身のよう。ハワイの味付けは塩辛くもなく、ぴりぴり辛くもなく、本当にマイルドだ。

これはおいしい!!またひとつはまりそうなものが増えた。

コナクラブは茹でて食べても、もちろんおいしいのだが、生に限る!と私は思う。収穫の季節もあるだろうし、いつもあるものではないのかもしれないが、ハワイにきたらお勧めしたいもののひとつだ。

まだまだ知らないことが多く、日々発見があって楽しい。
2006年6月19日 (日)
世界一贅沢な・・・?

こちらに来てから、一ヶ月以上が経過した。5月始めは室内でも夜は涼しかったりしたが、もうすっかり夏らしくなってきたし、日差しも「ハワイ!!」だ。木々のお花もさらに華やかさを増している。

窓いっぱいに横たわって見えるダイヤモンドヘッドも3月の長雨ですっかりグリーンに覆われていたのに、今はだいぶ赤茶けた岩肌が目立つようになった。

午後、私が横浜で所属している女声合唱団の曲を練習した。
MDに録音してきた曲を聞きながら、思い出し、歌ってみる。。
しばらく声をまともに出してないから、声が出ない・・それでもなんとか歌っていると窓辺にきたメキシコマシコが、大声でさえずり返してくれているのに気が付いた。
あんまり可愛いので、つい彼らを相手におしゃべりしたりして。。。
可愛いお供がいてくれて、練習がはかどったような、はかどらなかったような。。。。でも、まあいいか。。楽しかったから・・

特にいま、幼鳥のしぐさがとても可愛い。やっと飛べるようになって、うれしくて仕方がないようだ。

今日は特に用もなく一日が終わったが、夕方から私はジムへ出かけた。
今日はガランとすいていて、さっさとエクササイズが進んだ。夫が言うには私の通うワイキキのジムは世界一贅沢なフィットネスクラブだという。お金持ちばかりの会員制で、素晴らしくゴージャスで。。という意味では勿論ない。中味はごくごく普通の設備だし、それほどきれいでもない。ただただ、ロケーションが素晴らしいのだ。

それでいて、リーズナブルな会員制になっていて通いやすい。何度も書いているが、ウォーキングマシーンで歩きながら、ワイキキビーチを一望でき、空気も自然に入ってくるのでまるでビーチにいるような気持ちになる。こんな贅沢があるかしら?と思う。

私が通っている日本のジムは、新しくてきれいだが、窓からの景色はお家の屋根だらけ。。高圧線が空に伸び、電線が視界をさえぎる。。狭い日本だもの、それは仕方がない。仕方がないから、余計ここのありがたさを感じるのだ。

ここには日本人の女性はほとんどきていない。
筋肉りゅうりゅうの男性とたくましい女性ばかりだ。その中へこの、か細い私が入っているのだから相当ヘンだし、勇気がいることだなあ・・と今日はじめて思った。

入会に先立って見学に来たときからこのかた、まったく躊躇はなかったのに、今日急に私はエライところに来ているんだと、今ごろ再認識した。他の人の目が気になるわけではないし、こちらの人は好奇の目で人を見ることをしないので、その点気が楽だ。知らない人でも、わからないとことは筋肉モリモリのお兄さんやおじさんがやさしく教えてくれたり、さりげなく助けてくれるのでうれしい。

今日はちょっといつもより、重めのウエイトを持ったり、チャレンジしてみた。明日以降の筋肉痛が心配だけど。。。爽快なトレーニングだった。

夕食はひさしぶりに外食。
歩いていけるところで、帰りにワイキキをぶらついて帰れるところ。。が私たちのテリトリー。
つまり、近場で済まそうということだ。

ゆっくりと食事をしての帰り、まだワイキキには少し夕焼けが残っていた。7時半から少しの間、群青色の素晴らしい空が広がる。星も瞬いて。。。この時間の空が私は大好きだ。

ゆっくりとハワイの風に吹かれて、歩くときまた「ああハワイだ!」になる。
なんて気持ちのよい風なんだろう。。。

家へ帰って、大急ぎでTVをつけた。
私が唯一楽しみにしているTV番組「渡る世間は鬼ばかり」・・
相当古いシリーズだが、私が見逃している部分もあり、楽しい。
ここの画面ではまだ藤岡琢也さんがお元気で登場しているし、登場人物も若い・・・私はこのドラマが好きで、これだけは逃さないようにしている。

英字の字幕スーパーが付くので、それを見ているのもおもしろい。
「へーー英語ではこういう風にいうのか。。」と。
その気になれば、いろいろ勉強になるんだけれど身につかないのが悲しいところ。。
2006年6月17日(土)
マリサとレッスン!!

