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今日、ちょっと心に書き留めておきたいこと。。

2007年11月10日 (土)
三つの喜び

このところ私の家族に大きな変化があった。嬉しいことが二つならず、三つも・・・

まず、あと一週間で生まれてくる初孫の誕生。
8年前、日本を離れドイツという遠い国で仕事を得、そこで縁あって結ばれた次女夫婦に、待望の赤ちゃんが生まれる。女の子だという。

名前も既に決まった。ヨーロッパ名は未公開?だが、ミドルネームに当たる日本名は「徳子(のりこ)」だ。なんとも古風で難しい字だし、いまどき「子」がつくのはめずらしい。でもこの名前は実は、私の母の名前からとったもの。次女は、おばあちゃんっ子だった。しかし次女が3才のときに、おばあちゃんが亡くなり、ほとんど記憶がないはずなのに、私がいつも「おばあちゃん」のことを話し、写真を見せていたことで、わずかなおばあちゃんの記憶が次女の中で確かなものとして残ったらしい。いつのころからか「もし、私に女の子が生まれたら徳子という名前にしたいの。。」と言うようになった。しかし、ドイツ人である娘婿がどういうか?気になっていた。

ところが、この「徳」という字は、中国語で「ドイツ」を意味するらしいのだ。中国にも出張の多い娘婿がこの字を見て「この字はは、中国語ではドイツを表す字だよ!!じゃ、徳子って言う字はまさしく『ドイツの子』だよね。よし、この名前に決めよう!!」とドイツ語で言い、即、名前が決まったのだという。私の母も、どんなにか喜んでいるだろう。

二番目の喜びは、長女の婚約、結婚だ。パパを亡くして、悲しいときにもずっと傍にいてくれた彼と、この夏憲さんの一周忌のあとに婚約、そして11月6日、大安吉日に、二人で結婚届を提出。結婚した。

丁度、私がドイツに向かう飛行機に乗っているときにだった。二人の娘のおめでたいことが重なったために、入籍のお祝いもできないまま、私はドイツに居る。帰国したらお祝いしようね。ちょっと待っててね、長女!!

彼らの結婚式は来年の半ばの予定だ。そう、来年4月には、彼らにも赤ちゃんが生まれる予定なのだ。今、二人は静かに楽しいハネムーン生活を東京で送っている。本当に嬉しい。

彼の国籍はイスラエル。遠い国で向うのご家族が集まって、11月6日の丁度その日、花婿、花嫁のいない結婚祝いのパーティを開いてくださったそうだ。長女も次女も彼のご実家に大歓迎されていて、ありがたいことだ。

彼のご両親とは私もお会いしているし、憲さんも昨年、亡くなる直前に彼に数回会っている。憲さんもこの成り行きを満足してみていてくれているだろう。よかったね、憲さん。

しかし憲さんがここにいたら、どんなにか喜んだだろうに・・・私一人でこんな幸せをいただいていいのだろうか、とふと思う。ごめんね、こんな幸せを独り占めして・・・と。
こんな大きな3つの喜びも、憲さんと分かち合えない淋しさがいつもどこかにあった

しかし、こちらに来て考えが少し変わった。このドイツの次女の家にいったい何枚のパパの写真が大切に飾られていることか。。あたかもここにパパが居るようだ。どれだけパパのことを、みんなが思ってくてれいるかがわかり、私はとてもうれしかった。やはりパパは、風になって忙しく日本、ハワイ、ドイツを吹き渡っているのよね。そう思うとこの3つの喜びも、もっと大きくなる気がしてうれしい。

この上は元気な二人の赤ちゃんが生まれてくれますように、とバアバとしては祈るしかない。
今二人の娘に、懇願しているのは「どうか、日本語で孫を育てて欲しい」ということ。当然おたがいの母国語は大事にするから大丈夫!と二人は言うのだが・・

たとえば、次女夫婦はつい去年まで英語で会話していたのに、今回来てみたら、次女のドイツ語が上達したらしく会話がすべてドイツ語になっていた。時々、私のことを配慮して英語で話してくれるが、それもわからなかったりして。。。困ったものだ。

もう孫の日本語を頼るしかない私なのだ。頼むね、、お孫ちゃんたち!
2007年11月10日 (土)
スタンバイ

11月6日、前に、ドイツはメミンゲンという街に到着した。ここはミュンヘンからアウトバーンを飛ばして約一時間、おとぎ話に出て来るような中世の趣きを残した街である。その周辺は、新しいお家が建ち並ぶ住宅街だが、屋根はレンガ色に統一され、ほとんどの壁がが真っ白ないしは、ごく淡い色でまとめられている。どこから見てもクリーンでステキ。

きれい好きなドイツ人らしくピカピカに磨かれ、大きく開かれたガラス窓からは、おしゃれでスッキリした各家のインテリアを見ることができる。「どうぞ我が家をご覧下さいね。。」と言わんばかりの主張がそこにあって、素晴らしい。その一角に次女夫婦の家がある。

まだまだ若い夫婦の家なので、こじんまりしているが環境だけは素晴らしい。地上3階、地下1階(家事室と倉庫)になっていて、そのうちの3階が、私の部屋だ。ここはいわゆる屋根裏部屋で、シンデレラもこんなところに住んでいたんだよね。。と嬉しくなる。シンデレラの部屋は暗く、寒く、天井も低くそうでかわいそうだったけれど、ここの屋根裏部屋はもちろんねずみもいないし、クモの巣もないし、温かくて明るくてクリーンな快適な個室である。広さも12畳以上あるだろう。ふかふかのベッドも心地よい。泊り客のための部屋としても充分使える。

ただし、屋根のカーブにそって天井がしつらえてあるので、天井が3角形の上の2辺になっている。うっかり屋の私は天井の低い部分に何度も頭をぶつける羽目になる。明るくて真っ白な壁だから遠近感がなくなって前進すると、思いっきりぶつかる。本当に痛い!!前回来たときも痛い目にあったのに、すっかり忘れていて、情けない。だが、やっとそれにも慣れかけてきた。
この部屋の窓から見える外の景色もすばらしい。

今、私がここにいるのは、次女の出産の手伝いのためだ。初孫を迎えるための旅。初めて次女の大きなお腹を目の当たりにしてやっと実感が沸いてきた。

リビングと子供部屋には一つずつ、天蓋つきのゆりかごが用意され、子供部屋にはベビーベッドとオムツを交換する専用の台が備え付けられていた。ドイツのしきたりで、子供が生まれたときから一部屋を与えられるらしい。女の子とわかってから、壁の色も薄いアプリコット色に塗り替えられ、カーテンもそれにあわせて作ったという。この壁を塗る職人さんも「マイスター」と称される人だそうで、なんとなく格調高い。
なんとまあ一人の赤ちゃんのために贅沢な。。と思うが、これはこの国では普通のことだそうで、いいものを選んで買って、それを大切にして親や知り合いから譲りうけて使う習慣があればこそできること。大変合理的ではある。質実剛健で知られるドイツの人の考え方と生き方は、聞けば聞くほど理にかなっていて、「ふーーん」と納得させられる。
沢山のものを持ちすぎて、つい最近泣く泣く捨てざるを得なかった自分に置き換えてみると、考えさせられることが多い。

気候はさすがにヨーロッパの冬。広く高い空に灰色の雲が広がっている。気温は摂氏5〜6度。夜間はもっと寒いだろう。昨日は雪が降った。日本でいう「本格的な降り」が一時間ぐらい続くとあたりが真っ白になる。丁度そのとき次女と車で買い物に出たから、あたり一面雪景色。「わーー、きれい!」と大喜びしていたのだが、30分後、スーパーから出てきたら、ものの見事にすべての雪がかき消えていた。急に温度が上がってサーっと溶けてしまったらしい。時折太陽が顔をのぞかせて、あたりの景色が急にカラフルになり、温かみを増す。この瞬間がまた美しい。

外出時のいで立ちは、ダウンのコートにブーツ、手袋に毛糸の帽子。実際には、ここも車社会なので歩くところが少なく必要がないのかもしれないが、まだ11月なのにこちらの人もかなりな重装備である。冬が長く、寒い国では人々も寒さから身を守る方法を知っているのだろう。室内は家中がポカポカだから、快適でごく普通の服装だ。

キッチンの電化製品から、洗濯乾燥機・・何から何までドイツ語表記なので、ちんぷんかんぷんで、なーーんにもわからない。これはスーパーでの買い物も同じことで、昨日もハンドクリーム一つ選ぶのに、それらしき品物の前を何度行ったり来たりしたことか。。。これはハンドクリーム?それともボディ用?じゃなきゃ、整髪料??・・・・
お国柄か、英語表記がほとんどないのだ。
しかし、私は今回、長期にわたるお手伝いに来たのだからいろいろ覚えなくては話にならない。いちいち次女に聞きながら、目下家事見習いの真っ最中である。
肝心のベイビーちゃんは、ママのお腹で元気に大暴れしているが、いまのところ生まれる気配はない。スタンバイの日々が続く。
2007年11月3日 (土)
ゴミ屋敷?!

ここで大声を出したら、エコーが聞こえそうなくらいにガラーンとした我が家。引越しを2ヵ月後に控え、私は一人で大奮闘中。今はジムへ行かなくても、足腰、腕の筋肉が充分に鍛えられているだろう。

カウアイ島から帰って以来、私は家の整理に没頭してきた。もと4人家族。今、私だけの一人暮らし。4人分の荷物がほとんど残されたまま。。。頼みにしていた長女も、次女に引き続きおめでたで気分のよくない日が続いていて、とても「手伝って!」とは言えない。「手伝うわよ!」と言ってくださる方はいらっしゃるものの、どう考えてもこの家の整理は私にしかできない。こつこつと少しずつ、数ヶ月を掛けて大整理をした。ゴミの日には、いつにない大量の袋を、それでもできるだけ目立たないように小分けにして出す。悪いことをしているわけではないのに、なんだか落ち着かない。

こんなに無駄なものを長年にわたって溜め込んでいたことへの反省。それを100%リサイクルできないもどかしさ、後ろめたさ。。。

まだ使えるものは捨てたくない。、、とフリーマーケットに出したり、リサイクルショップの人に引き取りにきてもらったり、ホームレスのために衣料品を提供したりもした。

それでも廃品にするしかないものも多くつらかった。私にとってはすべてのものが夫の遺品であり、思い出の品物だ。やむなく思い出の品を捨てるときは「長い間、ありがと!」といちいち軽くキスをしてお別れした。私なりのセレモニーを終えると少しは気が楽になった。もう聞くこともないだろうカセットテープをできるだけ大きい音で聞きながら作業した。少しは気がまぎれた。聞き終わったテープとは「さようなら」。。大げさに言えば毎日が過去とのお別れだった。

それでも、私の手には余る品々がまだまだ残る。ついに私はプロの業者に頼むことにした。ゴミ屋敷ではなかったはずなのに、なんと2トントラック3台分の不用品が家から運び出された。そして、今私は最低限必要で、新しい家に運び込むものと一緒に暮らしている。こんなにものが少なくても暮らせるのだ、とびっくりする。なにしろ新しい私の城は、この家の約半分の広さになるのだから仕方がない。

まだ引っ越しまで2ヶ月あるのに、もうすぐにでも引っ越せそうな勢いだ。なぜかというと、私はもうすぐドイツに発つ。いよいよ次女が臨月を迎え、おそらく2週間以内に私は初孫を迎えることになる。
12月中旬までは新米のママを助けることになるだろう。引越しの用意をドイツ行きの前に済ませておく必要があった。一人ですべてをこなすのは本当に大変だったけれど、はばかることなく涙を流したり、思い出し笑いをしながら続けた作業は、この家で家族と過ごした年月を心に刻み込むための私にとって忘れられない日々になった。

昨年、急に淋しくなった我が家にまもなく新しい命が授かる。そして来年の4月には東京でも新しい家族がもう一人誕生する予定だ。なんと幸せなことか・・・

人生って一体・・?と考えさせられる日々だった。
ただ言えることは、なにがあっても人間は一日たりとも止まってはいられない、前進するしかないということ。そしてなにより感じたのは、物は要らない!これからはシンプルライフを心がけよう・・・ということ。

やっと作業が一段落して、これでドイツへ飛び立てる。やれやれである。

それだけではない。私が初孫と初対面をするころ、フラのK先生が来日。2週間わたってのプロジェクトが行われる。本当にうれしいことに、若く熱心なスタッフがすべてを引き受けて動いてくれているので、私はとても楽になった。本当にうれしい・・・。

11月は「バアバ」になることに専念だ。でもなんだかそれ自体照れくさくて、実感がない。
次の日記はドイツからか・・・どんな気持ちで書き込むのだろう。
2007年10月26日 (金)
超多忙!久々の日記

今日、玄関の門灯の電球が切れて付け替えた。ここの電球を一人で替えるのは3度目だ。急に一人になってもう1年3ヶ月。あれからずいぶん長い時間が流れたような気がする。一人でいることに慣れたせいもあって、ふとしたときに訳もなく、突然滝のような涙が流れるということも少なくなった。

今の私といえばフラで忙しく、先日も私達のフラのK先生の故郷を訪ねて、18名の仲間と共に、カウアイツアーをしてきたばかり。。10月13日にカウアイの有名な「コケエ」で開かれたクイーンエマフラフェスティバルに出演するチャンスをいただいて、一生懸命踊ってきた。私達の踊りはもちろん完璧ではないし、一緒に練習する時間さえない環境なので直前まで練習を重ね、必死で晴れの舞台に立った。舞台と言ってもあのコケエの美しい芝生の上。ライトはまぶしい太陽。背景は美しい緑の木々。風が心地よい。ドキドキで立った舞台だったが、フラの神様が私達に微笑みかけてくださったのだろう。本番では不安と緊張がウソのように消え、みんな満面の笑顔と余裕で、カヘアもしっかりと揃って、お互いに声を掛け合いながらフォーメイションの変化もこなし。。。温かい地元の観客の拍手を熱い心で受け止めながら踊り終えることができた。

Nさんの美しい歌声にのせてK先生の振り付けを、ここカウアイで踊ることができた。。なんて贅沢なことだろう。みんなの目には涙があふれ、よかったね、よかったね。。と抱き合った。先生も本当にうれしそうだった。濃いサングラスに隠されていた先生の目にもきっと涙が光っていたに違いない。

前日みんなで深夜までかかって編んだ、ティーリーフの右手首につけたクペエがたった一つの飾り。
お揃いのTシャツに先生が染めてくださったパウスカート。本当に質素な衣裳だったけれど、私達のフラの心は充分に伝わったようだった。「衣裳じゃないんだよ。フラは。。」という先生の気持ちがあらわれていた。

あくる日、うれしい反響が私達の耳にも届いた。ワイメアタウンをみんなで散策しているとき「あなた達、昨日のフェスティバルの踊りは素晴らしかったですよ。昨日クイーンエマを演じた彼女も、あなた達のグループが一番印象深かった、、と言ってましたよ」と話かけてくれた人がいたし、Nさんや、K先生のもとにも嬉しいメッセージがいくつも届いていたようだった。「とても評判がいいよ!」と先生たちも満足げ。ああよかった。。。

いつもとは一味ちがうハワイ滞在を終えて帰国。
待っていたのは山のような用事。

来年1月の引越しに向けて、家の内外ですることがいっぱい。
気になるのが不用品の整理。廃棄物にするか、誰かに使ってもらうか・・・
洋服類も役に立つのなら、、と大阪の某所に送ることにした。

最近は、通常のゴミ出しも恥ずかしくなるほどの量になる。捨てることに命を掛けている有様だ。今は物を捨てるにもお金がかかる。本当にびっくりするほど高い。戦中派で物を捨てられないタチだった憲さんを初めてうらみたくなった。
「こーーんなに物を貯め込んで・・どうするつもりだったの??」

今朝は長い間家に一緒にいてくれたピアノが、引き取られていった。引き取り料を取られるかと思ったら、業者は思いがけないほどの金額を置いていってくれた。あれは、どうもいいピアノだったらしい。。。

だんだんガラーンとなっていくお家。淋しいけれど仕方がない。

夜ドイツの次女とスカイプで話す。臨月に入って、お腹がずいぶん大きくなった。ビデオカメラでお互いを見ることができる。あと2週間で私は初孫を迎えるためにドイツに発つ。次女のために沢山の日本食材を買い込んで。。。

引っ越しの見積もりが今日終わった。
いよいよそのときが迫ってきた。
2007年8月21日(火)
帰れない!!!

昨夜は結局3時間ほどしか寝られなかった。たとえ寝られなくても、機内で充分睡眠を取れば大丈夫。。そう思っていた。今日乗るはずのJALの空席がとても多くて、ラクに帰れそう。。という気持ちもあった。隣の席まで足が伸ばせるかも。。などと。。。
うちの中の点検を済ませると、重ーーい荷物を引きずりながら玄関に下りた。6時前なのに、律儀にタクシーが来てくれていた。「帰りたくないな。。。」という思いがまだどこかにあった。このハワイの爽やかな風が、青空がまた悲しいくらい懐かしくなるんだろうな。。と。

空港には20分ほどで到着。予定通りJALのカウンターでチェクインを済ませ、ゲートに向かった。別に免税店に欲しいものもないし、もうすぐ搭乗時間だし・・ほっとしてゲートの中のベンチに座って目をつぶって休もうとしたとたん、耳元で「ナカムラさま。。申し訳ございません。。。」というとても丁寧な日本語が聞こえた。目を開けるとさっきJALのカウンターでチェックインの手続きをしてくれた女性だった。にこやかに話しかけるので何かいいことがあるのか。。と思ったくらいだ。ところが次の言葉が冷たかった。「ナカムラ様のお持ちのチケットでは弊社の便はご利用いただけないことになっていました。あとになってそれに気が付きまして・・・申し訳ございませんが別の会社の便に変えていただきたいのですが。。。」

ウチの家族は今まで、憲さんの関係で、JALは社員割引で飛ぶことができた。しかしお安い分、予約ができない。つまり空席があれば感謝をしながら乗せていただけるというありがたいというか、つらいというか、ずっとそういう身分なのだ。憲さんが亡くなってから、JALの割引はなくなった。が、次女が勤めるドイツの航空会社の社員家族割引がある。この会社はもっと気前がよく?ほとんどの他社の航空会社のフライトにも家族割引が使える。私が持っているチケットにはJAL可、、と書いてあるからすっかり安心していたのに、JALは乗せてくれないというのだ。何度確かめても「恐れ入ります。私共ではこういうことになっておりますので。。。」と言うだけだった。家族に裏切られた気持ちだった。
仕方なく、また大荷物を引きずって他の航空会社のカウンターへ。。今日は空席が沢山あって可能性がありそうだったノースウエスト、そして全日空を当たってみることにした。が、この日運悪くノースウエストが何故か一便キャンセルされていて、そのあおりですべての成田行きの便が満席だということだった。「帰れない!?さあ、どうする??」自問自答したが選択肢は一つしかない。「よし、決めた!ウチへ引き返そう!帰国は一日延期!!」
予定になかったハワイの一日。。。楽しもうと思ったけれど、すでに心は日本に飛んでいる私はとても中途半端な時間を過ごした。

そこへYさんから電話。「今夜、最後のディナー、ご一緒にと思って。。飛行機に乗れなかったお陰で、思いがけなくこんな時間が持てるんですから。。」 Yさんご一家との最後のディナーは美味しかったし、楽しかった。

私が飲んでいた「バージンチチ」のグラスに、どこからか小さな小さなゲッコー(ハワイのヤモリ)が登ってきてパイナップルやチェリーにしがみついているのMちゃんが発見!よく見ると小さな舌で甘いジュースを夢中でなめている。ちょっと気味悪いけど。。可愛くもある。ま、ハワイだからいいか!と見てみぬ振りをすることにした。でも皆、気になって、写真を撮ったり、ゲッコーに話しかけたり。。

ハワイの余分の一夜は、こうして過ぎていった。明日は、無事に帰国できますように。。。

これからの数ヶ月は、また想像のつかない忙しさになる。10月にはフラのグループのカウアイツアーで一度ハワイへ戻ってくる。日本では来年早々の引越しに向けて今の家を売却、11月には初孫の誕生の手伝いでドイツへ。年が明けると新居へ引越し。フラのイベントもその間に沢山入っている。

その上、嬉しいニュースが飛び込んできた。東京在住の長女が婚約〜近く結婚へ。パパを失って悲しみの一年を過ごして、私たち家族は今、幸せの中にいる。憲さんに改めてありがとう。。だ。
パパのことで、娘達も自分の人生を考え直しただろうし、私もそうだった。
いまのところ、それが良い方向に向かっていて、私はとてもうれしい。

一応、今日でハワイ日記もお休みだが、普通の日記として少しずつ、書き留めていきたいと思う。
「読んでいますよ!」という皆さんの言葉がとてもとてもうれしいし、今となっては、憲さんが毎日校正してくれていたこの日記は、ある意味で夫婦合作の私の大事な思い出のつまった宝なのだから。
「私のハワイ日記」にしばらくの間、アフイホウ!!
2007年8月20日 (月)
覚悟の帰国!

いよいよ明日、帰国だ。
朝から掃除、洗濯、買い物、そして洗車。今までは憲さんと分担していたのを、一人で担当するのだからちょっと、タイヘン。あと数ヶ月ハワイに来れないものとして、動いておかないと。。。

支払い関係など、憲さんにお任せだったものが一気に押し寄せるからそれにも対処してから、日本へ帰らないと。。。である。

夕方からはフラのプロジェクトの話で、K先生とミーティング。普段から、仕事に関しては頻繁に電話とインターネットで連絡をとりあっているのだが、言葉の壁の心配もあって、実際にあって顔を見て話さないとお互いに不安なのだ。母国語同士で話し合っていても、誤解があったり、思い違いがあるのに、お互いつたない英語と日本語で話し合うのだから、大変と言えばタイヘン。

それでも、今までトラブルが起きることなく仕事が進んでいる。
心の根底でお互いを信じているからできることだと思う。先生は私たちの仲間を信じ、私たちも先生に全面的信頼を寄せている。今日もミーティングが順調に進んだ。

それと、先生はやはり外国人なので、Yes No がはっりしていて、それはとてもやりやすい。
疑問があると「質問があります」という題で、メールが来るし、ミーティングでもはっきりと意見を言うし、逆に私の言うことも聞いてくれる。

この頃は、メールにローマ字で「Wakatta?」と書くと、先生から「Wakatta...」と返事が来る。
先生は厳しいけれど、疑問が解けると理解は早いし、全面的に信頼を寄せてくれる。
そのバランスのよさがありがたい。

日本語ももっと勉強したいとのことで、先生の日本語熱も冷めていないようだ。よかった・・・先生が日本語を上手になってくれたら、私はとてもとても助かる。。先生はミーティングを終えると、ショウの仕事に飛んでいった。先生はいつも忙しそうだ。

夕方からはCさん母娘と三人で、今回の私のハワイ最後のディナー。Cさんの提案で、TIKIへ。。
カラカウア通り沿いのテラスのテーブルでいただいたディナーはとても気持ちが良かった。タロイモから作ったパンと、バナナ味のバターとの絶妙なコンビがおいしかった。Cさんたちは、あと10日ほどで帰国。長い滞在だったのに、とても短く感じられた。また日本で会いましょうね。。と約束して別れた。

家へ帰って、パッキングの仕上げ。同じコンドのお友達に「明日日本に帰ります。。」とお電話してみたら、なんと彼女はコンドのエレベーターに乗ってきた電動車椅子に足を引かれて、怪我をしていてここ数日身動きが取れないのだという。まるで知らなかったのだが、そういえばここしばらく、姿を見ていなかった。彼女は、憲さん最後の日に、とても力になってくれた人である。

せめてこんなときに、お役に立てば。。と思い24時間オープンのドンキホーテに行って、当座彼女が食べられるものを買ってくることにした。深夜近くになってスーパーに行くのは初めてだったが、意外に人が多くて驚いた。彼女の好きそうなものを、選んでお届けした。とても喜んでいただけて、よかった。

明日は朝6時にタクシーが迎えに来て、空港へ。。。
いよいよ日本だ。

いつも「ハワイから帰りたくない病」を発症するが、ここまでくると日本へ帰るのが楽しみだ。。
明日に備えて、早く寝ようと思ったが、やはり無理だった。次々と用事が出てくる。
明日は飛行機の中で爆睡、、の予定。。。

まだ暑い、暑いよ、、、と日本からメールが来る。
覚悟して帰ってきてね。。という表現が多い。
地球の温暖化がもろに日本に押し寄せているようでこわい。
覚悟を決めて、帰国だ!!
2007年8月19日 (日)
ストロベリーワッフル

帰国まであと2日。今朝はCさん母娘と三人で、再び憲さんのお墓に・・・。きれいなレイを持ってきてくださった。ハワイに滞在中、2度もお墓にきてくださって・・・。本当にありがたくて。。

幼いMちゃんは2年ほど前、憲さんとカウアイ島で一緒に過ごしたことがある。Mちゃんは覚えていないだろうけれど、憲さんはMちゃんのことをよく話していた。「可愛い子だね。。」と。。。そのMちゃんが、ハワイで憲さんのお墓にレイを飾ってくれたり、まわりをきれいにしてくれたり。。。なんだか不思議な気がする。こんなに明るく笑いあってお互いの写真を撮れるお墓はそうあるものではない。
私はここが大好きだ。

いつもどおり明るく憲さんと別れた後、さてどこかでランチでも、、ということになった。丁度3人ともお昼前でお腹がすいていた。ね、どこへ行く?パンケーキが食べたい気分よね。。。

Cさんといろいろ考えてみたが、いいアイデアが浮かばなかった。どこがいいかしらねえ。。。
ふと、フラのK先生の言葉を思い出した。モンサラート通りの小さいマーケットの並びにおいしい朝食やさんがあるんだよ、、と。そういえば、まさに憲さんのお墓からすぐのところだ。

行ってみようか!
車を徐行させながら、お店を探す。人がいっぱい並んでいるお店はそこだけだった。
どうやら ワッフルとか、オムレツとか書いた紙が張ってあるからK先生のいうお店らしかった。

看板には「ボガーズ」と書かれている。近づいてみると狭いお店の中には、お粗末なテーブルと椅子が所狭しと並べられ、人がぎっしりと座っている。テイクアウト組も多いようだった。私たちは、バナナパンケーキと、ストロベリーワッフルを注文して出来上がるのを待った。

長い間、待たされた。40分以上待っただろうか。。あつあつのワッフルの上に山盛りのフレッシュストロベリー、その上にこれでもか、、のホイップクリームが。。。大きさから言って、二人分を三人で食べるのがいいようだった。私たちの勘はあたった。

そのままカピオラニ公園へ車を走らせ、木陰のベンチで三人で豪華?にランチ。
こういうのが一番いいね!!と私たちは満足だった。

さすが、混んでいるだけあっておいしい!!ここは当たり!!だった。
ちょっとお高めだめど、価値がある。地元の人でいっぱいだったのがうなずける。
K先生のお陰でおいしいランチをおいしい空気の中で食べられて幸せだった。

夕方から、私は買い物にアラモアナに出かけた。最後に買っておきたいものもあったし、
お土産の補充もあった。夜はスーツケースを広げてパッキング。

今までは二人で持っていたものを、一人で運ぶのだから結構タイヘン。なるべく軽くしたくて、四苦八苦だ。おまけに、お孫ちゃんグッズが増えているから余計に大荷物。ま、頑張ってもって帰りましょう!!
2007年8月18日 (土)
ケッタンキー フライド チキン??

