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平成9年(行ウ)第1号分限免職処分取消請求事件
 
原告 中 村 秀 樹
被告 千葉県教育委員会
 
                    平成13年12月29日
                       中 村  秀 樹
 
千葉地方裁判所民事3部 御中
 
 
 
 
 
 
             陳述書(1)
          第1部
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
はじめに
 
 私たちは、悪人といったら、何を思い浮かべるだろうか? 地獄の火炎に焼かれる鬼夜叉のような姿をした者だろうか? それとも、金色夜叉に出てくるような脂ぎった顔をした金貸しだろうか? あるいは、その脂ぎった金貸しや地主や資本家や身分の高い者に骨の髄までしゃぶられてすっかり脂っ気をなくし、京の羅生門で人の血肉を喰らう餓鬼と化した者たちだろうか?
 いやいや、昨今は悪人の姿はますます変化してきて、一見では悪人と区別できなくなっている。スーツ姿で利権にたかる政治家や役人、特殊法人や財団やそれらのファミリー企業に勤め利益共同体を作り上げている者たちが良い例だ。生産で生態系を破壊する金の亡者らは、それと解りやすいが、解りにくいのは、環境破壊や戦争犠牲者を報道したり救済を訴えて稼ぎ、その稼ぎをその破壊の修復や犠牲者らの救済に吐き出さない者たちだろう。
 そのように悪人の姿は変容しているわけから、悪人に対する見方もコペルニクス的転換を迫られるかも知れない。つまり、人間を中心に見るのではなく、地球との共生、宇宙との共生、という視点から見るとどうだ。すると、私たちが考えていた悪人の姿は全く変わってしまう。万華鏡を覗きながら筒を振ったように、次々と新しい悪人が登場してくる。そして、その悪人を一通り視野に入れた時、私たちは、あっ、と驚く。
 大量生産破壊と大量消費破壊をし、肉食を繰り返しては地球と環境の破壊をする私たちこそが本当の悪なのかも知れない。
 つまり、私たちは、この世では、よほど自分をきっちりとチェックしない限りは、犯さなくてもすむ罪を次々と犯していき、知らない間に見たこともない姿の本当の悪人に、欲望と破壊という名の本当の悪人になっている。
 
 学校というものは、とりわけ小学校は、欲望と破壊という社会に生まれ、社会で生きていくことを余儀なくされている人たちが来る。そんな彼らと共に地球のあり方、宇宙のあり方、人間のあり方を考えることはとても大切なことだ。欲望と破壊という社会が地球を破壊してしまわない前に、その社会を共生の社会に転換させていくために。
 そんな役目をになう学校だからこそ、おおよそ学校に、教育の世界に罠を張るということほど、ミスマッチなものはない。
 しかし、その学校に罠がはられていたのだ。教育委員会によって、校長によって管理職によって、教職員組合によって。そして、彼らに追随する教員たちはその駒と、物言わぬ執行者となっていたのだ。
 往々にして、人間は自分の身のかわいさのために行為する。そして、そのことに大凡の者は気が付かない。しかし、かなりの人たちは義憤にかられたり、社会的正義感で行為するということもあるが、それが教員ともなると、私は数ある教員の中で、そのような教員に会うことはめったにない。そして、もう一つ、教員に関して言えることは、教育委員会や管理職が罠をかける社会では、そのような姿勢をしっかりとさせた教員は管理職になることはないということだ。弾圧すら、否、排撃すら受けるということだ。
 従って、以下、私が、弾圧され排撃され事実を捏造され攻撃を受けることになった理由、この分限免職処分が権力犯罪であることのわけを明らかにする。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大古和時代(1年目)
教員2年目/昭和55年4月1日から56年3月31日まで
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<1>  ・・・・私は以下のことを批判し、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
行政職と市議会議員の癒着 形成される利権共同体
  使われた「家賃」
 
 大古和は、前任者の河合と同じように館山市の教育委員会から派遣されて東部小学校に校長として来ていた。
 なんでも、房総半島の東の方では児童数の減少から、校長になる順番を待っていても、なかなか校長にはなれないそうだ。そこで、何としてでも校長になりたければ、児童数が増え学校が増えている東京よりの地域で、校長をやることになるのだ。
 房総半島の東側は、日教組主流派でも特に教育委員会なのか組合なのか分からないような組合らしい。そうだからこそ、教員たちは一層「出世」に組合を使う。結果、組合加入率が極めて高く、90パーセントを越えることも珍しくない。従って主流派内部でも、組織率の高い東側の言い分を尊重しないわけにはいかない。県教育委員会で人事の調整をし、反主流派が強い松戸や鎌ヶ谷に、組合なのか教育委員会なのか分からない「なあなあ方式」を進めさせ、反主流派の影響を弱めるために校長として送り込むのだ。
 校長をやるぐらいの年齢になれば、地域とのいろいろなしがらみも出て来る。従って、家族を残しての単身赴任だ。まあ、要するに家族と別れても校長になりたいという「出世の亡者」が来る。
 河合は、そのように他の管内から来た自分たちを東葛管内の地元の校長たちに比して、「外様大名」という名を使っていた。
 従って、河合同様に「外様大名」である大古にとっては、鎌ヶ谷教育委員会や市の文教委員や校長会とそれなりに上手くやり、在任期間の2年なり3年なりを「つつがなく」過ごすことが絶対の条件となっていた。
 何よりも地元の教育委員会とのトラブルは絶対に避けねばならないことであった。万が一にも地元の教委とトラブルを起こすようなことがあっては、お家取り潰し、即ち鎌ヶ谷市での校長の指定席を召し上げられるのは必然であるからである。
 そのような校長がやることといえば、地元の有力者に対するゴマすりである。決して児童や教員たちを守ろうとはしない。
 校長は不正を起こさないためにも、教員住宅をかりるか或いは民間の住宅を借りる。★(甲1号証)
 しかし、大古は、何と教員住宅を蹴って、わざわざ交通の便の良くない松本という市会議員の離れを借りた。★(甲1号証) 電車やバスが通っている所ではないので、車の免許を持たない大古は時間をかけて自転車で通った。
 校長が市会議員の家の離れに住むなど異例中の異例である。勿論、本来は教員住宅に支払われる家賃は、その家賃を市議に支払ったのである。
 本来学校の問題をチェックし改善を図るはずの市会議員と、問題をチェックされる改善を要求する側の校長とがくっついたのである。癒着以外の何者でもない。
 しかし、この件は、市教委も市議会も何ら問題にしなかった。
 逆に批判する私が私が事実を捏造され権力犯罪にさらされることになった。
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<2> ・・・・私は以下のことを批判し、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
児童を犠牲にして点数を稼ぐ大古
  研究指定受け入れでの点数稼ぎと教委への擦り寄り
 
 通常何処の学校でも、「教授法」を「高める」ための名目で、校内研究というものをやる。今年は、校内研究として理科を全学年ですることになった。
 しかし、今年はそれまでと変わっていた。大古は懸命に自分をアピールした。その結果、東部小は、鎌ヶ谷市教委の研究指定校になることになった。指定を受けて、大古や研究主任になった狩野は意気が揚がっている。しかし、教員たちにとっては、ただでさえ忙しいのに研究のために更に時間をさかれる。研究会の打ち合わせの席で、教員たちからは不満の声が飛び出した。
「子供たちと付き合う時間が削られるので、指定には反対です」
 職員室のあちらこちらから反対の声が聞こえて来る。それを聞いて、熊谷が、
「井の中の蛙であってはいけない。研究指定は大変だけどやり遂げると、先生たちの指導技術が高まり財産になるから。僕なんか、今になってそう思います」
と、反対意見を封じた。
 大古は東部小学校に市の研究指定を持ってきたのみならず、研究を成功させることに懸命になった。★(甲1号証) 大古にとっては、研究成功が第一である。
 これまでも忙しい毎日を過ごしていた教員は、さらに研究のための時間に追われるようになり、児童のことは二の次になる。児童や児童とのふれあいを大切にする教師たちにとって、迷惑千万とはこのことだろう。大古に胡麻をする者たちはともかくにして、誰も研究指定をありがたがっていない。
 私の都合だけで、研究指定が迷惑だと言うのではない。私のこれまでやって来た各児童の発想を大切にする授業スタイルは5年6年の授業方法になったが、通常他の教師たちは私のやるような授業のやり方をしていない。教師にはそれぞれのスタイルがあるのだから、どんな研究もその児童や教師に合わなければ意味がない。
 従って、個々の教員のやり方を伸ばすような方法が求められているのであって、一つの方法に統一するというのは決して好ましい結果をもたらさない。しかも、その研究を自己の名声を得るために、点数稼ぎのために熱を入れるというのであれば、もっての外である。
 他方、積極的に研究指定を受け入れ、「すばらしい公開授業」をして点数を稼ぐことに夢中の大古には、研究指定を受け入れて児童が二の次になることなどに思いは及ばない。
 私はこの問題を指摘して、逆に攻撃対象にされた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<3> ・・・・私は以下のことを批判し、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
公費を着服 公費を私費に変える「錬金術」の横行
  職務を遂行して講師料を取り作り上げられた不正な利益共同体
 
 さて、研究指定を受けた事で、校内研究に使われる予算のことが議題になった。決して多い予算ではない。しかも、熊谷は、その多くない予算から校内研究によぶ講師に金を渡すと言い出した。講師は、他校の校長や教頭の場合もあるが、教委から指導主事をよぶ場合が多い。熊谷は、指定であるか否かを問わず、校内研究の講師には講師料を渡すことが風習となっていると説明した。私は、
「職務として来ている講師に少ない研究費の中からお金を渡すより、その分、子供たちの学習に使ったらどうでしょう。ただでさえ教材費がなくて、例えば線香、蝋燭、アルミホイルとか、学習に使ういろいろな教材は子供たちの家から持って来てもらっているのですから」
と、当たり前の提案した。本来小中学校の教材費は、100パーセント学校が出さなくてはならないはずである。すると、熊谷は、
「教委から指導主事の出張手当が出ないので、渡さなくてはならないのです」
と、平然と言い張った。私は、
「指導主事は、教員の指導技術を高めるために各校の教員を指導するのが仕事だと、いつも言っていたじゃないですか。他校を回るのは通常の職務でしょ。それに出張手当を出すんですか?」
と、吃驚して思わず声を発していた。他の教員たちも釈然としない顔をしている。
 校長や教頭になるのには多額の金がかかると囁かれている。先日も3百万使ったという話を聞いたばかりだ。私は、指導主事たちはこの金を貯めれば、教頭や校長になるための運動資金は充分出来るなと考えた。教員が校長や教頭になるために金を使うとなると、その対局に金を自分の懐にしまい込む奴もいるわけだ。つまり、指導主事に払う講師料とは、子供たちのために使われるべき公費を誰かのポケットにしまい込むための「知恵」なのだ。公費を私費に変える錬金術なのだ。
 私は大古や熊谷を見た。彼らは私の発言に対して不快な表情をしている。そう言えば、大古もこの春まで、館山市教委で指導主事をしていた。
 指導主事のポストに就ければいい。そうではない場合、公費を私費変える錬金術は使えず、自分で金の工面をしなければならない。★(甲1号証)
 しかし、この不正な共同体は脱税共同体でもある。
 私はこの問題を指摘して、逆に攻撃対象にされた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<4> ・・・・私は以下のことを批判し、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
教委や教員たちが集団で、またもや傷害事件を起こした
  児童生徒を守り、校長や市教委らに狙われ始める
 
 だが、その大古は、新学期がスタートして2カ月後、大変な事件を起こしてしまった。それは、鎌ヶ谷市内陸上競技大会に勝たんがため児童の人体構造無視のスパルタ練習を行い、怪我人の続発させ、しかもその挙げ句が怪我人の訴えを仮病と退け、32人の怪我人を出してしまったのである。★(甲1号証) 一度の怪我なら不可抗力ということもあろう。しかし、これまで怪我人を出し続けてきたということもあれば、もはや不可抗力ではない。学校という名の場での傷害事件である。
 私は先頭に立って、鎌ヶ谷市内陸上競技大会やその練習のあり方の改善を求めた。★(甲1号証)
 しかし、この件では大古も体育部の関係教員も誰も責任を取らなかった。市でやっている陸上競技大会であれば、市教委も責任をとらねばならないが、誰も責任をとらなかった。★(甲1号証)
 無論、児童に対しては、いっさいの補償もなされていない。★(甲1号証)
 逆にこの件を取り上げ、改善を求めたことで、私は大古や体育部の関係教員らや市教委らによって「目の上のたんこぶ」として扱われることになる。★(甲1号証)
 私はこの問題を指摘して、逆に攻撃対象にされた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<5> ・・・・私は以下のことを批判し、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
学習権の剥奪と、その責任をとらない校長や教委
  教師の評価権を認め、自分たちは逃げまくる
 
 しかも、怪我した児童たちは体育ができず、体育の評価できない!
 1学期の通知票を出すのだが、陸上競技で怪我をさせられた子供たちの体育の評価をしなければならない。彼らは、怪我で体育の学習をしていない。校長や教委は怪我した児童の学習権を奪ったのだ。★(甲1号証)
 わが国には、学習指導要領というものがある。これは文部省によって作られた。文部省は教育施設整備の仕事だけをすべきであるのであるが、やたらと教育の内容を管理しようとする。従って、文部省の教育内容に対する干渉は、
「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対して直接的に行われる。
教育行政は、そのために必要な教育的施設を整える」(教育基本法10条)
に違反していることは明白だ。その文部省が教育に介入することを目的で作ったのが学習指導要領だ。そして、それに基づき御丁寧にも学習指導書が作られる。その指導書に、実に微に入り細に入り学習内容を定めている。
 ところが、彼ら怪我をさせられた子供たちは、学習指導要領の内容で評価されるととんでもないことになる。彼らは、見学のみをしたのであるから。彼らの怪我という不幸が、全国一律に学習指導要領で学習内容を縛ることがおかしい事を証明した。皮肉な事に、市内陸上競技大会に勝つためにという学校側の論理が、一律に縛ることでの矛盾を突き出した。
 私は、校長や教頭に評価に対して彼らの考えを問い質したが、何らの回答もなかった。彼らは知らぬ顔を決め込んだのである。このことは、何よりも評価権が教師にあることを行政職側からも認めたことである。
 飯山なんかの場合は、如何なる評定になるのだろう? 他の人はどうだろう? 「5」なのか、「4」なのか、「3」なのか、「2」なのか、「1」なのか、「0」なのか? 評価そのものをしないのか? 
 考えれば考えるほど、評価はおかしい。誰が人の評価を出来るんだろう? 私は、子供たちに訊ねた。
「自分で体育の通信簿付けるんだったら、幾らくらいだと思う?」
 かえって来た返事は、まちまちだ。「5」と考えていた子供は「3」と答えた。「3」や「4」と考えた子供には、「5」と回答した者もいる。★(甲1号証)
 私は、散々悩んだ末、ともかく怪我をさせられた人には「5」を付けることにした。痛い思いをしたのだから、それぐらい報われる権利は持っている。
 この結果、学習指導要領は意味をなさなくなった。
 しかし、この件で、私が怪我をさせられた人に「5」を付けたが、大古ら行政職は何らのクレームも付けてこなかった。校長は、通知票においても指導要録においても完全に教師の評価権を、そして正当にも認めたことである。
 しかし、今般は、オール5を付けたとかで、逆に教師の評価権を批判し分限免職処分の理由としているが、そのような対応の方がご都合主義であり、一貫性がない。それこそ問題なのである。
 私はこの問題を指摘して、逆に攻撃対象にされた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<6> ・・・・私は以下のことを批判し、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
児童の人権無視=究極のセクハラを行う大古や二中の校長や教員ら
  国民の財産であるトイレのドアを勝手に廃棄
 
 問題を起こすまい、とする大古の対応は以下のことにも良く表れている。
 トイレの入り口にはドアがある。廊下から中が見えないようにするためだ。ところが、夏休みがあけると、男女とも入り口のトイレのドアがない。大古は、何の打ち合わせもなく用務員に命じて、トイレの入り口のドアを全部外してしまった。
「ドアがあると、中で何をしているか分からないからよ。非行やいじめの場所になるから、ドアなんか無くてもよ。同じ学区の二中も外しているからよ」
 大古が言った。私が抗議したときは後の祭だった。扉そのものが破棄されていた。勿論、大便器を置いて有る一つひとつの個室のドアを外したわけではないが、外からトイレにならんでいる子供たちが良く見える。特に、男子の小便にいたっては、ペニスに手を添えているらしい格好が良く見えた。
 大古は、子供のプライバシーなど考えていなかった。★(甲1号証)
 また、トイレのドアは国民の財産であるその財産を勝手に焼却処分してしまったのである。
 彼らは指摘させても弁済しようとはしないばかりか、ドアを元に戻すことをしなかった。
 私はこの問題を指摘して、逆に攻撃対象にされた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<7> ・・・・私は以下のことを批判し、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
指導という名のセクハラ
  新規採用教員の女性教員に浴衣を着せて、酒の酌の仕方の指導
 
 私は、千葉を先頭として管理主義教育に流れる動きに歯止めを掛け、管理主義教育全体を見直し、まなぶ人のためのまなびを創造する運動が必要だと感じた。そこで、まなびを正面から考えるためのサークルを作った。
 ある日のサークルでの事である。
「やっぱり、おかしいのよねえ」
 サークルの1人の女教員が言い出した。彼女は、今年教員になったばかりである。
「私の所には宿泊研修会というのがあるのよね。野田市と関宿町で採用になった教員は、夏、1泊2日の研修会に出掛けなくてはならないのよ」
「何、それ。野田市や関宿町には、お金があるんだねえ」
 私は、ビックリした。
「ううん、違うのよ。キッコーマンが義務教育振興資金というのを出しているのよ。そのお金で行くのよ。もっとも、旅行費用は、個人で立て替えて置いて、後でお金が返って来るんだけどね」
 彼女は、説明した。
「へえ、僕なんか、夏はのんびりして居た方がいいな」
「私たちだってそうよ。いまさら、千葉一周なんて」
「え、千葉一周なの?」
「そう、房総の方に出掛けるのよ。夜の海光ってるでしょ。海洋虫の中で光る虫を知ってる? 見たのよ。食事の後自由時間だから、散歩に行ってね。ところが食事後、外に出ないで部屋に残った女の人が3、4人居たらしいのよ。すると、その3、4人の人は部屋まで呼びに来られてね、指導主事たちのお酒のお酌をさせられたのよ」
 それを聞いて、麻生の目がギラリと光った。
「何、それ」
 彼女は、麻生に促され説明を続けた。
「浴衣に着替えさせられてさ、裾を少しはだけさせられてさ、袂を少し摘んで、『あの先生には、かあさんと言ってお酌するんだよ』って、やらされたんだって」
「黙って、やったの?」
 麻生は、許せないと言う表情だ。
「そりゃ、嫌だったらしいけどさ。新採だから仕方ないって言ってたわ。だって、事有る毎に『半年間は仮採用ですからね』って言うでしょ。」
 彼女は、私の方に向いて同意を求めた。私は、
「仮採用なんて関係ないじゃない。採用されたんだから、仮採用なんて言っても首に出来ないんだよ。教育委員会や校長が使う脅し文句さ」
と、彼女に説明した。
「そうなの? 本当? もしそうでも、そんなこと事新採の教員にゃ分かんないじゃない。仮採用だから採用取消にもなりますよ、っていつも言われているんだから」
と、彼女は答えた。
「犯罪的だわね」
と、麻生が堅い表情で言った。
「うん。お酌させられた教員の中には、親が警察官をしている人が居たのよ。親に話したら、親がものすごく怒って、問題にしてやるって」
 麻生が、うん、うんと頷いて聞き返した。
「それが当たり前。で、どうなったの?」
「でも、結局は、これから先教員を続けて行くのに、目を付けられちゃなんだからと」
「なんだからと?」
「うん、我慢することにしたらしいの」
 私たちは言葉を失った。麻生は、一層許せないという表情になった。★(甲1号証)
 私は、このとんでもないセクハラ事件を記録ジャーナル誌の原爆暦42年(昭和61年)1月1日号に書いた。その後、排撃署名される。私はこの問題を指摘して、逆に攻撃対象にされたのである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<8> ・・・・私は以下のことを批判し、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
セクハラに加えて 暴力もあり
  新採女教員を引っぱ叩く校長
 
 許せないことなら、他にもある。
 ある中学校の職員会議中、新採の女教員が頬杖をしていたら、校長がつかつかとやって来て、
「何だ、その恰好は!」
と、彼女の頬を引っ叩いた。
 さらに、その校長と彼女とが廊下ですれ違った際、
「挨拶をしない」
と、生徒たちの見ている前でまたもや引っ叩いた。彼女はテニス部の顧問をしていたが、その後自律神経失調症とやらで、病院に入院した。
 おかしいのは、「侵略」を「侵出」に改竄する文部省の意識だけではない。管理職らの意識というものはこんなもんだ。それでいて、彼らは「人権」という言葉を平気で使う。★(甲1号証)
 私は、このような暴力事件も記録ジャーナル誌の原爆暦42年(昭和61年)1月1日号に書いた。私はこの問題を指摘して、逆に攻撃対象にされた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<9> ・・・・私は以下のことを批判し、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
教委や教員らによる傷害事件のもみ消しをはかる教育委員会
  威圧し陸上競技大会での傷害事件をもみ消そうとする
 
 運動会が終わった後の10月、11月のこの時期は、学校では1年の内で一番時間の余裕があるとされている。従って、各学校の授業公開や公開研究会が目白押しに殺到する。その上、「市教委訪問」という招かざる客も、授業を妨害する客もこの時期にやって来ることが多い。★(甲1号証)
 授業を無理矢理見させてのその後の分科会が終わると、その全体会が始まる。★(甲1号証)
 私たちは、講師への湯茶の接待の片付けもそこそこに、足早に職員室に向かった。ところが、職員室に入ると、職員室の机の上には何もない。
「私の、メモ帳は?」
 私は、吃驚して訊ねた。
「机の上にあったものなら、事務室の棚の中にあるわ」 
 大曽根が耳打ちしてくれた。小声で話す彼女の様子に、何かあったなと推察した。続いて伊藤が、「事務室にある謎」を教えてくれた。なんでも、朝の時点で、大古が音頭をとり、机の上の物を全て片したらしいのである。あまりに見てくれ主義。私たちが管理主義教育の「東の千葉」と命名した管理主義教育の現場とはこんなものなのである。★(甲1号証)。机の上に本箱とか、本とが、実験用具とが何も載せないで、立派な教師陣だと誇っているらしいのである。
 いよいよ全体会が始まった。
 教育長の話が終わると、続いて学校教育課長本田の話になった。
「立派な校長・教頭がいながら、言うことを聞かず、自分の考えを持ち込んであれやこれやと言うのは良くない・・・」
と、丸顔で太った腹をダブルの背広で隠した本田は、偉そうに話した。
 教育委員会の行政官たちの話を総合すると、半分は誉め、半分はけなしている。私は、自分で取ったメモを見ながら感じていた。そういえば、去年も同じである。
 その内、彼らの話は、一応終わった。
「校長先生のお礼の言葉」
 熊谷の声で、大古がこれ以上真面目な顔は出来ないと言った顔つきで話し始めた。事実、そんな真面目な顔をしている彼を見るのは初めてで、多分に仰天した。
「今日は、色々と貴重なお話を有難うございました。明日から、今日のお言葉を励みにして、教職員一丸となり邁進して参りたいと思います。まことに有難うございました」
「キリツッ!」
 掛声で教員たちは一斉に立ち上がり、市教育委員会より派遣の8人が職員室より出て行くのを見送った。市内陸上競技大会での怪我人の責任を取らないばかりか、反対に威圧しもみ消しをはかる教育委員会なのである。★(甲1号証)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<10> ・・・・私は以下のような理不尽極まりない攻撃を受けた。
生徒指導を通じて傅かせる手を使う熊谷教頭
  生徒指導で教師を配下に
 
 朝の打ち合わせも終わり、私がクラスに行こうとしたその時である。
「校長先生、私が」
 熊谷は、大古を制した。
「中村先生、ちょっと。あんたのクラスの学級指導はどうなっているんだ。昨日、井沢という男の子が帰ろうとして止めたら、お前には関係ないと言いおった。関係ないとはどう言うことか? どんな教育をしているんだ! 井沢は中部小からの転入生だろ。転入生が、まだ前の学校に帰りたいと言っている様でどうなるんだ。偉そうな事を言っている前に、自分のクラスがどうなっているのか、知っているのかね」
 熊谷が矢継ぎ早に怒鳴りあげた。私は熊谷の血相に呆気にとられた。というのもいつも私の質問にはのらりくらりと逃げるのに、今のこの気迫である。
 実は、これは管理職が教職員を傅かせるための常套手段らしい。
 実は昨日は出張で隣の学校の公開研究会に参加していた。従って、校長や教頭らは補教に行かなければならないが、行かないばかりか、クラスの児童がしっかり頑張ろうとした結果の児童間の気持ちの行き違いを利用して、自分たちが補教に行かなかったことを棚上げにして、担任の私を責めたててきたのだ。★(甲1号証)
 私は何とか熊谷をいなし教室へ急いだが、1校時目にくい込んでしまった。★(甲1号証) 管理職が教職員を傅かせるための常套手段だが、彼らは、その結果授業が潰れようとその責任すら取らない。
 私は以上のような理不尽極まりない攻撃を受けた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<11> ・・・・私は以下のような理不尽極まりない攻撃を受けた。
児童の絆の分断をはかる教頭 あってはならない行為
  転校生に君のクラスの子どもは良くない、と言う教頭
 
 さて、熊谷をいなして、教室に向かい昨日の事の子細を知った。学習中うるさいと指摘された伊沢という名の児童が教室を飛び出した。心配した残りの児童が彼を呼び戻そうと追いかけた。他の児童が伊沢に追いついてなだめて連れ戻そうとしているところに、熊谷教頭がやってきた。
 なんと熊谷は、児童たちの自己解決の過程を見守るのではなくて、伊沢以外の児童を教室に追い返すと伊沢だけを校長室に連れて行ったのである。
「教頭先生は、俺を校長室に連れて行ったんだよ」
「連れて行て井沢さんに何を言ったの?」
「何で、先生には関係ないんだって言われた」
「それで?」
「関係ないからないんだ、って言ったんだ。そうしたら、そんな関係ないことはない。先生は、朝礼のときなんかみんなを見ているし・・・他のクラスには、1人学校に来ない子がいて、その子のために電話したり行ったり、いつもしているって言ったんだ」
「それから?」
「うん、今度は、4組はいいか、と聞いたんだ」
「なんて答えたの?」
「うん、良い、と答えた」
「さすが、井沢。4組ほど良いクラスはないよ」
 クラスの仲間たちははやしたてたり、うん、うん、と首を縦に振り頷く。
「それで、教頭先生はなんて?」
 井沢の側に居た江連という男の子が、訊ねた。
「先生は、4組の子供は余り良くないと思う。4組は本当に良いのか、って聞くんだ。先生は、お前の味方だよって話すんだ」
「で、お前、なんて答えた?」
 子供たちは、先ほどとうって変わって、真剣な顔で井沢に注目している。
「絶対良い、と答えた」
 子供たちは、ほっとした顔になった。
「それでは、そう言うことをしたのは始めてか、と聞くから、始めてですと答えた。そうしたら、君は中部小から転入して来たんだね、あちらと比べて友だちの数は多いかな? と聞くんだ。だから、こっちも良いけど来たばかりだから、まだあっちの方が友だちがたくさん居ると答えたんだ」
「それで終わり?」
 鈴木が聞いた。
「そしたら、友だちはいいもんだよ。クラスの人に来るなって言われて、悔しかったろうなあ。そんなに悔しかったか、って聞くんだよ。俺、来たくて来たんじゃないから、あんたなんかもういいわよって言われたらやっぱし頭に来た、と答えたんだ。そうしたら、そうか、そうかって頷いているんだ。そして、教室に帰ったら、謝らなくていいよ、とやさしく言い出したんだ」
 井沢の話を聞いていた子供たちが、口々に言い出した。
「おかしい。教頭先生はおかしい!」
「教頭先生に抗議に行く!」
 子供たちは飛び出した。こういうときは、女子の方が勇ましい。
 この後、クラスの仲間たちは、クラスの児童たちを仲違いさせようとした熊谷に謝罪することを要求した。★(甲1号証)
 私は以上のような理不尽極まりない攻撃を受けた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<12> ・・・・東部小の児童たちや私は以下のような理不尽極まりない攻撃を受けた。
熊谷の失態を隠すため、私のクラスの弱みを握ろうとする大古
  児童に責任を転嫁する教員や大古たち
 
 その日の午後は、学年会が持たれた。職員室にかかって来た私への電話の用件が終わって、学年会が開かれている3組の教室に戻ると、その席に吉田と佐々木が来ていた。ただならぬ気配である。
「この頃になると荒れて来るんですよ」
 吉田が言うと、佐々木が相槌を打って、そして付け加えた。
「卒業も近いと言うことでね」
 吉田や佐々木は自らのまずさを棚に上げて、卒業式の近い事のせいにしている。
「いいえ、私は荒れて来ているとは想わないんですが。みんな色々な事を考えながら自分なりに表現しているんですよ」
と、私は言ったが、他のクラスの担任たちは、6年生全体が荒れているのは、学級指導のまずさがこうしている、と意味有りげな事を言い出した。そこへ突然に大古が入って来た。学年会に大古が来るというのは初めての事である。大古などの管理職や教務、吉田や佐々木などの専科は「7年生」と呼ばれ、昼食は一緒にとっていた。そこで、各クラスの児童の批評などをよくしている。
「4組の子は、何かこっちがミスがないかとつけ狙っていて、何か有れば全体でわっとやって来る。おとなしい子まで、そうだ、そうだ、と頷いている」
 吉田が強い口調で言った。その後を、佐々木が受け継いだ。
「井沢は、先生は北海道で教師をやれなくて東京に来て、東京でも駄目だったからここに来たんだろ。何か有ればすぐに止めさせられるんだ、と言うんだから」
 佐々木は腹立たしそうである。私は、午前中、事の経緯を子供たちから聞いていたので、
「しかし、彼らなりの理由もあるかも知れない」
と発言した。が、この言葉は彼女たちの怒りに油を注いだ。
「どんな理由ですか? 是非とも聞かせて欲しいものだわ」
と、言う彼女たちは毅然とした様子である。
「いや、黙っていようと想ったんですが、先生たちもその辺の事を決意されて学年会に参加されているようですし。仕方がない。言います。例えば、笛を取り上げたり、しかもその笛を落とし物箱の中に入れたり、他のクラスと比較したり、あるいは、5年のとき何も習っていないと言ったり、1時間中説教するのはどうかと想います。5年のときの家庭科の教員は私たちです。彼らは、私たちが家庭科を一生懸命やっていた姿を見ている。批判される自分のクラスの担任が可哀想だ、という気持ちも有ったと想うのです」
「教頭先生から聞きましたが、私、子供たちの前ではそんな事は言ってません」
 佐々木はそう答えると、次の言葉を付け加えるのを忘れなかった。
「ただ、余り家庭科を教わっていないのも事実でしょ」
 大古は、もっともと頷いている。
「2組の子供なんかは、『産休先生だ。産休先生だから、クラスが持てないんだ』とからかうのよ」
 佐々木は、表情をこわばらせている。彼女は、先週はよほど頭に来たらしい。その時、彼女は2組の子供たちに対して、
「それなら、お前たちには、何も教えてやらない」
と怒鳴った。そう言った手前、佐々木は、今日の2組の授業を放棄していた。
「中村先生の言ってるのも、1つの現象面だと思います」
 大曽根が吉田や佐々木をかばった。続いて、伊藤が、
「この時期だからと言って、悪くなっていると思いますか?」
とみんなに聞いた。私は腑に落ちないので、
「この時期だからというのはないと想います」
と即座に答えた。
 が、会議の全体の流れは、専科と担任のコミュニケーションが上手く行っていなかったと思うので、これを機会にコミニュケーションを密にしていこうという所に落ち着いた。★(甲1号証)
 また、大古は私の担任としての失態をつかみたいと狙っていたらしかったが、それも空振りに終わった。明らかになったのは、専科教員たちの理不尽さのみだった。★(甲1号証)
 しかし、これはすきあれば私の失態をつきたいと狙う大古や、ことあれば自らの責任を児童の責任にして逃げる教師たちの理不尽極まりない攻撃の1つだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
(大古和時代・2年目)
教員3年目/昭和56年4月1日から57年3月31日まで
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<13> ・・・・私は以下のことを批判し、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
体育主任を他市に出し、傷害事件を闇に葬る
  陸上競技大会での傷害事件の責任者の1人を松戸に出す
 
 大古が来て、1年が過ぎた。松戸へは、異動希望者が多くなかなか異動するのが難しい。しかし、陸上競技大会練習で多くの怪我人を出した傷害事件の責任者の1人の体育主任の新宅は、松戸の小学校に異動して行った。怪我した子供たちも中学校に入学して行った。すると、大古は、事有る毎に言い出した。
「最後は、校長が責任をとるからよぉ」
 大古の人を喰ったような態度は益々助長され、校長派の教員たちの声は、一層威勢よくなった。
★(甲1号証)
 しかし、大古は傷害事件での責任をとることなどせず、トイレの入口のドアを元に戻すことなどもまったくしなかった。
 私は練習方法を含め陸上競技大会の改善やドアを取りつけることを要求して、逆に攻撃対象にされた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<14> ・・・・私はぬくもりのある児童どうしの関係の創造を求めた。しかし、そのことを間違って把握した大古らによって、ここぞとばかりいわれのない攻撃を受ける。
生徒へのいじめを許す大古ら
  中村弾圧の方が大切
 
 慌ただしい運動会が何とか終わって、しばらく経った頃だ。体育倉庫に用事があって、給食の時間に出掛けた。すると、体育倉庫の隅の板の陰から物音が聞こえる。
「誰か居るの?」
 目に入るのは、跳び箱や春から秋までは使われなくてしまいっぱなしになったストーブなどだ。それらは、乱雑に小山のように積み上げられてある。どうも、音は、それらの後ろから聞こえたような気がする。かき分けて後ろに回ったが、誰もいない。おかしいな、そう想って目を凝らしてみると、厚手のベニヤが横に立て掛けてあり、かろうじて1人の子供なら入れそうな隙間がある。まさか、私は、疑った。しかし、念のためにと板をずらし隙間を覗き込んだ。
「どうしたの。こんな所にいて!」
 6年生の男の子である。体つきは決して大きくはない。彼の目からは涙が溢れていた。
「わけを話してごらんよ」
 私は、何度か繰り返した。しかし、彼は、ただ泣き続けて居るばかりだ。
「いじめられたの?」
 やっと彼は、首を縦に振った。
「何かあったらおいでよ。私も、いじめられたりすることがあるんだよ。」
 私は慰めた。私の言葉で何となく元気を取り戻した様子の彼は、教室に帰って行った。
 私は、放課後、職員室に居た担任を呼び止め、隣の事務室の中に招き入れた。
「職員室じゃなんだと想って。実は、松浦さんのクラスの生徒が体育倉庫の中で」
「ああ聞きました。野菜を食べないから、みんなから食べろ食べろと言われて、それがいやで教室を飛び出したんです」
「でもね、体育倉庫の中の隅で、しかも板の隙間で泣いて居たんだよ。幾ら何でも」
「すぐ泣くんですよ」
「いや、いじめられたと言っていたよ」
「いじめられ易いんですよ。いじめられ易い子って居るでしょ。あの子も悪いんですよ」
「そうなの? いじめ易いからっていじめる方に問題があるんじゃないの。それに、野菜を食べないからっていじめられるのはおかしいでしょ?」
「でも、偏食は止めさせなくてはならないですから」
「それは、本人次第でしょ。いずれ食べられる日も来るかも知れないし、食べられないものを食べろ食べろと言うのは拷問だし。担任が、嫌なら食べなくてもいいよ、というぐらいの感じでいた方がいいんじゃないの? 子供たちは、担任の気持ちを微妙に反映しているでしょ。担任がそんな心構えでいたら、子供たちの方も彼に対する接し方がきつくなって来ると想うんだよ。今は食らべれない野菜は、無理に食べなくてもいいじゃない? ともかく、いじめられた側に立ってみると分かって来ることも多いと想うんだよ。」
「分かりました」
「気にさわったらごめんね」
 松浦は、何となく理解したような感じで事務室を出て行った。私は彼に話して良かったと、胸をなで下ろした。
 
 私は「同和教育主任」をしていた。私は単に同和教育のカリキュラムを作って済ませるマヌーバー的なやり方に反対だった。差別の構造を見抜き、何が本当の問題なのか教員自身が解ることが必要である。そして、子供と心で繋がり合い、身の回りの小さないじめや差別に苦しむ子供に目を向けるべきである。私は、事ある毎に教員たちに呼び掛けて来た。
 私は、定期的に同和教育についての基本的な考え方をプリントにして出している。もっとも大古たちはそのようなやり方を苦々しく思っている。
 今回、新しいプリントを出したが、その中に、先日の体育倉庫の陰で泣いて居た子供の件も、学年やクラスや子供名を伏せて簡単に触れた。いじめのない人間関係を作る場合の参考にしてもらおうと考えたのだ。プリントを配布する際に、狩野が、
「この泣いて居たという子、何処のクラスなの?」
と聞いて来たが、私は、
「何処のクラスとかは、問題じゃないですよ」
とだけ答えた。
 プリントを配った次の日の朝の打ち合わせで、北村が口火を切った。
「中村先生、体育倉庫の陰で泣いて居た児童は、何年生の何クラスですか?」
 私は困った。
「それは言えません。参考にということで例に出しているだけですから」
 北村の後を深澤が続けた。
「それは、おかしいんじゃないんですか? 何処のクラスか言ってください。でないと、ここに書いてあることは信用出来ません!」
 深澤の発言が終わるやいなや、斉藤が追求して来た。
「ない事実を書いているんじゃないの? 何年の何処のクラスか言えないんじゃ、作文したと思われても仕方ないよ。生徒指導の事例研究では公表するのに、どうして中村先生は公表しないの? 作文じゃないの?」
 斉藤は、私が子供の人権を配慮して公表するはずはないことを百も承知で、私にくってかかった。さらに北村が言った。
「松浦先生のクラスだとするのなら、これは完全に間違っています。松浦先生のクラスの子はかくれんぼをしていただけですよ。ねえ、松浦先生」
「そうです、うちの子はかくれんぼしていただけです」
 なんと松浦のクラスであることを彼らは知っている。しかも、松浦は否定している。北村も深澤も松浦も斉藤も体育部である。4人は一緒になって、ミニバスケットや陸上競技大会練習を懸命にやっている。
「本人の人権上の問題もあるので、何処のクラスだと職員全体の前で明らかにする段階ではありません。が、解ってください。そこに書かれたことは真実です」
 私が具体的に事実に言及することを避けたため、答弁は全く歯切れが悪い。いやはや散々である。私は嘘を書いている、としこたま避難されている。具体的な実名を明かして「A=いじめられっこ」という偏見を教員たちの見方の中に固定化させたくない。また、松浦も可哀想だ。何か事情があるに違いない。私は唇を噛みしめて、教職員たちを見渡した。狩野派は北村たちの発言を、妙ににやにやして聞いている。
 それにしても、教員という者がこんなに嘘を付くなんて信じられない。松浦の立場を考えた。よほど何かあったのかも。同情的になって来た。そこで、私は松浦の教室を、2時間目と3時間目の間の20分休みに訪ねて見た。
「先ほどの話だけど、どうしてかくれんぼだなんて嘘をつくの?」
 私は、松浦に訊ねた。松浦は、
「中村先生は、陸上競技大会に反対なんでしょ。そんな人とは話が出来ない」
「それと先ほどの嘘とは、関係ないじゃない」
 私が言うと、突然松浦は形相を変え、
「ここじゃ子供たちが居るから、外に出ろ!」
と、子供の前ですごみ、今にも殴りかかりそうである。
 私は彼にも事情があったのではないかと心配し、クラス名を伏せたことが今は空しかった。保身のためには、ここまで人間は嘘が付けるのだ。驚いた。否、私の蒼い人生観は思い切り叩き付けられた。教員とは道徳を説く傍ら、平気で嘘を付く人間だったのだ。
 ところで、この事態の黒幕に狩野派が居るのに気付くのに、さして時間はかからなかった。麻生が教えてくれた。
「昨日、中村さんが帰ってからの事なんだけど。狩野さんが何処のクラスかしらと職員室で『犯人探し』を始めて、結局、松浦さんのクラスじゃないかって言うことになって、松浦さんが事情を聞かれたのよ。ところが、松浦さんが隠れんぼをしていたのであって、そこに書れていることは事実じゃないという事を言ったもんだから、校長や狩野さんや体育部の人たちなんかが、逆に中村さんを問題にしてとっちめようと言うことになったのよ」
 狩野は、私と同学年であるにも拘わらず、大古と手を組み、私をいじめにかかっているのだ。狩野と同じ学年になったときの「嫌な予感」は的中した。それにしても教員は「犯人探し」が好きだ。まるで警察根性そのものだな。★(甲1号証)
 いじめられている児童や弱者の側に立とうとすら考えようともしない。だから松浦の嘘を見ぬけず、松浦の嘘に乗っかかり、これ幸いと私を狙ってきた。
 私を狙う大古らによって、いじめに取り組む私が逆に攻撃対象にされた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<15> ・・・・私はこの問題を指摘して、逆に攻撃対象にされた。
セクハラを公然と行う校長
  女装し股間にバナナを擦り付ける校長
 
 2学期も終わりの時がやって来た。いつもの様に勤務時間であるべきはずの午後1時頃から、『期末反省会』という名の「酒の宴」が始められた。
 狩野との蜜月を重ねていた大古は、気分が良かったのか、大いに飲んだ。
「酒が好きでよ」
 大古は言ったが、私は、その時、大古が赤ら顔なのは酒に焼けたからだと確信した。
 酒の会では、学年ごとに出し物をする。
「次は、七年生、お願いします」
 司会がマイクに向かって話す。校長、教頭、教務、専科、養護教諭、事務主事など、いわゆる1年から6年までの学年に入らない者を勝手に七年生と名付けているのである。大古は、女性に扮装してエプロンをつけて出て来た。そして、養護教諭を相手に踊り出した。大古は、手にバナナを持っている。すると、突然、大古は、バナナをペニスに見立てて股間にこすりつけ出した。私や麻生は、あっけにとられた。若い女教員たちの数名が、なんともいえぬ表情で目をそらした。
「あら、嫌だ、校長先生!」
 狩野のそういう言い方が、また嫌らしい。嫌だといいながら、その口調は全く嫌がっていない。ともかく狩野派を初めとして、大古の踊をわいわいと盛り上げている。すると、今度は、大古は、その、バナナを口に持っていき、なめ回し出した。思わず隣の君津が私の方を見て苦笑した。★(甲1号証)
 明らかなセクハラだ。
 私はこの問題を指摘して、逆に攻撃対象にされた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<16> ・・・・私は以下のことを批判し、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
学校を使って金儲けをする者たち
  「書星会」派から 睨まれる
 
 年が明け3学期になった。
 3学期の初日、こどもたちと顔を合わせた私は、
「書星会に出す人?」
と、訊ねた。26人のこどもたちが「書星会」への出品を希望した。
 書星会というのは、浅見喜舟という人物がやっている書の会である。だがただの書家の会ではない。この会は千葉県の学校を動員してこどもたちの書き初めの評価を全県的に行ない、その上浅見は、日本書道学会を通じて文部省の社会通信教育の書道関係の教科書執筆まで行っている。こどもたちが書星会に出品すると、彼らは浅見の手本の字体に似た順に「書星会賞」「金賞」「銀賞」「銅賞」などの賞を受ける。しかも、「成績のいい」学校は、学校自体が書星会から表彰される。そこで、各学校は学校をあげてこれに取り組んでいる。学校によっては校内研修に書星会傘下の指導主事や教員を呼び、書星会で高い評価を得られる文字の書き方のポイントを教えて貰うといった熱の入れようである。
 学校で取り組んでいる以上、それぞれの教員たちも自分のクラスから出来るだけ良い賞を数多く出したいと思っている。12月に手本が学校に来ると、各教室では「習字」「書き方」の時間と称して、書星会で賞を取るための書き初めの練習がなされる。浅見の字体に似た字の練習をするのである。私のクラスでは出品者は26人と少ないが、他のクラスは書き初めが冬休みの宿題となっており、浅見の決めた書き初めの文言を手本を元に真似て書き写して教員に提出する。そして、ほとんどの児童が義務的に書星会に出品させられる。否、学習の一環と思っており、当然のことのように出品する。こにも親にも、提出に抗って担任教員に嫌われたくない、という心理が働いているだろう事は想像に難くない。
「出す人は、出品料を明日持って来て」
 私は、こどもたちに事務的口調で告げた。そうなのである。有料なのである。「義務教育は、これを無償とする」とは、日本国憲法26条だ。従って、学校でやる以上、無償としなくてはならない。が、民間の営利団体の書星会が、学校に堂々と入り込み金をとっているのだ。通常の場合、こどもたちは書星会の浅見の字が印刷された手本1枚と書星会専用の長半紙を10枚から20枚程度買う。従って出品料と合わせると、どうしても1人300円から300円程度の金はかかる。その金を千葉の小中学生のほとんどが払うとなれば、書星会に入る金は相当な額にのぼる。
 少額なら気付かぬ事もあろう。しかし、そんな多額の利益を上げている団体に、何故教育委員会や校長会は「無償である」「義務教育」の場を提供しているのだろう? その上、集金を担任にやらせ、書星会への作品の搬入搬出までも各学校の教員たちにやらせている。つまり、出品作品は教員たちによって各地域に各ブロック毎の会場に運び込まれ、それを各学校から出された評価担当の教員たちが評価した後、また教員たちが自分の学校に持って帰っているというわけだ。であれば、自分の学校で評価すればいいわけであるが、そうすると出品料や専用の半紙代が稼げなくなるから、わざわざ地域ごとに場所を決めてそこへ運び込ませている。これがトリックというわけだったのだ。
勿論、搬入搬出は勤務時間中に公然と行われている。なんと、「教育」の場を提供しているだけではない。教委や校長会は、公費が支払われている教員を使って、営利団体の事業活動をやらせているのだ。
 本当に、書き初めの会をやりたいなら、高い手本代や高い専用の長半紙代を払わせなくても、市販の安い紙を使ってこどもたちの抱負を書かせればいい。えっ、手本がいるって。そのこどもの書き初めにしたい文言の手本は、担当の教員が書いてあげる。親も手本を書いてあげる。習字がうまい児童も書いてあげる。それこそみんなで共まなびすればいい。味のある一人ひとりの字体を生かす書き初めが出来るというものだ。昨今では、個性的なまなびこそ未来を担うこどもたちのために必要だと、徐々に訴えられて来ているではないか。
 私は是正を申し入れた。同時に書星会の学校関係に限った書き初め事業の会計報告を求めた。しかし、今日まで回答はない。★(甲1号証)
 
 1夜開けた。出品作品と出品料が集まって来た。
「これ出すの?」
 吃驚して、私は湯浅という男のこに聞いた。彼は、ニッコリ微笑みながら頷いている。実は彼の書き初めの文言は「健康」。浅見の手本とまったく違う文言なのだ。その上、調べてみると、書星会の半紙ではない市販の半紙に書いたこどもも2名いる。私は、26人分の書き初めを、搬入担当になった教員に渡した。
 私が職員室に行くと、熊谷が、
「中村先生、ちょっと」
と、呼んだ。彼は、
「先生のクラスに、書星会では出品を認められない書き初めが3点混じっていて、その3点は受け付けられないってことだから」
と、話し出した。私は、熊谷を見た。彼は、当然と言った顔をしている。
「本当ですか。でも出品料は払っているんですよ。出品を認めるべきじゃないですか。手本と違う文言だ、半紙が違うなどの理由で彼らの出品を断るんですか?」
「書星会の基準と違うからね」
「そんな。半紙が違うから、文言が違うからと認めないと言うんですか? 『義務教育』でそんなことをしていいんですか。そんな団体に学校が協力しているというのがおかしいでしょ。この際、学校は書星会とは袂をわかつべきですよ。こどもたちが被害にあっているんですからね。そもそも書き初めは、それぞれのこどもの年の始めの抱負を素直に書くべきじゃないですか? 第一、千葉県中同じ文言を書かされること自体がおかしいでしょ。例えば『千代の春』をみんなが書く。個性何て何処にもないし、ファッショ的で逆に気持ち悪いでしょ?」
「でも、書星会のことは、書星会が決めることだから」
「解りました。私は私のクラスのこどもたちの気持ちを大切にしたいから、私が直接書星会と交渉します。浅見さんの交渉先を教えて下さい」
「いや、いや。僕の方でもう一度書星会に聞いてみるよ」
 私に押し切られそうになった熊谷は、答えた。
「本当に、こどもたちの側に立って交渉してくれますね?」
 私以外にも、書星会の儲け主義や、画一的文言と字体の押しつけを批判する教員たちも少なくない。これ以上、この件でもめることは得策ではないと書星会も判断したのか、半紙の違う作品は出品を認めて評価することを告げて来た。しかし、「健康」と書いた作品は、書星会では受け入れられなかった。何故なのか。その理由として唯一考えられるのは、字体が違うとどれが「書星会賞」「金賞」「銀賞」「銅賞」なのか区別できなくなることである。各校の国語部会や習字担当の教員たちは、その程度の実力で判定を行っていたのである。
 しかも熊谷が私に相談なく「健康」と書いた児童の家を訪問し、書星会への出品料を返金していた。何故教頭が、いかなる権限で書星会の問題に関するのか! 明らかな管理職たちの書星会問題でのブラックシンジケートができている。
 書星会だけではない。ぺんてるや地方新聞の千葉日報社が主催でやっているこども県展というのも、同様に、「無償」であるはずの「義務教育」の場の学校と公費が払われている教員たちを使って、出品料をとり絵画を集め評価をしている。そこで、教員たちは入選させるために、こどもたちをして懸命に画一的な作品作りに取り組ませている。このこども県展に対する批判も書星会に負けず劣らずある。
 字や絵といったものは伸び伸びと表現してこそ、そのこどもの個性を豊かにすることにつながる。賞をとるためのテクニックや形に走ることは、逆に個性を潰していくことだ。それに、何よりも根本的な問題がある。誰が、字や絵を評価出来るのだろう。私なんかは、彼らの書いたり描いたりする字や絵はどれを見ても、天才に想えるのだが・・・
 書星会の出品作品が返されて来て、各担任たちは「書星会賞」「金賞」「銀賞」「銅賞」とスタンプを押した作品を廊下に堂々と張り出した。私はそれらを見て、「金賞」ならまだ良いかも知れないが「銅賞」のこは辛いだろうなあ、と想った。勿論、私はクラスのこどもたちと話し合い、クラスで行った習字を希望者に限って張り出すことにした。
 他のクラスの廊下への張り出しがなされてしばらく経った頃、朝の打ち合わせで熊谷が言った。
「先生たちにお世話になったからと、3000円の謝礼を書星会から戴きました。青麦会に入れておきます」
 青麦会とは、職場で作っている互助組織のことだ。ちなみに、大古が女装しバナナをもって踊った期末反省会の飲み食い代は、この会から出ている。★(甲1号証)
 書星会は学校を使っての問題が露見するのを恐れて、3000円のキックバックを行ってきたのだ。僅か3000円での買収というわけだ。
 私はこの問題を指摘して、逆に攻撃対象にされた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<17> ・・・・私は卒業式会場からの日の丸・君が代廃止を主張し、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
日の丸・君が代を守る 大古や共産党系
  日の丸・君が代反対で睨まれ出す
 
 書星会の件があったこともあるが、3学期は学期としては一番短く、すぐに卒業式や終業式が来る感じだ。本年度も、卒業式のための職員会議の時期が迫って来た。私たちは、今年こそは、と意気込んでいる。
 ついに卒業式のための職員会議が始まった。私は、『卒業式のねらい』の項目のところでは、儀礼を重んじるのではなく、こどもたちにとって最後の学習として印象に残るよう、こどもたち中心に式を考えようと訴えた。
 卒業式の議案の討議は進み、いよいよ『式次第』の議案になった。熊谷が説明した。司会が、
「何か質問意見がある人はありますか?」
と、教職員にふった。私は、手を挙げた。
「式次第のところにある国旗とは、いかなる旗でしょう?」
「その旗は、何というかね、まあ先生方ご存知のあれ、日の丸の旗っちゅうかね」
築井が答えた。
「それなら、ここに国旗と書くのではなくて、日の丸と書いてください」
「いや、日の丸は、国旗だから」
「日の丸は国旗ではありません。国旗だと言うのなら、その根拠を示してください」
「学習指導要領に書いてあります」
 築井に代わり、熊谷が答えた。
「学習指導要領が根拠と言うのなら、根拠にはなりませんね。学習指導要領では、国旗を決めることはできません」
「学習指導要領は学校教育施行規則に従っているのですから、学習指導要領は守られなくてはならない。最高裁学テ判決でもそうなっています」
 熊谷は、この間で答弁内容を学習していた。
「いいえ、最高裁判決は、学習指導要領は学習の大綱目的基準を決めることが出来るとしているのみです。従って、国旗制定という国の重要事項を学習指導要領が決められるわけはありません」
 私は切り返した。麻生が立ち上がった。
「それに、日本は、戦後責任は無論、日の丸・君が代の下でなした戦争責任すら取っていないわ」
 麻生はきっぱりと言い切った。
 菊池たち狩野派はといえば、例の「地域の事情を考えて」という主張を楯に、日の丸を掲げることに今回も賛成している。
 いよいよ多数決をとることになった。採決の結果は、原案賛成が15人、反対が16人だった。後は保留。私は、飛び上がらんばかりの気分だった。私たち反対派が、ついに勝ったのだ。
「今までは、多数決で押し切られて来ました。唯一数の力で理不尽なことをのまされて来たのです。しかし、今は違います。数の論理に従うのは校長あなたの方です。数に従って下さるよう要求します」
 私は、大古に「宣告」した。もはや大古の顔に血の気はない。
 ところが、またしても予期せぬ事が起こった。狩野派の菊池と親しい教員が、
「そんなにもめるんだったら、私、揚げるのもしかたがないという側に回ります」
と向こう側に寝返ってしまった。大古と狩野派の九回裏逆転満塁ホームランである。
 反対派といえば、惨めである。何日も飲まず食わずで、ただ味気ない砂漠の砂を舐めながら、やっと自分たちの目指す町に着いた。喜び勇んで目の前に想いっ切りの御馳走を並べ、さあ喰うぞと手を伸ばしたら消えてしまった。町も御馳走も蜃気楼だった。そんな想いを、今の私は感じていた。
 この寝返った教員も教員だ。余りに惨い仕打ちではないか! このままでは私たち反対派が、余りにも可哀想だ。一言言わねば! 私は腹の底まで想いっ切り空気を吸い込み、作り笑いをして、
「来年は、わたしたちが6年だ。日の丸・君が代なしの原案を出しますね。みなさん、それで決まりにしようね」
と、目一杯愛想良く呼び掛けた。むしゃくしゃしていた日の丸・君が代反対派の教職員たちから、どっと拍手が起こった。尚、寝返ったこの教員は、常日頃菊池に可愛がられているようだった。
 ともかく、私は卒業式会場での日の丸・君が代の掲揚斉唱に反対して、逆に攻撃対象にされた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<18> ・・・・私は卒業式会場からの日の丸・君が代廃止を主張し、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
日の丸・君が代卒業式の翌日、「手紙」を使っての大古の攻撃
 
 日の丸・君が代問題でもめた職員会議の翌日になった。朝の打ち合わせが終わると、大古が、
「中村先生ちょっと」
と、校長室に私を呼び入れた。大古は、机から1通の手紙を取り出す。
「こんな手紙が来ていてよぉ。どうしようかと迷っているんだけどもよぉ」
 大古は、さも困っているというような表情をしている。私は、その手紙を手に取り開けた。
 
  「5組の父兄ですが、担任を持ち上がって欲しくない」
 
 文面は短い。差出人を探したが、住所は無論名前もない。匿名手紙だ。
 私はクラスのこどもたちと別れたくない。それに・・・ちらりと昨日の職員会議のことが脳裏を過ぎった。ちなみに、6年生は卒業式の原案提出権を持っている学年だ。原案提出が出来る立場を確保するためにも6年担任にならねば。
「先生よ。持ち上がりは、止めてもらってよ。こういう親も居るから。こういう親がいない学級の方がねぇ」
「え、本当ですか? 本当に持ち上がりなしと?」
「仕方ないでよぉ、先生。そう言うことに」
「だって、さっきは迷っているって、言ったじゃないですか。だったら、持ち上がりを。
 クラスのこどもたちも私に、6年も担任になってね、と言ってくれているんですから。私のクラスにはこんな事を書く親が居るとは想えません」
 そう断言したが、私は自分の言葉に非常に誇張されたものを感じて、おもはゆい。まあそんな事がよくも言えるねと、もう1人の自分が心の隅で囁いた。本当は、お前の持ち上がりを望んでいないこが居るかも知れないじゃないか。おまえが知らないだけじゃないのか。私は、そう考えると不安になった。しかし、これらの言葉は些か迫力があったのか、大古は次の言葉が出せないでいた。
「この手紙の主は、ご存知なんでしょ?」
「知らないよぉ。先生、匿名手紙だからよ」
「ええっ、手渡しでしょ。切手に消印がないもの」
 私の言葉に、大古はうろたえた。
「誰か知っていらしゃるんでしょ。手渡しされたんなら。言ってくださいよ。匿名なんて、卑怯じゃないですか。もし、クラスの親なら親の意見をよく聞いて、改める所があれば改めます。学校は、こどもや親たちのものですからね。まさか、校長は、親と担任が理解し合うのを妨害するわけじゃないでしょうね? 誰ですか、手紙の主は?」
「いや、それは・・・先生よ、郵便受けに入れてあったんだよぉ」
「誰が、郵便受けから取り出したんですか?」
「俺がよ、見つけて取り出したんだよぉ」
「ともかくコピーさせてください」
 私がそう言うと、大古は慌てて手紙を私から取り上げ、
「いや、これは私に来たものだからよ」
と、そそくさと机の中にしまってしまった。私は告げた。
「じゃ、この件はもういいですね」
 私は校長室を出た。急に緊張の糸が解れて行くのが、はっきりと感じらる。それにしても苦虫を噛み潰したような大古の顔が、私の目にはっきりと焼き付いている。あの顔の表情は、当分忘れられそうもない。★(甲1号証)
 私は卒業式会場からの日の丸・君が代廃止を主張し、それらのことによって逆に狙われ続けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(大古和時代・3年目)
教員4年目/昭和57年4月1日から58年3月31日まで
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<19> ・・・・私は卒業式会場からの日の丸・君が代廃止を主張し、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
大古の攻撃に使われた「手紙」は、やらせと吐露した熊谷
  手紙という常套手段を使っての校長らの攻撃
 
 4月、私は、6年に持ち上がった。一方、今やしっかり私の監視役を果たしている狩野も、同じように6年に持ち上がっている。
 ある日、転校した教員との酒宴が持たれた。この春転勤していた熊谷も出席した。彼は、酒をつぎながら、私に対して、
「中村さん、あんたとはいろいろあったけど、俺は、誰かさんとは違うよ。俺は、正面からあんたと言い合って来たからな。俺は、PTAの親に手紙を書かせて持ち上がりを拒否させるような卑怯な真似はしない」
と、突然に話し出した。あまりに突然なので、虚を衝かれてびっくりした。匿名手紙の件を、彼が知っている。何故? 私には、推測出来ない。私は彼に聞こうと想った。が、想いとどまることにした。というのも、熊谷は、鎌ヶ谷小学校に栄転していた。彼の教頭としての立場もあろう。それが、彼が私に言える精一杯の言葉だ、と私は直感していた。
 それから10日ほど経った。私は、私たちが一昨年から作っていた『教科書問題を考える千葉市民の会』に出席した。
 会では、松飛台小学校の職員会議で、卒業式をめぐって職員と校長がもめた様子が報告された。職員会議の様子はテープにとられていた。渡辺という教員が話し出した。
「そのときの職員会議の司会は清水さんだったが、清水さんは、親たちの匿名の手紙で4年生への持ち上がりを拒否されそうになったんさ。そこで調べて見たらさ、結局はよ、これが校長がPTAに頼んで書かせたものだってことが分かってさ、清水さんは、持ち上がれたわけだけどよ。どうも校長会で、気に入らない教員には、匿名手紙で担任を持ち上がらせないよう攻撃するというのが教えられているらしいんだな」
 私はこの話を聞いて匿名手紙による脅しが、他校でも行われている事に気付いた。
 しかし、この手紙を使っての攻撃は常套手段だ。★(甲1号証)
 他県ではこの種の手紙で教師が自殺した。調べてみれば教育長の書いた手紙だった。
 ともかく私は、不当な卑怯なやり方で狙われている。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<20> ・・・・私は以下のことを批判し、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
暴力管理を明らかにされまいと弾圧する、教委や校長たちの罠
  校長が事情聴取、ますます狙われる
 奇妙なことだが、組合と教育委員会が一緒になって研究会をやっている。千葉県教育研究集会東葛支会というのがそれである。既に話した様に、大東亜戦争の敗戦後のごたごたの中で、千葉県教職員組合が作られたが、組合の書記長の加瀬という男は、28歳で校長になり、その後彼は組合と校長会との推薦を受け、国会議員になって行った。この組合と校長会の運命共同体を土台に、組合の上層部と教育委員会とは人間的にも一体化していたが、その一体化を元に成立しているのが千葉県教育研究集会であり、各教育委員会の管内に支会を持っている。勿論、労働組合と教育委員会が一体化すれば、労働組合法に違反する。従って、教員も校長も総て千葉県教育研究集会の会員にされるというわけだ。
 私は、今年は、千葉県教育研究集会東葛支会の生徒指導部会に属していた。私たち部会では、第1回の集まりで二中の教員たちが、
「今年も鎌ヶ谷幹部派出所の署長さんを呼んで生徒指導について話を聞こう」
と提案していたが、2回目の集まりにその鎌ヶ谷幹部派出所の警察署長がやって来た。彼は、
「非行生徒・児童に対しては、どんどん通報して欲しい。その際、たった1つでいいから具体的な例を掴んで置いて下さい。後は我々がやります。いいですか、たった1つで良いから具体的な例が必要なんです。1つ教えて貰えば、後は任せて下さい」
と、力説した。教育とはあくまでも生徒・児童を信じて訴え掛け、そして待つことであり、捕まえて矯正するという警察の論理とは真っ向から対立している。もっとも、教員たち側が「信じて訴え掛けそして待つ」ということをしないために、学校は出口のない迷路に入り込み、焦りと絶望、悲鳴と苦渋の坩堝と化している。そんな中、生徒指導を通じて教育の現場に、暗黙の了解として教育と正反対な警察権力が組み込まれて来ているのである。
 突っ張りたちが、
「先公は警察とつるんでいる」
と言っていたが、全くその通りだった。
 
 そんな警察と学校が一体化する中で、1つの事件が起きた。流山中央高校で、校長が服毒自殺したのである。学校が荒れたことの責任をとっての自殺であると、新聞が書きたてているが、その原因は、教員たちの体罰反対を求めて教員たちと対話を要求する生徒たちに対して、教員たちが警察権力を導入したことにあった。しかし、対話を拒否し警察を導入するといった教員たちの行為は、生徒たちの不信を一層煽り、事態は益々深刻化して行った。★(甲1号証)
 しかもこの服毒した校長は右翼的教職員の団体であると言われる千葉県教職員連盟に属している。その千葉県教職員連盟は「敵討ち」を表明していた。
 そんな中、その流山中央高校での日教組反主流派の教員たちが中心になり、全国生活指導研究会のメンバーの能重氏らを呼んで集会を開くことになった。日教組反主流派の拠点である東京都教職員組合の増田委員長は、生徒の「校内暴力」には警察の導入を、といった内容のパンフレットを作成して、全国の教職員組合のオルグに回っている実状だ。
 一方、その集会には、事件の責任をとらされ流山中央高校を退学になった「生徒」たちが、流山中央高校の教員たちに抗議する意味で出席するとの情報も入って来た。
 集会は流山市北部公民館で行われた。会場に入ると、長方形型に並べられた机の前方右に、30歳過ぎの口髭をたくわえた男と、その隣に、場違いな雰囲気に落ち着かないらしい2人の若者が表情を硬くして座って居た。
 やがて会が始まると自己紹介がなされた。その口髭の男は西村と名乗った。
「流山中央高校では、パーマをかけて行けば、体育教官室に連れ込まれてバリカンで丸坊主にされるですよ。その上、体育の時間、整列が遅れた、騒いでいたなんぞの理由で、雨が降っててもですね、どろんこの運動場で前転させられる。1時間中兎飛をさせられる。殴られる。体育の授業が終わると、保険室に列が出来るんですね・・・わしは、柏で寺小屋というのをやっているんですわ。寺小屋というのは、なんじゃこりゃ小屋みたいじゃなと言うんで、そういう名前になったんですが、その寺小屋に悪がきがタメを連れて来るんですわ。その中に中央高校の子供らも居たんですね・・・なんですか、教師は、警察とつるんでおる。教師が警察を学校の中に入れて、中央高校の子供をパクらせたんですね。わしが駆けつけたときには、子供らはタメを奪い返すんだ、もう許せん、と、流山幹部派出所を取り囲んで居るんですわ。わしゃ、もうびっくりしましてね・・・」
 西村がつっぱりたちの代弁をした。
 参加者の中で、流山中央高校の教員の仲間らしい高校教員が、西村の話に反論した。
「でも高校は大変でして。煙草を吸ったり、酒を飲んだり、一つひとつを見逃せば、全体の始末がつかなくなって来るんですよ。社会にルールがあるように、学校にもルールが必要なんですよ。私たちとしましても警察は導入したくないんですよ。でも仕方ないんですよ・・・」
 聞いている私は、その教員の柔軟性のない言いぐさに些かの疑問を感じた。
「煙草を吸っているから、酒を飲んだから、許さないという。しかし、許さないという観点からじゃなくて、まず彼らの彼ららしさを認めた上で付き合って行く。そこが、原点だと想うんですが」
 私が話した。すると、
「じゃ、高校生が煙草を吸ったり、酒を飲んだりしていのか! それでもあんた教員か?」
 先ほどの高校教員の連れらしい男が鋭い語気で切り返して来た。これには、些か困った。私は血のめぐりの悪い頭にハッパをかけ、知恵を絞り出して見た。
「いや、煙草を吸った、酒を飲んだ、だから、非行少年少女だ。そう言ってしまえば簡単です。しかし、そこで彼らを決めつけるんじゃなく、まず彼らと対等に付き合って行く、それが大切じゃないんですか? 我々もいろんな悩みを持っている。彼らも同様に悩みを持っている。煙草を吸ったからと、酒を飲んだからと、彼らとの関係を切り捨てたんじゃ、彼らの心とリンクすることが出来ないでしょ?
 まず、お互いに人格があることを確認し合う。そして、付き合って行く中からゆっくりお互いの気持ちをつたえあっていけば良いんじゃないんですか? そう言うことが本当の意味で心と心がリンクするためのきっかけになるんじゃないですか? ところが、学校は、ややもすると個人の人格の総てを1つの価値観で支配しようとする。そういう考えこそ危険ですよ」
 私が反論すると、相手の教員たちは黙った。
 この集会での西村との出会いをきっかけに、私は寺小屋通いを始めた。★(甲1号証)
 
 集会から2日経った。
 学習中に、突然白樫教頭が呼びに来た。
「中村先生、校長室に来てください」
 呼ばれるままに、私が校長室に入ると、大古が話し出した。
「中村先生が、煙草をすえ、酒を飲め、暴走族になれと言った、と市教委に電話があったってことなんだけどもさぁ。その事がさぁ、市役所での昼食のとき話題になってよぉ。中村先生、どうなんだい? その辺の事情を聴取をしたいんだけどもよ」
 2日前の集会の事である。どうも告口をする輩が居るらしい。
「事情聴取?」
「うん」
 大古は、ソファーに深々と座り余裕を見せている。
「そんな! 事情聴取する根拠は、電話の内容ですか? 何処の誰からの電話ですか?」
「それは、分かんねんだよぉ」
「じゃ、答える必要ないですね」
「だけどもよ、先生、事情聴取だよぉ」
 大古は身を乗り出して来た。
「でも、不確かな事にいちいち答えるわけにいかないじゃないですか。そうでしょ? 第一、市教委の誰かが直接私の発言を聞いたんですか?」
 大古には言葉がない。
「それに一言言わせてもらえば、私は、生徒たちに対して問題だと決めつける前に彼らをまるごと認めた上で付き合って行きましょう、と言う意味の事は言っていますがね。その考えの何処に問題がありますか? その上、日曜日に、一市民として参加して話したことでしょ。どうして、校長が事情聴取出来るんですか? それにしても匿名手紙とか匿名電話とか、よくよく匿名が好きなんですね」
 私の言葉で、大古は怯んだ。
「学習中ですから、これで」
 私は校長室を出た。しかし、私の胸はドキドキと高鳴っていた。ああ、狙われている。想わず呟いていた。★(甲1号証)
 私は上記の問題に関わって、生徒の人権を人格を守ろうとして、逆に攻撃対象にされた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<21> ・・・・私は以下のことを指摘し、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
闇に正体を隠した者たちから ますます狙われる
 
 退学させられた元流山中央高校生徒の手紙
 
 私は、流山中央高校事件の真実を、何とか伝えたいと想った。そこで、流山中央高校の生徒に手紙を書いてもらい、組合の大会や集会などで、組合員や市民の人たちに配ることにした。
「俺の友達A君が退学になった時、人前で初めて泣きました。それほどくやしかったし悲しかった。それまで人前で泣いたことのなかった俺は、そのとき思った。『流山中央高校は、こういう学校なんだ』『くさったみかんは箱の外へ出す』俺達はくさったみかんじゃない。先生達は学校の対面やみせしめのために、俺達を腐ったみかんにする。誰の学校、誰のための学校、そのへんをもう少し考えて欲しかった。『教師と生徒とみんなでやっていこう』なんて少しも考えない教師。俺達は何度も話し合おうと思い、先生の所に行った。そのたび無視された。俺達は、『このままでは、どうにもならない』『何か先生達にも考えてほしい』『なんで、ここまでやらなければならないのか』『先生達は、確かに権力をもっている。俺達には権力はない。どうすればよいのか!』『話しあいもしてくれない』と、いろいろ考え、俺達は学校をこわした。あのときは、あれしかなかったと思う。もし、あなた達大人が俺達の立場だったら、どうしましたか? 学生という権力のない立場で何ができますか! 校長は決して温情ではなかった。それは学校で3年間、生活してきた俺達が、一番よく知っている。」
 読んだ教員たちは口々に酷いわね、と流山中央高校の教員たちを非難した。
 ところが、東部小の狩野派、体育部系や組合内の管理主義教育派に限っては、彼らの手紙は極めて評判が良くない。かって新採教員時代に「狼に育てられた少女」の授業をし、河合から批判された蝦名も、今は、私を批判することによって、大古の点数を稼いでいる。
「一度も泣いたことがないなんて、恐ろしい性格だ。そうじゃない? 一度も泣いたことがないなんて」
と、蝦名は手紙を書いた生徒を批判した。それ故に手紙に批判を繰り返す東部小の教員たちは、自分たちもまたこれらの教員たちと同じ管理者だ、と言うことに気付こうはずもなかった。
 同時に、彼らは、このような人権無視の考えが、児童生徒たちの居辛い学校を作り出し、人間的な繋がりを希薄にさせるものとは思っていなかった。人間的な繋がりが希薄になることは、「不登校」や「いじめ」を誘発させ、果ては児童、生徒の生き甲斐すら奪うことに気が付いていなかった。
 中央高校の生徒の手紙の配布をしている最中、私のもとに手紙が届いた。
 
「拝呈、梅雨の候うっとおしい気候の日々でございます。
突然のお便りで恐縮いたします。このお便り差しあげる
私は、6年5組の父兄でもなければ、6年の父兄でもあり
ません。ただ父兄のお話をおききして、つい学校のためにと、
筆をとりました。
6月18日の陸上大会では、東部小学校は、市内で最下位
だったそうですね。その時、6年5組からは、1人の出場者
もなかったとか、信じられない事ですが、本当ですか・・・
私は、このことを話す声をききまして、ああこれでは負け
ても仕方がないと思いました。
東部小を代表して、でるのですから、1人でもよい選手を
だしたいと思うのは、あたりまえだと思うのですが、どうして
中村先生は、1人も、ださないのでしょうか、それでも先生は、
東部小の先生なのでしょうか、東部小の子どもを、どう
思っているのでしょうか。あの日、最下位、そして、十点も
とれなくて、しょんぼりしている子どもをみて、それでも、
子どもが、かわいそうだとは、思わないのでしょうか、それに、
うわさですが、先生は、会議などでも、ことごとに、大古校長
に、反対するということをききました。このことを、大古校長に、
話しても、まあまあと、おさめる位がおちでしょう、
しかし、父兄として、たしかに校長の責任もありますが、
先生の態度にも、疑問を感じます。何か、学校の
やり方に、先生が、非協力的というようなことを感じますと、
おそろしくさえなってまいります。
校長にいっても、らちはあかないし、先生を、かばう位が、
せきのやまです。今後によっては、県の教育委員会など
への報告もしたいと思います。
父兄の声は、つたわりにくいものですので、つい一筆したため
ました。                     敬具
              学校を心配する一父兄より、
 中村先生へ
 
 何も、私が市内陸上大会に出させなかったわけではない。彼らはそれぞれ放課後は自分のしたいことに時間を使っており、練習に参加したいと考える者がいなかっただけの事だ。無理矢理参加させなかっただけのことだ。
 私は、何人かに、
「練習に参加しないの?」
と訊ねたが、彼らは、
「去年参加したけど、先生たちが酷いんだ」
と、体育部系の教員たちの人権感覚のなさを批判していた。
 それにしても、私は、匿名という卑怯な手で脅すやり方に腹が立って来た。私は、この手紙を増す刷りして知人や教育問題の集いに来た人々に配ることにした。オープンにすることで、このような卑怯な手をなくし、教育問題を正々堂々と語れるようにしたいと想ったからである。しかし同時に、私は匿名という見えない「狙撃者」の存在に次第に怯えだしていた。★(甲1号証)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<22> ・・・・私は以下のことを指摘し、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
市で発行された「右翼新聞」姉妹紙
  ほのぼの新聞発行・市の予算で
 一方、大古の市議会議員との癒着は、2年目ともなるとめきめきと功を奏した。
 大古は、「小さな親切新聞」の関東の編集委員をしていたが、なんと大古は「ちいさな親切新聞」の鎌ヶ谷版である「ほのぼの新聞」を鎌ヶ谷市の予算で発刊させたのである。★(甲1号証)しかもタブロイド判のその新聞にはビニールコートが施してあり贅沢極まりないものだった。
 「ちいさな親切新聞」は笹川良一の競艇のあがりを財源とし、笹川たちが良いとする観念を学校教育に持ち込むもので、元来から「ちいさな親切、大きな迷惑」と現場の教員たちの多くから迷惑がられてきたものである。しかし、大古はその鎌ヶ谷版である「ほのぼの新聞」を鎌ヶ谷市の予算で発行させてしまったのである。市がそのようなものを発行するには、教育的な意義が明らかにされるべきだが、全くそのような意義は明らかにされなかった。彼と草の根保守との交流は、着々と実を結んでいた。そして、大古の在任中何度か発行された。
 しかし、大古が鎌ヶ谷市から異動していくと自然となくなった。税金の無駄使いそのものである。
 私はこの問題を指摘して、逆に攻撃対象にされた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<23> ・・・・私は以下のことを指摘し、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
暴力テロルを加えられる 暴力を容認する管理職
  部落差別学区問題で
 
 千葉特産のピーナッツの形に似た学区が、野田市にある。次々と近くに学校が出来たが、行政指定の同和地区を新しい学区に組み入れるのを除外した結果、そんな形になったのである。従って、同和地区の児童は何ら学校増設の恩恵を受けることはなく、学校からもっとも遠い所の児童は徒歩で1時間もかけてこれまでの小学校に通学し続けている。徒歩で10分以内に学校が出来たにもかかわらずである。私たちのサークルはその実体を調べ、千葉県教職員組合東葛支部教育研究集会でレポートした。
 教育研究集会では、大変な反響を呼んだ。レポートを発表した『人権』の分科会では、その小学区の改善決議まで採択された。
 
 運動会が終わった次の日は、午前中こどもたちを使って後片付けがあった。昼をかねて『運動会の反省会』と言うことで、図工室で「酒の宴」が開かれた。にぎり鮨も並べられた。会が盛り上がったその時である。突如として、築井が私の方にやって来た。
「俺の友だちが野田市のあんたの問題にした小学校のPTA会長をやって居るんだ。あの小学校地区の問題に首を突っ込んでもらっては困る。俺は、あの小学校地区に住んで居るんだ。なんのつもりでやっているんだ」
 彼は酒の勢いをかりてか、すごい剣幕である。
「野田市の小学校の問題ですか?」
「例の小学校の学区の問題だ」
「学区改善の問題ですか? それの何処が問題なんですか?」
 私は、彼を諭すように言った。すると、彼は、私の冷静な態度が気にくわなかったのか、
「酒の席の事だ。あんたも酒の席の会話をしろ」
と、睨み付けて来た。そして、
「この話を何処に出してもらってもよい。鎌ヶ谷市教育委員会も困らない。30のいい歳こいてんだから、人間として一般的になれ。どうせたいしたことは出来ない。世の中そんなに甘くない。おおばかだ。あんた、組織は何処だ。俺は、びくともしない。あんたもただではすまない」
と、彼は息巻いた。彼は教務になる前は千葉県の日教組主流派で支部関係の執行委員をしていた。彼は、私が依然として平然として居るのが気にくわないのか、私の頭部を十発ほど殴った。しかも、
「この野郎、やってやる」
と、彼は1升瓶を振りかざそうとした。私は、1升瓶を振りかざす彼にあっけにとられたが、ともかく身を守るために立ち上がった。すると、私が彼とやり合うものと勘違いして、驚いた君津が横から私の体にしがみついて来た。
「まあまあ、中村先生!」
と、君津が私を抱きしめて離さない。やばい、身動きがとれない。このままだと1升瓶を脳天にくらってしまう。
「こんにゃろう、お前みたいな教員はな!」
 彼は、1升瓶を振りかざして叫ぶと、殴り掛かった。私は、全身の力を振り絞って君津の手をはねのけ、とっさの所で逃れた。私は図工室の出入り口付近まで避難したが、彼は、まだとぐろを巻いて居る。彼は、
「お前みたいに校長にたてつく教員はな、クビにしてやる!」
と、繰り返し叫んで居る。そして、また1升瓶を振り上げ、新たな攻撃をしようとして来た。私は部屋の外に逃げる用意をした。見かねて、用務員の星井が、やっと彼を止めた。
 ともかく、その場は収まった。
 大古や白樫(しらかし)教頭は、ニタッとしながら一部始終を見て居た。
「築井さんは酒乱なのよ」
 周りの教員たちは慰めてくれるが、築井が私が非暴力主義者なので反撃されることはないのを計算に入れて暴力を振るったのではないかとの想いが、私の脳裏をかすめた。ひょっとすると酒乱ではなく、計画犯なのかも知れない。★(甲1号証)
 
 この学区が差別であることを、野田市教委も千葉県教委も認めなかった。しかし、私たちの千葉県教職員組合東葛支部教育研究集会での決議やレポートが参考や資料となり、文部省が部落解放同盟の指摘で差別学区と認めることになり、新たに学校が建てられ、また学区も再編成されることになった。
 しかし、この問題で私は、まさにそのことに対して反感を持つ教委や校長などの攻撃対象にされた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<24> ・・・・私は以下のことを指摘し、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
差別を助長させる教育委員会
  部落差別はないという教育委員会の認識
 
 運動会の終わったこの時期は例年のように研究会の目白押しである。
 しばらく経って、私たち東部小の教員たちは、全員隣の道野辺小の社会科公開研究会に出張させられた。私の見た部落問題を扱った授業では、なんと部落差別はなくなったと展開されていた。
 私は公開授業後の分科会での話し合いで、差別はなくなっていない事を指摘した。しかし、道野辺小の教員たちは私の指摘を認めようとはしない。私は会場会を見回した。県教委からも数名の者が参加して居る。
 県教委といえば、部落差別学区に対する対応は変えていない。今でも野田市のA小の学区は差別ではないと言い張っている。教委と差別学区と言えば、私は別の問題を小耳に挟んでいた。私たちが差別学区として取り上げているその地域に住む部落出身者が、この春、教員採用試験を受けB採用にされていた。A採用者は教員に優先的に採用されるが、B採用該当者は必ず採用されるとは決まっていない。そこで、教員採用に権限を持った教委関係者は、その人に200万円出せば教員に採用してやると持ちかけた。しかし、そのB採用になった人には200万円のお金が用意出来なかった。結果、その人はこの春から民間企業に就職していた。
 今、分科会に参加している教委の連中は、今尚部落差別があることを指摘するどころか、道野辺小の教員たちと私とのやり取りをただにやにやしながら聞いている。★(甲1号証) その彼らの態度からして、部落差別解消に取り組む私は、ますます教委にとって問題とされる存在になっていっている。
 分科会の司会は、理不尽な対応をとることで知られた井上校長のいた四中の教員がしていた。彼は、日教組主流派の活動家で千葉県教職員組合東葛支部の書記次長をしていた。その彼は、道野辺小の教員たちと私との議論の途中で、
「自分の子どもを保育園に迎えに行かなくてはならないから」
「もう5時になるから」
と分科会を終えてしまった。★(甲1号証)
 私は同和教育や部落差別の問題を指摘して、逆に攻撃対象にされた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<25> ・・・・私は以下の教師による暴行と傷害から生徒の人権を守ろうとし、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
二中の暴力支配を明らかにし 児童の人権を擁護する
  後に、二中の校長や教員らから狙われることに
 
 殺されると逃げて来た中学生
 土曜日の3、4校時は図工の時間である。私のクラスは、図工室に居た。すると、
「中ちゃん、中学生が来ているよ」
 1人のこどもが呼んだ。私は出入口の方を振り返った。確かに中学生だ。見覚えがある。田中ではないか! 通称で「ぼん」と呼ばれていた。「ぼん」は私を見付けるなり、
「助けて、殺される!」
と、真剣な、しかも哀願するようなまなざしで叫んだ。
「殺される?」
 私は、1升瓶事件はあったが、「太平な学校社会」の中で、かくもリアルな「殺される」の悲鳴にこれまで出会ったことはない。見ると、「ぼん」は1人のつっぱりを連れている。
「誰に殺されるって言うんだ?」
「二中の先公だよ」
「先公? またどうして? ここじゃなんだから」
 土曜日は、4校時である。後少しすれば、こどもたちは帰る。
「後少し待ってて」
 私は、彼を待たせ、クラスのこどもたちと別れると、空き教室で話を聞くことにした。
「おれは、2年の番長で、だから、先公が俺の事に目を付けていて、ちょっとしたことですぐやられるんだ」
 いやはや、情けない話だ。番長だから目を付けられて先公にやられると、逃げて来たのだ。
「2年が3年生の居る3階に行く踊り場の所に居ただけで、なんでここに居るんだと殴られるんだ。こいつは、おれの『ため』だけど、『だち』なんだけど。こいつなんか、酷いんだ」
 彼は、ちらりと連れの少年に眼を馳せた。「ぼん」の「ため」は、小柄で痩せていて、ケンカも弱そうに見える。
「上履きの後ろを踏んで履いていたからと、水につけられ、その上二階の窓から外に捨てられたんだ」
と、「ぼん」の「ため」が悔しそうな素振りをする。また「ぼん」が、しゃべりだす。
「自衛隊員だった先公の林なんか鉄パイプを持って歩いていて、それで脅すんだ。それだけじゃないんだよ。テストの成績が悪いと答案を返されるとき、3べん回ってワンと言わされるんだ。井沢なんかもらったプリントを捨てたら、先公に殴られたんだ」
「井沢って、あの井沢さん? うちのクラスだった、あの井沢裕二さん」
「そう、あいつが、2年の裏番なんだよ」
「何、裏番って?」
「俺が、表番で、井沢が裏番なんだ」
「表番? 裏番? なんだ、それ」
 私は聞きなれないその言葉に、妙なおかしさを覚えた。
「先輩が決めたんだよ」
 彼は、何の照れもなくさらりと答えた。そういえば、彼は喧嘩をしてもそれほど強そうじゃない。それに対し、井沢は小学校の時から柔道をやっている。中学校でも柔道は続けている。力も強い。体格もがっしりとしている。
 彼は次々と話す。殴られた話がよくもこんなにあるなあ、というぐらい続いた。彼は一応話し終わると、
「先生の所に来るように、井沢に言っとくよ」
 そう言い残すと、「ぼん」と彼の「ため」は帰って行った。
 それから、2日経った夜である。電話のベルが鳴った。
「先生、俺、井沢だよ。明日、放課後行くから、居る?」
と、井沢は告げた。
 
 次の日、井沢が訪ねて来た。
 久しぶりに会った井沢は、柔道をやっていることもあってか、一段とたくましく見える。
「おれ、市内で3位になったんだよ。3年生も入れてだよ」
 そう言うと、彼は、ニッコリと微笑んだ。そのとたんに頬にペコッとえくぼが出来た。あどけない表情は変わってないな、と私は想った。
「井沢さん、裏番なんだって?」
 私が訊ねると、彼はGジャンの中に手を突っ込んだまま頷いた。
「『ぼん』は、あんまし喧嘩強くないでしょ。他校との喧嘩でたいまんを張るときになると、俺が出るんだよ」
 井沢の首回りは、小学校のときと比べると一段と太くなっている。
「『ぼん』の言うことは本当だよ。俺は、そんなにやられないけどね。「ぼん」たちは、ぼかぼかやられている。あれじゃ、あまりに「ぼん」たちが可愛そうだよ」
「井沢さんはどうなのさ。プリントをなくして殴られたんだろ?」
「でも、あれは、俺が悪かったから。理科のプリントを捨てちまった」
 彼は、すまなそうにして、Gパンの膝の辺りを平手で叩いた。そして照れ笑いさえ見せた。
「殴られたのは、殴られたの?」
「うん、七〇発ぐらい」
「ええ、そんなに? 誰に? 何処で?」
「新岡先生。職員室で」
「誰も止めなかったの? 他に先生たちは居たんだろ?」
「居た。居たけど、誰も止めなかった」
「どっちで殴られた? 平手? パンチ?」
「両方だよ。口の中が切れて、顔が腫れあがった」
「それでも、自分が悪かったと、腹さえたてていないのはどうして?」
「殴られた後、かつどんをとってくれたんだよ。俺も悪かったけど、プリントを捨てたお前も悪いんだぞって言われたんだ」
「それで、七〇発も殴られて恨みに思っていないのか?」
「うん、今の中学には、かつどんをおごってくれる先生なんていないからね」
 彼は、純粋な眼差しで私を見る。
「ともかく、他の奴らは、可愛そうだよ。殴られるだけじゃないんだよ。この前なんかは、女の子たちがタバコを吸っていると言って、朝礼のときその子たちを全校生徒の前に出させ、鞄の中や持ち物やらをひっくり返して検査をしたんだよ。なんとかならないかな?」
 彼の言葉の節々から、自分の殴られたことよりも、他の生徒たちの事を気にしていることが窺い知れた。★(甲1号証)
 
二中の暴力支配
 その内、私のことが二中で噂になって行っているらしく、次から次へと生徒たちが苦情を抱えて学校を訪ねて来るようになった。私は彼らの訴えを聞くはめになった。
 
 二中には、和田という教員がいる。生徒たちの言うことをまとめると、この教員は、
「掃除の時間竹刀を持って見回り、生徒を叩いている」「俺にはヤクザや暴走族の知り合いが沢山居るから、ヤクザになりたいならヤクザにしてやる。暴走族になりたいなら暴走族にしてやる。どうだ、と生徒を脅している」「バスケット部の顧問をしており、部の生徒全員に成績表を差し出させ、成績が悪いと、てめえ何やっているんだよ、このやろう、とビンタしている」「バスケット部での和田の話の途中にトイレから帰って来た生徒を殴り、退部だと脅した」「上履きが汚れたので、校則で白一色と決められる前に使っていた青のラインが入っている上履きを履いていた生徒の耳を何度も引っ張り、5、6発殴った」「かかとを踏んでいる生徒に、今度踏んでいたら俺とタイマンだ、と脅し、後日かかとを踏んでいるのを見付けたら、髪の毛を引っ張り、頭突きを二発かました」「寝癖をおさえるために、水で髪を濡らしていた生徒に対して、チックを付けているんだろ、と髪を引っ張り、鼻をこずき、ひっぱたいた」「帽子を忘れ登校した生徒に、全部の教室のゴミを集めさせた」「卒業式の日、2年生が帽子を被らずに登校したら七発殴り、生徒は口の中を切った」「生徒が投げた帽子が和田に当たったので、投げた生徒を5、6発殴った」「卓球部に帽子が舞い込んだが、帽子を飛ばした生徒に対して一回ビンタして、10回蹴りを入れた」「生徒の学生ズボンを、取り上げて燃やした」「生徒の特攻ズボンを、テメエそんな服装していいのか、と取り上げた。そしてその特攻ズボンをはいて、こりゃー、なかなか格好いいじゃないか、俺のものにするか、と取り上げ返さないままでいる」「スポーツバックの中の女生徒のタバコを見付け、その女生徒を全校集会でさらし者にした」「女生徒が家に帰ってから、学校外でイヤリングをしていると取り上げ、溝の中に捨てた」「自転車に2人乗りをして忘れ物を取りに学校に行った生徒2人を、2人乗りしたと殴ぐり、1人に口の中を切る怪我をさせた」
ということをしたらしかった。
 