お昼前、マリサから電話があった。
「ナカムラ?キョコ?今日空いてますか?フラ教えてもらえますか?」 
水曜日にビギナークラスを受けに来て知り合い、簡単バージョンの「パパリナ ラヒラヒ」を一緒に踊って、昨日のK先生のショウでも偶然再会した、あのにぎやかな中年のアメリカ人からだった。
あら、本当に電話がかかってきちゃった・・・私は当惑した。
「明日、サンディエゴへ帰るので、どうしてもあの曲を覚えて帰りたい。ついてはあなたに教えて欲しい。頼むから30分だけ、時間を下さい」と、とても熱心なのだ。
音源もないし、第一どこでやるの??と聞いたら、いい場所があるという。
「私の泊まっているパシフィックビーチホテルのね、5階にプールがあるの。そこの横にコインランドリーがあるの。そのあたりは広いし、あまり目立たないと思うから、そこによかったら4時に来てくださいませんか?」

パシフィックビーチホテルといえば、私にとってはふるさとみたいな場所だから、ちょっと気が楽になった。
5階ね?プールのところね?ハイわかりました。じゃ行きます。一緒に踊りましょう!私はあまりに彼女が熱心なのと、そこまで言われて断るほど忙しくもないので、行くことにした。

そこでCDからMDにその曲を録音して、なんとか音源を確保した。。
4時少し前に言ってみると、プールは彼女の言う5階ではなくて本当は4階だった。なんだか不安になってきたがその場所へ行くと、マリサは既に来ていて、派手なハグで迎えてくれた。
そしてプールの横にあるゲームセンターのようなところが、ひとけもなく、踊るにはうってつけのところだという。「ここでお願い!30分だけでいいの」・・

一応水曜日に習ったものの、彼女にしたらチンプンカンプン。それでもいい、ただただフラが楽しくて仕方がない、、という風だった。歌詞の意味と動きを説明したら、「あーーそうか。うーーん、なるほど。楽しい曲ねえ」とおおいに納得してくれた。MDのかすかな音で、踊ること30分。
とうとう最後まで振り付けのおさらいが終わって、最後に全曲を通して踊ったときの彼女の歓声は忘れられない。。。
ゲームセンターといっても、ガラス張りで開け放ってあるので、私たちのフラは周りの人から丸見え。
大喜びしながらマリサが踊るので周りの人たちも楽しそう。。。私はこんな人に初めて会った。歓声をあげて大喜びしては、周りの人に「私、うるさいでしょう。ゴメンナサイね。大丈夫?」としきりに謝るのだ。周りの人はそのマリサの可愛さに和んで、拍手までしてくれた。

おおいに楽しんでいたが、かっきり30分で、「私たちの約束はここまでだから」と彼女はレッスンを自分で終えた。さすがはアメリカ人。契約の世界だ、はっきりしている。気持ちがいい。

大変だったのはそれからだった。
「ね、貴女にいくらお払いしたらいいかしら。いつも、おいくらなの?」
「いえ、だからね、最初から言ったでしょ?私は先生じゃないし、あなたとフラを通して、楽しみをシェアできればいいと思ってここへ来たの。だから、お金はいらないの」といくら言っても「貴女と私、二人の約束で来てもらったの。私は20ドル差し上げたいと思うけど、それじゃ足りないかしら?」
そういいながら、もう、彼女は20ドル札を握っている。

「今まで、こんなに価値のある20ドルはなかったわ。どうもありがとう!!本当に楽しかった!!」
ハグをし、握手をしたとたんに。。20ドル札が私の手に。。。

困ってしまった。とっさに、私のバッグの中にこの曲のCDが入っていることを思い出した。私の好きな曲を選んで自分で作ったものだ。

「ありがとう、マリサ。このCDをかけて、サンディエゴでフラを踊って、ハワイを思い出してね」と差し出すと、また歓声をあげて飛びついてきてくれた。
ああ、よかった。これでなんとか許してもらおう。
こんな私が、たった30分で20ドルもいただくわけには行かないんだから。。。
K先生に来週このことを報告したら、なんとおっしゃるだろう、きっと喜んでくださると思う。
帰宅して夫に話すと、その20ドル札、永久に大事にしなくちゃね。。。といわれた。ホントにそうだ・・私はそれをバッグから取り出すと、折り目を丁寧に伸ばし、私のフラ グッズのコーナーに大切に飾った。
ここに仏壇か、神棚があったらお供えしたいくらいだ。