朝から曇り空で、窓からさす光が今日は弱かった。めずらしいことだ。
今日は久しぶりでなにもない日。冷蔵庫の中を整理したり、排水口にドレイン剤を入れて水のとおりをよくしたり、ベッドのシーツ類を洗ったり帰国に向けての用意も始めた。

次回ハワイへ戻ってくるのは、どうがんばっても5月後半になってしまう。
それまでに10月にカウアイツアーがあるので、2泊だけこの家に戻ってくるのだがそのときは、多分疲れて眠るだけになるだろうし。。。今日から心して働かないと、帰国までに間に合わない。

そしてK先生の11月のプロジェクトの事務的な詰めも必要で、あさってのK先生との話し合いのための資料をまとめておかないと、、、。朝からPCの前に座って仕事。考えると次から次へと疑問、課題が出てくる。一つ一つ解決していくしかない。

午後から少し青空が出てきた。やはりハワイはこれでなくちゃ。。。

PCと細かい字の見すぎで、目が疲れてきた。ソファーに横になった。。
私はこの場所がとても好きだ。

心地よいほどに風がとおり、涼しい。ソファーは窓辺にあるので、その上に横になって上を見ると、高く青空が広がっている。窓のすぐそばにある2本のやしの木の葉が太陽にキラキラ光って揺れて、風が通り抜けて行くのが見えるような気さえする。鳥が目の前を飛んでいくし。。

BGMで流れるハワイアンを聴きながら、ほんの15分くらいまどろむと、気分がすっきりする。
最高の気分だ。

夕方、散歩がてら、クヒオビーチのフラショウを見に行こうと思い立った。しばらく見ていないし、Cさん母娘ともきっと会えるだろうと思った。Cさんに電話してみると「私もフラを見に行こうと思ってました」とのこと。なんと気の合うこと!。

6時半からのショウにでかけた。今日ははじめて見るハラウの出演だった。
上手な子、上手な大人。。始めたばかりのようなひと、、いろいろなダンサーが出演した。
ショウが素晴らしいと、時間があっと言う間に過ぎてしまうのだが、今日はその逆でちょっと残念だった。でも飛びぬけてうまい子がいて、思わず見とれてしまった。

そのあとCさんのお嬢さんMちゃんのリクエストでケンタッキーフライドチキンへ。。本当はMちゃん、スパムむすびが食べたかったらしいのだが「Mちゃん、お願いだからね。スパムじゃないのがいいな、京子さんは・・せめてケンタッキーにしようよ。。」とお願いした。

そういうわけで、今は「KFC」と呼ぶのが普通になっている「ケンタッキーフライドチキン」に入った。

長女が小さいころパパの転勤先のアラスカで、ここのチキンが大好きだった。まだ2、3歳だったので、
舌が廻らない。「ケンタッキー」を「ケッタンキー」と覚えてしまって、かなり大きくなるまで「ケッタンキーフライドチキン!」と呼んでいたっけ。。。そんなことを思い出しながら、懐かしいチキンを味わった。

家に帰ってからも、プロジェクトの書類のまとめ。

日本から「K先生の11月のレッスン用の会場が取れました!」あるいは「ちょっと残念な結果でした。。」などと、連絡が入ってくる。徐々に現実的な動きになってくる。11月、このプロジェクトの最中、私はドイツの次女のお産の手伝いにでかけ、日本にいない。主に動いてくれているスタッフへの仕事の引継ぎや、細かいところのつめなどが、これからの仕事になる。

個人的にも来年早々新しい家への引越しを控えていて、今秋から怒涛のような忙しさが押し寄せてくる。去年から引き続いて、いろいろなことが我が家に起こり、来年にかけても超多忙になること間違いなしなのだ。

憲さん!!大変だわ。。一人でなんとかなるのかなあ。。。まあとにかく頑張ってみるね。

あしたは最後のお墓参りにCさん母娘と一緒に行くことになっている。
憲さん、またCさんが来てくれるって、、、よかったね。
2007年8月17日 (金)
やっと、やっと・・・

この頃、とてもよく眠れる。一周忌の前にあれだけ眠れなかったのがウソのようだ。
あれからの一年を一人で過ごしてみて、これからの一年の過ごし方の見通しがついたというか、肩肘張った生きかたをもうしなくていいんだよ。。という気持ちがどこかに出てきたからだろうと思う。

ありのままに生きていけば、大丈夫。。そのままでいいんだよ、、と憲さんも言ってくれているように思う。そして、フラのレッスンも再開して、このところなんとなく停滞していた自分が動き出したような気がしている。

今日はYさんとの最後のレッスン、同時に、私にとっても今回の滞在の最後のレッスンである。

Yさんとマノアに向かう。今後、日本からの生徒さんがマノアの先生宅にレッスンに行くときに迷わないように、マニュアルを作ろうと言うことになった。今日、日本に帰ったMさんもそのことを心配していて、市バスの乗り方を調べてくれていた。みんな、仲間のことを大事にしていて、嬉しい限り。

先生のお宅のすぐそばに市バスの6番が停まることがわかり、その場所の写真をとり、それをマニュアルに作って必要な人に配ろうと言うわけだ。今日のレッスンのあと、その作業をしようとYさんと決めた。

さて、最後のレッスン。
基本レッスンをざっと一通り。
そしてカヒコを、しかもかなり昔のものから順を追って踊ることに。。。
予想もしていなかったのでかなりあわてたが、なんとか踊ることができた。
楽しいレッスンになった。

そして今課題の作品を3曲。
カヘアを掛けながら、踊ることに慣れなければ。。。日本に帰ったら仲間と一緒に練習だ。

今日が最後のレッスンだったと言うこともあるのだろうが、K先生にしてはめずらしく褒めてくださった。
うれしかった。先生の顔も心なしか和らいでいたし。。
やっとやっとトンネルを抜けられた気がした。チェリーコークでカンパイかな?

途中、先生を訪ねてきていた若い男性がポーチに下りてきた。
「彼が、二人の踊りを見たいってさ。さ!踊って!」

アウアナ2曲を彼の前で踊ることに。。。
どこの誰かは知らなかったが、Yさんも私も感じたのは「彼はダンサーではないな」ということだった。
そんな風に見えない人だった。ところが、あとで先生に聞いてみたら、「イカヴェキウ」のカネダンサーだという。しかも双子の彼のお兄さんは「イカヴェキウ」の中心的なダンサーなのだという。

「やだ、そんな人の前で踊ったの?私たち。。。」
Yさんと二人で、顔を見合わせて笑うしかなかった。

レッスンのあと、先生のリビングルームで仕事の話を少し。
今夜は先生が、ショウの仕事の日なので、私の車でワイキキまで一緒に行くことになった。
このごろこういうパターンが多い。私は運転をしなくてすむし、先生はワイキキまでラクに来れる。お互い助かるのだが、果たして先生は仕事のあとどうやって家へ帰るのだろう?先生の同居人も同じショウのダンサーだから足は確保できるのかな。

帰り道、すこし寄り道をして、ワイキキから先生宅への道順案内書に使う、写真撮影をした。バス停の様子から、周りの景色などをYさんが写真におさめた。

「地球の歩き方」のような、親切な案内書が出来上がりそうだ。これからここにくるフラ仲間のために、一生懸命考えてくれたMさん、Yさん、、このチームワークのよさがうれしい。

Yさんのご主人が今日ハワイに到着。ご一家で明日からカウアイ島へ。。
充分楽しんできて欲しい。

私はあしたから、帰国に向けてゆっくりと準備にかかる。次回ハワイに来るのは、来年5月以降になる。名残惜しいがしかたがない。

レッスンは終了したが、まだK先生とは今後の仕事のためのミーティングが必要だ。
「月曜日に家で、、」と約束をして別れた。
いよいよ仕事の話も現実味を帯びてくる。
明日から、先生と話し合うことのまとめをしなくては。。。
2007年8月16日 (木)
お孫ちゃんのおもちゃ

今日はMさん、最後のフラレッスンの日。
私は朝から郵便局に出かけた。先日買ったお孫ちゃん用のおもちゃをドイツに送ってしまおう・・と思い立ったからだ。船便で送れば、安いし、私は運ばなくてすむし。。郵便局に行ってみると、どうも私が持ち込んだおもちゃが、大きすぎることに気がついた。
郵便局で用意されている梱包用の箱が、みな小さすぎる。

「この大きさだと、UPS(宅急便)の店に行くといいですよ。。軽いから安いでしょう。え?ドイツに送るんですか?それはきっと、高くつきますよ」「じゃうちで梱包してきますから、郵便局から船便で送ります。おいくらぐらいですか?」「いや、もうアメリカでは船便郵送というのは、取り扱っていないんですよ、、」

船便は時間がかかるけれど、お安くて便利だったのに。。。テロ以来の変化なのだろうか。。
それにしても、航空便だけ。。なんて、めったなことでは物を郵送できないではないか・・・。

で、私は軽いけど、おおいにかさ張るおもちゃを、手持ちで日本にもって帰ることになった。そして日本から船便でドイツへ送ることに決めた。ああ、、こんなに大きいのを買うんじゃなかった。。
まだターザン病の後遺症が右肩に残っているというのに。。。

ひょっとしたら日本で通販で買えたかもしれないのに。。。いや、ドイツでだって売っているかもしれないのに。ハワイからわざわざ。。。後悔先に立たず、、である。でも頑張って持って帰るつもり! 
ばあばバカの はじまり はじまり。。。である。

午後4時からフラレッスン。
Mさんが最後なので、熱が入る。先生の言葉も厳しい。
今まで習った曲を、しっかりと通して、新たな注文が先生から入って。。。
ほとんど休憩がないから、汗が噴出してもタオルでぬぐう時間もない。

でもマノアの風が、ここちよくそれほどの暑さを感じない。
マンゴーとライチーの木に囲まれて、ライムが実り、野生のジンジャーが咲くお庭を見ながらのレッスンは本当に気持ちがいい。今日も中味の濃いレッスンだった。

このレッスンで習ったことを忘れず、決して後戻りしないように自分でレッスンを重ねること。。これしかない。

私のハワイ滞在も残り少なくなってきた。今回の滞在中、レッスンを受けた回数は極端に少なかった。こんなことは初めてだった。先生がカウアイに戻っていることが多かったこともその理由の一つだが、先生がオアフにいても、あえて私はレッスンをお願いしかった。仕事のことでK先生に会うことは何度もあったが、レッスンはしなかった。

自分自身で練習を積むことがいかに大事か。。と言うことがよくわかったからだ。しばらくブレイクをとってから、8月初め日本から仲間がこちらに来てから、一緒にレッスンを再開した。
そして、今、やっと一歩前に進めたような気がしている。本当にうれしい。

夜はマリオットホテルのモアナテラスで、ジェノアケアヴェさんのライブとフラを楽しみながら、Yさん、Cさん母娘、Mさんの6人で夕食。Mさんハワイ最後の夜で、Yさんともお食事をできる最後の日だった。

みんなハワイを充分楽しんで、それぞれに日本へ戻る日が近づいてきた。
また日本での再会を約束して、Mさんと別れた。

あすはYさんとの最後のフラレッスンだ。
楽しみ。。。

今日は8月16日。日本時間とは異なるが京都の「大文字」の日。
京都生まれの私にはこの日がとても懐かしい。近ごろ、大文字焼き。。という人が多いが、本場の京都では、まず「、、焼き」はつけない。「大文字」なのだ。

京の送り火。いろいろな思いで、この大文字を見ている人がいるはずだ。
暑い暑い京都の夏と大文字。。。幼いころの思い出が蘇る。
憲さんも初めての大文字を見ているかな。。。。
2007年8月15日 (水)
オノ!!ハワイアンフード

朝から、K先生のこの秋のプロジェクトのための用を済ませた。ネットでのホテルの予約や、各方面への連絡などである。だんだんスケジュールが具体化してきて、様々な準備も具体化する。
日本との連絡はほとんど毎日で、少しずつ進展していってうれしい。これからまた、忙しくなりそうだ。

お昼前、Yさんから電話。「これからみんなで飲茶にいくんですけど、ご一緒にどうですか?」
アラモアナの近くのおいしい飲茶に誘われた。YさんはMさん、Cさんと一緒に、朝早くからアロハスタジアムのスワップミートに出かけていたのだ。

「行く 行く!」
私は大急ぎで、車で駆けつけた。アラモアナの山側のお店の飲茶は、とても美味しかった。
有名なお店らしいが、私は来たことがなかった。憲さんと行った香港やサンフランシスコの飲茶を思い出した。ここは、なかなか本場の味ですばらしかった。

満足しておなかいっぱいになって眠くなってきたけれど、昼寝をしている場合ではない。

夕方4時からフラレッスンだ。Mさんと二人でマノアへ。。。
今日もみっちり、教えてもらった。マノアをテーマにした曲を踊っている最中に、いつものマノアのさらさら雨が降ってきた。「ほら、見て! マノアに雨が降ってるよ、僕たちはここにいるんだよ、これがマノアだよ」と先生が英語で語りかけてくれる。

胸がジーンとする。条件がそろいすぎて、こわいくらいに幸せだった。
しっとりとした雨と空気、そして風。その次の瞬間にもう太陽があらわれる。。。
そしてカハラオプナの虹が。。。ああ、ハワイ、、ああマノア、、だった。

昨夜、先生から連絡があり「あしたはレッスンのあと、ハワイ料理を一緒に食べましょう」と言われていた。先生はお友達と一軒のうちをシェアして住んでいるので、いつもリビングルームに私たちを招き入れることが出来るというわけではない。いつかのように、先生がハワイアンフードをテイクアウトしてくれて、ここのお家でいただくのだろうと思っていたら、今日はちがった。

同居人が在宅中だったので外でお食事ということになった。私の車を先生が運転して、マノアから、ワイキキへ。「先生、一体、どこへ行くんですか?」「オノ ハワイアンフードレストラン!」「おーーー、わーーい。私たちも、行きたかったところです!」「今日はうちでは食べられないからね、店が混んでるかもしれないけどね、、ちょっとね、待ちましょう」 

先生はいつも「フラを踊る人は、ハワイの食べ物を味わってほしい、まずそれからだよ。。」と言う。
チャンスがあると、生徒にそれを味わってもらおうと考えてくれる。時にはマラサダだったり、先生お手製の料理だったり、テイクアウトのハワイアン料理だったりする。ありがたいことだ。

着いてみると、予想通りお店の前には長蛇の列が。「列に並んで待ちましょう!」と先生は日本語で言う。覚悟はしてきたけれど、ずいぶん長い列で、お腹がすいた私たちは少々、疲れ気味。
でもなんだかんだとしゃべりながら一時間ほど並ぶと、やっとお店に入れた。でも先生用の椅子が足りない。「立って食べろ!っていうのかな?」心配していたが、そのうち間に合わせのような椅子が用意され、ハワイアンフードディナーのはじまり。

ポキは先生が自分で好みの味をつけてくれて、「さ、食べて!!」
ポキは買ってくることしか考えなかったが、自分で作ればいいのだと改めて思った。
先生の作ったポキはちょっとピリ辛で、美味しかった。

カパフルのこのオノレストランは、いつ行ってもはっきりいって古くてきれいではない。でもこれがいいのだ。ずっと、このままにしておいて欲しいと思う。ここは夜8時になると不思議に急にすきはじめるのだそうだ。でも、そのころには「品切れ」があるから要注意だとのこと。

ハワイアンフードはどれも美味しかった。ラウラウが売り切れで、残念だったが私はポイを全部平らげるくらい美味しくいただいた。先生はこのレストランの常連のようで、この間日本から帰ってきたときも、ハワイの食べ物が懐かしくて、すぐにここへ飛んできた、、のだそうだ。

お腹いっぱいいただくと、また先生の運転でマノアのお家へ。先生をお宅までお送りするかたちになった。帰りは私の運転でワイキキへ、、そのままMさんをホテルまで送って帰宅。

今日は一日フル回転。
さすがに疲れて、今夜はシャワーも浴びないでベッドへ!
汗まみれだったのになあ。。。

今日もいい一日だった。
2007年8月14日 (火)
お茶漬け

連続レッスン4日目。
毎日マノアへ通って、その時間の天候によって、景色がまったく違うのに驚かされる。ハワイってどうしてこんなに、奥深いんだろうと思う。それはどの国でも素晴らしい景色や、気候があり、様々な恵みをうけているのだが。。。ここは、小さなハワイ諸島の島々の一つ一つが固有のものを持ち、狭い土地にありとあらゆる自然が詰まっている。真っ青な海、エメラルドグリーンの海、5色に塗り分けられたような海、なだらかな丘、切り立った山、荘厳な滝、静かなせせらぎ、火山、溶岩、一番高い山頂には雪まで降るのだ。

それらを称えて、ハワイの人たちは独自の文化を創ってきた。立派な、すばらしい文化である。人間としてのあたたかさを持ち続け、自然を愛でながら今も自分たちのハワイを、いとおしいくらいに愛しているハワイの人々をみると、羨ましくさえ思う。

ワイキキを離れ、ものの15分でハワイのもっともっといい部分を見ることができる。
マノアに通いだしてから、私の中のハワイがまた変わってきた。

今日はMさんと二人でレッスン。基本のステップをきちんと踏みながら、曲を踊ることがいかに難しいか、この数ヶ月でいやと言うほど感じたのだが、まだまだ時折、悪い癖が出る。

レッスンの終わりに「ほとんど、よくなってきているんだよ、でもね、まだまだよくなれるんだから。。もっともっと、よくならなきゃ、ね」と言うようなことを早口の英語でいうと先生はサングラスをあげて、ちょっと笑ってくれた。まだ目が赤かった。

次に言った先生の言葉が的確で笑ってしまった・・「あなたたちのフラはVery good だけど Great じゃないよ。。。ね?わかる??」「はい、わかります。Greatになるまで、頑張ります!!」Mさんと私は先生に最敬礼をして、レッスンを終えた。

帰りにアラモアナに寄って、初孫のために初めてあかちゃんグッズも買った。Mさんが買いものに付き合ってくれて助かった。おもちゃ屋さんなんてどこにあるのかも知らなかったが、Mさんは何故だかよく知っていて案内してくれた。「京子おばあちゃん、ですね、、ヘヘヘ。。もうすっかりその顔になってますよお!」などと言われながら、本当に久しぶりでおもちゃ屋さんを見て廻った。

そして来年の夏用の、赤ちゃん用のワンピースも2枚。だんだんその気になってきておそろしい。。
「フフフ。だいぶ弾みがついてきましたよ。買う買う、、京子さん、、、へへ。。」Mさんが笑う。

二人ともお腹がすいたが、とくに食べたいものもなく、ひとまず家に帰ってフラのレッスンもしようと言うことになった。レッスンのあと、復習をするのとしないのとでは、雲泥の差が出る。
今日は少しでも二人でできてよかった。

夕食は、我が家で美味しい塩昆布と、Mさんが持ってきてくれた京都のおいしいお漬物と、白いご飯でお茶漬け。。ということにした。これがまた、とてもとても美味しくて。。。。日本人に生まれてよかった。。と思う瞬間であった。

ハワイで食べるそうめんと、お茶漬け。。。これはまた格別である。
2007年8月13日 (月)
カハラオプナ

連続フラレッスン3日目。
今日はYさんも一緒で3人。午後一時からレッスンの予定だったが、昨日K先生からの連絡で病院へ行くので、レッスンは夕方からに変更になっていた。やはり目の具合がよくないらしい。とうとう眼科へ行くことにしたらしい。診察が終わったら、連絡します。。とのことだった。

夕方近くなって、先生から電話。「いまね、わたし、ワイキキにいます。あの、それで。。これからあなたのところに歩いていきます。そして、あなたの車でマノアのうちへ行きましょう。それで、レッスン、、ね。いいですか?」日本語が、ますます冴えているように思った。「はい、そうしましょう。じゃ、ガレージの出口に行きますね。まっててね。。」

うちで待機していたYさんとMさんと私は車に乗り込んでガレージの出口へ。。。
サングラスの先生が、外のベンチに座って待っていた。今回、サングラスをはずした先生の顔を見てない。。というMさんが「まだ、目が赤いのかしら。。なんだか、先生のサングラス、怖いんだけど、、、」という。本当に私もそう思う。。昨日「先生、サングラスはずしてみて。。」と頼んでみたら、思いのほか先生の目が赤くてそれもちょっと怖かった。。。

運転は先生に任せて、4人は意気揚々とマノアへ。。。

先生のお家のポーチは、パーティ会場にもなり、車が停まったりもするのでいつも葉っぱやちょっとしたゴミで汚れている。レッスンの前にほうきで、掃いてきれいにするのだが、そのほうきが壊れていてとても使いにくい。もう皆なれているので、文句も言わず、お掃除からとりかかる。ものの数分できれいになるのだが・・・・。

それでもレッスンが終わったら、足の裏は真っ黒。
すぐ横にある水道で、きれいに洗ってからサンダルを履く。。。それがルーティーンになった。

さて、レッスン。
今まで習った曲のおさらい。この曲の数々を教材にして、ベーシックや表情の出し方を教えてくださっている。私には、とてもうれしい。やっと先生の言われている、私の問題点がわかり、解決しかけてきた。三人で汗まみれになりながら、充実したレッスンが続く。

マノアに伝説として残る「カハラオプナ」という絶世の美女のことを歌った曲も練習した。とてもきれいな曲で私はこれが大好き。4月からレッスンしているのだが、そのときは先生自身もマノアに引っ越されるとは考えてもいなかったのだけれど、偶然今、こうして本当にマノアで、この曲を踊ることがうれしくてならない。

昔からマノアは虹の生まれるところだったから、マノアに住む美しいカハラオプナの伝説には虹が登場する。そのストーリーそのものは大変悲劇的なのだが、最後はカハラオプナは、虹に生まれ変わった・・・・と語られている。

そんなマノアで、実際のさらさら雨にぬれて、大自然の中に立ち上がる虹を見上げるとき、フラをしていたこと、ハワイに居られることすべてに感謝の気持ちになる。自然にいい笑顔になる。
幸せだなあ、、と思いながら、踊れるようになるまで踊りこむ、、ことの大切さを教えてもらったような気がする。私には、自分だけでの練習が足りていなかったことを痛感した。

サングラスの先生は怖くて、レッスンのときも怖いけど、「踊れた、、」と思う瞬間が少しずつ増えてきて、その分だけレッスンのあとの充実感が少しずつ、大きくなってきた。

今夜は先生は2回公演のステージがあるというので、また私の車で皆でワイキキへ。。。
その途中で、また見事な原色の虹を見ることが出来た。私たちはカハラオプナを想い大喜びだった。

夕食はMさんと、シェラトンホテルの「オーシャンテラス」で、バッフェを。。。
たまには、、とちょっとだけ贅沢なお食事。ここの生ガキ、カニ、さしみ。。。とても美味しい。
プライムリブもおいしい。。今日はいつもより、たくさんいただいて満足。

フラのレッスンのあと、こんな美味しい料理に舌鼓。。。幸せだった。

ハワイ島にハリケーンが近づいているとのことで、すこしだけ雨と風が強かったが、このごろどこへでも車、、なので、その点本当に助かる。

ハリケーンがどうか、それてくれますように、、。
2007年8月12日 (日)


Mさんと一緒に連日のフラレッスン。今日もマノアのK先生のお宅で。。鏡があるので、本当にうれしい。今までK先生のレッスンは、鏡なし、、が普通だった。だから慣れない私はつい、鏡を見ることを忘れてしまう。

おかしなことに、バレエだと必死で鏡を見るのに、フラだと目をそらしたくなる。先生から「鏡の自分に集中して!」と注意が飛ぶ。一人のレッスンに慣れてしまって、他の人と合わせることが出来なくなっているような気がしている。また気持ちを入れ替えて、鏡を使いこなす練習だ。

二人で思い切り踊らせてもらって、注意も厳しく、、楽しかった。
ベーシックの足の動きに、手の動きも連動させて動けるようにする課題があるのだが、それがなかなかうまく行かない。結局宿題として残ってしまった。。。また家で練習だ。

K先生の目は、今日もまだよくなっていなかった。両目とも赤く、痛そう。サングラスをかけてレッスンなので、どこを見られているかがわからず、緊張、、、だった。サングラスの先生はちょっとこわい。

レッスンに行く途中、マノア独特のさらさら雨に太陽が射して、見事な原色の虹が山の麓から立ち上がるのを見た。以前にも憲さんと原色の虹、、を見たことがある。それと同じ、素晴らしい色だった。Mさんと「ね、見た?今の。。。見た??」と感激を分かち合った。

その虹が立ち上がる光景は木々にさえぎられて時々見えなくなる。
瞬間で色が変わってりまう虹だから、「いまの、見た??」と確かめ合うことになる。
今日の虹は、本当に鮮やかだった。

夕方から、Yさん、Cさんの母娘二組と、Mさんとで家でお好み焼きパーティー。
キッチンで(一応)主婦4人がお好み焼きを焼く、それだけのことなのに、まあ大騒ぎ。

粉の割りにキャベツが多すぎたとか、家のフライ返しがへなへなで、うまくお好み焼きを裏返せない、、とか。。賑やかなこと。

子供たちは静かにソファーで、ゲームをして待っているのに。。。

シーフードと、ベーコンのお好み焼きがたくさん出来上がって、それを皆でおいしくいただいた。
満ち足りたレッスンのあと、また仲間と集まって、こんなに楽しい時間が過ごせるなんて幸せ以外のなにものでもない。しかもハワイで、なのだから。

フラを通しての友達はまた格別だ。大切にしたいと思う。
2007年8月11日 (土)
ちょっと、元気・・・

今日は日本からMさんが来る日。
いつもの声で「キョウコさーーん。来ましたあ」と電話があったのは10時半過ぎ。到着早々に、フラレッスンが予定されていたので、とりあえず、家に来てそれに備えることになった。

1時からマノアの先生宅でのレッスンに間に合うように、30分まえに車で家を出た。途中でK先生に電話をしてみた。「今、家を出ました、先生お元気ですか?」「僕?、うん、ちょっと元気。。」と言う返事。ちょっと身体の具合が悪そうで、2時からレッスンということになった。一旦うちを出て車を走らせているのに、引き返す訳にも行かず、途中のマノアショッピングセンターに立ち寄った。ぶらぶら歩いて、時間をつぶしているときに「ハッ!」と気が付いた。

「ね、私、先生のイプヘケ持ってくるのを忘れた、、フラのCDもうちに置いてきたみたい。。」
完全に私のミスだ。我が家でレッスンをすることが多いので、最近は我が家に先生のフラのお道具がおいてある。それをいちいちマノアに運ぶのだが、うっかり今日は忘れてしまったのだ。

「これじゃ、レッスンにならないじゃない。。イプヘケもCDもないんじゃ大変!!もう一回うちへ帰ろう!!Mさん!早く車に乗って!!」「もう、やっだ〜、キョウコさーーん」

引き返し、イプヘケとCDを積んで大急ぎでマノアの先生宅へ。。
なんとか時間には間に合った。

先生はサングラスをかけ、浮かない表情。「一体、どうしたんですか?」
「目がね、痛いの。。」サングラスを取ると、なるほど両目が赤い。左の目からは涙がでているし。。
「僕?うん、ちょっと元気」の意味がわかった。

でも先生は普通に厳しくレッスンをしてくださった。途中で流れる涙をシャツでぬぐいながら。。
最近習っている曲を、Mさんともみっちりお稽古してもらった。
流れる汗をぬぐう暇もなく、私たちは夢中で踊っていた。マノアのしっとりとした空気がたまらなくいい。

レッスンが終わってから、Mさんが持参した日本の生徒さんたちの自主練習風景のDVDを先生に見てもらった。三人で画面に釘付けになって見た。先生はみんなが一生懸命レッスンをしている光景を目の当たりにして、とても満足そうでうれしそうだった。それを見て、私もうれしかった。。

先生の目は、さらに赤くなったようで、涙も止まっていない。
「キョーコ。日本の目薬持ってない?」と聞かれた。私はドライアイなので、常に持ち歩いているのを先生は知っていたのだろう。だが、今日に限って、私のバッグには入っていなかった。先生は日本製の目薬の愛用者で、丁度手持ちのがなくなったのだという。

「じゃ、先生、うちへ帰って持ってきてあげるから、ちょっと待っててくれる?日本製の目薬が欲しいんでしょ?」「うん、お願い。。。」

かくして、私とMさんはまたしても我が家へ戻り、何種類かの目薬をもって車に飛び乗りマノアに向かった。

家を出るとき、ふと、私の母が教えてくれた目の洗浄方法を思い出した。ホウ酸をお湯で溶かし、さらに水で薄めたもので目を洗うのだ。私は母によくそれで結膜炎の予防や、治療をしてもらっていた。辞書で引いたら、ホウ酸はBoric Acid... これを薬局で探して買っていってあげようと思い立った。マノアのロングスドラッグスで、ホウ酸入りの目の洗浄液を買って、とりあえず先生に届けた。

先生はお気に入りの目薬を選び、さらに洗浄液の使用法を読み
「うん、やってみる、、ありがと!」とちょっと安心したようだった。
「先生、着ているシャツで目をぬぐっちゃだめよ。汚いんだから!」「うん。。。」

なんとかあの赤い目が治り、痛みが取れますようにと願いつつ、今日、3往復目となったマノア〜ワイキキへの道をドライブして帰った。

Mさんには、ハワイ初日から、大変な思いをさせてしまった。
せめて二人でゆっくりお食事を、、と、アラモアナへ行き、バッバガンプのエビ料理で夕食。
やっとひとごこちついたときには、夜も更けていた。

今日も忙しく、楽しく一日が過ぎた。
幸せなことだと思う。
2007年8月10日 (金)
あああ〜ハワイ!!