 また、石田という教員がいる。生徒たちの話では、何でもこの教員は、
「生徒が給食のトレーに敷くナプキンを忘れると、給食を食べさせなくする」「班で1人忘れると、連帯責任をとらせる」「弓折れを持ち、生徒の顔を叩いた」「腕立て伏せが出来ない生徒にも、腕立て伏せをしつこく強要した」「煙草を吸った生徒をクラス全員の前で謝らせた」「生徒がキャンプの手伝いをしなかったら、ビンタして鼻血を出させた」「文化祭で生徒がハンモックに乗っていると、何やっているんだ。おまえらぁ、人が作った物を! と言い、ぶん殴った」「女子生徒が授業開始に遅れ、トイレに行っていた、と嘘を付くと、嘘をつくな! とビンタを3発した。和田もこれに加わった」「生徒が柏にボンタンジャージを買いに行ったところを見つけ、ジャージを取り上げた」「生徒がバイクの無免許運転で警察に捕まった件で、顔が腫れ上がるほど殴った」「度々、生徒たちを足下から頭まで睨み付けながらゆっくり見上げ、脅している」
ということであった。
 
 そして、新岡という教員がいる。生徒たちによれば、この教員は、
「1年生の生徒がプリントを忘れたら、棒で尻を叩いた」「プリントを出せ、と言っても、ある生徒が机の中に入れたままだったので、20発殴った」「バスケット部の女子を理由なく殴るので、バスケット部の3年の女子たちから顧問であることを拒否されている」
らしく、別の永井という教員は、
「テストで0点を採った生徒を殴る」「生徒が教室で『野球』をしていたら殴った」「生徒がやや広いズボンを履いていたら、ズボンを取り上げた。その生徒は登校拒否になった」「クラブ活動に遅れたら、窓の拭き掃除を2時間やらせた」「ノートを取っていなかった生徒の頭に、パンチした」「教科書を忘れた生徒に、日記を二週間無理矢理書かせて、日記を点検した」「殴らないで欲しい、と言った生徒の母親に、明日一発気合いを入れさせて貰います、と逆に脅した。次の日、この生徒は別の教員から殴られ、学校に行きたくないと家出をした」「弁論大会で、優劣を決め賞を与えるのはおかしいと言った生徒を殴った」「生徒が教科書を机の中に入れて帰ったら、ビンタをする」「喧嘩をし、煙草を吸った生徒をクラス全員に対して謝らせた」「拳を額にぐりぐりと押しつけ、傷付ける。前の学校では、そのため指の間接を悪くした、とか、たこが出来た、とか言って手を見せる」「生徒の首を平手打ちにしている」「剃りを入れた生徒の頭を5厘にし、剃りの部分をマジックで塗った」
らしかった。★(甲1号証)
 
 また、尾崎という教員は、生徒たちの話では、
「体育の時間に話しをしていた生徒にビンタし、鼓膜にひびをいれた」「体育の時間に話をしていた生徒を相談室に呼び、柔道は正課だからいくら投げても構わない、と脅し、実際に柔道の時間に生徒の肩が外れそうになるまで投げ続けた」「卓球のラケットで生徒を何十発も殴った」「俺と喧嘩をしても内臓が破裂するぞ! と生徒たちを脅している」「陸上の時、ふざけて走っていた生徒の頭を拳で殴り、生徒は出血して体育祭に参加出来なかった」
ということをしたり、言ったりしているらしかった。
 
 それから、河島という教員がいるが、生徒たちによればその教員は、
「他学年の所に行った生徒には、あんまり他のクラスに行くな、学校はお前らのもんだけじゃないんだぞ、と蹴りを入れる」「文化祭でロックンロールをやったところ、やった生徒たちを殴った」「何かやると直ぐ生徒の頭を5厘刈りにする。『5厘の河島』と異名をとっている」「女生徒が石田教員にビンタされたとき、一緒になってビンタした」「二中は中間試験の終了後、全生徒を帰宅させないで学校に居させて、4、5、6校時分自習をさせた。その際、河島は、一部の生徒がシンナーとか煙草を吸うから早く返さない、一部の者のために全員が迷惑を受ける、と言った」
ということだった。
 
 さらに、林という教員についても、生徒たちは話したが、
「元自衛隊員で、鉄パイプを持って歩いている」「鉄パイプで生徒の背中と太股を叩いた」「卓球部の生徒が下校に遅れたら、パンチした」「上履きのかかとを踏んでいる生徒の靴を窓から投げ捨て、わざわざ水につけて返した」
ということだった。
 
 はたまた、加藤という教員がいるが、生徒たちの話では加藤教員は、
「生徒の目を殴り目を腫らさせたが、生徒には、親には喧嘩したと言え、と指示した」り、「剃りを入れた生徒は5厘にする」
ということらしかった。
 
 加えて、荻野という教員もいるが、生徒たちによれば、彼は、
「生徒を棒で叩く」「生徒をびんたする」「何十人も殴った」「クラスがうるさいと学級委員を殴る」「煙草と喧嘩をした生徒をビンタし、生徒は鼻血を出したり口の中を切った」「0点を採った生徒をビンタした」「生徒の両耳を、両方から両手で、ぐにぐにとする」
らしかった。
 
 その上、石井という30歳後半と30歳前半の2人の教員がいるが、その30歳後半の方の石井教員は、生徒たちによると、
「校長室や相談室で、生徒を殴っている」「体育の時間並んで待っていなかったと、全員をビンタした」ということであり、30歳前半の方の石井教員は、
「生徒が上履きを3階から落としたら、取り上げた。返して下さい、と言っても返さないでいる」「髪にチェックを付けていない生徒の頭を、他の教員と一緒になって、臭いますねえ、と言う」
らしかった。
 
 他に、森という教員もいるが、生徒たちによれば彼は、
「ビンタする」「耳の上の髪を引っ張る」
らしかった。
 
 おまけに、平本という空手を練習している女性教員がいるが、生徒たちは、その教員に対して、
「廊下を走っていた生徒をビンタする」「ガラスを割った生徒をビンタする」
と話した。
 
 これ以外にも、平という教員がいる。生徒たちは、平教員に関しても話したが、
「筆箱で、頭を殴り続けた」
らしかった。
 
 その他、生徒たちの話によれば、ある生徒が学校の水泳部なのにスイミングクラブに行っているので「気にくわない。むかつく」と話していた教員が、修学旅行で「むかつく」とその生徒を殴ったらしかった。しかし、問題になると「殴っていない」と言い出したようだった。
 この他にも、「金管部に所属している生徒が、買い食いをしたとのことで、1ヶ月間休部させられた」など、数え切れないほどの不満や訴えが生徒たちの口から飛び出して来た。
 ここまで話を聞かされてくると、私も大概のことでは驚かない。例え二中の教員たちが、見せしめで生徒たちの髪を刈るためのバリカンを二中内に置いている、と聞かされても、驚くはずはない。当世、中学校や高校に、バリカンが置いてあることはさほどめずらしくない。
 しかし生徒たちの話で聞いたバリカンの話には、正直言って、多少驚いた。というのも、二中には部活用バリカンと学年用バリカンが御丁寧にも別々に置いてあるということだったからである。そして生徒たちが何かやったら、頭髪を5厘に刈っていた。
 また、次の話にも、驚いた。否、むしろ呆れたのかも知れない。というのは、二中の教員たちは「問題生徒」は顔写真を使って割り出しを行っていた。さらには、年度の初めには、生徒名簿に赤丸を付けて「要注意人物」を示していた。生徒はそれを発見して知っていた。赤丸を付けられた生徒たちの気持ちは、いかばかりだったろう。
 まさに教員より警察官の職が似合う者たちだった
 
 かつて「校内暴力」とは、生徒たちの側の暴力を呼んだ。学校は「校内暴力」対策にやっきになった。多少なりともリベラルな教員たちは生徒たちとの対話を求めたが、「効果が上がらない」「なまぬるい」「甘やかせ過ぎている」と、即効性を求める体育部系や校長派の教員たちに批判された。一方、体育部系や校長派の教員たちは、体罰を含めて実力を行使していった。それに対し、リベラル派教員たちは「酷いわね」と言っただけで、彼らの実力行使を前になす術を知らなかった。
 やがて、実力行使派は、教師が連帯して対処するという日教組反主流派の考えを理論的支柱にし、日教組反主流派教員たちと一緒になり、結果的に隅々まで管理主義教育を導入した。従って事態は一変した。今や「校内暴力」とは、教員たちの暴力を称さねばならないほどになっている。
 そこには、教員たちによる管理と暴力の実態がある。★(甲1号証)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<26> ・・・・私は以下の教師による暴行と傷害から生徒の人権を守ろうとし、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
「大変な問題になるかも」と脅す校長
  反省し改めるのではなく、逆に威圧する
 
 二中の教員たちの暴行に付いての生徒たちの訴えは、まだまだ続いていた。その最中の11月25日のことだった。私は、学校の裏庭で大古に出会った。大古は、
「よかった。中村先生に話があるようぉ。丁度良い。先生は、夜、子どもを連れ出したことはあるかよう? 今、二中の校長さんから呼び出されて行って来たところだよう」
「呼び出されたとは、どういうことについてですか?」
「二中の子どもを呼び出して、喫茶店で話を聞いたりしたことはないかよう?」
「相談を受けたことはありますが」
「二中のことだし、二中に任せることだなぁ。二中は、先生が夜呼び出したと言っていたよう。もし、外に連れて行ったのならまずいなぁ」
「外に連れ出したんじゃないでしょ。彼らの方が相談に来たんでしょ。校長先生は、相談を受けても知らん顔をするんですか? 本校の卒業生でしょ。相談に乗って当然ですよ」
「まずいなぁ。越権行為だよぉ。二中の校長先生は、これから教育委員会に行かれるそうだよぉ。これは大変な問題になるかも知れんよぉ」
「反省すべきは、二中の方ですよ。随分と酷い暴力行為を生徒に対してしていますよ。あれは、教育じゃないですね。知っているんですか?」
「それでは、夜ということは? 夜連れ出したことはないかよぉ? 教育委員会から電話があったら、ないというふうに答えておくよぉ」
 どうも大古は、夜、ということを切り札に使えないか、と考えているらしい。
 私は彼らを夜外に連れて行ったことは一度もないが、夜になったことはあった。寺小屋に彼らが行きたいというので案内したとき、彼らはとても寺小屋に興味を示した。時間は瞬く間に過ぎた。秋の夕暮れは釣瓶落としである。私は彼らを家まで送って行ったが、着いたときは辺りは暗くなっていた。と言っても部活や塾通いの生徒はもっと遅く帰る。従ってそれでは攻撃材料にはできない。大古は、どんなことを言いたいのだろう。もしかすれば誰かが寺小屋に行くと嘘を付いて、夜、家を抜け出したのかも知れない。あるいは何かのトラブルの時、私の名前と寺小屋という名前を口実に使ったのかも知れない・・・しかし、どちらにせよ、私にははっきりしたことは解らない。
 私は、はっきりしない話ではなく、大切なこの問題の根本の話をすることにした。
「相談があれば、受けるのは当然じゃないですか? 教師の暴力がまかり通っている学校ですよ。こどもが居られる場所ではなくなっているんですよ。知っているんですか?」
「二中に任せるべきだよぉ。二中に報告して、二中の方針に任せるべきだよぉ」
「多数の教師が暴力を振るっているんですよ。同じ学区の教員、大人として相談に乗るのは、当たり前の事じゃないですか」
「そういえば、田中君が居なくなったそうだよぉ。二中の先生方が今捜している。ともかく二中の問題は二中に」
「その二中で、こどもたちは居辛くなっているんですよ。蔑視され、何かというと殴られて。校長先生は、教えこがそんな目にあったらどうしますか?」
 私が、逆に二中の暴力の件を訴えだしたので、大古の顔は一転して当惑の表情に変わった。
「やはり、二中に任せた方がよぉ・・・ともかくこれでよ・・・」
 大古の顔色は精彩を欠いてきた。
「相談を受けないんですか?」
「ともかくこれでよぉ」
 大古はそう言うと、そそくさと去って行った。
 私の所に、助けて、殺される、と逃げ込んで来た田中は、ますます二中の教師たちに目を付けられ、虐められ、この日は学校から逃亡していた。★(甲1号証)
 私は教師による暴行と傷害から生徒の人権を守ろうとし、それらのことによって逆に攻撃対象にされた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<27> ・・・・私は差別問題の改善や教師による暴行と傷害から生徒の人権を守ろうとし、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
電話での脅迫 教員たちの暴力での傷害事件を隠蔽しようとする
  あえて被差別部落問題や天皇を持ち出す
 
 大古の話から1週間経った12月2日、夜9時頃、私の自宅の電話のベルが鳴った。
「中村先生ですか。私は二中の3年生の父兄ですけど。先生が、3年生の子どもを喫茶店に連れて行って話を聞いているということで、クラスが動揺しているんですけど、本当に喫茶店に連れて行っているんですか?」
「こどもたちから相談されたことはありますけど、教師の暴力の件で」
「私は学校のことは二中に任せてありますので、入試も控えた大切な時期なので、二中の先生方に任せて欲しいんですけど」
「ああそうですか。基本的には二中の先生方が考えられる問題ですから、分かりますよ。お名前は? お名前を是非」
「私が勝手に掛けているものですから・・・二中の先生に知られると困るから」
 そう言うと、その女性は電話を切った。★(甲1号証)
 
 12月3日朝7時20分、電話のベルが鳴った。早朝のこの時間帯の電話は、殆どがクラスの児童が病気になって学校を休むなどの連絡電話だ。私は出勤時間が近付いていたが、受話器に飛びついた。
「中村先生ですか?」
「はい、そうですが、どなたですか?」
「クラスの父兄なんだけど、うちの子ども、この頃変なんだよ。差別とか、天皇とか言って。学校はどのような教育をしているのかね?」
 受話器を通して、男性の何処かおどおどとした感じが伝わって来る。
「ああ、そうですか。お名前は」
「それは言えない。まあ、宜しく頼むよ」
 それだけ言うと、その男性は早々に電話を切った。しかし、私にはクラスの父母の中には電話の主に該当するような人物が想い当たらない。★(甲1号証)
 
 12月5日、夜10時半頃、電話のベルが鳴った。私は受話器を耳に当てた。
「中村先生ですか?」
 中年の男性の声だ。
「はい。どなたですか?」
「二中の父兄ですが」
「お名前をおっしゃって戴けませんか」
「名前は言えないんだけど、うちの子どもが二中の先生に殴られて余り酷いものだから、東部小の中村先生に話をすれば相談に乗ってくれると、何か子どもたちの間で話されているもので電話をしたのだけど」
 電話の向こうの声は緊張で震えているように感じる。私は、先日来の電話で、名前を名乗らない人間に対しては不信感があった。
「誰から聞いたのですか?」
「バスケット部の部長で背の高い子がいるでしょう」
「誰ですか?」
「何と言ったか、平塚という子が居るでしょう」
 私は、平塚という名前には心当たりがあった。
「相談と言われても、一応私も地方公務員だし、この間二中の父兄という匿名の人から、二中は二中に任せて欲しい、というような電話をもらっているし、また、二中の校長はこの件で教育委員会に私の事を言いに行ったらしいし、名前を名乗って貰わないと通り一遍のご相談以上のことは何も答えられません。お名前は?」
「いや、私の方もあまり調査していませんので、子どもによく話を聞いて、調査して、またわたしが電話するか、子どもに先生を訪ねさせるかします」
「どういう内容ですか?」
「いや、それは調査して」
「お名前を言って貰えないと何も答えられないのですが、ただ教師の暴力は絶対にいけません。校内暴力とは教師の暴力も言うのです。どんなことがあっても体罰は許されるべきではないです。こどもと人間的に、こどもの人格を尊重して付き合うべきです。私どもも、いろんなこどもと付き合っていますが、例えば、つっぱり君なんかとでも一緒に行動し話し合っていく中から、いろんな事が考えていけると想うんですが。例えシンナーを吸っているこでも同じで、いろいろな悩みをみんな持っていて」
「ガチャン、ツー、」
 私がそこまで話したところで、急に電話が切られた。★(甲1号証)
 
 教科書の上巻の授業しかしなかった同僚への攻撃までにおわす
 この電話には出たい、その電話には出たくない、と言うことは出来ない。特に教員をやっていたら、児童に何が起きるか分からない。電話に出るのは鉄則だ。12月6日夜7時半、電話のベルが鳴った。受話器を取ると、
「中村先生のお宅ですか?」
と、中年の男性の声が聞こえてきた。
「はい、そうですが、どなたでしょう?」
「二中の父母ですが」
「お名前は?」
「それは言えませんが、ちょっとお訊ねしたいんですが」
 またもや匿名らしい。
「お名前を言って戴かないと」
「名前は言えないんですが」
「どうしてですか。貴方は私の名前を知っているのに、おかしいじゃないですか?」
「名前は言えませんが、先生は寺小屋という所を知っていますか?」
「知っていますが、それがどうかしましたか? 二中の先生たちも知っているんじゃないんですか?」
「いや、寺小屋という所がどんな所か知りたくて」
「電話番号をお教えしますので、直接電話されて訊ねられたらどうですか? 直接行って見られたらどうですか?」
「そうします」
「それではあなたのお名前と電話番号を教えて下さい」
「それは出来ません。寺小屋とはどういう所ですか?」
「ですから直接行って見られたらどうですか? お名前を」
「日の丸は戦争の旗だと教えられているということなんですが、そんなことはないんですか?」
「寺小屋でですか? 誰から聞いたんですか?」
「先生と一緒に寺子屋に行ったという子がいますね。その子が先生が言っていた、と言っていました」
「一緒に行ったというこは、何というこですか?」
「あの子、何て言いましたかねえ」
「そのこが誰だか分からないと言う事がおかしいじゃないですか?」
 電話の相手は、しどろもどろになっている。
「君塚という子です」
「君塚君から聞いたのですね?」
「そうです」
 君塚は寺小屋に来たことはない。
「いやあ、君塚君が寺小屋に行ったという話は知りませんが。寺小屋に電話して聞いてもいいですが」
「じゃ、日の丸は戦争の旗だと教えたことはないですか?」
「寺小屋にはいろんなこが来ていますよ。右翼の側に近く、北方領土がどうとかというこも来ていますしね」
「分かりました。で、どういうことをしているんですか?」
「いろんなこの悩みを聞いたり、こどもたちで話し合ったり、遊んだり、いろいろやっていますが。とてもすばらしい所だと想いますよ」
「勉強はしていないんですか?」
「していますよ」
「どんな勉強ですか?」
「入試の勉強もやっていますよ。ともかく実際に行かれたらどうですか? お名前を教えて下さい」
「分かりました」
「お名前は?」
「いや、それは言えません」
「おかしいじゃないですか?」
「あなたの学校には、1年かかって社会科の半分しかやられない先生がいるそうですが、本当ですか?」
「それはどういうことですか?」
「社会科の教科書の『上・下』があるでしょう。その上しかやらないのです」
「私がそうだと?」
「ええまあ」
「いい加減にして下さい。この前の市教委訪問でも『下』をやりましたよ。何を言っているんですか」
「いや、蝦名先生という先生が居るでしょう。その先生が」
「貴方は何を言っているんですか! 私はその先生がどうとか知りませんし、名前も言えない人と同僚のことを話す必要もない。貴方本当に二中の父母ですか? だったら名前を言って下さい。もし、名前を名乗られないんだったら、これは問題ですね。これまで二中の教員の暴力の問題は、基本的には二中の先生方の問題だと考えていましたが、この前から匿名の電話ばかり掛かって来ているので、名前を名乗られないと、こんな事ばかりされていると、二中の問題を広く世間に問うて行くことになりますよ。お名前は?」
「いや、それは言えません」
 電話の声は、急に歯切れが悪くなった。
「本当に二中の父母ですか? お名前は? そちらは私のことを知っているのだから、名乗るのが当たり前でしょ?」
「いや、それはどうも。分かりました」
 彼は、一方的に電話を切った。★(甲1号証)
 
 今日は、12月14日だ。腕時計を見ると、既に8時30分になろうとしている。もう朝の打ち合わせが始まっている。遅刻だ。こんな時は、後ろの入り口から、職員室にそーっと入る習わしみたいなものがある。あくまですまなそうに身を屈めて入って行くのだ。しかし、いまさらあわてたってどうなるものじゃない。私は、堂々と前から入ることにした。ガラガラガラ。ドアの音がけたたましく響く。いつもより随分大きく聞こえるのは、私の心境のせいかも知れない。案の定、中では、打ち合わせの真っ最中である。私の顔を見るなり、大古が何か意味有りげな表情をした。
 私は席に着いたが、大古の表情が気になって、何となく落ち着かない。ああッ、こうなったのもあの電話のせいだ! あれさえなければ。今朝の事が思い出されて来た。
 
「もしもし、中村ですが」
「中村先生ですか? 私、6年5組の父兄ですが」
「私たちのクラスのお父さんですか? お名前は?」
「いや、それはちょっと言えないんだが」
「お名前をお願いしますよ」
「いや、それは、言えない」
「どうしてですか? クラスのお父さんだったら言ってくださいよ。でないと、お話するわけにはいきません」
「いや、先生が部落がどうの、天皇がどうのって教えているって聞いたもんだから。俺は、天皇は好きだから、そんな事を子供に教えないでもらいたいんだ。なんだったら教育委員会に言ってもいい」
「部落の事についても、天皇についても、学習するんじゃないですか? きっちりと伝えていく必要があるんじゃないですか? ともかくお名前はなんとおしゃるんですか?」
「いや、名前は」
「でも、おかしいですね。クラスのお父さんだったら大体は分かるんですけど、本当にクラスのお父さん?」
 相手は、電話の向こうで動揺した様に感じられる。
「お名前を名乗ってくださいよ。もう出勤する時間にとっくになっているし。お名前をお教え戴ければ、またゆっくりお話出来ると想いますので、どうでしょう?」
「いや、名前は、いい。教育委員会の方に連絡するから」
 電話の主は慌てるような感じで、一方的に切ってしまった。時計を見るといつも家を出る時間を過ぎている。玄関のドアを閉めると、また、電話のベルがなる。引き返して、慌てて受話器を取ると、プツリと切れた。
 
 あれさえなければ、間に合っていたんだ。考えれば考えるほど、腹立たしい。
 人には幾ら平静を装っても、自分はごまかせない。実は、私はこの程度の電話でもかなりこたえていた。というのも、胃の方に確実に影響が出て来たからだ。胃が痛み出したのである。医者にいわせると、十二指腸潰瘍の変形と言うことだ。私は薬と牛乳が手放せなくなった。牛乳は飲んで胃の粘膜を保護するためであるが、痛いので四六時中飲んでいるせいか、ストレスのせいか、私は少しずつ太り始めた。★(甲1号証)
 
 脅し電話の録音に成功
 それにしても、彼らはどうして私の電話番号を知っているのだろう? 否、誰が私の電話番号という個人情報をもらしているのだろう? 同僚の教員のことまで知らせているのだろう? 考えれば、大古や教育委員会しかない。こんなことは大古の前の河合校長時代には起きなかったのだから。
 私は脅しの電話が余りにしつこいので、いろいろ対策を考えた結果、テープレコーダーに録音することを考えた。そして、電話内容と声の音色を公表しようと想った。そうすれば、少しは数が減るのではないか。知人の共同通信の記者に相談したら、特殊な機械がなくてもテレコのマイクを電話の耳の部分に持っていけば録音出来る、との事だった。私は実行した。
 そして、実は、私は昨日の電話を録音することに成功していた。電話は鎌ヶ谷東部小の父兄と名乗る女性からだった。★(甲1号証)
 
「あのね、私は東部小の父兄なんですけども、最近先生の授業が偏っていると言う声を聞くんですけども」
「はい」
「そりゃどうなんでしょうかね?」
「そうおっしゃいますと?」
「なんか、部落の事を熱心にやっているとか。私も理解出来ないんだから、先生、いや、子供たちも理解出来ないんじゃないでしょうかね?」
「部落の事を熱心にやっているというのは、どう言うことなんでしょうか?」
「なんか、ちょっと分からないんですけども、そういう噂が入るんですよねえ。そえとか、なんか二中の生徒を夜遅くまで柏の方へ連れ出したとか」
「すみませんが、一つずつ御聞かせ願いたいんですけども」
「ええ、あの、細かい事は、私にも分からないんですけどもね。なんかそういう噂を耳にするんで。私も1人の親としてですね、いつ自分の子供がそういう目にあうかというと思うと、不安なんですよねえ」
「あの」
「なんか柏二中は、市内でも良い学校だって聞いているんですけれども」
「柏二中ですか?」
「ええ。あっ、柏じゃない、鎌ヶ谷」
「すみませんが、そういう目にあうとかと言うことなんですが、どういう目にあうんでしょうかねえ? まずですね、部落の事というのは、どう言うことなんでしょうか?」
「いやあ、私の方が御聞きしたいんですけども」
「ああそうですか」
「ええ、なんかそういうあれを熱心にしているっていう噂があるんですよね。子供が分からないってことなんで、その部落っていうのは、何かと思って」
「もしもし」
「はい」
「部落の事と言うことが、部落の事を熱心にやっていると言うことが、何故問題なのか解んないんですが?」
「じゃあ、お互いに分からないんじゃ困りますね」
「いえ、いえ」
「いいです。いいです」
「部落というのは」
「私、子供もにでももう一度聞いて、もうちょっと詳しいことをあれしましたら、お母さん方とみんなちょっと相談してみますから」
「もし、もし」
「はい。結構です。また、詳しいことを子供たちに聞いて、お母さんたちにももう一度聞いてみますので。詳しいことが先生にも分かんないんじゃ、私たちもなお分からないんで」
「何故問題なのか、私も解りませんが、ちょっと待ってください。東部小の御父兄と言うことなんですが、まずお名前は何とおっしゃるんでしょうか?」
「ちょっと名前の方は、勘弁さしてください。また、その内にお電話致します」
「名前の方は、って、もしもし」
「失礼致します」
 彼女は、電話を切ってしまった。★(甲1号証)
 私はこのように、まさに攻撃対象にされた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<28> ・・・・私は私にかけられる攻撃を回避するために、電話内容を公表したが、それでもしつこく狙われ続けた。
卑劣な無言電話での脅迫への切り換え
  脅し電話の公表、以後は無言電話への切り替えて攻撃してくる
 
 私は、予定通り会話の内容を録音したテープをおこした。そして、プリントにして公表した。機会あるごとに、いろんな人にこの会話のテープも聞いてもらった。
 かつて手紙による攻撃の時は手紙を公表したが、実はそれ以降は二度と手紙が来なくなっていた。今回も会話を公表すると、前回の手紙の時と同様に、これ以後なんだかんだとクレームを付けて私を脅す電話はかかって来なくなった。その代わりと言っては何だが、以後は無言電話が頻繁にかかり出した。彼らはしつこかった。
 熊本では、2年ほど前に教員が自殺していた。その教員は柔道をやっていた「猛者」だった、と新聞記者から話を聞いた。自殺の原因は匿名の手紙での攻撃であった。しかも、その手紙は、後日になって、教育長が書いていたということが判明した。これまで行われて来た手紙や、今行われている電話攻撃、これらは明らかにこの間教育界で行われて来た闇の「始末」方法だった。
 ともあれ、私はしつこく狙われ続け、攻撃対象にされ続けた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<29> ・・・・私は暴力傷害事件をやめさせたが、教員たちは一向に悔い改めない。
二中の教員による暴力傷害事件をやめさせる
  私を敵視する者たち
 
 闇の部分は明らかにされなくてはならない。少なくともリベラルな社会とはそうだ。しかし、脅し電話、無言電話と続く日々の中で、一方の二中の教員たちは、生徒たちへの暴力をまったく反省していなかった。
 何よりも二中の教員の暴力を止めさせなくてはならない。私は、その実態を「民主主義がない」というガリ刷りの冊子にまとめた。二中の教員たちはその冊子の存在を知ると、やっと暴力を控えるようになった。★(甲1号証)
 二中の暴力教員たちは、私を良く思っていないとの話が聞こえてきた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<30> ・・・・私は以下のことを推進し、それらのことによって逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
卒業式の式場から日の丸を撤廃させた
 
 今年度は、持ち上がりをさせまいとした匿名手紙に始まり、顔の見えない「狙撃者」に狙われ続けた。ナーバス攻撃の弾に撃たれ続けていた。
 しかし、野田市の部落差別学区は解消されることになった。部落解放同盟千葉県連合会によるねばり強い取り組みの結果であった。野田市や千葉県が部落差別学区ではないと言い張る中、解放同盟は文部省との交渉で部落差別学区だと認めさせたのである。文部省が差別学区と認めれば、これまで差別学区ではないと言いづけていた千葉県もあっさりと文部省認識を受け入れた。千葉県が認めると野田市もこれに従った。
 2月20日、私たちのサークル主催の集会に、解放同盟の関口委員長や竹沢会計たちがやって来た。集会で、関口委員長が部落解放同盟千葉県連合会を代表して、
「みなさんの部落差別学区のレポートで文部省が差別学区だと認めた。お礼を言います」
と、微笑みながら挨拶をした。
 一方、私は差別学区の学校に異動希望を出したが、何故だかうまくいかなそうである。そんな中、私は卒業式のための職員会議の時期を迎えた。
 しかし、今年は、菊池も日の丸・君が代に反対しないわけには行かなくなっていた。というのも、日の丸・君が代に反対する教職員たちがさらに増えていたからである。如何に彼女といえども、これまでのような裏切りを演じることは、自身の孤立を意味している。そのような状況下、教員たちの間から日の丸に代わって鳳凰のペパークラフトを飾ろうという案が出て来た。鳳凰は中国王宮の守り鳥である。狩野や菊池は職員会議に先立って行われた企画委員会で、大古とさつさとこの鳳凰のペーパークラフト案を決めた。これ以上、職員会議でもめて日の丸反対派の前に反動的な無様な様を露呈したくないと思ったのかも知れない。否、自分たちの主導性を良くも悪くも保持していたいと思ったのかも知れない。校長や主任たちは実に体裁を気にする輩だ。ともかく、卒業式から日の丸が消えた。
 私たちの学年では、イベントでの児童代表は各クラスを順番に回して選んでいた。そして、その順番から、卒業生を代表して卒業記念品の目録を渡す係りが私たちのクラスになった。私たちは、卒業生代表答辞なんて旧態依然とした産物は、2年前に廃止していた。従って、目録を渡す係りが唯一の卒業生としての代表的な係り仕事であった。私はこどもたちに選んで貰うことにした。
「奥さんがいいよ」
「奥さんは、いつもこつこつとまじめに取り組んでいたから」
 こどもたちは、「奥さん」と呼び慕っていた奥山の名をあげた。異口同音に奥山を推薦する彼らの顔はすがすがしく輝く。そこには教員たちの世界のようにねたみや虚栄心など微塵もない。学業成績からではなく、力関係からでもなく、えこひいきからでもなく、真心から1人の代表を選んだ。無言電話というナーバス攻撃に煩わされていた日常の中で、私の心は彼らの選択に和んだ。★(甲1号証)
 しかし、私への無言電話などの攻撃は増していった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<31> ・・・・教員たちは大古の報復人事攻撃によって恭順であることの益をたたき込まれ、私は他の教員との関係を一層寸断されていった。
報復人事 刃向かうとどうなるかのみせしめ
  人事を報復に使い、教師に恭順であることの得を示す
 
 私は、新年度はかろうじて第3希望の4年の担任になった。
 一方、大古は、房総半島の先の館山教育委員会に課長で帰ることになった。河合と一緒のパターンである。ところが、どうも館山に用事があり早く帰りたいという大古の希望で、「お見送り」をしたい教員は、朝の7時30分に集合と言うことになった。
 有志で行われた早朝の「お見送りの式」で、大古は、別れの挨拶をした。
 しかし、その話の内容は、このような場合によくなされる「立つ鳥後を濁さず」式の通り一遍のものではなかったらしい。諺に「敗戦の将、兵を語らず」というのがあるが、大古は大いに兵を語ったらしい。
「校長は、東部小で如何に自分の面子を潰したか、悔しかったか、くどくどと持ち出したのよ。そして、俺は、みんなをよ、一生懸命によ、面倒見て来たのによ、裏切られたよぉ、って。最後まで、裏切らなかったのは、金子君だけだよぉ、って話したらしいの。しかも、そう言って、涙を流したんだって」
 麻生は、信じられないと言った表情をしている。
 そもそも教員たちは道徳的ではないが、おしなべて情緒的だ。従って、狩野派や体育部系にそそのかされて、他の教員たちも、こうなったのも私たちの口車に乗せられたからだ、といわんがばかりである。彼らは、いつも自分で自分の行為の始末を着けようとせず、誰かのせいにする。それは、こどもたちであったり、親であったり、他の誰かであったりする。しかも、見送りに参加していなかったのは、麻生と私だけだったから、見送りの「礼を欠いた」2人に注がれた視線は殊更冷たい。
 今年は10人以上の異動希望者が居たが、大古以外には、1人しか異動出来なかった。東部小は、「教員たちが、管理職の締付を跳ね返して頑張っているので、自由で働きやすい職場だ」と、他校で評判になっており、他校から東部小へ来たいとの希望者が殺到していた。そこで、東部小に長く居過ぎたという場合や事情があって東部小を出る場合、これまで市内異動ならば簡単に出来ていた。たった1人と言うことは、今までなかった。異例の事態だ。★(甲1号証)
 教員たちに対する見せしめというわけだ。
 ところで、大古の別れの挨拶で唯一「讃えられた」金子だが、彼1人だけ異動が決まっていた。彼は中学への異動を希望していたが、4月1日には、彼は、「大名行列」の中を同じ学区の二中に向かった。
 私は、被差別部落のある小学校に異動を希望していたが、あっさりと蹴られていた。まさに大古は人事を報復に使っていた。★(甲1号証)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<32> ・・・・私は以下のことによって、逆に権力により狙われ、事実を捏造された。
報復人事 刃向かうとどうなるかのみせしめ
  人事を報復に使い、教師に恭順であることの得を示す
 
 大古のしでかした数々の失態と犯罪は、館山などの房総が持っていた鎌ヶ谷東部小校長の指定席を消滅させた。従って房総の恨みは一方ではない。
 一方、私は、大古時代に児童生徒の人権を守ることに努力し、差別の止揚に向けて行為に、教員や教育委員会の不正を正していったなどのために、ますます攻撃対象にされた。
 
平成9年(行ウ)第1号分限免職処分取消請求事件
 
原告 中 村  秀 樹
被告 千葉県教育委員会
 
                     平成14年1月18日
                         中 村  秀樹
 
千葉地方裁判所民事3部 御中
 
 
 
 
 
 
             陳述書(1)
         第2部
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
松岡義明時代(1年目)
教員5年目/昭和58年4月1日から59年3月31日まで
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<33> ・・・・東部小に、千葉大以外の房総以外の校長教頭の登場。
千葉県教委東葛地方主張所から派遣されてくる
 
 大古と入れ替わりにやってきた新校長の松岡義明という男は、見るからにきざな感じの人物だった。
 だが、この松岡の赴任は、これまでと異質なものを持っていた。
 その一つは、松岡が法政大学出身で千葉大出でないということである。これまで河合も河合の後の大古も千葉大の前身の千葉師範の出であった。また、私が教務にリンチにあったとき、それを大古と共に笑いながら見ていた教頭の白樫亨も千葉大の出である。
 しかも、松岡はと一緒に赴任してきた教頭の豊田文造氏は鹿児島大学出である。
 かつて、熊谷綱二郎教頭は、
「自分は、北海道学芸出だから、同じ教頭で千葉大出の白樫教頭と比べれば、教頭になるのが遅れる」
と愚痴をこぼしていた。その熊谷教頭をのぞけば、千葉大出でない教頭と校長の誕生である。
 しかも、松岡は、千葉県教委東葛地方主張所から派遣されてきていた。もう、館山からではない。東部小は、ここのところ千葉大学閥でしかも房総系が握っていた校長の席を、他と代わったことになる。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<34> ・・・・松岡は、異動を餌に私を物言わぬ存在にしようとした。
異動させてやるからおとなしくしろと脅す 組合の大会で修正案、流山中央高校の傷害事件、二中の傷害事件などの取り組みがターゲットに
 
「私が、千葉県教育庁東葛飾地方出張所から、この度、鎌ヶ谷東部小学校に赴任して来ました、松岡です。鎌ヶ谷で最も伝統のある学校に赴任して来られることが出来て、名誉に感じています。つきましては、皆さんの力をおかりして、この学校の伝統に恥じぬような立派な学校作りに邁進したいと思います。・・・」
 すると例のごとく、狩野が、教員を代表して、
「校長先生のお力になれますよう、努力の限りを尽くして参りたいと、職員一同、思っております。ふつつかな私どもでありますので、どしどし、しかって戴いて、宜しくご指導ください・・・」
と、勝手な事を言い始めた。彼女のやけに鼻につくへりくだった言い方を聞いていたら、領主に対面している芝居の一座のような気がして来た。彼女は、さしずめ一座の座長で、口上で、如何に自分が従順で役立つ人間であるかをアピールしているのだ。一方、こんな挨拶を、にこにことして聞いている松岡という男もろくな奴じゃないだろう。私は、同じ教員として情けなくなって来た。
 歯が浮くような狩野の売り込みが終わると、松岡は、
「いやあ、こんなに気持ちのいい職場とは思わなかった。まあ、宜しくな」
と、甘い声を出したかと思うと、口を尖らせて、
「おほほほほほ・・・」
と、かん高い笑い声を発した。
 それから1週間余経った。今年の4年生の音楽は、音楽専科の教員が担当している。私は音楽の時間に、職員室の自分の席で1人学級事務の仕事をしていた。そこへ松岡が、にやにやしながら話し掛けて来た。
「先生、野田市の部落の学校に異動希望を出しているそうじゃないの。まあ、俺の言う事を聞いておとなしくしていたら、異動させてやってもいいよ」
「おとなしくするって?」
「組合の大会で修正案を出したり、教研で発言したり、流山中央高校や二中の件でいろいろ活動しているそうじゃないか。その事だな、先生」
 私は、余りに露骨な松岡の話に、開いた口が塞がらない。何で彼は、こんなに開けっ広げに話すんだろう。私は不審に想って彼を見た。しかし、彼の方はそんな私に一向に構っていない様子で続ける。
「俺は、敏腕校長だよ。俺は、鎌ヶ谷東部小にあんたが居るって降りて来たんだ。俺の言う通りしていりゃ、まあ、間違いないさ」
「おとなしくしていれば?」
「そうさな、まあ、3年ぐらいおとなしくするかな、おほほほ・・・」
 一方的に話した松岡は、愉快そうに笑っている。私は、彼の人を喰ったような態度に、呆気にとられるばかりだった。★(甲1号証)
 組合の大会で修正案を出したり、教研で発言したり、流山中央高校や二中の件でいろいろ活動していることが、同和地区の学校に異動する餌にされた。
 無論、私は異動人事を使っての不当な取引は拒絶した。従って、その私は教委や校長らによって狙われ、事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになっていく。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<35> ・・・・私は、日本教職員連盟や千葉県の管理主義教育や暴力教育から児童生徒の人権を守るために立ち上がった。
日本教職員連盟の千葉県大会にもの申す
 
 6月26日(日)、日本教職員連盟が流山中央高校事件で揺れた千葉県の引き締めと一層の組織の拡大を狙って、千葉県で大会を開催した。
 日本教職員連盟の配下の千葉県組織は千葉県教職員連盟と称していたが、流山中央高校の校長福原憲司はその設立当時の副委員長だった。福原は、中央高校の教師たちの暴力事件に対する生徒たちの反撃などによって表面化した事件を千葉県教育庁に責められ、その後自宅でその責任をとって服毒自殺をしていたが、日本教職員連盟及び千葉県教職員連盟はその福原の自殺の原因を問題にしていた。
 一方、私は、流山中央高校事件に際して、生徒の人権を守るという立場から管理主義教育の尖兵となっている千葉県教職員連盟が行ってきた管理主義教育と暴力教育の責任を追及していった。また、六実中学で同じくの千葉県教職員連盟の小林春光校長が行ってきた能力別学級編成などを問題にしてきた。
 更には、私は、千葉県の管理主義教育しかできない者、管理主義教育「依存症候群」者らに管理主義教育のおかしさを気付かせるべく、『管理主義教育マップ』などを作成して千葉県の管理主義教育をやめさせるべく行動してきた。
 そんな私は、千葉県で日本教職員連盟の大会が開催れる管理主義教育や日の丸君が代教育が強められることに反対して千葉駅前の街頭での情報宣伝活動等に取り組んだり、6月26日の当日は、千葉県に在住する呼びかけ人41人、呼びかけ団体40程が構成する「子どもに人権を 学校に民主主義を 世界に平和を」の集会などに取り組んだ。
 
 他方、千葉県教育庁は千葉県教育庁の攻めで福原校長が死んだとの批判をぼかすためにも誰かの責任に責任を転嫁する必要があった。児童生徒の人権を守ることを掲げ、管理主義教育に反対する者たちは格好の責任の転嫁先になった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<36> ・・・・二中校長本田らは、私や生徒たちに攻撃を仕掛けてきた。私や生徒たちの人権を侵害し、名誉を毀損する校長らの犯罪である。そして、そんな中、私は教委や校長らによる権力犯罪に一層さらされていくことになっていく。
罠を仕掛けた教員たち 卒業生とのキャンプ
 
 罠を仕掛けてきた二中校長と教員たち
 6月25日土曜日、卒業して行った元のクラスの生徒たちが、10人ぐらいで小学校を訪ねて来た。そこで、私たちはお好み焼屋に出掛けて行くことにした。
 彼らは、例の暴力教員たちの居る二中に通っていた。私が昨年の秋の暮に『民主主義がない』という冊子を作成し改善運動を提唱したとき、その冊子作りを彼らも手伝ってくれていた。私は彼らが卒業した後も、管理主義教育や体罰の廃止を求めて運動を展開して行った。また、いろいろな人たちと共に、「子どもに人権を 学校に民主主義を 世界に平和を」という会も作っていた。そして明日の日曜日、その会の最初の大きな集会を船橋市勤労会館で開催することになっていた。
 今日は、久々に彼らに会って、「自分たちの行く中学だもの。入学して、体罰されるの嫌だもんね」と、彼らが言った言葉を想い出した。
「先生たちはどう?」
「うん、まだ殴られたりした人はいないよ」
 私は、なんとなく安心した。
 お好み焼をつつき、ジュースを飲み、あれやこれやとぺちゃくちゃと話している内に、話は自然と夏休みの事になり、何処かに行こう、という流れになった。いろいろな案が出されたが、結局、キャンプに行きたい、と彼らは言う。そして、その場で奥山を幹事に選んだ。以前から奥山は頼まれると嫌といえない。全くもって人が良い。私は、11人分の食事代を払うと急に財布が軽くなった気がした。
 それから10日ほど経った7月6日、キャンプの参加希望者17人が、打ち合わせのために4年4組の教室に訪ねて来た。集まった17人総てが、既に親の承諾をとりつけているとの事だった。彼らは、わいわいがやがやと話しながら、キャンプの仕事分担を決め出した。以前から彼らと来たら、騒げば騒ぐほどアイデアを生み出して来る様な所がある。変わってないなあ、と私は想った。
 同時に、私は参加出来ない残りの生徒たちの事も考えていた。私のクラスは日曜日に良くハイキングに行っていたし、今も行っている。勿論自由参加だが、ハイキングは楽しいから、家で用事があったり病気でない限りは全員が参加していた。
「キャンプは止めて、日帰りハイキングにしないか? そうするともっと多くの人が、参加出来るし」
と、私は提案したが、全く相手にされない。反対に、
「中学校の先生も良いと言ったよ」
「1泊2日じゃ短すぎる」 
「そうだよ。2泊3日にしよう」
と、逆にエスカレートするばかりである。
 同窓生で行く初めてのキャンプに対して、彼らの思い入れがあるのだ。そんな彼らを見て、私はそれ以上日帰りハイキングを勧めるのを止めた。日帰りハイキングはいつか別の機会にしよう。私は呟いた。
 彼らのはちきれんばかりの思いを心のリュックに詰め込んで、キャンプの打ち合わせは、どんどんと進んで行った。
 キャンプの打ち合わせから1週間ほど経った時である。第二中学校の1年の主任で1組の担任の加藤が、彼のクラスの生徒に告げた。
「小学校の元の担任とキャンプに行く人は言って来るように。キャンプに行くには旅行届けが要る」
 加藤は、私が批判した暴力生徒指導の中心人物の1人、即ち、昨年度生徒指導主任をしていた男である。
 加藤に続いて、4、5日以内に、他の1年生のクラスの担任たちも、
「旅行に行く人は、旅行届けを出すように」
との内容を、担任するクラスの生徒に告げて来た。
「旅行届を出すのはおかしい。夏休みに何処に行こうと勝手だ」
 生徒たちは、反発した。
「そんな物は必要ない」
 親たちも反対した。
 7月16日土曜日、4年4組の教室にキャンプに行く生徒たち4人が集まった。ところが、1組のこが慌てている。
「旅行届を出すのは今日までだと、加藤先生が言ったんだよ」
「うちのクラスの先生は、いつまでとは言ってなかったよ」
 1組のこの言葉に山沢が反論した。話を聞いていると、今日までと言われているのは1組だけのようだ。他のクラスの生徒たちはおかしいなと小首をかしげている。私は、訊ねた。
「旅行届を出せば、行っても良いの?」
「出せば良い、と先生たちは言ってた」
と、1組のこは答えた。それを聞いて、山沢が口を開いた。
「じゃ、出そうか!」
 その後の彼らの対応は素早い。まず中学校に行って17人分の旅行届をもらって来た。そして、その旅行届に必要な事項を書き込み、「保護者」の署名と印をもらうだけにして、翌日の日曜日に、キャンプに行く生徒たちの家に配った。既に提出していた生徒たちを除く残りの生徒たちは、18日の月曜日の朝に各担任まで提出した。★(甲1号証)
 
 陸上競技大会怪我のもみ消しをした本田が非難を繰り返す
 18日の月曜日は、二中の1学期最後の保護者会である。『非行について』と題した本田校長の保護者全体に対するの講演の後、各クラスで学級懇談会が持たれた。その席で各担任たちは、キャンプに行く生徒たちの父母の名前を呼び上げた。
「今呼んだ方は、校長室に行って下さい」
「何の用件ですか?」
 不審に思った親は訊ねた。
「キャンプの件です」
 担任は答えた。
 結局3人の母親たちが校長室に行くことになった。その他の親たちは、懇談会に参加していない。
 校長室には、本田校長と教頭それに見知らぬ女性が1人居た。本田は一昨年度、鎌ヶ谷市教育委員会の学校教育課長から二中の校長に転身していた。が、彼は教員たちが起こしている体罰問題では、なんらの責任も取っていなかった。彼は、市内陸上競技大会での全市的な怪我人の発生の責任を取らず、市教委時代に市教委訪問で東部小に来た際、「立派な校長・教頭がいながら、言うことを聞かず、自分の考えを持ち込んであれやこれやと言うのは良くない・・・」と話した人物だ。★(甲1号証)
 本田がまず口を開いた。
「二中でも教師と生徒の旅行は許可していないから、小学校の先生と生徒の間の旅行は許可出来ません。校則で出来ないんですよ。行って事故があった場合、学校の安全会からの保障は出来ないから、父兄に全面的に負担してもらうしかない。ともかく、事故が起きて中学校の名前が出るような事は困るんですよ」
 彼は、ぺらぺらとまくしたてた。3人の中の1人の母親が反論した。
「でも、子供たちは楽しみにしていますし、中学校の方に責任をとってもらう気持ちなどありませんから」
 それを聞いて、彼は憮然とした表情をした。
「これだけ話しても、行くと言うんだったら、責任は家の方で取りますからと一筆を入れて下さい」
 しかし、次に返って来た親たちの回答は、彼の予想だにせぬことであったに違いない。
「入れれば良いんですね」
 それを聞いて、彼は狼狽したようだった。そして、言葉を発した。
「そもそも、中村先生とはどういう先生か知っていますか?」
「小学校の時2年間担任してもらってよく知ってますけど、校長先生は、一体全体どういう先生だとおっしゃられたいんですか?」
「赤という評判の先生です」★(甲1号証)
 何と本田は私を攻撃をしてきたのである。あり得ない、考えられないことである。
 校長室に呼ばれた1組の母親は、夕方家に帰ると、他の女生徒の参加者の母親2人に電話を入れた。そして、その電話での話で、8人全員の女生徒の参加中止を決めて、電話で他の5人の女生徒たちの家に連絡した。余りに一方的に決められた突然の中止だったので、事情の解らない女生徒は奥山に電話を入れた。
「電話が回って来たのよ。中止なの?」
「中止じゃないよ!」
「分かった。じゃ、もう一度聞いてみる」
 女生徒が電話を切って、しばらくしてまた電話が鳴った。今度は、奥山の母親が電話に出た。
「1組の母親なんですが、女の子は少なくとも中止にしたいと思うんです。別に嫌がらせでやっているんじゃないんですけど、女の子たちの事を考えると中止にした方が良いと思うんです」
 その母親は、そう話すと電話を切った。★(甲1号証)
 
 以上のように、二中校長本田などにより、生徒の人権を守ろうとする私の人権や生徒たちの人権は侵害され、私は名誉を毀損された。そして、私は教委や校長らによって権力犯罪に一層さらされることになっていく。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<37> ・・・・二中校長本田や校長松岡らは、生徒たちや私に攻撃を仕掛けてきた。そして、私は一層権力犯罪にさらされることになっていく。
事故の責任を自分で取れと脅す校長松岡
 
 翌日の19日、昼過ぎ、その母親は、4年4組の教室に私を訪ねて来た。そして、女の子は中止します、という報告をして帰って行った。
 昼の2時頃、奥山は彼の担任に電話し、詰問した。
「小学校の先生が付き添いで行っても、保護者が居ないとキャンプに行けないんですか?」
「今、それが問題になって、会議している途中だから」
 担任は答えた。
 会議の終わりを見計らって、また、奥山は担任に問い質した。
「小学校が良いというのなら行ける」
と、担任は回答した。
 その事を伝えるために奥山がやって来た。
 彼からの話を聞いて、私は松岡に賛同を求めた。
「小学校では事故の責任は取れないよ。覚悟は出来ているの? 先生」
 松岡は口元に笑みを漂わせている。
「解っています。責任を取って欲しいとは想いません。自分たちで責任は取ります」
 私の言葉を聞いて松岡の態度が一変した。にわかに困った顔をした。どうも自分で責任を取るという教員が居るなんて、考えてもいなかったらしい。
 事実、教員たちはこれまで責任問題を持ち出されると萎縮してしまった。従って、このような場合、責任は自分で取ることになるよ、という言葉が伝家の宝刀にもなっていた。校長はその事を、さも君を心配しているよ、とばかりに優しく伝えるだけで充分だった。だが、今は勝手が違っていた。
「そうだけれどもよ、ねえ、先生。だけれどもよ、二中の生徒指導との関係もあるから」
 松岡は、一度抜いた伝家の宝刀をそそくさとさやに納め、今度は二中の都合論を持ち出した。
「おかしいですね。居住の自由、旅行の自由は基本的人権でしょ? 認められているんじゃないですか? それに今まで卒業生や在校生のクラスのこたちと何処に行っても、何も言われませんでしたよ」
 松岡は言葉に窮しているらしかった。
「まあまあ、そう言うことならばね。でも先生、小学校では責任は取れないよ」
 彼の声は、精彩を欠いて行った。
「勿論、責任は小学校に取ってもらいません。だからいいですね」
「まあ、そう言うことならね」★(甲1号証)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<38> ・・・・二中校長本田や校長松岡らは、私や生徒たちに攻撃を仕掛けてきた。
二中をあげて、あの手この手で潰しにかかる教師たち
 
 松岡との話し合いの後、3人の女生徒と奥山それに谷間が、私を教室に訪ねて来た。私は松岡との話し合いの結果を彼らに伝えた。
 それを聞いて、女のこたちが顔を見合わせ、申し合わせをしていたかのように話し出した。
「でもね、私たち、諦めたの」
「1組のお母さんが電話を掛けて来て、校長先生が事故が起きたら担任の先生が首になると言っていたと言うの。私たち、仕方なく行かないことにしたの」
 私は聞いた。
「担任の先生って、誰?」
 私の質問に、彼女たちは多少ムッとした顔をした。そして、口々にしゃべり出した。
「小学校の元担任でしょ!」
「中村先生よ!」
「決まってるでしょ!」
「キャンプは危険でしょ!」
「それに遠いし・・・」
「病院とかちゃんとしていないじゃない」
「怪我をしたらどうするの? 怪我の保障はどうするの?」
「死んだら誰が責任を取ってくれるの? 先生が責任を取るの?」
 彼女たちは一通り話し終わると、私の反応をうかがった。
「おいおい、ちょっと待てよ。企画は君たちで立てたんじゃないか。それに、林間学校や修学旅行に行く場合でも、病院は決めていかないよ。病院は前もって何処にあるか調べておけばいいだけだし、怪我の保障については、保険も掛けるんだし。するとしてもそれくらいでしょ?」
 私は話しながら彼女たちを見た。彼女たちは黙って聞いていた。
「もっとも、死んだら誰に責任を取ってもらっても、生き返りはしないでしょ? 大切な事は死なないようにすることでしょ?」
「・・・」
「残った家族の人に保障というなら、保険はしっかり掛けとこうよ。勿論、私の貯金と財産を全部はたいても良いよ」
「・・・」
 女のこたちは黙って聞いている。
「言いたくはないけど、一言言わせてもらえば、楽しむのは自分たち、怪我をしたら中村先生というのはおかしんじゃないの? 行けるようにするために工夫しようというんじゃなくて、自分のすべき事を棚上げにして人の責任にしているよ。君たちは、小学校の5、6年生では、いろんな事に自分たちで挑戦し、自分たちで責任を取って来たじゃない。一体、それは君たちの意見?」
「ううん、担任の先生に言われたんだ」
 そう答えると、彼女たちはうつむいた。
 夜になった。二中の教員たちは、次々に電話を掛け始めた。
 矢口の担任は、彼の家に電話を入れ、
「キャンプに行かないで下さい。どうしても行くというのなら、一筆入れて下さい」
と伝えて来た。電話を受けて、何処に行こうが学校に意見される事はない、と矢口の両親は怒った。
 山沢の担任は彼の母親に電話を入れて来た。
「私たちで責任を取ります。それでも行ってはいけないんですか?」
「その場合は、ええっと、構わないと思いますが、一応学年主任に聞いてみます」
 そう答えると、その担任は電話を切った。
 7月20日、矢口は、彼の両親が抗議の意味で書いた一筆を、学校に届けた。★(甲1号証)
 かように私への弾圧は続いた。このような弾圧が、いっそうの迫害へと流れていくこととなる。
 
 
 
 通信簿に涙する児童
 20日は、終業式だ。私は通知表を渡した。クラスのこどもたちはがやがやと帰り出した。しかし、1人の男のこだけが残って居る。見ると、彼は泣いている。私には、彼が泣いている理由に心当たりがある。
 彼は3年まで算数は「1」だった。その彼に私は算数で「3」をプレゼントしていた。彼は喜んで泣いているに違いない。私は、優しい声で話し掛けた。
「どうしたの? 泣かなくて良いんだよ。早く帰って、通知票をご家族の人に見せてあげようね」
 しかし、彼は泣き止まない。私はハットして、彼の表情を見直した。彼は悲しんで泣いているのではないかと想ったからだ。
 彼は、自分がもっと良い評価の数字だと想っているのではなかろうか? その瞬間、私は雷に打たれたような感じがした。
 私は、なんとか彼を慰め家に帰るのを見送った。今は、私1人のみが教室に残った。彼に対して申し訳ないという想いが、心の中に広がって来た。彼の家は、学校から3分ぐらいの所にある。彼が家に着いた少し後を見計らって、職員室に行き母親に電話を入れた。母親の話では、彼は「5」だと思っていたそうだ。
 やはり。私は呟いた。
 3年まで算数が「1」だった彼は、私のクラスになって突然やる気になった。彼は九割近くの問題を正解させるまでになった。それまでの彼の事を考えれば、彼自身信じられないことだったろう。ほとんど分からなかった算数が良く分かるようになったのである。彼にしてみれば、算数が「5」に想えたのも当然の事だった。ところが、私のクラスは大半の人が問題の九割以上を正解させていた。点数で輪切りをすれば、彼は後ろの方だった。彼に「3」を付けたのも、言わば彼の努力をかっての事だった。
 しかし、もう一方で、自分に対する不甲斐なさの念が次から次ぎへと涌き上がって来た。どうして、クラスのみんなを「5」に出来なかったのだ。クラスのみんなに「5」を付けて、管理職や周りの教員とトラブル事を恐れた自分の勇気のなさ。教員というものは、こどもたちのためにはあらゆる風圧の盾になるべきなのに、保身を優先させた自分の情け無さ。私は我が身を責めた。
 そもそも、私は陸上競技大会練習での怪我の問題以来、「5」「4」「3」「2」「1」の評価に大変疑問を感じて来た。誰に評価が出来るんだろう、と。私は、この件があってから、「5」「4」「3」を付けるのがより一層嫌になった。ましてや「1」や「2」は付けられなくなった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<39> ・・・・私は以下のような理不尽極まりない攻撃を受けた。そして、そのことを明らかにした私は、教委や校長らによって、一層権力犯罪にさらされることになっていく。
勤務時間中に酒を飲み、その上暴力をふるって威圧する校長
 
 終業式の日は、小学校も中学校も半日だ。正午頃、奥山が教室に現れた。
「キャンプは中止にする?」
 私が聞くと、
「いや、行く。6名が行ける。後2名が多分大丈夫」
 彼は、きっぱりと答えた。
 私は、彼と早々に別れた。1学期の終わりの『期末反省会』がこれからあるのだ。私は、職員室に降りて行った。松岡は、校長席に座って居た。私が前を通ると、彼が話し掛けて来た。
「キャンプの件だけどもよ、先生」
「責任は、私の方で取りますから、いいですね」
「いいけどもよ・・・、気を付けてな」
「心配しないで下さい」
「頼んだよ。先生」
 松岡はそう言ったが、内心は面白くなさそうだった。
 午後1時から、『松本』という料亭を借りて『期末反省会』が行われている。勤務時間中である。勤務時間中に半日酒の席を設けているのだ。勿論、この間も国や県は給料を教師たちに払っている。国民は税金を払って教師に飲み食いをさせているのだ。
 松岡は、かなり酔っている。
「おい、中村!」
と、松岡が不機嫌な顔でやって来た。キャンプの件がやはり面白くないんだな、と私は直感した。
「そんなズボンをはいてはいかん」
「このズボンがいけないと言ったんですか?」
「ああ言った」
「どうして?」
「いかん!」
 松岡は、私の膝を思い切り叩いた。
「痛い、何で叩くんですか!」
「叩かん」
「今、叩いた!」
「叩かん」
 側に居た狩野派の菊池が、にやにやしながら口を挟んで来た。
「そんな中村先生、大げさに言わなくても」
「おおげさじゃない。痛かったんだ」
 私は、答えた。松岡は菊池が口を挟んで来たことに気を強くし、
「叩かん。今度、お前と2人で話をしよう。酒を飲みに行こう」
「その前に叩いたことを謝って欲しい。このズボンがいかんと、言ったことを謝って欲しい。これは労働者の良くはく作業ズボンでしょ。どこが、いかん、ですか?」
「お前は、労働者か?」
「そう」
「労働者なのか? 聖職者じゃないのか?」
「労働者です。労働者が労働者の服装をしてどうしていけないんですか?」
 松岡はムッとした顔をした。
「お前なんか教師、止めろ! お前なんか、首にしても構わん。また、1年前に教務主任に叩かれた時みたいに、メモを取って配ればよい。俺は校長だから、びくともしない!」
「何言っているんですか。校長だからと言って、叩いて良いわけはない」
「何をぬかすか。俺は校長だぞ。お前の何倍も教員をやって来たんだ。教師の先輩だ」
「先輩? 教員の先輩? 教育について本気で考える者が、校長になりますか? 酔っぱらいとは話したくない。酒の席では話にならんから」
「何! 教員として優秀だから、校長になったのだ」
「教員として優秀かどうだか知りませんが、教務主任が暴力を振るった時みたいにメモをとり配ればいいとは、とんでもない。教務主任が暴力を振るったことを肯定して良いんですか?」
 そう言われた松岡は、とっさに、また私の膝を叩いた。
「今、叩いた!」
「ああ、叩いた!」
「何で叩いたんですか?」
「愛情で叩いた!」
「何が愛情ですか。酒を飲んでては話にならん。この件は素面の時に、ゆっくり話しましょう」
「ああいいとも。明日話そう。何時に来る?」
「12時」
「何で? お前、8時半に来ないのか?」
 菊池が松岡に耳打ちした。
「中村先生たちは、実技研修で午前中は学校に居ないんですよ」
「ああそうか。それじゃ12時だ!」
「自分が言っていることが、分かっているんですか? 明日、もう一度同じ事が言えますか?」
「ああ言える。お互いにテープに取り合いながら話し合おう!」
 松岡は、いつもマイクロテープを背広のポケットに入れていたが、今は背広を脱いでいる。
 私はそれ以上松岡の相手をしたくないので、他の教員の方を向いて話し出した。すると彼は、仕方なく主任風を吹かす教員の菊池と話し始めた。
「俺は酔いすぎたな。いろいろ中村さんに言われて分かったよ」
 松岡は、わざと私に聞こえるような大きな声で話している。その後、まもなく会はお開きになった。私が席を立つとき、松岡と菊池はまだ話していた。
 料亭を出たが、私は面白くない。私は麻生たちに誘われるままに喫茶店に入り、その後食事をして夜遅く家に帰った。(甲1号証)
 私は以上のような理不尽極まりない攻撃を受けた。
 私はそのことを明らかにしたが、その結果、教委や校長らによって一層権力犯罪にさらされることになる。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<40> ・・・・私や生徒たちは、以下のような理不尽極まりない攻撃を受けた。
電話をかけ、キャンプ参加阻止行動を展開する教師たち
 
 その頃、二中の1年担任の各教員たちがキャンプに行かせまいと、私の元のクラスの生徒たちの家に電話を掛けまわっているとは、夢にも考えていなかった。
 昨日の回答のために、山沢の家には担任から電話があった。電話に出た母親に担任は言った。
「学年主任に聞いたら、行って良いから一筆書いて下さいと言う事です」
「ああそうですか。それじゃ一筆書きたくなかったら、もうこれからは、隠れて行くしかないですね。仕方ない。今回は一筆書きます」
「えっ、本当に一筆書くんですか? それは困ります。私の立場もありますから、行かないで下さい」
 一筆書けばいいと伝えて来たはずの教員は、電話の向こうで泣き出した。
 電話は、キャンプに行かない生徒の所にまでかけられた。
「キャンプの届が出ていないけれど、行かれますか?」
「事情があり、行かれないんです」
「ああそうですか? それなら良いんですが、この問題についてはちょっと例外ですから」
 電話を掛けて来た教員は、行かないと分かって安心したのか、思わせぶりな事を口走った。★(甲1号証)
 私や生徒は以上のような理不尽極まりない攻撃を受けた。そして、私は教委や校長らによって一層権力犯罪にさらされていく。
 一方、翌日、松岡は約束の昼になっても学校に来なかった。私は、昼を過ぎてもなお1時間彼を待ったが、やはり彼は来なかった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<41> ・・・・理不尽な妨害をはねのけ、人として大切な権利を守った生徒たちや私は、その後、一層目を付けられていくことになる。
キャンプ参加阻止行動が吹き荒れた。結局5人のみ参加
 
 結局キャンプ参加者は二中の教員たちの執拗な妨害に合い、男の生徒4人と私との5人のみになった。★(甲1号証)
 それでも私たちは、この間のうさを晴らすように、キャンプをうんと楽しんだ。
 そもそもこのキャンプをめぐってなされた行為自体が、私たちの人権や名誉を毀損する権力の犯罪であるが、さらに私は教委や校長らによってにらまれ、権力犯罪にさらされることになっていく。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<42> ・・・・管理主義教育の犠牲者となった教員の相談に乗り、私はさらに教委や校長らによって狙われていく。
精神的に追い込まれた教員を救い、更に攻撃される
 
 2学期になった。まだまだ暑い日が続いている。
 私たちの教育問題でのサークルのメンバーと会った時、友人で松戸の栗ケ沢小に勤めている男性教員に付いて話し出した。しかも、その教員は、9月末日付で、既に辞職願を提出したらしかった。メンバーは、
「校長たちの進める管理主義教育がそりゃ酷くって、それに耐えられなくなって退職届を出したのよ。随分と虐められたみたい」
と、辞職願を出した背景を説明し出した。さして、一通り背景を説明し終わると、そのメンバーは、
「『子ども派』教員なので、会って慰留して欲しいんだけど」
と、私に要請した。
 虐められた教員と言えば、校長が女教員を叩いて自律神経失調症とやらに追いやり、病院に入院させた件を想い出した。
 私は、その教員に会ってみることにした。そのメンバーと一緒に、辞職願を出した教員のアパートに出向いた。彼は、挨拶も早々に管理主義教育を批判し始め、その後間を置かずに、中国旅行の話に移った。
「中国では、パックツアーのホテルを抜け出し、民間の家に泊めて貰った。中国の人とは筆談でコミュニケーションが出来るんだ」
 彼は中国旅行での体験をいろいろと説明した。その中国旅行の話に一応の区切りがついた時、私は、
「管理主義教育を疑わない教員や体罰教員が多いでしょ。こどもたちの側に立とうとする教員は貴重だから、続けられるなら教員を続けてもらえないかな」
と、彼に切り出した。しかし、彼は、
「インドに行かなければならない」「インドに行かなければならない」
と、繰り返した。
「何故インドに?」
と、同行した彼の友人は聞いたが、彼は、
「分からない。ともかくインドに行かなくてはいけないんだ」
と、答え、時折、
「今はいつなのか、時間が良く分からないんだよ」
と、付け加えた。
 私は彼の話を2時間ほど聞いて、彼のアパートを出た。
 
 辞職願を出した彼に会ってから、3週間ほども経っただろうか。電話のベルが鳴ったので受話器を取った。例のサークルのメンバーからだ。メンバーは、
「彼から連絡があり、休職出来るなら辞職願を撤回しても良い、と言っているのよ。何とかしてあげて」
と、電話口の向こうで私に訴えた。退職の辞令が発動されるのは、10月1日。後3日しか残されていない。時間がない。
 私は彼に会ったときのことを想い出した。どうみても彼は精神的バランスを壊しているとしか想えなかった。そのためか腰痛も酷いらしかった。私は彼を医者に見せようと考えた。病状次第では、病気休暇が取れるかも知れない。
 私は、彼を病院に連れて行った。そして、診断をして貰った。やはり、彼には休養が必要だった。その夜、私たちは、家に居た彼の校長にアポイントを取り、その約20分後に校長宅の門をくぐった。校長に加え、何と教頭も私たちを出迎えた。教頭は車で駆け付けたとのことだった。
 そんな教頭に家の所在を訊けば、埼玉県の三郷とのこと。20分以内に来るには、スピード違反でもしなれればここまでは来られそうもない。彼の忠誠心が伝わって来た。
 私たちは応接室に通された。招かざる客の訪問のためか、強面の管理者との評をとるこの校長も、何処となく腰が据わらなさそうに見える。
 彼は、校長と教頭を前に、
「辞職願を撤回します」
と、申し入れた。
「しかし、先生。辞職願は先生の方から」
 校長は困惑した表情を示している。私は、校長の様子を見て、
「彼は精神的に追い込まれ、時間の感覚すら無くなっています。腰などの痛みも酷いそうです。彼が辞職願を出すまでに追い込んだのは、嫌がる彼に管理主義教育をやらせ続けたあなたたちの責任でもあります。明日一番に、市教委に辞職撤回の具申を上げて下さい。そして、しばらく彼を療養させて上げて下さい」
と、要請した。彼も、管理主義教育の押しつけを止めて欲しいこと、勤務を休んで病気治療したいことを校長たちに訴えた。
 この校長は、千葉県教職員連盟に参加している強面の男らしかった。しかし、私たちの説明を聞いて、校長は彼の要求を受け入れた。朝一で、辞職撤回の具申を上げることを承諾した。
 夜が明けた。彼と私は松戸市教委と千葉県教委に行き、辞職願撤回の申し入れをした。松戸市教委では、多少荒っぽい対応をする男の行政職員がいたが、それでも事は大枠でスムーズに進み、彼の辞職は撤回された。そして、代わりに彼の病気休暇が承認された。★(甲1号証)
 しかし、この件で私は教委からいっそう睨まれることになった。
 今は千葉県教職員組合東葛支部は日教組反主流派が握っているが、彼らも私たち管理主義教育反対者たちが気にくわないらしい。彼らは組合ニュースで、教育委員会から辞職願を直前に撤回するのは困ると言われたと、私たちの行為を批判した。
 私はこの教員を救済して、さらに攻撃対象にされた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<43> ・・・・日本教職員連盟の管理主義教育とのぶつかりあい。
管理主義教育しかできない者たちや千葉教職員連盟関係者と相対す
 
 辞職撤回の具申を上げたその校長は、千葉県教職員連盟に加盟していた。千葉県教職員連盟という関係者に出会うのは、流山中央高校事件、日本教職員連盟の千葉県大会に続いて3度目である。それにしても、日本教職員連盟は校長たちを組織しながら、管理主義教育を進めている。また、千葉県の管理主義教育しかできない者、管理主義教育「依存症候群」者らも管理主義教育にもたれかかかっていっている。
 彼らからすれば、私たちの人権教育は、自己「教育」権や自己決定権に基づくまなびは面白くないものである。
 しかし、11月23日、私たちサークルは、更に「子どもに人権を 学校に民主主義を 世界に平和を」の集会などに取り組んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(松岡義明時代・2年目)
教員6年目/昭和59年4月1日から60年3月31日まで
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<44> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求めている。その動物とのふれあいや共生の大切さを、東部小の子どもたちは先駆的に指し示し、日本の教育界に提示した。
動物とのふれあいや共生の大切さを、東部小の子どもたちは先駆的に指し示し、日本の教育界に提示した
 
 いのちと向き合う仲間たち
 私が教員になって、6年目の春が来た。去年度までの4年は、新年度を迎え学級編成替えになった。というのも、東部小学校では2年から3年になるときと、4年から5年になるときに、学級編成替えをしていた。私は、5年の1組の担任になった。
 理科で、メダカの卵を孵す学習を始めた。しかし、たかがメダカの卵を孵すとはいえ、1組のこどもたちはかなり熱くなっている。
「ねえ、見て! たまご。ほら、フクサの所」
「おっ、あった。あった。本当だ。ちっちぇえや。ビー玉みたいにちっちぇえ奴」
「おまえ、そんなに見ると卵がはずかしがるだろ!」
「あれえ、あれあれ、あのめだか、卵をぶらさげて泳いでいるぜ」
「どれどれ。うん、うん。金魚のふんみたいだなあ」
「ふんだなんて! 松本、へんな事言わないでよ」
 女のこも男のこも、めだかが卵を生み出すと、まるで卵と同じように目玉を丸くして水槽に見入った。やがて、卵は次々と孵化して行く。透明に透けた身体を持つ小さな稚魚が、ちょこちょこと泳ぎ出す。
 彼らは、その稚魚を育てるために餌を「発見」したりと、彼らなりに工夫をしながら世話をしていった。★(甲1号証)
 
 自立心を涵養する仲間たち 児童一人ひとりの憲法
 また、彼らは一人ひとりが自分の憲法を持っていた。よく”クラスの憲法”というのを作るクラスがあるが、それだと一人ひとりは”全員で決めた”クラスの憲法に従わなくてはならない。でも、彼らの持っていた憲法は、彼らが自分自身で作った自分だけのものだった。
 例えば、
 [鎌田国憲法]
   ・だれとでも、なかよく!
   ・正しいことは、正しいとしゅちょうする。
   ・さべつをしない。
   ・友だちを大切に。
   ・アイヌの人のような、しょくぶつと、話ができるやさしいこころをもとう!!
   ・ともだちをいじめない!
   ・自分のことよりも人のことを先に。
 そして、彼ら一人ひとりが自立心を涵養していっていた。
 
 こ猫の登場
 一人ひとりの憲法が出来て間もなくの頃、梨畑の中に捨てられた2匹のこ猫を小湊が連れて来た。こどもたちは大騒ぎである。昼ともなると、彼らは、自分たち給食の牛乳や焼き魚や卵焼きを分け与えたりして、すっかりこ猫をクラスの一員にしてしまった。その日は、鎌田が家に連れて帰ることになった。
 次の日もこ猫は鎌田と一緒に教室にやって来た。2時間目が終わった時の事である。松本が、
「中ちゃん、次の時間は図工の時間にしようよ」
と、提案した。
「いいね」
と、小湊も賛成した。すると、
「ええ、図工? やった!」
と言う、大きな声が返って来た。5年1組にも一応時間割はあったが、実際は、朝に一日やることをみんなで話し合って決めている。従って、当然にも3時間目は図工になった。彼らは、こ猫を囲んで絵を描き始めた。
 絵を描いている途中で、一人の女のこが泣き出した。なんでも最初はそうは思わなかったのだが、良く見てスケッチをしている間に、自分の家のこ猫ではないかと思い出したというのである。
「うちの子猫に似ている。お父さんが、友だちの家にあげた子猫に」
 彼女は、泣きじゃくりながら小さな声で話す。
「じゃ違うよ、ねえ。あげた子猫が梨畑の中に捨てられているわけないもんね」
 こ猫を連れて来た小湊が、腕を組んで考え込んだ。彼の仕草は、大人びていて多少オーバーに感じられる。小湊が訊いて来た。
「困ったね。中ちゃんどうしょうか?」
 彼女は泣き止みそうもない。そんな彼女の様子を見て、
「今日、連れて帰って見たら」
と、私は彼女に助言した。彼女は、その日、家に連れて帰った。
 次の日、こ猫は教室に現れなかった。
 
 それから約1週間後、年に1回の定例の家庭訪問の時がやって来た。私は彼女の家を訪ねた。
「あのこが泣いて頼むもんで」
と、彼女の母親は罰悪そうに話し出した。
 何でも、初めは、彼女の母親は、自分の家のこ猫ではないと言い張ったのだそうだ。しかし、それもすぐに嘘だとばれてしまった。この家のもう1人の母親、即ち、こ猫の母親が自分のこどもが帰って来たので喜んで可愛がり始めたのだ。そう語る彼女の母親と私の側を、こ猫の母親がしっぽを上げてのそのそと歩いて来たかと想うと、こ猫に頬づりをした。
 勿論、こ猫の絵が描き終わるまで、彼女はこ猫を大切そうに抱えてクラスに連れて来た。
 
 こ雀の登場
 こ猫事件から間もなくの事である。松本が登校するとき、巣から落ちたこ雀を発見し、助けようと教室に連れて来た。またもやクラスは、てんやわんやの大騒ぎだ。
 ちょうどこの日は、午後から全校児童集会が行われた。集会の席でもこ雀は大人気である。
「かわいいじゃん!」
 6年生のこどもたちが手を差し出して来た。従って全体がシーンと静まり返っている中、こ雀の居る場所だけがざわめきたっている。やはりこどもたちは、何学年でも何処のクラスでも生き物と触れ合いたがっているのだ。私はそう想った。
 5年1組のこどもたちは、メダカあり、捨て猫あり、巣から落ちたこ雀ありと生き物との共生に喜びを見出して行った。
 
 こ犬の登場
 そうこうしている内、新学年になって約2ヶ月ほどの時が過ぎた。
 5月23日の事である。がやがやとひと塊になった集団が登校して来た。その中心には、例の松本が居る。松本は何やら「白い物」を抱き抱えている。
 彼らはその「白い物」を囲んで、私が教室に現れるのを今が遅しと待ち構えていた。私が教室に現れると、松本が「白い物」を抱えて肩まで持ち上げ、ニヤリと笑った。なんとこ犬である。今度はこ犬を拾って来たのである。
 彼らはそのこ犬を世話することにした。
 私は推察した。大人文化に害され切っていない彼らだからこそ、極自然に、こ雀が、こ猫が、こ犬が、この地球に共に生きる仲間であることを感じ取ったのではあるまいか? そして、20数坪の、ともすれば管理的で索漠になりがちな空間を、犬などとの共生により未知なる世界へ変革し、「共生の世界」を覗き見したのではあるまいか? 
 その上、彼らは、単に覗き見するのではなく、例えば、一人ひとりが『白』に自分を投影し、『白』と自分との共存のあり方を発見して行っているかの様ですらあった。だから当然にも、そこから生まれてくるやさしい空間では、『白』が中心となれる空間では、彼らも、また一人ひとりが中心でありえた。それは、側で見ている私にとっても、実にワクワクすることだ。★(甲1号証)
 
 管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求めた。その動物とのふれあいや共生の大切さを、東部小の子どもたちは先駆的に指し示し、日本の教育界に提示したのだった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<45> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求めている。しかし、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
動物とのふれあいや共生の大切さを提示した児童や私への弾圧にかかった
 
 児童の願いを圧殺する教員たち
 1組に『白』が来て4、5日経つと、隣の2組は、捨てられ、しかも手の折れたこ猫に包帯をして、教室に連れて来た。
「何とか助けてあげたい」
 2組のこどもたちは、担任に訴えた。2組の担任は、根矢という名の女教員だ。
ところが根矢は、捨てていらっしゃい! と鋭い口調でこどもたちに命じた。彼らは捨てに行かざるをえなかった。
 3組は犬を連れて来た。3組の担任は鈴木といい、この春転任して来た。学年主任をしている。しかし、根矢同様、鈴木も直ちに捨てに行かせた。
「どうして、1組は良いのに」
 こどもたちから不満がくすぶり出した。彼らはその不満を、教師特有の敏感さで感じとった。★(甲1号証)
 
 自分たちの都合で児童を攻撃する教員たち
 6月4日、6月最初の学年会が開かれた。既に『白』が来てから、10日が過ぎていた。
「中村先生、犬をいつまで飼っているんですか?」
 根矢が、急に話題を変えた。
 5組の松口という男の教員が口を開いた。
「中村先生の出張のとき、朝の連絡のために1組に行ったら、ざわざわ犬を抱いて居たんです。勉強にならないのではないでしょうか?」
 彼は私より1年遅れて教員になった。体育主任を経験し、スポーツ熱心と言う評判から、こどもたちに人気があるとされていた。無論、本人も、自分は人気があると、意識しているらしかった。
 教員の人気度は、4月の担任発表のときよく分かる。人気の度合いに応じて、ワーッとか、やった、とかの歓声が上がるからである。最も、発表の時の歓声は、昨年度のみは禁止された。
「厳しい先生たちは子供たちの指導に熱心なのに、子供たちはそこの所が分かってないのよ。表面上で教師を判断して、甘い先生には歓声が大きく、本当に子供たちの事を考えている先生には歓声が小さい。一生懸命やっている者にはたまらないわ!」
と、狩野派がクレームを付けた結果である。実に、狩野派の連中は、対面を気にするものだ。
 しかし、そんな事をしてこどもたちの口を塞ごうとしたって、所詮上手く行くわけはない。こどもたちは正直だ。その翌年は、また歓声が復活した。私は想った。そもそも教員にとっても、こどもたちの歓声を押し殺させるよりは、思いっきり上げてもらった方が良いではないか。歓声が少ない教員は、自分に何が足りないかを反省する機会に出来るではないか。第一、担任はこどもたちに選ばせるべきだ。何故なら学校の「主人公」はこどもたちであって、教員ではないからだ。
 まあそれはともかくとして、松口は昨年まで同じ学年の教員の中では、最も大きな歓声を得ていた。だがこの年の4月の担任発表の時は、少々勝手が違っていた。彼への歓声は、決して多くはなかった。校長にペコペコして、こどもたちの側に立たない松口は、その奴隷根性を感覚的にこどもたちから見破られて来ていた。こどもたちの目は案外と鋭いところがある。いつまでも体育主任の一枚看板では、こどもたちの心を引きつけることは出来ない。彼は、反省すべきだった。しかし、逆に彼は、狩野派同様、私の歓声が大きいのは私がこどもたちのご機嫌ばかり取っているからだと、思っているようだった。そこで、今回の件である。こどもたちを甘やかすのもいい加減にしろ、と言わんばかりに続けた。
「子供たちの意見も聞いて良いものと、そうでないものとがあると思うんですが」
 松口に続いて、鈴木が話し出した。
「教室が臭くなるよ、中村先生。それに隣りの教室の迷惑になる。実に隣のクラスの迷惑だよ。うん」
 鈴木は、決して許されないことをしているかのような調子で決めつけた。そんな調子で決めつけるように話す彼は、他方では良く苦労話をしていた。何でも彼の話では、彼は苦労したらしく、働きながら夜間部に行ったのだそうだ。そのためか、彼は大学を卒業したのは私より遅かったが、歳は私より1つ上だった。
 根矢は私を睨み付けるように凝視しながら、鈴木の言葉に頷いている。すると、松口が、
「人に咬みついたらどうするつもりですか?」
と、再度私に噛みついた。
 松口の後から、6組の岡崎という女教員が、困ったことだという表情をして、
「それに、1組だけ飼って、飼っていけないんじゃないの。ずるい、という他のクラスの子供たちの声があるのよ」
と、話した。彼女は、さも他クラスのこどもたちの立場を代弁していると言わんばかりである。
 その後も彼らは、私から止めさせますという約束を引き出すことを期待して、同じ様な言葉を一方的に繰り返したが、20分もすれば一応彼らの主張は出尽くした感があった。
 しかし、クラスの主人公はこどもたちだ。私に、はい止めます、と答えられるはずがない。当然にも、話は平行線をたどった。そこで鈴木が止めろというのではなく、ちょっと角度を変えて話し掛けて来た。
「先生はこれからどうするか、計画を持っているの?」
 ストレートに駄目だというのではなくて、言わば物分かりの良い振りをして婉曲的に諦めさせる方法である。こういう話し方の使い分けは、教員は得意なのである。否、この使い分けが出来ないと、管理・管理の学校の中では「尊敬される教員」にはなれない。要は、親であれ、児童生徒であれ、彼らの不満を如何に上手く丸め込むかが教員として大切なのだ。
「私にはどうこうとは言えないよ。こどもたちに今後どうするのか相談してみるよ」
 私は答えた。すると、岡崎が鈴木の話のトーンに合わせた。
「校長先生にお願いして、校庭の隅でかわしてもらえば」
 それを聞いた鈴木の顔色が一瞬変わった。彼は話が「校庭の隅で」という方向に流れるかも知れないと察知し、前言を打ち消した。
「いや、いや、飼うなんてとんでもないっ。良いわけがない。どうしても飼うというなら、職員会議にかける。中村先生は、子供たちが決めた話だと言うが、先生は指導するために居るのだから、先生が指導して飼うのを止めさせるべきだ」
 鈴木は、再び語彙を強めた。すると岡崎も、何の躊躇いもなさそうに、
「もらい手があるならあげた方が」
と、鈴木の意向に添って直ぐさま前言を修正した。そして、
「5年1組に飼われない方が幸せかも知れない」
という鈴木の話に、松口、岡崎、根矢は、大きく首を縦に振って頷いた。ただ、4組の女教員だけが、何も言わないで話の成り行きを見守っていた。彼女は今年採用されたばかりなので、発言をさし控えていたのだろうか。私には良く解らない。
 鈴木や松口は、この学年会の話し合いの後、松岡に忠信に行った。★(甲1号証)
 
 そうなのだ。いまや文部省ですら積極的に進める「統合学習」、生き物とのふれあいをターゲットに私への攻撃を画策していったのだ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<46> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求めている。しかし、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
「子どもに人権を 学校に民主主義を 世界に平和を」の東京集会
 
 私たちは、人権と民主主義を学校の内部に実現させるべく、6月24日、私たちサークルは、更に「子どもに人権を 学校に民主主義を 世界に平和を」の東京集会などに取り組んだ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<47> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求めている。しかし、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
動物とのふれあいや共生の大切さを提示した児童や私への弾圧にかかった
 
こ猫をかばうやさしい「問題児」を理解しない教師たち
 教員たちの理解が得られないまま、7月を迎えた。この間、こどもたちは一生懸命『白』の世話をし、自分たちの行動力に自信を付けていた。そんな中の18日、万引をしたり、女のこに悪戯をしたりして、教員たちから問題児だと決め付けられていた3組の男のこが、家でも3組でも駄目だからとへその緒のついた捨て猫を、
「助けてあげたい」「今日預かって」
と、1組に連れて来た。その彼に松本が話し掛けた。
「クラスで世話すりゃいいじゃん」
「3組は、1組じゃないんだ。鈴木先生、犬のときも追い出したから、絶対駄目だよ」
 彼は寂しそうに答えた。
「そうか!」
と、松本が大きな腹に乗せるようにして腕を組み、うーん、とうなった。そして彼がこ猫を1組に預けて帰ると、松本は、
「あいつ、優しいんだよね」
と、私に向かって話し掛けて来た。
 
 『黒』の登場
 一度あることは、二度あってもおかしくない。明日から夏休みという日、即ち7月19日、黒いこ犬が拾われて来た。今回は、川上ともう1人のこで連れて来た。こ犬は『黒』と名付けられた。
 夏休みに入った次の日、21日からは、林間学校が待ち構えている。勿論、こどもたちは、林間学校にも『白』や『黒』と出掛けようとした。しかし、鈴木らの反対で、直前に断念せざるをえなかった。★(甲1号証)
 
 管理主義教育に頼りきるしか術を知らなかった彼らは、自ら管理主義教育に代わるものを発見、創造、工夫できなかった彼らは、学校教育に求められていた動物とのふれあいや共生の大切さを排除し、それらを先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
 皮肉にも、その後、「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいに管理主義教育からの脱却の道を迷走的にさぐり、救済の道を求めた。弾圧した校長らこそ指弾される存在であることが、明らかとなった。
 今回の処分理由の再整理で、教育委員会側は「犬問題」を処分理由から外してきたが、そのことは彼らに非があることを示している。何とすれば犬問題は、これから述べるように最大の彼らの弾圧の理由だったのであるから、外せるわけはないのである。
 しかし、教委はそれを外した。となれば、私への免職処分は、少なくとも外さなくてはならない。その最大の理由が消えたのであるから。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<48> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求めている。しかし、校長らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
新聞社に探りと苦情の電話を入れる校長たち
 
 私は、毎日新聞社の依頼で、『小学生新聞』に『白』と『黒』とこどもたちの事を書いた。その記事が、8月14日の『わいわい学校広場』という欄に、私の署名入りで掲載された。すると、その2、3日後、教務の五十嵐がその新聞社に電話を入れた。電話は、その欄の担当者の長谷川記者に回された。五十嵐は、
「この記事は、誰が書いたんですか?」
と、開口一番に聞いた。長谷川記者が、
「記事には、中村さんの署名があるでしょ。彼が書いたのですが、何か問題がありますか?」
と答えると、五十嵐は、
「いや、学校の内部の話なもんで、新聞に出ると・・・」
と、記事への不満を言葉の端に匂わせた。五十嵐の言葉に、不自然さを感じた長谷川記者は、ズバリと切り出した。
「もし、その記事の内容に問題があるなら、取材にあがりますが」
 その言葉を聞いて、五十嵐は腰砕けになり、
「いや、その必要は・・・」
と、電話を切った。
 彼らは新聞社にも探りを入れ、弾圧しようとした。★(甲1号証)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<49> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求めている。しかし、校長らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
児童に廊下を這わせて犬の毛を探させる 教員たち
 
 40日間の夏休みが終わった。5年1組の教室には、日に焼けたこどもたちと『白』や『黒』が居る。彼らは、夏休みの間も、回り持ちで『白』と『黒』の世話をし、廃品回収も続けていた。
「こんなに貯まったよ」
『白』と『黒』の会計担当の福田が、嬉しそうに貯金箱を開けて私に見せた。
 一方、『白』と『黒』を見て、5年の教員たちや校長はがっかりした様子だった。彼らは、9月になる前に5年1組のこどもたちが犬たちを世話するのに厭きるだろうと、高を括っていたに違いない。いや、いなくなって欲しいと、懇願していたに違いない。
 9月12日の事である。こどもたちは、体育を終えて教室に向かった。2組の教室にさしかかったとき、2組のこどもたちが廊下を這い回って居るのを発見した。
「どうしたの?」
私は、想わず訊ねた。
「毛を探しているの」
「何の毛?」
「『白』の毛」
「『白』の毛を探してどうするの?」
「落ちていて迷惑だから、先生が探しなさいって」
「見つかった?」
「ううん、まだ見つかっていない」
 彼らは、そう答えながらも目は床の方を向いていた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<50> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求めている。しかし、校長らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
児童とその担任の間に割って入ろうとする 教員たち
 
 その次の日、再び学年会でクレームが出してきた。★(甲1号証)
 しかも、
「4年の先生も3年生の先生から『臭いと言われて臭いを嗅ぎに来たら、事実臭かった』と言っていたんですよ。臭いから止めて欲しいんです」
と、岡崎教員は他の学年の教師と一緒になって反対していることを告げ、
「中村先生、そっちのクラスが犬なら、じゃ、2組で牛を飼ってもいいんですか?」
と、口々に反論し出した。
 さらに、彼らは私の居ない時、アンケートをとると言いだした。
「2組が牛を飼っても良いけど、第一、牛なんて捨てられていないよ」
 小湊がそう言うと、クラス全体から、どっと笑い声が起こった。その笑い声が治まるのを待って、川上が許せないという顔をして吐いた。
「中村先生のいないときにアンケートを取るなんて、卑怯だえ」
 こどもたちは、異口同音に教員たちを批判し始めた。
「だって、先生たちは何も知らないで、反対ばかりしているんだもん」
 鎌田はそう言って怒り出した。
「私たち、先生たちが考えているよりも、いろんな事を知ってるんだよ。ずーっといろんな事をすることが出来るんだよ」
と彼女は語気を強めたが、確かに彼女の言う通りだった。彼らは単に生き物との共生を見つめるだけではなく、いろいろな事に関心を広げて行っていた。例えば鎌田たちは、4年生の時からアイヌの事などを自分たちで調べていた。伸びやかに自分らしく生きまなぶ中で、彼らは探求心と行動力を着実に育てていた。★(甲1号証)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<51> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求めている。しかし、管理主義教育しかできない校長らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
ついに松岡自らが姿を現す!
 