こんなにも温かい世界を与えてくださったフラの神様に、今日も感謝感謝だ。
2006年6月16日 (金)
ホットドッグ

今日はフラのレッスンの予定だったが、キャンセル。
先生のお父様がカウアイから出ていらしていて、今日だけしか時間がない。。というので、「一日、ダディの面倒を見ることになったんだ」とのこと。父の日も近いことだし、このところ、ずっと会っていなかったお父様といろいろお話もあることだろう。

レッスンがないので、夫と午後からチャイナタウンへ。
マグロの中トロと、エビと、マニラクラムという貝と新鮮な野菜などを買い込んできた。
野菜の新鮮さと、安さとは他のスーパーとは比べ物にならない。
私は久しぶりだったが、中華街が少し清潔になってきたような気がした。いいことだ。

そこから、私たちのブームである「カスコ」へ。。。
今日は何が目的というわけではなかった。広いお店をもう一度探検しておきたかったのと、入り口のところにある売店で、ホットドッグを買ってそこで食べてみたかったからだ。

なにしろ大きいソーセージの入ったホットドッグに無料リフィルつきのドリンクが付いて、1ドル50セントだ。先日、それをおいしそうに頬張っている人を横目で見ながら歩いていると、どうしても食べたくなった。夫はそれほど食べたそうでもなかったが、付き合ってくれた。

ホットドックに自分でケチャップや、マスタード、ピクルス、たまねぎなどを好きなだけ入れて食べるのだ。思いっきりたくさん具?を入れて、これが本当においしかった。
今日は念願のホットドッグを味わえて満足。

カスコの虜になりつつある私たちは、次回はここでピザを食べることに決めた。これも人がおいしそうに食べていたからだ。。。どうも人に影響されがちな私たちであり、どう考えても、安上がりな夫婦である。

夜、日本からのフラのお友達3人とK先生のショウに出かけた。
一応、先生最後の舞台・・・である。しっかり目に焼き付けておこうと思った。

3人は今朝ホノルルに着いたばかりで、時差もあるし、ショウの途中で寝ちゃうかも、、なんて心配していたが、3人ともショウが始まると、その迫力に押されてお目目パッチリで寝るどころではなく、充分にショウを楽しんでくれてよかった。

私たちに与えられた席は、張り出し舞台のかぶりつき。とてもいい席だった。
と、その同じテーブル席に、見覚えのある女性が座った。一昨日、フラレッスンに来て、先生を質問攻めにして「フラって素敵ね!」と大喜びで帰って行ったアメリカ人、その人だった。そういえば、先生に「絶対ショウを見に行くわ!」と約束していたっけ。
それにしても何たる偶然。席は何百席もあるのに・・・

彼女の肩をたたいて、「ね、私のこと覚えてる?」と聞いてみた。「もちろーーん!また会えてよかったわ。。私、約束どおり来たでしょ、先生に投げようと思って、花を持ってきたの」と一輪の赤い花を持っていた。本当に楽しい人だ。ご一緒に来ていた息子さんとご主人を紹介してくれた。

ショウが終わりかけたとき、舞台の先生に向かって彼女はその赤い花を投げた。先生は予期していなかったから、それを取り損ねたが彼女は満足そうだった。

ショウが終わると、彼女は私にこういった。「ね、明日、時間空いてませんか?この間習ったフラの曲をぜひ全部覚えて帰りたいの。。CDも買って帰りたい。とにかく踊れるようになりたい、、30分でもいいから教えて欲しいの。もしだめなら、ダメっていってね。でもお願いしたいの!!」「いや、あの・・・私は先生じゃないし、教えるなんてとても出来ないわ」「いいの、私は貴女に教えてもらいたいの。。。だってあなたはあの踊りを最後まで、知っていたじゃない。明日、とにかく電話をするから番号教えて。。プリーズ」