昨日に引き続きYさんと、待望のマカプウ岬のトレッキングに挑戦。朝に弱い私なのに、ここ二日連続で朝から活動。しかも今日は睡眠不足。大丈夫かな、、、と少し心配だった。

でもここは憲さんと是非登りたいと思っていたところで、最近整備されて駐車場もでき、何時か必ずね!!と約束していたところなので、どうしても挑戦したかった。

マカプウに向かう道は憲さんのお墓のすぐそばだ。Yさんがお花を用意してくださり、私は憲さんに伝えたいこともあって、トレッキングの前に二人で憲さんに会いに行った。

「また来ましたよ。。今日はYさんと一緒にね。今日はね、パパ!パパにお話があってね、、、」

二人でお花の水を換え、新しいお花を入れて。。Yさんも憲さんのお墓を撫でては、「憲さんね・・・」と、なにやら話しかけてくれている。
本当になんて、ありがたいんだろう。

Yさんとまた車に乗り込むと、マカプウ岬へ!!
晴れ上がった空はあくまでも青く、風も爽やか。。。

登り始めると、舗装されたコースは意外に緩やかで、息を切らせることもなくおしゃべりしながらお散歩のようだった。登るにつれて、視野が開け、景色がパノラマになり、海が目の前一面に広がり、その色があまりに多様で芸術的で、なんともいえない感動が胸にこみ上げてくる。
すごい!きれい!としか言い表せなくて、Yさんと顔を見合わせては笑いあった。お互いに笑うしかない、満足感なのである。

ラナイ島、マウイ島がはるかに見えて、視界も良好。
はるかに見えるワイマナロの海の色にYさんは歓声をあげる。
「ね、あそこまで行こう!!ベロウズビーチに行こう!!」

憲さんに見せたかった、この景色。「見てる?憲さん!きれいね」
きっと風になって、ここを吹き渡っていることを信じて坂道を下った。

そして、目指したのはベロウズビーチ。
アメリカ軍の土地で、週末だけ一般開放されるビーチに運よく入ることができた。

ここはブルーと言うのではなく、薄いグリーンの海。
波打ちぎわの砂があまりに白く細かいからだろう、巻き上げられた砂がミルクを流したように見えて、優しい波を作っている。

車から椅子を出して、ビーチの木陰にすわり、途中で買ってきたマクドナルドのチーズバーガーでランチ。

「ああ〜。。なんて幸せなんだろう!!!うーーん、もう最高ですねえ。。」
ああああーーハワイ!!だった。

夜は、憲さんのゴルフのお友達だったハワイ在住のIさんご夫妻にお誘いいただいて、和食のディナー。おいしい会席料理をいただいて、窓から見えるワイキキのサンセットを楽しんだ。

Iさんご夫妻は、ニューヨークでお仕事をなさっていたアメリカ暮らしの長い方。いろいろなご縁で、共通の知人が二人もいることが偶然わかり、憲さんもとても親しみを感じてお付き合いをさせていただいていたご夫妻だ。

これから、ゆっくりお付き合いができる、、と思った矢先に憲さんが亡くなって、とても悲しんでくださっていた。
そして、一周忌を終えてやっとお二人と会うチャンスに恵まれたという事で、私はあまりお話をしたことがなかったのに、楽しいお話は尽きなかった。

お二人は音楽に精通なさっているので、そのお話も楽しかったし、ゴルフ場での憲さんの思い出話を伺うときは、私の知らなかった彼を感じることが出来て、うれしく、また胸がいっぱいになった。聞き上手で、私の話も聞いてくださり、うれしかった。温かい、お二人で今後もゆったりと、お付き合いをいただきたいご夫妻である。

ゆっくりお食事をしていたら、窓の外で花火が。。。
毎週金曜日に上がる、ヒルトンの花火だった。
タイミングよく、今日のディナーを彩ってくれたようでうれしかった。

今日も本当にいい一日だった。
2007年8月9日 (木)
マノアフォールズ

朝からマノアの滝まで、トレッキング。
Cさん母娘とYさんと4人で。マノアはもともと雨が多いし、トレッキングコースは滑って歩きにくいと聞いていたので、スニーカーで一番歩きやすいのを選び、転んでもいいようにジーパンをはいて出かけた。コースの入り口まで、車で行き、そこから往復約一時間半。

私は初めてだったがYさんは、ここのベテランのようで、コースの細かいところまで説明してくれて楽しかった。ふかふかの樹、シャンプージンジャー、マウンテンアップル。。。バナナの花と言うものを、初めてこの目で見たし、見たこともない花が可憐で、思わず立ち止まる。この目に焼き付けておきたい鮮やかな色と香り・・本物のハワイがそこにあった。

お花を愛で、感謝し、ふと見上げると山に雲がかかり、霧が流れる、香しい風が吹き渡り、そのすべてを愛と恋人にたとえて歌が出来る。。というハワイアンミュージック、そしてフラの原点を見るような気がして、うれしかった。

サンバイザーを用意していったが、木陰を歩くかたちなので、太陽が照りつけるでもなく、あまり暑くなく気持ちよかった。
なんともいえないしっとりとした空気のなか、足を踏みしめてしばらく登ると、そこには、現実をふっと忘れさせてくれる優雅なマノアの滝があった。。

ハワイに居ても、今まで足を踏み入れなかった自然の中。
新発見のハワイ。とてもとても、素晴らしい経験だった。

帰りに、またこれも夢だった、ワイオリのティールームへ。。。

そこでいただいたランチのキッシュがとても美味しかった。
ヨーロッパ風の作りのしゃれたお店。本当はすこしおしゃれして来たいところだが、今日は泥んこの靴とジーパンで。。。

「こんな格好で、すみません。。。」とお詫びしたいくらいだった。
今日は私にとって、ハワイの大自然に触れた初めての経験。
誘ってくれたYさんに感謝。

夜は夜でフラ仲間、Iさんを交えて女性4人小学生2人の賑やかなメンバーで
中華料理ディナー。今まで知らなかったお店だったが、美味しくてみんな満足。もういい加減お腹がいっぱいだというのに、帰り道全員でチーズケーキファクトリーで、大きなケーキをテイクアウト。CさんとYさんのホテルの場所を移してデザートをいただいた。なにより美味しいのは、おしゃべりの味。
何時までも一緒におしゃべりしたかったが、私は東京の長女とスカイプで話をする約束になっていたので、少し早めに引き上げることにした。

でもIさんは、今まで我が家にいらしたことがないので、ちょっと寄っていただいた。お話はここでも尽きなかった。。。
長女とは真夜中にスカイプでおしゃべり。今夜はあまりおしゃべりが過ぎたのか、明け方まで目が冴えて眠れず・・・。

明日はまたYさんと、今度は海辺のマカプウ岬のトレッキングコースへ行く予定なのに、、睡眠不足でも大丈夫かな。。そう思うと、余計眠れなくなってしまった。

平坦だが、日陰のないコースだそうで、それもまたハワイらしくていい。。
明日も体力勝負。ちょっと頑張って、楽しもう!!
2007年8月8日 (水)
虹の生まれるところ

フラレッスン3日目。今日はK先生のお宅のポーチで。。。行って見ると、そのポーチに大きな3枚の鏡があったので、まずびっくり・・・。「鏡があるよ。。」とは聞いていたものの、こんなに大きなのが3枚もあるとは思わなかった。

パーティーのあとらしく、ポーチはかなり汚れていたので、Yさんと私はまずお掃除。。
柄の折れたほうきで、一生懸命ポーチを掃き清めるが、風が吹いてうまくゴミがまとまらない。
四角い場所を丸く掃いて、掃除を終えてレッスン開始。
ポーチの前にはマンゴーの木、ライチーの木が揺れている。ハワイの植物がいっぱい茂る中で風を受けながら踊るフラは最高だ。

今習っている曲を、何度も繰り返す。私たちが繰り返し踊りたいわけではない。
先生の歌が何時までも繰り返されている間は、どこか、先生の気に入らないところがある証拠。
だが、どこが悪いのか、わからない・・・先生はただ歌を続ける。

私たちはいろいろ考えて、おどり続けるうちに、やっとOKが出る。
とても奥の深いレッスンだ。流し目や、セクシーに見せる振り・・だんだん注文が多くなってくる。
それに一歩でも近づけるとうれしいし、出来ないと悔しい。
それの繰り返しだ。でも楽しい・・・

先生のお宅のあるマノア。。
そのマノアをテーマにした曲を復習した。
すこしゆっくり目の、本当にきれいな曲。

レッスンをしているポーチから山が見え、青空と真っ白な雲が見える。
フラの曲の歌詞に出てくる光景が目の前に広がる。

ここで、さらさらと雨が降ってくれたら、どんなに気持ちがいいだろう。
しとしとではなく、さらさらと。。。と言うところがミソ。。
日本の湿った雨ではない。
ハワイのさらさら雨だ。

今日は残念ながら、マノアの雨に降らなかった。
ここによく降る通り雨に、太陽が当たると、ホノルルから見える虹になる。
ここは虹の生まれるところだ。。

そんなところで、レッスンが出来て幸せだ。
明日はYさんとCさん母娘と4人でマノアの滝目指してトレッキングの予定。

楽しみ楽しみ・・・
2007年8月7日 (火)
かぶりつき・・・

今日もフラレッスン。その前にYさんと待ち合わせて、なにかお昼を食べましょうということになった。
カラカウア通りの回転寿司に入り、久々のお寿司をいただいた。美味しかった。。。
動けないほど胃に詰め込むと踊れなくなるので、適当に切り上げた。

今日のレッスンも基本レッスンはほどほどで、曲の復習。もうこの春からかなり踊りこんでいるので、身体に馴染み始めてはいるが、ところどころ「ハッ」とするような発見があり、それを指摘され、「ああそうだった」と反省し。。。。レッスンが楽しくなってきた。

今日はもっと、踊りに表情を!とばかり、先生はちょっとした目線のもって行き方で、セクシーになる動きを教えてくださった。なるほど、そうか。。。納得してやってみるが、うまく行っているのか行っていないのか?自分ではわからない。先生の顔を見た限りでは、まあまあ・・・ってところらしい。

こうして作品に色をつけていくと、とっても踊るのが楽しくなる。これを日本に帰ったら、仲間のみんなに伝えなくてはならない。しっかり身体に叩き込まないと。。。

今日は先生が一緒に踊ってくださることが何回かあって、狭いところで3人で踊るとお互いの「気」を感じながら踊れることに気がついた。先生はいつもレッスンのとき「もっとみんな近づいて踊って!そんなに離れて立たないで。。」と言う。フラは離れ離れに立たないで、くっついて踊った方がお互いの「気」が感じられていいのだと、今日実感した。今日の新発見!だ。

バレエ団時代、群舞で踊るときの醍醐味はこの「気」だった。強いライトを浴びて汗まみれになりながら「白鳥の湖」などを踊っているとき、周りの空気の色が変わったと感じるくらい仲間と気が揃う瞬間がある。なんともいえないいい気持ちなのだ。。。それに似ていた。

レッスン時間があっという間に過ぎた。ろくに休憩もなく、いつも先生のレッスンは息つく暇もない。
また明日、Yさんとレッスンだ。3日間連続のレッスン。

明日は先生のマノアのお宅でレッスンの予定。。楽しみだ。

レッスンのすぐあと、Yさん、Cさん、Kさんご一家と一緒にホノルル水族館で行われるショウを見に行った。今大活躍の、ナタリーアイオラナさんと ハワイアンの大御所 ジェノアケアヴエさんの二人の女性歌手の競演で楽しみにしていた。総勢8名で、ゴザを片手に芝生の席を取るために開場の30分前から並ぶことにした。ハワイはやはりのんびりしていて、こんな大スターの競演なのに、私たちはほとんど正面の最前列に場所を確保できた。お花見の場所取りようなものだ。

開演までに一時間半もあるので、そこでみんな夕食を買うことになっている。
私の場合はバーベキューリブを注文して、それも込みで今日のショウは28ドル。。。考えられないお値段だ。プログラムが決まっているわけでもなく、どんなショウが展開するのか。。楽しみだった。

ショウが始まってみると、司会者は私が毎日聞いているハワイアンミュージック専門ラジオ局KINEから流れてくるお馴染みの声のDJだった。

ナタリーは脂の乗り切った素晴らしい歌声を、素晴らしいトークとともに披露してくれた。彼女はとても涙もろく、トークも魅力的。

共演のフラダンサーは、ナタリーの妹さん、娘さん、息子さんで、これまた素晴らしい。私が最近踊らせてもらった「ブラッサム ナニ ホ イエ」もナタリーのお嬢さんが見事に踊って見せてくれた。スピンが随所に入って、クルクル。。。いまの流行なのかな??

ジェノア ケアヴェさんは、なんと88歳、、いまだにきれいなファルセットボイスが衰えていない。
さすがに椅子に座っての出演だったが、やはりすごい。バンドのメンバーが、全員ジェノアさんの息子だったり、孫だったり。。。ハワイって家族もろともエンターテイナーというのが多い。耳が遠いらしいジェノアさんをうまくサポートして素晴らしいチームワークだった。

ジェノアさんと共演したのは、フラ ハラウ イカヴェキウのカネ(男性)たち。カヒコもアウアナも、圧巻!!素敵だった。。。

ハワイの夜風に吹かれながら、こんなに近くでこの人たちの踊りを見られて、なんて幸せなんだろう。。

そんな前宣伝はなにもなかったのに、さりげなく出てきてくれたのが、メリーモナーク常連者。。。これがハワイなのだ。こんなにうれしいことはない。一緒に見た7人も、感激の面持ちだった。

今日もまた、かぶりつきで素晴らしいフラに酔いしれた。
本当になんて幸せなんだろう。。。
2007年8月6日 (月)
久しぶりに。。

今日は、本当に久しぶりにフラレッスン。

Yさんと二人だけで受けるレッスンも一年ぶりだ。
一年前このハワイでYさんと受けていたフラレッスンは、悲しさの真っ只中だった。それでも、フラを踊り続けなさい。。というK先生の言葉と、Yさんの励ましをもらって、レッスンだけは続けていたのだ。崩れそうになりながら、笑顔もなく踊っていた、そのときの振り付けをまったく覚えていない。

一年後、こうしてまたレッスンをYさんとともに出来ることがありがたい。
今日は笑顔でレッスンが出来そうだった。

覚悟していた厳しい基本ステップのレッスンは、今日はほどほどで終わり。
4月に日本で振付けてもらった曲の復習に入った。この復習を何度繰り返していることか・・・

この10月に、私たちのグループがカウアイ島を訪れ、そこで踊らせていただく作品でもあるので先生も念には念を入れたいところだろう。

私に関して言えば、いつも注意されるところが減り、ちょっとだけホッとした。しかし踊りのなかで、表現力を要求されるようになり、かなり具体的な指示が出た。それに呼応できると、先生の顔がほころぶ。

私も素直に笑って踊れるようになった。
長いスランプからちょっと抜け出せたと実感があってうれしかった。

いつも仲間がいない状態でK先生のレッスンを受けてきた私は、個人レッスンという贅沢な機会が多かったのだが、仕方がなかったとはいえ、今にして思えば、それは決していいことばかりではなかった。自分の動きを誰かと比べてみることも出来ないし、それは先生も同じで、一人だけだととても教えにくかったと思う。踊りは仲間と一緒に学んでいくものだと思う。

一緒に踊る仲間が出来るようになって、今はとても楽しいし、同時にいい勉強になる。
刺激も受ける。

今までより先生は断然厳しくなったし、本気で取り組んでくださっていることを痛いほど感じている。それをつらいと思ったこともあったが、やっとやっとそこから抜け出せたのかもしれない。

今日のレッスンは、創造的な部分もあり、楽しかった。
踊っている最終に先生の顔が険しくなったり、にっこりうなずいてくれたり、その表情を見ることも平気になった。レッスンのあとの充実感があった。こんな気持ち、何ヶ月ぶりだろう??

先生のレッスンを何回受けるか、より、自分で正しい方法で練習することの方が、どれだけ大事であるか・・・ということも実感した。

憲さんの口癖が「Practice makes perfect」だった。子供たちもいつもこの言葉にお尻を叩かれながら、大きくなった。私も今、これを実感している。もちろん完全になんかなれないけれど、少しでも前進するには練習しかないのだということを。。

夜はK先生のショウを見に行った。Yさん親子、Cさんご一家、そして私。総勢6名。
またまた、入り口のお兄さんに、「また,来てくれたの?あなたのことよーーく、おぼえてるんだから。。」といわれてしまった。彼はなぜ、私がここによく来る理由を知らない。きっとこのショウの主役、ジョン・ヒロカワの追っかけオバサンくらいに思っているのかも知れない。。。

今日の座席は、文字通りかぶりつき。。
もう少し、離れてみた方が全体が見えていいのだけれど・・
でも、めったに座れない場所で、楽しかった。
ショウが終わると、9時半だった。

普通ならモアナサーフライダーのビーチバーへ流れるところだが、今日は、我が家へみんなで立ち寄ってくださった。相当遅い時間だったので、昼間おおいに遊んで疲れた幼いお嬢さんたちはソファーでぐっすり・・・

大人はこの時とばかり、ウクレレで歌を歌ったり、フラを踊ったり、いつものフラ仲間同士の楽しい宴になった。

Cさんのご主人は黙々と、一人でワインを楽しみながら、我々のフラの写真を撮ったり、お子さんの寝顔を撮ったり、、、みんなで楽しいときを過ごした。

明日もYさんとフラレッスンの予定。楽しみだ。。。
2007年8月4日 (土)
密かな計画

今日は一日中、ビデオカメラとDVDとビデオテープで遊んで?いた。

以前から、撮りだめているフラの振り付けをもう一度見直して、振りを身につけ、本当の意味で踊れるようにしたい、、と思っていた。私は振り付けを、書きとめることが出来ないたちで覚えてきた振りをそのままビデオにとって保存する方法をとって来た。

案の定、すっかり忘れている曲がほとんどで、撮っておいたビデオが今になってみるとありがたい。。。最初のころ、一週間に一曲のペースで教えてもらっていたので、曲の数だけは一人前である。とても記憶だけでは追いつかない。

すべてではないが、主な曲はほとんど録画してある。よくぞ撮っておいたものだと思う。これはハワイにいるから出来たことで、ずっと日本に居たらきっとビデオに撮りだめておくことが出来なかったと思う。かなり時間とエネルギーがいるからだ。

憲さんがいたころに撮っていたものには、憲さんの拍手や、話し声が入っていて胸が痛くなる。彼が画面に写っていないのに、不意に聞こえてくるから、まだつらい。。。

まったくのビギナーだった4年前の自分はさすがに若いが、フラはひどい。しかし踊っているときの表情は今よりも明るい。底抜けに幸せそうだ。

今は、注意されること、気になること、が多くて本当に楽しんでいないような気がする。ちょっとそれは困ったことだな。と思う。

天真爛漫に、ただ踊っていれば楽しかった。あのころはK先生との仕事もなかったし、週に3回、ほとんど個人レッスン状態で贅沢なものだった。

なにも知らないというのは恐ろしいもので、フラの奥深さを知るよしもなく、K先生の前で実に楽しく無邪気に踊っていた。ところが今は、先生の前に出ると緊張してしまう。フラがだんだん遠くなるような気がすることさえある。それだけ難しさがわかってきた。

今、出来るだけ人のフラを見て、勉強したいと思っている。それが出来るのがハワイだし、チャンスがあるのだから。。。

DVDを見ながら、古い曲の思い出しをしてみる。。すっかり忘れているが、踊っているうちにそのレッスンの状況までもが思い出されてくる。

思い出のスタジオ。。レッスン場も毎日違う場所で転々としてたっけ。あるときは狭い、倉庫みたいなところでレッスンしたこともあった。K先生が荷物に埋もれてイプへケを叩いていた。私は狭いところで足踏み状態でフラを踊った。足の裏は真っ黒。暑くて、空気が悪くて・・・・

思い出とともに、懐かしい踊りが蘇ってきてうれしい。
と同時にいろいろな思い出も脳裏をかすめてちょっと複雑な思いだ。

ともかく初心に戻って、いろいろな曲に挑戦したい。
教えていただいた大事なレパートリーを思い出し、練習してもう一度磨きたい。大事な大事な宝物なんだから。。。

「先生、見て下さい!」と昔の曲を踊ってお見せできるように、練習するのが目下の私の目標。いつまでかかるか、わからないけれど私の密かな長期計画なのだ。
2007年8月3日 (金)
あずきボウル!!

朝早く、電話が鳴った。
「中村さんでいらっしゃいますか?」ゆっくりと穏やかに話す声の主はすぐにわかった。憲さんの葬儀と埋葬式をしてくださった、ヌアヌ教会の空中(そらなか)牧師さんからだった。

向うが名乗られる前に「空中先生ですね!」と言うと、とてもうれしそうに「よく覚えてくださって、、うれしいです。もう一年たちましたね。。その後お電話をいただいたりしていたので、安心はしていましたが、昨日憲介さんのお墓にお寄りしましたら、見事なお花が沢山、それにゴルフボールも置いてあって。。ああ、ご家族で一周忌を無事迎えられたな。。と嬉しく思っていました。本当に大変だったでしょうが、よく頑張られましたね」と。。。

セレモニーをしなかったので、空中先生にはいずれ近況のご報告を、、と思っていた矢先のお電話だった。もっと私のほうから早くご挨拶すべきだった。。と失礼をお詫びした。孫が生まれること、そのほか生活の変化になんとか順応していること。。。お話するととても喜んでくださった。
なにかあったら、お電話くださいね。教会で出来ることはなんでもしますよ、、とおっしゃってくださって、本当にうれしかった。

今日は、昨日からのYさん母娘と三人でのお約束で、ちょっと早いお昼をカパフルのレインボードライブインで食べて、そのあとワイオラベーカリーのシェーブアイスへ。。ということになっていた。

お互いに朝ゆっくり過ごして、11時に待ち合わせ。ゆっくり歩いて行った。
風が弱く、ちょっと暑い。Cさん母娘は、パパがが日本からいらしたのでしばらくの間、別行動だ。

私は観光案内に出ているレストランには、ほとんど行ったことがない。
レインボードライブインももちろん知ってはいたが、初めてだった。ロコモコを食べて、もう満腹。

あとのシェーブアイスが入るかどうか。。心配したが、そこは別腹。大好きなあずきボウルを注文。
淡雪のようなアイスにたっぷりのあずきが乗って、ほどほどの甘さでおいしい。あずきの上にたっぷりの練乳がかかったお味は最高。それに紅白の小さなモチまで入っている。これは白玉かな??

日本のカキ氷にはないお味で、素朴でとても美味しい。
ハレイワのマツモトシェーブアイスは、憲さんの好物でいつもいつも長い列に並んでは食べていた。
その思い出とともに大事な味ではあるが、ワイオラもこれからのお楽しみコースに入れておこう。

でも量が多すぎて、Yさんに半分助けてもらう。
あずきだけでお腹いっぱいになりそうなボリュームだから、今度はお腹をすかせて来てみよう。

夕方、クヒオビーチのフラショウを見に。。。
Yさん母娘とここで再び落ち合うことになっていた。
出演者は常連の、よくまとまったハラウ。子供たちの表情が可愛く、踊りもうまい。先日のリリウオカラニ ケイキ フラコンペティション(子供のフラのコンクール)に出たチームが、見事なフラを見せてくれた。

フラの伴奏をしている三人の中に、知っている人発見。ギターとボーカルの彼は、たしか最近日本で会った人で、K先生のいとこにあたる人だ。

5月に日本であるフラの発表会にK先生が賛助出演したときに、一緒に出ていたのが彼だった。そこで紹介してもらって、しばらく話をした人だった。フラもうまく将来有望な若手である。

「Lさん!私のこと覚えてますか?多分覚えてないよね。。」とショウのあとで話しかけてみた。彼も覚えてくれていて、逆にK先生の消息を尋ねられた。
「彼、元気にしてる??あれ以来音信普通で。。」と。

「お元気ですよ、Lさんからヨロシクって、、伝えておきますね。。」と私は苦笑い。このLさんは、今日出演のハラウのクムの妹の息子さんだ。ということは、このクムもK先生の親戚というわけだ。

私が知っている限り、K先生の親戚には4人のクムフラがいる。。それも現役で活躍中の人だ。すごいなあ、と思う。こういうのって、ハワイでは普通なのかしら?ハワイって狭いから、みーんなが親戚って言うことになりかねない。そんな気がする。

夕食はYさんが、家のキッチンを使ってスパゲティを作ってご馳走してくれることになった。
滞在先のキッチンが狭く料理が思うように出来ないのだそうだ。それは私にとっては、ありがたい?ことで、キッチンをお貸しするだけで夕食を作っていただける。。。先日のCさんとのお好み焼きパーティーもそうだった。

私はYさん母娘も大好きな、豚大根をスープ代わりにお出しして、楽しく夕食。

ちょうどテレビでは先日の「リリウオカラニ ケイキ フラ コンペティション」の録画中継をしていて、これも見どころがいっぱいで、楽しかった。子供のフラは見ていて心が洗われる気がする。

今日も、ああハワイ。。。な一日だった。
2007年8月2日 (木)
ダイコン シチュー

今日は、頂き物の多い日だった。
同じコンドに住む方から、おいしいクロワッサン。同じくもう一人のご近所さんから、よく熟れたカフク産のスイカ、そしてパパイヤ。

一人暮らしだということがわかってから、「少しだけど。。召し上がって」といただくことが多くなった。
昔ご近所でおすそわけ。。の習慣があったけれどまさしく、それ。。。

ハワイの日本人の心には、昔ながらのいい日本が根強く残っている。日本を離れて数十年,と言う人からは特にそれを感じる。今の日本に住む日本人が忘れかけている、温かい人間関係。

「ね、京都の甘いお菓子をいただいたの、よかったら召し上がる?」。。夕方、またそんなお電話があった。日本にいるのかと錯覚を起こすような、一日だった。

私が日本に帰るまえに、お食事をご一緒に、、と言ってくださっている方も何人もいらして、うれしいことだ。みなさん、私を元気付けようとしてくださっているに違いないのだ。ありがたいことで、私もお友達との食事を楽しみにしている。カレンダーに予定の書き込みが多くなってきた。

あと3週間たらず・・ハワイでの滞在の日々が少なくなっていく。ちょっと淋しい。

今日はハワイでは初めて,私の唯一の自慢料理「大根豚」を作った。
Japanese Daikonが手に入って、豚肉の薄切りが手に入ったのでその気になった。
うすくち醤油があれば、ごくごく簡単に出来る料理で、これが本当においしい。スープを多めにして大根スープのようにすると、やめられない、とまらないくらい美味しい。

フラのK先生が日本に滞在中、何度か作ってあげたら、本当に気に入って作り方もすっかり覚え、ハワイに帰ってから「ウスクチ ショウユ」を買って、この「大根豚」を作って友達にご馳走したのだという。
うまくできたよ。。とご機嫌だった。

ところでこの料理、先生にいわせると「ダイコン シチュー」だそうで、びっくりした。
素敵?な名前をいただいたこの料理、実は私の母から伝授された「おふくろの味」だ。

今は若いフラの仲間や、ハワイのK先生にまで波及して、大評判。
天国の母も喜んでいることだろう。

ところが先日長女が来たとき、その話をしたら「作り方聞いてないよ。。」
灯台下暗し!!