 その日の放課後、ついに松岡が私を校長室に呼び出した。
「どうなるものかと思って見ていたんだが、引き取ってもらえる所で飼ってもらってな、先生」
と、彼の考えを押し付けて来た。
「こどもたちが一生懸命努力しているので、私は、彼らの努力を見守って行こうと想っているんです。廃品回収をして、予防注射代なんかも稼いでいるし、彼らはいろんな事を経験して行っているんです」
 私は、松岡に分かってもらおうと、彼らの努力のほどをいろいろとアピールした。しかし、松岡の対応は冷淡だ。
「まあ、もう一度教室に帰って、良く考えてもらってよ。先生」
 松岡は、ソファーに反り返るようにして、煙草をくゆらせた。
 
 私が松岡に呼び出されたその夜、管理主義教育を問う私たちのサークルがあった。私は、今日校長室に呼ばれた話を麻生にした。彼女は、私が校長室に呼ばれた話を聞いて、
「それだわ、きっと。ねえ、中村さん。今日の昼に鈴木さんと松口さんが校長室に行ったのを見たのよ。犬の件で告口をしたのよ」
と、彼女は話し出した。
「ところで中村さん、『4年の先生』に臭いを嗅ぐように言った『3年の先生』って、狩野さんよ。臭いを嗅ぎに行った『4年の先生』とは鎌形さんよ。知ってる? 体育部系、狩野派、組合の管理的な教員たちみんな一緒になって、中村さんの足を引っ張ろうとしてるんだから」
 麻生は、私に忠告してくれた。
 その通りだ。みんなして私を排除しようとしている。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<52> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求めている。しかし、管理主義教育しかできない教員らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
暴力で弾圧・・・こんなことまでする!!
 
こどもたちは、楽しい事には、直ぐに反応する。『小学生新聞』に載ったことから、いろいろな所から手紙が来るようになった。クラス全体で手紙を送って来る所も3、4あった。そんな中に、関宿の二川小学校5年2組のこどもたちからの手紙があった。彼らは、『白』と『黒』の餌代にとカンパも送って来た。勿論、5年1組のこどもたちは、返事を書いた。それと平行して女のこたちが、電話で連絡を取り始めた。こんな時は、概して男のこたちよりは、女のこたちの方が行動的だ、と私は想った。
 交流が進んで、9月24日の運動会には二川小5年2組がやって来た。
 そして、次の日の月曜日には二川小に行くことになった。
 二川小に着くと、こどもたちは驚いた。何と5年2組でも、同じように捨てられたこ犬二匹が世話されるようになっていた。
 こどもたちが5年2組の教室に入ると、二川小5年1組担任の背の高い男性教員と3組担任の中肉中背の男性教員の2名がやって来た。背の高い方が学年主任らしい。学年主任は、見下すように5年2組の女性教員に向かって言った。
「学校から出て行ってもらって下さい」
 それに対し、2組の教員は懸命に反論した。
「でも、せっかく鎌ヶ谷から交流に来てくれたんですから、私はクラス同士の交流をさせたいんです」
 だが、男の教員たちは、
「困ります。先生、出て行ってもらって下さい」
と、譲らない。押し問答が続く。
 1組のこどもたちと私は、5年2組の先生が可哀想になって来た。幸い二川小の近くには、江戸川がある。1組のこどもたちは話し合い、江戸川まで出掛けることにした。彼らと私は、5年2組の先生に川に行くことを告げ、教室を後にした。
 1組が校門を出ようとすると、
「あっ、『白』と『黒』だ!」
と、『小学生新聞』で『白』と『黒』の事を知った3年5組のこどもたちが、追い掛けて来た。3年5組とのしばしの交流会も終え、1組が江戸川で遊んで居ると、やがて5年2組の友だちもやって来た。こどもたちにとっては楽しい交流の時が流れた。
 林間学校のときでもそうだが、1組の男のこどもたちは、川を見ると泳ぎ出す癖があるらしい。彼らにかかれば江戸川も例外ではない。こどもたちが江戸川で泳ぐことは、近年ないと言っても過言ではあるまい。泳いでいるのが珍しく、町役場の職員が広報誌に載せるため、写真を撮りに来た。
 しかし、その帰り、『白』がなくなった。暑さのための体力消耗も手伝っての病死と考えた。
 彼らは、電車の中でも大声で泣きじゃくった。
「黒は絶対に守るんだ!」
 強い口調で言った。彼らは悲しみに顔をしわくちゃにしながら、やっと学校まで辿り着いた。そして、校庭の隅に墓を作った。『白』の死を悲しむ彼らは、『白』の墓の側に、花畑を作った。
「白い花が咲くんだ」
 小湊が、ぽつりと言った。それを聞いて彼らは、思わず手を合わせた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<53> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求めている。しかし、PTA会長らは校長らと一緒になって、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
PTA会長らを動員しての 親への攻撃
 
 二川小から帰って間もなく、小茂田茂PTA会長を中心とした運営委員会が反対を始めた。こどもたちが、教室の内外で、『黒』と生きることに異論があるというのだ。
 時を同じくして、二川小5年2組でも、校長と校長派教員たちが反対して実力行使をして来た。なんと、二川小では、
「追い出せ!」
と、二匹のこ犬は5年の男の主任らによって床に叩き付けられた。いじめられるこ犬を見るに忍びなくなったこどもたちは、仲間の家にこ犬を預けた。「教育」の現場で、二匹のこ犬は反対する教員たちの暴力で追い出されたのだ。
 二川小のこどもたちは、
「私たちの分まで頑張って」
と、手紙を書いて、5年1組のこどもたちに、自分たちの夢と希望を託した。
 東部小では、小茂田らは、攻撃の方向をクラスの親たちにぶつけてきた。
 クラスの親たちはその批判を5年1組のこどもに伝えた。その事で、小湊が司会をして話し合いが始められた。
「反対が強くなったので、『黒』が廊下に出たら何と言われるか分からない。教室でも繋いでおくという方法があるけど、どうする?」
 小湊がクラスのみんなに提案した。しかし、他のこどもたちの意見は決まっていた。
「『黒』も同じように生きているんだよ」
 彼らはあっさりと答えた。
「そうだよね。繋ぐのは良くないよね。僕も思うんだ」
と、司会の小湊は、安心したようにニッコリ笑った。そして、早々に話し合いを止めてしまった。彼らは話し合いの後も、相も変わらず『黒』と教室の中で、ドタバタと暮らしていた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<54> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求めている。しかし、その時、教育長は校長らと一緒になって、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
教育長が マスコミに対して私たちを誹謗中傷
 
 そんな彼らを、地方新聞が取り上げた。新聞は、『ここは独立国家』と大見出しを掲げ、一面総てを使って報じた。
 ところが、酒井三郎鎌ヶ谷市教育長は、それを見て新聞社に、
「困った教師たちの記事だ!」
「独立国家とは礼讃的だ!」
と、抗議の電話を掛けた。★(甲    号証)
 松岡も、同様に、新聞社に抗議電話を入れた。
 
 この頃になると、公然と、私の「クビ」が囁かれ出した。私は、こどもたちに相談した。
「何とかならないかな? クビになるのは恐いし」
 彼らは、しばし考えている。重い時間が流れる。彼らといえ名案はない。困った彼らの1人が、私を見つめて言った。
「だって中ちゃん、『黒』は仲間だよ」
 私はクラスを見渡したが、他のこどもたちも頷いている。
「そうだよ。仲間だよ」
 口々に彼らの言葉が返って来た。私は何も言えなくなった。彼らには『黒』は仲間なんだ。仲間は切り捨てられないな。私は、妙に納得してしまった。
 間借りなりにも「教育」という名が付く場所で、仲間を裏切れとは決していってはならないことだ。
 彼らは、2学期の早い時期に、校庭に犬小屋を作ろうと、一人ひとりが小屋の設計図を作っていた。無論、反対にあって今日まで実現を見ていない。しかし、いつまでも宙ぶらりんのままではいられない。11月も終わりの日、校長たちが認めてくれるようにとの願いを込めて、犬小屋の設計図の発表会をした。もっとも、彼らは、校庭に作れないので、設計図を生かして既に自宅に犬小屋を作っていた。★(甲1号証)
 しかし、事態は良い方向に向かう気配は一向にない。私は「クビ」との噂を聞かされる度、気が重くなり最近ではかなり疲労感が募っている。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<55> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、校長らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
校長の弾圧 児童の頼みを聞いて助けたら処分する
 
 年の暮れが近付き、またもや事件が起きた。
 12月5日、交通事故に遭い動けなくなった茶色のこ犬を、6年3組のこどもたちと4年生のこどもたちが、職員室の前に連れて来たのだ。しかし、教員たちは6年生の、
「助けてあげて!」
「病院に連れて行ってあげて!」
という頼みに、全く耳を傾けない。無視している。冷たい。こどもたちは、やがて私を呼んだ。なんで、『黒』問題で「クビ」が囁かれているこの私なんだ。他の教員にして欲しい。心の中で私は呟く。しかし、今は急場だ。仕方がない。
「分かった。病院に連れていこう」
「さすが、5年1組の中村先生。こどもたちの気持ちが良く分かる」
 彼らはおだててくれるが、今の私にそれに浮かれている余裕なんてありゃしない。
 私は、教員たちの朝の打ち合わせで、
「治療費は何とかするから、治療後のこ犬の飼い主を探して」
と、頼んだ。が、黙殺されてしまった。
 なんと組合内の管理主義教育派の津崎に至っては、
「中村先生のクラスでもう1匹飼えば」
と、皮肉を浴びせかけて来る始末である。果たしてそれで教員なのか! 教員とは、児童の気持ちを大切にし行動する者ではないのか!
 そんな中、松岡は、こ犬を病院に連れて行こうとすると、
「こ犬は処分する」
と言い出した。しかも、
「連れて行くなら中村先生を処分する」
と、校長命令さえ発した。
 この時、私は、教員になって初めて「処分」という言葉を、噂ではなく直接耳にした。私は、ためらった。放っておこうか? たかがこ犬1匹の命。でも待てよ、こ犬といえども命は命だ。放置しておくことは出来ない。その上、6年生からも頼まれている。約束は約束だ。ええい! 私はこ犬を抱いて飛び出した。
 こ犬は折れた前足を手術した。
 こ犬は退院出来たが、毛をきれいに刈られた左前足に、傷口を縫った細いワイヤーが痛々しく皮膚からはみ出ている。引き取り手のないこ犬は、しばらく5年1組に居るしかなかった。こ犬は『ムクムク』と名付けられた。
 この『ムクムク』には、2年生の男のこからカンパが届けられた。また、『ムクムク』を連れて来た6年3組のこどもたちが、様子を見に来たりしている。心配なのだ。
 一方、『ムクムク』の登場に刺激されたかのように、小茂田らの反対も激しくなって来た。彼らにすれば、反対しているのにまたもやこ犬とは何事か! というつもりだったのかも知れない。小茂田らの圧力で、5年1組の父母は一層大変になって来た。しかし、父母たちは父母会を開き、今まで通りこどもたちの生き方を認めて行くことを決定した。★(甲1号証)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<56> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、管理主義教育者らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。そんな中では心のやさしい教頭は救われない。
やさしい心の持ち主の教頭を潰しにかかる教員たち
 
 この時の教頭は、松岡、狩野、体育部系や組合内の管理主義教育派の教員たちとタイプがちょっと違っていた。彼は、前任校の小学校で、組合内の管理主義教育派の教員たちとしばしば対立していたらしかった。従って、この教頭は、彼らから陰口をたたかれ、それが影響してか教員たちからはすこぶる評判が悪かった。
 彼は、今年東部小に転勤して来たが、東部小でも、
「前の学校では、直ぐカーッとして、怒鳴るという評判よ。『気が変になる』みたいよ」
と、組合内の管理主義教育派の教員たちから噂されていた。
 しかし、私が東部小で目にした彼は、彼らが噂した人物像とは明らかに別人だった。
 こんな事もあった。12月のある日、階段の下で、彼が私を待ち受けて居た。そして、彼はこっそり、
「中村先生、これ、犬のカンパに」
と小さく折り畳んだ5千円札を差し出した。
 勿論、私は受け取ると、彼が校長や教員たちからいじめられることは解りきっていた。私は受け取らなかったが、逆にそんな危険をおしてカンパを申し出た彼のやさしさが、痛いほど伝わって来た。★(甲1号証)
 組合内の管理主義教育派の教員たち、特にこの東葛地域の日教組反主流派は、自分たちの都合が悪い人間に対しては、陰で批判し、噂を流してその人間の人格を葬ろうとしていた。卑怯で実に卑屈なやり方だ。堂々と批判しない輩は、自分の性格もいつしか卑屈になるものだ。しかし、そんな事に彼らは気付かない。勿論、彼らだけではない。教育委員会も他の教員たちも、積極的にそのやり方を利用した。
 情報網が発達した社会では、噂は何らかの形で噂にされた人を襲う。問題や批判があれば、その人間と話し合えば良いのに、陰で批判し、噂を流布して人を傷付ける。ところが、噂を流した側は、相手に面と向かって批判していないために襲ったという意識はない。しかも、噂を流した側は、往々にして被害者だと思っているから、始末が悪い。だから、噂というのは、不断に人権をときには生命をすら奪っているのに、全く犯人が見つからない。現代市民社会の完全犯罪だ。噂を立てられるのが嫌なら自己主張を止めて、目立たぬように生きるしかない。★(甲1号証)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<57> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、管理主義教育者らとそれに振り回されている者らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
噂を使っての攻撃 赤い色の車に乗るのは赤だ
 
 私が、陰での批判と噂にこんなにこだわるのは、私は幾度もそのやり方にやられているからだ。そして、今もやられ続けている。
 無論、噂の中には、たわいもないものがある。私は、赤い色の車に乗っていた。その事が噂に使われた。
「中村は、赤だ。何故なら赤い車に乗っているからだ」
 この噂を聞いたときには、想わず笑ってしまった。しかし、これが一部の者たちによって、真面目に私が赤である根拠とされているということを聞いて、笑ってはいられなくなった。まして、二中の女生徒が、放課後、家に帰って赤い靴を履いて遊んでいると、次の日、生徒指導の教員に呼び出され、そして、
「赤い靴を履かないように」
と注意されたと知ったときには、言葉が出なかった。
    赤い靴履いてた 女の子・・・異人さんに連れられて 行っちゃった   ぁ〜
ではなくて、
    赤い靴履いてた 女の子・・・生徒指導の先生に しかられちゃった   ぁ〜
では、如何にも情緒が無い。生徒指導の教師は赤い色は、危険な印だったと真面目に考えていたのだ。しかし、この色の件について、二中の父母は誰も抗議をしなかった。何故なら、目立って噂され、自分も赤好きの仲間にされるのが恐かったからである。
 実に日本社会とは、表の大儀名分に対して、裏が実力を持つ『裏社会』だったのだ。だから裏表のない人間になったら、この社会からはじき出されるのだ。★(甲1号証)
 それにしても、無茶苦茶な噂をたてるものだ。まったくもって信じられない事態だ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<58> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、教育長や校長らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
教育長の罠 教育長の出席命令
 
 冬休みまで後2日という12月二2日、学習中に教頭がやって来た。
 教頭は、
「中村先生、校長先生からです」
と言うと、メモを差し出した。彼は、何となくすまなそうな笑みを浮かべた。私は、メモに目をやった。メモには、
 
    「教育長が話があるので12月24日か26日のどちらかに
    来てくださいとのことです。私も行きます。
                            松岡」
 
とあった。
 教頭は松岡の使い走りを頼まれたのである。私は、嫌な役回りをさせられる彼に同情した。同時に、来るものが来たかとも感じていた。脳裏に、松岡のしてやったりという顔が浮かんでは消えた。
 ついに24日が来た。こどもたちは2学期最後の日、墓参りを忘れなかった。彼らは、自分たちで作った粘土の『白』の像を手製のビニルケースに入れ、『白』の墓に置いた。そして、『白』の前で手を合わせた。そんな彼らを見ていると、酒井教育長に会いに行きたいなんて、とても言い出せない。私は、26日があることを好い事に、呼び出しの事を考えるのは止めた。
 放課後、『期末反省会』までの一時を職員室に居ると、松岡がやって来た。
「先生、今日は行かないの。あっそう。じゃ、26日ね。教育長さんと待っているからよ」
 松岡はさも優しい上司が部下をいたわるかのように話した。
私は、
「行政の長である教育長が、理由を伏せて教員を呼ぶのはおかしい。出掛けられません」
と、メモを批判する意見を述べた。しかし、松岡は私の批判に対しても、
「でも、まあ教育長さんに会って、話をしてみたら。ね。折角だから」
と、余裕綽々だ。
 26日がやって来た。私は、朝からそわそわしていた。行けば『黒』を引き取ってもらって、という話になるだろう。私の耳にはあのクラスの仲間の「黒は仲間だよ」と言う声が響いていた。行くべきか、行かざるべきか、考えるごとにその声の響きが大きくなる。仕方がない、と自分に言い聞かせた。私は、出頭しないことにした★(甲1号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<59> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、教育長や校長らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
執拗な教育長の罠 再びの教育長の出席命令
 年が明けた始業式の8日、松岡が教育長からの『出席要請』の公文書を教頭に持たせて来させた。
 見ると、
   1、日時  1月9日(水) 15時〜
   2、場所  市教委教育長室
   3、内容 (1)生徒指導について
        (2)その他
と、なっている。
 今度は公文書で出頭命令をかけてきたのだ。執拗な攻撃だ。★(甲1号証)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<60> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、校長らに追随する者らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
教育長と一緒になって潰しにかかるPTA運営委員会
 
 この日、PTA運営委員会からも『PTAだより』が出された。『だより』には、『5年1組の犬の件』と題し、黒の件で、
「教育委員会も知る事となりました。もう少し時間がかかると思います。」
と記載してある。教育長からの呼び出しがあったことと一体化した『PTAだより』を使っての攻撃だ。★(甲1号証)
 私は、増々追い詰められて来た。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<61> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、管理主義教育をひた走る者らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
教育長と一緒になって潰しにかかる千教組東葛支部
 
 こんな時に頼れるのは、教職員組合しかない。教職員組合なら、なんとかしてくれるかも知れない。私は、千葉県教職員組合東葛支部に相談した。ところが、支部の染谷書記長は、千葉県教職員組合の本部に問い合わせたがどうにもならなかった、と私に告げた。
 しかし、彼は、
   「今日の場合は、話し合いと指導である。処分は伴わない」
との酒井教育長の言葉を自分でメモって持って来た。
 そして、日教組反主流派の彼は、私に、
「話し合いだから行って、ざっくばらんに話したら」
と教育委員会行きを進めた。★(甲1号証)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<62> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、教育長と校長らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
更なる弾圧をたくらむ教育長と校長
 
 呼出命令から2日後、私は追いつめられ、出席せざるをえなくなった。
「一緒に行くかい?」
 松岡は、私を気遣うかのようにほほ笑みかけた。私は気分が悪くなった。私が自分で行くと告げると、松岡は、
「それじゃ、先に行ってるよ。遅れないでね、先生」
と、出掛けて行った。
 私は、これから起きる事態に怯えていた。しかし、怯えていてもどうなるもんじゃない。ともかく、こちらの言い分だけはしっかり伝えるんだ。それしかない。自分に言い聞かせた。私は複雑な想いで教育長室の前に立った。大きく深呼吸してドアをノックし、思い切って室のドアを開けた。教育長の酒井はソファに深々と座って居たが、私を見ると、
「やあ、どうも先生」
と、身を乗り出した。松岡は既に来て居た。
「ああ先生、来てくれたんだね。時間通りだね」
 何が、やあどうも、だ。何が、来てくれたんだね、だ。強制的に呼び出しておいて! 内心そう想った。が、口には出せなかった。私は、自分を落ち着かせるためにも、彼らを無視して部屋の中をぐるりと見渡した。部屋の中には木製の大きく豪華な机が在り、その上には小さな日の丸の旗二本がクロスして置いてあった。
 そもそもこの酒井という男は、一昨年まで鎌ヶ谷小学校の校長で鎌ヶ谷市の校長会長をしていた。彼は、社会科が得意と考えているらしく、千葉県教育研究集会鎌ヶ谷班の社会科部会で私と一緒になった事があった。私が研究の方向性を提案すると、口を挟んで来た。けれども何か具体的な提案が彼にあるわけではなく、私たちが彼の提案を聞くと何だかんだと言ったあげく、結局は、私の提案した内容をオオム返しに繰り返した。その時の私には、いけ好かない校長の典型的なタイプだと感じられた。もっとも彼にすれば、校長会長の自分がいるのに、平の教員に主導権をとられるのが我慢出来なかったのかも知れない。私にとってみれば、彼の執拗すぎる攻撃は、この研究会での事に端を発しているものと想えた。しかも、今この男は教育長だ。
 彼が教育長になれたのは、運も良かったようだ。校長会の会長は、約2年毎の回り持ちである。彼が校長会の会長をしているとき、それまで15年も教育長をしていた前教育長が高齢のため退陣した。布佐の仲人をした大木である。校長会長の彼が自動的に教育長になったのはいうまでもない。
 「棚ぼた式」に教育長になったこの男は、従って論理的な人物ではないらしい。彼は、私に対し、
「不公平です」
「不衛生です」
と、反対の意向を繰り返した挙げ句、
「捨てられた犬が可哀想だと言うが、象が捨てられて居たら象を飼いますか?」
とも話を展開した。しかし、
「クラス毎にいろいろあっていいんじゃないんですか?」
「一生懸命掃除をしています。問題があるから駄目だと禁止するより、問題を乗り越えて行くことが大切なんじゃないですか?」
という私の反論にあうと答え切れなくなった。そして、クラスのこどもたちの行為を、
「そこまでの気持ちになったのは、立派だと思いますよ」
と認めざるをえなくなった。最後には松岡に向かって、
「残ったとこは、また学校に帰って、話し合いやご指導を」
と、全く歯切れが悪くなってしまった。そして、酒井は、話を打ち切ってしまった。
 ところで、なんと酒井は、教育行政職の長として教育行政にかかわる話はただの一遍もしなかった。教育政職の長としては権限のない『黒』や『ムクムク』とこどもたちとの関係のこと、即ち「教育」内容に不当に介入する話をしただけだった。
 何のために、「生徒指導について」という理由で私を呼び出したのだろう。その理由で私を呼び出した以上、少なくとも名目的であれ生徒指導に「必要な教育的施設を整える」話をすべきではないか。例えば、生徒指導関係でどんな予算措置を講じて欲しいか、どんな設備が必要か、せめてそれぐらいは私の意見を求めるべきではないか。しかし、『黒』や『ムクムク』とこどもたちに関する「教育」内容そのものの話が終わると、全く教育行政のことに触れることすらなく、はい、さようなら。
   「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対して直接的に行われる。       教育行政は、そのために必要な教育的施設を整える」(教育基本法10条)
に違反し、教育行政職の長が「教育」に臆することなく不法に介入するためだけに私を呼びだして来たのだ。酒井や松岡にとっては、教育基本法を形だけでも守るという消極的な姿勢さえ何処にもなかった。
 
 次の日、こどもたちは私の姿を見つけるなり、心配して駆け寄った。
「どんな話になったの?」
 彼らは、私の話に固唾を飲んで聞き入った。私が象が捨てられてあったら飼うか、という酒井の話を伝えた箇所で、それまでの彼らの緊張の糸がぷっつりと切れた。
「だって、象なんて捨てられてないじゃん!」
 彼らは、それまでの緊張を吹き飛ばすかのように笑った。
 教育委員会まで乗り出して来た「騒動」の中でも、彼らは相い変わらず『黒』を友だちとして大切にしていた。瓶集めなどにも精を出し、『黒』の登録をした。教室のワックスがけもより丹念に行い、かりそめにも不潔などと言われないように努力していた。従って、床はピカピカに輝いていた。彼らは、無言で『黒』との共同生活を周囲にアピールし続けていた。それが彼らに出来る最大のことであると、彼らは自覚しているようだった。
 そんな彼らに答えるかのように、二川小で束の間の交流をした3年5組からも手紙とカンパが来るようになった。何と3年5組では、傷ついた鳩を助けている最中だった。
 こどもたちがお世話になった動物病院の獣医さんも、彼らの努力を買っていた。彼は、彼らが『白』のために支払ったお金を、彼らの名前でアフリカの基金に寄付した。★(甲1号証)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<63> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、教育長と校長らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
最後通告で脅す 酒井や松岡
 
 しかし、そんな彼らの努力は、皆目酒井や松岡らには通じなかった。1月20日、ついに松岡は、『黒』を1月いっぱいで校外に出すよう、最後通告をして来た。★(甲1号証)
 松岡の言い分は、教育長と話し合った問題だからというのである。
 教育長酒井との話は、途中になっていたにもかかわらずである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<64> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。あの時、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童は訴えた。
『黒を飼い続けるための宣言』で訴える
 
 彼らは、『黒』と生き続ける事を訴えるために、『宣言文』を書く事にした。27日、彼らは遂に『宣言文』を書き上げた。
 
    『黒を飼い続けるための宣言』
「犬を、どうして教室でかってはいけないんですか!? 犬をかうためにみんな協力しています。例えば、「くさい」「きたない」と言われれば、放課後のこったりして、ワックスをかけてきれいにするし、おしっこ等した時には、ぞうきんでふいて消毒しています。
 黒の予防注射するために、土曜日の放課後など、おなかのすいてるのをがまんして、ビンを運んだり、暑い夏の日もみんな協力してがんばってきました。
 それに黒は、人間と同じで生きています! 犬だって生きものです。すて犬をすてたままにするのはかわいそうです。犬をかうことになってクラスのみんなが協力して、私達にもやればできることがよく分かりました。
 これからももっと協力していって、犬をかうことにガンバリます!
 だから、ずうっと黒をかっていきたい!!
                                   5年1組一同」
 
 『宣言文』には、一人ひとりが、署名をした。
 彼らは『宣言文』に署名した後も、様々な形で学校や周りの人々に訴え続けた。犬が居ると教室が汚くなるという人たちに理解してもらうために、以前と同じように放課後残って掃除を続けた。
 そんな中、『黒』が生理になった。赤い血液に最初は戸惑った彼らだが、いろいろと図書室の本で調べたり、獣医に聞いて、生理についてまなんだ。特に、女のこたちは、自分の中の性を客体化して見ていたようだった。これまで彼らは3年生で雌しべと雄しべについて、5年生でメダカの卵と受精についてまなんで来たが、今、彼らはリヤルな性に直面した。性といのちについて、男性と女性について、セックスと生命の誕生の仕組についてまなびを始めた。
「これで『黒』も、赤ちゃんが埋める身体に成長したんだね」
と、女のこたちは何処となく同性を見るような目で、『黒』を見た。彼女らは『黒』用のナプキンを作った。★(甲1号証)
 節分集会でも、『黒』を認めてもらえるよう願いながら、豆まきをした。彼らは、酒井や松岡たちが認めてくれることをただ願った。★(甲1号証)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<65> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、教育長と校長らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
やはり仕組まれていた処分攻撃 「文書訓告」
 
 しかし、事態は一向に好転しない。
 それどころか、『黒』を学校から追い出さなかったからと、2月6日、私に対して「文書訓告処分」が出された。しかも、私は「処分」の前段手続きの事情聴取すら受けていなかった。闇討ち処分だった。私はその事を訴えた。すると、教育委員会は、1月の「処分は伴わない」との約束で行われた酒井との話し合いが事情聴取だったとし、その事情聴取に基づいて「処分」したと言い出した。★(甲1号証)
 それに対して、組合の取った対応も理解し難かった。染谷書記長をはじめ組合は、酒井が約束違反したとの一言も言わず、逆に私が問題を拗らせていると非難を開始した。
 私を心配する知人たちは、教育委員会が私を「クビ」にするための前段として「文書訓告処分」をして来たのではないかと考えた。★(甲1号証)
 確かに、いつ「クビ」の処分が出されても、おかしくはない状況に突入していた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<66> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、教育長と校長らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
児童たちや私への支援の広がりに対する 差別攻撃
 
 新聞、テレビ、ラジオなどは、私への「文書訓告処分」の事を、連日大きく報道し出した。そして事件を知った世間の人々は、
「何でこんな事で処分をするのだろう」
と驚き、この処分に反対して酒井や校長に抗議を寄せ始めた。
 励ましの手紙は、山と届けられてき出した。
 海外のマスコミも、この「犬騒動事件」を報道し始めた。そして、イギリスなどからも、支援の手紙が届いた。
「中村センセイ アナタ コドモノ キモチ トテモヨクワカル モシ アナタ ナニカアル ワタシタチ アオイメノ キョウシ 40ニンデ チバニ オシカケマス」
と、アメリカンスクールの教員からも励ましの電話がかかって来た。そして、その教員は、アメリカ合衆国でも支援の運動を広げたいと申し入れて来た。
 その日は、間もなくこどもたちや私への励ましと校長たちに対する抗議で、学校の電話がパンクした。
 こどもたちや私への支援が、りょう原の火のごとく広がり始めたのだ。酒井や松岡の驚きはいかばかりだろう。
「先生方、文部省から知らせがあって、犬の問題が香港でも報道されたそうだよ。東部小もおかげ様で有名になれたな」
 朝の打ち合わせで、松岡は教員たちにそう告げ、余裕を見せて笑った。しかし、それはまた、自分と教員たちの動揺を必死に押さえるかのようだった。
 そんな中でのことだった。
 2月12日、朝の打ち合わせが終わると、松岡が私に1枚の葉書を渡した。
 
  「中村先生 なかなか動物愛護精神
   あるね よろしい死から生へそりゃよろしい
   けんど 飼うのに 人間の住む教室で飼
   うのは 人と犬と同じにしているで
   犬かう なら 家こしらえて外で飼いや
   教育者なら なにがなんでも室内で飼
   うというのは あんた 部落民だろ そ
   んで うわべきれいそうで 心の中きたない
   えた ではないか えたのすること きた
   ないことばかり全国の大和民族笑いゆう
   バカ教師 えた教師部落民 死ね」 
 
 差出人は大和民族とあった。★(甲1号証)
 
 私は、震撼した。許せなかった。
 匿名で人を抑圧するそのやり方は、この間の「赤」攻撃と同じだった。
 しかも、今回は、「赤」の代わりに部落差別を使っている。
 ちょうど今日の放課後は、『同和教育主任研修会』が予定されている。私は「同和教育主任」だったのでその研修会に行く。私は、今日の『研修会』に持って行き報告しよう、と決意した。
というのも、その葉書の内容に、東部小の教職員が漏らしたと思える事柄が書かれていたからだ。
「余りに酷い内容です。卑怯きわまりないやり方です。今日の『研修会』に持って行って、こんな現実があることを各校の主任たちに知ってもらい、同和教育についてのより一層の研修と努力を促します」
と松岡に告げた。すると彼は、
「その葉書を研修会に行ってはいけないよぉ。持って行ったら処分するよ、先生。犬問題で、放課後、臨時の職員会議を開くからね。先生も参加してな」
と、ニヤニヤしながら告げて来た。
「何故ですか。校長としても『同和主任研修会』に持っていくことを勧めるべきなのに。不可解ですね。この様な葉書が来る現状に対してこそ、研修会で認識を深めるべきではないですか」
と、私は抗議した。自分でも驚くような力の入った口調だった。私は付け加えた。
「職員会議を、是非とも明日に延ばしてください」
 松岡は黙った。
「明日に延期でいいですね」
と、私は念を押した。彼は異論を唱えない。
 私はてっきり職員会議は延期になると考え、放課後市教育委員会の建物で開かれた『同主教育主任研修会』へ出掛けて行った。★(甲1号証)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<67> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、教育長と校長らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
差別葉書を利用して攻撃をしかけてきた市教委や校長たち
 
 しかし、松岡は私が居ないことをいいことに、狩野や体育部系や組合内の管理主義教育派と一緒になり、「犬問題」と題して、臨時の職員会議を開催した。何も今日開かなければならない緊急性など何処にもなかった。もし、あるとすれば、私の居ないときに会議を開きたいという彼らの邪悪な精神だけだった。
 彼らは、私のいない会議で、私のクラスに関することに関して、
「学校の教員は、今後、マスコミ取材には応じない」
「マスコミの取材は、校長のみが窓口になる」
「総て校長に一任する」
 などと、一方的に申し合わせをした。
これは陰謀以外の何ものでもない★(甲1号証)
 
 次の日の朝の打ち合わせで、彼らは、
「中村先生も決定に従って下さい」
と、前日の「申し合わせ」を押し付けて来た。私が、
「私を排除しての、職員会議の決定には従えない」
と、主張すると、
「マスコミが来て、子供たちが浮き足立っている。先生も従って下さい」
「先生も東部小の教員でしょ」
「どうして従えないんですか?」
と、1オクターブ高い口調で私を攻撃して来た。口用の高さと声の大きさ、強さ、執拗さに、私は先程から圧倒さている。気持ちが崩されそうになる。こんなことなら『同主教育主任研修会』に行かなければ良かった。いやいや行かないわけにはいかなかった。あの葉書は『同主教育主任研修会』のテーマにされて余りある大切なものだ。問題は、私の居ないときを見計らって、勝手に緊急の職員会議を開き欠席裁判をするこの者たちの側にある。しかもその欠席裁判の内容を、いけしゃあしゃあと押し付けられるこの者たちの精神構造にある。私を落とし込めんがための明らかに卑怯な手である。★(甲1号証)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<68> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、市教委と校長らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
やはり差別葉書を利用して攻撃をしかけていた市教委や校長たち
 
 それにしてもどうしてこんな葉書が来たのだろう。
 今までも同じ様なことがあった。例えば、陸上競技大会練習での32名のこどもたちの怪我を問題にしたり、流山中央高校の問題を取り上げたときは、「匿名手紙」で脅された。あるいは、部落差別学区に反対したときは、教務から殴られた。また、二中の教員たちの生徒たちに対する凄まじい暴力に反対したときは、電話で脅されたり嫌がらせを受けた。
 今回も同じ脅しなのだろうか? 私は疑った。ふと、消印を見ると「高知」となっている。考え違いだ。余りにも遠すぎる。新聞かあるいはテレビやラジオがニュースで取り上げたのを、見たり聞いたりした「大和民族」なる者が書いて寄こしたに違いない。
 しかし、待てよ。変だぞ。こんな言葉、どの新聞記者にも話していないし、テレビやラジオでも言ってないぞ。
 実は、この葉書にはおかしい部分がった。その部分とは、「中村先生 なかなか動物愛護精神あるね よろしい 死から生へそりゃよろしい」という箇所だ。この葉書の書き方によれば、私が、「死から生へ」ということを言ったり、あるいはそうでなくても行動で訴えていることになる。ところで、一般的に使われるのは、「生から死」という文言だ。「生き」ているものは「死」ぬという日常の時間的流れを反映する概念だからだ。それに対し、「死から生へという文言は、宗教の場合のように、何らかの目的のために意図的に使われる比喩的表現だ。では、私はこの意図的な概念を何時何処で使ったのか? 一生懸命記憶をたどった。しかし、記憶をたどればたどるほど、一つの確信に行き当たった。
 私はこの言葉を職員会議で吐いていたのである。それも、『白』の「死」を、自らへの戒めとして「生かそう」と努力しているこどもたちの営みを、「死から生へ」と表現したのだった。そして、松岡や狩野や組合内の管理主義教育派に追随していく教員たちに対してこどもたちへの理解を求めたのだ。それが私がこの言葉を使った唯一の場面だった。
 その職員会議での言葉が、「大和民族」なる者の葉書に登場してくる。これは一体どういうことか? その結論は明らかだ。職員会議に参加した教職員とこのはがきとは何らかの関係があるということだ。しかも、私が部落差別問題に熱心なのを見て、私が被差別部落出身でその上被差別部落出身であるのを隠していると考えた者が、であるのを隠していると考え、
   ・・・あんた 部落民だろ そ
   んで うわべきれいそうで 心の中きたない
   えた ではないか えたのすること きた
   ないことばかり全国の大和民族笑いゆう
   バカ教師 えた教師部落民 死ね」 
と圧力を掛けてきたのである。なんという陰謀だろう。★(甲1号証)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<69> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、市教委と校長らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
話し合いだとしながら、クビを狙っていた市教委の騙し
 
 支援運動が広がる中で、ついに権力者たちは、私の「クビ」の「ク」の字も言えなくなってしまった。私への攻撃の背後には部落差別に基づく企みがあるのではないかと考えた部落解放同盟千葉県連合会の関口委員長たちも、事実の調査に乗り出した。事実を調べる中で、彼らはもう一つの別の事実に触れた。彼らは、
「やはり、中村さん、あんたクビだったな」
と私に伝えて来た。「クビ」という話を聞かされて、いまさらながら背筋がぞーっとした。こどもたちや私への支援の声が広がらなければ、私はクビだったのだ。
 何が話し合いなものか。市教委だった。陰謀の陰謀のレールがクビに向けて敷かれていたのだ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<70> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、市教委と校長とPTAのボスらは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私への弾圧にかかった。
PTA会長と運営委員会が許可するという嘘を使った罠
 
 権力者が行き詰まる中で、再びPTA会長小茂田の動きが活発になった。
 一方、処分覚悟で報告に行った大和民族からの葉書の問題であったが、市教委で『同和教育主任研修会』担当の清水利夫を初めとして、教育委員会側はもみ消してしまっていた。
 2月14日、小茂田とPTA運営委員会が、決議書を持って来て、私の机の上にこっそりと置いて帰った。その決議書には、
「教室内及び校庭において犬を飼う事に断固反対する」
とあり、
「小鳥や魚や草花の栽培でも同じ様な教育は出来ると思います」
とあった。
 一方、こどもたちや私への支援の広がりに驚いた校長や小茂田らは、2月19日の午前中、5年1組の父母に7つの条件を出して来た。7つの条件を呑めば、校庭で飼わしてやっても良いというのだ。
 14日の決議書を、3日後には一転させてしまったのだ。「断固反対する」が、何故「やっても良い」になったかは、全く説明されない。
 また、そのようなPTA会長と運営委員会が学校を運営するというでたらめを持ち出して罠にはめようとした。★(甲1号証)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<71> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、市教委と校長とPTAのボスらは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私へ罠を仕掛けた。
7つの条件での罠
 
 さて、7つの条件を呑めば、校庭で飼わしてやっても良いという、その7つの条件とは、
  @「不妊手術をすること」 A「犬小屋を作りその中で飼う(5年1組で作る)
  B「長期休み中及び食事中は責任をもって5年1組で見ること」
  C「5年1組の犬として責任をもって飼うこと(ケガ、事故等)」
  D「6〇年度の卒業時までとする」E「5年1組解体の場合、中村先生と話し合う」
  F「教室内に入れる場合は学習に必要な時のみ許可をとること」
というものだった。
 この7つの条件を見て、こどもたちは、
「ケガの責任は全部クラスで持つんだって、学校は持ってくれないって、うちのお母さん言ってたんだよ」
「ええっ、これ何? 5年1組、解体されちゃうの?」
「お母さんの話だと、クラス解体のときは、『黒』は学校には居られないって」
 などと、言い出した。そして、
「どうして、おかしいよ。クラス解体はしないはずでしょ。ねえ、中ちゃん」
と、私に質問を浴びせて来た。私は、
「大丈夫だよ。5年から6年になるときは、『クラス解体をしない』という約束だったから」と、答えた。しかし、こどもたちの7つの条件に対する不満は、次々と湧き出してくる。
「校長先生が、教室に『黒』を連れて来ることを許可するはずはないよ」
 こどもたちは、口々に、信じられないという顔で話している。
「校長先生にしばられたくない」
 小林が付け加えた。彼らは、自分たちの主体性を大切にしていた。というのもこの間で、自分たちの行動力と実行力に自信を付けて来ていたからだ。
「それに黒は赤ちゃんを生む権利があるのよ」
と、鎌田が念押しした。彼らは、いつの日にか『黒』に赤ちゃんが出来ればいいな、と考えていた。
 これは、「ケガ、事故等」の責任を5年1組に押しつけ、PTA会長と運営委員会が「校庭で飼わしてやっても良い」といいながら、責任をとらない。しかも、「5年1組解体」すらたくらんでいる。この七条件の背後にはとんでもない数々の陰謀が渦巻いている。★(甲1号証)
 しかも、クラスの児童にさえ容易に看破され陰謀である。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<72> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、市教委は、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私へ罠を仕掛けた。
文書訓告は注意であって処分ではないと文書回答をして、
  その後、分限免職処分での処分履歴として使う
 
 2月17日、日曜日、最初の私の処分撤回集会が鎌ヶ谷で開かれた。そして、翌日、私は、鎌ヶ谷市教委に対して「訓告処分理由書」を請求した。
 ところが、教委は私の「訓告処分理由書」の請求に対して、2月20日、「鎌教学第93号」の公文書で、
  「文書による訓告であり、処分ではない」
と、回答して来た。鎌ヶ谷市教委は彼らに対する抗議電話でも、私への処分が注意であって処分ではないと説明した。★(甲76号証)
 しかし、分限免職の処分履歴の中にはその処分が入れられてある。クビにするための騙し行為だ。罠だ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<73> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、教委や校長らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私へ罠を仕掛けた。マスコミに対して嘘を流したのである。
教委・校長らは、「解決した」との嘘をマスコミに流しての罠
 
 しかし、それは彼らの私たちへの攻撃の本質を何ら変えたものではなかった。世間から処分への批判の風を受けた酒井や松岡や小茂田らは、次の攻撃を仕掛けて来た。なんと、こどもたちが小茂田らの出した7つの条件を呑み解決したと、サンケイ新聞に嘘を流した。サンケイ新聞は、こどもたちや私に確認する事なく「解決した」と記事にした。すると、遅れてはならじとばかり、朝日新聞を除くマスコミ各社も追随して、「解決した」という記事を載せた。完全にマスコミは、教育委員会や松岡に謀られた。
 マスコミは、「解決」の記事を載せた以上、5年1組のこどもたちの報道から手を引いた。
 教委や酒井や松岡や小茂田らはマスコミをも、騙し陰謀を展開したのである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<74> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、教委や校長らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私へ罠を仕掛けた。マスコミに対して嘘を流したのである。そして、児童や私に対して攻撃してきた。
クラス解体攻撃という罠
 
 マスコミが「引き上げ」ると、ついに松岡と『黒』を追い出しにかかる教員たちは、
「クラス解体をする」
と、言い出した。
 5年から6年になるときは「クラス解体をしない」という約束を、反古にすると言うのである。彼らはマスコミをはめたのである。★(甲1号証)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<75> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、教委や地域のボスらは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私を攻撃してきた。そして、児童を支持する親に対しても攻撃してきた。
クラスのお母さんに対する教委や地域ボスのいじめ
 
 私のクラスのあるお母さんが言った。
「私が、ゴミを捨てに行くと、それまで話していたお母さんが、黙ったのよ。クラス解体きで言われていて、これ以上『黒』のクラスを認めて欲しいとお願いは出来ない」
 確かに、クラスのお母さん方に対する教委や地域の小ボスたちのいじめは、一層厳しくなっていた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<76> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、教委や地域のボスらは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私を攻撃してきた。そして、児童を支持する親に対しても攻撃してきた。
クラス解体の理由に、隣の2組も上げられていた
 
 2組のこどもたちは、根矢教員の下で彼女の息づかいにもはらはらとしながら生活して居た。例えば、腕の折れたこ猫を助けようと思って学校に連れて来たが、捨てに行かされたように、彼女の下で彼らは自分たちの主体性を押し潰されていた。
 しかし、11月に、根矢教員は目の病気を患い、新しい女性教員と交代した。新しい教員は、根矢教員と比べると優しかった。そうなるともう手が付けられない。一斉にこどもたちの要求が吹き出した。彼らは、過去の鬱積を新しい担任にぶつけた。去年、4年4組で、私と一緒だったこどもが私のクラスに話にやって来た。
「君たちのクラスは廊下で先生ともめていたみたい。どうしたの?」
と私は訊いた。すると、そのこは、
「ダムが壊れると一斉に水が出て来るでしょ。それと同じで、今までやりたいことが出来なかったから、やりたいことが一斉に吹き出したんだよ」
と説明した。
 確かに一斉に吹き出す要求の前で、その教員は管理者としての教師を捨てて「師弟同行」を志す教員となり、こどもたちの側に立ち切る事が出来なかった。どうして良いのか分からなくなった。こどもたちは、実現されない要求にじれた。彼らは、彼ら自身や教員に対して、満たされないことの不満をぶつけた。やがてこどもたちは担任を無視し反発し出した。そして、彼らは仲間たちをいじめ出した。やがて2組は「荒れた」クラスと呼ばれるようになり、その若い教員も異動させられて行った。
 管理主義教育の中では、彼ら児童、生徒の心は乾いて行く。管理を緩めると、あるいは管理の目の行き届かない所では、彼らは充たされない思いを仲間たちやより弱い者にぶっける。その結果、「登校拒否」や「いじめ」が生じたりする。その上、児童生徒自身の希望という形にないものをこっそりと奪って行く。一人ひとりを大切にしなければ、彼らを管理しようとすれば、結局は学校は堪えられない監獄になる。
 ところが、校長らはそんなことに配慮はしなかった。異動した教員の後を受け、五十嵐教務主任が担任になった。
「なかちゃん、五十嵐先生がね、竹刀を持って歩いているよ」
と言いながら2、3人のこどもたちが、机で仕事をしている私の所に飛んで来た。
「まさか」
 私は廊下に出たが、そこには五十嵐の姿はなかった。しかし、確かに彼は、剣道の竹刀を持っていた。教室の前の黒板の横に竹刀を立て掛けていた。そして彼は、こどもたちを根矢教員の時と同じように締め上げた。力でこどもたちの要求を抑えてしまった。従って、クラスの児童は五十嵐の見ていないところでは積極的に活動しなかった。従って、教室なんかは荒れ放題。床は砂がためってざらざらしていた。
 一方、校長たちや小茂田らは、
「2組は荒れたクラスだ」「クラス解体が必要だ」
と、事有る毎に吹聴して回った。
 五十嵐も、クラス解体を容認させるために、教員たちに対して、
「一度荒れたクラスは元に戻らない」
と、力説した。松岡はそんな五十嵐の発言に大きく頷いた。そして、その2組をクラス解体の材料として利用したのである。そして私たちのクラスの攻撃の仕込みとしたのである。★(甲1号証)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<77> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、教委や校長や管理主義教育にすがる教員らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私を攻撃してきた。
クラス解体を既成事実化しようとした罠
 
 松岡がクラス解体をする、と言い出すと、狩野派、体育部系、組合内の管理主義教育派の教員たちやPTA運営委員会は「解体」を既成事実化しようとして来た。彼らはまだ決まっていない解体を児童や父母に公言しだしたのである。
 PTA運営委員会は、5年1組の父母と話し合い、『黒』を引き取って頂く事になりました、と『PTAだより』に載せた。まだどうなるか未定なのにである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<78> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、管理主義教育にすがる教員らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私を攻撃してきた。
中傷攻撃を仕掛けてくる日教組反主流派執行部と教員たち
 
 また、東葛支部の染谷書記長や日教組反主流派執行部の指示に基づき、小見川や斉藤などの教員たちが、匿名で、「中村氏の教育実践を断固否定する!」と銘打った組合の討議資料を作り出した。資料が出来ると、斉藤や小見川は狩野にそれを渡し、狩野は松岡に手渡した。そして、松岡は酒井に届けた。
 資料には、1組の事を、
「給食・・・早くもらった人から食べ始め、食べ終わった人から遊びに行くようにしている。席も自由、係りもない・・・」
と、批判して記載してあった。そして、資料の最後には、
「学校の正常化に努力する」
と、結んであった。
 しかし、この資料は、「断固否定する!」という点や匿名であることなど、逆に他校の教員たちからすさまじい批判を受けた。そして、各学校からの代表者が参加した組合の会議の決議で、資料の回収を義務付けられた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<79> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。しかし、その時、管理主義教育にすがる教員らは、その動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童や私を攻撃してきた。
執拗に中傷攻撃を仕掛けてくる日教組反主流派執行部と教員
 
 ところが、その後の彼らや東葛支部執行部といえば、実に執拗だった。匿名が批判されたこともあり、小見川名で新たに私を批判する資料を作り配り直した。
 一方、回収すべき資料は、回収されていなかった。酒井に渡った資料は、私を支援する人々に支援を諦めさせるための道具として使われた。私の処分撤回を求めて教育長室を訪ねた人々を前に、酒井は、
「中村先生は、こんなに悪い先生ですよ。同僚からもこんなに批判されているんですよ」
と、資料を持ち出して説明した。
 
 こどもたちは苦しい状況下でも、彼らなりに「いのちとの共生」を見つめていた。『黒』の面倒を見続けていた。
 この1年で、彼らは、捨てられたこ犬の他、捨て猫5匹のいのちを助け、それぞれの引き取り手に渡していた。その上、こ雀も助けていた。いまや彼らを支えるものといえば、その彼らの自負心だった。それに、彼らの親たちと2組のこどもたちや彼らに理解を示す他のこどもたちからの応援だった。
 彼らの姿に接して親たちも変わっていた。松本の母親は、大の犬嫌いだった。犬を見ると逃げてしまっていた。しかし、『黒』だけは、別になっていた。
 また、「荒れた」といわれた隣の2組のこどもたちも、事有る毎に『黒』を心配して駆け付けていた。★(甲1号証)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<80> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。児童や私は、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示したに過ぎなかった。
仲間たちを励ますお母さん
 
 5年も終わりにさしかかったある日、クラスのお母さんから手紙が来た。
 
「今年度1年間御指導下さいましてありがとうございました。
息子にとって、この1年は中村先生でなくては体験できないことばかりだったと思います。
クロとシロについては、私が犬を飼ったことがなく、解らないことばかりでしたので、何も協力することができず、申し訳ございませんでした。
 5年も残り僅かとなり、クラスがえの理由に1組が挙げられていることに、子供達が心を痛めているようでしたら、同封しましたような励ましの手紙もあることをお話ししていただきたく思い、とり急ぎお手紙を書かせていただきました。我が子は恥ずかしがりやで母親が目立つのをいやがりますので、1人の母親ということで匿名でお願い致します」
 
「5年1組の皆さんへ この1年、新しい体験をしましたね。この新しい沢山の出来事の中で、自分達で一生懸命知恵を出し協力しました。とてもすばらしいクラスでした。これからも様々なことがあるでしょうが、すばらしいと感じたことを手本とし5年生で身につけた知恵や行動力で小学校最後の1年を過ごしてください。」
 丁寧な文字が白い便箋に浮かび上がっている。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<81> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。児童や私は、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した。
クラス解体反対と私の処分取消に立ち上がった児童たち
 
 終業式の前の日、3月23日の放課後、ついに堪えに堪えていたこどもたちの怒りが爆発した。私は職員室に居たが、職員室から出た瞬間、「クラス解体反対」と「中村先生の処分を取り消せ」というステッカーが廊下に貼ってあるのを目にした。私は慌てて職員室のドアを閉めた。見ると、そのドアにも貼ってある。
 3階にある5年1組の教室に歩いて行くと、ステッカーの数は段々と増えて行く。教室付近には相当な数のステッカーがある。教室のドアを開けようとすると、そのドアにも、ちょうど目の高さにステッカーが貼ってある。
 「中村先生の処分を取り消せ!」ステッカーにはそうある。
 私は思い切ってドアを開けた。ガラガラガラ。すると、教室の窓ガラス1枚1枚に、外から良く見えるように大きな字で、
「ク」「ラ」「ス」「か」「い」「た」「い」 「ぜ」「っ」「た」「い」 「は」「ん」「た」「い!」
と貼られてある。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<82> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその救済の道を求ている。児童や私は、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した。
二つの『宣言文』
 
 3月24日、ついに終業式の日がやって来た。
 彼らは、『クラス解体反対!宣言文』と『中村先生の処分反対!!』の二つの『宣言文』案を用意していた。そして、『宣言文』の検討をした後、彼らは『宣言文』を採択した。
 
    『クラス解体反対宣言文』
 クラス解体の説明会で、1組と2組の問題にするのは、止めてください。なぜかというと、犬をかわせないためでしょう。また、2組のせいでもありません。2組の人の気持ちがよくわかります。先生がたは、ただのいじめだと思っているでしょう。2組のみんなは、自由をうばわれて、命令だけにこだわってきました。2組のせいじゃありません。
 1組のみんなは、いじめもないし、みんないいなかまです。いたずらもします。ワンパクになります。校長室からうらが見えるでしょうか。見えたなら、牛にゅうビンをなげたと言ってもいいです。見てもいないことを言わないでください。「廊下を走る」急がなければいけないときは、走るのがあたりまえです。道路と同じような廊下ですが、道路だって急ぐときは急ぎます。先生たちもそういうことがよくあると思います。「社会に出て、・・・」というのは、かってに将来を決めないでください。非行に走るとか、それは本人の気持ちしだいで決まることです。「非行」「非行」と人間を差別しては、いけません。
 だいいち、5年から6年に進級するときは、クラス解体はしないはずです。クラス解体する必要はないはずです。一番、5・6年は思い出があると思います。一番楽しときにクラス解体をするとおもしろくなくなります。そういうことで私達はクラス解体を反対します。
 
                       1985年3月24日
                            5年1組一同
 
    『中村先生の処分反対!!』
 私たちが犬を飼うと言ったのに、どうして中村先生を処分するのですか?
クラスのこどもが、のぞめば、何をしてもよいということではなく、中村先生は命令やこまかいきまりはする必要がない方針なんだから、それはそれでいい。
 ほかの先生はきまりや命令ばかりして子供たちをおしつけていると思う。
 子供たちはそういうことを望まないと思う。
 少しは、きまりは必要ですが、ほどほどにしたほうがいいと思う。
 犬は私たちが飼っていたんだから先生を処分するけんりがないと思う。5年1組の教師だからって処分することはない。私たちがやりだしたことなんだから、先生には責任はない。犬を飼っていくために知恵や意見をだしあったのは、クラスのみんなだからだ。
 犬をかっていていろいろなことをおぼえました。生き物を育てるすばらしさ、一つの命の大切さがよくわかりました。ほかのクラスにくらべて、いろいろと苦ろうしたり、犬をかうことでくふうしたりしてきました。たとえば、ビン集めをしたり、その他、家に連れて帰れない人は、家で、犬ごやを作ったり、その日じゅうに作れなかったりすれば、ダンボールを、犬ごやがわりにした人もいます。みんなは、いろいろくふうしてきたし、「きたない!」といわれれば帰りおそくまでのこってワックスをかけたりしたのに「くさい!」という人もいます。
 こういういろいろなことを学べたのも、中村先生だったから出来たのだと思います。
 5年1組では、生き物に対する思いやりや努力、工夫、やさしさを覚えました。そんな先生を、処分するのに対して私たちは反対します。
 
                       1985年3月24日
                           5年1組 一同
 
 私は彼らを見ていて、彼らを「こどもたち」と呼んでいたことが、恥ずかしくなった。彼らは、自分たちの生き方の選択に自分たちなりに決着をつけようとしたのだ。
 考えてみれば、今まで私の出会ったこどもたちは、実に個性的で本当に優しかった。私は、これまでもクラスのメンバーの事を、大人とこどもの関係ではなくて、同世代を共に生きる仲間であると感じて来た。常に、彼らは、教育長や校長よりずーっと立派な人格者だった。
 私は、二つの『宣言文』を目にしたときから、彼らを「こどもたち」と呼ぶことを止めようと想った。私は彼らを「若い仲間たち」と呼ぶことにした。
 二つの『宣言文』には、一人ひとりが署名した。
 それから、彼らは、白のお墓に参った。白の墓の付近から5年1組の教室を振り返ると、1組の窓ガラス全体に
「ク」「ラ」「ス」「か」「い」「た」「い」 「ぜ」「っ」「た」「い」 「は」「ん」「た」「い!」
のステッカーが輝いていた。
 墓参りをすませた若い仲間たちは、二つの『宣言文』を、松岡に手渡した。校長室から出て来た彼らの顔は、ほんのりと紅潮し輝いていた。
 そして、酒井三郎には、二つの『宣言文』を郵送した。
 
 
 
 
平成9年(行ウ)第1号分限免職処分取消請求事件
 
原告 中 村  秀 樹
被告 千葉県教育委員会
 
                      平成14年4月29日
                        中 村  秀 樹
 
千葉地方裁判所民事3部 御中
 
 
 
 
            陳述書(1)
         第3部
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
清水利夫時代
教員7年目
 S60年4月1日から61年3月31日まで
 
 
 
そのようす<83> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその延命の道を求ている。児童や私は、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した。しかし、管理主義教育を行ないその責任を取るべき千葉学閥で書星会派である者たちが、私の攻撃に出た。
私を攻撃するための 千葉大学閥で書星会派の登場
 
 若い仲間たちの抵抗も空しく、ついにクラスは6等分に引き裂かれてしまった。6年生になる4月1日、クラス解体されてしまったのだ。
 一方、松岡義明は、鎌ヶ谷市教育委員会に参事として栄転した。
 代わりに市教育委員会から、酒井三郎のお声が目出度く、松岡の弟分のような関係にあった清水利夫が校長として赴任して来ることになった。清水はやや長身で痩せており、見るからに木っ端役人といった感じのする暗いイメージの男だ。
 清水はこの地区の書星会の中では幅を利かせており、松岡は彼を校内研修によんだが、その際、彼はただでさえ画一的な書星会文字を、我々により画一的に指導しては、融通のない所を示していた。また、彼は、私が鎌ヶ谷市教委で行われた「同和主任研修会」に処分覚悟で持って行った、あの大和民族からの葉書をもみ消しにしてしまっていた。
 その清水は千葉大出身の教員だ。千葉大は、千葉県の教育界では、千葉大学閥を形成してきた。私たちが「西の愛知、東の千葉」と名付けてきた、或いは「管理主義教育の東の横綱」と名付けてきたように、千葉大学閥は千葉の管理主義教育の責任者たちの集まりである。
 千葉大学閥といえば、書星会自体も密な関係にある。というのも書星会の師匠の浅見喜舟が千葉大教育学部の教授をしていたこともあり、浅見一派は千葉大には大いに影響力を持ってきた。
 それだけではない。浅見喜舟は、千葉県教委にも大変な影響力を持ってきた。教育委員会の職員たちの中には、浅見をあがめている者も希ではないという話だ。総じて、浅見と教育委員会幹部とは連携を密にしてきた。
 また、浅見は習字関係で文部省とも関係がある。
 文部省の出向役人を千葉県教育庁の次長クラスの椅子を用意して受け入れている千葉県教委にとって、文部省と千葉県教委と千葉大学閥と書星会とは、もはや一蓮托生の輩とも言える。この輩たちは、管理主義養育を信奉した或いは管理主義教育依存症候群に陥り、多くの児童生徒のいのちを奪い損害を与えたことを反省すらしていない。
 さて、その千葉大学閥の清水が、この地方の教委内での書星会の責任者が、東部小に送り込まれてきたのだ。
 尚、書星会といえば、以前通りの、公立学校と教員たちを利用したあくどい金儲けを平然と行うことはできなくなりつつある。反比例して、書星会派の私への怒りは計り知れないものがあるらしい。
 鎌ヶ谷小学校で教務をしていた平賀も書星会に関係していたが、その平賀は私を中傷する報告書を鎌ヶ谷市教委に上げていた。
 清水後、私に罠をしかけた津村留美も千葉大学教育学部である。また私を処分したときの現場での嘘と捏造をしかけた鎌ヶ谷小学校校長寺島正方も千葉大であり、また分限処分の旗振り人の1人である県教育委員会の山中も千葉大学教育学部で千葉大学閥である。山中は私が県教委による秘密会議での分限処分であるにもかかわらず、各新聞社に、中村を分限免職にしたと、勝手に捏造した理由などをB5版の用紙に記載し流布した。教委側から公開したのである。私が黙っていたにもかかわらず、公表したのである。明らかに人権侵害である。
 私は、管理主義教育からの脱却を実際的にも示したことにより、或いは部落差別学区を指摘したなどの数々の成果により、それら私の動きの対局にある側から、つまり私に批判され改善を余儀なくされた側から、私への腹いせをも加えられて、私への罠と人権侵害という形をとって報復が開始されたのである。それは、
「鎌ヶ谷の中村が免職になったので、今日の朝日新聞を見るように」
と、教職員の朝の会議ではしゃぐように言った校長もあったということからも、容易に推察される。
 
 
 
そのようす<84> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその延命の道を求ている。それに反する考えの清水を胴上げした「管理主義教育依存症」の教員ら
バンザーイを叫び、清水を胴上げする
 
 清水が赴任の時、狩野や体育部系の斉藤や組合内の管理主義教育派の小見川などは、清水を玄関先で迎えた。そして、
「清水校長先生、バンザーイ!」
 斉藤や小見川はそう叫ぶと、清水をかつぎあげた。
「バンザーイ!」
「バンザーイ!」
 彼らは、威勢良く胴上げをした。胴上げは、あたかも彼らの勝利を宣言しているかの様であったが、同時にそれは虚勢を張っているようにも想われた。
 それにしてもこの東部小で胴上げだなんて! 初めての事だ。恥ずかしくはないのだろうか?
 胴上げに続いて教員たちの前に立った清水は、
「とても素晴らしい学校だ」
と、転任の挨拶をした。本来の彼の持つイメージと異なりその顔は上気していた。(甲第1号証)
 
 
 
そのようす<85> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその延命の道を求ている。児童や私は、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した。彼らは、その児童をクラス解体した。
クラス解体強行! まかり通った見せしめの論理
 
 千葉大学閥で、この地域での書星会派の代表で管理主義教育信奉者の清水と「管理主義教育依存症」の教員らは、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した児童たちをクラス解体した。
 彼らの行為は、様々な批判を受けることになる。例えば、『毎日新聞』の社説でも、
「学校にもっと人間的なうるおいが必要だ。制度にも問題はあるが、学校にかかわる一人々々が春にふさわしい温かさで、学校の人間関係をつつみ込むよう努力してほしいものである。」(『毎日新聞』/1985年4月8日/甲第87号証)
と記載して、彼らの行為を批判している。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<86> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその延命の道を求ている。児童や私は、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した。その担任を「担任外し」処分にした。
担任外し処分! 前代未聞の3、4年の理科専科の新設
  まかり通った見せしめの論理 税金の違法な使用
 
 一方、私は、「担任外し」処分をされ、新設された3、4年の理科専科にさせられた。
 旧5年の担任で、臨時に五十嵐を置いてしのいでいた2組を除けば、6年担任になれなかったのは、私だけだった。
 そして、私と臨時で担任していた五十嵐の代わりに、『中村氏の授業実践を断固否定する!』(乙第40号証の5)のパンフレットを作成した小見川と斉藤が、新6年の担任になった。
 私は、「担任外し」処分を撤回するよう要求した。人事委員会にも「担任外し」を撤回するよう措置要求をした。
 ところで、これまで専科というと、東部小学校では音楽専科と家庭科専科で、5、6年生を担当していた。しかし、清水は、家庭科専科を取りやめて、新しく3、4年生を対象とした前代未聞の理科専科を作った。私は、6年生の仲間たちの学習を受け持つことのない、3、4年生の理科専科にさせられた。
 恣意的に教員を増やすというのは、明確な税金の無駄使いである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<87> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその延命の道を求ている。児童や私は、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した。その担任を「担任外し」処分に加え、「副担任外し」処分にした。
担任外し処分に加え、副担任外し処分!
  まかり通った見せしめの論理
 
 通常、専科は担当学年の副担任にされる。そして、専科はクラス担任が忙しかったり休んだりすると、担任の代わりとして教室に行く。私は3、4年生の専科であるから、3、4年生の副担任の仕事をするはずであった。が、私には副担任の役割すら与えられなかった。(甲第1号証)
 このような学校という場で見せしめがまかり通るということは、「教育」そのものをねじ曲げることであり、決してあってはならないことである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<88> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその延命の道を求ている。児童や私は、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した。その担任を「担任外し」処分にした。
担任外し処分! 前代未聞の3、4年の理科専科の新設
  税金の不当な使用
 
 私を、「担任外し」処分にし、「副担任外し」処分にする。その為に教員を増員配置し、税金を無駄使いする。明らかに犯罪である。
 もし、増員配置するなら、その理由を明らかにすべきだが、校長は問い質されても何も答えず逃げ回った。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<89> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその延命の道を求ている。児童や私は、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した。その児童たちはそれでもいのちの大切さにこだわった。
児童たちと『黒』のクラス・6年7組
 
 始業式の日、若い仲間たちは、旧5年1組の教室に集まって来た。旧5年1組の教室は、「犬が居たから不潔だ」と空き教室にされていた。
「中ちゃんは理科専科でしょ」
「どうして理科専科を作ったの?」
「家庭科専科だと、授業の時ぼくらに会うからだよ」
「酷い!」
 仲間たちは、口々に清水たちのやり方を批判した。
「この教室を空き教室にするなんて嫌がらせだ!」
「そうだ、この教室に6年7組を作ろう!」
 彼らは決意した。学校サイドの決めたクラスは、6年生は1組から6組までだ。新しく作る7組とは、彼らが決めた『黒』と一緒のクラスだ(『朝日新聞』6年7組/85年10月24日/甲第88号証)(甲第1号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<90> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその延命の道を求ている。児童や私は、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した。その児童たちは解体されてもいのちの大切さにこだわった。多くの方がそれらに支援をしてくださった。
多くの方が支援をして下さった
 
 6年7組の仲間や私を心配してくださる人々や支援してくださる人々は会を結成し、鎌ヶ谷やその他各地で私たちの支援集会を開いてくださった(『朝日新聞』教諭の処分撤回 鎌ヶ谷の教室の犬 集会で抗議文採択/1986年2月18日/甲第89号証)(『毎日新聞』支援の父母らが集会 鎌ヶ谷東部小の犬飼育/1986年2月18日/甲第90号証)。また、様々な運動に取り組んでくださった(ワンちゃん処分撤回の署名/甲第号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<91> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその延命の道を求ている。児童や私は、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した。その児童たちはそれでもいのちの大切さにこだわった。その仲間を清水達は妨害にかかった。
集団狂犬病予防注射日程の通知を児童たちから取り上げてしまった清水
 
 鎌ヶ谷市の環境衛生課から送られてきた「昭和61年度 集団狂犬病予防注射日程」(鎌ヶ谷市環境衛生課 昭和61年度 集団狂犬病予防注射日程/昭和61年度/甲第92号証)『黒』の葉書を児童が持っていると、4月8日、6年主任の鈴木が取り上げて、清水に渡した。
 清水らは葉書を返さないので、しかも、6年7組で廃品回収などをして世話をしている『黒』の集団狂犬病予防注射日程に関することなので、4月11日、私はその葉書を返すよう内容証明を送った(清水利夫宛内容証明/1985年4月11日/甲第93号証)。すると清水らは取り上げた児童に返してきた。その返されてきた葉書が、書証甲第92号証である。
 それにしても、そのような素行をするのが、清水らだった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<92> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその延命の道を求ている。児童や私は、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した。その児童たちはそれでもいのちの大切さにこだわった。鳩山邦夫文部政務次官はそのことを認めた。
鳩山邦夫文部政務次官と会う
 
 6年7組が、結成されて五、六日後、突然、鳩山邦夫文部政務次官が私に会見を申し入れて来た。6年7組の仲間や私を心配してくれる『中村さんへのワンちゃん処分を撤回させる会』やその他の支援の人々は、
「行ってざっくばらんに話して来るべきだ」
と鳩山氏との会見を勧めた。
 一方、反対する人も1人いたので、私は、どちらにすべきか迷った。が、迷っていてもどうなるものじゃない。相手の意向を確かめて見た。すると鳩山氏の秘書は、
「彼も中村さんの考えに同感だから会いたいと希望している」
と、回答して来た。
 そこで、私は知人や私を心配してくれる人々に相談し、若い仲間たちの気持ちも含めて私たちの想いを文部政務次官にぶつけようと出掛けて行くことにした。
 4月12日、鳩山氏と私とは、彼の部屋で様々な問題について話し合った(面会証/昭和60年4月12日/甲第94号証)。
 彼の秘書が答えたように、確かに彼は私の意見にほとんど同意をした。そして彼は、動物を飼育したり、農業をしたり、自然との様々な触れ合いや作業をすることが今の学校に必要だ、と力説した。
 『黒』の問題については、
「今回は、教育委員会は判断間違いをしている。校長は『狂っている』。おおいに犬を飼っていいとぐらい言うべきだ」
と、若い仲間たちの側に完全に理解を示した。
 彼とは一時間ほど話したが、別れ際に、彼は私に、
「後は任せて欲しい」
と、発言した。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<93> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその延命の道を求ている。児童や私は、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した。その児童たちはそれでもいのちの大切さにこだわろうとしたが、その児童を弾圧した。
6年7組解体攻撃・教師の見せしめの為のいじめ
 
 6年生になっても、仲間たちは放課後集まり、廃品回収をして『黒』の予防注射代と餌代を稼いだ。『黒』の約1歳の誕生日には、『黒』の好物を持って6年7組に集まった。
 一方、仲間たちに対するチエックは日増しに徹底されて行った。
 『白』を連れて来た威勢のいい松本は、主任の鈴木のクラスにされていた。なんと鈴木は、遊び時間も班単位で遊ぶと決めてきた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<94> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその延命の道を求ている。児童や私は、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した。その児童たちはそれでもいのちの大切さにこだわろうとしたが、その児童を弾圧した。
ぼろ班という、教育にあってはならない
 差別を利用したいじめ
 
 松本が、それを無視して、私や『黒』の居る6年7組に来ると、松本と同じ班の者たちが、
「松本君は自分勝手です。遊び時間、班の人とは別行動します。松本君のおかげで、私たちは『ぼろ班』になります」
と、「帰りの会」で彼を吊るし上げた。
 清水や鈴木らがやっていたのは、こんな人権無視の許されない行為だった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<95> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその延命の道を求ている。児童や私は、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した。その児童たちはそれでもいのちの大切さにこだわろうとしたが、その児童を弾圧した。
プロレスを装ってのいじめ
 
 それでも6年7組に来ると、嫌がる彼に、鈴木はプロレスと称して体罰を加えたようだ。
「ほら、これプロレス中につめられた跡なんだ」
と、彼はシャツの腕の部分をめくって、上腕部の蒼くなった跡を見せた。(甲第1号証)(松本/青くなった暴力の跡の写真/甲第95号証)
「『プロレスごっこ』など遊びの形をとった集団暴行など、多岐にわたる」(『朝日新聞』いじめ「重症例」急増/1985年10月24日/甲第96号証)
とあるが、プロレスでいじめていたのは、東部小の場合、清水に忠実な教員だったのだ。 
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<96> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその延命の道を求ている。児童や私は、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した。その児童たちはそれでもいのちの大切さにこだわろうとしたが、彼らの結束の中心となっている『黒』が誘拐された。
『黒』の誘拐・6年7組解体攻撃
  年休を使って黒探し
 
 『黒』はといえば、もっと大変な状況に置かれて居た。
「お母さんが、もう『黒』を連れて帰っちゃだめだって」
「おらの家もだめだって」
 仲間たちは口々に言った。実は、教育委員会、校長、PTA会長などの地域の小ボス、組合内の管理主義教育派の連中などの圧力で、『黒』は、仲間たちの家にある『黒』の犬小屋に居られなくなった。そこで私たちを支援してくれる人が、『黒』の身の上に何かが起こらないかと気遣って『黒』をあずかってくれた。
 『地球発22時』というテレビ番組が、教育委員会や校長などによる『黒』や仲間たちへの攻撃の問題を扱うというので、仲間たちや父母は何度かVTR撮りに応じた。
 そして、6月1日に最後のVTR撮りがあった。このVTR撮りで、私は司会者と対談することになっていた。ところが、司会者は、反対もある問題なのでと、急遽私と会うことをキャンセルして来た。横槍でも入ったのかな? ふと、私は想った。
 私はVTR撮りが終わって、『黒』をあずかってくれている人の家に行った。私たちを支援してくれる3、4人の人たちも集まって来た。
「『黒』が毒殺でもされるんじゃないかと心配してたのよ」
「でも、もう6月だから大丈夫よ」
と、彼らは口々に言った。そして、その彼らの
「今夜は、中村さんの家に連れて帰ったら?」
との話で、その夜、久々に『黒』と私は私の家に帰った。
 6月1日は土曜日だ。その土曜の夜から日曜の未明にかけて、忽然と『黒』は姿を消した。後には切れた片方の鎖が残されて在った。私は黒を探した。そして、私は偶然に、家から80メートルほど離れた草が覆い被さった下水道の中に両手一杯の真新しいドッグフードが隠して捨てられているのを発見した。たまたま下水には水がなかったため、ドッグフードは捨てた者の思惑通りにはいかず、流されなかったのだ。私はハッとして、家に戻った。そして、鎖をルーペや解剖顕微鏡を使って精査した。なんと鎖の輪の内側の両方の角の部分に、ドライバーの様な物で付けられた傷跡があるではないか! 黒が盗られたと解ると問題になると考えたのか、鉄の鎖が自然と切れたように細工していたのだ。
 それでも6年7組の仲間たちや私は、『黒』は何処かで生きているのではないかと捜し続けた。新聞なども協力をして探してくれた。
 私は、2日置きに、退勤時間前に1、2時間の年休を取って学校を出た。捕獲した犬を処分するための施設である『動物愛護センター』へ通うためである。同センターに拘束された犬は4日目に殺されていた。
 また、『黒』の情報が入る度、学習が終わると年休を取り、情報を提供してくれた人の所に菓子折などを持って出掛けて行った。私には学年初めには40日近い年休があったが、『黒』探しでかなりの部分が減って行った。しかし、『黒』はなかなか見つからなかった(『朝日新聞』「クロ」が行方不明 だれかが連れ去る? 中村教諭や児童ら心配/1985年7月20日/甲第97号証)(甲第1号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<97> ・・・・管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となっている児童たちを守ろうとする私と、管理主義教育に頼る教員らとの溝は、ますます深まっていく
増長する管理主義教育派
 
 一方、私のいる理科室と理科準備室には、理科の学習で知り合った仲間たちが来る様になった。仲間たちはクラスで満たされない気持ちを次々と訴えて来た。同僚の教員たちの酷さに絶句することもあった。
 ある日、私は信じられないような光景を目にした。どうも4年生の児童が掃除中遊んでいたらしく、谷口という担任から大声で罵倒されていた。谷口は、児童の心臓部に人差し指を指差す様にあてがい、
「怠けると、あなたのここが腐るのよ」
と、ヒステリックな声を上げていた。私は3、4年生の理科専科なのでその児童を知っている。「ここが腐るのよ」と言われている児童の気持ちが痛いほど伝わって来た。想わず私は、谷口に止めさせようと近付いた。すると彼女は近付く私を察し、詰問する口調を弱めた。彼女は、私から見れば狩野派及び組合内の管理主義教育派に属していた。
 私は罵倒されていた4年生の彼を見た。彼は何ともいえぬ表情をしていた。
 そういえば、清水が来てから、一部の教員たちは増々管理的になっているなあ。私は呟いた。事実、『黒』の問題以降、特に清水校長になってから狩野派、体育部系、組合内の管理主義教育派は、増々管理的になっており、彼ら相互の蜜月は深まって行っていたように想えた。清水も組合内の管理主義教育派も「教育を施す」という点では同じ「管理主義教育」論者で、児童たちを自分の都合の良いように動かせば気が済んでいるかのようだった。
 私たちリベラル派の努力も空しく管理主義教育はなかなか改善されなかった。他方、彼らに属していない教員たちは、萎縮して行った。刃向かえばどうなるか、直ぐ側に私という格好の手本がある。東部小はリベラルな雰囲気を持つことで市内でも有名だったが、東部小のリベラルな雰囲気はかつてのそれと比べれば、管理に走る狩野派、体育部系、組合内の管理主義教育派の声が大きい分だけ後退している。(甲第1号証)
 これは、憲法26条に掲げられた児童の教育を受ける権利の明らかな侵害であり、児童虐待でもある。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<98> ・・・・私の支援の市民運動が続けられた。また、その支援運動の中で、千葉を中心とした管理主義教育と日の丸君が代教育を批判していった。
「中村秀樹さんへの『ワンちゃん処分』撤回支援集会」呼び掛け開始
 
5の支援団体と150名の賛同によって「中村秀樹さんへの『ワンちゃん処分』撤回支援集会」の呼び掛けが開始される(「中村秀樹さんへの『ワンちゃん処分』撤回支援集会」チラ 3シ&賛同団体賛同人/甲第98号証の1と甲第98号証の2)。
 この中では、管理主義教育を批判すると共に、国家的な管理主義教育の幹でもある日の丸・君が代教育の批判をおこなっていった。その中で、私たちは同時に、野田市を中心とした君が代放送下での三旗掲揚とその際の児童生徒に対する「不動の姿勢」強要を、かなり力を入れて批判し、集会への参集を呼びかけていった。
 三旗掲揚というのは、真ん中に日の丸の旗、その隣に市の旗と校旗の3つの旗のことである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<99> ・・・・私の支援の市民運動が続けられる一方、私は、その支援運動と共に、千葉を中心とした管理主義教育と日の丸君が代教育を批判していった。
記録ジャーナルに「『教育』を問う」と掲載
 
 『記録ジャーナル』で「『教育』を問う」として、野田一中や他校の日の丸君が代直立不動強要、登校時の生徒の検問、国旗掲揚のある学校の日課表の公開、などをグラビア写真におさめることに協力する(『記録ジャーナル』/1986年1月号/甲第99号証)。
 また、同ジャーナルで「教育とは教育せぬことである」と題して、12ページに渡って管理主義教育や、日の丸君が代教育、集団的洗脳教育を批判する(『記録ジャーナル』/1986年1月号/甲第100号証)。尚、山田実とは私のペンネームである。
 その中では、千葉は「文部省の天領だ!」と題して右傾化地域を開示しつつ、千葉の管理主義教育を批判していった。また、それらの運動を千葉県教職員連盟や国粋主義・大東塾の塾生で流山教育長の眉山、現市長なども行ってきたのものであったことを明らかにしていった。もっとも眉山市長によれば、彼は、現在時点では大東塾員ではないということだ。となれば、彼は、一度同志となった以上は死ぬまで共に行こうという塾訓を破って脱退したらしいということになる。
 さらに、同文脈の中では、特に、野田を中心としたの洗脳教育、「労務者」狩りに結びつく教育、青い空運動、などを批判していった。しかもそれらにキッコーマン醤油や県警やロータリークラブなどが関わっていることを批判した。加えて、教育委員会の指導主事らによる集団セクハラ事件の批判などを行っていった。この集団セクハラ事件は、明らかに刑法犯罪である。しかし、その関係者は処分されるどころか「出世」し、私を狙ってくることになる。
 これまで私は、「西の愛知」「東の千葉」と題して管理主義教育を批判してきたが、その際に作ってきたネットワークで、この雑誌での愛知の管理主義教育批判掲載にも協力した。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<100> ・・・・野田市は不動の姿勢と三旗掲揚の見直しをした。
野田市の三旗掲揚に向けての直立不動の中止
 
 上述したような当たり前の批判にされされた野田市教委黒川教育長は、1月の校長会で、「日の丸・君が代を流して日の丸への直立不動をとらせる」ことの見直しをするよう通知した。
 それだけなら、懸命な処置であるが、ますます教育委員会サイドは私への「逆恨み」を強化し、私を狙ってくることになる。
 彼らにすれば、野田の部落差別学区廃止とそれに伴う七光台小学校の新設、そして学区の再編成をやらされたという苦い思いがまたぞろよみがえり、中村打倒”の怒りに火が付いたらしい。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<101> ・・・・私の支援の市民運動が続けられた。また、その支援運動の中で、千葉を中心とした管理主義教育と日の丸君が代教育を批判していった。
「中村秀樹さんへの『ワンちゃん処分』撤回支援集会」呼び掛け開始
 
 1986年1月26日、35の支援団体と150名の賛同によって「中村秀樹さんへの『ワンちゃん処分』撤回支援集会」が行われた(「中村秀樹さんへの『ワンちゃん処分』撤回支援集会」チラシ&賛同団体賛同人/甲第98号証の1と甲第98号証の2)。
 会場には、旧5年1組で、6年7組の児童生徒が、「犬事件」の劇を演じた。
 勿論、この中では、千葉県の管理主義教育を批判すると共に、国家的管理主義教育の幹でもある日の丸君が代教育の批判をおこなっていった。特に、野田市を中心とした君が代放送下での三旗掲揚とその際の児童生徒に対する「不動の姿勢」強要を批判していった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<102> ・・・・私の支援の市民運動が続けられた。また、その支援運動の中で、千葉を中心とした管理主義教育と日の丸君が代教育を批判していった。
大古と清水が青雲閣で会った
 
 一方、千葉大学閥の清水は、教務の五十嵐を窓口にして、同じ学閥の大古和の囲む会を、千葉市の青雲閣で行った(大古和先生を囲む会チラシ/昭和61年1月19日/甲第101号証)。こんなことは私が教員になって初めてである。
 大古は、日本のフィクサーNO1である笹川良一手下のやっている「小さな親切新聞」の関東の編集委員である。その大古やその関係者とおぼしき者たちは、手紙や電話を使っての脅迫を私にしてきた。その大古は、一方で多くの児童生徒に傷害を与え、責任すら取らず、館山教育委員会に逃げ帰っていた。教委、校長会、組合の主流派、千葉大学閥に加え、利権暴力主義者の笹川良一らとつながり、児童生徒を管理主義教育に落とし込める一方、自分たちは利権共同体をつくっていたのだ。
 その大古と清水、狩野、五十嵐ら一派が青雲会館で会った。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<103> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその延命の道を求ている。児童や私は、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した。その児童たちはそれでもいのちの大切さにこだわってきた。
6年7組の卒業
 彼らは私に花束のプレゼントをしてくれた
 
 『黒』が見つからないまま、年が明けた。一方、教員たちのチェックにもかかわらす、6年7組の仲間たちは、怪我をした雀1匹、雀の雛1匹を助けた。雀は、自由な空に元気よく飛んで行った。そんな中、6年7組の仲間たちも卒業を迎えた。彼らは、この2年の動物とのふれあいや共生の大切さを財産にしていた(『毎日小学生新聞』今後も続けよう固い友情/1986年3月31日/甲第102号証)。
 仲間たちは、卒業式の日、私に花束をプレゼントしてくれた(花束を持ってきた6年7組の仲間たち/1986年3月19日/甲第129号証の1 と 花束をもらった私/1986年3月19日/甲第129号証の2)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<104> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその延命の道を求ている。児童や私は、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した。その児童たちはそれでもいのちの大切さにこだわってきた。
6年7組の卒業
 彼らは『白』の墓にも花束やお供え物を捧げていた
 
 仲間たちは、卒業式の日、私に花束をプレゼントしてくれたと同様、『白』花束やお供え物を捧げていた(6年7組の仲間たち/1986年3月19日/甲第130号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<105> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその延命の道を求ている。児童や私は、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した。6年7組の児童たちと私は高尾山に卒業遠足に出掛けた。
6年7組の卒業 そして、高尾山へ卒業遠足へ
 
 卒業した6年7組の仲間たちと私は、春休み高尾山に卒業遠足に出掛けた(写真/高尾山遠足/甲第131号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<106> ・・・・管理主義教育信奉者らは、或いは「管理主義教育依存症」の者たちは執拗に私を攻撃した。
またもや匿名手紙で担任を拒否される
 
 私が、「担任外し」処分を撤回してクラスを持たせて欲しいと要求しても、何を言ってもただ逃げ回るだけの清水が、なんと彼の方から私を校長室に呼んだ。雪でも降らなけりゃいいが、そんな気持ちで校長室に入った。すると、彼は豊田教頭を呼ぶでもなく(豊田教頭は立ちあうことを遠慮したのかも知れないが)、
「先生は、こんな手紙が来ているので、クラスを持たない方が」
と、自分の机の中から手紙を持ち出して言った。
 例の手だ。私は大古のときを想い出した。
 私は手紙に目を通す前に、
「コピーさせて貰ってもいいですか?」
と、申し入れた。彼は、即刻、私がコピーを取らせて欲しいなどと主張するとは思いもよらなかったのか、
「いや、何、先生ね」
と、吃驚した。
「だって、私の事を書いた手紙でしょ?」
「まあ・・・」
「私も検討して、必要ならば今後に生かさねばなりませんから」
「そうだけど・・・まあ・・・取っていいよ」
 清水は、渋々承諾した。私は手紙を受け取ると職員室に行きコピーを取った。そして、それから校長室に戻った。清水はいきなりコピーを取られたことで、彼の描いていたシナリオにくるいが生じたらしく、動揺しているように見られた。
「クラスを持つことは、どうもね」
と、彼は上擦った声を発した。
「反対意見があるから」
 そう言うと、清水は逃げ出すように校長室を出て行った(甲第1号証)。
 
 何と清水は、大古と同じ手を使ってきたのだ。しかも、手紙や葉書は、大古と清水や五十嵐や狩野ら一派が青雲会館で会ったその後の3月12日と3月14日の消印で、出されていた。
 大古のときと同じように、清水は教頭を立ちあわせることはしなかった。大古同様に教頭を立ちあわせることができない清水の様に、やましい臭いを感じた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<107> ・・・・管理主義教育信奉者らは、或いは「管理主義教育依存症」の者たちは執拗に私を攻撃した。
清水に来た手紙とは
 
 私はじっくりと手紙に目を通してみた。
 清水に来た手紙類は、手書き手紙が5通、手書き葉書が2通、ワープロ書き手紙が1通の計8通であった。なんと、総て匿名であった。しかし、手書き手紙5通は総て筆跡が酷似しており、葉書の2通も筆跡が酷似していた。
 
 そしてその内容はといえば、例えば、その1通を取り出せば、
「こどもがいつもお世話になっております
ぶしつけですが校長先生にお願いがあります
中村先生が5年3組の担任になる
と云っていたので、ちょっと気がかりです
小学校は全教科 そして学校にいる間・担任の先生
との関わりです
この1年の先生の年休が多すぎる様に思われま
す。そして子どもを自由に・・・
とても不安です
子供達にとって自由=我が儘がわかって
いない様です
したくない事はしなくて良いたとえばあいさつです
そんな事絶対あってはならないのです、人と人とのつな
がりはあいさつから始まっていると云っても良いと思
います なのにしたくなかったらなどと云ってほしくあ
りません
テストの時間に終わった人は自由に外に出て遊
んでよい 他のクラスは授業をしているのです
団体生活での協調性に欠ける事と思われます
小学校時代ではまだまだ良いこと悪いことの区別
ここはがまんのみきわめが出来ません 学習も
大事ですが 日常生活でのそんな面も家庭では親が
学校では先生にお願いする以外ないのですから」
と、いったものであった。
 
 筆跡が同じの別の手紙の文面を見てみると、
「・・・中村先生はどうしても自分の思想に走ってばかりで 人に
耳をかそうとしない.そういう先生担任や専科
を お教えいただくのは とても考えられません.
どうにかならないものでしょうか.  どうか校長
先生 どうにかしてほしいです」
とあった。
 
 さらに、筆跡が同じの別の手紙では、
「私 東部小学校でいつも子どもがおせわになっている
一母親でございますこの間4年生のクラス懇談会
で父兄と担任とで理科の授業のことでお話しが
でましたがその話しの内容と致しまして私がびっくり
する様な内容が父兄の方からとびかわしました
自分の思想だけで子供達の前でマルコスは人殺しだ
さけんだりしていいのでしょうかまだ4年生では
そういう政治的な話は早いのではないかと思
われます.そういう先生にもし担任とか専科で
授業を教えていただくのは私は反対でございます」
とあった。
 
 葉書も2通あった。その1通目には、
「理科の時間に、マルコスだとか、レーニンなんて関係がありますか」
とあった。
 
 筆跡が同じもう1通には、
「子どもが先日、急に『レーニン』って何?と私に聞く
のであります.なぜ!と子供に聞きましたところ
中村先生が理科の授業中に話をされたそうです
今は小学生に思想を教え込むのですか?」
とあった。
 
 匿名さんだから、返事の出しようがない。どうして校長の清水に出すのに匿名なんだろう。清水からの回答なり返書は期待していないのだろうか。要請や質問をしていながら。考えれば考えるほど変な仕儀である。
 ちなみに、私はあいさつを強要しない方が、若い仲間たちと気持ちを触れ合わせることが出来ると考えている。彼らがあいさつをしないと、「どうしたの?」と私の方から話し掛けて行くことによって、彼らの体調の不良や心のしんどさに触れていくきっかけに出来るからである。
 仮にあいさつを強要したらどうなるだろう。児童生徒たちは不機嫌なあいさつをすると、「気持ちが良くない」などとしかられるので、体調不良でも心がしんどくても、にこにことあいさつしなければならない。拷問である。教員にとっても不幸である。あいさつをすれば、「しっかりあいさつをした」と表面的にその時の児童生徒を見てしまい、彼らの抱えた体調不良や心のしんどさを看過してしまう。その看過が段々と児童生徒と教員の間の溝を広げていく。
 そもそも人に気持ちを強要するなんて、ろくなことではない。しかし、学校では教育という名の下に、大々的に気持ちを強要しているのである。その良い例が、朝の校門での「あいさつ点検運動」である。「非行対策」「校内暴力対策」と称して生徒指導の教員たちを先頭に教員たちは朝校門に立ち、「身だしなみ検査」「持ち物検査」を兼ねた「あいさつ点検運動」をおこなっている。
「おはようございます」
と、児童生徒に言わせることで、彼らに朝から従順を強いり、しかも、「元気良く」「明るく」「丁寧に」「先生を敬って」言えるかどうか、その仕方をチェックしているのである。即ち、心の中の恭順度をチェックしているのである。あいさつの強要という武器で、心の征服をはかろうとする。あいさつの強要という武器は、実は人格破壊兵器だったのだ。
 