大変なことを言い出す人だった。ご主人も息子さんも、「そうしてやってくださいよ。。」という顔で、私を見ている。とりあえず携帯の番号を教えあって「ではのちほど、お電話で。。。」ということにした。

明日果たして電話がかかってくるかどうか・・・
アメリカ人らしくどこまでも明るくオープンな人だ。

帰宅したら、先日初めてレッスンをご一緒した関西のフラの先生からカードが届いていた。
「先日は本当に楽しいレッスンでした。またご一緒したいですね。。」と書かれていた。
フラのおかげでたくさんの人と出会い、お友達がたくさん出来た。

本当にありがたいことだと思いつつ、明日、彼女から電話があったらどうしよう。。と夫に言ったら、
「いいんじゃない、電話があったら行って一緒に楽しく踊ってきたら?、フラを好きになったなんてうれしいじゃない」

さて、明日はどういうことになりますか・・・。
世の中は本当におもしろい。
2006年6月15日 (木)
No rain No rainbow

日本はワールドカップでTVも盛り上がっているだろうと思うが、こちらではTV放送をしているものの、ごく普通。国によってこうも違うものかと思う。アメリカンフットボールのほうが断然人気がある。ちかごろアメリカもサッカーに力を入れているらしいけれど・・・

一方、娘のいるドイツでは当然のことながら、国を挙げて大盛り上がり・・・毎日大変だそうだ。
娘夫婦もキャンセル待ちの抽選で、やっと3位決定戦のチケットを手に入れた!!と有頂天だった。
本場の本物をまのあたりにして、きっと幸せなんだろうなあ・・・あんまり興味のない私でさえワールドカップのときだけは「あの国、どうなった??」と一応気になる。

明日4人組でこちらに来るはずのフラの仲間から連絡が入った。
そのうちの一人が、昨日、自転車転倒事故で、怪我をして急遽旅行をキャンセル。
残りの3人でハワイへ来るという知らせだった。びっくりした。
ご本人の無念さはいかばかりだろうと思うし、一緒に来るはずだった人たちも残念だろうと思う。

世の中何が起こるか分からないものだ。

夕方お買い物に出て車に乗っていると、やはりフラ仲間のSちゃんから電話。
「きょうこさん、来ました〜!」
「あ!Sちゃん、この度はおめでとう。よかったね。。」

彼女は先日結婚したばかりで、ハワイへ新婚旅行なのだ。
「まだ新しい姓で呼ばれてもピンとこなくて」と、とても初々しいSちゃん。

今回は、K先生のレッスンを受ける時間がないという。
オアフでの滞在中、ウェディングフォトの撮影などがあって忙しいらしい。でも月曜日、コミニュティセンターのフラレッスンには出られるというので、ご一緒することにした。一緒に踊れるのが、うれしい。

こんなうれしい記念すべき旅行のときに、「会いたい」と電話をくれたSちゃん。とてもうれしかった。
末永くお幸せにね・・・・

今日は久しぶりに日中少しだけ雨が降った。
そして久しぶりに虹を見た。

No rain No rainbow, という言葉があるが、そのとおり。
私はこの言葉がとても好きだ。
単に「雨がなければ虹はない・・・」と日本語で言うと、薄っぺらになるが、英語だと意味をいろいろに解釈できる。

この5月のある日、横浜で大きなダブルレインボウが見えたのよ、とお友達からメールが届いた。日本ではめずらしい。
建物のなかから歓声をあげて外に出てきて虹を見上げる人たちがいたそうだ。
なにか、いい兆候だといいけど・・・

今、黄色のレインボウシャワーの花が見事だ。
ピンクのグラデーションの花々も咲き始めている。
ハワイも夏本番だ。

今日は懸案の「ウエヘ」の練習を自宅で。。。
なんだかよくわからなくなってきた。体を使って覚えることというのは、いったん崩れると立て直すのに時間がかかるようだ。いまは、ウエヘが出てくるフラを練習すると、そこで体が止まってしまう。

あーーー大変だ。
2006年6月14日 (水)
ウエヘ

夫は早朝から85歳の方とのゴルフ。このごろ、一日おきにご一緒しているようだ。とにかく頭もシャープでお若くて、お手本にしたいような、おじいちゃまらしい。

今日はフラレッスンの日。
お昼まえにK先生から電話。
「一時からビギナークラスが入ったから、来てね」
いつものことながら、急に予定が変わるから大変だ。

大急ぎでお昼を食べて出かけた。今日のビギナーはサンディエゴから来ている一人のアメリカ人だった。先日の人もそうだったが、陽気なアメリカ人を絵に書いたような人。やはり質問が多い。