実の娘達には伝授するのを忘れていた。
天国で母はあきれていることだろう。
2007年8月1日 (水)
ドキドキ・・・

ごめんなさい・・・K先生。また、ウワキをしました。
今度は家の近くのコミュニティセンターのN先生のフラレッスン。

今までは月曜日だったのに、7月から水曜日にもレッスンが設定された。まだ知られていないせいか比較的人数が少なかった。「マナオ ピリ」という曲を振付けてもらう。一回のレッスンで歌詞の一番ずつ。。。ゆっくりだからとてもラク。

こういうレッスンも楽しくて嬉しいけれど、私は厳しいレッスンに身体がなれてしまったらしくて、今日くらいの動きでは汗も出なかった。しかし、ちょっとした振り付けがとても新鮮だったり、ん?、こういうのもあるんだ。。と興味深いことも沢山。ウワキは、ちょっとドキドキ。。なのだ。

午後からも、ドキドキすることがもう一つあった。日本で11月に予定しているK先生のワークショップの会場が確保ができているかどうかを、ネットで調べることになっていた。抽選に当たっているかどうかの結果が今日、出ているはずだった。

残念ながら当てにしていた日は落選。。。
にわかに気持ちがせわしくなってきた。
何とかしなくては。。。
20名以上で踊れる会場が必要なのに、東京には充分な施設がなく、いつも抽選でハラハラする。

余計なことにお金を垂れ流している方々へお願いです。。。本当に必要な文化施設に予算を回してくださいな・・・。

夕方、今日からクヒオビーチの芝生のステージに戻ることになったフラショウを見に出かけたものの、何度も見ているグループだったので早めに引き上げた。長い時間をかけて工事をした割には、芝生のステージと客席になんの変化もなく、ちょっとがっかりした。

ビーチでCさん、Yさん母娘と合流、しばらく夕焼けの残るビーチでおしゃべり。子供たちは暗くなるまで水の中にいる。寒い!!と震えながら。。
子供は元気だ。

夜、ドイツの次女とスカイプ(インターネット電話のようなもの)でおしゃべり。出産に備えて、むこうのママと夫の三人で買い物に行った話を聞いた。
ドイツの人が皆そうなのかどうかはわからないが、まあ、とても大げさな用意をするらしい。

子供部屋は彼らが家を購入したときからすでに準備されていたのだが、その部屋にペンキ職人を入れてさらに子供部屋らしく装飾するのだそうだ。

天蓋つきのベビーベッドはもちろん、ベッド代わりの瀟洒な「ゆりかご」はリビングに一つと夫婦のベッドルームにも一つ用意されて、それぞれに毛布やふとんをそろえなくてはならない。フリースの毛布、、なんていうのはダメだそうで、冬に備えてダウンで揃えたのだとか。。。

オムツを替えるための台、というのもあるらしくそれも用意。畳の上に座布団を引いて、その上にコロンと寝かせておむつ交換、、って言うわけにはいかないらしい。そのほかに当然、車用のチャイルドシート、それに乳母車。。。

次女は「なにもそんなに大げさにしなくても。。」と提言したらしいのだが、「いやいや、ドイツではこうするんだよ、、」といい含められ、それらを注文してきたらしい。

「大変なことになっちゃった。しかも注文してから作るから、どれも2ヶ月半くらいかかるのよ、納品されるまでにね。そのころ私は、もう出産だわ。早く頼んでよかった。。ドイツってこういう国なのね。。やっとわかったわ」。。

向うのママは、娘の妊娠がわかったとき、シャンペンをもってご近所さんを訪ね「カンパイ」してまわったというくらい大喜びをしてくださったらしい。まだ見ぬお孫ちゃんだが、こんなに楽しみに誕生を待ってもらって、なんという幸せな子だろう。

だんだん具体的になってきて、私もドキドキしてきた。
今日は、なぜかドキドキな一日だった。
2007年7月31日 (火)
ワイキキの小学校

先日からの不眠症がウソのように治り、7時間はたっぷり眠れるようになった。よかった。。

朝からたまっていたメールの整理、フラ関係の事務でPCの前にずっと座っていた。沢山の方から憲さんの一周忌に当たって、メールをいただいている。
ありがとう、、とお返事メールを打ちながら、ふと外を見ると、晴れ渡った空にダイヤモンドヘッドがそびえている。

いつも穏やかなハワイの天候とこの景色に、今までどれだけ癒されてきたことか。。私はハワイに居られることの幸せを、この一年でさらに感じることになった。ありがとう!ハワイ。。である。

先日の「ターザン病」が尾を引いていて少し右肩が痛い。
またしても五十肩?と不安になるが、どうやらそうではないらしい。
まさか3度も五十肩に見舞われることはないだろう。

ジムに行ってほぐしたいところだが、3年契約の期限が切れて、更新の時期になっている。
ワイキキのジムには通い続けたいが、8月に一旦帰国したら、私はいろいろな用事があって、来年の初夏までハワイに戻ってこれそうにない。今、更新しても半年分以上、無駄になってしまう。いろいろ考えて更新は来年することにした。ちょっと残念だが、仕方がない。家でダンベル体操をして我慢だ。

日本に帰ったら、またジム通い。。楽しみだ。
いつの間にこういう趣味になったのかわからないが、身体を動かすことは気持ちがいい。年を重ねるからこそ、ワークアウトが必要なことなのだということに気付いてよかったと思う。

五十肩のリハビリのつもりで、なんとなく始めたのがフラだったし、ジム通いもそうだった。
思えばあのときから少しづつ私の生き方が変わってきた。私の人生を変えてくれたのは、あのイタイイタイ五十肩だったのかもしれない。

ハワイはこのところ晴天続き。最近雨らしい雨が降ったことがない。

明日からこちらの学校では新学年が始まる。
ハワイの夏休みは、他の州から比べると短い。年中夏なのだから夏休みは短くていいわけだ。

家の前が小学校(トーマス ジェファーソン小学校)なので窓から広い校庭を見下ろすことができる。明日から、元気な子供たちの姿が戻ってきて楽しくなる。

こちらの子供たちは校庭を大勢で移動するときは列になって、とても静かに歩く。「キャー!、ワー!!」と子供たちが走り回るという、日本の校庭の賑やかさはない。必要以上の大声はマナーに反するとされるし、みだりに走ることは屋外でもいけないこととされている。

ワイキキでたった一つのこの小学校は、とても広い面積の中に校舎がぽつんぽつんと建っている。庭の木はもちろん、やしの木やモンキーポッド。隣はカピオラニパークと動物園。本当に、贅沢なロケーションの小学校だ。

この小学校の校庭を横切って、カピオラニパークのバンドスタンドに夕方のフラショウを見に行くのが最近の日課になっている。今日も出かけて行き、Cさん、Yさん母娘とそこで落ち合った。

フラを見ているとそれだけで、幸せになる。
今日も風に吹かれながら、モンキーポッドの種が舞い落ちる中でフラを鑑賞できて、今日も、ああハワイ。。だった。
2007年7月30日(月)
長女帰国

わずか3泊の滞在で、長女は今日帰国する。パパの一周忌をここで迎えられて、とても充実した滞在だったと、満足そうだ。

悲しいハワイの夏を経験した昨年来、娘達はきっと人知れず涙を流しながら、少しずつ大きく強くなってきただろう。それを私は心強く思い、頼もしさを感じて見てきた。

去年の夏とは明らかに違う私たちになっていることを、私たち自身が感じて、すこしほっとしている。
もう大丈夫だね。。また頑張っていけるね。。。確認しあったような気がする。

娘を送った後、私は何をするでもなく夕方まで過ごした。

6時半からのフラショウを見るためにバンドスタンドに向かう。
幸いマリアのステージをまた見ることが出来た。マリアピーターセンは、ハラウから独立してプロとして、ハワイはもちろん、日本でも大活躍だ。

踊り方も変わったような気がする。円熟味だろうか・・・

彼女らしさがもっと出てくるのを楽しみにしている。いわゆるお教室のしきたりから飛び出たマリアさんの個性がますます光ることだろう。

そのあと、Cさん、Yさん母娘と私で、カパフル通りを歩いてYさんオススメの日本レストラン「入船」に行くつもりだった。かなり歩いてたどり着いたら、お休み。。こちらではよくあることだ。。

がっかりしたが、お腹がすいていて他のレストランを探す元気もない。とりあえず、目の前のジッピーズに飛び込んでみんなで夕食。私の初ジッピーズだった。

YさんもCさんも、実によくホノルル市内のお店やレストランのことを知っていてびっくりする。
よく研究していてすばらしい。雑誌や旅行案内書からの情報らしいが、レストランは地元の人が行くところが一番おいしいし安い。それがどこだか、知るまでには時間がかかる。

私はかなり安くて美味しくて・・・と言うところに行ったことはある。だから、ここ!と言うところを書き留めておこうと思うのだが、私にはその能力がないらしい。それに場所を覚えておく能力もない。

根本的に食べることに興味がない、、という性格もわざわいしている。

だから、どこかオススメは?と聞かれて、いつも「さあ?」と返事に窮する。
そして結局、日本から来た情報通の誰かに連れていってもらうことになる。
それはそれで楽しいが、またそれも覚えきれない。困ったものだ。

私もハワイに住んで幾年か・・・?
いい加減、美味しくて安いお店を、張り切って紹介できるようになりたいのだけれど。。まだ無理だ。
2007年7月29日 (日)
もう一つのお墓にも・・

憲さんのもう一つのお墓、京都の大徳寺にも一周忌に彼に会いに行ってくださった方々がいる。

一週間前の7月21日、東京と横浜から憲さんの二人の弟夫妻と姪一人。合計5人がお墓参りをしてくれたらしい。「らしい、、」というのは、かなり時間が経ってから、知らせがあったからだ。

一周忌から一日過ぎた、こちらの29日にメールと写真が来て、それを知った。

ナカムラ家の人々は、奥ゆかしいというか「僕たちで、お墓に行ってくるよ!!」と前宣伝なんかしないで、黙って実行するタイプ。不言実行型だ。。

憲さんもそうだったから、私にはよくわかる。。

以前に私から送っておいたお墓の地図と説明書を片手に、5人で猛暑の京都市内を、お墓目指して歩いてくれたであろう姿は、考えるだけでありがたくて、涙が出る。

憲さんもどんなに嬉しかっただろう。よかったね。皆に会えて。。

そしてもう一人、私のフラの仲間で東京在住のMちゃん。
彼女も28日に突然メールを送ってきた。
「もうすぐ大徳寺です、、これから憲さんに会いにいきますよ。。。」と。彼女の携帯からだった。
「え?Mちゃん、憲さんのお墓参りしてくれるの?」寝耳に水とはこのこと・・・・

私には知らせないで、一周忌を目指して京都旅行を計画してくれていたらしい。実は彼女は半年前にも、憲さんのお墓に行ってくれている。

驚くことにMちゃんは一度も生前の憲さんに会っていない。
残念ながらチャンスがなかった。。

なのに、彼女は憲さんを実在の人のように慕ってくれているのだ。
今回も憲さんの好物、ビールを持って行ってくれたらしい。
そして同じお墓に眠る私の母にまで、私の近況報告をしてくれている。

こんなにありがたいことってあるかしら・・と思う。

憲さん、嬉しいね。ありがたいね。
そして私の母・徳子(のりこ)さんも、きっと涙を流して喜んでいるはず。。

「ありがとう、皆さん!」って。。母も涙もろい人だったから。。。
2007年7月29日 (日)
沢山のご厚意に感謝。。

不思議なことに、ぐっすり眠れるようになった。一周忌が私の中で超えなければならない一つのポイントだ、、という意識から、肩の力が入りすぎていたのかもしれない。

長女がこちらへ来てくれて以来、眠りが深く長くなったような気がする。
また一つ関門をクリアできたかな。。

今日は日本からのフラ仲間Yさんがこちらに到着。Cさんと同じようにお嬢さん連れだ。
朝、電話があって無事着いたとの事。Cさんとはお友達同士なので、ホテルも同じ。。きっと楽しい日々になることだろう。

早速、Yさん母娘とCさん母娘とわたしの5人で、憲さんのお墓参りにいくことになった。車で行けば、あっという間に着く。私は3日間連続でお墓参りだ。

昨日のレイや、お花がまだまだきれいに残っていてうれしかった。
5人で、憲さんのお墓のプレートを撫でながら思い出話。

Yさんは去年、同じころにハワイに滞在していた。憲さんが倒れて入院、元気に退院、そして一週間後に急逝、、というすべてを目の当たりにして見守ってくれた人だ。そんな話をし、お互いに胸にこみ上げるものを押さえながら、憲さんのお墓の周りに座っていた。

そこで、私は昨日とお墓に飾ったお花の様子が違うことに気がついた。
プラで出来ている、軽い花瓶が傾いていたのに、今日は二つともシャンとまっすぐに立っている。

よく見ると花瓶を支える金具が取り付けられていた。
「あれ?一体だれが??」
昨日の夕方から、今朝にかけて誰がしてくださったのだろう・・。
有難くて嬉しくて。。。

どなたでしょう?本当にありがとうございます。

この一年、私はたくさんのご厚意をいただいてきた。
果たして私は、こんな風に人さまの心を暖めることをしてきているかしら?・・と反省しつつ、ありがたくお気持ちを受け取らせていただいてきた。
いろいろなことを学ばせていただいた一年でもあった。

長女は朝から高校時代のクラスメイトに会うために外出。お友達はこちらの旅行会社勤務。十数年ぶりで会うクラスメイト。。きっと楽しいおしゃべりが続いたことだろう。

お昼から、Cさん、Yさん母娘と長女と合流してみんなでランチをご一緒することに。。。

「テディーズバーガー」でテイクアウトして、3組の母娘でカピオラニパークのベンチでミニピクニック。
木陰で風が通り抜け、気持ちがいい。。。ああ、ハワイである。

ここで意気投合?した、うちの長女と可愛い小学生低学年の二人は、あとでビーチで会いましょう!と約束、一旦別れて、再びワイキキビーチで会うことに。。。

私も本当に久しぶりに日中ビーチにでて、ゴザに寝転がってみようと楽しみに出かけた。
大小の娘達3人は、無邪気に水に戯れ、付き添いのCさんと私はのんきにおしゃべりができた。
すっかりリラックスした私はビーチでお昼寝までしてしまった。長女は低学年2人とすっかり仲良くなって、楽しそうだった。

夜は、長女と二人で予約しておいたアロハタワーの「チャイズ」に出かけた。ハワイアンミュージックが生で聴けて、それも一流どころが出演する。お料理も美味しいし大好きなお店だ。私は滞在中、だれかと一度は行くところだ。今日の出演はSista Robi and Friends 優しい声の女性シンガーで私の大好きな人。長女も気に入ったようで、よかった。

長女と過ごすハワイ最後の夜にふさわしい時間になった。
ここは長女にご馳走になることになっていた。彼女のパートナーが、毎日小銭を貯金箱に入れていたら、半年で意外なほど貯金が出来ていて、それでママと素敵なディナーを。。ということになったらしい。なんと、ありがたいこと・・・。ご馳走様でした!

昨日今日と、夜空には満月が輝いている。
ダイヤモンドヘッドが月明かりに浮かび上がり、最もきれいな夜景になる。
長女は明日、帰国する。

たった3泊だったけれど、充実していた。。やっぱり来てよかった・・と満足そうで私もうれしい。

一周忌に当たって、日本から沢山のメールが届き、お電話もいただいている。
憲さんを偲ぶ会を開いてくださったり、彼に心を寄せてくださった方々。。本当にありがとう!!

憲さんは、きっときっと嬉しそうにテレながら微笑んでいるに違いありません。
2007年7月28日 (土)
憲さんの一周忌

去年の今日の明け方、憲さんは急に、本当に急に逝ってしまった。
私は正直のところ、あのときの記憶は途切れ途切れではっきりとした流れとしての記憶がない。
家族が日本から、ドイツから駆けつけてくれるまでの24時間あまりを、どうして過ごしたか。。も定かではない。それに続く日々を今日まで無我夢中で生きてきたような気がする。

そして時は流れ、一年が過ぎた。

憲さんの居ない一通りの四季を過ごし、なんとか家族で励ましあいながらやってこれたのは、周りの皆さんのおかげだとつくづく思う。「静かに喪に服す生活」どころか、いつもにも増して忙しく過ごす一年だった。本当に忙しかった。あれよあれよと言う間に、生活も変わった。自然の流れであった。

今日は長女と二人で、お墓にゆっくり出かけ私たちの一周忌をするつもりだったが、カウアイから帰ってきたばかりのフラのK先生から連絡があり、一緒にお墓に来てくださることになった。憲さんが亡くなったとき、率直な先生らしく本当にこころから悲しみを表して下さった。私はそれまで男性があんなに泣く姿を見たことがなかった。憲さんはK先生が好きだったし、可愛がっていた。先生もそれを感じていてくれたのだろう。二人とも照れ屋だから、面と向かってはお互いにそんなことを言った事はなかったが。。

お花屋さんに頼んでおいたお花と、レイを受け取ってお墓に行くと、素敵な花束を持って既に先生は来てくださっていた。

「来て下さってありがとう!!もう先生は私たちのオハナだものね。憲さんも喜んでるね。きっと」
「僕も、家族の一員にしてもらえて嬉しいです・・」

と改まった挨拶をしたそのあとはハワイアンスタイル、というか中村スタイル。ニコニコ談笑しながら、花瓶のお水を替えて、お花をきれいにいける。ずっしりと重いブロンズの花瓶のお水をかえるのは先生の役目とした。「だって一番若い家族だから・・・」

そこで気がついたのだが、どうも複数以上の方が私たちが来る前にお参りくださって、お花を捧げてくださっているようだった。

一周忌は家族だけで、静かに迎えようと思っていたし、身近な方にはそれをご了承いただいていた。それなのに憲さんに会いに来てくださったのだ。本当にうれしかった。
どなたかわからないけれど、ありがとうございました。憲さんは幸せ者です。。。

そしていい香りの素敵なレイも一つずつ、解説付きで憲さんのお墓に乗せる。
「これは日本のMさんから、これはTさんから、これはNさんからよ。。」ハワイに行けないけれど、せめてお花を、、と心を寄せて下さった方がたのことを憲さんに報告しながら。。。

普段は備え付けのブロンズの花瓶が一つで充分なのだが、今日は臨時でもう二つ花瓶を用意した。風で飛ばないように、地面に突き刺す形になっているのだが、素材がプラなので、お花の重みで斜めに傾いてしまう。苦労したが、なんとかその3つの花瓶が無事にお花でいっぱいになり、レイもK先生によって配置よく飾られて、とても華やかなお墓になった。そこで持ってきた缶ビールを開けてカンパイ。一口ずつ飲んだあと、K先生と私が憲さんのお墓の周りにビールをたっぷり注いであげた。ゴルフボールもそばに置いた。沢山写真も撮った。

その写真もことごとく三人の笑顔と、きれいなお墓とお花と青空と、それにグリーンの芝生に散り落ちたレインボウシャワーのピンクの花びらで埋め尽くされていた。とても明るい一周忌になった。

長女と二人でお墓の前でしんみりして、悲しい場面になるのでは?とちょっと心配していたドイツの次女も安心してくれるだろう。

そのあと、一緒にランチをと言うことになり、我が家へ。
昨夜悲しみを紛らさせるために作った料理で三人でランチ。

「昨日の夜中、二人で作ったんだって?」と先生はびっくりしていたけれど、訳を話すとよくわかってくれたようだった。ゆっくりお話しながら、食べることが出来て丁度よかった・・・。仕事の話も進んだし。。

夕方から長女と二人でカラカウア通りを散策。買い物を少し、、そしてロイヤルハワイアンホテルのマイタイバーへ。夕暮れ時のワイキキを一望できる席で、ゆっくり過ごした。娘とこうして過ごせるのはとても幸せだ。次女も一緒だったらもっとよかったのにね。。と思うが、彼女はいま妊娠7ヶ月。とてもハワイへくるのは無理だった。彼女もドイツでどんな思いで、この日を迎えたことだろう。。でも彼女も、母親になる自覚とともに、昨年よりは強くしなやかになっているはずだ。

一年前と比べると、家族の状況もこんなに変化している。なにか不思議な気がする。これが人生というものなのだろうか。またこれから頑張って楽しく活き活きと暮らしていくから、憲さん、見守っててね。
よろしくね!!
2007年7月27日(金)
長女と過ごした夜

今朝の便で、長女がホノルル到着。明日のパパの一周忌をこちらで迎えるためだ。「ああ、ハワイに帰ってきた・・・一年前のあの時も、この時間に日本からH叔母さんと一緒に着いたんだった・・・あの時は辛かったなあ、、」と家に着くなり長女は話し出した。本当にそうだったね。。。

でも一年後の私たちの気持ちは、明るく前向きだった。
長女は旅の疲れもなく、シャワーを浴びるとすぐに「パパに会いに行こう!!」と二人で車に飛び乗った。お墓では、私たちは合掌もしないし、ヒザマづいてお祈りもしない。憲さんのお墓の横に腰を下ろして、名前の書かれたブロンズのプレートをなでたり、ポンポンとたたいたりしてお話しする。「今、Nちゃんがね、もう妊娠7ヶ月。。楽しみね、いい子を無事に出産できるように、守ってやってね。パパのお孫ちゃんよ。。。よかったね、天国から見えてるでしょ?」という感じだ。「あしたの一周忌には、ビールを沢山持ってくるね。。楽しみにしててね。。」と手を振って車に乗り込み、あとはパパを偲ぶドライブをすることにした。

憲さんと月に二回は出かけていた、オアフ島海沿い左回りコース。
まず思い出のマカプウビーチ展望台へ。そこでとったツーショットが憲さんとの最後の写真となった。そこで今日は長女とツーショット。。
マカプウビーチはあの時と同じように、きれいな色を出していた。
「パパは亡くなる直前まで、こんなところで楽しんでいたんだね、、幸せな一生だったよね」

次はこれもパパが大好きだった、静かで美しいワイマナロビーチ。
ここは水の色が薄いブルーグリーンで、他には例のないやさしさをたたえたビーチだ。ホノルルで買ってきたランチをこのビーチパークで食べることにした。

「こういうことが好きだったね、パパは。。」子供たちがまだ幼児のころ、赴任先のアラスカでよくキャンプもした。その楽しさが忘れられず、日本の我が家には当時はまだめずらしかった大きなキャンピングカーまであった。日本では思うようなキャンプ場もなく、ちょっとしたピクニックしか出来なかったが、それでもパパはキャンピングカーにみんなを乗せて、どこかへ連れ出すのが好きだった。

ランチのあとは、パパが気に入っていた折りたたみの椅子をビーチに持ち出して、二人でのんびりおしゃべりした。風が気持ちよく、木陰だと涼しいくらい。。たまに太陽が輝く白砂の上に椅子を移動して日光浴。。また今日も、ああハワイ!である。

このビーチにたどり着くまでに、どうしても確かめておきたい場所があった。
先週あの赤い実のレイを私にくれた、チャーリーのお家を見つけ、特定することだった。
彼の話では、ワイマナロの郵便局とマクドナルドの間の左手の家で、アメリカの国旗と、ハワイの州旗が2本立ててあるうち。。。ということだった。そこが工房であり、自宅らしい。私にも見当がついていたのだが、実際に行って見るのは初めてだった。「あった!あのうちだ!!」長女が叫び、私もそれを確認した。うれしかった。またチャーリーと私のこころが繋がったような気がして・・・あのお家に、来年の5月ウィリウィリの実を届けに来る!チャーリー、待っててね!!

夕方、アラモアナセンターに戻り、お買い物。今日初めてお孫ちゃんのお洋服を買った。長女が一緒だったので、弾みがついた。一人ではなんだか照れてしまって、買うことが出来なかったのだ。あれもこれもと見ているだけで、楽しかった。一旦弾みがつくと今度はとまらない。。女の子だというのが確実になった。。というので、彼女の「初ビキニ」まで買ってしまった。

夜はお家で静かに過ごすことにした。一年前のこの夜まで憲さんは元気だった。ステーキの夕食を楽しみ、デザートも食べ、夜食まで食べて。。。そして翌日の明け方、彼は亡くなった。
その時間の経過をたどりながら長女と過ごすのはあまりにも辛すぎたし、怖かった。で、私たちはキッチンでお料理をすることにした。彼女はパエリアの下準備をするつもりだったが、サフランが手に入らなかったので、急にカレーライスに変更。私は煮豚と煮卵。憲さんが好きだったものだ。

二人でキッチンに立って、料理をしているなんて一周忌を迎える家族のすることではないかも知れないけれど、この時間の過ごし方が、お料理が好きだった彼にふさわしいし、私たちも辛くない。。
時差の影響もなく元気そのものの長女と深夜にキッチンに立ちながら、私はあの時間を迎えた。
おかげで、心が落ち着いたまま、二人でその時間を過ごすことが出来た。ほっとした。。。。パパ、私たちは大丈夫だったよ。。
2007年7月26日 (木)
一周忌を前に、、感謝を・・

昨日、日本のIさんから小包が届いた。
この6月、アラモアナのセンターステージでご一緒にフラを踊らせて頂いた方だ。そのときのDVDを送ってくださったのだろうと、包みを開けてみると小さな本が一緒に入っていた。ピンクの小さな表紙には「いっしょにわらおう・・・きみはひとりじゃないんだよ」と書かれている。Iさんがこれをこの時期に送ってくださった意味がすぐにわかって、私はそれだけで、胸が熱くなっていた。
一ページに一言ずつ、やさしい文字で書いてある。ここに一部を書いてみる。。

いつも笑顔で元気なキミ
キミがココで笑っているのが
いつのまにか あたりまえに思っていたよ
でも・・・
たくさん雨がふって嵐になったり
いたいこと つらいことがあったら
だれだって 元気なんかなくなっちゃう
笑うことできなくなっちゃうよね

・・・口にだして 言ったことはなかったけど
キミの笑顔は いつもみんなを 明るいきもちにさせてくれた
だから元気がなくなってしまったときは 
キミの笑顔さがし いっしょにさせてもらいたいんだ

中略

キミはひとりじゃない・・
顔を上げれば
キミに笑顔をおくる人
キミの笑顔を待っている人に
きっと気付くはず
いっしょにわらおう・・
いっしょにすすもう
どこまでも いつまでも
そしてまた 笑顔で会おうね・・

そのあとにIさんの自筆で
「京子さん、この一年頑張ってきたネ!!」の文字が・・・

涙があふれて、こぼれて・・・・ありがとう、Iさん。。。

明日、長女がハワイにきて二人で静かに一周忌を迎える。長女にも、目下、ドイツで私たちの初孫をお腹の中ではぐくんでいる次女にも、この本を見せてやりたいと思う。

この一年、私たちは、あえて何事もなかったかのように普通に過ごしてきた。
周りの人たちの支えでそれが出来た。本当にありがたかったと思う。

今こうしてハワイにいて、7月28日という日を迎えようとしている。
永遠に来て欲しくなかった日を・・・

明朝、ホノルルに到着する長女と、ゆっくりここでダイヤモンドヘッドを眺めながら、憲さんを、パパを偲ぼうと思う。11月にママになる次女は、憲さんの初孫とともに同じ想いをドイツから送ってくれるだろう。
何よりのパパへのプレゼントだ。

ここにこうしていられるのも、パパのおかげ、憲さんのおかげ・・・
そして周りの方々の支えのおかげ・・・
心からの感謝を申し上げたいと思う。

28日は沢山のお花とレイを憲さんに届ける。
そしてビールもたっぷりね。。。
これが私たちの一周忌のかたち。。。
久しぶりで、家族で過ごそうね。。。
2007年7月25日 (水)
ターザン病でダウン!?