 それにしても、どうしてこんな手紙が来たのだろう。3通目の手紙には、手紙の背景にはクラス懇談会での話し合いがあること書いている。はあ、はあ、懇談会か。私は内心そうつぶやいて、待てよと、気が付いた。考えようによれば、3通目の手紙は、これらの手紙の真の主をカモフラージュしているとも思えなくもない。例えば、この手紙の主は4年生のあるクラスの父母とは違う者であるにも関わらず、クラスの父母を名乗って隠れ蓑にしているとかである。というのも、これらの手紙は余りにも出鱈目な内容であるからである。
 例えば同じ3通目の手紙には、「マルコスは人殺しだ」の部分が出て来る。この件に該当するといえば、多分「フィリッピン革命」の時の事だろう。私は、3校時目と4校時目の理科の学習の合間の休み時間、ラジオをつけ「フィリッピン革命」の様子に聞き入っていた。多くの人がマルコス大統領が、フィリッピンの民衆を殺さないことを願い固唾を飲んで事態の推移を見守っていたあの有名な瞬間だ。
 ラジオの側には5、6名の児童たちも居た。彼らは、
「殺されちゃうの?」
「マルコス大統領って、人を殺すんでしょ。お父さん、言ってたよ」
「誰も殺されないといいね」
と、話しながら血を流すことなく事態が解決することを願っていた。
 従って、「マルコスは人殺しだとさけんだりして」などという事ではないのは、クラスの父母であるなら自分の「二世」に聞けば容易に分かる。
 従って、これらの手紙はクラスの父母以外の、例えば、教員や元わんちゃん事件で暗躍した者が、私を落とし込めるために、噂を聞いて憶測し、果ては、気の毒にも、妄想をかきたてられて着色した作品ではなかろうか? 事実、私はその筆跡に心当たりがある。
 そのように考えてくると、葉書の1通目は傑作だった。
 余りに陥れることばかりにとらわれ、マルクスとマルコスを間違えたのではないかと想う。そういえば1字違いだ。だから、
「理科の時間に、マルコスだとか、レーニンなんて関係がありますか」
と、なったのだろう。
 更に葉書の2通目といえば、傑作度では葉書の1通目の上を行く。ひょっとすると最初の葉書でマルクスとマルコスとを間違えレーニンまで持ち出したので、2通目はその勢いで書いたのだろうか。それで、
「子どもが先日、急に『レーニン』って何?と私に聞くのであります」
となったのだろうか。
 勿論、事の真意はこの匿名さんに聞かないと断言できない。断言できそうなことは、1つだけ、匿名さんがレーニンを嫌いらしいことだ。
 さて、この葉書のインチキさは次のような所にもあるように思われる。匿名さんの「二世」は「『レーニン』って何?」と聞いたそうだが、私が「小学生に思想を教え込」んだとすれば、「『レーニン』って知ってる。私、知ってるよ。教えてあげようか?」などという調子になるのではあるまいか。少なくとも「教え込んだ」のだから。
 もっとも、私が絶対にレーニンの話などしていないことは、若い仲間たちに聞くまでもなく、私を知っている者たちの間では周知のことだ。私は「教育」に反対し、共まなびを掲げているのだから、理科専科と関係のないレーニンをしかも4年生にするわけはない。こんな事を言うと誤解が生じる。そこで断って置くが、私はレーニンについて話してはいけないと言っているのではない。話せる教員は必要な政治的教養の1つだから、どんどん話すべきだ(甲第1号証)。
 
 大古のときと同じような手紙を使っての攻撃だが、違っているのは、今度は手紙や葉書が8通あるということだった。しかも、大古の時以来の手紙や葉書である。その手紙や葉書が、急に、時期を全く同じくして8通も届いたのである。
 それは、その攻撃がより意図的で、より執拗になったことを意味していた。
 
 私には、この間の『記録ジャーナル誌』での管理主義教育批判や35の支援団体と150名の賛同によってなされた「中村秀樹さんへの『ワンちゃん処分』撤回支援集会」での管理主義教育批判が、関係しているようにはっきりと感じられた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(清水利夫時代・2年目)
教員8年目
  S61年4月1日から62年3月31日まで
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<108> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその延命の道を求ている。児童や私は、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した。その児童たちはそれでもいのちの大切さにこだわってきた。一方、管理主義教育しかできない者、「管理主義教育依存症」者らは私の攻撃を開始した。
私を陥れる密命を受けた矢動丸俊
 
 松岡、清水の下で、教頭をしていた豊田氏に代わって、矢動丸俊教頭が来た。豊田教頭は鹿児島大学出で千葉大学閥ではない。しかも、曲がったことが嫌いな性格で、犬問題の時には私たちにカンパを差しだしてきたほどの人物である。故に、これ以上私への罠や攻撃を強化していくには、教頭の入れ替えが不可避である。
 かつて大古の前では忠実な部下であろうとし、出世を盛んに気にしていた熊谷綱二郎教頭ですら、大古がやらせ手紙で私の持ち上がりをさせまいとした卑怯なやり方に対して、胸の内を吐露したぐらいであるから。
 そこで、酒井ら鎌ヶ谷教委は、来るべき排撃署名を使っての私のクビを目前にして、教頭の入れかえをしたのだ。矢動丸は、明治大学出で千葉大学閥ではないが、鎌ヶ谷市の青少年補導センターの所長をしていた男で、酒井のイエスマンだ、という話が聞こえてきていた。
 私が分限免職を権力にでっち上げられた分限免職処分でっち上げ権力犯罪事件のその件で、その処分取消のために人事委員会に措置要求したとき、矢動丸が処分庁側の証人として出てきた。しかも、そのとき矢動丸は鎌ヶ谷市の学校教育課長をしていた。それぐらいに、矢動丸は酒井らの腹心だったのである。
 その矢動丸は、捏造したメモである乙第31号証を作成していたが、それについて、
「ただ、東部小に赴任する時に鎌ヶ谷市の教育長さんが、教頭というのは非常に記録が大事であるということをおっしゃいまして指導を受けましたので、それなら記録しておこうということで記録したものです」
と、平成4年6月19日に行われた人事委員会の第7回尋問の冒頭で石津代理人の尋問に答えている。
 しかも、矢動丸は、記録を捏造したのは、私に関してだけである。他の教員にはしない。矢動丸は、恣意的に私へ攻撃に走るのである。
 そして、清水、矢動丸の下で、ついに排撃署名が幕を開けるのである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<109> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその延命の道を求ている。児童や私は、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した。その児童たちはそれでもいのちの大切さにこだわってきた。一方、管理主義教育しかできない者、「管理主義教育依存症候群」者らは私の攻撃を開始した。
動き出した矢動丸俊
 
 だが、私に対して、矢動丸のメモは悪意に満ちたもので、事実を捏造したものであるだけではなく、でたらめで事実を捏造したものである。
 乙第31号証の1ページ目の14行目には、
 
   「4.10(木) ・17:45〜18:00 TBSラジオニュース            インタビューで
            千葉の管理教育を批判」
 
とある。しかし、これにはどのような管理教育の批判をしたのか全く書かれていない。これは、どういうことか?
 それは、矢動丸自体が聴いていないことを示している。つまり、見聞きしていないことをかいえいることになる。
 しかも、私がインタビューに答えて話したのは、日の丸君が代直立不動についてである。ということになれば、
 同じく、乙第31号証の1ページの4行目に
 
   「61.4.2(水)  ・日の丸、君が代反対」
 
とあるように、「4.10(木)」の蘭には、せめて日の丸君が代に反対したと書くのではなかろうか。
 『記録ジャーナル誌』1月号の私の文章(甲第100号証)などが、その前の『労働情報誌』での保坂展人氏と流山中央高校で暴行を受け退学させられた生徒たちと私との対談などが、管理主義教育や傷害事件や暴力行為を批判しているのを知っていて、ラジオを聴いていない彼が、その延長線上で「管理教育」を批判したと思わず書いてしまったのではないか。
 同じく、乙第31号証の1ページの15行目の
 
   「4.25(金)  ・「おれは、昨年はやる気がなかった、今年もや             る気がない」
 
とあるが、このくだりに至っては、あまりに酷い。
 これではメモの意味をなしていない。そればかりか私を中傷するものである。客観的に見れば悪意に満ちたものであることは瞭然である。
 加えて言えば、私は「おれ」という人代名詞は使わない。反対に矢動丸や津村は自分のことを「おれ」と呼んでいた。
 しかも、これらの乙第31号証の「メモ」なるものは、全部で15ページあるが、一度に2年3ヶ月分をまとめ書きしたものである。これでは、「メモ」の意味をなしていない。これで、分限免職を権力にでっち上げられた分限免職処分でっち上げ権力犯罪事件での、分限免職の権力側の証拠とするのは、人権侵害もはなはだしい。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<110> ・・・・管理主義教育信奉者らは、或いは「管理主義教育依存症」の者たちは私の排撃署名を開始した。
姿を現した排撃署名攻撃
 
 新年度も私は3、4年の理科専科のままだった。一方、清水のお声目出たい、乙第40号証の5づくりに協力した鈴木、小見川、斉藤は5年の担任になった。
 
 4月5日、私は2年前同じクラスの生徒だった奥山と会った。
 ところが、彼は、妙な事を言い出した。
「中村先生の事で、署名が回って来た」
「えっ、署名?」
 私は、皆目何の話か見当が付かない。彼は付け加えた。
「あまり良い事ではないらしいので、お母さんは署名を断ったらしい」
 奥山はそう言ったが、私は増々腑に落ちない。一体どんな署名だろう。私は、まだ署名が回って来ていない地域の人たちに頼んで、その署名とやらのコピーをとってくれるよう頼んだ。
 
 私は、署名の『趣意書』(甲第69号証))を手にして驚いた。
 
       『趣意書』
東部小学校では昭和59年度に「教室で犬を飼うことにより教育の成果を上げられる。」との理由から校長先生の度々の指導にも拘らず教室で犬を飼い続けマスコミにその事が大きく取り上げられ度々東部小学校の名が汚されました。
 また当時学級担任であった中村先生は、子供達に学校生活の上で大切なあいさつや交通ルールの指導も余り行わず放任に近い状態であった。
 昭和60年度には、3、4年生の理科指導においても保護者より次のような声があがっています。
一、大変休みが多いが授業が予定通り進んでいるかどうか
一、休んだ分の授業の穴うめはできているのであろうか
一、教室に入るなり本を机の上にたたきつけ「マルコスは人殺しだ」とどなり思想的な事を話しつづけ子供達は驚いたと言う
一、勉強上のしつけもしない先生には担任は勿論専科もしてほしくない
 以上の外マスコミに情報を提供し、東部小の名に汚点をつけたり自分の主張を通そうと校長先生の指導に従わないなど、公教育の教師としてふさわしくない言動の多い中村先生は親達や地域の人々の信頼に答えられません。私達は地域の学校を愛し東部小の教育のあり方を心配しています。一人の教師に学校中が振り廻される事をこれ以上黙視する事が出来ません。
 そこで中村先生を東部小学校より転任させて戴くよう県・市の教育委員会と校長先生にお願いするために皆さんに署名をお願い致します。
      東部小学校の教育を考える会
 
 『趣意書』は、私に対する悪意で満ち満ちたものだった。
 例えば、『趣意書』には、休みとあったが、実は年休の事を指していた。年休を使って『黒』を探し続けているのが気にくわないらしかった。
 また、社会で起きている問題を知ることは「教育」にとって大切な事であり、そのことに教員が触れることはそれこそ生きた社会科学習であり、憲法23条や26条、更には教育基本法全文や10条にそった大切な教育である。「思想」的と非難することは、前掲の諸法律を踏みにじることであり、逆に非難されねばならないことである。
 さて、私個人に関して言えば、児童に「思想を押しつけた」りはしないことは、私を知っている人ならあまりにも知られていることだ。私は、校長達のように「教師の考え」を「押しつけない」から、校長たちに嫌われている教員である。書く事に事欠いて、よくもまあ書くね、と言いたい。
 さらに、私は「教室に入るなり本を机の上にたたきつけ『マルコスは人殺しだ』とどなり」などしていない。3校時目と4校時目の理科の学習の合間の休み時間、5、6人の児童とラジオを聴きながら、教室に居たのだから。もとをただせば、人権問題に取り組む私が気にくわないのだろう。
 それ以外の『趣意書』の内容についても、全く酷いものである。少なくとも、自由で楽しいのびのびとした学校作りを目指す私には、そう想われた。
 マスコミも私への人権侵害の事態の大きさに気が付いた。まず、『朝日新聞』が第1社会面のトップ記事(『朝日新聞』教師転任求め署名簿 自治会通し回覧 千葉 人権侵害の疑いも/1986年5月13日夕刊 社会面トップ/甲第70号証)で、大きく報じた。続いて他の新聞や週刊誌も報道を開始した。TBSなどのTVも、私への立て続けに起こる人権侵害に、一様ではない深刻な事態を看破し、事の大きさを報道特番にして放映を開始した(甲第1号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<111> ・・・・清水や教委をはじめとした管理主義教育信奉者たちは、或いは「管理主義教育依存症」の者たち、又は、教師暴力の容認者たち、更には、公教育という場を使って賄賂汚職をする者たち、いじめと差別を繰り返す者たちなどなどが、連帯して私の排撃署名を開始していた。
排撃署名の舞台裏
 
 前代未聞の人権侵害の真相が次第に分かって来た。
 狩野と同じ4学年に、日本体育女子短期大学出の熊倉という講師が居た。彼女のクラスの理科は私が担当していた。彼女は体育部系に属する管理的な教員で、私の児童との付き合い方、楽しくこころを通わせながらまなぶやり方が、到底理解出来ないようだった。そんなセンスを持ちあわせていないようだった。彼女は、教員と児童との関係は指導する指導されるの一方的な関係、つまり上下関係だと思っていたらしい。彼女はそんな考え方が児童の人権を踏みにじり、「登校拒否」を作り、児童の間に「いじめ」を誘発させ、学校を味気ないものにさせていっているとは思いもしなかった(『朝日新聞』いじめ「重傷例」急増/1985年10月24日/甲第96号証)。それはいわば教員が犯罪を犯しているようなものだった。そもそも、そのような教員が講師とはいえ児童の前にたっていることが問題だが、私が東部小に着任して2年目に斎藤という興信所から教員に転身した男が私に近づき、私の情報を、大古の太鼓持ちをしていた狩野を通して管理職に渡していたのと同様に、鎌倉は私に対抗することで正式採用教員に採用されるための道をめざしていたように思われた。
 
 さて、一年も終わりに近づいてくると、一般的に3、4年生の各のクラスの児童たちは、次々に私に、
「次は、私たちの先生になって」
「わたしたちを担任して」
と、言ってきだした。その度に私は、
「出来ればね」
と、返事した。万が一その要望に応える気になっても、3年生4クラス、4年生4クラス、計8クラスの学級の担任に同時になれるわけはない(理科学習で作ったジャガイモを最後は調理して食べる児童達/甲第139号証)(理科学習のときの私と児童達/電池、電線、電球、スイッチを使っての発明工夫学習/甲第140号証)。
 ところで、自分のクラスの児童が私に「次は、私たちの先生になって」と言っても、通常の場合、中村はこどものご機嫌をとっているからそうなんだ、とすましていればいいだけである。ところが、児童たちが私にクラス担任になってと言うのを、4年3組の熊倉や4年1組の狩野らは快く思わなかったらしい。
 熊倉に限っていえば、彼女は5年生の担任に私がなるかもしれない、と妄想に取り付かれたらしい。ひょっとすれば、私が5年生の担任になれば、自分のやってる管理主義的なやり方が、児童に対する人権侵害行為が私に露顕すると恐れ、心配したのかも知れない。あるいはそんな話題が狩野たちとの話し合いでのぼったのかも知れない。多分に、狩野にそんな思いをたきつけられたのだろう。
 ともあれ、彼女は、学年最後のクラスPTAの場で、私が児童を甘やかせている、来年5年のクラスを持つと言っていると批判を始めた。
 良く言われることに、「子供」が学校に人質に取られているから学校に対して何も言えない、という「子供人質論」というのがある。事実担任教員は想像以上に大きな力を持つ。親たちは、教師の意向を敏感に読みとる。
 もっとも「子供人質論」にのみに従って、親たちは行動しているわけではない。ある者は、管理主義教育しか知らないために、私を許せないと感じたかも知れない。そして、彼女の言葉を信じて使命感に燃え、本当に私が「悪い教員」と考えたかも知れない。何人かの者は、その場の状況に雰囲気的に飲み込まれただけかも知れない。また、幾人かは、私の事を良く知らないために、その場の雰囲気にあらがわなかっただけかも知れない。熊倉の考えに反対でも、勇気がないために、堂々と反対出来ない者もいたかも知れない。そして、その場の参加者たちの中には、面倒くさいという気持ちも含め、きっと様々な思惑が錯綜したことだろう。ともかくその場は、親たちは、彼女の、私が新年度5年のクラスの担任になることを防ごうという言葉を聞くには聞いた(甲第1号証)。
 だがそれらは、熊倉にとっては、ある種の操られた思いとそれからくる思い込みの「使命感」で動いたものだったかも知れない。その背後には、狩野が、そのまた背後には清水が、松岡がいたことは容易に看破できる。勿論、彼らはみんな2月22日の千葉市青雲閣で行われた「大古和先生を囲む会」に参加していた輩だった。
 この熊倉の発言があったクラス会の後、誰からか、清水に「批判の手紙」が届けられるというスタイルをとった。
 つまり、クラスPTAで私を批判した熊倉の行動は、清水たちによって尖兵の位置に置かれていたのだ。
 
 熊倉の批判に続いて本隊が出て来た。6年7組の仲間たちの卒業を待って、酒井や前校長の松岡や清水などが今度こそ私の「クビ」をとってやると、本格的攻撃を仕掛けて来たのだ。
 3月19日、卒業式終了後の校長室で、清水やわんちゃん事件以降私のクビを狙い続けて来た教育委員や元教育委員、PTA会長経験者などの地域の小ボス連中は、私の排撃署名に向けて動くことを決めた。
 彼らは卒業式の直後20頃、東部小学区にある「浅間神社」に集まった。そして、清水の、
「中村のために胃が痛くなる」
という主張に同調して、「趣意書起草委員会」を発足させた(『朝日新聞』鎌ヶ谷の転任署名 校長・教委も関与/1986年5月14日/甲第103号証)。現職教育委員の長浜博、市議会文教常任委員会の石井清、PTA会長の岩本尚武らが排撃署名での意見を交換し合った。
 
 PTA会長の岩本は、大古校長が唯一ほめた金子と同じ創価学会で、しかもその新聞配達所を営んでいた。彼らは、岩本の近所の元の5年1組の親でPTAの役員をしていた尾白さんのもとを訪ね、私の批判を集めるべく「悪い所」を聞き出そうとした。しかし、その親は、彼らの企みに加担することを拒否した。彼らはあがいた。
 彼らは、私を攻撃するための材料をいろいろと探し回った。しかし、彼らは私を批判する意見を探し出すことは出来なかった。そこで、熊倉のクラスでの批判をきっかけに清水に来た手紙の内容を入れて「趣意書」が作られた(甲第1号証)。
 彼らは10日後、再び『浅間神社』に集まった。そして、清水らの主張に同調して『趣意書』を採択した(『趣意書』/甲第69号証)。
 
 さて、インチキ手紙の内容を入れて、多分気持ちよく『趣意書』を作った彼らは、気が付いた。署名を行う以上、署名を集める主体がいる。まさか、教育委員会とか、清水利夫とか宗教団体「○○○○」とする事は出来ない。そこで彼らは、『東部小学校の教育を考える会』を作った。そして、署名は、自治連合会の木内滋会長をはじめ副会長や会計の3役が出席する中、自治連合会の回覧板を回すという方法で集めるということにした。
 故に、彼らは、御丁寧にも署名の「趣意書」に『鎌ヶ谷自治連合会』のゴム印までも押した(「趣意書」/甲第69号証)。
 
 そんなわけだからこの排撃署名は、実際に署名集めがされる段階になると自治会の回覧板を回覧させるだけではなく、町会の役員が署名を持って集めて回るという熱の入れようにまで発展した。
 当時、臨時教育審議会は、父母の意見を教育委員会が吸い上げる、という構想をたてたばかりだった。この排撃署名は、その構想を逆手にとって先取りし、言わば教委の側から父母の要求作りを演出したものであり、そのモデルケースだった。
 加えて、私は新聞記者から、署名は彼らがテレビに出ている教育評論家に相談して「それでいい」とのアドバイスで始めたものだった、との情報をも得た(甲第1号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<112> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが私を排撃署名した。そのような排撃署名に対して保護者や地域の人たちは反応した。
児童の父親の弁護士さんは質問状を内容証明で送った
 
 理科専科で担任している父親の中には、満田繁和さんという東京で弁護士をしていた人も居た。満田さんは彼の「息子」に私の事を訊ねた。「息子」さんは、
「とても楽しくていい先生だ」
と答えた。そういう話を聞いて、彼は、自治会がこのような署名をすることは人権上問題があると自治会に撤回を求めた。
 彼は、質問状を内容証明で自発的に送ってくださった(満田繁和弁護士の質問状の下書き/昭和61年5月2日/甲第104号証)。
 尚、それまで私は満田繁和さんとは会ったことがない。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<113> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが私を排撃署名した。そのような排撃署名に対して保護者や地域の人たちは反応した。
排撃署名に対する保護者たちの反応
 
 私を知っている父母たちは、おかしいと自治会に抗議してくれた。
 鈴木さんというお母さんとお父さんは、
「中村先生の理科のあるのを、子供たちは前の晩から楽しみにしているんですよ」
と言って、途方に暮れる私を慰めてくれた。
 そして、署名に対抗する為に東奔西走してくださった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<114> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが私を排撃署名した。そのような排撃署名は、やがて分限免職処分へとつなげることとなった、攻撃や罠をでっち上げていく。
排撃署名で私攻撃に血道をあげる正体を顕わにした酒井
 
 教育長の酒井は、
「『中村先生への父母の不満はPTA会長を通じて聞いている。最終的な人事権は県教委にあるが、事実関係を確かめたうえで、人事の具申をすることを考えている』としている。」(『朝日新聞』教室での飼い犬問題 教師転任求め署名簿 自治会通し回覧 千葉 人権侵害の疑いも/1986年5月14日夕刊/甲第105号証)
と、悪意をむき出しに、県教委に「人事の具申をすることを考えている」と新聞紙上で明言している。
 そんな事は、前代未聞だ。どこの教育長がそんなことを、公言してはばからないことがあっただろうか! まさに異常そのものだ。
 この場合の「人事の具申」が単に転任ではなく、分限免職処分にあることは想像に難くない。単に転任させるのなら強制配転を職権で強行できるのだから。これまでもうんざりするほど、転任については、彼らは、権力を駆使してきたのだから。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<115> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。そのような排撃署名は、やがて分限免職処分へとつなげることとなった、攻撃や罠をでっち上げていく。
排撃署名で私攻撃に血道をあげ、浮かれる清水
 
 清水は、
「中村先生は教師として生徒指導上好ましくない面もあり、この署名運動については、住民運動として尊重したい」(『朝日新聞』教室での飼い犬問題 教師転任求め署名簿 自治会通し回覧 千葉 人権侵害の疑いも/1986年5月14日夕刊/甲第105号証)
と、悪意をむき出しにしている。
 「住民運動として尊重」、自分が仕掛けておいて、それに地域の小ボスがのかったら、「住民運動として尊重」。こんな校長を持った私は、それこそ悪夢だ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<116> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。そのような排撃署名は、やがて分限免職処分へとつなげることとなった、攻撃や罠をでっち上げていく。
排撃署名の旗振り人の清水
 酒井や清水に踊らされた小茂田茂PTA会長
 
 「東部小の教育を考える会」のメンバーを発表してください、と「東部小の教育を考える会」のメンバー公表を酒井や松岡や清水にせまる新聞記者らマスコミ関係者に対して、酒井や松岡や清水の代わりに小茂田茂前PTA会長が躍り出た。そして、記者に対し、小茂田は「東部小の教育を考える会」のメンバーを発表すると言いだした。
 ところで、小茂田が、いい加減な対応をするのは、これまでも幾度もある。
 例えば、犬事件のとき、「運営本委員会代表 小茂田茂 運営本委員会・本員 一同」名で、
「草花の栽培でも同じようなことはできると思います」(「決議書」/乙第40号証の11)
というものを、私が教室から出たタイミングを見計らって、こっそりと5年1組の私の教卓の上に置いていたが、それは小茂田の仕業だった。
 さて、その「決議書」だが、これは通常PTAに関して詳しくない人が読むと、何かPTAが乙第40号証の11を決議したかのように思われるかも知れない。しかし、事実は、全くそうではない。東部小のPTAの名誉の為にいうが、東部小のPTAはそんなお粗末なことは断じて決議していない。
 PTAの運営方針は、当該学校の保護者と教員からなるPTA総会で決められる。従って、PTAの唯一の決議機関はPTA総会である。PTA総会は、その総会で決められた方針の実現をめざして、「運営委員会」を置いている。
 さて、そのPTAは総会で、保護者や教員の中から、PTA会長、PTA副会長、会計、事務局長、書記、会計監査の役員を選ぶ。運営委員会には、運営委員会委員として、各学級のPTA学級委員長ら、教員ら、PTA役員らが参加する。
 ここで問題なのは、小茂田らの言う「運営本委員」というものだ。「運営本委員」はこの運営委員会委員ではない。名称が違う。
 つまり「運営本委員」というのは、勝手に小茂田の作った存在しない会なのだ。従って、「運営本委員」というものが、PTA全体にかかわるような「決議書」を採択する権限があるかないか、という議論以前の問題なのである。
 
 では、小茂田が、「運営本委員」という言葉を、何らかの俗称や総称として使ったとしたらどうだろう。ならば、彼がイメージしていた会はどの様なものか? それは、多分、PTAの「会長」、「副会長」、「会計」、「事務局長」「書記」「会計監査」のPTA役員ではないか? それしか考えられない。
 さて、PTA役員はそのような「決議書」を採択する権限があるのか? 回答は、否である。
 実存し、実働しているPTA運営委員会ですら、乙第40号証の11のような「決議書」を採択したたり、乙第40号証の14のような内容に関与する権限を持っていない。もしそのような決議を行うとなれば、PTAの運営方針にない以上、臨時のPTA総会を開くしかない。
 しかし、PTAについて知っている人たちならば、臨時のPTA総会ばかりかPTA総会でも、そのようなことは議決する内容ではないと、否定する。というのも、PTA総会でもそのような「学習の権利」や「学問の自由」に介入する決議はできないからである。
 さても、さても、では乙第40号証の11のあり得ない「議決書」を、さもありうるように演出したのは誰か? 実は、強引に茂田茂がやってのけていた。もっとも清書は他の役員に頼んだが。それを教委が自分達がでっち上げた分限免職処分、即ち、分限免職処分でっち上げ権力犯罪事件の証拠として出しているのである。厚かましいにもほどがあるが、逆に、如何に実体のない名称を使って、私の「ふさわしくない」理由を捏造しようとしているかが、一目瞭然である。今回の排撃署名と同じである。
 
 まあ、乙第40号証の11のあり得ない「議決書」のように、そもそもがいい加減な対応をするその小茂田は、「東部小の教育を考える会」のメンバーの件で、一通り酒井や松岡や清水に踊らされた後、
「私たちにとって中村先生はこのましくない先生だ。趣意書の内容については先生が悪くとられてもかまわないと思った。署名は近く回収し、学校や市教委に働きかけるつもりだ。」(『朝日新聞』教室での飼い犬問題 教師転任求め署名簿 自治会通し回覧 千葉 人権侵害の疑いも/1986年5月14日夕刊/甲第105号証)
と延べ、新聞紙上で、私への悪意をむき出しにしている。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<117> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。そのような排撃署名に対して、国会の法務委員会では人権侵害と問題にされた。
国会の法務常任委員会で人権侵害であると問題にされた
 
 しかし、この前代未聞の排撃署名は国会の法務常任委員会でも人権侵害として問題にされた。 衆議院の法務委員会では、理事の天野等委員と野崎政府委員のやりとりが、
「○野崎政府委員・・・私どもといたしましては、事案の内容そのものが新聞で報道されたところによりましてもいろいろ問題がなくはないというふうに考えられますので、いろいろな事態の推移を踏まえまして情報を収集し、適正に対処したいというふうに考えておるところであります。
○天野(等)委員  既に人権擁護部として人権事件として情報の収集に入ったというふうにお聞きをしてよろしいわけでございますか。
○野崎政府委員  先ほども申し上げましたように、千葉の法務局の法でもこの事件につきましては新聞報道で知ったということでございます。きのう、きょうの新聞を踏まえまして一応情報を収集していきたいというふうに考えておるようでございます。
○天野(等)委員  この問題で、教師の転任を求めるために市の元教育委員の方や教育委員自身あるいは校長自身も何かこの署名に協力をしているかのごとき報道もされておるわけでございまして、今教育問題いろいろに言われておりますけれども、何か1人の教師を締め出すために村八分的なそういう動きが出ているのかということになりますと、これは、人権問題として重要な問題だと思いますので、その点について今後ともひとつ法務局としても人権擁護のための調査を進めていただきたいというふうに思います。よろしくお願をいたします。」(法務委員会議録第12号/昭和61年5月14日/甲第106号証)。
のようになされた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<118> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。そのような排撃署名に対して、国会の文教委員会では人権侵害と問題にされた。
国会の文教委員会でも問題にされた
 
 しかし、この前代未聞の排撃署名は、国会の文教委員会でも問題にされた。
 衆議院の文教法務委員会では、海部文部大臣と理事の佐藤委員とやりとりが、
「○海部国務大臣(文部大臣)・・・その後の人権問題に関する方の問題については、実情をきっちりと調査して、また新聞にもこの方の談話としてこういうことも出ておるわけでありますから、その後この署名についてどのような収拾、対応策がとられておるのか、これも一回よく聞いて調査したいと思います。
○佐藤委員(理事) 事実関係を明らかにしなければ、その上に立つ判断なり対応も、事か事だけに重要だと思うので、今大臣が答弁されたことで私はその扱いを注目したいと思いますけれども、ただ、この中に人権擁護部の述べられたことはこのとおりで、その最後のくだりの方に「清水校長は」ということで、この報道が正しければ、「中村先生は、教師として生徒指導上好ましくない面もあり、この署名運動については、住民運動として尊重したい」などという、これが報道のとおり校長が述べたとすれば、特に「署名運動については、住民運動として尊重したい」などということは、校長としてちょっと常識を逸しておるのではないか、私はこういう感じがしてなりませんので、この辺も含めて充分に調査の上指導、対処していただきい。重ねてどうですか。
○海部国務大臣(文部大臣)なぜこのような趣意書を配り署名運動が起こったのかつまびらかにいたしておりませんし、また校長がそのようなことを事実として言ったかどうかもよく解りませんので、この点も含めて事実をよく調査いたしまして、後刻委員長に私の方からご報告をさせていただきたいと思います」(文教委員会議録第12号/昭和61年5月14日/甲第107号証)
のようになされた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<119> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。そのような排撃署名に対して、法務局でも調査が開始された。
人権擁護部が人権侵害の疑いありと調査を開始した
 
 さらには、法務省千葉地方法務局人権擁護委員会が動き出した(『朝日新聞』教室での飼い犬問題 教師転任求め署名簿 自治会通し回覧千葉 人権侵害の疑いも/1986年5月14日夕刊/甲第105号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<120> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。そのような校長や市教委が自治会を巻き込んで行った排撃署名に対して、文相も市長も調査の開始を公言する。
海部文相調査を約束
 皆川鎌ヶ谷市長、委員の進退についても考えざるを得ないと発言
 
 また、海部文部大臣が委員長に調査を約束する、という事態にも発展していった(『朝日新聞』教諭の転任署名「事実なら問題」文相が調査を約束/1986年5月15日/甲第108号証)。
 更に、鎌ヶ谷市でも、
「『皆川圭一郎・鎌ヶ谷市長はこの日(14日)、署名運動に関係した教育委員には、(選任の長として)反省を促す。問題の背景を調べた上で、委員の進退についても考えざるを得ない』と明らかにした」(『朝日新聞』教諭の転任署名「事実なら問題」文相が調査を約束/1986年5月15日/甲第108号証)
状況になっていった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<121> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。そのような排撃署名は、回収されだし一見反省されたかのように見えた。しかし、底流では、やがて分限免職処分へとつなげた攻撃や罠のでっち上げを、分限免職処分でっち上げ権力犯罪事件を用意させていく。
排撃署名の旗振り人の酒井や清水と共に踊る木内自治連合会長
 
 鎌ヶ谷自治連合会の印を押し、回覧板を回した自治連合会長の木内滋は、読売新聞に、
「『全く遺憾だ。立場上断りきれず、うっかり趣意書に連合会の印を押してしまった。これからで、何らかの方法で回収したい』と頭を抱えている。」(『読売新聞』 “クロ騒動”教諭転任求め回覧板で署名集め/昭和61年5月14日/甲第109号証)
と答えている。
 また、木内滋は、サンケイ新聞に対して、
「『教育を考える会のメンバーは、地元で責任ある立場の人が多いだけに、内容までよく判断せずに趣意書に連合会の印を押してしまった。なんとかいい解決策がないか探しているところです』と、謝っている」(『サンケイ新聞』”村八分”と教師訴え 鎌ヶ谷東部小の犬飼育騒動 自治会回覧で転任署名/昭和61年5月15日/甲第110号証)
という対応に出た。
 しかし、「教育を考える会のメンバーは、地元で責任ある立場の人が多いだけに」とは、どういう事か、例えば、小茂田に関していっても、市議会議員選挙の時、茶封筒に入った金を受け取り、またその議員候補が受かると一升瓶の酒二本を受け取っていたという話があるぐらいである。実に蓮托生の輩らではないか。それを木内滋は、「教育を考える会のメンバーは、地元で責任ある立場の人が多いだけに」というが、それはどういうことか。通常の善良な市民は、彼ら一蓮托生の地域の小ボス達に泣かされている事が多い。木内の自分たち本意の性格が滲み出てくる。
 そんな木内は、私にわびることなく、話し合おうとすることなく、自分たちの保身の為に、回覧板を回収して署名を回収し始めた(東部小の教育を考える会の趣意書と署名の回収について/昭和61年5月14日/甲第111号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<122> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。そのような排撃署名に対して保護者や地域の人たちは反応した。
排撃署名に対して、保護者たちや地域の人たちが非難を開始
 
 また、1986年5月15日の朝日新聞では、保護者や地域の人たちは、
「犬を教室で飼うことの是非は別にしても、回覧板という公的機関を使って転任署名を集めるなんて町のポスや教育管理者の暴挙ではないか」(「同小に通う児童を持つ会社員(37)」)
「回覧板で回って来たし自治連合会の印もあったので、中村先生は悪い人と思って署名してしまった。どうすればいいのでしょう」(「この趣意書を見て署名したという主婦」)
「校長も教委も署名について全く知らない、としてきたのに・・・。校長や教委が、従わない教師を排除しようとして、こんなことになった。教育行政者のメンツが先走りして、子供も教育も不在の小学校になってしまっている」(「中村教諭が訓告処分を受けた後、教諭を支援してきた父母らのグループ」)
と話し、このようなやり方に対し、教委や町のボスを非難しだした(『朝日新聞』波紋広がる教師転任問題 鎌ヶ谷 臨時委で対応協議 市教委 本社に様々な意見 住民/1986年5月15日/甲第112号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<123> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。そのような校長や市教委が自治会を巻き込んで行った排撃署名に対して、自治連合会が人権侵害を認める。
自治連合会が人権侵害を認める
 
 校長や市教委が自治会を巻き込んで行った排撃署名に対して、自治連合会が人権侵害を認める(『サンケイ新聞』署名簿を消却処分に 東部小の犬騒動で鎌ヶ谷自治連合会”人権侵害に当たり軽率”/昭和61年5月16日/甲第113号証)。 
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<124> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。そのような校長や市教委が自治会を巻き込んで行った排撃署名に対して、自治連合会が人権侵害を認める。
自治連合会が私の代理人に確約する
 
 マスコミ報道で、この事を知った多くの人たちも、様々な形で私への支援をしてくれだした。結局は、署名はほとんど集まらなかったらしい。私を支援してくれた山田由紀子弁護士たちの要請に応じて、署名を箱に入れてさっさと封印してしまった(鎌ヶ谷自治連合会確約書・他/甲第71号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<125> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。そのような排撃署名は、やがて分限免職処分へとつなげて攻撃や罠をでっち上げを行い、分限免職処分でっち上げ権力犯罪事件を用意させて行く。
排撃署名の旗振り人の清水
 酒井や松岡や清水に踊らされた者たちの実像
 
「署名運動について、清水校長や市教委側は、関係を否定し続けていた。しかし東部小学校の教育を考える会」(中心メンバー11人)の複数のメンバーの証言によると、3月20日ごろ市内で第1の回の会合が開かれ、趣意書起草委員会を発足させた際、清水校長も主席して今度転任を求めた中村秀樹教諭のことについて説明。」(『朝日新聞』鎌ヶ谷の転任署名 校長・教委も関与/1986年5月14日/甲第103号証)
したにもかかわらず、清水や教委は、その責任に関しては取らないままだった。
 清水は、趣意書起草委員会を発足させた際、
「学校の中のことが外に持ち出される」
「中村のために胃が痛くなる」
と発言していたらしいが、その件で私が話したいと申し入れても、ただただ逃げ回った。
 東部小のリベラル派の麻生などは、
「校長先生、事実を明らかにして欲しいと思います」
と、清水に、朝の打ち合わせや月の定例の職員会議で、毎回要求した。
 しかし、清水はこの問題では、徹底して逃げ回った。彼は、駅でも朝日新聞の記者らから逃れようと走った為に駅のホームで滑って尻もちをついたが、彼の脳裏は逃げることで一杯だった為か、彼は起き上がると、一目散に駆けて逃げて行った。彼は、普段もそうだが、およそ教育を堂々と語り合うという素質は持ち合わせていなかった。
 
 一方、署名に載せられた者たちは、酒井や松岡や清水が知らぬ顔の半兵衛を決め込んで逃げるものだから、署名に対する批判が広まると動揺し出した。市議会の文教常任委員の石井清は、
「『いやあ、東大法学部卒の娘婿に非民主的だと叱られましてね、大いに反省してますよ。一生の不覚。これで(時期は確実だといわれていた市議会)議長の話も、これでオシャカだよ』とぼやくこと、しきりである」(『週刊朝日』/1986年5月30日号/甲第114号証)
と、『週刊朝日』の記者に話した。
 
 私は「東部小の教育を考える会」の構成員として小茂田が公表した会のメンバーの家を、立会人を一人連れてそれぞれ訪ねた。そして、真実を公表してくれるよう頼むことにした。
 すると、中には、国松俊勝のように、
「えっ、俺がメンバーなの?」
「メンバーではない」
という者がいることが判った。
 また、石井てるのように、
「校長が困っているからと聞いて、参加しただけだよ」
「よくは分からないけど付き合いだったからね」
と、会への積極的な関与を否定する者もいることが分かった。
 もっとも、この「東部小の教育を考える会」の11人のメンバーの公表は、新聞記者に対し、小茂田が「東部小の教育を考える会」のメンバーを発表すると言いだした為に、発表せざるを得なくなり小茂田が発表したものだったので、そもそもがいい加減なものだった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<126> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。そのような排撃署名は、やがて分限免職処分へとつなげて攻撃や罠をでっち上げを行っていく。
排撃署名の旗振り人の清水
 酒井や松岡や清水の下で、またもやいい加減なことをする小茂田
 
 犬事件のとき、「運営本委員会代表 小茂田茂 運営本委員会・本員 一同」名で、
「草花の栽培でも同じようなことはできると思います」(「決議書」/乙第40号証の11)という「もの?」を、小茂田茂がPTAをかたって勝手に出したように、今回の「東部小の教育を考える会」の11人のメンバーの発表も、校長の清水を隠す為に、国松俊勝を入れて数合わせを行ったいい加減なものだった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<127> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。そのような排撃署名は、やがて分限免職処分へとつなげて攻撃や罠をでっち上げを行っていく。
排撃署名の11人全員が
 地域の小ボス 教育委員会関係者
 
 3月19日、卒業式終了後の校長室で、清水や、犬事件以降私のクビを狙い続けて来た教育委員や元教育委員、PTA会長経験者などの地域の小ボス連中は、私の排撃署名に向けて動くことを決めた。その為、卒業式の直後20頃、東部小学区にある「浅間神社」に集まった。
 そして、清水の、
「中村のために胃が痛くなる」
という主張に同調して、「趣意書起草委員会」を発足させた(『朝日新聞』鎌ヶ谷の転任署名 校長・教委も関与/1986年5月14日/甲第103号証)。その当初の「東部小の教育を考える会」の11名のメンバーの名前とプロフィールは、
○清水利夫・・東部小校長
○長浜博・・・市教育委員/元公民館運営委員/青少年補導センター運営協議       会委員(*教頭の矢動丸俊はこのセンターの所長をしていた)
○市原正常・・元市教育委員長/犬事件の時の市教育委員長職務代理
○石井清・・・市議会議員・文教委員/前小学校学区審議会委員
○新井功・・・前年度鎌ヶ谷青年館運営委員会委員
○小茂田茂・・犬事件の時のPTA会長/公民館運営審議会委員/青少年相談委員
○岩本武尚・・PTA会長/創価学会新聞販売所
○佐藤和宏・・PTA会計佐藤美津江の連れ合い
○細根主殿(とのも)・・鎌ヶ谷自治連合会副会長
○渡辺信吾・・鎌ヶ谷自治連合会副会長
○石井てる・・中新田自治会長
の11人である。
 しかし、清水の名前を11人から外す為に、小茂田は、国松俊勝を無断で加えて数合わせをしたのである。清水や小茂田のやりそうなことである。
 因みに、国松俊勝は、
     ・・前年度青少年相談委員/前年度鎌ヶ谷青年館運営委員会委員/       前年度鎌ヶ谷二中学区補導委員
をしていた。それ故に巻き込まれたのである。
 それにしても、このプロフィールを見れば、この排撃署名が市教委ぐるみであったことは一目瞭然である。この者たちは、その後も私を狙い続けていくのである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<128> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。そのような排撃署名は、やがて分限免職処分へとつなげて攻撃や罠をでっち上げを行っていく。
新たに加わった確信犯2人
 鎌ヶ谷自治連合会長木内滋 同会計平間弘勝
 
 さて、インチキ手紙の内容を入れて、多分気持ちよく『趣意書』を作った彼らは、署名を、自治連合会の木内滋会長をはじめ副会長や会計の平間弘勝ら3役が出席する中、自治連合会の回覧板を回すという方法で集めるということにした。
 従って、この「趣意書」に『鎌ヶ谷自治連合会』のゴム印までもが押される段階までには、新たに、
○平間弘勝・・・前年度青少年相談委員/小茂田の前のPTA会長
○木内滋・・・鎌ヶ谷自治連合会会長/前年度鎌ヶ谷青年館運営委員会委員
が加わった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<129> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。そのような排撃署名は、やがて分限免職処分へとつながり、私への攻撃や罠のでっち上げを行っていく。
排撃署名の旗振り人の酒井や清水と共に踊る長浜博
 
 教育委員の長浜博は、
「校長からも事情をいろいろ聴き、孫が世話になるには好ましくない教師と思った。署名は別に悪いことではない」(『朝日新聞』鎌ヶ谷の先生転任署名 校長や市教委も関与/1986年5月14日/甲第103号証)
と開き直っていた。
 その、長浜博は、また、5月14日午後3時すぎに市役所で開かれた臨時委員会でも、
「酒井教育長のほか、署名にかかわっていた長浜氏ら4人の教育委員、関係課長ら10数人が出席した。事情説明を求められた長浜委員は『中村先生について父母が困っているので、一地域住民として会の発足に参画した。理解して欲しい』と、署名運動に関与したことは認めた。」(『朝日新聞』波紋広がる教師転任問題 鎌ヶ谷 臨時委で対応協議 市教委 本社に様々な意見 住民/1986年5月15日/甲第112号証)
のであった。
 「理解して欲しい」とは、確信犯ぶりもことここに至れり、のとんでもないことだ。さも、豪傑に違いないとその長浜博宅を訪ねると、彼の娘が出て来た。そして、娘は、
「父は留守です」
と、応対した。
 玄関から続いた目の前の座敷に、チラリと視線を投げ掛けると、ランニング姿で一人で酒を飲んでいる男性が目に飛び込んで来た。
「長浜さんはいらっしゃるようですが」
と、私が彼女の言葉の嘘を指摘した。すると、彼女は、
「今は、お酒を飲んでいるので」
と、前言を訂正し、不誠実な対応をする教育委員の父との間に立って対応に苦慮していた。
 それでも、長浜は困った娘を見放して、私に背を向けたままで酒を飲み続けた。教育委員というのは自分でしたことの始末すら自分でつけることすら出来ず、娘を盾に酒をあおるような卑怯な人物だった。
 そして一方では、「孫が世話になるには好ましくない教師と思った。」(甲第103号証)とあるように、孫、孫というのである。その孫と言う言葉を吐いた同じ口に、娘を盾にしながら酒を入れる。このような人物から排撃され続けた私は、逆に言えば、名誉なことである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<130> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。そのような排撃署名は、やがて分限免職処分へとつながり、私への攻撃や罠のでっち上げを行っていく。
排撃署名の旗振り人の酒井や清水と共に踊る市原正常
 
 子どもを楯にするのは、長浜だけではなかった。元教育委員長の市原正常も同じだった。
 この男は彼の家を訪ねた私と私の立会人の姿を見ると、こそこそと「息子夫婦」の陰に隠れた。息子夫婦は、
「いや、今のは別の人です」
と、話した。
 しかし、市原の家は学校の横手にあり、市原の顔は良く知っている。市原は息子夫婦の後ろに隠れたのだ。私は、
「お話をして戴きたいのですが」
と呼び掛けた、市原正常は出てこなかった。
 鎌ヶ谷市の教育委員長とは、話を聴きたいという教員と話も出来ない人間だった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<131> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。そのような排撃署名は、やがて分限免職処分へとつながり、私への攻撃や罠のでっち上げを行っていく。
排撃署名の旗振り人の酒井や清水と共に踊る木内滋
 
 署名の趣意書に自治連合会の印を押した以上、その役員たちは署名の件で責任をとるべき立場にある。しかし、自治連合会長の木内滋なども都合が悪いのか、逃げ回って会おうとすらしなかった。
 自治連合会会長としても、私に今回の事態に関して、説明すべき責務があると思うが、全く、小心で卑怯な対応だった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<132> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。そのような排撃署名は、やがて分限免職処分へとつながり、私への攻撃や罠のでっち上げを行っていく。
排撃署名の旗振り人の酒井や清水と共に踊る細根主殿
 
 しかし、自治連合会副会長細根主殿は、私と立会人が訪ねたとき、たまたま庭木の手入れをしており、私に対面せねばならぬ羽目になった。
 すると、彼は、
「あんたも有名人になって嬉しいだろう」
と居直り、剪定鋏を振りかざして一応は威勢良く見せかけたものの、話しかけると慌てて家の中へ逃げ込んだ(甲第1号証)。
 自治連合会副会長としても、私に今回の事態に関して、説明すべき責務があると思うが、やはり小心で卑怯な男だった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<133> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。そのような排撃署名は、やがて分限免職処分へとつながり、私への攻撃や罠のでっち上げを行っていく。
排撃署名の旗振り人の酒井や清水と共に踊る平間弘勝
 虎から猫? 前々PTA会長で自治連合会・会計平間
 
 前々PTA会長でもある自治連合会会計の平間弘勝は、自治連合会の署名排撃の問題が明るみに出て以来、署名排撃に抗議する父母に逆に怒鳴り上げ威圧をかけていた。ところが私が立会人一人を連れて会うと、
「小茂田に、おまえの言うことを聞いているとろくな事はない、と言ったんだ」
「申し訳ありませんでした」
と、なんと素直に謝罪した。豹変した。豹が猫に変わった。これが、人を排撃署名するまでの確信犯なのか? 私は目の前の平間の様に、我が目を疑った(甲第1号証)。
 
 教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。そのような排撃署名は、やがて分限免職処分へとつながり、私への攻撃や罠のでっち上げを行っていく。つまり、分限免職処分でっち上げ権力犯罪事件を用意していく。
 しかし、今回の平間にして然りのように、このような教委が行った攻撃は、明らかになればそれを攻撃した当の本人すら認めるような、攻撃した側に間違いがある事柄である。今回の分限免職処分攻撃を見てもわざと捏造してきたことは明らかで、分限免職処分でっち上げ権力犯罪事件であることは明らかで、少なくとも教委の主張はすべて疑って厳正なチェックをし、その罪を究明しなくてはならない。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<134> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。そのような排撃署名は、やがて分限免職処分へとつながり、私への攻撃や罠のでっち上げを行っていく。
排撃署名の旗振り人の酒井や清水の攻撃を看過する
 共産党系支持色の強い日教組反主流派と小見川
 
 この人権侵害犯罪に直面し、共産党支持色の強い日教組反主流系の影響の強い小見川を初めとする組合内の管理主義教育派も態度が問われた。そこで彼らは、
「学校の正常化に努力して欲しい」
と、校長に申し入れたと教員たちに伝えた。しかも、
「排撃署名を呼び込んだのは、そもそも犬問題を起こした中村先生に問題がある」
「我々は犬問題以後、学校正常化に努力している」
と繰り返した。それにしてもこれが組合とは。組合内の管理主義教育派に対する幻想はいつしか潰えていたが、それでも「我々は犬問題以後、学校正常化に努力している」と繰り返す事しかしないとは。人権感覚がここまでないとは、と、多少呆れたのは、私の彼らに対する認識の甘さが残っていたせいかも知れない(甲第1号証)。
 もっとも、日教組反主流の諸君は、自分たちは「良い教育」「いきとどいた教育」をするので、児童生徒の人気は、自分達に集まるはずだと自負、実は思いこみ、をしていたようだった。
 しかし、私たち児童派教員、生徒派教員の登場によって、彼らが如何にスターリンのやった「収容列島」もどきの、或いはクルプスカヤのやった集団主義者・ファシストもどきの管理主義教育主義者で、児童生徒の人気をとれないかが明らかになった。
 最近では教育委員会の御陰で、教員集団というのは、ねたみの強い集団でもある。しかも、異質を排除する集団でもある。中でも、日教組反主流には異質を排除するという醜い習性が特に強い。彼らはもう何がなんだか解らなくなり、ええい、ままよ、とばかりに、理不尽で訳の解らない、全く人権感覚の欠如した行動を取った。
「排撃署名を呼び込んだのは、そもそも犬問題を起こした中村先生に問題がある」
と。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<135> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。一方、児童のみなさんはこんな私でも支援してくださった。
児童という名の、実は主人公の皆々様は
  私と良い関係で共にまなんでいた
 
 週刊朝日の記者に、酒井や清水は語った。
「酒井教育長、清水校長に『たいへんな人気ですねえ』というと『だって好き放題をさせてるから。ときには子どもに物を買ってやってるそうですよ』」(『週刊朝日』/1986年5月30日号/甲第114号証)
 そんなこと、週刊誌の記者に話す教育長や校長がどこにいる。私は、よほど酒井や清水に嫌われているらしい。教委や校長にとって私は許されない追放したい存在だが、それでも、教委や校長は、私と児童の関係の良好なことは認めている。
 「大変な人気ですねえ」という言葉を取り出して強調することは、謙虚さのない恥ずかしいことだが、しかし、ことが、分限である以上、児童が私をどう見ていたのかだけは伝える必要がある。少なくとも、この記者は、児童の私に対する人気を調べて、「大変な人気ですねえ」と記載した。
 
 さて、週刊朝日の記者は、児童の私に対する人気を調べて、「大変な人気ですねえ」と記載したが、果たしてそうか。『東京スポーツ』を見てみると、
「文部省、法務省まで動かした 千葉、鎌ヶ谷東部小学校 人気先生追放工作 子供のためクビかけて闘う」「2年前の『教室内捨て犬飼育問題』蒸し返し」「PTA、自治会、市教委が転任署名運動」「自治会長に『やりすぎ』の声殺到」(『東京スポーツ』/文部省、法務省まで動かした 人気先生追放工作/昭和61年5月20日/甲第115号証)
と、あるように東京スポーツの記者達も「人気先生」という部分に一番大きな文字サイズを使っている。彼ら、記者も週刊朝日の記者と同じ様な見方をしている。
 
 同様に朝日新聞の記者も、「いろんな先生いていい 『おもしろい』と子供ら」と小見出しを付けた中の文面で、
「この3月、中村先生の授業を受けた3、4年生350人が書いた感想文がある。その中には『クラスで勉強するときよりも、理科室で中村先生に教えてもらうときがたのしかった。りかのべんきょうをする日をとてもたのしみにしていた』『りかはきらいだったが、中村先生に教えてもらって、好きになった』『おもしろい、おこらない、たのしい、やさしいせんせいだなあと思いました。つらかったこと なし!』といったものがかなりある。」(『朝日新聞』ユニーク教師につらい現場 千葉の転任署名運動、関係者の表情/1986年5月21日/甲第116号証)
と記載している。
 それら記事の内容こそ、私たち児童派教員、生徒派教員が、児童生徒に支持されながら、学校を改革して行ける存在であるという証でもある。私たちを排撃しなければ、分限免職処分でっち上げ権力犯罪事件を起こさなければ、学校は、楽しく生き生きと学べる場に変えられるのだ。否、そもそも、学校では児童生徒が主人公だから、学校は、楽しく生き生きと学べる場であって当然なのだ。
 邪魔しているのは、教委、校長会、日教組主流派、千葉大学閥の利益共同体・利権漁り団体と、自分達のことしか考えない政治主義者の共産党を支持する日教組反主流派なのだ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<136> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。一方、この国の教育に対する主権者の方々は、教委や校長の問題を看破されていた。
主権者の皆々様は、教委や校長の問題を看破されていた
 
 1986年5月24日、『朝日新聞』は『読者のひろば』で今回の排撃署名の特集を組んだ。
 『朝日新聞』は、まず最初に、
「鎌ヶ谷市立東部小の教諭の転任を求める署名運動の是非について読者の声を募ったところ、23日までに多くの投稿が寄せられました。署名運動に反対する意見がほとんどでしたが、逆に『この教諭にも反省すべき点がある』といった声もありました。寄せられた投稿の一部を紹介します。」
と前置きして、6人の投書を載せている。
 その中の以下の5人の方達は「署名運動に反対する意見」であった。
「止めるのが 校長の役目      酒々井町 萩原 俊治(高校生 15                  歳)」
「問題は自治会 市教委の姿勢    白井町 佐々木 健悦(教員 38歳)」
「恐ろしいのは 回覧板疑わず    船橋市 匹田 清人(著述業 51歳)」
「制度の悪用は 本当の『いじめ』  八日市場市 小野田 邦美(元教員                   62歳)」
「一部にまかぜず 親たちも考えて  鎌ヶ谷市 匿名希望(無職 39歳)」
 
 一方、「逆に『この教諭にも反省すべき点がある』といった声」として、
「手段なければ しょうがない」   船橋市 匿名希望(学生)」
の1人の方の意見が載せられていた(『朝日新聞』『読者のひろば』/1986年5月24日/甲第117号証)。
 
 総論的に、この国の主権者の方々は、教委や清水のやり方を見抜き、問題行為であると批判している。この国の教育に対する主権者の方々の思索力と不正に対する批判力に、公僕の私は、感謝の気持ちでいっぱいである。
 さて、私は、「『この教諭にも反省すべき点がある』といった声」が少数だからと言って、その数でこの意見を抹殺して良いとは思わない。まさに、反対者の人たちとも話し合いながら進めていくのが教育だ、と思う。
 当時、非暴力主義者の私は、常に、話し合いを求めてきたし、求めている。しかし、教委や校長は、常に逃げ回っている。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<137> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。一方、主権者の方は、こんな私でも支援してくださった。
私たち教員よりはるかにすばらしい教育論を持つ主権者の方々
 
 1986年5月27日、『朝日新聞』は『ひととき』で今回の排撃署名を扱った。
 「個性ある先生を大切に」という見出しで掲載された文章は、東京の杉並区にお住まいの、高野ゆう子さん、という方の手によるものだった。
 高野さんは、その文の出だしで、
「どうして個性のある先生、授業を工夫する先生、教科書の枠を越えて子どもたちに考えさせて下さる先生を、いじめるのでしょう。
 先日の新聞には、教室で犬を飼った先生の『転任要求の署名運動』が行われたとありました。普通、PTAの規約には、「学校の人事には干渉しない」とあり、仮に、体罰による事故があっても「あまり干渉しない」というものではないでしょうか」
と、おっしゃられる。
 続いて、小学校で時事問題を扱うことの大切さ、自己学習力の育成の大切さを述べられた後、「長野県伊那の小学校で犬を飼い、一緒に行動し、そそうの始末をして、子どもたちがどれほどたくさんのことを学んでいるか、という記録がNHKで放映されたこともあります。
 教室の中、教育内容まで『一枚岩』にするのはやめた方がいいと思います。」
と、意見をまとめられていらっしゃられる(『朝日新聞』 『ひととき』 個性ある先生を大切に/1986年5月24日/甲第118号証)。
 
 1986年5月24日の『朝日新聞』の『読者のひろば』(甲第117号証)でも、この高野さんの文章でもそうだが、私は、主権者の方々は、ここに投書される方々は、教育委員会や清水や我が校の清水に追随する教員達よりは、遙かに教育に対する見識があり含蓄が深い、と考える。
 私は、戦後日本の教育の悲劇は、教育の問題が体制の問題と混同され議論されて来たことにあると思う。そして、教員一人ひとりの内実が不問に付されてきたことに、寄らば大樹の陰よろしく、右であれ左であれ権力に寄りそって、内省をしてこなかったことに最大の問題を発生せしめている原因があると思う。その結果が、酒井や松岡や清水のような、教育に付いての薄ペラな人間を、教員として威張らせてきたのだ。
 実に教育とは、人間が問われる問題なのだ。人間らしい人間が、そして優しい人間が、もっとも教師として求められているのだ。そこに、人間教育、の原点がある。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<138> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。一方、主権者の方は、こんな私でも支援してくださった。
山崎朋子さんは述べた。「犬を取り上げた大人たちは、その代わりにいったい何を送ろうというのでしょうか」
 
 女性史研究家の山崎朋子さんが、『Newton』の1986年9月号に、
「教室で犬を飼った子どもたち」
と題して、記事を書かれていた(『Newton』教室で犬を飼った子どもたち/1986年9月号/甲第119号証)。
 その山崎さんは、
「自分たちで2匹の犬を育てた経験は、子どもたちに『生命の大切さ』を実感させたに違いありません」と小見出しで述べられた後、排撃署名に切り込む中から、女性史研究家らしく、5000年前の歴史や清少納言の「唐猫(からねこ)ありて」のくだりから、人間と犬猫、こどもと犬猫の関係について論じていかれる。
 さて、その山崎さんは最後のくくりの部分で
「N先生のクラスの子どもたちから犬を取り上げた大人たちは、その代わりにいったい何を送ろうというのでしょうか。N先生は担任をはずされ、残された「クロ」と子どもたちはどうなったのか、わたしは気がかりでならないのです。」(甲第119号証)
と記述された。
 そうなのだ。私はいくらいじめられても良い。私は、教委や清水が児童達に「その代わりに」豊かな何かを「送」ってくれるなら、私は我慢する。
 だが、彼らが「送」ったものは、教育とは無縁の恥ずべきものなのだ。だから、こうして私は分限免職処分でっち上げ権力犯罪事件に際し、分限免職処分撤回を叫んでいる。管理主義教育を止めさせる為に、私を教員に戻せと言っている。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<139> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。一方、主権者の方は、教員達は、こんな私でも支援してくださった。
私を支援する署名運動が、千葉県教職員組合や、市長や教委に対して開始された。私を支援する人たちは、この時点で 法律を守り、人権を守る教員を処分する「分限処分」の危険性を見抜いていた
 
 千葉県教職員組合と同東葛支部に対する『要請書』{(「要請書」個人署名/1986年/甲第120号証の1)(「要請書」団体署名/1986年/甲第120号証の2)}の署名では、「東部小の教育を考える会」の手による排撃署名の運動が、「誹謗中傷するための理由をでっち上げ、学区に流すことによって、中村秀樹さんの名誉を著しく傷付けるものであって、由々しき人権問題である」と指弾した後、
「1,この署名運動は。中村秀樹さんを『公教育の教員としてふさわしくない」と決めつけることで、「転任」ではなく、中村秀樹さんを「分限処分」にしようとする、臨教審第二次答申にある「分限処分」強化の路線そのものである。」(要請書/1986年/甲第120号証の1と甲第120号証の2)
と、指摘した。
 私を心配してくださる人々や支援してくださる人々は、既に、教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、今回の排撃署名を利用し、私を分限免職処分する為に、私への攻撃や罠のでっち上げを一層行っていこうとすることを見破っていた。今回の分限処分を予見していた、のである。
 それ故に、鎌ヶ谷市長と市教委に対する『抗議書』{(「抗議書」個人署名/1986年/甲第121号証の1)(「抗議書」団体署名/1986年/甲第121号証の2)の署名では、市教委や校長らの手による排撃署名運動に対し、
「中村秀樹さんの名誉を著しく傷付け、しかもその署名が公的ルートによってなされるなど、重大な違法行為・人権問題であることに鑑み、全く許しがたい。
 貴市長や貴教育委員会が、すみやかに事実関係を再調査し、この違法行為に関係したすべての公的関係者に対し、厳正な措置をとることを求めます。」
と、明確に抗議し厳正な措置を要求していったのである。
 
 そして、更に、東京都高等学校教職員組合では、
「中村秀樹さんへの人権侵害に抗議し、適切な処置を求める決議」(団体署名/1986年/甲第122号証)で、今回の市教委や校長らによる排撃署名が、
「中村さんを『公教育の教師としてふさわしくない』と決めつけ、不当な中傷によって学校から追放することを求めるという、きわめて悪質なもの」
であるとして、市長や教育委員会に対して抗議し、各職場での決議をあげることを開始した。
 千葉県の組合のような、教委、校長会と利益共同体を組んできた教職員組合とは違い、東京都教職員組合は、今回の排撃署名の先に、公教育の教師としてふさわしくないという言い回しで弾圧する先に、分限免職処分でっち上げ権力犯罪事件をはっきりと見て取っているのである。
 法律を守り、人権を守る教員を処分する「分限処分」の危険性を見抜いていたのである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<140> ・・・・世間の批判にさらされ、遂に鎌ヶ谷市レベルの責任者の一人の酒井が出てきた。
ついに隠れていた酒井が出てきた
 
 私が真相を聞いて東部小の教育を考える会のメンバーの家を回っていると、ある日突然、酒井三郎が私の居る理科準備室にやって来た。彼は、私の机の上に携帯用のテレコを置くと録音ボタンを押し、
「中村先生に話がある」
あると切り出した。そして、昨年度、
「年休を取り過ぎだよ」
などと一方的に喋りだした。
 私が、反論を開始すると、彼は、
「普通の教員になれ」
との言葉を吐いて足早に部屋を出ていった。余りに唐突で余りに無軌道な話だったので、消化不良の感を否めない。一体あのテープは何のために取ったのだろう? 誰に聞かせるのだろうか? 私には皆目理解出来ない。
 ただ、私に容易に推察できるのは、私が年休を使って、クラスの仲間の黒を探しているのが気にくわないらしい、ということだった。
 年休を完全消化しないから、完全に使ってくださいというのではなく、年休を取りすぎたとテープレコーダを取り出して威圧しするのである。そして、反論されだすと足早に逃げ出すような問題のある対応をする人物だったのである。酒井とはものの道理も解らない、このような男だったのである。
 因みに、この頃になると、これまで逃げ回っていた鎌ヶ谷自治連合会長の木内滋は、私と、
「話し合うことはない」
と、排撃署名に対して居直りだしていた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<141> ・・・・内部情報が、右翼雑誌『全貌』に漏らされる。
右翼雑誌で人権侵害犯罪を犯す者たち
 
 しばらくして、私や清水や教育委員会しか解らない私の年休の時間の事などを取り上げた誹謗中傷記事が、右翼雑誌『全貌』に掲載されるという事が起きた。私の年休時間は私のプライバシーに属することで、教育委員会や校長以外は知らない。にもかかわらず雑誌に流されている。漏らしたのは誰か? 彼らが直接的にであれ、間接的にであれ、人権侵害をしているとしか考えられない。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<142> ・・・・何らの思想性もなく、誠実さもなく、問われても無視して逃げ回る清水
校長として真摯に対応しない清水
 
 清水は赴任してきて以来、私との議論を徹底的に避けている。だから教育問題などでも話し合うことはなく、彼はただ逃げ回っている。私が質問しても、助言を求めても何も答えない。勿論、私や私の問題に対してだけだ。ぬかに釘、のれんに腕押し、とはまさにこの事だ。そして陰に回っては排撃署名のようなことすらする。
 しかし、このような自分の言葉を堂々と吐くことの出来ない人間が、陰でこそこそ動く人間が校長になれるにはわけがあった。それは、そもそも校長昇格のやり方に、つまり校長昇格条件がオープンにされていないことに原因があった。
 私は、この春に元東部小の教頭だった熊谷と電車の中で偶然にあった時のことを、ふと想い出した。その時彼は既に校長になっていたが、彼は、
「僕の知っている人に、校長になるのに山一つ売った人が居る」
と、話して聞かせてくれた。
 私は、清水のような確固とした「教育理念」を持たない校長が、人権感覚の薄い校長が次々と誕生している現実を変えさせるためにも、昇格条件をオープンにさせる必要があるな、と今回の排撃署名の件でつくづく感じていた。とはいえ、その様な改革が簡単に出来るはずもない。否、むしろ執拗に私を攻撃する異常事態の中、私は耐えていた。
 私は、これまで管理主義教育を批判し、児童生徒たちの人権を守ろうと努力してきた。日々、楽しく仲間たちとまなぶことをめざし、ふれあいの良さをみんなで分かち合って来た。しかし、時は流れる。心を通わせた仲間たちもいつかは卒業して行く。そして、仲間たちと自由にまなぶことを、1年1年重ねて行けば重ねて行くほど、後に残る私は校長や管理主義教育を目指す教員から年々肥大化して行く恨みをかう。今の日本の現状では楽しい学級を作ろうと努力すればするほど、年々摩擦が増幅して行くのだ。しかも、その摩擦と同時に存在するリスクを私はこの身で受けとめて行かねばならない。なんという悲劇か。
 私は流れる時の狭間で、いいようのない空しさを覚えていた★(甲第1号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<143> ・・・・前代未聞の排撃犯罪を行ったことを市議会で認めた酒井ら市教委。
市議会で追究され、市教委や校長が関与していたことを認めた酒井
 
 6月12日、前代未聞の排撃犯罪を行ったことを酒井らは市議会で認めた。朝日新聞がそのことを明記している(『朝日新聞』 教師転任問題 「関与と取られても」 市教委・校長 教育長が議会答弁/1986年6月12日/甲第123号証)。
 
 権力を握っている教育委員会が排撃署名工作までして私の抹殺を謀る。許されていいことではない。
 さて、酒井ら市教委の犯罪行為の後、何故あのテープをとったのか関連が明らかになった。排撃署名が犬問題同等に新聞の社会面一面で奉じられたり(甲70号証)、TVなどで放送されたりする中、酒井ら教育委員会と不当に連む草の根保守の多い鎌ヶ谷市議会でも、保守派以外から問題にされ議会で取り上げられた。実は、酒井は、あのテープを、自分は中村に対して「言うことは言っている」「指導している」という保身のために使おうとしていたらしい。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<144> ・・・・教委に振り回された者たちや教委と一蓮托生になっていた輩らが、私を排撃署名した。そのような校長や市教委が自治会を巻き込んで行った排撃署名に対して、日弁連も事件に取り上げていく。
日弁連が人権侵害事件に取り上げる
 
 その上、日弁連も事件にとり上げていった(『日本弁護士連合会 人権擁護委員会』人権救済申し立て事件について(通知)/昭和61年6月17日/甲第124号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<145> ・・・・管理主義教育信奉者たちは、或いは「管理主義教育依存症」の者たち、又は教師による暴力の容認者たちや学校という場での容認者たち、更には公教育という場を使って賄賂汚職主義者たち、いじめと差別の容認者たちなどなどの者たち、私の排撃署名を開始し人権蹂躙を繰り返す者たち、彼らは明らかに犯罪集団だが、しかし、彼らが『黒』を殺したという情報までが。
『黒』は撲殺されたらしいとの情報
 
 排撃署名騒ぎのどさくさで、長く感じられた1学期も10日前にやっと終わりになっていた。勿論、私は、夏休みになっても『黒』を探して『動物愛護センター』通いを続けている。
 明日が私の誕生日だという前夜、7月30日夜、電話が鳴った。電話の主は話し出した。
「あの2人が、ドッグフードを持って『黒』に近付き、安心させて、持って来た角材で頭を殴り、気絶させた。そして、その後で殺して、鎌ヶ谷市の路上で死んだ犬や猫を入れる場所に放り込んだんだよ・・・」
 電話の主の言う「あの2人」とはその電話では、松岡校長と小茂田PTA会長だ、今回の排撃署名にも重要な役割を果たしていた。私は、詳しく訊ねた。しかし、その状況は、あまりにも当時の状況に酷似している。『黒』がいなくなったときの状況にである。
 私は、次の日から、年休を使って1年4ヶ月通った『動物愛護センター』通いを止めることにした。その日は、私の誕生日でもあった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<146> ・・・・排撃署名事件に対して背後で関与していた松岡が車で死亡事故を起こした。スピードの出し過ぎだ。なのに、教委サイドは嘆願署名を開始した。
松岡の業務上過失致死に対する嘆願署名の開始
 
 排撃署名では、教委や教育関係者が逃げ回る中で、1人松岡義明は、TBSのテレビカメラなどに向かって、逆に私を非難し、気を吐いていた。そんな人権尊重すら理解できない松岡だから、乙第40号証の12のように、全くでたらめな捏造したメモを書くわけであるが。ともかく、さような松岡は、犬事件や排撃署名事件では、酒井と並び中心的な役割を果たしていた。
 だが、その松岡義明は、犬事件や排撃署名事件以外にも、昭和61年10月7日、ある事件を起こした。
 読売新聞(昭和61年10月8日/甲第125号証)によれば、10月7日午後11時15分頃、県道7号線・主要地方道結城野田線の千葉県東葛飾郡関宿町新田戸(にったど)の所で、歩行中の58歳の会社員の男性を60キロのスピードではねて死亡させてしまった。聞いた話では、何でも仙台市に行く途中だったということだ。
 読売新聞では、県警野田署は、
「業務上過失傷害など現行犯で逮捕した」(『読売新聞』/昭和61年10月8日/甲第125号証)
とのことだ。
 仙台市といえば2日前の10月の5日・日曜日に私の教育問題での講演会があり、私は奇遇だなあ、と思って朝日新聞にも一応目をやって調べてみた。しかし、朝日新聞では、何故、夜に仙台の親戚の所に向けて車を飛ばしたのかは、書かれていなかった。だが、朝日新聞では、かわりに、「業務上過失傷害など」だけでなく、
「県警野田署は、松岡を業務上過失傷害で逮捕、同致死容疑で送検する」(『朝日新聞』/1986年10月8日/甲第126号証)
とあった。
 さて、関宿町を走る県道は幅も狭く、新田戸辺りでは道の条件も良くない。昼間でも60キロで走る者はいない。まして夜である。制限速度は、S61年当時もH14年現在も40キロだ。松岡に非があるのは明らかなことだった。
 
 しかし、なんとスピードの出し過ぎで業務上過失致死罪の松岡に、教委が中心となってまたもや署名活動を開始した。
 だが、今度は排撃署名ではなく、
「松岡先生の処置につきましては、なにとぞ寛大な御配慮をお願いいたしたくここに嘆願いたします。」(「嘆願書」/1986年10月/甲第127号証)
という「嘆願書」への署名運動だった。「嘆願書」にはスピード違反のことは何も書かれていない。
 その嘆願書には、
「松岡先生は、初富小学校教頭として4年間、南部小学校長2年間、東部小学校長2年間と、管理職として学校経営と児童の教育、部下教職員の指導に当たられましたが、常に児童の人間としての育成を第1として、全教員の先頭に立って実戦しておられました。そのため、児童や保護者たちからたいへんに親しまれ尊敬されておりました。私たち教職員も、先生の明朗闊達にして温かい人柄と親切な御指導並びに実戦の姿に導かれて、教師の道に励んでまいりました。
 もとより死亡された方並びに御遺族の方々に対して深く追悼の意を表する次第ですが、松岡先生の処置につきましては、なにとぞ寛大な御配慮をお願いいたしたくここに嘆願いたします。」
とあった。
 犬事件の首謀者の1人で、排撃署名の首謀者の1人で、国会で問題にされ、鳩山邦夫文部政務次官などは犬事件で松岡を指して「校長はくるっている」とさえ言っていることなど、どこにも書かれていない。
 
 もっとも、今回の「嘆願書」の文には、排撃署名と違ってしっかり正体の解る呼び掛け人の名前が、鎌ヶ谷市立第四中学校教頭の関本行忠の名があった。
 しかし、今度は「嘆願書」の提出先が無かった。
 そして、排撃署名や犬事件で松岡と行動を共にした教員を中心に署名集めがなされた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<147> ・・・・私の支援の市民運動が続けられた。また、その支援運動の中で、『自己教育権』の拡大をめざす一方、排撃署名が分限処分強化であるとして運動を展開していった。
「11.23『ワンちゃん処分』撤回支援集会」
 
 279支援団体や賛同によって、「11.23『ワンちゃん処分』撤回支援集会」の呼び掛けが開始される(「中村秀樹さんへの『ワンちゃん処分』撤回支援集会」チラシ&賛同団体賛同人/甲第138号証の1と甲第138号証の2)。
 この支援運動の中では、管理主義教育を批判すると共に、『自己教育権』の拡大をめざす一方、排撃署名が分限処分強化であるとして運動を展開していった。
「私たちは、中村さんに対してなされた『排撃』署名運動が、実は臨教審第二次答申路線に基ずく『分限処分強化』そのものだと分析しています。」(甲第138の1号証)
 
 様々な支援運動の御陰で、教委や校長らは権力を持ちつつも、孤立していった。嘗ては、教委や政治家や校長らは「千葉は教育先進県だ」と嘘八百を言っていたが、今では「千葉が教育先進県」などとは、恥ずかしくてとても言えなくなった。
 千葉の教委が「管理主義教育の東の横綱」で、「西の愛知、東の千葉」と言われるように、とても教育というものをしている状態ではないことが露見した。しかも、その背後に文部省の官僚達が利権のよだれを垂らして、利権享受の順番を待っていることは、どんどん知られていくこととなった。
 そんな中で、私は、翌年4月からは担任に復帰した。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<148> ・・・・排撃署名事件に対して背後で関与していた松岡が車で死亡事故を起こした。スピードの出し過ぎだ。しかし、松岡は交通刑務所に送られることなく、その後、県は校長として栄転させた。
松岡を参事のままにした鎌ヶ谷市長
 新年度人事で、松岡を校長にして栄転させた県教委
 
 松岡は、何故だか交通刑務所に送られることはなかった。
 その上、松岡は鎌ヶ谷市教委の参事を続けた。降格も無かったというわけだ。
 しかも、松岡は新年度から校長として栄転していくことになった。新聞記者や私の知り合い達には、校長に出てどんな交通安全授業をやるのだろう、といぶかる声もあった。
 しかし、これが一般の国民ならどうだろう。交通刑務所にやられる場合を含め、厳しい処分を受けるということになるのではあるまいか。制限速度40キロの所を60キロで、実際はもっとスピードは出ていたかも知れないが、しかも、夜道を飛ばす。その上歩いている人をはねて死なせる。やはり、厳しい処分がなされるのではあるまいか。だがなされなかった。
 鎌ヶ谷市は、犬事件と排撃署名の旗振り人である松岡を処分しなかったというのは、私からすれば解る。彼らは仲間を守ったのだ。犬事件と排撃署名事件を通じて、世間の批判にさらされればさらされる程、頑なに同志的意識を強くしていったのだろう。果ては、精神的同一性を共有するまでに至っていたのだろう。多分そうだろう。だから、参事のままにして守ったのだろう。
 しかし、校長にして栄転させるというのは、全く違う。確かに、市教委の参事は、県の教育公務員の身分を離れて市職員の身分になって勤める。だが、市教委の参事から校長に戻るとなると、その身分も県の教育公務員に戻る。つまり、県教育庁の人事権がおよぶことになる。従って、松岡を、出向先の市の参事から戻し、校長として栄転させるというのは、県教委が松岡を処分しなかったということだ。こんな話、今まで聞いたことがない。
 千葉県総務部課人事総務班は、平成14年4月18日午後、私の電話での問いに答えて「スピ−ド違反など悪質な運転での交通事故を起こした場合は、処分されているはずだ」と答えている。
 それでは、何故、処分権限を持つ県教育庁は、松岡を処分しないで校長として栄転させたのか。それは、鎌ヶ谷市と同じように松岡をかばったからだろう。つまり、同じ穴のムジナだ、と思っていたからではないか。
 彼らは、管理主義教育を広め、児童生徒を虐待してきた、同じ利益共同体の仲間だったことには違いない。私など児童生徒中心教育者、つまり児童生徒派と闘う仲間は大切にするというわけだ。反対に、児童生徒派でありたいと努力する私は攻撃を受け、事実を捏造され、分限免職処分にされたのだ。非は明らかに彼らにある。分限免職処分でっち上げ権力犯罪事件なのだ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<149> ・・・・自ら演じた排撃署名事件に対して何らの責任も取ることなく、一年間の間逃げ回り真相を明らかにするという責務を放棄した清水は、鎌ヶ谷南部小の校長として転出して行くことになった。
校長としての職務を放棄し、一年間寡黙の人を通した清水
 
 排撃署名では清水は、ことさら口を堅く閉ざし、私の、
「排撃署名の事実について、真相を明らかにして戴けますようお願いします」
という要請に対して、無視を続けている。
 排撃署名から1年が過ぎた。今や私に対してだけすっかり寡黙の人を演じた清水にとって、やっと1年が過ぎたという感慨は、余人には計り知れなかったことだろう。自ら演じた排撃署名事件に対して何らの責任も取ることなく、真相を自分の口から明らかにすることなく、彼は、鎌ヶ谷南部小の校長として転出して行くことになった。
 尚、熊倉は、新年度から教員に正式採用されることになった(甲第1号証)。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
津村留美時代
教員9年目
  S62年4月1日から63年3月31日まで
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<150> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいにその延命の道を求ている。児童や私は、動物とのふれあいや共生の大切さを、先駆的に指し示した。一方、またもや千葉大出の新校長がやって来た。
千葉大学出の新校長・津村の登場
 
 私は二年間、「担任外し処分」を撤回するよう要求し続けた。人事委員会にも「担任外し処分」を撤回するよう要措置要求をしてきた。
 私は、二年ぶりにクラス担任に戻った。
 私の担当学年は1年で、クラスは4組である。
 新しく来た校長は津村留美と名乗った。話し声のキーの高い、頭をポマード系の整髪料で固めてオールバックにした小柄な男だ。
「感情的になってすごく怒る」
と、1年の主任の山田が言った。どうも、その噂で、主任たちは動揺しているようだ。
 一方、清水についての情報が南部小から伝わって来た。
「ねえ、清水さん、南部小では大変明るくなり、良く喋っているんですってよ」
「えっ、本当。信じられないわねぇ」
 学年の教員たちは信じられないとばかりに、お互いに顔を見合わせて笑った(甲第1号証)。
 
 この津村は、排撃署名をおこなった清水同様、私を分限免職するためのメモや上申書を影でこっそりと作成したりするが、その頃は、私は津村の陰湿では性格と、罠をすら仕掛けるという所行については全く知らない。
 清水、津村、それに加え、山中は私が県教委による秘密会議での分限免職処分であるにもかかわらず、各新聞社に中村を分限免職処分にしたと勝手な捏造した理由などをB5版の用紙に記載し流布した山中ら、それにしても陰険で姑息な卑怯な者たちだ。しかし、この段階では、私は津村がそのような者だとは知らない。まして、山中など会ったこともない。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<151> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいや作業学習などにその延命の道を求ている。児童や私は、それらを先んじて示していった。
1年担任になる。創作劇、おやつ作り・・・
 
 私は、1年の新しい仲間たちとまなびを始めた。
 私は常日頃、「児童」が学校に来た以上、楽しかったという時間を少しでも多く感じて貰うべきだと想っている。彼らが家に帰って、今日は面白くなかった、と父母に話すようでは、教員は失格だと想っている。楽しかったと感じて貰うためには、教員はあれやこれやの演じ手にもなる。ときには歌い、ときには踊る。紙芝居もする。腹話術もすれば人形劇もする。教員はエンターティナーであるべきだ、とは私の持論である。そんな中、1年の仲間たちは、私の一人芝居を真似て、気のあった同士で勝手に芝居をするようになった。しかも私の劇が創作劇なものだから、
「なかちゃん、ぼくたちもやっていい?」
と、彼らも勝手にストーリーを作り劇を演じるようになった。
 創作劇だから親たちもストーリーが解らない。噂を聞いて、親たちは、
「中村先生、私たちも観たいんですけど」
と、言い出した。そこで親たちが参加して観劇の会が持たれることになった。
「ねえ、なかちゃん、こんど げきみるとき、おやつもって来ていい?」
「好きにしたら」
 彼らは色とりどりの着色料で染められた食べ物を持って来た。
「なかちゃん あげるよ」
 彼らは、お裾分けをしてくれる。
「あれ、なかちゃん たべないの?」
「ほんとだ たべてない」
「くえ!」
 彼らは、私に無理矢理食べさせようとした。
「ぼく、長生きしたいもん」
 私はちょっと悪戯っぽく言って見せた。
「えっ、なんでだよう?」
「そうだ なかちゃん こたえろ!」
「わけて あげたんだよ」
 彼らは様々な口調でクレームを付けている。頃合をみて、私は答えた。
「だってその色、後で付けた色だもん。体に悪いかもね」
 私が言うと、彼らは、
「じゃ どうして おみせで うってるら? こたえてみろ!」
と、かなり不満そうだ。
「知らない。みんな食べれば」
 私は、挑撥する。すると、
「どうすりゃいいの?」
と、思案投げ首の風体である。
「ぼくだけ、色の着いてない物持って来よーっと」
 私は、さらに挑発する。すると、
「おら やきいもなら 出来るぞ!」
と、男の仲間の一人が言い出した。そして次の日、女の仲間の一人が口を開いた。
「ポップコーンなら わたしたちにもすぐ出来って お母さん言ってたよ」
 それを聞いて、仲間たちが、
「じゃ、作ろう!」
と、口々に言い出した。
 彼らは、ポップコーンに始まり、ポテトチップ、フライドポテト・やきいもなど、観劇のときのおやつ作りも自分たちで始めた。1年生でも結構出来るものだなあ。私は驚いた。彼らは自分の作ったおやつを食べながら、自分たちで作った創作劇を観賞する。親たちも毎回お裾分けにあずかっている。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<152> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいや作業学習などにその延命の道を求ている。犬問題のときの児童や私は、それらを先んじて示していったが、それらを弾圧するために毒を混ぜていた。
『白』は毒殺されていた
 
 1年生とわいわいやっているある日、津村の命で教頭の矢動丸が、
「先生、柵を作るので校庭の端の『白』の墓を取り除いて欲しいんだけど」
と、言って来た。『白』が死んでから2年半が過ぎていたが、今尚、『白』の墓には東部小の児童やかつての若い仲間たちによって花が手向けられている(甲第130号証)。
 私は仕方なく墓を移すことにした。
 ところが、私は『白』の骨を拾ってビックリした。骨が赤いのだ。
 『白』は青酸性の毒物をもられていたに違いない! (甲第1号証)。
 『白』の死亡当時、津村や矢動丸は東部小にいたわけではないので、墓をつついてやぶ蛇ならぬ赤い骨を出したのだ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<153> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいや作業学習などにその延命の道を求ている。犬問題の児童や私は、それらを先んじて示していったが、その象徴の墓すら潰そうと騙しを使った。このやり方が、津村のやり方だった。
津村や矢動丸の騙しの原点がここにある
   『白』の墓を潰すためだけの「出入口」
 
 出来たのは、柵ではなかった。作られたのは、入口だった。3坪ほどのとがった三角形の『白』の墓と花畑があった場所に入口を作ったのだ。だが、この入口は全く無用の長物だ。何故なら、この入り口から中に入っても、以前から金網の柵で囲われた『白』の3坪ほどの花畑だった場所があるだけで、出口がない。入口は同時に出口だった。『白』の墓と花畑を潰すためだけに作ったことが見え見えの、「出入口」が作られたのだった。公費の全くの無駄使いである(出入口の写真/甲第132号証)。
 
 今から思えば、この例に津村や矢動丸の典型的なやり方があった。彼らのやり方は、このように騙しのテクニックを弄して私を潰すことを恥とも感じることもないものだった。このような者たちが集まり、私への分限攻撃を仕掛けてきたのである。このことを見てとれれば、今回の分限が津村校長や矢動丸教頭の嘘偽りで固められてきたことが、良く理解できる。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<154> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいや作業学習などにその延命の道を求めている。犬問題の児童や私は、それらを先んじて示していったが、その行為を抹殺してきた。
こ犬がやって来て、そして消えた 犯人は?
 