ステップを一つ一つ習うたびに、「オー、カッコイイ」「それいいね!」「うそ、私がそれやるの?無理よ」「ちょっと待って。もう一回だけやって見せて!」と合いの手が入って、おもしろい。

先生も楽しみながら、一生懸命教えていたが、ちっとも進まない。
普通なら簡単な一曲を仕上げて帰るところなのに、半分しかできなかった。
彼女の質問と合いの手で時間が取られるからだ。本当に楽しいのだけれど。。。
「半分しか出来なかったの?あらあそう、、じゃあ、金曜日も来るわ。そしたら出来上がるわよね。金曜日は友達も二人ばかり連れてこようかしら!だった、とーっても楽しいんだもん!」 

こういう人があと二人来たら、どんなことになるだろう? K先生も私も苦笑い。でもハワイに来た人が初めてのフラを楽しんで、愛してくれたら、それが先生にとっても一番うれしいことなのだ。。

どうやら金曜日も賑やかで楽しいレッスンが期待?できそうだ。

2時過ぎからは、私のレッスン。
7月にある所で一人で踊らせていただくことになっている「コケエ」のおさらいをしてもらう。
大好きなナンバーだが、テンポが速くて、ともすると体が浮き上がりがちで私には試練の曲。先生の前で踊るのは久しぶりだった。

今までの振りに加えて、舞台で踊るときはこうしたほうがドラマ性が生まれる。。というところを細かく教えてくださった。こういうとき、先生はとても楽しそうだ。こうしてみて、ああしてみて、ああ、ちがうちがう。。と、水を得た魚のようだ。根っから踊りがすきなんだなあと、思う。

本番までまだ一ヶ月以上あるので、今は基本を重視して動きなさい。今のところは自分らしさを封印したまま踊ること。。。といわれている。

まだなかなか思うようには動けないけれど、鏡を見て毎日練習してくるように。。と宿題になった。
今日は一番だけを噛んで含めるように教えてもらえて、うれしかった。

ひとつ問題がある。私が好きだったはずのステップ「ウエヘ」が、もっとも苦手なものになってしまった。
ウエヘのときの、私の姿勢がまっすぐすぎてよくないらしい。つまりヒップの位置が違うというのだ。
足の裏の使い方、お尻の突き出し方、基本中の基本を直してもらっていて、私の足とヒップは、ただいま調整中。ゴルフや、野球でいうフォームの大改造中というところだ。

まだ体で感じるところまで行っていないから、「今の、よかったよ」といわれても「あら、そうでしたか?」という具合で、実感がない。動きが体に叩きこまれていない証拠だ。

これも練習練習。。。ああ、大変。
本番までになんとか、自分のものにしたい。
すこしでも本物に近づきたいと思う。

これからしばらくは、緊張のレッスンが続きそう。楽しみ楽しみ。。。
2006年6月13日 (火)
大火事 イン マノア

今日、夫は休養日のようで、TVの前でゆっくりワールドカップや、ゴルフチャンネルを楽しんでいた。
私も今日は特に用もなく、のーんびり。

メキシコマシコ君たちが、ヒナ鳥を連れてやってくる。ヒナは上手に飛べるのだが、えさを自分で食べようとはしないで、「ピーピー」騒いでは親から口移しでもらっている。「その気になったら食べられるわよ、あなたも甘えていないで、ホラ自分で食べましょう!だめよ、いつまでも甘えてちゃ!!」と励ましながら、じっと観察。時間がゆったりと流れて、贅沢な空間。

夕方夫は一人で、散歩に出た。一時間ほどで帰ってきたが「その先ですごい火事があったよ、真っ黒い煙が空高く上がって。。。まだ燃えてるみたいだ」と興奮気味。早速TVをつけると大学の研究室か何かが、全焼したらしい。すでに実況中継が入っていた。うちから思ったより離れているところだったが、その煙はすごかったらしい。