今日は起きたときから腰が痛いし、腕は凝っているし、手首も重いし。。で、とても調子が悪い。一体どうしたのだろう?と考えてみた。昨日なにか悪いことでもしたかしら?と。。

思い出した!!あれが悪かったんだ。「ターザンごっこ」である。Cさん母娘とカピオラニパークを散歩していたとき大きなバニアンツリーの枝から下がっている根が目に入った。7歳のMちゃんに「あれにぶら下がってブランコしてみてごらん。。楽しいわよ。。」と勧めてみた。

ターザンみたいね!!わ〜面白そう!!
Mちゃんはすぐになれて上手に揺れている。

一番試してみたかったのは私だったのかもしれない。いたずら心で一度だけターザンみたいに根にぶら下がってみた。軽いはずの私の体重なのに、それに耐えられるだけの筋肉がついていないから、瞬間ぶら下がったが、すぐに無理だとわかった。一瞬だったのに、すでに体中が痛かった。

あの瞬間に、私の上半身の筋肉という筋肉がびっくりして、なんとか力を出そうとしたのだろう。それがたたって、今日は体中がヘンなのだ、、と気がついた。理由がわかればいい。

熱めのシャワーを腰にあてたり、ゆっくりストレッチをしたりして、身体をほぐすことにした。
ジムに通っている効用の一つは、自分の体の筋肉の働きが自然にわかるようになることだ。ほぐし方も覚える。おおいに役に立った。

Cさんに今日は家で大事をとって休むことにするわ、、と電話。

Cさんは驚いて「京子さん、一体どうしたんですか??」「あのね、『ターザン病』よ。。あれがいけなかった・・・」Cさんはさんざん笑った挙句、「そうですよ、あれはいくらなんでも無理ですよ。。。京子サン!!」

それでも少しは身体を動かさなくては、、、と夕方のフラのショウを見に再びカピオラニパークへ。私はいやと言うほどこのショウを見ているので、出ている人をよく覚えているのだが、フラは上手なのに、少しも微笑まない若い子がいて、惜しいなあ、、と思っていた。今日、何ヶ月ぶりでかでその子のフラを見た。身体も少し大きくなり、フラもうまくなっていた。なにより嬉しかったのはその子の自然なかわいい笑顔をみたことだった。ミノアカ(微笑み)が開花していた。この子もついに「ダンサー」になったんだな、、と思った。

そこへ少し遅れてCさん母娘も合流。しばらくおしゃべりして、今日は別々にお食事をすることに。。。私は家へ帰って、久しぶりに一人で食事。

身体は次第に楽になって、ああ、よかった。。一人だと、体の具合が悪くなることがこわい。大したことがなくてよかった。。。

『ターザン病』なんて、本当にはずかしい・・・

こんなことでは尊敬される「おばあちゃん」になることは難しそうだ。
私のお孫ちゃん、ゴメンナサイね。
2007年7月24日(火)
You made my day.

午後からアラモアナホテルのバーバラさんのお店にお願いしたいことがあって、今日もCさん母娘と出かけた。私のアクセサリーのいくつかを直して欲しかったし、デザインを変えてほしいものもあった。

一つは、Mさんに頂いた金の亀のペンダントヘッドの金具を頑丈なものに変えてもらうこと。
一つは、K先生から今年の誕生日にいただいたペンダントヘッドに通していた皮の紐を新しくすること。レッスンのときにしていたら、汗でだめになってしまったのだ。もう一つは、先日チャーリーから買ったウィリウィリの実の2連のネックレスについていたリボンを、金属製の留め金にかえてもらうこと、だった。

亀の金具は、あっさりとバーバラさんの器用な手によって出来上がり、K先生からのペンダントヘッドには彼女の見立てで、ぴったり合った皮ひもがつき、ウィリウィリのネックレスは、私に似合うようにチョーカーに早変わり。短くなった分余った10個の赤い実を5個づつ使って、ピアスのイヤリングになった。
うれしかった。長年の夢がかなった。。こういうのが欲しかったのだ。

チャーリーの温かい好意で私のもとに来たウィリウィリのレイは私の一生の宝物。
あれは特別のときにだけ身に着けたい。

しかし普段使いのウィリウィリも欲しかった。今日、バーバラさんのお陰でその夢もかなった。

一方、Cさんも私のと同じウィリウィリの2連のネックレスをバーバラさんにアレンジしてもらうことになった。彼女のは赤いプルメリアが描かれた小ぶりのククイの実を3つ配して、少し長めのネックレスに変身した。華やかで可愛くなった。

あっという間に、バーバラさんのアイデアが形になっていく。バーバラさんは、妥協しない。これはよくない、と思ったら何度でもやり直す。

すごいなあ。。とあっけにとられて見ていた。Cさんも私もこういうことはどうも苦手で。。と、頭をかいて済ませてしまうタイプ。。いや、ここにくるまでに、一応いろいろ努力はしてみたけれど、だめだった。。。と、お互いによく理解できるのだ。

だから余計に二人にとってバーバラさんの手が、神の手のように見えるのだ。
「すごかったね。。えらいね。バーバラさんって。。。妥協しないからね。面倒じゃないのかなあ??」

バーバラさんは韓国の人で、英語、韓国語、日本語、ドイツ語を話す。才人である。美人で明るく、優しい人。

ところが今日はいつもより元気がない。。
「バーバラ、ちょっと落ち込んでるの。なにもかもが中途半端で、言葉もどれも十分に話せないし、仕事も今日はなんとなくうまく行かないし。。」と低い声で言う。「そんなことないよ、バーバラさんはこんなに人を幸せにしてるじゃない。すごいことなのよ。ハワイに来た人に夢を上げて、きれいなものを作って、、最高のお仕事してるのよ。私なんか出来ないことを沢山、沢山バーバラさんは出来るんだし。。」と、私はいつも彼女に対して思っていることを口にした。

バーバラさんのお店を出るとき、私の首にはウィリウィリのチョーカー、耳には赤い実のピアスが光っていた。そのまま、アラモアナの高級デパート「ニーマンマーカス」に入った。そこの店員さんが、いち早く私のウィリウィリを見て「これいいですね。作ってもらったの?私もこの実が大好き!とても素敵だわ。見たことがなかったわ、こんなの、、」とほめてくれた。

とても嬉しかった。これを是非バーバラさんに伝えたかった。今日は何故か彼女が自信をなくしていたから。。ニーマンマーカスの店員さんにほめてもらったこと。そして私はとても幸せな気持ちになったことを。。。

「今日は貴女のおかげでいい一日になったわ。。」と英語で伝えた。
英語でYou made my day という言い方をするのだが、私はこの表現が大好きだ。

バーバラさんは、私の気持ちがわかってくれたらしく「ありがとう、、ありがとう」を繰り返していた。
少しでもバーバラさんの心が明るくなったら、いいんだけど・・・

私も誰かの一日をいい日にしてあげたいし、私も一緒に楽しみたい。
今日はバーバラさんのおかげで、いい一日になった。バーバラさんにとってもいい一日だったらいいけど。。。

みんながそんな風に考えて生きていけたら、やさしい社会になるんだろうな、、と思う。
2007年7月23日(月)
ウワキ

朝、K先生から電話。この10月に予定されている、先生主催のカウアイツアーのついて、だった。日本からの参加者は私たちのフラグループ。約18名が参加する予定。日本からの航空券について、滞在について、細かい詰めが必要になっている。その直後、11月にもK先生の日本でのプロジェクトがあり、これから徐々にその追い込みに入る。PCとにらめっこの時間も増えてくる。

今日は「ウワキ」をする予定だった。カパフルにあるコミュニティセンターで開かれているフラレッスンに、友達に誘われて行くことになっていた。K先生は生徒を縛りつけるようなことは嫌いで、自由にさせてくれる。だから私がほかの先生のフラのレッスンを一回くらい受けても、怒るようなことはない。でも私にしたら、後ろめたさがあって、まるで「ウワキ」なのである。そこへ朝からK先生の電話だったから、ちょっとだけドキッとした。「いまどこ?」いつものように先生に聞かれて「お家ですよ!もちろん!!」なんてムキになって答えたりして。。。

ともかく12時半からのレッスンに参加してみた。お友達のSさんの車でカパフルへ。広いレッスン場だが、鏡はない。窓からは涼しい風が吹き抜ける。気持ちがいい。10人いた生徒さんのほとんどがクプナさんたち。中国人が一人、韓国人が一人、そしてアメリカの白人が一人。。それ以外は日系の方達。

クムは私より高齢と思われる男性でカマカさんという方だった。
まず椅子に座って、これから習う曲の歌詞を音読。もちろんハワイ語。その説明や、楽しい話が英語であって、クムのウクレレと歌に合わせて私たちも歌う。。楽しい経験だった。そしていよいよ振り付け。
とてもきれいだけれど、かなり難しい振り付けで有名?な、K先生のと違って、とても簡単。ステップの説明も、基本のレッスンもない。こんなもんでいいのでしょうか??というくらいラクではあったが、踊り方が違うので迷うことも多い。「ウワキ」もラクではない、、と思った。

ハワイをこよなく愛し、ハワイ語を楽しく伝え、日系のクプナさんが中心のグループを丁寧に教えているクム・カマカさんだった。ゆったりとしていて、楽しいレッスンだった。誰も注意をされないし、どこも疲れない、汗も出ない。K先生のレッスンがいかにハードで厳しいかがわかった。
レッスンの後、カマカ先生からは「とてもよかったよ。手の動きとミノアカ(笑顔)が素晴らしいね」と一応の社交辞令の言葉をいただき、「もう少しゆったり踊るともっといいよ。。。」とK先生からの毎度の注意とまったく同じことを言われた。やはりそうなんだ。。。簡単だと思った踊りでさえ、私の悪い癖が出ているんだ。。心にしみるご注意だった。今日レッスンに伺って本当によかったと、思った。

どういうわけかこのごろ寝つきが悪いし、肩が張る。こういうときこそ、ジムへ!!と思い立ち、フラレッスンのあと食事をしてから、すぐにジムへ出かけた。上半身中心のメニューで動いているうちに、肩が楽になり、ほかほかしてきた。これで肩の張りはなくなった。ジムの効用は素晴らしいものがある。

夜はCさん母娘と近くのマッカリーにあるベトナム料理のお店へ。Cさんと私が注文したフォーはとても美味しかったが、Mちゃんの注文したパンケーキが運ばれてきてびっくり!!カリカリに揚げた薄いせんべいにたっぷりの生もやしがはさまれたものがデンを目の前に置かれ、それにシャキッとしたレタスがたっぷりついてきた。どうやって食べるの?これ。。。おそるおそる食べてみると、まあいける。でもMちゃんはそれっきり手を出さなかった。三人でフォーは美味しくいただいた。でもやはり、パンケーキは沢山残ってしまった。で、お持ち帰りということに。。Cさん母娘は明日、あの大量のもやしとおせんべいをどうやって食べるのかしら??

帰宅すると日本から仕事のメールが入っていた。カウアイにいるK先生に電話をし、11月に日本で教える曲について日本からの要望を伝える。「今からeメールで日本から送られてきた曲が送りますからね。聞いてみてね」「うんわかった。聞いてみるね。そのまえにね、こっちで推したい曲があるんだけど、こういうのだけど、聞いてみて。。」「♪♪♪♪」「あれ!、これNさんの生の声じゃない?」「うん、今夜は、Nの家に来て仕事の打ち合わせ中だよ」・・・Nさんはカウアイを代表する若手の歌手。K先生のいとこで日本でも活躍中の人。こんな風に彼らと一緒に仕事を出来る私は本当にラッキーだと思う。
K先生は電話を切るときいつもの口調でこう言った。
「いつもごめん、ね。ありがとう、ね!」
 いえいえ、こちらこそ一緒に仕事をさせてもらって、ありがとう、ね!。
2007年7月22日 (日)
クアアイナ

昨夜は、ウィリウィリのレイの夢でも見てゆったり眠れるかと思ったら、また眠れなかった。

ドイツの次女も最近眠りが浅いと嘆いている。東京の友達から「日記読みました。赤い実のレイの話も、眠れないのも、今、憲さんがそばにいてくれているから起こっていること、、だと思うよ」と言うメールをもらった。きっと私たち家族にとって今の時期は特別なのだと思う。

今日は休養日。Cさん母娘は、カピオラニパークで開かれているウクレレフェスティバルに行くと張り切っていたが、私はフラで精一杯だから、ウクレレまで手が出ない。だから今日は「私は行かない!」と宣言。夕方までのんびりと過ごした。

夕方になって、Cさんたちとワードセンターのマルカイというスーパーに行くことになった。ここは会員制の日本食を扱っているスーパーだが、私はあまり行ったことがなかった。一日会員で入れるというので、パスポートまで用意していったのに、あっけないほど簡単に入れてしまった。一通り廻ってみたが、ドンキホーテより少しだけ安く、品数も豊富かな?という程度だった。会員になる決め手はなかった。

お腹すいたね。ご飯食べて帰ろうか??こういう話はすぐにまとまる。
しかし、今日は日曜なので、レストランも早仕舞い。日本の感覚と違うのはここだ。え?日曜なのに?早仕舞い??私もいつまでもこの感覚に慣れなくて失敗する。
ヨーロッパなんてもっとひどい。日曜は、お休みのところが多い。。

今日も行きたかったカカアコ キッチンは5時でクローズ。幸い開いていたクアアイナのバーガーで夕食、、ということにした。ここも楽しみにしていたアボカドが品切れで、ほかのバーガーで我慢。残念でした・・・。でも、やはりクアアイナはおいしかった。

三人で(よそから見たら、母娘と孫娘に見えるんだろうなあ)、仲良く美味しく食べて大満足。

8時前に帰宅。ほっとして熱いお茶を入れようとしていたら、窓の外で「ドーン」と音がした。
ワイキキビーチの方向に開いている窓をみると、見事な花火が目の前に。。。

今日は何の日?なんで花火が??そんなこと聞いてないよ・・・
いつもそうなのだ、憲さんと食事をしているときにも、音に驚いてカーテンを開けると、目の前に見事な花火があった。数年前から、こういうことがと時々ある。何のための花火なのか。。いまだに知らないが、3ヶ月の滞在中一回はあるような気がする。ホノルルにいると、本当に飽きない。楽しいところだ。そういう意味でも、本当にパラダイス!!

すぐにCさんに電話をして「花火よ、見て見て!」と叫んだ。
運よく彼女達のホテルからも見えたようで、よかった。

約30分くらい続いただろうか。。今夜ワイキキで打ち上げられた花火は、独立記念日のときほどではなかったけれど、素晴らしかった。

花火が昨夜だったら、家でのお好み焼きパーティーがもっと盛り上がったのにね。。。
2007年7月21日 (土)
ウィリウィリのレイ〜その2〜

こんなのが欲しかったの!!と私の目が輝いたのだと思う。

おじさんは急にこう言い出した。「このレイ、今日持ってお帰りなさい。。そしていつでもいいから、その実を僕のところに持ってきてね。いつでもいいんだよ・・」私は耳を疑い、そばのCさんの顔を見て、お店をのぞいていた別のおばさんの顔を見て、もう一度おじさんの顔を見た。

おばさんは小声で「このレイ、貴方はいくらで売ってるの?」とおじさんに聞いた。「150ドル」おじさんは平然と答えた。びっくりした。高いとは知っていたのだが、まさか。。今のレートでいうと、2万円近いのだ。

「え?本当?これもって帰っていいの?私の赤い実は日本の家にあるのよ。。来年しかもって来れないのよ。。それでもいいの?」「いいよ、もって行きなさい」「なぜ?どうしてそんなこと言うの?」「貴女がいい顔してるからだよ。。」「いい顔??」私は言葉が見つからなかった。おじさんはビューティフルでもプリティでもなく、英語でgood face..と言ったのだ。

大体において、いままで他人様に「いい顔だ」なんていわれたことがないからびっくりしたが、その表現がとても今の私にはありがたい気がして、思わずおじさんをハグ。きっとこいつは信用しても大丈夫、だとおじさんは思ってくれたのだろう。

必ず来年の5月には、ワイマナロのおじさんの工房へ赤い実を届けに行くから。。とお互いの名刺を交換した。おじさんの名はチャーリー。聞いてみると、チャーリーの工房はいつも私と憲さんが立ち寄っていたワイマナロのバーガーショップのそばで私にも見覚えがある。

チャーリー、本当にありがとう。。こちらの人の年齢はよくわからないのだが、私よりかなり年長とお見受けしたチャーリー。
5月に必ず、お返しの実を持っていくからね。元気で待っててね。。。

ずっと成り行きを見ていたCさんは「ああー、なんていい話なんでしょう。ハワイっていいねえ」と感激の面持ち。私も、なんともいえない温かい気持ちでまた三人で家路についた。

夕食は、Cさん母娘と三人で我が家でお好み焼きパーティ。。
そのあともちろん、フラを踊りあって、Cさんのお嬢さんMちゃんにバレエの指南もして、、、、楽しく夜が更けた。今日も、いい一日だった。

憲さんの写真の前に赤い実のレイを置いて、報告した。
「やっと手に入ったの、この赤い実のレイ・・ちょっと感傷的になっている今の私に、とても大きなプレゼントだった。。憲さんがそうしてくれたのかもね」

そう思えるほど、不思議なチャーリーとの出会いだった。うれしくて、今日はよく眠れそうだ。
2007年7月21日(土)
ウィリウィリのレイ〜その1〜

この頃、少し眠れない日が続いている。
去年の今ごろ憲さんに最初の症状が出て、3日間だけ緊急入院していた。すぐに元気を取り戻した彼の、病院での会話や表情が昨日のことのように浮かぶ。考えまいとしても、どうしても思い出してしまうし、それに続くあの日が近づくにつれて、心のザワザワが激しくなっている。一人でいるとまったく突然、自分でも思わぬときに涙が出る。とはいえ、表面的には私はいつもと変わらない生活をしているし、いまもフラ仲間が来ていて賑やかな毎日だ。でも寝つきが悪い日が続く。明け方に熟睡するから身体はもっているし元気なのだが・・・。

今日はCさん母娘と一緒に、モアナルアガーデンで開かれるプリンス ロット フラフェスティバルに出かけた。この木なんの木で知られる公園で、毎年開かれるフラの祭典だ。Cさんのナビで、無事に着いた。
出演者は地元のハラウの生徒達。特に有名どころではないのに、うまい。やはりホンモノは違う。特に若い子達のカヒコが素晴らしい。ゆったりと、周りの空気を動かすようなすごさがある。

会場は大きな公園で、大木の葉陰が客席にしつらえられている。
ここでは芝生に座って鑑賞する。舞台も自然の中に溶け込んでいて低めに作られている。ふと上を見上げると、大きな木の葉がゆらゆらと揺れて、青空とのコンビネーションが素晴らしい。木漏れ日の中で、風に吹かれながらフラを見る。。最高の幸せかも知れない。

舞台で素晴らしいフラが繰り広げられているときに、さーーっと、が吹き渡り、ダンサーのスカートをなびかせる。それと同時に、小さな葉っぱが舞い散り落ちてなんともいえない情景が広がる。すべての色が鮮やかで夢のようだった。

イベント終了後、私たちはゆっくりテントで出来たクラフトショップをみて歩いていた。そこで見つけたのは、真っ赤な実が可愛くて有名な「ウィリウィリ」のネックレスだった。このウィリウィリの大木が家のコンドの前にある。「さや」からはじけて落ちる真っ赤な実を拾い続けて数年。私はとても沢山この実をもっている。憲さんも大好きで、二人でよく拾ったものだった。

細工をしてアクセサリーにしたいけど、素人には無理ね。。さりとて誰に頼んだら細工してくれるのかしら??と思い続けていた。

今日をそれをやっと見つけたのだ。真っ赤な2連のネックレスを飛びつくような勢いで、手に取った。大好きなものにやっと巡り合った、、という気持ちだった。一緒だったCさん母娘も、この実のことを私から聞いて知っていて、ここ数日それを拾うことに熱中していたから「ワー、きれい!すごい!」と大喜び。。。

お店のおじさんに「私、この実が大好きでね、家の前で拾って2000個以上持っているのよ。この細工が出来なくて困ってたけど、今日これに巡り合えて嬉しい。。。」というようなことを話した。「じゃね、その実を持ってきてごらん、こんなレイを貴女のために作ってあげるから。。無料でいいよ。。」と、おじさんが手にして見せてくれたのは、そのウィリウィリの実を700個以上使って作ったという、それは見事なレイだった。〜その2に続く〜
2007年7月20日(金)
ホームデポ

一昨日、水道の栓が古くなったので、取替え作業をしてもらったが、一応仕事が終わった後で「ここから先は貴女でも簡単に出来るから。。」と水道やさんのポールが言い、私もそれくらいなら、出来るかも。。と思ったことがあった。古くなった部品の代わりをホームセンターで買ってきて、ネジでとめれば、新品のような栓になるよ。。ということだった。自分ですればタダだし、面白いかもしれない。。と思っていた。

それで昨日、ホームデポという超大型のホームセンターへ出かけた。車のコースは憲さんと行ったことがあるから大体覚えていた。そして首尾よく行けた。

あたりには男の人しかいない大工用品の売り場で、親切そうなおじさんを探して「すみません。。この部品と同じの、さがしてもらえませんか?」と頼んでみた。その人は散々苦労してさがしてくれた挙句「やはり僕ではわかりませんね。。ごめんね。お店の人に聞いてみてね。。」 「??」
てっきりお店の人だと思って聞いたのに。。買い物客だったらしい。またしても失敗の巻。本当に申し訳ありませんでした。それにしても、いい人だったなあ。

そのあと、ホンモノのお店の人に探してもらってめでたく購入。家へ帰って作業しようとしたらサイズが微妙に合わない。あーあ。。。だった。それで今日は、返品のために再びホームデポへ行く予定。

その前にもう一つ用事があった。ワイキキ水族館で開かれるコンサートのチケットを買いに行くこと。
こちらに滞在中のCさん母娘と出かけた。無事全員分のチケットがとれて一安心。8月のコンサートが楽しみだ。

そしてそのまま憲さんのお墓へ。丁度きれいなジンジャーの花を手に入れることが出来たのでそれを三人で憲さんに届けに行ったのだ。今日も気持ちのいい風が吹いていた。千の風になって。。憲さんがいたような気がする。

夕方からは、Kマートへ。ここはホームデポに返品に行く途中にあり、買いたい物もあったのでCさんを誘ったら、二つ返事で「行きます!行きます。。」  
三人でKマートでゆっくり買い物をしたあと、ホームデポへ。。。返品コーナーはなんと、お店の入り口にあり、いとも簡単に返金してくれた。
理由も聞かれない。。日本もリターンポリシーが取り入れられるようになったが、果たしてここまで簡単にできるのかしら・・・。アメリカのこのシステムは私は気に入っている。
「はーー簡単なんですねえ・・」Cさんも感心していた。

喉が乾いたね。アイスクリーム食べたいね。。の一言で3人は、またまたアラモアナへ・・・
アイスクリームを頂いた後、プレートランチを買い込み、家へ。
我が家でプレートランチで夕食となった。夜はCさんとゆっくりおしゃべり。。楽しかった。

明日は、また三人で、「この木なんの木」で有名なモアナルアガーデンで開かれるフラショウを見に行く。Cさんのナビゲートで行く。無事にいけますように・・・
2007年7月18日(水)
車が、シャワーが。。。

朝からバスに乗って、車の修理工場へ張り切って出かけた。もうバスの乗り方を忘れていて、日本にいるハワイに詳しい友達からスカイプで、乗り方を伝授してもらって大助かり。。世の中は便利になった。感謝、感謝。

行ってみると愛しい黄色の愛車が、ピカピカに磨かれて光っていた。
おそるおそる近づいて点検。わあ、ほとんど新車同様になっている。それもそうだ、車体の左側のドアを全部とり換えたようなものなんだから、、、。外装を見て、まずはほっとした。

実は運転席の左の内装に、憲さんが作った懐かしい引っかき傷がいくつかあった。それも交換されていたら悲しいな、つらいな、と思っていた。どうしても残っていて欲しい傷だった。

それが、うれしいことに残っていた!!!内装はそのままだったのである。
ほっとした、とてもとてもうれしかった。私の、いや、憲さんが楽しんで選んだ黄色の可愛い車が、やっと帰ってきた。これからは、大事にするからね。ごめんね、傷つけて。。。

とても嬉しい気持ちで、キイを受け取りハンドルを握って、家路についた。

今朝、日本から着いているはずの、Cさんから電話があるはずだ。それを待ちながら私は水道やさんの到着も待っていた。洗面所の水道の栓がゆるくなってしまったのだ。憲さんがいないから、何でも専門家にたのむことになる。

日系3世のポールというおじさんが「水道やです・・」と英語で言って入ってきた。
簡単にパッキングを換えて、問題解決。とても簡単だった。

ふと思い出して「ポール、家のシャワーを見てみて。。。旧式で壁にくっついてるでしょ。とっても不便だからハンドル式のシャワーに付け替えたいんだけど、お幾らくらいなの?」と聞いてみた。

言ってみるものである。「ああ、それなら下に停めてある僕のトラックに一つ積んであるから、すぐ取り付けてあげますよ。。」という。お値段もびっくりするほどお手ごろだった。なんだ、そんなものだったのか。。。それならもっと早く頼めばよかった。。あっという間に長年の私の夢がかなってしまった。
シャワーの高さや水圧が理想的になって、うれしい。

車といい、シャワーといい、今日は気分がいい。。
Cさんからも電話が入り、早速会うことに。。。

アラモアナに車で行って、Cさんがハワイ滞在中に使う携帯の手続きをした。Cさんは、お嬢さんと二人でこれから6週間、ハワイに滞在する。以前からのフラの仲間だ。うちのすぐ近くのホテルに滞在する。楽しい滞在になりますように・・・
2007年7月17日(火)
金のホヌ

お昼過ぎ、車の修理工場から電話。「出来ましたよ、明日以降、いつでも取りに来て下さい!」
やっと私の車が戻ってくることになった。2週間はかかるでしょう、、といわれていたので覚悟していたが、8日間で出来たことになる。うれしい!よかった。。。

車のない間、K先生からお借りした車でずいぶん助かった。正味車なしの生活はたった3日だけだったわけで、普通と変わらない生活ができて、ありがたかった。

先日Mさんから「いいものあげるね、、」と頂いたものがある。それは18Kで出来た、小さな海ガメ(ハワイ語ではホヌといい大切にされている)だ。ピアスにぶら下げてもいいし、ペンダントヘッドにしてもいいように細工されている。Mさんが特に注文して作ったピアスの片方で、今は一個しかないが是非もらって欲しい、、と下さったものだ。小指の爪より小さい本当に可愛いホヌ。私はこれをペンダントとして使わせてもらおうと思い、早速今日いつも行くジュエリーショップに出かけて、ペンダントに使えるように細工をしてもらった。これを繊細な金のチェーンに通せば、きっとかわいい。

カラカウア通りをゆっくり歩いて、今回初めてウインドウショッピング。これも楽しい。
毎日こんなことが出来るなんて本当に幸せだと思う。お店を見て歩くだけでも、ここは天国だ。

ここは仲のよいカップルばかりが歩いているように見える。
「夫を亡くした後、仲のよいご夫婦連れを見ると、とても悲しくてね。淋しいものよ。。」という話を聞いたことがあった。私はというと「ああ、あんな時代もあったな、楽しかったな。そうそう、あんな感じだった。。二人でいられる時を大事に過ごして欲しい。。」と思うだけで悲しくも淋しくもならない。むしろほほえましく思う。

帰りにカピオラニパークのフラショウに、、と思っていた。
バンドスタンドに近づいてみると、様子が違う。

今日は今週末のウクレレフェスティバルに向けて、イベントがあるようだ。
何百人ものウクレレ愛好家が、一堂に会して、同じ曲を演奏していた。観客より圧倒的に演奏者が多い。それものんびりと、スローなハワイアンを弾いているのだが、なんの曲かしばらくはわからないくらいテンポが遅い。タイニーバブルス。。とかそんな曲なのだが。。。

初心者の集団だったのかもしれない。それでも、みんなとても楽しそうでいいなあ。。と思った。
ハワイらしい光景だった。こういうのがいいのだ。誰も人のことを気にはしていない。自分が思い切り楽しみたくて演奏している。人のことを気にはかけるが、余計なことは気にしない。。というのがいい。

日本人の性(さが)で、自分のことより人のことが気になる体質を持つ私だが、そこから抜け出したいと思っている。そうすると、とても気が楽になるのだ。それにはまず、自分というものをしっかり持つことが必要で私はまだそこまで到達できないでいる。

その後、別の場所からとてもきれいな歌声が聞こえてきた。おそろいのブルーのTシャツを着た高校生くらいの集団がいた。「パシフィック リム チルドレン コーラス フェスティバル」の会場だった。残念ながらコーラスの演奏は終了していたが、タヒチ、サモア、ハワイ、ニュージーランド。。などから集まった子供たちが解散するところだった。

先生の「アロハ エー アロハ マイ〜」の声を復唱しながら、各集団がゆっくり退場していく。
その歌声とハーモニーの美しかったこと。南の島の少年少女たちの可愛かったこと。。その歌声は、誰が止めるのか、、と思うくらいずっと続いていた。きっとこういう儀式で、会が終了するのが慣わしなのだろう。皆なれたものだった。

夕暮れのカピオラニパークで、思いがけない光景と歌声を聴けて私は幸せだった。

その子たちに混じって歩くとき、思わずハーモニーをつけてみた。響く!響く!!すばらしい和音が感じられた。コーラスの楽しさを改めて思い出した。

明日は車も戻ってくるし、日本からCさん母娘も到着予定。
楽しいことになりそうだ。
2007年7月16日 (月)
新しいお友達

最近、あたらしいお友達が増えてきてうれしい。今日はまた、先日のパーティーで知り合ったIさんのお宅へ伺うことになっていた。
クヒオ通りに面したコンドだ。

とても素敵なエントランス。。。お部屋も37階で広い。
Iさんも関西出身で、なんとなく最初から息が合いそうな気がしていた。言葉のアクセントや話し方でそうと聞かなくてももわかる、なにかがあった。ざっくばらんで楽しい人。

男の子を4人も育ててきたというIさん。それぞれの環境のなかで、生活をしてきて一区切りついた今、こうしてハワイで偶然巡り合ってお友達になった。。不思議な気がする。だからこそ大切にしたいご縁だ。

彼女もフラを趣味としているので、DVDを見たり、実際に動いてみたりして・・・時が過ぎた。

ハワイにいるんだから、何かハワイの文化をと思い立ち、フラの勉強を始めた、、というのならカッコいい理由だが、私の場合は違っていた。重症の「五十肩」のリハビリに、、と始めたのが真相。
それを言うと、Iさんが大声で「私も!!おんなじ!!五十肩のリハビリ、、」と叫んだ。

なにかと共通点の多い、Iさんだった。

Iさんお手製のサンドイッチとおいしいコーヒーでランチ。杏仁豆腐のデザートまで。。感激。
つくづく、普通、女性はこういうことがスラスラとできるんだな。。と感心する。私はスラスラできないから、どうも普通ではない。。困ったものだ。ここはIさんとの共通点はなく、残念!!