 年を越え一月の半ばになっている。凛と澄み切ったある日、クラスの仲間たちは、2年生のこどもにいじめられていたこ犬をかばい教室に連れて来た。
「恐かったけど、頑張ったんだ」
「助けてあげたい」
と、クラスの仲間たちは言った。話を聞くと、それもそのはず、こ犬をいじめていた2年生は、6年生にも噛みついて泣かせたこともある評判の暴れん坊君だ。
「クラスでせわしていいでしょ」
「かいたい!」
 仲間たちは、私に訴えている。『黒』のときの問題もあったので、私は躊躇した。
「こわかったんだ。でも たすけたんだ」
 彼らは、新しい仲間の参入で大いに盛り上がっている。彼らは、こ犬を『ぽち』と名付けた。その夜、『ぽち』は仲間の家にホームステイすることになった。
 次の日になった。私が教室に行くと『ぽち』は既に来ていた。私は少し考えた。しかし、仲間たちの『ぽち』と一緒に居たいという気持ちも良く分かる。
 私は津村の所に行き、話してみることにした。津村は、彼が作った草花用の温室の中に居た。
「校庭に犬小屋を作ることを許可して欲しいんですが、いいですか?」
 すると、彼はなんと、
「わかったよ、先生」
と返答した。私は我が耳を疑った。松岡のときと全く違っている。校長によって随分違うもんだ。
 津村が認めたその日、『ぽち』は前日と同じように仲間の1人が自宅に連れて帰ることになった。その帰り道でのことだった。
「その犬はどこの犬?」
 水色がかったグレイの作業服を着た男が声を掛けて来た。
「クラスの犬です」
 仲間は答えた。それを聞いて、その男は、
「じゃ、おじさんの犬だ」
と、仲間から『ぽち』を取り上げ連れ去った。
 クラスの犬と解って、「じゃ、おじさんの犬だ」というのはおかしい。誰かが連絡しあい、相談して待ち伏せていたに違いなかった。(甲第1号証)
 ちなみに飼い主のない捕らえては大量に殺している「動物愛護センター」の職員の服は水色がかったグレイである。
 この春、鎌ヶ谷小学校から転校してきた教職など、教員たちの間からは、こ犬を連れ去ったのは津村らしいとの声が聞こえてきた。
 しかし、私は、まさか「わかったよ、先生」と快諾した津村がそんなことをやるとは思えず、一笑にふした。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<155> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいや作業学習などにその延命の道を求めている。犬問題の児童や私は、それらを先んじて示していった。
またもや子犬がやって来た
 
 一度あったことは、二度あってもおかしくない。
 『ぽち』が消えて一ヵ月ぐらい経った。一人の仲間の家の前に白色のこ犬が捨てられた。可愛いから、とその家の人々は、こ犬を飼い出した。しかし、こ犬は泣き騒ぐ。その家はこ犬を持て余した。
 拾ってから2日後、こ犬の面倒を見れなくなった親は、その家の小学1年生を、
「クラスで飼ってもらいなさい」
と、たきつけた。その1年生と彼の友人は、放課後私の所にやって来、
「ねえ、なかちゃん こ犬をクラスでかっていい?」
と、言い出した。私は、少し考え、
「クラスのみんなに聞いたら」
と、答えた。
 私の返事を聞いた2人は、自分たちのアイデアで各児童の机の左端に「いえす」「のー」の文字を書いた紙を張り付け出した。こ犬を飼って良いかどうか訊ね、その紙に丸を付けて貰うのだと言う。
 翌日になった。私が教室に行くと、既に2人は「いえす」「のー」の紙を回収していた。
「みんな いいって言ってるよ」
「だから いいでしょ?」
 仲間たちは、『ぽち』のときと同じように世話したいとはしゃいでいる。こうなると、彼らの気持ちはもう止まらない。彼らは、こ犬に白いから『しろ』と名付けた(『白』の写真/1988年2月17日/甲第133号証)。
 またもや私は津村の所に行った。だが、今回は違っている。少々、いや十分に自信がある。私は、津村に向かって口を開いた。
「『ぽち』のときも、飼っていいという話だったんで、小屋を作って飼っていいですかね?」
 私は、『ぽち』を認めてくれた前例を持ち出した。
「うん、いいよ」
 津村は答えた。
「後ですね。小屋の設計図を作ったので、とんちか、とんちか、と作ろうと思うんですけど」
「自分で作りたいと言うのね」
「いや、クラスの仲間たちが釘を一本ずつ打って」
「そりゃ、構わない」
 その上、彼は学校の木材を使うことも認めた。2月17日の事だった。それにしても、校長によって随分違うもんだ。
 
 さっそく仲間たちは自分たちの手で、仲間たちも入れる大きな小屋作りを始めることにした(使用済み割り箸などを使って小屋の設計に取り掛かるクラスの仲間の写真/1988年2月17日/甲第134号証)。すると、
「5年生のとき、クラスに犬がいたでしょう。お母さん言ってたよ」
「おねえちゃんも言ってたよ」
「さいしょから、犬の先生だって しってたんだ」
「こ犬がいるって、なんかいいね」
と、仲間たちは口々に言い出した。こいつら、確信犯だ。私は呟いた。(甲第1号証)しかし、教育長や校長らのように人を陥れるのではなく、小さな生き物を助けようとしている。こんな優しい確信犯なら大歓迎だ。
 小屋作りはクラスの仲間と私で取り組んだ。
 小屋作りの掃除は児童がする(犬小屋作りで出たゴミの掃除をする児童の写真/1988年2月/甲第135号証)。
 
 釘を一人ひとりがうった(犬小屋の釘をうつ児童の写真/1988年2月/甲第136★号証)。
 他の学年の児童もやって来ては、手伝ってくれた(犬小屋の釘をうつ児童の写真/1988年2月/甲第137号証)。みんな仲良しなのだ。
 こういうのを総合学習という。しかし、教委や校長にはそんなこと解りもしないのだ。そして、弾圧する。
 小屋が完成して『しろ』とクラスの仲間(児童)達とクラスのPTAの役員さんと私で写真を撮る(『しろ』とクラスの仲間達とクラスのPTAの役員さんと私と小屋の写真/S63年3月/甲第153号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<156> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいや作業学習などにその延命の道を求ている。犬問題の児童や私は、それらを先んじて示していった。一方、校長はソフトムードを演じていた。
なんと ソフトムードを演じる校長
 
 津村は、大古から清水に至るそれまでの校長とは、少し違っている。彼は、表だって、ほとんど私に攻撃を仕掛けて来ることはない。気色ばんむこともない。校長命令も発しない。彼は草花を育てるのが好きで、花壇を花で一杯にするために、園芸作業に余念がなさそうだ。彼は、言わばソフトムードを前面に出している。実はその影でとんでもない罠やあざむきをしていた人間だったのだが。
 しかし、表面においては、津村の態度は評価方法に関しても同じだ。
 東部小は度重なる私の要求などもあり、今までの評価方法ではやっていけなくなっていた。そこで、昨年から評価方法が変わって来ている。通知票の検討委員会を設け、改善を少しずつはかっている。その結果、「1」と「5」がクラス人数の七パーセント、「2」と「4」が24パーセント、「3」が38パーセントという数字で輪切りにする相対評価から到達度評価にかわっている。到達度評価というのは、教員が達成して欲しい学習の目標を決め、どれだけ達成出来たかで評価する方法である。
 しかし、到達度評価も教員が勝手に合格のハードルを設けることには変わりない。本来評価は学ぶ側の児童のために存在しているものであり、彼らの内側を反映し彼らの励ましになるものでなくてはならない。彼らのまなびの意欲に繋がるものでなくてはならない。その点からいえば到達度評価も教師サイドの押しつけであり、一人ひとりの内からのまなびに対する気持ちを大切にした評価の仕方とはいえない。
 そこで、私は個人の努力を加味する個人内絶対評価の観点を加え評価していた。個人内絶対評価とは、他者と比べた観点で評価せず個人のまなびに対する気持ちを充分加味して行くと言う評価である。その評価に対しても、津村は何もクレームを付けない。
 そんな津村だが、私も、おやっ、と思ったことがある。なんだかんだといいながら、狩野たち主任連中を傅かせている。
 ある日、
「凄い剣幕で怒るのよ!」
と、主任連中が恐がっていたが、私には意外な感じがした。私は、分限免職処分になるまで彼のソフトムードに惑わされ、彼を信じていた(甲第1号証)。
 
 夏目漱石はかつて『ぼっちゃん』という作品を書いた。しかし、あの時代と比べると、教育界は明らかに違っている。管理職をはじめその管理職に追随する教員たちは、坊ちゃんの時代の多少の人間くささを留めた小悪人ではなく、煮ても焼いても食えない陰険な者たちの集うところになってしまった。私には、時代と共に教員は悪くなっているのではないかとすら思える。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<157> ・・・・千葉県内の教育委員会は右翼とも談合するような組織。こんな組織の集合体だから私を敵視したりもする。
千葉県内の教育委員会とは、右翼とも談合するような素性
 
 私は、わんちゃん事件や排撃署名でクビを免れたこともあり、自分の学校内だけではなく世の中の役に立ちたいと考えて、管理主義教育に反対し共まなびをめざすネットワークを作って来た(こんな学校でえんじゃろか!?フェスティバル/甲第141号証の1)(こんな学校でえんじゃろか!?フェスティバル/甲第141号証の2)。
 その行動の過程で、私は新学習指導要領で日の丸・君が代の強制が行われると言う情報を得た。そこで、昨年12月20日、日の丸・君が代に反対するネットワークを結成していた。そして、文部省包囲デモや集会などを展開して行った(甲第142号証)。新聞や雑誌もネットワーク結成時から私たちネットワークに関心を示し、折々、その動きを報じていた(甲第143号証)(甲第144号証)(甲第145号証)。
 もっとも、市民運動を巡っては、いろんな人が居て、いろんな事がある。従っていろんな事に驚かさせられるが、その中でも本田さんの例はその中でも奇異なことだった。
 2月29日には、私たちは、東京の早稲田で日の丸・君が代反対のネットワークの集会が行われた(『朝日新聞』 卒業式の「日の丸」「君が代」 反対の動き各地で活発に/甲第146号証)(集会写真/1988年2月29日/甲第147号証)。
 その2月29日の集会に参加した本田さんは、右翼を語り、右翼団体幹部が市川市教育長と日の丸・君が代を巡って教育長室で談合していることの証拠をさぐり出して新聞に暴露した(『読賣新聞』 「日の丸」で市教委と面談中 右翼が連れだし“説得”/1988年3月1日/甲第148号証)(『朝日新聞』 市教育長が庁舎内で右翼団体幹部と会う 市川市議会で問題、陳謝/1988年3月3日/甲第149号証)。右翼団体幹部は新聞を見て、本田さんが右翼を名乗って自分たちに近付いたこと、自分たちが騙されたことに気付いた。彼らは、
「殺してやる!」
と、本田さんの行方を追った。そんな本田さんは、千葉から逃げる時、私に電話をして来た。
「これから逃げる。右翼から情報を得るために、日の丸・君が代の強制に反対している首謀者は中村さんだ、と言ってしまった。中村さんも気を付けて欲しい!」
と、電話の向こうで彼はせわしなく話している。
 私は、本田さんが右翼を名乗ったのも、日の丸・君が代強制に反対している首謀者が私だと言ったのも、電話で初めて知らされた。まさに寝耳に水とはこのことである。
 後日、彼を追った新聞記者が、彼は関西に潜伏したらしいと、教えてくれた。
 
 本田さんまではいかないにしても市民運動をしていればいろいろなことがある。私たち日の丸・君が代の強制に反対する者たちは、一つひとつの難関を乗り越え、3月4日、参議院会館で日の丸・君が代の強制に反対して院内集会を成功させた(『朝日ジャーナル』/1988年3月11日/甲第150号証)(甲第1号証)。
 しかし、本田さんの事件をめぐって言えることは、千葉県の教育事情下では、教育長と右翼・暴力団が日の丸・君が代を巡って教育長室で談合し日の丸・君が代をごり押ししているという驚愕の事態が横行しているということである。一方、そのような教育委員会にとって、日の丸・君が代の強制反対のリーダーである私がいっそう不快な存在に映ったらしい。
 もっとも、教育長や日の丸・君が代の推進者は、教育長室などで右翼と談合するのではなく、堂々と出てきて私たちと話し合えばいいのだが。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<158> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいや作業学習などにその延命の道を求ている。犬問題の児童や私は、それらを先んじて示していった。一方、そのことに対する弾圧は続いていった。
またもやこ犬が盗まれる 卒業式直前!!
 
 3月4日、日の丸・君が代の強制に反対して参議院会館ないで、院内集会を開催した。
 私はこの件で、何らかの不当な圧力が文部省からかけられるのではないか、と考えていた。ところが、津村からは私に何らの指示はなかった。
 3月16日、卒業式が3日後に迫った日である。朝、出勤し、クラスに行くと『しろ』がいないと仲間たちが顔色を変えている。学校公認の『しろ』なのに、『ぽち』同様に連れ去られたのだろうか? 放課後、動物愛護センターに行き捜索願をだした(全員回覧/63年3月16日/甲151号証)。また、鎌ヶ谷警察にも、盗難届を出した(鎌ヶ谷警察でのクラスの仲間の写真・S63年3月16日/甲第152号証)。警察は東部小に来て、現場検証まで行った。
 3月17日、私は、津村が認めた犬である以上捜索にも協力して欲しいと要請し、目の前で津村に動物愛護センターの所長に電話を掛けさせた(全員回覧/63年3月16日/甲151号証)。
 ところがこの『しろ』と仲間たちの縁は極めて深かった。否、寧ろ、警察にまで盗難届が出され、動物愛護センターまで手をうったれた事もあったのか、『しろ』を誘拐した者は処分に困ったらしく、その結果、誘拐された2日後の3月18日、『しろ』は、理科専科だったときの児童の母親が、二和という駅附近で放たれていたのを偶然に発見してくれた。
 どうも、卒業式に『しろ』がいては邪魔なので、誘拐し処分しようとしたらしかった。
 それにしても、卒業式に『しろ』がいて困る人物はとなると、津村や矢動丸などだが、私は、分限免職処分になり、彼らが捏造した文書を出してくるまで彼らを信じていた。(甲第1号証)というのも、彼らは犬の問題など、教員集団の中で最も私の良き理解者であるかのように振る舞っていたからだった。彼らが邪悪な意図での事実の捏造をしているメモをなどを作成しているとは、私は全く考えていなかった。
 いやはや私はお目出度い。しかし、そもそも、教員という者は疑うことを知らない人間がなる職業である。どんなことがあっても児童生徒を信じて待つ、それがうまく行かなくても待つ。教師の嵯峨だ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<159> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいや作業学習などにその延命の道を求ている。犬問題の児童や私は、それらを先んじて示していった。しかし、そのことに対する弾圧と私への攻撃は密かに進行していっていた。
また、また、こ犬が盗まれる 執拗な攻撃
 
 だが、『しろ』に対する攻撃はそれで終わらなかった。運良く見つけられた喜びもつかの間だった。終業式が終わった日の夜、春休みになるその夜、3月24日夜から翌朝にかけて、『しろ』は、プールに立ち入らせない為に回りを囲んだ金網の囲いの中から、またもや連れ去られた。
 勿論、囲いの中に入る唯一の入口には鍵が掛けられていた。その上『しろ』に付けられた鎖を首輪から外され連れ去られていた。その上、プールの入口には鍵が掛かったままだった。
 春休みになるのを待ったのは、直ぐさま学級会が開かれ、その決議で、警察や動物愛護センターに手をうったれることを警戒してだったのか。
 尚、プールの入口の鍵は職員室の鍵掛けに保管していた。夜は機械警備なので不審者は1人も職員室には入れない。犯人は教職員の中にいる。
 またもや、年休を使って、2日置に動物愛護センター通いを開始する。
 私の周囲には、津村や矢動丸を疑う意見もあったが、だが、私は、分限免職処分になり、彼らが事実の捏造をしていたと解るまで、全く津村や矢動丸を疑っていなかった。
 
 
 
 
 
 
 
(津村留美時代2年目)
教員10年目
  S63年4月1日からH1年3月31日まで
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<160> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員達の犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、統合学習に、いのちとのふれあいや作業学習などにその延命の道を求ている。犬問題の児童や私は、それらを先んじて示していった。一方、そのことに対する弾圧は続いていった。
どうして『しろ』が関宿に! 渡さない行政のおかしな対応
 
 私は、津村に学校給食の放射能検査をするよう申し入れた。というのも、学校給食の食材は輸入食材や千葉県産の食材が多い。チェルノブイリ原発での死の灰は、日本では一番千葉にふったという声もあった。また食材調達範囲の拡大により放射能汚染地域からの食材調達が問題であるとの声もあがっていた。たとえある食材が輸入段階で放射能の基準をパスしても、その食物を2倍の量で摂取すれば、その分被爆することになる。要は現場でのチェックが必要となる。東京都の大田区では学校給食の放射能チェックをしだしたとのことだった。
 私は持ち上がり、2年生担任になった。仲間たちは、『しろ』のいない寂しさも手伝ってか、学校の敷地の隅を掘り起こして畑を作り、とうもろこし、西瓜、メロン、茄子、胡瓜、トマトを作り始めた。創作劇にも拍車が掛かっている。劇好きの仲間たちの中には、4百字原稿用紙に20枚ものシナリオを書く者まで現れている。
 そうこうしているうちに、5月11日、例の犬猫を殺すための行政のセンター、即ち『動物愛護センター』で、ついに、私は『しろ』を発見した。『しろ』は十数匹の犬と一緒に檻の中に入れられていた。入り口に掛けられた札を見ると、2日前に捕獲されていることになっている。
 しかし、水色がかったグレイの作業服を着た50歳がらみのセンターの所長は、私がいくら『しろ』だと主張しても、
「この犬は関宿で発見されたものだから、東部小の犬ではない」
と言い張り、渡そうとしない。彼の言うように確かに鎌ヶ谷から関宿までは相当離れているが、『しろ』であることに間違いはない。引き取り手のない犬は捕獲から4日目に殺害されるが、一方、引き取り手のない犬を貰いたいという希望者がいたらセンターは払い下げている。しかし、今は事情が違う。『しろ』に限っては、なんと渡そうとしないのである。私はその日はひとまず引き揚げることにした。
 翌朝、即ち5月11日水曜日の朝、私はクラスの仲間たちに『しろ』を発見したことを伝えた。仲間たちは歓喜している。『しろ』を引き取りに行こうと言っている。しかし、私の車の定員は5名である。彼らは学級会で代表者4名を送ることを決議し、そのメンバーをあみだくじで選んだ。
 センターに着いた仲間たちに、やはり、所長は、昨日同様『しろ』ではないと繰り返す。押し問答が続く中、私の脳裏にある案が浮かんだ。そうだ、あの方法がある。私は、「『しろ』であるかないか確認したいので、犬を檻から出して見せて欲しい」
と、所長に頼んだ。『しろ』ではないと言い張っている所長も、さすがに確認したいという要求をはねつけることは出来ない。
 犬が仲間たちの前に引き出されて来た。その瞬間、犬は仲間たちの足下で仰向けになって甘え出した。もはや誰の目にも『しろ』であることは明白だ。こうなれば、所長も『しろ』であると認めざるをえい。
 学校に『しろ』と帰った。教室に入ると、『しろ』の到着を待っていた仲間たちから歓声があがった(甲第1号証)。
 児童達は、『しろ』を返してくれたので、動物愛護センターの職員達に感謝状を書いた。そして、後日、動物愛護センターの所長に感謝状を手渡した(感謝状を手渡すところの写真/S63年5月14日/甲第154号証)。
 その日は、日の丸・君が代問題で全国会議員に対するレクチャーを行いアンケートを配布する日でもあった。私は、『しろ』を教室に連れて変えるや、年休を取って衆議院第一会館へ向かった。
 私たちは衆議院第一会館第四会議室本部を置き、日の丸・君が代の強制に反対して集まった人々を15チームに分けた。そして、その15チームで分担して全国会議員を訪ね、議員の説得工作に当たった(説得工作に向かうあるチーム/1988年5月11日/甲第155号証)。
 同時に、新学習指導要領での日の丸・君が代の強制に反対する要請書を手渡した(新学習指導要領での日の丸・君が代の強制に反対する要請書/1988年5月11日/甲第156号証)。
 また、アンケートへの協力もお願いした。(日の丸・君が代にかんするアンケート/1988年5月11日/甲第157号証)
 私はこのアクションの統括責任者として本部に陣取って各チームの相談等の任をこなした(衆議院第一議員会館 通行証/昭和63年5月11日/甲158号証)。
 
 さて、矢動丸の作文した乙第31号証では、「5,16(月) 業間時に、動物愛護センターに『犬をつれに行く』といったので、午後子どもが帰ってから行くように指導したがいうことをきかずで出かけてしまう」とあるが、そのような事実はない。「彼らが邪悪な意図での報告書や事実の捏造をしているメモ」を作成したという根拠の一つであり、犬を引き取ってきたのは16日ではなく11日である。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<161> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が開始された。
突如、郊外学習(遠足)に介入する津村と矢動丸
 
 私のクラスの仲間たちは、漢字発見のフィールドワーク、生き物との出会いのための校外学習、レクレーションなど、日常的に校外学習に出掛けている。そんな中、5月26日、校外学習、即ち遠足が行われることになった。私たち教員は話し合い、遠足の行き先の候補地を『御滝公園』にした。
 私は、御滝公園に昨年度遠足に行っているが、すり鉢状の形で池があり、しかも樹木や障害物や池の構造からして池そのものを見渡せない。遠足場所として極めて不適切な場所といえる。一年生の時は我がクラスの相馬さんも池に落ちており、そのときは目の前だ落ちため直ぐ助けられたが、レクレ−ションをしている最中に、例えば宝探しなどをしている最中に落ちたりしたなどしたら大変な問題、死命にかかわる問題になることさえあることを告げた。しかし、他のクラスは御滝公園にするとのことだった。
 さて、私は教員たちと話し合った翌日、クラスの仲間たちに行き先を伝えた。ところが彼らは、
「きょねんと同じ『おたき公えん』じゃ、いやだ!」
と、ふくれだした。確かに御滝公園は去年の遠足で行っていた。
「だってわたしたち、もう2年生だよ。1年生じゃないんだよ」
と、反対している。そこで、彼らは学級会を開いて自分たちで行き先を決めると言い出した。
「かいがらやま公園がいい」
が、28名。
「コーポラス公えんがいい」
が、4名。
「マルエツの後ろの公えんがいい」
が、3名となった。彼らはそれぞれの公園を手分けして調査することにした。
 前回の話し合いから数日が経った。仲間たちは再び話し合った。まず、コーポラス公園は学校の隣なので何時でも気軽に行けるからという理由で、4名の希望者は貝殻山公園支持に回った。また、
「マルエツの後ろの公えんは、団地の人でない人が入っちゃだめだって」
と、調べた仲間たちが報告した。確かにその公園は東武団地の管理事務所が管理し、部外者の入園を禁じていた。結果、彼らは『貝殻山公園』を遠足先に決めた。彼らは『しろ』の世話やまなびを通して、様々な好奇心に対する実行力をたくわえていた。
 4組以外の3クラスは、行き場所での反対は出なかったらしい。否、そもそも反対の出る素地、即ちクラス自治の素地がなかったのかも知れない。何はともあれ、私たち二年の学級担任たちは、1組から3組までは御滝公園、4組は貝殻山公園と決めた。そして、1組から3組の担任たちは、4組を除いた御滝公園行きの校外学習届けを作成し、5月20日金曜日の朝の打ち合わせ終了時に3組の教員が代表して管理職に提出した。私も我がクラスの郊外学習届けを出すべく下書きをした。
 ところが、その直後、教頭の矢動丸が私の席にやって来た。彼は、
「4組も他の3クラスと同じ御滝公園へ行って」
と、言い出した。修学旅行でも校外学習でもそうだが、可能ならばそれぞれのグループやクラスが決めた所に別々に行く方が、児童生徒の自発性を育て、よりベターだと言われている。
 私は小学校の教員たちほど無原則な人間を知らない。4組の貝殻山公園を了承していた他のクラスの教員たちも、管理職が、1組から4組まで御滝公園に、と言い出すと、
「先生のクラスも御滝公園に」
と、矢動丸の主張に追随し出した。私は、無批判的に管理職に追随する1組から3組までの担任たちの教育理念のなさ無節操さに呆気にとられた。
 だが、それよりも私を弾圧するためにする攻撃であったと見抜くべきであった。国会議員全体に対する要請行動とかアンケート行動の責任者が私だと知ったら彼らから何らかの攻撃を掛けてこない方が不思議だ。しかし、その時点では私は彼らが私を陥れるための行動を取るかも知れないということにもっと注意深くなるべきではあった。しかし、多分に騙されるよりは騙される人間になりたいとしていた浅見な私の思想性ではその辺が見ぬけるべくもなかった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<162> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、そのことをとらえて中村潰しの弾圧を強化してきた。
突如、郊外学習(遠足)に介入してきた津村と矢動丸
 
 私は、クラスに帰って、仲間たちに相談することにした。クラスに帰り、彼らに伝えた。しかし、それでも彼らは貝殻山公園を主張している。譲りそうもない。
 私は、彼らが御滝公園に行く意志のないことを、再度、津村に伝えた。
「彼らは、貝殻山公園にと主張しています。どうして、貝殻山公園ではまずいんですか。学習とか、遠足の行き先とか、発表会の出し物とか、その他総て、クラスで出来ることはクラスでするのが原則でしょ」
 すると、彼は、
「30人以上の児童の校外学習は付き添いがいるよ、先生。でも、貝殻山公園だとすると付き添いが出せないよ」
と、勝ち誇った気持ちを押し殺すような感じで言い出した。
「おかしいでしょ。我がクラスは度々校外学習に行っているけど、行き先を告げに行ったとき、付き添いがいるとか、付き添いを出すとか言ったことは、一度もないじゃないですか。津村先生は、一度だって我がクラスの校外学習に付いて来たことがありますか? それに校長教頭のどちらかが付き添うのも嫌で、他に誰かを付き添い出すのも嫌だなんておかしいですよ。いいです。だったら当日は、3、4年生も貝殻山公園に行くわけだから、一緒に行きます」
 津村の顔からは先ほどと打って変わって、ゆとりの表情は消えている。実は、私にとって、付き添いを付けて貰えるのは有り難いことだった。いや、是非そうして欲しかった。当時私は、低学年を持って前屈みの姿勢をとることが多くなったための物理的原因によるのか、わんちゃん事件や排撃署名を初めとした私を弾圧する者たちとのやり取りに疲れたための精神的原因によるのか、あるいは両者が渾然一体となっているのか、ともかく腰痛に悩んでいた。
「是非、付き添いをお願いします」
 私はそう繰り返した。
 また私は、
「御滝公園は危険です。遠足場所には適していません。池の回りがすり鉢状で、見晴らしも悪く、池に落ちても落ちたこと自体が解らない。危険です。昨年も我がクラスでも児童が池に落ちていますから。低学年向きの遠足場所ではありません。御滝公園遠足は禁止すべきだと考えます」
と告げた。
 死命にかかわる問題になることさえある、と告げられた、津村の顔色は益々さえなくなった。津村は何も言えなくなった。
 私は、御滝公園への郊外学習を他クラスへも中止するよう話して欲しいと要求した。津村は黙って聞いていた。私は津村が諒解した者と考え、校長室を出た。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<163> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が開始された。事態は、学校給食が止められるという事態にまで進んでいった。
給食を止めてしまった津村と矢動丸
 
 ついに5月26日の前日がやって来た。私は、矢動丸に、
「貝殻山公園への遠足が無理なら、給食を止めないでください。仲間たちは御滝公園には行かないと言ったいるので」
と、告げた。
 しかし、矢動丸は、
「止めます」
と、冷たく言い張った。
 給食は止める。では、我がクラスの児童の決めたように貝殻山公園に行こうとすると付添は出さないとごねる。教育の権利者で主人公の子どもたちの気持ちを無視して、何が何でも管理職のいうようにさせるというのは、全く教育的ではない。
 彼らのやったことが露見した今になれば、彼らのやったことは、児童の気持ちを私が大切にすることを知って、八方塞がりの状況を作り出して、あえてトラブルを生産し、それでもって日の丸・君が代運動での牽引役である私を弾圧しようということだった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<164> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、そのことに支える親を津村は脅した。
親を脅した津村
 
 昼休み時に、クラスのPTA役員をしている母親2人が私の所にやって来た。そして、
「私たちで良かったら、付き添いをします。これから校長先生の所に行って、伝えて来ます」
と、申し出てくれた。私にとって、彼女たちの気持ちは有り難かった。私は、
「すみません」
と言うと、頭を下げた。
 彼女たちは校長室へ向かった。彼女たちは津村に、
「私たちが付き添いで行きますから、貝殻山公園に行かせてやって下さい」
と、訴えた。すると津村は、
「事故が起きたら学校では責任は持たない。お母さん方で取って貰うことになりますよ」と彼女たちを脅した。親たちは責任と言われ狼狽えた。
 そして、津村は、
「4組の決めた貝殻山公園には、別の日に行って、明日は御滝公園に」
と言い出した。
 彼女たちの1人が、再び私の所へ戻って来た。
「私も事故があると、責任は取れないし。今は私は勤めていないから、事故の場合、掛かったお金の支払をする能力もないから」
と、彼女は悔しそうである。
 そんな親たちを津村は脅したのである。しかも、その理由が校長としては全く犯罪そのものの理由であった。何と学校教育での事故を親に取らせるというのである。日本の教育史上前代未聞の犯罪である。
 彼女は、悔しさを顔面ににじませ、
「校長先生は、明日は御滝公園に行って、貝殻山公園には別の日に行っていい、って言ってるのよ。付き添えない以上、子どもたちがそれでいいというのだったら」
と、付け加えた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<165> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、そのことを津村は切り崩そうとしてきた。しかし、児童の決定は、何よりも尊敬されなければならない。それが、学校だ。
学校では、児童の討論して決められた意見は尊重されねばならない
 
 クラスの仲間たちは、津村の新たな提案を受け、またもやクラス会で話し合うことになった。彼らは、
「『おたき公えん』は、おもしろくない」
「あそぶところがない」
「『おたき公えん』に、行くのはいやだ」
 自分たちの気持ちを次々と発表する。
「明日は、おたき公えんに行かないで、学校であそぼう」
 1人の仲間の提案を聞いて、他の仲間たちは、
「4組だけしかいないから、学校で思いきりあそべる」
と、はしゃぎ出した。
 
 考えて見れば、御滝公園に行き、その上貝殻山公園に別の日に行くとなると、御滝公園に行くという1日は全く無駄な1日となる。そんな時間の余裕はない。勿論、我がクラスの児童達にすれば自分で計画を立てられるようになったのに、計画の立てられない暗黒の昨日に強権的に戻されるということになる。津村の頭脳を完全に乗り越え自分たちで計画を立てたのに、全く無駄な御滝公園に行くということを強いられるほど非生産的で反教育的なことはない。
 一方、児童の言う通り、26日は1日中学校に残り、その上貝殻山公園には別の日に行くとなんてると、教科学習関係の時間を1日余分に潰すことになる。私としては、少しは教科学習の関係の時間を持ちたい、と考えた。私は、遊ぶのはいいが2時間だけ教科学習の時間を作って欲しい、と提案してみた。
「うん、いいよ」
と、仲間たちは私の提案に快く同意してくれた。私はその話し合いの結果を津村に伝えた。彼は何もそのことに対して拒否をしなかった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<166> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、津村が勝手に『家庭電話連絡網』を回すという違法行為を行い遠足の用意をするよう騙した。
勝手に『家庭医連絡網』を回し、
   教育への不当介入を行う津村と矢動丸
 
 しかし、彼は私が退勤した後、内緒で『家庭電話連絡網』を回し、
「明日の朝、中村先生と話しをするから遠足の用意をして来てください」
と、仲間たちの親に指示した。
 東京都の羽村では玉置教諭が、校長が勝手に親たちを集めて保護者会をやったので、玉置教諭が校長を訴えた。
 そして、東部小では、私が退勤した後、内緒で『家庭電話連絡網』を回し違法行為をした。彼は学習内容に介入する権限を持っていない。授業を潰したのである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<167> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、津村が勝手に『家庭電話連絡網』を回すという違法行為を行い遠足の用意をするよう騙し、その上、授業を潰すという教育潰しを行った。
授業を妨害する校長
 
 26日になった。仲間たちは、遊ぶための用意と「算数」の用意に加え、『家庭電話連絡網』の内容も加味してリュックを背負って来た。しかし、中に4人だけ『家庭電話連絡網』に惑わされて、遊びの用意や「算数」の用意をしないで遠足のみの用意で来た仲間たちが居る。私は、この事を知り、この4人の存在に些か苦慮した。
 私は、用意が無くても楽しく学べる「算数」をしようと、一時間目を開始した。すると、学習の最中に、津村と矢動丸が教室の中にまで許可無く侵入して来た。そして、
「遠足に行きなさい」
「カバンを背負いなさい」
と、怒鳴り出した。もはや「算数」の学習は滅茶苦茶状態である。
「遠足に行きなさい。カバンを背負いなさい」
 彼らは、若い仲間たちに向かって命令し続ける。しかし、10分も2年生を相手に怒鳴り命令し続けると、さすがの彼らも諦める気持ちになったらしい。その後、教室から出て行った。
 しかし、この行為は教育に対する全く不当な介入だ(甲第1号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<168> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、津村が勝手に『家庭電話連絡網』を回すという違法行為を行ったばかりか、算数の授業を潰すという教育潰しを行った。
暴力と嘘をでっち上げた 津村と矢動丸
 
 この件で、矢動丸は人事委員会の証言で、非暴力者の私に対して、暴力をでっち上げた。彼らは自分から出ていったにもかかわらず、何でも入口にいた矢動丸の所へ、私が津村の手をねじって連れて行き、よろける津村の体を使って2人とも廊下に押しやり、中から鍵をしめたというのである。それ故、私への説得ができず、仕方ないから帰った、というのである。
 ところで、矢動丸も津村も入口にはいなくて教室のど真ん中の教卓近辺にいた(写真/S63年5月26日/甲第67号証)。その2人をどうして同時に教室の外に押しやれるというのか。例えば、1人を押しやったとすれば、1人は逃げられるわけであるから。
 また、ふるい学校なので教室には鍵などないので、鍵をしめられるわけはない。しかも入口は教室の後ろと前に2箇所ある。自分たちから帰りたくないのであれば、自由に教室には入れる。
 矢動丸は、算数の授業中に乱入し、10分も2年生を相手に遠足に行けと怒鳴りちらし、命令し続け、あまりにも恥知らずな行為を繰り返し、それでも2年生が彼らの脅しに屈しなかったので、諦めて帰っていった。それを、私が、彼らを無理矢理に教室から締め出したと嘘を付いたのである。
 なんという、恥知らずだ。嘘を付いて同僚教員を分限免職にしたのを追認させようとしているのだ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<169> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、津村が勝手に『家庭電話連絡網』を回し、授業の用意をするのを妨害するという違法行為を行ったばかりか、算数の授業を潰し、児童達の気持ちを引っ掻き回した。
みんな落ち着かなくなった。そこで郊外学習に切り換えた
 
 さて、出て行った津村の方はいいが、クラスの仲間たちと言えばいい迷惑である。朝から校長が授業潰しを行い、そんな事態になって、仲間たちの気持ちは落ち着かない。そわそわしている。
 そこで私は仲間たちの気持ちを訊いた。
 すると仲間たちは、
「こんなわからずやの校長先生のいる学校にいたくない!」
と言い出した。そして、
「校長先生のいないところであそぼう!」
とも言い出した。結局、仲間たちは学校から出ることに決めた。
「かいがらやま公えんへ行こう」
「べんとうもあるもん」
 何と仲間たちと『しろ』は貝殻山公園へ行くことになったのである。そして、貝殻山公園へ着くと、仲間たちは、ワンワンとはしゃぐ『しろ』の側で『しろ』以上にはしゃいで楽しみ出した。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<170> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、津村はまたもや勝手に『家庭電話連絡網』を回すという違法行為を行ったばかりか、夜の10時まで親を集めて教育への不当な介入を繰り返した。
担任の許可なく、内緒で親を集め不当に教育に介入した津村
 
 ところが、「わずか2年生」で自分たちで遠足に行く所を決め、安全に行って来られた仲間たちを、津村は決してほめることはしなかった。
 またもや私の退勤を待って、私に内緒で『家庭電話連絡網』を回し、クラスの親たちを夜の7時半に校長室に集めた。
 既に述べたように、東京都の羽村では玉置教諭が、校長が勝手に親たちを集めて保護者会をやったというので、玉置教諭が校長を訴えた。
 この件は、明らかな津村の違法行為である。彼は学習内容に介入する権限を持っていない。授業を潰したのである。
 彼は親たちの前で、
「他の三クラスの担任たちの決めた場所と同じ所に行かなかった」
「2年4組のように30人を越える児童の引率は教員2人が必要だ」
「引率は父母では駄目です」
と、話し出した。
 そしてその津村の発言にあわせるかのように、この春転校してきたばかりの児童の親だけが、
「こんな先生に教わって」
と、声を上げてないた。その場違いな振る舞いは、津村を勇気づけたらしかったが、彼女が声を大きくして泣けば泣くほど、他の親たちには奇異なものを感じさせた。
 しかし、そもそも津村の言うことはおかしかった。これまでは、学習活動、クラス行事や学校行事の時など、必要な場合は教員ではなく父母の手をかりて引率して貰っていた。親たちもそんなことは知っている。津村が何を言いたいのか余りにも釈然としないので、1人の親は、
「中村先生を処分するんですか?」
とズバリ質問した。
 そう訊かれて津村は、
「処分するような事はしない」
と、回答した。
 処分するようなことはしない、その言葉に親たちは胸をなで下ろした。
 そんな良く解らない集まりが散会になったのは、夜の10時だった。私は、そのような事が行われているとは露ほども知らなかった。
 津村のやったことは、私に内緒で『家庭電話連絡網』を回し、クラスの親たちを夜の7時半に校長室に集め、不当に教育に介入した。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<171> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、津村は夜の10時まで親が帰るのをひっぱった、その親との約束を破った。
親との約束すら平気で破る津村
 
 既に述べたように、津村のやったことは、私に内緒で『家庭電話連絡網』を回し、クラスの親たちを夜の7時半に校長室に集め、不当に教育に介入した。
 だが、津村のやったことはそれだけではない。津村は親たちをも騙した。私への「特段のご指導」を「中村秀樹教諭に係わる上申書」(乙第32号証)で要求したのである。
 もはや、信義さえわからない、おぞましい、それこそ千葉の校長に「ふさわしい」男である。 もっとも、こんなだから、国民が児童生徒が犠牲になる教育を変革していくやりがいがあろうというものである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<172> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、津村は、私にも教委に事故報告しないと約束して破っていた。
何という嘘付き 津村
 
 一方、翌日、親から夜に校長室に集められたと聞いた私は、津村と話した。
「事故報告はしないよ、先生」
と津村は約束した。
「俺を信じてよ」
と津村は繰り返したが、実は報告をした。
 津村は、我がクラスの親に対して同様、私にも教委に事故報告しないと約束して、実は破った。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<173> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、津村は、私にも教委に事故報告しないと約束して破っていた。そんな状況下、またもや児童と仔犬に攻撃が向けられた。
また、また、また、仔犬が盗まれる 執拗な攻撃
 
 だが、またもや、“言うことを聞かないこどもへのお仕置き”とばかりに、児童と仔犬に攻撃が向けられた。
 C63年6月4日の土曜日夜から翌日の日曜日の朝にかけて、『しろ』は、プールに立ち入らせない為に回りを囲んだ金網の囲いの中から、またもや連れ去られた。勿論、囲いの中に入る唯一の入口には鍵が掛けられていた。それにもかかわらず『しろ』に付けられた鎖を解いてまで連れ去られていた(プールを囲う金網の囲いの中に置かれた小屋の写真/S63年6月5日/甲第159号証)。その上、プールの入口には鍵が掛けられたままだった。
 またもや、警察に盗難届を出し、年休を使って、2日置に動物愛護センター通いを開始した。
 それにしても、既に明らかにしてきたように、プールの入口の鍵は職員室の鍵掛けに保管してある。夜は機械警備なので不審者は1人も職員室には入れない。犯人は教職員の中にいる。
 私の周囲には、またもや津村や矢動丸を疑う意見もあったが、だが、私は、分限免職処分になり、彼らが事実の捏造をしていたと解るまで、全く津村や矢動丸を疑っていなかった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<174> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきていた。
日の丸・君が代反対。マスコミが報道を開始すると、妙な動きが始まる
 
 一方、日の丸・君が代に反対するネットワークでは、5月11日から国会議員一人ひとりへの要請行動やアンケート取りを行っていた(甲第157号証)。
 なんと日の丸・君が代の強制には自民党議員の中にも反対者たちが居た。6月13日、私たちは、アンケートを集約をして記者会見を行った。翌日から、その事を新聞や雑誌が取り上げ出した(『東京新聞』 日の丸や君が代の強制 与党議員にも反対論/S63年6月14日/甲第160号証)(『朝日ジャーナル』 自民党国会議員も「日の丸」強制に反対/S1988年6月24日/甲第161号証)。
 すると、どうやら私への次の攻撃が姿を現してきたようだったが、私はそのことにこの段階では気付いていなかった。
 
 
 
そのようす<175> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。そんな中、またもや児童と仔犬に攻撃が向けられたが、その仔犬が発見された。。
また、また、また、仔犬が盗まれる 執拗な攻撃
 
 だが、またもや、“言うことを聞かないこどもへのお仕置き”とばかりに連れ去られた。『しろ』であったが、金杉団地の安原さんに保護されていた。その方から連絡があり、S63年6月15日、『しろ』が居なくなってから10日後、児童の元に帰ってきた(安原さんからの手紙/S63年6月/甲第162号証)。これで3度目だった。
 一体、この背後に何があるのか。
 極めて異常で珍しいこの事態の背後には、その異常で珍しい事態以上に、異常な事情が存在している。でないとこんな事がこんなにたびたびは起こらない。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<176> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきていた。
罠を仕掛けた津村と矢動丸
  朝の打ち合わせにも、私が教委へ出向く件は出ない
 
 小学校では、週に1回、クラブ活動という「正規の学習」がある。東部小では、この年度は木曜日の3時5分から4時5分までの60分がその時間に当たっている。クラブ活動とは、4年生から6年生の児童全員が、自分の好きなクラブを選び参加させられるのである。
 私は理科クラブを1人で担当していた。
 6月16日、クラブ活動の時間である。私たちは廃油から石鹸作りの最初の作業に入っていた。3時15分頃、予告なく津村がやって来た。彼は、
「授業中すみませんが、中村先生ちょっと。一分、いや30秒時間を下さい」
と言うと、何やら白い紙を取り出した。私が覗こうとすると、
「教育長が話があるというので、これから私は行きますが、行きませんよね」
と、慌てて懐にしまった。
 従ってその紙が、白い紙であること以外、何の紙なのか私には全く解らない。
 また、津村が何のためにその紙を取り出したのかも解らない。
「学習中ですから、今直ぐは無理ですよ。強制性を持つものですか?」
「いや、話し合いだから」
 そう言うと、彼は帰って行った。
 廃油からの石鹸作りの最初は、時間との勝負である。しかも薬品や火を使う。30秒時間をあげたのは、私の精一杯の誠意である。他の教員に代わってもらうにも、誰も廃油からの石鹸の作り方を知らない。無理である。
 その夜、私は考えた。なぜ慌ただしいクラブ活動のしかも石鹸作りの時間帯に来たのか。考えれば考えるほど納得がいかない。
 朝の打ち合わせにも、私が教委に行くなどという指示や話は出されていない(職員打ち合わせ記録/63年6月16日/甲第75号証)。
 尚、この日クラブがあったことは、五十嵐の発言「クラブ活動あり」で明白である。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<177> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきていた。奇妙な行動をとり、中村を罠に陥れた津村。
罠を隠す津村や矢動丸
 
 18日、私は気になって、津村を校長室に訪ねた。
「先日の件ですけども、何の話し合いだったんですか?」
「いやなに、遠足の件での話し合いだった」
「えっ、遠足の件! じゃ、持ってた紙を見せてもらえますか?」
「中村先生が行かなかったので教育長からの文書は、丸めて捨ててしまいました」
「急に学習中に来て、行かなかった、はおかしいでしょう。丸めて捨てた? 本当に文書を丸めて捨てたんですか?」
「ええ。授業中行けなかったから、というのは、その通りです」
 そう答えると、津村は、
「教育長からまた別の機会に話があるそうです」
「16日は、私1人で話して来ました」
と、穏和な感じで微笑みながら答えた。
 このことは、朝の打ち合わせでも問題になっていないことからして、明らかである。にも、私が教委から呼び出しがあったという件で、再び行くようにとの指示はない(職員打ち合わせ記録/63年6月18日/甲第163号証)。
 
 ところが、「中村秀樹教諭に係わる上申書」即ち乙第32号証では、「63年6月16日 教育委員会からの出頭命令を拒否・(出頭命令の連絡と同行を求める) 委員会からの出頭通知なので一緒に行くよう説得するも授業中(委員会活動中)と行って出頭を拒否した」とある。万が一、津村が「出頭命令」を持っていたとするならば、そのようなものを丸めて捨てるとは考えられない。従って、「出頭命令」なるものは虚言である。
 しかも、私に対する「出頭命令」書は私に出されたものである。つまり、私宛のものである。それを丸めて捨てるわけがない。従って、やはり「出頭命令」なるものは虚言である。「中村秀樹教諭に係わる上申書」即ち乙第32号証は、事実を捏造したものである。
 また、本当に出されていたとするならば、「出頭命令」を石鹸作りを始めた最中に持ってくるのではなく、前もって見せ伝えるべきである。ここにも不自然がある。最中に持ってくるなど奇行というしかない。津村はそのような奇行を行っていた人間である。津村が罠を掛けたことは明確である。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<178> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めて決行した。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきていた。そして、分限免職処分にすると、「命令」書の偽造をはかってきた酒井と津村。
「命令」書の偽造をして、分限処分を正当付けようとした酒井と津村
 
 「中村秀樹教諭に係わる上申書」即ち乙第32号証では、「63年6月16日 教育委員会からの出頭命令を拒否・(出頭命令の連絡と同行を求める) 委員会からの出頭通知なので一緒に行くよう説得するも授業中(委員会活動中)と行って出頭を拒否した」とある。
 しかし、万が一、津村が「出頭命令」を持っていたとするならば、そのようなものを丸めて捨てるとは考えられない。従って、「出頭命令」なるものは虚言である。
 さて、被告は、私が命令違反をしたと、人事委員会やこの裁判に、「貴職並びに貴校職員の出席要請について」(乙第34号証)を出してきている。しかし、これは文書番号がない文書である。文書番号がない文書の存在がおかしい。従って、この文書の存在自体があり得ないことである。
 しかも、「教育長 酒井三郎」が出したことになっているが、公印がないどころか、一切の印がない。
 S60年2月5日の犬問題での文書訓告を渡した時の、教育長酒井三郎から校長・松岡義明に対して出した「貴職並びに貴校職員の出席要請について」の文書には公印がある(甲第77号証)。その上、その「出席要請」に校長の松岡義明が「上記の文書の通り、市教育長から出席要請がありましたので、出席をするよう出張を命じます.校長 松岡義明 東部小学校長印」がある。
 そして、私が「訓告理由書」を請求したところ、「訓告理由書の請求について」と題する文書で鎌ヶ谷教育委員会から「1.文書により訓告であり処分である」との回答があったが、その文書には当然にも公印がある。また、「鎌教学第93号」の文書番号がある(甲第76号証)。
 従って、公印も文書番号もない乙第34号証の文書は、当時、鎌ヶ谷市教育委員会で作られた文章ではない。その文章を持って、鎌ヶ谷教委の文書とするなら、偽造である。
 
 尚、津村の「中村秀樹教諭に係わる上申書」即ち乙第32号証自体にも、上記のこと示す部分がある。
 乙第32号証では、その時出された文章は、「63年6月16日教育委員会からの出頭命令を拒否・(出頭命令の連絡と同行を求める)」とある。とすれば、出されていた文章は、私に対する「出頭命令」文書である。ところが、実際に彼らから提出された乙第34号証を見ると「貴職並びに貴校職員の出席要請について」と題した「東部小学校長 津村留美様」宛に出した文書である。つまり、その文書は、津村に対する「出席要請」文書であり、私に対する「出頭命令」文書ではない。明らかに津村は嘘を言っている。
 もし、教育長からの校長に対する「出席要請」文書を私に対する「出頭命令」にしたいのなら、甲第77号証の文書で、校長の松岡義明が「上記の文書の通り、市教育長から出席要請がありましたので、出席をするよう主張を命じます. 校長 松岡義明 東部小学校長印」としたように、私に対する教育委員会までの津村留美による出張命令が必要となる。
 つまり、津村は、津村に対する「出席要請」文書をもって、私に対する「出頭命令」文書であると言っているのである。勝手な置き換えも甚だしい。
 もっとも、公印もない、文書番号もない、しかも、「文書訓告」を渡すというときの文章に、である。そんなもの偽造したものであることは明白だ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<179> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めて決行した。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきていた。そして、分限免職処分にすると、「命令」書の偽造をはかってきた酒井と津村。排撃署名した教委が、事情聴取なしに、突然私を「文書訓告」した。
排撃署名した教委が、事情聴取もなしに、「文書訓告」をした
 
 被告は、私が命令違反をしたと、人事委員会やこの裁判に、「貴職並びに貴校職員の出席要請について」(乙第34号証)を出してきている。しかし、これは文書番号や公印がないこともさることながら、その日付が「昭和63年6月16日」となっている。
 通常、「貴職並びに貴校職員の出席要請について」の要請文は、前日までに出されるのではないか。6月16日処分となれば、少なくとも6月15日には、私の「文書訓告」処分が決まっているはずで、15日付けで教委から津村に「貴職並びに貴校職員の出席要請について」という「出席要請」文を出すのではないか。S60年2月6日の犬問題での文書訓告を渡した時の、教育長酒井三郎から校長・松岡義明に対して出した「貴職並びに貴校職員の出席要請について」の文書(甲第77号証)はS60年2月5日の日付となっている。
 事情聴取もなく、前もっての「貴職並びに貴校職員の出席要請について」の文書と校長の「出張命令」なしに、いきなり当日の「文書訓告」。「貴職並びに貴校職員の出席要請について」の文書を6月16日に出して、6月16日に処分というのでは、いかにも忙しい学校の状況を考えていない。あまりにも性急で、どこまで客観性が担保されているのか、極めて大きな疑問が残る。
 ましてやこの教委は、私を排撃署名した教委である以上、恐ろしいばかりである。
 その上、「貴職並びに貴校職員の出席要請について」(乙第34号証)が偽造であるとすれば、「貴職並びに貴校職員の出席要請について」の文章すら出されなかったことになる。
 
 あらゆる疑問を山積みにして、6月16日付けの「文書訓告」だけが横行する。6月16日の「文書訓告」同様、通常の経過をたどっていない。だとするなら、一体どのような処分経過がとられたのか明らかにされるべきだ。
 そのようなことを考えると、この処分がまともになされたのか疑わしい。というのも、例の排撃署名した教委が、「文書訓告」したのであるから。その為にも、教委はその「文書訓告」の起案文書とその決定経過を公開すべきだ。この教委は私を排撃署名している教委なのだから、それは必要だ。
 排撃署名した教委が事情聴取もせずに、「文書訓告」をしたのだから。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<180> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきていた。津村は、罠を仕掛け、中村を欺き、罠に陥れ続けた。
郵便物の中身は知らない、受け取らなくて良い、と騙す津村
 
 20日夜半、自宅に帰ると郵便の不在通知票が届けられていた。通知票には差出人が鎌ヶ谷市教育委員会と記してある。
 私は、どうして教育委員会から手紙が、と不思議に想い、翌日津村に訊ねた。
「郵便物の中身は何ですか?」
「俺にも分からないよ。先生」
「じゃ受け取らなくてもいいですか?」
「ああ、いいよ。先生」
「郵便局に受け取りに行かなくてもいいんですね?」
「うん、いいよ」
 彼は、全く中身に心当たりがなさそうである。職務上の上司が、受け取らなくていいというのである。私は、この郵便物を受け取ることを止めた。
 
 私が津村の意見を求めたのには、理由がある。いわれのない物を受け取り、教育委員会の彼らの仕掛けた罠には絶対はまりたくなかったからだ。私はこれまで、脅しの為に「事情聴取」、脅しの手紙や電話、教務や校長の暴力、キャンプの妨害、わんちゃん事件、排撃署名などなど信じられないような罠と攻撃を仕掛けられて来た。だから、次第に私は用心深く、そして臆病になっていた。
 私は津村の指示で動くことにした。そうすれば、指示を出した以上、良くも悪くも津村が責任を引き受けざるをえない。今の場合、津村が受け取らなくとも良いと言う物を受け取って、取り返しの付かない罠におちたくはなかった。津村が受け取らなくて良いという以上、私はタッチしないことにした。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<181> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。津村は、罠を仕掛け、中村を欺き、罠に陥れ続けた。
郵便物の中身は「文書訓告書」
  そんなことありえないでしょ!
 
 まず、教育委員会は郵便の中身が何であるのかを明らかにし、それがその郵便物に入っていたことを証明すべきだ。証明もしないで受け取らなかったからけしからんという事は言えない。一般的に教育委員会は種種様々な文書やチラシなどの仲介者となっている。受け取らなかったからと、全く非難されるものではない。まして、校長の津村が受け取らなくてと言っているのである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<182> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。教委は不当な教育内容に対する介入をした。
万が一、郵便物の中身は「文書訓告書」としても、そんなこと、教育委員会の教育に対する不当な支配でしょ!
 
 万が一、中身が6月16日付の文書訓告書として、果たして郊外学習をしたことに対して、教育内容にそのものに対して「文書訓告」出せるのか。出せるわけはない。
 
 その根拠となるものは、勿論、法律である。
 その日本国憲法では、二三条に、
「学問の自由は、これを保障する」
とし、同じく二六条では、
「すべて國民は法律の定めるところにより、その能力に應じて、等しく教育を受ける権利を有する」
と規定している。
 それ故、国や地方公共団体は、上記の国民の教育を受ける権利を保障するため、教育条件の整備拡充に積極的に必要な施策を施さなくてはならない。
 それは、教育基本法一〇条の
「一項・・・教育は不当な支配に服することなく、國民全体に対して直接責任を負って行われるべきものである。
 二項・・・教育行政はこの自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」
の規定によって、より一層、明らかである。
 しかし、「学習権」「学びの」権利となると、いつも問われるのが、国や地方公共団体の関与との関係である。果たして、国や地方公共団体は「学習権」「学びの」権利に介入することができるのかという問題である。
 戦後教育改革の主要な柱として、文部省を頂点とする中央主権的な教育行政の解体があった。
 その限りでは、文部省による全国一律の学習指導要領の押しつけは、この教育基本法一〇条に定めるように「学習権」「学びの」権利に対する明確な違反であった。しかし、このことをめぐっては国・文部省側からの猛烈な巻き返しが行われていく。その為、文部省・教委と教職員組合や教師たちの間での闘い繰り広げられてきた。そして、しばしばそれらは法廷闘争に持ち込まれた。それら法廷での判決で、何と言っても最も着目されるものは、S51年5月21日に出された最高裁大法廷での北海道旭川教組学テ判決である。同判決では、
「憲法に適合する有効な他の法律は教育基本法の規定及び同法の主旨、目的に反しないように解釈されなければならないのであるから、教育行政機関がこれらの法律を適用する場合に置いても、「不当な支配」とならないように拘束されると解されるのであり、この意味で教育基本法一〇条一項は、教育行政機関の行為にも適用される。また国の教育統制機関を前提としつつ、教育行政の目標を教育の目的遂行に必要な諸条件の整備確立に置くが、教育の自主性尊重の見地から、「不当な支配」とならないように限定が付されるところにその意味があり、したがって、教育に対する行政権力の介入は許容される目的の必要かつ合理的であればたとえ教育の内容・方法であっても禁止されない」
とした。
 しかし、この「教育に対する行政の介入は、許容される目的の必要かつ合理的であれば」としたのは大法廷の判断を明確にする事からの明らかな逃亡であった。従って、その許容される目的の必要かつ合理的」な判断基準が全く不明確のままにされた為、議論は終焉をみるどころか、逆に、国側と組合側と教員側とに、それぞれ相互に都合のいい理解を生じさせ、相互にその溝が埋め合わされることはなかった。
 それ故に、学習指導要領をめぐっても、教師側は、大阪淀川工高学力テスト事件(大阪地裁昭41年4月13日判決)などで示された、大綱目的基準の範囲とされる見方を採用してきた。大綱目的基準とは、学習指導要領は法的拘束力を持たない、よしや持つとしても大綱目的基準、即ち、「教科、科目、授業時間数、標準単位数」などであるとしてきたのである。
 一方、国や地方公共団体の行政機関側は、相も変わらず、学習指導要領は法的拘束力があると主張し続けてきたが、さすがに教育基本法10条1項「・・・教育は不当な支配に服することなく、國民全体に対して直接責任を負って行われるべきものである」という、部分はいかんともし難く、教育内容に介入する件を取り上げて、敢えて組合側や教員側と火花を散らすよりも、その他の校長の職務命令が及ぶ範囲のことでもって教員をコントロールしようとしてきているのである。その為、教育内容に関しては、校長には教育内容を各教員に編成させるということまでさせ、その具体的な教育内容に関しては各教師にまかせているのである。
 上述のようなことを理解すれば、どんな角度からしても、「学習権」「学びの」権利そのものである郊外学習をしたことで「処分」などという介入はできないのである。具体的な教育内容が、「学習権」「学びの」権利を保障する方向で行われた以上、介入はできないのである。
 たとえ、校長の職務命令違反で処分される教師が激増し、校長が学校の中で天の声とも等しくなっていく無法地帯化している学校の中でも、郊外学習に自主的に取り組んだという学習内容そのものに対して、行政が気にくわないからと「処分」などできないのである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<183> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。学習内容に校長が介入して、命令を発し、その命令に違反したからと処分するには無理がある。
校長は教育内容そのものに対して、校長命令を出せない
  従って、校長命令違反の「処分」は成り立たない!
 
 さて、「学習権」「学びの」権利を持つ児童や私に対して、郊外学習に自主的に取り組んだという学習内容そのものに対して、行政が学習内容の中身が気にくわないからと「処分」はできない。
 そこで、起きるのが校長の要望を聞き入れなかったという、校長命令違反ということを理由になされる処分であるが、そもそもその要望が郊外学習に自主的に取り組んだという学習内容そのものに対してなされたとすれば、校長命令違反だと処分するのは、明らかな違法である。校長は学習内容の個別具体的な内容に口は出せない。出すとすれば、上述したように違法行為である。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<184> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。学習内容に校長が介入して、命令を発し、その命令に違反したからと処分するには無理がある。
校長は教育内容そのものに対して、校長命令を発せない
  従って、校長がしたのは不当な介入だ
 
 上述したように、「学習権」や「学びの」権利を持つ児童やそれを遂行する責務のある私に対して、郊外学習に自主的に取り組んだという学習内容そのものに対して、校長命令で変更は強要できない。従って、強要すれば校長は不当な介入をしていることになる。
 せいぜいこのような場合、校長ができることは要望であるし、話し合いである。教室に授業中に介入して怒鳴り上げて無理矢理自分の言うことをきかせることではない。
 「学習権」「学びの」権利を持つ児童やそれを遂行する責務のある私に対して、郊外学習に自主的に取り組んだことをもって、校長命令違反ということは、全く不当な弾圧行為である。「学習権」「学びの」権利を持つ児童やそれを遂行する責務のある私に対する、不当な介入行為である。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<185> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。学習内容に校長が介入して、命令を発し、その命令に違反したからと処分するには無理がある。
校長が具申をしないなかで、教育内容そのものに対して処分するなんてありえない
 
 校長が具申もしないのに処分するなんてありえない。
 津村は、2年4組の保護者や私に対して処分するようなことはしない、と断言していた。
 郊外学習での津村からの具申があったとするなら、その具申を証拠に出すべきである。もし、津村が具申していたとするなら、津村は私たちを騙していたことだ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<186> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。しかも事情聴取なしに処分したことに、その上、教育内容に係わることで事情聴取なし処分したことに、中村弾圧に対する不当性がある。
事情聴取しないで「文書訓告」処分するなんて
  教育委員会のすることではない
 
 6月16日の「文書訓告」は事情聴取なしに出されている。しかも教育内容に係わることで事情聴取なし処分したことに、中村弾圧に対する不当性がある。
 「中村秀樹教諭に係わる上申書」即ち乙第32号証では、「63年6月16日 教育委員会からの出頭命令を拒否・(出頭命令の連絡と同行を求める) 委員会からの出頭通知なので一緒に行くよう説得するも授業中(委員会活動中)と行って出頭を拒否した」とある。万が一、津村が「出頭命令」を持っていたとするならば、そのようなものを丸めて捨てるとは考えられない。
 しかも、3時15分に来たのだから、それから急いで教育委員会に行ったとなるとまあ4時近くにはなる。それから、5時の退勤時間までにまた勤務地の東部小学校に帰ってくるとなると、30分ぐらいしかない。文書訓告を渡すだけの時間だ。事情聴取の時間などない。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<187> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。万が一、正当な「文書訓告」としても、それを渡すには、正式な「出頭」命令の文書を出すべき。
教委は、「文書訓告」を出すに当たって、校長と相談して授業し支障をきたさない期日と時間を指定すべきである。そして、正式な「出頭」命令の文書を出すべき
 
 さて、事情聴取もした、違法行為や越権行為はしていない、あら有意味で文書訓告が正当だった、としても、水酸化ナトリウムやアルコールランプを使う石鹸作りの授業を児童だけにさせて、教育委員会に行けるわけはない。授業を中止するとなると、すべて児童が用意してきた廃油や残飯などや水酸化ナトリウムなど材料が無駄になる。しかも、児童は期待してこの授業にきている。急遽中止など、そんなことは出来るわけがない。
 となれば教委は校長と連絡を取り合って、少なくとも、クラブ活動や授業に支障がでない日を選んで「文書訓告」出すようにすればいいのではないか。しかも、正式な「出頭命令」の文章を出して出頭させればいいのではないか。
 前回の犬問題の時でも、私は、正式な文章であれば、出席している。そうしなかったのは、この処分自体が悪質な中村潰しである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<188> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。万が一、正当な「文書訓告」としても、それを渡すには、正式な「出頭」命令の文書を出すべき。
クラブの時間に突然呼び出して、最初から不信感を煽り立てる教委と校長
 
 前回の犬問題の時でも、私は、正式な文章であれば、出席している。そうしなかったのは、この処分自体が悪質な中村潰しであるが、それを敢えて敢行したところに、監督者と労働者(教員職)の信頼関係を教委は壊している。となれば、この混乱の責任は教委と校長の側にある。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<189> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。そして、「文書訓告」を出した。その上、教委や校長が一方的に混乱を作り出しておいて、新たな「文書訓告」を出した。
教委や校長が一方的に混乱を作り出して、その混乱が私のせいだとして、責任を転嫁し、新たな文書訓告を出した。詐欺というよりは卑劣な人間のやること
 
 前回の犬問題の時でも、私は、正式な文章であれば、出席している。そうしなかったのは、この処分自体が悪質な中村潰しであるが、それを敢えて敢行したところに、監督者と労働者(教員職)の信頼関係を教委は壊している。となれば、この混乱の責任は教委と校長の側にある。
 しかも混乱状態を作り出して、更に、S63年6月30日に新たに受け取らなかったからと「文書訓告」をもう一つ出した。
 詐欺というよりは、卑劣な人間たちのやることだ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<190> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ続けた。裁かれるべきは津村である。
またもや、知らない、受け取らなくて良いと騙す津村。
客と言い争う郵便局員を捏造する津村。郵便局員の皆さんに失礼だ
 
 しかし、22日、学習中、
「郵便屋さんが玄関に来ているので、校長さんに言われて呼びに来たんだけども」
と、矢動丸が言って来た。私は郵便配達員に書留郵便物の差出人を訊ねた。すると教育委員会と答えた。私は一層いぶかしく想い受け取ることを断った。すると、教室に返る私の後から、津村と矢動丸が慌てて飛んで来た。私と津村の話になった。
「一体、郵便物の中身は何ですか?」
「俺にも見当が付かない、先生」
「しつこいんじゃないですか? 中身を知っていたら教えて下さい。大切な物だったら放っておけないですから」
「本当に知らないよ」
「校長先生が知らないなら、受け取っていいかどうか判断出来ない。受け取らなくてもいいですか?」
「うん、いいよ」
 慌ててやって来たのに、津村はにこやかな様子で話した。私は不思議な事態をどう理解すればいいのか迷った。しかし、津村が受け取らなくていいと言っている以上、受け取るのを止めた。それがその場で考えられる最善であると考えた。私のような犬事件の時からの執拗な弾圧にあっている者であれば、もっともそのような経験をする人は少ないだろうが、当然の判断であった。また、通常の状態で考えても、校長が受け取らなくて良いというものを受け取らないのは当たり前のことだ。
 
 問題は、このことが「中村秀樹教諭に係わる上申書」即ち乙第32号証の「63年6月23日」の記載部分に「*この間、郵便にて学校に出頭書の配達があったが、配達にきた者といい争い受け取りを拒否。拒否するなら拒否の意思表示を配達者にするよう指導するも、それすらも拒否し指導に応じない。」と記載されていることである。
 
 「配達にきた者といい争い受け取りを拒否」とあるが、配達にきた者とは郵便局の郵便配達員である。郵便配達員は客と言い争いはしない。客が受け取らなかったら、受け取り拒否として差出人に返すだけである。受け取れ、といい争う郵便配達員は日本中どこを探してもいない。そんなことをいい争えば、逆に客からクレームが郵便局や郵政省に上がる。いい争いなど、なりっこない。
 それを、どうして「配達にきた者といい争い受け取りを拒否」となるのか! まことに悪辣な私を陥れるための捏造した記述である。その為には、津村や矢動丸は郵便配達員を落とし込めても平気なのである。
 更に、「拒否するなら拒否の意思表示を配達者にするよう指導するも、それすらも拒否し指導に応じない。」とある。この記述も全く私を落とし込めるものだ。私ははっきりと受け取りを拒否した。しかも、私が受け取りを拒否したので、郵便配達員はその度に教育委員会に戻している。しかし、
「教育委員会に戻すとまた差し出されるので、また持ってきました」
と郵便配達員は言っていた。
 私が、
「受け取るわけにいかないのでまた差し戻して戴いて。すみませんね」
と言うと、
「いえ、これも仕事ですから」
と郵便配達員は答えていた。
 まあ、当たり前の郵便配達員と受け取り拒否する客との関係である。
 しかし、津村の言うような、「拒否するなら拒否の意思表示を配達者にするよう指導するも、それすらも拒否し指導に応じない。」とは、どういうことなのか。もじもじして居ると言うことなのか? そんなことはなかったが、万が一、もじもじしていても郵便配達員は忙しい。受け取らないでもじもじしていると、受け取る意志なしとして、郵便物を持ち帰る。それが当たり前の話だ。津村の記述自体が捏造で、彼が意図的に悪意な事を書いていることを暴露させている。
 尚、私はもじもじしているようなタイプの人間ではない。受け取らないときは、受け取り拒否します、とはっきり言うタイプの人間である。そんなことは誰でも知っている。
 更に余談だが、私は郵便配達員といい争いはしない。何故なら、私は、雨の日も、風の日も郵便物を配達している彼らに感謝しているし、そんな彼らを尊敬もしている。私の知り合いにも郵便配達員は多い。私は津村のように彼らを使って嘘をつくなんて失礼なことはしない。郵便局員の方達に失礼だ。これらの文章に、津村の卑怯さと人格のなさがにじみ出ている。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<191> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けた。
罠を仕掛け続ける津村と矢動丸
 
 私は郵便物に関して何らかの手掛かりが欲しかった。そこで次の日の朝、つまり23日も津村に郵便物の中身について聞きに行った。しかし、彼の返答は20日や22日と同じだった。
 一方、午後になると津村が矢動丸を連れて、若い仲間たちの居る教室にやって来た。津村が口を開いた。
「教育長から、今日、話をしたいと連絡があった」
「呼び出しですか?」
「いや、話し合いだよ」
「何のことについての話し合いですか?」
「分からない。本当に分からないよ、先生」
 津村は、16日と同様に答えた。郵便物の中身は何か分からないし受け取らなくてもいいと言う。一方で、話し合いだと言いつつ、何の話か分からないと言う。私はもう少しはっきりしないと、対応策すら決められないと考えた。その上、今は、私は仲間たちのことで忙しい。
「話し合いなら、今は忙しいので行けません」
と、回答した。
 その後も郵便配達員が書留郵便物を持って来た。その都度、私は機会を見て津村にその中身を訊ねた。が彼は、
「分からない」
と、繰り返し続けた。
 そこで、私が、
「じゃ、教育委員会に確かめて下さるようお願い致します」
と、要請すると、決まって、
「その必要はないよ」
と、平然として答えるのだった。
 
 「中村秀樹教諭に係わる上申書」即ち乙第32号証の「63年6月23日」では、「再度の出頭通知を拒否(口頭で出頭を促すも理由なしと拒否)*一緒に行くよう指導するも、殆ど無視し指導や説得に応じなかった。」と記述している。が、児童のいる教室に来て、児童をうっちゃって何の話か解らない話に行こうと言う、そんなこと教員100人が100人断る。津村の話にまたもや無理がある。まして、そんなことに従っていたら、それこそ問題で、授業放棄である。保護者から訴えられても反論も出来ない。
 授業放棄せよという津村の行為は、それだけで処分対象である。それを乙第32号証として私の分限処分の理由として出してくる。そこに津村のねじ曲がった正確が、悪意がよく現れている。
 
 しかも、「殆ど無視し指導や説得に応じなかった」とあるが、どのような説得をしたのか。小学2年生の居る前で、説得なんてできるのだろうか。小学2年生と言えば殆ど宇宙人である。教員は彼らが居るところでは、彼らとの対応に注意力の殆どを使う。「説得」などというのは、職員室や校長室で、児童の居ないところでするものである。こんなところにも津村の虚言記載癖がはっきりと見てとれる。
 
 更には、
「『「じゃ、教育委員会に確かめて下さるようお願い致します」
と、要請すると、決まって、
「その必要はないよ」
と、平然として答えるのだった。」
と、いう事実に対して、津村が「中村秀樹教諭に係わる上申書」即ち乙第32号証の「63年6月23日」の記載部分に「*この間、郵便にて学校に出頭書の配達があったが、配達にきた者といい争い受け取りを拒否。拒否するなら拒否の意思表示を配達者にするよう指導するも、それすらも拒否し指導に応じない。」と記載されていることである。
 この件については前の項で、
「尚、私はもじもじしているようなタイプの人間ではない。受け取らないときは、受け取り拒否しますとはっきり言うタイプの人間である。」
とはっきりさせたが、ここでは、「*この間、郵便にて学校に出頭書の配達があったが、配達にきた者といい争い受け取りを拒否。拒否するなら拒否の意思表示を配達者にするよう指導するも、それすらも拒否し指導に応じない。」と嘘を書いたことで、津村自身が嘘つきであることの馬脚を現したことを明らかにする。
 津村は「出頭書」あるが、そんなものが郵送されること自体がおかしい。少なくとも、乙第32号証によれば、津村自身が郵便物の中身が「出頭書」であると知りながら、それを教委に郵送させること自体がおかしい。それでは、教委が、彼の校長としての顔を潰しただけではない。校長としての職務を否定されたことであり、彼は校長としてまさに教委に抗議すべきことがらである。
 翻って考えれば、彼は郵便物の中身を知っていたが為に、嘘を付き、「その必要はないよ」という程度のものであると私に回答していたことを示している。それ故に、抗議すべき面子が潰された事を平気で、「*この間、郵便にて学校に出頭書の配達があったが、配達にきた者といい争い受け取りを拒否。拒否するなら拒否の意思表示を配達者にするよう指導するも、それすらも拒否し指導に応じない。」などと書けたのである。この部分にも、津村の正体が的確に反映されている。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<192> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて彼らで危険な遠足場所ではなく、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。逆井や津村や矢動丸は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けた。
児童のいる時間にやって来て、罠を仕掛ける酒井と津村と矢動丸
 
 7月5日(火)、既に4校時目が始まっている。仲間たちは、野菜に肥料をやりに行こうと教室を出ようとしている。それぞれ手にシャベルを持ち、シャベルを持たない者は協力して肥料を持っている。そこへ、突如として津村と矢動丸がやって来た。
「中村先生、教育長さんが来られて、話があるから、校長室まで来て欲しいと言うことです」
と、津村は話した。私は、
「えっ、これから? そんな学習中ですよ」
と答え、仲間たちを見た。肥料をやりに行くのを楽しみにしていた仲間たちの顔に、不安が過ぎった。
「だめ、だめです。これから野菜に肥料をやりに行くから。ねえ、みんな」
 それを聞いた仲間たちは、安心したのか、
「だめ、だめ。中ちゃんといっしょに、ひりょうをやりに行くんだから」
と、答えた。
「授業中なのは分かるよ」
と、津村は話す。私は、彼に問い質した。
「どうして『授業中』に呼びに来るの? 日課時間の割り振りは管理職で決めたんでしょ」
「分かったよ。教育長さんには、授業中だから来られないと伝えます。ただ、休み時間に来たんだけど中村先生が見あたらなくて、4時間目に入ってしまった」
 そう言うと、彼らは帰って行った。
 
 私は仲間たちに話し掛けた。
「ふううん、見つからなかった? ずうっと教室の机の前に座って居たのにねえ」
 仲間たちも、
「ずうっといたのにねえ、おかしいね」
と、答えた。
 
 そもそも、彼らの言うことはおかしかった。3校時と4校時の間は5分しかない。しかも、校長室に往復する時間もかかる。この時間帯に話をしようと言うのが土台無理な話だった。行政職の長である教育長が、放課後ではない児童の居る時間帯に呼び出すと言うことは違法行為であり、教育基本法に諫めている行政の教育に対する不当介入に当たる。
 更に、小学校低学年は特に注意が必要とされている。御滝公園のような見晴らしが悪く落ちやすい池の構造を持つ場所に遠足に行くのは無論、それぞれ手にシャベルを持ったりしている時間が如何に注意を要するかは、低学年を経験した職員なら、誰でも知っている。否、教員としての常識だ。
 そんなときに、無理に呼び出すなんて、安全上からもやってはならないことである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<193> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて彼らで危険な遠足場所ではなく、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。逆井や津村や矢動丸は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けた。
給食指導中に呼び出して、罠を仕掛ける酒井と津村と矢動丸
 
 7月5日(火)、給食の後かたづけをしようとしているまさにその時に、また、矢動丸がやって来た。矢動丸と話になった。
「中村先生、教育長さんが、話があるから校長室に来て欲しいとのことだから」
「何の話?」
「さあ、俺には、分かんないよ。校長にそう伝えてくれ、と言われたもんだから」
「今、休憩時間でしょ。ともかく、管理職で休憩時間を決めたんでしょ。何の話か分からない話で、それを破って呼び出していいの?」
「休憩時間というのは、その通りだけど」
「休憩時間は自分で使う時間だから。友だちと話をするとかね。でも教育長は友だちじゃないし、まして、何の話か分からないのじゃね。給食の後かたづけもまだだしね。何の話か本当に知らないの?」
「うん、俺は知らないよ。校長に言われて来ただけだから。実際に後片付けも出来ていないのだから、後片付けをすると言うことで。して下さい」
 
 給食の後片付けは、単に後片づけの時間ではない。「給食指導」という立派な教員の業務である。しかも、この「給食指導中」には良く事故や事件が起きている。特に低学年は目が離せない。そんなこと、教員ならずとも知られていることである。まして、校長や教員「あがり」の教育長が知らぬわけがない。
 また、授業や給食指導中に行政は介入できない。従って授業中や「給食指導中の呼び出し」が不当なのは言うまでもない。
 更に、小学校低学年は特に注意が必要とされている。御滝公園のような見晴らしが悪く落ちやすい池の構造を持つ場所に遠足に行くのは無論、それぞれ手にシャベルを持ったり、先割れスプーンを持っている時間に、児童を放置して児童の元を離れるのは、如何にすべきでないかは、低学年を経験した職員なら、誰でも知っている。否、もう一度、記する。教員としての常識だ。 
 そんな授業中や「給食指導中」は無理に呼び出すなんて、到底、安全上からも出来ない。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<194> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて彼らで危険な遠足場所ではなく、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。逆井や津村や矢動丸は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けた。
労基法違反をし、その上、安全配慮義務違反を強要して
  罠を仕掛ける酒井と津村と矢動丸
 
 千葉県の学校は、労働基準法違反を繰り返していた。労働基準法の決まりで雇用者は労働者に休憩と休息時間を与えなくてはならないが、教員の場合、休憩・休息のための交代要員が配置されていないので、児童生徒たちが居る間は彼らを放って置くわけにもいかず、休憩や休息は取れないのが実状だった。
 例えば、東部小では、遊び時間、雨が降れば体育館で遊べるが、体育館の中は外からでは見えないので、その場合は教師が誰か付いて行っている。
 また、雨が降っていなく運動場で遊べる場合は、一部の児童が運動場に行くと、各教員は教室に残って居る児童と遊びながら、或いは見守りながら、運動場にも時折目をやり、運動場の児童達の安全にも気を配っている。その為、校舎というものは運動場が出来るだけ見えるように設計されている。
 万が一、危ないことをしていたり、怪我をしていたら、事故があったら、各教師は自分のクラスであろうとなかろうと上履きのまま運動場に飛び出していく。
 つまり、小学校の教員は、児童が居る以上、休憩や休息を取れる時間はない。そのことは良く知られている。にもかかわらず校長は、職権で児童生徒たちの居る時間帯に休憩や休息時間を割りふり教委と市長に報告していた。これは明らかに違法行為だった。校長・教頭・教委・市長がグルになって違法行為を行っていたのである。彼らは労基法違反の違法行為を意図的に繰り返し続けている責任を取らねばならない。
 そんな児童が居る時間帯に校長室に来いというのはおかしい。だから7月5日(火)は津村も矢動丸も帰っていった。
 しかし、「中村秀樹教諭に係わる上申書」即ち乙第32号証には、このことの記載が全くない。これはどういう事か?
 
 さて、悔しいながらも、しかも労基法違反を止めて欲しいという強い申し入れに対して、完全否定し違法行為を強要する校長・教頭・教委・市長によって、私たちの名目の休憩時間帯は、実は「給食指導」の勤務時間帯として強要され続けていた。児童たちの給食の片付の時間帯は、突発的に様々な事柄が起こる。先割れスプーンなどを使う。大人にすれば単に先割れスプーンだが、事故も多い。それらに対応したり、児童と一緒になって片付けに取り組む時間が、休憩などであろうはずがない。目の離せない。そんなとき目を離すと逆に教師失格である。従って、誰もそんなとき校長室に来いと言う者はいない。
 しかし、津村や矢動丸は、その目の離せない時間帯に校長室に来い、と言う。彼らの頭の中には、労基法や労働者の権利など何処にもないどころか、児童のことなど全く頭にない。そもそも、行政職は教育に介入してはならない。その教育に介入してはならない行政職が、教育である「給食指導」を妨害するのである。立派な教育への介入、妨害である。「給食指導」もしっかりと学校教育の中に位置付けられているのだから。
 
 学校には、いや公務員には、「職務専念義務」の解除願いというものがある。校長や教頭が「教育」中の教員に教育以外の別のことをさせたいとするなら、校長命令を出して「職務専念義務」を解除すればいいのである。勿論、「職務専念義務」を解除する正当な理由があるか否かが問題になるが。
 ともかく、突然、「中村先生、教育長さんが、話があるから校長室に来て欲しいとのことだから」という際、何の話なのか理由を告げないで、教員に「教育」を放棄させて、児童に対する安全配慮義務違反を強要して、校長室に来い、とは許されるはずのない違法行為である。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<195> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて彼らで危険な遠足場所ではなく、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。逆井や津村や津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けた。
放課後私から探した。しかし、既にこっそり居なくなっていた酒井。何故、児童の居ない放課後に話し合わないのか。それは、私をして、彼らの尽きる期なき悪意すら惹起させた
 
 7月5日(火)学習は午後2時45分に終わる。学習が終わってから、つまり放課後、さっそく私の方から酒井を探したが、彼は既に帰って居なかった。
 このことは、逆井が私の授業時間と知って私を呼びだし、授業時間でなくなったときには姿を消していたということを示しているが、何故授業時間以外に私との話し合いの時間をつくっていなかったのだろうか?
 この9日後の7月14日にも酒井は来るが、その時は最も忙しい朝の打ち合わせと作業の時間であった。そう見てくると、会えない時間を狙ってきているのではないか、という強い疑いさえ私の心の奥深くに喚起させ、一方に、彼らの尽きる期なき悪意すら惹起させる。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<195> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて彼らで危険な遠足場所ではなく、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。逆井や津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けた。
不思議な正体不明な物を渡そうとした津村。8日後、その中身は「文書訓告」ではないかと考えられた
 
 7月6日(水)、津村と教務の五十嵐は朝から「PTAの視察研修」ということで、朝から学校にいなかった。
 ところで、津村や教務の五十嵐も私たちと同じPTAの一会員で、もし「PTAの視察研修」に行くのであれば、教員で構成する教員PTAの承認を受ける必要がある。しかし、彼らは私たち教員の承認を全く受けないで「PTAの視察研修」に参加していた。不当な行為である。
 更に、PTA活動は私的活動であるから公務ではない。従ってその分の給与は支払われないが欠勤にもなっていなかったし、職務専念免除の手続きをもなされていなかった。つまり、国民の税金を詐取していた。
 私は津村がいないので朝の打ち合わせで矢動丸に、
「昨日、教育長が来られて、私に話があるから校長室に来られるようにと言うことでしたが、一体なんの用件だったのでしょうか」
と問い質した。
 それに対して、矢動丸は何も答えなかった。職員打ち合わせ記録(甲第81号証)には、
「教頭 特になし」
と、そのことが明確に記載されている。
 このことからして明らかなように、彼らはこの間のことについて私や教員たちに全く秘匿、秘密にしていたのである。
 
 ここで、職員打ち合わせ記録について、その見方を解説しておくことは有意義だと考える。職員打ち合わせ記録というのは、朝の打ち合わせ等を記録しておくものである。記録は日直がする。日直には教員2人1組で当たるが、その一人が司会をし、もう一人が記録をするというわけである。
 さて、その朝の職員打ち合わせの進め方だが、まず、司会が、
「おはようございます。これから、朝の打ち合わせを始めます。
 今日は、○○月○○日○曜日です。
 今日の行事は、黒板の行事蘭に書かれた通りです。
   ・・・司会によっては、書かれた内容を読み上げることもある・・・
 では、まず最初に教務から。
   ・・・教務が教務関係の話をする・・・
 では、先生方からの発言に移ります。先生方、何かありますか。
   ・・・発言したい教員は挙手をする・・・・
 それでは、○○先生、どうぞ。
   ・・・司会が指名する。指名されると椅子から立って発言をする・・・
 では、その件、宜しくお願いします。
   ・・・司会は、次を指名していく。しかし、中には、その場で議論になる件もある。すると、そこで議論が開始される。また、校長や教頭に対しての要求や意見や質問もある。そこで、校長や教頭に対しての要求や意見や質問が出された際には、司会は校長や教頭に見解を求める。すると、校長や教頭は要求や意見や質問に答える・・・
   ・・・さて、教員から発言が終わると・・・
 教頭(先生)、何かありますか?
   ・・・教頭が話す・・・
 続いて、校長(先生)、何かありますか?
   ・・・校長が話す・・・
 最後に、先生方、付け加えたいこと、言い忘れたことがありますか?
   ・・・付け加えたたい教員や言い忘れた教員、校長、教頭の考えに異議がある教員が発言する・・・
 では、これで朝の打ち合わせを終わります。今日も一日、宜しくお願い致します(頑張りましょう、と言う)」
というように、進行をしていく。
 記録を担当する教員は、その話の要点をまとめて、発言順に記録していく。つまり「係活動上からの連絡。その他」の蘭に発言順に記載していく。その次ぎに教頭の発言となった段階で「指示事項(校長・教頭)」の蘭に記載し、教頭の発言に続いて校長の発言を記載していくのである。
 
 従って、この日、7月6日、の朝の職員打ち合わせで、矢動丸が、
「教頭 特になし」
としてたのは、特段話すようなことではない、ということなのである。
 
 私は、津村が夕方には学校に帰ってくるのではないかと待った。すると、夕方遅くになって帰って来た。私は自分から津村を訪ねた。そして、
「昨日、教育長は何の件で来られたんですか?」
と、聞いて見た。彼は、
「教育長が中村先生に、何の件で話があるのか分かりません」
と例の回答を繰り返した。そして、B5大の封筒の下の部分に鎌ヶ谷市教育委員会の名前を印刷した教育員会用のグレーの封筒を取り出した。
「中身は何ですか?」
「分からない」
「教育長からいわれのない、内容の分からない物は受け取れないです」
「教育長からじゃないよ。個人だよ。ほら、ここに酒井三郎と書いてあるから、個人からだよ」
と、彼は答えた。見ると、鎌ヶ谷市教育委員会と印刷した下の部分に、教育長酒井三郎と署名捺印がしてある。酒井個人が何のために、私の頭はここのところ混乱を繰り返している。だからこそ、私は原則を貫くことにした。正体不明の物は受け取らないと言う原則をである。
「個人からでは、なおさら受け取るいわれはありません。賄賂なんかだと困るし」
「わかったよ。先生」
そういうと、津村は封筒を引っ込めた。
尚、尚これらの経過中に矢動丸はいなかったし、この日の件に一切矢動丸はタッチしていない。
 しかし、この件も「中村秀樹教諭に係わる上申書」即ち乙第32号証には記載されていない。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<196> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて彼らで危険な遠足場所ではなく、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。逆井や津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けた。
突如 なぜだか 学級PTAに介入する者たち
 
 奇妙なことは続いた。7月7(木)日、5校時目の授業参観後、学級PTAの懇談会中に、教務主任の五十嵐が突如教室に入って来た。尚、7月7日に学級PTAが行われたことは、翌日7月8日の『職員朝の打ち合わせの記録簿』に明らかである(『職員朝の打ち合わせの記録簿』/S63年7月8日/甲第83号証)。
 
 さて、五十嵐の介入に対して、私は、
「学級PTA会員ではないので、遠慮して戴きたい」
と伝えたが、彼は、
「お母さんたちの話を、私たちも聞きたいから」
と、答えた。私は、
「私たちとは、誰?」
と、質した。すると、彼は、
「校長先生と教頭先生と私です」
と臆せず答え、私や母親たちの前で堂々と、
「校長先生に言われて来たので立ち退けない」
と言い張った。(テープ反訳/S63年7月7日/甲第82号証)
 五十嵐と津村は先日「PTA研修会」に出掛けて国民の税金を詐取している。その「PTA研修会」作戦を練ったのかもしれなかった。しかし、校長は学級PTAの話し合いに無理矢理介入する権限を持っていない。学級PTAとは、学級の父母とその学級の教員が教育問題について平等にフリーに話し合う会だ。校長や教務主任は参加者ではない。
 
 次の日7月7日、私は朝の打ち合わせで、五十嵐の介入で問い質した。すると、津村は、
「五十嵐先生には、参加しなさいとは言っていません」
と、他の教員たちを前に弁解した。五十嵐も、
「自分の判断でしたことです」
と主張を変えた。
 そこで、学級PTAの懇談会への介入はおかしいとして、私はPTAの本来のあり方とPTAの意義を話した。翌日7月8日の『職員朝の打ち合わせの記録簿』では私が「PTAの意義」について話していることが記載されている。この記載に「オブザーバーが入るのはおかしい」とあるのは、五十嵐の学級PTAへ不当な介入のことである(『職員朝の打ち合わせの記録簿』/S63年7月8日/甲第83号証)。
 それに対して、津村が「学級PTAの中身までタッチしていない」と答えている(甲第83号証)。これは津村が、「五十嵐先生には、参加しなさいとは言っていません」というのを、そのような表記でまとめたものである。
 尚この記録者・岡崎経子氏はS44年の犬事件を校長の松岡や教育長の酒井などと一緒になって起こした1人であり、私には偏見と反感を持っている。従って、その表記は私の発言内容を私に都合良くは表記しない。しかし、それでも、上述したような表記で、私の発言や津村の発言を書きとめている。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<197> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて彼らで危険な遠足場所ではなく、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。逆井や津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けた。
ありもしない事実を捏造する津村と矢動丸
 
 さて、63年7月7日は上述したように学級PTAのあった日である。翌日7月8日の『職員朝の打ち合わせの記録簿』に明らかである(『職員朝の打ち合わせの記録簿』/S63年7月8日/甲第83号証)。
 ところが、津村は乙32号証で
 「(16)63年7月7日 訓告書の受取拒否 (教育長から依頼の訓告書                       受取拒否)
      *校長室に呼び訓告書を渡そうとするが、言を左右にして校長室      には来ない。教頭も、指導するが応じない。」
と記載する。授業参観と学級PTAの行われるこの日は教員にとっては一大事の日である。この日のどこにも教員には文書訓告を受け取るなどという時間的余裕と精神的余裕はない。一体どのような状況下で「校長室に呼び訓告書を渡そうと」したのか。授業参観と学級PTAの行われるこの日渡そうなんてあり得ない話だ。もし、渡すなら、翌日の7月8日か、あるいはそれ以外の日にするというのが、常識だ。
 さて、7月8日の『職員朝の打ち合わせの記録簿』(甲第83号証)には、私に「文書訓告を渡すので校長室に来るよう」などという指示は全くない。
 7月6日及び7月8日の『職員朝の打ち合わせの記録簿』(甲第81号証)(甲第83号証)を見ても解るように、津村と矢動丸の言うこと書くことは総ては作り事なのだ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<198> ・・・・児童の安全のために、アスベスト対策の徹底、給食の安全性の確保、ちかん防止と登下校の注意など、学級PTAでの親の要望を伝えた。しかし、津村はアスベストの工事の件を繰り返しただけで、積極的は対応をしようとしない。その一方で、中村潰しの弾圧の為に、逆井や津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けた。
学級PTAでの話し合いを出して会議に反映させているのは私だけ。それだけまじめに仕事をしている
 
 学級PTAの話し合いで教員全体で把握したり話し合わなければならないことは、朝の打ち合わせや月1の定例の職員会議で報告され話されている。そこで私は7月7日の学級PTA出の話し合いの内容を朝の打ち合わせという職員会議に反映させている。7月8日の『職員朝の打ち合わせの記録簿』に「アスベスト、給食の件話題にのぼった ちかん防止、登下校に注意しよう」とあるのは私がしっかりと職務を果たしていることを記載している(甲第83号証)。
 尚、私がアスベストと言っているのは・・・
 東部小では、送風機を置いている機械室の建物の内部にむき出し状態でアスベストを吹きかけている。保護者たちはアスベスト被爆することを心配している。そこで、私は、はやく工事をすること、それまで送風機を使わないこと、送風機室と送風機の送風口と教室の風の取り入れ口を密封すること、を打ち合わせで要求している。
 また、私が、給食の件と言っているのは・・・
 給食というのは、東京などの区では給食の安全検査をしているところがあるが、鎌ヶ谷もやって欲しいということが学級PTAで問題になり、その親の要望を打ち合わせで伝えている。
 更に、私が、ちかん防止、登下校に注意しようと言っているのは・・・
 ちかん防止いうのは、最近東部小学区にちかんが出没しているので注意しようということである。
 尚この記録者・岡崎経子氏はS44年の犬事件を校長の松岡や教育長の酒井などと一緒になって起こした1人であり、私には偏見と反感を持っている。その人間が記載した7月8日の『職員朝の打ち合わせの記録簿』であるが、それでもそれぐらいの私の発言を書きとめている(甲第83号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<199> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて彼らで危険な遠足場所ではなく、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。逆井や津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けた。
突如、朝の打ち合わせの最中に職員室に乱入し、「文書訓告」を渡すと打ち合わせを妨害、教委の抗議で退散した教育長と津村ら
 