3時間半ほどで鎮火したというが、マノアの現場から煙が風に乗って、アラモアナ方面にも流れていったというから、相当なものだ。学校が夏休みで、誰もけが人が居なかったのでその点幸いだった。
しかし、大事な資料などがすべて焼けてしまったらしい。

私は夜、フラのK先生のショウに行くことになっていた。今回こちらに来て2度目だ。今まで通算何回見たことだろう。。数えたことがないが、まあ相当な回数になるだろう。

もともと私は舞台で繰り広げられるものにとても興味がある。
若いころはお芝居もよく見たし、バレエもたくさん見たし、華やかなレビューも大好きだった。
出来れば客席に居るより舞台に立ちたいほうだったから、いい舞台を見せてもらうと、どんなジャンルでも感激する。

先生のショウを何度も見たというと、いつ見ても同じでしょう・・といわれるが、とんでもない、舞台というのは面白いもので、二度と同じものは見られない。同じように見えて、どこかが微妙に違う。今日もそうだった。

今日の舞台は全体に少々省略が多かった。残念ながら、私の一番好きな場面がカットされていた。あれ?いつもと違うぞ。。。という場面が多かった。なぜならば、今週は観光客が多い時期で、先生のショウも一晩に2回の公演だった。2回繰り返す分、時間も短縮せざるを得ないのだろう。
出演者はそれを飲み込んで、臨機応変に動くのだ。さすがプロは違う!

でも今日のお客さんはそんなことを知らないから、こういうものだと思って楽しんでいる。舞台というのはそういうものだ。そこが面白い。
実は今週の金曜日にもまた、私は別の友人たちと、同じショウを見に行くことになっている。

残念ながら、その金曜日に見るショウが、先生のここでの最後の舞台になるらしい。
少し前から考えていらしたようだが、とうとう今週で辞める。。とのこと。
「この仕事の最後の週になるはずだ。。」と今日言われて、びっくり。

偶然、その最後の週に2度も見せてもらうことになっていて、なんだか複雑な気分。とっても残念だ。先生のステージでの踊りがしばらく見られなくなる。

でも先生のことだから、また新しく活躍の場を見つけるに違いないし、それもいいのかもしれない。ずいぶん長くここで活躍されたのだから。。。淋しいけれど仕方がない。。

今日ご一緒したのは、明日転勤で日本に帰ってしまうフラのお友達N子さんご一家。
8歳の坊ちゃんと6歳のお嬢さん、それにご主人とN子さん、そして私の5人。

ハワイ最後の夜に、是非、親子でショウ見物を。。ということで実現した。
実は今夜はK先生の非番の日。先生の出番はないはずだった。

無理を承知で「N子さんご一家のハワイ最後の夜に、ぜひ先生のショウを見せてあげてほしい。。」とお願いしたら、先生がご自身でショウのキャスティングを操作して出演してくださることになり、おかげで先生の舞台を皆で見ることが出来たのだ。

ショウのあと、N子さんご一家も感激の面持ちで先生と対面。
ご一家にいい思い出が出来たようで本当によかった。

今夜はプリンセスカイウラニホテルのプールサイドで、バージンチチをいただきながら、5人ですこしおしゃべりしてN子さんたちとお別れ。
お子さんが早く日本に慣れますように。これから日本に落ち着くまでは、大変だろうが頑張ってほしい。アフイホウ。また会いましょうね!

今週末からしばらく、日本からのお友達がたくさんやってくる。
フラ教室もにぎわうだろう。楽しみだ。
2006年6月12日 (月)
カスコ

午後からはK先生のフラレッスンの予定だったがキャンセル。
先生の元の職場のホテルで人手が不足して、先生が借り出されているのだが、今日は特にフロントデスクでのお仕事が忙しくて、フラに時間をまわすことができなかったのだ。アメリカでは既に子供たちが夏休みに入り、今日は振り替え休日で連休。それにハワイでのイベントが目白押しと来ているから、アメリカ本土からのお客様が多く、ホテルは満員御礼のようだ。

しかし私は先生に用事があったので、先生の職場に出かけていった。チェックインのお客様でごった返すフロントデスクの前に、宿泊客のような顔をして並び、順番を待って先生に面会、という方法でカウンター越しにお話して、一通りの要件を済ませた。

K先生のホテルマンとしての働き振りを、初めて目の当たりにした。フラを踊ったり教えたりしているときの先生とまったく違う顔があることに驚きながら帰宅しようと歩いていたらロビーで小柄なおじさんとぶつかりそうになった。