帰りはめずらしくクヒオ通りをゆっくりと散歩のつもりで歩いた。やはり身体を動かすと気持ちがいい。太陽をいっぱい浴びて幸せ。

家に帰って、少し休んだ後、久しぶりでジムに行った。ジムの設備が少しきれいになっていた。ワイキキビーチを見下ろしながら、マシンでワークアウト。本当に気分がいい。そのあと、カピオラニパークのフラショウを見に行った。

中年の男性のフラが素敵だった。とても味のある踊り。。
フラは年をとっても、味が出せればすばらしい。。年だけとっている、、というのはダメなんだけれど。。

今日はK先生がコナから帰ってくる日。
車をお返ししなくては。。と、電話を待っていた。
夜の8時半ごろ電話があり、「まだコナにいるけど、もうすぐ帰るからね。。」と。

コナってもっと遠いのかと思っていたら、それから一時間半ほどして「ただいま!」と無事到着。
ここはハワイ島からも近いし、ホノルル空港からも近いのだと、改めて認識した。

「ハワイ島では結婚式に出てきたんだよ。キラウエアまで行ってね。。車で3時間もかかる所だった」。。結婚式がキラウエアで。。ああ、ハワイである。

ともかく、何事もなく車をお返しできてほっとした。とても便利に使わせてもらえてありがたかった。
私の車はいつ出来上がるのか、待ち遠しい。
2007年7月14日(土)
恩人

午後から同じコンドのMさんと、憲さんのお墓に出かけた。K先生がご自分の車を貸してくださったので、大いに助かる。Mさんが白い菊の鉢植えを下さって、早速それを持ってお墓へ。。。

お墓の清掃グッズが、私の車の中に入っていて、それごと修理工場に行っているので今日はタオルを一枚だけ持っていった。墓石というものがないから、水を掛けたり洗ったりすることはない。今日はタオルでプレートをふきあげるだけ。。。

Mさんとゆっくりお墓の前でお話をした。

Mさんは憲さんが一年前のあの夜、救急車で運ばれるとき、偶然コンドの玄関にいらして私を見つけると手を取って励ましてくれて、私と一緒に憲さんに大声で「パパ!頑張って!!」と声をかけ続けてくれた人。

そして憲さんと一緒に救急車で運ばれた病院の控え室で一人きりで心細い思いでいた私の元に、取るものもとりあえずと、財布だけを握り締めてタクシーで駆けつけてくれた人。。。

Mさんは、最近になってゆっくりお話しするようになったけれど、あの時はまだお名前も知らなかった。
でもMさんは、当時から私達夫婦のことを知ってくださっていたようで、本当に親身になって下さったのだ。

あのときMさんが病院で私とともにいてくださって、憲さんが亡くなったことを告げる医師の話も私と一緒に聞いて下った。そして、その後のすべてを見守って下っていたことが、それだけ心強かったことか・・・。

いまさらながら、それが思い出されてお墓の前で、二人で泣いた。一生のうちの、あんなに心細く、悲しいときに。。本当にありがたかったのよ。。。
Mさんのご恩を忘れることはない。

そのあと「元気出さなきゃ!!」とMさんが道案内をしてくれて、カイムキへ出かけた。
地元の人しかいかないレストランやお店がならんでいる。野菜も新鮮で安い!!
私は大根と、ウオータークレスを買った。おいしそう!!

お腹も空いたね、と、ベトナム料理屋さんへ行ってフォーを食べた。Mさんはカオで、レストランの人と親しそうだった。Mさんは本当にいろいろなお店を知っていたり、話を聞いているだけで私も、ハワイ通になれそう。

車をもっと乗りこなして、いろいろな町に行ってみよう。。と思った。
車、早く直ってこないかな・・・・

K先生の車も乗りやすく、快適だ。毎日使わせてもらっている。
でも先生は今頃、心配してるだろうな。。
キョウコはまたどこかにぶつけてないかな??と・・・

今のところは、大丈夫よ、先生!!
2007年7月13日(金)
短縮レッスン

昨夜は明け方近くまで何故か眠れず、本を読んだり、夜食を食べてみたり。。気ままに過ごした。当然起きるのが遅くなったが、今日のフラレッスンは夕方からなので、ゆったり構えて過ごすことにした。

今夜から4日間、ハワイ島のコナへ出かけるK先生が空港へ行く直前にレッスンをしてくださることになっている。その前に練習をと、じっくり時間をかけて踊ってみた。さすがにハワイは暑い。汗がふき出す。でも部屋に風が通るのでとても気持ちがいい。

先生はコナ行きの直前、ご自分の車でわが家まで来てレッスンをし、コナへ同行するお友達の車が迎えに来て、空港へ・・・というつもりだったらしい。ところがマノアのお家に携帯を忘れてきたために、ほとんど家まで着いていたのに、もう一度マノアへ引き返す時間がかかってしまって、予定が大幅に狂った。

ハワイでは、こんなことはどこででも起こる。A型の私も、もうかなり慣れっこになって、めったなことではいらいらしなくなった。こういう「慣れ」がいいことなのかどうかは別問題だが。。

「もう!!先生ったら!携帯は先生の命なんでしょ?忘れちゃダメですよ!!この間もなくしたばかりじゃないですか!今日はもうレッスンはいいですから。。早く空港へ行って!!」「いや、いやまだ大丈夫、レッスンはできるよ。。」

で、短縮レッスンと相成り、ありがたいことに?、基本レッスン抜きでいきなりたて続けに曲を踊ることになった。

なかなか私自身の課題は解決しないのだが「うん、まあ、少しずつ良くはなってきたよ、、」とは、言ってもらえた。

「でもね。。。」と先生はちっとも満足そうではないし、私ももちろん満足ではない。「今僕がアナタにずーっと言っていることをね、これをアナタの身体が覚えればね、もっともっとよくなる。。なんでも踊れるようになる。それがわかっているから何度も何度も言うんだよ、わかってるね?もう少しなんだよ。そう思って、練習練習!」そう言い残して、先生は迎えに来たお友達の車に飛び乗って、空港へ。。。

数ヶ月間のスランプからちょっとだけ抜けだしかけている私には、ここ数ヶ月同じことを繰り返している先生の言葉を、今日はいままでより少し明るく受け止めることができたような気がした。

「車がなくて不便でしょ??僕がいない間、車、使ってくれていいからね」と言われていたので、ありがたくお言葉に甘えることにした。「ハイ!」と渡されたキイホルダーには、車のキイのほかに、もう一つの鍵が。。。

「先生、これ、なんの鍵?」「あ、それ、僕の家の鍵。。」

本当に なんておおらかなんですか?
お家の鍵までお預かりしてよろしいんでしょうか??

このおおらかさは、K先生だからではないような気がする。ハワイアンだからなのだ。先月、先生の故郷カウアイ島へツアーで行ったとき、会ったあのオープンマインドな人々。人を信じきっている温かい表情・・・。

それに接することができてうれしいと思う。先生は長年ホノルルにいても、その心を持ち続けているのだろう。

世の中には自分以外の人を信じられず、いや自分をも信じられない人間があふれているのに・・・

無防備で生きられることって、なんて幸せで贅沢なことか・・・

早速、先生のトヨタに乗ってお買い物に・・。やはり車はありがたい。

良く考えたら、先生は私の運転技術は、信じていないはずだ。
日本でも「ホントにダイジョウブ?アブナイヨ〜」といいながら、ヨコから私の運転を見ていたような気がする。それに一ヶ月前には、車を派手にこすった私なのだ。充分に不安材料は揃っている。

それなのに、大事な鍵を渡してくれて・・
その勇気と温かさに感謝だ。大事に乗らなきゃ!!

夜は、同じコンドのMさんがいらしておしゃべり。ハスのキャンドルホルダーが憲さんの写真の前で輝いているのをみて、やはりここに似合うわね。。と喜んでくださった。明日、二人で憲さんのお墓に行くことになった。

来週はまた先日のパーティーで知り合った新しいお友達と会うことになっている。
ハワイでもお友達の輪が広がって、楽しい。
憲さんも安心してくれていることだろう。
2007年7月12日(木)
キャンドルホルダー

今日は同じコンドでお友達になった、Sさんのお宅にはじjめて伺う日。もう32年くらいハワイにお住まいで、最近リタイアなさった日本人ご夫妻のお家だ。長年ここに居るのに、先日はじめてお会いして、その日から「是非また会いましょう!」と積極的で人懐っこいSさんが、誘ってくださった。
昨日いただいた電話は「冷麦を冷たーーくして一緒に食べましょう!」というお誘いだった。冷麦も美味しかったが、話も弾み時間があっという間に過ぎた。

Sさんご夫妻はアラモアナの近くの超高級マンションから引っ越してこられたという。今流行のキラキラした鏡張りのようなビルディング(高級コンド)が、林立していてため息が出そうな素敵なあのあたりから。。。私からすれば、なぜまたこの古いコンドへ移って来たの?と聞きたかった。

意外ににも、あのあたりは排気ガスが多く、ハワイのこの素晴らしい風を取り入れる建て方ではないので、全館エアコンで、下の道路からの車の音がうるさく、すぐ近くのアラモアナショッピングセンターに行くのでさえ、車が必要で年輩の人にとっては決していいロケーションではないとのこと。文句なしに、オーシャンビューなんだけれど、夜景は真っ黒。怖いくらいに・・。それってつまらないもんなんですよ。。と。羨ましいほどのコンドでも、いろいろあるらしい。

憲さんと車であのあたりを通るとき、高級コンドを見上げながら「ここは老人には住みにくいだろうね。ビーチに出るにも広い道路を渡らなければならない。車の量はとても多い。やはり家のほうが家はモダンじゃないけど、暮らすにはいいかもね。。。」やっかみ?半分にそう言っていたことが、本当だったらしい。「その点、ここは風が吹き抜ける構造のハワイらしい建て方。静か。景色もいい。さえぎるもののない立地条件。いいですよ、ここは!!」Sさんに力説されて、ああ、憲さんの意見は正しかったんだと、嬉しくなった。

5時からフラレッスンの予定だったが、明日に変更になった。
それでは。。とアラモアナへ久しぶりにバスで出かけた。車のない生活が続いている。必要なものを買うと長居は無用とばかり、家へ帰ることにした。食料を買った後はなるべく早く帰らないと。。。

バスを待ったが、なかなか来ない。そこで最近ワイキキトロリーにJCBカードを提示すれば無料で乗れるようになったことを思い出し、JCBカードを用意して乗り場に向かった。トロリーはすぐに来て、本当にJCBカードで無料で乗れた。今まで使いにくかったトロリーが足の一つになる。これも楽しくていい。久しぶりでトロリーに揺られて、あちこちの停留所を経由しながら時間をかけて帰ってきた。家の近くのホテルまできてくれるので助かる。

夜、同じコンドのMさんから電話。「お家のドアのノブに、お渡ししたいものを掛けておきましたから、見て下さい。それを受け取ってね。ご主人の一周忌に、なにか。。と思ってね。憲さんのお写真の前に置いてくださいね」ノブに掛けられていたのは、重い紙袋。開けてみると、とても素敵なキャンドルホルダーだった。ハスの花をモチーフにした重厚で、なめらかなクリスタル製で、大、小二つが入っていた。デンマークの有名な会社のもの。そこに入れるキャンドルまで沢山添えてあった。

Mさんにお礼のお電話を入れると「あのやさしい形が、とても気に入ったの。それにローソクを入れて火をともしてみて!ホワーンとした光で心が落ち着くから。。。あの形だったら、安全だし、憲さんのお写真の前に、似合うだろうと思って、、もらってくれてありがとう」と。
こんな思いをもっていてくれながら、ドアのノブにそっと贈り物を掛けて行ってくれたMさん、本当にありがとう。早速ローソクをともしてみると、なるほど温かい灯火がホワーンと広がってあたりが明るくなる。これから毎晩、この灯りをともそうと思う。

7月に入って、憲さんの一周忌(7月28日)が近づくにつれて、私の心が落ち着かなくなってきている。一年前の今日は・・と思い返すたびに、二人ともなにも知らずあの悲しい日に向かって日々を過ごしていたのだと思うと、たまらなくなってくる。悲しみのカウントダウンだったのに、私たちはなにも知らずに暮らしていた。一周忌は私一人でハワイで静かに過ごそうと決心していたのだが、それは耐え難いことのように思えてきた。

11月に出産を控えたドイツの次女は無理だが、やはり、長女と一緒にここでその日を迎えたいと思うようになった。今日、長女にメールを打つとすぐに「私もそう思っていた」と返事が来た。次女も「それがいいと思うよ」と返事をくれた。急なことだったが、27日から3泊5日で長女が来てくれることになった。肩の力が抜けて楽になったような気がした。
2007年7月11日(水)
電卓片手にミーティング

今日はめずらしく朝から雲が多い。でも、雨は降らなかった。ノースショアでは水不足になっているらしい。大雨が一日だけ欲しいところだ。。先日も自然発火で山火事があったし。。乾燥しきっているオオアフ島だ。

車がないと、特に出かけることもしたくないし、なんとなくボーっとして過ごしてお昼になった。
先日お知り合いになった、このコンドの住人の日本人の奥様からお電話。
明日、冷麦でも食べに来ませんか??とのことだった。お言葉に甘えて明日、冷たーーい冷麦ランチをいただきに、彼女のお家へ行く。楽しみだ。

夕方近くなって、K先生から電話。あと2時間ほどしたら家へ来る、、という。やっとミーティングができる。よかった!!

5時過ぎ、先生登場。
「おかえりなさーーい」と部屋に入ってきた。
それを言うなら「ただいま」でしょう?と言ってみたけど、「ただいま!」もちょっとヘン。

約20項目の、懸案事項を話し合う。
11月のプロジェクトの話、ツアーの話、それ以外の仕事の話。。。
フラのこととか、楽しい企画の立案はまだいい。お互い、数字に弱いので、お金の話になると目が点になる。

いや、先生は本当は数学的には数に強いのだ。。。
なんでもドル建てで考える先生と、円建てで物を考える私なので「??」と言ったきり、二人とも黙ってしまうことになる。まして、数字を英語で言われても、4桁以上になるともうわからない。電卓を駆使して考える。。。大変だ。

先生は欲のない人なので、仕事の値段の設定はまず苦手。
「おいくらでしょうか?」と聞かれると、自分のする仕事への正当な報酬なのにとたんに目が泳ぎ、私の顔を見る。。「どうしよう??」と訴えてくる。
「私は知りませんよ、先生の仕事でしょう?」と私はいつも同じ返事をする。
周りの人もそれをよく知っていて「また、今日も先生の目が泳いでましたね。。」という。

よくそれで仕事の話ができるなあ、と思うが、不思議に何とかなるものである。少なくとも今まではなんとか無事に仕事をしてこれた。フラ仲間の大きな尽力があり、先生に余計な欲がないからいいのだろう。
本当にありがたいことだと思う。

少し前までは、ほとんど英語だったのに、日本に長期滞在して以来、二人で話すときは日本語が普通になった。「私の日本語ヘンでしょう?だめでしょう?」と先生が盛んに聞く。ハワイに帰ってからまったく使わなくなったから。。と。でもそんなことはない。抵抗なく、なめらかに日本語が出るようになっている。

最近、日本の生徒さんからK先生と私へ、、と沢山のお菓子が送られてきた。それを今日先生と楽しみながら、眺め、封を切り、味わった。うれしかった。先生も心から楽しそうだった。先生のお友達にわけてね。。と沢山持って帰ってもらった。

先生の周りのお友達に、きっと自慢げに分けることだろう。「これ、日本の友達から、、!!」って。先生は私たち生徒のことを決して「僕の生徒」とは呼ばない。私を友達に紹介するときは、必ず「僕の友達のキョウコです」というふうに言う。いかにも先生らしい。

お菓子の入った大きな紙袋を提げて、先生は元気に帰って行った。
「じゃね、またあした。ありがとう!!ネ」

明日はフラレッスンをしてもらう予定。思えばこの頃、仕事優先でレッスンは後回しだった。
自分で練習することがなにより重要だということがわかってから、先生に見てもらうレッスンの回数が減っても気にならなくなった。ちょっとだけ、生徒として、成長?したのかも。。

そのあとまた私は夕方のフラショウを見に。。毎日いいフラを見られて幸せ。
今日はケイキフラの上手なハラウだった。子供の方がきれいに踊る。。純な踊りだ。うらやましいほどの、透明感のある踊り。いいものを見た、という感じだった。

帰宅すると先生から電話が入った。「さっきの話の続きだけど。。」と仕事のこと。納得のいくまで、話し合う。
話に数字が出てきて大変だったけど、お互いに「うーんと。。ちょっと待ってよぉ、、」といいながら、また電卓片手になんとか解決。

今日は一挙に、仕事が進みほっとした。
2007年7月10日(火)
ごめん、ね。

今日からは車もないし、特に予定がない日。
とはいえ、K先生とのお仕事の件で、e−メールのやり取りが頻繁になっている。K先生から来た書類を和訳して、まとめて日本の仲間へ・・

今日は一日PCの前に座って過ごした。昨日、K先生からの電話では、今日我が家でミーティングということになっていた。「その前に電話するね!」ということだったので、電話が入ってから準備をすればいい。。くらいのハワイアンな気持ちで待っていたが、とうとう夕方まで先生から電話はなかった。
「やっぱりね。。でもまあいいわ」と思っていた。

今日はどうせ、休養日だと思っていたし、お陰で事務的な仕事はほとんど済んでしまった。
逆にほっとしていた。

夕方になっていくらなんでも運動不足、これはまずい。。と思い、カピオラニパークに向かう。気持ちよく風が吹き渡り、本当に最高。バンドスタンドの方にゆっくり歩いていくと、丁度フラショウの時間になった。なんと、二日続けて今日もマリア ピーターセンが出演!!もう一人の女性ダンサーも、フラハラウのカムエラで踊っているベテランだった。もう最高!!

なんとも美しい足の運び、上半身の緩やかさ。。最前列で見とれてしまった。昨日もそうだったが、マリアが私の顔を見て、知っている人のように笑いかけてくれる。クヒオのトーチライティングショウを何度も何度も最前列で見ているおばさんを覚えてくれたのだろうか??こういうことってとても嬉しい。
勘違いでも、嬉しい。人には笑顔で接すること・・・大事なことだ。

ウチへ帰ってしばらくすると、K先生から電話。日本語を駆使して電話の向うで謝っている。

「ごめんね。今日、わたしはそちらに行きませんでしたでしょ?」「ハイ、ハイ、そうね、今日、先生は来ませんでしたね。どうしたの?」「ごめんね、忙しかった・・の!」「大丈夫よ、じゃ、いつ来れるの?」「明日は行けます。お昼から。。多分ね。朝、電話します。ごめん、ね。ホントニ・・ヘヘヘ。。」

先生と日本語で話すときは、なぜか、私はいつも小さい子と話す口調になっている。一番日本語を話す機会が多いのは私とだから、私の口調を先生は模倣する。だから先生の日本語はとてもやさしい。

だから「今日、わたしははいけませんでしたでしょ?だからごめん、、ね。 あしたは、多分いけます、よ。ほんとにごめんなさい、ね。じゃ、あした、ありがと、ね」という具合だ。

この電話で「では、明日何時に。。」とはっきり約束すればいいものを、いつも「また電話します、よ」で終わってしまうのが、K先生のスタイル。というか、私もしっかりそのペースで話をしている。慣れというのは恐ろしい。「じゃね、明日電話くださーーい」と電話を切った。

明日こそは、先生を捕まえて、きちんと仕事の話をしなくては。。沢山の懸案事項を書き留める。
こうしていても次から次へと、変更事項や新しいことが飛び込んでくる。

インターネットがなかったら、とてもできることではない仕事をこうしてこなしているのが、不思議だ。フラを始めたお陰で、私の世界はまったく変わってしまった。一つ一つの仕事を大切に楽しんでいこうと思う。

あしたは、果たしてK先生とミーティングができるのだろうか?
スリル満点だ。電話下さい、ね。
2007年7月9日(月)
T子さん帰国。。

朝、7時には二人とも起きて、T子さんは帰国の準備、私は簡単な朝食の用意。T子さんは。その間に掃除までしてくれていた。ありがとう!!

わずかな時間の中で、T子さんは家のコンドの前にある、ウィリウィリの木から落ちるきれいな赤い実を拾いに出て行った。この実は、真っ赤でちょっとハート型にもみえる、小さなビタミン剤のサイズだ。本当に可愛くて大好き。

ところが最近コンドのエレベーターのなかに、お知らせが貼ってあってそれによると「ウィリウィリの木が近くホノルル市によって切り倒される、、」らしい。私がエレベーターに乗るのは1階から4階までだけ、ものの数十秒でその文章を全部読むのは不可能だ。英語なんだから。。。

それで、コンドのマネージャーやセキュリティの人に聞いてみたら、「やはりアノ木は病気で枯れてしまって、切り倒すしかない。。」と悲しそうに言う。憲さんと競うように赤い実を拾って楽しんだのに、友達も喜んで拾って帰ったのに、残念だ。世の中はドンドン変わっていく。。。ホントに悲しいな。。そこまで考えていた。

T子さんもそれを知って、今のうちに、、とその赤い実を拾いに出かけたのだ。出発前の慌しいときに。収穫は少しだったが、日本に大事に持って帰る、、とラップに包んでバッグにしまいこんだ。最後までハワイを楽しんでくれているようで、うれしかった。

9時半すぎ、元気にシャトルバスに乗り込んだT子さんを送って、私はすぐに車を修理工場に持っていった。
約2週間かかるという。予想より長かったが、しかたがない。まず、その修理工場から家までどうして帰ろうか??バスは、何番?ワイキキへ帰りたいの。。というと、修理担当のダンが「ちょっとまって!」と私を連れて走り出し、今にも動き出しそうになっている一台のトラックに合図した。

先日ここへ始めてきたときに会った、ハルさんというオーナーのおばあちゃんがトラックに乗ってアラモアナへ買い物に行くところだった。80歳だというのに、元気なものだ。「どこいくの?ワイキキ?ああ、いいよ、乗って乗って!!」アラモアナとは明らかに逆なのに、遠回りをしてくれて家まで送ってくれた。
熊本と広島出身の両親から生まれた日本人だが、ハワイ生まれで、英語の方が得意。
たのしい方言が混じった日本語で元気一杯な人だ。「またね。。じゃ、バイバイ」と彼女はアラモアナへと去っていった。

夕方、同じコンドにすむMさんから電話。話しているうちに、私はとんでもない誤解をしていたことがわかった。近く切り倒されるという木は、あの赤い実のウィリウィリの木とは別物で、ウチのコンドの入り口と駐車場の前にあるまったく違う種類の古木3本だということがわかった。

「やだ!私、アノ赤い実が拾えなくなるのかと思って悲しかったの、、違うの?ああーーよかった、そうなんだ。完全なる勘違いだった。。」
こんな間違いは逆にありがたい。ああ、本当に嬉しい!!

夕方しばらく行けなかった、夕方のフラショウを見に一人で出かけた。
場所は、クヒオビーチの舞台が工事中なので、今日もカピオラニパークのバンドスタンド。
幸運なことに今日はマリア ピーターセンともう一人とても細い若い女性の出演だった。

相変わらす、マリアは素敵。踊りがこなれて円熟味が出てきた何かが変わったような気がした。自分のチームを作り本当にプロとして動き出した彼女は、確かに前と違っていた。手の動きも足の動きも。。とても興味深かった。深みが出ていて素晴らしかった。それに、パパリナ。。やレイナニ、ナニカウアイと言った、私たちに馴染みの曲をドンドン踊ってくれて・・。

また、もう一人のとてもスリムなダンサーの動きを見て、とても勉強になった。「キョウコさんは細いから人と踊りのテンポが違って見えるのかも、、」と言われたことがあったが、確かにそうかもしれない。よほどゆったり動かないと、急いでいるように見える。K先生にいつもいつも言われることがわかったような気がした。ああ、太りたい!!!