 7月14日、全体での朝の打ち合わせが終わり、学年毎の話し合いになった。私は学年の教員たちに見せるために、自分の車の中に忘れていた「夏休みのしおり」の原稿を取りに行こうと職員室の机を立った。そのときである。津村が、私の所に走ってやって来た。そして、彼は、
「教育長がやって来て、文書訓告を渡すから校長室に来なさい」
と、顔をこわばらせて言った。私は、「文書訓告」と聞いて、吃驚したが、それ以上に吃驚したのは彼の威圧的な態度である。無理矢理目をつり上げ、口をへの字に曲げ、私を睨み付けている。まるで歌舞伎役者が大見得を切った様である。以前、主任連中が、
「凄い剣幕で怒るのよ!」
と、言っていたがこういうことなのかと、今は彼らの言葉が何となく理解出来るような感じがした。もう一方、「文書訓告」処分にどう対処すればいいのかについては、全く分からなかった。
 しかし、ともかく今は、学年での打ち合わせ中である。学年の教員たちも「夏休みのしおり」の原稿を待っている。私は打ち合わせで使う「夏休みのしおり」の原稿の検討の作業を優先させることにした。私は、車の所に行こうと職員室を出た。そのときである、津村が、
「教頭さん、急いで教育長さんを読んで来て!」
と、怒鳴った。すると、酒井三郎他2、3名が慌てて校長室から飛び出して来た。そして、酒井は車の中の「しおり」の原稿を取りに行こうとする私を突き飛ばし、
「中村先生、待ちなさい。あなたに、文書訓告を渡します」
と、声を荒げて前を塞いだ。私は、
「打ち合わせに使う資料を取って来るから、どいて欲しい。今は学年の打ち合わせ中だから」
と、酒井の行動をたしなめた。私は車の所に行き、「夏休みのしおり」の原稿を取り出すためにドアを開けた。そこへ矢動丸が来た。彼は、学年の打ち合わせ中であるにもかかわらず、
「校長室で教育長さんと話しなさいよ」
と、しつこく繰り返す。校舎の一階の廊下側の窓からは、酒井が身を乗り出すようにして、
「中村先生、文書訓告を渡します」
と、オウムのように繰り返し怒鳴っている。やがて、酒井は上履きのまま車の方に駆け寄って来て、
「中村先生、文書訓告を渡します」
と、わめきたてた。私は、
「打ち合わせの邪魔をしないで欲しいです」
「児童の夏のまなびの参考になる『しおり』を、今、作成しなければならないから」
「『教育』活動の妨害をしないで欲しいです」
 などと話したが、酒井は一向に聞き分けようとはせず、道を塞ぐように私の前に立ち、
「中村教諭、聞きなさい。文書訓告を渡します」
と、怒鳴る。教員の「教育」活動中への妨害もさることながら、余りに横暴な彼の態度である。かつて排撃署名の件で理科準備室に来たときもこんな感じだった。そこで私は、
「排撃署名に関して謝って欲しい」
と要求すると、酒井は、
「あれは、地域の人たちがやったことだ」
「何処に証拠がある」
と、居直った。が、私が、
「あなたがやったことは誰でも知っていることではないか」
と反論すると、彼は黙ってしまった。ひるんだ彼の隙を見て、私は「しおり」の原稿を持ち、道を塞ぐようにしていた彼の側を通り抜け、職員室の方に向かった。すると、彼は外に出て土の付いた上履きを履き替えることもせず、そのままを私の後を追い掛けて来て、
「5月26日にね」
などと言いながら、職員室にまで入って来た。
 私が「しおり」の検討を学年の教員たちと始めると、酒井は私の席の向かい側の教員の近くまで来て、いきなり大きな声で「文書訓告書」を読み上げ出した。
「あなたに訓告書、いや文書訓告書を渡します。訓告書。鎌ヶ谷市立東部小学校教諭中村秀樹。あなたは、昭和63年5月26日鎌ヶ谷市立東部小学校長、津村留美より・・・」
 酒井の出っ張った腹、脂でゆるんだ頬、所々つっかえながらも鼻息荒く読み上げる様、私は権力をかさに着た小心な男の醜悪さを右斜上に感じている。
 朝の打ち合わせが終わってから教室に行くまでの時間は慌ただしい。特に朝の学年の打ち合わせの時間は、案件が多かったり作業があったりする日は、一分一秒たりとも貴重だった。だからそんな日は、時間を有効に使わなければならない。
私たちは、評価の件でも打ち合わせをしなければならなかったが、酒井の声で他の教員たちの気が散り、打ち合わせにならない。勿論、彼はそんなことに構う気配はない。傲慢にも大声を張り上げている。もはやこの男にとっては、混乱の事態を演出することが、唯一の目的になっているかのようにさえ感じられる。
 すると、あまりに理不尽な様を見て、教員たちが
「出ていってください。今は打ち合わせ中です」
「打ち合わせになりません」
などと、職員室から酒井に出ていくように言いだした。
 組合からも分会長の小見川などが、
「酒井先生出ていってください。おかしいです」
と言いだした。
 すると酒井は
「いや、小見川先生、これはね、いや・・・」
等と言って小見川らと話し出した。
 そこで、私たち学年は、他の学年の教員たちの迷惑も考慮して打ち合わせを中断し、「夏休みのしおり」の印刷に取り掛かることにした。自席をたった私は、職員室を出て職員室とドアで繋がっている隣の部屋の事務室にファクス用紙や藁半紙を取りに行ったりした。直ぐに私は目前の作業に気を取られた。ふと私は彼のことを想い出し、職員室を見渡したが職員室の中には発見出来ない。何でも酒井は組合をはじめ教員たちから反発を買って、職員室から追い出されたのだった。
 勿論、土の付いた上履きで歩いた足跡を彼は自分で掃除していなかった。後で、児童が掃除していた。
 
 この件で、津村は「中村秀樹教諭に係わる上申書」即ち乙第32号証に記載している。
「(17)63年7月14日 訓告書の受取拒否 ・(教育長が来校し訓告書を                        渡す)
           *教育長が指導しようとしながら訓告書を渡そうとし            たがわめきちらし職員室よりでてしまい、受取を拒            否する。
とあるが、実際は上述したような状況であった。
 朝の打ち合わせの最中に職員室に乱入してくるとは、プロレスの乱入じゃあるまいし、前代未聞である。従って「わめきちらし」ていたのは酒井や津村や矢動丸である。
 私は職員室から出てしまってはいない。隣の事務室にファックス用紙や藁半紙は取りに行ったが直ぐさま職員にかえってきた。そして、職員室で印刷の仕事をした。
 酒井は朝の打ち合わせへの乱入妨害をしたことによって、教職員から追い出されたのである。これが真相である。
 
 さて、昼に、麻生教員がやって来て、
「職員室の中村さんの机の中に、教育長が文書訓告書を入れた封筒を置いていたから、私が机の中に入れて置いたわ」
と、言った。放課後、私は職員室の机の引き出しを開けて見た。見覚えのある封筒がある。7月6日、津村が渡そうとした、鎌ヶ谷市教育委員会と印刷した下の部分に教育長酒井三郎と署名捺印がしてある例のB5大のグレーの封筒だ。私は、中を見た。
 私は6月16日付けで「文書訓告処分」にされていた。6月13日、私たちが、国会での日の丸君が代の件での国会議員アンケートを集約をして記者会見を行い、マスコミに流れ出した直後だ。
 
「         訓告書
氏名 中村秀樹  所属及び職名 鎌ヶ谷市立東部小学校教諭
 あなたは、昭和63年5月26日鎌ヶ谷市立東部小学校長、
津村留美より、二学年児童の徒歩による校外学習の指導と出
張を命じられたにも拘ず、その命令に従わなかったことは誠
に遺憾である。
 今後は上司の職務上の命令には忠実に従って職務に従事す
るよう厳に訓告する。
  昭和63年6月16日
          鎌ヶ谷市教育委員会         」
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<200> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて彼らで危険な遠足場所ではなく、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。逆井や津村は、罠を仕掛け、私を排撃署名した教委が事情聴取なしに私を「文書訓告」にした。
排撃署名した教委が、事情聴取もなしに「文書訓告」をした
 
 ところで、「文書訓告処分」にするには、処分に先立って事情聴取をするのが常識である。更に実際に処分するまでには、処分内容と処分書の起案、教育委員会の会議の招集など、それなりの時間がかかる。しかし、処分が出された6月16日以前には、事情聴取は無論何らのコンタクトさえなかった。初めてコンタクトして来た6月16日のクラブ活動中の津村の、
「教育長が話があるというので、これから私は行きますが、行きませんよね」
という言葉の中の「話がある」と言う部分は嘘で、実は「文書訓告」を渡すためだったのである。
 何と、小学2年生が自分たちで決めた場所に校外学習に出掛けたからと処分したのである。しかも、児童たちは処分出来ないから、私を処分したのである。
 酒井たち鎌ヶ谷市教育委員会は、児童たちの気持ちを考えたことがあるのだろうか? そもそも、彼らは「教育」の主人公は誰だと思っているのだろうか? こんな処分を出して恥ずかしくはないのであろうか? 自己「教育」権、即ち「教育」に於ける児童の自己決定権を踏みにじった彼らは、歴史にその恥ずべき行為を刻印され、断罪されることは明白である。私は「文書訓告」の文言を見ながら感じていた。
 そして、何よりも国会議員を対象にした日の丸君が代の件でのアンケート活動などや、その集約結果のマスコミ発表(甲第160号証)(甲第161号証)、そして国会議員に対するレクチャー行動などがターゲットにされた、「別件逮捕」ならぬ「別件処分」であると、私の友人たちは直感したようだった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<201> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて危険な遠足場所を避け、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。しかも事情聴取なしに処分したことに、その上、教育内容に係わることで事情聴取もなしで処分したことに、中村弾圧に対する不当性がある。
排撃署名をした教委がした「文書訓告」である以上、起案文書など、内部での処分までの経過を明らかにすべきだ
 
 突然、6月16日、「文書訓告」が事情聴取もなく、しかも私を狙う教委から出された。
 だが、私からして突然であっても、そもそも、6月16日付けの「文書訓告」は、その前日までに起案され、教育委員会内部で検討されてきたはずである。市教委は、6月16日付けの「文書訓告」の起案文書や「文書訓告」決定に至るまでの手続きを明らかにすべきだ。
 私を排撃署名した教委がなした「文書訓告」であれば、起案文書や「文書訓告」決定までの経過を、内部での議論を、より透明に、一層明らかにする必要がある。
 私を排撃署名した教委が、私をこっそりと「文書訓告」する。そんなことが許されて良いわけがない。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<202> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて彼らで危険な遠足場所ではなく、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。逆井や津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けた。
罠で作り出した もう一つの「文書訓告」
 
 だが、「文書訓告」についてなら、もう一つ分かったことがあった。封筒には、もう一枚「文書訓告」書が入っていた。その日付は、6月30日だった。
 
「         訓告書
氏名 中村秀樹  所属及び職名 鎌ヶ谷市立東部小学校教諭
 あなたは、昭和63年6月16日付け文書による教育長の出
席要請並びに再三にわたる教育委員会発送文章受け取り及び校
長による口頭伝達にも正当な理由なくそれらを拒否し続け本日
まで教育委員会へ連絡がないまま出席されない。これは上司の
職務上の命令に違反するばかりでなく、正常な職務遂行を妨げ
る行為である。
 従って今後このようなことのないよう厳重に訓告する。
  昭和63年6月30日
          鎌ヶ谷市教育委員会         」
 
 6月30日の「文書訓告」に至っては、もはや「教育」の問題ではない。詐欺である。津村は郵便物の内容は知らないと言い、受け取らなくて構わないと言い続けたのである。まして、6月30日までに教育委員会に連絡や出席しなければならない状況にあるなど微塵も知らされていない。その上、私が、郵便物の内容を「教育委員会に確かめて下さるようお願い致します」と要請しても、「その必要はないよ」と、いつも平然と言ってのけていたのは、他ならぬその津村だったのだ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<203> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて彼らで危険な遠足場所ではなく、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。逆井や津村は、罠を仕掛け、排撃署名した教委が私を「文書訓告」した。
内密に作り出された 6月30日付「文書訓告」
排撃署名した教委がもう一つこっそりと「文書訓告」を出した。通常の経過をとってなされなかった
 
 しかし、6月30日に「文書訓告」が出されたのに、私に対して教委に行くようにとの出張命令がない(『職員打ち合わせ記録』/S63年6月30日/甲第164号証)。
 しかも、「文書訓告」が出されたとされている6月30日は、千教研鎌ヶ谷分会があり(甲第164号証)、総て教員は、午後からはそれぞれの学校に出することになっている。そんな日には、常識的に「文書訓告」は出せない。何故ならば、その日は児童を早く帰して千教研鎌ヶ谷分会、即ち千葉県教育研究集会鎌ヶ谷分会に参加する為に、極めて忙しい。「文書訓告」の為に教委に行く時間的余裕はないからだ。
 でも、そんな日に「文書訓告」が出されたらしい。しかも津村から私に対して教委に行くようにとの出張命令がない。
 教委への出張命令をすら出すことをしない。「文書訓告」を出ことって、そんな軽いことなのだろうか。教委を軽んじているのは、教委自身であり、津村自身である。
 さて、S63年6月30日付け「文書訓告」に先立って、事情聴取がなされなかったことは明らかだが、一体どのような処分経過が教委や校長との間でとられたのか明らかにされるべきだ。その為にも、教委はその「文書訓告」の起案文書とその決定経過を公開すべきだ。
 6月30日処分となれば、少なくとも6月29日には、私の「文書訓告」処分が決まっているはずだが、ならば、29日付けで教委から津村に「貴職並びに貴校職員の出席要請について」という「出席要請」文が出せたのではないか。つまり、この「文書訓告」も6月16日の「文書訓告」同様、通常の経過をたどっていない。
 そのようなことを考えると、この処分がまともになされたのか疑わしい。というのも、例の排撃署名した教委が「文書訓告」したのであるから。この「文書訓告」は通常の経過をたどっていない。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<204> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて彼らで危険な遠足場所ではなく、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。逆井や津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けていた。
酒井ら鎌ヶ谷市教育委員会と津村に矢動丸は詐欺師
 
 今、解ったことは、酒井を初めとする鎌ヶ谷市教育委員会と津村に矢動丸、彼らは詐欺師だと言うことだ。それに気付かなかった私は、お人好しと言うしかない。
 私は、津村に問い質した。彼は私から繰り返し繰り返し問い質されて、やっと教育委員会に事故報告をあげていたことを認めた。しかし、それでも彼は、
「俺は事故報告をあげただけで、中村先生を処分しようとしたんじゃないよ」
と、答える。
 そこで私は、
「じゃ、どうして処分が出たの?」
と、追及したが、
 彼は、
「本当に処分の具申はしていないんだよ。先生、俺が信じられないの?」
と、逆に私に問い掛ける。
 私は質問を変えて、彼が郵便物の中身が「処分書」であったことを知っていたにもかかわらず、受け取らなくていいと言ったのではないかと、彼に確かめた。
 すると彼は、
「郵便の中身が文書訓告とは知らなかったよ」
と、繰り返すだけだった。
 私は納得出来ないので、さらに、
「7月6日に渡そうとした封筒の中身は何だったの?」
「文書訓告書じゃなかったの?」
と、彼に問い質した。
 けれども、彼は、
「封筒の中身だって? 知らないよ。本当だよ、先生」
と、これまた弁明し続けた。
 
 7月18日、私たちのクラスは、校外学習に行くことにした。私は津村に、
「30人以上の児童の校外学習は付き添いがいるよ、と言っていたでしょ。付き添い教員を1人付けて欲しい」
と、要求した。しかし、彼は、
「人がいない。先生で行って来て」
と、簡単にあしらう。その通りだ。私の現場学習、即ち校外学習のやり方に触発されてか、近年少しずつではあるが、現場学習をするためにクラス毎に校外学習に行くクラスが増えている。勿論、何処のクラスの校外学習にも、津村は付き添い教員など付けてはいない。私たちのクラスだけ付けると、絶対に他クラスから苦情が出る。2年4組だけ特別扱いにして、と。だから彼は絶対に付けられるわけはない。そう言えば、この前の6月24日の校外学習の時も、それ以外の校外学習の時も、津村に頼んでも彼は一度も引率教員を付けていない。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<205> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて彼らで危険な遠足場所ではなく、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。津村は、郊外学習届けを改竄し、それに違反したと事実を作り上げ、罠を仕掛け、私を欺き罠に陥れて「文書訓告」にした。
津村は郊外学習届け文章を改竄し、私を欺い「文書訓告」にした
 
 私たち2年の学級担任たちは、1組から3組までは御滝公園、4組は貝殻山公園と決めた。そして、1組から3組の担任たちは、4組を除いた御滝公園行きの校外学習届けを作成し、5月20日金曜日の朝の打ち合わせ終了時に3組の教員が代表して管理職に提出した。私も我がクラスの郊外学習届けを出すべく下書きをした(甲第25号証)。
 しかし、その直後、教頭の矢動丸が私の席にやって来た。彼は、
「4組も他の3クラスと同じ御滝公園へ行って」
と、言い出した。修学旅行でも校外学習でもそうだが、可能ならばそれぞれのグループやクラスが決めた所に別々に行く方が、児童生徒の自発性を育て、よりベターだと言われている。が彼らは今回の「文書訓告」の事態を作り出した。
 その彼らは、郊外学習届けを改竄した。何と彼らの「郊外学習届け」(乙第50号証)を見ると、「4.引率教員」の蘭に、矢動丸俊と1組2組3組の担任と教員工藤真理子に加えて私の名前が入っている。しかし、矢動丸俊と1組2組3組の担任と教員工藤真理子の字体は一見しても一致しているが、私の字体の向きは他のもののそれと些か違っているように見える。それは私のものを後から書き加えたのではないかと思われる。明確に判っていることは、字体は私のものではないということだ。
 さて、郊外学習届けの「4.引率教員」の蘭だけは、各人が書き入れる。それは各担任の申請書でもあるからだ。従って、万が一、何らかの理由で、ある者が他の担任の名前を代理で書き入れるなどの場合は、事前にその担任の承諾が必要となる。しかし、私はそのような承諾など出していないことは、この事件の経緯からしても明らかである。
 であるから、勝手に津村は私の名前を書き入れたのだ。明らかに偽造したのだ。偽造して、御滝公園にその日その時間に郊外学習に行かなかったからと、処分する。明らかに不当な行為である。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<206> ・・・・今では、管理主義教育に頼る教員たちの犠牲者となった「学校教育」は、文部省は、自己決定権を重視しその方向で、自発的な児童生徒を育てようとしている。児童は、それらを先んじて彼らで危険な遠足場所ではなく、安全な遠足の行き先を自分たちで決めていった。一方、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧が頭をもたげてきた。津村は、郊外学習届けを改竄し、それに違反したと事実を作り上げ、罠を仕掛け、御滝公園行きを強要した。しかし、そんな権限は津村にはない。
津村は郊外学習届け文章を改竄し、御滝公園行きを強要した。しかしそんな権限は津村にはない
 
 私たち2年の学級担任たちは、1組から3組までは御滝公園、4組は貝殻山公園と決めた。
 我がクラスの児童達は、昨年度行った御滝公園に郊外学習に行くというレベルは乗り越えてしまった。その上、御滝公園に行って貝殻山公園に行くとなると、御滝公園に行くという1日は全く無駄な1日となる。そんな時間の余裕はない。勿論、我がクラスの児童達にすれば自分で計画を立てられるようになったのに、計画の立てられない暗黒の昨日に強権的に戻されるということになる。津村の頭脳を完全に乗り越え自分たちで計画を立てたのに、全く無駄な御滝公園に行くということを強いられるほど卑屈を強いられ反教育的なことはない。そのような反教育的な命令はいかに校長といえども出す権限は持っていない。それが証拠に、自分たちで決めた郊外学習に行って処分された者は他にいない。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<207> ・・・・津村はありもしないことを、事情聴取や指導とでっち上げた。そして、嘘「上申書」を作成し、逆井や津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ、分限処分を正当化しようとした。
感情的になった酒井?
 
 放課後、突然、千葉県教育委員会東葛飾地方出張所の足立所長がやって来た。彼が来た時間は酒井とは違い、児童の居ない時間帯の放課後だった。私は、彼に会った。否、会える時間だったので当然に会った。酒井も来るなら、津村と連絡をとって、児童のいない放課後で、しかも行事や出張の入っていない時に来ればいいのだ。ところが、酒井はその時間には来なかった。そして、朝の打ち合わせに乱入したのである。そんな教育長、全国を探してもどこにもいない。
 彼は、
「中村さんに今の教育について、色々意見を聴きたい。提言してもらって参考にしたいんだよぉ」
「中村さんは、今の教育に対してどうしたらいいかなあ」
「中村さんは、どんな問題に悩んでいるのかなあ。聴かせてもらって何かできることがあったら」
と、言ってやって来た。
 従って私は、管理主義教育の弊害について色々と話をし、提言をした。
 そんな話の中で、足立は、
「酒井さんも難しい立場に立たされているんだよぉ。中村さんさぁ、このまま酒井さんと中村さんとが感情的になって、溝が増々深まって行くのを心配しているんだけどもよぉ」
と、話し出した。
 私は呆気にとられた。私は酒井に対して感情的になどなっていない。彼がどうしてそんな事を言うのか、理解出来ない。私は、
「私は感情的になっていませんよ」
と告げた。
 足立は感情的になっているのは酒井の方であることを知った。
 要はそんな会談、管理主義教育の弊害について色々と話をし、提言をした話だった。
 
 だが、「中村秀樹教諭に係わる上申書」即ち乙第32号証では、またもや津村は嘘を記載している。
 「(18)63年7月18日 県教育庁東葛地方出張所長の指導 ・(事情聴                              取と指導)
             *県教育長東葛地方出張所長から事情聴取と指導              を受ける。
とまたもや嘘の記載をする。
「ざっくばらんに話したい」
「中村さんと
いうことで足立教育長は、東部小に来たのであり、彼は、
「事情聴取ではない」
と明言していた。従って、会談は私と足立の二人だけ、しかも、会談場所は、
「中村さんの都合のいい場所でいい」
ということだったので、第2理科室で会談した。というのもは、私は理科主任をしており、児童が居なくなった後は、理科室の整備などに当たっている場合が多々あるからである。
 
 会談の場所は、県教育庁東葛地方出張所ではなく、東部小。
 しかも、校長室ではなく、第2理科室。小さな背もたれのない角椅子に座って、7人用の実験机を挟んで話し合う。
 会談・雑談をした第2理科室に居たのは、私と足立の二人だけ。校長や他の誰も立ちあっていない。
 事情聴取であれば、県教育庁東葛地方出張所に、校長と私が呼ばれ、話されるはず。また、指導というのであれば、校長からなされるはず。そうでなければ、教育に対する不当介入になる。教育の自由と学習の権利に対する不当な介入になり、法律違反になる。そんなことあるはずはない。
 さらにその場にいない人間が、どうして「事情聴取と指導」なんて書けるのか。
 またもや、嘘を書いているのである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<208> ・・・・津村はありもしないことを、事情聴取や指導とでっち上げた。そして、嘘「上申書」を作成し、逆井や津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ、分限処分を正当化しようとした。
今の教育についての提言を聞きたい
 
「中村さんに今の教育について、色々意見を聴きたい。提言してもらって参考にしたいんだよぉ」
「中村さんは、今の教育に対してどうしたらいいかなあ」
と言って足立は来た。
 当時、私たちや学習指導要領のことを扱った報道がなされていた。
 5月17日『朝日新聞・社説』(甲第158号証)
 6月14日『東京新聞』(甲第160号証)
 6月26日『朝日ジャーナル』誌(甲第161号証)
 そこで、私は、私たちが市民運動で学習指導要領の内容や日の丸君が代の強制に対して反対して活動していることに対して関心を持っているのではないかとの思いがよぎった。
 
 足立が所長をする東葛地方出張所で管轄する教員が中心となって全国運動をする、全国的な署名活動を展開する。しかも、その運動は、マスコミを通じ社会的にも影響を与えている。全国会議員へのレクチャー行動やアンケート調査行動とその発表などなどと展開していく・・・
 しかし、この運動は、教委、校長会、千葉大学学閥、右翼などと癒着し出世の運命共同体を作ってきた教組の運動ではない。市民運動である。取引は出来ない。その上、市民運動には如何に県教委といえども直接的には弾圧できない。
 そんな中で、足立は、
「中村さんに今の教育について、色々意見を聴きたい。提言してもらって参考にしたいんだよぉ」
「中村さんは、今の教育に対してどうしたらいいかなあ」
と、会いに来た面も大きいのだろう。
 そうであれば、この訪問で、実は鎌ヶ谷市教委の裏で、私を狙ってきた県教委としての姿が、今、浮かんできたことになる。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<209> ・・・・邪悪な意図を持つ津村や矢動丸は、事実の捏造を謀ってきた。そして、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、さらにありもしない事実を作り上げ中村潰しの弾圧に血道をあげた。逆井や津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けていた。
児童の成績の認定は校長の大切な責務と嘘を展開し、学習の権利を犯す校長。ありもしないトラブルを捻出
 
 だが、「中村秀樹教諭に係わる上申書」即ち乙第32号証では、またもや津村は嘘を記載している。
 「(19)63年7月20日 成績一覧表提出拒否。 ・(通知票のみ提出)             *児童の成績の認定は校長の大切な責務であるこ              とを指導するが、応じない。
 さて、一覧表は、もし通知票と一緒に持ってきてもらえば、成績評価の付け間違えを通知票と照らし合わせて管理職がサービスでチェックしてあげるとしているもので、公簿ではなかった。従って、自分でチェックする能力のない、或いは不安な人は、通知票と一緒に出してチェックしてもらう人もいた。私はというと、元来一覧票をそえてチェックしてもらってきた。しかし、その内、津村や矢動丸のチェックはいい加減だと噂が立っていた。ともかく一覧票はその程度のものである。
 いったいこのどこが問題なのか。私は常々校長命令は文書で出すように言っているが、そんな命令も出していない。
 しかし、この63年7月20日の記載には、看過できない大変な問題がある。
 それは「児童の成績の認定は校長の大切な責務であることを指導するが、応じない。」と記載している点である。断じて言うが、そのようなことはない。「児童の成績の認定は校長」とすれば、「学習の権利」「学問の自由」及びそれらの中で大切な評価権を侵害するものだ。日本国憲法、教育基本法を否定するものだ。また、学校教育法28条の6「教諭は児童の教育をつかさどる」を頭から否定するものだ。こんな著しく法律違反のことを主張するのは、津村ぐらいだろう。本当に、「63年7月20日」に「児童の成績の認定は校長の大切な責務であることを指導」したとなれば、教師や生徒の評価権に対する侵害として教員間で大騒ぎになるだろう。
 しかし、7月20日の職員打ち合わせ記録簿にはそのようなことは問題になっていない。(『職員打ち合わせ記録簿』/S63年7月20日/甲第165号証)何か問題であるとするなら、そのように指示すべきであるが、実際は何も問題が起こっていない。そればかりか、職員打ち合わせを欠席していた校長に代わって、矢動丸が
   「学校長にかわって
    一学期間ご苦労様でした」(甲第165号証)
と私たちに慰労の言葉を投げかけている。
 さて、津村はいなかったのだ。いない人間が何故こんな事を書いているのだろうか?
 また、問題になっていれば、S63年6月18日の打ち合わせのように「教頭:要録は絶対に持ち出さないこと」とか、「五十嵐:要録、出席簿を所定の場所に」と必ず話題にでる(『職員打ち合わせ記録簿』/S63年6月18日/甲第166号証)。しかし、教頭の矢動丸からも、教務の五十嵐からも、全くそのような話は出されていない。
 尚、この後、私たちは終業式を終え、児童に校長の印を押し既に返されていた通知票を渡して、何らのトラブルもなく無事に一学期は終えている。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<210> ・・・・邪悪な意図を持つ津村や矢動丸は、事実の捏造を謀ってきた。そして、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、さらにありもしない事実を作り上げ中村潰しの弾圧に血道をあげた。逆井や津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けていた。
動静届けを正しくした私に対して、略式しかしなかった津村が嘘
 
 「中村秀樹教諭に係わる上申書」即ち乙第32号証では、またもや津村は嘘を記載している。
 
 「(20)63年7月21日 動静届未完成で提出 ・(7月31日まで記入)             *夏期休業中の動静を完全にして提出するように              指導。公務員としての責務であることを指導。
 しかし、私は、提出している。
 
 「(21)63年7月27日 夏期休業中の書類不備 ・(動静届・研修承認                          簿等の不備)
             *本人あてに書類の訂正をするよう郵送する。ま              た、本人の机の上に文書にして置いておく。
 また、私は「書類」など「郵送」で受け取っていない。
 
 「(22)63年8月1日 夏期休業中の書類不備 ・(動静届・研修承認簿                         等の不備)
             *正しく記載するよう再度指導する。8月2・1              9日も同様に指導し再提出するよう指導。
 そんな話などない。私は、正しく記載してきた。
 
 ともかく、津村の書いたような指導は全く受けていない。そんな指導、といってもどんな指導なのか解らないが、ともかく受けていないし、郵送なんてされていない。悪意な捏造である。
 さて、嘘を記述すると矛盾が起きる場合もある。というのも、まず、「本人あてに書類の訂正をするよう輸送」したのにどうして、「本人の机の上に文書にして置いておく」ことができるのか?
 もし、他の文書を「本人の机の上に文書にして置いておいた」とするなら、どんな文章なのか? これでは全く解らない。どちらにせよ、いい加減な上申書である。
 
 さて、人を「呪わば、穴二つ」ではないが、嘘を付けばそれ自体で自滅することもある。「動静届」は、藁半紙に、各教員たちが予定を、あくまで予定を記載し、コクヨの厚紙の表紙に出来たファイルに、学年の順番ごとにまとめ、電話の側に置かれる。何故かというと、どの教員が、研修なのか、年休なのか、夏期職免なのか、公傷病なのか、病休なのか、結核休なのか、特休なのか、出張なのか、出勤なのか解らないと、各クラスの保護者などの問い合わせに、日直が対応できないからだ。従って、そんなもの郵送する訳がない。悪質な嘘である。私のものも「動静届」の2年担任教員の4番目に入っていた。
 さて、「動静届」は、単に藁半紙の略式に過ぎない。従って、どのように夏期の勤務形態を取ったのかは、服務整理簿や研修承認簿に記載し、出勤簿や復命書などを整理して報告する。この夏の勤務形態については、9月6日(火)までに整理することになっていた。職員打ち合わせ記録の伊藤の「8月31日迄の出勤簿整理、復命書は5日以内にお願いします。」(『職員打ち合わせ記録簿』/S63年9月1日/甲第167号証)を見れば、一目瞭然である。尚、伊藤は事務主事である。7月21日、7月27日、8月1日、2日などと、津村が書いていること自体がおかしい。みんな9月6日(火)までに整理すればいいのである。私を陥れる為の悪意ある虚言であることが明らかだ。こんな悪意な事をやっているから、今回の分限処分事件をでっち上げたのだ。権力犯罪事件を犯したのだ。管理職として失格である。
 私はしかりと整理しているし、何らの問題にはなっていない。整理はしっかりするタイプである。尚、私は、この頃から、動静については、藁半紙の「動静届」を出すと同時に、公簿である服務整理簿や研修承認簿などにもに記載しても提出していた。このやり方が正しいやり方であるが、それをもしていたのは東部小学校では、一人、私だけだった。津村や矢動丸は服務整理簿で届けないで休んでいた。もっとも、「8月31日迄の出勤簿整理、復命書は5日以内にお願いします。」(甲第167号証)ということなのであるから、許容範囲内ではある。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<211> ・・・・邪悪な意図を持つ津村や矢動丸は、事実の捏造を謀ってきた。そして、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧を強化してきた。逆井や津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けていた。
日の丸・君が代強制反対運動、遂に全国署名運動に発展
 
 7月30日、『日の丸・君が代に反対するネットワーク』は『日の丸・君が代強制をどうやって阻止するか? 7.30作戦会議』を開き、『日の丸・君が代の強制に反対する全国署名』を行うことを決定する。動静届けがどうのと訳のわからない攻撃は、日の丸・君が代の強制に反対する運動のリーダーの私を狙わんが為のことであると思われる。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<212> ・・・・邪悪な意図を持つ津村や矢動丸は、事実の捏造を謀ってきた。そして、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧を強化してきた。逆井や津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けていた。
畑が荒されだし、またもやこ犬が盗難に
 
 夏休みになると、仲間たちが学校の敷地の隅を掘り起こし畑を作り栽培していた。ところが、西瓜、メロンやかぼちゃが引き抜かれるという事態が発生し出した。犯人は見つからない。
 加えて8月9日、ついに『しろ』が連れ去られた。
 S63年9月1日の『職員打ち合わせ記録』では、
「シロがいなくなったことについて(8/9か8/10?)」(『職員打ち合わせ記録』/S63年9月1日/甲第167号証)
と手がかりを知らないか、訊いている。
 またもや、私の『動物愛護センター』通いが始まった。
 これらの攻撃は、日の丸・君が代の強制に反対する運動のリーダーの私とそのクラスに対する嫌がらせであると思われる。でなければ、この時期に、夏休みのちょうど半ばの時期にどうしてこのようなことをするのか。8月20日、『日の丸・君が代に反対するネットワーク』は『日の丸・君が代の強制に反対する全国署名連絡会議』を結成することが、各方面に連絡されていた。従って、そのことは教委や校長の耳に届いていたはずだ。彼らは、私の動きに、情報網をはっていたのだから。
 ここで、「情報網をはっていた」と書いたのは、
「中村秀樹教諭に係わる上申書」即ち乙第32号証で、津村は、
「@63年11月13日 四街道自主遠足を考える会 ・(当会に参加し講師           に参加            的役割をおこなう。
           *別紙資料のような発言等をした。」
ということに基づいている。この四街道で行われた集会には、四街道のことだから勿論、東部小の関係者は一切来ていなかった。しかし、「*別紙資料のような発言等をした。」などとその発言内容を記述すらしている。恐ろしい、この国はスパイ国家、検閲国家なのか。しかし、教員という人間は、そんあことであってはならないはずだ。信じて待ち続けることを骨身にまで浸透させた人間が、公僕としてする職だ。こんな上申書を書く方も書く方なら、それを証拠として出してくる方も出してくる方だ。しかも、それを教委と校長が教頭がやっている。恥ずかしくはないのか。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<213> ・・・・邪悪な意図を持つ津村や矢動丸は、事実の捏造を謀ってきた。そして、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧を強化してきた。逆井や津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けていた。
日の丸・君が代強制反対運動、遂に全国署名運動に発展
 
 8月20日、『日の丸・君が代に反対するネットワーク』は『日の丸・君が代の強制に反対する全国署名連絡会議』を結成し、日の丸・君が代の強制を学習指導要領に持ち込まないことを求めるて署名運動を開始する(『内閣総理大臣 文部大臣宛 日の丸・君が代の強制にを学習指導要領に持ち込まないことを求める要請書』/1988年/甲第179号証)(『わたしも日の丸・君が代に反対する全国署名に参加しています(賛同人・賛同団体)』/1988年/甲第180号証)(全国署名の活動の様子の写真/1988年/甲第181号証)。この後の攻撃は、日の丸・君が代の強制に反対する運動のリーダーの私を狙わんが為のことであると思われる。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<214> ・・・・邪悪な意図を持つ津村や矢動丸は、事実の捏造を謀ってきた。そして、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧を強化してきた。逆井や津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けていた。
『しろ』探しに苛立つ津村
 
「中村秀樹教諭に係わる上申書」即ち乙第32号証で、津村は、
 (23)63年9月5日 許可なく外出 ・(ドッグセンターへ行く)            *外出する時は必ず校長の許可を得るよう指導するも無           視している。
と記載しているが、「外出する時は必ず校長の許可を得るよう指導するも無視している。」という事実はない。事実、津倉の嘘で悪意の「上申書」にも、この後はこのようなことが繰り返されたという記載はないことが、証明している。
 さて、教員たちは教育内容に関すること、例えば教材を買ったり、緊急の家庭訪問をしたり、児童指導などに外出する時は、同僚に一声掛けたり、職員室の黒板に記載して出て言っている。
 それでも、居なくなった『しろ』は学校公認の犬なのでその犬を探すのは公務であるはずだが、私は年休を取得して探しに行っている。
 このような記載をしたのは、またもや私が動物愛護センター通いを開始したことに対する苛立ちだと考えられるが。今の段階になって、『しろ』を盗んだのは、津村達だと言えるのではないか?
 尚、私はドッグセンターには、4時25分の内規での退勤時間後に出掛けるか、年休1時間を取って早めに退勤している。『しろ』が見付かったよ、という情報が入れば、年休を取って探しに行っている。学校公認の『しろ』であってもである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<215> ・・・・邪悪な意図を持つ津村や矢動丸は、事実の捏造を謀ってきた。そして、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧を強化してきた。逆井や津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けていた。
自ら決めた職務を否定する津村
 
「中村秀樹教諭に係わる上申書」即ち乙第32号証で、津村は、
 (24)63年9月18日 運動会閉会式不参加 ・(閉会式の時校舎内に)            *大切な行事の閉会式にはきちんと出るように指導             する。
と記載しているが、長年、私は運動会の際の映像での記録係をやって来た。従って、校舎内からいつも撮影している。それは職務である。
 悪意という他はない。
 余談だが、教員誰もが閉会式に出るわけではない。小学生は様々なトラブルを起こす。特に熱射病になったり、怪我をしたり、腹痛を起こしたりと担任は低学年になればなる程大変である。また、保護者と緊急の話し合いをすることもある。閉会式に出られない教員もいる。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<216> ・・・・邪悪な意図を持つ津村や矢動丸は、事実の捏造を謀ってきた。そして、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧を強化してきた。逆井や津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けていた。
服務を正式に処理しているにもかかわらず、罠をかけようとした津村
 
「中村秀樹教諭に係わる上申書」即ち乙第32号証で、津村は、
 (25)63年10月4日 病休日の報告 ・(夏期休業中の通院日の報告)
             *夏期休業日の通院日を教頭に報告し、表簿に記              載するよう指導。
 (26)63年10月5日 通院日の報告拒否 ・(表簿への記載、通院日                        の記載拒否)
              服務整理簿の無断記載
             *病気休暇整理簿への正しい記載と報告を指導す              るも、言葉じりをとらえて反発し、指導内容を              無視する。
 これも、虚偽の記載である。
 第一、このような事で問題になったことはない。
 しかし、これもおかしい。まず、この夏休みの服務に関しては、9月6日(火)までに整理することになっていた。職員打ち合わせ記録の伊藤の「8月31日迄の出勤簿整理、復命書は5日以内にお願いします。」(甲第167号証)を見れば、一目瞭然である。だが、それ以上に、私は、この夏は病休申請などしていない。もっとも病休を取った者は、服務整理簿に記載し、出勤簿にも記載する。そして、みんな事務主事の伊藤の示した整理の期限の9月6日(火)迄に整理している。
 伊藤は、自分の仕事の進行を邪魔されたくないタイプの人間だから、9月6日と言ったら、それまでに総ての教員に整理させる。が、津村のこの「上申書」の記述である。1ヶ月も過ぎて、何を言っているのか! 何でも書けばいいというものではない。9月6日までに公簿の整理は終わっている。それに従って給料も出ている。
 しかも、捏造するに事欠いて「服務整理簿の無断記載」などという新語を発明して書いている。服務整理簿というものは申請する本人が記載して(「無断記載」して)、管理職に届けるものである。それが正しいやり方だ。書くに事欠いて、「無断記載」とは全くおかしい。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<217> ・・・・邪悪な意図を持つ津村や矢動丸は、事実の捏造を謀ってきた。そして、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧を強化してきた。逆井や津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けていた。
「上申書」が事実でないことをテレビが証明している。
   市民が見ていた
 
 さて、上申書の(27)(28)(29)(30)は教育基本法の10条にかかわることであり不当な教委の介入は許されない。しかも(27)(28)(29)(30)は事実とも違う。
 しかし、そんな中でも、上申書の
「(31)63年11月17日犬の件にてテレビ局の取材に応じる・(NTV・                       フジTVの取材を独断で前                       日に応じる約束をした。
             *当日の朝、よみうりテレビ局を案内してくる。              児童が騒ぐので、校長室にて取材に応じる。午              後フジテレビ局も取材に来る。(本人のみ取材)
              事情聴取に応じる事もなく、指導できず。」
の上申の部分は、如何に津村が悪意で嘘つきであるかを明らかにしている。
 それは、「校長室にて取材に応じる。午後フジテレビ局も取材に来る。(本人のみ取材)」としている点である。誰でも知っていることだが、校長が認めない限り、テレビ局は校内に入れない。校長が許可を出したから、テレビカメラは校内に入ったのである。しかも本人もテレビに出て、いなくなった『しろ』のことが心配だと、さも『しろ』を心配する良心的な校長として話しているのである。
 「事情聴取に応じる事もなく、指導できず。」なんて、とんでもない。
「俺はちゃんと犬を探してくれと話したからね」
と、私に自慢げに話していたのは津村だ。
 ともかく、テレビを見た国民全員が証人だ。彼はテレビに出るのをいやがっていなかった。(テレビのテープがあるので、必要とあれば、提出の用意あり。)津村には、明らかに保身と虚言癖がある。
 
 尚、「NTV・フジTVの取材を独断で前日に応じる約束をした。」ということもない。テレビ局のワイドショーは、通常、前日に連絡して許可を受けてなどして来ない。ドキュメンタリー関係、情報文化関係なら事前に話し合うことも多いが、ワイドショーは出し抜きや特ダネで視聴率を競う。
 では、どうしてテレビ局が急に来ることになったのか。それに先だって新聞報道がある。
 当時、千葉の四街道市の四和小学校3年2組・渡壁教員のクラスで世話をしていた仔猫が虐待されたという事件が起きた。渡壁教員が、その件を新聞社に「情報として提供?」「取材依頼?」をしたらしかった。
 しかし、その件を新聞社が取材していく途中で、記者は私のクラスの『しろ』が盗まれた件の情報を渡壁教員より得た。そこで、新聞社は、渡壁教員のクラスの仔猫ではなく、我がクラスの『しろ』をメインとして記事にして報道した。朝日新聞を例として提出する(『朝日新聞』/S63年11月16日/甲第168号証)。
 その新聞の記事で、テレビ局のワイドショーは、『しろ』が私の居る東部小の、しかも私のクラスの犬だと解って、取材したいとワイドショーが、突然にやって来たらしかった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<218> ・・・・邪悪な意図を持つ津村や矢動丸は、事実の捏造を謀ってきた。そして、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧を強化してきた。逆井や津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けていた。
スパイを使い私を弾圧する校長や教委のしつこいまでの処分意志
 
 上申書の(32)も嘘である。そのような事実はない。しかも、もしそのようなことが行われたとすると教育基本法10条2項を、憲法の保障した「学問の自由」と「学習の権利」を否定するものである。
 しかし、
「@63年11月13日 四街道自主遠足を考える会  ・(当会に参加し講師           に参加            的役割をおこなう
           *別紙資料のような発言等をした。」
という点には、如何に私を不当に弾圧しようとしたかということがはっきりと現れている。
 63年11月13日は、日曜日である。日曜日に教育問題を考える会に講師として参加しようがどうしようが、とやかく言われることではない。私が何をしているか、いちいち嗅ぎ回り、その発言を「別紙資料のような発言等をした。」と報告するのは、戦前の特高警察のやっていたことであり、しかも、そのことで、この上申書の
「その3 校長としての所見」に、
「公教育における指導者として適格とは言えない。」
「中村秀樹教諭に対する高所からの特別のご指導をお願い致します。」
と記載して具申するのであれば、戦前の思想弾圧を彷彿させる弾圧であり、この津村や今回の分限処分が如何に中村を狙った邪悪な犯罪であったかが明らかである。
 
 さて、またこの件で、少し説明すると、それは10月のある夜のことだった。
 電話が鳴った。電話に出ると、
「中村さん? 渡壁というんだけど・・・」
とその電話の主は話した。私はこの時初めて渡壁教員と話しをすることとなった。
 何でも彼の言うことによると、四街道市の四和小学校3年2組・渡壁教員のクラスでは、クラスの児童と渡壁教員とで巨人戦を後楽園に観戦に行ったらしかった。それを彼は自主遠足と名付けたらしかったが、そんなこと、「こども派教員」なら誰でもやっている。しかし、何を思ったか、校長や教委は彼を停職1ヶ月の処分に処した。信じられないことだ。
 彼は、一ヶ月後に、その件で集会を持ちたいということだった。そこで私に講師として参加して欲しいということだった。更に私以外にも講師として参加してもらえる人はいないか、と相談を受けた。
 私は、我が校の郊外学習が、あのような酷い弾圧とペテンの「文書訓告」されたことを考えれば、確かに他人事とは思えなかった。そこで、知人の保坂展人・現衆議院議員を誘ってみようと話した。そして、当日、保坂氏と一緒に講師として参加した。朝日新聞に記載されている(『朝日新聞』/S63年11月15日/甲第169号証)。
 尚、その集会後、我がクラスの『しろ』の件を聴いた渡壁氏は、前述したように自分のクラスの仔猫のことを話す際、サブとして私のクラスの『しろ』の件を話したらしかった。そして、それが記事にされた(『朝日新聞』/S63年11月16日甲第168号証)。その記事で、テレビ局のワイドショーは、『しろ』が私の居る東部小の、しかも私のクラスの犬だと解って、取材したいとワイドショーが突然にやって来たらしかった、という流れになる。
 
 だが、更に問題なのは、この集会には津村は矢動丸や五十嵐教務などは無論、東部小の教員たちは誰1人来ていなかった、ということだ。それでいて、「別紙資料のような発言等をした。」と報告書を作っているのである。ということは、スパイを潜入させたか、情報者と連絡を取り合ったということだ。
 スパイまで潜入させて、或いは、情報者と連絡を取り合って、私のクビを狙う。校長や教委が如何に邪悪であるかが、もはや明確だ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<219> ・・・・邪悪な意図を持つ津村や矢動丸は、事実の捏造を謀ってきた。そして、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧を強化してきた。逆井や津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ嘘を記載し続けていた。
「上申書」が事実でないことを教委自身が証明している。
 
 ところで、津村の書いた「中村秀樹教諭に係わる上申書」即ち乙第32号証では、63年5月16日から同年11月13日までを書いている。そして、この上申書は11月30日付で鎌ヶ谷市教委に出されている。
「その3 校長としての所見」には、
「公教育における指導者として適格とは言えない。」
「中村秀樹教諭に対する高所からの特別のご指導をお願い致します。」
とある。
 しかし、「高所からの特段のご指導をお願い致します。」とあるにもかかわらず、分限免職処分にはなっていないどころか、何らの処分をも受けていない。一切の事情聴取さえもされていない。ということは、一体どういう事か。
 それは、教委がこの「上申書」を重視しなかったということを示している。
 教委すら
     ・ この上申書が嘘である
     ・ 津村の悪意によって捏造されたものである
     ・ さしたる問題ではないと考えた
のどれかを考えたことを語っている。
 もし、この上申書が問題だと考えたなら、教委自体が必要な私への指導をすべきである。それでも指導しなかったのであるならば、教委は教委としての職務を果たせていないことになり、責任はそうしなかった教委にある。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<220> ・・・・私への邪悪な意図を持ち保身に走り虚言を繰り返す津村や矢動丸は、労働条件の改善や未払い労働の全廃をすることに対して、反対し続け、労基法違反を繰り返してきた。
労基法違反を繰り返し、労働条件や未払い労働に対する
  改善要求を無視し、法を守ろうとしない津村
 
 12月8日、私は、労働条件の改善と未払い賃金の支払いを求めて、要求書を津村にだした(『労働条件の改善と未払い賃金の支払いを求める要求書』/S63年12月8日/甲第170号証)。
 というのも東部小では、法律にそった休憩休息が取れないばかりか、それに代わる代替措置がとられないできた。津村自身が労働法を無視してきたのである。休憩室もない。
 しかし、ながらこの後も津村は改善要求を無視し続けた。そのような人物が管理職をやっているのである。信じられないことだが、それが学校現場の事実なのである。また、そのような人物が管理職になっていくのである。
 順法精神に満ちた人間が管理職をやらない。また、なれない。そこに、現在の悩める学校が作られている原因があるのである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<221> ・・・・私への邪悪な意図を持ち保身に走り虚言を繰り返す津村や矢動丸は、その対象を児童を巻き込み、児童へ被害を拡大した。しかも事故後の手だてを取ることから逃亡した。市内陸上競技大会の組織的傷害事件から、二中ぐるみの暴力教員集団傷害事件から、教委や校長や教員らが逃亡し、逆に私を弾圧してもみ消そうとしたことと、同じことが起きた。
校長は草花いじり、その為教頭は補教に職員室に、結果、起きた事故の責任さえ取らず、その上事故報告すらしない。更に、病院への支払いに必要な災害報告すら提出しない。しかも、学校日誌に記載せず、事件の隠蔽をはかった
 
 担任が年休や病休などを取った場合は、児童の安全への配慮から、校長、教頭、教務や他の教員などが補教に出ることになっている。とりわけ低学年の場合は、極めて高い配慮や注意をしなければならないので、必ずや校長や教頭などが補教に出ることになっていた。
 私のクラスに関しては管理職は差別的で、とりわけ郊外学習以降は補教に出ない場合が多くかった。
 それは、私が、労働条件の改善と未払い賃金の支払いを求める要求書(甲第170号証)を出した次の日に起きた。
 12月9日、私は、年休1時間を取る際、津村や矢動丸の管理職に補教の件で念を押し、管理職が補教に出ることを約束していた。しかし、実際は補教に出なかった。その結果、児童が怪我をした(学校日誌/昭和63年12月9日/甲第171号証)。その責任は、例え管理職が補教に出ていなくてもその責任は補教をしなければならない管理職にある。
「教職員の留守中に児童が教室内で起こした火災も教職員に責任がある」(佐賀地裁判決/昭和42年7月9日)とされるように、補教をすべき教職員は、中村学級だから補教に出ない、職員室で仕事をしている、ということであってはならないのである。
 彼らは、教育基本法6条2項の
「学校の教員は全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その使命の遂行に努めなければならない。」
に、違反しているのである。
 
 私は、津村や矢動丸に何故約束したのに補教に出なかったのか、何故学校に居たのに補教に行かなかったのか、と問い質したが、教頭は職員室におり、校長に至ってはビニールハウスの中で草花いじりをしていた。従って、別段補教に出られないと言う状況ではなかったことは認めたが、それでは何故でなかったのかと問い質すと回答することなく逃げ回った。
 つまりは、校長が趣味の草花いじりをする為に、教頭は職員室を離れられず、補教に出なかったというわけだ。
 しかも、津村や矢動丸は、私への事故報告すらせず、その上、災害報告すら記載をしなかった。(災害報告書と中村の要請/甲第172号証)。仕方なく、私の方で記載して提出した。そうしなければ、治療代等もでないからだ。
 私への罠を深める一方、彼らの私への敵視は、児童の安全への配慮義務すら放棄させ、その結果児童に怪我をさせてしまった。そして、その治療費に必要な事故報告すら書かなかった。そればかりではない。学校日誌(学校日誌/昭和63年12月9日/甲第171号証)に記載せず、事件そのものの隠蔽にかかった。つまり、自分たちの保身に走ったのだ。
 市内陸上競技大会の組織的傷害事件から、二中ぐるみの暴力教員集団による傷害事件から、教委や校長や教員らが逃亡し私を弾圧してもみ消そうとしたことと、同じことが起きた。津村、矢動丸はこんなことをしていたのだ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<222> ・・・・補教へも出ずに、立派なビニールハウスの中で草花いじり三昧。公務中に趣味に生きる津村校長。その草花いじりに校費とつぎ込むことに手を貸す教頭矢動丸。御陰で教員達は風をひいても病院にすら行けない場合もある。その上、児童は補教にさえ来てもらえない。
税金で自分の趣味の遊びをし、立派なビニールハウスの中で過ごす津村。学校の金を差し出す教頭
 
 津村と矢動丸は、今さらお話しすることでもないが、管理職である。
 従って、どちらか一人が原則として、職員室に居なくてはならない。電話番にはじまり、万が一の事故などに対応する為である。
 それが、二人とも学校にいるのだが、職員室にも校長室にもいない場合が多い。何処にいるか解らない場合が多い。ただ、校長に関しては、玄関前の運動場にかなり立派なビニールハウスを建てて、その中で草花の栽培をしていることよくあるが、外からでは居るのか居ないのかわからない。或いは、その草花の飼育の為に学校の周囲にいることが多かった。
 さて、このビニールハウスはかなり立派なものだが、その建設費用、珍しい植物などの購入費用、肥料やその他運営費用は、何と国民の税金から出されていた。趣味は自分の金でやればいいが、なんと児童に回されるべき公費、学校の金を使っていた。しかもビニールハウスの出入口は鍵が掛けられ、児童や私たち教員は出入りすることはできない。主に、彼が「草花の飼育のプロ」として、教委や校長達に評価される為のものだったようだ。
 12月9日の事故[(甲第171号証)(甲第172号証)]の際、校長はそのビニールハウスの中にいた。
 さて、それにしても、校長な学校にいても草花いじりで忙しく、職員室には殆どいない。教頭にしても、職員室を離れなくてはならいことが多い。そんなとき他校なら、あまり仕事のない校長が職員室にいる。しかし、我が校はそうはいかない。校長は草花いじりの趣味で、教頭より忙しいのだから。従って、職員室に管理職がいないという事態になる。そうなれば、教務が居なければ、殆ど誰もいないことになる。学校に来客があったり、郊外学習や病休の許可や年休を取ろうとしても、なかなか取れない。
 私は、管理職のどちらかが職員室に居るように、無理な時は、万が一の事態に備える為にも居る場所がわかるようにしておくようにと、度々要請した。しかし、彼らはそのことをしなかった。そこで私は、そのことを学校日誌に記載することにした[(『学校日誌』中村記載部分/S63年12月13日/甲第173号証)(『学校日誌』中村記載部分/S63年12月14日/甲第174号証)](『学校日誌』中村記載部分/S63年12月14日/甲第175号証)]。
 兎も角、津村の草花いじり、それ自体は勤務時間外にやればいいのだが、の為、教頭が居なくなると、管理職の行方がわからないという、管理職学校内行方不明事件が多々起きている。異常な事態である。他校では、ここまでのことはない。東部小でも、今までもなかった。
 津村は私への捏造をする以外は、草花いじりにうつつを抜かしていたのだった。しかも公務中に、補教にも行かずに、である。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<223> ・・・・邪悪な意図を持つ津村は。なんと、私のクラスのボランティア活動が新聞に掲載されると、なんと妨害してきた。
地震救援ボランティア活動を妨害する津村。
私や私のクラスが評価されることに敵愾心を駆り立てる津村。ボランティア活動を止めさせようとした
 
 2年生でも、私は学級を解放し親たちと一緒にいろんな事をやっている。廃油からの石鹸作り、生ハム作り。ときには、運動場全部を使って大カルタとり大会などのレクなどもやる。また、親の中で社会科のまなびの講師をする人も出て来た。
 12月、アルメニアで大地震が発生した。仲間たちは義援金集めのために(『アルメニアの人をたすけてあげて! 東部小学校2年4組』/S63年12月/甲第176号証)、寒い中、新京成線の鎌ヶ谷大仏駅頭にも立った(義援金を集める東部小学校2年4組の児童の写真/S63年12月/甲第177号証)。
「こんなに小さいのにねぇ」
と、幼い声の訴えを耳にした老婆が涙した。
 募金の動きは広がって行った。7月14日の酒井が来た時に大見得を切ったのを除けば、いつもは穏和な津村なのに、ちょっと驚いたことがある。募金活動を許可していた彼が、仲間たちの募金活動も順調に進み出すと、
「先生、もう、止めて!」
と、干渉して来たことである。駅頭に立って2週間経った時だ。甲第175号証は、その事を良く現している。
 津村には、何か都合の悪いことでもあるのだろうか?
 12月9日の事故をはじめとして、これまで管理職が二人とも職員室を不在にしてしまうことを、津村はビニールハウスに居ることが多いのだが、私が問題にしてきたことへの腹いせだろうか。私が、いくらお願いしても管理職が聞かないので、学校日誌に書いたことに対する腹いせだろうか。
 加えて、私のクラスが目立った行動をすること自体を押さえにかかる、ということもあったのだろうか。私への評価の高まることは潰しにかかるという、この間の彼らの中村潰しの方程式の適用だったのだろうか。
 兎も角、人道ボランティアを潰しにかかるなんて、教育の場でなされることではない。私たち2年4組は、朝日新聞の救援寄金に、42,708円を送った(『朝日新聞』/S63年12月27日/甲第178号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<224 ・・・・邪悪な意図を持つ津村や矢動丸は、事実の捏造を謀ってきた。そして、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧を強化してきた。逆井や津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ、その上強制不当配転の攻撃を仕掛けてきた。
日の丸・君が代、そして強制異動
 
 一方、市民運動では、私は、日の丸・君が代に反対するネットワークの一員としても、昨年、即ちS63年8月20日から『日の丸・君が代の強制に反対する全国署名運動』を展開していた(甲第179号証)。
 そして、昨年、SS63年11月3日には、全国同時集会(全国同時集会のチラシ/S63年11月3日/甲第182号証)を打つまでになっていた。東京でも集会が開催された(全国同時集会・東京のチラシ/S63年11月3日/甲第183号証)(全国同時集会・東京の写真/S63年11月3日/甲第184号証)(『毎日新聞』/1988年11月4日/甲第185号証)。
 また、日の丸・君が代の強制に反対する全国署名連絡会議では、S63年の秋から粘り強くリクルート事件の追究も行った(チラシ『文部省とリクルート(=財界)の黒い関係を糾弾する!』/甲第186号証)(チラシ『中曽根・自民党や財界によって私物化された「教育改革」をやめさせよう!』甲第187号証)(リクルート事件を追究する日の丸・君が代の強制に反対する全国署名連絡会議の仲間の写真/甲第188号証)。不正を許さない為に行動することは、国民の義務である。
 更に、昨年、S63年12月20日には、対文部省要請行動に力を入れて取り組んでいった(要請書提出の呼び掛けチラシ/甲第189号証)(『文部大臣への要請書』甲第190号証)(文部省への要請行動の写真/63年12月20日/甲第191号証)。
 
 そんな中、年が明けた。
 冬休みがあけた初日、千葉県教育委員会は年度末の教員異動を調べるために、全教員に『異動希望調査票』というものを提出させる。
 私は異動希望「なし」で『異動希望調査票』を津村に提出した。
 
 しかし、年が明けて、文部省による各学校への「弔意」強要問題が起きた。
 日の丸・君が代の強制に反対する全国署名連絡会議では、早速、各学校への「弔意」強要に反対して文部省に抗議行動を開始した(チラシ『文部省の<弔意>強制通知弾劾! 学校へのXデー攻撃を許さないぞ!』/甲第192号証)(弔意強要に抗議する日の丸・君が代の強制に反対する全国署名連絡会議の仲間の写真/甲第193号証)。
 一方、日の丸・君が代の強制に反対する全国署名連絡会議では、マスコミへのコンタクトを常にとっていった(『記者会見のお知らせ』/S64年1月/甲第194号証)(『2.10 共同記者会見のお知らせ』/S64年2月/甲第195号証)。
 S64年2月10日は日の丸・君が代の強制を盛り込んだ新学習指導要領の原案提示がなされる日である。従って、この日、内閣総理大臣に日の丸・君が代の強制に反対する全国署名と提出した(『署名』/S64年2月10日/甲第195号証)。また、その後、文部大臣に署名提出した(『署名』/S64年2月10日/甲第196号証)(『署名』提出の際の日の丸・君が代の強制に反対する全国署名連絡会議の写真/S64年2月10日/甲第197号証)。
 更に、同日、記者会見を開いて(甲第197号証)、日の丸・君が代の強制を新学習指導要領に持ち込まないことを求める共同声明文(『日の丸・君が代の強制を新学習指導要領に持ち込まないことを求める共同声明文』/S64年2月10日/甲第198号証)や、様々な団体の声明文を、共同記者会見で明らかにした。
 そんな中、文部省交渉、国会議員会館内での集会と、私たちの強制反対の動きが多方面に展開され続けていた。
 
 マスコミも、私たち日の丸・君が代の強制に反対する全国署名連絡会議の取り組みと、日の丸・君が代の強制の新学習指導要領への持ち込みをめぐって記事にした。そんな中、ネットワークの代表の立場にいた私の名前が、新聞や雑誌に載ることが一層増えて来た。
 毎日新聞では「日の丸、君が代守らねば処分 学校現場ピリピリ」と見出しに掲げ大きな記事を載せた(1989年2月11日/甲第199号証)。尚、毎日新聞の記事にある「懸橋亘代表」とは私のこと。
 更に、朝日新聞で「学校が変わる」という特集を組むとのことで、記者が私の元を訪れ、そして2月12日にはその特集に私の名前が出たりもした(「日の丸・君が代 どう教える意味・背景 具体性に欠けあいまい」/1989年2月12日/甲第200号証)。
 その上、その同じ朝日新聞の社説では、同日、日の丸・君が代の義務化は「納得しがたい」との論陣がはられた(朝日新聞『社説』/1989年2月12日/(甲第201号証)。
 『朝日ジャーナル』では、文部省への署名提出の様子も記事にされた(「日の丸・君が代をどう教えたらいいの/新学習指導要領反対で2万余の署名を集めて抗議」/1989.2.26/甲第202号証)。
 
 私たちは、S64年3月15日の日の丸・君が代の強制を盛り込んだ新学習指導要領の官報告示に向けて、反対運動を強化していった。その為、2月12日には日の丸・君が代の強制に反対する為の「徹底討論会」(「徹底討論会」チラシ/S64年2月12日/甲第203号証)を開催した。
 また、S64年2月20日には、国会議員に対する「日の丸・君が代の強制を新導要領に持ち込ませないことを求める要請を行っていった(国会議員様 『日の丸・君が代の強制を新導要領に持ち込ませないことを求める要請書』/1989年2月20日/甲第204号証)。
 更に、私たちは、S64年3月15日の日の丸・君が代の強制を盛り込んだ新学習指導要領の官報告示に向けて、様々な反対運動に取り組んでいった(日の丸・君が代の強制に反対するチラシ/S64年/甲第205号証)。
 
 
 そんな中、3月3日、津村は異動での教育長面接に出かけた。そして、教育長面接から帰ってきた後、私を校長室に呼んだ。
 以下は、津村の詐欺の手口を知る意味でも実に参考になるので、当時の私のメモを持ち出す。
 
「3.3 人事異動の件
      教育長面接後、異動となる感触が強い。10年だから。
      出さなくても異動させられるのはさせられるから、それなら希望票を
      書いたら。書けば、寧ろ希望のところへ異動となるかもしれない。
      希望票を書き直したらと言う。
   津村言「いきなりバーンとこられたらこまるので」
      市外に希望を出したら、出られないだろうから、
      学校に残れるだろう。
      希望はしない。一応あずかるが、希望しない学校に
      異動させられたという件がある。従って、東部小学
      校にいられなくなると困る」(中村メモ/甲第299号証)
 
 つまり、津村は「市外に希望を出したら、出られないだろうから、学校に残れるだろう。」と言い、その為、希望票を書き直したら、と言っているのである。
 異動希望票を、異動希望あり、と書き直したら一発で、勝手なところに異動させられるのは、火を見るより明らかである。津村はそんな手口を使う男だったが、でっち上げ権力犯罪事件である分限免職処分になるまでは、津村の詐欺師としての面は見ぬけないでいた。否、誰が校長にそんな手を使う詐欺師がいると思うだろうか。
 
 3月8日、私は、5月26日の遠足の件で出された「文書訓告処分」の撤回を求めて人事委員会に措置要求を提出した(甲第78号証)(『朝日新聞』処分撤回へ措置要求 鎌ヶ谷の自主遠足教諭「教育に不当介入」/1989年3月9日/甲第206号証)(『毎日新聞』訓告処分取り消しを求める 自主遠足の小学校教諭 人事委へ提出/1989年3月9日/甲第207号証)(『東京新聞』自主遠足で訓告は不当 処分取り消し請求/1989年3月9日/甲第208号証)(『読賣新聞』訓告取り消し求め措置要求 鎌ヶ谷の小学校教諭/1989年3月9日/甲第209号証)(『千葉日報』「訓告処分は不当」 鎌ヶ谷市立東部小学校教諭 取り消しへ要求書/1989年3月9日/甲第210号証)。
 
 ところが、3月の10日のことだった。東部小に異動して来て、東部小の持つリベラルな雰囲気にすっかり魅せられた教員が、2年4組の教室にやって来た。彼は、私を見るなり、
「中村さん、鎌小に異動が決まったみたいだよ」
と、話し出した。私は、彼の話に吃驚した。しかし彼は続けた。
 鎌小とは鎌ヶ谷小学校の略である。鎌ヶ谷市内でも管理の厳しい学校との定評がある。
「鎌小では、中村さんが来ることに反対したみたいだよ。四家校長が、中村さんが来るんだったら、教頭を基準より1人増やして貰わないと困ると、酒井さんに掛け合ったらしいんだ。鎌小は学級数が減ったから、来年度から教頭は1人のはずだけど、見ててごらん、中村さんが行くとなると教頭は2人いるよ」
 私は異動希望を出していない。3月3日の津村提案の異動希望票「書き直し」さえ断った。そんな状況で、既に異動校が決まったとは、全く彼のする話は、不可思議な話だった。しかも、彼はニュースソースを明らかにしない。
 すると、その教員は、次の日も私の所にやって来た。そして、
「昨日、津村さんと酒井教育長が、中村さんの引継のために鎌小の四家校長の所に行ったらしいよ」
「中村さん、中村さんは来年度は3年生の理科専科だってよ。嘘だと思ったら津村さんに聞いてごらんよ」
と、その教員は話した。異動希望なしの私が異動になっているわけはない。しかし、彼の話も嘘ではなさそうだ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<225> ・・・・邪悪な意図を持つ津村は、強制不当配転の件でも嘘を付き私を騙し続け、私の権利を侵害し続けてきた。
異動の件でも嘘を付いては、私や組合を騙し続け、
  私の権利を侵害してきた津村
 
 そこで、3月13日、私は津村に噂の真相を質しに行った。
「俺はね、教育委員会には中村先生は、異動を希望していませんので宜しくと言ってあるよ」
「えっ、酒井先生と俺が四家校長に会いに行ったってか? そんな事ないよ、先生」
「先生が鎌小の3年生の理科専科? 知らないよ」
 彼は、ぽんぽんと私の問いに対して答えた。
 
 日の丸君が代の強制に関して、地方紙なども報じていた。(『神奈川新聞』 「日の丸」「君が代へ」の意識/1989念3月18日/(甲第211号証)
 そんな中、私は、3月20日にも、学校給食の放射能検査を実施すること、若い仲間たちが出入りする職員室を禁煙にすること、文部省や県教育委員会などが有害なアスベスト付き金網の回収通知を発令すること、を求めて人事委員会に措置要求を3つ提出した(朝日新聞/3月21日/甲第212号証)(読売新聞/3月21日/甲第213号証)。
 
 例えば、S63年4月27日の『職員打ち合わせ記録』には、
「中村 チェルノブイリ原発事故後の放射能と給食の関係、学校給食の材料の産地を明らかにしてほしい。行政に要求してほしい。」(『職員打ち合わせ記録』/S63年4月27日/甲第214号証)
とある。しかし、津村や矢動丸はその件で何も答えていない。また、S63年6月2日の『職員打ち合わせ記録』には、
「中村 給食材料について・・・放射能の含有量? 輸入先国?」(『職員打ち合わせ記録』/S63年6月2日/甲第215号証)
とあるが、またもや、津村や矢動丸はその件で何も答えていない。更に、S63年9月13日の『職員打ち合わせ記録』にも、
「中村 給食の放射能汚染が心配である」(『職員打ち合わせ記録』/S63年9月13日/甲第216号証)
とあるが、津村や矢動丸はその件で何も答えていない。
 
 職員室の禁煙についても、S63年7月2日の『職員打ち合わせ記録』に、
「中村 職員室の禁煙をお願いしたい」(『職員打ち合わせ記録』/S63年7月2日/甲第217号証)
とあるが、津村や矢動丸はその件で何も答えていないのである。
 
 アスベストについても、S63年4月5日の『職員打ち合わせ記録』に、
「中村 アスベストの件(広島大のデーター、吸っている人無意識のうちに癌になりやすい。)」(『職員打ち合わせ記録』/S63年4月5日/甲第218号証)
とあるが、津村や矢動丸はその件で何も答えていないのである。
 さて、このアスベストの件は危険度が高いので、除去について懸命に要請する。当初、私から回収を要求されると、津村は、教委に確かめて、
「アスベストには安全なアスベストとそうではないアスベストがある。学校では安全なアスベストを使っている」
と回答した。
 しかし、私は、アスベストに安全なものはないことを説明した。そして、やっと、
「中村 アスベスト(送風機)の除去について」(『職員打ち合わせ記録』/S63年5月31日/甲第219号証)
という、私の要請に応えて、
「津村 アスベストについて解答ありしだい報告」(甲第219号証)
となったのである。
 私は、同時に、津村を通して、理科で使うアスベスト付き金網の回収も働きかけてきた。しかし、津村は校長会を通してアスベスト付き金網を回収することで、自分の手柄にしていたようで、津村が何処までアスベスト付き金網の危険性を理解しているのか疑わしかった。要は、私達教員に求められていることは、日本全国からアスベスト付き金網を無くすることであり、校長の手柄とかではなく、真剣にそのことに取り組ませることが必要だった。
 そこで私は、文部省や県教育委員会などが有害なアスベスト付き金網の回収通知を発令すること、を求めて人事委員会に措置要求を提出した。
 
 これまで異動について否定していた津村だが、3月17日になると、
「異動に向けて動きが出て来ているらしいよ、先生。俺は、異動したくないという先生の希望は充分過ぎるほど教育委員会に伝えて来たよ。もうこれ以上教育委員会に伝えることはないよ。先生、異動がいやだったら、自分の言葉で教委に行って伝えなよ。県教委と事をあらだてないほうが」
と、言い出した。
 自分で伝えて来い、という彼の態度は校長の職務を放棄したものであり、自ら管理職失格であると宣言しているようなものである。彼の対応に不満だったが、職務を放棄した対応をとる人間に何を言っても始まらない。
 3月21日、私は、千葉県教育委員会東葛飾出張所長足立に電話で、異動させないように話した。
 足立は、私の問いに電話で、以下のメモの通り答えた。
 
「3.21 足立主張所長との話
     足立:・中村さんなりに判断しろ。どうやろうと、あんたなりに判        断してやれよ。
        ・総合的に考えれば異動した方が、
        ・学校を変えて
        ・(県の中に快しと思っていない人が「いるんじゃないか         な?」
        いろんな面で人事委員会に措置要求する人も何人もいないか        ら。
        ふつうの先生方がやらないことを中村さんスイスイとこうや        るでしょ?
       ていそ、人事委員会に提訴した。あれなんかね 千葉県その教       員職の中でもそう何人もやるってことじゃないもんな、中村さ       ん。
       そいうことであんたの行為に対して
       いろいろと、
 
       あとはねあんたの判断にまかせる。
       どうやろうとおれはね/所長としてあんたがね
       あの話を 話しあったことを あんたは、私の話をきちっとよ
       あんたいいだけ判断してさ、やってくださいよ。」(中村メモ/甲第300号証)
 
 しかし、その後、私が会いたいと申し入れると、足立は、明日会おう、と告げた。
 3月22日、東葛飾出張所に出掛けた私は、出張所長の足立に会った。彼は、私の問いに以下のメモの通り答えた。
 
「   1989.3.22 足立所長との話
不利益ではない
 ・近くなる。
 ・規模が同程度である。
 ・全部話をうかがって
  いっていたら、行政サイドとして
  話がつかなくなる。
 
田中課長
 県での判断はあった。
   鎌ヶ谷教委
   ・県の方針
   ・人間的に成長
   ・東部小の活性化
           県任命権者
           内申通り
           適切では
           ないかと
           判断だ
 
中村を処分してやると県の中で言われた。
出先の所でそんなことは言えん。
 
四家が言った。
我が校にいたらあんな勝手なことを
やらせない。
 
・鎌小は三人の専科しかいなかった
一人増やして四人の専科にした。
 
足立
 酒井三郎教育長と
 津村校長との間が感情的になるのが心配だ」と言った。
 四家さんの場合は、そんなことはないと思う
 
 私も所長だから、やっぱし本庁のね、その
 20にね。あの人事委員会に行って、 3点てえは
 中村さんに対する、評価というのはね
 前回のこともとうもさ、ちくじ連絡
 あるわけよ。ね。そういうそのー中村さん
 こう一般の教師としては、ちがった形の
 行為をね ひじょうにとっていると
   評価
 中村さんに対する評価というのはね、
 われわれが考えるよりね、う〜んとちがった
 もんもあるんだよな。
 ちがった考えもって人もいることは
 たしかだと思うよ 中村さん。
  八木課長?(私の言葉)
  山本教育長?(私の言葉)
 そりゃ、いろんな人たちがさあ、
 ね。
 じん事委員会に三つ 三点持っていった
 んじゃ、いろいろやってればさあ
 それがマスコミや新聞に出る
 すればねえ。やっぱしねえ
 行政を担当している方々ってのは
 いろんな面で また、
 中村さんの本当の評価はしない
 あんたのさあ、そういう行為とうし
 てのねひょうかをね するんじゃない。」(中村メモ/H1年3月22日/甲第301号証)
 
 そして、足立は、別れ際に、3月20日に私が人事委員会に提出した措置要求などに触れ、
「中村さんの事をよく言わない者がいる」
と、またもや繰り返した。
 忠告と言うよりは、うっぷんを晴らすような、捨てぜりふのような言葉だった。
 「やっぱし本庁のね・・・・ 中村さんに対する、評価というのはね 前回のこともとうもさ、ちくじ連絡 あるわけよ。」「中村さんに対する評価というのはね、われわれが考えるよりね、う〜んとちがったもんもあるんだよな。」と足立は言ったが、それは、県教委の私に対する反感が如何に強く根深いかを表現したものだった。
 県教委、組合幹部、校長会、千葉大学閥、右翼の利益共同体を見れば、そもそもの中村弾圧は県教委にあり、酒井ら鎌ヶ谷市教委はその実行部隊でもあった。
 
 私は、学校に帰ると、異動の理由として、
「私と『酒井三郎教育長と津村校長との間が感情的になるのが心配だ』」
と言ったことなどの足立の話を伝えた。
すると、津村は、
「県の奴ら、おれ1人に泥をかぶせる気だな」
と、憤懣やるかたないと言った様子で、県教委の「奴ら」を口汚く罵った。
 
 私は組合にも連絡した。組合は、4年ほど前から、日教組反主流派が牛耳っていた。しかし、組合にしても「機械的な異動」のやり方に反対している以上、今回の私への強制異動の動きは認められなかった。川村書記長は、私の異動の撤回を求めて酒井と会うことになった。
 川村書記長は私の異動の撤回を求めて酒井と会った。酒井は、川村に、
  「・過去3回以上説得した。
    今回も10回以上説得をした。
   ・特別の状況である。
    出張所、教育委員会、校長の3者で協議、合意によって移動
    校長の具申と教育委員会の内申で出張所が認めた。
   ・特例である。
    外側から見れば不信につながっても仕方ない。
   ・話し合いの窓口は、開けておく、
    内申は撤回しない
   ・裁判や人事委員会提訴は覚悟のうえだ。3年以上考えて来たんだ。」
と、告げた。
 それを私は川村から電話で聴き、メモにした(メモ『東葛支部書記長川村氏との電話内容』/S64年3月23日/甲第220号証)。
 一方、川村は私同様に異動対象になっていたが、自分のみは組合の書記長の職にあるからと、異動対象から外させていた。
 
 私は津村に、
「校長が具申している、と市教委が言っていますよ。本当は具申したんじゃないですか」
と訊いた。
 すると、
「俺は具申していないよ」
と津村は言い張った。
 加えて、津村は組合にも、
「希望がないことは、教育委員会に伝えました」
と繰り返していた。
 そのことは、人事委員会作成の『平成元年審乙第22号事案主張整理表』の6ページの請求人側主張の1行目から2行目にも、
「同校長は内示が会った後、請求人及び組合との話し合いの中でも、転任希望なしと具申した旨を伝えている」(人事委員会作成の『平成元年審乙第22号事案主張整理表』/甲第304号証)
と、あることからも明らかである。
 
 そこで、私と組合は、本人が希望していない、そして校長も具申していない異動をしないよう、私の異動を撤回してくれるよう、酒井に伝えるために、教育長酒井に会いに行くことにした。
 すると、津村が、私が異動を希望していないので、
「慎重に対応するようにという具申は上げた。何が具申と言われているのか、本日中に話を伝える」(『中村メモ』/S64年3月24日/甲第221号証)
と言いだした。
 そして、その夜私の自宅に、津村から「何が具申と言われているのか、本日中に話を伝える」と約束した件で電話があった。
 以下は、津村の詐欺の手口を知る意味でも実に参考になるので、当時の私のメモを持ち出す。
 
「1989.3.24(夜)(TELで)
      津村:10年だから、視野を広げて進めるためには、異動したほ        うがよいだろう。
        だけども本人が希望を出していないので 慎重にお願いしま        すと、慎重にご配慮ねがいますといったことが具申になって        しまった。
      中村:異動する気がないという具申は通っていないわけですね         え。
      津村:その辺のところをどうかいしゃくするかはよくわかんない        んですが
 
           <校長も立ちあえ>
               と酒井からTEL」(中村メモ甲第302号証)
 
 どうも、津村のところへ酒井から電話があり、組合と私と酒井の話し合いに、津村も参加することになったらしい。
 
 3月25日、津村が具申したという教育委員会の主張の真相をはっきりさせるために、校長も具申していない異動をしないよう要請するために、私の異動を撤回してくれるよう要請するために、組合の井原書記次長と私は、酒井に会いに行った。河村は用事があるからと、井原が来ていた。教委に着くと、既に津村が来ていた。
 酒井は、
「異動希望がなくても、県は、異動は何年で行うといえる」
などと、話した。
 私と井原は、津村が具申したのではないかと、酒井の前で問い質した。
 すると、津村は、
「中村先生の異動希望がないことは、教育委員会に伝えました。教育委員会の方から校長の意見を求められましたから、本人の異動希望がないので異動なしで宜しくと申し上げました」
 津村の話に酒井は、頷いて聞いている。はてな、異動について知らないと言っている津村の言はまんざら嘘ではないのかな、と私は想った。どうも井原も私と同じ様に思っているらしい。だとすれば、やはり本人の異動希望もなく校長も異動無しで具申しているのに異動させると言うことは前代未聞で、組合との協約にも反する。
 そこで井原と私は、撤回してくれるよう強く申し入れた。
 ところが酒井は、
「内申は校長の意見も聞いて決めたものですよ」
と、言い放った。
 私と井原は、
「どちらが本当なんですか?」
と訊いた。
 それに対して、津村は、
「中村先生の気持ちを具申しました。ただ、いろんな話の中でこういうふうに考えるとは話しました。10年経つが異動しても良いという私の気持ちは話しました」(『中村メモ』/S64年3月25日/甲第222号証)
と言った。
 津村の話では、今一つはっきりしない。そこで、私は、酒井に、
「先程から津村先生の話を頷いて聞いていたでしょ。どちらが本当なんですか?」
と私は問い質した。
 すると、酒井は、
「内申は校長の意見も聞いて決めたものです」
と繰り返した。
 そこに、計ったかのようなタイミングで電話のベルが鳴った。電話を取った酒井は、
「市議会の岡田議長からの電話で、これから行かなくちゃ」
と告げ、出口の所で、
「窓口は開けておくので、今日はこれで。じゃあ」
と、言うとそそくさと出て行った。
 残された井原と私は、さっさと出ていった酒井の挙動に釈然としないものを感じている。まして、酒井が、内申は校長の意見も聞いて決めたものですよ、と言ったことに対しては、未だ判然としていない。
 私と井原は津村に、
「異動の具申をしたんですか?」
と確認した。が、津村は、
「していない。先生、俺を信じてよ。ただ校長の意見はと聞かれたので、異動した方が中村先生のためかも知れないとは話したが、中村先生は異動希望していないので異動しない方向で宜しくと言ったんだよ」
と、繰り返した。そして、彼はエレベーターの中でも、一階に降りても、教育委員会のある市役所の建物の入口でも、
「俺は、異動の具申はしていないよ」
と、言い張った。そして、私たちが別れるまで、彼は同じ事を繰り返した。
 
 今となれば、これらのことは、如何に津村が嘘つきであるかということを物語っている。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<226> ・・・・津村は、強制不当配転の件でも嘘を付き私を騙し続け、私の権利を侵害し続けてきた。しかも、その津村の嘘の上に立って、教委も私を処分し弾圧する為に不当な強制配転を強行した。
教委は、1次面接、2次面接さえすることなく、
  私への強制不当配転を強行した
 
 しかも、その津村の嘘の上に立って教委が私を処分し弾圧する為に、強引になっているかが解る。1988年度末人事異動に関する要求書(甲第16号証)の1ページの要求内容(1)に対する回答蘭で、教育庁東葛地方出張所長足立淳は、
   「機械的には行わない。異動を希望しない理由を、本人が校長にできる   だけ詳しく、事実に即して話して欲しい。」
と回答しているが、組合との確認さえ無視して強引に異動を強制した。
 しかも、異動に関しては、1988年度末人事異動に関する要求書(甲第16号証)の8ページにあるように、
   1月中旬 第1次面接
   2月中旬 第2次面接
   3月中旬 内示
という流で進むものを、私の場合、「1月中旬 第1次面接」「2月中旬 第2次面接」さえ、行われなかったのである。如何に強制配転するにせよ、必ず「1月中旬 第1次面接」「2月中旬 第2次面接」をして、異動対象者本人の意見を聞いて、その上で検討し、強制配転している。しかし、私には、何と「1月中旬 第1次面接」「2月中旬 第2次面接」の面接さえ許されなかったのである。このような行為は、行政が私にだけ行う、行政行為の公正さを欠く不当な行為である。
 この行為は教育基本法10条2項に違反するのみならず、『教員の地位に関する勧告』(教員の地位に関する特別政府間会議で採択)の64条の
「いかなる監視または監督の制度も、教員の専門的な職務の遂行にあたって教員を励まし、かつ、援助するように計画されるものとし、また、教員の自由、創意および責任を減じないようなものとする。」
などの規定に反することは明確である。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<227> ・・・・酒井や津村は、事実の捏造を謀ってきた。そして、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧を強化してきた。逆井や津村は、罠を仕掛け、私を欺き罠に陥れ、その上強制不当配転を強行してきた。
話し合いの約束さえ守れない教育長酒井と校長
  邪悪な私への弾圧
 
 3月31日、私の異動は撤回されることなく、異動の辞令が発せられた。
 4月1日は土曜日だった。休み中なのに小さな仲間たちが校庭に集められ、離校式が行われた。離校式が終わると、教員たちは10時頃異動して行った。例の大名行列方式でである。私は、津村に、
「辞令書の撤回の『申し入れ』を、教育委員会にして欲しい」
と、頼んだ。
 一方、組合の川村書記長は、着任拒否と処分について調べたらしく、
「29日までは着任拒否しても大丈夫だよ」
との見解を私に対して示してきた。そして、彼は、
「中村さん以外にも、組合との確認を踏みにじる不当な異動が起きている。今後不当な異動や機械的異動を止めさせるためにも、県の人事委員会に措置要求して闘おう。組合としても措置要求して闘いたい」
とも提案してきた。
 29日まで大丈夫と言われても、このまま29日間を過ごすわけにはいかない。私は途方に暮れた。そこで、先方の鎌ヶ谷小学校の四家明彦校長、酒井、津村、組合と私の5者で会って、今回の事態に決着を付けようと考えた。ついては、合同の話し合いを各氏に申し入れることにした。その方向で津村も了解したので、私は電話で、残りの各氏の了解を取り、各氏の了解も得られた。話し合いの日時と場所は、酒井の希望で、日曜日の次ぎの月曜日、即ち4月3日の午後4時、教育委員会と決まった。その日時と場所に、津村も四家も諒承した。
 
 4月3日、私は教育委員会に出掛ける段になると、津村は、
「俺は今まで異動の希望がないことを散々伝えて来たから、俺はもういいよ。先生だけで行って来なよ」
と、言い出した。あまりにも無責任だ。とはいえ、いまさら腹を立ててもどうなるものでもない。そこで、私は、津村に「津村留美様宛『要求書』 と 千葉県教育委員会様・鎌ヶ谷市教育委員会様宛『不当に行われた人事異動を撤回させることを求める要求書』(1988年4月3日/甲第18号証)を渡して、私は1人で教育委員会に向かった。そして、教育委員会の入居している市役所の入口で、組合の川村書記長と合流し、午後4時に教育委員会を訪れた。
 ところが酒井は約束を違え留守にしており、また四家校長は一向に現れなかった。
 そんな彼らの対応の中、私は、仕方なく今回の異動が私の意に反したものであり、撤回をするよう求めて要求書(甲第18号証)を教育次長に渡して、鎌ヶ谷小学校に赴任した。
 その鎌ヶ谷小学校では私を分限免職に陥れたが、この強制配転はその為のカウントダウンであり、約束を破る教育長酒井や校長たちがなした処分だったのだ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<228> ・・・・津村は、事実の捏造を謀り、攻撃を繰り返してきた。そして、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧を強化してきた。津村は、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ、強制不当配転を強行し、自己保身の為に嘘さえも付いてきた。
またもや教育委員会に嘘を報告していた津村
 
 津村は、私の鎌小への強制不当配転への経過を、4月4日付文書で教育委員会に報告していたことが分かった。そして、そこでも彼の文章は、事実とは違っていた。
 例えば、彼の教育委員会に提出していた『中村秀樹教諭の異動及び辞令交付に係わる行動について』と題する文書の3月25日の所では、
「3月25日、市教育委員会教育長室にて教育長酒井先生及び中村秀樹教諭、組合の書記次長と4人で話し合う。異動にいたる経緯を相手にわかるように教育長酒井先生から話をする(1時〜1時40分)
 教育長酒井先生会議の為退席する。その後、校長の責任(具申について)を追求する。書記次長は記録をとる。」
と、記載されていた。
 しかし、事実は違っていた。そもそも津村は、組合や私に自分は異動の具申をしていないと明言していた。そこで、3月25日は、津村と組合の井原書記次長と私で、本人が希望していない、そして校長も具申していない異動をしないよう、私の異動を撤回してくれるよう、酒井に伝えるために行ったのである。加えて津村が、組合や私に、
「希望がないことは、教育委員会に伝えました」
と繰り返していたので、酒井に伝わっているかどうかを確認するためにも、組合や私が酒井に会いに行ったのである。
 
 実に、この津村の嘘の為、組合も私もひっかき回されているのである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<229> ・・・・教委は、犬事件、排撃署名事件等と前代未聞の攻撃を仕掛け私を免職処分しようとしてきた。しかし、東部小では親たちや教員たちの私への支援の中、私を免職しようという攻撃はことごとく失敗した。そこで、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧を強化してきた。そして、私を東部小学校から移して私の分限免職処分を狙ってきた。
私を免職するために、東部小から追放して鎌ヶ谷小学校へ配置した
 
 東部小のリベラルな雰囲気は、教員の考え方をも変えていた。
 前任校では管理職へのコースをひた歩んでいた教員が東部小に赴任して来て、私たちリベラル派の考えに触れた。彼は、1年も経たない間に、
「自分は、一生子供たちと居るんだ。管理職にはならない」
と、言い出した。その教員が出世コースを歩いていようがいまいが、感性豊かな人ならそれぐらいのことを感じ取らせる程度のリベラルさは、今の東部小でもある。
 私は異動のために私物を東部小に取りに行った際、後に残っている教員たちから、
「中村さんの作った東部小の自由な雰囲気を守るために、みんなで頑張るから」
と聞かされたときには、嬉しくて思わず微笑んだ。一方、校長、狩野派、体育部、組合内の管理主義教育派とやり合いながら重ねた私の歴史が、頭の中を過ぎった。
 
 これまで、邪悪な教委は、市内陸上競技での長年にわたる傷害事件、二中教員傷害団による長年の傷害事件、犬事件、排撃署名事件、郊外学習事件・・・等と前代未聞の攻撃を仕掛け私を免職処分・分限免職処分にしようとしてきた。しかし、東部小では親たちや教員たちの私への支援があるため、私を免職しようという攻撃はことごとく失敗した。そこで、鎌ヶ谷小学校に不当配転し私を免職しようという野望をより強化してきた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<230> ・・・・教委は、犬事件、排撃署名事件等と前代未聞の攻撃を仕掛け私を排除しようとしてきた。そして、排撃署名事件で清水を守り、津村と一緒になって私を攻撃した矢動丸は、この年清水の待つ南部小に教頭として栄転した。そして、その矢動丸が私の分限免職処分後、人事委員会で嘘証言を行った。
矢動丸は清水下の教頭となり、蜜月を重ねた
 その矢動丸は人事委員会で私への嘘攻撃を行った
 
 清水、津村は上述したように千葉大出で、私を積極的に攻撃した。排撃署名事件発覚後は清水を守り、更には、津村と一緒になって私を攻撃した矢動丸は、この年、清水の待つ南部小に教頭として栄転した。そして、その矢動丸が私の分限免職処分後、人事委員会で嘘証言を行った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
四家時代
教員11年目
  H1年4月1日から2年3月31日まで
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<231> ・・・・酒井や津村は、事実の捏造を謀ってきた。そして、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて私への弾圧を強化してきた。逆井や津村は、罠を仕掛け、私を欺き罠に陥れ、その上、強制不当配転を強行してきた。そして、四家と一緒になって約束を破った。そのように私を狙っていた。
約束を平気で破る、教育長酒井と四家
 四家に「来なくていい」指示していた教育長酒井
 
 4月1日、酒井、津村、四家、組合、私の5者は、日曜日の次ぎの月曜日、即ち4月3日の午後4時に教育委員会で話し合うことが決まった。しかも、4月3日の午後4時というのは、酒井の希望だった。
 4月3日、教育委員会に出掛けると、酒井、四家、津村は居なかった。
 そこで、私は、仕方なく今回の異動が私の意に反したものであるとの書面(甲第18号証)を教育次長に渡して、鎌ヶ谷小学校に赴任した。
 その鎌小(鎌ヶ谷小学校の略)で、私は約束を破った四家と会ったが、四家は、私の問いに、
「酒井教育長から来なくていいと指示があったので行かなかった」
と平然として答えた。
 私を狙う酒井が約束を破ったことは明らかだったが、四家の言では、四家さえ来させなかったようだった。
 それにしても約束を破る四家は、自ら約束を守るという行為をしなかったことに対して何らの反省をしていないようだった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<232> ・・・・教委は、強制配転の後、私を弾圧し排除するための体制を強化し、私を弾圧する挙に出た。
中村シフトをより強化する教委や校長たち
  教頭を2名に、理由は教育困難校
 