「あ。。山のアナアナ。。」の人!「新大久保。。」でも有名な落語家、三遊亭圓歌さんだった。
本当に小柄な方だった。圓歌さんの落語は昔から大好きだったから、ぶつかりかけたとはいえ、お会いできてうれしかった。

夕方から Costoco へ。こちらでは「カスコ」というふうに発音する。家は人数が少ないので、ここの会員になる必要はないと思っていたが、利用方法によってはとてもいい。。というので、夫がメンバーになる決心をしたらしい。そんなつもりもなかった私も家族会員ということで、メンバーに。
写真まで撮られて、すぐにカードをもらい、とっても大きいショッピングカートを押しながら、巨大な店内をまわった。

びっくりするほど大量の品物が、安く売られている。ポッキーとか、マウイポテトチップスとか、たくさんあってもすぐ食べてしまうだろうものをまとめて買ってきた。その中でも大当たり!!だったのが、Cinnatwist という香りのいいシナモンシュガーをまぶしたかりっとしたパイ。お腹がすいていたので、帰りの車の中でちょっと食べてみたら、これがおいしい!おやつに最高。私はシナモンが好きなので、これにははまりそうだ。これもたっぷり入っていて、お安い。

試しに買ってみた、牛ヒレ肉もステーキにしていただいたら、とてもおいしかった。本当にお安くて、値打ちがあるものが多いようだ。

何事にも凝るタチだから、しばらくは私たちのカスコ通いが続くかもしれない。

しかしこの調子で買うと、キッチンが食料で埋まってしまいそう。気をつけなければ・・・

帰りに見たいものがあった。それはダウンタウンのカメハメハ大王の像。
一昨日のカメハメハデーにたくさんのレイが像に掛けられたからだ。
車をすこしゆっくり走らせてもらって、見上げたカメハメハ大王様は、今まで見たこともないような長い長い綺麗なレイをいくつもいくつも掛けてもらっていて誇らしげだった。色とりどりのお花というよりは、厳かなマイレのレイが多く、色取りは落ち着いた感じに見えた。

背の高い像にレイをかけるのには、クレーン車が使われていたというからスケールが違う。

この時期でないと、あの花に埋もれた大王様に会えないのだ。
今回、滞在時期をずらしたために初めての体験も多い。
充分にそれを楽しませてもらっている。









 
2006年6月11日 (日)
あーあ、拍子抜け

今日も晴れ。気持ちのよい風が窓から入ってくる。
ワイキキはこのところほとんど雨がない。でも昨日夫がゴルフをしたミリラニあたりでは、プレイ中に雨が降ったとか。。。こんなに小さい島でも、気温や天候が大きく違うからおもしろい。ワイキキは雨の少ないエリアなのだ。

今日は、4月に終わったフラのK先生の日本でのプロジェクトの最後の仕事をするために、ウチで書類やPCとにらめっこ。しかし、やっと印刷段階まで来たファイルがうまくプリントできない。はがきの印刷もあるのに、うまくいかない。プリンター自体が古いのだが、これでほとんど半日を費やしてしまった。

このプリンターがのろくて、あきれるほど時間がかかる。日本で新しいのを買いなおしたので、余ったのをハワイにもってきたのだが、やはり古い・・もうちょっといいプリンターがほしいなあ。でも、こちらで買っても説明書が全部英語だからそれもいやだし。。。しばらくは我慢だ。

まあ他にすることもない一日だったから、のんびり構えて気長に取り組んで、やっと仕事も終了。ほっとした。

その間、日本のプロジェクトの仲間から、メールが届く。その返事を書いているとまた別の人から質問のメール。こうして頻繁にやり取りをして、やっとひとつの仕事になっていく。

次回のプロジェクトに向けての動きも始まった。楽しみだ。

夕方から楽しみにしていたパレード。
夫と二人で勇んで出かけた。カラカウアどおりの沿道に座る場所を見つけ、しっかり場所も確保。
2時間にわたって繰り広げられるお祭りを楽しみに待った。

確か前に見たときは、青森のねぷた、秋田の竿灯、江戸の火消しのはしご乗りなど、とても見事だった。それは見ごたえのあるパレードだった。

来た来た。。まず、ロイヤルハワイアンバンドのマーチング。ついで2006年4月のメリーモナークで、見事ミス・アロハフラに輝いた人がオープンカーでにこやかに手を振る。すごい!。あのKonishiki もトラックの荷台にのってパレード。「アローーハ」と例の笑顔を振りまいていた。