明日もまたフラを見にこよう!そう思って、ゆっくり歩いて帰ると8時前。
それから夕食で、丁度いい時間だ。
明日からはジムにも行かなきゃ。。
2007年7月8日(日)
稲庭うどん

初めてT子さんが、バスで遠出する。アラモアナのバス乗り場まで車で送って、「ここから乗るのよ!」と別れた。行く先は、エマ王女の夏の宮殿。インテリアに興味がある彼女は、ビクトリア調の建物や家具が見たいということだった。私はそれより、フラ。。。で、別行動になった。

私はアラモアナに彼女を送ったあと、家に帰り、車をおくとすぐに、徒歩でロイヤルハワイアンホテルの庭で開かれる「フラ・ホオラウナ・アロハ」の会場へ向かった。一般に公開はしていないJAL主催の日本人フラダンサーのためのフラコンペティションだ。

ゲストとして、地元の有名ハラウやミュージシャンが多数出演するので、私にはそれが楽しみだった。
一般に公開していないが、ハワイ州のID(運転免許証)を提示すると、無料で入場できる。
丁度パフォーマンスが始まったばかりで、なんとか間に合った。

カピオラニハオ、サニーチン、スノーバードベント、 マヌボイド、エドコリアというそうそうたるクムが率いるハラウのカヒコが次々と披露され、素晴らしかった。本物は違う!贅沢な時間だった。

それが終わるころ、丁度 夏の宮殿観光を終えたT子さんと電話で連絡をとりあって、私はまた車でアラモアナへ。。二人で「バッバ ガンプ」で食事をしたあと、私はドンキホーテへ。T子さんにとっては、今日が最後の買い物のチャンスだし、アラモアナを見てまわりたいというのでまた別行動。

私は明日、こすってしまったドアの修理に車を修理工場に出すことになっているので、しばらくは車なしの生活になる。だから今日のうちに、大きなものの買い物をしておきたかった。チェリーコークを買い込み、食糧を調達し・・・家に戻った。

暗くなってからバスで帰宅したT子さんは、カハラにある高級ホテルに行きたいという。インテリアが素晴らしいから、是非見てみたいと。。車で15分くらいなので、出かけることに。。私はここへ夜行くのは初めてだったが、いかにも高級ホテルの空気が漂い、素敵だった。ワイキキのホテル群とはわけが違う。

アラモアナで頂いたバッバガンプのエビ料理がいつになく美味しくなかったので、埋め合わせに、、と、カハラのホテルの日本食レストランで、軽くおうどんを食べることにした。一応ふれこみは「稲庭うどん」なのだが、具は刻んだ三つ葉だけ。。他にはなーーんにも入っていない。「ね、かまぼこくらい入ってて欲しいよね。。」と二人でつぶやきながら、それでも美味しく頂いて、今日の予定終了。

明日は9時半のシャトルバスで、T子さんは空港に向かい帰国。
私は10時前に、車を修理工場へ持っていくことになっている。
T子さん滞在中、車がフルに使えてよかった。。
これから約2週間、車なしの生活だ。しばらく憲さんのお墓へも行けないけど、ごめんね、憲さん。

どこへ行くにもバスで、徒歩で。。これもまた楽しいだろう。
2007年7月7日(土)
天国の海 ラニカイビーチ

朝から「今日は遠いところまでドライブしましょう!」とT子さんと準備をした。海に入るかも知れないから、タオル。ビーチに座るからゴザ。日焼け止め。ちょっとしたおやつ。冷えたチェリーコークをアイスボックスに入れて・・・なぜか思いっきり熱いお茶まで魔法瓶につめて。。カメラでしょ、帽子でしょ・・それだけで大変。朝食抜きで、出発。

私にとってはまたこのドライブは大冒険。もう地図はいらないけれど、曲がるところを一つ間違うと大変なことになる。メモ用紙に大体のコースを書き出して、頭の中でシミュレーションをする。

ハワイならではのきれいな海岸線を、T子さんに見せたくて張り切ってハンドルを握った。
憲さんと朝食抜きでドライブするときは、いつも寄ったマクドナルドのワイマナロ店で、朝食代わりのバーガーを食べた。懐かしさがこみ上げる。

さてT子さんに見てほしかったのは、マカプウビーチの鮮やかな濃いブルーの海、ワイマナロのエメラルドグリーンの海、そしてグラデーションの美しいカイルアビーチ、極めつけはラニカイビーチ!!だった。 

ラニカイビーチには駐車場がなく土曜の今日などは、とてもダメだろうと思っていたら、丁度ビーチアクセスの近くに駐車することができた。ラッキーだった。ついにT子さんと二人で夢のラニカイビーチへ。ハワイ語で「天国の海」と呼ばれるこのビーチは本当に美しい。人が少なくて、真っ白な砂がまぶしい。

ああ、ここを見せてあげられてよかった。。とほっとした。

カネオヘ湾の5色の海、そしてチャイナマンズハットの島が浮かぶクアロアビーチへと、車を飛ばした。
クアロアビーチも懐かしいところ。憲さんとよくお寿司を買ってきては、海を眺めながら食べた。そんな思い出の場所で今日はT子さんと、ゴザを広げて寝転んで空を眺めた。
「ああ、幸せね、気持ちいいわ」。。。

一年前、憲さんとの最後のドライブでお互いの写真を撮り合ったのもここだった。彼が私を撮ってくれた最後の写真はここの海辺だった。。私の気持ちは複雑だった。T子さんとここにいるのは、とても幸せだし、うれしく、楽しい。

でもここは悲しい思い出の場所でもある。普段は忘れていても、ふとしたときに蘇ってくる思い出と、現実との間で心のせめぎ合いがまだまだ続いている。

帰り道、ウインドワードを通ったとき、憲さんと通いつめたなつかしいバーガーショップが目に入った。
もうだめだった。先月カウアイ島で、いきなりフラッシュバックして、涙が止まらなくなったのと同じ気持ちが襲ってきた。幸い、助手席のT子さんは、ウトウトしていて気づいていなかったが、息ができなくなるほど胸の奥から嗚咽がこみ上げてきた。なんとか深呼吸して、それを抑えるのがやっとだった。
まだまだダメだなあ。。。しかたがないよね、憲さん。

無事ドライブも終わり、家に帰ったのが5時。それから、私たちにはもう一つ楽しみがあった。
K先生のショウを見に行くことだった。7時半にビーチコマーホテルの劇場へ。。楽屋入りしてきた先生と会う。そして、いつものように会場に案内されて入ってくと、入り口のお兄さんが私の顔を見て、いかにも親しそうに話しかけてきた。「ようこそ、また、来てくれたんですね。あなたはよくここへ来るでしょ?よーく覚えていますよ。ここでは貴女はもうカオですね!」・・・

すっかり私は顔を覚えられたらしい。確かに私はよく通っている。今回もすでに2回目。いつ見ても楽しいから私には実感がないが、おそらく30回以上見てるかも。。なにかマイレージみたいな特典はないものだろうか?

先生はいつものようにキレよく、楽しそうに踊っていて、T子さんも感激の面持ち。
ショウの後、先生と一緒に写真を撮ってもらってT子さんも嬉しそうだった。ああよかった。。

お腹が空いていたので、ショウのあと二人でチーズケーキファクトリーで夕食。さすがに9時半を過ぎていたので、すいていたがそれでも10分待たされた。大人気のレストランである。とにかくボリュームがすごい。アメリカ!!っていう感じ。

ハワイを楽しんで明後日は帰国するT子さん。明日はバスに乗って一人でどうしても見たいという、エンマ王女の夏の宮殿に向かう予定。バスの本を見て、地図を見てその予習に余念がない。

明日は初めての別行動で、私はフラを見に行く。うまく行きますように。。
2007年7月6日(金)
還暦祝いパーティ at ハレクラニ

朝食はT子さんの作ってくれたフレンチトースト,それに果物とコーヒー。ちょっとおしゃれな感じ。

お昼前からT子さんのリクエストでカハラモールへ。私はここのシナボンが大好きだ。今日はランチ代わりにミニシナボンと、シナモンスティック、それにスタバのカフェラテを。。。

今日からサイドウォークセールが始まったらしく、駐車場がいやに混んでいた。知らないできたものの、あまりのお手ごろ価格に、ついGパンと、Tーシャツを2枚買ってしまった。このGパンがなんと、サイズ0(ゼロ)。私にも窮屈なほど。。。でもとても気に入ったので買った。思わぬ収穫でうれしかった。

3時に帰宅。T子さんと私は今夜は別行動の予定。
私はお友達のF氏の還暦のお祝いパーティーに出かける予定だ。会場はホテルハレクラニ。
T子さんは昨日オーダーした、ハワイアンジュエリーを取りに、そのお店へ。。そしてワイキキあたりを一人で楽しむという。

6時からのパーティーに、グリーンのムウムウで出かけた。ハワイはムウムウとちょっとしたアクセサリーがあれは、正装になるのでうれしい。ハレクラニの有名なカノエ ミラーさんの夕方のフラショウをパーティー会場のテラスから見ることができて感激だった。手が長く、とても優雅。私が踊るフラとはまるで、別物だった。ハワイの空気に溶け込んで、すばらしかった。

パーティーには80名の人がお祝いにかけつけた。主役であるF氏が、自ら司会進行を担当、楽しく、また感動的なパーティーになった。若いときにハワイに渡り、苦労をしながらもよき伴侶に恵まれ、ご夫婦で会社を興し、今の地位を築いた人である。赤の頭巾の代わりに真っ赤なハンティング、チャンチャンコの代わり仁赤のジャンパーを着たF氏は、「なんだか、サンタクロースみたいね。。。」などといわれながら、満面の笑みで、とても幸せそうだった。

10日後には、ご夫婦で地中海クルーズに出かけるとか。。今、絶好調のご夫妻である。お子さんたちにも恵まれ、立派な跡取りに成長されること間違いなし!だし、万々歳だ。

私とF氏はほぼ同い年、これからもますます仕事に励まれるよう、祈りたい。

このパーティーで、私は二人の新しいお友達ができたし、以前から知っているショーンが、このパーティーに招待されいて「あなた、なぜ、ここに??」とお互いに驚いたり。。楽しかった。

パーティーが終わってT子さんの携帯に電話をしてみると、ワイキキで食事中だという。気の毒に一人で食事なのね。。と思って早速そこへ駆けつけてみると、なんと見知らぬ男女一組と一緒。。

聞いてみると、明日日本へ帰るという新婚旅行中の若いお二人と、そのレストランの前で遭遇。「一緒にお食事しましょう」。。ということになったらしい。それで、三人でテーブルを囲んでいたというわけ。「あら、新婚さんなのに、それにハワイ最後のディナーだったのに、お邪魔しまして。、、スミマセンでしたね」と私はその新婚さんにお詫びはしたけれど、結構楽しく過ごせたようで、よかった、よかった。

初めて単独行動をして、少し疲れ気味のT子さんと二人ですぐに家へ戻った。
今日は、さすがに私もクタクタで、ソファーに倒れこみ、二人でボーーっと夜を過ごした。
それでも、おしゃべりは絶えることはなかった。恐るべし??パワーである。
2007年7月5日(木)
ロイヤルハワイアンホテルで・・

昨夜は花火の楽しさで、目が冴えてしまったこともあって、T子さんと深夜までおしゃべり。「目が覚めたときが朝。っていうことで、お互いにゆっくり寝ましょうね!!」とベッドに入ったので、二人とも起きたのが9時半過ぎ。ここが女同士の気安さ、ハワイをのんびり楽しめばいいわね。。とゆっくり過ごす。ダイヤモンドヘッドの眺めを楽しみながら、T子さんとおしゃべり。

私たちの出会いは娘の幼稚園のお母さん同士としてだった。数年にわたって親しいご近所付き合い、その後お互いに引っ越して音信も途絶え勝ちだった期間を経て、子供達が社会人になったころに再び近い存在になり、ここにこうして二人でいる・・・本当に不思議なご縁ね。。。と繰り返し彼女は言う。私も感慨深いものがある。幼稚園バスの送迎時間に毎日会っていたころ、まだ20代の私たちだった。私の母もいたし、若い憲さんも。。
そんなお互いの生活の長い歴史を知っている二人が、ここで一緒に過ごしている。。「しかも、ハワイでよ。30年前、こんなこと、誰が想像できた?ね?不思議よね・・・」T子さんがまたつぶやく。本当にそうだし、お互いがありがたい存在だということに、感謝したい気持ちになる。子供も育て上げ、今までお互い、よくやってきたね。。って思う。照れるから、そんなことは口に出しては言わないけれど、この時間はそのご褒美だと私は思っていた。

午後からこのあたりをぶらぶらしましょう。。と言うことになって、カラカウア通りを散歩する。彼女が欲しいと言っていたハワイアンジュエリーのお店に。。お嬢さんのためにペンダントを注文する。
「やすらぎ」というハワイ語(Walea)を彫りこんでもらい裏にはお嬢さんの名前を。。素敵に出来上がりそう。出来上がりは明日。楽しみだ。

帰りにピンクパレス、ロイヤルハワイアンホテルに立ち寄りビーチに面したマイタイバーで、おそいランチ。青い空と、海。ピンクと白のパラソルの美しいこと。生演奏と、きれいなフラも見ることが出来た。至福のとき。。二人でゆっくりおしゃべりしていたら、隣の席のもの慣れた様子の日本男性から「ハワイはいいですね。昨日の花火、見ましたか?」と声がかかった。普通に受けこたえをしていたが、そのうちT子さんが席をはずした間に、その男性、私のテーブルの椅子に座りにきて、イヤに親しげに話しかけてくる。自分はヨガを教えているだとか、別れた奥さんと子供に会うためにハワイに来ているとか、私はこう見えても、もう57歳なんですよ。。とか・・・私にしてみれば「あら、そうですか。。。だから、なんなんですか?」という話が続いた。

T子さんはなかなか帰ってこないし、困ってしまった。そのうち本当に別れた奥さんとの娘が現われた。「このレディとちょっとお話しているんだよ」その男の人は英語で、娘に説明した。その可愛いハーフの娘さん曰く「ハーイ、会えて嬉しいわ。ダディと楽しくね!」っていうとどこかへ行ってしまった。
楽しくね!たって、楽しくなんかありません!

私があまり話しに乗らないものだから、男性も「じゃ、また」と行ってしまった。ようやく席に戻ってきたT子さんに、事の成り行きを話すと「ナンパされかけたのかしら?イヤだ!!」と笑い飛ばす。「そうよ、あなたがいないスキにね。。どう??」と私も負けていない。何はともあれ、ロマンティックなロケーションでこんなことがあるなんて、まあ、いいんじゃない?!と二人で元気に家路についた。

帰り道、いつものようにホテルマリオットのロビーを通りぬけようとしたら、めずらしくギターの生演奏でハワイアンを歌っている男性歌手がいた。辺りにはほとんど誰もいず、声があたりに溶け込んでいて、ロビーのバック音楽か?と思うくらいだったが、とてもうまいシンガーだった。ロビーのテーブルには、彼にリクエストができるように持ち歌のメニューがおいてあった。ソファーに座ってそれを眺めていたら、T子さんが「なにか踊って!ね、なにかリクエストしてさ!ほらほら。。!」と言い出して、私もなんとなく踊りたい気持ちになってきた。。その歌手も私たちの気配に気がついて「何か、歌いましょうか?踊りますか?」と聞いてくれた。
「じゃあ、パパリナラヒラヒを。。。」と踊ることにした。
お客さんがT子さんを含めて3人くらいしかいなかったが、気持ちのよいお花一杯のロビーで靴を脱ぎ捨て、Gパン姿でパパリナ。。を踊ってしまった・・・。これもハワイだからできること。。楽しかった。
夕食は、T子さんの提案で、家でご飯を炊いて塩昆布やT子さんお手製のきゅうりの一夜漬けや、卵焼き・・そんなごく簡単なメニューで済ませた。美味しかった。やはり私たちは日本人なのよねえ。
こういうご飯が最高!!
今日は何かとおもしろい一日だった。
2007年7月4日(水)
4th of July !!

今日はアメリカで最も大切とされている独立記念日。10年も前アメリカ人の親友とフロリダで、前日からビーチの近くに宿を取り、花火の時間を待ちわびて過ごした思い出がある。日本の花火より、ずっと質素で少しがっかりしたが、そのお祝いムードに酔いしれたものだった。そんな経験から、この日はアメリカ中で花火が打ち上げられ、国民全体がお祝いするもの。。と思っていた。
ハワイに来て、何年か暮らすうち、ハワイアンはこの日を重要視していないことに気がついた。平和だったハワイ諸島に、白人の宣教師がきて、いつの間にかアメリカという国の少数民族扱いにされてしまったハワイの人々。それを感じてから、私も複雑な気持ちになるのだが、この花火の魅力には勝てない。

お昼過ぎから私とTさんは夜8時半からの花火に備えてアラモアナショッピングセンターの駐車場に出かけ、私の車の駐車スペースを確保することに専念した。アラモアナ近くのR子さんのお宅で花火鑑賞パーティーのあと、夜遅くなっても車で帰れるように、だ。
例年そうなのだが、あの広い駐車場が、文字通り満杯になる。私たちが行ったときも、いつもがらがらの屋上まで、すでに一杯だった。どうしよう?と思ったとき、偶然目の前の車が動き出し、私はその後へすっぽり駐車することができた。T子さんのこの時の動きは素早かった。さっと車を降りるや、空きそうな駐車スペースを仁王立ちで確保。ラッキー!!

車を置くと、ワードセンターまで足をのばす。アラモアナの喧騒がウソのように静かだった。ただし、駐車場だけはいっぱい!この日に向けて、花火が間近に見られてピクニックのできるアラモアナビーチパーク周辺は、数日前から場所取りの人が出るくらい。。日本のお花見以上だ。

ワードセンターの「チャウダーハウス」で、クラムチャウダーとパスタでランチ。おいしかった。よく動くからお腹もすく。ランチの後は、7時のパーティの時間まで、バスで一旦家へ。。。今夜、R子さんのお宅へ持っていくお料理の準備。昨日から下ごしらえをしたポークのかたまりを煮て、ソースを作って5時には仕上げ。。T子さんは赤飯を炊いてくれて、準備OK。私たちはそれらを詰めたタッパーの入った大きな袋を提げて、再びバスでR子さんのお宅へ。。。

7時からのパーティーには総勢15名集まった。いつものように、R子さんの手料理が見事だった。美味しく、楽しくすごすうちに、8時半になり、花火開始の時間。R子さんご夫妻のお宅からはマジックアイランドから打ち上げられる花火が、丁度いい高さと距離で鑑賞できる。毎年、みんなが期待しているから、R子さんご夫妻も大変だろうなあ。。本当にありがとうございます。

さて、8時半を過ぎても花火が上がらない。「ハワイタイムかな。今日も。。」「いや、打ち上げ場所が今年から変わってたりして、、ねえ」「やだ、それコワイ!」などと言いつつ待つこと、8分。やっと一発目の花火。大きい枝垂れが美しい。。。それから約20分、本当に見事な花火が続いた。時間は短いが、中身がとても充実していて、見たこともない不思議なキノコ状のものがムクムクと上に上がっていくものなど、それはハワイの花火とは思えないほど、みごとだった。「ハワイの花火師もうまくなったわねえ。。」と口々に褒め称えた。今まで間の抜けたタイミングで打ちあがるハワイの花火を、長年見つめてきた私たちは、この変化に驚いた。本当に、素晴らしかった。

見事なフィナーレで花火が済んで、およそ30分、またパーティの賑わいがもどったころ「どーん!!」また「ドン、どーーん」と花火が再開された。皆、目を疑った。「あら?どうしたのかしら?」「気が付いたら点火してない花火が残ってて、下っ端の花火師さんが、あわてて点火したんじゃない?」「ハワイらしくていいわねえ」

再開された花火は、忘れられた残りものとは思えないほど、けっこう長く続き、すでに引き上げてしまった見物人には気の毒なことになった。

例年ここで一緒に、花火を楽しませてもらっていた憲さんはもう、いない。花火が打ちあがったとき私は「憲さん、見てる?きれいね!」とつぶやいていた。何につけても『丁度一年前の今日、憲さんは。。。』と考えてしまう。そういう一年が過ぎようとしていて、少しずつすべてが遠い過去になってしまいそうでこわい。
R子さんはそれを見透かしたように「キョウコちゃん、元気そうで私は安心してるよ。フラがあってよかったね、貴女がハワイへ戻ってこなくなるのじゃないかと心配したの、でも、大丈夫ね。よかった!本当に!」と励ましてくれて、ありがたかった。

早くから苦労したお陰で、ラクに車で帰宅することができた。
今日もいい一日だった。
2007年7月3日(火)
海へ!!初ドライブ!

T子さんハワイ二日目。憲さんとも30年来の友達である彼女は「やはり早く憲さんのお墓へ行きましょう!」と心遣いをしてくれて、朝、一番に車で出かけた。途中で赤とピンクのジンジャーの花を買ってお墓へ。
今日も青空にシャワーツリーがきれいに揺れていた。二人でお花を替えて、プレートのお掃除をして、プレートの上からコーティングのスプレーをかけてピカピカにしてきた。ジンジャーの赤が、ハワイのお墓にはよく似合う。

先日から何人ものお友達が来てくださって、憲さんもどれほど喜んでいることか。。。

ココヘッドを見下ろすお墓からは、青い水平線がきれいに見える。「こんなところに眠れて、憲さん幸せね。。」T子さんがつぶやいた。「ホントに憲さん、幸せじゃない!」本当に私もそう思えるようになってきた。

海の色がきれいだったので、今日はチャンス!とばかり、そのまま海沿いにドライブすることにした。私にとっては初めての挑戦。

憲さんと月に二度は出かけていたコースなので、運転することにはちょっと、自信があった。T子さんに是非見て欲しかったマカプウビーチの海の青さが、理想的でよかった!!

ここは憲さんと私が大好きなところで、毎回車を止めて、懲りずに毎回写真を撮った。最後のドライブでも、ここで憲さんが左手を前に伸ばして右手を私の肩にまわし、自分でシャッターを切って二人の写真を撮った。それが二人の最後のツーショットになった。

マカプウビーチ、、辛くて、懐かしくて、いつ来ても胸が熱くなる。

それ以上足を延ばしても、その先の雲行きが怪しかったので、シーライフパークからUターンして、ココマリーナセンターに。水辺のレストランで、スチームドクラムと、ガーリックシュリンプ、フルーツ盛り合わせを分け合ってランチ。。。何でもかんでもシェア。。量が多いので、半分っこで充分だ。

T子さんはここで、お知り合いのお土産にと、ベビー服を選んで買った。私も何枚か手にとって見たのだけれど、まだ、自分の孫に。。という実感がなく、ヘンにテレながら「またにしよう。。」と考えていた。
ハワイにいるあいだに、是非、アメリカンテイストのベビー服を選んできてね!。。と娘から頼まれているのだが・・・まだ実感が湧かない。ちょっと待っててね、私のお孫ちゃん・・・・。

一旦家に帰って、仕切りなおし。夕方からまたアラモアナホテルに出かけた。T子さんに見せたいお店があったし、友達でオーナーのバーバラさんも紹介したかった。バーバラさんは相変わらず優しくて、話していて楽しい。「キョウコさん、ちゃんと食べてるの?ほんとに、もっと太らないとダメよ!」・・・太り過ぎの人も苦労だろうが、ヤセすぎの人間に太れ!といわれるのも結構辛いものがある。でもバーバラさんの優しさは嬉しいので、期待にこたえようとは思っている。T子さんが、バーバラさんのお店で素敵なペンダントヘッドを見つけてよかったよかった。

私はハワイらしい手書きのパターンがついた醤油さしを買ってきた。
ずっとほしかったので、コレもよかったよかった。

夕食は今日もまた、お手軽にラーメンと餃子。炭水化物が食べたい、麺類が。。ということでこうなった。なんとも経済的な二人である。これも気楽でいいわよ!!T子さんは妥協してくれたのだと思う。

あしたこそは、ご馳走よ。明日は二人でお友達のコンドへ出かけて、独立記念日の花火大会を見せていただくことになっている。
お料理上手なR子さんの作って下さるご馳走がいまから楽しみだ。
2007年7月2日 (月)
30年来の友、ホノルルへ。

30年来の友人T子さんが到着。フラ以外のお友達とこちらで過ごすのは、久しぶり。
ハワイに詳しくないT子さんをホノルル空港までお迎えに。。。私にしてはめずらしく早起きして、20番のバスで出かけて行った。ラッシュの時間ということもあって、一時間以上かかって空港へ。車だと20分足らずで行けるのに。。久しぶりにバスに乗って、ローカル色を楽しむつもりがすぐ睡魔が襲ってきて一眠り。気がついたら空港だった。

少し余裕を見て家を出たので、T子さんを待つこと一時間。出口から出てきたNさんは元気そのもの。

シャトルバスに乗ってみる、、というので、二人でシャトルバスに乗った。シャトルバスというのは空港からホテルまでの送迎だと思い込んでいたので、うちの近くのホテルまで送ってもらい、そこからはテクテクと歩いて家までたどり着くのが普通だと思っていた。だから、タクシーの方が便利、、と思い込んでいた。

しかし、最近うちのコンドの名前を告げると、我が家のまん前まで送ってくれることに気がついた。そういえば、以前長女がサンフランシスコのアパートに住んでいたころ、そのアパートの住所を告げるとそこまで確実に送ってくれたことを思い出した。いわゆるDoor to Door である。なるほどハワイもそうだったのか。。と今頃になって気がついた。

T子さんとはこれから、普通の観光客のような毎日を送ることになるだろう。今日のランチはモアナサーフライダーのビーチバーで、軽くトルティアとフルーツ盛り合わせを・・・このフルーツが、無造作にドンドンとお皿に乗っていて、びっくりした。でも食べ応えがあって、なかなか。。だった。

夕方からは、お定まりのアラモアナショッピングセンターへ。。
「あなたのTシャツのスタイル、それいいわね、どこに売ってるの?」
T子さんは質問が多い。「どこって、、あれ、これどこだっけ、、クレイジーシャツだわ。。」「そういうのがいいの、いつか連れてって。。」

「その靴、はきやすそうね、どこに売ってんの?」「さあねえ、だってこれもう3年位まえのだから、もう売ってないと思うわよ。。それに、コレ、どこで買ったっけ??忘れた。。」「そういうの欲しいのよ。。」「どこにあるかわからないけど、ま、探してみましょ!まあないと思うけど、、」

そんなすれ違った会話がはずんで、時間が過ぎる。
夕食は、これまた簡単にマカイマーケットのカルビセット。楽しみにしていたハワイ旅行の初ディナーがこれでいいのか??って思ったけど、二人とも満足。T子さんは美味しい!!と喜んでくれた。
女同士、実に気楽でいい。家族以外の人がうちへ泊まるのは初めて。さて、これからどんな一週間になることやら。。。

私の車の運転に一抹の不安を感じているはずなのに、アラモアナからの帰り道、車に乗ったとたんにT子さんはぐっすりとおやすみ。。。着いたその日から大活躍で、疲れが出たのだろう。

さて明日は、何をしようか。。T子さん持参のガイドブックの地図に、めずらしくうちのコンドの名前が載っていた。それに赤丸のマークをつけながらNさんは明日への夢を膨らませている。

「ね、明日は何時に起きるの?」と聞かれて、そういえばハワイに来てから一ヶ月、私は明日何時に起きよう!!などと考えることなく生活をしていたと気づいた。
なんと気楽なことか。。まったく、罰が当たりそうだ。
2007年7月1日(日)
憲さん、70歳、おめでとう!!