 鎌小は、東部小以上に徹底して、教育委員会と一体となった「中村弾圧シフト体制」を敷いた。なんと私のために教頭が1名、教員3名、計4名も余分に人員が配置された。(甲第19号証)勿論、教育困難校、即ち「問題校」であれば、特別に教員の加配が許されることになっている。何と、鎌小は私が行ったことで、千葉県では前代未聞の教育困難校となったのだった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<233> ・・・・教委、酒井、津村、四家は、強制配転で、著しい税金の無駄使い、税金の私物化を行った。
無理矢理の強制配転の結果が4人文の給与=税金の無駄使い。教委、酒井、津村は、その税金を返還すべきだ
 
 しかし、一つの学校に、教頭1人、教員3人、計、4名も余分に教員を配置しておけるわけはない。余分の4人分の給料は、国と県から出ているのだ。即ち、もとをただせば人々の血税だ。
国民の税金を使ってこのようなことをやって良い訳がない。教委が勝手をやると言っても限度がある。
 教委、酒井、津村は、彼らの気休めの「中村いじめ」の為に4人分の給与を使ったのだから、その給与を返還すべきだ。教委、酒井、津村の個人的は自己満足の為にいくら制度を動かして行ったからといって、それは許されない。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<234> ・・・・教委、酒井、津村、四家は、強制配転で、著しい税金の無駄使い、税金の私物化の責任を取るべきだ。
教委、酒井、津村は、鎌小を教育困難校におとしめた責任を取るべき
 
 東部小に置いておけばいいものを、鎌小に強制配転した為に、4人も余分に教員が必要となった、とすれば、明らかに教委、酒井、津村、四家らの人事の誤りだ。これほどまでの、人事の誤りを行って、中村いじめを挙行したのであるから、教委、酒井、津村、四家らは、彼らの気休めの「中村いじめ」の為にした人事の誤りの責任を取るべきだ。
 強制配転をした結果が、教育困難校にしたのだから、明らかに彼らが、鎌小児童1000人に対して、国民全体に対して、責任を取るべきだ。そもそも強制配転というものが、許されるわけではないが、配転が考慮される場合でも、状況をよりよくしようとしてなされるものであり、より悪くする為の、ある学校を教育困難校にする為の配転が、認められるわけはない。まして、強制配転の結果が、ある学校を教育困難校にしたとすれば、教委や酒井や津村や四家らに、もはや言い逃れは出来ない。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<235> ・・・・教委は、強制配転の後、私を弾圧し排除するための体制を強化し、私を弾圧する挙に出た。
鎌小始まって以来の理科専科を作り、私をその理科専科に
 
 私は、鎌小では噂通り、3年の理科専科だった。しかも鎌小始まって以来の初めての理科専科を作ったのである。わざわざ理科専科を作って、私を担任外しをしたのだ。しかし、私は鎌小では何らの問題にも事件にも遭遇していない。明らかに不当な校内人事だ。
 この行為は教育基本法10条2項に違反するのみならず、『教員の地位に関する勧告』(教員の地位に関する特別政府間会議で採択)の64条
「いかなる監視または監督の制度も、教員の専門的な職務の遂行にあたって教員を励まし、かつ、援助するように計画されるものとし、また、教員の自由、創意および責任を減じないようなものとする。」
等の規定に反することは明確である。
 また、教育基本法6条2項
「法律に定める学校の教員は全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その使命の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その処遇の適正が、期せられなければならない。」
に明確に違反している。
 こんな事では、通常教員は精神的に耐えられなくなってしまう。私は、耐えられなくなって学校を去っていった多くの本当の教員達を知っている。その去った教員こそ宝だったのに、この千葉県の教委はそのような児童生徒派の教員たちを潰していたのだ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<236> ・・・・四家達は、私を副担任からも外した。彼らは私への弾圧体制を継続した。
私に副担任すら持たせない異常な教委や校長たち
 
 しかし、強制配転はされたとはいえ、あるいは理科専科にされたとはいえ、それでも新しい学校である。それなりに夢と希望を持ってやっていこうと自分に言い聞かせていた。ところが、その思いをうち砕く事件が起こった。なんと、私は副担任からも外されたのである。
そして、授業以外では児童とふれあうことをさせまいとしてきたのである。新しい学校でいきなり副担任もなし、そんなことは私をできるだけ隔離してしまおうというやり方であり、決して教育的場所である学校で行われることではない。それは、学校の内側を外に出させまいとすることであった。
 
 鎌小では、極めて酷い管理主義教育が行われているという情報が入っていた。また、四家たちを初めとして管理職に追随する者たち、管理職に一本釣りされた者たちが体罰を振るっていたことは情報が入っていた。
 四家達は、担任達のやっている管理主義養育や体罰傷害事件を隠す為に、私を担任からも副担任からも外したのではないかとも思われた。私は、強制配転されても、それでも学校の内側を明らかにし、膿を出し続けようと努力していた(東京新聞/1989年4月1日/甲第223号証)。反面、教委や管理職は、学校の膿を出し学校を浄化していくことを、学校の膿を私が明らかにしていくことを何よりも嫌っていたように感じられた。これまで、教委や管理職は学校の内側を外に出させまいとすることであった。
 そんな中、四家達は副担任も与えず、私をより差別的に扱うことで他の教師へ私に近づかないよう威圧を加え続けていった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<237> ・・・・四家らは、強制配転の後、私を押し込めるための体制を強化してきた。
その中で、四家らは私の休憩休息の申し出に敢えて抗うように、「所属教員に休憩時間を分割して与えることについての許可」教委に申請した。
休憩休息を与えようとまじめに考えない四家ら。休憩を「一せいにあたえる」のではなく分割して与えようとした
 
 これまで、私の取り組んできた事は法律の遵守だった。これまで、教委や学校側は信じられないほどの人権侵害を行っていたからである。
 その法の遵守の一つに、休憩休息の問題がある。学校現場とりわけ義務制では、休憩休息をとるゆとりがない。休憩休息は名目だけで終わっているのである。ところが、千葉県教委や鎌ヶ谷教委や管理職らは、労基法34条で定められた休憩休息を教職員に与える工夫をしていない。
 休憩休息を与える為に、各県は腐心し、東京方式、沖縄方式、長崎方式、福島高方式、広島高方式、熊本高方式、茨城方式などで、全体の労働時間の軽減をはかる中から対処してきた(教職員の権利全書/第二章教職員の勤務条件P174&P175/1984年12月30日発行/甲第224号証)。そして、鎌ヶ谷東部小でも、取れない休憩分を考え、内規で45分早く職場を出られるように、即ち、労働時間の軽減をしていた。
 しかし、四家は、鎌ヶ谷東部小のように、取れない休憩の代わりに内規で45分早く職場を出られるように、即ち、労働時間の軽減をしようなどの工夫をしなかった。四家は、全体の労働時間の軽減をはかる中から、その問題に対処するのではなく、一括して与えなければならない休憩を、安易に、しかも教員からの要請もなしに、分割して与えるということで、その問題に対応しようとした。これは労基法の精神を軽んじるものである。
 4月4日から休憩休息の問題の善処を申し出ると、四家らは私の申し出を無視し、逆に、四家らは、教員に休憩時間を分割して与えるようと画策した。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<238> ・・・・教委は、強制配転の後、私を弾圧し排除するための体制を強化してきた。
その中で、酒井は労基法34条と地公法58条に違反して、職権がないにもかかわらず、「所属教員に休憩時間を分割して与えることについての許可」を「一せいに与え」ないことの許可をした。私はこのことを正そうとして、四家らに申し入れた。一方、四家らは、私が鎌小で発言力を増すことで、他の職員から私への同調者が出ないように、徹底的に私に対して無視する策に出た。
休憩時間を一せいに与えないことを、しかも分割して与えることを、職権外で許可した教育長酒井ら
 
 四家らは、私が鎌小に強制配転され、4月4日から休憩休息の面での改善を要求すると、その「所属教員に休憩時間を分割して与えることについての許可」を教育長の酒井に対して申請した(『所属教員に休憩時間を分割して与えることについての許可』/H1年4月1日/甲第225号証)。
 その『所属教員に休憩時間を分割して与えることについての許可』には、『職員の勤務時間の割り振り』(甲第226号証)の文書と『所属教員に休憩時間を分割して与えることについての関係条文』(甲第227号証)として、労基法8条と労基法34条と労基法40条を抜粋して転載したものが添付されていた。
 『職員の勤務時間の割り振り』(甲第226号証)とは、
「2、(休憩時間)  休憩時間の45分間を30分間と15分間に分け、3          0分間については学級担任外職員と学級担任職員とに時          差を設けて実施する。
    学級担任外職員   12:15 〜 12:45
              15:45 〜 16:00
 
    学級担任職員    12:45 〜 13:15
              15:45 〜 16:00  」(甲第226号証)
「教育基準法第8条(適用事業の範囲)
    この法律は、左の各号の一つに該当する事業又は事業所については適   用する。但し、同居の親族のみを使用する事業又は家族使用人について   は適用しない。
    第1号〜第11号  省略
   十二 教育、研究又は調査の事業
    第13号〜第17号  省略 」(甲第227号証)
 しかも、既に月日は、4月4日を過ぎているのに、「4月1日」という月日で申請していた。
 だが、その申請月日が、実際に申請した日より遡ってなされたこともさることながら、『所属教員に休憩時間を分割して与えることについての申請』(甲第225号証)には、四家の名はあったが、職印は押されてなかった。
 さて、その『所属教員に休憩時間を分割して与えることについての申請書』に対して、何と酒井が「『所属教員に休憩時間を分割して与えることについての申請』を許可します。」と許可したのである(「所属教員に休憩時間を分割して与えることについての許可」/教育長酒井三郎/H1年4月1日/甲第228号証)。
 この、許可にも問題がある。それは、既に月日は、4月4日を過ぎているのに、「4月1日」という月日で申請を許可していた、ということである。
 その上、この文書番号がなかったのである。当初、犬事件が起こされたとき、文書番号がないのが問題になり、それ以降は文書番号を入れていたが、時折、捏造したと思われる文章、例えば、乙第34号証などの酒井の文書には文書番号がないことがあった。
 しかも、酒井や四家らは、
「教育基準法第8条(適用事業の範囲)
    この法律は、左の各号の一つに該当する事業又は事業所については適   用する。但し、同居の親族のみを使用する事業又は家族使用人について   は適用しない。
    第1号〜第11号  省略
   十二 教育、研究又は調査の事業
    第13号〜第17号  省略 」(甲第227号証)
とまで、調べていたのに、許可を酒井の名前で出していた。
 ところが、この「休憩時間を分割して与えることについて」の是非はともかく、その「許可」をする職権など酒井にはなかった。彼らは、私が休憩休息の件できちんとした善処を要求するので、その私の要求を潰す為、酒井名で出したのだ。
 それで、彼らは、ことは済むと思っていたが、実は、その職権を持つのは、市長の皆川圭一郎であり、酒井ではなかった。酒井は皆川でないと許可できない文書を、酒井名で出し、それに応じての勤務を職員に命じたのだった。明らかな労基法と地方公務員法58条に対する違法行為である。地方公務員法58条では、その職権は、人事委員会のない市町村においては、市町村長が所見を有するとなっている。
 
 さて、確かに、労基法34条2項には、
「前項の休憩時間は、一せいに与えなければならない。但し、行政官庁の許可を受けた場合においては、この限りではない」
とあるが、仮に、「但し、行政官庁の許可を受けた場合においては、この限りではない」としても、休憩は労基法で定めた、「休憩の主旨に添うようにすることが大切だ」(千葉県給与課審査班・かねこ職員の回答/H14年4月15日)であり、そうであれば、安易に分割することは少なくともこの法を定めた主旨に逸脱する。
 ちなみに、H14年4月12日、皆川圭一郎の下で休憩休息問題を担当する鎌ヶ谷市の人事課のあくつ職員は、H10年の労基法の改正以前も改正以後も、
「休憩時間を分割は、話題になったこともない。」「申し送り事項になったこともない」
とし、分割して与えると言うことは考えたこともない、と解答している。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<239> ・・・・四家らは、強制配転の後、私を弾圧し排除するための体制を強化してきた。その中で、四家らは、教委に権限がないにもかかわらず、「所属教員に休憩時間を分割して与えることについての許可」を配布した。そして、それに従うようにとの不当な要求をした。違った「許可」に教員らを従わせた。一方、申請や許可日の虚偽記載を繰り返す教委や校長たち
 
 しかし、鎌小では、私の意見を考慮することなく、実際は分割を押しつけられた。
 
 私達教職員は、休憩の分割を、校長の職印のない「申請書」で申請され、文書番号のない「許可書」で、押しつけられ、しかも職権のない違法な「許可」でもって、その「許可」に従うことを強要されたのである。しかも、申請月日も許可月日の偽った文書で。
 校長以外にも、教頭職試験を受かった人間が2人もいて、それらは、考えられないことだ。何とすれば、教員達と、最ももめる問題の一つのが休憩休息問題であるからだ。
学校教育法28条には、
「B 校長は校務をつかさどり、所属職員を監督する。
C 教頭は、校長を助け、校務を整理し、及び必要に応じ児童の教育をつかさどる。」
とあるが、正当は校務の遂行をしていないことになる。何分にも、校長の職印のない「申請書」で申請し、文書番号のない「許可書」で、押しつけを行い、しかも職権のない違法な「許可」でもって、その「許可」に従うことを強要したのであるから。そして、「申請月日」の偽った文書を、意図的に作ったのであるから。更に「許可月日」も違っているのに訂正せずに配ったのであるから。
 否、寧ろ、私達教員が知らないと思って、教育長酒井が許可したその「所属教員に休憩時間を分割して与えることについての許可」の文書を、所属教員に休憩時間を分割して与えることについての許可が出たと(甲第228号証)、全職員に配布したのであろう。そして、それに従うようにとの不当な要求をしたのであろう。そうとしか考えられない。
 それだけ、四家らが、休憩休息問題で私の申し入れを受け入れ、休憩を取れるように改善すると、他の職員から私への同調者が出、私の発言力が増すことを警戒したが為のものであったのだろう。しかし、だからといって、正しく地方公務員法58条にのっとった手続きで、市長の皆川圭一郎からそのような「休憩時間の分割」の文書を出させて、教員達からの皆川への非難を皆川へ受けさせるこをだけは避けたいとして、とった処置かも知れない。だが、真相はわからない。
 だが、そうではなく、もし、管理職3人が3人とも、そして酒井までが「休憩時間の分割」が誰の職権に属するかを知らなかったとすれば、どう考えればいいのだろう。千葉には、職員の大切な「休憩の権利」について知らない、そんな教育長や校長や教頭がごろごろといるということになる。まあ、逆に考えれば、そんな連中で出来ている、教委、教職員組合、校長会、千葉大学閥だからこそ、児童生徒の人権を侵害し、管理主義教育を進めてきたとも言えなくないが。そうなれば、つまり、彼らが児童生徒の人権と教職員の人権を無視し続けた来たその一例が、ここにあることになる。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<240> ・・・・教委は、強制配転の後、私を弾圧し排除するための体制を強化してきた。
その中で、酒井は労基法に違反して、権限がないにもかかわらず、「所属教員に休憩時間を分割して与えることについての許可」を許可した。しかし、それが間違いだと解ると、今度は皆川圭一郎が鎌ヶ谷教育委員会教育長酒井に対して、一せい休憩の除外を許可した。そして、間違った酒井が出した許可書を回収せず各自で破棄させた。しかも、これらの問題を正そうとする私に対して、彼らは私への弾圧体制を継続した。
間違いだと解ると回収せず、教員各自に破棄をさせた
 
 しかし、「所属教員に休憩時間を分割して与えることについての許可」について、それはおかしい、と私は追究した。
 一方、約1週間後に、彼らは出し直しをしてきた。
 それは、以下のようなものだった。
○ 鎌ヶ谷市立鎌ヶ谷小学校長四家明彦は、鎌ヶ谷市長皆川圭一郎に、4月1日付で、「一せい休憩除外許可申請について」を出した(甲第229号証)。
○ 鎌ヶ谷市教育委員会教育長酒井三郎は、鎌ヶ谷市長皆川圭一郎に、4月1日付で、「一せい休憩除外許可申請について」(鎌教学第87号)を出した(甲第230号証)。
○ 鎌ヶ谷市長皆川圭一郎は、鎌ヶ谷市教育委員会教育長酒井三郎に、4月1日付で、「一せい休憩除外許可申請について」(鎌人第44号)の許可書を出した(甲第231号証)。
○ 鎌ヶ谷市教育委員会教育長酒井三郎は、鎌ヶ谷市立鎌ヶ谷小学校長に、4月1日付で、「一せい休憩除外許可申請について(通知)」(鎌教学第87号)を出した(甲第232号証)。
 
 今回は、総てに職印があり、酒井と皆川の文書には文書番号があった。
 しかし、ここで明らかなことは、「鎌教学第87号」の文書は二つ存在していた。つまり、「鎌教学第87号」の文書番号は、別々の文章に使われていたということだ。出し直したのであれば、文書番号の「ダブルブッキング」は、回避したいところだが。
 その上、またもや日付は、いずれのものも「4月1日」だった。つまり、虚偽記載文書である。
 だがそれだけではない。
 鎌ヶ谷市立鎌ヶ谷小学校長四家明彦は、鎌ヶ谷市長皆川圭一郎に「一せい休憩除外許可申請について」の申請を出した(甲第229号証)にもかかわらず、鎌ヶ谷市長皆川圭一郎が出した「一せい休憩除外許可申請について」(鎌人第44号)の許可は、鎌ヶ谷市教育委員会教育長酒井三郎に出されている。
 つまり、「事業所」の所長の関係にある四家には、申請を出した四家には許可が出されていない。
 
 しかし、四家は、朝の打ち合わせで、
「以前の文書(「所属教員に休憩時間を分割して与えることについての許可」/教育長酒井三郎/H1年4月1日/甲第228号証)は、破棄してください」
と教頭に言わせた。
 彼は、酒井が出した間違った「許可文書」を回収して、管理職が責任を持って破棄することはしなかった。
 
 一方、それはおかしい、との私の追究に対抗して、村田は「中村秀樹教諭に関するメモ」(乙第17号証)を書き、私に対する悪意な弾圧をたくらむのである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<241> ・・・・教委や四家らは、強制配転の後、私を弾圧し排除するための体制を強化してきた。その中で、市、教委、四家らは、労働強化、休憩休息の取り上げを行い、行政の公正性を欠いた行為を行い、その方向で、教職員を従わせようとした。私はこのことを是正してもらおうと申し出たが、四家らは、私が鎌小で発言力を増すことで、他の職員から私への同調者が出ないように、徹底的に私に対して無視する策に出た。
行政行為の公正性を欠く鎌ヶ谷市、労働強化、休憩休息の取り上げ、未払い賃金を派生させ、労基法に違反する鎌ヶ谷市や教委や四家ら
 
 小学校では休憩が取れない為、鎌ヶ谷東部小などでは、内規で45分早く職場を出られたように現場での手当をし、それ以外の学校でも労働時間の軽減をしていた。
 しかし、鎌小はそのような労基法34条に対する改善措置はしないばかりか、市長の皆川圭一郎に「一せい休憩除外許可申請について」(甲第229号証)を申請して、休憩なし労働を、労基法違反の長時間労働を強要したのである。鎌小のようなことをやれば、実際は休憩休息が取れず、実質労働時間の1時間15分の延長となり、そのような労働時間の延長と、休憩休息を取れない状況に置くという事態は、労働強化と未払い賃金を発生させ続けるということが解っていながらである。
 このことは、当然、鎌ヶ谷市内でも同じ県費負担教員に対して、鎌小と他の学校では公正性を欠く事態を起こしたのである。また、県全体としても、同じ県費負担教員で違いが出ることを容認させ、行政の公正性を欠く結果にも繋がらせていた。
 私は、労働が超過になっている事態の中で、東部小や他の学校のように、労働軽減の前向きの対応をしてもらえないかと申し出た。が、四家らは、そんなことをすれば、私が鎌小で発言力を増すことを警戒し、徹底的に私の要請に対して無視する策に出た。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<242> ・・・・市長皆川は、鎌教委教育長酒井に「一せい休暇除外の許可」を認めた。その結果、後に待っていたのは、理不尽な酒井や四家による教員への、休憩の実質的は剥奪と、超過勤務の強要だった。
鎌ヶ谷教育委員会教育長酒井に「一せい休憩除外許可」を出した皆
 
 私のことを狙う輩や狙った輩と付き合う皆川は、鎌ヶ谷教育委員会教育長酒井三郎に「一せい休暇除外の許可」を認めた。
 しかし、それには、大きな問題が存在している。
 それは、市町村立小学校の設置者は市町村ということになるが、その市町村に人事委員会が置かれていない場合は、市町村長が勝手に教員の休憩を一せいに与えないということを決定する権限を持っているということである。
 即ち、「事業」主が、自分の「事業所」に、休憩を一せいに与えたり、与えなかったりという行為を自由に出来るということになっているということである。民間に対しては、労基署を設け、「事業」主や事業所の取り締まりをやってきたが、市町村立の学校にあっては、市町村長がお手盛りでやっているということだったのだ。こんな労基法の主旨を頭から否定することはない。
 少なくとも、第三者からする諮問機関を設け、その機関に休憩問題を考えるべきではあるが、そんなことはなされていなかった。その結果、後に待っていたのは、理不尽な酒井や四家による教員への、休憩の実質的は剥奪と、超過勤務の強要だった。
 
 もっとも、休憩に対しては、昨今の就労形態での著しい変化や、教員達や病院関係の労働者などのように休憩が取れない労働者達の粘り強い闘いがあって、H10年からはこの部分は変更されたが。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<243> ・・・・教委は、強制配転の後、私を弾圧し排除するための体制を強化していたが、そんな鎌小で掲示物が盗まれた。
掲示物が盗まれた
 
 組合の掲示板等に這ってあった掲示物が盗まれていた。
 その掲示物は、「『婦人民主クラブの集会案内』チラシ」2枚、〔「『高石理事長』文部省から依頼」の『朝日新聞』記事〕2枚、〔「文部省官房長と二局長更迭 高石に件に『けじめ』」の朝日新聞記事〕2枚、「沖縄のロック歌手マリー・メデュッサのコンサートのお知らせ」ポスター1枚、「東部小校長津村に、不当人事異動撤回の上申書を出すことを求めた『要求書』と、『不当に行われた人事異動を撤回させることをもとめる要求書』/1989年4月3日/甲第18号証」である。
 私は、それらを四家らが盗んだという情報で、四家らに返還要求をした。
 四家と村田と鈴木は、
「知らない」
と言い張った。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<244> ・・・・教委は、強制配転の後、私を弾圧し排除するための体制を強化すると共に、四家らは、私が鎌小で発言力を増すことで、他の職員から私への同調者が出ないように、徹底的に私に対して無視する策に出た。
民主的な職場作りを排し、暗黒の管理体制を強化する教委や校長たち
 
 輪郭が四角く無愛想な表情をした校長の四家は、これまでの校長の中では、もっとも胴回りの太い男だった。本年度限りで定年だったが、何でも、
「中村を受け入れるんだったら、定年を1年延ばして再来年にしてくれ」
と、酒井に申し入れたらしかった。
 この四家の主張は、何を言いたいのか良く解らない。ひょっとすれば、1年の間に私をクビにしようとしているのではないか。私は勘ぐりたくなった。
 そんな彼は、木刀を学校に持って来ており、
「えい、えい」
と教員や生徒たちの前で振り回し威圧していた。多分、何よりも非暴力主義者の私を威圧したかったのか、私が見ていると一際大きな気合い声を発していた。勿論、剣道などの部活は鎌小にはない。
 鎌小には、蝦名を含め3名の東部小時代の同僚が既に赴任していたが、後の職員は知らない者たちである。私は、鎌小の組合の会合が開かれるのを楽しみにしていたが、その会合が赴任して二週間ほどすると開かれた。私も出席した。
「管理職が傲慢なのよぉ」
「体育部には困ったものだわ」
「中村さんに期待しているのよ」
と不満が続出した。
 鎌小の組合員も、管理職が威張っていると不満を持っていたのだった。
 しかし、鎌小は東部小とは変わっていた。職員会議では一遍の反対も出なかった。
 もっとも、四家らに不満を漏らす教員達も、別に管理主義教育に反対しているというわけではなかった。若い仲間たちに体罰を加えている者たちは居たし、そもそも人権とかの発想が皆無と言っていいほどだった。
 つまり、ここ鎌小でも、教員たちは、自分が良いと考える教育をより多く施すことが教師の仕事だと、思っていた。それが優れた教師だ、ととらえていた。そこでは、教員たちは、「自分たちの考える教育」を「いきとどかせる」為に、若い仲間たちを強力に引っ張って行く。ときには体罰を使いながら。寧ろ、その面では、鎌小はその典型であり、他校に抜きんじていた。勿論、その事の問題性に教員たちは気が付いてはいない。だから、四家たち管理職に不満を持っていても、四家たち以上に体制的な発想をしては四家たちを喜ばせていた。そして、四家たちはそんな教員たちを一本釣りし、自分の側に組み込んで行っていた。
 その上、鎌小の教員達は、自己を犠牲にしても、他人の為に頑張ろうという正義感は、そもそも持ちあわせていないようだった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<245> ・・・・教委は、強制配転の後、私を排除するための体制を強化する挙に出た。更に、勤務場所、勤務時間を勝手に変更させた。私はこのことを是正してもらおうとしたが、四家らは、私が鎌小で発言力を増すことで、他の職員から私への同調者が出ないように、徹底的に私に対して無視する策に出た。
勤務場所、勤務時間を勝手に変更する四家ら
 陰で四家らに反発し、表では口を閉ざす教員ら
 
 四家らは、勤務場の変更を勝手にやった(登校現地指導を行う際の日の勤務時間の割り振り/H1年5月8日〜5月13日まで/甲第233号証)。ここにある「三橋記念館前」や「中古車センター前」は鎌小から500メートルほど離れた場所である。
 同時に勤務時間の変更もやった。
 問題なのは、通常の勤務場所と勤務時間帯と休憩の時間を違えるものであるから、教委への届け出が必要であるが、その届け出をしていなかった。
 私はこのことを是正してもらおうとしたが、四家らは、私の言うことを聞くと、他の教員への威圧が効かなくなることがあって、他の職員が私へ同調しないように、徹底的に私に対して無視する策に出た。
 他の教職員で疑問を感じている者たちは、
「中村さんが来て、校長達の対応も変わった。少しずつ良くなっていっている」
と言ってくれた。
 確かに、鎌小の管理職の横暴は押さえられてきていたらしかった。
 例えば、今までならば、登校現地指導を行う際の日の勤務時間の割り振り(甲第233号証)すらださず、通常より35分も早くから働かされていつも通りの退勤時間まで勤務させられていたらしかった。つまり、休憩休息は取れないから、登校現地指導のない日の実労9時間15分に早く来た分の35分を加えれば9時間50分働かされていたことになる。その上、仕事を自宅に持ち帰り、自宅でも続きをやる。それ故、過労死にさえなりかねない状況の中で、勤務場所である学校で35分増えることが無くなっただけでも感謝された。
 しかし、感謝の言葉を口にした者達でさえ、四家とそれに追随する教員らが怖く、公然とは異議を申し立てなかった。
 そんな中、校長四家や教頭村田や教頭鈴木は、私に対する教員達の反応を気にしていた。それ故、私が、鎌小を自由で、創造的で、教育的な場にしようとすればする程、四家や村田や鈴木は、私の主張を無視した。私の主張に同意し、或いは私と教育論争をして校長や教頭の馬脚を現し、他の教員から、私と一緒にやっても大丈夫だ、校長は大したことはない、空威張りだと思われたくはなかったらしかった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<246> ・・・・千葉県教職員組合東葛支部は、支部委員会で私への強制不当配転撤回を決議をし、人事委員会への措置要求、或いは裁判所への提訴を、全会一致で決めた。その為に、支部委員会は、組合の執行部に私への強制不当配転を闘う会の事務局を置くことにした。
私への強制不当配転撤回を組合の支部委員会で決議。人事委員会闘争か裁判闘争かで闘うことを、私と執行部に一任
 
 今回の強制不当配転は、人事委員会作成の『平成元年審乙第22号事案主張整理表』での「請求人側の主張」にもあるように、
「(ア)書面協定違反である
  ・異動に関して、千葉県教育委員会東葛飾地方出張所と千葉県教職員組合   東葛・松戸両支部とでなされた「希望と承諾」及び「本人への事前の打   診」という確認事項(甲第16号証)にも明確に違反している。」(人事委員会作成の『平成元年審乙第22号事案主張整理表』での「請求人側の主張」の4ページの1行目から/甲第304号証の4)
ものであった。
 従って、今回の強制不当配転は、地方公務員法第55条10項で、書面協定は誠実に実行する義務を労使双方に課したことに違反したものである。
 また、今回の強制不当配転は、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」第39条の
「市町村立学校職員給与負担法第1条及び第2条に規定する学校の校長は、所属の県費負担教職員の任免その他の進退に関する意見を市町村委員会に申し出ることができる。」
に違反したものでもある。
 つまり、津村は、3月25日、組合と私とが酒井と会うまでは、津村は明確に、
「俺は具申していないよ」
と私に言い張ったばかりか、組合にも、
「希望がないことは、教育委員会に伝えました」(人事委員会作成の『平成元年審乙第22号事案主張整理表』での「請求人側の主張」の6ページの1行目から/甲第304号証の6)
と繰り返していた。
 それ故、組合からすれば、今回の強制配転は、個々の教職員の意向を尊重しながら校長が具申したことを教委が覆したことになった。その意味で、教委は校長の意見具申を最大限尊重すべきところを無視し、人事権を濫用したものであった。
 しかも、「請求人及び東葛教職員組合の知りうる範囲では、本人が転任を希望しないにもかかわらず転任処分を強行したのは本件がはじめてである」(人事委員会作成の『平成元年審乙第22号事案主張整理表』での「請求人側の主張」の5ページの16行目から/甲第304号証の5)事態であった。
 千葉県教職員組合東葛支部は、支部委員会で私への強制不当配転撤回を決議をし、人事委員会への措置要求、或いは裁判所への提訴を、全会一致で決めた。その為に、組合の執行部に私への不当配転ろ闘う会の事務局を置くことにした。人事委員会への措置要求、或いは裁判所への提訴のどちらにするかは、私と執行部の判断に一任された。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<247> ・・・・千葉県教職員組合東葛支部は、支部委員会での私への強制不当配転撤回の決議を受け、私と組合の執行部は人事委員会へ措置要求をした。
組合の支部委員会で、私への強制不当配転撤回を全会一致で決議。私と執行部は話し合い、人事委員会へ措置要求
 
 千葉県教職員組合東葛支部は、支部委員会で私への強制不当配転撤回を満場一致で決議した。そして、組合の執行部に私への強制不当配転を闘う会の事務局を置くことにした。
 私と執行部は話し合い、5月29日、人事委員会への措置要求した(審査請求書/1989年5月29日/甲第234号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<248> ・・・・教委や四家らは、強制配転の後、私を弾圧し排除するための体制を強化する挙に出た。日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧を強化してきたが、四家らは、私が鎌小で発言力を増すことで、他の職員から私への同調者が出ないように、私に対して近づくと良くないとの噂を一層たてたらしい。
日の丸・君が代強制反対運動、遂に第二次全国署名運動に発展
 
 6月4日、『日の丸・君が代に反対するネットワーク』は『日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名連絡会議』を結成し、『日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名』を開始する(『けっとばせ日の丸・君が代集会』チラシ/1989年6月4日/甲第235号証)(日の丸・君が代の強制を撤回することを求める要求書/1989年6月4日/甲第236号証)(集会写真&デモ行進写真/1989年6月4日/甲第237号証)(全国署名ニュース/甲第238号証)。
 それらの代表が私であることから、四家らの周囲からは、私に余り近づかないようにとの話が聞こえてきた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<249> ・・・・教委は、強制配転の後、私を弾圧し排除するための体制を強化する挙に出た。更に、勤務場所と勤務時間を勝手に変更させた。私はこのことを是正してもらおうとしたが、四家らは、私が鎌小で発言力を増すことで、他の職員から私への同調者が出ないように、徹底的に私に対して無視する策に出た。
またもや勤務場所を勝手に変更し、勤務時間を勝手に変更する四家ら。その管理体制下で、恭順を強要される
 
 H1年6月5日、翌日の千葉県教育庁東葛地方出張所指導室計画訪問日に際して、四家らは、「千葉県教育庁東葛地方出張所指導室計画訪問日における勤務について」(「千葉県教育庁東葛地方出張所指導室計画訪問日における勤務について」/H1年6月5日付/甲第239号証)で、勤務場所の変更を行政に対し無届けで、休憩時間を行政官庁に対して無届けで、変更してきた。
 勿論、私はこのことを是正してもらおうとしたが、四家らは私と議論し、その結果私の側に正当性があることを証明されて、他の職員から私への同調者が出ないように、徹底的に私に対して無視する策に出た。
 管理主義教育の行き届いた千葉では、特に管理のきつい鎌小では、教員たちは自己判断が大切な教育の場に置いて、初期の「ロボット」のように従うことを強要されているのである。彼ら教員は、異議さえ申し立てられない存在に精神的に圧力を受け、人格破壊されているのである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<250> ・・・・教委は、強制配転の後、私を弾圧し排除するための体制を強化する挙に出た。何と、教員の職務を勝手に変更させる暴挙に出た。私はこのことを是正してもらおうとしたが、四家らは、私が鎌小で発言力を増すことで、他の職員から私への同調者が出ないように、徹底的に私に対して無視する策に出た。
何と教員の職務を勝手に変更し、休憩時間を勝手に変更する四家ら そこまでされても、口を閉ざす教員ら
 
 しかも、H元年6月6日、四家らは、千葉県教育庁東葛地方出張所指導室計画訪問日に際して、「千葉県教育庁東葛地方出張所指導室計画訪問日における勤務について」(「千葉県教育庁東葛地方出張所指導室計画訪問日における勤務について/H元年6月5日付/甲第239号証)で、職種の変更すら行った。丸山、杉浦、私の3名にイトーヨーカドー第2駐車場で誘導係をやらせたのである。
 学校の教員は、学校教育法28条6項で定める、
「教諭は、児童の教育をつかさどる。」
に明らかに反して、教育とは全く無関係の駐車場誘導係をさせたのである。
 しかも、このことは偶発的に起きた事件ではない。この様な訪問が行われるごとに、このようなことを繰り返している。明らかな法律違反である。
 私はこのことを是正してもらおうとしたが、四家らは、私が鎌小で発言力を増すことで、他の職員から私への同調者が出ないように、徹底的に私に対して無視する策に出た。
 余談だが、駐車場係が教員より意味があるから、駐車場係をやりたくないなどと言っているのではない。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<251> ・・・・教委は、強制配転の後、私を弾圧し排除するための体制を強化する挙に出た。何と、教員の職務を勝手に変更させる暴挙に出た。私はこのことを是正してもらおうとしたが、四家らは、私が鎌小で発言力を増すことで、他の職員から私への同調者が出ないように、徹底的に私に対して無視する策に出た。
授業を潰して、計画訪問の為の清掃を1時間やらせた。参加する教員たちは、午後の授業を潰して参加する。計画訪問は、明らかに授業潰しで、学校教育法に違反している
 
 しかも、H元年6月6日、四家らは、千葉県教育庁東葛地方出張所指導室計画訪問日に際して、何と4校時を潰して、清掃をやらせた(「6月6日 4校時 清掃内容」の文章/甲第240号証)。
 
 千葉県教育庁東葛地方出張所は、見せかけに気を取られて清掃し、肝心の授業がおろそかになっていることを知りながら、指導室計画訪問を行っている。そして何らの注意を学校に対してしない。千葉県教育庁東葛地方出張所が、授業潰しの原因を作っており、授業潰しの一角をしている。
 このようなことだから、千葉県教育庁東葛地方出張所指導室計画訪問に対しては、極めて強い不満と反発がある。
 尚、千葉県教育庁東葛地方出張所指導室計画訪問では、市内の総ての教員がやって来るが、彼らは午前で授業を中断し、児童を帰して参加している。
 勿論、教員は研修しなければならない(教特法19条1項「教育公務員は、その職務を遂行するために、絶えず研修に努めなければならない。」)が、それは授業のない時である。逆に言えば、教員は、授業のない時には研修をしなければならない。しかし、授業を潰して研修するのは明らかに、
 学校の教員は、学校教育法28条6項で定める、
「教諭は、児童の教育をつかさどる。」
に反する違法行為である。
 私はこのことを是正してもらおうとしたが、四家らは、私が鎌小で発言力を増すことで、他の職員から私への同調者が出るような事態になることを嫌って、徹底的に私に対して無視する策に出た。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<252> ・・・・四家達は、体罰傷害事件を隠す為に、私をより差別的に扱うことで他の教師へ威圧を加え続けた。
民主的な職場作りを排し、暗黒の管理体制を強化する教委や校長たち
 
 鎌小では、
「授業中、外に出されたんだ」
「ビンタされたんだ」
「正座させられたんだ」
と、訴える児童の声は絶えない。
 しかし、それらを批判する私は、四家たちを初めとして、管理職に追随する者たち、管理職に一本釣りされた者たちによって敵視されて来ている。
 そして、四家達は、体罰傷害事件を隠す為に、私をより差別的に扱うことで、他の教員達へ私に近づかないよう威圧を加え続けた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<253> ・・・・四家ら管理職は指導力不足のなさを隠す為に私に対して貝のように口を閉ざし、一方で、他の教師達へ威圧を加え続けた。
貝のように口を閉ざし、私を無視し続けた四家ら
 
 職員会議は、戦後学校運営の最高議決機関の位置に置かれた。
 しかし、その最高決議機関としての役割は、教員権限の拡大の行き過ぎと考える教育委員会や校長らの下では、校長の威圧力で、有意義な議論が出来ず単なる伝達の場と化している所、校長の伝達機関となっている所すらもある。
 鎌小はその最たるものだった。私は、会議で、度々四家たちに質問や意見を出したが、彼らは私と論争になるのを回避し、私の質問や意見に対しては一言も考えを述べなかった。嘗て清水校長のとき、そのようなことがあった。しかし、あの時は排撃署名という許されない行為を清水が行うということで、清水にも相当に覚悟があってその挙に出、その後は貝のように堅く口を閉じたのであって、いわば行為と理由が一体化していた。
 しかし、今の四谷達はどのような「理由」で、一言も考えを述べず貝のように口を閉ざすという「行為」を行うのか。行為だけはあっても「理由」がみえないのである。従って、その様はただただ異様に感じられた。初めから四家たちは私への指導を放棄していた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<254> ・・・・四家とその手先の教員たちは、他の教師へ威圧を加え続けた。そして、私に対しては、暴力行動に出た。
職員会議中に怒鳴り、殴りかかる校長派教員たち
 
 一方、四家たちに追随する教員たち、一本釣りされたいと願う教員たちは、四家たちの態度とはまったく逆で、私に対して攻撃的で、私を攻撃することによって四家たちの点数を稼いだ。そのことを端的に示すような事態が職員会議中に起こった。私が、
「部活動が教師主導で行われ過ぎているので、改めて欲しいんですが・・・」
と発言しているその時である。体育部系で5年担任の岩田教員が、
「うるさいんだよ・・・」
と大声で怒鳴った。私は、職員会議中の怒鳴り声に吃驚し、
「大声で怒鳴らないで、意見は正々堂々と主張して欲しい」
と呼び掛けた。すると、どうだろう。今度は川西という5年の主任が、
「外に出ろ!」
と、私に掴みかかって来た。勿論川西も体育部系である。川西は、私の席の周りの教員たちに制止させられ、たしなめられると、
「後で話そう」
と凄み威圧した。もはや「ちんぴら」である。
 しかし、私は四家たちを見てもっと驚いた。その一部始終を、何と彼らは注意するでもなく笑って見ている。
 職員会議後、私は川西を見つけ出し、
「後で話そうと言うことだったけど」
と話し掛けた。ところが、2人だけになると彼は何も言えず、こそこそと逃げて行った。殻は大きいが実に気の小さい男だ。しかし、その男が四家たちの前では、弁慶役を演じ大立ち回りをする。職員室とは、そんなイエスマンの兵隊たちが、リベラルな考えを攻撃して点数をかせぐ場所である。
 しかし、このような脅しを四家達が看過している事に大変な問題がある。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<255> ・・・・教委は、強制配転の後、私を弾圧し排除するための体制を強化していたが、そんな鎌小で掲示物が盗まれた。内容証明で返還を求めると、こっそりと夜の内に職員室の私の机の上に返していた。
盗まれた掲示物を内容証明で返還を求めると、夜の内にこっそりと職員室の私の机の上に返していた。
 四家らは嘘をつく人物であることが、判明
 
 組合の掲示板等に這ってあった掲示物が盗まれていた。
 その掲示物は、「『婦人民主クラブの集会案内』チラシ」(甲第241号証)2枚、〔「『高石理事長』文部省から依頼」の『朝日新聞』記事〕(甲第242号証)2枚、〔「文部省官房長と二局長更迭 高石に件に『けじめ』」の朝日新聞記事〕(甲第243号証)2枚、「沖縄のロック歌手マリー・メデュッサのコンサートのお知らせ」ポスター1枚(甲第244号証)、「東部小校長津村に、不当人事異動撤回の上申書を出すことを求めた『要求書』と、『不当に行われた人事異動を撤回させることをもとめる要求書』/1989年4月3日/甲第18号証」である。
 私は、それらを四家らが盗んだという情報で、四家らに返還要求をした。
 四家と村田と鈴木は、
「知らない」
と言い張っていた。
 そこで、1989年6月17日、仕方なく私は四家に、盗んだ掲示物を1989年6月21日までに返すよう記載した『返還要求書』を内容証明郵便(甲第245号証)で送った。
 すると、四家と村田と鈴木は、「知らない」と言い張っていたにもかかわらず、盗まれた掲示物が、夜の内にこっそりと職員室の私の机の上に、鎌小の茶封筒(甲第246号証)に入れらて返されていた。
 このことから解ることは、四家らは嘘をつく人物である、ということである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<256> ・・・・教委は、強制配転の後、私を弾圧し排除するための体制を強化していたが、そんな鎌小で掲示物が盗まれた。内容証明で返還を求めると、こっそりと夜の内に職員室の私の机の上に返していた。何と、返還された物は破かれたり、汚されたりしていた。
窃盗した掲示物を、勝手に破いたり、汚したりしていた四家ら
 
 しかも、嘘をつくだけではない。返還された物は破かれたり、しわくちゃにされたり、汚されたりしていた。(甲第243号証)(甲第244号証)他。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<257> ・・・・邪悪な意図を持つ教委は、日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧を強化してきた。逆井や津村や四家と一緒になって、罠を仕掛け、中村を欺き罠に陥れ、その上、強制不当配転を強行し、さらに不当な賃金カットすらしてきた。
不当な賃金カットすらしてきた(後に人事委員会から判定されたのに、返金すらしない教委)
 
 千葉県教職員組合東葛支部は、支部委員会で私への強制不当配転撤回を決議をし、人事委員会への措置要求、或いは裁判所への提訴を、全会一致で決めた。私と執行部は話し合い、5月29日、人事委員会への措置要求した。
 一方、教委は、6月21日、鎌ヶ谷小学校の四家明彦校長、酒井、津村、組合と私の5者で話し合うことを決めた4月1日土曜日の4時間と、話し合いの約束までの時間だった4月3日月曜日の7時間、計11時間の賃金カットをしてきた(甲第247号証)。
 (私は人事委員会に申し立てた強制配転処分撤回の審査要求(甲第224号証)の判定で、さすがに人事委員会は移動日であった土曜日の賃金カットは認められないと判定した。しかるに教委は今日まで賃金の返金をしていない。)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<258> ・・・・教委や四家らは、強制配転の後、私を弾圧し排除するための体制を強化する挙に出た。日の丸・君が代強制反対運動が佳境に入ってくると、そのことをとらえて中村潰しの弾圧を強化してきたが、四家らは、私が鎌小で発言力を増すことで、他の職員から私への同調者が出ないように、私に対して近づくと良くないとの噂を一層たてたらしい。
日の丸・君が代強制に反対する第二次全国署名運動
  一次集約分の署名を文部省に提出
 
 7月7日、『日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名連絡会議』は、『日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名』の一次集約分を提出する。加えて、文部省と話し合いを行う(日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名連絡会議の署名提出の写真と話し合いの写真/1989年7月7日/甲第248号証)。
 また、翌日7月8日、『日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名連絡会議』は、日の丸・君が代の強制を撤回することを求めて連続講座を行う(日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名連絡会議の連続講座の写真/1989年7月8日/甲第249号証)。
 それらの代表が私であることから、四家らの周囲からは、一層、私に余り近づかないようにとの話が聞こえてきた。私と教員たちとの間のコミュニケーションを断ち切る不当なものである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<259> ・・・・四家とその手先の教員たちは、私をより差別的に扱うことで他の教師へ威圧を加え続けた。そして、職員会議で指名すらしないと言う暴挙に出た。
教育の場で、職員会議で発言の指名すらしない校長派教員たち。もはや彼らが教育的に犯罪を犯していることは明確だ。
 
 6月4日から、日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名が開始されてきた。そして、7月7日には、私は日の丸・君が代強制反対の第二次全国署名の第一次集約分を持って文部省に出掛け、強制をしないよう文部省と交渉した。
 そんな中の7月10日、夏休みを間近に控え職員会議が持たれた。私はこの職員会議で、相対評価見直しと、新しい評価に移行させるための評価検討委員会の設置を要求しようとしていた。また、9月の運動会への日の丸・君が代の強制的持ち込みの見直しを提案しようとしていた。何故なら、鎌小は評価に関しては相変わらずの相対評価だったからである。鎌ヶ谷市の他の学校は総て改善を試みているにもかかわらず、鎌小一校だけが改善の努力をしていなかったのだ。これは、四家や教員たちは自らの職責を放棄し、もはや怠けているとしか言いようがない状態であった。一方、私はといえば、益々「5」「4」「3」「2」「1」の人権無視の評価をすることが出来なくなって来ている。
 今日の職員会議の司会は、川西と同じ5学年の佐治という20歳後半の女教員が担当している。川西も佐治も学校外での村田との付き合いがあり、村田に可愛がられていた。
 私は、挙手した。しかし、佐治は挙手している私を指名しようとすらしない。
「はい」
「意見があります」
 私は繰り返す。しかし、彼女は、私を完全に無視して議事を進行させて行く。四家たちは、ニヤニヤしながら見ている。形式的にでも、司会者の佐治に私を指名するよう注意すらしない。もはや職員室は、民主主義の体裁すらなしてなかった。勿論、他の教員たちも、司会者、中村さんを指名して、などと声を上げることもなかった。
 何故このような行為を行うのか。しかも、このような行為を四家達が看過している事に大変な問題がある。
 一般の教員からすれば、今まで経験のない異様な事態である。その為、私に近づくと校長達から何をされるか解らないという危惧感や不安感に掻き立てられるらしく、私と日常会話をするだけでも一般の教員たちはナーバスになっているようだった。
 私はそのような不当な信じられないような行為で、本来なら豊かに形成されていくであろう教員たちとの精神的交換を遮断されていくのである。私はこのことによって苦痛を受けたのは無論であり、本来あるべき通常の職場環境を、人間環境を破壊されたのである。そのような状況に置かれた者しか解らないであろうが、それは耐え難く辛いものである。
 教育という場で、そのような労務管理的な差別、いじめ、弾圧が行われたのである。本来、教育という場はそんなことから何よりも縁遠い場所でなくてはならない。そこで、そんな前代未聞で、信じられないことが行われたことは、校長、教頭、教務らが、如何に不当で間違っているということの何よりもの証左である。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<260> ・・・・四家の手先の教員達の中で男のある者は、職員会議で私に殴り掛かり、女のある者は、職員会議で指名すらしないと言う暴挙に出た。そして、これら暴力を持って、他の教師へ私に近づくなと威圧を加え続けた。
職員会議で暴力、発言の指名すらしない校長派教員たち
。分限処分事件は、権力によるでっち上げの権力犯罪事件である
 
 殴り掛かる、職員会議で指名しない、彼らこそが、法律を守り人権豊かな学校に変えていこうと正義感に燃え行動する私を狙ったのであり、今回の分限免職処分事件が権力によるでっち上げの権力犯罪事件であるという、何よりの証明である。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<261> ・・・・四家とその手先の教員たちは、私をより差別的に扱うことで他の教師へ威圧を加え続けた。そして、職員会議で指名すらしないと言う暴挙に出、その次の日、管理職は暴行に出た。これらは中村弾圧の一連の行為である。
管理職の暴行
 
 7月11日、職員会議の次の日、私は職員会議で発言の機会が奪われたので、評価検討委員会設置や運動会への日の丸・君が代持ち込み問題で話し合うべく、朝の打ち合わせが終わるのを待って、職員室の自席にいた四家の所へ行った。
 私は、まず運動会への日の丸・君が代の持ち込みの件で話すことにした。私の意見を聞いて、四家は椅子に座わったままで威勢良く反論して来た。話の合間に自分の腿を平手で叩いてパチッという音を立て、威圧的な態度を示している。しかし、次第に彼は言葉を発することが出来なくなった。彼の語気は弱くなっている。すると、四家の旗色が悪くなるにつれて、2人いた教頭たちが私にちょっかいを出すようになって来た。
 教頭の最も大切な職務とは、校長の盾になることであるらしい。特に千葉県では、そうだ。虎が逃げ出したことで有名になった鹿能山で、かつて行われた教頭研修会では教頭たちは雑巾持参で集められ、初心に返れと雑巾掛けをやらされた。続いて、教頭は校長の盾になれとたたき込まれた。
 やがて四家は言葉を発せられなくなった。反論出来ないでいる。一方、教頭たちが一層外野からうるさくなった。教頭の1人は鈴木昌平、もう1人は村田一二と言う。
「じゃ、いいですね。この件では私の意見を承諾して戴いたと言うことで。運動会に日の丸・君が代は無しと言うことで」
 私は四家に釘をさした。運動会への日の丸・君が代を巡っての話は終わった。私は次の評価の件に移ろうとした。その時だ。
「でたらめな事をやっている。でたらめな教師だ」
 突然、2人いた教頭の内の1人、村田が私に向かって言った。
 私はこれまで様々な批判を受けて来たが、面と向かって管理職に「でたらめな教師だ」と言われたことはなかった。私は、何故彼がそう言うのか、その理由を訊ねてみたくなった。同時に、私は彼とのやり取りを記録するためにメモに取ることにした。
「なんで、でたらめなことをやっていると言うのか?」
と、私は彼に訊ねた。すると彼は、
「出勤札をかえさない」
と答える。出勤札を返すことは、近年職場に持ち込まれ、組合も労務管理強化に繋がると反対している。
「なぜ出勤札をかえさないとでたらめなのか?」
と問い返すと、彼は、
「そんなこと言わなきゃわかんないの、10年以上やってて。出退勤がわかんない」
と、悪びれる素振りはない。しかも、私がこれらの彼の発言をメモに取り続けているのを見て、彼は真っ赤になって、私の耳元で、
「バカタレ!」
と大声で私を罵倒した。その上、村田は私を棚に向けて突き飛ばした。私は意識を失った。
 気が付くと、怪我をして倒れて居る私を置いて、四家や村田それにもう1人の教頭の鈴木らは逃げ出してしまっていた。私は首や頭などをしこたま打ち付けたらしい。痛みが走る。私は組合の分会長に援助を求め、病院に行くことにした。しかし、私が、
「病院に行きます」
と告げると、四家は、
「欠勤か」
とすごみ、自分たちの行為を皆目反省しようとしない。
 私は、病院に行った後、知人にすすめられて警察に被害届を出した。ところが、警察などの事情聴取に対しては、彼ら3人は口裏をあわせて、暴行の事実すら隠蔽した。従って警察まで来たというのに、学校日誌にすら記載しなかった(『学校日誌』/H1年7月11日/甲第250号証)。
 医者からは1週間の安静が私に命じられた。ところが、困ったことがあった。理科の学習で使うへちまの蔓が伸びて来ており、1日も早くへちまの蔓が伝わって行く柵作りを行わなければならない状況にあった。この年度から、四家たちはへちまの棚の枠組みだけは、業者をよんで凄く大きな物を作っていた。私は今までこんな大きな物は見たことがなかった。私を鎌小に理科専科として受け入れる代償に、棚の予算がおりたのかも知れないと勘ぐった。しかし、彼らが考えていたのは棚の枠組みだけで、へちまの蔓の伝わって行く柵の事は全く考えていなかった。否、私が柵作りを要求しても、そのための予算すら用意されていなかった。私は管理職にへちまの棚の柵作りをやって、柵に蔓を巻き付けておいて欲しいと申し入れた。
 安静期間が開け、私はクビにギプスをしていた状態で出勤した。しかし、へちまの棚の柵作りは全く行われていなかった。管理職は私の要請を無視していた。しかも、怪我をしている私を手伝おうとさえしない。私は、クビにギプス、腰にコルセットをした状態で、1人でへちまの棚の柵作りの作業をせざるをえなかった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<262> ・・・・村田は、密かに私を陥れる為の捏造したメモを取っていた。しかし、村田は、酒井や大古や松岡や津村や清水や矢動丸と同等で、分限免職処分でっち上げをした輩達だ
捏造され、悪意に作られたメモ
 
 私は千葉の人事委員会に分限免職処分撤回に向けて不服申し立てをした。その申し立てに従って、審査が開始しされた。私を「分限免職処分」した者達は、その審査の過程でいろいろなメモを『書証』という「証拠」として出して来た。そこで、私が知らなかったいろいろな事が解って来た。
 
 鎌小に1人余分に居た教頭の村田が教育委員会に提出していた「メモ」(乙第17号証)も、人事委員会に『書証』として出された。
 四家や村田は、私の転任当初から私を「犬問題」などを起こした教員として問題視していた。村田は、四家の指示で、私が鎌小に赴任したときから私の言動をチェックしていた。
 その「メモ」では、例えば、5月15日、低学年の仲間たちが捨てられたこ犬を拾い学校に連れて来たことに触れ、
「いつもどおりこの犬も外に追放した」
と、自分の「手柄」を主張していた。そして他方では、私の行為を偏見の目で記録し、あるいは捏造した。
 彼は、5月24日の朝の会での私の発言に関しては、
「5・24(水) PTAの代表は職員の中から選ぶべきであって、教頭が成るのは可笑しい。PTA総会でお母さんを叱るというのはいけない。本来教師と親は対等であるべきだ」
と発言したと「メモ」っていた。
 実は5月20日のPTA総会会場で、村田は多くの父母が居る前で、2人の母親たちを叱りあげていた(『せめてPTAでは「○○先生」じゃなく「○○さん」と呼びたいね』チラシ/H2年/甲第242号証)。この行為は、大変な行為で、村田はPTAを踏みにじったことになる。
この一つをとっても村田が途方もなくおかしいかが明らかだ。
 そもそも、PTAは学校の組織ではない。PTAでは父母と教員は対等であり、PTA総会で母親を叱りつけると言うことがあっていいわけはない。
 また、PTAでは管理職も平の教員も一会員で対等であり、教員たち側の代表は教員たちで話し合って選ばれるべきである。ところが、鎌小では話し合いもなされず、教員側を代表して教頭が出、しかも相談役になっていた(『せめてPTAでは「○○先生」じゃなく「○○さん」と呼びたいね』チラシ/H2年/甲第251号証)。
 管理職がPTAの相談役とは、あってはならないことで、文部省も呆れるであろう実態だった。
 しかも、鎌小のPTAの会則には、
「第14条 学校長は本会のすべての機関に出席して意見を述べることができる。」(「鎌小 PTA会則」/甲第252の3号証)
などとしてあった。校長がPTAに対して特別な位置をしめているのである。これはPTAではなくて学校の下請け機関である。このようなものを作ることは、PTA研修会運動に対する
冒涜である。
 このような人間達がPTAの「T」であることが、つまり教員であることが恥ずかしい。
 四家は村田や鈴木は、酒井や大古や松岡や津村や清水や矢動丸同等に、恥ずかしい。
 
 従って、PTAを学校の下請けにしようとする四家や村田たちの考えが間違っているのであるが、ともかく村田はそのような事を「メモ」り続け、私が如何に村田らが作っている学校体制にとって障害となる存在であるかを印象づけようとしていた。
 
 もっとも、村田は自分にとって都合の悪い事は全く記載しなかった。一例をあげれば、村田の「メモ」(乙第17号証)には、7月11日の朝の打ち合わせは記載されていたが、私がその打ち合わせの30分後、村田の暴力で怪我させられたこと、病院に行ったこと、警察が来て事情聴取したことなどは、全く記載されていなかった。そして、警察が来れば、「メモ」どころか、絶対に学校日誌に記載しなくてはならないが、しかし、学校日誌にも記載されていなかった(学校日誌/H1年7月11日/甲第68号証)。
 さらに、この件で人事委員会審査で私の代理人の中川重徳弁護士たちから追求された村田は、私に暴力をふるっていないと主張し、私を突き飛ばしたのを、
「それは私が押したわけではなくなくて自分で倒れて行ったからです。」人事委員会『口頭審理速記録・第5回』24ページ24行/H6年6月10日/乙第59号証)
と証言していた。
 そして、中川弁護士からの、倒れた私が、
「その後30分近く倒れていたということですね。あなたの話によれば30分近く寝ていたということですね。」
という尋問に、
「はい。」(乙第59号証26ページ24行)
と答えている。
 そこで、中川弁護士から、
「しかし、いずれにしろ30分も放っておくと言うのかな、あなたの考えに立てば寝かしたままにしておくと。そういうふうにした理由はどういうことなんですか」
「私が押して怪我をさしているわけではありませんから、自分で倒れて寝ているわけですあから、私が声を掛ける必要もなかったわけです。」(乙第59号証の38ページ19行)
などの証言を繰り返した。
 しかし、本当に私が「寝ていた」のであれば、勤務をサボる「問題行動」であり、村田らからすれば当然に「メモ」に記録されるべき「格好」の事態であるにもかかわらず、村田は記録していなかった。
 その矛盾した村田の「メモ」取り行動を、中川弁護士に
「しかし、これだけいろいろなことがあったんですから、あなたはあなたで自分が体験したことをノートにとる、記録にとどめるということが自然ではないんですか。」
と追及されると、村田は、
「これだけ大変なことがあったって、私は押しておりませんから私は大変な事だと思っておりません。ですから記録しません」(人事委員会『口頭審理速記録・第5回』36ページ8行/H6年6月10日/乙第号証)
と言い張った。
 勿論、警察が来たことだけではなく、「30分近く寝ていた」上に、その後病院に行ってしまったのに、「メモ」や学校日誌にすらその病院にいってしまった重大事件は記載されていなかった(学校日誌/H1年7月11日/甲第68号証)。
 左様に村田の「メモ」とは、村田ら管理職にとって都合のいいものであったが、村田は私を怪我させた学期で「メモ」を作成するのを止めていた。即ち、7月22日からその年度末の3月末まで「メモ」を作成するのを止めていた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<263> ・・・・村田は、密かに私を陥れる為の捏造したメモを取っていた。しかし、実はそのメモは全く、或いは、殆ど問題がないものだった。
全く、或いは、殆ど問題のないメモを捏造した村田
 
 本当に私が「寝ていた」のであれば、勤務をサボる「問題行動」であり、村田らからすれば当然に「メモ」に記録されるべき行為であるにもかかわらず、
「大変な事だと思っておりません。ですから記録しません」(乙第★号証)
ということで、村田は記録しなかった?
 しかし、勤務中に寝て勤務をサボる「問題行動」が、「大変な事だと思っておりません」とするのなら、村田のメモに書かれていることは、勤務中に寝て勤務をサボる「問題行動」に照らし合わせれば、全く問題がないか、殆ど問題がないものばかりである。いくら捏造した理由としても。その問題がないことで分限免職処分をでっち上げることはできない。
 一方、私に対して、分限免職処分でっち上げ権力犯罪事件を起こしたという事実だけは残る。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<264> ・・・・四家は私の話に同意した。にもかかわらず、卑怯にも私を陥れる材料として使った。
オール5に納得した四家
 
 職員会議での発言封じ、翌日の暴力と怪我のための療養という事態の中で、私は評価の改善はおろか議論さえ出来なかった。
 私は悩んだ。私は、担当している理科にオール5の評定を付けることにした。すると、相対評価を是正することを怠けていた四家の側から、
「どうして全員に5を付けたんだ」
と言って来た。
 私は四家に、
「評価の是正をする職務上の義務がありますよ。直ちに是正すべきです。是正することを怠け、このような人権無視の評価で児童たちを傷つけていることは、明かに犯罪ですよ」
と、彼の行為を批判した。そして、
「私は犯罪的な評価方法で、児童を傷つけることは出来ません。かといってそれに替わる改善策の提案の機会すら剥奪される状況下では、私は教員としての、否、人としての良心に従ってオール5を付けるしかありません」
と私の気持ちを率直に話した。
 いまや四家は、私の指摘から逃れられなくなった。そんな彼は、それまでの傲慢な態度から打って変わって、
「機械的に5、4、3、2、1を決めるわけにはいかないし」
と、私の主張を認める発言をした。少なくとも、私の話は、四家と私との了解にはなった。
 勿論、四家の了解があった以上、この件で、いかなる校長命令も発せられていない。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<265> ・・・・四家は私の話に同意した。にもかかわらず、勝手に私の評価を破棄し、後日、卑怯にも私を陥れる材料として使った。
評価権を侵害する四家
 
 しかし、通知票をめぐっての事態は一転した。四家は3年の担任に命じて、通知票の理科の評価の数字を記入する欄を空白のままにさせた。そして、また、担任に命じて、私が担任用に書いた各「児童」に対する学習所見の文章を、各「児童」毎に鋏で切り取らせ、空白にした評価の欄の隣に貼らせて「児童」に渡させた。
 しかし、私はそのことを知らされていなかったため、オール5の評価が通知票に付いて渡されたものとばかり思っていた。私がそのことを知ったのは、児童からで2学期も半ばのことだった。
 なぜ、オール5の評価を担任達をして通知票に転記させなかったのか? 私は、後ほどその訳を問い質した。
 そのとき、四家は、
「通知票を出すか出さないは、校長権限だ」
と、言い張った。
 通知票に関しては、教委側はそうとも言っているが、しかし、評価に関しては明らかに校長権限ではない。そんなことは、教員なら百も承知のことだ。にもかかわらず、あろうことか四家は、権限外の教育に介入する行為を行ったのだ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<266> ・・・・四家は私の評価の話に同意した。にもかかわらず、勝手に私の評価を破棄し、後日、卑怯にも私を陥れる材料として使った。
中村を陥れる為の混乱をあえて作り出した四家ら
 
 その上、私の担任する理科だけ、私が担任に参考にしてもらう為に書いた所見を貼るという行為をしたのだ。
 所見は評価でははい。
 評価で、現在の段階では、尤も優れた方法は、現在の段階では文書評価だと言われている。従って、私は全国の学校が、とりあえず数字による評価ではなく、文書評価に変わる方がいいとは思う。
 しかし、文書評価も一方的評価であることは変わりなく、私はもしこのまま評価を続けるのであれば、少なくとも双方向の文書評価にすべきだと思っている。児童生徒や保護者も教員を評価するのである。そして、その透明性の中で、このようなまなびをしたから、このような認識方法と知識が得られ、このような思考力につながった、と評価されるべきである。
 さて、四家らが、学習所見の文章を、空白にした理科の評価の欄の隣に貼らせて「児童」に渡したことは、極めて異例のことだ。私はそのようなことは聞いたことはない。多分全国でも前例がないことだと思う。余りに四家らの行為は異常だ。
 何でそんな異常なことをするのいか、信じられない。
 まして、そんなもの受け取った児童や親はどう思うだろうか? 他の教科は数字で付いているのに理科は、評価でもない所見がはり紙されてある。保護者達は戸惑う。混乱する。四家らはあえて混乱を作り出したとしか、考えられない。
 オール5は、絶対評価だ。そして、オール5を付ける教師達もいる。確かに四家らには気にくわないだろうが、児童派や生徒派の教員ならばやってきたまともな行為だ。この国では、本来はそうでなければならない児童派や生徒派の教員が少ないから、その数では「1」「2」を付ける教員たちに劣るが・・・なぜ、そのような異常なことをしたのか。
 文科省のミスター文科省と言われている寺脇審議官は、H14年4月3日、日本テレビの夜のニュース番組『出来事』に出演して、27人の保護者(母親)を前に、学習指導要領が、「最低要求基準」であるとの位置付けに立って話をした。
 TV司会者訊く。
「寺脇さん、これまでの対談の中で、これからは全員が100点を取れるようになるです、とおっしゃいましたが、これは何ですか? 象徴的な言い方なんですか? 現実なんですか?」
 それに彼は応じて、
「象徴的っていうか、あの、いわゆる最低基準の所までは全員が達成できるようにしますよと。出来るようにこっちがやりますよ、ということなんです」「今回は教育の構造改革をしようしているということを、まあ、もうちょっと伝えなければならないと思いますね」
と明確に答えた。
 寺脇氏の言う通り、そもそも「いわゆる最低基準の所までは全員が達成できるようにします」ということは、義務教育の当たり前の主権者(国民)に対する学校側、教員側の義務なのである。その最低基準を全員ができれば、オール5なのである。
 評価そのものを少なくとも双方向評価に変えなければならないということが残されているが、それらをさておくと、到達度評価というのは、学習指導要領に基づいた評価であり、相対評価というのは人権や学習指導要領を否定し、学校側、教員側の義務を放棄する評価であり、本質的に犯罪評価なのである。
 明らかに、相対評価ではないからと、四家らが、学習所見の文章を、空白にした理科の評価の欄の隣に貼らせて「児童」に渡したことは、極めて異例のことで、許されることではないし、四谷達が学習指導要領を逸脱しているのである。この行為は、四家ら、その背後には教委が居るが、が中村を弾圧すること、火のないところに煙をたてて大騒ぎをするように敢えて仕向けたことなのである。
 
 さて、前掲の寺脇審議官は、その『出来事』の番組の中で、ある母親の発言に対して、
「一応理想を追い求めているわけですから」
と答えながら「理想を設定」することの大切さを説いた。
 そうなのである。教育というのは、理想なのである。理想を求めて、児童生徒も保護者も教員も努力する。その理想をめざす私を含め多くの人々の努力が、児童を、教員を、学校を、保護者達を、文科省を変えていくし、現実に変えてきたのである。それに対して、教委や四家らは頭から水をかぶせてきたのである。こんな教委や校長だからこそ、私を処分したのである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<267> ・・・・四家や酒井は相対評価を廃止しようとうはしなかった。そして、その学校に私を強制配転し、問題をでっち上げた。絶対評価では四家は私の話に同意した。にもかかわらず、勝手に評価を改竄し、後日、卑怯にも私を陥れる材料として使った。
一方で、相対評価という人権侵害の評価を温存させ、他方で、絶対評価を認めたふりをし、私に罠を仕掛けた四家や酒井
 
 四家らが、個別の担任の評価ではなく、評価方法全体に対して正対し、改善をはかりたいというなら、それは、大いに歓迎されることであり、教員は誰も反対はしないだろう。
 しかし、四家らは、決して評価検討委員会を作ろうとしなかったのだ。しかも、前近代的な鎌ヶ谷市内の小学校ですら、どこにも存在しなくなった相対評価を、正しいと考え続けてきたのだ。
 では、何故相対評価が間違いだと言うことになったのか。それは、オール5を含めて改善をしてきた教員たちがいたからだ。理想を掲げ努力をした教員たちが居たから、ここまで来られたのだ。
 四家らは敢えて間違った相対評価を押しつけ、理想を掲げ努力をする私に絶対評価をさせ、通知票の理科欄を空白させて通知票を出させ、問題を作り出したのだ。そう見てくれば、四家が
あのとき、
 「機械的に5、4、3、2、1を決めるわけにはいかないし」
と、私の主張を認める発言をしたのも、その様な弾圧の一貫として、一度承認してその後覆し問題をでっち上げようとしたという意図を見て取れば、すんなりと理解できる。
 私を鎌ヶ谷小学校に強制配転しようとしたとき、四家は
「中村を受け入れるんだったら、定年を1年延ばして再来年にしてくれ」
と、酒井に申し入れたらしかったが、まさに四家や酒井の中村処理対策の一つだったのだ。
 私を鎌ヶ谷小学校に強制配転し、不当な人権侵害の相対評価との関係で問題を作り出し、また、陰謀の捏造メモを作り、私を狙っていたのだ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<268> ・・・・四家や酒井らは、私が鎌小で発言力を増すことで、他の職員から私への同調者が出ないように、徹底的に私から教員を「隔離」する策に出た。
『シロとクロとわんぱくたち』の本が出る
  表面では沈黙をまもり、影で攻撃する
 
 8月に『シロとクロとわんぱくたち』が出版される(『シロとクロとわんぱくたち』/1989年8月/甲第55号証)。
「先生読んだよ」
と、児童も買って読み出す。
 一方で、学校は、学校の内部が外に出ることに対して、極めて異常な対応をする。そして、外に出す者を陰湿に、徹底的に攻撃する。
 嘗て、犬問題の時に『毎日小学生新聞』に載ったときは、五十嵐が新聞社にクレームをいれたように。『船橋よみうり』に載ったときは、酒井が誹謗中傷の電話を新聞社に入れたように。
 概して犬事件では、学級解体し、私のクビをねらい、その後は排撃署名したように、ただではすまないと私は感じた。また、日の丸君が代のときは、郊外学習でいわれのない訓告を、しかも騙しで出されたように、或いは強制配転され、担任から副担任から外されたように・・・
 四家や酒井らとその取り巻きは、私が鎌小で発言力を増すことがないよう、一層、攻撃を強化した。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<269> ・・・・またもや、四家らは、勤務場所、勤務時間を勝手に変更させた。私はこのことを是正してもらおうとしたが、四家らは、私が鎌小で発言力を増すことで、他の職員が私と気軽に話すことを徹底的に警戒していた。
またもや、勤務場所、勤務時間を勝手に変更する四家ら
 
 またもや、9月29日、四家らは、勤務場の変更を勝手にやった(登校現地指導を行う際の日の勤務時間の割り振りについて/H1年10月2日〜10月7日まで/甲第253号証)。
 「三橋記念館前」や「中古車センター前」などへ勝手に勤務場所を変更していた500メートルほど離れた場所である。
 同時に勤務時間の変更もやった。
 問題なのは、通常の勤務場所と勤務時間帯と休憩の時間を違えるものであるから、教委への届け出が必要であるが、その届け出をしていなかった。
 私は、このことを是正してもらおうとしたが、四家らは、私の言うことを聞くと、他の教員への威圧が効かなくなることがあって、他の職員が私へ同調しないように、徹底的に私に対して無視する策に出た。
 やはり、四家や村田や鈴木は、私に対する教員達の反応を気にしていた。私と教育論争をして、私に押し切られ、他の教員が四家や村田や鈴木のいじめの支配、見せしめの支配から離れ、私と気軽に話し出すことがこわかったらしかった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<270> ・・・・四家や酒井や教委らは、私が本を出したことで、鎌小で発言力を増すことがないよう、他の職員から私への同調者が出ないよう、徹底的に私から教員を「隔離」する策に出た。教委の訪問を入れてきた。
『シロとクロとわんぱくたち』の本が出る
  千葉県東葛地方出張所が訪問に来た
 
 ついに、8月に『シロとクロとわんぱくたち』が出版されたことによる、攻撃が姿を現した、
 一方で、学校は学校の内部が外に出ることに対して、大その攻撃が表面化した。
 10月16日に千葉県教育庁東葛地方出張所による訪問があるというのである。しかし、これまで計画訪問の会場校となった学校は、授業展開はしなかった。東部小ではそうだった。それは、すでに計画訪問で千葉県教育庁東葛地方出張所は勿論、全市の教員に授業を公開しているからである。そこで、訪問があっても管理訪問だった。公簿等を点検する管理訪問である。
 さて、鎌ヶ谷小学校は6月6日に計画訪問の会場校を引き受けている。4校時を潰して清掃さえさせてである。にもかかわらず、授業を見せよと言う攻撃に出たのである。私は本を出した件での攻撃の一つではないかと考えた。そこで、私は、何故年に2度も授業を見せるのか、しかも指導室訪問でないのに何故見せるのか、根拠がないことなので、私は問い質した。それは、当然な疑問である。
 要は、その質問に管理職は答えれば良いだけだった。しかし、彼らは全く答えなかった。その質問に何ら管理職は、教務主任平賀も答えられなかった。答えない彼らは、その平賀をして捏造した報告文を作らせ、四家校長を通じて教委にあげさせた(『東葛飾地方出張所長学校訪問における指導案提出の催促経過について』/乙第14号証)。
 そもそもこの平賀という男、四家に可愛がられ、我孫子から四家の下に呼び寄せられた。そして、若くして教務主任になっていた。何故だか、四家の「お気に入り」である。従って、そのメモには、捏造された記述がなされている。
 なお、平賀は私が、指導案は頭の中にあると言った、とあるが、それは私の問いに答えてくれば、頭の中にあるのですぐ書けると言うことを、彼なりに理解したのであろう。
 また、授業は見せる必要がないというような記述があるが、計画訪問をやって、僅か4ヶ月後に授業を見せろと言うのはその理由を説明して欲しいと言うことの、彼なりの理解であろう。
 どちらにしても、管理課長と会って、村田らの暴力事件での通院をどうするかで話し合った。管理訪問に対しての話し合いはしっかりとやっている。この件で、何故この時期に訪問がという、あからさまなおかしさが突き出されているが、管理訪問に対する対応は行って。非難されるようなことではない。当日の授業もつつがなくやっている。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<271> ・・・・四家や酒井や教委らは考えられない弾圧体制を敷き、その中で、暴力で私に怪我をさせ、その上、公務災害認定書に必要な、校長が事実を現認する書類への記載を拒否した。
校務災害申請を妨害する
 
 10月8日に出した公務災害認定書(甲第26号証)に必要な、校長が事実を現認する書類への記載を、四家が拒否する。
 これも、私への弾圧の現れだった。、
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<272> ・・・・四家や酒井や教委らは、教育問題での発言を続ける私を、陰で批判し続けていた。
『シロとクロとわんぱくたち』の本が出る
  『社会新報』に提言が載る
 
 10月20日、『社会新法』(『社会新法』に記載された提言/1989年10月20日/甲第254号証)に提言を発表する。
 また、何かを仕掛けてくるかも知れないとの思いが、私の脳裏をかすめた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<273> ・・・・教委や四家らの弾圧の一方で、私は、日の丸・君が代強制反対運動の市民運動を進めた。
日の丸・君が代強制に反対する第二次全国署名運動
  二次集約分の署名を文部省に提出
 
 10月26日、『日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名連絡会議』は、『日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名』の二次集約分を提出する(日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名連絡会議の署名提出時の写真/1989年10月26日/甲第255号証)。加えて、文部省と話し合いを行う。
 11月10日、『日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名連絡会議』は、日の丸・君が代の強制を撤回することを求めて第四回目連続講座を行う(日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名連絡会議の連続講座写真/1989年11月10日/甲第256号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<274> ・・・・四家の親衛隊の教頭の村田は、私に暴力を振るい、後遺症の残る怪我をさせた。しかし、四家らと私を弾圧する酒井は、傷害事件としての申し立てを、嘘を付いてまで取り下げさせようととした。
暴行を受け、後遺症の残る怪我をした私が病院に行った日を欠勤にして、ボーナスにもひびくからと暴行障害事件を一般の病休にかえさせようとした酒井
 
 それら日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名連絡会議の運動が展開される一方、四家たちは、私の病院に行った日や安静療養の日を欠勤扱いにした。
 そこで私は、夏休みが明けると、暴行による私への傷害事件とそのことでの怪我を公務災害申請をした。しかし、彼らは公務災害ではないと、教育委員会と申し合わせて申請を通すことを拒否して来た。私は怪我による病院通いを、ねばり強く特休申請し続けたが、全く認められなかった。
 『シロとクロとわんぱくたち』の本の出版、『社会新報』での提言、日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名連絡会議運動と文部省との話し合い・・・そんな中、また、何かを仕掛けてくるかも知れないとの思いが、私の脳裏に微かに存在していた。
 そして、それは現実となった。嘗て排撃署名の後に、理科準備室にあの男が現れたように・・・
 11月14日、わざわざ酒井三郎が私を訪ねて来た。彼は、
「特休申請することを止めて病休扱いにしないと、ボーナスにも響くからね」
と、脅した。しかし、私はその場で彼を問い質し、「病休扱いにしないと、響く」というのは、現状では嘘であることを認めさせた。
 私を弾圧する酒井は、傷害事件としての申し立てを、嘘を付いてまで取り下げさせ、傷害事件を隠そうとしたのである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<275> ・・・・教委や四家らの弾圧の一方で、私は、日の丸・君が代強制反対運動の市民運動を進めた。
日の丸・君が代強制に反対する第二次全国署名運動
  三次集約分の署名を文部省に提出
 
 12月13日、『日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名連絡会議』は、『日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名』の三次集約分を提出する(日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名連絡会議の署名提出時の写真/1989年12月13/甲第257号証)。
 加えて、文部省と話し合いを行う。
 また、12月16日、『日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名連絡会議』は、日の丸・君が代の強制を撤回することを求めて第5回目連続講座を行う(日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名連絡会議の連続講座写真/1989年12月16日/甲第258号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<276> ・・・・教委や四家らの弾圧の一方で、私は、アスベスト付金網の全県からの回収や職員室の禁煙で一歩一歩成果を得ていた。
アスベスト付き金網の回収、職員室の禁煙で前進
 
 東部小にいた私は、3月20日、学校給食の放射能検査を実施すること、若い仲間たちが出入りする職員室を禁煙にすること、文部省や県教育委員会などが有害なアスベスト付き金網の回収通知を発令すること、を求めて人事委員会に措置要求を3つ提出していたが(朝日新聞/3月21日/甲第212号証)(読賣新聞/3月21日/甲第213号証)、その判定が12月13日にあった。
 判定では、以下のようなものであった。
 学校給食の放射能検査を実施すること、に関しては「公的機関において必要な検査がなされている」から要求は認められない。
 若い仲間たちが出入りする職員室を禁煙にすること、に関しては「新たに換気扇が一台取りつけられたことが、認められる」から要求は認めることはできない。
 文部省や県教育委員会などが有害なアスベスト付き金網の回収通知を発令すること、に関しては、「既にアスベスト付金網の回収が完了している」から要求は認めることはできない。
 さて、換気扇を付けさせたり、アスベスト金網を回収するように要求してきて、回収させたので、判定結果はそうでも、実質的に勝利したものである。児童生徒の健康を考えれば嬉しいことだ。特にアスベスト付金網では、津村は安全なアスベストで回収する必要が無いと言っていたが、彼に総てのアスベストが危険なことを通じて、鎌ヶ谷市や全県の金網を回収するようにお願いし、その結果が、「既にアスベスト付金網の回収が完了している」という結果を得られたのであるから。これ以上意義のある判定はない。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<277> ・・・・四家達は、私を副担任からも外した。彼らは私への弾圧体制を継続した。四家らは、PTAを私物化し続けた。
PTAを主権者を不当に支配する、公僕の立場の四家ら
 
 『シロとクロとわんぱくたち』の本の出版、『社会新報』での提言、日の丸君が代での署名と文部省との話し合い・・・そんな中、四家らは、私への弾圧体制を敷き続けていた。
 その一つが、児童の親との出来るだけ接触する機会のないようにすること、出来るだけ児童の親に私と接触しても得ではないと感じさせることであった。その為、彼らは私に担任を持たせなかったし、副担任すら持たせなかったと思われる。
 鎌小では、保護者に対しても極めて酷い専制的な対応が行われているという情報が入っていた。また、四家らは、彼らに追随する保護者達をてこにして、PTAを支配をしようとしていた(『せめてPTAでは「○○先生」じゃなく「○○さん」と呼びたいね 一人ひとりが対等な立場で 全く専制的で無茶な管理職』チラシ/H2年/甲第251号証)。
 まさに、国民、主権者を公僕の教員が支配しようとするもので許されるものではないが、鎌ヶ谷市長も、市教委も、管理職らも、教員らも、彼らで支配することが当然と考えていたのである。
 私をめぐる分限免職処分でっち上げ権力犯罪事件は、教育を主権者に返そうとする私に対し、逆に主権者を支配しようとする教委や政治家や教員たちがなした陰謀と弾圧であったのである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<278> ・・・・教委や四家らの弾圧の一方で、私は、日の丸・君が代強制反対運動の市民運動を進めた。
日の丸・君が代強制に反対する第二次全国署名運動
  3.11大討論集会開催 大成功
 
 3月11日、『日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名連絡会議』と『日の丸・君が代に反対するネットワーク』は、『3.11大討論集会』を開催する(3.11大討論集会のチラシ/1990年3月11日/甲第259号証)(3.11大討論集会の写真/1990年3月11日/甲第260号証)。
 多数のマスコミ関係者も参加し、大成功を治める。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<279> ・・・・教委や四家らの弾圧の一方で、私は、日の丸・君が代強制反対運動の市民運動を進めた。しかし、私への圧力も深まる。
日の丸・君が代を強制する者達の姿勢は、ますます強行に
 
 すでに、日の丸・君が代は一大焦点化しており、鎌ヶ谷小学校の回りには、「日の丸を認めない政党に、日本をまかせられますか」(自民党のポスター/甲第261号証)のポスターが目立って多数貼られた。他地域ではそのように多数貼られていないことから、私への、更には私へ同調する者を出さないようにする為の威圧行動の面もあるのではないか、と私は感じとった。
 また、日の丸・君が代強硬姿勢は「千葉日報」などの記事にも見られ、私たちの「3.11大討論集会」の写真も掲載された(「千葉日報」/1990年3月12日/甲第262号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<280> ・・・・教委や四家らの弾圧の一方で、私は、日の丸・君が代強制反対運動の市民運動を進めた。文部省への署名提出との話し合いや共同記者会見を行う。
日の丸・君が代強制に反対する第二次全国署名運動
 文部省への署名提出と話し合い 記者会見を行う
 
 3月15日、『日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名連絡会議』は、『日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名』の四次集約分を提出する(日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名連絡会議の署名提出と記者会見のお知らせチラシ/1990年3月15/甲第263号証)。加えて、文部省と話し合いを行う(日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名連絡会議の署名提出時の写真/1990年3月15/甲第264号証)。
 また、共同記者会見を行う(日の丸・君が代の強制に反対する第二次全国署名連絡会議の記者会見の写真/1990年3月15/甲第265号証)。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<281> ・・・・四家らは、評価検討委員会設置要求を無視し続けた。にもかかわらず、勝手に私の評価を破棄し、後日、卑怯にも私を陥れる材料として使った。
2、3学期も、理科の評価のない通知票を出し続けた四家ら。狙いに反して、中村非難の混乱は起こらず、企みを外した四家ら
 
 よほど、四家はものわかりが悪いらしい。というより、校長職の職務を完全に放棄している。というのも、2、3学期も四家は、評価検討委員会設置要求を無視し続けた。しかも、評価の改善はおろか議論さえさけた。その一方では、
「通知票を出すか出さないは、校長権限だ」
といっては、理科の評価をしないまま理科の評価蘭を空白のままにして通知票を出した。
 つまり、私の担任する理科だけ、私が担任用に参考にしてもらう為に書いた所見を貼るという行為を繰り返したのだ。所見は評価ではない。
 通知票を出す出さないに関しては、教委側は、校長判断だとも言っているが、しかし、評価に関しては明らかに校長権限ではない。そんなことは、教員なら百も承知のことだ。にもかかわらず、あろうことか四家は、私の評価を削り取ったのだ。権限外の教育に介入する行為を行ったのだ。
 極めて異例のことだ。私はそのようなことは聞いたことはない。多分全国でも前例がないことだと思う。余りに四家らの行為は異常だ。何でそんなことをするのか、信じられない。
 まして、そんなもの受け取った児童や親はどう思うだろうか? 他の教科は数字で付いているのに理科は、評価でもない所見の貼り紙だ。保護者達は戸惑う。混乱する。四家らはあえて混乱を作り出そうとしたとしか、考えられない。
 オール5は、絶対評価だ。児童がみんな一生懸命にやった結果で、私としては学習指導要領で求められている水準に達していると判断した結果で、そのことは私の授業への児童の関心の高さや意欲の高さ、集中力の高さを物語るものだ。事実、児童達はみんな理科が好きだった。何故私の理科がみんな好きになるのか、担任達は解らないようだったが、それは簡単だ。一人ひとりがかけがえのない存在であることを知り、彼らを尊重さえすればいい。
 公然と、オール5を付ける教師達もいる。確かに四家らには気にくわないだろうが、児童派や生徒派の教員ならばやってきたまともな行為だ。この国では、本来はそうでなければならない児童派や生徒派の教員が少ないから、その数では「1」「2」を付ける教員たちに劣るが、その行為は相対評価という犯罪犯罪に比べ遙かにまともな行為だ。従って、まともな行為であるが故に教委が権力犯罪を起こそうとしなければ、そのことで処分を受けるということもない。
 教育というのは、理想なのである。理想を求めて、児童生徒も保護者も教員も努力する。その理想をめざす私を含め多くの人々の努力が、児童を、他の教員を、学校を、他の保護者達を、文科省を変えていくし、現実に変えてきたのである。それに対して、教委や四家らは弾圧を加えてきたのである。
 もっとも、既に述べたように、このままの評価を続けるのであれば、現在の段階では、少なくとも双方向の文書評価にされるべきだと思っている。児童生徒や保護者も教員を評価するのである。そして、まなびの改善がはかられていく中から、どのようなまなびをしたから、そのような認識方法と知識が得られ、このような思考力につながった、という過程を評価し、まなびに生かされるべきである。
 それはともかく、評価についての検討委員会を設置要求を拒否したり、教育に付いての理想すら語れない教委や校長らだからこそ、私を強制不当配転処分したり、「担任と副担任外し」処分をしたり、暴力を振るったりしたのである。
 彼らは私を弾圧することしか考えていなかったのである。そして、2学期3理科学期も評価をしないまま理科の評価蘭を空白のままにして通知票を出したのである。
 保護者達は戸惑う。混乱する。四家らはあえて保護者達をして、混乱を作り出そうとしたとしか考えられない。しかし、四家らの思惑を通りにいかず、私を非難する声は全く聞こえてこなかった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<282> ・・・・保護者達からの私への支援の声は聞こえてきたが、四家らの仕組んだ通知票事件で、私を非難する声は全く聞こえてこなかった。保護者達もこの余りに酷い鎌ヶ谷小の四家ら管理主義教育派を、何とかして欲しかったのだ。
児童や保護者達は、私を声援していた。だから、評価のない通知票でも私への非難が起きなかった
 
 確かに、保護者達は戸惑う。混乱する。しかし、私を非難する声は全く聞こえてこなかった。
 それは何故か。児童も保護者達も理科は「5」のまなびが、取り組みが出来たことを知っていたからだ。児童や保護者達はそれなのに「5」を付けない四家らに、絶望的な不満を抱いていたからだ。また、鎌小以外、どこも相対評価などやっていないことを、保護者達は知っていたのだ。そして、保護者達の多くが、絶対評価への切替を望んでいたのだ。
 その上、保護者達は、この間のあまりにも酷い反動的な四家や村田らに対して、内心怒りを持っていた。従って、保護者達からの私への支援の声は聞こえてきたが、私を非難する声は全く聞こえてこなかった。保護者達もこの余りに酷い鎌ヶ谷小の管理主義教育に対して、何とかして欲しかったのだ。
 しかし、鎌小に文句を言うと児童や自分達が何をされるか解らない。まして、鎌ヶ谷市教委は酒井が牛耳っている。いやはや何ともしようがない。そこで、内心では、四家らに反対して私に声援を送っていたのだ。
 私が分限免職処分でっち上げ権力犯罪事件にあって、私の荷物の引き取りに行った際、それに人事委員会審査を共に闘った弁護団が立ちあった。彼らは、児童が私に示した反応に、私の人気の凄さに驚いていた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<283> ・・・・四家らは、評価検討委員会設置要求を無視し続けた。にもかかわらず、勝手に私の評価を破棄した。後日、教委は、卑怯にも私を陥れる材料として使った。
四家らは、鎌小の人権無視の相対評価が正しいとするなら、私を処分すれば良かったが、そうはしなかった。そして、理科の評価のない通知票を出し続けた
 
 ようするに、私を弾圧することしか考えていなかった彼らではあったが、彼らの側が問題を、人権無視評価を行っている為、処分できなかったのである。ところが、私が、「大東亜戦争」中、日本軍が行った泰緬連接鉄道敷設工事に於けるおびただしいアジア人労働者の犠牲の実態を、『死の鉄路』という映画で戦後初めて明らかにすると、問答無用で私を分限免職処分にした。その為、その処分理由を、おびただしいアジア人労働者の犠牲の実態を、『死の鉄路』という映画にされた、日本の新しい分野での戦争犯罪が明らかにされた、とするわけにもいかず、この問題を持ち出してきた。
 行政のおぞましい処分理由の捏造行為である。分限免職処分でっち上げ権力犯罪事件の真相である。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<284> ・・・・四家は自分の親衛隊の教頭の村田を使って、私に直接暴力を振るい、後遺症の残る怪我をさせた。しかし、四家らと私を弾圧する酒井は、傷害事件としての申し立てを、嘘を付いてまで取り下げさせようとした。
徹底的な私への弾圧。私の話の出来る教員は全員他校に飛ばした
 