初めて見たKonishikiさんは巨大だった。お隣に座っている奥様が小さく小さく見えた。

京都の有名なおばさん「市田ひろみさん」もパレード。さすがに綺麗だった。

あとに続くのは中国の獅子舞、鳴子を鳴らして踊る元気な踊り(なんていうんだったっけ?)、昨日アラモアナのステージに出ていた日本人のフラの集団、アメリカ本土から来た高校生たちのマーチングバンド・・いまひとつ盛り上がりに欠ける。

それも途切れ途切れに進んでくるから、間が抜けて。。パレードというのは難しいものだと思った。
だんだん不安になってきた。

あの感動的だったお祭りは来るのかしら?なかなかそれらしきものがこない。
時計は7時を回り。。それらしきものは来ないまま、パレードはあっけなく終わり。

あれ?あのお祭りは??今日はないの?
たくさんの見物客もあれ。。もう終わり?という感じで去っていく。

パレードだ!と鳴り物入りで宣伝していても、この程度のものもあるのだ。。ということがわかった。
私たちが以前見て感動したのは、アレは一体なんのパレードだったろう?
そういえばこの時期、私たちはここにいたことがないんだもの・・・

さっぱり、わからなくなってしまった。

今日はちょっとばかり、拍子抜けだったが、コニシキさんと、ミス・アロハフラを見られてよかった。。ということにしよう。

あーーあ、それにしてもちょっとなあ。。。の巻であった。
2006年6月10日 (土)
笑顔(ミノアカ)

ここのところホノルルは、にぎやかだ。9日にカメハメハデー。同じくその日からパンパシフィック
フェスティバル「まつり イン ハワイ」と行事が目白押しだ。

プログラムを確かめてすべてを楽しもうとすると、大変なくらいだ。
私のお目当ては今日のフラのショウと、明日の「まつり イン ハワイ」のパレード。

ワイキキのカラカウア通りはパレードで閉鎖続き。一部の住民からは年間を通してワイキキでのパレードが多すぎる、道路封鎖が多くて生活に支障をきたして、とても困る・・・とクレームが出るくらいだ。

観光でもっているホノルルだから、それは仕方がないかもしれないが、それにしても多すぎるので、規制をしようという動きもあるらしい。

今日は一人でアラモアナまでフラのショウを見に行った。
今日もパレードのおかげでカラカウア通りが道路封鎖。クヒオ通りを通るバスも、いつもと違うルートを通って、アラモアナセンターへ。隣に座っていた子供連れの日本人のお母さんが「あの、このバス、違うところを走ってますよね。ほんとにアラモアナに行くんでしょうか?」と不安そうに話しかけてきた。

アラモアナのセンターステージでは日本のフラの生徒さんたちによる、競演があった。
7つの教室からたくさんのダンサーが出演。日本のフラブームを象徴するような3時間。私よりももっと年配の人も多かった。フラには自然な笑顔がよく似合う。しかし、それが舞台となるとなかなか難しいのもよくわかった。
笑顔、スマイルをハワイ語で「ミノアカ」という。

「ミノアカ」のかわいいお年寄りになりたいな、、と思った。

めずらしくアラモアナで一人で長時間過ごして、のんびりとまたバスに揺られて帰ってきた。

明日のパレードはホノルルに勢ぞろいした有名な日本のお祭りが、カラカウア通りを練り歩く。そこに立っているだけで、日本各地のお祭りが次々に通って行き、一度に見られるので、それは楽しい。
相当な時間と人数とを掛けた労力なしでは出来ない、大イベントだ。

ハワイにおける日本人による日本人のためのお祭りといえばいいだろうか。

楽しむのはもちろん各国からきている観光客。よく説明しないと、なぜここで日本のお祭りがあるの??と、びっくりされそうだ。

それにローカルも多数出演するから、地元の見物人も多い。
本当ににぎやかなのだ。明日の夕方5時から、パレードが楽しみだ。

今日は満月。
窓からは月明かりに照らされた、ダイヤモンドヘッドが浮かび上がっているのが見える。とても綺麗な夜だ。明日もいいお天気だろう。