今日はハワイ時間の7月1日、憲さんの誕生日だ。
このところ毎年ハワイで彼の誕生日を祝ってきた。
記念すべき「古稀」の誕生日なのに、彼のお墓でお祝いすることになってしまって、わかってはいてもたまらない気持ちだった。

お墓に行こうと用意をしていたら、誰かからEメールが入った。
届いたのは、グリーティングカードだった。
憲さん・京子さんへ で始まるその文章は、憲さんへの誕生祝いだった。
Eさんからの心づくし。。本当にうれしかった。

「京子さんの心の中にいつまでも生き続ける憲さんに70歳おめでとうの言葉を贈ります」
という言葉で締めくくられた、淡いピンクのバラがいっぱいのカード。「感激」の一言。
憲さんにも、すぐに報告した。私たちは本当に幸せだね、よかったね。。。。70歳おめでとう!!

今日は日曜日で、お墓の近くのお花屋さんが早く店じまいしていて、お花を新しくできなかったのが残念だったが、この間Kさんがお供えくださった百合の花がまだ美しく咲いていた。

百合の花のお水だけを替えて憲さんに謝った。
「ごめんね、お花屋さんが閉まってた・・・日曜は早く閉まるらしいのね、知らなかった。。。又、今度ね。。」なんとも間の抜けた奥さんである。
「あなたらしいよ。。」憲さんの声が聞こえそう。
ほんとにごめんね、憲さん。。

せめても、、とビールを彼のまわりに注いで、「ハッピーバースデー」を2回歌ってきた。

今日は特に綺麗な空が広がり、シャワーツリーが華やかに揺れていた。彼のお墓の周りに3本のシャワーツリーがある。まだ若木なのだが、あと数年もしたもっともっと見事な花を咲かせるだろう。

明日から、30年来の友人が東京から遊びに来る。
さあ、一緒にどこへ行こうかな?何を食べようかな?
久しぶりに、ハワイを観光地として楽しんでみよう。

今週はK先生も数日間、カウアイへ・・
フラはしばらくお休みだ。

明日は、朝早く空港まで友人を迎えに行くことになっている。車は自信がないので久しぶりにバスで行ってみようと思う。19番か20番のバスで。。。

思えばバスに乗るのは久しぶり。。今年初めてではないかしら。
たしか、2ドルだったよね、、、今のうちに用意しなくちゃ。おつりはくれないから。。

空港まではちょっとしたドライブ気分だ。楽しみ!
2007年6月30日(土)
やっと、やっと・・・

気持ちのよい風が吹き渡り、贅沢この上ない朝のタイヤモンドヘッドの景色を見ながら、私は何を食べているかというと、朝食のカリカリベーコンとシナモンロール、それにチェリーを少しとコーヒー。

いつもの定番朝食である。チェリーがオレンジなったり、気が向くと卵が加わるけれど、ほとんどこの程度だ。コーヒーはバニラマカデミアナッツのフレーバーコーヒー。どうも私はチェリーコークとか、フレーバーコーヒーだとか、一ひねりしたものが好きなようだ。日本からのメールのチェックをするのもこの時間。

今日もまたフラレッスン。この頃週に3回 月、水、金の午後一時開始、のパターンがすっかり変わってしまっている。毎日レッスンをとお願いすればそれも可能という状態で、生徒にとってはこれほど嬉しいことはない。

今日も5時からの予定だったので、Kさんは4時過ぎから来て予習。Tさんが帰国して、今日は二人でレッスンだ。いつものとおり基本はみっちり、アウアナは細かいチェックが入り、丁寧なレッスン。

K先生が私に要求しているのは、特に難しいことでもなんでもない。先生が最も重要視している基本を、いつでもどこでも、間違いなく体現できるようになれ!それを身体で覚えろ!ということなのだ。一番長く教えを受けてきている者としては、当然要求されることだ。

そんな思いで固くなっていると「キョウコ、今、心配しながら踊ってるでしょ?心配しないでいいから、もっとラクに踊ってごらん!もっとリラックスして!」

これの繰り返しだったが、ここしばらくのレッスンで、やっとやっと先生に要求されてきたことがわかってきて身体が動くようになってきた。すこしどん底から這い上がれるかな?というところ。

そしてついに、今日はやっと、やっと先生の「Very good!」という言葉を聞く事ができた。胸が熱くなった。
厳しいレッスンの締めくくりは、習ったばかりの「アロハ ウィーク フラ」。先生のウクレレと歌で楽しく踊って、今日のレッスンは終了。

明日帰国するKさんと先生はハグでお別れ。

K先生は来週、数日のあいだカウアイへ帰るのでレッスンはお休み。
私にとっても丁度いいブレイクになる。明後日から、30年来の友達が訪ねてくる。7泊の予定で家に滞在。しばらく私も普通のハワイ観光気分を味わおうと思う。

Kさんと最後の晩餐。ワイキキシェラトンのバッフェに。。。ここは、生ガキやロブスター、カニなどのシーフードも充実しているし、お刺し身も、おすしも、プライムリブのお肉もおいしい。
今日は生ガキを沢山頂いた。新鮮でレモンを絞ってツルン。。と本当においしかった。
ここはフラのショウもあって楽しい。

ハワイの運転免許証を提示すると、カマアイナプライスでお安くなることを今日初めて知った。
前回それを知らないで来たときと、ずいぶんお値段が違ったので、びっくり。

数字に弱いので割引率は?などと聞かれてもわからないが、とにかくお安くなっていた。
いろいろ新発見があるものだ。

ビーチ沿いのそのレストランから見える満月に照らし出されたダイヤモンドヘッドが美しかった。
Kさんとの素敵な最後の晩餐になった。

明日は憲さんの70歳の誕生日。
ちょうど去年の今夜は、K先生と数人のフラの仲間が家へ来て下さって、憲さんの69回目のバースデーを祝って下さったのだった。
K先生からはバースデーケーキを、そしてフラの仲間からはレイを贈られて、憲さんはご機嫌だった。幸せそうだった。元気そのものだった。それなのに。。。

「70歳のお誕生日おめでとう!!」と憲さんのために、Kさんと乾杯をした。

明日、お墓に会いに行くね。ビールを持って!カンパイね!!
2007年6月29日(金)
特別レッスン イン マノア 〜その2〜

その1からの続き〜

先日のナ ホク ハノハノ アワードの舞台でもヒップホップ系のメインダンサーとして踊っていた。カリサはK先生と大親友。彼女の4歳の娘タヒちゃんもそこにいた。カリサのお家はミリラニで、ホノルルから遠い。で、今夜は彼女が何かの都合で、子供を連れてホノルルに来ていいて、カリサの仕事の間、タヒちゃんをK先生がベビーシッターとして預かることになっていたらしい。今日はK先生、ショウはおやすみの日。それで事情がわかった・・・

ハワイの人同士は、私たちから見るとうらやましいような助け合いをしている。親しい友達は、すなわちオハナ(家族)なのだ。

カリサとタヒちゃんのまん前で、私たちはレッスンをうけることになった。大きい窓から海とホノルルのビル群を見下ろす広いお部屋で。

TさんとKさんはカリサが見ているだけで舞い上がって、「もう、だめだ!」と最初から弱気だった。
私は「カリサと比べようもないくらい私はヘタなんだから、まったく平気。だってまったく別物みたいなもんだもの。。平気!」と、かえってそこにカリサがいてくれることが嬉しい、、とさえ思っていた。

K先生はカリサに意見を聞きながら、レッスンを進めていった。最近習ったカヒコとアウアナを。
カリサ曰く・・・
「レッスンしやすいように、人の位置を変えてみたら?」
「難しい振りなのに、みんなよくやってるわ!!とっても素晴らしいわよ!!マイカイ!!」
「ここの音のとり方、難しそうね。あ、ここでポーズをいれるの?なんだか複雑ねえ」とポンポン言う。
まさに私たちが苦心している部分のことだ。K先生もカリサに何事かいいながら、レッスンが進んだ。二人の会話は半分くらいしかわからないが、踊りのこことだから、だいたい想像がつく。そのやり取りがとても面白かった。

カリサはこの難しい振り付けの話を先生から聞いていたらしい。時々実際に動いて私たちにお手本を見せてくれた。とてもわかりやすかったし、カリサの周りの空気が変わった、と思えるほど味のある動きだった。なんてなめらかなんだろう。うれしかった。そんなチャンスを与えてくれたK先生にも感謝だ。

「キョウコはバレエをしてたんでしょ?Kから聞いてるわ、、足の動きだけでも、筋肉の使い方がまったく逆だからね。足の内側を使うのがバレエ、外側を使うのがフラ。。切り替えが大変でしょ?わかるわ・・・そうそう、どうしても足が外向きになるのよねえ。。。上半身の使い方も違うしねえ。」とカリサにも、その苦労があることを話してくれたので、なんだかとてもうれしかった。

やがてカリサはマジックショウの仕事に出て行き、5人が残った。
タヒちゃんはK先生のことを「アンクルK・・」と呼び、仲がいい。
先生の掛け声を真似して、私たちのレッスンに参加?してくれた。

「おいおい、僕のウクレレ踏むなよ!イプヘケは叩いちゃだめ!あ、その本僕に見せて!もって行っちゃだめ!歌詞がわからなくなるだろ?」K先生も今日は特に忙しい。

レッスンのあと、もうすぐ日本へ帰るTさんとKさんのために、ハワイアンフードの夕食が用意されていた。なんという心遣いだろう。5人で食卓を囲んだ。タヒちゃんがまとわりついているK先生は、どうみてもお父さん。その光景がおかしかった。子供が大好きな先生は、きちんとタヒちゃんの面倒をみていて、さすが、、だった。

長い間、ハワイにいるといろんな場面に遭遇するが、K先生がベビーシッターをする図は、初めてで、Tさん、Kさんも目を丸くしていた。満月の夜景が美しいマノアの先生宅を出たのが、8時半過ぎ。

それから私たちはまた我が家へ戻り、今日あたらしく振付けてもらった曲をおさらい・・・。なんという熱心さ!
気がついたら夜も更けていた。

明日帰国するTさんと名残を惜しみ、Kさんとはまた明日のフラレッスンで会うことを約束して、さよならした。さすがに疲れて、めずらしく早くベッドに入った。

あーー。今日もいい一日だった。
2007年6月29日(金)
特別レッスン イン マノア その1

今日もフラレッスンの日。
夕方4時から、TさんとKさんが来てフラのおさらいをして、5時からのK先生のレッスンに備えるつもりだった。ところが、4時前にK先生から電話。「モシモシあのね、今日のレッスン、私のうちでします。いいですか?」きれいな日本語だった。「先生のお家で?マノアで?いいですよ。じゃみんなで行きますね」

さあ、また私のドライバーとしての試練だ。今日で2回目。何とかしてやっとたどり着いた前回の記憶が残っているかしら?もちろん地図と大体のディレクションはわかっているが、今日は一人ではない、責任がある。心配だったが、やるっきゃない。Tさんたちの到着を待って、車で出かけた。

ナビをして欲しい、、と頼みにしていたTさん、今日に限って遅れてくるし「あら、私、メガネを持ってこなかったわ。。道路の名前もぜんぜんよめませーーん。ごめんね〜」という。「なんだーー、ホントに役に立たないんだから・・」とぼやきながら、私はハンドルを握りつつ、目を凝らして標識をみることに。。

「じゃ、集中したいからおしゃべりはあとでね」と二人に頼んで出発した。いざ車が走り出すと、Tさんはすぐにそんな事を忘れて、楽しいおしゃべりを始める。気持ちはわかる。。でも、それはいかにも危険! 

ついに私は怒鳴った。「私に話しかけないでってば。死にたくなかったら、黙ってろ!って!!」Tさん「ハイッ!わっかりました!ごめんなさい!!」思いがけず先生のところへ伺うという、うれしさもあり、大笑いをしながら、なんとか、なんとか無事先生のところにたどり着いた。

行って見ると、窓から女性の姿が見える。「あれ?女性がいるわよ。。入っていいのかな」余計な心配がよぎる。近寄ってみるとそれは、私たちにも御馴染みのカリサだった。K先生制作のDVDでお手本で踊ってくれている人で、バレエから始めて、モダン、フラ、ポリネシアダンス全般、ヒップホップ、ジャズ。。なんでも本当にすばらしくこなす人だ。本物のプロダンサー!だ。

その2〜に続く
2007年6月28日(木)
ウエヘ・・・できる!!

昨日は、なれないお仕事の話で、まわらない頭を精一杯使ったせいか、なかなか寝つけなかった。ベッドに入って静かなハワイアンミュージックを聴きながら、心を静めようとしても逆に目が冴える。すべてのお話がうまくまとまった嬉しさと、興奮・・そして、これからのことを考えると、どうしたってワクワクしてきて眠るどころではなかった。

結果的に今朝はゆっくり起き出して、少し書類の打ち直しなどをして過ごす。

午後、こちらにフラのレッスンに来ているKさんと一緒に、ドンキホーテ(元ダイエー)にお買い物に。沢山のミネラルウォーターを買う必要があったので、Kさんに運ぶのを手伝っていただいた。

Kさんは、沢山の百合の花を憲さんのために買ってくださった。
夕方フラの仲間Tさんもご一緒に、憲さんのお墓へ。

お二人とも、ハワイに来る前から「きっと、お墓へ連れて行ってね!お参りさせてね。。」と言ってくださっていた。なんとありがたいことだろう。Tさんは憲さんをよく知ってくださっているが、Kさんは会ったこともないのに・・

率先してお花の水を替えて「憲さん」と呼びかけながら、お墓の周りをきれいにして下さるお二人の姿が、涙でかすんで見えた。こういう光景を一年前に、誰が想像しただろう。でも今日の涙は悲しい涙ではなく、ありがたさと幸せを感じる嬉しい涙だった。
憲さん、よかったね。みんな優しいね。。うれしいね。

丁度今日で、11ヶ月。
来月の一周忌は、ここで一人で静かに迎えるつもりだ。娘達もそれぞれの生活を守りながら、ドイツと東京で父の一周忌の一日を過ごすことにしている。

お墓参りが済むと、こんどは気持ちを切り替えて、フラレッスン。
このごろ15分前には到着のK先生が、今日も早々と・・・。

いつもの厳しい基本レッスン。私は今、日替わりで「正しいウエヘ」が出来たりできなかったりの状態が続いている。今日は出来ない日。私がウエヘをするたびに、いちいち目の前の先生の顔が横に揺れる。「いまの違うよ。あ、今の違う、いまのも違うぞ・・」というように、なんとも丁寧に反応してくださる。

ありがたいが こちらはわけがわからなくなってくる。
「あ〜〜。できません・・」というとすかさず、「できる!!」とK先生。
そうねそうね、必ず出来るよね!先生が「できる!」っていうんだから、間違いないわ。そのうちできるでしょ!
たまにはできてる日もあるんだから。。。そう思って気をとりなおす。

そのあとは、カヒコのおさらいが少し。そして今日は楽しい曲を!ということで、「アロハ ウィークフラ」を振付けていただく。私は一度だけ振付けてもらったことがあるが、もうすっかり記憶が飛んでいて、新たな気持ちで挑戦。

「ワタシ、この曲初めてです!!」って、顔をしているのだが、先生は見破っているかも。。
とにかく楽しい曲で、うれしい。
3人ともそれぞれの課題を与えられて、今日のレッスンは終了。

先生と少し仕事の打ち合わせを済ませると、「じゃ、またあした!」先生はまた弾丸のごとく飛び出して行った。今夜はまたショウがあるようだ。

夕食はTさんKさんと三人で、ワイキキの「TIKI」へ。。家からも近く美味しいレストラン。
メニューについてくる、タロイモの入ったポイロールとでもいうのだろうか、薄紫のパンが美味しい店だ。パイナップル入りのすこし甘いバターを沢山つけていただくと、おいしくていくらでも入る。でもそれを先に食べてしまうと、メインディッシュが食べきれなくなる、、とTさんが経験談を話し、私もそれを思い出した。

ほどほどにそのポイロールを頂いて、おいしいメインも完食、おしゃべりをさんざんして「さよなら」かと思ったが、時間はまだ9時過ぎ。今夜は三人で外食する最後の日になりそうなので、私の提案で定番のモアナサーフライダーのビーチバーへ。。。波の音を聞きながら、ホットコーヒーを楽しみつつ、またおしゃべり。フラの話がほとんど。。。皆好きなのねえ・・と感心する。

ハワイにいてこんな話が出来るなんて、私たちはなんて幸せなんでしょう・・・
そんな思いでいっぱいになる。

あしたはTさんの今回のハワイでの最後のフラレッスン。
日本でまた、一緒に踊れるとはいうものの、やはり淋しい。

ここちよい疲れで、今日はぐっすり眠れそうだ。
2007年6月27日(水)
大きなありがとう!!

午後、大事なミーティング。K先生とN氏とMさんと、、、これから展開していくプロジェクトが実現できるかどうか・・重要な一日になるはずだ。

話し合いに必要な書類を作り、用意しているとすぐにお昼過ぎになった。我が家で集まるのだが、ビジネスの話なので、あっさりと飲み物だけを用意しておくことにした。それもハワイアンスタイル。缶ごとグイッとコーラでも飲んでいただこう。。

K先生とN氏はやはり今日も15分前に到着。昨日のMさんとの事前の話し合いの内容を二人に説明し、話し合った。まるで、秘書か、マネージャーである。

Mさんたちが到着されて驚いた。3人で行きますとおっしゃっていたのに、スタッフが5人いらしたのだ。
「それだけ、K先生のこれからについて、私としては力が入ってるのよ!」とMさんに言われた。ありがたいことだ。

初対面同士の8人が一堂に会し、話し合いを始めた。
2時間じっくり話し合った。
皆が打ち解けあったところで、N氏のウクレレと歌で、K先生がフラを踊り、「キョウコ、ハイ踊って!」とのK先生のご命令?で、私までK先生と一緒に踊らせて頂き、うれしいことに日本からのH先生も一曲踊ってくださった。
フラの仲間はこれだから楽しい。。

我が家で展開されるこのシーンが、現実のものとは、にわかには信じられないほどだった。

憲さんの写真がそれを見守っていた。

ドンドン話が進み、K先生やN氏や私が望んでいた方向にすべてのことが動き、いや、予想以上のありがたい計画が次々と。。

K先生もN氏も満足そうで、Mさんたちもとても喜んでくださって・・・
私は本当に本当にうれしかった。
今年の秋、そして来年からK先生の仕事が広がって行きそうな気配。
いや、確実にそうなるに違いない。
私も忙しくなりそうだ。頑張ろう!!身の引き締まる思いだ。

日本で、またハワイでこうしていろいろな人に出会い、私の環境も世界もドンドン変わっている。不思議なほどに、変わっていく。

フラとの出会いがなかったら、またK先生との出会いがなかったら、私はもう既にハワイにいなかっただろう。

憲さんが一人で突然逝ってしまってから丁度11ヶ月。二人で過ごしたハワイの生活を一人で続けること自体、辛くてハワイには戻りたくないと、この生活を投げ出していたかも知れない。

でも、あの直後から私は必ずハワイに戻ってくると決心していた。それは、当時からフラを通しての仕事が急に多くなり、これからはそれに支えにやっていけるかも知れないと思えたからだった。

憲さんの晩年の私への言葉「フラがあってよかったね。これからあなたの人生はフラによって充実していくよ。よかったね。がんばるといい・・・」今もその言葉が、耳から離れない。ハワイのうちで夜、食事をしているときに言ったのだ。「がんばるといい・・」そういう言い回しが、彼独特だった。

予想を上回る忙しさだけれど、K先生とフラの仲間に支えられて私は頑張ってこれた。本当に憲さんの言うとおりになった。

憲さん、あと一ヶ月で一周忌ね。
あなたのお陰で、元気に笑って過ごしています。
今まで、何度となく私たちを守ってくれているのを感じています。
ありがとう!!

そしてもう一つ、あなたへ「大きなありがとう!」があります。
11月には私たちの初孫が生まれます。
あなたが天国から赤ちゃんを一人、贈ってくれたのだと私たち家族は信じています。

11月、私はドイツへ行って待望の孫の誕生を待ちます。
あなたが贈ってくれた赤ちゃんを抱きしめて来ます。
だからみんなを、守っていてね。
2007年6月26日(火)
うまく行きますように。。

今朝も「ホノルルにきました!!ホテルに着いたところでーーす!」とKさんから電話。
11時ごろ、家に来ていただくことにした。Kさんは、何度か家へいらしたことがあるので、コンドの玄関から私を呼び出す方法も手帳に書いてある。。という。

11時すぎ、Kさんがランチを買って来てくださった。こういうことも私をよく知っていてくださるからだと思う。「ハイ、キョウコさん。食べてますか??ちゃんと食べないとダメですよー。これ一緒に食べましょうね。。」 私は例によってコーヒーだけをいれ、Kさんおもたせのサンドイッチを頂いた。

おしゃべりをしていると、あっという間に、彼女のホテルのチェックインタイムになった。
Kさんは一度ホテルに戻り、チェックインを済ませて、シャワーでも浴びてくる、、ということになった。

今日は4時半からフラレッスン。Kさんは着いたばかりなのに、元気にレッスンも受けると言う。
今日からTさんと三人のレッスンになる。楽しみだ。

このごろK先生は時間厳守、どころか15分前くらいにいらっしゃる。。。
すっかり日本のいい習慣が身についたらしい。今日も4時15分には到着。

KさんもTさんも時間通りにスタンバイ。レッスンはオンタイムに始まった。
基礎練習はあくまで長く、厳しく、何度もいやというほど繰り返す。
しかし、3人とも弱音を吐くことなく、ついていく。汗が噴出す。。。「はい、少し休憩」、、というまでの長かったこと。でも足の痛さも、筋肉のつっぱりもフラが上手になるための、いいサインらしいから我慢我慢。私たちはホントに頑張り屋さんだと思う。

今日は最近習った、アウアナの一曲をおさらい。いままでさんざんおさらいしたのに、まだまだ足りなかったり、やりすぎたり、、ということばかり。

ただ、私はスランプの最中よりは、頭の中が整理されてきたようなので、レッスンが楽しくなってきた。やれやれである。6時過ぎまでみっちりレッスンをしていただいた。

このあと私たちはすぐ、先生の出演するショウを見に行くことになっている。先生はもうすぐ楽屋入りの時間。先生も私たちも、食事をしている暇はない。途中でお腹が空いてもこまるので、あらかじめ私は塩昆布入りのおにぎりを作っておいた。

K先生も一緒に4人でおにぎりをほおばり、一応の腹ごしらえをして、会場へ向かった。

会場にはもう一人待ち合わせている人がいた。Mさんという、K先生の日本での仕事上、これから大いにお世話になる方である。MさんはK先生の実際の踊りを見るのは初めて。。。。私も今夜は緊張していた。K先生の実力をMさんに見てもらいたい一心だった。

ショウが始まるまでの時間、Mさんと私はお仕事の話を詰めていった。私たちは年代が近いせいもあり、偶然にも憲さんの元の職場にいらしたこともある方ということで、気持ちが通い合うのを感じ、私はほっとしていた。

ショウが始まると、そのエキサイティングな構成にMさんも大いに楽しんでくださったし、K先生のパフォーマンスも含め大変満足していただいたようだった。よかった。。

明日はMさん、そしてK先生、N氏、その他仕事関係の人と我が家で会議をすることになった。
明日3時半、一堂に会する約束をしてMさんと別れた。

そのあと、TさんとKさんと三人で、夕食に・・・
ワイキキは意外とレストランが早く閉まってしまうので、それを見越して24時間オープンのデニーズへ。。。私はここでは定番のメニューがある。グランドスラムと言ってカリカリベーコン、ポチギースソーセージ、目玉焼き、そしてパンケーキの乗った朝食用のメニューだ。ここでは夜中でも朝食用のメニューが注文できる。Tさんの定番でもあるのだそうで、3人ともおんなじメニューを注文。おしゃべりしながら、ゆっくりと頂いた。

明日はいよいよK先生の新しいプロジェクトが立ち上げられるかどうかの話し合いだ。
うまく行きますように。。。
2007年6月25日(月)
二つのフラレッスン

先日からハワイにいらしているJさんから、いつかフラレッスンをご一緒しましょう!とお誘いの電話をいただいていた。それぞれに違う先生についている者同士が、同じフラレッスンを受けられる場所は限られている。幸い、家の近くにあるコミュニティセンターで開かれている公開フラレッスンがそれである。

前にも、K先生が長期でハワイを留守をされた時や、お友達からお誘いを受けたときに、出かけたことがある。100名近い人が、体育館のようなところで受けるレッスンだから、注意もされないし、まあ気楽といえば気楽に受けさせてもらえる。今日はJさんに会うために、Tさんも誘って会場に行った。
朝9時、5分前に着くともう既に会場は90人近いひとでいっぱい。すごい!

定刻少し過ぎて、N先生が登場。「ライエイカワイ」 という曲を一曲振付けてもらった。
偶然、昨日のカピオラニ ハオさんが優雅に踊ってくれた曲で、好きになった曲だったので、びっくり。このレッスンで、Jさんとの再会を果たし、そして朝に弱い私が9時からフラレッスンをしたという満足感でいっぱいだった。もう一つ嬉しかったのは、N先生が私を覚えていてくれたこと。一年も前に二度ほどレッスンを受けただけなのに、「オー、ハーイ。また来てくれたの?」と声をかけてもらった。リップサービスとはわかっていても、うれしいものだ。

勢いで「ハイ!また来ます!」なんて言っちゃったけど、いいのかしら??
これはお楽しみのフラレッスン。ほとんどが日本からの観光を兼ねた生徒さんなので、いろいろなタイプの踊り方があって、見ているだけでも面白い。

家へ帰る途中で、見知らぬ日本人女性から話しかけられた。「フラをなさってるの?私はコミュニティセンターで英語を習っているの。。」と。よく聞いたら、その方は私と同じコンドに住んでいるという。今までお会いしたことのない方だった。すぐに「よかったら家にいらしてください、お茶でも。。」と誘ってくださったが、あまりに急なので「次の機会に。。」と言うことにした。

お電話番号も頂いたし、お部屋の番号もわかった。年頃も近そうだしとてもいい方のようで、お友達になれるとうれしいなあ、と思う。

5時からK先生のフラレッスン。先生は15分も前に到着。え?もう??。私たちはびっくりした。
日本での習慣が身についたのだろうか。ハワイアンタイムではなくなってきた。

レッスンはTさんと二人・・・いつものように基本レッスンばっちり。そして最近習ったカヒコを二つ。細かいチェックが入り、二人とも緊張。先生は、自ら動いて見せてくださるのでありがたい。狭い場所なので、逃げもかくれも出来ない。一生懸命頑張るしかない。

私はフラの基本の動きそのものが、わかっていなかったことが沢山あったのだが、少しづつだが、わかりかけてきてうれしい。感じながら踊ること。教えてもらうことより、盗みながら覚えること、、という芸事を習うときの根本精神を忘れかけていたような気がした。本当の意味で稽古をつけてもらえるK先生のレッスンは、コワいし、辛いけどありがたい。

先生はレッスンが終わると、とたんに普通の若者らしくなって、私たちはほっとする。今日も「これからステージだ!」と今にも飛び出して行きそうな先生を引き止めつつ、仕事の話。

「先生の銀行の口座番号、住所、支店名、その他情報をいろいろはっきり知らせてね。でないと、いつまでもお金が戻ってきませんよ!!今、わからないんですか?お家に帰ったらわかる??それなら早くメールで知らせてね!!」

先日のカウアイツアーでK先生が立て替えてくださっている分を、日本の旅行会社から返金してくることになっている。その振込み先を先生が私に教えてくれないと仕事がはかどらないのだ。

いつもこんな調子である。先生はいつも私から仕事の面でお尻を叩かれ、私は先生からフラの面で、叱咤激励されつつ、スランプ中・・・。

そのあとはTさんとレッスンの復習をして、夕食に出たのはもう9時前だった。「お腹すいたね。。。」
なんて熱心な私たち。。と思ったが、よく考えたらほとんどコーヒーを飲んでおしゃべりをしていた。

空腹に詰め込んだピザがとても美味しかった。