 私の周りへの管理職の警戒は相当なものである。
 そもそも鎌ヶ谷小学校は、その中軸たる校長親衛隊の教員達を、私が鎌ヶ谷小学校に強制配転させられる段階で、人権意識の低い教員、校長へのイエスマンの教員でかためていたのである。
 それでも余りに管理職や回りの教員が酷いので、不満はくすぶっていた。そんな中、私は通常に話の出来る教員を4人見付けた。しかし、その良心的な雰囲気を持った教員4人全員を、この年度限りで異動させたのである。
 鎌ヶ谷小学校は、私を孤立させて弾圧する収容所だったのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
寺島正方時代
教員12年目
  H2年4月1日から3年3月31日まで
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<285> ・・・・四家は自分の親衛隊の教頭の村田を使って、私に直接暴力を振るい、後遺症の残る怪我をさせた。しかし、私に怪我をさせたことは、大きな誤算だったらしく、その後の捏造メモは中止にされた。そして、四家の代わりに千葉大学閥の寺島がやってきた。
またもや登場してきた千葉大学閥、寺島
 
「中村を受け入れるんだったら、定年を1年延ばして再来年にしてくれ」
と、酒井に申し入れたらしかった四家だが、そうはいかなかったらしく、定年退職することになった。権力内部の思惑から、四家は外された。
 
 H2年4月3日、代わりに松戸の寒風台小から寺島正方が校長として赴任して来た。小柄で痩せた男である。しかしこの男も千葉大出だった。
 最初の校長の河合、2人目の校長の大古、4人目の校長の清水、5人目の校長の津村、そして7人目の校長の寺島、7人中の5人までが千葉大学閥である。犬事件の3人目の松岡と私を受け入れることを最初から嫌がっていた四家だけが、千葉大ではない。
 自治労の件の書記が、
「中村さんは、校長会に睨まれているんだ」
と情報を提供してくれたが、正にその通りである。そして、それが教育委員会と一体となって攻撃を仕掛けてきているのである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<286> ・・・・教委や寺島は、私を弾圧し排除するための体制をより強化し、私抹殺の挙に出た。その為に、教委にいた高岡を教頭として送り込んできた。
中村弾圧シフトをより強化する教委や校長たち。私がいるから教育困難校ということで、今年度も教頭を2名に。
新しく来た教頭高岡は酒井下で指導主事をしていた
 
 鎌小は、昨年度以上に徹底して、教育委員会と一体となった「中村弾圧シフト体制」を敷いた。
鎌ヶ谷東部小学校にリベラル派の教員を潰す為に校長となって行った鈴木の代わりに、新たに教頭として高岡がやって来た。高岡は教育委員会で指導主事をしていた人間で、酒井の下で指導主事をしていた。
 その高岡は、教員への挨拶の時に、空手の技を披露したい為に、真新しい割り箸を数本束ねて彼の手の指でその割り箸を横に折ったりしていた。勿論、彼は、教員たちに自分は空手が出来ると披露し、自分はこんなに強いんだと威張りたかったようだ。多分に、暴力的に支配したかったのだろう。
 さて、学校の教員たちの名誉の為に一言付け加えれば、教員たちは割り箸を大切にしましょうと児童達に伝えている。少なくとも、私はそうだ。割り箸を無意味に折る教員は私の知る限りでは、高岡だけだ。
 さて、そんな酒井のイエスマンの高岡を含め、今年度も、私対策に、教頭が1名、教員が2名、計3名も余分に配置された。勿論、前年度同様に教育困難校、即ち「問題校」という理由で、特別に教員の加配を行ったのだ。教育困難校制度を悪用したのだ。しかし、1つの学校に3名も余分に教員を置けるわけはない。教委が勝手をやると言っても限度がある。我が校は教頭1人、教員2人を不当に置いていたのだから(甲第19号証)。余分の3人分の給料は国と県から出ているのだ。即ち、もとをただせば人々の血税だ。国民の税金を使ってこのようなことをやっていい訳がない。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<287> ・・・・教委は、強制配転の後、私を弾圧し排除するための体制を強化し、私抹殺の挙に出た。
やはり私は、鎌小始まって以来の理科専科のままに
 
 私は、この年度も、3年の理科専科だった。しかも鎌小始まって以来の初めての理科専科のままだったのである。
 この行為は教育基本法10条1項、
「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」
に違反するのみならず、『教員の地位に関する勧告』(教員の地位に関する特別政府間会議で採択)の64条、
「いかなる監視または監督の制度も、教員の専門的な職務の遂行にあたって教員を励まし、かつ、援助するように計画されるものとし、また、教員の自由、創意および責任を減じないようなものとする。」
等の規定に反することは明確である。
 また、教育基本法6条2項
「法律に定める学校の教員は全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その使命の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その処遇の適正が、期せられなければならない。」
に明確に違反している。
 こんな事では、通常教員は精神的に耐えられなくなってしまう。しかも、2年続けての処分ポストである理科専科である。
 そもそも、置く必要のないポストである。そんなポストにいること自体、よけい者と見なされ、他の教員の方から私に対し溝を深くしていくのである。
 この処分ポストを置きそこに私を閉じ込め続けることは、極めて大きな人権侵害で、上記の方や政府間協定に反するだけではなく、憲法や教育基本法全体に違反している。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<288> ・・・・寺島達は、またもや私を副担任からも外した。
またもや、私に副担任すら持たせない異常な教委や校長たち
 
 またもや、私は副担任からも外されたのである。つまり、今年度も、私を授業以外では児童とふれあうことをさせまいとしてきたのである。私を児童からできるだけ隔離し、私を積極的に支援する保護者達をこの学区に出来るだけ作るまいとしてきたのである。
 更には、管理職に追随する者たち、管理職に一本釣りされた者たちの体罰を隠す為にも副担を外したと思われた。或いは管理主義教育を、児童の人権侵害を隠す為と思われた。
 体罰傷害事件を、犯罪を隠すことにやっきになる管理職は、明らかに憲法、教育基本法、地方公務員法、そして刑法などに違反している。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<289> ・・・・四家は組合との人事での三原則の約束を、新人事に介入しないことを教頭2人を含めてした。
人事での3原則の約束をしてやめた四家。四家は、教頭にも新人事に介入しないことを認めさせた
 
 私は組合の代表をしていたので、教員の福利厚生の為に、労働条件改善の為に様々な取り組みをした(人事院総裁宛組合の要請署名/1990/甲第266号証)。その組合の取り組みの一貫として、教員の1年間を決める来年度の校内人事の件で校長交渉を申し入れた。
 四家は、組合と校長との交渉に、
「教頭達のいい経験になるから」
と2人の教頭を立ちあわせてきた。
 私は、この春で退職する四家が、次年度人事について、個人的感情を入れて人事をして、それを新校長に引き継ぐことのないよう、校内人事でも、
・本人の希望を尊重すること。
・万が一、本人の希望通り行かない場合は、本人と充分に話し合うこと。
・教育論や教育方法に対する考えの違いをもとに人事を決めるようなことはしないこと。
の三原則を申し入れた。「本人の希望を尊重する。万が一、本人の希望通り行かない場合は、本人と充分に話し合うこと」というのは、人事の際の「希望と承諾」の原則であり、教育論や教育方法での考えの違いで差別をしないというのは、人事の際のみならず、学問の自由や学習の権利を守る為の原理原則である。
 また、私は私の件にもふれ、来年も理科専科をさせることのないよう申し入れた。
 四家は、組合としての私の申し入れに対して、
「次の校長には、校内人事での申し送りはしない。校内人事での3案を作成し、それを参考にして、来年度の人事は新しい校長の判断で、新しい校長の目で決めて貰う。教頭にも人事での口出しをさせない」
「教育に対する考えの違いや、やり方の違いで人事をしない」
「教育に対して色々な考え方の違いがあるのは認める。子供を大切にする中村さんのやり方を見て勉強になったところもある」
「人事に個人的な感情を入れるなんてしない。報復人事をするようなことはしない」
「本人の希望を尊重する。希望通り行かない場合はまず本人と充分に話し合う」
と、約束をした。
 そして、四家は教頭2人にも、その約束を守るよう、その場で確認させた。
 その三原則の約束は、まじめに校内人事に取り組んでいる組合ならどこの学校でもする、管理職に対する校内人事での確認だった。そして、四家は教頭2人にも、その約束を守るよう確認させた。
 一部私を評価するような話があったのは以外だったが、ひょっとすると、四家は私を受け入れたのに、退職を1年伸ばしてくれ、という要望が受け入れられなかった事に対し、千葉大学閥が幅を利かす県教委に対して、不快感をもっていたのかも知れない。或いは、私と1年間付き合って、余り酷い弾圧をしたことに退職を前にして反省の念が起こったのかも知れない。或いは別の理由があったのかも知れない。
 私は朝の打ち合わせでも、組合からの発言として、四家が三原則の約束をしたことを全教員に告げた。それまで私を無視していた四家は、退職を前に、教員達の前でも、その内容の約束をしたことを認めた。
 一応、東部小でも、他校でも、朝の打ち合わせで、組合は人事についての校長との交渉結果を全教員に伝えている。
 さて、以上のことからすれば、本年度は私の人事も、新校長の下でフェアーな判断でなされると考えていた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<290> ・・・・寺島は、「担任と副担任外し」を四家のせいにした。また、「本人の希望を尊重すること」「万が一、本人の希望通り行かない場合は、本人と充分に話し合うこと」の組合との約束を守らなかった。
四家の意見で、「担任と副担任外し」をしたと言う寺島
 
 しかしながら、実際は、私は、本年度も理科専科で、しかもまた副担任もなしにされた。
 組合との「本人の希望を尊重すること」「万が一、本人の希望通り行かない場合は、本人と充分に話し合うこと」の約束に明らかに違反していた。あまりにも一方的だった。
 その上、私は、私のことを具体的に知らない寺島が、どうして私を再び、理科専科で副担任なし、という「担任外し、及び、副担任外し」処分にするのか、疑問だった。
 朝の打ち合わせが終わった8時30分から9時にかけ、私はそのことを問い質した。
 すると、寺島は、村田が同席する中で、次のメモのように回答した。
 
「1990.4.4 寺島校長との話 8:30〜9:00
          村田が同席
 
寺島:全体から考えて一番問題がない。
   個々ではなく、全体から考えて問題がないので。
 
  ・昨年の経過は知らない。
   不服であったかどうか、四家校長にうったえたかどうか
   知らない。
 
  ・全体の希望もあるから変更できない。
 
  ・前任者の意見である。
  ・この案がもっともいいと勧められたので決めた。」(中村メモ/1990年4月4日/甲第267号証)
と回答した。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<291> ・・・・村田は、前校長や前教頭を持ち出して、私の「担任と副担任外し」を彼らのせいにした。そして、村田は、「本人の希望を尊重すること」「万が一、本人の希望通り行かない場合は、本人と充分に話し合うこと」の組合と交わした校内人事での約束を破った。
前校長や前鈴木教頭と3人で案を作ったという村田。本人の希望を尊重すること、希望通り行かない場合は、本人と充分に話し合うこと、の組合との確認を破った村田
 
 4月4日、「本人の希望を尊重すること」「万が一、本人の希望通り行かない場合は、本人と充分に話し合うこと」の組合との確認に反しているのは明確だが、私は、それ以外にも組合との確認に反しているのではないかと、調査を開始した。まず、村田から聞き取り調査を開始した。
 村田は、次のメモのように回答した。
 
「1990.4.4.(水)
村田教頭:校内人事の三案は、(四家)校長と鈴木先生と私とで作った。
中村:四家校長の話だと、教頭二人に作ってもらう、と言っていた。
村田:鈴木先生と私で作った。
中村:人事の理由(私の)を明らかにしてほしい。
村田:答える必要はない。
   東部小でも鎌小でもやられた経験を生かして
   理科専科の案を作ったんじゃないでしょうかねえ。
中村:理科専科がいやだと言っていたのは知っていますか。
村田:理科専科がいやだという先生の希望は知っている。
   希望はわかるが希望通りにいかない先生もあるんだから、
   校長からこれでおねがいしたいという話があるんだから。
中村:何故、理科専科になったかの答えになっていない。
   私を担任にさせたくない理由が他にあったのでは?
村田:答えず。
中村:案はいつできたのですか?
村田:そういうことについては、お答えしません。
中村:案を見せてくださいませんか?
村田:答えず。
中村:理科専科になった理由を教えてください。
村田:答えず。
中村:三案中、他の案では、担任はどのようになっていたのか。
村田:答えず。
中村:一年間関係あることだから、理科専科にした理由を明確にしてほしい。
村田:答えず。」((中村メモ/甲第268号証)
 
 寺島の「前任者の意見である。この案がもっともいいと勧められたので決めた。」(甲第267号証)というのは、明らかに約束に反している。
 また、村田は「東部小でも鎌小でもやられた経験を生かして理科専科の案を作ったんじゃないでしょうかねえ。」(甲第268号証)と言うが、これは、教育に対する考えの違いや、やり方の違いで人事をしない、という四家との約束に反している。
 そこで私は、4日午後4時頃、電話を四家に掛け、ことの真相を問い質した。
 すると、四家は、次のメモのように回答した。
 
「(1990.4.4 午後4時頃)
四家前校長宅へ電話をかける。(以下の回答があった。)
四家:案は教頭に作ってもらった。
   案作りにはタッチしていない。
  :寺島校長に三案の中から、これがいいとか言っていない。
   寺島さんが自分で決めるべきだと言った。」(中村メモ/甲第269号証)
 
 「三案の中から、これがいいとか言っていない。寺島さんが自分で決めるべきだと言った。」(甲第269号証)と答えた四家は、また、
「組合との約束は守った。全く申し送りをしていない。教頭にもさせていない」
など、と付け加えた。
 だとすると、新たな疑問が残る。村田は「東部小でも鎌小でもやられた経験を生かして理科専科の案を作ったんじゃないでしょうかねえ。」(甲第268号証)と言ったが、では「中村は理科専科で副担もなし」の案を作ったのは誰かということである。組合の調査で新たな疑問がでてきた。
 
 4日、午後4時45分頃、四家から鎌小に電話があった。寺島ら管理職は職員室を不在にしていたので、私が電話に出た。
 すると、四家は、
「言っていないことを言ったと言われているが、その辺はどうなっているのか話をきくために電話した。」
「夜になってもよいから自宅に電話してほしい」
と、伝えてもらいたい」
と伝言した(中村メモ/甲第270号証)。
 そこで、私は、次のメモ(甲第270号証)にして、寺島に伝言を伝えた。
 
「寺島校長へ
 
 四家前校長から電話がありました。
 用件は、本年度の校内人事に関してです。
 寺島校長は、中村を本年度も理科専科にしたことに関して、
「四家校長が、この案がもっとも良いと三案の中からひとつをすすめたので、
それに従った。」
と話されました。そこで中村がその件を四家前校長にといあわせるた
めに電話したところ、
「三案の中から、ひとつをすすめるなどということはしていない。寺島さん
が自分で決めるべきだと話した。」
とのことでした。
 中村が、電話を切った直後、四家前校長から鎌小に電話があり、
「言っていないことを言ったと言われているが、その辺はどうなっているのか、話
をきくために電話した。」
とのことでした。夜になってもよいから、四家前校長宅に電話してほしい
とのことです。
 
 1990年4月4日 4時45分
                中村が電話を受けました。」(中村メモ/甲第270号証)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<292> ・・・・寺島は、「担任と副担任外し」を四家のせいにした。しかし、それは嘘だった。
四家の意見で、「担任と副担任外し」をしたと言ったのは「違っていた」と認めた寺島。村田に勧められていた
 
 すると、4月5日、寺島は、高岡を同席させ、そして、次のメモのように回答した。
 
「1990.4.5.
      8:30〜9:15
        高岡教頭同席
寺島・私が校内人事を決めた
  ・四家校長がこれがもっともいいとすすめたというのは
   ちがっていた。
  ・村田教頭がこれが一番いいと言った。
  ・人事の変更をする気はない
  ・問題が起きれば私が責任をとる。」(中村メモ/甲第271号証)
 
 つまり、「前任者の意見である。」と言った前言が嘘であったことを明らかにした。寺島は、年度の初めの担任の件で嘘を言っていたのだった。
「問題が起きれば私が責任をとる。」
と言ったが、既に彼が嘘を付いたことで問題が起きている。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<293> ・・・・村田は、前教頭を持ち出して、私の「担任と副担任外し」を正当化した。しかし、それはお得意の嘘。そして、村田は、「私がつくってもらい」と第三者の陰をにおわす。
鈴木の2人で案を作ったというのは村田の嘘。「担任と副担任外し」の案は、誰かにつくってもらっていた
 
 その上、村田が言った「東部小でも鎌小でもやられた経験を生かして理科専科の案を作ったんじゃないでしょうかねえ。」(甲第268号証)の、即ち「中村は理科専科で副担もなし」の案を作ったのは誰かという疑問に加えて、「村田教頭がこれが一番いいと言った」という新たな問題が判ってきた。それは、「本人の希望を尊重すること」「万が一、本人の希望通り行かない場合は、本人と充分に話し合うこと」の組合との確認に反している上に、
「次の校長には、校内人事での申し送りはしない。校内人事での3案を作成し、それを参考にして、来年度の人事は新しい校長の判断で、新しい校長の目で決めて貰う。教頭にも人事での口出しをさせない」
と、四家、鈴木、村田と組合とで確認したことに対する、朝の打ち合わせでも確認した事に対する約束違反である。
 
 さて、3案の件について、東部小に校長として赴任した鈴木に確かめた。すると、3案は、「鈴木先生と私で作った。」ということが、嘘だと解った。鈴木は案作りに参加していなかったと、組合の調査に回答した。更に、村田は、3案についても「鈴木先生と私で作った。」と嘘を付いていた。
 
 村田が、3案について「鈴木先生と私で作った。」と嘘を付いていたということは、4月5日、午前11時半頃からの寺島と私との話し合いに村田が介入してきた時に、村田が次のメモの通りに回答したので、村田からも確認できた。
 
「1990.4.5(木)
・・・略・・・
 また、校内人事で村田教頭が、4月4日、
「人事案は、四家校長先生と鈴木教頭先生と私とで作った」
と言ったことに対して、
「鈴木さんも四家さんもそのようなことは言っていない。」
と言うと、
村田「私がつくってもらい、案を見せた。それで2、3の点について
直した。」(中村メモ/甲第272号証)
 
 今更に、村田が嘘つきだと驚きはしない。しかし、村田は、四家校長や先輩の教頭の鈴木でさえ、自分の都合の為には平気で嘘に引き入れる。この男に誠実さというものは無縁なのか。教委や酒井や松岡や清水や津村を思い出す。
 それにしても、ここでも「私が作ってもらい」と回答する。4月4日には、村田は「東部小でも鎌小でもやられた経験を生かして理科専科の案を作ったんじゃないでしょうかねえ。」(甲第268号証)と回答している。やはり、「中村は理科専科で副担もなし」の案を作った人物が他にいるという疑惑が一層深まった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<294> ・・・・寺島は、「教育に対する考えの違いや、やり方の違いで人事をしない」の組合との約束を破り、私を「担任と副担任外し」にしていた。
寺島は、「教育に対する考えの違いや、やり方の違いで人事をしない」という組合との約束を破っていた。しかも、又聞きで「担任と副担任外し」をしていた
 
 1990年4月6日、寺島は、遂に、組合に対して私を担任外しにした理由について述べた。
 それは、次の私の取ったメモの内容だった。
 
「1990.4.6
      10時〜10時15分頃
       寺島一人
寺島 :「犬」の問題がある。5年生のときのである。
   ・クラスの父母が反対していたとクラスの父母に聞いている。
   ・クラスの父母に聞いたのではなくPTAの役員の人に聞いた。
    名前は明らかにできない。
 
  教育委員会に行くとのことで、
   土曜日話し合おうということになる。」(中村メモ/甲第273号証)
 
 またぞろ犬事件である。しかも全く間違った、私を落とし込める為の捏造で、担任外しを行っていた。
 最初、寺島は「クラスの父母が反対していたとクラスの父母に聞いている。」と言ったが、それが私によって事実ではないと説明されると、「クラスの父母に聞いたのではなくPTAの役員の人に聞いた。」と言い直した。しかも、「名前は明らかにできない。」と言いだした。
 そりゃー、できないだろう。犬事件や排撃署名事件などで述べてきたように、「クラスの父母が反対していた」というのは全くのうそっぱちなのだから。
 尚、そのPTA役員や教委や校長は自分らのおかしさを貫き通せず、結局は彼らの弾圧策謀は破綻して、教委や校長らは、私に1年4組、2年4組の担任を持たせたのだった。が、場所を変えて、鎌小で、またぞろその問題で担任を外していたのだ。これを報復人事と言わないで何と言えるだろう。仕切直しをして弾圧をしていたのだ。千葉県教委、市教委というところは実にそういうところなのだ。
 ともあれ、上述の寺島の上げた理由ならば、「本人の希望を尊重すること」「万が一、本人の希望通り行かない場合は、本人と充分に話し合うこと」の組合との確認に反している上に、「教育に対する考えの違いや、やり方の違いで人事をしない」という組合との約束にも違反していることになる。
 寺島が、教育委員会に出掛けたので、私の脳裏には、教委で、私の担任外しの理由が話しに出されるだろうな、との思いが過ぎった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<295> ・・・・村田は、嘘や人事での三原則の約束違反が判明してくると、「教員は、どのような人事でもよろこんで働くのが当たり前で、それが教員の職務である。」と居直る。
「教員は、どのような人事でもよろこんで働くのが当たり前で、それが教員の職務である」と居直る村田
 
 寺島が出かけた後、私は村田から、村田が私を担任から外した理由を聞くことにした。
 その村田は嘘を繰り返し、「本人の希望を尊重すること」「万が一、本人の希望通り行かない場合は、本人と充分に話し合うこと」「教育に対する考えの違いや、やり方の違いで人事をしない」の組合と交わした校内人事での三原則の確認を破っていたのに、3案作成の件で四家や鈴木まで自分の問題行動に引き込んでいたのに、一案を寺島に勧めて組合との校内人事での約束を破っていたのに、組合の調査に嘘で答えたのに、加えて「中村の理科専科外しと副担外し」の案を誰かにまかせ組合との校内人事での約束を破っていた疑念があるのに、組合の調査に対して、まことに誠意のない態度をとった。
 その誠意のない態度とは、私のとったメモにある。
 
「1990.4.6(金) 職員室 11時半頃
中村:理由を話してくださいよ。
村田:あんたもしつこいなあ。
中村:理由を話してください。私にとっては一年を決める
   大切なことなんですから。」(中村メモ/甲第274号証)
 
 4月7日、村田は、組合の調査に対して、またもや前日同様、誠意のない態度をとった。その態度とは、私のとった以下のメモにある通りである。
 
「1990.4.7
            11時10分
   村田教頭との話
  村田 ・人事に関して理由を言う必要がない。
     ・教員に理由を求められても言う必要がない。
     ・教員は、どのような人事でもよろこんで働くの
      が当たり前で、それが教員の職務である。いかな人事も、
      力を100%発揮すべきだ。」(中村メモ/甲第275号証)
 
 民間の会社は、その人物の能力を出来るだけ引き出せる、やる気を引き出せるポジションを与えている。そうしないと、業績をあげられず、下手をすれば倒産ともなりかねない。彼らは私を強制不当配転して、その結果、鎌小を教育困難校にするという失態を演じたばかりか、H1年度は4人も「高給取り」の教員を配置して、年に2000万円前後の人件費を無駄使いした。勿論、人件費は税金である。H2年度のこの年も、3人も余分に配置している。
 また、村田は組合の調査を、「教員に理由を求められても言う必要がない。」という形で逃げようとした。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<296> ・・・・寺島は、「教育に対する考えの違いや、やり方の違いで人事をしない」の組合との約束を破り、私を噂で「担任と副担任外し」にしていた。しかも、今後は、私が学習指導要領の撤回を求めているとして、日の丸、君が代の真実を伝えるという方針を宣伝していることをも含めて、問題であり、今後の問題であると発言した。
寺島は、噂で「担任と副担任外し」をしたと語った。しかも、今後は、私が日の丸、君が代の真実を伝えるという方針を宣伝していることなどが問題である、とする
 
 寺島は、4月6日の話で、7日に話そう、と約束して話を中断し、教育委員会に出かけて行っていた。しかし、7日は忙しいということで、この件での組合との話し合いは月曜日に延期された。
 その様子は、以下の私のメモの通りである。
 
「1990.4.7(土)
 
 4月6日の話で、7日に話をしようということだった。
 しかし、朝は一中の入学式の参加のため出かけるとのこと、
「11時か 11時半から昼まで話に行きましょう」ということ
だった。
 
 11時半頃 寺島校長は帰って来たが、
「入学式の打ち合わせのために 話しているひまがない」
という。
「月曜日話そう」ということだった。」(中村メモ/甲第276号証)
 
 4月9日、寺島と組合校内人事の件で話し合う約束の月曜日になった。しかし、校内人事での話し合いは行われず、寺島から、一方的に理由が告げられた。寺島は、話し合いを明らかにさけていた。その様子は、以下の私のとったメモにある通りだった。
 
「1990.4.9 入学式
・日の丸、君が代を行わないように申し入れると、
 寺島は、私はやると言いなおる。
 
1990.4.9 校長室
 何度も話し合いを要求したが、土曜日話そうと言うことであったが、
全く話し合われず。
 
 担任をはずした理由として
 1、1984〜85年に犬を飼った。
 2、1988年に遠足にクラス単独行動をした。
 3、(1988年に)学校給食での放射能検査を要求した。
 という理由を上げた。
 1、2、3点について具体的な理由を聞くと、
 「うわさとして聞いただけである」
 と答えたのみであった。」(中村メモ/甲第277号証)
 
 もとより組合との「本人の希望を尊重すること」「万が一、本人の希望通り行かない場合は、本人と充分に話し合うこと」の約束に明らかに違反していた。
 その上、またもや噂である。噂で一年間、しかも昨年に続いて、担任外しをするという。そんなことは許されない。「教育に対する考えの違いや、やり方の違いで人事をしない」という組合との約束以前の問題である。
 しかし、何れにしても東部小のことが問題になっているのは間違いない。私は前任校の東部小の事だけで担任外しをされるのは承伏できないと、寺島に話した。そして、それは「教育に対する考えの違いや、やり方の違いで人事をしない」という組合との約束に違反していると告げた。
 すると、寺島は忙しいととして、早々に話を打ち切った。
 そこで、翌日、10日、またもや組合として話し合いを申し入れた。すると寺島は、以下私のメモにあることを理由として説明した。
 
「1990.4.10(火)
     8:40〜9:03 校長室
寺島校長は担任外しの内容として、以下の理由を上げる。
   A・犬を飼った件(1984〜1985年)
   B・遠足の件  (1988年)
   C・学校給食の放射能の件
    を主な理由として、副次的理由として以下のものを上げた。
    1・耐寒マラソンに反対した
    2・クリーンデーに反対した
    3・学芸会に反対した
    1〜3は、四家校長から引継を受けたとした。
    尚、寺島校長は、私(=中村)と会って以降、中村が学習指導要領の    撤回を求めているとして、日の丸、君が代の真実を伝えるという方針    を宣伝していることをも含めて、問題であり、今後の問題であると言    っている。
    さて、今後とも話し合いを続けていくという寺島校長の約束で、
     4月10日の2、3校時の理科を受ける。」(中村メモ/甲第278号証)
 
 やはり、東部小のことが中心だった。組合との「教育に対する考えの違いや、やり方の違いで人事をしない」という約束に明らかに違反していた。もとより「本人の希望を尊重すること」「万が一、本人の希望通り行かない場合は、本人と充分に話し合うこと」の約束に明らかに違反していた。
 私は約束違反だから校内人事を直すよう告げた。しかし、10日になっており、新学年は既に出発している。私の理科専科の授業も明後日に組まれている。今更やり直しも出来ない状況だった。
 それでも、私は、犬事件、郊外学習事件は、捏造され仕掛けられたものだということを、でっちあげの権力犯罪事件であることを説明した。
 また、学校給食の放射能検査は、既に児童のことを考える教委では既に実施されていることを、従ってアスベストと同じように、良く「学校給食の放射能の件」を問題にしてくれました、とほめられることであることを説明した。
 更に、「1・耐寒マラソンに反対した」「2・クリーンデーに反対した」「3・学芸会に反対した」ということは、例え本当に四家校長から引き継いだとしても、それ自体が担任を外されるようなことではないことを説明した。その上、この点でも「教育に対する考えの違いや、やり方の違いで人事をしない」と四家校長は組合と交わした約束をしていることを告げた。従って、それの引き継ぎが「担任外し」の「副次的理由」になったとしたことは、約束違反であることを告げた。
 
 そもそも、耐寒マラソンは、最も寒い時期に実施することは児童の健康に悪いと変更になってきている。私は児童の健康と人権を守る発言をしただけである。これもほめられていることである。ほめていないのは寺島だけである。
 また、クリーンデーと称してPTAにどぶ掃除の奉仕活動させたが、それはすべきでない。PTAを蹂躙するも甚だしい。そんな問題行為は何処も行っていない。従って、「PTAに反対した」のではなく、PTAを救う意見を述べたのである。これもほめられていることである。ほめていないのは寺島だけである。
 学芸会は、全国的に廃止されてきている。それには、いろいろな問題があるからだ。さて。私は、児童の自主演技学習を訴えてきている。犬事件ほど有名ではないが、少なくとも私のことを知っている人達は、私が自主演技学習(東部小で児童達が自主演技学習をしているところの写真/甲第280号証)をうたえていることを知っている。私は叱られてオウムのように行為させられる学芸会ではなく、自分でシナリオを作り自主演技学習をする。文書力、体を使っての表現力、音楽、思考力などなどを自主的に伸ばしていける。実に文部省も認めた、自己教育力である。従って、私は、つまらない強制的な学習力の付かない学芸会ではなく、自主演技学習の大会をやりませんか、と提案した。建設的な提案である。自主演技学習とまでは至っていないが、一般的に演技学習は全国的に徐々に広がりつつある。自主演技学習ともなれば、今後、新学習指導要領の総合学習の中で占める役割が大きく期待される。ましてや、文部省がこの自主演技学習の方法を知らない以上、この点だけをしても私を教員に戻す意義はある。ところで、四家らは私の提案に付いて来られず、旧来の学芸会をやった。
 まあ、それらは、私は担任を外す「副次的理由」どころか、反対に大いにほめられることである。ところで、四家らは私の提案に付いて来られず、旧来の学芸会をやった。残念だ。
 ともあれ、そんな全くおかしな理由での弾圧、校内人事での組合との確認破りにもかかわらず、私は4月12日から始まる理科専科を担当せねばならなかった。
 
 さて、上述したこともさることながら、「尚、寺島校長は、私(=中村)と会って以降、中村が学習指導要領の撤回を求めているとして、日の丸、君が代の真実を伝えるという方針を宣伝していることをも含めて、問題であり、今後の問題であると言っている」言いだした。
 つまり、社会新報(甲第254号証)にあるように、歴史の真実を教えようということが、日の丸、君が代の強制を市民運動で反対していることが、今後の問題だとしているのである。ここに彼らの本音が見えている。
 これは、思想信条で私を抑圧するものであり、極めて大きな問題である。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<297> ・・・・寺島や村田は組合との校内人事に関する三原則の約束を破り、その上居直った。
寺島や村田は、校内人事での3原則を破っていた。そして、次々と嘘を付いていたが、その嘘も嘘だとわかると、居直った
 
 何よりも、四家と組合で確認した校内人事の三原則は、それこそ四家から引き継がれたことである。しかし、実際には私は担任を外された。村田や酒井による悪意によってである。
 それにしても私は4月5日に、村田が言った「私がつくってもらい、案を(四家と鈴木に)見せた。それで2、3の点について直した。」(甲第272号証)の「私がつくってもらい」というのが、気になる。
 しかも、「本人の希望を尊重すること」「万が一、本人の希望通り行かない場合は、本人と充分に話し合うこと」「教育に対する考えの違いや、やり方の違いで人事をしない」の三原則は破られたままである。
 
 四家は退職した、鈴木は、この春から鎌ヶ谷市立東部小に校長として栄転している。鎌小に残っているのは村田だけで、三案作りにも関与し、約束をやぶって寺島に私を担任外しにした案をすすめた。
 村田は、組合が四家に申し入れた際に、四家が組合がした
「次の校長には、校内人事での申し送りはしない。校内人事での3案を作成し、それを参考にして、来年度の人事は新しい校長の判断で、新しい校長の目で決めて貰う。教頭にも人事での口出しをさせない」
の約束を完全に破っていた。
 4月12日、理科専科のまなびが始まった日、私は組合の調査として、村田にそれらの件で訊いた。すると村田は、反省もせず、
「校長先生から話を聞いたでしょ」
と、対応した。
 
「 1990.4.12
 担任外しについて
村田:校長先生から話を聞いたでしょ。」(中村メモ/甲第279号証)
 
 私は、4月13日、理科専科2日目の日も、組合の調査として村田に訊いた。しかし、村田は、以下の私のメモにある通り、完全に私の問いかけを無視した。
 
「 1990.4.13
 担任外しについて
中村:校長先生から話をきいたでしょ、と答えられましたが、
   校長先生が話したのと同じ理由で、わたしを理科専科にした
   原案を作ったのですか?
村田:答えず。
中村:三案の私に関する部分を教えてくださいませんか、
村田:答えず。
中村:希望を尊重するという四家先生の方針から外れている人事案だと
   思いませんか?
村田:答えず。
中村:希望を尊重するという組合との約束をホゴにしていると思いません
   か?
村田:答えず。」(甲第279号証)
 
 陰湿に居直った村田に、約束を破って申し訳ない、という態度は微塵もなかった。
 そして、腹癒せに、メモ(乙第18号証)に、私がしつこくつきまとった、などのでたらめな内容を書いた。
 村田にすれば、止めた四家との約束を守ることよりは、私を止めさせる為に酒井や教委の言うことに従うことが得と判断したのだ。その村田と、更には、平気で嘘を付く寺島、もはやこんな者達には、「悪法もまた法なり」と言って、毒杯をあおいだソクラテスや約束に命をかけた『走れメロス』のメロスの爪のあかさえ煎じて飲ますことさえはばかれる。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<298> ・・・・寺島と村田は、密かに私を陥れる為の捏造したメモの作成を開始していた。
捏造され、悪意に作られたメモ
 
 四家のところでも述べたように、私は千葉人事委員会に分限免職処分撤回に向けて不服申し立てをした。その申し立ての審査で、私を「分限免職処分」した者たちは、村田のメモ(乙第18号証)を「証拠」として出して来た。そこで、私が知らなかったいろいろな事が解って来たが、昨年私に暴行をふるって以降、止めていたメモを寺島の代になって開始していた。
 そのメモには、組合と交わした校内人事での約束破りなどに対する、私がした組合の調査などを悪意で他のものに置きかえていた。左様にでたらめな悪意に基づく、或いは捏造したメモだった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<299> ・・・・教委や酒井や寺島らは、一層、私の弾圧に掛かった
共生舎兼自宅を売却し、アジアの人々に、犠牲となった方々にこたえる。教員であれば、正しいことを伝えるのが、責務。児童に恥ずかしくない教員のあり方を模索した
 
 しかし、私は日本が国際社会で信用される為に、日本の児童達に真実を伝える為に、何よりも犠牲となったアジアの人々に、その犠牲をお詫びする為に、日本人としての責務を果たす為に、共生舎兼自宅を売却して、泰緬鉄道で犠牲になったアジア人労働者の復権の挙に出た。同時に、教員であれば、正しいことを伝えるのが、責務。児童に恥ずかしくない教員のあり方を模索した(『毎日小学生新聞』『映画作りでアジアをまわる千葉・鎌ヶ谷市立鎌ヶ谷小の中村秀樹先生 インタビュー 戦争で日本がしたことを記録したい』/1990年4月3日/甲第281号証)。
 それは、まさに、カント学派の強調する当為であった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<300> ・・・・寺島とその手先の教員たちは、私をより差別的に扱うことで他の教師へ威圧を加え続けた。そして、職員会議で指名すらしないという暴挙と弾圧に出た。
四家に続き寺島も、私の職員会議で発言の指名すらしないようにさせた
 
 寺島は寒風台小から来た本間という女教員を連れて来た。市外の同じ学校から校長も教員も一緒に来ることは、私としては初めての経験である。否、通常あることではない。ということは、寺島の「お気に入り」ということである。
 そして、その本間を連れてきたという仕掛けは、直ぐに姿をあらわした。
 5月30日の職員会議の司会は、その本間であった。私は、意見を述べるために挙手した。ところが、本間は昨年度の佐治と同様に指名しない。しかも、驚いたことに、彼女は、
「中村先生はどうせ反対だから」
と、堂々とその理由を述べた。
 勿論、寺島や村田、本年度から新たに教頭になり赴任して来た高岡は、笑っている。尚、昨年度まで居た教頭の鈴木は、私の元居た東部小の校長として栄転し、東部小のリベラルな教員たち潰しに躍起になっている。
 高岡は鎌ヶ谷市教委で指導主事をしていた男である。つまり、その意味では鎌ヶ谷市教委の側で中村潰しに血道を上げる人物でもある。
 私を孤立させて弾圧する収容所としての鎌ヶ谷小学校は、収容所体制を一層強化したのである。
 もはや、私と教育問題で話をする者は無論、通常の会話さえ当たり前にする者はいなくなった。こんなことを教育の場である学校で、教員たちがやっていいのか。こんなことをやる人間達の方に、人権侵害、教員としての教育基本法への違反がある。
 この行為は、教委、寺島、村田らがした「担任と副担任外し」同様に、教育基本法10条1項、
「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」
に違反するのみならず、『教員の地位に関する勧告』(教員の地位に関する特別政府間会議で採択)の64条、
「いかなる監視または監督の制度も、教員の専門的な職務の遂行にあたって教員を励まし、かつ、援助するように計画されるものとし、また、教員の自由、創意および責任を減じないようなものとする。」
等の規定に反することは明確である。
 また、教育基本法6条2項
「法律に定める学校の教員は全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その使命の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その処遇の適正が、期せられなければならない。」
に明確に違反している。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<301> ・・・・寺島とその手先の教員たちは、私をより差別的に扱うことで他の教師へ威圧を加え続けた。また、校長派の教員たちが児童への暴力行為を繰り返し、教員たちに対しても威圧をかけていた。
管理支配強化を狙う寺島。その下では、腕力のある教員が威張り、体罰犯罪が容認されていた
 
 私は『自然と親しむクラブ』を作り、怪我をさせられた首をかばいながら、仲間たちと、牛乳パックを原料にしての紙すきや廃油からの石鹸作りなどに取り組んで行った。
 残念なことだが、私の所に来た仲間たちはまだ体罰について訴えている。床の上に1時間中正座させた教員もいる。そんな教員を注意することなく、寺島は自分のところにやってくる教員を可愛がっていた。
 四家に気に入られる為に職員会議で私にうるさいと怒鳴った岩田に替わって、我孫子からやって来た濱田などを筆頭に、運動会でも怒鳴り声と体罰が行われている。もっとも私の目を気にしてか、体罰の数は次第に減っているように感じられたが、その分、体育部系体罰教員たちの私に対する目は一層冷たくなった。彼らに属さない教員たちは益々口を閉ざした。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<302> ・・・・寺島とその手先の教員たちは、私をより差別的に扱うことで他の教師へ威圧を加え続けた。本年度になって、5月53日の職員会議に続き、二度目の職員会議で私を指名すらさせないという暴挙と弾圧に出た。
職員会議で私を指名すらさせないようにさせた。本年度2度目
 
 寺島は寒風台小から連れて来た本間は、5月30日の職員会議の司会で、昨年度の一学期最後の午後からの職員会議である7月10日の職員会議の佐治と同様に指名しなかった。
 そして、その佐治は、一学期最後の午後からの職員会議である7月9日、またもや私を指名せず発言させなかった。昨年、私に暴力を振るった川西は5年の主任だったが、本年度はやはり主任として6年に持ち上がっていたが。同様に、佐治も5年から6年に持ち上がっていた。川西と佐治は学校外でも村田と付き合いがあり、村田に可愛がられていた。
 勿論、寺島や村田、本年度から新たに教頭になり赴任して来た高岡は、私を指名しない事態を笑って見ている。楽しんでいる。
 既に述べたように、私を孤立させて弾圧する収容所としての鎌ヶ谷小学校の管理職とそれに追随する者のやりようが鮮明になれば成る程、鎌小は収容所のようになり、一層、私と教育問題で話をする者は無論、通常の会話さえ当たり前にする者はいなくなった。その事態は、教育の情熱に燃えるよりは保身をはかる教員達にすれば、当然な帰結である。
 しかし、こんなことを教育の場である学校で、寺島らがやっていいわけはない。
 この行為は、既に上述したように、「担任と副担任外し」同様、教育基本法10条1項、
「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」
に違反するのみならず、『教員の地位に関する勧告』(教員の地位に関する特別政府間会議で採択)の64条、
「いかなる監視または監督の制度も、教員の専門的な職務の遂行にあたって教員を励まし、かつ、援助するように計画されるものとし、また、教員の自由、創意および責任を減じないようなものとする。」
等の規定に反することは明確である。
 また、教育基本法6条2項、
「法律に定める学校の教員は全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その使命の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その処遇の適正が、期せられなければならない。」
に明確に違反している。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<303> ・・・・寺島とその手先の教員たちは、私をより差別的に扱うことで他の教師へ威圧を加え続けた。また、校長派の教員たちが児童への暴力行為を繰り返し、教員たちに対しても威圧をかけていたが、そんな中、寺島は特休を認めないという暴挙に出てきた。
村田らの暴行傷害事件での後遺症で病院通いをしていたが、寺島は、認められるべき特休申請を認めないという暴挙に出た
 
 私は、怪我をさせられた首をかばいながら、児童の仲間たちと、彼らの気持ちを大切にした『まなび』に取り組んで行った。
 一方、私は、村田らの暴行傷害事件での後遺症で病院通いをしていたが、それに対し、寺島は当然にも特休を認められるべき特休申請に、「黙認」という形で対処してきていた。
 しかし、7月11日、寺島は特休を認めないという暴挙に出てきた。
 7月11日は、村田らの暴行傷害事件からちょうど1年である。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<304> ・・・・教委や四家らの弾圧の一方で、私は、日の丸・君が代強制反対の市民運動は進んでいた。しかし、そんな中、天皇が死亡した、私達は、それを期に日の丸掲揚が強制されることのないよう行動した。
即位正殿の儀を期に、一気に日の丸・君が代の強要のないよう、要請行動等をした
 
 すでに、日の丸・君が代は一大焦点化しており、後は、日の丸・君が代をやるやらないは、この国の民が決めていくべきものであった。
 私が共同代表の日の丸・君が代に反対するネットワークでは、11月5日『公開質問状』(日の丸・君が代に反対するネットワーク『公開質問状』/1990年11月5日/甲第282号証)を文部大臣に出した。
 また、同ネットワークは、11月9日要請書(日の丸・君が代に反対するネットワーク『要請書』/1990年11月9日/甲第283号証)を内閣総理大臣に出した。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<305> ・・・・教委や四家らの弾圧の一方で、私は、日の丸・君が代強制反対の市民運動は進んでいた。しかし、そんな中、天皇が死亡し、それを期に日の丸掲揚が強制されだした。
自民党、文部省は、即位正殿の儀を強要し、日の丸を押しつけてきた
 
 「日の丸を認めない政党に、日本をまかせられますか」(自民党のポスター/甲第261号証)のポスターを貼ったりするのと同様に、この件で、自民党、文部省は、日の丸・君が代の強制に対しては並々ならぬ意気込みを持っていた。
 彼らは、即位礼正殿の儀を日の丸押しつけの最大の機会として利用し、学校に押しつけてきた。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<306> ・・・・教委や四家らの弾圧の一方で、私は、日の丸・君が代強制反対の市民運動は進んでいた。即位正殿の儀当日に私を閉め出した寺島と村田。鎌小でもこの日、日の丸掲揚が強制された。
即位正殿の儀当日、私を校舎から排除した
 
 11月12日、即ち、即位正殿の儀当日、私は通常の学習の用意に学校に出掛けた。クビの後遺症で、以前ほどには働けないので、いつまたクビの怪我で仕事が遅れても良いようにと、前もって学習の用意に出掛けたのである。私としては、即位正殿の儀当日、学校を休んでいるよりは有意義に使いたいと考えたのである。
 その鎌小には、用もないのに川西や佐治と同じ6学年の船山桂一教員が来ていた。そして、その船山は、
「村田教頭先生の命令で、校舎内には入れられません」
「中村先生が来るといけないので、今日来てくれと村田教頭先生に言われ来て居るんです。ですから、絶対に入れるわけにはいきません」
と言い張り、校舎の中なら鍵を掛け、校舎内に籠城して、私を校舎に入れなかった(村田一二教頭に対する『質問状』/1990年12月4日/甲第284号証)。異常な事態である。
 私は、日の丸とは関係なく、学習の用意に来たことを告げたが、彼はそれでも入れなかった。
 彼は川西や佐治同様、村田に可愛がられていた教員だった。
 鎌ヶ谷小学校の回りには、「日の丸を認めない政党に、日本をまかせられますか」(自民党のポスター/甲第261号証)のポスターが多数貼られたように、更に、私の回りには私へ同調する者を出さないようにする為の威圧行動がとられていたように、教委や寺島や村田や高岡は、今回の日の丸・君が代の強制に対しても並々ならぬ意気込みを持って臨んでいた。
 それにしても、日の丸とは関係なく、学習の用意に来たことを告げた私を、彼はそれでも入れなかったのである。教育に対する侵害である。信じられない。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<307> ・・・・寺島らは、評価検討委員会設置要求を無視し続けた。にもかかわらず、勝手に私の評価を破棄し、後日、卑怯にも私を陥れる材料として使った。
1,2学期も、四家同様、理科の評価のない通知票を出し続けた寺島ら。鎌小の人権無視の相対評価を容認する教委
 
 寺島らは、1,2学期、評価検討委員会設置要求を無視し続けた。しかも、評価の改善はおろか改善の為の議論さえさけた。
 その一方では、寺島は、四家同様、理科の評価をしないまま理科の評価蘭を空白のままにして通知票を出した。感覚が、脳幹が麻痺しているとしか考えられない。相対評価というそんな人権無視の犯罪評価など鎌ヶ谷のどこでもやっていない。公教育の公正性に反する。しかし、彼らはそれをやっていれば、私の排斥の材料が、口実が、状況が作れるとばかりに、その不当な行為を続けた。
 そして、私の担任する理科だけ、私が担任用に参考にしてもらう為に書いた所見を貼るという行為を続けたのだ。勿論、所見は評価ではない。
 評価に関しては明らかに校長権限ではない。にもかかわらず、あろうことか寺島らは、四家同様に私の評価を削り取って捨ててしまい。権限外の教育に介入する行為を行ったのだ。
 極めて異例で、全国でも前例がないことが続いたのだ。余りに寺島らの行為は異常だ。寺島らはこの件で何とかすべきだったのだ。勿論、彼らが正しいと考えるのなら、この件で私を処分すれば良かったのだ。「担任と副担任外し」処分をしたりと、私への処分を狙っていたのだから。
 しかし、そうはしなかった。出来るわけはないのである。彼らこそ違反を犯しているのだから。公務員は憲法及び諸法規を守って行為している。その上、不正をただすという使命もある。明らかに、不正を行っているのは彼らだった。私の前任校の東部小で、他校で、評価検討委員会を設け人権無視の相対評価を廃止してきた。何故、鎌小だけでこんなに長く人権無視を続けるのか。3年も4年も前に、相対評価は廃止されていて良いはずだ。鎌小だけがこんなに長く人権無視を続けることの答えは、私とトラブルを起こすことしか考えていないのである。
 理科だけ評価のない通知票を受け取った児童や親はどう思うだろうか? 保護者らは戸惑う。混乱する。その混乱を教委や寺島は手ぐすね引いて待っていたのだ、としか考えられない。他にどのような考えが出来るというのだろうか。鎌ヶ谷ですら、鎌小を除く総てで、評価検討委員会を設け人権無視の相対評価を廃止しているのに、である。
 しかも、大きな疑問が残る。何故教委は、人権無視の鎌小の相対評価を容認したのかと言うことである。やはり、教委も、鎌小と私との間でもトラブルを起こすことしか考えていないのである。しかし、鎌小の保護者からは私を非難する声は上がらなかった。それもそのはず、相対評価を廃止しない寺島らに問題があるのであったから。
 ともかく評価についての検討委員会の設置要求を拒否したり、教育に付いての理想すら語れない教委や校長らだからこそ、私を強制不当配転処分したり、「担任と副担任外し」処分をしたり、暴力を振るった村田をかばって、その村田に悪意のあるメモを捏造させたのである。
 彼らは私を弾圧することしか考えていなかったのである。そして、1学期2学期も評価をしないまま理科の評価蘭を空白のままにして通知票を出したのである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<308> ・・・・寺島らは、評価検討委員会設置要求を無視し続けた。にもかかわらず、勝手に私の評価を破棄した。そして、後日、教委や寺島らは、卑怯にも私を陥れる材料として使った。
寺島らは、鎌小の人権無視の相対評価が正しいとするなら、私を処分すれば良かったがしなかった。そして、理科の評価のない通知票を出し続けた
 
 ようするに、私を弾圧することしか考えていなかった彼らではあったが、彼らの側が問題を、人権無視評価を行っている為、処分できなかったのである。ところが、私が、「大東亜戦争」中、日本軍が行った泰緬連接鉄道敷設工事に於けるおびただしいアジア人労働者の犠牲の実態を、『死の鉄路』という映画で戦後初めて明らかにすると、問答無用で私を分限免職処分にした。
 一方、その処分理由をおびただしいアジア人労働者の犠牲の実態を、『死の鉄路』という映画にされて、日本の新しい分野での戦争犯罪が明らかにされた、という理由で分限免職処分にするわけにもいかず、何れこの問題で分限免職処分をしてやろうとあたためていた、まさにこの問題を持ち出してきた。
 行政のおぞましい分限処分の理由の捏造行為である。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<309> ・・・・寺島と村田と高岡は、私のクビの治療を妨害し、差別的に扱うことで私への弾圧をかけ続けた。私は余りに彼らの弾圧が酷いので、中川弁護士と行動をおこした。
弁護士と私は、教委や寺島らの弾圧があまりにも酷いので、教委や校長を訴えることにして、作業を開始した
 
 1990年12月、教委や寺島らの私への弾圧があまりにも酷いので、私は、中川弁護士に相談した。
 1991年になって、中川弁護士と私は、他の教育裁判を行っている弁護士にも意見をうかがい、教委と寺島らを訴えることに決定した。そして、その為の準備を進めていくことにした。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<310> ・・・・寺島と村田と高岡は、私のクビの治療を妨害し、差別的に扱うことで私への弾圧をかけ続けた。
寺島、村田、高岡は治療妨害を行い、私への攻撃を強化していった
 
 私の首の怪我は、当初は、挫傷とヘルニアであった。しかし、私は挫傷としか説明を受けなかった(甲第29号証)。これは、私が傷害を受けた直後、岡田病院に行くと告げた為に、教委が何らかの連絡を取ったのではないかとの噂もあるところである。
 ともかく、私は診察を受けた小山格医師に「挫傷」と説明を受けていたので、また1週間の安静と言われただけだったので、その後通常の生活に戻った。しかし、調子が悪いので通院を開始する。首のむちうちなどは随分と時間がかかるよ、という周囲の話だったので、まあ仕方ないと定期的に通院した。
 しかし、1年を過ぎても直らないとなると、さすがに、多少は不安になる。
 1年が過ぎて、相も変わらず牽引と首と肩のマッサージを受けていたときに、日大から来ていた鳥山医師に、病状が長引いているので精密検査を受けることを勧められた。いくらのんびり屋の私でも1年以上かかって病状が固定しないので、不安になっていたときだった。私は鳥山医師の進めで、MRIによる検査をうけることなった。その結果、単なる挫傷ではなくヘルニアに鳴っていることが解ったのである。
 しかし、ヘルニアの傷害を受けてからでも、1年半近い。病状は固定して良いはずである。私は知人の医師に相談した。すると、その道の専門家に見てもらった方が良いということで、湘南中央病院の今井医師を紹介された。
 今井医師は、
「良く来たな。この病気には、僕の右に出る者は他にいない」
とまで自負されるくらいの名医だった。
 その、今井医師から頚椎が骨棘になっていて炎症を起こしていることを告げられた。それで、1年半経っても症状が固定しないどころか痛みが進行していることが解った。そこで、やっとそれなりの診断に基づいた治療がやっと開始されることになった。(この時点では、今井医師は『後縦靱帯骨化症』という名称を使わずに説明した)
 わたしは、村田の暴力で、単なる挫傷ではなく、ヘルニアと骨棘になっていることを寺島と村田に告げた。
 彼らにしては、私がそのような状況にあることを知ってさぞ吃驚したのだろう。教委らは村田を守ろり、更には私を首にするにはどうするか、考えたことだろう。
 そこで、彼らは、まず、村田の暴力による首の怪我の炎症が進行しているのを好い事に、私の病院通いに対して妨害したり、
「市の弁護士さんに相談したら、病院に行く毎に診断書を出してもらって構わないと言われた」
と、病院に行く毎に診断書提出を迫るなど(内容証明郵便 病院に行く毎に診断書提出を迫ることを記した「要求書」/甲第285号証)、私に対する弾圧や嫌がらせに終始し出した。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<311> ・・・・寺島と村田と高岡は、私のクビの治療を妨害し、差別的に扱うことで私への弾圧をかけ続けた。しかし、私の怪我が進行中と判ると、教委や寺島らは、どれぐらいの怪我なのかその実体を探り始めた。うまくすれば、病休から退職へ追い込めるのではないかと考えたようだ。
県教委は私の怪我の程度を調べ始めた
  期限付きの診断書を求めだした
 
 私の怪我が進行中と判ると、これまで幾度も私のクビを狙ってきた教委は、どれぐらいの怪我なのかその実体を探り始めた(甲第★号証)。
 教委や寺島らは「診断書は治療を受けている本人の承諾無しに取り寄せることができると」繰り返し主張」しだした(私が出した内容証明『質問状』/1991年2月8日/甲第285号証)。 また、県教委や寺島らは、期限付きの内容証明をしつこく求めだした。(内容証明/1991年2月13日/甲第85号証)。
 うまくすれば、私を病休から退職へと追い込めるのではないかと考えだしたようだ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<312> ・・・・寺島と村田と高岡は、私のクビの治療を妨害し、差別的に扱うことで私への弾圧をかけ続けた。しかも、私に月単位の病休を取らせる為に罠を仕掛け、私を騙した。
寺島、村田、高岡は私に病休を取らせようとした
 
 そして、嫌がらせをする一方で、彼らは、私に病休を取らせようという策略に出た。
 良くある手だ。
 しかし、私は村田に暴力を受け、しかも管理職らが気絶している私を放置して逃げ、手助けどころか治療の妨害をしてきた経緯がある以上、病休を取るのは嫌だった。万が一、状態が悪くなり歩けなくなっても、私は這ってでも学校に行き勤務しようと考えていた。
 そんなとき、まとめて病休を取り、治療してくれた方が、クラス担任達も喜ぶという話を寺島達から聞かされた。各クラス担任達は、私が理科の授業をする週3時間の空き時間を楽しみにしている、その空き時間が、私の首の治療関係で延期になることを残念がっているというのだ。そして、まとめて月単位で病休を取れば、代わりの理科の教員を付けられるというのだ。
 そもそも、3年生に理科専科があるということ自体が異例である。他の学校では3年生の理科は総てクラス担任がやっている。3年の担任達が専科の授業で空き時間が持てるということ自体が、千葉の他の小学校から比すれば信じられない恵まれようである。それでいて何だかんだと言うことは、あまりにも恵まれた人々の調子にのった言い分とも言えなくはない。
 しかし、私は各担任の事を気遣った。
 そこで、寺島達が、代わりの理科の教員を付けると確約したので、私は病休を寺島達の言う通り、1ヶ月取ることにした。
 しかし、それは私を騙して病休を取らせる為だった。寺島達は代わりの理科の教員を付けなかったのである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<313> ・・・・寺島と村田と高岡は、私のクビの治療を妨害し、差別的に扱うことで私への弾圧をかけ続けた。しかも、私に月単位の病休を取らせる為に罠を仕掛け、私を騙した。そして、新たな攻撃を仕掛けてきた。
寺島、村田、高岡は、担任がすべき評価を担任がしたが、私が要録にオール5を付けたと、ありもしない攻撃を仕掛けてき
 
 さて、寺島らは、私を騙し、私を月単位の病休に追い込んだが、更なる陰謀をたくらんだ。その陰謀とは、学習指導要録用の資料を出せと言うのである。
 どこの学校でもそうだが、教員が病気になったり、産休になったり、特休になった場合、その後を受け持った教員たちが、学習評価して要録は付ける。一週間しか児童を見なかった場合でもそうである。私の前任校の経験からしてもそうであった。それぞれのやり方で評価行動を行い付けている。
 私は、資料として到達度評価でオール5の材料を郵送で送った。児童がみんな一生懸命やったので、私としては学習指導要領で求められている水準に達している判断した結果で、そのことは私の授業への関心度や意欲の高さ、集中力の高さを物語るものだ。児童達はみんな理科が好きだった。何故私の理科がみんな好きになるのか、担任達は解らないようだったが、それは簡単だ。一人ひとりがかけがえのない存在であると認識し、彼らを尊重さえすればいい。
 さて、鎌小の3年の担任達も実際に通知票や要録を付ける段階になると、自分たちで評価をする。この時の担任達も自分たちで評価して、通知票と要録を付けた。私としては、絶対評価をして欲しかったが、彼らは非常にも人権侵害の評価である相対評価して「1」から「5」に無理矢理振り分けた。私としては、病休を取った以上、私の評価権は認められていないので、仕方なく黙認した。
 しかし、おびただしいアジア人労働者の犠牲の実態を、『死の鉄路』という映画にして、日本の新しい分野での戦争犯罪が明らかにした私を、分限免職処分にする際、このことを理由にでっち上げてきたのである。教委や寺島らは、私がオール5を付けた、とあらぬ攻撃を仕掛けてきたのである。
 要録を付けるのは最後の授業を見た担任の仕事で、彼らが彼らなりに、私の資料評価を参考にして、と言ってもこの場合私の思ったようなことにはならなかったが、評価をしているのに、全く火のないところにあえて煙をたててきた。
 私を、分限免職処分にする理由をでっち上げる為に、学習指導要録にオール5を付けたと、ありもしないことで攻撃を仕掛けてきたのである。
 行政のおぞましい分限処分の理由の捏造行為である。
 
 
 
 
 
 
 
 
寺島正方時代
教員13年目
  H3年4月1日から
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<314> ・・・・寺島と村田と高岡は、私のクビの治療を妨害し、差別的に扱うことで私への弾圧をかけ続けた。彼らは、私を鎌小で3度目の理科専科にした。
寺島、村田、高岡は、私を鎌小で3度目の理科専科にした
 
 さて、私としては、新学期から学校に出ようと思っていた。
 しかし、寺島達は、私を追撃するある挙に出た。それは、私を3度目の理科専科にしたということだった。私がクビに暴行での怪我の後遺症を持っている、ということでも担任はできる。病気であろうと妊娠していようとみんな担任を持っている。学校で勤務が出来なくなったら、事故対策教員や産休補助教員などの手を借りている。それが為に、事故対策補助教員制度や年間産休補助教員制度を作って、事故対策教員や産休補助教員らを採用しているのだから。
 私は東部小でなら、2年間「担任と副担任外し」にされた。犬事件の後、千葉大出身の清水の時だった。そして、昨年までの鎌小でも、2年間「担任と副担任外し」にされた。
 しかし、今年も理科専科で担任なしなら、3年間である。これまでその例はない。異例な段階に入っていた。
 通常なら、教職員の中から、おかしいという声が上がるはずであるが、私から見れば、管理職の忠実な「下僕」と化している教員たちでは、そんな声も上がらない。そのこと自体が鎌小が如何に人権無視の職場に、学校になっているかの証左でもある。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<315> ・・・・寺島と村田と高岡は、私のクビの治療を妨害し、差別的に扱うことで私への弾圧をかけ続けた。彼らは、私を3度目の理科専科にした。その上習字専科にもした。
寺島、村田、高岡は、首の炎症が判明し、治療を開始した私を理科専科に加え習字専科にし、逆に、教科負担を増やす攻撃に出た
 
 しかも、寺島と村田と高岡、その背後には県と市の教委が居るが、は、理科専科に加え、何と私を習字の担当にもしたのである。
 病気や産休などの教員は、その勤務の軽減をはかるのが管理職の職務である。また教員達の思いやりでもある。
 産休や病気持ちの先生の授業数を減らし、減らした分の授業は管理職がやる、とか、体育を同じ学年の教員が2クラス合同でやる、とか、習字などの神経を集中させる学習は教頭や教務が受け持つとか、遠足や郊外学習などから外す、とか、新年度の教室替えでは代わりに教室移動の際の荷物運びをやってあげる、とか・・・
 しかし、頚のヘルニアと骨棘での炎症があると解った私に、何と、寺島と村田と高岡と教務の平賀は習字の授業を押しつけてきたのである。
 授業を軽減するのではなく、逆に、増やしてきたのである。これは管理職の職責を著しく欠くものであり、管理職の職を使って、人権を守り管理主義教育から共まなびを実行してきた私への報復攻撃である。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<316> ・・・・寺島と村田と高岡は、私のクビの治療を妨害し、差別的に扱うことで私への弾圧をかけ続けた。彼らは、私の手に痺れ感があることを知りながら、私を習字専科にした。
寺島、村田、高岡は、首の炎症が判明し、治療を開始した私に対し、手に痺れ感があったのを知りながら、習字専科にした
 
 しかも、私に新たに加えられた専科は習字専科である。
 当時の私は、頚の炎症がわかり、その治療を開始していた段階だったので、正直言って習字は辛かった。管理職にも手の痺れがあることを告げていた。そのことを知っていて、彼らは理科専科に加え、習字専科にしてきたのである。頚に炎症がある段階では、これでは、一層の弾圧以外の何ものでもない。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<317> ・・・・寺島と村田と高岡は、私のクビの治療を妨害し、差別的に扱うことで私への弾圧をかけ続けた。彼らが、習字専科にした以上、私は病休を取ることにした。
寺島、村田、高岡は、ヘルニアと骨棘で手に痺れ感があった私を習字専科にし、病休を仕掛けた
 
 さて、私への3年目の「担任及び副担任外し」と、教科負担、を行った彼らは、2ヶ月間病休を取って欲しいという挙にでた。
 彼らは、昨年度末、1ヶ月間の病休に対して理科の授業の講師を付けられなかったのは、病休1ヶ月は講師を市で探さなければならない、だから付けられなかった、と説明した。そして、病休2ヶ月は県で探すので、県には事故対策教員のがいるので回してもらえる、だから2ヶ月病休を取って欲しいと言いだした。
 理科専科だけなら良いが、習字は痺れ感のある手では、自分なりに満足に行くようには出来そうにもない。
 そこで、私は2ヶ月の病休を取ることにした。そして、ヘルニアと骨棘の治療に掛かることにした。
 それが教委や寺島らの策略で私を病休に陥れる狙いだと知りつつも、敢えて2ヶ月の病休を決意した。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<318> ・・・・私が、『死の鉄路』という記録映画を作っているという、記事が6月14日の毎日新聞に掲載されたその後、彼らはしゃにむに、私の分限免職処分のでっち上げを狙いだした。
泰緬鉄道のアジア人犠牲者の実体を暴く映画が
  毎日新聞に掲載
 
 その途中で、私が、「大東亜戦争」中、日本軍が行った泰緬連接鉄道敷設工事に於けるおびただしいアジア人労働者の犠牲の実態を、『死の鉄路』という記録映画にしているという、記事が6月14日の毎日新聞に掲載された(毎日新聞/1991年6月14日/甲第287号証)。
 その後、県教委や市教委や寺島らの私への攻撃が、強化され、承認していた私の病休すら取り消すという挙に出てきた。
 彼らは遮二無二、私の分限免職処分のでっち上げを狙いだした。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<319> ・・・・寺島と村田と高岡は、私のクビの治療を妨害し、差別的に扱うことで私への弾圧をかけ続けた。私は余りに彼らの弾圧が酷いので、代理人として中川弁護人を選任したことを伝えた。
寺島らは、今后私への要求は中川弁護士を通すことを約束した
 
 寺島らの私のクビの治療への妨害があまりにも酷いので、しかも私への攻撃があまりにも理不尽で露骨なので、私は、中川弁護士を私の代理人として、寺島らに会わせた。
 中川弁護人は、
「何か中村さんに話や要求があれば、これからは中村さんの代理人である私を通していただけますか」
と話され、寺島らは、
「解りました。そうします」
と約束しました。
 写真はその時の話し合いの様子(写真/1991年9月19日/甲第288号証)
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<320> ・・・・管理主義教育を進める者達は、ここぞとばかりに、私のクビをとった。
泰緬鉄道の映画『死の鉄路』上映に
 天皇のアセアン訪問に合わせて上映
  遂に分限免職処分に
 
 私たちが、『死の鉄路』という記録映画にした直後だった。
 初めての特別上映、まだ、完全に完成していた版ではなかったが、主催者から特別に要請されて、上映を許したのが、9月19日。「天皇のアセアン訪問を問う北部集会」である(集会チラシ/9月19日/甲第289号証)。
 天皇のアセアン訪問では、訪問の際、アジア戦争での補償金を訪問先のアジア各国に渡した方が良いのではないかという議論が、外務省から出た。それだけ、アジアでの戦禍への日本の対応は関心を持たれていた。そのタイミングでもって、この「大東亜戦争」中、日本軍が行った泰緬連接鉄道敷設工事に於けるおびただしいアジア人労働者の犠牲の実態を、『死の鉄路』という記録映画で暴くことになったのである。
 そして間もなく、『死の鉄路』は完成し、新聞報道がなされたのが10月5日(共同通信配信 地方の各紙に載る/1991年10月6日/甲第290号証)。その後、問答無用、私は事情聴取さえなく、秘密会議で急遽「分限免職処分」になった。1991年10月16日のことである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<321> ・・・・管理主義教育を進める者達は、ここぞとばかりに、私のクビをとった。
千葉県教委が、新聞発表後、急遽分限免職処分の起案をした
 
 そして間もなく、『死の鉄路』は完成し、新聞報道がなされたのが10月5日。その後、10月14日、私を分限免職にする為の起案が管理係長の麻生学によりなされた(甲第303号証)。問答無用、私は事情聴取さえなく、一方的な起案だった。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<322> ・・・・管理主義教育を進める者達は、ここぞとばかりに、私のクビをとった。
千葉県教委から中村を分限処分にしたと各新聞社にファクシミリ。そんなこと、何処の教委がするだろう
    彼らのはしゃぎようが見えるようだ
 
 清水利夫に続いて、私に罠をしかけた津村留美も千葉大学教育学部である。また私を処分したときの現場での嘘と捏造をしかけた鎌ヶ谷小学校校長寺島正方も千葉大である。
 私を分限処分にした旗振り人の1人である県教育委員会の山中齋も千葉大学教育学部で千葉大学閥である。
 山中は、私が県教委による秘密会議での分限処分であるにもかかわらず、各新聞社に、中村を分限免職にしたことを勝手に捏造した理由などを並び立てて、B5版の用紙(鎌ヶ谷市立公立学校教員の処分について 山中斉義務教育課長/甲第291号証)に記載し、流布したのである。
 私が黙っていたにもかかわらず、分限免職の理由を教委側から公開したのである。
 そんなこと、どこの教委がするだろう。
 明らかに人権侵害である。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<323> ・・・・私は、分限免職になったのは、文部大臣井上裕が、内閣改造で文部大臣から外される1週間前だった。そして、クビをきった岩瀬は参議院議員になった。
文部大臣井上裕、小学校課長近藤、県教育長岩瀬良三。井上が内閣改造で文部大臣から外される1週間前に私は分限免職
 
 私は、分限免職になったのは、文部大臣井上裕が、内閣改造で文部大臣から外される1週間前だった。
 その井上裕は、参議院議員で森派。その後、参議院議長となるが、H14年4月22日、公共事業裏金収受疑惑で参議院議長を辞任した。千葉県佐倉市に自宅があり、鎌ヶ谷は彼の選挙地盤である。
 小学校課長近藤は日の丸・君が代の強制に反対する全国署名運動のときの交渉相手の文部省責任者の一人である。
 岩瀬良三は私をでっち上げ権力犯罪事件である分限免職処分にした後に初めて行われた参議院選挙に出馬して当選。人を踏みつけても出世したいという、なかなかの野心家だった。その後H13年、千葉県知事に出馬するが落選する。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<324> ・・・・私の復職に反対する文部官僚。
私に敵意を抱く文部官僚
 
 日の丸・君が代の強制反対では、私達と共に社会党も頑張っていた。その強制反対運動の窓口となった社会党中央書記局の藤田書記は、日の丸、君が代の強制に反対してでっち上げ権力犯罪事件である分限免職処分にされた私を気の毒に思い、私の復職の道を探ったらしかった。その彼と別件でお会いしたとき、彼は、
「中村さんのクビは、日の丸・君が代問題だ。中村さんの復職を文部官僚が認めない。彼らは、日の丸・君が代問題で中村さんを敵視している」
と私に話した。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<325> ・・・・管理主義教育を進める者達は、ここぞとばかりに、私のクビをとった。本来なら、クビなどとんでもない。
泰緬鉄道の映画『死の鉄路』完成
文科省や教委は、教員がやったということで、ほこりにすべき
 
 本来なら、クビに後遺症を抱えているのに良くやりましたね、と文科省や教委はプラスの方向で評価すべきである。(『朝日新聞』 戦火と「いのち」2つの実話映画化 「泰緬鉄道」市民の手で/1991年10月29日/甲第292号証)。
 それをクビにする何て、とんでもない。「大東亜戦争」中、日本軍が行った泰緬連接鉄道敷設工事に於けるおびただしいアジア人労働者の犠牲の実態を、どう考えているのか。先のアジア戦争で日本の行った行為を反省するには、事実をからまず学ぶべきである。その意味では、教員がその任を果たしたということで、ほこりにすべきである。歴史は、必ずや私たちを評価する。もっとも、今も評価されているが。
 ところが、彼らは分限免職にした。何という行政行為の貧困か。何という精神の貧困か。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<326> ・・・・映画が完成し、国会議員などでつくる国際人権議員連盟が『死の鉄路』を議員会館で上映するようになると、国際舞台での陰謀が起こる。
泰緬鉄道の映画『死の鉄路』全国上映に
  しかし、罠が仕掛けられる
 
 当時のタイ大使は初代情報局長の岡崎久彦である。その岡崎は、天皇のアセアン訪問に際して戦争補償関係でお金を渡すべきではない、という意見書を外務省に上奏し、反対した、
 さて、そのタイ大使館では泰緬鉄道に関して、2年前に、泰緬鉄道の遺品が『メイクロンの永久橋(戦場に架ける橋)』の袂で売られているという記事をアンドリュウ・ドラモンドという男が書いた際、事実かどうか調査をしていた。結果は、記事はでららめだった。大使館はアンドリュウ・ドラモンドという男がでたらめな記事を書くという事実を掴んだ。
 
 さて、映画が完成し、全国的な上映運動が進められていく。国会議員などでつくる国際人権議員連盟でも『死の鉄路』が議員会館で上映するようになる(国際人権研究会ご案内 「泰緬鉄道と日本の戦争責任」/1992年3月2日/甲第293号証)と、国際的なフリーランサーのシンジケートが動き出し、上述のアンドリュウ・ドラモンドがオーストラリア唯一の全国紙で最も名門の『ジ・オーストラリアン』紙に、私達が泰緬鉄道の戦跡で金塊泥棒などをした盗賊団であるとの嘘記事を売り込んだ。そして、それを『ジ・オーストラリアン』紙が、1992年3月23日に掲載するという事件が起きた。
 つまり映画のことには、一言もふれず、私達を外圧で叩こうとしたのである。
 私は、単身オーストラリアに乗り込み、マスコミや市民運動の仲間達、榎在豪大使をはじめ在豪大使館や加藤シドニー領事をはじめ領事館などと共同歩調をとりながら『ジ・オーストラリアン』紙を謝罪させた。その際、『ジ・オーストラリアン』紙の編集責任者ホーランドは、私たちがアジア人労働者の犠牲を明らかにすることを止めさせたいと考える者達のその陰謀に操られたと、調査結果を私に伝えて謝った。そして、1992年4月3日には、私への賛美記事を私の写真入りで掲載した、また関係のテレビ・ラジオの放送をした。
 しかし、私は、この後タイに行くとどうなるかわからず、タイ行きを控えるようにとのジャーナリストの知人達や市民運動の仲間達の話で、3年間、タイ行きを控えた。
 私達を外圧で叩こうとしたことには反撃したが、逆に言えば、それだけ映画『死の鉄路』で、「大東亜戦争」中、日本軍が行った泰緬連接鉄道敷設工事に於けるおびただしいアジア人労働者の犠牲の実態を暴いたことは、分限免職処分でっち上げ権力犯罪事件を起こした者達からすれば、大事件なのである。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<327> ・・・・NHKが連行されたアジア人労働者は恨んでいないと言う放映を流す一方で、『死の鉄路』に登場している戦禍の場所は、多大な経費を掛けて総て公園にされたりした。また、泰緬鉄道に連行されたブンタムは、インドネシアに連れ帰られて行方不明である。
泰緬鉄道の戦禍隠しが始まる
しかし、アジア人労働者の犠牲は世界に明らかになっていっている
 
 私が、タイ行きを控えていた間に、事態は動いた。
 NHKが、連行されたアジア人労働者は恨んでいないと言う放映を流し、アジア人労働者の犠牲者の怒りに蓋をしだした。犠牲となった人やその遺族には、その恋人達にはどうするのか。
 
 また、『死の鉄路』に登場している戦禍の場所は、多大な経費を掛けて総て公園にされたりした。人の来ない山奥を公園にしたのである。また、泰緬鉄道に連行されたブンタムは、インドネシアに連れ帰られて行方不明である。更に、それ以外の泰緬鉄道で働いた労働者や関係者達に一定の金が流れたとの話もある。
 これらの費用には、当時から、外交上の秘密の費用が使われたのではないかと疑われてきている。つまり問題となった所に裏金を渡し、日本の戦争責任を曖昧にしたという見方だ。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<328> ・・・・全教千葉は、裏からこっそりと手を回し、私の人事委員会の不服申し立ての弁護団から手を引くように働き掛けた。
人事委員会制度さへねじ曲げる 全日本教職員組合
 
 千葉の日教組反主流派は日教組から分かれ、全教千葉という組織を作っていたが、その千葉全体の書記長になった染谷の行動は不可解だった。彼は、
「分限免職処分撤回について相談にのるから、相談においでよ」
と私を誘って、私から話を聞き出した。
 そして、私の支援の状況を探り、私の弁護団が彼らの知っている法律事務所の弁護士たちだとわかると、こっそりと手を回し、私の支援から手を引くように働き掛けた。私の人事委員会へ不服申し立てするという権利回復を妨害するもので、人事委員会での速やかな審議を妨害するものである。
 その染谷は、自派の組合員の小見川に誹謗中傷ビラを作らせ(乙第40号証の5)ていた。しかし、そのビラの事実関係や作成姿勢がおかしくしかも匿名であることで、138の東葛の学校から分会長が参加して行われた支部委員会議決で回収を命じられていた。そこで、すべて回収されていたはずだが、実は、小見川から前教務主任の狩野へ、狩野から校長の松岡へ、松岡から酒井へと渡っていたその誹謗中傷ビラは回収しないままにしていた。そして、回収されたはずの誹謗中傷ビラ(乙第40号証の5)を活用して、酒井は、
「中村先生はこんなに悪い先生ですよ」
と私への誹謗中傷を行っていた。
 今回の私への分限免職処分でっち上げに際しても、乙第40号証の5として出してきている。逆に言えば、乙第40号証の5のような証拠が出されることが、この分限免職処分がでっち上げ権力犯罪事件であることを明らかにしている。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<329> ・・・・日教組傘下の千葉県教職員組合の幹部は、日教組の私への支援意向を封じた。また、自治労や千葉県高教組にも介入した。
私への支援運動が広がらないよう、千教組の幹部が押さえていっ
 
 日教組傘下の千葉県教職員組合は、日教組は千葉県教組が黙認すれば私への支援してもいいということだったが、その千葉県教組の幹部は、私には、
「日教組が支援することに反対しない」
と話ながら、陰で私への支援に反対した。
 また、千葉市の自治労の研究会の上映会に対し、どういうつもりでやっているのか、などと介入し支援の動きを封じた。
 さらに、千葉県高教組中央委員会での分限免職処分撤回のアピールにも介入し、中央委員会のその場でアピールを止めさせた。
 教委、校長会、千葉大学閥、右翼と運命共同体、利益共同体を作ってきた千葉県教組の幹部の正体がそこにある。
 上述した事例だけではない。それ以外にも、支援を要請した際、千葉県教組の幹部は多々支援の潰しを行っていた。分限免職処分でっち上げ権力犯罪事件の中で、彼らはまた支援運動潰しをやってのけているのである。今日も。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<330> ・・・・そんな中、権力は、建て替え問題で、共生舎映画兼私の自宅を強制執行した。
建て替え問題で、共生舎映画兼私の自宅を強制執行した
 
 そんな中、私は、ねばり強く闘っていたが、でっち上げの分限免職処分から2年後、公団の建て替え問題を口実に、H5年11月26日、共生舎映画兼自宅を強制執行された(『東京新聞』/1993年11月26日/甲第294号証)(『朝日新聞』/1993年11月26日/甲第295号証)(『読賣新聞』/1993年11月27日/甲第296号証)(『毎日新聞』/1993年11月27日/甲第297号証)(『千葉日報』/1993年11月27日/甲第298号証)。テレビなどもニュースや特集で報じた。
 この背後には建設省から出向し、建て替えの巨額な利権をぶら下げて、がむしゃらに柏市長代理になった本多晃がいる。本多晃にしても、鎌ヶ谷市の皆川圭一郎にしても、千葉県東葛の6市2町の市町長の協議会でのお知り合いである。県との関係も深い。まして、霞ヶ関の官僚との関係は特に深い。
 私は所有していたマンションを売りに出し、その金などを資金とし、泰緬鉄道の映画を作った。日本人としての私なりの責任の取り方であった。そして、国際人としてのこれからの日本人に、アジア戦争に付いてのきちっとした理解を持っていて欲しかった。それは、私の当為だった。
 そんな私と共生舎映画の場所を、仮処分で急遽強制執行した。
 私は、その強制執行で5日間ほど、テント生活余儀なくされた。
 そんな中、市長代理の本多は、建て替えの巨額な利権をぶら下げて、市長選に名のりをあげ、巨大な利権の蜜にむらがる輩の支援の下、僅差で柏市長に当選した。
 一方、私は、疎開先での生活を強いられながら、居住権を広被させる為に闘っている。
 国連の社会権委員会は、2001年8月、日本政府に対して、強制執行が許されないと、最終意見書を出した。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<331> ・・・・私のクビを狙っていた者たちは、その中で嘘証言と捏造を繰り返した。その内の一人の矢動丸は、悪意のある者だった。
酒井に言われてメモを取った男 矢動丸
 
 分限免職処分に関する人事委員会への不服申し立てのその審査の過程で、私の言動をメモに取っていたのは、村田や津村だけではなかったことが分かった。東部小の教頭の矢動丸俊もメモを取っていた。清水と津村の教頭をつとめていた矢動丸は、やはり私を「犬問題」を起こした教員として問題視していた。そして、矢動丸は『中村教諭の言動について』という15ページに渡るメモを教委にあげていた。
 その上、矢動丸は人事委員会審理の証言で、メモを取るきっかけになったのは、
「東部小に赴任する時に鎌ヶ谷市の教育長さんが、教頭というのは非常に記録が大事であるということをおっしゃいまして指導を受けましたので」
と述べ、メモの背後に酒井三郎がいることを明らかにした。
 その矢動丸は、署名による排撃のときの教頭でもあったが、人事委員会審理の証人席で、署名による排撃に関して、
「これは地域の方か保護者が中村教諭に反発して、そういう態度に反発してほかへ移ってもらおうというんでしょうか何かそういう運動をやったという、署名運動をやったということを聞いています」
「校長の方も署名運動があっているのかということで非常にびっくりしていました」
と述べ、既に新聞やテレビなどでも「教育委員会や校長の関与」と報じられ、社会的にも明らかになり、国会や市議会でも問題にされた「教育委員会や校長の関与」を隠し、平気で偽証を繰り返した。しかも、新聞の社会面のトップで報じられ、テレビなどでも報じられて大問題になった署名排撃をされた教員の居る当該校の教頭で排撃署名に関与した立場にありながら、「何かそういう運動をやったという、署名運動をやったということを聞いています」と、まるで対岸の火事に対するかのように、評論家まがいの立場に終始した。
 その矢動丸は、その後、鎌ヶ谷市の学校教育課長をした。酒井との密接な関係が垣間見える。そのような男を証人として出してきた教委のやり方に、この分限免職処分がでっち上げ権力犯罪事件であることが良くあらわれている。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<332> ・・・・私のクビを狙っていた者たちは、捏造と嘘証言を繰り返した。村田一二は、実に悪意のある者だった。
村田一二というメモを取った男
 国粋主義者・大東塾の眉山の下で指導課長をする
 
 人事委員会の審査の中で、私の言動をメモに取っていたのは、津村や矢動丸だけではなかったことが分かった。鎌小の教頭の村田一二も捏造したメモを取っていた。
 そして、村田は、我孫子市での校長を経て、流山市の指導課長をしている。
しかし、その流山というのは、かつて眉山俊光が教育長をしていたところであり、現在は市長をしている。
 この眉山は野田市や流山市を中心として千葉の管理主義教育を進めてきた中心人物である。そのことは、私に『記録ジャーナル』誌上などで批判をされてきた(『記録ジャーナル』/1986年1月/甲第100号証)。
 その眉山は、管理主義教育から『共まなび』をめざす私に対して敵愾心を燃やしていたらしい。犬事件の時、眉山は、私を支持する流山市職労に支援を止めさせようとしたが、流山市職労からはねつけられている。さて、この眉山は大東塾の構成員である。彼は、大東塾は辞めたと言っているが、大東塾の塾訓は、一度同志となった以上は死ぬまで共に行こう、というものであり、果たして彼がどのようにして大東塾を止められたのか、彼は明らかにしていない。
 さて、その大東塾だが、最も日本で国粋主義者らしい国粋主義者であるとされる。
 ともあれ、その流山で村田は指導課長をしている。村田と眉山がどよのような関係であるかはともかく、千葉の管理主義教育はその根っこから批判されねばならない。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<333> ・・・・私のクビを狙っていた者たちは、その中で嘘証言と捏造を繰り返した。津村や矢動丸や村田や平賀は、悪意のある者だった。
津村、矢動丸、村田、平賀という者たち
  酒井の下でメモを取った者たち
 
 それにしても、津村、矢動丸、村田、平賀そのような人間達だけが、県教委や酒井の下で、私を陥れるメモや文書を作った。
 
 
 
私が教委や校長らによって事実を捏造され、権力犯罪にさらされることになった、わけや理由やそのようす<334> ・・・・10年間、私は、教委と「教育」関係者によって狙われ続けていた。法に従って生徒の人権を守る教員には、上述したような執拗な罠が仕掛けられたのである。
私を弾圧する教委、平気で嘘を付く教員たち。しかし、私を弾圧しても、嘘では教育改革の流れは止められない
 
 私は、教委や教員たちほど保身のために嘘を付く生き物を知らない。自分のためには、後輩を、同僚を平気で欺き、メモまで教育委員会にあげる。「クビ」の罠に陥れる。その組織と人間はことごとく小心者であったが、そうであるが故に権力を手にすれば手にするほど、一層恥知らずだった。そして、自分たちのやっている「管理主義教育」が、どれだけまなぶ人たちを傷つけているのか考えもしない。そんな所に、学校をして、「あきらめ」「無関心」「逃避」「転嫁」「いじめ」「暴力的表現傾向」・・・を生ませて来た温床があるのだ。
 何はともあれ、10年間、私は、教委と「教育」関係者によって狙われ続けていた。法に従って生徒の人権を守る教員には、かようなまでの執拗な罠が仕掛けられたのである。
 
 1996年10月7日、即ち衆議院議員選挙の開始された日、新聞の紙面は選挙でうめられるその日、千葉県人事委員会は、千葉県教育委員会による私への「分限免職処分」を正当だった、と千葉県教委の処分を追認した。しかも、よりによって衆議院議員選挙の開始された日に判定を出したのである。選挙に入れば、マスコミは、この問題に割く紙面や放送時間はほとんど無い。千葉県人事委員会の判定が、選挙開始と同タイミングで出されたものであることは、判定のおかしさを世間の目からそらしたいという憶測を呼びかねず、何か恣意的なものを極めて強く感じざるを得ない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この陳述書のおわりに
 
 人事委員会の判定が、殆どまともになされなかった為、私は、現在分限免職処分取消を求めて、千葉地裁に提訴中である。審議の中で、私の代理人の大口弁護士が、
「処分理由と分限処分との関係を具体的に明らかにしていただきたい」
と、処分庁側に要求したのに対して、処分庁即ち被告の代理人の石津弁護人は、
「分限処分は、懲戒処分ではないので、個別具体的に見るのではなく、全体として、総合して判断しているのであって、適格性の要件を個別に判断するものではない。私どもはそう判断している」
と、回答した。つまり私への処分については、具体的事由にそくして処分が妥当か否かを論ずる必要はなく、全体的に総合的に判断して不適切であれば、アバウトに処分が妥当であれば、処分出来ると言っているのである。
 
 アバウトであればあるほど、つまりは、私への分限免職処分は、管理主義教育犯罪を犯し続ける千葉県教委やそれに関与した者達と、人権尊重の視点から或いは共生の視点から管理主義教育を共まなびに変える私との闘いの、H3年時点の権力犯罪者側からの一時的な表現に過ぎなくなるのである。そこには、何が何でも私を葬らんとする邪悪な彼らの本音が、何処かのタンカーが漏らした油のように、海にのっぺりと浮かび上がり漂っている。おのれ自体が汚染物体であるとも気が付かず。
 私を支援する人が言った。
「中村さん、出る釘はたたかれるんじゃなくて、引っこ抜かれるんだね」
と。
 しかし、引っこ抜かれても、改革の志をかかげて進む以上、邪悪で不当な教委とその関係者たちは、教育改革をめざす私の精神を引っこ抜くことは出来ない。
 私は村田の暴力に起因した頚の炎症が発覚して以降、後縦靱帯骨化症による頚の炎症の進行を止めることを第一義目標として優先させてきたが、H6年にはその炎症を止め、症状を固定化させることに成功した。それは、ありとあらゆる治療と試みの結果であった。症状を固定化させたことにより、痛み等は相当和らいでいる。何よりも、この先自分のこの頚はどうなるのだろう、という精神的不安からかなり解放された。あとは益々体を鍛えるだけだ。
 そうして、鍛えた体と、この間で鍛えられた精神とで、教育改革をなしていくだけだ。
 市民が必要としているのは、自己の地位や利権にかじり付き管理主義教育犯罪を犯し続ける千葉県教委やそれに関与した者達ではない。管理主義教育を止めさせる勇気ある人物である。
 
 
 
 
 
 
以上が陳述書(1)です。
 
 
 
 
  陳述書(1)に1部から3部まで、長いものをお読み戴いて、心よりお礼申し上げます。
  尚、裁判所に出す為、相当急いで書きあげました。
  乱筆、乱文で、誤字脱字ですみませんでした。
         原爆暦58年4月29日
                             中村秀樹
 
            (日の丸君が代に反対した者は、「みどりの日」に            この陳述書を書くという、「みどりの日」にふさわ            しい仕事をすることになりました。)
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 わんちゃん先生はアジア太平洋戦争で日本のなした行為と隠された事実を明らかにしていっています。
 一方、外務省は、泰緬鉄道での戦禍を隠し続けています。そればかりか外交機密費を使いこっそりと戦後補償や戦後処理をしたのではないか、との追究にも嘘を突き続けています。

 外務省やNHKは、彼らがなした泰緬鉄道での戦禍隠しを明らかにするべきです。 
4、戦争の実体と隠された事実を明らかにしてきました。
 一方、外務省は戦禍の事実を隠し、その上に隠蔽した
犀の角のようにあゆむ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2、教員や人々に対する分限処分抑制に貢献!
 上記の運動は、後ろから石をぶつけ罠を仕掛け攻撃をする全教や千教組をはじめとする教組の労働官僚、そして悪徳役人と悪徳政治家などを一方に、どん底のわんちゃん先生が生活を掛け、市民派の皆さんや原則的な労働運動を堅持する皆さん、及び弁護士さんなどと共に
       他の教員達や職員や人々の為に
なして来たことです。

 勿論、彼に石をぶつける悪徳役人、政党職員、官僚や教員や労組員を分限処分にさせない為にも為して来たことです。
3、管理主義教育から共まなびの方向に、一歩一歩リード!
 また、わんちゃん先生と彼の支援者達は、左や右の管理主義教育批判を20年間掲げ続けることにより、教育を学校を反管理主義教育の方向に、共まなびの方向に、「学校の主人公は児童生徒である」の方向に、多少なりともリードして来ました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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